Coolier - 新生・東方創想話

死なない太郎の鬼退治 後編(完)

2008/12/07 19:15:54
最終更新
サイズ
72.94KB
ページ数
1
閲覧数
4365
評価数
71/252
POINT
15490
Rate
12.26

 レミリアを退治した妹紅が大木の前に戻ると、まず早苗が笑顔で声をかけてきた。

「お疲れ様です、死なない太郎さん」
「ありがと」

 軽く手を上げて答えてから、あの兄妹のそばに歩み寄る。泣いていた妹も今は泣き止み、兄ともどもどこか呆
けたような顔で妹紅を見上げていた。二人のそばにしゃがみ込み、兄の顔に涙の跡がないことを確認した妹紅は、
にっと笑って手を伸ばした。

「泣かなかったみたいだね。よく妹を守った。偉いぞ、お兄ちゃん」

 男の子の頭をグシャグシャと撫でながらそう言ってやる。しばらくぽかんとしていたが、やがてその目に涙が
せり上がってきて、最後にはワッと泣き出してしまった。傍らの妹が、びっくりしたように目をぱちくりさせる。
妹紅は苦笑した。

(ずっと泣くのを我慢してたんだね。まあ、仕方がないか)

 泣きじゃくる男の子の頭を撫でながら、妹紅は顔を上げて霊夢たちを見る。

「この子たちは、あんたらが送ってってくれるの?」
「そうよ。ま、あんたは安心して鬼退治に行ってきなさいよ。あー、それにしても疲れた」

 霊夢が息をつきながら、首を捻って骨を鳴らす。さっきまでは一応清楚な巫女役の演技をしていたとは思えな
い、実に砕けた動作だ。ふと見ると、子供たちもびっくりしたように目を丸くして霊夢を見つめている。これは
いかんな、と、妹紅は小声で霊夢に呼びかけた。

「ちょっと、霊夢」
「んあ、なに?」
「んあ、じゃないよ。いきなりそんな態度変えたら子供たちがびっくりするじゃない。終わるまではちゃんと演
技してよね」
「注文細かいわねあんたも。まあいいけど。それじゃあ」

 と、霊夢は一度目を閉じて、開いた。たちまち、気だるげな巫女さんが清楚な巫女さんに変身した。憂いを帯
びた表情と、真っ直ぐに背筋を伸ばした立ち姿が実に儚げだ。一瞬で、身にまとう雰囲気まで変えて見せたので
ある。

「練習もなしにあそこまで……わたしなんて徹夜までしたのに。この人は本当にもう」

 早苗がぶつぶつと呟いている。
 さて、その清楚な巫女さん博麗霊夢が、胸の前で手を組み、瞳を潤ませながら静々と妹紅の前に歩み寄った。

「ああ死なない太郎様、よくぞご無事でお戻りくださいました。私、あなた様がお怪我をなさらないかと心配で
たまらず」
「ごめんやっぱ止めて、こみ上げる嘔吐感に任せて燃やしたくなってきた」
「なによ、わがままな奴ね」

 腰に両手をあてて、霊夢が不満げに言う。しかし自分は間違っていない、人として真っ当な感覚を持っている、
と妹紅は自信を持って思う。
 そのとき、小さな兄妹が怯えたように妹紅にしがみついてきた。コロコロと態度が変わる霊夢を見て怖くなっ
たのだろう。安心させるために、微笑んで言ってやる。

「大丈夫だよ、このお姉ちゃんは相当変な奴だけど、一応人間だから」
「そうそう、一応人間よわたし」
「いや、そこは怒るなり反論するなりしなよ」

 相変わらず妙なノリだな、と妹紅は苦笑する。

「そういや、あんたもずいぶんノリノリだったよね。こういうの、面倒くさがりそうなのに」
「んー? まあ、面倒くさいのは面倒くさかったけどね」
「じゃあなんで参加したの?」
「決まってんじゃない」

 霊夢はにんまりと笑って、何かを傾けるような仕草をしてみせる。

「この後、祝勝会ってことで宴会やるんだって。そこでただ酒好きなだけ飲めるっていうから」
「俗っぽい神職だなオイ」
「いいじゃないの。お茶と酒に勝る幸せはこの世にないわ。特に頑張った後の一杯はまた格別だからねえ」
「極端な価値観ね」
「まあそういうわけだから、さっさと萃香ぶっ倒して戻ってきなさいね、あんた。負けたら殴るわよ」
「そんな勝手な」

 苦笑しかけたとき、妹紅は頭の隅に妙な引っ掛かりを覚えて眉をひそめた。霊夢が不思議そうに首を傾げる。

「どしたの?」
「ああいや、なんでもないよ。じゃ、子供たちのこと、よろしく頼むね」
「はいはい。あんたもしつこいわね」
「その辺にほっぽり出して帰りそうで怖いんだよ、あんたの場合」
「ふむ……その方が面倒がなくていいかも」
「燃やすよ?」
「冗談だって。じゃ、頑張ってね」

 全然気持ちの篭っていないおざなりな励ましを残し、霊夢がぴらぴらと手を振って去る。早苗も礼儀正しくお
辞儀をし、子供たちの手を引いて歩き出した。去り際、子供たちは何度も何度も何かを言いたげにこちらを振り
返っていた。

「さて、と」

 一人残された妹紅は、しばらく経ってからおもむろに木々の方に目を向けた。そこには月明かりも届かぬ深い
闇がわだかまっているだけで、一見何もないように見える、が。

「そろそろ出てきても大丈夫だと思うよ」

 口に手を添えて呼びかけてやると、突然木々がざわざわと揺れ出した。いや、木々だけではない。見えている
風景自体が、ぐにゃぐにゃと混ぜ捏ねられた粘土のように歪みだした。
 そうして数秒ほどもすると、目の前から森そのものが姿を消してしまった。代わりに広がっているのは街道脇
のだだっ広い平原。妹紅の目の前には、数人の人影が立っている。

「凄いもんだ。あれは全部幻だったってことか」
「ふふん、吃驚したでしょう」

 一団の先頭に立っていたレミリアが自慢げに胸を張る。

「咲夜の空間を操る程度の能力とパチェの魔法を組み合わせて、質感のある幻影を作り出していたのよ。こんな
ごっこ遊びの舞台としてはちょっとばかし豪華すぎたかしら」

 レミリアの口調は隠しようもないぐらいに得意げである。誇らしげなその顔を見ていると、「それあんたなに
もやってないじゃん」と指摘するのは無粋だろうと思えてくる。妹紅はとりあえず黙っておいた。
 幼げな吸血鬼の傍らには、微笑を浮かべたメイドと無表情に本を手繰る少女が立っている。後者は「無理矢理
連れ出されました」とでも言いたげな不満たらたらの空気を放っているが、その割に腕には「演出係」の腕章を
つけていて、やる気があるのかないのかどうも判別がつかない。

「まあ、凄かったのは認めるよ。さっきまで偽物だって気付かなかったし」

 妹紅が素直に称賛すると、レミリアはますます大きく胸をそらした。

「ふふ、そうでしょうそうでしょう。わたしたちでなければ、あれだけの」

 と、そこまで言いかけたレミリアが、不意に顔をしかめて肩を押さえた。そこは、先ほど妹紅がえくすかり
ばぁでぶっ叩いた場所である。

「どうしたの」
「べ、別に、なんでもないわ」

 声だけは平気そうだが、表情はとても苦しげで、額には脂汗が滲んでいる。どう見ても痛いのを我慢している風だ。

(そこまで強く叩いたかな?)

 仮に力が入り過ぎていたとしても、レミリアだって吸血鬼なのだし、ここまで痛がるのは妙である。妹紅が困
惑していると、相変わらず肩を押さえたままのレミリアが、忌々しげに吐き捨てた。

「あのババァ、いつか殺す」
「え、なに?」
「い、いいえ、なんでもないわ。それよりも」

 と、レミリアが少々無理して余裕ぶった笑みを浮かべてみせた。

「あなた、名目上とはいえ一応このわたしに勝ったのだから、あんな小鬼に負けたら許さないわよ」

 尊大な口調でそう言われて、妹紅は少し苦笑する。

「うん、いやまあ、それはないと思うけど」
「ふうん。ずいぶん自信たっぷりね」
「そういうわけじゃ、ないんだけどね」

 どう言ったものか分からずに、妹紅はぽりぽりと頬を掻く。レミリアが眉をひそめたのを見て、慌てて取り
繕った。

「勝つと言えば、あんたはよく自分が負けるなんて筋書きのお芝居に乗る気になったもんだね」

 前に竹林で一度遭遇したきりではあったが、そのとき交わした短い会話から考えても、このお嬢様は相当にプ
ライドの高い吸血鬼だったはずである。だから妹紅には不思議でならなかったのだが、レミリアはあくまでも余
裕に満ちた笑みを浮かべてみせる。

「何事においても、誰よりも華麗に、優雅に事を成してみせるのが真の強者というものでしょう? そもそも真
にプライドが高い者は、お芝居の中での勝ち負けなど気にしないものよ」

 高慢に顎を上げたレミリアの紅い瞳が、ぎらりと妖しく輝く。見かけだけならば王者の風格すら感じ取れる表
情だったが、妹紅には「ああ、そういう台詞で乗せられたのか」としか思えなかった。なにせ、レミリアの背後
にいる魔法使い殿が呆れたように溜息をついていたので。

(どうせまたあのババァだろうなあ。なんでこんなしょうもないことに全力注いでるんだか)

 ノリノリで演技していた八雲紫の顔を思い出し、妹紅はげんなりして肩を落とす。
 そのとき、突然誰かに後ろから頭を押さえつけられた。急襲か、と思いきや、そのままグシャグシャと乱暴に
撫で回されて、

「いや、天晴れ!」

 実に上機嫌な女の声が、妹紅の頭の上で響いた。慌ててその手を振り解き、前方に跳びながら振り返る。する
とそこに、注連縄を背負った妙な格好の女が立っていた。普通に見ればどういう趣味だ、と呆れるしかないが、
その女の全身から何か神々しい気配が放たれていることに気づいてしまって、妹紅は我知らず唾を飲み込んでいた。
 そんな妹紅の緊張感になど気づく素振りも見せず、注連縄の女がからからと陽気に笑う。

「お伽噺の主役に抜擢されるだけのことはある。実に華麗な立ち振る舞い、堪能させてもらいましたよ、死なな
い太郎」

 尊大な褒め言葉だったが、反発心はあまり湧かなかった。声をかけられたのが不意打ちだったせいもあって、
女が身に纏う人とは一線を画する気配に飲み込まれそうになっていたのである。

(まあ確かに、人ではなさそうだけど)

 女を観察しながら、妹紅は「どうも」と呟いて、小さく頭を下げる。注連縄の女が目を細めて面白そうに笑った。

「ふうん。幻想郷の住人にしては珍しく、礼儀ってものが少しは分かってるみたいね。ま、それはそれとして」

 女はぴらぴらと手を振った。

「そんなにかしこまらなくてもいいわ。楽にしなさいな」
「はあ」

 女が先ほどまでとは打って変わって砕けた態度を取り始めたので、妹紅は少々困惑する。そんな彼女に向かっ
て、注連縄の女は簡単に自己紹介した。
 それによると、彼女の名前は八坂神奈子と言って、妖怪の山の山頂の神社に祀られている山の神様らしい。
さっき出てきた大蛇は、演出のために彼女が変化した姿だったのだそうだ。先ほど霊夢と一緒にいた早苗という
巫女は、彼女に仕える風祝というものなのだとか。

「神様って」

 妹紅は唖然としてしまった。ずっと竹林に篭っていたから、幻想郷の神様には出会ったことがなかった。一応、
割と親しみやすい性質の者が多いと聞いてはいたが。

(だからって、こんな気楽に出てきてもいいもんなのかな)

 そんな彼女の疑問を見抜いたのか、神奈子は大らかに笑ってみせる。

「いいのいいの、細かいことは気にしなくても。祭りは素直な気持ちで楽しむものよ」
「はあ」

 どうにも釈然としない妹紅の前で、神奈子は呆れたように溜息をつく。

「なんだかねえ。さっきまでとは打って変わってノリが悪いわね」
「いや、さっきのは」

 言い訳しかけた妹紅の横を素通りし、「ほら、見なさいこの子なんか」と、神奈子はレミリアを抱きあげる。
何か、寂しげな表情で誰もいない自分の隣を見つめていたレミリアは、何の抵抗もできずに抱きあげられてしま
う。吃驚して目を見開いているレミリアを、神奈子が愛おしげな笑みを浮かべて見つめた。

「張り切ってこんな気合いの入った衣装まで用意しちゃって、可愛いもんじゃないの」
「なっ」

 目を見開いて絶句するレミリアに、神奈子は笑顔で頬を摺り寄せる。

「ああもう、可愛いねえホント。早苗も昔はこんな風に無邪気だったのに、最近はちょっとお固くなりすぎ
ちゃって。風祝としてはあれでいいんだけど、おしめつけてた頃からあの子の成長を見守ってきた立場からする
とちょっと複雑な心境というか」

 悩ましげに思い出話を始めた神様の腕の中で、レミリアが顔を真っ赤にして暴れ出した。

「離せババァッ! 誰に向かってそんな口を利いてる!?」
「あらまあ反抗期? こういうのも可愛いねえ。早苗は昔からいい子で反抗期なんかなかったから、ちょっと物
足りなかったのよ。一度でいいから『神奈子様なんか嫌いだもん!』とか、頬をぷくーっと膨らませながら言っ
てほしかったっていうか」
「わたしをダシにして惚気話をするな! 大体わたしはお前の巫女よりずっと年上だ!」
「つまり背伸びしたいお年頃ってことね。可愛いねえ、早苗も最近は無理して気を張ってるみたいだから、もう
ちょっと肩の力を抜いてほしいと」
「いい加減にしろぉぉぉぉぉぉっ!」

 レミリアの肘が凄まじい勢いで神奈子の頬にめり込んだ。さすがの神様もこれには平然としていられなかった
ようで、体が傾ぎ腕の力が緩む。その隙に脱出したレミリアは、顔を真っ赤にして肩を怒らせながら、自分の従
者たちに向かって叫ぶ。

「咲夜、パチェ! 手を貸しなさい! あのババァの注連縄剥ぎとって紅魔館の門前に晒してやる!」
「趣味が悪いと思うわ」

 本のページを捲りながら、魔法使いが興味なさげに言う。メイドの方は「分かりました、お嬢様」と瀟洒にお
辞儀を一つして、両手一杯にナイフを持ちながら神様に向かっていく。さっきまで暴れるお嬢様見ながらうっと
りしてたのに切り替え早いなあ、と妹紅はちょっと感心した。
 一方神奈子は、頬を赤く腫らしながらもさして怒った様子は見せず、むしろ楽しげに、豪快に笑っていた。

「いいわねえ、子供は元気が一番! さ、遊んであげるからかかってらっしゃい」
「ナメんなクソババァ――ッ!」

 レミリアが咆哮と共に無数の赤い弾をばらまく。神奈子がどこからともなく降り注いできた柱でそれを受け止
め、規格外の勝負が始まった。

「付き合いきれないわね」

 ある程度離れた場所に退避しながら、やれやれ、と妹紅は首を振る。

「あれー、貴方は混じらないのー?」

 急に声が聞こえたので、妹紅はぎょっとして右を見る。金色の髪の上に、目玉のような飾りがついた奇妙な帽
子を被っている、小柄な女の子がしゃがんでいた。彼女は楽しそうに、目の前の物騒な遊びを眺めている。

「いいねえ、祭りってのはこうでなくちゃ。次はわたしが遊んでもらおうかなー」
「って、あんた誰よ? 攫われた子供の一人ってわけじゃなさそうだけど」
「む、失礼な子ね」

 少女は立ち上がって得意げに胸を張った。

「わたしが噂のケロちゃんです!」
「なんの噂よ」
「あーうー。要するに神様ってことなんだけどね」
「どこをどう要したんだかさっぱり分からない」
「ともかく」

 その神様は洩矢諏訪子と名乗った。八坂神奈子と同じく、守矢神社とやらに祀られている神様なのだとか。

「今日は祭りと聞いて飛んできました」

 びしっ、と何故か外の軍隊のような敬礼を決めてみせる。神奈子と違ってこちらからはは神々しい雰囲気も威
厳も全く感じられなかった。

「で、貴方は混じらないの?」
「混じらないよ。今はそんな暇ないし」

 そう断りつつ、妹紅はちらりとレミリアたちの方を眺めやる。紅魔館の主従コンビも山の神も、声を張り上げ
腕を振り上げ、実に楽しそうに戦っている。その傍らでは華奢な魔法使い殿が、我関せずと本を読みつつ、たま
にちらちらと戦いの模様を観察していたりして。

(よくもまあ、ああも考えなしに騒げるもんだ)

 しばしの間忘れていた憂鬱な気分がぶり返してきて、妹紅は自然と顔をしかめていた。寿命の短い人間を従者
にしているレミリアの感覚も、今まで何人もいたであろう巫女の内の一人に過ぎない早苗に愛情を注いでいる神
奈子の感覚も、今の妹紅には理解しがたい、いや、したくないものであった。

「ふうん。なんか、怖がってるのね」

 見透かすように言われて、妹紅はびくりと身を震わせる。声の方を睨むと、諏訪子が肩を竦めてみせた。

「怒らない怒らない。短気は損気ってね。まあ細かいことは忘れて、貴方も混じりなさいよ」
「いらないったら。暇がないって言ってんでしょ」
「へえ。むしろ、暇はありすぎる類の人に見えるけどねえ」

 どこかからかうような諏訪子の笑みに、妹紅は黙って背を向けた。歩き出すと、背後から声が追いかけてくる。

「まあいろいろあるんだろうけどね。自分の気持ちに嘘をついちゃあ楽しいものも楽しくなくなっちゃうよ」

 うるさいな、と心の中で怒鳴り返しながら、妹紅は早足にその場を後にした。



 鬼退治、と言われて真っ先に思い浮かぶのは、ずうっと昔に仲良くなった、ある少女のことだった。
 蓬莱の薬を飲んで以来、年を取ることも死ぬこともできなくなくなった妹紅は、住んでいた屋敷からも追い出
されて、たった一人で彷徨わなくてはならなくなった。
 いかに死なない体とは言え、痛みや空腹は常人のそれと同じように襲いかかってくる。温室育ちだったために
日々の糧を自分で得ることも出来ない妹紅は、いつも空きっ腹を抱え、夜の寒さと孤独に震えながら終わらぬ苦
痛の日々を過ごしていた。
 そんな日々に転機が訪れたのは、ある山の中でのことだった。いつものように木の根元に蹲り、これなら大丈
夫だろうと思って食ったキノコのせいでビチャビチャと胃液を撒き散らしていた妹紅のそばに、小さな人影が歩
み寄ってきたのである。

 ――うち、来る?

 そう声をかけてくれたのが、あの少女だった。
 彼女は山の中で、年老いた祖父と二人きりで暮らしていた。治安がいいとは決して言えないあの時代、何故妹
紅のような浮浪者を拾う気になったのかは分からない。多分、少女も寂しい気持ちを抱えていて、祖父以外の話
し相手が欲しかったのだろう。
 出会った当時、少女は妹紅の外見年齢よりもかなり幼く、妹紅のことを「もこ姉」と呼んでずいぶん慕ってく
れた。祖父の方も寡黙でほとんど喋らなかったが、妹紅に生きる術をあれこれと教え、孫娘に対するものと変わ
らぬ愛情を注いでくれた、ように思う。
 そうして一年が過ぎ、五年が過ぎ、十年が過ぎ……少女の方はどんどん年相応に成長していったが、妹紅の方
は出会ったころと変わらぬ外見のままであった。自分を見る少女の瞳に、不信感と疑念が時折顔を覗かせるよう
になったことに、妹紅は当然気がついていた。気がついてはいたが、どうしても事情を打ち明ける気にはなれな
かった。いつか話せばいいさ、と思いながら、少女が面と向かってその質問を投げかけてくる日に怯えながら生
きていた。
 あるとき、そんな日々に突然終わりが訪れた。少し前から山に出没し、周辺の人家を襲うようになった鬼が、
妹紅たちの暮らす家にも現れたのである。少女の祖父は無残に打ち殺され、少女自身もまた鬼に攫われてしまっ
た。全て、妹紅の留守中の出来事である。
 妹紅は怒りに震え、無我夢中で鬼を追った。彼奴が住処にしていた洞窟に踏み込んだとき、鬼はまさに少女を
喰らう寸前であった。妹紅は獣のように唸りながら鬼に飛びかかり、吹っ飛ばされて洞窟の壁に叩きつけられた
り、殴られて頭を粉砕されたりしながら、何度でも再生して鬼に立ち向かっていった。いかに山で生きる術を叩
きこまれていたとはいえ、その当時の妹紅は妖術の扱い方など知らないただの小娘である。立ち向かうといって
も、ただただひたすら無力な拳や足を振るうしかなかった。それでも痛みなど忘れて、死に物狂いで相手に向
かっていった。鬼も最初は鬱陶しそうにしていたが、妹紅が何度殺しても立ち向かって来るのを見て、次第に楽
しそうに拳を振り回し始めた。
 そうして朝日が昇る頃になって、鬼が唐突に高笑いを上げた。

 ――面白い奴がいたものだ! 仲間にお前のことを話して聞かせねばならぬから、この山からは手を引くこと
にしよう。次はお主が戦う術を身につけたときに相まみえたいものだな、鬼殺しの英雄殿よ!

 萃香の話を聞いた今になって思えば、彼奴は鬼なりに妹紅の強さを認めて引き下がったのだろう。人間の側か
らすると迷惑では済まされない、非常に傲慢で自分勝手な理屈ではあるが。
 ともかくも、妹紅は鬼を追い払うことに成功した。老爺は殺されてしまったが、幸い少女の方は助けることが
出来たのだ。そのことを喜びながら洞窟に取って返し、もう大丈夫だよ、と声をかけながら手を差し出すと、少
女は必死に後退って妹紅から逃げ、恐怖に顔を歪めながら叫んだのだ。

 ――化け物!

 それから先のことはよく覚えていない。ただ、自分の足下から世界が崩壊してしまったかのような非常な衝撃
を受けて、何もかも振り捨ててただただ逃げたことだけは、強く記憶に残っている。



(ありふれた話、だな)

 レミリアたちの喧嘩の音を遠くに聞きながら、妹紅は道の真ん中で小さくため息をつく。
 確かに、ありふれた話である。人ならぬ者が化け物と呼ばれて傷つくなど、物語ならば陳腐以外の何物でもな
い。だがそんな陳腐な出来事が、抜けない刃となって妹紅の心に深く深く突き刺さっているのである。それは、
愛しい人との別れの記憶と共に、今でも時折蘇っては妹紅の胸をぎりぎりと締め付けてくれる。

(全く、理解できない)

 どうして皆、ああも容易く他者に近づけるのだろう。他者に愛情を注げるのだろう。
 レミリアも、神奈子も、紫も、萃香も。そして、輝夜も。
 いつか別れを経て自分の心を深く傷つけるであろう相手と、あんな風に気楽に交われるのは、一体何故なのか。
あの体をバラバラに切り刻まれるような苦しみを、知らぬわけでもあるまいに。
 胸が苦しくなって息を吐き出しながら、妹紅はふと夜空を見上げる。月は今や中天にあり、このお伽話が始
まってから相当の時間が過ぎたことを教えてくれる。アリスが教えてくれた山場は先ほど通過した。
 あとはあの日のように鬼の待つ洞窟に赴き、あの日のように子供を救わんとこの手を振るうだけだ。
 足が鈍る。

(帰ってしまおうか)

 このお伽噺の途中で何度も何度も脳裏を過ぎった思いつきが、また蘇ってきた。
 そうしてしまっても、何の問題もないはずだった。妹紅が助けに行かなくたって、あの日のように子供たちが
萃香に食われてしまう、ということはないだろう。ただ皆が「あいつノリ悪いなあ」だのと妹紅に文句を言って、
それでお終いだ。本当に、何の問題もない。妹紅は明日からも人と関わるのを避け、しかし完全には繋がりを断
ち切れないまま、そんな自分に悶々として生きていくだろう。幻想郷は相変わらず平和で、何も変わりはしない。
 だというのに、足取りを鈍らせながらも少しずつ前に向かって歩いているのは、一体何故なのか。

「死なない太郎さん」

 後ろから声をかけられて、妹紅は驚きながら振り返る。暗い夜の道の真ん中に、さっき助けた幼い兄妹が立っ
ていた。

「あんたたち、どうして」
「我がまま言われちゃってね」

 見ると、幼い兄妹の背後に二人の巫女が立っていた。

「あんたにお礼を言わない内は里には帰らない、なんて駄々こねるもんだから」
「追いつけてよかったです」

 霊夢が肩を竦め、早苗が微笑みを浮かべる。
 戸惑う妹紅の足元に、小さな兄妹が駆け寄ってきて、一生懸命言った。

「助けてくれてありがとう、死なない太郎さん」
「セッちゃんとミーちゃんとカッちゃんとタロちゃんも……んと、みんな、助けてあげてね」

 四つの無垢な瞳が、混じり気なしの純粋な願いとともに、鬼退治の英雄を見上げている。
 妹紅は一度目を閉じ、長く長く息を吐いて、また目を開いた。
 自然と顔に微笑みを浮かぶ。両手を伸ばして、兄妹の頭を優しく撫でた。

「ああ、任せておいてよ。あんたたちの友達は、みーんなこのわたしが助けてあげるよ」

 力強くそう請け負うと、兄妹の顔がぱっと輝いた。宵闇の中で眩しさを感じ、妹紅は少し目を細める。

「ね、ね」

 ふと、小さな妹が、不思議そうに目を丸くした。

「お姉ちゃんは女の子なのに、どうして太郎なの?」

 妹紅は微笑み、兄妹に背を向ける。肩越しに振り返って、言った。

「決まってんでしょ。鬼退治の英雄は、みんな太郎でなくちゃならないのさ」

 今はそれでいい、と妹紅は思う。鬼退治の英雄はみんな太郎で、今の自分は死なない太郎なのだ。だから悪い
鬼をやっつけて、子供たちを助け出す。ただ、それだけでいい。

(待ってろよ、鬼……!)

 妹紅は地を蹴って走り出す。胸の痛みは今も消えないが、足取りが鈍ることはもうなかった。



 妖怪の山の麓、ごつごつと入り組んだ岩場の陰に、悪鬼伊吹萃香の陣取る洞窟があった。

「来たね、死なない太郎!」

 岩壁にぽっかり開いた洞窟の入口を背に仁王立ちしながら、小さな鬼が大きく唇を吊り上げる。ひそかな月明
かりの下、その笑みは凄惨な何かを帯びているように見えた。

「どうやら間に合ったようだな! あと少し遅ければ、子供たちはこのわたしに頭からぱくりと食われていたと
ころだったぞ!」

 萃香の声は子供のそれながらも、過去に何度も同じことを繰り返してきたと思しき揺るぎない迫力があった、が。

「姉ちゃんもふもふー」
「わんわん、わんわん!」
「いや、ダメ、尻尾引っ張っちゃだめぇっ! ああ、み、耳は触らないでぇーっ! そこ弱いのぉーっ! わふぅーっ!」

 という賑やかな声が背後の洞窟から漏れ聞こえてくるものだから、いろいろと台無しであった。

「っていうか、世話役はやっぱり椛なんだ……」
「あいつ以外はどいつもこいつも仮病使って休みやがってねえ。これだから天狗は」
「そう思うんならもうちょっとあの子の負担減らしてやりなよ」
「さすが、優しいねえ死なない太郎。でもダメだ、下っ端はこき使ってナンボだからね」
「この鬼め」
「鬼だよ」

 萃香がにやりと笑い、嬉しそうに手を打ち鳴らした。

「いやー、しかし、よく来てくれたね死なない太郎! 途中で帰っちまうんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ」
「そうするつもりだったんだけどね」

 妹紅がため息をつくと、萃香が面白がるように眉を上げた。

「ほう。じゃあなんでそうしなかったんだい?」
「ねえ」

 答える代わりに、妹紅は問いかける。

「洞窟にいる子供たちの中に、これが単なるお芝居だってことを忘れて、怖がったり泣いたりしてる子はいる?」

 萃香はきょとんとしたあと、小さく首を傾げた。

「さあ、どうだったかね。ああ、一人ぐらいいたかな。まだ上手く喋ることもできないような、ほんのちっちゃ
な子だけど」
「そう」

 妹紅は小さく息をつき、腰にぶら下げたえくすかりばぁを静かに引き抜いた。

「なら、それが理由で十分だ。さっさとあんたをぶっ倒して、泣いてる子を抱きしめて慰めさせてもらおうか」

 萃香が大きく目を見開き、先ほどよりももっと大きく、嬉しそうに唇を吊り上げた。

「ほう。ほうほう、そうかそうか、そういうことかい!」

 萃香の顔が興奮に赤く染まった。何度も何度も足を踏み鳴らし、気の昂りを隠しきれないようにせわしなく拳
を鳴らし、吼えるように叫ぶ。

「いい顔だ、実にいい顔だよ、死なない太郎! それでこそわたしの、わたしたちが待ち望んだ鬼退治の英雄様
だ! みんなを萃めてお伽話を作り上げたのは、どうやら正解だったらしいね!」
「この無茶苦茶な筋書きのお伽噺に、何か意味があったっていうの?」
「もちろんさ。一か月前に会ったあんたはただの腑抜けだった。わたしの大嫌いな、嘘つきの臆病者だった。そ
れが今はどうだ、誰よりも強く誰よりも優しい、鬼退治の英雄の顔になってるじゃあないか。それでこそ、この
愛と勇気のお伽話を締めくくるのに相応しい!」

 萃香が月夜に向かって大気を震わせんばかりの咆哮を上げた。一瞬、幻想郷そのものが委縮して黙り込んだか
のような、絶対的な沈黙が辺りを満たす。その中で、萃香は獰猛な戦士の笑みを浮かべてみせた。

「さて、それじゃあ始めようか、死なない太郎。あんたとわたしの戦いを以って、今宵こそ正しき鬼退治は復活
する。鬼は悪逆非道の道を行き、正義の英雄が振るう愛と勇気の刃によって打ち倒される。それこそが我々を結
ぶ絆の形、それこそが我々の紡ぐ愛の形。さあ、肉を削り骨を砕き血を撒き散らし……存分に愛し合おう、死な
ない太郎!」

 本当に気合いが入ってるなあ、と妹紅は心の中で笑う。どれだけ物騒なことを言おうとも、結局はお伽話であ
る。椛やレミリアのときのように、適当なところまで盛り上げて適当なところで勝たせてくれる筋書きになって
いるのだろう、と、のん気に考えていたら、

「よーっし、行っくぞー」

 微笑ましくすら思える叫び声を残して、唐突に萃香の体がかき消えた。

「へ!?」

 どこへ、と思った瞬間、眼前に拳を振りかぶった萃香の姿が現れる。ぞくりと悪寒を感じて、妹紅は咄嗟に横
に飛びのいた。目標を失った萃香が、体ごと妹紅のすぐ横を通過し、握りしめた拳が背後にあった岩に突き刺さ
る。轟音を上げて、岩が粉微塵になった。
 絶句する妹紅の前で、砂煙が濛々と立ち込める。その向こうから歩み出てきた萃香が、びしっと妹紅を指さした。

「よく避けたな死なない太郎! 次こそひき肉にしてやるぞ!」
「ふざけんなぁぁぁっ!」

 妹紅が怒鳴ると、萃香がきょとんとして目を瞬いた。

「え、ふざけんなって……こんなに真面目にやってるのに?」
「真面目すぎるわ! なによあのふざけた威力!? 当たったら体がぐちゃぐちゃになるっつーの! 殺す気か!?」
「うん」
「うんって!?」
「大丈夫だよ」

 萃香は自信満々に胸を張る。当たりそうになったら寸止めでもしてくれるのか、と思いきや、

「あんた、死なないから!」
「ちっとも大丈夫じゃないよ!?」
「いやー、いいねえ、人間相手に遠慮なく拳を振りぬけるなんて、いつ以来かな! よーし、おっちゃん張り
切っちゃうぞー」

 萃香がぐるぐると腕を回す。これ以上張り切るなよ、と心の中で絶叫しながら、妹紅はぎりぎりと歯軋りする。

「子供たちが見てるのよ……!? 目の前で女の体がぐちゃぐちゃって、一生消えないトラウマを植え付けるつ
もり!?」
「ほっほー、優しいねえ死なない太郎。子供たちの心を気にするんだったら、頑張って避けてみなよっ、と」

 言外に「手加減はしねえぞ」と宣言しつつ、萃香はまたも遠慮なしに向かってきた。次から次へと凄まじい速
さで突きだされる拳を、妹紅は右に左に必死に避ける。ここまで来ると拳打という名の弾幕と言ってもいいレベルだ。

「ちょっとちょっと、避けるだけじゃなくて反撃してよー」
「反撃ったって」

 必死に避けながらも、妹紅は隙を見つけて刀を振るう。しかし当たったと思った端から萃香の体が霧状になっ
て、刃は空しく空を切る。

「はい残念、外れ―」
「それは卑怯じゃないの!?」
「自分の持てる能力を駆使して戦うのは当然のことじゃないか。あんたも炎使っていいよ」
「使っていいよって言ったって」

 激戦の最中に、妹紅はチラリと洞窟の方を見る。戦闘が始まったことに気がついたのか、子供たちが興味津々
に顔を出して、こちらを見つめていた。「危ないから顔出しちゃダメーッ!」と、椛が必死に子供たちを押し止
めている声が聞こえてくる。

(この距離で炎を使って、万一子供たちを巻きこんじゃったら……)

 そう思うと、とても妖術を使う気にはなれない。だががむしゃらに刀を振り回しても萃香には容易く避けられ
てしまう。結局、妹紅はただ萃香の拳を避けるだけで精一杯だった。

「むー。面白くないなあ」

 不意に、萃香が拳を止めて唇を尖らせた。

「避けてばっかりじゃあ、いつまで経っても戦いが終わらないじゃないか。もっと全力でかかってきなよ、全力で」
「十分必死だっての」

 息を切らしながら妹紅が言うと、萃香が「嘘つけ」と指を突き付けてきた。

「そんなバッタみたいな戦い方は全然あんたらしくないね。死なない太郎だったら死を恐れずにガンガン向かっ
てくるべきだ」
「なんで敵に戦い方を指南されなきゃいけないんだか」

 文句を言いつつも、痛いところを突かれたな、と妹紅は思う。
 実際、妹紅はまだ余力を残している。いや、余力を残しているというよりは、本当に全身全霊を賭けて戦って
はいない、というべきか。少なくとも、不死人の再生能力を活かして萃香の拳を恐れずに踏み込んでいけば、も
う少しマシな勝負ができるような気はするのだ。
 しかし、出来ない。心の中に恐れがある。もしも子供たちの見ている前でこの体を打ち砕かれでもしたら、

 ――化け物!

 またあの言葉が胸を締め付け、妹紅は戦いの最中だということも忘れてぎゅっと目を閉じる。

「ふうん、なるほどね」

 萃香が得心したような呟きを漏らす。目を開けると、小さな鬼が一つ頷いていた。

「まだ、あんたの動きを鈍らせるような何かがあるわけだ。ああ、別に話してくれなくてもいいよ。多分わたし
にゃどうにもならないことだろうしね。だから、さ」

 にやり、と笑う。いやらしい笑みだった。

「一つ、脅しをかけさせてもらおう。ねえ死なない太郎、あんたがさっさとわたしを倒さなけりゃ、子供たちが
大変なことになるよ」
「大変なことって」

 まさか、と妹紅は息を詰まらせる。

「子供たちを、食べるつもり!?」
「いやいや。んなことしたらまず紫にブチ殺されるよ。強い人間と正々堂々戦って死ぬならともかく、あんなイ
ンチキババァにやられるのは勘弁願いたいね。大体、あの子らの身の安全は鬼の名誉に賭けて約束してるんだ。
そういう卑劣な真似は絶対にしないよ」
「じゃあ、一体……?」
「あの洞窟、ね」

 萃香が何気なく洞窟の方に目を向ける。

「結界を張って、出入りが出来ないようになってるんだけど」
「つまり、閉じ込めてるってこと?」
「そう。そしてわたしを倒さない限り、結界は絶対に解除できないんだ」
「……じゃあ、わたしがあんたを倒せないと、子供たちが飢え死にする、とか」
「おいしい食事はちゃんと用意するよ。椛が」
「……夜の寒さに凍えて風邪をひいてしまう、とか」
「風雨はちゃんと防ぐし、火を焚いて暖だって取るよ。椛が」
「……寝床が用意されてない、とか」
「暖かい布団を人数分整えたよ。椛が」
「ええと」
「ちなみに子供たちが退屈したときの遊び相手も寝付けないときに子守唄を歌うのも全部椛な」
「休ませてやれよ!」

 むしろまず真っ先に椛を救出しなければいけないような気がしてきた。萃香がからからと笑う。

「大丈夫だって、下っ端はこき使ってナンボのもんだしさ」
「全然理屈になってないっての」

 妹紅はうんざりしてため息をついたあと、首を傾げた。

「でも、それならなにが問題なの? むしろ割と快適に過ごせるような気がするんだけど」
「いやいや、そんなことはないよ」
「どうして」
「実はね、一つだけ、用意してないものがあるんだ」
「それはなに?」
「便所」
「貴様ァァァァァァァァァァァァァッ!」

 妹紅の怒りが爆発した。我を忘れ、刀を握りしめて萃香に斬りかかる。小さな鬼が歓声を上げた。

「おお、いいねえいいねえ、それでこそ死なない太郎だ」
「黙れ! おいしい食事をたらふく食わせておきながら便所を用意してないだと……!? それはまず真っ先に
整えなくちゃならないもんでしょうが! 小さな子供だっているのよ!?」
「だからこそやったに決まってるじゃないか。ああ、ちなみに人間が使うような便所は、洞窟と目と鼻の先に設
置してあるよ。作ったのは椛な」
「外道が……! この鬼!」
「鬼だよ。さー、楽しみだねー、誰のあだ名がウンコマンになるのかなー」
「黙れぇぇぇぇぇぇっ!」

 萃香の拳をギリギリのところで避けながら、妹紅はなおも踏み込む。鬼が楽しそうに笑った。

「いいねえ、死をも恐れぬその一歩こそ、死なない太郎が鬼退治の英雄である所以だからね! あ、ちなみに誰
かが漏らした場合、それを片付けるのも椛ね」
「どこまで非道になれば気が済むの、あんたは!」

 激情に駆られて妹紅が叫ぶ。馬鹿馬鹿しいと思ってはいけない。寺子屋だって一つの社会なのである。その中
で糞垂れは最底辺に位置する存在だ。下手をすればそこから陰湿なイジメが始まって、子供の心に一生物のトラ
ウマが残る可能性だってゼロではない。

(そうだ、子供たちの心を守るんだ……! 慧音のためにも!)

 妹紅の太刀筋が鋭さを増す。しかし、刀は萃香に届かない。ときには身をひねり、ときには霧と化して、余裕
の笑みを保ったまま妹紅の攻撃を避け続ける。

(……だめだ、このままじゃ埒が開かない)

 そもそも、妹紅は剣士ではない。不慣れな得物を使って最強の妖怪である鬼に立ち向かうこと自体が無謀なの
である。

(一発、一発でいいんだ。一発でいいのに……!)

 その一発が、どうしても当たらない。妹紅の心に焦りが生じ始める。

「死なない太郎ーっ!」

 不意に、子供の声が響いた。驚いて振り返ると、洞窟の入口から顔を出した子供たちが、一生懸命こちらに向
かって叫んでいる。

「頑張れーっ!」
「負けるなーっ!」
「鬼をやっつけろーっ!」

 呆然とする妹紅に向って、子供たちのそばに立っている椛がグッと親指を突き立ててみせる。どうやら彼女が
子供たちに応援するよう促したものらしい。いい奴だなあ、と妹紅は状況も忘れて感動する。

(それにしても)

 子供たちの歓声を浴びながら、妹紅は苦笑いを浮かべていた。

(聞こえてるか、妹紅? あの子に化け物と泣かれたあんたが、子供たちの声援を背に受けて戦ってるんだよ?)

 なんとしてでも、その期待に応えたくなってくる。妹紅は子供たちに向かって軽く手を振ると、再び萃香に向
きなおった。小さな鬼はどことなく嬉しそうににやつきながら、妹紅を見つめている。

「どうだい、お伽話の主人公ってのも、なかなか悪くないもんでしょ」
「この状況じゃ、首を横には触れないね」
「素直に認めなって。あんたは間違いなく、英雄たる気質の持ち主だよ。死なない太郎」

 死なない太郎、というその呼び名が、なぜか今は心地よい。最初はあれだけうんざりしていたにも関わらず、だ。

(ああ、そうか)

 妹紅はようやく納得した。

(結局、わたしはこういう人間だったってことなんだな)

 納得した、というよりは、思い出したと言った方がいいか。
 遠い昔、広い屋敷の片隅で、来るはずもない父を待ち続けていた少女の姿が脳裏を過ぎった。
 英雄として子供たちの声援を浴び、英雄として友たる鬼と向かい合う。そのことが、今の妹紅にはこの上なく
喜ばしく感じられるのだ。
 そのとき、ふと。

「姉ちゃん、ウンチ」
「えっ、ちょ、も、もうちょっと我慢して……!」
「我慢できないよぅ」
「ううっ……くっ、かくなる上はわたしの尻尾を犠牲にしてでも……!」

 そんな会話が、声援に交じって聞こえてきた。

(ついにこのときが来たか……!)

 妹紅はちらりと肩越しに振り返り、洞窟の方を見る。椛の袖を泣きそうな顔で引っ張っているのは、最悪なこ
とに小さな女の子であった。
 将来成長した女の子が、ことあるごとに「彼女は鬼退治のお芝居のときにウンコを漏らしまして」だのとばら
されて赤っ恥をかいている光景が、妹紅の脳裏に浮かび上がる。

(そんなことを許すわけにはいかない……!)

 妹紅はついに覚悟を決めた。刀を片手に持ち、大きく振り上げて萃香と対峙する。鬼が怪訝そうに眉をひそめた。

「なんのつもりだい?」
「時間がない。次で決めさせてもらうよ、鬼」
「ほう。面白い。やってもらおうじゃないか、英雄殿!」

 吼えるように叫びながら、萃香が地を蹴った。突風のような勢いで、真っ直ぐこちらに向かってくる。

(来い……!)

 妹紅は奥歯を噛みしめ、両足に力を込めた。何があっても絶対に倒れるな、と強く強く心に念じる。
 萃香が眼前で踏みとどまり、大きく拳を振りかぶった。しかし妹紅は微動だにせず、ただ黙ってその一撃を受
け止める。鬼の細腕が、容赦なく妹紅の腹を突き破った。

「なっ」

 萃香が驚きに目を見開くのを見て、妹紅は血を吐きながら会心の笑みを浮かべた。

(捕まえた……! さすがにこれは予想外だったみたいね!)

 萃香が高い運動能力を誇り、なおかつ霧になって逃げられるという反則的な能力を持つ以上、正攻法ではどう
あっても刀で打つことは不可能だろう。だからこそ、無理にでも隙を作る必要があった。ここまで妹紅が萃香の
攻撃を避け続けていた以上、まさか自分の体を犠牲にするとは思うまい。まさに一度限りの必殺技であった。

(一度隙を作れれば十分なんだけど、ね……!)

 腹を貫かれた激痛に顔を歪めながらも、妹紅は刀を思い切り振り下ろす。予想外の事態に硬直している萃香は、
腕を引き抜いて避けることも霧と化して逃げることもできない。
 そしてついに、死なない太郎のえくすかりばぁが、悪鬼伊吹萃香の肩を強く打ち据えた。



 ここまでの流れから言って、多分萃香も「見事だ……!」とかなんとか言いながら格好つけて倒れる、と思っ
ていたのだが。

「ぎいいいいぃぃぃぃぃやぁあああぁあぁぁぁあああぁぁぁぁぁっ!」

 などと、凄まじい悲鳴を上げて、地面をのた打ち回り始めたではないか。先ほどとは逆に、今度は妹紅が硬直
してしまう。萃香はなおも悲鳴をあげながら、苦悶の表情を浮かべて地面を転がり続ける。よく見ると、目尻に
は涙が浮かんでいた。

「お、おいおい、どうしたの。さすがに演出過剰よ、それは……」
「ち、違う……!」

 額に汗を滲ませながら、萃香が唸る。

「そ、その刀……!」
「え、これ?」

 聖剣とは名ばかりの模造刀に妹紅が目を落とすと、萃香が息を詰まらせながら声を絞り出した。

「その刀、豆だ……!」
「……は?」
「刀身が、炒った豆で作られてる……!」

 予想外すぎる萃香の言葉に、妹紅は声を失って立ち尽くす。紫の胡散臭い笑みが頭に浮かんで、

 ――さらに極限状態においては食糧にもなる超優れ物の

「なに考えてんだあのババァ!?」

 思わず叫んでしまった。どうして他の設定は偽物なのにその部分だけ本物なんだ、と。

「え、っていうかなに、どういう製法で作られてるのこの豆刀!?」
「し、知らない、知らない、けど……くひぃ、いたいよぉ……!」

 あまりの痛みに耐えきれなくなったのか、萃香の目からぽろぽろ涙が零れ落ちた。妹紅は慌てて駆け寄って、
刀で打ち据えた部分を見る。可愛そうに、萃香の肌には醜い蚯蚓腫れができつつあった。

「ご、ごめん、普通に模造刀だと思ってたから、思いっきり叩いちゃったよ」
「い、いや、いいんだって、あんたは正々堂々やったんだしね!」

 まだ目尻に涙をためつつも、萃香は立ち上がって胸を張った。

「よくぞわたしを倒した、死なない太郎! 約束通り子供たちと姫を返してやろう! あの洞窟の中にある、鬼
の宝も持っていくといい」
「うん、分かったからあんたは休んでなって。顔が真っ青だよ?」
「……それじゃあお言葉に甘えて」

 萃香は地面にへたり込むと、豆刀で叩かれた肩を手で押さえ、ぎりぎりと歯ぎしりし始めた。その姿は痛みを
堪える子供そのもので、ちょっと微笑ましくも思える。

(さて、と)

 妹紅は顔をしかめる。痛みを堪えているのは彼女とても同じだった。腹の傷の再生は、もう既に始まっている。
あと少し経てば、完全に元通りとなるだろう。

(その前に)

 妹紅は傷口を手で押さえて、中身が零れたり見えたりしないように注意しながら、洞窟の方に向かって歩き出
した。妹紅の姿がよく見えるようになるにつれ、子供たちはもちろん付添いの椛までもが、息を飲んで目を丸く
するのが分かる。
 妹紅は子供たちの前で立ち止まると、ただ黙って自分の傷が再生していくところを見せた。傷口が塞がってか
ら、手をどける。子供たちも椛も、呼吸するのを忘れたかのように呆然と妹紅の腹を見つめている。

(これでいい、な)

 妹紅は長く、細く息を吐き出した。
 英雄は鬼を倒し、お伽話は終わりを告げた。舞台から降りた英雄は、また元の化け物に戻って、永遠に人から
身を離して暮らしていく。それでいい、と自分に言い聞かせる。

(なのに、どうしてこうも胸が痛むんだろう)

 自分が泣きそうになっていることに、妹紅はとうに気がついていた。行き過ぎた悪戯がばれてしまった子供の
ような心境で、ただただ誰かが悲鳴をあげたり、怖がって逃げたりするのを待ち構えている。
 と、

「すっげぇぇぇぇぇぇっ!」

 上がったのは、悲鳴ではなくて歓声だった。「へ」と間抜けな声を漏らす妹紅に、数人の男の子たちが纏わり
ついてべたべたと腹を触ってくる。

「すっげぇすっげぇ、なあ姉ちゃん、今のどうやったの!?」
「俺にも教えてくれよ! これで慧音先生の頭突きも怖くねえぞ!」
「やっぱしゅぎょーか、しゅぎょーしたらこうなれるのか! スキマババァのところへ行けばいいのか!」

 予想だにしない反応に困惑し、妹紅は当てもなく視線を彷徨わせる。そこに椛がいたので、首をかしげて問い
かけた。

「ど、どういうこと?」
「え? ええと、よく分かりませんけど」

 椛は苦笑した。

「ここは幻想郷ですから。こんなものだと思いますよ」

 ああ、と、妹紅の口から吐息が漏れ出した。
 ずっと昔、自分を「もこ姉」と呼んでくれた女の子の笑顔が、久方ぶりに脳裏に蘇る。

(ようやく、許してもらえたんんだ)

 そんな言葉が脳裏の思い浮かび、目から涙が溢れ出した。目頭を押さえる妹紅に、子供たちが口々に声をかけ
てきてくれた。

「大丈夫か、姉ちゃん」
「どっか痛いのか」
「あの鬼にやられたのか」
「違う、違う……大丈夫、大丈夫だよ」

 ごしごしと目元を拭って、妹紅は苦笑いしながら子供たちに問いかける。

「そういえばみんな、おしっことか大丈夫? 便所は洞窟のすぐそばにあるらしいから、我慢しないで行っといでよ」

 そう言うと、子供たちの何人かが思い出したように目を丸くして、

「姉ちゃん、ウンコーッ!」
「おしっこー!」
「漏れるーっ!」
「えぇっ!? ちょ、ま、待って! すぐそこだから、もうちょっとだけ我慢して!」

 尿意や便意を訴える子供たちを、椛が慌てて抱きかかえて、洞窟の外へすっ飛んで行く。平和な光景に思わず
笑いを漏らした妹紅は、ふと、便所に行きたがった子供たち以外にも、数人が姿を消していることに気付く。

(どこへ……?)

 周囲を見回したとき、洞窟の外から悲鳴が聞こえてきた。「ちょ、やめっ、いたい、いたいって!」という、
萃香の声だ。
 まさか、と思って外へ出てみると、蹲った萃香に数人の子供たちが群がって、小さな拳や足で一生懸命殴りつ
けたり蹴り飛ばしたりしているところだった。

「このっこのっ!」
「悪い鬼め!」
「どうだ、参ったか!」

 口々にそんなことを喚いている。妹紅は慌てて駆け寄って、子供たち全員を萃香から引き剥がした。

「なにやってんの、あんたたち!」
「鬼退治に決まってんじゃん!」
「悪い鬼をやっつけるんだ!」

 子供たちは目を輝かせてそう答える。自分が正しいことをしていると信じて、欠片も疑っていない顔だった。
 妹紅は顔を硬くすると、無言で一発ずつ、子供たちの頭に拳骨を落とした。殴られた子供たちが、悲鳴を上げ
てその場に蹲る。

「こういうのは鬼退治じゃなくて弱い者虐めっていうの! 弱い者虐めは悪いことだって、慧音先生に教えても
らってないの、あんたたちは!?」
「えー、なんでさー!」
「悪い鬼をやっつけてるだけじゃーん!」
「鬼退治にもルールがあるの! それを守らなくちゃ、正義の英雄もただの卑怯者になっちまうんだから」
「ルールってなにさ」
「それはね」

 と、解説しそうになっていることに気がついて、妹紅は慌てて口を噤む。見ると、地に寝転んだ萃香がにやけ
た顔でこちらを見上げていた。

「どうしたの、死なない太郎。教えてやんなよ。ちゃんと教えてやらないと、この子らは『大人はみんなうそつ
きだ』とか『大人は都合が悪くなるとすぐ誤魔化す』なんて思いながら育っちまうよ」
「そうだそうだ!」
「ちゃんと教えろ!」
「大人はみんなうそつきだー!」

 萃香の言葉に便乗して、子供たちが口々に騒ぎ出す。妹紅は頬をひきつらせた。

(……適当なところで抜け出して、帰るつもりだったのに……)

 だがこうなっては仕方がない。妹紅は諦めて、溜息をつく。

「分かった。教えてあげるから、とりあえず今は里に帰ろうね。帰り道で教えてあげるから」

 歓声をあげる子供たちを前に、妹紅は苦笑を漏らす。この子供たち、すっかり鬼退治の英雄に憧れてしまって
いるようだ。少し張り切りすぎたかもしれないと反省するが、目の前の無邪気な笑顔たちを見ていると、そう悪
い気はしない。

(ま、なんにしても、めでたしめでたしってやつかな)

 安堵の息をついた瞬間。

「おーほっほっほっほっほっほ!」

 頭が痛くなりそうな馬鹿笑いが、月夜の下に響き渡る。明らかに聞き覚えのあるその声の方向に、妹紅は無言
で顔を向ける。日本文学史上に燦然とその名を残す輝夜姫その人が、岩の上に立ち、玩具の金棒を振りたてて高
笑いしていた。身につけているのは虎縞の胸当てと虎縞の腰巻のみだ。誰よりも気合が入ったその格好は、見て
いるだけでも恥ずかしくなってくる。

「苦難の末に鬼を打ち倒し、愛しい姫の下へとたどり着いた死なない太郎! しかし姫は既にたくましい鬼へと
心変わりし、冥府魔道に堕ちていたのでした! 突然の裏切りに心を痛めながらも、死なない太郎は最後の戦い
に臨みます! というわけで」

 輝夜姫様が金棒の先端をこちらに向けてくる。

「久し振りに勝負よ、妹紅!」
「みんなー、あの馬鹿は総出でボコっちゃってもいいよー」

 子供たちが歓声を上げて、一斉に輝夜に飛びかかる。

「え? ちょっ、待っ……いだっ、いだだだ! やめ、髪引っ張らないで……こら、尻叩いちゃだめっ……い
だぁっ! す、脛はダメ! 脛だけは本気で洒落になんないからぁぁぁぁぁぁ……っ!」

 子供たちに揉みくちゃにされている輝夜を無言で眺める妹紅の耳に、萃香のしみじみとした語りが聞こえてきた。

「……愛しい姫を自らの刃で打ち果たした死なない太郎は、彼女の亡骸に背を向けて何処かへと去ります。しか
し、それでも死なない太郎はまたいつか、弱き者のために立ち上がるでしょう。どれほど傷を負っても立ち上が
る、不死身の英雄。それが死なない太郎なのですから」

 もう勝手にしてくれ、と妹紅は思った。
 そうして止めとばかりに輝夜をえくすかりばぁで百発ほどぶっ叩き、幻想郷新お伽噺「死なない太郎の鬼退
治」最大の山場は、つつがなく終幕を迎えたのであった。



 がらがらと車輪が回る音を聞きながら、妹紅は心配になって椛に声をかけた。

「ねえ、疲れてるんでしょ? 変わろうか?」
「わふ。いえいえ、大丈夫ですよ! これもわたしの役目ですから!」
「そうは言ってもねえ」

 妹紅は弱り切って周囲を見回す。彼女は今車上の人であった。鬼の宝と子供たちと妹紅と萃香を乗せた大八車
を、椛が一生懸命に引っ張って里への帰り道を急いでいる途中なのである。ちなみに輝夜は縄で簀巻きにされた
挙句に大八車の後ろに結び付けられて、地面の上で引きずられている。がらがらと車輪の回る音に混じって、
「へぶっ」「ふぐっ」「もこぉぉぉっ!」という呪詛の叫びが聞こえてくるが、妹紅は容赦なく無視している。
輝夜の方は無視しつつ、椛には同情の声を投げかける。

「あんたも大変ね、こんなにこき使われて」
「わふ。いえいえ、そんなことはありませんよ!」

 そう言う椛の声は、確かに底抜けに嬉しそうだった。

「天狗にとって大恩ある鬼の方々が幻想郷へと戻ってくるための儀式に、わたしのような下っ端を使っていただ
けるなんて! これほど名誉なことはありません、わふ」

 一生懸命車を引きながら嬉しそうに尻尾を振っている椛を見て、妹紅は「全体主義って怖いなあ」としみじみ
頷いてみたりした。

「なあなあ姉ちゃん、それで、他のルールは!?」

 服の裾を引かれてそちらを見ると、いかにも腕白坊主といった顔立ちの男の子が、目を輝かせてこちらを見上
げている。この少年、他の子供たちが疲れて眠っている中で、一人元気に「鬼退治のルールを教えてくれ」と妹
紅にせがんでいたのである。妹紅は請われるままに、一対一が基本であることや、卑怯な手を使ってはいけない
こと、鬼を倒せば宝がもらえることなどを説明してやっていた。縄でぐるぐるにしばられた萃香も、たまに口を
出してきている。

「他の、って言われてもね。大体説明し終えたとおもうけど」
「ふーん。そっかー。でもさあ」

 男の子は不思議そうに首を傾げた。

「なんで、戦うのにルールとか必要なんだ? 何が何でも勝て、じゃ駄目なの?」
「駄目だね」
「どうして?」
「そうだね」

 どう説明したものかな、と考えて、妹紅はふと、自分の周りで穏やかな寝顔を見せてくれている子供たちを見
た。微笑み、男の子に目を戻す

「ね。あんた、今夜は楽しかった?」
「うん、すげー面白かった!」

 男の子が笑顔を浮かべて迷いなく頷く。妹紅もまた笑い返しながら、男の子の頭をそっと撫でた。

「じゃ、それが答えだよ。お互いに楽しくやるための決めたルールを破っちゃ、両方ともなんにも楽しくなく
なっちゃうからね。昔と違って、今は鬼退治も楽しくやるんだよ」
「それが新しい絆の形ってわけさね」

 萃香もまた満面の笑みを浮かべて言う。男の子はまだ少し不思議そうにしていたものの、やがてまた笑顔に
戻って言った。

「分かった。じゃあさ姉ちゃん、俺のことも鍛えてくれよ! しゅぎょーして、鬼退治の英雄になるよ!」
「おお、こりゃ見所のある坊主じゃないか! ぜひとも訓練してやりなよ、死なない太郎」
「いや、わたしは」

 どう答えたものか、妹紅は迷う。すると男の子が、取っておきの秘密を打ち明けるような顔で囁いた。

「なあ姉ちゃん姉ちゃん」
「なに?」
「俺もさ、太郎ってんだぜ!」

 萃香が口笛を吹いた。太郎は興奮に頬を赤くしながら、妹紅の体を揺する。

「だから絶対鬼退治の英雄になって、今度は正々堂々そこの鬼を倒してやるんだ! だから、な、俺を強くして
くれよ、姉ちゃん!」

 太郎は夢中でせがむが、やはり妹紅には、どう答えたものだか分からなかった。



 そうしてようやく里に帰りついた死なない太郎一行は、門のところで待ちわびていた里の大人たちから大歓迎
を受けた。その声で起きだしてきた子供たちが、次々に大八車から飛び降り、親のところへ飛んでいく。抱きつ
いて泣きじゃくる子もいれば、身振り手振りを使って今夜のことを説明し始める子もいる。
 その光景を黙って見つめながら、妹紅は苦笑した。

「太郎、あんたは行かなくていいの?」
「行かない!」

 ひしっと妹紅に抱きついたまま、太郎は強情に首を横に振った。

「姉ちゃんが俺を鍛えてくれるって約束してくれるまで、俺、絶対に行かねーからな!」
「やれやれ、困ったな」

 妹紅としては、自分の行動の指針を変えるつもりはなかった。このまま適当なところで抜け出して、人知れず
竹林に帰るつもりなのである。
 だからこんな風にしがみつかれると、困ってしまう。

「お帰りなさい、死なない太郎。よくぞ務めを果たしましたね」

 大人たちの中から、一人の女性が歩み出てきた。事の発端の一人、八雲紫である。妹紅は瞬時に役割を思い出
し、満面の笑みを浮かべつつ片手を上げた。

「おう、今帰ったぞババァ!」

 紫の頬が大きく引きつった。ざまあみろ、と思いながら、妹紅は腰にぶら下げていたえくすかりばぁを紫に投
げ渡す。

「まったく、なに考えてんのあんたは」
「あら、役に立ったでしょう?」

 大八車の上でぐるぐる巻きになっている萃香を見ながら、紫がくすくすと笑う。妹紅はうんざりして首を振った。

「だからって普通そんなもん作る? やっぱり暇人だねあんた。レミリアまで巻き添え喰らってたし」
「でしょうね」
「わざとかよ」

 紫は顔をそらして鼻歌を歌い始めた。本当に食えない婆さんだな、と妹紅はため息をつく。

「よく帰ってきたな、妹紅」

 慧音が歩み出てきて、微笑みを浮かべて手を差し出した。

「わたしの生徒たちを救い出してくれたこと、感謝するぞ」
「大げさだよ、単なるごっこ遊びにさ」

 妹紅が肩を竦めると、慧音は幾分か真剣な顔で首を振った。

「いや、子供たちにとっては何もかもが真剣さ。両親や故郷から引き離されて不安な気持ちは間違いなく本物
だったはずだ。お前はそれを救い出してくれたのだから、間違いなく子供たちにとっては真の英雄と」
「ああ、いいよいいよ、そういうのは」

 慧音が考えていることが数刻前の自分と全く一緒だったので、妹紅は気恥ずかしくなって話を遮る。そして、
苦笑しながら慧音の手を握り返した。

「子供たちは確かに救出したよ。死なない太郎、無事務めを果たしました」
「うむ、よくやってくれた、死なない太郎!」

 慧音が満足げに頷いた途端、周囲から割れんばかりの拍手が巻き起こった。里の大人たちはもちろん、このお
伽噺に参加していた役者たちもみな集い、惜しみ無い拍手を降らせてくる。

(……ますます帰りにくくなったなあ)

 妹紅は頬をひきつらせた。ちなみにあの太郎も、未だに妹紅にしがみついている。どうあっても帰らせないつ
もりらしい。

「さて、皆さん」

 不意に透き通った美しい声音が響き渡り、場がしんと静まり返った。人々の中心に静々と歩み出たのは、紫
だった。さほど大きくもないのに不思議とよく通る静かな声で、祈るように語り始める。

「ご覧いただきましたとおり、今宵の鬼退治はつつがなく終了いたしました。人間、鬼、双方とも一滴の血も流
さず、平和裏に、そしてなによりも楽しく、戦いを終えることが出来たのです。人間の方々はもうご存じないか
もしれませんが、百数十年ほど前まで、このような平穏な光景は想像することすらできませんでした。天におわ
します龍神様に、妖怪の賢者たちが永遠の平和を誓って早百数十年、我々はようやく、この境地にたどり着くこ
とが出来ました。私、妖怪の賢者たる八雲紫は、このことを心の底から喜んでおります。どうか今後も、悪戯に
互いの境界を侵すなく、かと言ってただ恐れて壁を作るだけでもなく、喜びと慈しみとを持って両者が交わる楽
園が続いていくことを願います。我々の楽園は我々の手で作り上げるものだということを、どうかお忘れなきよう」

 静かに、真摯に、紫は聴衆に向かって頭を下げる。誰もがその雰囲気に呑まれたかのように、神妙な表情を浮
かべて妖怪の賢者の言葉に聞き入っていた。

「それでは」

 頭を上げて笑いながら、紫が軽やかに指を鳴らす。すると大八車の上で、萃香の体を縛っていた縄がするする
と解けた。小鬼は体を解すように腕を回しながら、紫の隣に並び立つ。小鬼と顔を見合せて微笑みあったあと、
紫は厳かに言った。

「此度の楽しきお伽噺の発案者である、鬼の伊吹萃香殿より、締めのお言葉を賜ることにいたしましょう」

 一礼して、紫が一歩下がる。入れ替わりに小さな鬼が進み出て、堂々と聴衆を見回しながら、声を張り上げた。

「えー、弱々しくも力強き人間の方々よ! わたし伊吹萃香は、今宵こちらの死なない太郎と共に、正しき鬼退
治のなんたるかを示してみせたつもりである! そちらが正々堂々と立ち向かってくる限り、こちらも絶対に卑
劣な真似はしない。人攫いも鬼退治も今は疑似的なものとなってしまったが、そこに賭ける真摯な想いは昔と変
わらず存在しているものとわたしは思う。願わくば、永き時を経て今宵復活し、新たな形に生まれ変わった鬼と
人との絆が、今後も絶えずに保たれていきますように!」

 萃香はそう言い切ったあと、口調を気楽で明るいものに切り替える。

「それではこれにて終幕だ! 悪鬼を打倒した死なない太郎は、鬼の宝を持ち帰り、人間の里の者たちと共にい
つまでも幸せに暮らしましたとさ」

 満面の笑みを浮かべて、

「めでたし、めでたし!」

 聴衆が再び手を打ち始め、遠慮なく唇を吹き鳴らした。紙吹雪が空を舞い、誰かが放ったスペルカードが華麗
に夜空を彩る。
 そんな賑やかな光景の中、いつの間にかそばに寄ってきていた紫に、妹紅は苦笑交じりに声をかけた。

「一滴の血も流さずって、わたしも萃香も結構ボロボロになったんだけど」
「あらそうなの。それは申し訳ございませんでしたわねえ」
「……さっきの言葉は、どこまで本気なの?」
「さあ。どこまでかしらね」

 紫はいつものように、胡散臭い微笑みを浮かべて首を傾げてみせた。

「さてさて、それでは!」

 不意に、群衆の前に一人の女性が歩み出てきた。このお伽噺の最初に登場して、慧音に小兎さんと呼ばれてい
た女性だった。姫君のような着物に身を包んだこの謎の女性は、群衆の前で大きく手を打ち鳴らした。

「これよりお伽噺の終幕を祝して宴会に移りますが、その前にまず、死なない太郎殿が持ち帰った鬼の宝を、皆
さんの前でご披露していただくことにいたしましょう!」
「へへ、わたしが個人的にため込んだお宝だからね! 期待してもいいよ!」

 萃香の陽気な声に、群衆が大きく湧きかえる。小兎さんがこちらを振り返って、大八車の方を手で示した。

「さ、死なない太郎さん、どうぞ!」
「え、いや、どうぞって」
「遠慮しなくてもいいですよ。死なない太郎さんが主役なんですから、好きな宝を一つだけ持ち帰ってください」
「他のは人間の里全体に寄付することになってるんだけどね」

 萃香が頭の後ろで両手を組みつつ、そう言う。妹紅は困ってしまった。なにせその日暮らしの根なし草、宝な
ど持っていても邪魔なだけである。今後人間の里と積極的に関わる予定もないし。
 しかし、周囲の群衆たちも期待に満ちた目でこちらを見ており、どうにも逃げられそうにない。

(……ま、いいか。記念だとでも思って、一番しょぼそうな奴を一個だけもらっておこう)

 妹紅は太郎をしがみつかせたまま、大八車に歩み寄った。さてどれにしようか、と思ったところで、一つの小
箱が目に止まった。他の宝がいかにもな金銀財宝なのに対して、この小箱はとても質素な造りである。これなら
何かあったときの物入れとしても使えるだろう、と判断し、妹紅はそれを手に取った。

「あら、それでいいの?」

 いつの間にか背後に立っていた紫が、妹紅の肩越しに小箱を見ていた。妹紅は肩をすくめる。

「別に、何か欲しいものがあるわけじゃないしね。これで十分だよ」
「あらそうなの。それは良かったわねえ」

 紫が謎めいた笑みを浮かべる。何か嫌な予感を感じつつも、妹紅はとりあえず萃香の前に戻った。

「これにするよ」
「やった!」

 妹紅の手に握られた小箱を見た瞬間、萃香が大きくガッツポーズを決めた。妹紅は眉をひそめる。

「なにをそんなに喜んでるの?」
「へへっ、そいつはね、きっとあんたが選ぶだろうと思って、わたしが特別に忍ばせておいた贈り物なのさ! 
やっぱり予想通りになった!」

 嫌な予感が瞬時に膨れ上がり、妹紅は頬を引きつらせる。

「……なに、どんな呪いがかかってるの?」
「呪いたあ失礼だね。むしろ祝福さ」
「鬼の祝福かよ」
「いいから、開けてみなよ」
「中に何か入ってるの?」
「もちろん。むしろそれがメインだから。さあ、開けた開けた!」

 萃香の満面の笑みにこの上なく嫌な気配を感じたが、群衆の目が自分に注がれている以上、この場で開けない
わけにはいかない。妹紅は仕方なく、小箱の蓋を開けた。
 どんな醜悪な物体が飛び出すものかと思っていたら、中に入っていたのは一枚の紙切れのみであった。意外に
思いながら摘み上げて、そこに書かれている文面に目を落とす。
 妹紅は凍りついた。

 ――任命状。
 藤原妹紅殿。あなたを此度人里に設立された「正しい鬼退治普及委員会」初代にして永遠の実行委員長、「死
なない太郎」に任命いたします。今後も鬼と人との新しき絆が保たれるように、より一層の努力をなさいますよ
う望みます。おめでとう、おめでとう。ワー、ヒュードンドン、パフパフー。
 ――妖怪の賢者、八雲紫。

(ババァッ……!)

 ぎりっと歯ぎしりしながら、妹紅は隣の紫を睨みつける。殴られない程度の距離を保ちつつ扇子で口元を隠し
てニタニタ笑っていた。このババァマジ殴りてぇ。

「なーなー姉ちゃん、どうした、何書いてあった?」
「ええと。いや、その」

 どうしよう。燃やそうか破ろうか逃げようか。迷う妹紅の顔に、不意に何か薄いものがぱさりと落ちてきた。

「号外、号外だよーっ!」

 夜空を飛びながら、鴉天狗が大声で叫んでいる。こんなときに一体なんだ、とその号外をやらに目を落として、
妹紅は再び絶句する。

 ――人間の里に新たな英雄誕生! その名も死なない太郎!

 そんな見出しと共に、自分の写真が載っていた。「正しい鬼退治普及委員会」永遠の初代委員長「死なない太
郎」に選ばれた蓬莱人、藤原妹紅氏(年齢不詳)、迷いの竹林住まい。恐ろしいことに地図つきで住所までばら
されている。

(なんだこの包囲網……!)

 あまりの用意周到ぶりに戦慄する妹紅の周囲で、大人たちがガヤガヤと騒ぎ出す。

「いやー、それにしても得したな! 鬼退治すりゃこんだけいっぺえお宝がもらえるんだべ」
「でもよぉ、勝てりゃいいけど、負けりゃー逆に娘っ子取られちまうんだろ?」
「バカ、そうならねえために、この死なない太郎先生がいてくださるんじゃねえか」

 ちょ、と妹紅が手を伸ばすよりも早く、周囲から大歓声が飛んできた。

「これからも頼んますぜ、死なない太郎先生!」
「いよっ、幻想郷一の鬼殺し!」
「あんたは里の英雄だ!」

 鳴り響く拍手と口笛の中でもはや声も出せない妹紅のそばに、誰かがにやにや笑いながら歩み寄ってきた。

「よう、災難だな妹紅!」
「……魔理沙」
「まああれだ、こういうときお約束の台詞をお前にも送ってやるよ」

 黒白の魔法使いは力強く妹紅の肩を叩き、

「諦めろ、ここは幻想郷だ」

 と、満面の笑顔と共に断言して下さった。湧き起こる死なない太郎コール、胡散臭く笑うスキマババァ、喜び
踊る小鬼。よく見ると慧音がハンカチで目元を拭っていた。ワーハクタクよお前もか。
 もはや半分ヤケクソになって、妹紅は声を張り上げた。

「あーもう、分かったよ! やりゃあいいんだろ、やりゃあ!」
「はい、言質取った」

 隣で呟いた紫が、妹紅の手を握って大きく天に突き上げた。

「皆様、たった今、新たな人間の英雄が誕生いたしました! その名も不死身の鬼殺し、死なない太郎! 盛大
な拍手でお迎えください!」

 最高潮を迎える拍手の渦の中で、妹紅はがっくりと肩を落とす。

「姉ちゃん姉ちゃん」

 下を見ると、太郎が不思議そうに妹紅を見上げていた。

「どうしたんだ、なんかあったの?」

 状況がよく分かっていないらしい彼の頭を、妹紅は苦笑交じりに撫でてやる。

「いや。単に、わたしがあんたを鍛えることが正式に決定したってだけ」
「ホント!? やったぁ!」

 跳ね回って喜びを表現する太郎を見ながら、妹紅はもう一度、盛大にため息をつく。
 不思議と、そう悪い気分ではなかった。



 小兎さんが宣言した通り、群衆は里の中に入って大宴会へと雪崩れ込んだ。鬼の宝を積んだ大八車が祭事を行
う広場の中に運びこまれ、それを囲んで飲めや歌えの大騒ぎが繰り広げられている。参加しているのは人間だけ
でなく、妖怪も数多く混じっていた。中には自分で宣言した通り大量の酒瓶を空にして、妖怪だか人間だか分ら
ぬうわばみ振りを発揮している博麗霊夢のようなのもいた。一方で、魔理沙やレミリアなどは早々に姿を消して
いた。
 妹紅自身は、群衆からは少し離れた場所に座り込んで馬鹿騒ぎをぼんやり眺めている。酒杯は最初の一杯を注
がれたままほとんど口もつけていない。親しげに声をかけてくる人々も、「悪いけど疲れてるから」と言って追
い払っていた。それでも大半の人が嫌な顔一つ浮かべず「じゃあまた今度飲みましょうぜ!」などと言って離れ
てくれる辺り、やはり気のいい人たちの多い場所だ、と思う。

「よう、相変わらず下戸みたいだね」

 気楽に片手を上げながら、萃香が歩いてきた。もう片方の手に瓢箪を持って、時折ぐびぐびと煽っている。
真っ赤に染まった顔には、実に幸せそうな笑みが浮かんでいた。妹紅は我知らず顔をしかめる。

「そういうあんたはずいぶんと楽しんでるようで」
「そりゃそうだ、今日は実にいい夜だからね!」

 笑いながら、萃香は了承を得ようとする意思すら見せず、どっかりと無遠慮に妹紅の隣に腰を下ろす。相変わ
らず図々しい奴、と妹紅はため息をついた。

「ホント、いい夜だ。夢にまで見ていた鬼と人との絆がようやく復活したんだからね」
「そんなに大袈裟なことかな、これが」
「大袈裟でもなんでもないさ。へへ、これから忙しくなるぞー、鬼退治のルールとか賞品の内容とかももっと細
かく決めて、誰もが楽しく鬼退治できるようにするんだ。その内地下の仲間も呼び集めて、みんなで退治された
り返り討ちにしたりするんだ。人間との戦いは酒飲みと同じぐらいに楽しい娯楽だからね。これからは、張り
切って鬼をやれるよ」
「そりゃ、良かったね」

 素っ気なく妹紅が言うと、萃香は子供のように頬を膨らませた。

「なんだよー、あんたももっと気合入れてもらわなきゃ困るよー。鬼退治の英雄なんだからさー」
「人をあんだけ無理矢理引っ張り込んでおいて、よく言うよ」
「無理矢理、ねえ」

 萃香が少し嫌味っぽく笑った。

「何度も何度も言ってることだけど、それって、嘘でしょ」
「なにがさ」
「あんた、人と関わりたくないみたいに言っておきながら、実際には護衛の依頼引き受けたり里の教師と友達
だったり、やってることが中途半端なんだよね。本当は、皆の輪の中に入ってきたかったんでしょ?」
「そんなこと」

 反論しようと口を開いたが、言葉がうまく出なかった。妹紅は黙りこみ、膝の間に顔を埋める。

「そうなのかも、しれないね」
「かもしれない、じゃなくて、そうなんだよ。でなけりゃ、わたしが何やったって、あんたの心に愛と勇気が蘇
ることはなかったはずさ」

 恥ずかしい奴だな、と思いながら、妹紅は宴会の輪の方をぼんやりと眺めやる。踊る妖怪、囃し立てる人間。
歌う人間、手を打ち鳴らす妖精。神様が黙って酒瓶を持ち上げると、隙間の妖怪が微笑んで酌を受ける。巫女が
天狗を酔い潰れさせて高笑いを上げていた。

「分かんないな」
「なにが」
「あんたたちのことが、さ」

 妹紅はため息交じりに疑問を投げかける。

「鬼と人との絆が復活した、なんて言ったって、一時的なものかもしれないじゃない。人間はすぐ変わるよ。ま
たあんたたちを嫌って、卑怯な手段で追い立てるかもしれない。仲良くしていられるのは今のうちだけで、すぐ
に嫌なことばっかりになって、お互い憎しみ合うようになるかもしれない。仮に友好的な関係が続いたとしても、
いつか別れが来て辛い思いをする。人間はすぐに行っちまうよ、わたしたちを置いてさ」

 淡々とした妹紅の言葉を、萃香は黙って聞いていた。聞き終わってからおもむろに立ち上がり、力強く、静か
な声で答える。

「そのときは、思い切り泣けばいいさ。元気になれたらまた笑えばいい。喧嘩したら仲直りすればいいし、追い
立てられたら時間を置いてまた歩み寄ればいいよ。完全に諦めて繋がりを断ち切ってしまわない限り、可能性は
ゼロじゃない」
「なんでそうまでして人に関わろうとするの」
「わたしたちが妖怪だからさ」

 萃香は困ったように笑った。

「そう、わたしたちは妖怪なんだ。人なくして妖怪なし。どれだけ嫌って繋がりを断ち切ったつもりでも、何か
の形で人と関わっていないとどうにも締まらない、どうにも楽しくない。そういう存在なんだよ、わたしたちは」

 そう言って、妹紅に静かな瞳を向けてくる。

「つまり、あんたと同じだってことさ」

 妹紅は反論できなかった。できたとしても、しなかっただろう。だから代わりに、諦めのため息をついた。

「なんだかね」
「どうしたの」
「なんだって、あんたはそうわたしを仲間に引き込みたがるんだか」
「ああ、別にわたしだけじゃないよ」
「え?」
「わたしが今回声をかけて萃まった連中は、皆同じことを考えてるはずさ。中には素直に認めたがらない奴もい
るだろうが、本心は一つ」

 萃香は歯を見せて笑った。

「出来る限り楽しくやろう、さ」

 それに、と萃香は自信に満ちた声で言う。

「仮に時が経って人間が世代交代しても、あんたが言ったみたいにはならないと思うね」
「どうして」
「だって、この先ずっと、人間たちに正しい鬼退治を伝えてくれる英雄殿がいるんだもの。あんたがいてくれる
限り、鬼と人の新しい絆は、ずっと変わりなく受け継がれていくはずさ」
「永遠に働けってか」
「永遠に働けってことさ」
「ちぇっ、なんでもかんでもあんたの思い通りになってるじゃない」
「ああ、そりゃ違うよ」

 萃香は胸の前で手を振った。

「今回の事の発端って、わたしじゃないし」
「そうなの?」
「一か月前のことを思い出してごらんよ。わたしはあの日、初めてあんたに会ったんだよ? あの日にあんたの
ことを知って、真っ先に会いに行ったんだ。つまり、あの日まであんたの存在を知らなかったってこと」
「……じゃあ、誰かに教えられて?」
「その通り。誰だかは、まあ言わなくても分かるよね」
「あのババァか」
「そう、あのババァだ」

 にひひ、と萃香が意地悪そうに笑う。

「あいつに目をつけられたらもうお終いさ。なんせこの幻想郷で一番インチキなババァだからね。そんなババァ
の趣味は、誰かと誰かの間にある隙間を、できる限り縮めることだったりするのさ。わたしもそういう趣味のせ
いでこの場に引きずり込まれたクチだからね。ま、この郷にいる限り、あいつの手から逃れられるとは思わない
方がいいね」
「迷惑な婆さんだ」
「ホントにね。でもあんたも、悪い気はしてないんじゃないの?」
「さて、ね」

 そう言ったきり、妹紅は黙りこんだ。萃香はしばらく隣で酒を飲んでいたが、やがて「さて」と呟いて立ち上がる。

「ま、何にしてもこれからよろしく頼むよ、死なない太郎」

 振り返って手を差し出してくる。妹紅は首を振った。

「その死なない太郎ってのは止めてよ」
「なんだ、まだそんなこと言ってるの?」

 不満そうな顔をする萃香に、妹紅は苦笑を向ける。

「違うよ。だって、それは役職名なんでしょ? だったら、仕事してないときは本名で呼んでほしいね」

 目を丸くする萃香の手を、妹紅は笑って握り返した。

「わたしの名前は藤原妹紅。よろしく頼むわ、伊吹萃香」

 萃香が嬉しそうに笑って、妹紅の手をぶんぶんと上下に振る。

「うん、よろしく、藤原の。今度は負けないからね」
「また返り討ちにしてやるよ、伊吹の。っていうかさあ」
「なに」
「あんた、最初から負ける気だったでしょ?」
「ほう。何を根拠にそう思ったの?」
「だって、今夜の鬼退治、あんたが負ける条件は設定されてたのに、わたしが負ける条件は設定されてなかった
もん。これじゃ結局最後には勝つのが決まってたみたいだ」
「あらら、ばれてたか」
「なんでそんなことしたの?」
「そりゃ、英雄が勝たなきゃめでたしめでたしにならないからねえ。でも、弱虫に負けてやるつもりは一切な
かったよ。あんたが腑抜けのままだったら、何度も何度もわたしに叩きのめされていつまでも終わらなかったは
ずさ。もっとも」

 萃香はにやりと笑う。

「わたしは、あんたが英雄に戻ってくれることを疑ってなかったけどね。一目見たときから、あんたの胸には今
も変わらず熱いものが宿ってると思ってたさ」
「よく言うよ」
「ホントだって。それに、その直感は正解だったみたいだ。今のあんたは間違いなく人間の英雄さ」
「……いや、まだだね」

 妹紅はくるりと振り返る。少し離れた木の陰に、見知った人影が立っているのが見えた。

「しっかりケジメをつけるよ。わたしが胸張って人間だと名乗れるのは、それを終えてからだ」
「そうかい。それじゃ、次の勝負はまた後日だね。今度は飲み比べといこう」
「よして。その勝負じゃ万に一つの勝ち目もない」

 地面に置いた杯の中身を一息に飲み干すと、頭がくらくらした。やっぱり酒は苦手だ、と妹紅は思う。

「こらぁっ、萃香ぁっ!」

 不意に、酔っ払った少女の叫び声が聞こえてきた。その方向に目を向けると、泥酔の極みといった体の巫女が、
ふらふらと危なっかしい足取りでこちらに向って歩いて来るところだった。

「あんたって奴は、まーた人様に迷惑かけてんのね! 今度はこの博麗の巫女が退治してやるわ!」
「ほうほう、そりゃ面白い! なにで勝負するね?」
「もちろん飲み比べよ! ったく、魔理沙もいつの間にかいなくなってるし、物足りないったらありゃしない。
今日こそはあんたを潰してやるっての!」
「いいねえ、じゃあ今日も返り討ちにしてやるよ」

 自信満々に胸を張って霊夢の言葉に答えながら、萃香は妹紅に笑いかける。

「ほら見なよ、人間って奴はこんなに面白いじゃないか。それさえ忘れなきゃ大丈夫だよ、きっと」

 じゃあまたね、と言って、萃香は霊夢と共に去っていった。



 木の陰で待っていた慧音と共に、妹紅は里から抜け出して少し飛んだ。里の近くにある人気のない丘に二人並
んで座り、黙って夜空を眺める。大宴会が続いているでろう里の喧騒も、ここまではかすかにしか聞こえてこな
かった。

「いろんなこと、思い出したよ」

 ぽつりと、妹紅は呟くように告白した。ずっと昔仲良くしていた少女に化け物と言われて傷ついたことや、受
け入れてくれた愛しい人と別れたこと、覚悟を決めていたはずなのに別れ際に泣き叫んでしまって、その人を酷
く困らせてしまったこと。何もかもを話した。その全てを、慧音は黙って聞いてくれた。

「だから、ずっと人とは関わらないで生きてきた。裏切られて傷つくのも嫌だったし、受け入れてもらえたとし
ても結局最後は悲しい別れが来る。どっちにしても辛い想いをするのなら、最初から誰とも関わらない方がいい。
自分にそう言い聞かせて、ずっと一人で生きてきたの。今日も、本当は途中で何もかも投げ出して帰るつもり
だった」
「何故、逃げなかったんだ?」
「思い出したから。自分が、どうしようもない寂しがり屋だってこと」

 藤原妹紅は、望まれてこの世に生まれてきた子供ではなかった。いわゆる不義の子というやつで、その存在は
隠されていたのである。それでも位の高い男の娘ということで食うに困ったことはなかったが、誰も厄介事を恐
れて近づいてこなかったので、いつも広い屋敷の片隅で一人ぼっちだった。寂しくて泣いても誰も来てくれない
あの辛さは、今でも根強く妹紅の心に残っている。

「お父様が輝夜に恥をかかされたって聞いて仕返ししようとしたのも、本当は敵討ちとかそういうのじゃなかっ
たんだ。仕返しして輝夜のことを苦しめれば、お父様がわたしのこと見てくれるんじゃないかって、そう思った
からだった。今になって思うと、ずいぶん子供じみた思い込みだけど」

 妹紅は苦笑し、それからため息をついた。

「結局、わたしはこれだけ歳を取っても、あの頃から何も変わっちゃいない。一人ぼっちは寂しいんだ。でも誰
かに近づくのは怖いんだ。だから、輝夜が羨ましかった。そんなことなんて全然気にしてないみたいに、兎たち
と一緒に楽しく暮らしてるあいつが。最初はあいつへの憎しみを燃やして殺し合いすれば何もかも忘れていられ
たけど、その内嫌で嫌でたまらなくなった。あいつの前に立つたびに、自分がどれだけ惨めな存在なのか思い知
らされるみたいで」
「だから、彼女のことを避けるようになったのか」

 妹紅は小さく頷いて、「ねえ、慧音」と震える声で呼びかけた。

「わたしね、もう自分がどうしたらいいんだかよく分からないんだよ。傷つくのが怖いから離れていたいけど、
でも一人でいるのはどうしようもなく寂しくて、辛いんだ。そういうこと、今日だけで全部思い出しちゃった。
できる限り意識しないようにしてたのに」
「じゃあ、また離れるか?」

 慧音が静かに問いかける。妹紅は迷いながらも首を横に振った。

「ううん、きっともう無理。ここの連中はわたしのこと放っておいてくれないみたいだし、なによりわたしも、
人と交わる楽しさや誰かの手の温かさを思い出しちゃったから、きっともう一人きりでいるのは耐えられないと
思う」

 妹紅はおそるおそる手を伸ばして、慧音の手をそっと握り締めた。驚いたようにこちらを見る慧音に、震える
声で問いかける。

「この温かい手も、その内枯れ木みたいに細くなって、熱を失っていくんだ。ねえ慧音。慧音もいつかどこかへ
行ってしまうんだね。わたしを置いて消えてしまうんだね」

 慧音は一度口を開いて何かを言いかけてから、また閉じた。迷うように数瞬目を閉じたあと、悲しげに微笑み
ながら頷いた。

「ああ、そうだな。そうなることは絶対に避けられない。わたしはいつかお前を置いていく。いつかお前を深く
傷つける。だからこれは、わたしの我がままだ」

 慧音は両手で妹紅の手を握り締めて、祈るように呼びかけた。

「そばにいてくれ、妹紅。ずっと一緒にいられないとしても、いつかわたしがお前を傷つけるとしても……それ
でも、そばにいられる間だけでいいから、寄り添って、一緒に泣いたり笑ったりしよう。お願いだ、妹紅」

 妹紅の視界がぐしゃりと歪んだ。止めどなく涙が溢れ出して、喉の奥から嗚咽が漏れる。

「わたし、わたしもさ」
「うん」
「わたしもきっと、慧音のこと傷つけるよ。慧音が死ぬとき、死なないで置いてかないでって泣き喚いて、たく
さん、たくさん困らせるよ。慧音がわたしを置いていくのは、慧音のせいじゃないのに」
「いいよ、それでもそばにいてくれ。何もかも隠さずに、全部ぶつけてくれ。最後の最後の瞬間まで、ずっとそ
ばにいさせてくれ。せめてそのぐらいはさせてくれ、な」

 慧音の呼びかけに、妹紅は何度も何度も頷いた。もうどうにも堪え切れなくなって声を上げて泣き出したら、
慧音がそっと抱きしめてくれた。その胸の中で、何百年分も溜めてきた涙を、思う存分流し尽くした。



 朝日が昇って来た。たぶん、人里の宴会もとうに終わって、今頃は誰もが夢の中だろう。穏やかな光に包まれ
ながら、妹紅と慧音は手をつないで寄り添っている。

「本当は、さ」

 妹紅が呟く。

「あの子からも、逃げるべきじゃなかったんだね」
「うん」
「今になって思うの。ひょっとしたら、大好きなもこ姉に化け物なんて言っちまったあの子の方が、ずっと深く
傷ついたかもしれないって。わたしはあの子を一人にしちまった。頼りになるお爺ちゃんを失っちまって、あの
子はあれからどうしたろう。ちゃんと、お婆ちゃんになるまで生きられたのかな」
「分からないな」
「そうだね。分からない。だから、本当は逃げるべきじゃなかった。離れるべきじゃなかったんだ。たとえ嫌わ
れて、罵られて、追い立てられたとしても、頑張って言葉を尽くして手を伸ばして想いを伝えて、それでもダメ
だったときにちゃんとお別れするべきだったんだ。あんな風に別れたまんまじゃ、ただ傷が傷として残るだけな
んだね。だからさ、慧音」

 妹紅はひっそりと微笑む。

「わたし、もう逃げないよ。悲しいことにも辛いことにも、ちゃんと向き合って生きていくんだ。それは凄く
みっともないことかもしれないけど、きっと寂しいことじゃあないと思うから」
「そうか、うん、立派だと思う」
「ありがとう」

 ふと、慧音が得心したように頷いた。

「つまり、あれだ。死なない太郎は生きてる太郎になるということだな」

 何を言われたのか一瞬理解できず、妹紅は眉をひそめる。慧音がちょっと傷ついたような顔をした。

「面白くなかったか。わたしなりに上手いこと言ったつもりだったんだが」
「いや……生きてる太郎って、語呂悪すぎだよ、慧音」
「そ、そうか。じゃあなにがいいかな。不死太郎……いや、これではあまり前向きな感じがしないな……ううむ、
もこ太郎、というのは……いやいや、可愛いだけで力強さがないな」

 ぶつぶつと呟きながら一生懸命考えている慧音を見て、妹紅は少し笑った。

(こんな風に、何事も一生懸命やってみよう、これからのわたしは)

 変に気取ったり、平気な振りをする必要はない。悲しいときは声を張り上げて泣き、楽しいときは人目も憚ら
ずに笑おう。あの小鬼が言ったとおりに。

 ――泣いたり笑ったりできるようにしてやる。

(ちぇっ、結局あいつの思い通りになっちまったわけだ)

 萃香の得意げな顔を思い浮かべて、妹紅は苦笑を漏らす。そう言えばあいつに壁を直してもらう約束をまだ果
たしてもらってなかったな、と思う。これからは客も増えそうだし、もう少し豪華な家に改築してもらおうか。
 そんな風に楽しく未来のことを考えていると、突然、どこかから霊弾が飛んできた。軽くステップして避けて、
そちらの方を見やる。すると、なんだか酷くみすぼらしい人物が、地獄の底から響いてくるような恐ろしい唸り声を
上げながら、こちらにゆっくりと近づいてくるところだった。

「もぉぉぉぉこぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉぉおぉっ!」
「ってなんだ、バ輝夜か」
「誰がバ輝夜よ!?」

 怒り心頭といった風に、輝夜が頭を振って怒鳴る。このお姫様、昨日身につけていた虎縞の胸当てと腰巻が今
にも破れそうで、体は土だらけ埃だらけの実に悲惨な有様である。

「あれ? そういえばあんた、今までどこにいたの?」
「どこにいたの? じゃないわよ! 車に結んでた縄が解けてわたしが置き去りにされてるのに、あなたたちと
きたら少しも気づかずにとっとと帰っちゃうんだから……!」
「あー、道理で静かだと思った」
「しかも縄はやたらと頑丈でなかなか切れないし、空も飛べないから歩いてくるしかないし」
「飛べないって、なんで?」
「え、だってそういうルールなんでしょ?」
「いや、もうとっくに終わったし、それ」
「なんですって!? え、だって永琳もイナバも報せにこないし……」
「あいつらは普通に宴会に混じって酒飲んでた気がするけど」
「あのババァァァァァァァッ!」

 輝夜が髪をかきむしる。ちなみにそのババァ、よく見るとずっと遠くの木の陰にいて、穏やかな微笑みを浮か
べながら自分の姫を見守っていた。まるで「ああ姫、すっかりお元気になられて」とでも言わんばかりの慈愛に
満ちた表情である。やっぱりあのババァ怖ぇな、と妹紅は背筋を震わせる。

「ええい、腹の虫が収まらない! 久々に殺してあげるわ、妹紅!」
「へぇ、あんたから持ちかけてくるなんて珍しいね」
「黙らっしゃい、いつものようにサンドバッグにしてやるわ」
「フン、言ってくれるね。まあいいや、やろうじゃないの」
「え」

 輝夜が意外そうに目を見開く。そう言えばこいつと殺し合いするのも久し振りだったな、と思いだして、妹紅
はふてぶてしく笑った。

「なに変な顔してんの。あんたとわたしは仇敵同士で、顔を合わせりゃ殺し合いする仲でしょうが。年取り過ぎ
てボケられたんでございますか、輝夜姫様?」

 嫌味を言ってやったが、輝夜はむしろどこか嬉しそうに「そうね、そうだったわね」と笑う。

「フフン、ならば幻想郷新お伽噺第二弾、『恐怖の殺戮輝夜姫』を今この場で演じさせてもらいましょうか」
「外の世界の民俗学者が聞いたら怒りそうだね、それ。まあいいや」

 苦笑しながら、妹紅は傍らの慧音の肩を叩いた。

「そういうわけでさ、慧音」
「もっこもこ太郎……いや呼びにくいか……それなら……ん、ああ、なんだ妹紅?」
「いや、ちょっと、輝夜と殺し合いしてくるから」
「な、なに!? お前そんな、ちょっと野菜を買ってくるみたいな……」
「なーに言ってんの。あいつとわたしは仇敵同士、今までもこれからもずーっと変わりないよ。たぶん一万年と
か経っても同じことやってるんじゃないかな」
「……そうか」

 慧音はどことなく嬉しそうに微笑んだ。

「それなら、わたしも安心だな」
「うん、いやまあ、安心するのもなんか違うけど」

 妹紅はなんとなく照れくさくなって、鼻の頭を掻いた。

「ま、そういうわけだから、ちょいとお姫様燃やしてくるよ。その後一緒に朝ご飯食べよ」
「ああ。待っているぞ」

 励ますような慧音の視線を背に、妹紅は輝夜とともに朝日輝く空に飛び上がる。いつになく、体が軽い。

(ああ、そうだ。永遠に生きよう)

 昇りつつある朝日に目を細めながら、妹紅はそっと、胸の片隅で呟く。
 不死人として終わりなく存在するのではなく、人間として永遠に生きよう、と。
 そう誓いながら、妹紅は輝夜に向かって最初の炎を放った。



 <了>
愛と勇気は言葉 信じられれば力

なんかそんな感じの話。書いててこの歌詞の意味がようやく分かったよママン。
相変わらずのオリジナル設定てんこもりですが読んでくださってありがとうございます。
書いてる内に今度は椛が好きになってきた。10人ぐらい弟と妹がいる設定でなんか書こう、いつか。

それにしても思ったよりずっと時間かかったなあ。俺はノロマな亀さんだ。

それではまた。次は多分龍神様が肥溜に落ちる話になると思います。

※ 報告された誤字を修正しました、ありがとうございます……っていうか今回誤字多すぎorz
  ちゃんと読み返したつもりだったんですが……他にもありましたらご報告お願いしますです。
aho
[email protected]
http://aho462.blog96.fc2.com/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.8760簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
便所ひでぇwwwwwww
やっぱりahoさんの書く文章はうまいなぁwww
6.100名前が無い程度の能力削除
もこたん可愛いよもこたん
12.100名前が無い程度の能力削除
椛は 本当に かわいい な

>次は多分龍神様が肥溜に落ちる話になると思います。
期待しています(ええー
15.90名前が無い程度の能力削除
妹紅良い子だなあ
20.100名前が無い程度の能力削除
妹紅に泣いた
23.100名前が無い程度の能力削除
待ってました!毎回楽しく読ませていただいてます。
こうして妹紅は1万年と二千年後も輝夜と仲良く殺しあうようになるのですね。

>龍神様が肥溜に落ちる話
いったいどんな話になるのか今から楽しみです。
24.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!!
最高です!
25.100謳魚削除
何処までも皆が優しい鬼退治ご馳走さまでした。
全く本筋に関係ないからこそ神奈子様がとてもとても「お母ちゃん」でよぅござんす。
龍神様の小話もとい御話をお待ちしておりまする。
>俺はノロマな亀さんだ。
そんな事言って玄爺と御茶を飲むつもりなんでしょう?
26.100名前が無い程度の能力削除
明日は月曜なのに、何だか人生が愉しくなって来たじゃないか!
良い意味で、このaho野郎!!!
29.100名前が無い程度の能力削除
やっぱり泣かされた。
理想のもこけーねでした。
31.100名前が無い程度の能力削除
もこ太郎、いい御伽噺でした。
もみもみ可愛いよもみもみ 椛の話も期待していますw
32.100名前が無い程度の能力削除
もこうはいいこ!!
34.無評価木冬削除
食べられる聖剣、鬼退治で気づけなかった。
椛乙www
36.90煉獄削除
まずは完結お疲れ様です。
妹紅の昔に起こった出来事とそれでも前に進むことにしたのが
良かったかと。
あとトイレ作って無いのに怒った妹紅は納得できます。
うん、トイレないのは辛いよね……。
ともあれ、楽しく読むことができました。
37.100名前が無い程度の能力削除
ぼっちは放っておけない紫様
妹紅の考え方、生き方の変化がいい感じでした
39.100名前が無い程度の能力削除
輝夜の役回りおいしいなw
実に面白かった。主役の妹紅はもちろん紫、萃香も息遣いまで感じられそうなほど
物語の中でいきいきとしていました。
次回作も楽しみにしてます!
41.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず素晴らしい話でした。
内容もさることながら、ところどころで「時には昔の話を」など、過去の作品につながる部分を見るたびににやけてしまいました。
もこ姉って呼んでた子が幸せになれてたらいいなあ……
42.90名前が無い程度の能力削除
面白かった。言葉をてらわずに素直にそう言い切りたい素敵な作品でした。
しかし、まさかえくすかりばぁの伏線がそう生かされるとは。
萃香と妹紅がとても好きになれる一編でした。輝夜は今回損な役回りでしたが、次回以降の活躍を楽しみにしています。
43.50名前が無い程度の能力削除
椛のランク急上昇中・・・
47.100名前が無い程度の能力削除
便所wwwかなり笑わせてもらいましたよw
そして巫女は絡み酒自重しろww

いや~それにしても鬼退治の口上はかっこよかった。読んでいてワクワクしましたw
鬼退治は弾幕勝負に並ぶ遊びになりそうですな~
53.100名乗ってもしょうがない削除
はわーお疲れ様でした。こうも心にしっかり残ってくれる作品ばかりで逆に気味が悪いわ(褒めてます
妹紅に対する好感度もさることながら、ババァ様にますます頭が上がらなくなります。

誤字脱字がところどころ見受けられました。
一例@最後の方輝夜:「ええい、腹の無視が収まらない!~」

>龍神様が肥溜に
す、すごく・・・気になりますwww
55.90名前が無い程度の能力削除
えくすかりばぁのまさかの伏線にやられたwww
>どうして他の設定は偽物なのにその部分だけ本物なんだ、と
まさにその通りwww
61.50名前が無い程度の能力削除
うーん、いまいち話に乗れなかった。
予定調和すぎたかな。
妹紅好きだからちょっと煩わしかったです。
次も応援してます。
64.100名前が無い程度の能力削除
妹紅も、西瓜も、もみもみも、誰も彼もahoさんの幻想郷には良い子しかいないんですか
けしからん最高だもっとやれ

そしてやっぱり紫が好きなのが解りやすすぎるahoさんなのであった……
65.100名前が無い程度の能力削除
えーと、この話は笑えば良いんですか?感動すれば良いんですか?
・・・両方ですね、わかりますw

しかしまさか、もこけーねで〆るとは思わなかった、やるなwww
68.60名前が無い程度の能力削除
おもしろかった
次は椛を持ち上げてください。かわいそうすぎます
69.100名前が無い程度の能力削除
ああもう、あいかわらずahoさんの書く幻想郷は素敵だな!そして紫への愛も駄々漏れだな!
こうして妹紅は、永遠に息をするだけではなく、しっかりと生きることを選んだわけですか。口で言うほど簡単なことではないんでしょうが、この幻想郷でならそれもできる、というか無理やりにでもさせてくるんだろうなと思えました。
それにしても、もっこもこ太郎て、おぜう様よりひどいネーミングセンスだなけーねw

とりあえず完結おつかれさまでした。また次回作を楽しみに・・・ってもう構想できてるんですか、すげえ。とにかく、楽しみにしています。

誤字報告
>「面白くなったか。わたしなりに上手いこと言ったつもりだったんだが」
「面白くなかったか。~」ですよね?
70.100偽皇帝削除
>――さらに極限状態においては食糧にもなる超優れ物の
ババァwwww
73.90名前が無い程度の能力削除
途中で慧音が妹紅のトラウマになった女の子かな?って思ったけどちがったか^^
妹紅を化け物呼ばわりして、罪の意識で自らも妖怪化したと勝手に自分で話をつくってました・・・・妄想乙ですねw 
とにかく楽しかったですよ
79.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいです!
> 便所‥
軍事作戦でも食事と排泄は重要ですから、まして年端も行かない子供たちには‥萃香えげつねぇぇぇ!(爆笑)

幻想郷のメンバーがいかにもそれぞれに相応しい様子で参加した楽しくも真剣な鬼退治ごっこ。
ahoさまの幻想郷をまた一つ補強する鬼退治の復活。
妹紅の解放。(妹紅スキーですので、ahoさまに心よりの感謝を)
紫さまは相変らず愛溢れるインチキを展開。
で、ラストはもこけーね。
(我らがレミリア様と姫君の潔いコスチュームにちょっと萌え‥)
最高の満漢全席、ごちそうさまでした。
83.100名前が無い程度の能力削除
まさかアレが伏線だったとは…ギャグも総じて面白いし、言う事なしですね
87.100名前が無い程度の能力削除
これぐらいのゆるい話が一番好きだなぁ
てか椛がんばれほんとがんばれ椛
90.100名前が無い程度の能力削除
えwwwwwwくwwwwwwすwwwwwwかwwwwwwりwwwwwwばwwwwwwぁwwwwww
俺、貴方の作品見てずっと思ってることがあるんです。
あんた病気だよ!大好き!
91.60名前が無い程度の能力削除
面白いんだけど、という感じでした。
スイカ周り以外は付け加えの添え物です、という感じが否めません。
椛とかてんことかどうもあざとい。可愛いんでしょうけども。
便所の話で現代と幻想郷を直結で繋げる手腕には感嘆しましたwww
ですよね、シモとエロは万国共通の(ry
次回も楽しみにしてます。
94.50名前が無い程度の能力削除
ちょいと長いでいろいろと次が読める感じ。まぁ、そーゆーお話ってのはわかってるつもりなんですが。

なんだかなぁ、全編通してキャラ達に(少しづつですが)違和感があるのとこう…ギャグが無理やりすぎるつーのかな?あからさまであんまし面白くなかったなぁ。
いいお話だし嫌いではないけど普通っつー評価って事でこの点数を。
99.無評価名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。aho氏の描く幻想郷がますます好きになりました。
100.100名前が無い程度の能力削除
おっと、点数入れ忘れ失礼。
105.100牧場主削除
やっぱり妹紅いいよ妹紅
妹紅と萃香という組み合わせが斬新でよかったです 私の好きなキャラNo.2とNo.3だし ちなみにNo.1は天子
どのキャラも立っていてとても満足できました 椛頑張りすぎw可愛すぎw
aho氏のコメディとシリアスの境界の絶妙さが好きです

>「便所」

貴様ァァァァァァァァァァァァァッ!
106.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず優しい世界ですね。
劇中のゆかりんのセリフは、一貫したahoさんのテーマですよね。

その幻想、プライスレス。
107.100名前が無い程度の能力削除
とりあえず椛にも、何か御褒美あげないとww

いいお話なのに、今一マジになれない…
そんな貴方が大好きですw
108.90名前が無い程度の能力削除
今までよりちょっと変化球でしたが楽しませていただきました。
椛に愛の手を!!


……後書きのキングゲイナーには突っ込むべきか否か……
109.100まるきゅー@読者削除
ババァ力……60000……70000……まだまだあがっていくぞ、バカな!
作中のババァ使用頻度がすごいことになってました。
やっぱり溢れでるババァ愛がこの作品をババァ臭で満たしているのだろうなぁと思います。

うまいと感じるのはギャグとシリアスの切り替えですね。実にスムーズで読んでいて違和感を覚えることもなく、すっと入り込める感じ。
軽快なテンポで話が進むので、読んでいてなによりおもしろいし、シリアスな場面ではいろいろと考えさせられるし、よい作品だと思います。
最も良いのは、やはり空気感なのだろうなぁ。
そんなバカみたいに単純な言葉で表すしかないのが悔しいほどですが、作者氏が作品の全部からにじみ出るように表現している『形』が優しいですね。
登場人物の全員が楽しんでいて、その輪の中に妹紅が入りこんでいくイメージ。作品を端的に表せばその一言で終わってしまうものですが、そういう形を提示するために100の言葉を尽くすのが小説の醍醐味です。
堪能しました。
112.100名前が無い程度の能力削除
相変わらずあんたの文章は最高だ!!
114.100名前が無い程度の能力削除
あなたの幻想郷の世界観が好きです。とても面白かったです。
115.100名前が無い程度の能力削除
「死なない」と「生きてる」ってこんなに違うんだなぁ…
117.100名前が無い程度の能力削除
作品の質の高さも驚異的だが、それ以上に筆の速さに驚愕
120.100発泡酒削除
俺の言いたいことは上の方々が仰って下さってる。
だが敢えて言おう! もこたん可愛いよもこたん! 執筆お疲れさまでした。
128.60名前が無い程度の能力削除
面白かったんですが、同じ話の中で同じノリが多く少しだれました。
でもええ妹紅でした。
132.100名前が無い程度の熊力削除
>「この鬼め」
  「鬼だよ」

それなんて斬鬼さn(ピチューン

もっとaho氏の『〝俺〟東方、〝俺〟幻想郷』が読みたいと思いました。
134.100名前が無い程度の能力削除
くそう。ダメだ…やっぱりツボだ、ツボなんだよ。

本当にいとおしいな、アンタの幻想郷が。こんな俺はキモイなw
136.100名前が無い程度の能力削除
いやー こういう竹を割ったような気持ちがスカッとする話は大好きですね!
愛と勇気とかくさい台詞も大好きです。
もこたんの大活劇楽しませてもらいました。
139.100名前が無い程度の能力削除
ahoさんの幻想郷観は親しみやすくていいですね。
141.100名前が無い程度の能力削除
イイハナシダッタナー
ahoさんの作品は相変わらず素晴らしい
142.100マイマイ削除
便所に泣いたwwwww
145.100名前が無い程度の能力削除
流石。素晴らしい。

最後の絶対包囲網的展開、全ては紫の掌の上なのさ!
149.100名前が無い程度の能力削除
良いなぁ
すごく幸せそうな幻想郷だ
154.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
161.100名前が無い程度の能力削除
便所の話で凄く怒りだす妹紅は何か秘密が隠されているのではないか?
162.100名前が無い程度の能力削除
aho 幻想郷は江戸っ子気質
163.100名前が無い程度の能力削除
全米が泣いた
164.無評価名前が無い程度の能力削除
輝夜の高笑い似合いすぎww
しかし、もこたんは漢女(おとめ)ですね。
169.100名前が無い程度の能力削除
いい話だあぁ
173.100名前が無い程度の能力削除
あちゃーーーーーーーーーーーーー
面白かったすよん
175.100名前が無い程度の能力削除
嘔吐、便所、豆、全く笑わせてくれます
乙です
176.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。長編のハズなのにスラスラ読める。
あと椛可愛いよ椛。
184.100名前が無い程度の能力削除
>(こんな風に、何事も一生懸命やってみよう、これからのわたしは)
ここと、妹紅と慧音の掛け合いが最高でした。いいよね、マザー。

しかし、あなたの書くババアは本当に輝いてるなあ……
186.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷っていいところだなぁ、と改めて思いました。
190.60名前が無い程度の能力削除
面白かったけど、姫様はいらなかったかなあ。
193.100名前が無い程度の能力削除
イイハナシダナー!!
194.100名前が無い程度の能力削除
なにもいうまい!
201.100名前が無い程度の能力削除
多少、くどい処も感じましたけれど、
妹紅が良く表現出来てるので減点にはおよばず。
ていうか、姫様と椛、哀れ過ぎ(笑)
今夜だけは妹紅倒してもいいよ、輝夜さん。
209.100名前が無い程度の能力削除
他の作品はほとんど読んでいたのになんとなくこれは今まで避けていましたが…
とてもよかったですし最後の永遠に生きよう。にはクるものがありました。
キンゲの歌詞は熱いだけじゃなく深いですよねー
220.100名前が無い程度の能力削除
MVPは椛だなこれw
そういや昔、桃太郎伝説のゲームでも愛と勇気が強調されてたよね。
懐かしい気分になったよ、ありがとう。

変な改行だけなんとかならんもんかなあ。
242.100名前が無い程度の能力削除
萃香テメエエエエエ!!
便所はひでえよw
鬼って気さくで良い奴だけどタチ悪いですねえ
そして、妹紅に泣いた