Coolier - 新生・東方創想話

いつか誰かが理想郷

2008/12/09 01:29:46
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「違うわ、それは違う」
うつむいて表情を隠したまま否定した。
彼女らしくない淡々とした口調に、妖怪はわずかに表情を曇らせる。
「何が違うというのかしら?」
彼女は、うつむいたまま。
「ここは幻想郷。外界ですでに幻想となった者が住まう場所。
 幻と実体の境界により隔絶された場所……。
 なるほど確かに常識の結界を加えた二重結界を張れば幻想郷は変わる。
 外界の非常識は幻想郷の常識となり、幻想郷はより多くの幻想を受け入れる」
「そして幻想は現実となる。すなわち幻想郷は理想郷として生まれ変わる」
「違うわ。それは、違う」
再び彼女は否定した。
「幻想に縛られる限り、理想は理想のまま。
 外界の幻想が現実となっても、幻想郷で思い描く幻想は幻想のまま」
「では人間の巫女、なぜこの私に協力してくれるのかしら?
 私とあなたは、同じとまではいかなくとも、近い理想を抱いているはずよ」
妖怪は問う。
夕焼けの中、彼女は大空を見上げ、短く答えた。
「それは」

そこで、目が覚めた。


     ◆


「違うわ、全然違う」
うなだれながら少女は否定した。
「あのね、お裾分けとお布施は全然違うものなの。
 お裾分けには義理人情だとか近所のよしみだとかがこもってるわ。それはいいの。
 でもね、お布施には信仰心がこもっているのよ。信仰心、解る?
 お賽銭だって、それに込められた信仰の想いが重要なの。
 貧乏だから恵んでやるとか行って現金を渡されても、そこに信仰心はあるかしら?」
「じゃあこのお裾分けは要らないんだな?」
そう言って魔理沙がキノコや山菜の入った袋を引っ込めようとすると、
力強い手がそれを引き止めた霊夢が笑顔で言う。
「ありがたくいただくわ」

今日も今日とて家計が火の車な博麗神社。
魔理沙がお裾分けとお布施の区別がついてなくたって、もらえるものはもらいたい。
とはいえ、魔理沙がもう少し信心深くなってお布施をしてくれるようになったなら……。
「それはそれで気持ち悪いわね」
勝手に想像して勝手に気持ち悪がるという実に自分勝手な霊夢は、
さっそく魔理沙のお裾分けを鍋に放り込んでいた。
料理が面倒だから簡単にできる鍋、という理由もあったが、
最近の魔理沙のマイブームに鍋が到来しているのだ。
「やっぱ冬は鍋だよなー。熱かんも忘れずに頼む」
「はいはい。鍋が煮えるまでおとなしく待ってなさい」
「ところで肉は入ってるか?」
「夜雀の」
「おいおい、人間が妖怪を食っちゃ逆じゃないか。ここは幻想郷なんだぜ」
「……夜雀のお裾分けしてくれた八目鰻があるから、それを入れるわよ」
「鍋に鰻……初めての経験でちょっと不安だ。おいしいのか?」
「私も初めてだから。うーん、味付けどうしようかな」
何だか不安になりながらも、魔理沙は居間でおとなしく待っていた。
貧しい食材からまともな料理を作れる霊夢の腕を信頼しているのだ。
案外、今までにない味を楽しめるかもしれない。
そう思うと腹がきゅるきゅると鳴いてしまう。
きゅるきゅる。
きゅるきゅる。
きゅるきゅるきゅ〜。
「魔理沙、腹の虫何匹飼ってるのよ?」
あまりにうるさいので台所から抗議の声を上げる霊夢。しかし。
「違うって! 私以外の誰かが腹を鳴らし……」
弁解しながら魔理沙は障子に視線をやった。
まだ夕暮れ時なのに、妙に暗い場所がある。
何となく正体を察し、魔理沙は障子を開けた。
庭先で、黒い球体が転がっている。
きゅるきゅるきゅ〜。
どうやらそれは魔理沙より声の大きい腹の虫を飼っているようだった。

「いただきます」
「いっただきまーす」
「いただきまーす」
巫女は両手を合わせ、魔法使いは箸を掴み、妖怪は諸手を上げて言った。
それからいっせいに鍋戦争が勃発する。
狙うは、まず第一に八目鰻。
第二に八目鰻。
第三も八目鰻。
とにかく八目鰻。
ガチィッと音を立てて霊夢と魔理沙の箸が激突する。
「キノコマニアらしく、まずキノコを食べなさいよ」
「キノコばっかり食べてるからこそ、違うものを食べたくなるんだ」
「そーなのかー」
そして、二人の箸の隙間を縫って妖怪の箸がよく煮えた八目鰻をゲットする。
その妖怪はルーミア。闇を操る程度の能力で、先程の黒い球体の正体だ。
彼女は二人の前でおいしそうに、そりゃもうおいしそうに八目鰻を食べた。
本来なら獲物の奪い合いがヒートアップするところだが、
今回八目鰻の鍋は初めてという事で、毒見的もとい味見的意味で興味を持つ二人。
「ルーミア、どう?」
「八目鰻の鍋はうまいのか?」
「んー……」
よく噛んで、よく味わい、飲み込んで、
「人間の方が」
「そこから先は言わんでいい、飯が不味くなる」
魔理沙がさえぎり、霊夢との八目鰻争奪戦を再開する。
慌ててルーミアも八目鰻を狙って箸を伸ばす。
人間の肉が一番好きだけれど、二番目に好きなのは夜雀の屋台で食べる焼き八目鰻なのだ。
しかしすでに鍋戦争のベテランである霊夢と魔理沙である。
その間隙を突くのは難易度ルナティックだ。
次々に奪われ捕食されていく八目鰻。
しかも魔理沙が持ってきたキノコと山菜は、なぜかルーミアのお椀に山盛りだ。
「勝手に人のお椀にキノコを盛らないでー!」
霊夢と魔理沙の華麗なる妨害工作、すなわちキノコと山菜をルーミアのお椀に放り込めば、
八目鰻をお椀に入れるスペースを確保するためにキノコと野菜を食べなきゃならない。
このままでは八目鰻を食べられない。
大ピンチのルーミアの前で、八目鰻の量が減っていく。
ああ、もう、残りはほんの、わずか……。
「えい!」
こうなったら鍋からお椀に移さず、直接口に運んでやろうとルーミアは箸を伸ばす。
その瞬間、霊夢と魔理沙の手が消失した。
しかし気づけば残像を作る速度で霊夢と魔理沙の箸が空中激突をしている。
ルーミアの箸はラッシュの間に呑み込まれ、ガチガチと弾かれ自由を奪われている。
「あっ、あっ、あっ……」
もはやどうする事もできないルーミア。
その時、弾かれた霊夢の箸がルーミアの頭部をかすめた。
「あっ」

ルーミアのリボンが、力を封印している御札が、宙を舞った――。

暗転。
まだ夕暮れのはずだ。しかし、霊夢と魔理沙の視界は黒に染まった。
月明かり、星のまたたきすら届かぬほどの、闇。
そしてこのプレッシャーは。
「これは食べてもいい八目鰻?」
お椀が、軽くなる。
霊夢は悟った。魔理沙も悟った。
奪われている。
この暗闇の中、ルーミアは鍋からではなく、二人がすでにお椀に取った八目鰻を奪っている。
鍋協定に違反する行為。しかしルーミアはそんな協定を存じてない。無知は罪なのか。
すごい勢いで食材をかき込む音が暗闇に響く。
「る、ルーミア! 能力を使うのは反則よ!」
「人のお椀に手ぇ出すのもルール違反だぜ!」
「そーなのかー……ガツガツモグモグ」
聞く気ゼロ、交渉の余地なし。
このままでは八目鰻がすべて喰われてしまう。
「くっ、こうなったらマスタースパークで……」
「神社を吹っ飛ばす気ッ!?」
「けど今のルーミアから感じられるパワーは半端じゃないぞ!」
「確かになぜか急にEXくらい強くなってる気がしないでもないけど、
 こんな所でマスタースパークしたら神社の再建費はあんたが全額負担!」
「騒がしいわねぇ」
暗闇を切り裂く声。
それは文字通り、本当に暗闇を切り裂いた。
光を背負って現れたのは――。
「スキマババァよくやった!」
「誰がババァよ!」
闇のスキマから現れた八雲紫は、なぜか桶を持っていた。

「まったく、差し入れを持ってきて上げたのにいきなりババァ呼ばわりとはね」
「いや、ついいつもの癖で」
「そう、この最高級のフグはスキマ送りにしていいのね」
「ゆかりん最高ォー! てっちり最高ォー!」
机の上にドンと置かれた桶に満たされた水の中、そこにはまだ生きているフグの姿が。
海の幸なんて、海のない幻想郷にとってはご馳走だ。しかもそれがフグだなんて。
「す、すげぇ……フグなんて初めて見るわ」
魔理沙も感動に震えている。ふぐ、フグ、河豚。どんな味がするんだろう。
ルーミアもなんだかすごくおいしいものだと察して目を輝かせている。
「フグ鍋なのかー?」
「でも、フグって毒があるんじゃなかったっけ? 大丈夫なのか?」
魔理沙が不安げに言うと、紫は満面の笑みで答えた。
「毒キノコばかり食べてる魔理沙なら大丈夫よね?」
「いやいや、無理無理、毒キノコにテトロドトキシンは入ってないから」
「大丈夫、万が一の時は地面に首まで埋めて上げるから」
「それ民間療法だよな? 医学的効果あるの? 永遠亭に連れてってくれないの?」
「もし目覚めなかったら、頭まで埋めちゃってあっという間にお墓の完成」
「紫は私達を毒殺する気か!? 霊夢、何か言ってやれ!」

博麗霊夢は言いました。
「フグを食べて死ねるなら……そんな人生も悪くないわ……」
「正気に戻れ腹ペコ巫女ォォォッ!!」

紫がフグを捌けるらしく、外界に行けばのフグの調理師免許とやらを余裕で取れるそうだ。
よって、料理は紫がする事になった。というか自ら率先してフグ料理を作ると言い出した。
明日は槍が降る。霊夢はそう思った。
明日は槍が降る。魔理沙もそう思った。
「手伝うわ」
と、霊夢が申し出たのはフグの調理に興味があったというだけでなく、
紫が妙な事を企んでやしないかと疑い、監視する意味合いもあった。
しかし紫は台所までついてきた霊夢に微笑んだあと、はぐらかすように居間を見て言う。
「ところで、今日は妙なお客さんがいるのね」
「ああ、ルーミア? お腹空いてたみたいだから」
「……リボン、結んで上げたら?」
「御札ね。あれ封印の一種みたいだけど、解けちゃったもんはほっときゃいいじゃない」
「解いちゃったんでしょう? いつか自然に取れるまで、ちゃんとつけとくべきよ」
居間で魔理沙とじゃれあっているルーミアは、普段とたいして変わらない。
妖気が強まってはいるが性格はそのまんまだし、暴走して人里を襲うような事もなさそうだ。
多少弾幕勝負が強くなるかもしれないが、元がルーミアだし、霊夢にはどうでもいい。
「駄目よ」
紫は首を振る。
「誰かが何か意味を込めて結んだのだから、その人の意を汲んで上げなさい」
「その誰かって、博麗大結界を張った巫女?」
「あら、どうしてそう思うのかしら」
驚いた表情を見せて、しかし嬉しそうな眼差しを向ける紫。
霊夢は面倒くさそうに、拾っておいた御札を見せた。
「これ、うちの神社が結界を張った頃に使ってた御札だし。
 結界を張った巫女か、その親か子か、少なくとも近しい世代の巫女の仕業なのは確か」
「御先祖様の封印を守るのも巫女の役目じゃないの?」
「結界と違って、こんなどうでもいい封印まで守るよう教えられてないですわ」
「じゃあ、結んで上げなきゃフグ料理を作って上げないわ」
「ルーミアー、髪を結んで上げるわ」
なぜか魔理沙に四の字固めを食らっているルーミアに向かって、
霊夢はリボンもとい御札を見せて歩み寄った。

そんな霊夢を見つめながら紫は思い出す。
そういえば、あの御札は私達が初めて会った時に使っていたものだと。


     ◆


人間の子供をさらった。――森に迷い込んだのは人間の方だ。
人間の子供を食った。――妖怪の縄張りに迷い込んだ人間が悪い。
けれど、これが巫女の役目だから。
霊力の込められた無数の御札が闇を切り裂き、肉を切り裂く。
苦悶の声を上げて崩れ落ちるその妖怪、表情は、見えない。
全身を切り刻まれ血まみれになった妖怪は、もう一歩も動く力すらなさそうだ。
巫女は頬についた返り血を拭おうとして、やめた。
相応しいと思ったから。自分にはこんな姿が相応しい。
だから。
血祭りに上げた妖怪の後ろで怯えているもう一匹の妖怪へと歩を進める。
霊力を込めた御札を持って。
「ル……」
すでに死にかけた妖怪が、何事かを呟く。
巫女の足が止まった。
今わの際にいったい何を言おうとしているのか。

聞かなければいいのに。
「……ア、逃げ……」
聞かずにはいられなかった。

それっきり、その妖怪は息絶えた。
それでいい。それが巫女の役目。幻想郷の決まり事。
妖怪は人間を喰らう。
人間は妖怪を退治する。
だから。
けれど。
巫女は御札を握る手に力を込めて――。

「どうして殺さなかったの?」
ふいに、声がした。
巫女が振り返った先には、森の木陰に立つ女の姿。
金の髪、洋風の服装。これも妖怪か。
巫女は御札を放った。
矢の如き速度で疾駆する御札は、突如妖怪の前に開いた穴に吸い込まれて消えた。
この妖怪、ただ者ではない。
巫女の警戒心が強まる。
「そんなに警戒しなくていいわ。好奇心を満たしたいだけだから」
妖怪は木陰から姿を現した。外見は、人間の少女と大差ない。
むしろ美しい部類の容貌で、これが本当に妖怪なのかと疑いたくなるほどだ。
もっともそれは、先程始末した妖怪にも言えた事だったが。
「ねえ、どうして殺さなかったの?」
構わず質問を続ける妖怪。
「巫女は妖怪を退治する側の存在でしょう? 母親は殺して、子供は逃がす?
 御札で力を封印した程度で許していいの? 子供も人間を喰らったのよ?」
「奇怪ね。妖怪が人間の味方をするような言い回しをする」
「クスクス……あなたは博麗神社の巫女ね。幻想郷に神社なんてひとつしかないし。
 ねえ、教えてくれないかしら。どうして子供の妖怪を逃がしたの?」
「たいした理由なんてない。気まぐれよ、昔を思い出しただけ。
 私は母さんを妖怪に殺されて、けれど妖怪は私を見逃した。
 それが気まぐれだったのか、母さんだけで腹が満ちるからだったのか、解らない。
 けれどその妖怪は、娘の私には手を出さなかった」
「だから逃がして上げた、また悪さした時に殺さないよう手加減できる程度の弱さにして」
「だいたい合ってる。もういい? あなたを逃がす理由はない」
「いいえ、よくないわ。私達は手を取り合うのだから」
妖怪は微笑んだ。
とても嬉しそうに、無邪気な子供のように。
殺気と霊気をみなぎらせている巫女を前に臆する事なく。
いったいこの妖怪は何なのか。小さな疑問、小さな好奇心。
「あんた、誰よ」
「八雲紫。あなたと共に幻想郷を変える者よ」


     ◆


「はい、これで元通り」
ルーミアの髪に御札を結び直した霊夢は、優しい手つきで彼女の金糸の髪を撫でた。
御札をリボンの形に結んでいる時もそうだったが、
ルーミアの髪はとてもとても心地よく、いつまでも撫でていたい衝動すら覚える。
「しっかし、何でルーミアが霊力の込められた御札なんかをリボンにしてるんだ?」
机に頬杖をついた魔理沙がふと疑問を漏らしたが、
楽しそうにルーミアの髪をいじる霊夢は「さあ」と微笑を浮かべるだけだった。
代わりにルーミアは満面の笑顔で答える。
「怖いけど優しかった人間が結んでくれた」
「誰だよそれ、いつの話だ」
「ずっと前」
「ところでてっちりはまだか?」
答えが要領を得ないので、魔理沙は台所にいる紫に声をかけた。
「ふふふ、丁度完成したところよ。鍋を食べ終わっても、そのあと雑炊も作るから」
グツグツと煮えたぎったお鍋を持って居間に戻ってくる紫。
このスキマ妖怪の手料理かと思うと怪しさ抜群だが、
食欲の権化一号と二号はすでに食卓についてらんらんと瞳を輝かせている。

もしフグが人間よりおいしかったら、幻想郷の妖怪は人間を食べるのをやめるだろうか?

(なんて、な)
つまらない事を考えてしまったなと魔理沙は頭を掻き、食卓に向き直る。
ポン酢の用意の万端だ。あとは鍋からピンポイントでフグを取るだけ。
しかし霊夢だけでなく紫までいるとなれば、フグ鍋合戦は熾烈を極めるだろう。
が。
霊夢からは覇気が感じられない。
死んでもいいとまで言ったフグを前にして、嬉しそうではあるが鬼気迫るものはない。
ルーミアの髪には精神を安定させる効果でもあるのだろうか。
そんなに触り心地がいいのなら、今度自分もいじらせてもらおうか。
霧雨魔理沙も一応女性に分類される生き物であり、髪いじりは嫌いじゃない。
「さあ、いただきましょうか」
などと考えていると先手を取られた。紫だ。
一瞬、最悪の展開が脳裏をよぎる。

フグを持ってきてくれた親切な紫さん!
毒があるからと自ら調理してくれた優しい紫さん!
さあ鍋が煮えましたみんなで食べましょう!
次の瞬間、鍋の中のフグはスキマに呑み込まれるようにすべて紫の胃袋へ消える……。
呆然とする自分達を見て、紫は満面の笑みでこう言うのだ。
――ご馳走様でした。

だが、紫の箸は優雅に野菜を取った。
それを見て溜め息をついた霊夢は、やはりのんびりとした動作で具を取る。
フグと、野菜と、バランスよく。
ルーミアも今度は鍋戦争が起こらぬと見て、箸が触れた物を適当に取る。
ここで空気を読まずフグばっかり取りまくるのは、さすがに格好悪い。
魔理沙はまず野菜を取り、次にフグを取り、その次もフグで、そのまた次はキノコにした。

和気藹々と食事は進む。
もちろん幻想郷らしくお酒も進む。
盛り上がってきたところで、夜雀のミスティアが八目鰻を持って訪ねてきた。
実は先日、些細な事からミスティアは霊夢と弾幕勝負をしたのだ。
結果、負けたミスティアは一週間、食材を霊夢に献上する事になった。
最初の鍋に入れた八目鰻も、そういう理由で入手したものである。
「わー、フグなんて初めて見る!」
食卓にミスティアが加わった。鍋に鰻も加わった。
フグ鍋に鰻を入れて味は大丈夫なのか疑問だったが、紫が何とかしてくれた。
味が合う境界と合わない境界をいじったのかもしれないと魔理沙は思う。
しかしルーミアのせいで食べ逃した八目鰻もおいしく食べられるなら万々歳だ。
「ちなみに、ミスティアと弾幕勝負した理由は何だったんだ?」
鰻を食べながら魔理沙が問うと、霊夢ではなくミスティアが答えた。
「森に迷い込んだ人間を食べようとしたんだけど、
 八目鰻を食べに来た霊夢と鉢合わせして、その場の流れでなぜか」
「そうか、飯をたかるために弾幕勝負をふっかけたのか」
「そーなのかー」
「そこ、納得しない」
呆れ顔の霊夢は、フグと鰻どっちがうまいか食べ比べている。
貧乏舌の霊夢が果たしてどちらをおいしいと感じたのかは本人のみぞ知る。
「それにしても、フグってこんなにおいしいんだ。
 八目鰻だけじゃなく、屋台でフグ料理も出そうかなぁ。
 でも仕入れるのが大変そうだし、フグって幻想郷にいないの?」
「さあ? 私は外界の海で釣ってきたから」
釣り、するんだ。
意外な事実に霊夢は感心した。
紫の事だから、水中にスキマでも開いて捕まえるんだと思っていた。
「でも大漁と坊主の境界を操ってたりして」
「失礼ね、雑魚と大物の境界を操っただけよ」
結局インチキをしている紫だったが、そのおかげのフグである。
「けど、いきなりフグとはね。どういう風の吹き回し?」
感謝の意味を込めて、紫のおちょこに酒を注ぐ霊夢。
「そうねぇ、懐かしい夢を見たから……かしら」
「フグ鍋の夢でも見たの?」
「だいたいそんな感じよ」
クスクスと笑いながら紫はおちょこを空にした。
ホッと息をついて、瞳に夢を映す。

「ねえ、霊夢。今の幻想郷は、理想郷と呼べるかしら」



     ◆


「違うわ、それは違う」
うつむいて表情を隠したまま否定した。
彼女らしくない淡々とした口調に、紫はわずかに表情を曇らせる。
「何が違うというのかしら?」
彼女は、うつむいたまま。
「ここは幻想郷。外界ですでに幻想となった者が住まう場所。
 幻と実体の境界により隔絶された場所……。
 なるほど確かに常識の結界を加えた二重結界を張れば幻想郷は変わる。
 外界の非常識は幻想郷の常識となり、幻想郷はより多くの幻想を受け入れる」
「そして幻想は現実となる。すなわち幻想郷は理想郷として生まれ変わる」
「違うわ。それは、違う」
再び彼女は否定した。
「幻想に縛られる限り、理想は理想のまま。
 外界の幻想が現実となっても、幻想郷で思い描く幻想は幻想のまま」
「では人間の巫女、なぜこの私に協力してくれるのかしら?
 私とあなたは、同じとまではいかなくとも、近い理想を抱いているはずよ」
紫は問う。
夕焼けの中、少女は、博麗の巫女は大空を見上げ、短く答えた。
「それは」

瞬間、どこから現れたのかと疑問に思うほどの御札が巫女の周囲から舞い上がる。
それはまるで桜吹雪のようで、宙に咲いた大輪の花のようでもあった。

「それは、幻想郷の事なんてちっとも考えてない……。
 酷く個人的で、自分勝手で……わがままな……そんな願い……。
 私の思い描く理想郷、それは、私が何者をも殺さなくていい世界」
「いずれ、そうなる時が来るわ。
 妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を退治する……。
 これは幻想郷の力の均衡を保つために必要不可欠なもの。
 けれどいずれ形骸化する。人間と妖怪が近しくなる日が来る」
「それでも、巫女は妖怪を退治しなきゃならない。
 私は……妖怪であれ、誰であれ、戦いたくないのよ」

今まで数多くの妖怪を退治してきた巫女の、弱々しい本音。
本当はとても優しくて、誰も傷つけたくないと願いながら、
けれど巫女の役目を放棄できるほど自分勝手ではなくて……。

「いっそ、花札や羽根突きみたいなお遊びで妖怪と戦えたらいいのに」

無数の御札は巫女と紫の頭上で美しい模様を描いた。
まるで隠し芸でも見ているみたいだと思い、紫は微笑む。

「綺麗ね」
「そうね」

御札が強く輝き、空が白光に包まれる。
それは幻想郷全体の空へと広がって、外界から隔絶していく。

「いつか……」

巫女は言った。

「いつか誰かが理想郷という夢をかなえてくれる……。
 そう信じて、その土台を作る程度しか、私にはできない。
 ねえ、紫。幻想郷は、私の願う理想郷になってくれるかな」

しばし黙考し、嘘か真か解らぬ声で紫は答える。

「もちろんよ。あなたの理想郷を実現してくれる人が、いつかきっと現れる」
「だったらその誰かさんに、私の代わりにお礼をして上げて」
「いいわよ。何がいいかしら、俗っぽく金銀財宝?」
「何かご馳走してくれれば十分よ。そうね、幻想郷には海がないから、海の幸とか。
 ああ、フグなんてどう? プクーってふくらむやつ。おいしいんでしょ?」
「そうね、毒があるけどね」
「捌けるよう特訓しといてね」

幻想郷の空すべてが光に包まれたのを感じ、巫女はお払い棒を振りかざす。
光が弾け、幻想郷に夕焼けの空が戻った。
同時に、幻想郷と外界の境界に新たなる結界が誕生する。

「これが博麗の巫女が代々守るべき新たなる宿命……。
 八雲紫の境界と共に幻想郷を守護する結界……。
 いつか誰かが理想郷の夢をかなえてくれる日のための!
 博麗大結界!」


     ◆


「理想郷な訳ないでしょうが」
毒を吐くように霊夢は言った。言い切った。
けれど紫は「やっぱりね」というようにクスリと笑う。
「あら、どうして? あなたの考案したスペルカードルールのおかげで、
 幻想郷は今までよりうんと活気に満ち溢れ……戦いのない世界になったわ」
「戦いがない? ああ、もう駄目だ、スキマババァがボケちゃった」
眉間に指を当て、霊夢は深々と溜め息をついた。
それから酒をグイッと呑んで、呆れた表情を紫に向ける。
「あのさ、戦ってるでしょ、スペルカードルールで。弾幕勝負してるでしょ。
 だいたい私は博麗の巫女なんだから、異変が起きれば解決しなきゃいけないし。
 ええい、私が楽して勝てるようにスペルカードルールを考案したはいいけど、
 面白がって異変を起こす連中が増えるなんて計算外……。
 というか、弾幕だけが戦いじゃないし。
 鍋だって本来は肉の取り合いで戦いというかもう鍋戦争が勃発するし。
 今日は奇跡よ? こうしてなごやかに鍋を食べるなんて奇跡でしかないわ。
 毎日ご飯を食べたりお茶を飲んだりできるようにするために、
 節約という名の戦いだって毎日毎日……。
 あー、もう、こんなのが理想郷な訳ないでしょうが!」

飯がうまけりゃ酒も進む。
いつの間にやら霊夢はいい感じに酔い始めているようだ。
「あらあら、このあとお雑炊にするのに……大丈夫?」
「雑炊は別腹よ」
「霊夢は胃袋が四つくらいありそうね」
「私は牛か。あ、そうだ、明日はすき焼きにしよう。紫、肉、お願い」
「ダーメ。これは今回だけの特別サービス、肉が食べたければ自腹で買いなさい」
「解ったわ」
素直にうなずく霊夢。
まさか本当に自腹で肉を買う気だろうか? そんな余裕が博麗神社にあるだろうか?
お椀に盛ってあったフグの肉とスープを腹にかき入れた霊夢は、
どこからかお払い棒を取り出して立ち上がった。

「勝負よ紫! 私が勝ったら、すき焼きの材料は全部あんたが用意する!
 私が負けたら、自腹であんたにすき焼きをご馳走してやるわ」

目をぱちくりさせたあと、紫はくつくつと笑い立ち上がった。

「その勝負、乗ったわ。すき焼きにはうちの藍と橙……そうだ、幽々子も誘うわよ」
「上等。あんたは最高級の肉を用意するのよ」
「なあ霊夢、そこは『魔理沙にもすき焼きをご馳走してもらうわ』とか言うべきだろ。
 あ、そろそろ雑炊にしていい?」
二人のやり取りを横目で見ながら魔理沙達は鍋を空にしつつあった。
しかし霊夢ではないが、まだまだおいしい物を入れる余裕が腹にはある。
それはルーミアとミスティアも同様だ。
「私もすき焼き食べるー!」
「鶏肉が入ってなければ何でも食べるー!
 あ、雑炊くらいなら私が作るわ。霊夢、台所借りるね」
ミスティアは鍋を持って台所に行き、その間に霊夢と紫は庭に出る。
魔理沙とルーミアは徳利片手に観戦だ。



人間と妖怪が弾幕ごっこで戦って、けれど傷つけ合ったり憎しみ合ったりせず、
ルーミアのように、ミスティアのように、近い未来の紫のように、
決着がついたあとは一緒に酒を呑んだり宴会を開いたり。
そんな今の幻想郷、まさしく遠い昔に夢見た理想郷。
いつかの誰かは博麗霊夢。

「フフフ……明日の夕餉はすき焼きよ!」
「うふふ……明日の夕餉が楽しみね!」

幻想郷の夜空に弾幕という名の花が咲いた。
その光景は、あの日に見た博麗大結界のように美しく――。

   FIN
前作を読んで下さった方々、ありがとうございました。
今作を読んで下さった方々、ありがとうございました。

霊夢にとっての理想郷は、いつもお賽銭がいっぱいで、
異変が起きずのんびりお茶を飲めたりして、頼んでもないのに誰かが神社に遊びに来る。
そんな感じかなぁ。

フグの毒(テトロドトキシン)はフグの内臓、皮、身などに含まれる猛毒である。
誤って食してしまった場合は、地面に身体を埋めるとよいと言われている。
――が、科学的根拠はまったくない。
素直に救急車を呼んでください。
イムス
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コメント



0.3450簡易評価
9.100煉獄削除
ところどころに鍋争奪とかあってニヤリとするような場面もあったけど
初代博麗の巫女と紫のやりとりは読んでて凄い面白かった。
特に初代の博麗大結界の場面で背筋がゾクっとしましたよ。
面白い作品でした。
12.100名前が無い程度の能力削除
紫と初代(?)様の会話が幻想郷の今を作る土台になり、霊夢が幻想郷を楽園に変えた。
本人にまったくその気がないあたりがらしくて。
文才が無い俺には上手く言いあらわせないが、お見事。
18.100名前が無い程度の能力削除
うん、いいよね、このルーミア。

べつにEX化しなくていいよね。
25.100aho削除
>>「いっそ、花札や羽根突きみたいなお遊びで妖怪と戦えたらいいのに」

この表現と大結界張った博麗の巫女さんに惚れた。悲しくも強く優しい人でありますなあ。
27.100名前が無い程度の能力削除
鍋の具の争奪戦とか明日の夕飯をかけての勝負とか。
理想郷であり楽園である幻想郷での平和で暢気な一幕。
素敵な話をありがとうございます。
28.90名前が無い程度の能力削除
霊夢と紫だけでご飯3杯は行ける。
30.無評価イムス削除
少々気恥ずかしいがコメントレスに挑戦だァ! コメントありがとうです。

>>煉獄様
博麗大結界を張る時は、未来への希望と、弾幕のような美しさを意識して書きました。

>>12様
自分のためにやったのか、幻想郷のためにやったのか。
どちらにせよ霊夢が成した事はとても素晴らしい事だと思います。自覚がなくても。

>>18様
ルーミアは今のままで十分可愛いですよね。

>>aho様
ままままままさか! aho様からコメントをいただけるとは、恐悦至極ッ!
うちの霊夢と紫さんはaho様のSSの影響を多分に受けております。多分。

>>27様
ゆかりんが大切な事を思い出してたけど霊夢達には関係なかったぜ! 今日も平和!

>>28様
フフフ……少食の私ではとても3杯は行けぬ……YOU WIN.
32.70名前が無い程度の能力削除
戦いが弾幕勝負となり、殺し合いの少なくなった幻想郷。
しかし今度は弾幕勝負の強さを盾にエゴを押し通す輩が出てきたので、ちっとも理想郷でない幻想郷。
具体的には押し込み強盗を繰り返す誰かとか。
39.100名前が無い程度の能力削除
ぬるま湯がちょうどいいよね、幻想郷には
45.100名前が無い程度の能力削除
人によって幻想郷はかわるな俺は好きだ
51.100名前が無い程度の能力削除
いいじゃないかこの雰囲気。
律儀な紫が素敵。