Coolier - 新生・東方創想話

瀟洒な洞窟大作戦 後日談 【完結】

2008/12/05 14:32:04
最終更新
サイズ
95.8KB
ページ数
1
閲覧数
972
評価数
14/80
POINT
4510
Rate
11.20
 このお話は地霊殿エクストラなどのネタバレを含んでいます。

 また、作品集61に収録されている「瀟洒な洞窟大作戦 体験版」、及び作品集62に収録されている「瀟洒な洞窟大作戦 本番」の続きとなっています。
 先に読んでおくことをお勧めします。

























 地底の騒動から数日が経った。いつもの巫女さんでもなく、いつもの魔法使いでもなく、なぜか珍しくメイドの活躍により地底の霊が沸くことはなくなった。ただ間欠泉の熱湯だけが騒動後も衰えることなく噴き出している。
 あいも変わらず雪の降る博麗神社もまた、いつもどおりの光景を取り戻していた。今日もいつもどおりのお客さんが庭で巨大な雪玉を積み上げていた。

「まだまだ作れそうだな。積みがいがあるぜ」

 首を三つも積んだ雪だるまを作っている魔理沙の体には包帯が巻かれたままだが、本人はあまり関係なく表を駆けずり回っている。

「サボテンの雪だるまかしら」
「なんでもいいわ。雪かきの手間が省けて楽ちんだもの」

 その様子を、魔理沙と同じく完全に包帯の取れない霊夢と、普通に元気な咲夜がこたつの中で温かいお茶を飲みながら見守っていた。のんびりしつつ、話の内容もまたのんびりである。ちなみに咲夜は休憩時間なのでお屋敷にいなくても大丈夫。サボりではない。

「最近は間欠泉のおかげで門番がよくサボりにいっちゃうから困るわ。いちいちおしおきしにいくのがこれまた寒いの」
「あんたのとこの門番はいてもいなくても同じだけどね」
「そういえばさあ」

 雪だるま作りに飽きた魔理沙がこたつにもぐりこんだ。さっそく備え付けのみかんの皮をむき始める。

「腹からあったまるもんが食いたい気分なんだが。私も食べたいなあ、地獄珍味盛り盛り鍋。ここで食おうぜ、ここで」
「勝手に決めるな……って言いたいけど、私も食いっぱぐれたのよね。もうお昼は近いから夜に作ってよ。地獄珍味盛り盛り鍋」
「そういえば貴方達は食べれなかったんだっけ。今日は時間もあるし、そこそこ材料も残ってるし……うん、いいわよ」

 なかなか会心の出来だったので食べさせてやるのも悪くない。そう思った咲夜だった。

「ついでにもうちょっと誰か呼ぼうぜ。この面子じゃにぎやかさに欠ける」
「神奈子たちなんてどうかしらね。あの時来てなかったでしょ、あいつら」
「そういえばあの連中もいなかったわねぇ……」
「じーっとね(期待のまなざし)」
「じーっとな(お願いのまなざし)」
「はいはい。元気な私が行けばいいんでしょう、もう」
「そうそう、鍋の材料とか何か頼むかもしれんから、あの便利グッズを置いてってくれよ。話のできるアレ」
「まあ昼の間くらいならいいかな」

 こうして咲夜は、残っている鍋の材料と、そして山に入る準備をするために紅魔館へ帰って行った。
 咲夜の姿が見えなくなった後、霊夢と魔理沙はほくそ笑んだ。

「これで地底の騒動の件を神奈子たちに聞くことができるわね。あいつら何を考えているのかしら。鴉に神様飲み込ませてパワーアップさせるなんて」
「でも寒い場所にはメイドが行ってくれるし、楽なもんだぜ。あのボケ鴉にやられたケガもまだ割と酷いし、やってられますかっての」

 けらけらと笑い合う二人だが、もちろんそんなよこしまな思惑など咲夜にはお見通しである。一番にぎやかな人間がにぎやかな者を呼ぶはずがないし、霊夢が名指しで誰かを呼ぶなんて珍しすぎるからだ。
 しかし、咲夜には二人への怒りなんてものは特になくて、頭の中は、お鍋の材料とか、お嬢様たちのおひるごはんとか、目の前でサボっている門番へのおしおきなんてことばかりを考えていた。










 Extra Stage 地獄のラブリービジター(守矢神社)



 山の上にそびえる守矢神社は麓の神社とは比べ物にならないほどに寒かったが、いつでも参拝客が訪れられるように参道はしっかりと雪かきされていた。参道の左右には巨大な御柱が立ち並び、見る者を圧倒させた。

「右手に見えますのが高さだいたい25メートルくらいのオンバシラでございます。えーと……とにかくでっかいです。柱に相合傘を刻まないようにしましょう。怒られます」
(じゃあこっちの鳥居にでも刻んでおくか?)
(普通に怒るわよ)

 しかし咲夜はといえば、象徴ともいえる御柱など目にも暮れず、神社のパンフレット片手に御柱の間を歩きながら暇つぶしに根も葉もない案内をしていた。ガイドとしては門番以上に役に立っていない。

「あ。オンバシラにお賽銭を打ち込まないでくださいって書いてあるわね。霊夢の神社なんて賽銭箱にも入らないのに。贅沢な注意書きね」
(お賽銭と言わず弾幕を撃ち込んでやろうかしら)
「ナイフはいいのかしら。ついつい刺さっちゃうこともあるし」
(どうなったらついつい刺さるんだよ)
「こら!神聖な御柱でなんたる無礼を考えるんだ人間め!」

 パンフレットから目を離して見上げると、三匹の妖精がこちらを見下ろしていた。一人は髪を左右に小さくまとめた昆虫のような羽を持ち、もう一人はぐるぐる巻きにツイストをかけた髪でカゲロウのような羽を持ち、最後の一人は黒いロングヘアで蝶のような羽を背中ではためかせていた。三人とも弓やらお札やらで武装をしている。

「ちょこっと社会見学に来たの」
「聞いてないわ」
「今言ったもの」
「怪しいわね。そんなこと言って、ほんとは何か企んでるんじゃないの?」
「じゃあ普通に参拝に来たってことでいいわ」
「ますます怪しくなったわね……」
「ちょっとサニー、こいつ紅魔館のとこの人間メイドじゃない。やめときましょうよ」
「なに言ってるのルナ。せっかく神様からいたずら抜きで困らせられる力をもらったんだから使わなきゃ損じゃないの」
「それにいざとなれば神様がやっつけてくれるもの。だいじょうぶよ」
(ああ、思い出した。どこかで見たことあると思ったら、三馬鹿妖精じゃないか)

 サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。三人はいつも一緒に行動して主に霊夢たちへのいたずらを繰り返している妖精である。

「誰が馬鹿だ……って、白黒!?」
(この見るからに馬鹿っぽそうなのは魔理沙の知り合い?)
(一応お前も会ってるんだが)
(忘れたわよ。妖精なんてほとんどどいつもこいつも一緒じゃないの)
「紅白まで!スター!」
「メイド以外に誰もいないわ。たぶん横で浮いてる球から喋ってるんだと思う」

 スターサファイアには気配を察知する能力がある。咲夜が一人で来ていることはスターには一目瞭然なのであった。

「あのー。私は神社の用があるんだけど、通っていいのよね?」

 三人はそれぞれ顔を見合わせると、サニーとスターにやりと笑い、ルナは少し気だるげな顔をした。咲夜は少しだけ嫌な予感がした。代表としてサニーが前に出る。

「あー、こほん。ただいま神はご不在であーる。また出直してくるがよい」
「と言われても、この寒い山の上まで遠路はるばる飛んできたのよね。お茶の一杯でも貰わないと割に合わないわ」
「また遠路はるばる飛んで帰りなよ。参拝してもご利益ないわよ」
「神様の利益なんて必要ありませんわ。宗教は間に合っていますから」
「なあに?紅白のところかしら?」

 咲夜は誇らしげに微笑みながら言った。

「悪魔信仰」
「!!」

 三人はまたもや顔を見合わせ、頷き合った。

「これはいい理由になるわね」

 スターの言葉に二人はまたもや頷いた。

「ほんとにやるの?」
「やらいでか!行くわよルナ、スター!」

 スターはほら貝を取り出して吹いた。辺り一帯にほら貝の重低音が鳴り響く。

「者ども、悪魔の使いが攻めてきたわよ!この神社を乗っ取りに!であえ、であえー!!」
「あら?あらら?」

 ただ夕食のお誘いに来ただけなのに、いつの間にか侵略者扱いされた咲夜は大いに戸惑った。
 普段は臆病な三人の妖精がここまで好戦的な態度を取るのはもちろん理由がある。通りすがりの神奈子に親衛隊らしきものの隊長にスカウトされ、妖精の編隊を指揮する権限をもらったためだった。三人ともこの権限を使いたくてたまらなかったのだ。三人の服には隊長の証として蛇と蛙をあしらったワッペンが縫い付けられていた。ちなみに早苗のお手製である。

「ええい邪教徒め、覚悟!」

 調子に乗ったサニーが矢を射る。咲夜は慌てることなくパンフレットを掲げた。矢はパンフレットを突き破り、額を貫かんと迫った。が。

「え?」
「……最近の妖精はずいぶんお盛んなこと」

 瞬時にパンフレットの時間を止めて矢ごと固定して受け止めることに成功していた。事情を察しても咲夜は相変わらず笑ったままだったが、三人の妖精を思い切り威圧していた。パンフレットを瞬時にナイフに変え、三匹の妖精に投げつけて御柱に張り付ける。取り落とした弓矢が音を立てて地面に転がった。

「やっぱりやめましょうよ~」
「大丈夫よルナ」
「隊長~」
「増援はもう来ているもの」

 増援の妖精たちが完全武装で咲夜へ立ちふさがる。張り付けられていた三妖精は、駆け付けた部下によって助け出されると、サニーは新たな槍で咲夜を威嚇した。

「すぐに包囲!東風谷様の御手を煩わせるまでもないわ。私たちで片付けるわよ!」

 サニーの言葉を聞き、咲夜は追撃を止めて見晴らしのよい御柱の上へと飛び乗った。前方に群がるは空間を埋め尽くすほどの妖精たち。立ち往生している間に、妖精たちは横からも、そして背後からも数を増していき、あっという間に取り囲まれてしまった。幻想郷中から集まった信者の妖精たちの数は二桁で済ませられるものではない。周囲にナイフを張り巡らし、牽制の目的でいつでも撃てるよう空間に固定した。
 突然洞窟に引きずり込まれた時とは違い、戦闘の用意はばっちりである。宴会用に手品道具も持ってきたし、服は完全に外行きの格好。今の咲夜に不足しているものなど何もなかった。

(うへー、神奈子たちもずいぶん信仰を集めたなあ)
(東風谷様だって。あいつもえらいもんになったわね。私も博麗様って呼ばれてみたいわ。あ、霊夢様のほうがいいかな)
(お前、昔誰かからそんな感じで呼ばれてなかったっけ?)
(とりあえず、ちょっと信仰が多すぎると思うから営業妨害しよっと)

 横で漂っていたオーブが光を放ち、四つに分かれて咲夜の周囲を飛び交った。一つ星のマークが埋め込まれていたオーブは完全に霊夢の持つ陰陽球へと姿を変えていた。陰陽球は回転しながら背後から忍び寄っていた妖精に向けて針状の霊気を撃ち込んだ。

「きゃんっ!?」
(おいおい、いいのか?)
(いいの。神奈子だってウチの神社を乗っ取ろうとしてたし、諏訪子の話じゃ自分の信仰を神奈子にぶんどられたみたいなこと言ってたし)
(ふーん、そんなもんか。じゃあ私もリハビリってことで便乗するかな)

 霊夢の操る陰陽球のうち、二つが変化を開始する。やがて模様はないが黄色と緑色をした透明なオーブが浮かんでいた。変化が終わると同時に、上空に向けてマジックミサイルが放たれる。ミサイルは上空から狙撃された魔法弾を消し飛ばした。咲夜たちが準備を整えている間に、妖精たちは配置を完了していた。

「包囲完了しました!」
「よーし突撃!あいつを落とした奴はルナのおごりよー!」

 沸きたつ妖精たち。対して焦るルナ。

「ちょっとスター!勝手に変なこと約束しないでよ!」
「これでルナもやる気が出るでしょ?ルナが集めたいらないガラクタあげちゃえば問題ないわよ」
「三人とこれだけ大勢の味方がいればあのメイドに十分一泡吹かせられるって。さ、行くわよ。また雪が降り始めないうちに終わらせましょ」

 サニーの言葉と共に妖精三人の姿がかき消えた。その様子を見ていた者は誰もいない。
 歓声とともに大量の弾幕を放ちつつ突撃を開始する妖精たちに対し、咲夜は真っ赤なマフラーをなびかせながら、展開していたナイフを周囲に放ちつつ御柱から駆け降りた。下りる途中で柱から横向きに跳躍し、空中に躍り出る。目の前から斬りかかってくる妖精の剣をナイフで弾き飛ばし、空中で足場にして蹴り落としながら放たれたナイフとともに敵陣を駆けていく。足場にならない妖精は霊夢と魔理沙が競うように撃ち落とし、咲夜の活路を開いていく。敵陣の中ほどまで移動したのち、咲夜は妖精の頭に足をひっかけて上に立ち、そのまま急降下した。

「ぐえぇっ!」

 妖精をクッションにして敵陣の真ん中に着地した咲夜は、近接ナイフを両手に構えた後、敵へ手招きをする。圧倒的な物量に対して余裕の咲夜に対しいきり立つ妖精たち。

「舐めやがって!妖精舐めんな!」
「お決まりでもセリフが頭悪すぎですわ」

 殺到する妖精たち。一度に襲いかかる数はゆうに十を超している。咲夜は敵の攻撃をかいくぐりつつ、主な攻撃は霊夢と魔理沙に任せ、二本のナイフを用いて的確にさばいていった。

(なんだか懐かしいな。幽々子の奴が春を集めてたのっていつだっけ?)

 魔理沙のオーブから星型の拡散弾が放たれる。巻き込まれた集団を吹き飛ばしつつ、上方から撃ちこまれたナイフの雨に向けてエネルギーの塊を放ち、破裂させて相殺した。すかさずレーザーを撃ちこんで上方の集団を消し去る。魔法を使う魔理沙にとって、マジックアイテムのようなこの通信機の扱いなど朝飯前である。

(そんなのもう覚えてないわよ。でもあの時もこんな感じだったわね。冬の雪山、妖精わんさか、マフラーメイド。これにレティとチルノがいたら完璧だわ)

 咲夜の周囲を回転しつつ針型の弾幕をばらまく霊夢の陰陽球は、攻撃と防御を同時に行いつつ妖精の数を確実に減らしていった。針だけでは徐々に囲まれてしまうものの、そのたびに追尾弾で一掃していく。魔理沙と違って本物の針もお札も使えない霊夢だが、紫や萃香の真似事で代用することにより戦闘を可能にしていた。さらに持ち前のセンスと勘が魔理沙にも劣らぬ活躍を見せていた。

「そういえば貴方達と何度かすれ違ったわね。確か、先に誰が異変を解決できるか競争してたっけ」

 迫る幾本もの刀に対し、咲夜は両手のナイフを投げ空間に固定して簡易的な盾にすると、続けざまに投擲ナイフを放って同様に空間に固定した。ナイフに阻まれて刀が弾かれる。バランスを崩している間に、後方で待機している妖精に向けて隙間を縫うようにしてナイフを投擲していく。再び刀が振り下ろされるが、咲夜はその度にナイフの位置を調節して受け止めていった。

(よっしゃ、じゃあ今回も賭けしようぜ。撃墜数な)
「何賭ける?」
(物は止めてね。お金もったいないから)
(プライド。ビリがトップの言うこと聞く)
「乗った」
(乗ったわ)

 陰陽球が咲夜の前方に設置される。二つの球を融合させると、大量の霊力をまとわせて撃ちだした。軌道上の妖精たちをなぎ倒し、道をつくっていく。咲夜は魔理沙のオーブを足下に引き寄せて足場にすると、魔力を上乗せして猛スピードで追いかけた。咲夜はナイフをばらまきつつ、魔理沙は星型弾幕をばらまきつつ、霊夢が倒しそこなった妖精たちを撃墜していく。
 順調に数を減らしていく三人だったが、参道の途中で集団が開けた。止まって見渡すと、前方には壁状に並んだ妖精たちが弓矢を構えていた。横に並ぶ御柱のかげからナイフとお札を持った妖精たちが現れ、瞬く間に包囲する。

「撃てー!」

 妖精の号礼とともに放たれる弾幕。咲夜が正面突破を試みようと前傾姿勢を取った瞬間、取り囲む弾幕が全て視界から消え去った。

「!?」

 弾が飛んでくる音さえせず、もはや完全に弾幕の存在がなくなったかのように周囲が一瞬静まり返った。自分を助けてくれる第三者の介入かとも思われたが、そんな親切な者はどこにも見当たらない。攻撃と判断した人間三人は素早くスペルを解き放った。

「時符『パーフェクトスクウェア』」
(魔符『ミルキーウェイ』)
(夢符『二重結界』)

 咲夜は前方小範囲に時間停止の空間を作り、霊夢は左右と上方をカバーするように結界を張り、魔理沙は後方の妖精を弾幕ごと吹き飛ばした。直後、姿を現した魔法弾やお札や矢が咲夜めがけて殺到したが、一発たりとも咲夜に届くことはなかった。小規模な安全地帯の中で束の間の休憩をとる。相変わらず後方はがら空きだが、魔理沙の弾幕が敵弾の侵入を防いでいた。

「相変わらず防御がないわね、魔理沙は」
(弾幕は攻撃するもんだろ?)
(間違っちゃいないけど、ちょっとは考えたら?)
「それにしても、今の攻撃には驚いたわ」
(そういやあの三馬鹿妖精はかくれんぼが得意なんだ。ツーテールのサニーミルクが光を屈折させる能力、ドリルヘアーのルナチャイルドが音を消す能力、で、黒髪のスターサファイアが動く物の気配を察知する能力を持ってる)

 この三人の能力が揃えば、自分たちの弾幕くらい簡単にかき消せてしまう。おまけにこちらから向こうの動きを捉えられないし、こちらの動きは筒抜けである。攻勢にまわしてこれほど厄介な相手はいない。咲夜は内心、まだ相手が妖精であることに感謝した。なぜなら妖精は頭が弱い。

「先に言いなさいよ」
(たった今思い出したんだよ。すまんかったな、海より深く反省してるぜ)
(魔理沙は海の深さを知っているのかしら?)
(うんにゃ、まったく知らん)
「はいはい、反省してないのは分かったから。とりあえず、あいつらはまだこの近くにいるみたいだからいぶりだすわよ。なるべく広範囲をよろしく。タイミングは私に合わせてね」
(ん)
(あいよ)

 咲夜と霊夢がそれぞれ防御を解くと、既に周囲は妖精たちに取り囲まれていた。周囲を巻きこむ恐れがあるためか、消える弾幕は展開されていなかった。前後左右から槍が突き出されるが、咲夜はこれらを避けて蹴り返しつつ上昇を繰り返した。周囲をまんべんなく見渡せる位置まで上昇してから、すかさず三人はスペルを放った。二人は厄介な三人の妖精をいぶりだすため、残る一人は一匹でも多くの敵を倒すために。

「幻符『インディスクリミネイト』」
(霊符『夢想封印・散』)
(恋符『ノンディクショナルレーザー』)

 陰陽球から巨大な光弾がいくつも弾き出された。光弾は妖精たちを巻き込みながら縦横無尽に駆けてゆく。光弾の隙間を縫いながら大量のナイフがばらまかれる。前後左右、まんべんなく降り注がれたナイフは、余すところなく妖精の編隊に降り注いだ。そして二つのオーブから紡がれたレーザーは地上にいる妖精たちを情け無用に薙ぎ払っていった。勿論、誰が一番被害をもたらしているかは言うまでもない。

「……ま、予想の範疇だわ」
(負けはごめんだからな)

 魔理沙は撃墜王になることで頭がいっぱいだった。

「きゃあ!?」「またやられたー!」

 周辺に悲鳴が飛び交う最中に、スペルによって巻き上がった雪煙があたりを覆っていった。咲夜は自分の周囲にナイフを展開しつつ雪煙の中へと降り立った。

「二人とも攻撃ストップ。従わなかったらしばくわよ、魔理沙」

 小さく吐き出された声には鋭さがこもっていた。好き勝手やっていた魔理沙も思わず閉口する。視界は5メートル先も見えなかったが、とある一点だけはぽっかりと穴が空いてるように澄み渡っていた。

「さてと」

 雪のない空間はあたふたと慌てふためいているかように揺れ動いていた。雪煙にさらされて隠密効果が無くなってしまった三妖精はがむしゃらに自前の槍を突き出して応戦した。音もなく伸びる見えないはずだが、雪煙のおかげでしっかりとした目視が可能になっていた。三人の槍は素早く反応した咲夜のナイフによって全て阻まれてしまう。ナイフに接触した槍を空間ごと固定すると、新たにナイフを取り出して自らの周囲に這わせるように回転させる。強烈な回転が加わったナイフは三妖精の槍の柄を軽々と切断していった。

『ひええ!やっぱり退散~!」
「ルナ、声が解けてる!一時後退よ、後退!」
「待ってよ、サニーも姿消さないと!」
「ちょっと待っててあげるから、早くお逃げなさいな」

 一目散に逃げていく三妖精を見送る咲夜。

(今のうちに叩いちゃえばいいのに。頭をつぶせば終わるわよ?)
「だって今私がドベだもの。今終わられたら困っちゃうわ」

 三人の同時攻撃があったとはいえ、敵はまだ半数近く残っていた。

(そいつは卑怯じゃないか、咲夜。いくら自分が負けたくないからってさあ)
「そろそろ霧が晴れるから、そしたら好きにすればいいじゃない。
 それともなあに、魔理沙。貴方、私や霊夢を突き放して馬鹿にする自信もないのね」

 不敵に笑う咲夜に対し、むぅ、と口をとがらせる魔理沙。こうも喧嘩を売られてしまっては霧雨魔理沙の名がすたる。

(フン。くだらん挑発にのってやって……もうちょっとだけ付き合ってやるとするか)
(単純な性格だこと)
(くくく、まだまだこっちにゃスペルカードが……あ)

 雪煙が晴れていく中、魔理沙はしまったといわんばかりに言葉を失った。魔理沙の異変に反応して出遅れてしまった咲夜は、前方に群がる妖精からの一斉砲火にさらされてしまう結果となった。後退して御柱の陰に飛び込むと、背後の御柱に大量の弾幕が撃ち込まれた。

「どうしたのよ」
(やば、カードのストック切れちまってたぜ。予備のカードどこにしまったかな……)

 まだ半分も残っている状況で二人にスペルカードを使われてしまったら、あっという間に逆転されてしまうのは確実だった。ここぞとばかりに咲夜と霊夢の目が輝く。

「早い者勝ちね」
(ほら動け咲夜!魔理沙に腹踊りさせられるわよ!)
(ちょっとタイムだ咲夜!)
「くだらん挑発に乗ってやったんでしょ。おなかくくりなさいな」

 魔理沙が補充のカードを探しているうちに霊夢はコントロールを乗っ取ると、オーブを陰陽球へと変化させた。淡く光を放ちながら霊力を溜めこんでいく。尋常ならない霊力が陰陽球から放たれはじめる。

「……それじゃ、この前お披露目できなかったスペルでも」

 霊夢の意図を読んだ咲夜は、頭の中で即座に戦略を組み上げてから、攻撃が手薄になったころで飛び出すと、同時にカードを取り出した。ナイフでけん制しつつ、スペルカードを発動させる。ポーチからマジック用のトランプカード一式を両手に1セットずつ取り出した。五十二枚プラスジョーカー二枚がセットになったトランプを空中に放り投げる。弧を描きながら展開されたトランプカードは、やがて大きな輪となって咲夜の周囲に固定された。高速回転を始めるカードの輪。

「曲技『サークルスプレッド』」

 宣言とともにカードの輪を投げつける。輪は地面を削り取りながら跳ね上がり、妖精たちの編隊へ飛び込んだ。軌道上の妖精を弾き飛ばしながら隊列を乱していく。逃げ惑う妖精たち。その隙に地表近くを突進し、上空に追加のトランプカードとナイフをばらまいていく。なおも降り注ぐ魔法弾の中を縦横無尽に駆けまわり回避しながら、隙を見てはナイフを投擲する咲夜の姿は、弾幕による激しい演奏に乗せたタンゴのようだった。

「近づかなければやられないよ!攻撃に集中しな!」

 ひときわ体格の大きい妖精が飛ばした檄によって落ち込んだ士気が再び高まる。カードの輪から距離をとりつつ、妖精たちは自分の攻撃を開始する。しかし、その妖精が下した判断は早計と言えるものだった。

「そんな単純な攻撃するわけないでしょ」

 咲夜が指を鳴らす。瞬間、編隊の中心で輪が弾け、周囲に散らばって妖精たちを吹き飛ばしていった。完全に不意をうたれ、まったく対応もできないままに撃墜されていく。

「く……そおおお!負けるもんかぁ!」

 再び檄が飛ばされるが、生まれた隙を咲夜がいつまでも放っておくわけがない。乱れた隊列の中を突き進みながら、すでに前のスペルの合間に仕込んでおいた仕掛けを発動させる。『サークルスプレッド』の最中も咲夜がナイフをばらまいていたのは、撃墜するためではなく、主に次のスペルを発動させるため。

「時雨『ダイビングシルバー』」

 スペルが発動されるも、咲夜からの攻撃が来る気配がない。不審に思った妖精が構わずに攻撃しようとした瞬間、隣の妖精が背後からナイフに貫かれて墜落していった。空気を切り裂く音が頭上から聞こえる。恐る恐る上を見上げる。空中に浮かぶ妖精たちよりもさらに頭上。無数のナイフが灰色の雲に隠れるように設置され、そして辺り一帯へ高速度で落下していった。高さに制限のある洞窟内では決して設置不可能な超高度からの重力加速を味方につけたナイフのスピードは普通に投げるものなど比較にならない。避ける間もなく貫かれていく妖精たち。

「動きまわりゃ死にはしない!」

 スピードは速いが、密度はそれほどではない咲夜のスペルに対し、妖精たちは小刻みな回避に専念することにより生存率を高めていた。
 しかし、それはあまりにも咲夜の思い描いたシナリオ展開。宴会芸用の『サークルスプレッド』、そして超広範囲スペル『ダイビングシルバー』。どちらも単純な相手の注意を向けるには十分だった。
 咲夜が微笑むと同時に陰陽球の輝きが最高潮に達する。ちょうど隊列の中心へと飛び出したところで霊夢のスペルは放たれた。

「あっ───」
(『夢想天生』)

 妖精の一人がその輝きに気付いた時にはなにもかもが遅く、展開された弾幕に直撃した彼女は悲鳴とともに彼方へと吹き飛ばされていった。圧縮された霊気が塊となり、余すところなく大量にばらまかれていく。完璧なタイミングでの完璧な位置での発動。熟練の者でさえ回避が困難であるこのスペルを、『ダイビングシルバー』に気を取られていた妖精たちが対処できるはずもなく、圧倒的な数を誇っていた妖精たちは瞬く間に霊力の渦に巻き込まれ、吹き飛ばされていく。威力が下がる陰陽球ごしにも関わらず、次々と敵をせん滅していく『夢想天生』を間近で見た咲夜は、その威力に改めて戦慄した。地上に降り立つ頃には相次ぐスペルの連発により再び周囲には雪の霧が立ち込め、咲夜の視界は完全にホワイトアウトしていた。

(やっぱりこれ疲れるわ)
「死屍累々、と。これで一気に霊夢がトップかしら」
(咲夜が半分弱、私が半分強くらいかな。前のを含めてざっと見たら、私がぎりぎり一位、咲夜が二位、魔理沙がダントツでドベ確定ね)
(げげ!じゃあ、あの三妖精一匹につき二十匹分でどうだ!?)
「……まあ、いいけど」
(ゲームの最後には逆転のチャンスくらいあげないとね。お約束お約束)
「うぐぐ……い、生き残っている者は全員散開!これ以上邪教徒の侵入を許すな!」
「あらま、しぶといわね」

 既に壊滅状態となってもなお立ち向かおうとする数人の妖精たち。咲夜は心の中で素直に称賛した。根性もあるし、メイドとしてスカウトしてみるのもいいかな、と思ったくらいに。
 一方の三妖精たちは、咲夜と霊夢の猛攻を御柱の陰から見守りながら作戦会議をしていた。サニーとルナの能力で自分たちの気配を消しながら、スターが咲夜の動向を監視する。先ほどのように雪煙が立ち昇ってしまってはすぐに位置がばれてしまう。雪が晴れるタイミングを見計らってこっそり近づいて攻撃し、その隙に生き残った妖精たちが一気にたたみかける作戦だ。すでに伝令の妖精には作戦を伝えてある。あとは雪煙が晴れるのを待つだけだった。

『やっぱりおっかないわね、あのメイド』
『でも、さっき私たちを逃がしたのは失敗だったわね。もう失敗なんてしないわよ』

 姿が見えず声も聞こえないことをいいことに暢気な会話をするサニーとルナに対し、スターは怪訝な表情で唸っていた。

『うーん……嫌な予感がするわ』
『どうしたのよスター』
『ほら、私たちの能力、白黒がばらしてたじゃない。でもメイドったら、ちょっと余裕たっぷりすぎないかしら。こっちはむこうの動きがまる分かりで、むこうはこっちの姿も音も見えないのよ?』
『よっぽどの暢気か馬鹿なのよ、きっと。さあ、そろそろ雪も晴れてきたこ……と……』

 軽快に笑い飛ばしていたサニーの顔が、ルナの背後を見た瞬間に凍りついた。隣にいたスターも同じく思いっきり驚いていた。身をひるがえして一目散に雪煙の中に逃げていく二人。事情の分からないルナは一人置いてけぼりにされてしまった。

『え、ちょっと二人とも!?』
「お馬鹿ルナ!さっさと逃げなさいよ!」

 サニーの叱咤でようやく事態を飲み込んだルナは、恐る恐る背後を見た。

「お友達思いね、あの二人は」

 咲夜が笑顔でたたずんでいた。驚きのあまり呼吸を忘れ、取りかえたばかりの槍を咲夜に打ち下ろした。
 咲夜は溜息とともに逆手に持っていたナイフを順手に戻した。半歩下がって攻撃をかわしつつ、ナイフの柄で槍を弾き飛ばし、相手の足をすくってバランスを崩し、相手の頭を支えながら地面に倒して押さえつける。押さえつけながらすぐさま身をひるがえしてルナの頭側に移動すると、左ひざでルナの右手を押さえ、ナイフを首筋に当てて左手で支えると、右足で体を踏みつけて押さえながら、残った右手に大量の投擲ナイフを掲げ、サニーとスター、そして残りの妖精へ威嚇した。

「あーもう、ルナはドジね」
「どうして気付かなかったのよ、スター」
「ちゃんと見張ってたわよ。あのメイド、あれから一歩も動いてなかったんだけど……サニーこそ、ちゃんと姿を隠してたの?」
「隠してたわよ。じゃあルナが声を消し忘れてたんだわ」
「私もちゃんとやってたわよ~。なんでもいいから助けてぇ~」

 じたばたともがくルナだが、氷のように冷たいナイフの刃が首筋にあてられると、黙る他はなかった。ちなみに妖精は何度でも復活するので人質とかあんまり関係ないのだが、妖精は頭が悪いのでまず気付かない。

(大人しく武器を捨てろ。そうすれば命だけは助けてやるぜ)
「邪教徒め……人間の風上にも置けん!」
(私たちすっかり悪役ねえ。まあ営業妨害してるんだから、向こうにとっちゃ悪なんでしょうけど)

 もちろん、魔理沙は全員を逃すつもりなどさらさらない。嘘は悪の美学である。

「貴方達も悪者っぽいしねえ」
(あんたに言われたくない)(お前に言われたくない)

 二人同時に即答され、咲夜はちょっぴりへこんだ。傷心の咲夜はルナのスカートの裾からボタンを一つ取ってポーチに戻した。

「あれ?私のスカートにそんなボタンついてなかったわよ?」
「私がつけたの。ついさっきね」

 そのボタンこそが咲夜のマジックの種。さきほど三妖精に接近した際、ナイフで槍を切り裂くパフォーマンスで妖精に恐怖を与えつつ、その隙に自分の袖のボタンを時間操作の能力を使ってルナチャイルドのスカートに張り付けたのだった。あとは自分の放つ魔力をたどれば自然と位置も割り出せる。スターの監視の目も時間を停止させればかいくぐることは簡単だった。

「どうするサニー?」
「どうするもこうするも、ルナが捕まった時点でこちらの負けよ」
「それじゃあ」
「ええ。いつもどおりに」
「「逃げろ!!」」

 サニーとスターは身をひるがえして一目散に退散を開始した。隊長が撤退を開始してしまい、つられて他の妖精たちも咲夜とルナを置いて次々と逃げていく。

「サニーとスターの薄情者ぉ!」

 ルナの叫びが空しく響くが、妖精たちの足が止まることはなかった。遠ざかる妖精たちへ霊夢と魔理沙が追い討ちをかけようと狙いを定めた瞬間、妖精たちの足が止まった。咲夜の視線の先には、肩を震わせる少女の姿。

「げげっ、東風谷様!?」
「サニーミルクさん?スターサファイアさん?この状況はどういうことですか?神聖な境内をこんなにめちゃくちゃにして。お客様が見えているようですけど」
「彼女はこの神社に攻めてきた邪教徒で……」
「仮に相手が邪教徒としても、友人を見捨てて逃げるのは感心しませんね」

 サニーとスターがなおも懸命に訴えかけるが、少女は聞く耳を持たずに手に持った御祓い棒をかざした。

「喧嘩両成敗!開海『海が割れる日』!」
「きゃああああ!?」

 突風が地面を這いながら妖精たちを吹き飛ばしていく。咲夜はルナの拘束を解いて抱えあげると、ついでに吹き飛ばされてきたサニーとスターを回収して、御柱の上に避難した。親衛隊は少女の一撃で全滅してしまった。

「ずいぶん過激なお仕置きねえ」
(妖怪の頭にナイフ突き刺すのは過激と言わんのか)
「滑稽とは言うわね」
(とりあえず魔理沙は負け決定。残ったこいつを倒しても私たちには追いつけないわよ)
(ちぇ。早まったなあ)
(さて、なにしてもらおっかな……)

 咲夜はルナを下ろした。先ほどまで敵対していた者の行動とは思えず、ルナはぽかんと咲夜を見上げていた。

「ほら、もう行っていいわよ。いい暇つぶしにはなったわ。そいつらは邪魔だから連れて帰ってね」
「う、うん」

 ルナはサニーとスターを抱えると、ふらふらと飛びながら神社を離れていった。一人無事だったルナは、もう二度と、誰とも真正面から戦わないと心から誓ったのだった。
 圧倒的な物量差を暇つぶしの一言で済ます人物に対し、妖精たちを吹き飛ばした少女は緊張しながら咲夜へと近づいた。咲夜は、腹いせになおもルナを吹き飛ばそうとする魔理沙のオーブをナイフの柄で小突いて阻止していた。

「貴方は……紅魔館のメイドさん!」
「十六夜咲夜よ。お久しぶりですわ山のほうの巫女。ええと……」
(餅屋ヤマメだ、ヤマメ)
(磯辺焼きが食べたくなってきたわね)
「そう、それそれ。ヤマメ……さん?つい最近聞いた名前なんだけど、ほんとにお久しぶりだったっけ?」
「東風谷早苗です!霊夢さんと魔理沙さんのお姿が見えませんが……とにかく、お三方とも参拝にしては暴れすぎですよ」
「そっちこそ、いくら宗教が違うからって、ちょっと乱暴じゃないのかしら?」
「この神社を乗っ取りに来たなら乱暴にもなるでしょうね」
「その設定は信じるのね」
「違うんですか?なら何の用ですか?生憎ですが、今日はまだ八坂様も守矢様も帰ってきてませんよ。参拝するなら別の日にお願いします」
(あんたに用はないからさっさとどいて頂戴。布教の邪魔よ)
(私たちはバ鴉の件で神奈子か諏訪子に用があるんだ)
「参拝じゃなくて、社会見学はだめなのかしら?」
「え、え?どれが本当ですか?」
「よるごはんのお誘いが本当の目的だったりして。返答はいかに?」
「とにかく怪しいのでお引き取り願います。詳しくはやっつけてからじっくり聞きますから。三人まとめてかかってらっしゃい!」
「あらあら。別に悪いこと何もしてないのにねえ」

 咲夜は再び地面に飛び降りてナイフを構えた。早苗もまた地面に降り立ち、臨戦態勢に入る。

(む!?)
(どうしたの魔理沙?)

 霊夢と魔理沙もまた戦闘態勢に入ろうかとするタイミングで、魔理沙が何かに気づいた。魔理沙の異変に咲夜も早苗も固まってしまう。

(大変だ咲夜。重大な問題が発生した)
「何よ」

 緊迫感を孕んだ魔理沙の声に、早苗は思わず生唾を飲み込んだ。

(三時になっちまった。おやつの時間だぜ)

 咲夜は時間を確認して、ああ、と小さく声を漏らし、早苗は呆れて頬をかいた。

「……何事かと思えば。ちょっと心配した私がバカでした」
(どうりで小腹がすくと思ったら)
「もうそんな時間なのね。念のためにパチュリー様のケーキを焼いておいてよかったわ」

 本当ならパチュリーのケーキの前にレミリアの紅茶の時間を心配するべきだが、今日はお昼寝の日なので問題はない。

(ということで私たちはおやつタイムだ。いち抜けた。霊夢、みかん以外の茶菓子を所望する)
(早苗が相手なら一人でも十分か。にぃ抜けた。お餅でも焼きましょ。魔理沙、倉庫から七輪取ってきて)
「自分たちだけあったかいところでおやつだなんて。私は寒い中でこんなにも頑張ってるのに」

 やがて陰陽球やオーブは一つに融合して元の一つのオーブになると、サイズを縮めてから咲夜の手に収まった。神社の空気はすっかり観戦ムードへと突入してしまったのだった。
 咲夜はすっかり戦意を失いかけていたが、逆に早苗は霊夢のさりげない一言でやる気をとりもどしていた。霊夢たちに惨敗してからというもの、毎日の修行を欠かしたことはない。このメイドをやっつけて、霊夢たちに修行の成果を見せ付けてやらなければ。早苗の心中は燃えに燃えていた。
 しかしやる気のない咲夜はオーブをポーチにしまいながら空気も読まずに提案した。

「三時だし、せめておやつ食べてからにしない?」
「暴れん坊な邪教徒さんに食べさせるお饅頭はありません」
「おまんじゅうがあるのね。秋に食べそこなった栗まんじゅうなんかないかしらね」
「普通のよもぎ饅頭です!」

 早苗があらためて右手の御祓い棒を咲夜に向けた瞬間、決闘の幕は切って落とされた。
 先手必勝。早苗はすかさず五芒星型の弾幕を放ち、咲夜をけん制しつつ後方へと退避した。自分の攻撃を確実に扱うことができ、かつ相手の攻撃の精度が極度に低下するぎりぎりの位置で早苗は再び身構え、再び攻撃を仕掛けた。一撃一撃が確実に致命傷になるナイフを扱う咲夜を近寄らせたくはなかった。
 咲夜は早苗の状況判断力に感心しつつ、弾幕をかき分け相殺し、少しずつ距離を詰めていった。しかし、徹底的に一定の距離を保たれてしまっては対処のしようがない。本人狙いでナイフを投げ放つも、届く前に生み出された風に吹き飛ばされてしまう。先制を許してしまった以上、不利な状況になってしまうのは当然の話。ならば自分の有利な状況に引きこむしかない。
 カードを取り出し、相手の実力を測るには最も効果的であるスペルを発動させた。

「『プライベートスクウェア』」

 時間が遅延され、眼前に展開されるすべての光景がスローモーションになる。およそ五秒の効果時間の中で、二秒間を状況把握と戦術形成に使い、残り三秒を攻撃展開に使用した。ナイフを自分の周囲に展開し、設置する。効果時間が終了する間際、早苗の左手にカードが握られていることを確認してから、咲夜はナイフとともに突進を開始した。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

 目にも止まらぬ手さばきと共に呪文を唱える早苗。投げられたナイフが周囲の弾幕をかき消しながら早苗へと迫る。咲夜もまた最短距離で詰め寄ってくる。しかし、早苗はこの動きを予見していた。そうなるように仕向けたのだから。右手の御祓い棒から弾幕を放ちつつ、左手でカードに力をこめ、スペルを発動させる。

「秘法『九字刺し』!」

 早苗が護身の秘術である九字を切ると、咲夜の周囲を九つの光球が取り囲み、瞬時に格子状に編まれた光の牢獄を形成した。動きを止める咲夜に向かって追撃を放つ早苗。前後左右を光に取り囲まれてしまった咲夜は、唯一の脱出口である真上へ向かって飛翔する。しかし、その動きは早苗の予見どおり。無防備になった咲夜に対し、確実に攻撃を当てるために接近しつつ弾幕を放った。
 九字による秘術で足止めをし、動きが止まったところへ攻撃を放ち、わざと作った脱出口で逃げた相手を確実に仕留める三段攻撃。修行に付き合ってくれた二神すら驚愕させ、彼女たち以外には未だ初見で破られていないスペルであり、早苗自身もかなりの信頼を寄せている。

「銀符───」
「え?」

 だが、二神と咲夜との決定的な差があったことに早苗は気づいていなかった。
 無防備であるはずの咲夜の右手には、新たなスペルカードが握られていた。余裕を含んだ微笑みが早苗の体温を下げる。

「『パーフェクトメイド』」

 攻撃が命中する瞬間、咲夜の姿がかき消えた。たち代わりに周囲をナイフが占拠し、早苗に向かって殺到する。

「くっ!」

 反射の域で御祓い棒をかざし、風でナイフを吹き飛ばす。数本が早苗の体を掠めたが、服や髪を切り裂く程度に終わった。敗北の危機を紙一重で乗り切った早苗は、大きく息を吐いた。

「ブラボー。うん、ブラボー」

 緊張を強いられ、肩で息をする早苗を咲夜が拍手で出迎えた。距離は完全に彼女の射程範囲内。最も命中しやすく、かつ即座に接近戦を持ちこめる位置取りである。

「思ったよりずっと強いわよ貴方。ここまで近づくのにカードを二枚も使うなんて思わなかった」
「女性を褒める時はブラヴァーが正しいのですよ」
「へぇ、そうなの。また一つ勉強になったわ」

 咲夜がひときわ強く手を叩いた瞬間、再び姿をかき消してナイフを展開する。

「!」

 背後にある気配を敏感に察知した早苗は、繰り出されたナイフの一撃を御祓い棒で受け止めた。その一撃は、刃の腹の部分で殴りつけているとはいえ、ダメージを与えるには十分な威力だった。こう着する間にも、振り向いた早苗の背中に向けてナイフが迫る。
 しかし、早苗も黙って拍手を受け入れていたばかりではない。瞬時に霊力を詰め込んだスペルカードを自分と咲夜の間に放り込む。早苗が念じた瞬間、カードが破裂して衝撃波を生み出し、早苗を上方へ押し運び、咲夜を下方へ吹き飛ばした。展開されていたナイフもまた衝撃波によって吹き飛ばされ、音を立てて落下していく。

「霊撃!?」
「奇跡『ミラクルフルーツ』」

 咲夜が空中で体勢を立て直している間に続けてスペルが唱えられる。いくつもの光弾を放り投げ、そして爆発させた。爆発で体勢を崩しつつ、御祓い棒を振るって風を生み出し、咲夜を薙ぎ払う。爆発と突風を避けながら後退を続ける咲夜に対し、再び早苗の有利な間合いになると、早苗は一定の距離を保ちながら咲夜へ接近し、続けて攻撃を繰り返す。
 激しい攻防の最中、咲夜は違和感を感じていた。宴会やパーティーの席で何度か顔をあわせているため、咲夜と早苗は初対面ではないものの、弾幕勝負は確かに初めてである。しかし早苗の動きは、咲夜の動き全てを考慮に入れた動きであるとしか思えないほどに正確な対処であった。
 再び勢いを取り戻した早苗に対抗すべくカードを取り出すが、宣言はしなかった。どのスペルを宣言してもこの距離では対処されてしまうような気がした。宣言だけでも相手に警戒を与えてしまうのもまた事実。
 すでに決め手となるジョーカーは用意してある。が、このままではジョーカーすら切れずに追い詰められてしまうかもしれない。迅速に、かつ相手の意表を突きつつ接近し、相手のスペルを切り崩す必要があった。
 濃密な弾幕にさえぎられて一歩も前に進むことができない。咲夜が活動できるスペースは徐々に狭まっていった。背中には巨大な御柱が壁となって迫っている。追い詰められればカードを使うしかなくなるが、その後の早苗に有利な状況を与えてしまいそうだった。
 だから咲夜は前だけを見た。相手のスペルの観察を続けながら回避を繰り返し、最も効果的な対策を考え続けた。

「……………」

 そして、弾幕が最も濃密になった瞬間、咲夜は全速前進を決意したのだった。弾幕の隙間から早苗が新たなカードを取り出し、準備をしていたのを確認してから、咲夜は己の首に巻かれたマフラーを外した。

「!?」

 咲夜のとった行動は、確かに早苗を驚かせていた。取り外したマフラーを敵の弾に巻きつけるような者を見たのは初めてだったから。
 マフラーに包まれた光弾は咲夜の後方に弾き飛ばされ、爆発し、早苗が浮かぶ空域まで押し上げていった。

「どうなってるの!?」
「咲夜のマジックですよ」

 時間操作を使えば爆発のタイミングを操るなど容易である。しかし、ただ時間操作をしただけでは相手に警戒を与えてしまうだけと考えた咲夜は、マフラーを使った演出により相手を動揺させることに成功したのだった。
 爆発さえなければ咲夜が動く場所は確保される。早苗本人からの攻撃を難なくかわし、まだ爆発していない周囲の光弾をいくつかを絡め取り、マフラーごと早苗の周囲に放り投げた。時間停止を解除し、そのまま爆発させて怯んだ隙に合わせてすかさずカードの宣言をする。

「きゃっ!?」
「幻世『ザ・ワールド』」

 咲夜と早苗の間に無数のナイフが現れ、そのまま早苗へ突き進んだ。

「これくらいなら!」
「どれくらいなら?」

 生まれたチャンスをむざむざを逃すような咲夜ではない。スペルを放ちつつ、前方へ時間を加速させたナイフを、そして上空から落下するナイフを同時に投げつけていた。
 瞬時に形勢逆転されてしまった早苗だったが、瞬時に後方を確認して上空のナイフを吹き飛ばすと、前方から迫っていた高速ナイフを避けながらさらに上昇し、迫ってきた『ザ・ワールド』のナイフを霊撃でいくつか吹き飛ばすと、即座にカードを持ちかえて更なるスペルを唱えた。

「神徳!」

 御祓い棒を天に掲げると、先から五色の光が飛び出した。

「『五穀豊穣ライスシャワー』!」

 そして一定の高度に到達すると小さな粒となって分散した。粒弾は『ザ・ワールド』のナイフを全て弾き飛ばし、咲夜めがけて降り注いでいく。その数、その密度は咲夜が放った『ダイビングシルバー』の比ではない。咲夜は下方へ加速し、最も分散する地上へと降り立った。
 直後、弾幕が文字どおりシャワーのように咲夜へと急襲した。粒弾が次々と地面へ着弾して雪煙を巻き上げる。咲夜の視界は徐々に白く覆われていき、やがて完全に見えなくなるほどに雪は舞い上がった。

「……いけるわ」

 さらに勝利を確実なものにするべく、早苗はさらに攻撃の手を増やしていった。逃げ場など与えるつもりはない。このスペルは広大な面積を攻撃するだけあって消費が激しい。本来ならば徐々に接近して弾幕の密度を濃くし、確実にしとめるべきなのだが、制御に意識を取られるため移動すらままならない。願わくばこの一枚で決着をつけたかった。
 咲夜との初めての弾幕勝負に対して早苗が有利な展開に事を運べたのは偶然ではない。
 幻想郷縁起。幻想郷の妖怪や有名な人物を網羅した書物である。
 有名な人間の一人として、もちろん咲夜の詳細も記してある。早苗は縁起を熟読することによって相手の攻撃を予測し、対策を施していたのだった。幻想郷縁起に記された者は数多い。その一人ひとりへの対策を講じ、実行するのは並大抵の努力ではかなわない。
 咲夜が現場の状況を直感で判断しながら臨機応変に戦う天才型としたら、早苗はあらかじめいくつかの状況を想定して万全の態勢で臨む秀才型。故に型にはまった場合、無類の強さを発揮することができる。
 早苗が短い時間の間、事前に準備ができたのはこのカードまで、そして霊撃をもう一枚のみ。これ以上の戦闘は早苗にとって不利なものでしかなかった。
 だが。

「幻葬───」

 咲夜にはあって、早苗には絶対的に足りないものがある。早苗はそれに気がついてなかった。
 早苗が咲夜の声を聞いた瞬間、地面から何かが吹き上がり、雪の柱を作り出した。舞い上がった雪は早苗の周囲を漂い、視界を濁らせた。

「くっ」

 下方へ向けていた攻撃を全方位に拡散させるも時は既に遅く。無情にも咲夜の攻撃は始まっていたのだった。霞む視界の中で煌めく紅の光。早苗は霊撃のカードを用意するも、頭の中では無駄であると分かっていた。『五穀豊穣ライスシャワー』の弾を軽々と弾き飛ばしながら飛び交うナイフは霊撃などで防ぎきれるものではない。

「『夜霧の幻影殺人鬼』」

 ついにスペルが宣言された。乱雑に飛び交っていたナイフ全てが早苗に向けられ、そして加速した。早苗はスペルを中断し、空中を大きく飛翔して襲いかかるナイフから逃げ回った。ナイフの速度は早苗をはるかに凌駕しており、一本たりとも振り切ることはできなかった。スペルを唱える暇もなく回避に専念するも、すでに咲夜は次のカードを取り出し、魔力を封入していた。スペルの時間差発動。それだけは何としても阻止したい。
 早苗の出した結論は、前進。おそらく相手はより確実にしとめるべく、広範囲に展開するスペルを準備しているはずと考えた早苗は、地面すれすれまで下降した後、咲夜に向けて全速力で接近した。対象を追尾してナイフが放たれているのだから、接近さえしてしまえば巻きこみを防ぐためにスペルを解かざるを得ないはず。

「レッスンその1」

 接近しつつ、御祓い棒を構えた瞬間に聞こえた咲夜の声に、早苗はどきりとした。その声は早苗の予想よりもはるかに近い位置から聞こえていたためだった。表情を変えずに接近を続ける咲夜に対し、早苗は上空から迫るナイフを薄皮一枚でかわしつつ、迎撃用の弾幕を張るしかなかった。
 しかし咄嗟の状況で攻撃できる量は少ない。咲夜は難なく攻撃をかわし、早苗へナイフを振り下ろした。早苗も負けじと重い一撃を受け止める。

「駆け引きを覚えましょう。貴方の戦い方はちょっとばか正直すぎるわ」
「いつの間にあんなスペルを仕込んだのですか」
「さっき時間を遅らせた時に、ささっと雪の中に埋めておいたの」
「あんな前から!?」
「駆け引きですわ」

 お互いに受け止め合った状態のまま、早苗が御祓い棒から弾幕を撃ちだした。しかし本格的に展開する直前に咲夜はナイフで御祓い棒を弾き飛ばし、深く身を沈めて足払いを放って転倒させた。転倒の直前に早苗は右手で体を支えつつ、袖に隠しておいたもう一本の御祓い棒を空中で取り出しながらバク転の要領で着地し、しゃがんだ状態のまま追撃した咲夜のナイフをかろうじて受け止めた。即座に霊撃を発動しようとする早苗だったが、発動する前に咲夜のナイフが霊力を込めたカードを貫いた。御柱に打ちつけられた霊撃のカードは灰になって雪に溶けた。

「レッスンその2。長所を伸ばすか短所を補う戦い方をしましょう。貴方の長所は一つひとつの攻撃がとてもよく練られていること。短所は……私から見たら短所だらけなのであえて言わないけど、とりあえず最後のスペル、この状況で使うべきじゃなかったわね」

 周囲にはなぎ倒された御柱の残骸が転がったまま。身を隠す場所などいくらでもある。
 咲夜の言葉に感心しつつも、早苗はまだ勝負をあきらめてはいなかった。接近戦では勝てなくても、もう一度距離を取ることができれば勝利のチャンスはまたやってくる。咲夜に気取られないよう、体内の霊気を地面についたままの右手に集中させる。

「レッスンその3……」
「はあ!」

 右手の霊気を爆発させ、自分の体を真上へ吹き飛ばした。空中で体勢を立て直し、御祓い棒を振りかざす。

「話は最後まで聞きましょう」
「!!」

 早苗の動きを読み切った咲夜は、すでに背後で身構えていた。御祓い棒を持つ手を抑えつつ、後ろからナイフを首筋に当てた。咲夜を吹き飛ばせば自分の喉がかき切られてしまう。もはや早苗の負けは確定していた。

「以上、レッスン終わり」
「今のがその3なんですか!?」

 野暮な突っ込みを無視ししつつ、咲夜は拘束を解くと、早苗を反転させて向かい合わせた。咲夜は優しく微笑みながら、早苗の両肩をがっちりと掴んだ。

「へ?」

 素っ頓狂な声を上げた直後、早苗は空中で存分に振り回された挙句、思いきり叩きつけられていた。

「ひぃやああ!?」

 投げる際、咲夜は一瞬の間だけ早苗の時間を加速させ、厚く雪の積もっている地面へ放っていた。受け身を取る暇さえ与えられなかった早苗は、膨大な量の雪を辺りにまき散らしながら全身真っ白になりつつ地面を転がっていき、やがて静止した。全身はぼろぼろになっていたが、かろうじて意識はあるようだった。威力は調節してあるので早苗に大きなけがはない。
 予想以上の激戦を制した咲夜は、ようやく大きく息を吐いた。
 咲夜にあって早苗にないもの。それは弾幕勝負における経験の差であった。

「ひい、ふう、みい、よお、と。相手は六枚も使おうとしてたし、まあ妥当かな。えーと、残りは……やだ、六枚しかないじゃない。この調子だとたぶん神様二人とも戦わなくちゃいけないかもしれないし……三枚三枚かな。もっと入れたと思ったんだけど」

 拾って繰り返し使えるナイフと違い、スペルカードの補充はきかない。

「そういえば霊夢たちはおやつを食べ終わったかしら」

 もう一度手伝ってもらおうと、再びオーブを起動する。

「もしもし霊夢?今から本殿に向かうけど、念のためにもうちょっと手伝ってくれない?」

 しかし霊夢の声はおろか、魔理沙の声すらも聞こえてこなかった。

「もしもーし。霊夢ー?魔理沙ー?故障かしらね」

 うんともすんとも言わないオーブを小突きつつ、耳を近付ける。その瞬間、オーブの輝きが一気に増した。

(わーーーーー!!!!!)
「!?!??!?!??!」

 雪崩でも起こしかねないほどの大音量で流れた叫び声が直撃し、慌てて咲夜は耳を離した。鼓膜が張りつめて痛い。オーブの向こうでは、霊夢でも魔理沙でもない第三の人物、それも聞き覚えのある声が愉快に笑い転げていた。

(あーっはっはっはっはっは!引っかかった引っかかった!滑稽ったらありゃしないわ!)
「フランドール様!?」

 思いもよらぬ登場人物に思いっきり混乱する咲夜。

(咲夜ったらなんだか面白そうなこと企んでるじゃない?だからこっそり抜け出してきちゃった。企みは阻止してあげるのが正義の味方の基本だよね)
「途中どなたかお会いになりませんでしたか?」
(美鈴には見つかったから七面鳥になってもらったけど、他の連中には会わなかったなあ。知ってる咲夜?正義の味方のビームは、どんなわるものでもこんがり焼いた七面鳥にしちゃうのよ?)
「……まあ、不幸中の幸いね」
(……咲夜)
「えーと、お疲れ様」
(あんたのとこの警備は、ほんっっっっっっとにザルね。危険物の管理くらいちゃんとしてよ)
(ちょっと霊夢、早く私のお餅を用意してよ。兎みたいに、二人で仲好く、ちゃーんとぺったんぺったんするのよ?じゃないと刻んで鍋に入れちゃうんだからね)
(……この貸しは高いわよ)
「か、考えておきますわ」

 本調子でない二人が、昼間とはいえフランドールに敵うはずがない。体に鞭打つ二人に心の中で敬意を表した。
 今度こっそりお賽銭でも入れておこう。ついでにデフレーションワールドで増やして入れてやろう。お財布にも心にも優しいし。

(途中までこっそり咲夜を追いかけてたんだけどすぐに見失っちゃったから、なんとなく神社に来てみたらこれはこれで大当たりだったわ。こんなおもちゃがあるなんて聞いてないよ)
「申し訳ありません。今度フランドール様用の物を調達してきますわ」
(いいよ別に。これもらうから)
「レミリア様の物なのに……どうしましょう」

 帰ったら二人の奪い合いが起きるのは確実。館が壊滅しないように祈るしかない。

(さあ咲夜。はやく神様をやっつけようよ。魔理沙から聞いたよ?このおもちゃってここからも攻撃できるんでしょ?わたしもどっかんばっかんしてみたいんだけどさあ)
「じゃあ今から本殿に向かうので、その時に神様にお願いしてみましょうか」
(はーい)
「神様、いるといいんですけど」
(いないの神様?)
「五分五分ですね。実は都合が悪かっただけなんてケースもありますから。お昼寝途中とか、お部屋が片付いていないときとか」

 割と咲夜も使う手だったりする。主にブン屋を追い払うのにそこそこ便利。
 手のひらに乗っていたオーブが浮かび、四つに分裂した。色とりどりのオーブから膨大な量の魔力が放出される。触れただけでもダメージを受けてしまいそうなほどに刺々しい力をオーブにまとわせながら、咲夜は参道をゆっくりと歩いていった。ちらほらと粉雪が舞い始めていた。

(ところで咲夜。神様ってどんな奴?)
「神様ですか。そうですねえ……一人は大きな魔理沙みたいで蛇っぽくて、もう一人が小さな美鈴みたいで蛙っぽい感じの方でした」
(なにそれ?ほんとに人間なの?)
「神様ですね」
(あーあ。雪合戦したいなあ。弾幕の中に雪詰めてさあ。いいよねえ人間は。こんなに寒くても元気に餅つきできるんだから)
「その雪合戦は普通に弾幕勝負ですね」
「あのー、ちょっとおたずねしたんですけど」

 前方からの声に咲夜は足を止めた。上を見上げると、いつの間にか空中から少女が見下ろしていた。少女は地面に降りて咲夜の元へ駆けよった。
 咲夜は突然現れた少女に驚きつつも警戒を怠らなかった。少女が妖怪だったこともあるが、何よりも、ごく自然体である状態であるにも関わらず、気配も感じさせずに必要以上の接近を許したことに対して、得体のしれない不気味さを感じていた。

「この辺で神様を見かけませんでしたか?」
「いえ、見かけてませんよ。私も今から神様に会いに行く途中でして。本殿の方には行かれましたか?」
「行ったけど、もぬけの空だったの。どこに行ったのかしら。せっかく遠路はるばる地底からやってきたのに」
(えー!神様いないの?)
「あらまあ。本当にいなかったなんて。困ったわねえ」
「でも、もっと会いたかった人間に出会えたから結果オーライだわ。お久しぶりね人間メイドさん」
「……フランドール様、知り合いですか?」
(おとといケーキを運んできた妖精メイドにそっくりだわ)
「初対面ですね。えーと、どこかでお会いしましたっけ?」
「貴方、地霊殿でお姉ちゃんやおくうを倒した人間でしょ。私は古明地こいし。古明地さとりは私の姉でございます。この前はお鍋ごちそうさまでした」
「ああ、そゆこと。おそまつさまでした。私は十六夜咲夜。こちらがフランドールお嬢様ですわ。ところで、私に何か御用ですか?」

 こいしはにっこり笑った。

「あのおくうやお姉ちゃんを倒した人間がどれだけ強いか試してみたかったの。この前お願いしようと思ったら、貴方の主の吸血鬼さんに止められたわ。そっちのほうが面白くなるからって。だからお鍋だけ食べて帰ったの」
「レミリア様が?そんなこと一言も言わなかったんですけど……」
(あいつはおばばだからすぐに忘れちゃったんだよ)
「思ってもみない日に出会えるなんて、なんだか運命を感じちゃうなあ。さあ、雪も降って寒くなってきたことだから、私と貴方で押しくらまんじゅうよ」
「押しくらって言うか撃ちくらですかね」

 咲夜もまた苦笑いで応答した。また今度と断れる状況でもない。なぜなら間違いなくフランドールが断らせないから。
 こいしは距離を取ると自らの力を解放する。力の量で言えばフランドールの足元にも及ばないが、咲夜や姉であるさとりを、そしてオーブによって制限された力しか出せないフランドールをはるかに凌ぐ強さを誇っていた。

「お姉ちゃんはとても怯えていたわ。貴方ほど心を読みたくない人間はいないって」
(どこの家でも姉は弱いなあ)
「でも私には関係ない。なぜなら私は心を読まないから。私は無意識で行動できるから。貴方がどれだけ怖くても、私に恐怖は伝わらないわよ。
 さあ、準備はできた?貴方はとっても家事が得意そうだから、私がペットにして、一生地下で飼ってあげる!」
(残念だけど、咲夜は私のペットなの。あんたはそこに転がってる巫女でもペットにしてなよ!)
「間違ってないけど人間扱いしてください」

 フランドールが戦闘態勢に入る。オーブが七色に点滅を始め、放出される魔力はさらにその量を増やしていく。舞い降りた雪が力の渦に巻き込まれ、煙となって蒸発した。
 こいしとフランドールの魔力に板挟みとなった咲夜は、内心ひやひやしていた。巻きこまれないように祈るしかない。

「ずっと貴方と戦いたくて、どのスペルを使うか考えてたらいっぱいになっちゃったの。けっこう待たせたんだから、全部受けてもらうよ」
(やったね。咲夜のライフでどれだけ遊べるかしら?それにしても、こっちは攻撃しかできないからゲームとしては面白みがないなあ。ハンデをあげないとね。あんたの攻撃が一発でも咲夜に直撃したら、私の負けでいいわ。それくらいないと面白みがないわ)
「一発でも直撃したらあの世行きですわ~」
(ライフいっこでも咲夜なら平気よ。世の中には腰の高さで転落死するかわいそうな冒険家だっているんだから)
「さっそくいくけど、早く終わらないでね。表象『夢枕にご先祖総立ち』~」

 先制のスペルを放ったのはこいし。いくつもの魔力の塊が咲夜へ向けて飛ばされる。続いてフランドールが同じ数ほどの真っ赤な光弾を放った。こいしの弾幕とフランドールの光弾がぶつかり、力負けしたこいしの弾が周囲に飛び散っていく。フランドールの光弾を危うげにかわしながら、こいしは光弾の爆発によって生まれた上昇気流に乗ってふわふわと浮かんで行った。
 追って咲夜が飛び出した。右手に投擲ナイフを、左手に『プライベートスクウェア』のカードをセットし、来るべき攻撃に備えた。本来ならフランドールの攻撃に合わせて先手を打つのが最善の策なのだが、咲夜には実行できなかった。表面上では暢気に振る舞っているが、内心ではこいしから感じられる得体のしれない恐怖に押しつぶされてしまいそうになっていた。フランドールと対峙した時とは違う別次元の恐怖。恐怖は咲夜の思考と行動を拘束していた。

「っと……!?」

 その弾が飛んできたのは単純に確率の問題だった。真正面から飛んできた流れ弾を避け、その行く末を一瞬でも見守ったのもまた確率の問題だった。そして、背後から迫ってくる大量の光線に気づくことができたのも、純粋に咲夜の運が強かっただけにすぎない。

「っ!」

 叫び声を上げる余裕もなく、許された最大限の時間をもって回避に専念した。光線が同時に両肩を掠めるも、皮一枚で命を繋いだ。

「あらら、避けられちゃった。だけど貴方のご先祖様はまだまだ元気よ」
(ちょっと咲夜、いきなりゲームオーバーになるところだったじゃないの。まだゲームは始まったばかりなのよ)
「……申し訳ありません」

 再び正面から大量の光線が迫る。咲夜の実力なら避けた上で反撃ができるほどに緩やかな攻撃である。事実、咲夜は最小限の動きでこれを避け、十二分に反撃をする時間があった。しかし咲夜は動けない。先ほどの攻撃が頭に焼き付いて離れない。
 無意識の攻撃。それは攻撃の意志のない攻撃。敵意も殺意も感じられない攻撃は、生物が持つ危機感や危険察知能力を麻痺させる。そんな攻撃が死角から来れば回避はおろか発見すら困難である。
 早くも咲夜から笑顔が失われていた。フランドールへの言葉遊びにつきあう余裕すらない。常に全方位を確認しつつ回避に専念し、ばらばらになった思考回路を必死に組み直していく。

(ああもう、いらいらするなあ)

 攻撃に専念できるフランドールは、優位な立場にありながらも攻めきれずにいた。力が出ない。自慢の魔力で攻撃しようにも、オーブのリミッターが邪魔して十分な力が出せない。さらに力を込めようにも、すでにオーブは限界を超えた量の魔力を扱っており、いつ破壊されてもおかしくない状態だった。スペルカードなど問題外である。

「もうちょっと追加でご先祖様ごあんなーい」

 切羽詰まった二人とはうって変わって能天気な死刑宣告が下された。全方位から光線が迫り、咲夜めがけて降り注いでいく。咲夜は確認できる範囲で見極めてから、『プライベートスクウェア』のカードを口に咥え、両手の武器を近接ナイフに変更して突進した。守ったら負ける。なんとしても自分のペースに引きずり込まなければ、冗談抜きで殺されてしまう。咲夜めがけて殺到する白い光線。しかし咲夜は紙一重ですり抜けることに成功していた。目と耳で分析し、計算と直感で安全地帯を割り出し、最速かつ最短距離で接近した。

「むむ」

 こいしが唸ると続けて攻撃が放たれた。今度は一発もかすりもせずに咲夜は避けきってみせた。
 無意識の弾幕と言えど、一度見切ってしまえば回避できないこともない。わずかながら咲夜に安心感が生まれた。

「表象───」
「!!」
「『弾幕パラノイア』」

 目の前を光線が通過した直後。咲夜の周囲は半透明のナイフに取り囲まれていた。無意識による行動と完璧なタイミングでの発動。完全にあわや串刺しというところで咲夜は立ち止まることに成功していた。眼球のわずか一ミリ手前で刃が向けられている。完全に刃の壁に閉じ込められた咲夜に向けてこいしの攻撃が容赦なく降り注いだ。咲夜の行動範囲は制限され、満足にナイフを投げるスペースさえない。わずかな行動ミスが命取りになる空間の中でも、元気なフランドールの攻撃だけがこいしへと向けられていた。

(もっと近づかないと当てられないよ)

 フランドールの攻撃は壁となったナイフを吹き飛ばすほどの威力を持っている。しかしナイフは何度吹き飛ばされても新たに生成され、咲夜の行く手を阻むのだった。剣山のようにびっしり張り巡らされてしまっては、時間を止めても遅くしても効果がない。
 フランドールの期待に応えられない代わりに、こいしの攻撃をフランドールの攻撃と空間に停止させたナイフでしのぎながら、僅かに開いた隙間に向けてナイフを投下していった。口に咥えたカードを一度ポーチに戻し、代わりに別のスペルカードを取り出した。
 同時にこいしもまたスペルカードを取りだしていた。両手を高々と上げ、そして振り下ろした。

「幻符『殺人ドール』」
「本能『イドの解放』」

 ナイフの壁をすり抜けて投下されたナイフが向きを変えてこいしへと殺到した。しかし、同時に放たれたこいしのスペルが『殺人ドール』のナイフを軽々と弾き飛ばし、一本たりともこいしに届くことはなかった。完全に咲夜の読み負けである。

「やばっ!」

 前には『イドの解放』の弾幕が迫り、周囲には『弾幕パラノイア』のナイフがまだ残っている。進退窮(きわ)まった咲夜は瞬時に自分の時間を停止させて自らの体を自由落下させた。展開されているナイフを巻き込みながら壁を突破し、ナイフを身にまといながら地面へと落下していく。効果時間が切れると共に、咲夜は回転して身にまとったナイフを振り払った。服や肌が切り裂かれたものの、直撃を免れることだけは成功していた。

 咲夜が読み間違えたのも無理はない。咲夜は虚を突いて相手のペースを崩し、生まれた隙に最大限の攻撃を叩きこむことを得意としている。しかしこいしは無意識状態で行動している。動きが読めなければ虚を突くことも不可能なのであった。

 ナイフの壁の外はハート模様で埋め尽くされていた。四方八方に弾幕が降り注ぎ、周囲に甚大な被害をもたらしていく。しかし、それは再び咲夜に接近が許されたというチャンスでもあった。

「フランドール様、力はそんなに強くありません。一点突破のチャンスですわ」
(……………)
「フランドール様?」

 咲夜が再度促そうとすると、オーブは一点に固まって貫通性の高い一撃を撃ちだした。ハート型の弾幕をかき消しながらこいしへと向かっていく。フランドールの作った道を追いかける咲夜。
 不気味なまでの沈黙。いったん戦闘になれば躁病のようにはしゃぎまわるフランドールだが、こいしと戦えば戦うほどに口数を減らしていく。攻撃の様子から見ても退屈している様子は感じられない。異変を心の片隅に追いやりながら、咲夜は追走した。

「わわっと」

 フランドールの攻撃を避けるこいし。慌てて攻撃を再開するも、咲夜とこいしの距離は確実に狭まっていた。
 十分な間合いに入った咲夜はようやく攻撃の一手を放つために弾幕を展開した。『イドの解放』の隙間を縫っての攻撃なので、放たれるナイフの数は目に見えて少ない。だが咲夜は不利な状況を自らの技術でカバーしていた。投げる機会がないならば、一投で多量に投げてしてしまえばいいのだから。

「メイド秘技『殺人ドール』」

 咲夜のナイフが分裂するかのように複雑な軌道を描き始めると同時に、振り下ろされたままだったこいしの両手が振り上げられた。咲夜には見えていなかった。こいしの手に収まった次なるスペルカードが。

「抑制『スーパーエゴ』」

 ナイフは互いに絡み合った軌道を見せ、こいしの退路を防ぎながら殺到していく。いくつものナイフを展開する咲夜に対し、こいしからの攻撃は目に見えて少なかった。少ないどころか、まるで動く気配を見せない。
 意味のないスペルカードなどこの世に存在しない。思考を巡らせて、咲夜は背を向けた。その予感は的中した。

「……はい?」

 咲夜の背後では、先ほどの『イドの解放』の弾幕が地面から浮かび上がり、こいしの元へと集まっていた。それも一斉に。確かに咲夜の予感は的中していた。しかし、数が予想よりも遥かに多かった。一見では避けるスペースも見当たらないほどに。

「『パーフェクトスクウェア』!」

 慌てて二枚目の『パーフェクトスクウェア』を発動してやり過ごす。大量の弾幕が時間が停止した空間に突き刺さり動きを止めた。弾幕は咲夜の周囲のみならず、ありとあらゆる場所から浮かび上がり、こいしの元へと集合していく。迫る『殺人ドール』。迫る『スーパーエゴ』。二重の弾幕をこいしは避けようともしない。慌てず騒がず、こいしは次のカードを手にした。

「反応『妖怪ポリグラフ』」

 赤黒い魔力の壁がこいしを包み込むように展開される。魔力のバリアは自分の弾幕もろとも咲夜の『殺人ドール』を全て弾き飛ばした。参道は既に両者が展開した弾幕により穴だらけとなっていた。
 次なる攻撃に構える咲夜に対し、こいしはバリアを展開したまま動こうとしなかった。何かを考える仕草を見せてから、もう三枚ほどスペルカードを取り出した。

「んー……疲れたから休憩。一度に何枚も使うと大変だわ。せっかくの機会なんだから、もっとゆっくり楽しまなくちゃね。ほらほら、貴方も休んで休んで。その間にこれから使うカードを決めておくから」
「はあ、どうも」
「それよりも気づいた?おくうがね、『弾幕は心(ハート)だ』、なんて言ってたから、私も真似してスペルを作ってみたの。貴方の弾幕ってあんな感じ?」
「ぜんぜん違います。まったく、所詮は鴉だったわね」

 何を考えているのか真意は掴めないが、地獄に仏だった。咲夜の手札は『プライベートスクウェア』一枚、そして空白のカードが二枚。悩んだ末に、まだ二枚とも取っておくことにした。

「これは私の攻撃に耐えたご褒美ということで。ほんとは三枚目でしとめるはずだったんだけど、うまくかわされちゃったわね」
「運と経験の賜物ですわ。貴方だってものすごく慣れてるみたいだけど」
「いつも退屈だから、面白そうな妖怪がいたら、腕試ししてみたり腕試しされたりしてるの。たいていは力を出し切る前に終わっちゃうのが玉にキズだけどね。」
「どうりでお姉さんより強いはずだわ」

 何よりも、無意識で行動するという能力が相手にとっては厄介極まりない。どこから攻撃が来るのか予測がつきにくいし、ひとたび姿を見失えばほとんど気配のない彼女を再び捉えるのは困難。常に周囲を警戒する必要のある弾幕勝負において、この性質は相手に多大な負荷をかける。
 それだけではない。咲夜は相手の動きを観察することが必要不可欠となる。何も考えておらず、かつ本能で動いてもいないこいしの動向を捉えられない咲夜にとって、彼女との相性は、あの地獄鴉よりも相性の悪い相手と言えた。
 こいしがあれこれとカードを選んでいる間に、咲夜は先ほどから様子のおかしいフランドールに声をかけた。戦闘中にこうも落ち着いたフランドールを見るのは初めてだった咲夜は、途端に心配でたまらなくなってしまった。

「フランドール様、いかがなされましたか?お気分がすぐれませんか?」
(……つまんなくない)
「は?」

 咲夜に質問しているわけでもなく。まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。つまらなくない。裏返せば面白いということ。しかしフランドールは呟きはとてもつまらなそうな響きだった。その答えの真相を確かめるべく、咲夜はさらに質問をした。

「あの、いったいどういうことでしょうか?」
(つまんなくないのよ、咲夜。あいつと戦うのは楽しいけど楽しくないの。つまらないけどつまらなくないの。どれが一番自分の気分に合ってるかずっと考えてたけど、つまらなくないって言葉が一番だったわ)
「はあ」
(はっきりしてるのは、あいつを見てるともの凄く腹が立つってことよ!分かる咲夜!?テーブルの上にケーキがあるのに手が届かないあのもどかしさ!あのときはテーブルごとケーキをぐしゃぐしゃにしちゃえば済んだけど、そうじゃないの!あいつと戦ってると、まるで何にもしゃべらない死体を踏みつけてるようだわ!楽しいけど楽しくない!)

 うーうーと唸りながら必死に訴えかけるが、咲夜にはよく理解できなかった。ただ、いつもと違う種類の不機嫌であることは確かに感じ取れた。フランドールも自分の感情の正体が分からないのだろう。こんな時に心が読めたら楽なのかな、と一瞬だけ思った咲夜だった。

(……壊しちゃだめだ)
「え?」

 突然の呟きに思わず自分の耳を疑ってしまう。しかし、すぐに聞き間違いではないと証明された。

(咲夜、私はあいつを壊したくない。壊れたら口もきけないもん)
「!!」
(手足はいらないから、頭だけ残ってればいいから、ここに連れてきて……ううん、ここに連れてこよう。私と咲夜でここに連れてくるの。もやもやが取れるように、私が思いっきり尋問してやるの。だから咲夜、私があいつを壊さないようにして。咲夜もあいつを壊さないように連れてきて)

 咲夜はあまりにも唐突な言葉に思わず声を失ってしまった。
 あのフランドールが。あのフランドール・スカーレットが。破壊の化身の悪魔が。初めて“遊び”以外の理由で戦おうとしているなんて、誰が予想できる?今の言葉を霊夢や魔理沙は聞いていただろうか。聞いていたならぜったいにびっくりしているはずだ。こんなときに、なぜ主人はいないのだろうか。なぜ紅魔館の者が誰か一人でも近くにいないのだろうか。今の言葉を幻想郷中に聞かせてやりたくてたまらない。最低でも、目の前でカード選びに夢中になっているあの妖怪には聞いてもらいたかったのだけど。

(咲夜、聞いてるの!?お返事!!)
「……はい。しっかりと聞いてますよ」
(何よ、変な咲夜。私が命令したらちゃんと『わん』って鳴くのがペットのお仕事でしょ)
「申し訳ありません」
(今日の貴方はそればっかりね。とんでもない駄目イドだわ)
「ええ、その通りでございます」

 わき上がる感情をこらえきれず、咲夜は顔を覆った。思いもよらない成長を目の前にして今にも笑いたくて泣きたくてたまらなかったが、未だに解けない疑問が感情の爆発を押しとどめていた。フランドールを心変わりさせる理由が見当たらない。こいしにはフランドールを動かす何かが潜んでいる。

「準備終わった~?そろそろ再開しちゃうよ~」

 咲夜は反応を見せない。原因究明のため、完全に思考の海に溺れていた。

「お返事無し。じゃあ勝手に始めるからね。いざゆけ『妖怪ポリグラフ』!」

 球体から膜状のオーラが伸びる。オーラは壁となって咲夜を囲むと、ゆっくりと回転を始めた。壁と壁の間に魔力が迸り、何もない空間が弾けていく。連続する爆発は導火線のように、しかしゆっくりと咲夜に向かっていた。しかも爆発したままなかなか収まる気配を見せない。試しに素早く飛んでみると、爆発は咲夜の動きに合わせてその位置を変えていく。だいたいの性質はつかめた咲夜だったが、今では回避パターンを作り出すことすら煩わしい。追い詰められる前に終らせてしまいたい。

「フランドール様。『レーヴァテイン』のスペルカードをご用意ください」
(でも、こんなおもちゃじゃあいつのバリアに弾かれちゃうよ)
「少しの間、咲夜の言うことをお聞き願えますか?」
(やれるの?)
「必ずや」
(うん、わかった)

 咲夜はオーブの一つをナイフで砕いた。砕けたオーブは粉々になり、魔力の塊となって咲夜の手に収まった。
 フランドールは瞬時に理解した。この魔力量なら自分のスペルを思い切り放っても問題ないと。自分本来のスペルが放てると。

(禁忌!)

 これ以上ないくらいに明るい声でフランドールは宣言した。

(『レーヴァテイン』!)

 咲夜の右手に破壊の杖が掲げられる。溢れだす力は防寒用の白い薄手の手袋を一瞬で灰にした。咲夜は両手で必死に制御しながら全速力で動いて爆発を回避しつつ接近すると、こいしのバリアめがけ、全体重を乗せて『レーヴァテイン』を振り下ろした。接触の瞬間、魔力と魔力がぶつかり合い、その余波で咲夜は地面へ吹き飛ばされたのだった。
 しかし、驚きの声を上げたのは咲夜でもフランドールでもない。

「ええっ!?」

 こいしが悲鳴を上げるのも無理はない。完全無敵の硬度を誇っていた魔力のオーラが一瞬で砕け散ったなら声を上げずにはいられない。十分な加速をつけたままの咲夜は、そのまま墜落するかのように地面に着地した。

「なんとまあ無理しちゃって」

 驚きを隠せないこいしは、着地した咲夜を追って地面に降りた。
 咲夜の両手はフランドールの魔力によって若干赤く腫れ上がっていた。まだナイフを握るには十分事足りるが、接近戦を仕掛けるにはやや厳しい状況だった。
 痛みが興奮を紛らわしていく。冷静な自分が感情を押し流していく。
 やがてほぼ完全に冷静さを取り戻した咲夜は、とある疑問点に到達した。俯いたまま、こいしにその疑問を投げかける。

「どうして心を読まないのですか?」
「ん?」
「さっき貴方が言ってました。貴方は心を読まないって」

 こいしは次のスペルを唱えようとして固まった。何を今さら、と言わんばかりにきょとんとしている。
 そしてこいしは答えた。
 それはおそらく、この戦いの中で最も鋭利なナイフとなって咲夜の心をえぐったのは間違いなかった。

「ああ、心を読まない理由?だって皆から嫌われちゃうからね。ほら、心の中って聞かせたくないことを平気で言えるから安心でしょ?そんな心を読めちゃうなんて嫌われるに決まってるじゃない。だから心の眼を閉じたの。
 私、ずーっと思ってるんだよね。どうしてお姉ちゃんも心の眼を閉じちゃわないんだろうって。そうすれば、私と同じように誰からも嫌われないのにね。不思議だわ」

 おそらく、こいしが自慢げにうっかり口を滑らせなければ、今後の展開は大きく変わっていたに違いない。咲夜、こいし、そしてフランドール。三人の運命が、この一言で大きく動いた。
 ようやく咲夜は全てを理解した。フランドールが心乱される理由。レミリアがこいしの存在を秘密にしていた理由。さとりが心の眼を閉じない理由。こいしが無意識の産物に至った理由。

「教えてあげましょうか?お姉さんが心の眼を閉じない理由」
「知ってるの?お姉ちゃんったら、貴方には教えたのね。それで、答えはいかがなものなのかしら?」
「……答えは───」

 ありったけのナイフを周囲にばらまき、その全てをこいしに向けた。空白のスペルカードに命を吹き込んでいく。

「私の心にあり、ですわ」
「!」
「読んでごらんなさいな。私は逃げも隠れもしませんよ」





 咲夜の表情を見て、こいしは少し戸惑った。迷いも恐れもない、一点の曇りもない挑戦的な笑顔。絶対の自信を含んだ深紅の瞳。上位の妖怪が放つ威圧感さえ感じられるようだった。

「幻術『マイナイフリカージョン』」

 ナイフが束となってこいしに襲いかかる。ナイフはタイムラグを発生させながら少しずつ動きを開始していた。こいしは飛翔して十分な高度を確保すると、あらかじめ用意していたスペルを発動させた。

「『弾幕のロールシャッハ』!」

 全方位に衝撃波が形となってばらまかれる。純粋な破壊の魔力は鋭利な刃物となって周囲を切り裂き、撃ち砕いた。咲夜のナイフもまた衝撃波によって吹き飛ばされ、砕かれていく。歴然とした力の差の中で、咲夜は顔色一つ変えることなく衝撃波の中に飛び込んだ。密集した衝撃波の渦に飛び込むなど、傍から見れば完全に自殺行為である。しかし咲夜は一向に速度を落とさなかった。やがて近づけるだけ近づくと、

「え!?」

 咲夜は姿を消したのだった。あらかじめさとりや空に咲夜の能力について聞かされていたこいしは、すぐに後ろを振り向いた。案の定、咲夜は時間を停止させてまわりこんでいた。
 こいしの攻撃をかいくぐってきたナイフをキャッチする咲夜。

「おかえり」

 再び移動しながらナイフを投擲していく。投擲しては消え、消えてはキャッチして投擲を繰り返す。時間を止めて一斉に取り囲むのではなく、緩急をつけながらリアルタイムに軌道を変更しつつナイフを投げていく。無意識で動けるこいしでも避けきるのは困難だった。やがてこいしの周囲は咲夜のナイフに取り囲まれていた。ひっきりなしにこいしへと飛び込むナイフは、やがて衝撃波をすり抜けてこいしの右手を掠めた。

「痛っ!よくも!」

 攻撃を受け、さらに衝撃波をばらまいていくこいし。しかし咲夜の動きは止まることを知らず、速度は加速を続けていた。もはや人間の限界を超えている。一本、また一本とこいしの体をナイフが掠めていく。

「むー。次にしたほうがいいかな」

 不利を悟ったこいしはスペルを解いて地面へ飛翔して咲夜の攻撃をかいくぐり、回避に専念した。やがて咲夜の攻撃が終わると、無数のナイフは地面にばらまかれ、そして咲夜は地面に降り立った。瞬間、崩れ落ちて地面に膝をつき、酸素を求めて激しい呼吸を繰り返した。

(ぐらんぐらんする~。咲夜ってば張り切りすぎ~)
「す、すみません。そう何枚もカードを使っていられませんから」

 すぐに息を整えると、ナイフを回収しつつこいしへと疾走を始めた。
 こいしは後退しながら急いで次のカードを切った。ここまで咲夜と戦って、初めてこいしは恐怖を感じていることを自覚した。
 先ほどまで攻め込まれていた咲夜とは、動きも攻撃も、なにもかもが別人としか思えない。人間の脆弱さは姉からよく聞かされている。それにも関わらず、自分の命すら省みない玉砕覚悟の特攻劇にしか見えなかった。
 理解できない。たしかに殺すつもりで戦っているけど。無理をする必要なんてどこにもないのに。負けそうになったら逃げればいいのに。それでもあの人間は命を削ってまで立ち向かってくる。

「復燃『恋の埋火』!」

 咲夜に向けて燃え盛る炎の矢が放たれる。次々と放たれる矢は空間を乱反射しつつ咲夜の行く手を遮った。

(咲夜、次使うよ!準備!)

 疾駆しつつオーブを砕き、余波を逃れるために咲夜は飛び上がった。砕いたオーブから膨大な魔力が溢れ、やがてフランドールの声とともに発散した。

(禁弾『カタディオプトリック』)

 四つの光弾がばらまかれ、こいしのスペルと同じように乱反射しながら敵へ向かっていった。数で勝るこいし。質で勝るフランドール。フランドールの光弾がこいしの矢をかき消し、光弾から逃れた無数のこいしの矢が咲夜へと向かう。
 炸裂する両者のスペル。もうもうと立ちこめる爆煙の中から、こいしは引き続き『恋の埋火』を放ちつつ後退し、咲夜はこいしの矢をかわしながら前進を繰り返した。咲夜にとって、跳弾の性質と似たこいしのスペルを早々と見切るのは不可能な話ではない。ただし、接近することに重点を置いているためか、直撃を免れるぎりぎりの位置で回避を続けていた。
 やがて咲夜はこいしに追いつき、上空を陣取った。ここぞとばかりにお互いにカードを切る。

「傷魂『ソウルスカルプチュア』!」
「深層『無意識の遺伝子』!」

 咲夜はこいしに向けて両手のナイフを閃かせ、空間ごと削り取っていく。こいしは全身に魔力の渦をまとわせて咲夜へと突進した。地面と御柱が粉塵をあげながら切り刻まれていく。だが、地形すらも変化させる咲夜のスペルをものともせず、こいしは徐々に咲夜へと前進を続けたのだった。やがて咲夜のナイフがこいしのスペルによって弾き飛ばされる。スペルを破られた咲夜は舌打ちとともに距離を開けた。
 咲夜が持つスペルの中でも最高の威力を持つ『ソウルスカルプチュア』だが、フランドールの『レーヴァテイン』によって握力が低下していたために本来の力を出せずにいた。またもや咲夜は賭けに負けたのだった。
 地面に転がる御柱を砕きつつ、降りしきる雪を溶かしつつ、堅牢な地面を粉砕しながら執拗に咲夜を追いかけるこいし。体力が低下した咲夜との距離を徐々に詰めていった。やがて咲夜は御柱の残骸の中に逃げ込んだ。

「まとめて吹き飛ばしてあげる!」

 御柱の残骸を砕きながら突進を続ける。もはや咲夜のスペルで止められるものではない。こいしが警戒するのはほぼフランドールのスペルのみとなっていた。フランドールのスペルを予知するのは簡単である。スペルの前に展開される膨大な魔力が、逆に発動の感知に役に立っていた。だからこいしは躊躇なく咲夜へと向かっていけたのである。
 だが、その判断は誤っていた。順調に追いつめていたこいしの前進が、とある御柱を前に止まることになる。

「!?」

 こいしの魔力をものともせず、その御柱は傷一つ負うことなく健在した。砕けない御柱に激突し、スペルを解いてしまうこいしへ二人の声が投げかけられる。

「貴方に時間は砕けない」
(私の力以外はね!)

 止まっていた御柱の時間を解除した瞬間、柱を砕きながらフランドールの弾幕がこいしへと降り注いだ。急いで後退して回避をするも、いくつかの攻撃をその小さな体に受けてしまう。

「んんっ!」

 やがてフランドールの攻撃が収まる。粉塵が周囲に舞い上がり、視界はきかない。煙の影の中から咲夜が上空に飛び上がるのを見て、こいしもまた後を追った。斜めに傾いた御柱の上に降り立つと、咲夜は無事に残った御柱の上で膝をついていた。追いこんでいたにも関わらず、相手の方がダメージも疲労もはるかに大きかった。
 だが。

「ぜ、全然くらってませんね……」
(ほんとに連れて帰れるの?咲夜がいないとお鍋食べれないんだけど)
「大丈夫です。ぎりぎりまでライフをつぎ込めばなんとかなります。賭けは、賭けた分だけ見返りも大きいのですよ」

 追い詰められれば追い詰められるほど、咲夜は嬉しそうに笑っていたのだった。
 その笑顔は、まったく理解のできないこいしをますます混乱させる。

「……んふふ」

 しかし、その混乱は、こいしにとって今までにないほどの面白さを感じさせた。

「ねえメイドさん」
「なんでしょうか」
「貴方はどうして戦ってるの?時間を止めて逃げてもいいのに。そこのお嬢さんの約束を破ったからといって、殺されるわけじゃないでしょ?」
(いや、殺す時もあるよ?)
「はあ。理由ですか。殺されるかもしれないのでそれもありますが───」
「……ありますが?」

 こいしは固唾を飲んで咲夜の答えを待った。

「───強いて言えば、お鍋のお誘いですかね。私が勝ったらお鍋作るの手伝ってくださいね」

 そう言って、咲夜はナイフを構えたのだった。
 残りのスペルカードは二枚。早く使いすぎたな、とこいしは密かに後悔したのだった。





 全身の倦怠感と戦いながら、咲夜は現在の状態を再確認した。
 投擲ナイフはまだまだ十分に残っている。近接ナイフはもういらないから廃棄した。スペルカードは『プライベートスクウェア』が一枚。そして支援のオーブが残り二個、つまりフランドールのスペルカード二枚分。ナイフを投げられないほどではないが、握力はほぼ無いに等しく、接近戦はもはや無いに等しい。そして残り体力は圧倒的にこいしに軍配が上がっている。もはや咲夜に勝機はないと言っても過言ではなかった。
 しかし、この絶望的な状況下でも、咲夜はまったく勝利を諦めていなかった。
 フランドールの言葉が生んだ喜びが咲夜の心を興奮させ、フランドールへの使命感が冷静な判断を咲夜に与え続ける。冷静と情熱が絡み合い、互いの利点を完全に引き出しあっている。精神状態は極めて良好だった。
 何よりも、咲夜自身はこいしに負けたくない想いでいっぱいだった。
 忌み嫌われた能力。閉ざされた心。
 こいしの生き様はかつての咲夜を思い起こさせていた。
 咲夜は伝えたかった。ちょっとした出会いで人生は簡単に変わってしまうものなのだ、と。もしここで自分が負けてしまえば、彼女は他人への興味を永久に失ってしまうかもしれない。だからこそ、この戦いは咲夜は命を賭けるに値すると考えていた。
 咲夜は、人生の中でもかつてないほどのベストコンディションであると実感していた。たとえ相手が神であろうとも。最強を誇る妖怪であろうとも。月をも覆い隠す異星の民であろうとも。無敵を誇る人間であろうとも。今なら百万匹の妖怪を相手にしても倒しきれる気さえするほどに彼女の心は昂っていた。もし今の彼女を倒せるとするなら、それはこの世でたった二人だけである。

「あとね、二枚になっちゃったの」

 風が吹く。雪の勢いが激しさを増す中で、こいしは帽子を押さえながら、次のスペルの準備に移った。全身から漆黒の霧のようなオーラがあふれ、徐々に空間を侵食していく。

「二枚ですか」

 こいしの言葉を聞いて、咲夜は頭の中でいくつもの作戦を組み立てた。ナイフが通るなら、たとえ一本しか残っていなくとも勝利できる。あとは自分の体力が持つまで動き続けるだけだ。

「私は残り一枚とフランドール様のスペルが二回です」
「私は貴方をやっつけられるかな?」
「私は貴方をやっつけますよ」
「うん。どきどきしてきちゃった」

 こいしが両手を広げると、漆黒の闇が広がった。景色が闇に塗りつぶされていく。やがて視界が完全にな黒に染まるころには、暑さも寒さも感じない、外界から完全に遮断された虚無の空間が広がっていた。こいしの体が闇の中に沈んでいく。やがて完全に身を沈めると、咲夜の周囲には何もなくなっていた。既に足場であった御柱すら消滅していた。

「『嫌われ者のフィロソフィ』」

 二人は周囲を見渡すも、姿はおろか気配すら感じ取れなかった。

(暗いのになんにも見えない。鳥目になったのかな)
「フランドール様は鳥目になりませんよ。夜の王様、吸血鬼なのですから」
(王様は変でしょ。夜のお姫様がいいわ)
「じゃあレミリア様は夜の女王様ですかね」
(あいつは女王ってがらじゃないなあ。もっとこう、はだかの王様みたいな……来たよ、咲夜!)

 闇の中から大量の光弾が飛び出して咲夜を取り囲む。攻撃ができないのならば回避に専念するしかない。
 咲夜は『プライベートスクウェア』を温存するために自らの体内時間を加速させた。弾幕が若干動きを緩める。自らの時間を加速させることにより、認識能力を高速化させ、擬似的に時間遅延状態を再現しているのだった。スペルを発動させるよりも遥かに少ない魔力で扱える代わりに、自分の時間を加速させているために体への負担は大きい。時間が加速すれば消費もまた加速する。
 気配のない弾幕に対抗するために咲夜が出した答えは、攻撃されてから認識し、避けることだった。『マイナイフリカージョン』を発動した時点から常に加速状態になっていた咲夜への負担は、既に心身ともに重い。

「は……ぁ……!」

 遠くで爆発音が聞こえる。見れば、展開された光弾が連鎖して爆発し、咲夜へと迫っていた。その姿は闇夜に咲く薔薇のよう。逃げようにも四方八方を弾幕に取り囲まれていては満足に動けない。
 もはや咲夜の集中力と体は限界を迎えようとしていた。心の枷が外れていても、肉体の枷を外しきるには至らない。
 必死に回避を続けるが、爆発は頻度を増やし、速度を上げて咲夜を追いかけていく。フランドールもまた周囲に弾幕を張って相殺をしていくも、残すところ二つとなったオーブでは満足に弾幕も張れない。とうとう爆発が咲夜を捉えた。左足が爆風にさらされる。

「く……ぅぁ……!!」
(私の咲夜から離れろ!)

 フランドールの弾幕により爆発が相殺される。その隙にさらに時間を加速させ、爆発を振り切った。左足はずたずたに切り裂かれ、血が止めどなく滴り落ちている。指が残っているだけ幸運だったが、激しい痛みが咲夜の脳へ叩きこまれた。

(……ごくり)
「あとで用意しますから、我慢してくださいね」

 血を見て興奮したフランドールをたしなめつつ、機を見て左足の傷口周りの時間を停止させた。しばらく出血はごまかせる。
 まだ足りない。心に恐怖はない。しかし体にはまだ恐怖がこびりついている。存在するはずなのに存在を感じ取れない恐怖はそうそう拭えるものではない。
 咲夜は考える。考えて考えて考え抜く。意識が続く限り、勝つことを、そして生き残ることを諦めない。たとえそれが蜘蛛の糸より細い道であったとしても。

「……恐怖」

 死への恐怖。いつ来るかもわからない破滅へのカウントダウン。それを無くすためには───。

「その上を行く、恐怖」

 それはとても自然な行為だった。

(咲夜?)
「私を見てはいけませんよ」

 この戦いに参加している者誰しもが、咲夜の正気を疑ったのは間違いなかった。咲夜自身でさえも狂気の沙汰としか考えていなかったが、微塵のためらいもなくその行為を実行した。

(あ……)

 フランドールは言葉を失うしかなかった。

 なぜなら、咲夜は自らの首筋にナイフをあてがうと、頸動脈をかき切ってしまったのだから。

 瞬く間にメイド服を真っ赤に染め上げていく。飛び散った鮮血がオーブに降りかかり、光に反射して周囲を赤く照らし出す。
 すぐさまスカートの端を切り裂き、首筋に巻いて簡単な止血をする。しかし時間操作による止血はしなかった。生暖かい血を首筋から垂れ流しながら、銀時計を開き、傷口と出血量を参考に生死を分かつ限界時間を割り出す。

(咲夜、それ、ええと───)
「構わずにそのまま攻撃を続けておいてください」

 時間の加速を解く。その瞬間、弾幕が通常の速度に戻り、強烈なスピードを伴って咲夜へと襲いかかった。しかし咲夜は少しの動揺もなく、瞬時に安全地帯を割り出すと、まったく無駄のない動きで飛び込んだ。
 不確かな死への恐怖があるならば、確かな恐怖を目の前に置いてかき消してしまえばいい。背水の陣。それが咲夜の結論だった。
 一撃でも直撃すれば確実に死が待っている。直撃はなくとも時間が刻々と咲夜の命を奪っていく。
 しかし、確実に迫る死が肉体の恐怖を解き放ち、咲夜が持つ本来以上の動きを与えていた。視界は澄み渡り、思考は今まで以上に働いている。一つ一つの攻撃が肌で感じられるほどに過敏になっていた。まるで細胞の一つ一つが、「生きたい」と叫んでいるかのようにさえ感じた。

「!」

 回避を続ける咲夜の背中が押される。柔らかいクッションのような感触。それはこの空間の境界であった。壁の向こうから現れる弾幕を避けつつ、咲夜は攻略の糸口を紡ぎだす。
 空間は無限ではない。そして確かに存在している。ならば。

「フランドール様!」
(ひゃ!?)

 びくりと体を震わせる音が咲夜にも聞こえていた。咲夜の血を見て完全に動転しているのが分かる。だが咲夜には、己の命を繋ぎとめるためにどうしてもフランドールが必要だった。

「『スターボウブレイク』のご用意を。今から空間を圧縮します。私がオーブを砕いたらすぐに周囲を攻撃してください。フランドール様の力で空間を破壊してもらいます」
(でも、壊せないかもしれないよ?)
「フランドール様のお力なら楽勝ですわ。咲夜を信じて下さい」

 咲夜の言っていることは正しい。しかし、フランドールはスペルどころではなかった。
 吸血鬼としての本能が咲夜を殺せと命令する。自分の攻撃で弱った咲夜を血だるまにして、それから山の神社に飛んで行けばごちそうにありつける。こんな美味しい話はない。油断しきっている咲夜にうっかり手を滑らせてしまえばもう止まる必要なんてない。実に簡単であっけない。
 もう一人のフランドールが殺すなと訴えかける。散らかしたお部屋を片付ける人がいなくなるから?美味しい紅茶が飲めなくなるから?真っ赤で綺麗なクランベリーのケーキが食べれなくなるから?遊び相手が減ってしまうから?どれも違う。よく分からないけど殺しちゃいけない。
 殺したい。
 殺しちゃいけない。
 理性と本能。フランドールはせめぎ合う二つの感情と板挟みになりながら、フランドールは自分と必死に戦っていた。

「大丈夫」

 そんな不安定な状態のフランドールへ、知ってか知らずか咲夜は優しく微笑みかけた。

「私もフランドール様を信じますから」
(!!)

 嘘偽りのない咲夜の言葉に、本能は影を潜めていった。もう怖いものなんて何もない。フランドールは全身全霊の魔力を込めたカードをセットした。

(禁弾!)

 フランドールの声と同時に咲夜は空間を圧縮した。周囲の弾幕は密度を増し、爆発は目と鼻の先にまで迫っている。咲夜はぎりぎりまで空間を圧縮し、引きつけてからオーブを破壊した。

(『スターボウブレイク』!)

 発動の直前に咲夜は自らの時間を停止させた。魔力が空間を支配する。許容量を超えた魔力はやがて空間の境界に亀裂を走らせ、そして破裂した。

「きゃあああ!!」

 爆発に吹き飛ばされる咲夜とこいし。空中に放り出されたこいしに対し、咲夜は数回ほど地面をバウンドしてから時間停止が解けた結果となった。無事に着地に成功できたのは単純に運の問題。遅すぎても爆発に巻きこまれるし、脱出後のタイミングを誤れば地面に叩きつけられて再起不能になっていたかもしれない。しかし咲夜は生き残ったのだった。

「信じらんない!貴方、正気なの!?」
「あんまり時間もないのでショートカットさせてもらいました」
「今のスペルで終わると思ってたのに!こーなったら意地でも実力で勝ってやる!自殺なんてさせないわよ!」

 すぐさまこいしは最後のスペルを解き放った。再び闇が空間を蹂躙していく。しかし、こいしの姿が闇に溶けることはなく、両手を広げてその存在感を存分にアピールしていたのだった。

「『サブタレイニアンローズ』!」

 放たれる最終弾幕。赤と青の衝撃波が周囲に飛び散り、御柱をことごとく破壊していく。衝撃波そのものが爆発を繰り返し、空中に薔薇を咲かせていく。衝撃波は瞬く間に二人の空間を制圧したのだった。それは純粋な力の解放。意識も無意識も破壊の力に変換したこいしのラストスペル。
 立ち上がろうとした咲夜だが、自分の血に足を滑らせてしまう。生暖かい血がメイド服を通して全身に広がっていく。一刻の猶予もない。倒れた姿勢のまま空中に飛び上がり、途切れそうな意識を繋ぎとめながら回避を繰り返した。既に手足の感覚は麻痺している。もはやナイフを握る力も残っていなかった。
 死の淵に立ちながらも、咲夜はまだ限界を見ていなかった。自分のカードもフランドールのカードも残っている。手足が十分に動かなくてもまだ勝機は十分にある。

「フランドール様。最後です。何か一発お願いします」
(うん)
「フランドール様のスペルを発動したら、しばらく私と話はできません。見ることもできません。よろしいですね?」
(うん)

 激しさを増していく弾幕。徐々に追い詰められていく咲夜。しかし咲夜に恐怖はない。

「どのスペルを使うか、フランドール様がお決めになってください」
(分かってる。信じてよ、咲夜。貴方は絶対に殺させない。あいつにも、私にも)
「……………」

 今のフランドールからはもはや完全に狂気が消え去っていた。おそらく一時的なものだろう。500年近く続いていた狂気が簡単に消えるはずもない。だからこそ、咲夜は恐怖の代わりに、とめどなく溢れる感動を感じていたのだった。感動は涙となって咲夜の頬を濡らした。

「……愚問ですわ」
(失礼なペットめ。帰ったらめいっぱいおしおきするよ)
「お手柔らかにお願いしますね」

 咲夜は微笑んだ。フランドールもまたけたけたと笑った。
 そして咲夜は飛翔した。とっておきの切り札を瀕死の身にまとわせながら。

(最後のスペル……)

 フランドールは既に最後のスペルを決めていた。『495年の波紋』。かつてフランドールが生きてきた495年間を詰め込んだラストスペル。

 でも、フランドールは名前が気に入らなかった。もう495年以上生きていることもあるけど、今の自分に合ってないような気がしたから。
 だから名前を変えることにした。前々から使ってみたかった言葉を組み込んでみた。まだ中身はほとんど変わらないままだけど、前よりずっと今の自分らしいと思った。

「行きます!」

 咲夜はオーブを操って御柱に叩きつけた。粉々になったオーブから紅色の魔力が迸る。尋常ならない魔力の大きさを察知した咲夜は反射的にオーブから全速力で退避した。

(命題『紅色の波紋』)

 魔力が爆ぜる。爆発は周囲の物体を粉々に打ち砕き、破壊の限りを尽くした。魔力が波となってこいしのスペルとぶつかりあう。衝撃波と爆発が重なりあい、互いを打ち消し合い、時には相乗して更なる爆発を生み出していく。
 こいしのスペルとフランドールのスペル。二つのスペルが重なり合う中で、咲夜は小さな安全地帯を必死に探り出し、回避を繰り返していた。一センチでも動きが狂えば死亡にも繋がりかねない状況下、最後の一手を放つために二人の攻撃を見切ることに集中していた。重なり合う爆発の中で、一秒にも満たない僅かな瞬間、咲夜には確かに見えていたのだった。今にも千切れそうな一本の蜘蛛の糸を。

「時符───」

 やがてフランドールのスペルの効果が薄くなり始めた。次第に勢いを盛り返していくこいしの『サブタレイニアンローズ』。繰り返される爆発の中、咲夜はただ敵だけをまっすぐ見据えていた。周囲を回転するカードになけなしの魔力が装填されていく。
 何もかもが最後の一撃。後ろを振り向く必要はない。
 紅色の目が爆発の向こうに潜むこいしの姿を捉えた瞬間、咲夜は爆発めがけて前方に飛び込んだ。そしてフランドールの魔力が途切れた瞬間、最後の一枚を発動する。

「『プライベートスクウェア』」

 世界が歪む。光さえも鈍重に動く世界の中で、ただ咲夜だけが一筋の光となって突き進んでいく。こぼれた血が空中で停滞しながら水泡のように浮かんだ。
 許された効果時間は三秒ほど。しかしほぼありったけの魔力を詰め込んだために、普段以上に時間は緩やかなものとなっていた。
 一秒までに咲夜は地面に転がりこんだ。目前には地面に突き刺さったまま取り残された投擲ナイフ。それを前進する勢いを殺さず、前転しながら口で咥えると、すぐに飛び上がった。
 二秒。爆発と爆発の隙間を縫い、僅かな無駄もなく全速力でこいしに接近する。
 三秒。効果が途切れる。瞬間、世界の全てが加速した。
 しかし、咲夜にはもう見えていた。一本に繋がった蜘蛛の糸が。

「……っ!」

 そして自らの時間を加速させる。再び遅延する世界。悲鳴を上げる体。意識が急速に闇に飲み込まれていく。全身の感覚が麻痺していく。
 咲夜の意識が潰れるか。こいしのスペルが破られるか。
 刹那の瞬間の中、世界が選んだ答えは。

 それは二つに切り裂かれたカード、そして喉元に突き付けられたまま静止するナイフが全てを物語っていた。





 灰になって消滅する二つのカード。こいしが振り向いたときには、自らの加速に耐えきれず空中高く吹き飛ばされる咲夜の姿があった。

「……着地を考えてなかったわ」

 きりもみ状に回転しながら地面へと落下していく。天地もあやふやな状態の中、最後の力を振り絞って減速すると、深く積もったままの雪原に転がりながらも着地に成功した。しかし力を使い果たしたのか、そのまま崩れ落ちてしまう。

「うう……眠い……」

 なんとか仰向けになると、すぐさま首筋に手をあてて、時間を操って出血を止めた。時計を確認する。予定したタイムリミットまで残り五秒を切っていた。

「な、なんとか間に合った……」

 息も絶え絶えになる中で、咲夜は一際大きく息を吐いた。そのまま深い眠りに落ちようとして、慌てて頭を振った。この寒空の下で眠ってしまっては全てが水の泡となってしまう。軋む全身を奮い立たせて上半身だけ起こした。

「うわ、びっくりした!」

 顔を上げると、こいしが咲夜を覗きこんでいた。気配が感じられないのでいきなり現れたように感じてしまう。ぼうっと眺めていたこいしは、急に笑顔になると、重症の咲夜に思い切り飛び込んだのだった。

「すっごーい!」
「ぐええ」

 瀟洒さの欠片もないうめき声をあげて再び雪の中に押し倒されたかと思うと、すぐに両肩を掴まれて引き起こされてがくがくと激しく揺さぶられてしまう。

「すごいすごいすごい!なに貴方、いろんな意味で人間じゃないでしょ?化けの皮を剥がしてもいい?」
「よくないよくない。頭のてっぺんから爪の先まで正真正銘人間ですわ」
「こんなに強い人間がいたなんて驚きだわ。これならおくうを倒したことも納得だわ~」
「おーい、そこのお二人さん」

 第三者の声を聞いて、咲夜とこいしが見上げる。

「終わったようだね。御苦労さん」
「あら。ようやく神様発見」

 声の主は神奈子だった。神社を荒らされたにも関わらず、特に怒っている様子はない。

「まあ、この人が神様なのね。いつぞやはおくうを強くしていただいてありがとうございます」
「ん?貴方、地霊殿の方ね。おかげで無事に核融合炉は動きそうだわ。ご協力ありがとうね」
「いえいえ、他のペットもじゃんじゃんパワーアップさせてくださいまし」

 空(うつほ)の急激なパワーアップを遂げた理由は、霊夢たちの予感通りに神奈子の仕業であった。核融合エネルギーによる河童の技術革新を目的としていた神奈子たちは、勝手に騒動を起こした犯人として、このあと霊夢たちにしぼられることになる。

「で、こっちは紅魔館のメイドさん、と。だいたいの事情は早苗から聞いてるけど、結局貴方達何の用だったの?」
「私は究極の力が気になったからとりあえずここまで来たの」
「私はゆうごはんのお鍋のお誘いとか、あと霊夢たちがなんか言ってたけど……とりあえずそんな感じですわ」
「それまた適当な理由で暴れてくれたわね。まあいいけど。私と諏訪子にかかればこんなのすぐに直っちゃうし。
 それよりも、そこのメイドさんはちょいと危険だね。すぐに本殿で治療して、それから念のために永遠亭に送りましょうかね。そのままじゃ料理もできないでしょ」
「ご迷惑おかけします」
「その代わり夕飯とお賽銭をしっかりよろしくね。
 おーい、早苗ー!諏訪子ー!今夜の夕食はメイドさんが鍋作ってくれるわよー!」
「それよりも早苗背負うの交代してよー!あんたのほうが体でかいでしょー!」
「ご、ご迷惑おかけします」

 神奈子の後方で諏訪子が自分よりも体格の大きい早苗を必死に背負っていた。背負うというよりはのしかかられているように見える。

「マスコットならもうちょい背が低い方がいいわねえ。ちょうどそこの吸血鬼さんみたいにね。あんたはもっと縮む必要があるわ、諏訪子」
「……吸血鬼?」
「そう、私こそが紅魔館のマスコット……って、言ってくれるじゃない山の神。ウチのマスコットは美鈴と決まっているのよ」
「なんでもいいから交代しろー!」

 神奈子と諏訪子がいつものように言い争い、早苗が仲裁する中で、咲夜は恐る恐る振り向いた。いつの間にか日傘をさしたレミリアが背後で笑っていた。

「レミリア……お嬢様!?」
「そう、私こそがレミリアお嬢様なのです。マスコットじゃないよ」
「今度は吸血鬼さん!」

 えっへんと胸を張るお嬢様の姿はどう見てもマスコットにしか見えなかった。

「人の下僕をずいぶんと痛めつけてくれたわね。やるじゃない貴方」
「でも負けちゃったわ」
「当然よ。咲夜は私の従者だもの。それよりも……面白かったでしょ?」
「うん、とっても面白かった。ぜんぶ貴方の言ったとおりだったわ」
「ふふふん。欲しくてもあげないわよ」

 レミリアはよっこらせ、と一声あげて身動きのできない咲夜を抱き上げた。

「お嬢様!?」
「じたばたするな。落とすよ」
「お着物が汚れてしまいますわ」
「何を今さら。血を吸うときと大差ないわよ、こんなもん」

 咲夜の首筋の血をぺろりと舐め取って、レミリアはにやりと笑ったのだった。
 体格差は早苗と諏訪子以上に激しいが、レミリアの力なら人間一人分くらいどうということはない。力なく抵抗していた咲夜だったが、体力の限界を迎えて大人しく体を預けた。

「ま、これからが大変だし。ゆっくり休んでなさい」
「と言うと?」
「誰かさんのせいで駄々をこねる餓鬼が一匹いるんでね。そいつを追いかけてたらこんなとこまで来ちゃったわけだけど……とにかく、面倒になる前になんとかしないと」
「……お嬢様。わざとフランドール様を館の外に出しましたね?」
「私が寝ている隙に勝手に出ただけよ」
「……そういうことに……しておきます」

 その言葉を皮切りに、咲夜の意識はぷっつりと途絶えてしまった。深い寝息をたてる咲夜の体を、レミリアは改めて抱え直し、まだ論争を続ける二神と人間一人の後を追った。
 一人残されたこいしは二人の後を追いながら、これからどうしようかと考えていた。これ以上ないくらいに楽しい時間をくれた人間たちにお礼がしたかった。そして、いっぱい話をしたかった。おくうやお燐との戦いのことを。咲夜自身のことを。その主であるレミリアやフランドールのことを。そしてお姉ちゃんのことを。閉じてしまった第三の眼の代わりに、尽きることないお話をしてもらいたかった。
 だからこいしは叫んだのだった。



「あの、ちょっといいですか?」










 Period 人恋し妖怪少女の夜明け



 守矢神社よりずっと地下にそびえる地霊殿。エントランス前の中庭では、地獄の大釜を思わせるほど大きな鍋の中に、たっぷりの食材が真っ赤なつゆの中で煮込まれていた。鍋に群がる地底の妖怪たち。その鍋の中身を鈴仙・優曇華院・イナバが汗を流しながら配っていた。鈴仙の他にも、ちらほらと地底の妖怪以外の者が混じっている。
 今宵は地霊殿と紅魔館が合同主催する交流会。参加者は永遠亭と守矢神社の面々。本来なら地上の妖怪が出入りしていい場所ではないが、地上に出ていた萃香と勇儀が偉いさんに一日だけ許可を取り、皆それなりにやりたい放題であった。

「それで結局、神社のフランは妹妖怪に対して不機嫌で、今のフランはあいつと仲良しこよしなのはどうしてなんだ?」

 魔理沙がふうふうとさじに息を吹きかけながら咲夜に聞いた。地霊殿の上空ではフランドールとこいしが元気よくスペルカードで戦っていた。花火のように飛び交う弾幕を見て妖怪たちがはしゃぎまわる。

「似た者同士はものすごく気が合わないか、ものすごく気が合うかのどちらかしかないわ」
「言われてみれば似てるような、似てないような……似てるの?」
「ものすごく」
「まあなんでもいいや。ゆっくりお鍋が食べられれば」

 霊夢は自分でついたお餅を伸ばしながら食べていた。お鍋とお餅の相性はばつぐんである。
 そんなマイペースな人間二人を横に、咲夜は一人空しくため息をついた。全身は包帯でぐるぐる巻きになっている。隣ではさらに分厚く包帯を巻いた美鈴が終始うなり続けていた。人間三人組からうるさいと突っ込まれ、やがて美鈴は動かなくなった。
 神奈子と諏訪子による治療のあと、すぐに永遠亭に担ぎ込まれた咲夜だったが、さすがに数時間で料理ができるほどに回復できる怪我でもなく。全身をろくに動かせないまま、結局お鍋を作ることは出来なかった。せいぜい味見に参加した程度である。

「明日からお仕事どうしよう……」
「そんな体でまだ働こうとしてるなんて。相変わらず仕事の虫ねえ」
「貴方は仕事しなさすぎです」
「してるわよ。優曇華の監視とか、満月ときどき殺し合いとか」

 霊夢の隣では、失礼な、と悪態をこぼしながら、蓬莱山輝夜が餅を伸ばして食べていた。ちなみに前回食いっぱぐれた輝夜は、今度の満月にこっそり妹紅に自慢してやろうと企んでいた。妹紅もまた食いっぱぐれた一人である。

「立場が変わったらお互い一日で死んじゃうわね、きっと」
「あ、永琳。おつかれ」

 八意永琳はフランドールとこいしの戦闘に巻き込まれた妖怪の処置を終え、咲夜と輝夜の間に座った。

「疲れもするわよ。二人も重症患者が来たと思えば、何十人分ものお鍋の炊き出しだもの」

 今回のお鍋はほとんど永琳の指導によるものである。材料を切ったり下ごしらえをしたり、火の調節をしたり、実際に作ったのはほとんど鈴仙を中心とした妖怪たちだったが。

「後でお鍋を作る気があったなら、もっと計画的に戦いなさいよ。ねえ」
「痛み止め打ってくれれば私がやったのに」
「黙らっしゃい。そんな理由で無茶させないの……って、貴方、お鍋食べないの?」

 顔にも包帯の巻かれた美鈴は仕方ないとして、食べるだけなら問題のない咲夜は永琳のお鍋をよそってもらってなかった。

「お鍋は苦手なの」
「どうして?」
「猫舌だからですって」
「言うなって言ったのに……」

 けらけら笑う輝夜の横で、永琳はふむと頷いた。

「貴方達も案外薄情ねえ。どれ、私が食べさせてあげましょう」
「え?いいわよ別に」

 咲夜は恥ずかしそうにうつむいた。

「ちゃんと冷ましてあげるわよ」
「そういうことじゃなくて……って、行っちゃった」
「今日の永琳はご機嫌ね」

 咲夜の都合などお構いなしだった。やがて永琳は、くたびれ儲けた鈴仙を引き連れて、両手に椀を持って戻ってくるのだった。





 地霊殿上空。フランドールとこいしの弾幕勝負が続いていた。力のフランドール。経験と能力のこいし。二人は一進一退の攻防を続けている。

「ひええ、強いわ~」
「あんたもやるじゃん。一枚でこてんぱんにするつもりだったのにさあ」
「じゃあラスト一枚、張り切っちゃうわよ」
「こっちもこれで終わらせて、あんたを鍋に叩きこんでやるわ」

 互いに魔力を展開する。膨大な力がぶつかり合い、周囲の空気がねじ曲がっていく。

『はいそこまで』

 しかし、重なった二つの声がフランドールとこいしの決闘を終わらせた。収縮する魔力。二人が振り向くと、フランドールの背後にはレミリアが、こいしの背後にはさとりが浮かんでいた。

「何よお姉さま。空気読んでよ」
「そう言うフランは下を見てみなさい」
「下には地面と瀕死体があります」
「もうちょっとだけ上」

 眼下では連なった家々が煙をあげて大破していた。

「ここの家は脆すぎるのよ。もっと頑丈にすればいいのに。鬼ってば家を造るのが下手ね」
「そろそろ会場にも被害が出そうだからね。さ、降りるわよ。そろそろおうどんが追加される時間だわ」
「兎鍋は嫌いじゃないなあ」

 フランドールは一度だけこいしに振り向いてから、レミリアの後を追って降下していった。連れ添う二人の姿は思いのほか仲よしに見えた。
 二人の会話を聞いていたこいしとさとりは顔を見合わせた。

「いいお友達ができたわね」
「お友達なのかな。よく分かんない」

 心を閉ざしてから姉とペットしか交流のなかったこいしにとって、友達がどんな存在であるかよく分からなかった。とりあえず、いいけんか相手にはなることだけは確かだった。
 二人は沈黙した。なんとなく何かを話さなければいけないと、お互いは考えていた。こいしは話すことが多すぎて何から話したらいいのか分からなかった。さとりは心の読めないこいしに何を話したらいいのか分からなかった。互いが互いの顔色をうかがい合う。

「ねえお姉ちゃん」

 やがて先に口を開いたのはこいしだった。

「お姉ちゃんって、料理のために命を賭けれる?」
「あのメイドのこと?」
「うん」
「状況によりけりだわ」
「どんな時?」
「そうねえ。例えば……」

 さとりは第三の眼によって既に咲夜の真意を知っていた。だが、そのまま伝えてしまってはいけない気がしていた。咲夜はこいしに自分の意思をほとんど何も伝えていない。つまり、それはこいしに自分で学んでほしいというメッセージであるとしか思えなかった。
 さとりは少しだけ考えてから、うんと頷いた。

「……もう二度と食べられない食材を見つけたときとか」
「なにそれ。お姉ちゃんってそんなに食い意地張ってたっけ?」
「それなりにあるわよ。心が読めると娯楽を探すのも苦労するの」
「不憫だねえ」

 こいしはけらけらと笑いながら、うどんが煮えて騒がしくなった地霊殿へと先に降りていった。

「……………」

 さとりは確かに感じていた。妹の変化を。
 いつものこいしなら自分への興味なんてまったく持たないだろう。しかし先ほどの会話は明らかに自分を意識した会話になっているではないか。
 さとりは咲夜を見た。咲夜は恥ずかしがりながら永琳の介抱を受けつつ、主二人と人間二人に思う存分からかわれていた。
 本来なら自分がするべきはずだったことを代わりにしてくれた人間に対して、さとりはもっと感謝をしたかった。命がけのおせっかいに対して恩を報いたかった。いつかきっと返してやろうと心に誓うのだった。

「お姉ちゃん、なんか言った?」
「え?別に何も言ってないわよ?」
「そう。今日のお姉ちゃんはいろいろ変だなあ」

 さとりは癖でこいしの心の声を聞こうとした。しかし相変わらずの無音のまま。おかしいと首をかしげつつも、さとりはこいしの横に並んだのだった。





「……ねえお姉ちゃん」
「うん?」

 ようやくこいしは姉が第三の眼を閉じない理由を聞こうとした。しかし、直前になってこいしは咲夜の言葉を思い出した。

『読んでごらんなさいな』

 あれから結局咲夜に答えを教えてもらっていない。咲夜に教えてもらえないなら、お姉ちゃんに教えてもらえるはずもないだろう。そう思ったこいしは、

「なんでもない」
「あ、こら。待ちなさいこいし!」

 とはぐらかし、さとりの制止も振り切ってスピードを上げた。たくさんお話をしてもらうために、他の人間や人間以外たちともいっぱいお話をするために、こいしは咲夜の胸へ飛び込んだのだった。

 こいしは気づいていなかった。ずっと閉じたままだった第三の瞼が、ほんの少しだけ柔らかくなっていたことに。

 こいに焦がれる妖怪少女がこころを開くのは、もうちょっと先のお話。
 そーいや地霊殿って支援霊撃だったっけ。まあいいや、スペカのほうが書いてて面白いもん。

 というわけで今回でホントの完結でした。おつかれさまでした。主に私が。
 本番後にプロットを一から考えてたら目標の作品集63に間に合いませんでした。なんてこったい。
 とりあえずエクストラ本編に三バカ妖精は出ません。完全にゲストです。ご注意。

 正直前回で燃え尽きた感があったのでテンションあげるのに苦労しましたが、なんとかなりました。

・今さら追記
誤字とかいろいろ直しました。報告くれた皆さん大真面目にありがとうございます。
鳥頭
[email protected]
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.3180簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
待ってました!

最後は妹様でしたか。順当ではありますがw
同じく、『妹』で『EXボス』同士こいしちゃんとは仲良くやって欲しいですね。

それにしても…
三月精は意外過ぎ
9.100名前が無い程度の能力削除
これは何と素敵なボーナストラック。
パートナー予想は外れましたが、成る程EXボスが彼女なら妹様が来るのは道理と云う物で。

己の身体を顧る事無く全力で立ち向かう姿に、人間の意地を。
妹様の変化に感情の昂ぶりを隠し切れず、それすら力とする咲夜に、従者の誇りを感じた次第です。

そして。
>(あいつは女王ってがらじゃないなあ。もっとこう、はだかの王様みたいな……
ホンマおぜう様のカリスマはマリアナ海溝より深くチョモランマより高いで……。
15.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんかっこよすぎ!最高!!
17.100名前が無い程度の能力削除
姉対決と来たらやっぱり妹対決ですよね。
フランの成長とこいしの変化がとても素晴らしかったです。
なんというか咲夜さんブラヴァー!!!
18.100煉獄削除
咲夜さんのバトルは地霊殿にはなかったから最後まで面白く読むことができました。
オプションで誰かが出てくるもの面白かったですしね。
フランとこいしは仲が宜しいようで、気が合うんですね。
前回、包帯まみれになって参加できなかったぶん霊夢と魔理沙は
パワフルに……と思いきや三時のおやつとかって……。

戦う咲夜さんが素敵。
でも、様々なことをこなす姿もとても素敵な咲夜さん。
今後も瀟洒に天然に仕事をしていって欲しいですね。

完結、お疲れ様でした。
面白かったですよ。
45.80名前が無い程度の能力削除
面白かった!
後半の咲夜とこいし、それからフランが、お互いの行動に照らされて心のあり方を変えていくさまが、弾幕勝負の緊張感とマッチして、引き込まれました。
49.100名前が無い程度の能力削除
罰ゲームはいもうとさまのらんにゅうでなかったことになってしまったのか?まあいいや、
前半の妖々夢の三人のボムっぷりがそうかいだった
59.80名前が無い程度の能力削除
会話が若干原作よりで面白かったです。
でも咲夜が主人公だった様な気がします。
最後はこいしの話になっていたのがちょっと気になりました。
60.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙のセリフの小ネタに笑ってしまいました。

咲夜さんは素敵です。
67.100名前が無い程度の能力削除
最高のエンディングだ。
妹対決、とても面白かったです。
72.90名前が芝い程度の能力削除
途中、真剣に生死をかけるのはスペルカードルールと合わない気もしましたが、
最後がとてもよかったので納得できました。
いい咲夜でした、お疲れさまです!
さすがに無茶しすぎていじられる咲夜がもっと詳しく見たかったといっておきます(笑)

以下、指摘です。
> 咲夜の周囲を回転しつつ針型の弾幕をばらまく霊夢の陰陽球は、
 陰陽玉、ですね。
> 目の前を光線が通貨した直後。
 通過で。

> 咲夜は相手の動きを観察が必要不可欠となる。
 上記は誤字とかではありませんが、ちょっと文章として意味がとおってないかな、と。
73.90名前が無い程度の能力削除
誤字報告です ノンディクショナルレーザー → ノンディレクショナルレーザー

自分も前は「ディクショナル」だと思っていました
「辞書には載らないレーザー」みたいなイメージでw
76.100名前が無い程度の能力削除
perfect
80.100名前が無い程度の能力削除
いまさらながらお疲れ様でした。
咲夜さんブラヴァー!!