Coolier - 新生・東方創想話

未だ見ぬ貴女へ

2008/10/13 23:28:16
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 ――ああ、そういえば今夜は満月だったっけ。

 道理で夜道も明るいものだと納得させたのは、見慣れた友人の後ろ姿。
 それは獣である証。人猿では持ち得ないふさふさとした尻尾と、天を向く長い2本の角。
 よく戸口などにぶつけるから不便極まりない、という愚痴を聞いたのは果たしていつのことだったか。

 妹紅が慧音の庵を訪ねると、当の本人は白沢の姿で何やら歴史を紐解いていた。
 その集中力は並大抵のものではなく、入ってきた妹紅にも気付いてはいないだろう。
 音を立てないように戸を閉め、手近な場所に腰を落ち着けると、ぼんやりと妹紅は動かない友人の後ろ姿を見つめた。

 愚者は失敗から学び賢者は歴史から学ぶ、という言葉がある。
 その言葉をそのまま当てはめれば、歴史を司り、そこから様々な知識を拾い上げて里のために用いる慧音は間違いなく賢者である。
 これまでにも人里で何かあった際には、彼女はこうして歴史を探り、適切な対処を行ってきたのだから。

 ――だが、いつもとの違いに妹紅はようやく気付いた。
 白沢の姿になる満月の夜、彼女の知識はそれこそ幻想郷の全てを知り尽くすほどまで高まり、能力的にも普段以上の水準へと変化する。
 そんな全開の慧音が、更に集中して歴史を探っているのだ。
 もしかしたら里で重大な何かが……妹紅がそう思考を巡らせようかとした矢先に、やけに申し訳なさそうな声が。

「……すまない。没頭し過ぎてしまうのは私の悪い癖だな」

「ううん、慧音が気にすることじゃないでしょ。訪ねて来たのは私なんだし」

 振り返り頭を下げる慧音に対し、妹紅は笑っていいよと手を振る。
 余程集中していたのだろう。額にはじっとりと汗が滲んでいた。
 近くにあった手拭いを手渡すと、またしても慧音はすまないと答えて受け取った。

「珍しいね、慧音がそんなになるなんて。何かあったの?」

「いや、あまり重要なことでもないんだが……それより、妹紅こそ何か用事があって来たんじゃないのか?」

「あはは……またちょっと輝夜とやりあってね。
 帰りがてらに愚痴ろうかと思ったんだけど、慧音があんまりにも真剣だったから、そんな気もなくなっちゃったかも。
 私でよければ力になるから、よかったら話してね」

 話を聞いてもらうつもりが、話を聞く側になってしまっている。
 そんな妹紅の様子に苦笑しつつも、慧音は筆と紙を手にして口を開いた。

「妹紅。人の身でスペルカードを用いる者をどれくらい知っている?」

「んーと……冥界の半人半霊とか、博麗の巫女とか、吸血鬼のメイドに……あの西洋魔法使いかな?」

「西洋魔法使い……ああ、霧雨家のご令嬢か。他には?」

「あ、何か最近こっちに神社ごと引っ越してきた一家があるって聞いたことがあるよ。
 名前は知らないけど、そこの巫女も結構なやり手だとか」

 ふうむと唸って慧音は筆を走らせる。画数の多い漢字が書かれると、すうっと妹紅が引き気味になった。

「最近の話ならばその巫女ではないな。それ以前……紅霧異変付近でそれらしい者を見たり聞いたりしていないか?」

「紅霧異変って、やけに暑かったあの夏のことだよね。……ごめん、その辺だと何も解らないかな」

「ならば、このような名前の者を知らないだろうか。おそらくは、この者がその人物だと思うのだが」

 端正な文字で書かれた名前を見せられて、ぱちくりとまばたきする妹紅。
 やや考え込んでから、彼女は首を横に振った。

「少なくとも里の人じゃないよね。
 スペルカードを使えるくらいなら、どこかの妖怪相手に派手に騒いでもおかしくないけど、それも聞いたことないし。
 この人がどうかしたの?」

「……どうかしたか解らないから、調べていたんだ」

 妹紅は慧音の言葉をじっと待つ。
 解らないから調べていた、というのは道理だが、白沢の姿になって集中しても解らないというのは何かおかしい。

「紅霧異変の辺りの歴史を調べている時に、この名前が出てきたんだ。
 どうやらスペルカードを持ち、あの異変に関わっていた……ということまでは解ったんだが、それだけだ。
 今のところそれ以上のことはよく解らず、紅霧異変の後にも先にも歴史に痕跡が残っていないんだ」

 完全にお手上げ、と言った感じで彼女は目を伏せる。
 人里の安全に関わるような、緊急の問題ではないにしろ、強い力を持つ者を把握しておくに越したことはない。
 一緒にうーんと唸って、妹紅は何やら首をかしげた。

「妖怪の類じゃなくて、人間だって解ってるのは何で?」

「ああ、言葉が足りなかったな。どうやら異変を解決する側の者だったらしい。
 最近の異変はさておいても、当時の異変解決に動いたのは大抵人間だから、今のところ人間だと見ているんだ」

「そっか。じゃあもしかしたら妖怪の可能性もあるってことなんだ」

 うむ、とうなずく慧音。
 今解っているのはスペルカードの所持者であることと、歴史から拾い上げた名前。そして紅霧異変に関わっていたこと。
 正直な話、これだけでは危険性は判断できない。
 とはいえ、今でこそ安全だと見ている霊夢達でさえ、明けない夜に人里に近付いて慧音とやりあっているのだ。
 危険性や一戦交える可能性はさておいても、やはり未知より既知の方が相手にしやすいのは道理。

「まあ、私でよかったら聞き込みくらいはしてみるよ。
 輝夜達はまあ……その頃のことには疎いだろうし、近くの妖怪にでも」

「すまない。里の方は私で何とかしてみる。
 当時の異変に関わった者達が来ることもあるだろう」

 人里の店では様々な品が扱われているため、人妖問わず訪れるものは多い。
 それは霊夢達とて例外ではなく、かつて弾幕を交えた者同士がご対面、ということはそう珍しくはない。
 人と妖怪の関係も随分丸くなったものだ、という想いを浮かべるのは、歴史を見つめる慧音ならではだろう。

「あ、ごめん。その人っていうか妖怪っていうか……名前、何て読めばいいのかな?」

 人と妖怪の歴史に気持ちが飛んでいた慧音は、あんまりな言葉にずるりと態勢を崩す。

「いやまあ、ほら。難しい字の奴もいるし、横文字の名前の妖怪もいるからさ。
 多分、そういう名前の誰かさんはいなかったと思うんだ、うん」

「まあ……言わなかった私も悪いな。あくまで私が解るのはこの字だけだ。
 幸いにも寺子屋は夏休みだ。個人授業なら受け付けているが……?」

「あはは……それは遠慮しとくよ。暑くて急患続きだとそうそうゆっくり出来ないから」



 かくしてお天道様は空高く昇り、月と星は彼方へ追いやられる。
 陽光は相変わらず手加減など知らない強さで照りつけ、辺りから降り注ぐ蝉の大合唱は否応なしに暑さを助長していた。
 今日も今日とて暑さにやられた者を、急患として永遠亭に搬送している妹紅のことを考えると、頭の下がる思いである。

 先の短い蝉の精一杯の生命の咆哮の中。
 駆け抜けていくのは永遠を生きる娘。

「『生きてるって、なんて素晴らしいんだろう』……か」

 ぽつりと洩らした言葉は、いつか友人が口にした皮肉な言葉。
 本人は決して後ろ向きではないものの、本来は前向きな言葉を皮肉に使われると、気の効いた言葉も出てこない。

「……まあ、無理をしない程度に里で聞き込みをしてみよう」

 ついでに西瓜でも買って妹紅への土産にでも――そんな考えに至ると、ほんの少しだけ彼女の足取りは軽くなった。


 じりじりと照りつける日差しは、人妖問わず体力を奪って身体に熱を籠もらせる。
 そこで倒れてしまえばそれこそ妹紅、ひいては永遠亭のお世話になるのだ。


「黒は光を吸収して熱を溜めやすいと聞くが……どうやら本当のようだな」

「まあ、光を吸収する分だけ日焼けはしづらいそうだ。私にとってはあまり関係ないことだけどな」

 白黒魔法使いを見つけたのは里の外れ。
 木陰に座り込んで……涼んでいるというよりは、暑さに負けて休憩しているというべきか。
 傍らには、彼女のトレードマークである帽子を被った、得体の知れない大きな荷物が縄と風呂敷を纏って鎮座していた。

「いっそ夏場だけ白黒ではなく、白一色になってみるというのはどうだろうか」

「絶対お断わりだ」

 ねめつけるような視線を向けて即答する魔理沙。
 帽子を被りなおして立ち上がろうとするが、まあまあと慧音に宥められて座りなおす。

「むー……何だよもう」

「いや、すまない。後で訪ねるのも悪いから、今のうちに聞いておこうと思ってな」

 妙な話の流れに眉をひそめる魔理沙。
 慧音は手短に、歴史に微かに残っていたその者を探している事を話した。

「……いや、知らないぜそんな奴。第一、あの時乗り込んだのは私達2人だけだぜ?」

「ふむ……ならば、お前達とは別行動を取っていたのだろうか」

「ま、私だって霊夢と常にいたわけじゃないしな。……ああもう」

「先程から聞こうとは思ってはいたんだが……その荷物は何だ?」

 みるみるうちに不機嫌になる魔理沙。
 やがてその肩ががくりと落ちると、小さい声で答えが帰ってきた。

「……霊夢の日用品だ」

「ああ……なるほど。勝利者の権限ということか」

「多過ぎだぜ本当。か弱い乙女には到底無理な量だ。
 こんな時ほど魔法使いで良かったって思うぜ」

 風呂敷包みの縄をよく見れば、その先は箒に結わえてあった。
 なるほど、と感心する慧音ではあったが、それならば何故魔理沙はこんな所にいるのだろうか。
 そんな疑問をぶつけてみると、さも当然の答えが返ってきた。

 ――曰く、荷物が重すぎて彼女込みでは飛べず、仕方なく箒に荷物を任せて徒歩で移動するのだとか。

 聞いてみれば至極当然の理由である。

「ふむ……まあ、手間を取らせて済まなかった。
 私はこれから里に向かうが、もし気が向いたら霊夢にも聞いておいてほしい」

「ああ。でも宴会にも来ないような奴なら、あいつも知らないかもしれない。
 あまり期待しない方がいいかもな」

「いや、それでも構わない。そう急ぐことでもないからな」

 軽く礼を述べて彼女は立ち上がると、人里目指して歩いていく。
 魔理沙がいた場所が陽炎の中に消えてしまってから――慧音はようやく、その方法に思い当たった。

「……半分ずつ運べば、空も飛べたのではないか?」



 里の者に話を聞いてみても大した収穫はなく、増したのは暑さだけ。
 高く昇ったお天道様はいや増す強さで世界を焼いて、全てを干上がらせてしまうかのよう。
 適当な木陰に逃げ込んだ慧音は、帽子を脱ぐと手拭いで汗を拭う。
 昼近くにもなれば、あまり人も出歩かなくなる。
 この暑さの中で仕事をしようものならば、あっさり倒れてしまうのをみんな知っているからだ。
 それで倒れてしまえば……妹紅が大変になるのは言うまでもない。

 ふむ、と慧音は考え込む。
 夏場は使っていない寺子屋に避難して、暑さが和らぐまで待っていようか。
 それともここでのんびりとしていようか。
 思案にふけっていた彼女を呼び戻したのは、どこか懐かしい澄んだ音色だった。
 とても近くから聞こえた音を探して辺りを見渡すと、背後から楽しそうな笑い声が。

「ごきげんよう。歴史ばかり見ていると、私みたいなのに背後を取られるわよ?」

「あ……」

 振り替えれば、小さな体格の割に大きな日傘をさした少女が。
 その背には、人の身では持ち得ないコウモリの翼。
 以前、2度やりあった時には夜だったが、まさか日中でも動けるとは。

「……吸血鬼は日光に弱いはずではなかったのか?」

「あら。困難に際して対策を講じ、それを乗り越えていくのが歴史の流れでしょう?
 私の中ではこれは世紀の大発明と言ってもいいわ。教えてくれたパチェに感謝しないとね」

 自慢気に日傘を見せるのは、紅霧異変の首謀者にして紅魔館の主である吸血鬼、レミリア・スカーレット。
 一体彼女が、どうしてわざわざこんな日中に人里にいるのだろうか。
 そんな疑問を抱きかけて――慧音は先程の澄んだ音色の正体を悟った。

「それは……風鈴か」

「そうよ。うちは風通しが悪いけど、いい音色だからドアベルには使えるでしょう」

 紅魔館に窓がないわけではないが、その数は少ないだろう。
 吸血鬼の弱点である日光を、わざわざ取り入れる必要はないのだから。
 ならばドアベルというのも、また有効な使い方ではあるのか。

「しかしながら、館主自らが来るとは珍しいな」

「そう怖い顔をするものじゃないわよ。咲夜だっていつも完璧じゃいられないから、ちゃんと休ませないと。
 それに里を襲ったって、素敵な物を作る人がいなくなったら困るじゃない」

 余程風鈴が気に入っているのだろうか。
 吸血鬼にとっては悪天候極まりない晴天下でも、レミリアは機嫌良さげに笑って話す。
 妖怪にとって人は必要とされている――そんな答えに辿り着いて、慧音は何だか嬉しくなった。

「しかしながら貴女も大変ね。こんな暑さの中で外回りなんだから。
 よかったら、また紅霧で幻想郷を覆ってあげましょうか?」

「まったく……冗談でも言うことではないだろう。
 確かに暑いが、それで冷害でも起これば今度は冬が辛くなるだけだ」

「まあ、その前に霊夢が飛んで来て解決、でしょうね。
 次があるのなら、そう簡単に負ける気はないけど」

 そこまで話して慧音はようやく、己がどうして里の只中にいるのかを思い出した。
 今の今までその答えに辿り着けなかったのは、この暑さのせいに違いない。
 眼前の吸血鬼はあの紅霧異変の主犯だ。ならば聞いてみる価値はあろう。


「――ふうん。霊夢達とは別に、私と遊ぼうとした誰かがいたわけね。
 興味深いけど……私は会ってないし、パチェや咲夜、美鈴からもそんな話は聞いてないわ」

「むぅ……こちらも手掛かりなしか」

 異変を解決した側の魔理沙と、異変を起こした側のレミリア。
 双方からの話を聞けば、何らかの手掛かりは得られるだろうと踏んでいたのだが、結局は空振り。
 情報とは足で稼ぐものだ、とは果たして誰が言った言葉だったか。
 炎天下で足を運んでも収穫がないとなると……流石の慧音でも肩を落とさざるを得ない

「あら、相変わらず歴史ばかり見ているのね。
 前にも言ったけど、そんなのじゃいつまで経っても運命には届かないわよ?」

「どういうことだ?」

 からかうような声に、思わず彼女はむっとして顔を上げる。
 しかし厳しい視線を意に介さず、レミリアは得意気に胸を張る。

「歴史は過去のことでしょ。ならば運命とは未来のことよ。
 貴女が持っている過去の欠片から、未来を予想するくらいなら出来るんじゃなくて?」

「あ……」

「貴女が探している誰かさんは、私の霧を止めようとしたのよね。
 でも魔理沙は見ていないし、私達も存在だって知らなかった。
 なら――霊夢達より早く、もしくは遅く行動したけど、館に着く前に妖怪にやられてしまった……そんなのはどうかしら」

 披露された推論に、思わず慧音はむぅと唸る。
 彼女とて、推測することを忘れていた訳ではない。
 里の人々の話や、妹紅が集めている情報が揃ってからでも構わなかったからだ。
 それに、有力な証言が得られれば、直接合って話も出来るかもしれない、という期待もあった。
 しかし、ここまでの聞き込みでは全くの空振り続きである。
 今後ももしそうなら……彼女が見た歴史と、今までの証言からすれば、レミリアの推理は筋が通ることになる。

「まあ……これが事実だったら、非力な身で私に喧嘩を売ろうとした気持ちだけは評価してあげたいところね」

「まだそれが事実と決まった訳ではないが……可能性の1つではあるだろう。
 私はもう少し情報を集めて、それで駄目なら考えるが」

「ふふ、運命が途切れたら来るといいわ。うちにはパチェもいるし、推理なら妹も得意だから」



 レミリアと別れてから数時間。陽も傾いた帰路に降り注ぐのはひぐらしの鳴き声。
 手当たり次第に里の者に話を聞いて――何人か重複してしまったが、それはさしたる問題ではない。
 霊夢と勘違いした証言はあったのだが……結果的に得られた情報は皆無だった。
 間違われる辺りは、流石博麗の巫女とでも言うべきだろうか。

 しかしながら途中で思い至り、稗田家にも足を運んではみたものの、まさか幻想郷縁記ですら空振りとは。
 しかし、幻想郷縁記とて万能ではなく、あくまでも阿礼乙女の視点から見た人と妖怪の歴史書だ。
 縁記が役に立つと喜んで応対し、結局落胆させてしまった阿求の表情を思い出し、慧音は今日何度目かのため息をついた。

 妹紅への手土産にと手に入れた西瓜は、さほど重いわけではない。
 それでも、ここまで情報がないという事実がのしかかってくると、手に下げた西瓜も地の底に吸い込まれていくような重さに――

「……?」

 ――何気なく目を向けた足元には、何やら見覚えのある黒い裂け目が。
 色白な細腕がその裂け目から伸びて、弱々しく西瓜を掴んでいた。

「何をしている」

 慧音はその手を掴むと、さながら大根でも引き抜くかのごとく引っ張った。
 すると黒い裂け目が広がって、その中から盗人が顔を覗かせる。
 彼女は悪びれない微笑みでウィンクすると、引っ張られるままに隙間から出て来た。

「ふふ。瑞々しい西瓜だったものだから、つい手が出てしまったわ」

「泥棒だぞ」

「ええ……今度は藍に買いに行ってもらうわ。勿論木の葉のお金は持たせないけど」

 姿を現した妖怪――紫の言動に、慧音は何か引っ掛かるものを感じた。
 どうしてこの西瓜を里で手に入れたと知っているのだろうか?

「……泥棒に加えて覗きか。誉められることではないな」

「まあまあ。目立つものに目がいってしまうのは、人の性というものでしょ?」

 ゆっくりと、己の格好を見直す慧音。
 何かおかしなところでもあっただろうかと考え込んでいると、紫は可笑しそうに口元を緩めた。

「随分と珍しい人を探しているのね」

「知っているのか?」

「貴女よりほんの少し、ね」

 素行や態度はさておいても、彼女の目の前にいるのは大妖怪である。
 慧音の知らないことを知っていたとしても、何ら不思議ではない。
 空間に開いた隙間に腰掛けると、のんびりと紫は口を開く。

「私だって全部知ってる訳じゃないわよ?
 ただ、ほんの少し貴女より多く知っているだけ。
 まあ……あのお嬢様とは違う推論も、あることはあるんだけど」

「いや、構わない。聞かせてもらえないだろうか」

 そうねぇ、と考え込む紫。
 やがてその表情が明るくなり、視線が西瓜に向けられる。

「なら、後で相伴にあずからせてもらおうかしら」

「……情報料のつもりなら、随分安い気がするが」

「推論を聞いてもらうなら、相手も同じ問題を見ていないといけないでしょう?
 もうずっと誰かに語りたくて仕方なかったんだから」

 犯人を知る者は、推理小説を読んでいる者に教えてしまいたくなる。
 天邪鬼とでも言うべき心理ではあるが、何故か彼女に関してはそのような振る舞いこそが自然に見える。
 それはつまり、根っこからそう思われているということかもしれないが。
 何にせよ、その分で値引きされているのならあまり突っ込むこともないだろう。

「では、彼女……と言っていいのかどうかは分からないが、何者なんだ?」

「そこがはっきりしないのよね。
 人間かもしれないし、妖怪かもしれない。
 もしかしたらもっと別の存在かもしれないし、生まれてさえいないのかも」

「分からないことの塊、ということか?」

「あのお嬢様風に言えば、未来の卵みたいなものかしらね。
 私に分かるのはせいぜい――名前と、花と風の符を扱えることと、例の異変の時にいたことだけよ」

 落ちていく陽と長く伸びる影を見やり、紫は空を仰いだ。
 空の端から忍び寄る夜は、昼との境界を橙色に彩って地平線へと向かっている。
 空の境界が姿を現すこの時間こそが、彼女の時間なのだ。

「色々な境界を操っていたときに、たまたま知識の欠片を見つけたのよ。
 それから思い出したときに隙間の中を探してみてるんだけど、手掛かりが見つからなくて」

「……何と言うか、私の聞き込みとは段違いの領域に思えるのだが」

「変わらないわよ。結局草の根を分けるようなものだったし」

 不意に慧音の背後に隙間が展開する。
 ぎくりと気付いて飛びすさるが、紫は困ったように笑うだけ。
 彼女としては座る場所を提供したつもりだったのだろうが、結局慧音は丁重に断った。

「……まあ、だからちょっと考えてみたのよ。
 この答えが起こり得るためには、一体どんな数式が必要なのか」

「その状況がどうやって作られたか、ということか?」

「そうよ。いたはずなのに誰も知らないのでは、どう見ても不自然でしょう。
 興味はあるけど、さしあたっての脅威ではないから、素性に関してはひとまず保留したわ」

 隙間から愛用の日傘を取り出すと、紫は閉じたままのその先端を慧音に突き付けた。
 次いで、真剣な表情から硬質な声が飛ぶ。

「強いて言うなら――その子を隠した犯人は貴女ね」

「……なんだと?」

「ふふ。もしくは似たような能力を持った誰かさん、という話よ。
 本人かもしれないし、別の第三者かもしれないわ」

 女探偵の仮面があっさり砕け散ると、声も合わせて柔らかさを取り戻す。
 心外な濡れ衣を着せられかけて、慧音はようやくその言葉の意味を理解した。

「私には見えていたけど……いつかの明けない夜に、人里の歴史を隠したのはどこの誰だったかしら?」

「その者の歴史が隠されてしまったから、だから私達は一部しか知ることが出来なかった。
 そう言いたいのだな」

「ええ。あくまで仮説の域を出ないけれどね。
 それでも完全には隠せてなかったから、もしかしたらうっかり屋なのかもしれないわ」

 本人か、はたまた他の誰かによって隠された存在。
 ならば、そこには隠されるべき理由があるのではなかろうか。
 謎を解くつもりが更に謎が増えてしまい、慧音は小さく肩を落とした。

「どこまでが真実なのかはまるで分からないわよ。
 これはあくまでも仮説だから、空の虹くらい脆い橋だと思って構わないわ」

「まあ……危険でないのなら、そう気に掛けることでもないのだが」

「安全かもしれないし、危険かもしれない。
 強いかもしれないし、弱いかもしれない。
 もしかしたら、そんな不確定なモノが具現化して、妖怪か何かになった存在なのかもしれないわね」

 はっきりしていることなどごく僅か。
 ならばこそ、紫が言うような存在である可能性もあるのだ。
 彼女は優雅に隙間を足元に展開すると、穏やかな仕草でそこに身を投じた。

「その子――冴月麟に関して、貴女の考えがまとまったら聞かせてもらうわ」

 冴月麟。
 その名こそ、彼女達が手にすることの出来た知識の欠片である。



「そっか。随分と変なのに会う日だったね」

 西瓜を手に今日の顛末を聞いていた妹紅は、随分と失礼なことを口にした。
 魔法使いに吸血鬼に隙間妖怪と、彼女からしてみれば輝夜に焚き付けられて己の所にやってきた刺客である。
 しかしながら、結局輝夜が全て悪いということにしてしまえば、お互いが被害者なのだから恨むことも出来そうにない。
 それでも、こっぴどくやられたことに変わりはないのだが。

「けど、本当に奇妙なもんだね。人も妖怪も、誰も知らない誰かさんってのも」

「そうだな。私もここまで難儀するとは思わなかった」

 参ったように苦笑する慧音。
 予想通りというべきか、結局の所妹紅の側でもこれといった情報は得られなかったのだ。
 傍らの自分の皿にある西瓜に手を伸ばしたが、その手は妙な所で空を切る。
 目を凝らせば、そこには閉まっていく空間の裂け目が僅かに存在していた。


『なら、後で相伴にあずからせてもらおうかしら』


「……まったく」

 不意に引き落とされた情報料。
 大妖怪相手に得られた情報にしてはその代償は格安に思えるが、情報の価値など人それぞれだ。
 西瓜の一切れで貴重な話を聞けたのだから、悪戯めいた方法くらいは大目に見るべきか。

「ま、お互いあんまり収穫なかったけど、お疲れ様」

「ああ、すまなかったな。面倒なことを頼んでしまって」

「ん……別にそうでもないよ。かえってその分休んでたような気もするくらいだから」

 改めて西瓜を手にする慧音。
 彼女が口をつけようとする前に、妹紅は何とか言葉を滑り込ませた。

「ねえ慧音」

「ん?」

「色々話は聞いてきたみたいだけど、慧音はその子のことについてどう考えてるの?」

 せめて食べ終わるまで待てば良かったかな、とは思ったものの、気になってしまったことは仕方ない。
 西瓜を皿に戻した慧音の答えを、ただ妹紅は黙ってじっと待つ。

 レミリアの答えは、妖怪にも負けるけど気持ちだけは一人前の者。
 紫の答えは、不確定の塊。
 どちらの答えも、慧音が出すであろう答えですらも、実際は雲のようなものなのだが。
 
「――そうだな。のんびりとでもいいから考え続けていたい。
 私は聞き込みとか歴史とか、そういう積み重ねるものの方が向いてると思うから」

「面白い仮説とかはまだないの?」

「今のところは、な。だから時間を掛けて、いつかちゃんと辿り着いてみせる」

 言葉に出して、それが確固たる意思になったかのように、慧音は静かに笑みを浮かべてみせた。



 ――しゃくり、と西瓜を頬張って微笑む姿は、それが例え誰であろうと幸せな眺めである。
 彼女もそんな光景を見ながら同じことをしていたのだが……座って食べないのは行儀が悪いかもしれない。
 いや、そもそも周囲の状況が状況である。隙間の中を漂う彼女にとっては、最早体勢など関係ない。

「――そう。貴女はそう考えたのね」

 境界を操り、多くのことを成せる幻想郷の大妖怪、八雲紫。
 その彼女が追ってもなお追いきれなかった存在、冴月麟。

 さほど真剣にではないにせよ、このことについては暇つぶしも兼ねて、彼女は多くのことを考えてきた。
 別に差し迫った問題ではない……という点では紫も慧音も同じ考えである。
 慧音はのんびりとこれからも、冴月麟という存在について調べるだろう。
 その存在を知って探す者が増え、紫としてはそれがほんの少しだけ嬉しかった。

 ――きっと独り暮らしの楽園など、楽園にはなり得ない。
 共に過ごす者がいて、共に語らう者がいて、共に宴会を楽しむものがいて、初めて楽園は楽園となり得るのだから――

「本当。どこかで迷子になっているのなら、連れて来てあげられるのにね」

 ぽつりと呟いて、紫はようやくこの件を知る者が他にも増えたのだということを思い出した。
 空腹もあったのだろうか、西瓜に気を取られていて忘れたのか、何にしても彼女らしくない。

「一応、あなたにも聞いておきましょうか」

 そう微笑んで、彼女は『こちら』へと向き直った。

「冴月麟という子について、あなたはどう考えているのかしら?」
 東方紅魔郷における幻のプレイヤーキャラ、冴月麟。
 東方wiki内、東方スレFAQで彼女の存在を知ってから、ずっと彼女の話を書きたくて仕方ありませんでした。
 前作終了後から書き始めたものの季節は既に穣子様の秋。いつだって季節に置いて行かれてしまう鴻です。

 幻想郷内から見た場合、彼女は一体どう見えるのだろうかと考えたのが今作の発端だったように思えます。
 彼女に関しては中国の聖獣麒麟であったり、花屋の娘だったりする説をよく見ます。
 今作では花屋の娘説はないものとなっていますが、可能性を否定するものではありませんのでご了承下さい。
 彼女が何者かということに関して、自分は特に支持したい説はありません。
 せめて麒麟のように優しい子であってくれればいいな、ってくらいは思いますけど。

 彼女が持っていたであろう風符と花符。そして冴月が皐月に通じるのなら、冴月≒皐月=五月。
『三月の風と四月の雨が、五月の花をつれてくる』という英語のことわざから考えると、
 もし彼女のスペルカードに3枚目があったのならばそれは雨符ではないか、という仮説だけ置いて彼女の復活を願います。

 10/15追記
 東方紅魔郷体験版ver0.13でも冴月麟の存在を確認しました。
 製品版を持っていない方は、この機会にちょっとだけ覗いてみてはいかがでしょうか。

 一部検索でスペースの全角/半角で同一作者と認識されないようなのでこっそりと作者名修正。
鈴風 鴻
team_suzukaze@hotmail.co.jp
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3706858
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コメント



0.890簡易評価
3.100煉獄削除
冴月麟というキャラの名前はチラホラと見たことがありますね。
幻のキャラであり、設定だけはあった人物。
紅魔郷をもっていない私は名前だけはしっているだけであったりしました。
今回の作品もその麟を題材にしたお話だったようで、面白く読むことができました。
彼女がもし現れるとしたら、どのようなことになるのでしょうね?
10.90名前が無い程度の能力削除
まさかこんなネタで来るとは
序盤でなんとなく麟の話だとは気付きましたが、終始わくわくしながら読めました

麟の創作が増えすぎず少なすぎずいい感じになれば
もしかすると神主もいつか・・・
12.100名前が無い程度の能力削除
成程……
これは盲点でした。
なかなか斬新で良いと思いますよ
13.80名前が無い程度の能力削除
そういえば地霊殿のデータファイルにも「ゲーム中に出てこないキャラ」がいるんだっけ?