Coolier - 新生・東方創想話

人間と妖怪の境界 其の参 「チリヅカカイオウ」

2008/11/04 19:56:58
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深々と降りしきる雪が、荒れ果てた田畑を優しく覆い隠す。灰色の空の下に横たわる起伏のない一面の白は、
悲しみすら感じさせることのない、ただただ空虚そのものの景観。
その虚ろの中に埋もれるように、一軒の小屋があった。もはや廃屋と言って良い程に荒んだその小屋の中に、
二つの影が佇んでいる。

一つは、人間の様な妖怪。瀟洒な紫色のドレスに身を包んだ、美しい女の姿をした歪。
一つは、妖怪の様な人間。手首の欠損した右腕には一本の槌が括り付けられ、膝から下を失った左足には、
手を加えられていない生木の枝が固定されている。白髪に隠された右の眼窩は古びた布切れが詰め込まれて
いて、かろうじて残ったその体躯を、醜い凍傷が容赦なく浸食している。

その男は座り込み、人差し指の無い左手で古びた時計を弄っている。
その周囲には、男と同じく、かろうじて機能するに過ぎない壊れかけの古道具達が、彼を見守るように
散乱している。
女の姿をした妖怪は、無表情でそんな男を見下ろしていた。

お互いの存在に気が付かない筈もないだろうに、しかし二人は言葉を交わすことなく、何時間もそうしていた。
やがて男の手の中の時計が静かに時を刻み出すと、男は呟くように語り始めた――。





男は腕の良い鍛冶師だった。
いや、鍛冶師だけではない。時には小物職人にもなったし、大工であることもあった。
天然の材料を探し出してきて手を加え、一から何かを創ることもあれば、くたびれて壊れた物を
修理したりもした。
経験を積んだ年配者の居ないその寒村にあって、唯一習熟した技術と知識を持った男は、誰からも尊敬され、
必要とされる存在だった。
そんな男が必要とされなくなったのは、ある事故が原因だった。大雨で決壊した農水路の補強の指揮を
執っていた男を、土砂が襲ったのだ。かろうじて一命を取り留めた男は、しかし既に鍛冶も細工も大工も
出来ない体になっていた。

不要となった者を養える余裕は、男の村には無かった。
不要となったモノは捨てられる――それは、男のように村に貢献した人間であっても例外ではない。
年老いた親達をも見捨ててまで存続してきた村だ……其処に容赦も哀れみも、ある筈はなかった。

だから男は、自ら「捨てられる」事を選んだ。



塵捨て場……所謂姥捨て山に辿り着いた男が目にした物は、しかし墓だけではなかった。
麓の村にあったものと比べれば遙かに小さく貧相ではあっても、確かに秋の稔りを約束された畑。
藁で作られた粗末な小屋。
そして見覚えのある老人達が、彼を優しく迎え入れた。
捨てられた親達は、自分を捨てた子を憎むことなく、彼らの邪魔にならないよう、其処で力を合わせて
生きていたのだった。

老人達は男に、かつて男が村でしていた仕事を期待した。もう男にはその期待に応えることが出来ないと
知っても、老人達が男を邪険に扱うことなかった。僅かしかない食料を惜しみなく分け与え、何くれと男の
世話を焼いた。
老人達は何時でも笑顔で優しく、そして強かった。
男は彼らの為に何かをしたいと願ったが、立って歩くことすらままならない男に出来ることは、結局かつて
男がしていた仕事しか無かった。材料を探しに外に出ることなど今の男には到底出来はしなかったが、
壊れた古道具だけは豊富にあった。男はそれらの修理を始めた。

かつての男であれば僅か一日で出来た修理も、今の男には一週間の時を要した。
かつての男なら新品同然に蘇った古道具達も、今の男の手では、不細工でみすぼらしい出来にしかならなかった。
素人すらしない失敗を繰り返し、いくつもの古道具を完全ながらくたに変えてしまった。
それでも男は諦めることなく、かつての勘を取り戻そうと努力した。
やがてその努力が実を結び、不細工ながらも十分に要を足せるまでの修理が出来るようになると、
それを知った老人達は、次々に男の元に壊れた古道具を持ち込むようになった。
老人達は男を必要とし、男は老人達に必要とされるようになった。
男は幸せだった。



しかしそんな男の幸せも、磨かれた鉄が錆びていくようにゆっくりと、しかし確実に終焉へと向っていく。



ある日男の元に、いつものように折れた箒が届けられた。
箒の修理を頼んだ老婆は、何時でも良いからと笑って男にそれを託した。
男はその仕事を三日間で終わらせたが、一週間経っても持ち主の老婆が箒を取りに来ることはなかった。

老婆は死んでしまったのだ。

元々体力のない老人達が、お世辞にも衛生的とは言えない村の中で、過酷な労働に耐えて暮らしているのだ。
誰が何時死んでもおかしくはない……ましてその年の冬は厳しく、疫病も蔓延していた。
彼らに残された時間は、男のそれより遙かに短いものでしかなかったのだ。

生きている僅かな老人達により、ささやかな葬儀が執り行われたが、歩くことの出来ない男がそれに
参列することは叶わなかった。
老婆の死に目にすら会うことの出来なかった男は、せめて位牌代わりにと、持ち主のいなくなった箒を
自らの小屋に置いた。



やがて、男の小屋にはそういった古道具が増えていった。
使うべき持ち主が居なくなっても、男は必ず受け取った古道具を修理して、使える状態にした。
必要とされない古道具の数が増えるにつれ、男を必要とする者達もまた、段々と少なくなっていった。



新しい人間が村に「捨てられて来る」ことは、何故か無かった。
そして――男の預かった古道具が、かつて村に居た老人達と同じ数になったのは、翌年の冬、
雪の降りしきる日の事だった。





もはや廃屋と言って良い程に荒んだ男の小屋の中に、二つの影が佇んでいた。
一つは人間の様な妖怪。一つは妖怪の様な男。男は呟くように語り始めた。

「俺は必要とされたかったのだ」

男の手の中で、最後の位牌が時を刻む。

「俺だけではない。此処に住んでいた者達の誰しもが、他の誰かに必要とされたかったのだ。
捨てられたことを恨んでなどいない。忘れられたことを、嘆く気持ちも無い……だが、誰にも必要と
されなくなることは恐ろしかった。
それだけには、耐えられなかったのだ」

既に小屋の外には夜の帳が降りていた。星も、月すらも見えない漆黒の闇は、さながら黒い壁のよう。

(貴方がこの古道具達に再び命を与えても、もうそれを必要する人は居ないわ)
「いいや。やがて此処にまた誰かが捨てられて来よう。その時、こいつらは必要とされる筈だ」

女の冷たい言葉に、しかし男は微塵も揺らぐことなくそう応えた。
気のせいか、男の周囲に散乱する古道具達は、先程より男の近くに集まって来ているように見える。
さながら、彼らの王を労うように……。

「何時の日にか、こいつらがまた誰かに必要とされる日が来るだろう。
そして俺も、こうすることによって誰かに必要とされている筈だ」

何時の間にか、男の声は無機質なものに変わっていた。
それもその筈、男の下顎は凍傷によって既に腐れ墜ち、代わりに錆びた虎挟みがその役を果たして
いるのだから。
男の右腕は、既に槌と一体化していた。
もう既に要を果たせなくなった左目の代わりになろうと、ひび割れた手鏡がその眼窩に這い昇る。
男の足を、男の指を、血管を、神経を、独りでに動き出した古道具達が、庇うように補っていく。
そして、男の手の中にあった古時計が男の左胸に潜り込み、彼の新しい時間を刻み始める。

(……そう。それが貴方の理由なのね)
今初めて、女の顔に表情が浮かんだ。
生まれたばかりの幼子を慈しむような、優しい微笑みが其処にはあった。



廃屋となった小屋の中に二つの影が佇んでいた。

一つは人間の様な妖怪。
一つは古道具達の王たる妖怪。

小屋の中に、人間は居ない――。





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「霖之介さん、居るかしら?」
「それは居るさ。此処は僕の店だからね」

あまり控えめとは言えない音がして、店の扉が開かれた。
扉を開いたのは朱の鮮やかな巫女服を着た少女、霊夢。僕の営む古道具屋・香霖堂の、お得意様と言えば
お得意様と言えなくもない。
言えなくもないが……残念な事にお客様とは断じて言えない困った奴である。

「頼んでいたものは出来たかしら?」
「出来ているよ。居間に置いてあるから、取ってくると良い」

読んでいた本から目を上げて、僕はそう応える。
彼女が僕に頼んでいた事とは、彼女の仕事道具の一つである玉串……所謂お祓い棒の修理である。
先日彼女の住処たる博麗神社で執り行われた宴会で、酔っぱらった彼女が誰かを玉串で殴り、
折ってしまったそうなのだ。霊夢はその修理を、図々しくも僕に頼んで来た訳である。
全く、とんでもない話だ……なお、とんでもないのは玉串を折ってしまったことであり、それで誰かを殴った
ことではない。乱恥奇騒ぎ同然の宴会の席でのことだ。誰に非があるかなんて考えるのも馬鹿々しいし、
そもそも事の顛末なんて、誰も覚えてはいないだろう。
殴られた人間だか妖怪だかには若干同情するのも吝かではないが……そう言えば、誰が殴られたんだろう?
最近魔理沙が店に顔を見せない事と関連しているのだろうか?

悪いわねと言って、霊夢は居間に上がって行った。僕は再び本に視線と思考を戻す。と、頬に柔らかいものが
触れた。それは霊夢の髪だった。彼女が僕の後ろから、僕が読んでいる本を覗き込んだのだ。彼女の右手には僕が修理した玉串が握られ、左手にはちゃっかりと僕のとっておきの煎餅が握られていた。

「……霊夢」
「何? ああ、お茶なら、今お湯を沸かしているところよ」

ちゃっかりし過ぎだ。僕は吐いても無駄な溜息を吐く。

「それより、それも拾ってきた外の本? チリヅカカイオウなんて、聞いたこともない妖怪だけれど」
「いや、これは外の世界の本ではないよ。蔵を整理していたら出てきたんだ」

そう、この本は蔵の中にあった本で、無縁塚で拾ってきた本ではない。とはいえ、僕にしてもこれを何時何処で
どのような経緯で手に入れたのか、全く覚えがないのだが。
まぁ……店の蔵にあったのだから、僕の本であることは間違いないだろう。

「でも、捨てられた物の王なんて、幻想郷には似付かわしくない妖怪よね」

勝手に本を盗み読みしていた霊夢が、急にそんなことを言い出した。

「何故だい?」
「だって、此処は幻想郷よ? 忘れられたり、必要とされなくなった幻想が最後に辿り着く場所だもの。
そんな場所に、そんな妖怪が居ても意味無いじゃない」

……さもありならん。ならばこの本は、幻想郷が作られるより昔に書かれたものなのかも知れない。
人間と妖怪のハーフである僕が生まれるよりも、ずっと前に――。

それでは僕の趣味には合わないな。
僕は笑って、本を閉じた。










         -それ森羅万象およそかたちをなせるものに、長たるものなきことなし
          麟は獣の長、鳳は禽の長たるよしなれば、このちりづか怪王はちりつもりてなれる山姥とうの
          長なるべしと、夢のうちにおもひぬ-

          鳥山石燕『画図百鬼夜行』塵塚怪王(チリヅカカイオウ)―より
オリキャラでは...ああ、オリキャラなのか、厳密にはw

「正体不明な妖怪」達の正体を考えてみようと言うシリーズ...今回はこの男(の父親?)にしてみました。

姥捨てされた老人達が生きて村を作っていたというのは、遠野地方デンデラ野では本当にあった話のようで、
そこに鳥山石燕の注釈にある、「山姥とうの」にかけてみました。

...塵塚怪王って...メジャーな妖怪なんでしょうか?w 立ち位置がなんとも微妙な妖怪です。
plant
http://plant-net.ddo.jp/~gypsy/
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コメント



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1.100#15削除
初めて知りました。
貴方の作品は、実に参考になります。是非、これからもお願いします。
4.100名前が無い程度の能力削除
面白いマイナーどころばかりで本当に参考になります。
頑張ってください!
9.100名前が無い程度の能力削除
勝手ながらこーりんの前世?もしくはこーりんが幻想郷にたどり着いた理由の話と解釈しました。
そういや彼の過去について言及された話ってあんまりないですよね。面白かったです。