Coolier - 新生・東方創想話

芥川龍之介の歯車<上>

2008/11/26 16:09:32
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 むかしむかしあるところに、おおきなおおきなくにがありました





◇◆◇◆◇

 一章





 夕刻の妖怪の山に、さわさわと秋の風が吹く。秋風は払い落とした紅葉を巻き込み、鮮やかな彩をその身に纏わせている。そんな秋の山で河童が一匹、歩いていた。とはいっても人間の伝承にあるような姿ではなく、水色のワンピースを着て、頭に奇妙な帽子(皿の代用だろうか)を乗せた少女の姿だった。名を、河城にとりという。

 にとりはこれといった当てもなく、ふらふらと妖怪の山を歩いていた。友人である白狼天狗の犬走椛に「たまには外の空気を吸え」と、家から引きずり出されたためである。機械弄りを趣味とする彼女は何日も己の家に閉じこもることが多く、言われてみれば確かに一週間近く外に出た記憶がにとりにはなかった。だがしかし、そう言っておいて椛はさっさと仕事である山の警備に戻ってしまっている。これはいささかひどいんじゃないかと、にとりは考えながら気の向くままにぶらぶらと歩みを進めていた。

 そんな調子でしばらく歩いていると、にとりはとある溜池にたどり着いた。緑色の藻が浮いていてあまり清潔には見えないという点以外は、別段何のへんてつもない、ただの溜池である。にとりにとってこの辺りは庭の様なものなので、この池にも来た事が無い訳ではなかったが、来るのは久方ぶりであった。

 直径十五メートルほどのこの池は、にとりの知る限り彼女が妖怪の山に住む前からある。そういう意味ではそこそこ古い歴史があるのだが、何かの妖怪が縄張りにしている訳でも無く、この池にはいつも寂しい空気が漂っていた。そんな場所にわざわざ足を運ぶ趣味はにとりはなかったので、この池にはあまり来る事がない。今日の様に、適当に足を動かしでもしない限り。

 さてその池であるが、今日も今日とて閑静さを湛えている。目的もなくぶらついていたのは確かだが、こんな何も無い所に出てもしょうがないので、にとりはくるりと身を翻して溜池に背を向けた。

 水底で何かが光ったのに気付いたのはその時である。

 視線を外すその瞬間、確かに金属的な何かの反射光がにとりの視界に入った。水面の反射した太陽ではない。水辺に住む妖怪であるにとりがそれと見間違えることなど皆無と言っていい。確かに今、水の底で何かが光った。

 別にそれだけならたいしたことではない。水底に何かがあって反射するくらい、普段なら気に留めることにすらなるまい。……ただ、今の光ったものはどうもおかしかった。明らかに光りすぎなのだ。前述したように、湖面には緑色の藻が浮いていて、水底などまるで見えない。その藻で濁った水面を突き抜けるほど強く光が反射し、ここまで届くものだろうか?

「……よし」

 誰にともなく頷いて、にとりは背負ったリュックを下ろす。そしてここ一週間かけて作っていたそれを取り出した。

 懐中電灯と呼ばれる、電気の力によって灯りを作り出す外の世界の道具。壊れていたのをその辺で拾った物だが、にとりの手に掛かれば直す事など造作も無い。それより水中で使うために耐水性を着けることの方に時間を費やしている。その実験も兼ねて、少しこの池に潜ることにした。

「――よっ」

 ざぶん。

 服もそのまま、リュックを再び背負って軽い掛け声と同時に池へと飛び込む。藻が少しうざったかったが、河童のにとりにとってはあまり気にする要素では無い。カチリと懐中電灯のスイッチを入れる。灯りが濁った水の中を照らし出した。きちんと作動することを確認して、にとりは勢いを付けて一気に底へと潜っていく。

 池は存外に深かった。ぱっとした感覚では、大人五人を縦に重ねてやっと水面に頭が出るかというところだろう。その所為か藻が漂っていたのは表層だけで、水中はそこまで視界が悪い訳でも無い(あくまで表層と比べて、だが)。池の底までたどり着き、水面を見上げてみれば、飛び込んだときにできた波紋に藻がゆらゆらと揺蕩っているのが見えた。

 さて、とにとりは軽く息を整え、その手の懐中電灯で池の底を照らし――驚くほど早く、その光ったものは見つかった。ぎらりと強く懐中電灯の光を反射する何かが泥の底から半分ほど顔を出している。にとりはそれに近づき、掘り出した。

 ――歯車、だった。にとりの掌より少し大きいそれは全く錆付いておらず、新品同様といっていい鉄の輝きを見せている。なるほどこりゃよく光を反射するわけだ、にとりはそう納得するが、新たな疑問が鎌首をもたげる。

 この歯車がどこからやってきたのか。先ほども言ったがこの池にはほとんど妖怪も寄り付かない。それなのに何故こんな工物が池の底に沈んでいるのか。自分以外の他の河童が捨てたのかもしれないが、わざわざこんなところに捨てに来る理由がない。それにまだ十分に使えそうな歯車を捨てるような愚挙を技師種族の河童がするなどと、にとりには考え付かない。じゃあなぜ? ――そう考えている最中に、にとりが視線を横に動かしたのは何の意図もない。ただなんとなく、という以外に言いようがなかった。

 濁った水の向こう、池の壁にぽっかりと大人一人ほどの大きさの黒い穴が口をあけているのに、にとりは気付いた。ぎょっとして見ると、その入り口あたりにも何か光る物がある。もしかして、とにとりはその穴の入り口にまで近づいてそれを手に取る。――今度は少し小さめの歯車だった。

 にとりはその穴を覗き込んだ。懐中電灯を照らしてみるが、それなりに深いらしく光は途中で途絶えてしまい奥まで照らしきれない。

 にとりはふと以前の冬にあった間欠泉騒動を思い出した。もしかしたらこの穴はあの時の影響か何かで出来たのかも知れない。いや、これくらいの深さがあるものが一度の地殻変動で作られるとは考えづらいから、もともとこの穴は昔から有り、土砂などで塞っていたのが崩れたのだろうとにとりは推断する。

 手に取った二つの歯車と穴を交互に見て、にとりは一つの結論に逢着した。――この奥に、これを落とした何かがいる。

 そうと分かると、技師として好奇心が俄に湧き上がるのをにとりは感じた。得体の知れない暗闇への恐怖などが消えていくのも感じる。自分は河童だ、三十分と少しくらいは楽に息が持つ。仮にこの水中洞穴が予想より深かったとしても溺れ死ぬようなことはあるまい。にとりは最終的にそうまとめて、その暗い洞穴にへと潜り込んだ。





◇◆◇◆◇





 そこにはかみさまがすんでいて、そこにすむひとびとたちをおさめていました





◇◆◇◆◇





 真っ暗闇の水中を懐中電灯の灯りだけがボワリと照らす。……ちょっと甘く計りすぎたかな、とにとりは舌打ちした。にとりの勘では、外れの池にあるような洞穴がそこまで深い訳が無く、せいぜい五分も進めば突き当たりに着いてこの歯車を落とした何かを確かめる事が出来るだろうと踏んでいたのだが、既に十五分近くこの洞穴を進んでいる。復路も同じだけの時間が掛かると考慮すれば、そろそろ引き返す事も考えねばならなかった。下手に進みすぎて、引き返す最中に溺れてしまうなど笑い話にすらならない。

 にとりの体内時計がチクタクと残り時間を減らしていく。その状況下、にとりは好奇心と命を天秤にかけてみた。まだ若干、好奇心側に傾く。……よし、後一分だけ進もう。それで何も無ければ戻れば良い。にとりはそう決めて再び水中を進み始め――そこから三十秒も進まぬ内に、どこまでも続いているのかと思えたその洞穴の終着点に、にとりはたどり着いた。

 袋小路では無い。突然、洞穴の幅が広がり、開けた場に出たのである。いや開けたというより洞穴を抜けたようであった。見上げれば懐中電灯に照らされた水面が見える。あー助かった、とにとりは水上へと浮き上がった。

 ぶは、と水から顔を上げて、久しぶりの空気を肺へと送り込む。数回ほど深呼吸をして息を整え、にとりは改めて周囲を見渡した。

 地底湖、という奴のようだった。地下の大空洞の中に水が溜まって出来たのだろう。天井やら壁やらに懐中電灯を向けてみれば、相当な広さを持っていることが分かる。なんかすごいとこに来ちゃったな、というのがにとりの第一の感想だった。

 そのあたりの岸から上がり、ぶるぶる頭を振って水を落とす(白狼天狗の椛によればこうやるのが水を落とす一番のやり方らしい)。そうしてから、じゃり、と恐らく百年単位で誰にも踏まれなかっただろう地底湖の土を踏んでみると、にとりの中になんとも言いようのない興奮が沸き立った。そのまま湖の淵に沿って歩いてみる。

 歩きながらもにとりは軽く考える。本来の目的である歯車を落とした何かを探そうと思っていたにとりだが、この広さでそれをするのは結構骨を折りそうである。さてどうしたものか――かつん、とつま先に何かが当たった。

 ん? と思い拾って見ればそれはボルト。それも大きく太い奴でにとりの親指くらいの大きさがあった。さらに懐中電灯を地面に向けてみれば、あの歯車と同じようにぎらぎら光るものがにとりの数歩先にある。それも拾ってみると、今度は六角形のナットであった。同じように今度は……そう点々と金属部品が転がっていた。

 どれもこれもがまだ十分に現役を張れるような部品である。なぜこんなに工物がたくさん……色々と推論をにとりは立ててみたがどうにも合点がいかない。何かが落としたのは間違いないだろうが、なぜこんなところに? 思考を頭でまとめながら、にとりはそれらを拾い(途中から手に持てなくなったためリュックに放り込みつつ)湖の淵に沿って歩いていった。

 丁度にとりが最初にあがったところから湖を半周しただろうか。十個目ほどになるだろうボルトを拾うと、かなり大きなものが懐中電灯の照らし出す範囲の端に転がっているのをにとりは見つけた。なんだありゃ、とにとりはそれに歩み寄ってみる。

 にとり数人分の大きさは軽くありそうなそれは、見かけは金属で出来た魚の骨を模しているようでもあった。支柱の大きな鉄骨から、五本の短めの鉄骨が垂直に取り付けられている。短めの鉄骨それぞれの間には薄い金板が付けられており、丁度それは蝙蝠の皮翼のようにも見えた。この大きな鉄塊も汚れてはいるがほとんど錆付いておらず(根元近くだけは錆が見られた)、ますますにとりの中で疑問が膨れ上がり――そこで心底驚愕した。

 なんとは無しに軽く視線を上げたときだ。この魚の骨のような鉄骨と同じものが右側にだけ取り付けられた鉄の塊が、壁のあたりに転がっている。鉄の塊は胴体部分のようで、視線を上に持っていくと首らしき長い部分が懐中電灯によって明るみに出る。そうしてその首に沿って更に視線を上げていくと――鉄で出来たトカゲのような顔があった。

 端的に言えば、『鉄の竜』がにとりを見下ろしていた。

「――うわ、すっご!」

 そこまで認識してようやく、にとりの中の驚愕が驚嘆にかわり、それへと駆け寄った。すぐに足やら胴体やらを見て、いくつか外れた部分がある事を確認する。間違いない。どうやらこれがこの歯車やボルトを落とした奴のようだ。錆付かない部品を使っているあたり、何かすごいものだろうと予想していたが、まさかこんなものが出てくるとはにとりにも全く予想外だった。しかも特に凄いところは、この鉄の竜から一切の妖術や魔法の類の気配を感じないところだ。つまりこれは純粋な機械の竜ということである。

 すぐにでも持ち帰って設備のそろった家で研究をしたいところだったが、さすがに大きすぎるからあの洞穴を通ってそのまま持ち帰ることは出来ない。解体しなければならないのだが、今日はそれが出来るようなそんな大掛かりな機材を持ってきては居なかった。流石のにとりといえど、今持ち合わせているドライバー数本でこれを解体することは不可能である。仕方ない、今日は一旦引き上げて、明日あたりにアームを持ってこよう。にとりはそう考えて、惜しいながらもそれを背に振り返り――














 がしゃん。背後からそんな音がした。














 え? と、にとりはたった今背を向けたその鉄の竜に視線を戻した。もちろん竜は沈黙を守っている。しかし違和感がにとりの体を覆い、訝しみつつもそれを見続けて――気付いた。

 ――顔の部分の目に、薄っすら橙色の光が点っている。

 にとりが気付いたその瞬間、ギシ、と百年ぶりに動かした歯車が回るような――というより文字通りその音が暗い地底湖の中に響く。竜の瞳の光はだんだんと濃さを増しており、既に赤と呼んでもよい色に変わっていた。

 ……冗談でしょ? にとりは目の前の状況がよく理解できないでいた。確かに錆付いていないとはいえ、あれだけ部品の取れている機械が起動するなど(ましてや自立で)河童の技術力でも作れやしない。

 そんなにとりの困惑などつゆ知らず、その鉄の竜はどんどんと己の稼動部分を立ち上がらせていく。胴体と足の付け根の部分からは蒸気が噴出し、あの魚の骨のような部分――今気付いたがあれは翼らしい――は相当長い間油の差されていないことを証明する軋んだ音を立てていた。にとりは腰が抜けてしまい、ぺたんと土の上に直に座りながらぼんやりとその様子を眺めていた。

 そしてついに竜が立ち上がる。しゃがみこんでいた体勢でもあの大きさであり、まして今のにとりは座り込んでいるのだから、立ち上がったとなれば数段巨大に見えた。そうして片翼の鉄の竜は洞窟の天井を見上げる。ぞっ、と悪寒がにとりの背を走り、その悪寒に身を任せて目をつぶり耳を塞いだ直後。

 ――咆哮。

 いくら広いとはいえ限定された空間であるこの地底湖で咆哮などすればどうなるか。硬い岩壁は存分に音波を反響し音の大きさを飛躍的に増大させた。

 刹那のタイミングでそれの直撃だけは避けたにとりだったが、激烈な音波を完全に防ぐにはその小さな手だけでは不可能だった。爆音にぐわんぐわんと揺れる頭でなんとか気絶しないように意識を保つ。火花が散る視界の中、にとりは軽率な行動をとったことを猛烈に悔いていた。こんなところ来るんじゃなかった。後悔先に立たずという言葉が今になって身に染みる。

 ようやく爆音が小さくなり始め、視界の火花が収まった所でにとりは目を開けた。そしてやっぱり目を開けるんじゃなかったと後悔した。何故なら、目の前にあの竜の顔があったから。

 並みのナイフなんかよりよほど切れそうな牙がぞろりと並ぶ口が息も当たるような間近にあった。じっとあの赤い瞳がにとりを睨みつける。機械って妖怪を食べるんだっけかな、あぁ食われる側ってこんな気分なんだ、と半ば朦朧とする意識の中でにとりが覚悟を決めた。それと同時に竜が口を開けて――



「ぎゃう」



 なんか意外とかわいい声を上げた。

「……うへ?」

 一飲みにされるのかと身構えていたにとりだったが、その余りにも拍子抜けする可愛らしい声に思考が空回りする。そんな様子を知ってか知らずか、竜はその顔先でつんつんとにとりの背にあるリュックをつついた。

「……な、なに?」

 にとりは顔を引きつらせながらもそれを竜に見せられるように前に出す。そうすると竜は足元を顔先で指した。踏み潰されるんじゃないかと、にとりは恐る恐る竜の懐近くまで入り込む。

 見れば、鉄で出来た爪の部分に穴が開いていた。いや、破損で開いたような穴ではない。この穴はひょっとして、とにとりはリュックから拾ったものの一つである大ネジと、愛用のプラスドライバーを取り出した。

 思ったとおり、その大ネジはぴたりとその穴の大きさに収まる。にとりはプラスドライバーできゅるきゅるとネジを回し、ぎゅっとしっかりねじ込んだ。

「……こ、これでいいの?」

 にとりは竜の顔を見上げた。真紅に染まっていた瞳は幾分か薄さを取り戻していて、今は濃い橙色をしている。おかげで先ほどよりは表情が和らいだように見えた。

「――ぎゃうぎゃう!」

 うんうんとでも言うかのように首を何度も縦に振る鉄の竜。すると今度は転がっていたあの魚の骨のような翼を顔先で指し、さらに翼の無い左肩をつつく。どうやら竜は「ここを直してくれ」と言いたいらしい。

「――ちょちょちょ、待って待って待って」
「ぎゃう?」

 にとりは慌てて手を振って制止する。その行動の意味くらいは分かるのか、竜は不思議そうに首を傾げた。

 わけが分からない、というのがにとりの現状である。とりあえず今この瞬間に食われるという危機は去ったらしいが、なんでこの機械は生きているみたいに自立稼動できるのかとか、なぜそれを自分が直さなきゃいけないのかとか、知りたいことが山積みであった。いやそりゃ直してやってもいいのだが(解体しようという気は流石になくなった)、今の状態では無理である。

「あ、あのね? 直して欲しいっていうのは分かるんだけど、私は今あなたを直せる道具を十分に持ってきてないんだ。それ取りに戻ってもいいかな?」
「――――」

 すーっと、疑わしげに竜の瞳が赤みを増した。

「い、いやね!? 逃げたりしないよ!? で、でもね、ちょっと本当に無理なの! ほら私こんなに小さいじゃん!? 大きな機械の力を借りなきゃ流石に無理って、機械の貴方ならわかるよね!? そ、それと私の家ここからすっごく遠いから、たぶん明日の朝くらいになっちゃうんだけどさ、絶対戻ってくるから! いいでしょ、いいよね!?」

 凄まじい狼狽の中で何とか言い訳を作り出す。言い終えて理屈が通ってるかかなり不安になったが、もうここまできたら賭けるしかない。言葉とは弾幕と同じで、一度放たれれば傷つけるか外れるか以外に無いのだ。

 数秒の沈黙。

「――ぎゃう」

 ――分かった、待ってるよ。にとりの主観的翻訳にはそう聞こえた。実際うなずいてはいるので半分くらいは当たっているだろう。

「お、おっけー! 約束はまもるよ! じゃ、じゃあ明日ね!」

 ずざざざざ、とにとりは器用に竜から目を切らずに後ずさり。そのまま湖にバク天ダイブを見事に決め、すぐさまあの洞穴にもぐりこむ。後は全速力で長い洞穴を泳ぎ――気付いたらにとりは、あの藻だらけの池の水面から顔を出していた。

 はた、と我に返り、べたべたとひっつく藻をはがしながら岸に上がる。にとりはそのままごろんと岸辺に仰向けになった。

 空は大分暗くなっていた。東の空から夜の帳が降り始めている。その空を見上げて、にとりは奇妙な感じを覚えていた。助かった、とも、すごいものをみた、とも、少し違う何かを。

「……なんだったんだろ、あれ」

 にとりのぼそりとした呟きに答えてくれる者はいなかった。人間も妖怪も、機械でも。





◇◆◇◆◇





 あるときそこに、ひとりのかしこいおとこがやってきました。





◇◆◇◆◇





 太陽が昇り始めた早朝。にとりは自分の家の布団で目を覚ました。

 あの後、あそこでしばらく横になってから家に帰りそのまま寝入ってしまった。家に着いたのが日が沈んですぐだったから、丸半日ほど寝てしまったらしい。寝すぎてむしろ頭痛がする頭をなんとか持ち上がらせてにとりは布団から起き上がった。

 居間に出て、ちょうど机に置きっぱなしだった食パン一斤を袋から取り出し、もむもむとバターもジャムも何もつけずにそのまま食む。少々味気ないといえば味気なかったが、正直そうすることも億劫だった。

 放置していたためぱさぱさする食パンを食べながら、腰掛けた椅子を軋ませつつにとりは昨日の体験を反芻する。なんであんなところに河童でも作れないような機械の竜があるのか、それがまず最初に浮かんだ疑問だったが全く見当がつかない。そもそもあんな地底湖にどうやってあれを作るための機材を運んだのか。あの水中洞穴を通って部品を少しずつ運び、あの地底湖で組み上げた? 馬鹿な、コストと時間がかかりすぎるし、そんなことして何の得になるというのか。いやそれよりあれを誰が作ったのか。河童ではないだろう。にとりの知りうる限りの河童の機械学ではあんなもの作れやしない。

 膨大な疑問が湧きあがるが、それらはぐるぐるとにとりの脳内を駆け巡るだけでなんら解決へと進もうとしない。それらを置いておくとしても、もうひとつ、重大な課題があった。

 にとりがあの竜を直す、ということだ。あのときはかなり混乱していて支離滅裂な考え方をしていたが、よくよく考えれば竜を直す必要も義理もないし、仮に約束を破ったとしてもあの竜が復讐に来れるだろうか。来れはしまい。というか、もう一度あそこにいくのは正直恐ろしすぎる。

 いやいや、とにとりは首を振った。打算だけで考えるにしてもあれを直すのにもメリットがある。まずあの技術を調べ上げれば河童の機械学も著しく発展するに違いない。にとり自身、あの竜が動く前まで解体して調べようと思っていたのだ。それをただ恐いから、という理由だけで放っておくのはいささか勿体無いかもしれない。

 他の河童と一緒に行く、という考えがにとりに浮かんだ(椛は無理だろう。あの洞穴で絶対溺れる)。付き合いの狭いにとりだったが、同種族の内くらいにはいくらか知り合いもいる。……しかし思ってすぐに却下した。理由はあの咆哮。あのとき自分はへたり込んでしまったからあまり竜を刺激しないですんだが、他の河童はどうだろう。それに下手に数人で行って刺激してしまえば……というわけで却下である。

「……どうしよ」

 はぁ、という嘆息とともににとりの口から思わずそんな言葉が漏れた。行くか行かざるか、それが問題だ。ぱく、と食パンを口に放り込む。

 ――その時、不意にあの竜の瞳がにとりの脳裏を掠めた。そしてあの、「ぎゃう」という拍子抜けしてしまうかわいらしい声。竜はあの暗闇の中で、ずっと一人、助けを待ち続けていたのだろうか。いくら自立稼動できるとはいえ、取れてしまったネジやボルトを嵌めなおせるほど器用には見えない。そしてようやく、長い長い時間を待ち続けて、にとりが偶然あそこを訪れたのだ。きっと今も、期待に期待を重ねてにとりの来訪を待っているのかもしれない。

 ……あれを裏切る? 私はエンジニアじゃないか。壊れている機械一つ直せないでそんなことを謳えるだろうか。
 
 にとりはがたんと椅子から立ち上がり、研究室へ向かう。

「悩む何て私らしくないな」

 苦笑して呟いた。

「壊れてる機械があったら直す。当たり前じゃない」











 ……なんて偉そうなこと言ってまたこの地底湖にまでやってきたわけだが、やっぱり恐いものは恐かった。スペルカードも全部持ってきて完全武装状態。のびーるアームも万全の調子にしてからここにやってきた。……おかげで現時刻は朝というには少々苦しい。怒って無いよね朝としか言ってないしまだ朝じゃないって訳でも無いしうんうん大丈夫、とにとりは自分を納得させて恐る恐る湖面から顔を出し――。

「ぎゃう!」
「うひょぇおぁっ!」

 因みに後者がにとりである。理解不能な奇声とバシャバシャという水飛沫を上げて存分に驚愕を示した後に、にとりはその声を振り返った。

 鉄の竜の位置が変わっている。昨日はにとりの入ってきた水中洞穴の丁度反対側に座していたのだが、今は同じ側に座りこんでいた。見ればその横にあの鉄の翼も転がっている。恐らく昨日一晩かけ、えっちらおっちら引きずって移動したのだろう。

「わ、わ、わ! いやちょっと遅くなったけどね!? ほらちゃんと私来たじゃん! だから食べないで――!?」

 狼狽の極地で弁明をするにとり。あぁぁ後ろで待ち伏せるなんてひどいよ恐いよ食べられるよぉと頭の中は大混乱。そんな様子を少しの間眺めていた鉄の竜だったが、「ぎゃう」と一声鳴いてつんつん翼のない肩を顎で叩いた。

「あ、あーそうだったね。うんうん、壊れてるところあるんなら直してあげないと」

 そこでようやくにとりが落ち着きを取り戻し、本来の目的を思い出す。水から上がり、まずはその落ちた翼の方に歩み寄った。

 やはり相当に大きな鉄の板である。正直に言えばこれが揚力を生み出すようにはにとりには見えなかった。何か妖術やら魔法とやらが使われているのかもしれなかったが、昨日も思ったように、にとり自身そういったものの気配をそれからは感じ得ない。とりあえず翼を調べるのはそのくらいにしておき、次に竜の肩を見てみることにした。

「はーい、ちょっと御免よ、っと」
「ぎゃう?」

 ひょい、とにとりは竜の部品部品をとっかかりにしてすいすい身体を登っていく。大きな機械を組み上げることもある河童は鳶(とび)のような技術も身につける必要があるのだ。(竜は先ほどまでやたらに自分を恐がっていたにとりが今は平然と自分の身体を登っていくことに少しばかり驚いていた様だった)

 左肩の様子は意外と酷かった。こんな暗い中では登ってみないと分からなかったが、肩の位置の鉄板がむしりとれてしまっている。おかげで内部構造が丸見えだ。たぶん落ちていた部品たちの大体はここから零れ落ちてしまったのだろう。あの池にあった二つの歯車は水中洞穴を通って流れ出していったと考えるのが自然か。

 よし、とその様子を見てにとりが修理の大方の方向性を決める。まずここの内部から直してやるのがいいだろう。幸い今見える限りの部分は前時代的な古いタイプの部品が多く見受けられる(どうやったらこれで自立稼動が出来る機械が作れるのかと拍子抜けするほどだ)。これくらいなら河童の技術を要すれば十分修理が可能である。

 ふと、竜がじっとこちらを見ていることににとりは気付いた。……機械には似つかわしくない、どこか不安を持った橙色の瞳が、にとりを射抜いている。その瞳を見て、にとりの中のこの竜に抱いていた最後の恐怖が消えていくのを感じた。――この竜は無邪気にふるまってこそいたが、本当は恐くてたまらなかったのだろう。闇の中、永遠とも思える孤独。軋む身体に油を差してくれる者も無く、ただただ一人。その寂しさと恐ろしさはにとりの想像を軽く絶するに違いない。

「……オーケイ、こいつは辛いだろうね。だけど安心して。――この河城にとり、河童の誇りにかけて直させていただくよ」

 にとりは自慢の帽子をぐいと上げ、そう言ってみせる。すると竜の瞳から不安さが消え、今度は期待に染まるかのように橙が若干濃さを増した。

 ――そんなこんなで、にとりと鉄の竜との関係が始まったのである。





◇◆◇◆◇





 おとこは、きかいというものをつくることができました。





◇◆◇◆◇

 二章





 陰鬱な雲が空を覆う嫌な秋の朝だった。早ければ午前中、遅くとも昼過ぎには雨が降り出すのだろう。白狼天狗の犬走椛は、そんな日でも今日も今日とて妖怪の山の哨戒の仕事である。下っ端である彼女には基本的にあまり非番は回ってこない。しかし雨の日が仕事に当たるのはやはり気分の良いものではなかった。これから先は寒くなる一方の季節であるし、なにより自慢の尻尾が濡れるのは特に勘弁願いたい。

 そんな朝、椛はにとりの家を目指して飛んでいた。今日は昼から哨戒の仕事が始まるため、まだ大分時間がある。こういう時間の合間を縫って、椛はにとりを起こしに行き、朝ご飯を作ってやっていた。頼まれているわけではないしむしろ疎まれていると思うが、こうでもしないとあの「機械が恋人」とでも言い出しそうな河童はほぼ間違いなくずっと家から出ずに、碌な食事もとらないに決まっている。余計なお節介だなんだと言われようが、もとより世話焼きの椛にこれをやめるつもりはなかった。

 にとりの家は河童らしく滝の近くにひっそりとある。夏場は涼しくて重宝するのだが、この時期になるとただ寒いだけだ。ひゅう、と吹いた秋風に椛は軽く身震いして、その家の玄関に降り立つ。にとりを最後に家から引っ張り出してから一週間くらいになるだろうか(あの日は夕方になってしまったが)。流石の妖怪でもこれくらいの期間を篭りきりでちゃんとした食事も取らなければ調子を壊してもおかしくない。風邪ひいてないといいけど、と椛はドアをノックした。

 こんこん。

 ……。

 ……?

 もう一度ノックしてみるがやはり返事はない。いつもなら寝ててもノックさえすれば起きてくるのだが……――まさか。

「ちょっと、にと――」
「んぁ?」

 ばんっ。

 ……突如開いたドアに顔面がぶつかったのだということを理解したのは、鼻にじんじんと響く痛みが脳を突き抜けてからだった。

「わ、ごめんごめん!」

 おもわず鼻を押さえてしゃがみ込んでしまうと、上からにとりの声が降ってくる。あぁ大丈夫大丈夫と椛が答えようと顔を上げ――へくち、というくしゃみの音に驚かされた。

「――にとり?」

 鼻の痛みも忘れ、椛の口から思わずそんな言葉が漏れる。見上げたにとりの顔はほんの少し赤みがかかっていた。鼻も詰まってでもいるのか、どったの、という問いの言葉もつまり気味に聞こえる。

「あんた風邪ひいた?」

 立ち上がりながら椛がそう聞くと、にとりは一瞬だけきょとんとした表情になり「あー、そういやちょっと鼻詰まってるかも」と納得したように呟いた。そして再び、へくち、とくしゃみ。風邪気味じゃない、それは完全に風邪だ。椛は予想が的中したことに頭をがりがりとかいた。

「それなら寝てなさい。今おかゆか何か作ってあげるから」

 椛は当然肯定の返事が返ってくると思った、のだが――。

「いや悪いんだけど、今日はいいよ。ちょっと今から用事あるからさ」

 予想外だった。え、という一文字だけが椛の口から流れ出る。にとりを見てみれば背中にリュックを背負っていて、更にいつもの水色のワンピースではなく丈夫そうな作業服をその身に着ていた。確かに今から出ようという格好である。にとりがこんなに朝早く?

「そういうわけにもいかないでしょ、出かける用事ならずらせば」
「いやぁ待たせてるのがいるから」

 椛はなんとか外出を止めさせようと言ってみるが、これまた予想外の反論で押し黙る。にとりが誰かと会うというのも驚きだったが、それ以上に椛はにとりがこうまでして用事を優先することが驚きだった。

「あ、ご飯つくりに来てくれたんなら、今日の夕方にしてくれたりする? その時間ならもう帰ってると思うから」

 椛が言葉を捜しているとにとりがトドメの一言を追加する。こんな風に言われれば、これ以上押し通すとお節介を通り越してただの迷惑だ。ふぅ、と諦めたように椛はため息をついた。

「……わかったわ、夕方ね。少しは身体を大事にしなさいよ」
「尻小玉に銘じておくよん」
「おくよん、じゃないわよ」

 大体銘じるのは尻小玉じゃなくて肝だよ、肝臓だよ。そう突っ込もうとした矢先、にとりが三度目のくしゃみをする。全く、大丈夫なんだろうか。

「んじゃあねー」

 とん、とにとりは地を軽く蹴ると空中に浮かび上がる。そしてそのまま北東の方角へと飛んでいった。あちらのほうは藻だらけの濁った沼があるだけで、山中でもあまり妖怪も寄り付かないさびしい場所である。椛も哨戒の仕事であちらを回ったことがあるが、そういう時にも他の妖怪を見かけたことは多くはない。

 とはいえそれは地図を小さく見たときだけの話で、もっと大きな範囲で見れば北東の方角には河童が多く住んでいる集落があった。にとりは恐らくそこへ向かったのだろう。何か他の河童と共同で機械を作っているのかもしれない。

 まあ調子が悪くてもそこへ行くのは少々いただけないが、付き合いが増えることはそう悪い事でもないだろう。椛はそう考えることにした。さて時間もまだあることだし、仕事が始まるまでは家でごろごろしてるかな、と椛は自宅へと飛び立った。





◇◆◇◆◇





 おとこのつくるきかいはかみがみにもできないきせきをよびおこすことができました。





◇◆◇◆◇





 ちゃぽん、とにとりは湖面から顔を出した。地底湖の中は肌寒く、濡れた身体には余計にその空気は冷たく感じられる。にとりでも秋のような時期にこれほど頻繁に水に漬かることは少なかった。こりゃ本格的に風邪ひいちゃいそうだなぁ、椛の言う通り寝てりゃよかったかもと、少しだけにとりは後悔する。

「ぎゃう!」
「おー、待たせてゴメンねぇリュウノスケ」

 そこへすぐに鉄竜――リュウノスケの鳴き声が背中にかかる。その声だけで自分の中から後悔が消えていくのが分かった。にとりが水から上がると、すぐにすりすりと顔をにとりへと摺り寄せてくる。この一週間毎日通っていたためか、鉄竜は随分とにとりに懐いてくれた(機械が懐くというのも結構奇怪な話であるが)。そういうこともあり、にとりはこの竜に名前をつけたのである。竜だからリュウノスケ。安直といえば安直だが、名前は体を表すとも言うしこれがベストだとにとりは考えた。

 持ってきたタオルで頭を拭きながらにとりがよしよしとリュウノスケの頭と顎を撫でてやると、気持ちよさそうに瞳がオレンジに薄まる。

 調べれば調べるほどにリュウノスケは不可思議な機械であった。どう見ても鉄にしか見えない金属なのに何故こんなにも錆が少ないのかは修理中でも全く分からないし、なにより自立稼動が出来る理由が謎だ(頭蓋にあたる部分を開けようとしたら流石に本気で嫌がるために調べようがない)。

「よーしよしよしよし、かっわいいなぁお前は」
「ぎゃうぎゃう」

 とはいえそんなのはこの懐き具合の前には些細な問題だ。にとりとしても懐かれるのは気分が悪い事でもない。思う存分頭と顎を撫でてやる。しばらくそうしてから、今日の本題に取り掛かることにした。

「よっし、じゃあ今日の修理を始めるよ。おとなしくしててね」
「ぎゃう」

 ぱん、とにとりが拍手を打つと竜がうなずく。それを確認して、にとりはひょいひょいとリュウノスケの身体を上っていった。

 この一週間、内部構造の修理に関しては最初の数日でほぼ終わっていた。歯車の噛み合う部分こそ多かったが、構造自体は本当に驚くほど単純で、むしろ零れ落ちた歯車やボルトを探すほうが骨が折れた。錆付いていた部分も皆無というわけでもなかったが、油をさせば十分に稼動できるほどであった。

 次に剥がれ落ちた左肩の部分。こちらは一昨日まで修理していたことで、中々時間がかかった。この部分の金属片は探しても見つからなかったため、にとりが型を取って新しいものを作ったのである。もちろんこちらは河童の技術を存分に応用した特殊合金。頑丈さならこの竜を形作っている鉄にも負けない自信があった。最初こそリュウノスケは見たことのない金属を体につけることに抵抗を見せていたが、なんとか宥めすかしてそれを貼り付けてやると、上手いこと気に入ってくれたようで「ぎゃうぎゃう」と喜びの声を上げていた。

 そして今日からは、いよいよ翼に取り掛かるところだ。

 左肩に上がったにとりは、持ってきた自慢の機器を起動させる。うぃんうぃんとギアが回り始め、リュックの中から人の手を模したハンドが取り付けられたアームが伸びだした。名を体を表すの通り、これが「のびーるアーム」である。これで結構使い勝手がいいため、にとりは自身が発明した機械の中でもこれを一番愛用していた。

 伸びたアームがしっかりとあの鉄の翼を掴む。

「よっこいせっ、とぉっ!」

 そしてにとりが気合の一言と同時にアームを引っ張り上げる。相当に重いはずの翼がいとも簡単に持ち上がり、肩の位置にまで引き上げられた。この馬力もアームの自慢の一つである。とりあえずその位置まで持ち上げるとにとりはすぐにアームをそこに固定し、一旦リュウノスケの肩から飛び降りる。そしてリュックの中からワイヤーを取り出すと、壁をよじ登って取っ掛かりなどを利用して翼の位置を固定していく。

 さて大変なのはここからだ。この翼を内部の歯車と連動させるように歯車を噛み合わせていくのだが、いくら構造自体が単純と言ってもこちらは内部構造と違ってほぼ完全に壊れていた部分である。内部のほうは破損が少なく、且つ残っていた構造を真似しながら直せたため手早く出来たがこの翼はそうもいくまい。壁から降りてにとりはリュックからカルテ――もとい設計図を取り出した。

 本来、歯車を正確に噛み合わせるにはかなり綿密な計算がいる。まして今回はこれだけ巨大なものだ。一日二日で終わる代物ではない。一応昨日丸一日と徹夜をかけて計算をしたがまだまだ大雑把な分だ。これから実際にはめ込んで少しずつ修正を加えながら直していくのである。

「おーっし準備完了! 今日からは長丁場だからね、がんばるよ!」
「ぎゃう!」

 そうして、最後にして最大の難所修理が始まった。





◇◆◇◆◇





 かみさまたちは、それがねたましくてしかたありません。





◇◆◇◆◇





 ぽたりと鼻の頭に落ちてきた水滴に、にとりは頭上を見上げた。すると再び、ぽたり。どうやら地底湖の天井から水が漏れてきているらしい。まあそんなことはいいか、とにとりはスパナを回してボルトを締め、歯車を嵌めこんだ。

 ふー、とリュウノスケの翼の末端で一息をつく。今の歯車でとりあえず最低限の翼の歯車は嵌め込み終えた。とはいえ精々が多少動かせる程度で、まだまだ――やはり俄に信じがたいが――飛べるようになるには時間が要るだろう。

 それに加えてこの地底湖から出してやる方法も考えなくてはならない。そこまで行くとしたら流石ににとり一人の問題ではないし、他の河童たちや場合によっては天狗とも色々決めなくてはならないだろう。それが大変だとはにとりは考えなかった。リュウノスケがもう一度空を飛べるなら、自分はどんなことでもやってやれると思えたからだ。

「ぎゃ?」

 リュウノスケが「終わった?」とでも問うかのようにこちらに視線を向ける。にとりはその視線に軽く笑みを浮かべてみせ、その翼から一旦降りる。

「たぶん動かせると思うよ。でもそぅっとね」

 にとりがそう言ってみせると、リュウノスケは驚いたように自分の翼を見た。まだ実感がないのだろう。それもそうだ、恐らく何十年何百年と壊れたままであったのだろうから。

 ギシリ……と。その肩から歯車の回る音がする。油を差された歯車や部品が立てるそれは徐々に滑らかな音へ変わっていき、間接部からは蒸気が噴出す。さらにそれに連動して取り付けられた歯車がその力を翼の末端まで伝え運び、ごおんと一際大きな音を上げて――その翼が、ゆっくり羽ばたいた。

 正確に言うなら、翼が緩やかに下降運動と上昇運動を続けてしたというのが正しい。しかしそれは確かに、羽ばたきであった。

「――ぎゃうぎゃうぎゃう!!」

 呆けていたように翼を見ていたリュウノスケがけたたましい声を上げた。見ればその瞳は興奮を証明するように赤。更に続けて翼を羽ばたかせようとしているのか、再び間接部から蒸気が噴出す。

「ちょちょちょ、ストップストップ。まだ完全には直ってないんだから」

 慌ててにとりがそれを止めると、リュウノスケが勢いよくこちらへ視線を向ける。へ、と思う間にその頭がにとりに摺りついた。機械に感情が無いなどという言葉を笑い飛ばせるような、心の底から嬉しそうな声を上げて。今でこれほど喜んでもらえるのなら、飛べるようになった暁にはどれほどの歓喜を示すだろう。それを想像するだけで、にとりも思わず笑顔がこぼれた。






 ――そこへ無粋にも、へくちっとくしゃみが飛び出す。






 リュウノスケはその音に喜ばしげな声を収めて、にとりの顔を不思議そうに眺めた。

「あー平気平気。ちょっと鼻が詰まっててね……へくちっ」

 そこへ間髪居れずにもう一度。リュウノスケも少し不安なのか、赤かった瞳が薄い橙に戻っていく。

「おーいおい、そっちが心配してどうするのさ。あんたは自分の翼のことだけ心配しなよ」

 なんとなくリュウノスケの瞳にばつの悪さを感じて、にとりは茶化すように言った。しかしその瞳からは不安さが消えない。

「と、とりあえず今日はキリもいいしこの辺にしとくね。翼、動かせて嬉しいのは分かるけどまだあんまり大きく動かしちゃダメだよ」

 どうしようもない居心地の悪さを感じて、にとりはてきぱきと修理工具をしまっていく。固定用に使っていたワイヤーやアームを戻している間も、リュウノスケはじっとにとりのことを見ているだけだ。そうしてそれらをリュックに仕舞い終わり、じゃあねと手を振ってやるが相変わらず何も言わない。ただ橙の瞳がにとりを静かに射抜いている。

 ほとんど逃げ出すようにしてにとりは地底湖に飛び込んだ。その背にかすかに悲しげなリュウノスケの声を聞いた気がしたが、それは飛び込んだ水音と聞き間違えたのだろうとにとりは思う。












 短くはないはずの水中洞穴を、気付けば目の前に出口が見えるほど進んでいることに気付いた。にとりにはそれが竜に出会った最初の日と同じように思えた。あのときは本当に必死で泳いだなあと少しだけ苦笑して、洞穴からあの溜池へと出ると――水面を叩く炸裂音が水中にまで聞こえてきた。

 まさかと思い、藻で濁った水面から顔を出すと予想通り頭に雨が叩きつけられた。見上げた空には真っ黒な雨雲が覆いかぶさっている。そのため時刻的には夕方であるはずなのにほとんど真夜中のようだった。さっき地底湖で鼻の頭に水滴が落ちてきたのは、この雨が土にしみこんできたのだろう。

 とたんに水の冷たさがにとりの体を一気に包みこむ。歯の根が噛み合わず、がちがちという音がひどく耳に障る。まだ池に漬かったままだから寒いのだということに気付くまでに、にとりは数瞬を要した。水を蹴り上げて一気に池から上がり、持てる限りの全速力でにとりは家へと飛ぶ。速く温まりたかった。身体を包む冷たさを拭い落としたかった。

 どう飛んできたかはまるで覚えていない。それでもこのときほど自分の家が見えた瞬間がうれしかった時はなかった。最後の力を絞りつくして家までの距離をゼロにし、冷たさにかじかむ手を押さえつけながらドアノブを回した。

 雨が吹き込まないようにすぐにドアを閉める。途端に玄関から伸びる廊下が暗闇と化した。当然だ、月灯りも遮られるようなあの分厚い雲では。暗闇の中、なんとか電灯のスイッチを探ろうと壁に沿いながらにとりは歩き出し――がつん、と足元に何かがぶつかった。

「――あ!?」

 バランスを保つ間もなく、にとりは廊下に叩きつけられる。何かに躓いたようだった。まともに掃除をしていないことがここに来て祟るとは予想外である。痛みをこらえて何とか起き上がろうとして――全く力が入らなかった。

「あ、れ?」

 もう一度やってみようとするがやはり結果は同じ。起き上がろうにも腕に力が入らず、滑って何度も廊下に身体をぶつける羽目になった。気付けば黒一色の視界がぐらぐらとねじれ曲がり、それはにとりには巨大な影の化け物が躍っている姿にも見えて。

 何がなにやら分からぬうちに、にとりは意識を失った。












 ごうごうと冷たい雨の降る嫌な秋の夕暮れだった。朝の予想通り午後から降り出した雨は勢いを増し続け、今となっても一向に止む様子を見せない。そんな雨の山をカンテラと番傘を手に犬走椛は飛んでいた。

 昼番の哨戒の仕事を済ませこうしてにとりの家へと向かっているのだが、椛の胸中にはじっとりとした焦りが生まれていた。根拠があるわけではない、ただなんとなく心がざわめいて落ち着かない。奇妙な感覚に椛はかすかな苛立ちを覚えながら、さらに山中を飛び続ける。

 にとりの家が近いことを示す滝がようやく見えてきて、さらにその横に小さな一軒家を見つけると椛は少しだけ安堵した。こんな寒い夜だ、何か身体の温まるものでも作ってやろう。というか自分も食べたいし――そこでふと、違和感に気付いた。

 にとりの家に明かりが灯っていない。にとりが油とは違う「電灯」というものを使っていることを椛は知っていた。だからあの家は夜も明るく、遠くでもよく目立つ。なのに今は夜闇に溶け込んでいるように暗いままだった。まさかまだ帰ってきていないのだろうか、自分で言っておいて? 椛の中の弱火であった苛立ちの炎が中火になる。

 椛は玄関前に降り立つが、やはり誰かが居るような気配はしない。すっぽかしたなあいつ、と椛はがりがり頭を掻き、一縷の望みを賭けてドアをノックした。

 こんこん。

 ……。

 デジャヴ。

 椛の苛立ちがいよいよ炎に変わり、今度少し怒鳴ってやろうと心に決める。自分で言った約束をすっぽかすというのには流石に付き合いきれない。最後に残った苛立ちをドアにぶつけてやろうと、椛がノブを掴み――きぃ、とドアが少しだけ開いた。 

「……え、開いてる?」

 椛の口から意識せず言葉が漏れ落ちる。にとりがいくらなんでもこんなに無用心なことをするだろうか。椛はそのままドアを開ききった。




 そこで思考が停止した。




 暗い廊下をカンテラの灯りだけが照らしている。それが照らし出すのは、水浸しとなった廊下と散乱した工具、ひっくりかえった木箱。そして、今朝に見た、あの、丈夫そうな作業服。

 ぐっしょりと水に濡れた河城にとりが、そこに倒れ伏していた。





「――――――にとりっ!!!」





◇◆◇◆◇





 かみさまたちは、おとこにひとつのめいれいをくだしました。





◇◆◇◆◇





 河城にとりが倒れたという話が射命丸文の耳に入ってきたのは、昼から降り出した雨は休まることなく更に強風までもが重なり、もはやそれは嵐と化していた夜中のことだった。ようやくその日の仕事を仕上げた文が耳にした倒れた理由というのは、機械弄りに没頭する余り食事も取らず……とかそういうものではなく、高熱を出して自宅の廊下に倒れていたところを椛に発見され、そのまま医者に担ぎこまれたらしい。

 にとりは妹分である椛の友人で、文自身もそれなりに関係はあった。幾度か愛用のカメラの修理を頼んだこともあるし、それほど浅い関係でもない。だから倒れたと聞いたときには驚いたし、医者に担ぎこまれるほどと重ねて聞けば心配にもなった。少なくとも雨に濡れながらもこうやって病院に駆けつけるくらいには。

 天狗は基本的に強いためあまり怪我や病気はしないが、それでも零ではないのでこの天狗の里には一応医者が住んでいた。医者が住んでいるからこの家もまあ病院と呼んでも遜色はないだろう。そうして文はその病院の引き戸を開けた。

「いらっしゃ……あぁ、射命丸さん」

 出迎えてくれたのは文と同じ烏天狗の女性。彼女がこの里の医者――先生、と呼ばれている者だ。文も何度か面識がある。丁度廊下の向こうからあわただしく姿を現した彼女は、文の来訪に少しばかり驚いた様子だった。

「夜分失礼します、先生。河城にとりさんの方は……」
「河城さんのですか? はい、こちらにどうぞ」

 そういうと先生は再び廊下を戻る。文も下駄を脱いで廊下に上がってその後を行く。とはいえその廊下を十歩も行くと彼女は脇の襖の前で足を止めた。

「椛ちゃん? 入るわね」

 椛、と聞いて文は驚いた。椛がにとりをここに担ぎ込んだということは聞いていたが、まさかそれからずっといるのだろうか? そう考えているうちに先生が襖を開けて部屋へと入ったので、文もそれに続く。

 畳張りの部屋の中にはやはり椛がいた。こちらに背を向けていて、その脇には手ぬぐいを冷やすためだろう水を湛えた桶が置かれている。そして椛の前には布団と、それに横になる河城にとりの姿があった。寝息こそ落ち着いているように聞こえたが、額に手ぬぐいを乗せられたその顔はほおずきのように、そしてその青い髪に引き立てられて一層赤く見える。

「ごめんなさいね、椛ちゃん……手伝わせてしまって」
「いえ、いいんです先生。私が勝手に手伝っているだけで……あ。文様」

 先生の言葉に振り返った椛が文の姿を視界に捉える。一応上司に当たる文を見て慌てたように表情を整えたが、その目は友人が倒れたことに対する深憂に満ちていたことを文は見逃さなかった。

「あやややや……椛、大丈夫ですか。にとりさんの方も……」
「あ、いえ私は……それよりも、にとりが」

 椛はにとりに視線を戻し、その手を両手でぎゅっと握る。しかしそれでも、にとりが目を覚ます様子はない。文が考えていた以上に重症のようだった。

「……先生、にとりさんの容態は……」

 文が二人の様子から目を逸らし、横に立つ先生に問う。……彼女は結んだ口元を重々しく開いた。

「……椛ちゃんが連れてきたときには本当に危ない状況でした。ここにある解熱剤では余り効果がなく、先ほど竹林の薬師さんの方に烏を飛ばしてより安定した丹を。そちらを投与して今は大分落ち着いたようなんですが……まだ、意識が」

 ぐっ、と下唇をかみ締めて彼女は言った。……彼女は医者だと前述したが、それはあくまで体の強い天狗専門だ。こういった重症の患者を扱うことは恐らくほとんどなかったのだろう。それに加えて、この雨では竹林までにとりを運ぶ内に症状がより悪化してしまうであろうことは目に見えている。これ以上手の打ちようがない、という状況に歯噛みをする気持ちは文にも十分すぎるほど伝わった。

「……すみません、先生。桶の水がぬるくなってしまったから、ちょっと換えてきます」

 にとりの額の手ぬぐいを代えていた椛がそう言って立ち上がり、文の脇を抜けて玄関へと歩いていく。一瞬、足をもつれさせかける姿を見て、椛が心底から心配をしているのだろうということが見て取れた。

「……射命丸さん。私ももう少し薬の調合を考えて見ます。すみませんがにとりさんの様子を少し見ていてくださいますか」
「え、あ……はい」

 虚を突かれて文は反射的に返事をすると、先生は軽く一礼をして椛と反対の方向に静かに向かっていった。そちらのほうに自室があるのだろう。そうしてこの部屋には文とにとりが残された。静かな部屋の中に聞こえるにとりの呼吸も規則的ながらも苦しげに繰り返されており、文にも痛々しい気持ちが伝わってくる。

「……――ノスケ……」

 ふと。一定感覚で聞こえていたにとりの呼吸の合間に、かすかに何かが混じったのを文の聴覚が捉える。起きたの? と文が傍に寄りその手を握ってやるが、その目は開かれない。どうやら寝言らしい。

「……リ――ノスケ……」

 今度はしっかりとそれを耳に入れる。「リ」と「ノスケ」、と文には聞こえた。文の思考に魔法の森の前にある店、香霖堂という古道具屋を営む店主のことが思い浮かぶ。彼は確か霖之助という名前だったはずだ。自分が作る「文々。(ぶんぶんまる)新聞」の数少ない購読者であったから間違えるはずもない。

「……リュウノスケ……」

 と思いきや次に聞こえてきた声で人違いであった事が判明する。……リュウノスケ。漢字で書くと龍之介になるのだろうか。文の記者として知りうる交友関係の中にはその名前はなかった。





◇◆◇◆◇





 ずっとずっとむかしのこと。ぼくはお父さんといっしょに、ここに来た。

 ここまで来る間、お父さんを背中に乗せて、びゅんびゅん風をきって飛ぶのはすごく楽しかった。……ダイキライな「カミサマ」たちがぼくらについてきていたけれど。

 そうしてやってきたここは、なんにもない所だった。せかいのはて、とあのカミサマたちがここを呼んでいたことをぼくはおもいだす。どういう意味なのかはわからなかった。

 その「せかいのはて」という場所には、体の大きなぼくが楽々と入れるくらいに大きな大きな穴が開いていた。そのそばに下りてぼくはそれをのぞきこんでみるけれど、下は真っ暗でなんにも見えない。

 ――ここがいいだろう。

 カミサマの一人が、えらそうに言った。ぼくはむっとしてその声が聞こえたほうをにらんでやると、こわがるようにそいつらは足を後ろにやる。ふんだ、ざまぁみろ。ぼくはそれをほめてほしくて、お父さんのほうを見た。

 お父さんは、くやしそうに下をむいて、ぎりりと歯をかみしめながら、言った。

「――ここに、入ってくれ」

 ぼくにはその時、お父さんがなんでそういうことを言うのかよく分からなかった。お父さんはいつもあのカミサマたちがキライだと言っていたから、なんでそのカミサマたちのいうことを聞くのかがふしぎでしかたなかった。

 ぼくがおどおどして穴とお父さんを交互に見ていると、周りのカミサマたちがあからさまにあわてだす。まるでじぶんたちのおもいどおりにいかないことが気にいらない子どもみたいだった。そうした中でお父さんがぼくの顔に口をよせて、こっそりとつぶやく。

「……なぁに心配すんじゃねえ。少ししたらすぐに出してやる。だから今だけ、ここに入ってろ」

 にっと歯を見せてお父さんはぼくを安心させるように笑う。でもぼくには、その顔がつらそうにしか見えなかった。頼む、と最後にお父さんは言う。……そこまで言われたらしかたなかった。うん、とぼくはうなずいてその穴に飛びこんだ。

 暗かったからわからなかったけれど、穴はそんなに深くなかった。思ったより速く奥が見えてきて、ぼくはあわててつばさを羽ばたかせ、体を止める。そうしてからまた振り返ると、遠く点みたいになった穴の入り口が、ちょうど夜空に一つだけ星が光っているみたいに見えた。――きれいだ、と思う。

 でも、それが見えていたのはほんの少しの間だけだった。いきなり地面がぐらぐらと揺れたかと思うと、ただでさえ小さかった光がどんどんと小さくなっていく。ぼくはすぐにもどろうかとも思ったけれど、お父さんの約束があったから動かなかった。――そして空が見えなくなり、ぼくのまわりは真っ暗闇になる。

 ――これで一安心だな。

 向こうからカミサマの声が聞こえてくる。見下した調子だった。

 ――命ですらないものが我らを脅かそうなど、分不相応にもほどがあろうよ。
 ――流石は賢者と呼ばれし人間。鉄屑よりは己のほうが大事よの。

 その声は本当にぼくをむかむかさせるけど、なんとかこらえる。そうして、お父さんの声が聞こえた。

「――この、クソ野郎共」

 それを最後に、向こうからは何も聞こえなくなった。





 長い長い時間がたった。お父さんは、まだ来ない。





 穴は時間がたつうちにどんどんとくずれて、とてもぼくが通れるような大きさじゃなくなっていた。お父さんは、まだ来ない。





 たまに上から垂れてくる水がたまって、ぼくの前には大きな水たまりができていた。お父さんは、まだ来ない。





 時間が経ちすぎて、左のつばさが折れたときには本当に悲しかった。お父さんは、まだ来ない。





 本当に本当に、長い時間が過ぎた。この間、お父さんと同じ、機械油のにおいがしたときには、つい飛びおきてしまった。

 ところがぼくの前にいたのは小さな女の子で――にんげん、とは違うにおいがした。その女の子はぼくのことをすごくこわがっていて、すぐににげてしまって――でも最後に言ってくれた、また来るよ、という言葉がうれしかった。もし約束をやぶられたとしても、それだけでぼくはうれしかった。

 でも。その女の子は約束をやぶらずにまた来てくれた。ぼくのかたを、つばさを直してくれた。

 うれしかった。本当にうれしかった。お父さんとは顔もかたちも違うけれど、またお父さんに会えた気がした。

 ――そして、今日。あの子はすごくつらそうな顔をしていた。無理をして笑っているのが、お父さんのさいごの顔に重なった。





 ――――そして、今。

 たしかにぼくのなまえを呼ぶ声が聞こえた。つらそうな、くるしそうな声で。





 ぼくは背中にかくしておいた「たいほう」を背負う。こっちはあの子には直してもらっていないけれど、たぶんこわれていないはずだ。まだ、動く。

 そうしてぼくは、それを思いっきり岩のかべにうちこんだ。

 ――どおぉおんっ。

 ものすごい音がして、岩のかべが吹き飛んだ。

 そうして見えたむこうは、やっぱり真っ暗。夜だった。それに、ぽつぽつとぼくの顔に水が当たってくる。風が強くて、雨も降っているみたいだった。



 それに、ぼくのダイキライな、「カミサマ」のにおいもした。



 ……あいつらめ。こんなところにも自分の国を作ってるのか。むかむかがわきだしてくるのをなんとか抑えて、ぼくは考える。

 あの子はにんげんじゃないみたいだけれど、女の子だ。――そうだ、花を持っていこう。きっときれいな花を見れば、元気も出るにちがいない。

 ……それと、ごめんなさい、お父さん。ぼくはお父さんの約束をやぶるよ。――ぼくを助けてくれた子を、今度はぼくが助けなくちゃ。

 つばさをかるく羽ばたかせて、調子を確認。あの子はまだ動かすなと言っていたけれど、これくらいへっちゃらだ。

 ぼくは大きな一声を上げて、暗い闇夜の中に飛び出した。
にとりがニートに見えたら負け。
<下>にてまとめて。
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