「泣くなよ」
若い魔女が、吐き捨てるように言いました。
「泣いていませんよ」
魔女と相対した長身の女性は、帽子を直しながらそう返しました。
「うそだな、じゃあどうしてお前は、涙を流しているんだ」
「これは、雨が滴っているだけです」
ほら、と、彼女は顔をあげました。
落ちてくる雨が、彼女の頬をたちまち濡らします。
「じゃあもうスキにしたらいいさ、これ以上お前と問答している暇は私にゃないぜ」
「道理も筋合いもありませんよ」
女性はあくまでたおやかに返しました。
「・・・・・・馬鹿だよ、お前って」
「よく、言われますから」
魔法使いは帽子を被りなおしました。
顔が見られないように、深く。
雨は叩きつけるように降り続け、彼女らが対峙していた草原も例外なく、二人はとうの昔に濡れ鼠でした。
「なあ。せめて泣いていないって言い張るのなら、その震えた声をどうにかしろよ」
「ええ、ではあなたが居なくなってから、存分に泣いてみせましょうか」
女性はそう、震えた声で、でも精一杯に取り繕って見せます。
「意地っぱり」
「どうとでも」
「不器用、世渡り下手!」
「ええ」
魔法使いが矢継ぎ早に言葉を投げかけても、女性のほうは言葉を濁すばかりでした。
「ちぇっ・・・・・・。格好つけてるつもりかよ」
魔法使いはそのまま身を翻すと、そのまま振り返ることもなく去っていきました。
一人残された女性――永江衣玖は、さて、これからどうしたものかと腕を組み、まずはこの雨に打たれているのが良い、格好悪い涙もきっと流しつくしてくれるということで、一人当てもなくふらつき始めました。
閃光に遅れて、、ガラスを地面に叩きつけたような音が鳴り響きます。
「ああ、雷」
ぽつりと呟き、あの雲の中を思いっきり泳げたらどんなに楽しいだろうか、いや、今の私にそんなことは許されない。
「ああ」
唐突に衣玖は声をあげました。
「そうでした、私は泣くんでしたね」
◆
妖精たちもこの時ばかりは静まり返り、森を抜けたときも(道が無くなっていて、難儀しましたが)、凸凹になった道を一人歩いているときも、不気味な静けさが漂っていました。
普段ならば妖精が、ところ構わず騒ぎ立て、それを追って妖怪がじゃれ合っていたり、道端にはみすぼらしくも可憐な花が咲き乱れていて。
今は、ただ静寂。
一瞬でも足を止めたならば、きっと私は空気の重みに耐えられないでしょう。
私は、この地上の空気が好きでした。
天界は確かに夢のような場所ではあるでしょう。人々は満ちたり、美しい歌が、風景が常に傍にあるのですから。
けれど私は、天界人が顕界を見下していようが、彼らの生きる様に一種の憧憬を抱いていたのです。
互いに寄り添い合い、泣き、笑う彼らと、常に満ち足りながらも満足しきれない天界人。
はたして、どちらが魅力的でしょうか?
そして今、私は里の中心部に立っています。
人間も妖怪も心の拠り所にしていた、豊かな里の姿なのかと目を疑っても変わらない、紛れもない事実でした。
風に揺れていた黄金の稲穂も、私はそれを眺めるのが好きだった場所も、地上に降りては、人間たちに混ざってお茶の一杯でも飲んでいく茶屋も。
今ではそこにあったたことが信じられないぐらいに捻り潰されていて、草を椅子にして眺めた美しい清流もいまは茶色に濁り、その濁りは人心までをも蝕んでいました。
人間も妖怪も、その瞳に絶望感を称え、私を見ると怨嗟をぶつけてくるのです。
といっても、力のある妖怪たちは日常を崩さず、悲しみに暮れているのは力なきものたち、彼らはそのやるせなさを私にぶつけているのです。
もちろんこれを不条理だなんて叫ぶつもりは毛頭ありません。
生きている限り、彼らは生きていかなければいけないのです。
具合の悪いことに、雨が降ってきました。
雨は体力を奪い、心を病ませ、嗚咽さえも、かき消すようでした。
ただ、絶望の空気だけを育てていく。
余震だけではない、彼らはこれから洪水にも気を払わなければならなくなる。
直感的に、私は雨が強くなるのを感じていました。
手を差し出せば、手のひらにバシ、バシ、と水滴がぶつかってきます、泣きっ面に蜂、といったところでしょうかね。
この雨が人々の涙を代替しているのならいいのですが、どうやらこの雨は、人々の生きる気力を削ぎにやってきた魔物のようです。
私は重い足取りで、講堂があった場所へと向かいました。
祭事のさいには多くの人々が集まり、物事を決めたり宴会を開く場所で、有事の際には集まることになっている、そのはずです。
そこでは疲れた表情の方々が空を眺め、あるいは雨よけを作ろうと必死でした。
そして、綺麗な身なりの私を見ると、やはり揃って、忌々しげな視線を向けてくるのです。
陣頭で仕切っているのは、歴史の半獣、上白沢慧音。
地上にそこまで明るくない私でも、こういう事態になれば率先して彼女が動くとは思っていました。
若い男性を纏め上げ、どうにかこうにか雨風だけでも凌げるようにと・・・・・・。
しかし、このまま雨が続くようならば、堤防が決壊しないように動かなければなりません。
私が声をかけようかと逡巡していると、若い女性が、上白沢さんへと駆け寄っていって、何やら話をしていました。
蛙とヘビのアクセサリーをつけた、意思の強そうな女の子でした。
彼女もまた、里のため人のため、奔走しているようです。
声をかけようかとも思いましたが、私に手伝えることは少ないですし、何よりいい顔もされません。
「あら珍しい、龍宮の使いじゃない」
振り向くと、以前天界まで昇ってきた巫女が、無愛想な表情をして立っていました。
「こんにちは、博麗霊夢さん」
「霊夢でいいわよ、別に」
調子が狂うと言いながら、彼女は雨で濡れた髪を払いました。
「なんか、凄いことなったわね」
「ええ・・・・・・。立ち直れればいいんですが」
「立ち直るでしょ。そこまで弱くない」
彼女は即答し、けれど憂いを帯びた表情で続けました。
「立ち直らなきゃ、いけないから」
「おい霊夢、何そこでサボってんだよ。さっさと手伝えっての」
同じく天界まで昇ってきた魔法使いが、私の姿を認めるとバツを悪そうにして、霊夢さんを連れて行ってしまいました。
一人になった私が避難所を見回すと、女性たちは一所に集まって、子供たちの世話をしていました。
その輪の中心には奇妙な女性がおり、雨にも負けず燃え続ける火が、もんぺ姿の女性から発せられていました。
周りにはぶっきらぼうに見せているようでしたが、里の人への深い愛情がこもった火が、冷めた体に暖を与えているようでした。
彼女は私の姿を見つけると、「混ざっていきなよ」と声をかけてくれましたが、私を見て露骨にいやな顔をする人もいます。
辛いですが、仕方ありません。
私は誘いを丁重に断り、立ち去ることにしました。
もんぺ姿の女性は残念そうに「風邪には気をつけて」と言ってくれました。
確かに体は冷えますが、凍った人の心に比べれば、私が暖を取る理由なんて少しもないんですから。
そう自分に言い聞かせ、思い立ってギュっと袖を絞ってみました。
思った通り、水が流れだしましたが、さらに強くなった雨足の前には、絞ったぐらいじゃ焼け石に水でした。
「ふぅ・・・・・・」
何度見ても、災害の痕は慣れません。
悲しみ、やり場のない怒りに心を疲弊させ、荒んだ人たちは言葉のナイフを向け合ってしまう。
そんなことを俯きながら考えて、ふと顔をあげてみると、賢者と呼ばれる妖怪、八雲紫とその式が、こちらへ向かって歩いてきました。
「こんにちは、ごきげんうるわしゅう」
「こんにちは、八雲紫さん」
「紫でいいわ。大変なことになったわね」
そういって扇で口元を隠し、いかにも悲しげな表情をしてみせる。
隣で式は、何の感慨もないというように傘を差しており、不気味でした。
「ええ、避けようがありませんし・・・・・・」
「そうねぇ、まぁがんばりましょう。人間が万が一全滅でもされたら困るのよねぇ。さ、これから忙しくなるわよぉ、行くわよ藍」
「はい、紫さま」
「それじゃあねぇ」
ひらひらと手を振ってから、横を優雅に抜けていく八雲とその式。
一体どこまでが彼女らの本心なのか、私は掴みそこねていました。
彼女はまるで雲のよう、けれど一つわかることは、彼女は今は、人間の味方だということ。
ほっとしたような、そうでないような。
雨は、もう殴りつけるような勢いにまで強まってきました。
服は余すところなく雨に濡れ、体にベッタリと張り付いていました。
もう、帰ろう。
私にできることなど、何一つない。
余所者が和を乱すなら、それなら何もしないほうがいい。
私は打ちひしがれた人々を背にして、とぼとぼと里の外へと歩きはじめました。
辛うじて原型を留めている家や、さぞ立派だったろう屋敷が崩れているのを見て――
また、その中にいまだ取り残されているかもしれない人々を思って、歯痒い思いを私は隠せずにいました。
それでも、何もしないで帰ることが、私にできる最善のはずです。
「うっぐ、えぐっ」
雨に混じって、人の嗚咽が聞こえてきました。
どうやら、避難所から外れて泣いている人がいたようです。
辺りに注意を向けると、その人は何の苦労もなく見つかりました。
声の主、まだ若い女性は腕に乳飲み子を抱き、当人は地面にへたり込んで嗚咽を漏らすばかり。
何が起こったかなど、それは火を見るよりも明らかでした。
「大丈夫ですか?」
気づけば私は駆け寄って、その人へと声をかけていました。
ああ、なんて空虚な響きだろう。
何の反応も見せない乳飲み子を抱えた女性が、大丈夫なわけがありません。
自分の間抜けさに呆れながらも、なんとか避難所まで引っ張っていってあげなくてはいけない、そんな義務感が生まれていました。
きっと彼女からすれば、それは大きなお世話であり、世間的に見てもこれは独善に過ぎないのかもしれません。
けれど、生きる気力がなくても、生きているからには、精一杯足掻かなければならない、そう考えるのは、私のエゴなのでしょうか?
女性は私の言葉に意を介さず、その場から離れる気もないようでした。
けれど、この雨の中暖も取らずにいれば、後を追うことになるのは誰の目にも明らかです。
「大丈夫ですか?」
「放っておいて!」
私が心配して声をかけても、女性は突き放してまた泣き始めてしまいました。
子を想う母の気持ちはわかるつもりです、だからといって後を追って何になるというのでしょう。
裁きを受ければ、独善的だと閻魔に地獄に落とされてしまうかもしれない。
いいえ、もしかすると河を渡りきることすら・・・・・・。
そう考えると、この若い母親を、私はどうしても放っておくことができませんでした。
そこで、私は一計を講じます。
「避難所でも、あなたのような人を多くみましたよ。ええ、絶望感に打ちひしがれている人々を」
「・・・・・・」
「大変でしたね、天災ですから恨もうにも恨むこともできませんし。
家が潰れても、身内が亡くなっても、やり場のない怒りと悲しみに、心まで押し潰されてしまいそうになっても。
ひたすら耐えるしかないんです。」
「・・・・・・・」
「でも、よかったじゃないですか。赤子ならまたすぐにでも産まれますよ」
◆
「慧音、大変だ!」
上白沢慧音が堤防に土嚢を積んでいると、そこに藤原妹紅が顔を真っ青にして飛んできた。
ただ事ではないと感じ取った慧音は土嚢を一つ積み上げて、妹紅のほうへ向き直った。
「竜宮の使いは知ってるよな? 慧音」
「ん、ああもちろんだ。今回の災害も、彼女のおかげで若干の備えはできていた・・・・・・。
といっても、講堂まで吹き飛ばされるとは思ってもいなかったがな」
「そんなことはどうだっていいんだよ。あのな、慧音。さっきフラっと若い女がやってきて、その、子供が亡くなっててだな・・・・・・」
「ふむ・・・・・・」
「どうも、その竜宮の使いに、『赤子が死んだぐらいでよかった』と言われたって言うんだ。
それで、カッとなって抗議したら、『用は済んだから、もう天界へ帰る』 って。
それを聞いた連中が口々に竜宮の使いへの不平不満を言い出して、もう仕様がないんだ」
「・・・・・・なぁ妹紅」
「な、なんだよ慧音」
「私たちはな、諦観しちゃ生きていけないんだ。死ぬまで、足掻かなきゃいけないんだ」
慧音はそういって、また黙々と土嚢を積み重ねた。
妹紅は、わかったようなわからないような不思議な気持ちで、暖を取らせるためにまた避難所へと戻っていった。
きっと、竜宮の使いへの憎しみは、この雨の中でも消えることなく燃え盛っているのだろう。
誰にも向けようのなかった怒りが、悲しみが、いまは全て永江衣玖へと向けられているのだ。
馬鹿なことをして。
慧音は自己犠牲に走った彼女を思って、下唇を噛み締めた。
警告以上のことができなかった自分のことを気に病んでいたのかもしれない。
自分一人が疎ましく思われることで、大多数が救われるのならと自ら身を投げた。
しかし、一体何人がその意図に気づいて、気づいた上でそれに縋ってしまうのだろう。
自分自身が、衣玖の自己犠牲に縋ってしまうであろうことを考え、慧音は悔し涙を流した。
その涙も、雨に混ざってどこかへ消えてしまった。
◆
「本当に、信じられませんね!」
東風谷早苗は、人々と一緒になって憤慨していた。子供を愛する気持ちは人間でなくても同じ。
そう信じていた早苗にとって、衣玖の発言は許しがたいものであり、わざわざ追い討ちをかける神経がわからなかった。
妹紅はその輪には加わらず、言葉を濁した慧音について考えていた。
衣玖の行動には何か裏があるのか。
しかし実際に会ったこともない妹紅にとって、それを想像するのは困難だった。
だからこそ彼女はどっちつかずを貫き、暖が取れるようにと黙々と火を掲げ続けた。
そんな中、実際に彼女と手合わせをしたこともある霊夢と魔理沙は、衣玖のらしくない行動についてアイコンタクトをかわした、それだけで、二人の間では十分だった。
「ちょっと、数時間外すぜ」
「ええ、いってらっしゃい魔理沙」
「ちょっと、魔理沙さん!」
霊夢は背中を押して、早苗は飛び去ろうとする魔理沙の服を掴もうとして、
「わぷっ!」
こけた。
「悪い! できるだけ早く戻るから!」
衣玖を見つけ出して、自己犠牲に浸っているナルシストの目を覚ましてやらなきゃいけない。
真実を知っているものからすれば、これほど後味の悪い結末はないのだ。
「あんの馬鹿!」
魔理沙は帽子を深く被りなおし、豪雨の中を全力で飛んだ。
相変わらずシリアスでもギャグでも素晴らしいものを仕上げる作者さんに脱帽。
誤りでしょうか?
修正しました。
心変わりしたならそういった描写がどこかに少しでも欲しかった気がします。
あとタイトルで『不気味な泡』と『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を真っ先に思い出しました。
次回作は衣玖さんが村人達と和解する話か、救済される話ですね。
……ですよね?
そう思います^^
良いお話でした。後日談もあるなら是非
早苗さんも、魔理沙も、慧音や妹紅も、たぶん村の人達も、みんな善いヒトばっかりだ。
だからこそ悲しい……
個人的には好きな部類のお話です。
続きがあって完結すればそちらで採点…ということで。