Coolier - 新生・東方創想話

東方ほりでゐ ~ 従者たちの休日 ~

2008/08/07 21:34:47
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「これなぁに? お豆?」
「ドンガラ虫です。すごく太った芋虫でしょ? 蛾の幼虫でイタドリという多年草の茎に巣を……」
「いや~」
「わぁっ、投げないでください!」
 ぱりっとしたベストとスカートを脱ぎ捨て、地味だけど着心地の良い甚平に袖を通した。リボン付きのカチューシャも外し、おかっぱ頭の銀髪を耳の後ろで柔らかく括る。いつもは腰にある楼観剣と白楼剣を黒檀の刀置きに預け、代わりに真竹の和竿を担いだ。
「それじゃ行ってきますね、幽々子様!」
 手製の魚篭と芋虫が詰まった壜を下げ、魂魄妖夢はお辞儀もそこそこに駆け出していく。嬉しそうだ。目がきらきら輝いている。透き通るような白い頬が上気している。ウキウキだった。ウキウキ妖夢だった。
 お昼の焼きうどんをたらふく食べて日向ぼっこをしていた西行寺幽々子は、慌しく駆けていく従者の背中に弛緩した声を投げた。
「行ってらっしゃい、ようむ。岩魚も山女も大好きよ」
「お任せください! 食べきれないくらい釣ってきますよ!」
「期待してるわ~」
 縁側でひらひら手を振る主人に力強くこぶしを握って見せ、妖夢はきびすを返した。心がはやっていた。早く早く。剣術で鍛えた脚力を生かし、二百由旬の白玉楼を駆けた。
 妖夢はとても忙しい。広大な庭園の一切を任され、手が空いたときもお嬢様の身辺警護に余念がないからだ。普段は背伸びをしているから失念しがちだが、妖夢の本質は幼さが色濃く残る少女である。本人は否定するだろうが、まだまだ子供だ。遊びたい盛りだ。
 気まぐれな幽々子は、そんな従者に余暇を与えた。あるいは、お昼の焼きうどんがとても美味しかったせいかもしれない。
 今日という一日のたった半分という短い時間ではあったが、妖夢の喜びは大きかった。読みたい剣術書が溜まっていた。人里まで降りてみるのも悪くなかった。やりたいことは山ほどあり、しかし時間には限りがある。
 そこで妖夢は釣りに行こうと決めた。剣と庭の師である祖父に何度か連れて行ってもらった素敵な釣り場のことを思い出したからだ。
 葉桜の森を斜めに横切り、墓地を迂回して庭園のさらに外れへ。ほとんど手を加えずに荒々しい自然をそのまま残した山岳地帯。藪を掻き分けて急な傾斜をしばらく登ると、鬱蒼と茂る若木の隙間に清らかな渓流が見えてくる。
 冥界の貯水湖の源流だ。水は澄み、流れは淀まず、岩魚や山女を中心に魚も多い。涼しげで静かで美しい。素敵な場所だった。
「あはっ、気持ちいいなぁ」
 草履を脱ぎ、冷たい清水に足を浸す。染み入るような初夏の青空。渓流の水はまだ冷たかったが、火照ったふくらはぎにはかえって心地良かった。
 妖夢は甚平を濡らしながらじゃぶじゃぶと渓流の浅いところを歩き、ほどなくして具合の良い大きな岩を見つけてよじ登る。乾いていて日当たりが良く、安定している。何より自分の影が水面に映らないので、魚に警戒されにくい。
 妖夢は荷物を降ろすと調子を確かめるように竿を二度、三度と軽く振った。
「さて――」
 尖った針にドンガラ虫を刺し、小手先で竿をしならせて仕掛けを水中に投じる。
 ちゃぽんと涼やかな音。狙い違わず、浮きは底の深い岩陰の周囲を漂う。流れに翻弄されてせわしなく揺れる。それが水底の魚を誘う動きとなる。
 初夏の爽やかな風が抜ける。葉ずれの音。顔に影を落とす木漏れ日。妖夢は目を細め、穏やかな笑みを浮かべる。良い天気。やっぱり来てよかった。始めたばかりなのに、そう思う。次は幽々子様も誘って――
 竿を上げた。タイミングが外れたと自分でも分かった。一瞬の抵抗の後それは消え、宙を踊ったのは銀色に光る裸の針。
 やられた。餌だけ持っていかれた。妖夢は笑う。針を手元に引き寄せる。
 こういう駆け引きもまた、釣りの醍醐味のひとつだ。清らかな渓流の水音を楽しみながら餌を付け替えた。
「よっ、と」
 のんびりと糸を垂らす。仕掛けは先ほどと寸分違わぬ位置に落ち、再び同じ魚を誘う。
 釣りは少し、剣術に似ている。妖夢はそう思う。
 薄刃のように研ぎ澄ました集中力で一瞬の勝機を狙うところ。虚と思わせて実、実と思わせて虚。全霊を込めて相手を謀り、または見破るところ。
 そして――
「ふっ」
――刹那で勝負が決するところ。
 鋭く竿を上げると、小ぶりだが形の良い山女。水面で跳ね、飛沫を散らす。眩いほどの乱反射。妖夢は大きく口を開け、笑う。



◆◇◆◇◆



「んっ……ふっ……」
「どうですか、咲夜さん?」
「あ……、なかなか上手じゃない。……んっ、き、気持ち良いわよ、美鈴」
「ありがとうございます。ていっ」
「う、くぅ~~~~っ……」
 十六夜咲夜のすらりと伸びた素足が指の先までぴんと伸び、痙攣し、やがて力を失ってシーツに落ちる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「痛くなかったですか?」
「へ、平気よ。ふぅ、生き返るような心地ね。美鈴、あなた門番辞めて按摩長にならない? きっとその方が活躍できるわよ」
「さりげなく酷いですね。何ですか按摩長って」
 湖の畔に建つ紅魔館。わがままな吸血鬼が棲む真っ赤なお城の、意外なほど簡素なメイド長の自室である。
 むき出しのタイル。黒ずんだ天井。使い古した丸テーブルの上にはやる気のない造花が花瓶に生けられ、壁の穴を隠すように配置されたクローゼットは立て付けが悪く、中を覗いても同じ種類のメイド服しか入っていない。主はもっと良い部屋を当てがったのだが、使用人である自分が贅沢をしては部下への示しが付かないと、自ら選んだ部屋だった。
 錆の浮いたパイプベッドに、咲夜はうつ伏せに横たわっていた。靴下は脱いでいる。エプロンだって外している。普段は編み上げている銀髪も解き、ホワイトブリムはテーブルの上。胸元を飾っていたリボンも緩み、はだけた襟元からいつもは拝むことのできない華奢な鎖骨が覗いている。
 メイド長にしてはラフな格好なのは、今日が珍しくOFFの日だからだ。
 紅魔館のメイドに基本的に余暇というものはない。意味もなく広いお屋敷でやらなくてはならない仕事は山ほどあり、しかもお嬢さまの専属で、メイド長で、実務の大半を取り仕切る事実上の館の顔ともなれば尚更だ。咲夜自身最後の休みはいつだったかしらと首を捻ってしまうほどの、今日は珍しい例外だった。
「く。ちょっと、痛いわ……」
「それくらいが適度なんですよ。すぐに良くなるから、ちょっとだけ我慢しててください」
「な、なんか、言い方が……。あ、ふぁ!」
 主人であるお嬢さまは昨晩から博麗神社に泊まりに行っており、その隙を狙って散々暴れた妹様も、咲夜相手の弾幕ごっこに満足して今は地下で爆睡中。大図書館の知識人にいたっては数日前から怪しげな魔法の実験で引きこもっており、お茶を運んだだけで邪魔をするなと怒るので、そちらの世話は小悪魔のほうに任せてあった。
 我侭を言う人がいないと仕事もはかどる。掃除と洗濯と来週のシフトの調整と今晩のおかずの下ごしらえがいつもの半分の時間で済み、咲夜はあっさり手持ち無沙汰になってしまった。
 空いた時間で配下の妖精メイドたちの仕事ぶりを監督しようかとも思ったが、止めた。思い切って休みを頂こうと決めたのだ。どうせ言って聞くような子たちじゃないし、たまには息抜きも必要だということを、咲夜はとある巫女から学んでいた。
 無論反面教師的な意味で。
「はい。じゃ、ちょっと失礼しますね」
 美鈴は咲夜の両手をうなじのところで曲げさせ、自分の腕を首元に優しく回した。
「え? ちょっと何を……」
「てやー」
 ばきぼきべきばきぼ。
「~~~~~~~~~っ!?」
 美鈴の手によってえびぞりに曲げられ、世紀末の音を奏でる自分の背骨。骨盤の歪みがみるみる矯正されていく。咲夜は目を潤ませ、涙すら浮かべ、熱い吐息を短く吐いた。
「も、もっとして……」
「ふふ、はいはい」
 べきぼきばき。
「ん、はうぅ……」
 メイド用の食堂で暇を持て余していた咲夜に、按摩でもしましょーか? と持ちかけたのは美鈴の方だった。いまひとつな赤毛の門番に拳法以外の特技があるということが意外で、興味本位で試してみた咲夜だったが、これがなかなか、かなり……。
 癖に、なりそうだわ。
 組んだ両腕の上にあごを乗せ、咲夜はぼんやりと夢想する。とろんと重たくなった目蓋。全身がぽかぽか温かくて、自然と頬が緩んでいく。
 美鈴は横になった咲夜の足を膝に乗せ、実に嬉しそうな顔でふくらはぎに力強い指圧を施している。
「んー。かなり凝ってますねぇ、ここも」
「そう、んっ、かしら?」
「はい、正直ひどいですよぉ。どこもかしこも古タイヤみたいにガッチガチ。でも、安心してください。この紅美鈴がきっちり揉みほぐして差し上げますから!」
「よろしく、頼むわね、按摩長」
「だから按摩長って何なんですかほんとに」
 唇を尖らせながらも、美鈴は丁寧にマッサージを続ける。同時に、苦労させてるんだなぁと、柄にもなくしんみり思い入る。
 紅魔館は咲夜によって成り立っている。ちょっぴりアレなお嬢様を主と仰ぎ、役に立たない知識人を囲い、自分で言うのもなんだが門番はザル。山ほどいるメイドは実際のところ頭数を揃えるだけの張りぼて要員だし、地下には破壊神が眠っている。
 自分だったら頭がどうにかなってしまうだろう。毎日毎日お嬢様に食事を取らせ、知識人に紅茶を運び、正門を突破してきた侵入者を剣山に変え、癇癪を起こした妹様に甘味を与えて地下まで送るのだ。
 時間も人手も圧倒的に足りないが、少なくても前者に関しては、咲夜には素敵な解決法がある。だから何とかなってしまう。何とかなってしまうから、全てがメイド長にのしかかる。
 メイド長はずるい休憩の仕方をしているという者もいるが、美鈴はそうは思わない。皆は知らないのだ。夜行性の主人やメイドたちが寝静まる仄暗い明け方。誰もいなくなった呆れるほど長い紅魔館の廊下を、時間を止めた咲夜が毎日毎日たった一人でぴかぴかになるまで掃除していることを。
 時間を自在に操るはずの十六夜咲夜メイド長が、紅魔館で最も自由にできる時間がないとは、ある種の皮肉だろう。象徴的なのはこの部屋だ。ベッドにクローゼット、事務仕事用のテーブル以外に何もない。娯楽用の本一冊、私服一着ないのだ。
 冷え切っている。身体が動かなくなるまで働き、限界に達すると止まった時間の中で死んだように眠る。そのためだけにある、棺おけのような部屋だった。
 人間味がまるでない。妖怪である美鈴ですらそのことを哀れに思う。主に対する絶大な忠誠が支えるとはいえ、これではあまりに……。
「さぁ、咲夜さん具合はどうですか。次は気功を試してみましょうか? もし怖くなければ、鍼灸も……」
「―――」
「咲夜さん?」
 美鈴は口をつむぐ。慈しむような優しい微笑を浮かべ、静かにベッドから降りる。うつ伏せになった身体に柔らかく毛布をかけながら、美鈴はあどけない咲夜の寝顔にかかった前髪を、細い指先で払ってやった。
「おやすみなさい、咲夜さん。私は弱っちいからこれからもたくさん迷惑をかけると思いますけど、せめて今日くらいは……」
 ばたーんと、荒々しく玄関を開け放つ大きな音が遠くに聞こえた。侵入者!? 職務怠慢中の門番が身構えるより先に、聴き慣れた声が大きなホールにわんわん反響した。
「ただいま! 泊まってくるつもりだったけど、霊夢と喧嘩したから帰ってきちゃったわ! 腹が立つったらありゃしない! ちょっと聞いてるの! 主が戻ったのに出迎えひとつないなんてどういうつもりかしら! 咲夜! いないの! 咲夜!」
 脱力する。予定より早いお嬢様のご帰還だ。ああ、なんてタイミングの悪い。せっかく咲夜さんが寝入ったところなのに。
 ……よし。
 逡巡は一瞬。門番は鼻息も荒く腕をまくった。ここはこの紅美鈴が一肌脱ごう。お休み中の咲夜さんに代わって、お嬢様のお世話を。なぁに、これでも咲夜さんより長くお嬢様に仕えている。幼い主の趣味趣向なら一通り把握しているつもりだ。そりゃあ咲夜さんみたいに有能じゃないから色々粗相はあるだろうけど、防御に徹すれば不夜城レッドの一発や二発、何とか耐え切ってのける自信が、
 確かに閉まっていたはずの扉が半開きになっているのに気付いて、美鈴は慌てて振り返った。
 大きなため息とともに肩を落とす。
 ベッドは空になり、毛布は丁寧に畳んできちんと脇に置かれていた。エプロンもホワイトブリムも消え、壁には見慣れたナイフで留められた一枚のメモ。

『楽になったわ。ありがとう。あなたも仕事に戻りなさい』

 その従者はどこまでも瀟洒だった。何が彼女をそこまでさせるのか。お嬢様とメイド長の絆に少しばかり嫉妬を覚えながら、それでも美鈴は少し笑った。あんな按摩で良ければ、またいつでもおやりしますよ。
 小さな呟きとお辞儀を最後に、美鈴は咲夜の部屋を辞した。部屋の扉が閉まる一瞬、咲夜がテーブルの端にうっかり置き忘れた髪結い用のリボンが冗談のように掻き消えたが、美鈴は気付かなかった。
 静かにドアは閉められ、瀟洒な従者の短い休暇も終わった。



◆◇◆◇◆



「釣れてるかい?」
「みょ!?」
 驚いて振り返る。釣りに集中しすぎていたせいで、背後に立たれるまで気配に気付かなかった。己の未熟さを恥じるも、すぐに相手に全く敵意がないせいだと思い至った。
 黄金色の九本の尻尾が豊かに揺れる。細い目。優しげな口元。不思議な文様の法衣を頭からかぶり、両手を互いの袖の中にしまっている。顔見知りだった。妖夢は安堵の息を吐き、それからにっこり微笑んだ。
「これは藍さま。こっちに来られるなんて、珍しいですね。幽々子さまの異変のとき以来ですか? ……ええと、今日はなかなか調子が良いです。見てください」
 訪問客は、主人の友人が使役する式神だった。八雲藍。絶大な力を持つ古い化け狐がその正体だが、普段は柔和だしすごく礼儀正しいので、妖夢は好きだった。
 藍は妖夢が差し出して見せた魚篭を覗いて、驚いた顔をする。
「すごいな、大漁じゃないか。当代の魂魄殿は剣だけでなく釣りの才にも恵まれていると見えるね」
「そんな、私なんて凡才もいいところですよ。剣も、釣りも」
 謙遜ではなく否定をした妖夢に、苦笑いの藍。その脇から顔を出した短髪の幼い少女が、興味津々といった調子で妖夢の魚篭を覗き込んだ。
「わぁ……」
「こら。お行儀が悪いぞ、橙」
「……うー」
「あれ、橙さまも一緒なんですか? 久しぶりですね。こんにちは、橙さま」
「こんにちはっ」
 優しく微笑む妖夢。いつも見かけるのとは風貌の違う庭師にはにかみながらも、橙は元気良く挨拶を返した。
 釣りをしながらというのも失礼なので、妖夢は竿を一旦置いた。八雲の式たちと共に、日当たりの良い岩場に腰を下ろす。
「いや、今日は珍しく紫さまが起きておられてね。幽々子さまと囲碁を打たれるということだからお供をしたんだ。対局の最中にまであれこれ世話を焼くのは無粋だし、橙も連れていたから、少しばかり暇を頂戴して散歩と洒落込んでいるのさ。魂魄殿の居場所は幽々子さまからお聞きしたんだ。できれば話がしたいと思ってね。迷惑だったかい?」
 妖夢は慌てた。
「いやまさかそんな! 私も藍さまとは一度じっくり話してみたいと思っていました」
「はは、光栄だよ。ふむ。しかしその『藍さま』というのはどうもこそばゆいね。私たちは共に友人同士の主人を持つ従者じゃないか。ここは、もっと気楽に行こう」
 藍の落ち着いた笑顔に、妖夢も知らずに張っていた肩の力を抜いた。
「それもそうでね。では、私のことも『妖夢』と。私は『藍さん』とお呼びします。これ以上はどうかご勘弁ください」
 律儀に頭を下げる妖夢に藍は朗らかに笑う。
「いやいや、妖夢はまじめだね。でもそういうのは嫌いじゃないな、私も」
「恐縮です」
「ねー、藍さま」
 橙が小さな手で藍の袖を引く。それで何かを思い出し、藍は橙の頭を優しく撫でた。
「ああ、忘れるところだった。ありがとう、橙」
「えへへ」
「?」
 不思議そうな顔の妖夢に、懐から笹の葉でできた大きな包みを取り出して見せる。
「実は橙と出かけるのは久しぶりでね、張り切って弁当までこしらえてしまったんだ。といっても塩むすびと漬物程度しかないが、良かったら一緒に食べないかい?」
「いいんですか?」
「もちろん」
 妖夢は顔を綻ばす。実は昼食の焼きうどんを主に横取りされてしまっていたので、小腹どころか本格的に空腹を覚えだしていたのだ。渡りに船な藍の提案は実にありがたいものだった。
「あ、それならおかずはお任せください。山女がたくさんあるから、塩焼きにします。釣ったばかりで新鮮だから、手をかけなくてもきっと美味しく食べられますよ」
 妖夢の提案を受けて、藍はにやりと笑う。
「それは僥倖だ。……なんてね。実はそれを当てにしていたのだ」
「ははは、私がボウズだったらどうするつもりだったんですか?」
 朗らかに笑い合う。獲れたての魚が食べられると知った橙は興奮して尻尾の毛を逆立て、抗議するかのように沢のどこかで魚の跳ねる音がした。



◆◇◆◇◆



「や、早苗。休んでるかい?」
「ふぇ?」
「……聞くまでもなかったね」
 多少のことでは動じない神奈子も、さすがに口元が引きつるのを抑えられなかった。
 守矢神社の風祝の私室である。びっくりさせてやろうとノックもせずに飛び込んだ神奈子は、手痛いカウンターパンチをお見舞いされた気分だった。
 東風谷早苗はだらけていた。トレードマークの蛇と蛙を模した髪飾りの代わりに、簡単なゴムで髪を結わえている。その辺に脱ぎ捨てられた巫女服の代わりは、たっぷりしたシャツと脛のところで折り返された色落ちジャージだ。
 ぞんざいに敷かれた布団の上でうつぶせになり、CDラジカセで音楽を聴きながら雑誌を広げつつポテチを食べていた。
「あ、八坂さま……きゃあっ!」
 とんだところ神様に見られた早苗は顔を真っ赤にして飛び起きた。大慌てで分厚い少年誌を布団の下に押し込むが、他にも隠さなきゃいけないものが多すぎて、泣きそうな顔で固まってしまう。目的を遂げるには、この部屋を爆破してしまうくらいしか方法がない。
「あ、違うんです八坂さま。これは、その、えーと」
「いいよ。早苗はまじめで自分に厳しすぎるところがあるから、いつか潰れてしまうんじゃないかって心配していたんだ。こういうふうにガス抜きしてるってのが分かって、むしろ良かったよ。安心した」
 にやにや笑いながら、脱ぎ散らかされた巫女服を拾って、畳んでやる。からかうような声色に、早苗はほっと安心するも、不満そうに唇を尖らせる。
「んもう、意地悪ですね。……あの、このこと、洩矢さまには言わないで下さいね?」
「んー、言わない言わない」
 絶対言うよこの人。
 早苗はため息を吐き、とりあえずCDラジカセのスイッチを切る。しかし動揺していたせいだろう。目測を誤り、停止スイッチの隣の音量を上げるボタンを押してしまう。
「あれ?」
 自分だけに聞こえるように低音量で流れていた音楽が途切れないことに焦り、あろうことか同じボタンを連打してしまう。かくして、神社中に響き渡るビートルズ往年の名曲『Let It Be』。
「いやあああぁぁぁぁっ!」
 大慌てで音量を下げる。電源を引っこ抜くことを思いつかないところ辺りから、早苗のテンパり具合を察することができる。
「おやおや」
 目を細める神奈子。
「守矢の風祝が異国の神様に縋る歌かい?」
「あ、あのあのあのあの、これは……」
 狼狽する早苗の表情をひとしきり楽しむと、神奈子はくすくす笑いながら相好を崩した。
「ま、良い唄だよね。南蛮の神様はともかく、びーとるずは私も好きさ」
「え?」
 早苗は目を丸くし、上目遣いで奉る神様を見上げた。
「八坂さま、その、ご存知なんですか?」
「そりゃあ知ってるさ。早苗は生まれてなかったからピンと来ないだろうけど、一昔前はもうとんでもない人気で、どこに行ってもびーとるずびーとるずって、」
「いや、そうじゃなくて。異国の、その、聖母様の歌なのに……」
 言葉を濁す早苗に、神奈子は呆れたように眉を上げて見せた。
「あのね、神霊にだって他を受け入れる度量くらいあるの。それで信仰を横取りされるなら溜まったもんじゃないけど、かの神の教えは、この国には風習として取り込まれすぎている。これじゃあ信仰は得られないさ。ならば文化として楽しんでしまえばいい。異国の神には悪いがね」
 いたずらっ子のような表情で、神奈子は早苗に笑いかける。それから目を閉じ、マッカートニーの美声に合わせて囁くように、その唄を口ずさむ。

「And when the night is cloudy
 There is still a light that shines on me
 Shine on until tomorrow
 Let it be」

 思いがけず澄んだ声。無垢な清水のように心に染みる。巧い。
「や、八坂さま、歌って……?」
 驚き以上に聞き惚れてしまい、早苗は固まる。魚のように口をパクパクさせている風祝に、神奈子は猫のような奔放な笑顔で合図を送る。誘われるがままに、いつも祝詞を紡ぐ薄桃色の唇で、早苗は神奈子の唄声についていく。

『I wake up to the sound of music
 Mother Mary comes to me
 Speaking words of wisdom
 Let it be』

 これは、いい。
 すごくいい。
 綺麗なハモり。魂が震えるようなビブラート。歌うことに慣れていない早苗を、神奈子はぐいぐい引っ張っていく。自然に声が出る。笑顔がこぼれる。気持ちいい。楽しい!

『Let it be, let it be
 Let it be, let it be
 There will be an answer
 Let it be

 Let it be, let it be
 Let it be, let it be
 Whisper words of wisdom
 Let it be』

 曲が終わる。早苗は頬を上気させ、肩で大きく息をした。ふと我に返り、恥ずかしそうに下を向く。
「あの、八坂さま……。唄、お上手なんですね」
「あらありがとう。早苗は音痴だったねぇ」
「なっ、ひどい!」
 二人で少し笑い合った。うだるような熱気。初夏の白い光。縁側の風鈴がかすかな音色を響かせる。
 早苗は布団の上で膝を崩し、神奈子は部屋の端の柱のひとつに背中を預けていた。見慣れた庭。瑞々しい若木の輝き。塀の向こうを駆け抜けていく小学生の黄色い帽子。そういうものをぼんやりと、二人で眺めた。
「この景色も、じき見納めか」
「そうですね」
「……早苗」
「はい」
「おまえ、こっちに残ってもいいんだよ」
「怒りますよ?」
「ん。……ごめん」
 それきりしばらく、二人は黙った。お互いに視線も合わさずに、縁側の風鈴が小さな声で囁くのを聞いていた。
「暑いわね」
「もう夏ですからね」
「麦茶が欲しくなるね」
「作ってますよ。持ってきましょうか?」
「ん。やっぱりいい」
 早苗はよいしょと四つんばいになり、神奈子に近づく。押しのけるように密着し、膝を抱えて座り込んだ。
「"あるがままに” なんて言い出さない諦めの悪い八坂さまが、私は好きなんですよ。ビートルズが聴けなくなるのはちょっと残念ですけど。……だから、八坂さま。向こうでも一緒に歌ってくださいよ。ね? CDなんかより、その方が私はずっと好きですから」
「……友達だっているんだろ。二度と会えなくなっちゃうんだよ?」
「スイちゃんもみっちゃんも大好きだけど、このままこっちで生きて大人になっても、いつかバイバイしなきゃいけない時が来ます。それがちょっと早かったってだけの話ですよ。ひどい友達だけど、私は神奈子さまと別れる方が嫌だったの。考えられないですよ、そんなの。
 ……もぅ、こんなこと聞かないでくださいよ。私だっていっぱい泣いたんですから」
「ごめん。ごめんな。でも――」
「しつこいですね。分かるんですよ? 私がいなくなったら、八坂さま泣いちゃうでしょ。だから私はついて行くんです。あなたと一緒に行くんです」
「……うん。うん」
「八坂さま」
「………」
「風が出てきましたね」
「……気持ちいいね」
 早苗は神奈子の肩に頭を預け、目を閉じていた。間もなく夏がやってくる。秋までにこの地を去ると決めている者たちにとって、最後の夏だった。
 どこかで蝉が鳴いていた。



◆◇◆◇◆



 火にかけていた山女を上げる。かすかに焦げて捲れ上がった皮。じゅうじゅう音を立てて余分な脂が燃え落ちている。満遍なく降りかかった粗塩の白さが食欲をそそる。
「できましたよ」
 妖夢が差し出した山女の塩焼きに、藍と橙は思わず身を乗り出した。
「おぉ、これは」
「旨そう!」
 日当たりの良い岩場で輪になって座っていた。真ん中に焚き火。焼きたての山女に真っ白な塩むすび。浅く漬かった胡瓜と茄子を盛った陶器を脇に置くと、準備はすっかり整った。
「では!」
「ではでは」
「せぇの」
『いただきまーす!』
 いっせいにかぶり付いた山女は香ばしく、ほど良い脂と引き締まった身は噛むたびに幸せをくれる。夢中で二口目に取り掛かる。少し塩みが強かったが、左手に持ったおむすびをほお張ると、ちょうど良い味でほっぺたが落ちそうになる。
 本当に旨いものを食べると人は無口になる。しばらく三人で一心不乱に食べた。
「妖夢、ん」
 誰よりも早く魚を食べ終えてしまった橙が口元をぬぐいながら差し出したのは、ありふれた造りの瓢箪だった。
「あ、ありがとう?」
 戸惑いながらも、妖夢は瓢箪を受け取る。にこにこ笑顔の橙に後押しされてそれを呷ると、途端に広がる爽やかな甘味と酸味。嬉しい驚きに妖夢の頬が緩み、熱くなった息を吐く。
「これは、果実酒ですか?」
「当たり。昨年橙が漬けたかりん酒さ。甘すぎず、香りも良い。素晴らしい出来だろ?」
 漬物を齧りながら、親ばか丸出しで嬉しそうに笑う藍。異論なんてあるはずもなく、妖夢は強く頷いた。
「はい。口当たりが良くてとっても美味しいです。ちょっと酸っぱいところが山女の苦い肝に合うから、いくらでも飲めそう」
「飲んで飲んで! 小鬼の瓢箪ほどじゃないけど、まだたくさんあるから!」
 褒められて悪い気はしないのか、照れくさそうに橙は早口で言った。妖夢は笑い、ありがたくかりん酒を口に運ぶ。満足すると瓢箪を藍に渡し、三人で回し飲んだ。
 結局各人もう一匹ずつ山女を平らげ、酒も漬物も空にしたところで、お腹はいっぱいになった。
「うーん。さすがに満腹。もう動けないよ」
 妖夢は万歳の姿勢で、柔らかな草場に寝転がる。幸せな笑顔。似たような表情の藍が上から覗き込む。
「ご馳走様、妖夢。旨かったよ」
「あ、お粗末さまです。おにぎりとお漬物もすごく美味しかったです。おにぎりって私が作るといつもボソボソなっちゃうから、今日のはちょっと衝撃でした」
 妖夢が思ったことを素直に述べると、何故か藍は涙を流さんばかりに感動した。
「ああ、ありがとう妖夢! そう言ってもらえると嬉しいよ」
「え、わぷ。どうしたんですか?」
 寝転がった妖夢を抱き起こして頬ずりを始めた藍に、さすがに面食らう。
「おにぎりを作るときは炊き立ての飯じゃダメなんだ。少しだけ冷まして、キツめに手早く握る。そうすれば見た目も歯ごたえも良くなる。あと炊き方にもコツがあって、適量の塩を振って強火でガーっと炊くとちょうど良い按配だ。水は気持ち少なめの方が良い。……っておにぎりひとつにも試行錯誤して色々考えているのに、全然頓着して下さらないんだ! 紫様は!」
「むぐ、ぐぐ?」
「残さず食べてくれるのはいいが、旨いとも不味いとも言わないし、たまに手の込んだご馳走を作って味を聞いても『普通』 って。あんたそりゃないだろう!?」
「ぷはっ。ら、藍さん。酔ってます?」
「いや、素面だ」
 据わった目で酒臭い息を吐きながら、藍。疲れているんだなぁと、妖夢は目頭が熱くなる。他人事とは思えない。
 酔いが回ったのか、藍は妖夢を開放し、その隣で同じように大の字になった。
「ふぅ。ちょいと愚痴っぽくなっちゃたね」
「あ、あはは」
「少し話題を変えようか。妖夢も、料理とかするのかい?」
「あ、はい。少しだけ。幽々子さまのお食事を用意することもあるけど、家事専門の幽霊がいるから、普段はそっちに任せています」
「ふぅむ。考えてみると、妖夢は偉いな。これだけ広い庭園を管理しながら、一方で幽々子さまの面倒まで見てるんだから」
「そんな、私なんてぜんぜんです。庭師と警護役の仕事以外まともにできないし。それに幽々子さまはあれでしっかりしたお方だから、実はそんなに手はかからないんですよ」
「へぇ。意外、と言ってしまっては失礼かな」
「あ、でも、人のご飯を横取りするのは止めてほしいです。私の分ならともかく、外から来たお客さんのお膳にまで手を出すのはあまりにお行儀が悪いから。ちなみに紫さまも何度か被害にあわれていますよ。へへへ」
「……妖夢?」
「それから怖いのが苦手だって言ってるのに、枕元におっかないお化けとかを召還するのは迷惑です。一人でお風呂に入れなくなるし。あと庭のお掃除が済んだときを見計らって弾幕を飛ばしたり木を揺すったりして汚していくのはどうしてですか。嫌がらせですか。そんなことではくじけません。でもこの前スカートのお尻の部分を知らないうちに破かれてて、そのままの格好で里までお使いに行かされたときは、少しだけ泣いてしまいました」
 妖夢の酔いも相当なものだ。しかし藍は慈悲深い顔で何度も頷き、幼い庭師の肩を優しく叩いた。辛かったんだなと、仕草が語りかけていた。顔を上げ、神妙な面持ちの藍と、妖夢は見つめ合う。どちらからともなく手を差し出し、二人はがっちりと握手を交わした。
 従者たちは共感していた。
「よし。飲もう、妖夢」
 上体を起こし、藍は手品のように、懐から酒瓶と二つのぐい呑みを引っ張り出す。瓶には『本格芋焼酎 まよひが』 という手作り臭漂うラベルが貼ってあり、蓋を開けると独特で芳しい芋の香り。
 とっとっとっ……と小気味良い音を立てて杯はぬめりのある液体で満たされる。
「我らが愛すべき主たちに」
「そして我ら従者の明るい未来に」
 乾杯。打ち合わされるぐい呑み。零さぬように一気に呷ると、滑らかな舌触りが喉を灼いた。心地よい熱に意図せずして吐息を落とす。
「ふぅ。なんだか、呑んでばかりですね」
「嫌かい?」
「まさか」
 空になったお互いの杯に、酒を注ぎあう。主の愚痴と渓流のせせらぎが肴の代わり。爽やかなそよ風を楽しんだり、妖夢が貸し与えた竿を使って初めての釣りに挑戦している橙に絡んだりしながら、のんびりと時間を過ごした。



◆◇◆◇◆



 自然体で足を開き、しなやかに脱力して脇正面に立つ。静かな呼気。真っ直ぐに伸びる背筋。心気を丹田に収め、朝凪の海のような揺るぎのない瞳で的を見据える。
 永遠亭の広大な建物の外れにある彼女専用の弓道場だった。いや、別に独り占めするつもりなどないのだが、屋敷に弓を嗜む者が自分以外にいないので、結果としてそうなってしまっている。
 八意永琳。編み上げた髪はそのままに、白木綿の筒袖と行灯袴を身に着けている。右腕にはゆがけを通し、重厚な造りの大弓を弓構えの姿勢で携えている。
 的は遠い。60メートルはあろうか。しかも竹林から溢れてきた霧が色濃く、ますます狙いを定め辛い。どんな達人でも尻込みしてしまうような難度の高い射場である。
 しかし永琳は臆さない。何でもないことのように弓を頭上に起こし、流れるような動作で矢を番えた弦を引く。まるでそのためだけに設計された精密機械のように、永琳はよどみなく動く。同じ動作を何十万回と繰り返していなければたどり着けない境地である。
 ぴんと張り詰めた空気の中、薬煉を塗った弦がきりきり引き絞られていく。やがてある一瞬でそれは止まる。時が凍り付いたと錯覚してしまうほどの静寂。空気の流れに乗ってかすかに移動する濃霧が、そうではないと教えている。
 静止しながらも、弦には徐々に、さらなる力が込められていく。全身を巡る微弱な力が、しなやかな筋肉を通じて一点に収束する。虫眼鏡越しの日光が藁を焼くように。圧縮した水が鋼を切断するように。
 無念無想の一瞬。離れ。解き放たれた矢は風切音も立てずに飛翔し、一尺二寸の的のその中心に小気味良く突き立った。
「……っ!」
 間髪入れずに二本目の矢をつがえる。先ほどの映像を巻き戻して見ているような錯覚。矢が放たれる。信じがたいことに立ち込めた濃霧を全く揺らさずに、飛ぶ。
 たぁんっ! と。先の矢を掠めてやはり中心を貫く。
「………………、ふぅ」
 残心を解くと、張り詰めた空気が解けていく。心なしか漂う霧も弛緩したように感じられる。掌を叩く控えめな音がして、永琳は振り返りもせずに片手を振った。
「止めてよ、てゐ。失敗よ。二射目は、一射目の矢を狙ったの。惜しかったけど外れたわ」
「またまた、そんなの狙って当てるのなんて無理ですよ。……えっ、できるんですか? ていうか、気付いてたんなら言ってくださいよう」
「弓は集中力が命なの。急ぎの用じゃなさそうだったから、無視させてもらったわ。あら、ありがと」
 うさ耳を揺らして近づいてきた因幡てゐから、手ぬぐいを受け取る。永琳は頬を伝った汗を拭い、思い出したようにほっと息を吐いた。
 迷いの竹林の深淵に位置する永遠亭に直射日光は届かない。それでも篭った熱気は間違いなく初夏のもので、てゐも着込んだ涼しげなワンピースの胸元を持ち上げて、素肌に風を送っている。
「それで、何かあったの?」
「はい?」
「人の久しぶりのお休みを邪魔するためだけに来たわけじゃないでしょ。用件を言いなさい、用件を」
「用件ですかぁ、えへへ。永琳さまと遊ぼうと思っただけですよぉ?」
「あらあら。そういう言葉が本心から出るようになれば、あなたも少しは可愛げがあるんだけどねぇ」
「ひどいなぁ」
 てゐは苦笑しながら、弓の手入れを始めた永琳の隣に腰を下ろした。壁に背を預け、足を伸ばし、熱心に関板を磨く永琳の柔和な横顔を眺める。
「……驚いちゃいましたよ」
「何が?」
「昨日のこと。永琳さまがあんなふうに怒鳴るなんて、考えもしませんでした」
 内心おどおどしながら、てゐは上目遣いに永琳の顔を盗み見る。永琳の表情は変わらない。穏やかに、微笑みすら浮かべて、弓の手入れを続けている。少しほっとする。
「あら、失礼ね。大切な物を壊されたら誰だって怒るわ。私だってそう。これでも元は人間だもの。気が遠くなるくらい永く生きてきたけど、大事にしてる宝物くらいあるのよ」
「それが、あの薬鉢だったんですか?」
「………」
「あっ、スイマセン」
「いいわ。物質として存在するということは、いつかその形状を失うってこと。蓬莱の薬みたいな反則技を使わない限り、ね。分かっているつもりだったんだけど……。あれはね、私の先生から頂いた品だったの」
「永琳さまの、先生?」
「ええ。月にいた頃のね。もうとっくに死んじゃったけど、聡明な方だったわ。私なんか足元にも及ばないほど。たくさんのことを教わったし、導いてもらった。今でも、すごく尊敬してる」
「………」
 思い出は悠久の時を飛び越え、遠いあの日に不時着する。
 月の最高学府。胸に抱いた花束。史上最年少で高等薬学を修めた幼い銀髪の少女は、いかめしい顔つきの老人に涙声で礼を言う。万感の思い。頭を下げた少女に、老人は紙で乱暴に包んだ陶器を無理やり押し付ける。底の深い濃緑の薬鉢。驚きの表情で顔を上げた少女に背を向け、煩げに手を払って見せる。
 不器用なあの人なりの門出の祝福。涙が止まらなかった。
 数え切れない夜を越えてなお薄れない、セピア色の記憶。以来その薬鉢は、永琳と共にあった。
 昨晩、机から落ちて粉々に砕けるまでは。
「笑っちゃうわよね。あれはただの物なのに。教えは心の中できちんと守ればいいし、思い出だって損なわれたわけじゃない。それを、あんなに取り乱してしまうだなんて。
 非合理なことこの上ないわ。合理的であることを良しとする、この私が」
「ごめんなさい、永琳さま。変なこと聞いちゃった」
 永琳は弓を磨く手を止めた。てゐは珍しく神妙な顔で頭を垂れていた。両手は強くスカートを掴んでいた。
「どうしたの、てゐ? あなたらしくもない。気を使ってくれてるつもりならありがたいけど、私ならもう平気よ?」
「でも、」
「本当よ。久しぶりに弓を引いたのも、頭を冷やすためだもの。ま、少しくらい動揺は残っていたかもね。命中しなかったし。
 ……そんなわけだから、あなたもあまり気にしないでいいのよ、鈴仙」
 がさっ。
 驚いたような物音がした。永琳は穏やかな眼差しで音のした方に視線を投げる。やがて道場を囲む生垣の向こうから、観念したように二本のうさ耳がのぞいた。
 見るからに耳には元気がない。枯れる寸前の鉢植えのようにしな垂れ、くしゃくしゃになっていた。
「………………………、ぅっく」
 泣いているようだった。
「え、永琳さま。鈴仙は悪気があったわけじゃないんですよぉ? お茶を運んだ拍子に、本当にたまたま卓の上にあったあの鉢にぶつかっちゃっただけで。ちゃんと反省してます。さっきまで立ち上がれないくらい焦燥してたし、うわ言みたいにずっと謝ってたんです。あの時走って逃げたも、永琳さまの怒鳴り声にたまげちゃったからで……。ほら、あの子逃げ癖があるから、それで」
「分かってるわ。それであなたは、鈴仙と私の仲を取り持とうとしているんでしょ? ふふっ、良い子ね」
 全部お見通しですか。てゐは頬を染めてばつの悪い顔をした。
「……ご、ごめ、んなさっ、ひっ、し、ししょう……」
 しゃくりあげながらの弱々しい声がした。頬をべたべたと涙で濡らし、鼻水を詰まらせた声だった。
 永琳は、生垣から生えているくしゃくしゃのうさ耳を、ため息混じりに眺める。
「まったく。手間のかかる弟子ね」
「ぅっく、ごめんっ、なさい、うぇ、ごめんなさいっ」
「………」
「ご、ごめっ。ぇっく、み、見捨てなっ、いでぇ……」
 鈴仙は、良くも悪くも繊細だ。豊かな感受性は美点だが、その分傷つきやすい。分かっていたのに。
 永琳は微笑む。
 私もまだまだ修行が足りませんわ、先生。
 駆け出す。「あ……」 というてゐの呟きを背中で受ける。
「鈴仙!」
 普段の自分なら絶対に出さない無防備な声で弟子を呼び、永琳はお転婆な少女のように生垣を飛び越えた。
「ひっ! あ、ぁ……」
 臆病な鈴仙は心の準備なんてできていない。発現しているとき以上に狂気の瞳を真っ赤に濡らし、傷だらけの心を庇いながら、四つんばいになって逃げようとする。
「鈴仙、仲直りしましょ!」
 その背に、永琳は覆いかぶさる。
「あ、きゃあ!」
「ちょっと。傷つくじゃない、何で逃げるのよ」
「し、師匠!? だって、あ、やんっ!」
 パニックになった鈴仙はじたばた暴れ、どさくさに紛れて変なところを揉まれて悲鳴を上げた。二人はもつれ合ったままそこらじゅうを転げまわり、最終的に側溝に落ちて子供みたいに泥んこになった。
「あ、あはは。鈴仙、ひどい顔よ」
「な。し、師匠だって」
 あまりのことに涙が引っ込んだ鈴仙は、鼻水を啜り上げて少しだけ頬を膨らませた。そんな鈴仙を、永琳は優しく、強く、真正面から抱きしめた。
「……ひどいこと言ってごめんね」
「……はぅ」
 優しい声。暖かい体温。ひとたまりもなかった。鈴仙の目に再び涙が溢れ、洪水のように滴った。
「し、ししょお」
「うん?」
「ししょおの宝物、こ、壊しちゃって、ごめんなさい。わた、わ、私、何でもするから、もっともっとがんばるから、だから、お、お願いです。見捨てない、でっ。ししょおにも見捨て、られたら、私、わた……」
「ばかね」
 鈴仙を抱きしめたまま、その髪とうさ耳を優しく梳いてやる。固く身を強張らせていた鈴仙が少しずつ力を抜くのが分かった。
 私もどうかしていた。永遠に生きる蓬莱人には過去も未来も無限にある。だから私たちは今を大切に生きましょうって、姫と約束していたのに。
 呆れたようなあの人の渋面を見た気がしたが、それはきっと、幻だ。永琳は、泥と涙と鼻水だらけの鈴仙の顔を手ぬぐいで拭ってやる。大事な大事な、思い出よりずっと大事な弟子だった。
「……見捨てたりなんてしないわ。その代わり、先生の教えを私からしっかり受け継ぎなさい。それで許してあげるから」
 掠れた声がとどめになった。鈴仙は恥も見聞もかなぐり捨て、永琳に縋りついて大泣きした。永琳は不器用な手つきで、そんな弟子の背中をさすった。
 一人だけ仲間はずれになってしまったてゐは、羨ましそうな顔で、それでも邪魔にならないように、生垣越しに固く抱き合う師弟を眺めた。
「もぉー、鈴仙ばっかりずるい。私も永琳さまにぎゅってされたい!」
 狡猾で変に器用な分、鈴仙のように素直にはなれない。自分の生き方に誇りを持っているてゐだったが、単純で真っ直ぐな月の兎が、今日だけは少しばかり羨ましかった。



◆◇◆◇◆



 楽しい時間ほど早く過ぎるもの。
 夕日が濡らす白玉階段で、半霊の庭師と黄金色の妖狐は向き合っていた。別れを悲しむより、これだけの感情が沸く価値がこの出会いにあることを喜ぼうと、妖夢は思った。
 だから、笑った。
「今日はありがとうございました。すっごく楽しかったです」
 幼い剣豪の真っ直ぐな言葉に、八雲の名を冠した最強の妖獣も柔和な微笑を浮かべる。豊かな九尾が揺れる背中に、はしゃぎ疲れて眠る化け猫少女を背負ってはいたが、その堂々たる威厳が損なわれることはなかった。
「私も楽しかった。長く式をしていると、どういうわけか術式を外された素の自分というものを忘れがちになる。今日は久しぶりに、それを思い出したよ。ありがとう、妖夢。今度もまた一緒に呑もう!」
「はい!」
 そこで二人の従者は悪戯っぽく目配せをした。言いたいことは分かった。片目を瞑り、こっそり交わす他愛ない密約。
「次も、幽々子さま抜きで!」
「ああ。紫さま抜きで」
 声を揃えて囁いた。従順なばかりが従者ではないのだ。
 組んだ両手を袖に隠し、少し掲げて頭を垂れる。大陸式の藍の礼に、剣士らしいぴんと伸びた背筋のお辞儀を妖夢は返した。
 そして吹き抜ける一陣の風。妖夢が顔を上げると、そこにはもう九尾の妖狐の姿はない。一瞬寂しげな表情を浮かべた妖夢だったが、すぐに頭を強く振って弱い自分を心から追い出す。こんな素晴らしい日に、悲しい気持ちは似合わない。
 頬を両手で強く叩き、元気な笑顔で伸びをした。





「あー、お帰りようむー!」
 屋敷に戻ると、縁側を歩いていた幽々子がこっちに気付いて手を振った。妖夢は駆け寄り、その足元に跪ずいて頭を垂れた。
「ただいま戻りました、幽々子さま。遅くなって大変申しわ」
「んもう、そんな口上は良いからすぐにご飯にして頂戴。お腹ぺこぺこで死にそうよ」
「はあ。まあこれ以上死ぬ心配はありませんが」
「揚げ足取らないで。程度の話をしてるんじゃない。ところで今晩のおかずは? ちゃんと釣ってきたんでしょうね?」
「もちろんです!」
 百聞は一見にしかず、という言葉の意味をもちろん妖夢は知っていた。少し得意そうに、腰にぶら下げていた魚篭を見せる。
「わぁー」
 昼に幾らか食べてしまったが、元々大漁だったし午後にも少なからず釣果はあった。魚篭はずっしりと重く、口から尻尾がはみ出すほどだった。
 花が咲くように、幽々子の顔が綻ぶ。
「すごいじゃない!」
「日が良かったんです。私もこんなに釣れたのは初めてですよ」
「塩焼きに、お刺身に、香りの良いお吸い物。燻製。お煮付けなんかも良いわね。あ、天麩羅! 天麩羅も食べたいわぁ」
 幽々子はぶつぶつ呟き、妖夢の顔にも自然と笑顔が浮かんだ。からかわれても、意地悪されても、理不尽な要求が日常でも、やはりそこは敬愛する主人である。喜ぶ顔を見るのは、嬉しい。とても。すごく。
「少々お待ちを。すぐ準備を致しますゆえ」
「あー妖夢。待って待って」
 踵を返しかけた妖夢の甚平を幽々子は捕まえた。後襟を掴んで猫の子のようにぶら下げ、顔を自分の方に向けさせる。
「もぅ。だめようむ」
「みょ……」
「うっかり屋さんねぇ。それとも人の話を全然聞かないだけかしら」
「?」
「昼間、私はなんて言ったの」
「何か仰いましたっけ?」
「私はこう言ったのよ。今日は午後から余暇をあげるわ、ってね。だからあなたは今もお休みなの。お休みの人が働いたらだめじゃない。ご飯の準備は幽霊たちに任せて、あなたはゆっくりしてなさい」
「あ……」
 いつの間にか脇に来ていた料理番の幽霊が、妖夢の腰から魚篭を外して持っていく。吊り下げられままの状態で、妖夢はそれを呆然と見送る。
「あの」
「ん?」
「いいですか?」
「当然じゃない。てんいむほーの亡霊に二言はないわぁ」
 ぐいを胸を張って見せる幽々子。一方の妖夢は地面に下ろされ、それでも何だかすっきりしない顔だ。まるで弾幕勝負で詰んでしまったときのような、複雑な表情。
 何だか幽々子さまが、みょんに優しい。気のせいだろうか。でも、休んでいいなんて。普段の腹ペコな幽々子さまなら、もっと色々理不尽な要求があるはずなのに。例えば、今から詠う和歌が終わる前にご飯を用意しなさい、とか。
「あの、何かあったんですか?」
「なにが?」
 にこにこ笑っている。少し考え、結局妖夢はかぶりを振って自分を戒めた。いやいや、幽々子さまは優しいお方だ。そんな主人を疑うのは良くない。せっかくのご好意だし、ありがたく頂こう。
「えへへ、じゃあせっかくだし、休ませていただきますね。実ははしゃぎ過ぎちゃって、結構疲れてたんです」
「ええ。ええ。それがいいわ。しっかりお休みなさいな」
 幽々子はにこにこ笑い続ける。その様子に薄ら寒いものを感じながらも、再度自らを戒め、妖夢はことさら陽気に話題を変えた。
「そういえば、紫さまがいらっしゃったそうですが、いかがでした?」
「あら、どうして知っているの」
「え、藍さんからそう聞いたんですけど。囲碁を打ちに来られたって。違うんですか?」
「ああ、なるほどね。そうそう、ちょっと聞いてよ妖夢。嫌になっちゃうわ。悲しいことがあったのよぅ」
「……けんかでもなさったんですか?」
「それがねぇ、」
 しゃべりながらふわふわ歩いていく幽々子。ついて来いということか。みょんな胸騒ぎを覚えつつ、妖夢は主人の半歩後ろを行く。
「私たちも最初は仲良くしてたのよ? おしゃべりしたりおやつを食べたりしながら、勝ったり負けたりね。でも私たちって意外に好戦的じゃない? だからやってるうちにだんだん熱くなってきちゃって。そのうちに紫が、『ただの対局じゃつまらないから、何か賭けましょう』 って言い出したのよ」
 妖夢は知らないうちに高鳴っていた胸を押さえた。嫌な予感がする。悪いことに、こういう予感は当たるのだ。それに、しゃべりながら歩き続ける幽々子さまも不気味だ。どこに向かっているのだろう。
「な、何を賭けられたんです?」
「別に、詰まらないものよ。髪留めとか、湯飲みとか、食べかけのおやつとか。でもね、紫ったらひどいのよ。それまでは私とほとんど互角だったのに、急に強くなって全然勝てなくなっちゃったの。物が絡むと強いだなんて、なんて卑しいのかしら!」
 ああ、それはきっと、手加減してたんです。幽々子さまを油断させて賭けに乗せ、その上で本気を出して金品を巻き上げようという魂胆だったんですよ。あの方の考えそうなことじゃないですか!
 妖夢の心の叫びは幽々子まで届かない。亡霊姫はあくまで暢気に歩き続け、しゃべり続ける。
「でもね、私だって負けっぱなしで引き下がれないじゃない? 今度こそ、今度こそって思ってるうちに賭けられるものもなくなっちゃって。もお悔しくてねぇ。だから私ね、最後の賭けに出ることにしたの」
「さ、最後の賭け?」
「そ。一発逆転の大勝負。紫には私から巻き上げたものと、身包み全部を賭けさせたの。それで、私は……」
「ゆ、幽々子さまは……?」
 今や心臓は早鐘を打つように高鳴っていた。冷や汗が出る。手足が冷たい。悪い予感は今や確信となって妖夢の心を苛んでいた。
「は、はっきり言ってください幽々子さま! 幽々子さまは、いったい、何を、賭けたんですか?」
 妖夢の一言一言かみ締めるような声に、幽々子は振り返った。にこにこ笑顔を貼り付けたまま。
「私が賭けたのは……」
 遅ればせながら妖夢は気付く。幽々子さまが足を止めた、そこは、玄関とお嬢様の寝室に程近い、白玉楼の庭師が代々使っている部屋。
 つまり妖夢の自室。
 戦慄が、稲妻のように、幼い剣士を貫いた。
「あなたの楼観剣と白楼剣。ごめんね、妖夢」
「ぅわあああぁぁぁぁぁぁっ!!」
 襖を蹴破って部屋に突入。ない! ないっ! 床の間の掛け軸の下に安置しておいたはずの黒檀の刀置きごと、先代から受け継いだ二振りの宝刀がなくなっている。
 さすがに腰が砕けてその場に膝を着き、がくがく震えながら錆び付いたブリキのおもちゃのようにぎこちなく、妖夢は幽々子を振り返った。
「ゆ、ゆゆゆゆゆこさま、なななんてことを……」
「だって、悔しかったんだもん」
 よよよとその場に泣き崩れ、涙を拭うふりをする幽々子。
「怒らないで~」
「い、いつですか!?」
「ん?」
「紫さまが、私の刀を持って帰られたのはいつですかっ!?」
「ああ、大丈夫よ。ほんの一刻ほど前だし。それに、今日はもう遅いから刀を質に入れるのは明日にするって言ってたわ」
「全っ然!! 大丈夫じゃありませんっ!!」
 妖夢は叫び、べそをかき、部屋から駆け出していく。
「あー妖夢。どこ行くの?」
「マヨヒガです! 紫さまから取り返してこないと!」
「そう。ご飯までには戻ってきなさいね」
「一人で召し上がっていてください!」
「ま、ご飯いらないっていうの? だめねぇ。そんなんだからいつまで経っても育たないのよ」
「もぉー! 幽々子さまのせいじゃないですかぁ!」
 あ、泣いてる。
 ひとしきり地団太を踏むと、妖夢は暮れなずむ空へと飛び立っていった。ああ速い。すごく速い。今なら天狗とよい勝負ができるかもしれない。そんなことを考えながら、幽々子は苦笑した。
「まだまだ修行が足りないわね、妖夢」
「……んぅ。なぁに幽々子。騒がしいわぁ」
「あら紫。起こしちゃったかしら?」
 布団に包まったまま芋虫のように、八雲紫が隣の客間から顔を出していた。たった今まで眠りこけていたらしく、目は半分閉じているし、寝癖もひどい。片頬を床に付けたままむにゃむにゃと口を動かし、それから油断しきった老猫のような大あくびをした。
「あふぁー……それで、何の騒ぎよぉ?」
「さぁ。何だか妖夢が一人で暴れて、出かけて行ったわ」
「今からぁ? どこにぃ?」
「マヨヒガだって」
「ウチにぃ? なんでぇ?」
「知らないわ」
「ふーん……」
 眠くて余計なことは考えたくないといった表情で、紫は適当に話を切った。
「あ、そーいえば幽々子ぉ」
「なぁに?」
「虫が湧いたら可愛そうだからって陰干しにしてた妖夢の刀、あなた出しっぱなしよ。すごく大事なものだから、失くしたら怒られるって言ってたじゃない。ちゃんとしまっとかないとだめよぉ」
「あらあら、そうだったかしら。忘れてたわ」
 白々しく舌を出し、幽々子は妖夢の部屋に戻る。反対側の障子を開けて縁側に出ると、楼観剣と白楼剣が納まった黒檀の刀置きがそっくりそのままそこにあった。よいしょと持ち上げ、元通り床の間に戻しておく。
「うふふ」
「あ、なにその笑い。また妖夢に何か面白い悪戯をしたのね。今回はどんなの? 教えなさいな」
「やぁね、人聞きの悪い。何もしてないわ。それより今夜の夕食は妖夢が釣ってきた川魚のフルコースよ。どうせ今日は泊まっていくんだから、紫も食べるでしょ」
「美味しそうね。食べたいわぁ。……けど、眠いわぁ」
「まだ寝ちゃだーめ。藍に今日泊まるってこと言ってないじゃない。ちゃんと伝えてあげないと可愛そうよ?」
「うーん……。いいのよ。式と主は以心伝心なのぉ」
「嘘おっしゃい。ほら、それくらいおやりなさい。ついでに、妖夢への言付けを頼みたいのよ」
「なに~?」
「『さっきのは嘘だから気にしないように。それから、お休みは延ばしてあげるから、今日は藍のところにお泊りしてらっしゃい』 ってね。お願いよ」
「ん~? なによそれ?」
「大したことじゃないのよ。あの子は藍と良い友達になったみたいだし、この際だから普段の分まで息抜きをさせてあげたいのよ。でもあの子は頑固だから、これくらいしないと絶対に遠慮するんだもん。まあ、つまらない小細工ね。気にしなくていいわ」
「よく分からないわぁ~」
「それでいいのよ。ちょっとあなたの真似をしてみただけだから。ささ、行きましょう。そろそろご飯の時間だわ~」
 芋虫状態のままでスキマ越しに藍との交信を始めた紫の後襟を掴み、引きずって、幽々子は上機嫌に歩き出す。
 これから食べる魚料理と妖夢の驚いた顔を交互に思い浮かべ、幽々子は一人、艶やかに微笑むのだった。
 第一回 甚平に着替えさせたい女の子選手権大会・俺の部  優勝  魂魄妖夢


※知らないうちに3000点突破。超ありがとう。
  うおおお、5000点到達ファイヤー!

  誤字脱字は随時修正しております。
猫兵器ねこ
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コメント



0.5780簡易評価
2.90からなくらな削除
ほう・・・これは良い
各作品の従者(に近いものも含む)の、それぞれの休日の様子が伝わってきました
小町だけなかったようですが・・・まあ、いつも休日みたいなものですか
作者さんは妖夢がお好きのようで
次もひたすら期待
3.80名前が無い程度の能力削除
各従者に焦点を当てた休日。いいね。
オチもちゃんとついてるし。ゆゆ様は孔明だし。
だが輝夜党員の俺としては少し残念だったぜ…
5.100名前が無い程度の能力削除
これは……すごく、いいです。良い夏だ……
11.80きっつん削除
うん。幻想郷の夏だネ。
とてもいい。暑い暑いと唸る前に自前で涼しくしたいもんだね。……仕事さえなければ。

描写や起承転結、オチのつけ方までお見事、としか言いようがないです。正直お手本にしたいSSの書き方ですね。
鈴仙の泣いているシーンが個人的に良かった。呼び方に若干違和感はあったけど、まぁあのシーンなら鈴仙で良いか、と納得しましたし。
12.60名前が無い程度の能力削除
永琳の字が間違いっぱなしでス。すげー寂しそうな字面になっちゃってるw
15.無評価猫兵器ねこ削除
>からなくらなさん
 読んでくれてありがとう。連中の普段は見れないような側面を書いてみました。
 小町さんのパートもプロット段階では考えていたのですけど、彼女は従者というより純粋に仕事上の部下という感じであることと、全体的なバランスの問題から、今回は外しました。
 あのお姉ちゃんは好きなキャラなので、いつか別のSSに登場させたいです。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/07 23:12:18 さん
 輝夜党員すまん。
 あのお方は登場作品が少ないこともあって、まだ十分に俺の中でキャラが固まってないんだ。
 今後の俺の妄想力に期待してくれ。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/07 23:25:07 さん
 ありがとう。楽しんでもらえたみたいですごく嬉しい。
 この話、当初の目標では6月上旬には投稿するつもりだったんだ。ちょうど初夏でタイムリーなわけ。でも蓋を開けてみれば夏真っ盛りですよ。
 泣きたくなった。

>きっつんさん
 仕事、お疲れさんです。
 そういえば奇しくも起承転結、ちゃんとなってますね。全然意識しませんでした。
 七転八倒するほど苦労したオチを褒めてもらえて大感謝。呼び名はずいぶん迷ったのだけど、永夜でそう呼んでいたから『鈴仙』にしたのです。
 やっぱり『ウドンゲ』 の方が良かったかしら?

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 00:36:48 さん
 すまん。アホすぎた。間違ったまま辞書登録してた。
 修正したので勘弁してください。
 今日から寝る前に『永琳永琳』って1000回唱えますから。
24.80名前が無い程度の能力削除
日本の夏、幻想郷の夏
29.80名前が無い程度の能力削除
>俺の部
最高に笑ったw
いや他のところも最高ですよ。従者達に良い夏休みが訪れますように。
30.100名前が無い程度の能力削除
良い文章ですね。…私には書けないなぁ、こういうのは。
39.100名前が無い程度の能力削除
適度な硬さにある文章が障り良く、そこに同じような硬度を持ったキャラを
充ててくるところなんて心憎いにも程があります。
やーもー大好き、次回作も期待してますー
40.100名前が無い程度の能力削除
釣りに行きたくなっちまいましたよ
41.100名前が無い程度の能力削除
早苗さんに学校指定ジャージを着せたい会々員としては、守矢神社のパートはもっと読んでいたい気分になりましたよ。
夏の盛りの光景と、ビートルズを口ずさむ神奈子様の絵が実に素敵です。
52.100名前が無い程度の能力削除
>>41

>早苗さんに学校指定ジャージを着せたい会々員
よ  う  兄  弟
55.100名前が無い程度の能力削除
>>41>>52
あれ?俺がいる…
咲夜さんに短パンとタンクトップでランニングをしてほしいと思っているのは俺だけじゃないはず  多分
62.無評価名前が無い程度の能力削除
棋譜が見たくなっちまいましたよ
64.90名前が無い程度の能力削除
早苗さん以外ほとんど休み無し・・・頑張れ超頑張れ
でも主が真っ当な早苗さんのだらけきった姿が容易に想像できるってのはどうなんだろうw

>守矢さまには
ここは洩矢さまかな?

>元は人間
永琳は転生とかしてないので昔から月の民(最初は地上にいたようですが)だったような。
68.無評価猫兵器ねこ削除
 3000突破。信じられない。感謝。感謝。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 03:34:05 さん
 幻想郷にはこういう賑やかな季節が似合うと思うわけですよ。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 08:53:49 さん
 こんな小ネタまで楽しめるあなたは、真の勝ち組。
 従者たちにはたぶん夏休みはないけれど、毎日を楽しんでいると思うのできっと幸せです。
 幸せっていいですよね。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 11:42:45 さん
 文才がないので、せめて丁寧に文章を綴っています。
 毎日毎日自分の未熟さにため息をついている身には、あなたの言葉は最高の清涼剤です。ありがとう。明日からまたがんばれる。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 19:50:17 さん
 うひひ。何だかこそばゆいですな。今回はたまたま文章と物語の釣り合いが取れて、気に入っていただけました。
 これを励みに次回作もがんばりますよ。良かったらまた読んでやってくださいな。
 ありがとうございました。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 20:34:44 さん
 釣りは良いものです。文章から少しは伝わりましたでしょうか。もしそうなら、作家冥利に尽きるというものですよ。

> 名前が無い程度の能力 ■2008/08/08 20:50:06 さん&名前が無い程度の能力 ■2008/08/09 12:25:25さん
 どこに葉書を送ればその会に入れるのか教えてください!
 神奈子さまにビートルズを歌わせるシーンが果たして東方の世界に馴染むか、という点は大きな心配の種でした。その部分を気に入っていただけたことは大きな収穫です。感謝。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/09 13:15:10 さん
 短パンとタンクトップ!? この変態め!
 俺はどちらかというと走り高跳びをやってもらいたい。鋭い呼気の走りこみ。踏み切りの瞬間にいっそう美しく跳ねる銀髪。空中を舞う華奢な体躯がしなやかに曲がり、きれいなフォームで横木を越える。小さなお尻がマットに落ち、軽く弾んだところでようやくこちらに気づいたようだ。捲れあがったタンクトップの隙間から覗いた健康的なおなかをすばやく隠し、上気した頬に照れによる赤みを加え、それでも平静を装った顔で睨みあqwせdrftgyふじこlp

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/10 08:34:45 さん
 ごめん。実は、囲碁のこととか全然知らないんです。だから棋譜とか無理です。あ、でも、オセロならできるよ!

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/10 10:56:11 さん
 早苗さんは労働条件良さそうですよね。でもついこの前まで女子高生だった早苗さんなら、だらけていてもきっと怒られたりしないのです。だってみんな好きそうだから。女子高生。

 >守矢さま
  うあああ。詰まらない小さな誤字ならずいぶん潰したのに、どうしてこんな致命的なのを見逃すんだ! 報告ありがとう。もっと気をつけます。

 >元は人間
  月の民と地上の民は同じ人間で、白人と黄色人種くらいの差異しかないという認識だったのだけど、違うのかな? 求聞史紀にも宇宙人二人は人間のくくりの中に入ってたから、あのように言わせてしまいました。勘違いがあったらごめん。
79.90名前が無い程度の能力削除
これは良い。
楼観剣と白楼剣のとこで噴いたw
笑えないけど、従者思いでいいなぁ。
咲夜さんは瀟洒だな。早苗さんはありそうで困るw
80.100名前が無い程度の能力削除
>元は人間
蓬莱人をなった我が身をさしているのかと思いました。

とりあえずこの幽々子様に惚れた。
82.100名前が無い程度の能力削除
山女うまそー
84.80500削除
神奈子様に歌、それも英語、想像できない想像でした。
このような話の場合、個別に書くのがセオリーですが
1つの物語にのせてそれぞれの従者の休日を紹介しても面白いかな、と思いました。
88.90名前が無い程度の能力削除
ふああ、自分の現在の状況と照らし合わせると、
この従者さんの休日は素敵な休日にしか見えない・・!
幽々子さまと紫さまが両方とも原作よりも心なしかふわふわとしていて、
見ていて凄く和みましたです。
咲夜さんと美鈴のお話が個人的にはちょっと心にキました。
美鈴が按摩長・・・。パチュリーにマッサージを施してミスって折って大変なことになることを幻視しました。
89.100名前が無い程度の能力削除
難しいことは言えませんがすごく良かった
咲夜さんの瀟洒さと美鈴の優しさで涙腺がやばいです
90.無評価猫兵器ねこ削除
 久々に見たらPOINT5000間近!? ……あ、ありのままに今起こったことを話ry

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/13 15:15:03 さん
 幽々子さまはけっこう洒落にならない悪戯とかしそうです。妖夢に。だけど、そんな彼女にも従者を思う優しさくらいあるはずだ! そういう気持ちで書いたオチです。
 あと、あのメンツでだらけさせて違和感がないのは早苗さんだけでした。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/14 00:57:04 さん
 おっしゃるとおり。64氏の指摘の意味を取り違えていました。
「元は人間だった」 という永琳の台詞は、『人間(月の民)→蓬莱人』 の変化を受けての言葉です。フォロー感謝します。
 でもこの幽々子さまは俺のだからあげないよ。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/14 05:42:55 さん
 旨いですとも旨いですとも。文章で食べ物を描写するのは好き。好きだけど下手。今回はたまたま上手くいきました。嬉しいよ。

>500さん
 個別に書くことも検討したけど、どうしても小粒になるし、盛り上がらないんですよね。
 個人的にこういう連作形式の展開は好きなもので、本能が命ずるままに書き綴りました。
 神奈子様の歌は少しやりすぎたような気もするけど、どうしてもやりたかった場面です。しかし同時に、もっと上手に盛り上げることができたのではないかという反省も残りました。
 読んでくれてありがとうございます。

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/17 22:11:57 さん
 お仕事お疲れ様です! 仕事の次第によっては休日なんてあってないもの。しかし努々、お体には気をつけられい。
 ゆかゆゆコンビは作中では脇役なので、出力は抑え気味です。いつか恐ろしいほどのカリスマを備えたフルスロットルのお二人を書いてみたいです。

 >パチュリーにマッサージを施してミスって折って大変なことになる

 お、面白そうじゃないですか。そのネタでぜひSSを一本!

>名前が無い程度の能力 ■2008/08/18 14:41:19 さん
 美鈴は優しい子。読んでくれてありがとう。
 そういうふうに感じていただければ、書き手としても最高に嬉しいです。
94.100名前が無い程度の能力削除
なんて言ったら良いのかわかりませんが……
すごく良かったです!!
97.無評価猫兵器ねこ削除
>名前が無い程度の能力 ■2008/08/23 16:30:28 さん
 読んでくださってありがとう!
 色々拙い作品ですが、少しでも楽しんでいただけようなので、嬉しく思っています。
 良かったらまた拙作を読んでやってください。
98.100名前が無い程度の能力削除
全編に渡って涼しげな雰囲気が良かったです。特に渓流でのお食事会のところがいい感じでした。
川のせせらぎとか眩しい日差しとか、そういうのが素直に想像できる感じ。
一番笑ったのは「役に立たない知識人」。美鈴、パチュリーのことそんな風に思ってたのかw
101.無評価猫兵器ねこ削除
>名前が無い程度の能力 ■2008/08/26 22:35:24 さん
 役の立たなさに定評のあるパチュリー。お嬢様公認です。
 一生懸命書いた初夏の風景を楽しんでくれてありがとう。水辺が好きなので、渓流のシーンの描写には特に気合を入れたのです。
109.100名前が無い程度の能力削除
全体に渡っての暖かい雰囲気、楽しませて頂きました。
111.100名前が無い程度の能力削除
GOOD!!
116.90名前が無い程度の能力削除
それでも姫様なら薬鉢を元に戻してくれるッ
119.100名前が無い程度の能力削除
僅かな休日(しかも本人たちが「僅か」である事を望んでいる)だけど、それを満喫している従者さんたち、そしてさり気なく気を使うご主人さまたち‥みんな愛が深くて素敵です。
どのエピソードも優しく、楽しく、愛らしく、すこしホロリとさせられる素晴らしい作品でした。

でも、幽々子さま、あなたの愛情表現は‥小学生ですかっ! 
137.100名前が無い程度の能力削除
一々の表現に、ぐっときました。
優しくも暖かな雰囲気の作品、とても面白かったです。
138.100名前が無い程度の能力削除
主従がみんな可愛くていいなあ。
意気投合する藍と妖夢、泣き虫の鈴仙に素直になれないてゐ、
そしてビートルズを口ずさむ神奈子さまと早苗!!
素敵な休日を過ごしている従者たちの日常も応援したくなるお話でした。
143.100名前が無い程度の能力削除
途中からずっとlet it beが脳内再生されながら、読んでいました。いいなぁ。let it be なんていかすじゃない!