Coolier - 新生・東方創想話

東方大図書館 「春琴抄」

2008/10/08 17:23:36
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※以下のお話には百合表現や谷崎潤一郎著「春琴抄」の当方による極端な文学解釈が含まれています。
 百合が嫌いな方、谷崎潤一郎ファンの方は、ブラウザ上部の「戻る」にて引き返される方が賢明かと思われます。








「春琴抄」


 ───太陽が西に沈み始め、空は茜色に染まっている。
 少女は一冊の本に読み耽っていた。
 傍らには紅い紅茶。優しい色を放つスタンドライト。そしてテーブルに突っ伏して居眠りする白いブラウスに、裾が大きく広がった黒いフレアースカートを着た金髪の少女。
 窓も、外光が入る隙間すらないその部屋の中、その部分だけが切り取られたかの様に浮かんでいる。

 ここは霧の湖に浮かぶ孤島。その畔に聳え立つ洋館───紅魔館。
 吸血鬼が住むことで人々に知られ、恐れられている悪魔の館。
 館の地下の広大なスペースを使った大図書館。彼女がいるのはそこである。
 今は暗闇に包まれ人間には視認できないが、この図書館には人間の一生全てを読むことに捧げても読み切れぬほどの書物が存在する。しかし驚いたことに、その書物全てが彼女の蔵書であり、さらに驚いたことにその全てを彼女は読破している。ただ読むだけでなく、全てを理解し、暗記すらしていた。
 詰まる所、彼女は人間ではないのだ。魔法使いなのである。
 魔法使いの少女は今日も、そして明日も、何年先も、何十年先も、唯々本を読み続ける。
 それが彼女の生き甲斐であり、生きる理由でもある。
「本の傍に或るものこそ自分」
 彼女に本を読み続ける理由を訊ねた時、必ずその答えが返ってくる。
 他人は彼女をこう呼ぶ。
 知識と日陰の少女。
 得体の知れない魔法の元。
 花曇の魔女。
 そして───動かない図書館。
 彼女の名は、パチュリー・ノーレッジ。
 

「……そろそろ陽が沈むわよ。いい加減、起きなさい」
 パチュリーは読みかけの本に、金属で出来た洒落た栞を挟んで、傍らでだらしなく口を半開きにして眠る少女に声をかけた。
 しかし金髪の少女は全く反応せず、気持ち良さそうに眠り続けている。
 その少女の名は霧雨魔理沙。パチュリーと同じ魔法使いであるが、両者には大きな違いがある。魔理沙は正確には魔法使いではなく、魔法が使える程度の人間なのである。だからといって、嗜む程度ではない。妖怪や妖精の住む魔法の森に居を構えて、日夜独自の魔法を研究できる実力を持つ。人々から悪魔の館と言われ、恐れられているこの紅魔館で堂々と眠りこけることができるのも、彼女の力量を示す一端とも云える。
 何時まで経っても目を覚まさない魔理沙に対し、パチュリーは呆れ果てるかと思われたが、逆に慈しむかのように瞳を細め、口元には微笑みを湛えていた。何も知らない者が見れば、妖怪の少女が人間の少女を、まるで愛玩動物を愛でているかのように映るかもしれない。しかし、二人の関係を、それぞれの胸に抱いた想いを少しでも知っている者が見れば、その光景は紛れもなく───。
「……まったく。居眠りしに来たのかしら?あなたは」
 小さく細い指で、魔理沙の髪にそっと触れる。相手を起こさぬように、相手に気づかれぬように、その指先は躊躇いつつも内なる欲望に勝てずに、何度も魔理沙の長く柔らかな髪をなぞった。
 パチュリーの心臓は早鐘のように高まった。たかが髪に触れる程度、されど愛しき人の髪なれば誰であろうとそうなる。そして誰であろうと、それだけでは満足できなくなる。
彼女の欲望の具現と化したパチュリーの右手は、今度は端整な顔立ちの魔理沙の真っ白な頬に伸びた。
禁断の果実が手に届く、その瞬間。
「───居眠りはついでだぜ。ここには本を借りにきた」
「むきゅ!?」
 突っ伏した姿勢のまま人間の魔法使いは左目だけ開き、パチュリーの表情を下から覗いていた。
 自分でも何を言っているのかわからない奇声をあげて、パチュリーは反射的に罪深き右手を跳ね上げる。
 反動で彼女の座る椅子がガタガタと音を鳴らした。
 顔を真っ赤にして慌てふためくパチュリーを眺めつつ、魔理沙はゆっくりと身を起こした。両手を大きく上に広げて背伸びし、身体をほぐしている
「い、い、いつから!?お、起きていたの?」
「結構前から目は覚めていたんだが、起きるのが面倒だったから」
「寝たふりしていたの!?」
「まぁ、そういうことだ」
 魔理沙はそこでニヤリと笑うと、ティーポットから冷め切った紅茶をカップに注ぎ、ぐいっと飲み干した。
「次は、出来ればもう少し力を加えて貰っても構わないぜ。そんなに優しく触られるとムズムズしてくる」
「な!?つ、次って。次はないわよ!」
「そうなのか。……残念だぜ」
 両手を頭の後ろで組み、本当に残念そうな表情で唇を尖らせた。
 蛸よりも赤く茹で上がったパチュリーの顔は、そんな魔理沙の仕草を見て、ヴェスヴィオ火山のごとく噴火した。普段は無表情で、何を考えているのか周囲に悟られ難い彼女だが、この人間といると常に冷静でいることができない。全くもって心臓に悪いとパチュリーは常に考えている。
「ん?」
 魔理沙は先程までパチュリーが読んでいた本を手に取った。
───春琴抄  著:谷崎潤一郎
 簡素な表紙にはそれだけが書かれていた。
「日本の本か?本当にパチュリーは何でも読むんだなぁ」
 言葉の通りに心底感心したとばかりに、うんうんと首を縦に振りつつ人間の魔法使いはその本を適当にぱらりと捲った。
 が、途端にその表情は驚きへと変わる。
「なんだ、この本?魔道書か?暗号みたいだな……」
 魔理沙の興味が本へと移ったことで、少し冷静になれたパチュリーは、左手を心臓に当て、ほぅと深呼吸してから、
「紛れもなく日本の本。文学小説よ」
 とだけ答えた。
 それに対し魔理沙は、一度だけパチュリーの顔を見て、すぐに謎の本へと目を戻した。
「わたしが生まれてから身につけて使い続けた日本語は、何かの間違いだったのか?」
「あなたが普段使っている言葉は日本語よ。私が保証するわ」
「じゃ、この本は何なの?」
「日本語」
 「だっー」と意味不明な声を出し、大きく後ろに仰け反る魔理沙。そんな彼女を見て、漸く落ち着いてきたパチュリーは説明をすることにした。
「魔理沙が変だと思うのもおかしくないわ。これは今までの常識を壊す特徴的、且つ実験的な文体で記されているのだから」
「……実験的ねぇ。わたしには句読点を書くのが面倒くさかったとしか思えないぜ」
「あら。分かっているじゃない」
 そう言ってパチュリーは優しく微笑み説明を続けた。
「一目見て気づいたと思うけど、この小説には、改行、句読点、鉤括弧が極力使われていないわ。文章の区切りとして稀に空行がある以外は改行を使っていないし、通常なら句点を必要とする場所にも使用されていない。10行以上句点を用いず書かれている部分もあるわ」
 通常の文体ならば、「…する。または…」や「…である。彼は…」と記されるのだが、この本に限っては「…するまたは…」「…である彼は…」と句点を略してしまっている。常識的な人間には非常に難読な文体である。
「何だってこんな書き方をしているんだ?実験するからには何か目的があるんだろ?」
 ティーポットの傍に置かれた、角砂糖を入れた小瓶を両手で弄びつつ、興味津々とばかりに行儀の悪い生徒は訊ねた。
「そうね……。ある意味、作者の薀蓄の表れであるとも言えるけれども、それは作品的価値を突出させただけの捉え方だし……。そう、私はこの文体こそがこの作品を体現していると考えているわ」
(相変わらず、パチュリーの説明は分かりづらいぜ)
 という感想は言葉にせず、霧雨魔理沙は続きを促した。
「読んでみれば分かるけど、この物語は一種の倒錯的な愛───マゾヒズム的な耽美主義が描かれているわ」
「それだけ聞くと、すごく読みたくないぜ」
「むぅ。じゃあ、簡単にあらすじを言うわね?」


 大阪道修町の薬種商である鵙屋の娘、琴は九歳の時に失明したが、音曲の才にめぐまれ端麗な容姿の美女だった。
4つ年上の奉公人である佐助は、琴が三味線の師匠の元に通う際の手引き役や身の回りの世話を献身的に勤めるうち、自らも琴から三味線を学ぶこととなる。しかし我侭に育った琴は、佐助が泣き出してしまう程の激しい稽古をつけるのだった。
琴はやがて妊娠していることが発覚し、佐助と瓜二つの子を産んだが、佐助との関係を両親には強く否定する。子は里子に出され、二十歳になった折、琴は春琴と名乗って佐助と同棲し、音曲師匠としての生活に入る。佐助は春琴の弟子・使用人・恋人となり春琴のすべてに仕える。春琴の腕前は一流として広く知られるようになったが、我侭で強欲な彼女の贅沢で財政は苦しかった。
そんな中、さる放蕩息子の求婚を強く撥ね付けた春琴は、ある夜、何者かに熱湯を浴びせられ、顔に火傷を負う。春琴は爛れた自分の顔を見せることを嫌がり、佐助を近づけようともしない。傷心の春琴を想う佐助は、自分の眼を針で突き、失明した上でその後も春琴に仕えた。
佐助は自らも三味線の師匠となり、温井琴台を名乗ることを許されたが、相変わらず結婚はせずに春琴の身の回りを続けた。
後に春琴は明治十九年に脚気で亡くなり、佐助も二十一年後の明治四十年に亡くなった。


「……読まなくて正解だったぜ」
 あらすじを聞いた魔理沙の感想はその一言のみであった。
「補足しておくと、作者、谷崎潤一郎の自伝小説『異端者の悲しみ』の中で、佐助は自らのマゾヒスティックな趣向を満たしてくれる女性を必要としているだけであって、献身自体が目的であるわけではない、とその心情を語っているわ」
「ご丁寧にどうも。余計に気分が悪いぜ」
「意外と潔癖症だったのね、魔理沙?」
「別にそういう部分に嫌悪してるんじゃなく……」
 そう言いながら、魔理沙は実際にはない針を右手で掴み、それを自分の目に刺すふりをした。
「このシーンが、どうも気持ち悪いぜ。そこまでする狂信的な感情が、わたしには理解できない」
「……そこよ」
 パチュリーは、そうポソリと呟くと、秘薬実験用に置いてあるアルコールランプに魔法で火を灯し、その上に、水で満たされた丸底フラスコを三脚で固定して置いた。彼女が自分でお茶を作る時は、いつもその様にして湯を沸かすのである。
「何がそこ?これは『まるぞこ』だぜ?」
 パチュリーがセットしたフラスコを突っつきながら、魔理沙はニヤニヤと笑った。
「実験的文体にした理由よ。魔理沙が訊いてきたのよ?私は作者があの文体にした理由は、佐助が失明したからだと捉えているわ」
「……?」
「この物語は、春琴の墓を参る『私』のモノローグから始まるの。この『私』こそが作者の谷崎潤一郎。そして先の『異端者の悲しみ』は自伝であり、佐助の心情を綴ったその内容は、そのまま谷崎潤一郎の心情だと言い換えられる」
「つまり?私と佐助と谷崎某は同一人物?」
「そこまで極端にではなく、もっと幻視的な繋がりではないかと思うの」
「んー?ちょっとこんがらがってきたぜ」
「そうね。『なりきって』書いた、と言うべきかしら。春琴と佐助の物語を『佐助』が述懐的に語っているように『私』がなりきっている、という感じかしら」
「……ふむ」
 腕を組み、深い暗闇で視認出来ない天井を仰ぎ、魔理沙は暫く考えた。
「───つまり、作者の谷崎某は、『私』になって物語を書いた。『私』は『佐助』になって事の次第を語っている、ということ?」
「そうよ」
 パチュリーは教え子が成長する様を見守る教師の如く、温かな表情で魔理沙を見つめている。
 すると突然、魔理沙は両手をぱんっと叩いた。
「そうか!だから、こんな変な文体なのか!」
「そう」
「作者は『私』を通して、結果的に『佐助』に『なりきって』この本を書いた。目が見えない『佐助』が後の述懐のように語っているのだから、文章も盲目の人物が書いているように書かないといけない」
「だからこの文章は、句読点、改行、鉤括弧がない。何も見えない状態で文章を正しく改行するのは難しいわ」
「さらに内容が内容だから、語り部が冷静なわけがない」
「句点の少なさ、登場人物の台詞に本来使われるはずの鉤括弧のなさに、語り部の心情が溢れ出ているわね。焦燥感、とは少し違うけれど、冷静に文章を記せない感情が表されている」
「なるほどなぁ」
 そこまで理解したが、魔理沙はどうにも腑に落ちない部分があるのか、火にかけられたフラスコが沸騰する様を眺めながら、まだしばらく考えていた。
「文体の理由は、私の解釈では以上だけど。まだ何か気になるの?」
「そのことは、もういい。わたしにも理解できたぜ。ただ……」
すっと視線を上げ、正面からパチュリーを見つめる。
せっかく静まったパチュリーの心臓は、また少し跳ね上がった。
「やっぱり、目を潰した理由が理解できない。そこまでする必要があるのか?」
 魔理沙の問いにパチュリーは、「春琴抄」を手に取り、ゆっくりと語った。
「作中、春琴はとても美しく、気高く、高慢な女性として描かれているの。佐助に対する態度もとても高圧的だわ」
 普段は落ち着きがない魔理沙だが、この時だけは、ただ静かに耳を傾けていた。
「でも、顔に負傷を負ってからは、佐助に対して自らの容姿を恥じるという、弱い部分をみせている。それが、佐助には許せなかった。佐助が望む春琴は、弱さや脆さを持たない、自分の被虐趣味を満たしてくれる女性であり続けなければいけなかった。弱い春琴を拒絶する為、彼は目を潰したのだと思う」
「自分が見えないのならば、相手は今までの高慢なお嬢さんに戻る、と考えたわけか。やーっぱり、理解できないな。わたしには受け入れられない考え方だぜ」
 魔理沙はそう言って、またテーブルにつっぷした。
「でも魔理沙?佐助は被虐趣味があったから、自分の欲求を満たす春琴を取り戻す為に失明をえらんだけれども、もしも、恋人が顔に傷を負い、自分に見られるのを拒んだら、あなたはどうする?」
 魔理沙は、顔をあげず、何も言わなかった。

「……私は、目を潰すかもしれない」

 パチュリーは俯いて、小さな声でそう言った。
 アルコールランプの上の水は、いつの間にか沸騰し熱湯へと姿を変えていた。
 その傍でうつ伏せている魔理沙は、何も言わなかった。


 ───数日後。
 いつもの大図書館でパチュリーは本を読んでいた。
 傍らには冷め切った紅茶と、優しい色を放つスタンドライト。そして、一冊の分厚い本を広げ、パチュリーの向かいに座る人間の魔法使い。
 魔理沙は唐突に口を開いた。
「───この前の続きなんだが」
 日陰の少女は魔理沙を見る。でも魔理沙は、じっと手元の本から視線を外さなかった。
「わたしなら、目を潰さない。わたしなら全部『みて』やる。逃げられても、追いかけて捕まえて、それでも『みる』」
 そこで、魔理沙は顔を上げた。
 まっすぐにパチュリーの小さな瞳を見つめ、真剣な表情で続けた。

「ずっと、一生、面倒『みる』ぜ」

 そういって、いつもの太陽の様に晴やかな笑顔を見せた。
 パチュリーは───。

fin
「赤と黒」に続きまして、もう一作投稿させて頂きます。
拙い文章でございますが、ここまで読んで頂きありがとうございます。

なにぶん未熟者でございますので、コメントにてご指摘くださると助かります。

前作の最後にも付記しましたが、パチュリーが説明下手というのは当方個人の勝手な設定です。
本当に申し訳ございません。
やしたさゆき
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コメント



0.210簡易評価
2.70煉獄削除
小説などを話のネタとしてだして、自分たちがどういう解釈をもっているかという
談義をしているのでしょうか・・・?
う~ん・・・魔理沙はそれでも自分は目を潰さずにありのままを受け入れたいという思いがあり、
パチュリーは目を潰すことで前と同じでいてくれることを望む・・・。
革新派と保守派・・・と、いうことですか? いや、何か違うな。
どういったら良いんでしょうね?(苦笑)
実際、作品は面白かったですよ。
6.60名前が無い程度の能力削除
些細なことですがパチュリーが本を暗記までしているというのは地霊殿の会話と矛盾するかもしれませんね
作品は面白かったと思います
7.30つくし削除
俺の中の小説神こと谷崎潤一郎と聞いて飛んできました
しかしちょっと説明に終始してしまって読むのがしんどいです。魔理沙とパチュリーの小説談義もなんだか言わされてる感が漂ってますし。小説を翻案して二次創作するときは、小説それ自体はでしゃばらずに、しかしそれをエッセンスとして抽出し、小説に織り交ぜて展開させた方が美味しく仕上がります。
ところで『春琴抄』おもしろいですよね。俺も大好きです。
9.10名前が無い程度の能力削除
前作も含めてこれは何です?本の紹介と考察がしたいだけにしか見えませんけど。
「東方でやる必要が無い」という言葉は好きじゃないですけど、作者の代弁をしてくれるなら誰でもいいように感じました。
10.100名前が無い程度の能力削除
これは面白い試みですな、てかマリサカッコよすぎwwww
賛否両論ありそうですが是非とも続き希望。
12.40名前が無い程度の能力削除
句読点、改行、鉤括弧がない。
それでもその文章は美しく、時に妖しく、嫌がおうにも自分の中に入り込んでくる。
春琴抄を初めて読んだ時の感情を思い出しました。
谷崎の作品はエロさが滲み出てますよね。

で、内容の方ですが、すでに7の方も言われているように、しんどいです。

もし次回があるなら、古典が二つ続いたんで、最近の純文学とかの考察が読みたいなとか思ったり。