Coolier - 新生・東方創想話

小咄 鬼一管

2008/12/13 02:11:34
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元気よく湖の周りで飛び跳ねているのは拍子抜けするくらいに背の低い少女だった。
巨大な氷を研いで作ったかのような澄んだ羽に、青を基調とした服が可愛らしい。
白い頬に少しだけ朱を差したようなあたたかみのある容貌には、
少女らしい勝ち気な笑みが浮かんでいた。

遠くにはちらほらと釣り糸を垂らして雑談に耽っている壮年の男達の姿も見受けられる。
中には身振り手振りを交えながら妖怪と雑談している者も居て、
それで良いだろうのか、と苦笑が漏れるのを禁じ得ない。

釣り好きは人間にも妖怪にも多い。
人里で人を襲うことは当然の事ながら御法度であるが、
もしかしたらここでのそれも禁止というのが不文律となっているのかも知れない。
博麗の巫女や閻魔、そして妖怪の賢者達がこの状況を見たならば、
何の為のスペルカードルールなのだ、
と頭を抱えて溜息でも吐きそうな様子である。

しかし、ここを訪れた名もない若者は幻想郷の妖怪と人間の関係、
などといった微妙なパワーバランスには全く興味がないのか、
静かな湖面に釣り糸を垂らして座り込んでいる。

やがて、彼が今日の定位置に定めた場所から少し離れた所に、不思議な雰囲気を放つ青年が現れた。
その髪は、男にしてはやや長く、彼の線の細さを強調しているように見えた。
それにしても、不思議な衣装である。
少なくとも、日本の伝統的な衣服でない事だけは確かだ。
形だけを見れば確かに和服に近いと言えないこともない。
ただ、縹色と黒色、そして白の折れ線及び点の組み合わせというものは、
少なくとも幻想郷では一般的とは言えない。

その男の話は度々酒場で持ち上がる。
奇抜な店を営んでいる者との事だ。
人妖という話も聞く。
名は確か、森近霖之助と言ったか。

彼の周りにはいつしか、数人の妖精が集まってきていた。
はじめに見かけた異質な雰囲気を放っていた勝ち気な妖精もその一人である。
より正確さを求めるのならば、その不思議な妖精につられるようにして、
他の妖精もふわふわと彼の周りに集まりだしたという表現が正しいのかも知れない。
青年は鬱陶しそうに右手を振って彼女達を追い散らすと、すとんとその場に腰を下ろした。

釣りをするつもりはないようだ。
散歩がてら立ち寄っただけなのだろう。
珍しいものを見た。
里に帰ったら家族に話してやろう。
そう思っていると、隣で釣り糸を垂らしていた老人がにやりと笑みを浮かべて話しかけてきた。

「また、香霖堂さんですな」

はあ、と若者は気のない返事をした。
オマツリにならないかと、それだけが彼にとっての心配事だった。
そういえば、と若者はぼんやりと思う。
香霖堂とは青年の営む店の屋号であったような気もする。
何せ立地条件が悪いので、普通の人間には縁のない店なのだ。
覚えても仕方がない。
若者は、難しい顔をして老人に尋ねた。

「彼はいつもここに?」

うんにゃ、と老人は首を静かに横に振った。
頬はゆるみ、しわくちゃの顔がとても幸せそうだった。

「最近、ここに来て下さるようになったのです。
本来ならばこのような薄ら寒い場所にやってくるような方ではありませんよ」

丁寧な話し方をする紳士的な老人だった。
もしかしたら老いた妖怪なのかも知れない。
随分と店主のこと良くを知っているような口調だった。
若者は、老人の柔らかな物腰には好感が持てたようだった。
話の内容も気になる。
若者は老人に尋ねた。

「来て下さる、というと……。
何か施しでもするんですかい、あの人は」

それ以外には考えられなかったのだが、
老人は、ふぁっふぁっふぁっ、と空気だけを漏らすような笑いを零し左手を振った。

「そんな事はしませんし、だあれも望んじゃ居ませんよ」

ならば、何なのだろうかと若者はしきりに首を捻ったがどうにも分からない。
気が付けば、白髪の青年の周りは黒山の人だかりである。
といっても、妖精がわらわらと集まってきただけなのだが。

こうなってしまっては彼も悪戯の餌食だろう。
可哀想に、と思うのと同時に、一体どんな目に遭わされるのだろう、と内心楽しみでもある。
しかし、妖精たちは一向に手を出す様子がない。
思い思いの場所に腰掛け、ただ青年を取り囲んでいるだけだ。
ある者は足をばたつかせ、ある者はすっかり昼寝の準備に入っている。
青年に危害を加えようとする様子は全くない。

老人を見ると、彼はすでに不思議な青年から目を離し、じっと自身の垂らした糸のきらめきを見つめていた。
ただ、その口元には深いしわと共に笑みが刻まれていた。
まるで、これから始まることを心待ちにしているかのようでもある。

釣り人達のうち、幾人かは青年に視線を向けているようだ。
それにしても、今日は人が多い。
十人は居るのでは無かろうか。

青年はしばらくの間、腕を組んでじっと座っていたのだが、
やがて青い髪の妖精と二、三言葉を交わした。
青年は気怠げに右手だけで手をひらひらとさせながら文句でも垂れているように見える。
ぼそぼそとした小さな声で、ここまでは詳しい会話の内容は聞こえてこない。
対する妖精はずいぶんと快活な調子で青年に何かを言う。
やがて青年は大げさな溜息を吐くと共に、おもむろに何かを取り出した。

それは本のようにも見えるが、実に不思議な装丁が施されていた。
どのようにして製本したのか一目では理解できないのだ。
ここに至って、ようやく若者は理解した。
彼が今から行おうとしていること――それはきっと本の読み聞かせだ。
妖精のような活発で頭の悪い連中が話をきちんと聞くとは思えないのだが、
現に彼女達は暴れることなく、大人しい。

青年がぱらぱらと本をめくりはじめると、しん、と空気が張りつめていった。
やがて、とあるページで指を止めると、彼は静かに口を開いた。

「昔々、外の世界のとある所に、勝又弥左衛門という男が居たそうだ――」

若者は思わずぎょっとした。
青年の声は静かであるにもかかわらず、しっかりとここまで聞こえてくるのだ。
老人はそんな若者の様子を見ると、くすり、と小さな笑みを零した。

「驚いたでしょう?」

はあ、と思わず感嘆の息を漏らすと、
老人はまるで我が事のようにくつくつと嬉しそうに笑った。

「どこぞの大妖怪がこっそりと声を拡張しているとも、
不思議な道具を使って声を大きくしているとの話も聞きます。
しかし、真相は闇の中でしてなあ。
何故ここに来て本の読み聞かせをしているのか。
何故妖精たちが大人しく彼の話に耳を傾けているのか。
全てが謎、大いなる謎なのですよ。
それが面白くて面白くて、里から人が集まってくるというわけですわな」

なるほど、と若者は苦笑した。
自分ほどの年の者は力作業で重宝される。
最近はそのために釣りに来ていなかったが、見ない顔が随分と多いことに彼は今更ながら気が付いた。

「それは確かに、面白い話ですねえ」

若者は感服して青年を見やった。
実に平坦な調子で話は進む。
あまり有名な童話では無いようだ。

内容は、狐取り弥左衛門という男の胸のすくような活躍譚だ。
愉快な話ではあるのだが、あまり含蓄のない平易な、そして娯楽的文章である。
悪い狐を不思議な才能の持ち主である弥左衛門がやっつける、というただそれだけの話が延々と繰り返される。
それを聞いて、ある妖精は歓声を上げ、ある妖精はそのまま昼寝を続ける。
寝るにしろ、集中して話を楽しむにしろ、青年の声は邪魔にならない程度の大きさだった。
事実、脇に座る老人も、青年の話は聞くともなしに聞いている様子だった。

強弱の付かない平坦な語り口は、子供を寝かしつけるための寝物語を彷彿とさせる。
もしかしたら子持ちなのかも知れないな、と若者は思った。
青年は、一頁、一頁、
ゆっくりと紙を捲りながら話を続けたのだが、やがてあるところでぴたりと読むのを止めた。

少し考え込んでいるようにも見える。
話そうか、話すまいか。
そのように悩んでいる様子でもあった。
弥左衛門の大活躍の話が急に途切れたので、妖精たちはきょとんとして、青年を見つめる。
彼はそれにうろたえこそしなかったものの、一度だけ大きく首を横に振ると、表情を厳しいものへと変えた。
この場では、たかが昔話で何をそんな真剣な表情をする必要があるのか、などと笑う者はもう一人もいなかった。
彼は常に真剣に一つ一つの話を語ってきたのだから。
不思議な青年は、小さく息を吸い、そして口を開いた。





















氷の妖精が香霖堂の戸を叩いたのは数日ほど前の事になる。
どうせ菓子でもたかろうと思ったか、
そうでなければめぼしい玩具をただで手に入れようとでも考えたのだろう、
と店主の森近霖之助は大して気にもとめなかった。
菓子を強請ればくれてやればいいだけの事であり、
玩具を欲しがれば叩き出せばいいだけの事だ。
いらっしゃい、とだけ声をかけ、そしてまた彼は読書に没頭した。

ストーブによって室内は過度に暖められており、
冷気を操るこの妖精にはやや過ごしにくい環境であろう。
放っておいても出ていくはずだ。
そう考えていたのだが、今日の彼女の行動はいつもとは違った。
一直線に霖之助の元に駆け寄ると、一目で外の品と分かる本を目の前に叩き付けたのだ。
そして、彼女は、どうしてもこの本を読んで欲しいと熱心に語った。

はじめの一話だけを里から湖にやって来た白沢に読み聞かせてもらったのだそうだが、
今の彼女は里での力仕事の手伝いで大忙しなのだという。
妖精たちは皆、どうしても続きが知りたくて、それで自分がここに来た、とチルノはそう言った。

あるいはただの悪戯だろうかと霖之助は思ったのだが、
すぐにこの少女が自分を騙すことが出来る程度の賢さを持っていないことに思い当たり、
取り敢えずも話だけは聞こうと、そう思った。
全く、あの半獣も罪な子だ、と霖之助は素直にそう思った。
とはいえ自分には興味のない事であるし、わざわざこの寒い日に霧の湖まで出向くつもりもなかった。
なので、本をぱらぱらと捲ってからもっともらしい理由を付けて断ろうと思ったのだが、
その本に登場する主人公の名を見て、霖之助は思わず小さく息を呑んだ。



勝又弥左衛門。



あまりに有名な名前である。
昔話を多少囓ったことのある者ならば誰でも知っていよう。
霖之助はちらりとチルノを伺った。
彼女は、はてなと首を傾げるだけだった。
断られるとはみじんも思っていないらしい。

しかし、彼の興味は今やこの妖精には向いていなかった。
食い入るように、目次に人差し指を当てて、一話一話のタイトルをなめるように見やる。
自分の知らない話も随分多くあった。
時代を経る毎に次々と新しい話が追加されたのだろう。
何せ、男が狐をやっつける、というただそれだけの話だ。
その手の話を創り出すことは容易いことであろう。
妖力を持った狐など見たことがないであろう今の外の人間に、
どれ程リアルな表現が可能なのかという問題は残るが。

ただ、森近霖之助の興味はそのような新しく生まれた話にはなかった。
どうせ同じ話ばかりである。
目を皿のようにして明朝体の文字を読むこと数秒。
霖之助は、やはりそうか、と大きく唸った。

何の皮肉であろうか。
わざわざこの小咄集の最後に、この話を持ってくるとは。
霖之助は、一度目を瞑って、そしてもう一度その三文字を見つめた。
間違いない。

『鬼一管』の話である。

詳しい内容は霖之助も覚えてはいなかった。
なにせ、最後に読んだのが数年前だ。
ただ、この話に関してはあまり良い思い出はない。
筋だけを追えば、確かに狐取り弥左衛門が狐を退治するといういつも通りの話なのだが……。
霖之助はあの頑固な少女、上白沢慧音の真意をはかりかねて、チルノに尋ねた。

「チルノ」

なにさ、と聞き返す少女はやや苛立っているようだった。
霖之助がすぐに色好い返事をしなかったからであろう。
だが、彼は彼女の苛立ちなどは些末な問題であると言わんばかりに、自分の質問をぶつけた。

「その半獣は、この本の内容を全て読むつもりだったのかい?」

さあ、と彼女は小首を傾げた。

「あたいがそんなの知るわけないじゃん。
いいから読むか読まないかを決めてよ」

せっかちだね、と霖之助がのんびりと言うと、チルノは地団駄を踏んだ。

「そんなのろのろしてたら亀になるよ!」

やれやれ、と霖之助は溜息を吐いた。
そして顎に手を当ててじっと慧音のことについて思いを馳せる。
穏やかな物腰の賢い子だが、彼女の芯の部分は熱い。
その気になれば妖精にも何か教育をしてやろうという気にだってなるかもしれない。

ただ、彼女にはやらねばならない事が山積している。
わざわざ内容の薄い弥左衛門の話などを読み聞かせる暇などないはずだ。
となれば、慧音はこの本を通して何かを教授したかったということになる。
それはつまり、と霖之助は、鬼一管、の三文字をじっと見やる。

そして気が付いた。
神経質なまでに印刷物の調子に似せているが、その三文字は手書きである。
慌てて本を捲ると、ひらりと、一枚の紙切れが落ちてきた。
薄い、ただ一枚の紙切れだ。
つらつらとよどみない筆致で、そこにはやはり鬼一管の話の内容が書き込まれていた。
間違いないな、と霖之助は思った。

慧音はわざわざ弥左衛門の話に鬼一管の話を増補したのだ。
不自然だとは思っていた。
夢と希望、そして笑いを与えるための日本の昔話において、
何故最後にこのような話を持ってくるのか、と。

短編として読むのならば鬼一管は良くある奇譚だ。
しかし、慧音はわざわざ、弥左衛門の話と一緒くたにしてそれを語ろうとしていた。
そこに含まれる彼女の真意が痛いほど霖之助には伝わってくる。
霖之助は、ふう、と息を吐いた。

もう随分前になる。
自分もこうやって、弥左衛門の話をした後に、ぽつりと鬼一管を語った事があった。
無論、慧音とは違い、
弥左衛門の活躍を楽しんでいた当時の霊夢と魔理沙をからかってやろうという思っての事だ。
反応は、思った通りだった。
霊夢はそれを一つの別個の物語として楽しみ、
魔理沙はそれを聞いて憤慨した。
今の二人の性格が如実に表れているな、と霖之助は思う。

何ものにも流されない霊夢に、どこまでもまっすぐな魔理沙。
後者は金太郎で、前者は正に弥左衛門と言えるだろう。

そして、霖之助はチルノを見やった。
この子は何と言うだろう。
十中八九、魔理沙と同じ答えを返すだろうと霖之助はそう思った。

だがしかし、心のどこかで、それは違うと冷静に告げるものもあった。
この少女は全く別の視点からこの物語を読むはずだ。
妖精という特異な視点で読むはずだ。
そういう予感めいたものが、どん、どん、と強く胸を叩いた。

出不精だと思われがちな霖之助だが、案外好奇心にはめっぽう弱い男である。
その気になれば何の恐怖心もなくふらふらと無縁塚まで出向いたりもする。
そして、今回もそれと同じ様子であった。
気が付けば、慧音の意向などというものは頭の中から消し飛んでおり、
ただただ自分の好奇心を満たす為だけに、

「語ってもいいかも知れないな」

と無責任に答えていたのだった。





それから数日が経った。
その気になれば一日二日で弥左衛門の話は終わらせることが出来た。
増補されたからとはいえ、彼の逸話はあまりに少ない。
だが、あえて霖之助は数日に分けて語った。
狐取り弥左衛門という英雄が、皆の心に根付く時間を作ったのだった。
その上で、鬼一管の話の反応を見たかったのだ。

いや、そうするつもりだった、と言うべきかもしれない。
今や霖之助はこの無垢な少女たちに痛快な英雄譚を語ることを、
面倒だと思う反面心のどこかで楽しんでいる節があった。

ここ二、三日はただの昔話として弥左衛門の話は終えてしまおうかと思ったくらいだ。
霊夢たちに語った時とは訳が違う。
妖精の機嫌を損ねてしまえば、それこそ冗談では済まないような被害を被ることもあり得る。

だがしかし、と霖之助はゆっくりと目を開いた。
語らねばなるまい。
不思議と、自分の中に教育欲とでも言うべき何かがふつふつと沸き上がるのを感じた。
自分に慧音が乗り移ったのかも知れない。
第一、チルノが自分の所を訪れるということからして妙な話だ。
彼女なら真っ先に霊夢か魔理沙の所に行くだろう。
わざわざ香霖堂を訪れたのだから、慧音からそれとなく推薦されたのかもしれない。
そう思うと、霖之助は逃げることができなかった。

不快ではないのだが、全くやれやれだ、と溜息を吐きたい気分になる。
周りを見渡せば、釣り人や妖怪たちもこちらをちらちらと見やっている。
ここからでは話は聞こえないだろうに、近頃は妙に注目されている気がする。

だが、構うまい。

そうして興味を持ってもらい、店を訪れる客が増えればそれに越したことはない。
さて、と霖之助は本腰を入れる。
数人の妖精は確実に気分を害すだろう。

しかし、と彼はチルノをちらりと見やった。
彼女も他の妖精と同じく、心から弥左衛門に心酔しているようだった。
それでもこの子は、他の妖精とは違う気がする。
恐らく慧音もそれを感じたからこそ、わざわざここに足を運んだのだろう。

少々、前の話と間を空けすぎた。
物語りをするときには、雰囲気にも気を使わねばならないのだ。
ぴんと張りつめた空気の中、霖之助は静かに切り出した。

「じゃあ、次の話だ。
これはまあ、この本では最後の話という位置づけでね。
題を、鬼一管、という」

そう前置きをすると、空気の緊張は最高潮に達した。

「今となっては昔のことだが、外の世界のとある所に勝又弥左衛門という男が居た」

聞き慣れた冒頭に、妖精たちは目を輝かせる
霖之助はあえてその少女達の方を見ないよう、はじめはことさら文面に集中して語る。

「老僧に化けた狐が、獲るのを止めよと言うが、彼はその狐を獲った。
神様の化身と崇められた狐が止めよと叱っても、結果は同じだった。
どんな狐でも、弥左衛門の手にかかってしまえば赤子の手を捻るようなものだ。
弥左衛門は、狐取りの天才なのだからね」

ねえねえ、と一人の妖精が楽しそうに声を掛けてくる。

「あのスキマ妖怪の式でも、弥左衛門ならやっつけられるかな!」

小さく、霖之助は笑った。

「どうだろうね。
弥左衛門に逆らえる狐など居ないという話だからな。
やはり逆らうことは難しいかもしれないね。
なにせ、『勝又弥左衛門』と書いた本人直筆の札を戸に張れば、
どんな狐も悪さをしないという話すらあるくらいだ。
ただ、彼女はただの狐ではなく、式だからなあ。
ううむ……。
まあ、それでも弥左衛門ならばきっとなんとかするだろうね」

すごいね、と妖精は笑った。
なので、ああ、すごいよ、と霖之助も返答した。
こうした脱線も昔話の醍醐味である。
近所の子供に読み聞かせをしている気分になってきて、なかなか楽しいものだ。
興が乗ってきたのか、霖之助は少女達を見やり、空いた手で身振りを交えながら続ける。

「はてさて、所は変わるが同じ国に、鯰江六大夫という男が居た」

ふふっ、と緑色の髪をした大人しげな妖精が笑った。

「分かりました。その人も実は狐なんでしょう?」

こらこら、と霖之助は少女をたしなめる。

「早とちりをしてはいけない。話はまだまだ続くんだからね。
そう簡単にオチがついては面白くないだろう?」

そうですね、とその妖精は照れくさそうに笑った。
初日から熱心に話を聞いてくれている妖精で、霖之助もこの子は気に入っていた。
チルノとも仲が良い様子だった。
ただ、弥左衛門についてはあまり憧れを抱いていないようだったが。
他の妖精と違って、パッシブな性格だからかもしれない。
そのような子の方が今回の話は客観的に楽しめるかも知れない、とも霖之助は思った。

「この六大夫はそれはもう、素晴らしい笛の名手なんだ。
この国の主の宝に、『鬼一管』という笛があってね。
それは昔鬼一という人が吹いた笛なんだそうだが、
どうにもこうにも、他の人には音が出せない。
その笛を、六大夫は見事に吹きこなして見せたんだ」

ねえっ、と妖精の一人が霖之助の手を引っ張った。

「その鬼一管って笛、香霖堂に置いてあるっ!?」

残念ながら、と霖之助は苦笑して首を振ると、なあんだ、と妖精は引き下がった。
話のたねに紫から貸してもらうのもいいかも知れないな、と霖之助は思った。
彼女ならば、きっと持っているだろう。
それとも、今は寝ているだろうか。
いやいや、冬は寝ていると豪語しておきながらひょっこり現れる彼女のことだ。
近いうちに店に顔を出すかも知れない。
その時に頼んでみる事にしよう。

「さて、どこまで話したかな」

霖之助がそう意図的に尋ねると、

「鬼一管って笛が出てきたとこ!」

と妖精の一人が元気よく返事を返してくれた。
懐かしいことだ。
昔の魔理沙もこれくらい可愛らしかったのだが。
今となっては見る影もない。
何が「恋符『マスタースパーク』」、だ。
そんな派手な少女には誰も惚れるまい。
それとも誰かに惚れているとでもいうのだろうか。
いやいや、魔理沙に恋なんてまだ早い。
断じて許さないぞ。

――はっとして、霖之助は首を振り、思考が横道にそれそうになるのを食い止める。
霊夢から更に爺臭くなったと言われたが、おちおち反論も出来ないではないか。

「そうそう、鬼一管のくだりまでは話したんだったね。
さて、その鬼一管は六大夫にしか吹けないものだから、
最早彼の笛も同然ということになった。
そういった才能に恵まれた彼も、とある事件に巻き込まれて、島流しに遭ってしまうんだな」

どうして、とある妖精が聞く。

「何か六大夫は悪いことしたの?」

いいや、と霖之助はゆっくりと首を横に振った。

「なにぶん昔のことだからよくわからないけれど、
六大夫はとてもとても優しい人だったそうだ。
実際は冤罪だったのかも知れないよ。
ただ、そこのところは永遠に謎のまま、というやつさ。
かぐや姫が月から追放された理由と同じく、ね」

さて、と軽く本を弾いて皆の注目を再び自分に集めてから霖之助は語り出す。

「鬼一管の事は何も言われなかったので、流刑地までそれを持って行き、
以来六大夫は笛だけを楽しみに生きてきた。
来る日も来る日も、ずっと笛だけを慰めにしていたんだろうね。
淋しい日々だったろう。僕ならば耐えられそうにないな。
やはり少しくらい騒がしい方が良いよ」

うんうん、と妖精たちは真剣に頷いていた。
ほう、と霖之助は息を吐く。
やはり、緊張するものだ。
今回の話は、いつもとは違うのだから。

「そんな六大夫のもとに、いつしか一人の少年が顔を出すようになった。
年の功は十四、五歳といったところだろうか。
風の日も雨の日もそうやって外で聞いていたものだから、
六大夫も見るに見かねて、入って聞いていったらどうか、と優しく声をかけてあげた。
それからというもの、少年は六大夫の家を訪れ、そこで笛を聞くようになったんだ」

やや退屈そうにしている妖精も見受けられるが、あと数分は耐えられるだろう。
すぐに話は急展開を迎えるのだから。

「そうやって少年が訪れるようになってから何日も経ったある夜のこと。
笛を聞き終えた少年が悲しげに言うんだよ。
『こうやって、あなた様の美しい笛の音を聞くことも、今宵が最後となってしまいました』、とね」

はっとして、あの大人しい妖精が顔を上げた。
だが、霖之助はゆっくりと真剣な顔をして首を横に振った。
周りの妖精たちは、起承転結の転の部分にさしかかり、目をきらきらさせていた。
霖之助は、ふう、と軽く息を吐いた。

「当然、驚いた六大夫は訳を尋ねた。
この島から人が出ていくことなど先ず不可能だから驚くのも当然だ。なにせ、流人の島だからね。
少年は彼の問いにしばらくじっと黙っていたのだが、やがてぽつりと小さな声で言ったのさ。
『実は、私は千年を経た狐なのです』、とね」

ここで、何人かの妖精が顔を上げる。
だが、前半の和気藹々とした雰囲気とは全く逆に、
質問させる暇を与えずに、霖之助は言葉を継いだ。

「彼は続けて言ったんだ。
『勝又弥左衛門が、私の事を――時を経た狐の事を知ってこの島に来ています。
彼が来たからには……私などの命は最早助かりません』、とね」

あれ、一人の妖精が首を傾げた。
おかしいな、と。
勝又弥左衛門、狐取り弥左衛門は悪い狐をやっつける人ではなかったのか。
皆の疑惑の視線を受けながら、霖之助はなおも続ける。

「六大夫は、当然そんな馬鹿な事があるか、と言うわけだ。
勝又弥左衛門が来ると分かっているのならどうにかなるはずだ、とね。
分かっているならば、対抗できるはずではないか、と。
今までの弥左衛門の活躍を聞いてきた君たちなら分かると思う。
そんな馬鹿な事は、絶対にあり得ない、と」

妖精は、黙っていた。

「しかし、弥左衛門の事など知らない六大夫はなおも言う。
彼が来ている間、家で匿ってやるから心配するなと。
彼も少年……いや、狐の事が気に入っていたんだろうね。
だからこそ狐も辛かった。
辛かったが、どうしようもなかった。
弥左衛門の前では千年を経ていようが、
どんな特殊な能力を持っていようが、全く通用しない。
神通力が失われてしまう。
だから、行けば必ず捕らえられると知っていながら罠に近づいていってしまう。
もう、どうしようもないんだ。
彼が来た時点で、運命は決まっていたんだよ。
狐はその旨を六大夫に切々と語った。
ただならぬ少年の口調に、六大夫も、是非もない事を悟ったんだ」

そこで、一旦言葉を切り、霖之助は続けた。

「狐は今までのお礼に何かをしたい、と言った。
六大夫は、それならば源平合戦を一ノ谷の逆落としから見たいな、と言った。
源平合戦というのはね……大昔の、それはそれは派手な戦だったそうだよ。
やはり、男としては一度は見てみたかったんだろうね。
彼がその願いを口にすると、部屋の中はたちまち戦場に変わった。
それはそれは、臨場感溢れる戦の光景を六大夫は楽しんだ事だろう。
だが、狐の礼はそれだけではなかったんだ」

話も佳境である。
こうなれば、最後まで語るだけだ。

「屋敷が元に戻ったあと、狐は最後にこんな事を口にした。
『某月某日、浜の方に国の主がいらっしゃいます。
なので、鬼一管をお吹きください。
きっと良い事がありますから。
それは私の死後の事なのですが、あなた様のお情けのお礼にお伝えいたします』
淋しげな口調で、そんな事を言うんだよ。
それから数日後のある日。
弥左衛門がそれはそれは大きな白狐を捕らえたという話があっというまに巷に広まった。
狐は七度までは逃げおおせたそうだが、八度目に捕まってしまったそうだ。
弥左衛門の手から七度も逃げるなんて、大した狐だよ。
やはり……生きたかったんだろう。そう思うよ」

あの時の、魔理沙と、そして霊夢の表情が頭に浮かんだ。

「六大夫はそれを聞いて涙を流しながら、教えられた通りの日に笛を吹いたんだ。
海の向こうの浜にいた国の主は、そりゃあもう驚いたものさ。
何せ、とてつもない距離を超えて、笛の音が響いてくるのだからね。
そして、国の主はその笛の主の名を鯰江六大夫であると知り、
彼の罪を許し、召し返したということだよ。
めでたしめでたし……かな」

そう言って、ぽん、と彼は本を置いた。
皆は、呆然として霖之助を見上げた。
一人が尋ねる。

「えっと。これで、終わり?」

霖之助は、頷いた。

「弥左衛門は、何で狐を獲ったの?」

彼は苦笑して、肩をすくめた。

「いつも通りの事だろう?
それが彼の仕事だったんだから」

彼の言葉は、霊夢の言葉でもあった。

狐は狐。
狐は、獲らねばならない。

妖怪は妖怪。
妖怪は、退治せねばならない。

「でも、変だよ」

そう思うのも道理だと霖之助は思った。
そして、この違和感を通して、きっと慧音には伝えたかったことがあるのだ。
彼女の言いたかったことが何か、それは霖之助には正確には分からなかったが、それでも義務だけは果たすつもりだった。

「確かに、君たちにとっては変な話だったのかもしれない。
だが、考えても見て欲しい。
今まではずっとずっと弥左衛門を主人公にして、話を見てきたんだ。
今回だって、そうして話せば『千年生きた白狐を弥左衛門は苦闘の末、獲った』という結末になっただろうさ。
そして君たちは諸手をあげて喜ぶわけだ。
……実際には、六大夫と、狐の間に苦悶があったというのにね」

しいん、と場は静まりかえった。

「勝又弥左衛門は、正義の味方じゃなかったって、事ですか?」

ぽつりと尋ねる大人しい妖精に、いいや、と霖之助は首を横に振った。

「千年も生きた狐は、もはや妖怪だよ。
そんな奴は生きているだけで人間社会の敵だ。
退治しないといけない。
幻想郷でもそうだろう?
だから弥左衛門は自分なりの手段でそれを執行しただけだ。
スペルカードルールなど当然ないから、残酷な結果にはなったがね。
彼は紛れもなく、人間のために身を粉にして戦った、英雄だよ」

でも、と俯く少女達に、霖之助はこれが話の終わりだと言わんばかりのつっけどんな態度で、

「人の功罪なんてものは、見方次第でいくらでも変わるものだ。
君たちも物事を一面的に見るのは止めた方が良い。
そうじゃないと……弥左衛門を盲目的に英雄視した今のように、都合良く誰かに操られてしまうかも知れないよ」

誰も、ぐうの音も出なかった。
霖之助の言葉はどこまでも正しかったからだ。
話すことはこれで終わりである。
なんだか白けてしまったな、と残念に思いながらも、それでも妖精ならば一日二日で忘れてしまうだろう、とも霖之助は思う。
そうしたら、また面白い話でもひっさげて、やってくるのも悪くない。
そう思って立ち上がろうとすると、

「ちょっと待ってよ」

と、小さな手が彼の裾を引っ張った。
見ると、そこには納得いかないといった様子のチルノがじっと霖之助を見上げていた。
言葉が出てこないのだろう。
しばらくもどかしげに手を握ったり開いたりしながら、それでも何とか彼女は口を開いた。

「変だよ。なんであんたもみんなも、弥左衛門の話しかしないのさ。
今の話で一番酷いヤツは弥左衛門なんかじゃないってば!」

まるで霖之助を弾劾するかのように、チルノは言う。

「六大夫はどうなのさ!」

思いの外の言葉に、霖之助はすぐには反応できなかった。

「六大夫、かい?」

そう、とチルノは頷いた。

「なんでまた彼を酷い奴だと位置づけるのかな」

彼の問いそのものが気にくわないのか、むっとした調子でチルノは言う。

「六大夫は狐を見捨てたじゃん!
なんでみんなそのことは言わないのさ!
それがっ!
……それが、一番酷いと、思う」

最初は自分の意見が絶対に正しいのだと思って大声で口を開いたチルノだったが、
やがて皆の視線を受けて、尻すぼみな声になってしまった。
それでも、チルノの意志は揺らいでいないようだった。
妖精の一人が、反論する。

「でも、チルノちゃん。
弥左衛門に逆らったって無駄だよ?」

無駄じゃない、とチルノは首を振った。

「だって、狐はたった一人で七回も逃げたんだよ。
それなら、六大夫が手伝えば絶対助かってた!」

でも、ともう一人が言う。

「でもさ、その狐って未来が見えてるみたいだったし。
自分が助からないって分かってたんじゃないかな」

きっと、とチルノは言う。

「それならきっと、弥左衛門と戦ったら六大夫が酷い目に遭うって狐は分かってたんだと思う。
十回も二十回も逃げてたら、国の偉い人に聞こえるように笛を吹く時間なんてないもん。
狐は六大夫に幸せになって欲しかったから、自分は絶対に助からない、なんて言ったんだよ!」

しん、と皆が静まりかえった。
事実、霖之助までがなるほど、と一部納得してしまった。
そういう解釈もあり得る、と。

著者は「弥左衛門からは逃げられない」という前提の下でこの話を書いた。
それは間違いない。
だからこその盲点だった。
著者の意図など、著者がつくり出した運命など無視すれば、そういう発想も確かに可能なのだ。
賢いからこそ、作者の考えが見えてしまうからこそ、気が付くことが出来ない点だった。

「そこまでして狐は六大夫に幸せになって欲しかったのに!
六大夫のヤツは何もしなかった!
戦が見たいとかふざけた事言うし……それにっ!
狐が死んでちょっとしか日が経ってないのにぴーひゃら笛なんて吹いて国に帰って、
幸せに暮らしましたとさ、だよ! そんなのってない!」

苦しい沈黙が降りた。
チルノは肩をいからせて、はぁ、はぁ、と荒い息を吐いていた。
妖精たちは、みなチルノの言葉に胸を打たれたようだった。
もしも湖に居る釣り人たちがこの話を聞いていたならば、
きっと彼らとてこの小さな妖精の言葉に心を動かされない事はないだろう。

「六大夫は最低なヤツだよ。
弥左衛門も格好良くなかったし。
最後の話なのに……全然つまんない」

ぽつり、とチルノは最後にそう呟いた。

最早、誰もが霖之助を見ていた。
こんな酷い結末なのか、と。
これがあの英雄譚の、あの痛快な英雄譚の結末なのか、と。

霖之助は当然悩んだ。
以前は、どうしようもないことだと割り切った。
しかし、それではチルノの言うところの六大夫である。
霖之助は無論自分をそのような俗物であろうとは思っていなかった。
物事は多面的に見よ、という慧音の教えは十分に伝わったはずだ。
ならば、チルノたちをフォローしてやっても良いのではないだろうか。

だが、どうやって。
その手段が分からない。
瞬時に名案が浮かぶのなら苦労などするものか。
妖精たちのすがるような視線から逃れるように、霖之助は、湖の向こうを見つめた。
遠くに、紅い、紅い、洋館が見える。
紅い悪魔の住まう洋館が見える。


「運命」を操る悪魔の住まう、洋館が。


瞬間、彼の頭に、一つの方法が浮かんだ。
たった一つだけの、そしてもっとも冴えたやり方が。
そうだ。
その手があったか。
霖之助は、ふぅ、と大きな息を吐いて立ち上がり、ぽん、と優しくチルノの頭を叩いた。

「チルノ、君はまだまだ馬鹿だ」

ふぇ? と彼女は霖之助を見上げた。
蘊蓄、そして暴論は霖之助の十八番だ。
彼はあっという間に詭弁を構築すると、もっともらしく口を開いた。

「今までの話を思い返してごらん。
本当に、こんな酷い結末があると思っていたのかい。
こんな後味の悪い終わりがあるとでも思っているのかい」

でも、とチルノは霖之助を見上げる。
先程まで必死だったのだろう、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
頬などは真っ赤で、口元も僅かに震えている。

「で、でも……慧音はこれが全集だって言ってた」

ふん、と霖之助は嘲笑うかのように鼻で笑った。

「彼女も僕に言わせればまだまだ青い。
史実には強いんだろうが、こういう古典文学にはめっぽう弱いらしいな。
昔話というものはね、源氏物語でもなんでもそうだが、抜け落ちた話っていうのがあるものなのさ」

ぽかん、とするチルノを見て、霖之助は肩を竦める。

「この本には、六大夫と狐と、そして弥左衛門の話の真の結末は掲載されていないんだよ。
これまでの話の流れを全部ひっくり返すような後編が、実はあるのにね」

妖精たちが、にわかにざわめいた。
チルノは呆然としたまま、口を開いた。

「ほんと?」

本当だよ、と霖之助は笑った。

「すっごく、面白い話だ」

チルノは、ぎゅっ、と彼の胸元の布地を掴んだ。

「そ、その話って狐は死んだりしないよね? 六大夫も悪いヤツじゃないし、弥左衛門は格好良い?」

あー、うん。と霖之助は困ったように左手で頭を掻きながら、空を仰ぐ。
参ったなあ、という表情がありありと浮かんでいた。
だが、彼が再びチルノに視線を戻した時には、もういつもの強気な仏頂面である。

「当然だよ。狐はピンピンしてるし、六大夫も良い奴だし、弥左衛門はとても格好良い。いつも以上にね」

「本当に?」

「本当さ」

「絶対に本当!?」

「絶対に、本当だ」

「絶対に絶対に絶対に本当!?」

「絶対に、絶対に、絶対に、本当だ。
ちなみに、絶対に絶対に絶対に絶対に本当でもあると言っておこうか」

霖之助が茶化すようにそう言うと、
なんだ、とチルノは笑う。
ふにゃり、と相好を崩して、

「それなら、早く言え……馬鹿。怒って、損したじゃないかっ」

だが強気なのはそこまでで、ふぇえ、という情けない涙声がその後に続く。
ああ、やっぱりこうなるか、と霖之助は頭を抱えたい思いだった。
後日、慧音にはたんまりと報酬を戴かねば気が済まない。
ぽんぽんと抑揚をつけてチルノの頭を叩きながら、悪かった、悪かったと彼は謝った。

「絶対許さない」

むすっ、としてチルノはそっぽを向いた。
困ったな、と霖之助はおどけて見せた。

「どうすれば、許して貰えるかな」

絶対に許さないのなら何をどうしても許されないのが道理だが、
妖精に道理など通用しない事は霖之助は百も承知である。
チルノは拗ねた様子で、

「絶対許さないけど……本当に面白い話を聞かせてくれるんなら、考えてあげてもいいよ」

と言う。
霖之助は、それを聞いて、間髪を入れずに、約束するよ、と頷いた。
チルノは、じっと霖之助を見ていたが、やがてぷい、と彼から目をそらすと、

「じゃあ、許す」

と頬を膨らませてそう呟いた。
全く、調子が崩れるな、と霖之助は思った。
当然の事ながら、鯰江六大夫の話に続きなどありはしない。
物語の最後は、あの非情な結末である。
だからこそもの悲しく、だからこそ美しい。

だが、そんな「もののあわれ」など、妖精は知ったことではないだろう。
特に、意外と情に厚いようであるチルノに至っては尚更だ。
慧音にこんな事を言えばむっとされるかも知れないが、
友情を裏切る男の話などしても教育にはならないと霖之助は思う。

ならば、と彼は考えた。
ならばそんな非常な運命を変えてやればいいのではないか、と。
簡単な事である。
筆を執ればいいのだ。
物語を、記せばいいのだ。
それだけで六大夫の、狐の、そして弥左衛門の運命は変わる。
レミリア・スカーレットでなくとも、運命を変えられるのだ。
しかし、それは骨の折れる作業だ。
なにせ、何百年も人口に膾炙した話の続きを書くのである。
並大抵の文才では太刀打ち出来まい。

これは、骨が折れそうだな。
霖之助は、妖精たちに囲まれながら、深々と溜息を吐いた。
その溜息の理由を知りうる者は誰も居らず、
皆それぞれ、この不思議な店主の物語の続きに思いを馳せているようだった。












「なかなか、苦しい言い訳でしたね、彼。
自分で自分の首を絞めてますよ」

若者はくつくつと笑った。
だが、悪意のない笑いだった。
あの青年と、そして妖精たちに対して好意的な笑みだった。
老人も、然り、と頷いた。

「ですが、彼の話はきっと面白いと思いますよ。
ああ見えて、意外と経験豊富な人なのですから」

どうです、あなたもまた聞きに来ませんか、老人は尋ねる。
そうですねえ、と少し考えた後、若者は無難に答えた。

「まあ、仕事が暇な時には顔を出すのもいいかも知れませんね」

それじゃあ駄目かもしれない、と老人は唸る。

「香霖堂さんは飽きっぽい方です。
きっと続きを語ると、二度とここに物語りしには訪れますまい。
ふらふらと遊びに来ることはあるかもしれませんがのぉ」

ふぁっふぁっふぁ、と例の空気の抜けるような笑いと共に老人はそう言った。
それはそれで良い、と若者は思う。

「あの話は悲劇だからこそ美しい結末なのだと思いますので、
続きなんか聞いたら感動も萎えてしまいそうでして」

嫌な大人の考え方ですなあ、と言いつつも老人は楽しげな表情のままだ。

「何事も幸せが一番ですぞ。あの妖精は、なかなか見所があるじゃあありませんか」

「しかし、情趣ってものがありますからねえ」

「ふふ。私の友人も、桜を見たいがために友人たちに大迷惑をおかけしましてなあ。
風情を解する心が強すぎるのも考え物です」

「そりゃあ、大した友人ですなあ。妖怪ですか?」

「似たようなもんです」

老人は、やはり楽しげな表情だ。

「しかし、予想外に面白いものが見れましたよ。
みんなそろって弥左衛門を非難するものだと思っていましたがねえ」

ああ、それは自分もです、と若者は笑った。

「あの妖精にはびっくりさせられましたよ。
いつもは湖に氷をはって、
その上でこの上なくだらしがない姿で寝転がってるっていうのになあ」

ふふ、と老人は笑う。

「そういう子ほど、心の中には何か輝くものを持っているのですよ。
そして、それを引き出すことが、我々大人の責務というやつです」

本当に、と老人は笑った。



「教材にあの本を薦めたのは正解だったわねえ」



ぎょっとして、若者は顔を上げた。
確かに、若い女の声だった。
さぁあ、と一陣の風が吹く。

先程まで老人が居た場所には、何も残ってはいなかった。
釣り竿も、あのしわくちゃの笑みも。
だが、若者は確かに顔を上げるその瞬間に、
輝く金紗の髪と、胡散臭い微笑を見た気がした。
一体今のはなんだったのだろう。

「やれやれ。狐にでも化かされたかあ?
こりゃあ、弥左衛門さんを呼ぶっきゃなさそうだなあ」

そう茶化すように呟くと、ぴん、ぴん、と釣り糸から軽い刺激が伝った。
今日はじめてのアタリである。
若者は、こりゃすげえ、と笑いながら釣り竿をつよく握りなおした。
まだまだ日は高い。
今日は、絶好の釣り日和である。
年若い太公望の戦いは、まだまだ続きそうだ。
何か好きな話を題材にして、
SSを書き上げようと決意したのが三日前。
そして続いた、没、没、没。
量としてはSS二、三本分くらいにはなるでしょうか。
原因は、ただ一つ。
八雲紫の扱い方が難しすぎるのです。
彼女の暗躍は、暗躍していると分からないからこそ暗躍なのです。
露骨に八雲紫を話に組み入れたくはなかった。
ですが、彼女の存在を、息づかいを確かに感じられる作品を作りたかったのです。
話の主役は、チルノ、霖之助、そして慧音と紫です。
主役のうち、二人は、登場すらしていませんが。
いやあ、それにしても完成して良かった良かった。
そう思い、満足感と共に時計を見ると、二時十二分とあります。
午前、二時、十二分です。
日付はすでに変わっております。
どっと疲れが襲ってきます。
寝よう。寝て、そして幻想郷の夢を見るのです。
そしてそれをSSにするのです。
そうすれば話の内容は考えないで済む上に、素晴らしいリアリティを得られます。
筆も進んで投稿速度も更に上がるに違いありません。
現実世界からの幻想入りは難しい。
ならば夢の世界から幻想入りすれば良いだけの話です。
難易度はこれでぐっと下がるはずです。
みなさんも試してみてはいかがでしょうか。
さあ、今日は幻想郷に行けるだろうか。
全ては、スキマ妖怪次第といったところでしょう。
願わくば、香霖堂に行きたいものです。

追記 誤字修正しておきました。
   毎回毎回のご指摘に感謝して良いやら恥じ入れば良いやら。
   一応読み直しの回数を三回から四回に増やしてはみるものの……。
   私の目は節穴なのでしょうか? 
   最早こうなったらアレです。
   音読です。音読、これは良いものですよ。私の執筆時の最終兵器です。
   今度こそ誤字脱字零の読みやすい私になりたいと思いますので、
   なま暖かい目で見守ってやってください。



   三月頃まで私用により筆を執る時間が大幅に減ることとなってしまいました。
   数日中にもう一本上げられそうなので、その話の後書きにも挨拶しておきますが、
   とりあえずそれまではここで。
   ううむ、書きたい話は山ほどあるのに書くことの出来ないのはもどかしいです。
   投稿自体は三月までぽつり、ぽつりとローペースで続けていきたいと思いますので、
   みかけたら笑ってやってください。
   この多忙な時期が過ぎればあとはしばらく暇が出来ると思いますので、
   その時にはまた思う存分幻想の世界を書きつづっていきたいと思います。
   それでは、次回の話でお会いしましょう
与吉
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コメント



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6.100名前が無い程度の能力削除
苦労したからといってよいものが出来るわけではないけれど、
自分にとっては良いSSでした。
8.90名前が無い程度の能力削除
子供ってこっちが思いもよらないことを言って、はっとさせられますよね。
果たして霖之助は妖精たちが満足するお話を無事に考えられたのかな?
10.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず、和むお話でした!
それにしてもチルノは愛すべきバカというか優しいバカというか聡いバカというか……、最高です!!
24.100名前が無い程度の能力削除
物事を枠組みを無視して考えることができる子供には驚かされることがありますよね
妖の者たちのなかには、そういった者を失わない者もいるのでしょうか? 私にもそれが欲しい……。
25.100削除
人間と妖怪の関係という視点が物語に出てきたので、ふと思いました。
自然そのものである妖精の心を育てると言うのは、自然にどんな影響をもたらすのか。それが良いことなのか、悪いことなのか。あるいは何でもないことなのか。その答えが出るのがちょっと楽しみです。
26.100名前が無い程度の能力削除
うはぁ・・・これはまいった。まさか最後がス○マとは
29.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
34.100名前が無い程度の能力削除
ssを読んでいたと思ったら「聞き惚れていた」
な、何を言ってるか(ry
紫の暗躍ぶりもすばらしかったです。最後までわからなく、それでいてとても合っていました。
45.100名前が無い程度の能力削除
じ、じいさんあんた……っ!?
48.80名前が無い程度の能力削除
いや、お見事。
爺さんが出てきたときは
>「どこぞの大妖怪がこっそりと声を拡張しているとも、
って台詞(しかしこれ、遠まわしに自慢してるのがなんとも愛らしい)で妖忌かな、とも思ったんですが……いや、やられたなぁ。

ただ、この題材で霖之助を使ったことに少し違和感が。
獣と人の話ですし、慧音のほうがしっくりきたんじゃないかな? とも少し思いました。
……与吉さんの作品で、霖之助が(名前だけ、はありましたが)登場しない作品がまだ無いため、そういう作品も見てみたいなぁ、という僕の願望混じりの意見ではあるのですが。
いえ、もちろん与吉さんの霖之助が嫌と言うわけではないのです。むしろ今回の親バカぶりには笑わせていただきました。

それにしても、紫の使い方に関してはお見事でした。大事なことなので2回言いました。
これまでの作品の中で一番楽しませていただきました。ありがとうございました。
50.80名前が無い程度の能力削除
>いやいや、魔理沙に恋なんてまだ早い。
>断じて許さないぞ。

親馬鹿はいってる彼もまたすてき
53.100名前が無い程度の能力削除
まいった、紫が上手すぎる。
54.80歩人削除
妖忌かと思いきや、うさんくさい方でしたか。
57.100名前が無い程度の能力削除
一箇所誤字
>六代夫
六大夫

他人に何かを教えるってのは、それ以上に教えられることが多いんだよね
特に子供の場合はそれが顕著
かのアインシュタインも、ノーベル賞受賞後に
無償で家庭教師をしてたらしいしね
61.100名前が無い程度の能力削除
じいさーーーん!
64.100名前が無い程度の能力削除
チルノに対する俺の好感度が上がった
しかしゆかりんは何処で霖之助を見ているか分からんな
65.100名前が無い程度の能力削除
執筆ペースすごいですね…
紫の使い方はでしゃばるわけでもなく、スキマ万能ENDでもなくすごく素敵でした。まさかジジイとは
後日談とかあったらみてみたいな
68.100名前が無い程度の能力削除
GGGJ
80.100名前が無い程度の能力削除
あなたの作品大好きです
85.100名前が無い程度の能力削除
「そういう子ほど、心の中には~
のくだりを読んで、幻想郷のお母さんと言う単語が頭をよぎりました。
89.100有風削除
音読してみたら、途中で泣けてきた。
96.100名前が無い程度の能力削除
うん、やっぱり凄い

チルノがしっかり考えているところには唸らされました。
98.100名前が無い程度の能力削除
ジジイかと思ったら、ババアだった。
何を言ってるかわ(スキマ
103.90名前が無い程度の能力削除
お見事!
予定調和を覆すチルノの発想に感服。
馬鹿とは存外に褒め言葉なのかもしれません。
104.80名前が無い程度の能力削除
霖之助にこだわりますねえ。
106.100名前が無い程度の能力削除
このチルノの考え方は本当に好きだ
大好きだ
108.100名前が無い程度の能力削除
霖之助ならば、きっと書くだろう
111.100名前が無い程度の能力削除
藍様がこの話を聞いたらどういう反応をするでしょうねぇ・・・
116.100名前が無い程度の能力削除
誰もかれもが理想的。
その文才、どこで買えますか?
124.100名前が無い程度の能力削除
妖忌か! と思ったら紫とは!!
そして相変わらず、あとがきがいい!!
おおいた麦焼酎二階堂のCMのような雰囲気がすばらしい。
126.100名前が無い程度の能力削除
まさか紫だったとは……。
お見事でした。
127.100名前が無い程度の能力削除
誤字:物語の最後は、あの非常な結末である→非情
解決をスキマ以外に持ってきた素晴らしいスキマオチでした。
130.100名前が無い程度の能力削除
よかったです
137.90名前が無い程度の能力削除
引き付けられるSSでした
144.90名前が芝い程度の能力削除
非情な誤字もうひとつです。
> ならばそんな非常な運命を変えてやればいいのではないか、と。

香霖好きなので、楽しませてもらいました。
香霖堂単行本、まだかな…。
163.100名前が無い程度の能力削除
鬼一管同様、最後にまさかの急展開
お見事です

与吉さんの作品は一回読むのと二回読むのとでは違った
楽しみ方ができる素晴らしいものですね。
168.90右足を挫く程度の能力削除
紫wなんという暗躍っぷりw
最後の最後で種明かしをするところがまたなんともうさんくさい。
紫の策略にはまった霖之助は孤軍奮闘で物語の続きを綴るんでしょうなぁ。(ぉ
172.100名前が無い程度の能力削除
言い表せないけど好きだ
176.100名前が無い程度の能力削除
ジジイ結婚してくれ
181.100m.k削除
非常によい
191.100名前が無い程度の能力削除
ディモールト・ベネ!
199.100名前が無い程度の能力削除
文句なしの満点です!
自然に読み進めて、心が踊る良い内容でした!
いい作品をありがとうございます!
208.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。読んで良かったです。
210.100名前が無い程度の能力削除
ビバ!ハッピーエンド至上主義!!
しかしよもや爺さんと思っていたら婆さんだったとは予想g(スキマ
224.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
227.100名前が無い程度の能力削除
「魔理沙に恋なんてまだ早い。〜」のくだりで吹き出してしまいましたw
見方によって正義は変わる。それは正しいですが、正論だけでは世界は回らない。
いつから僕らは悲しい結末を「そういうものだから」と
受け入れるようになってしまったのでしょうね…。
霖之助さんがチルノに心を動かされていく過程が素敵でした。
きっと彼は書き上げるでしょう、最高に面白い大団円の物語を。
あと紫様gj!
228.無評価名前が無い程度の能力削除
やはりチルノは良いね。キャラ、性格、生き様、そのどれもが良い。