Coolier - 新生・東方創想話

半獣の見た幻

2008/07/20 09:41:53
最終更新
サイズ
39.84KB
ページ数
1
閲覧数
201
評価数
8/29
POINT
1530
Rate
10.37
拙い文章な上、オリキャラや、独自の解釈が含まれます。
そういったものがお嫌いな方は、ブラウザの戻るボタンをクリックして下さい。
それでも構わないという奇特な方は、画面を下にスクロールしてお進み下さい。



























眩しい朝の光で目が覚めた。
私は布団の中で軽く伸びをする。
背中がむず痒くなるような、なんとも言えない気持ちよさだ。
部屋の西側に開かれた小さな竹格子からは雀の鳴き声が聞こえてくる。
米が炊かれる匂いをわずかに鼻に感じ、自分がいつもより少し寝坊したことを悟る。
大きく一つあくびをすると、脳に血液が回って徐々に意識がはっきりとしてくる。

潔く布団から出て、厨にある水瓶から大きめの柄杓で水を掬い、顔を洗った。
自分の頭に手をやると幸いなことに寝癖はひどくないらしかった。
後で櫛を通せばいいだろう。

米を研ぎ、薪を竈にくべようとして薪が切れかけているのに気付いた。
そろそろ薪棚から薪を運ばなければ、などと糠床から胡瓜を取り出しながら考えた。
物心ついた頃から一人で料理してきたから、朝餉の準備位は別のことを考えながらでもこなせる。
今日やるべきことを考えながら、鍋で味噌を溶いていると「ぐぅ」と小さくお腹が鳴って、わたしの思考は中断された。

朝餉を済ませ、書架から今日の授業の教科書を取り出して風呂敷に包み、文机に置く。
今日は少し寝坊してしまったから、急がなければならない。
髪に櫛をさっと通して、風呂敷包みを手にとり家を出る。
今日は良く晴れた。梅雨の中休みというやつだろう。
しかし、昨夜は霧雨が降っていたため、雨があがった後の独特の匂いと、初夏の草花の青臭い匂いが、蒸し暑さと相まって、少し憂鬱な気分にさせる。
「せっかく晴れたのになぁ。」
誰にともなく呟いてしまう。
道の脇に緑の絨毯となったオオバコが、夏がもうすぐそこまで来ていることを確かに感じさせていた。



それは、余りにもいつもの日常で。
気付かなくなっていた。
私は半獣だ。
人間達とは違う時間の流れの中で生きている。
日々は、ただただ繰り返す。
終わりの見えない日々。
そんな日々を繰り返すたび、私は忘れてしまっていた。
その一日一日が、どれほどの意味を持つものか。



「よーし、授業を始めるぞ。」
ざわついた子供たちの私語を中断させるため、私は大きめの声で宣言する。
40の瞳が一斉に注目する。純粋な彼らの瞳は生命力に溢れていて、思わず気圧されることすらある。
「コホン。」
私は、小さく咳払いをして少し間をおいた。
「よし、今日は平家物語の続きからだ。みんなちゃんと宿題はやってあるな?」
さっきまで私の身を刺してした瞳のうち約半分が、私から瞳をそらした。
そのうち一番自信のなさそうな者を探す。
「よし、平蔵。宿題の分の訳を聞かせてみてくれ」
「げっ」
明らかに動揺した声があがる。
「きょ、今日は、たまたま家に宿題の半紙を忘れてきちゃいまして。」
「ふーむ、そうか。それは困ったなぁ。よし、待っているから今すぐに取ってきなさい。お前の家ならすぐだろう。」
「え」
平蔵の顔は、みるみる内に青ざめていく。
教室の中からはクスクスという笑い声が聞こえてくる。

「すいません。やってきませんでした。」

ついに平蔵は観念したようだ。
「平蔵。宿題をやらなかったことより、嘘で誤魔化す方がよっぽど悪い。五割だな。」
ゴツンッ!と、なかなか頭ごたえのある音がした。
五割の威力でも、私の頭突きとなると、なかなか厳しい罰なのだ。
「はい…ごめんなさい。」
おでこを痛そうにさすりながら平蔵は肩を落とす。
「よろしい。次は、ちゃんとやってくるんだぞ。」
少し可哀そうになり、頭を撫でてやりたくなるが、友達の前で頭を撫でられては、平蔵にとっては恥ずかしいだけだろう。
撫で心地がよさそうなイガグリ頭を見ながら、撫でたくなるのを必死で堪えた。
「うへぇ。初っ端から五割だ。今日の慧音先生は、機嫌悪いのかなぁ?」
「もしかしたら今日は、八割まであるかもしれないぞ。」
「平蔵痛そー。」
「かわいそうだけど、ちょっと可笑しいかも。くすくす。」
隣同士でヒソヒソと頭突き談義をする生徒や、平蔵の様子を見て笑っている生徒の声で教室が俄かにざわつきはじめた。
「お前たちも、平蔵のことは笑えないぞ。人の振り見て我が振り直せ、だ。宿題は、ちゃんとやってくるように。」
「「「はーい。」」」
「よろしい。じゃあ…次は、誰に発表してもらおうかな…。」
そろそろ授業を進行しなければならないので、きちんと宿題をやっていそうな者を探す。
ふと、窓際の席に目をやると、浮かない顔で窓の外を眺めている少女がいた。
「じゃあ、あや。訳してみてくれ。」
「え…はい。」
少女は自分が指名されたことに気付いて、目線を外の景色から、私を経由して机の上の半紙に落とす。

「一門の命運も尽き果てて、今日にはもう都を出ていきます。この世に残る未練としては、ただ法親王様のお名残りばかりでございます。…」

教室は一時期の騒がしさとはうって変わって、しんと静まり返っている。
その静寂の中で少女の細く繊細な声が、経正と守覚法親王の別れの情景を繋いでいく。

「あかずしてわかるる君がなごりをば のちのかたみにつつみてぞをく…この歌の解釈からが今日の授業です。」
「うん。とても良い訳だ。あや、ありがとう。」
「はい。」
少女が静かに返事をすると、静寂に包まれていた教室に温度が戻ってきた。
「流石だね…」
「うぅ…なんだか一生懸命やった自分の訳が可哀そうになるよ。」
「あやちゃんと比べちゃだめだよー。」
緊張感から解放された教室はまたいつもの騒がしさを取り戻そうとしていた。
「ほら、みんな授業中だぞ。私語は慎みなさい。じゃあ、今日は法親王の歌の解釈から始める。」
私が、もう一度あやに視線を戻すと、あやは、また窓の外を眺めていた。
その歳不相応な憂いを帯びた横顔に、私は鈍い胸の痛みを感じるのだった。



あやの母親が亡くなったのは、今から半年前のことだ。
人里では流行病が猛威を奮っていた。
その病は、致命的なものではなかったが、それは健康な者が病に罹った場合の話だった。
元々、体の弱かったあやの母親は、その流行病に罹り、徐々に体力を奪われていった。
あやは、懸命に母親の看病をした。
それでも母親の容体は良くなることはなく、ついには帰らぬ人となったのだ。
あやは、母親に似て体が弱く活発な方でなかった。
しかし、母親が亡くなってからは、余計に人を寄せ付けない雰囲気を持つようになっていた。
私は、そんなあやの様子が常に気になっていたのだ。
また、話をする時間を設けようと考えながら、私は授業を再開した。



「よし、今日の授業はここまでだ。それと、あやは少し残ってくれ。」
私が言い終えるや否や、教室がワッと子供達の声に包まれる。
「慧音先生さよーならー!」
「あぁ。さようなら。気をつけて帰るんだぞ。」
「はーい!」
子供達は、我先にと教室から出ていく。
最後には一人、あやだけが残った。



「あや、最近の生活はどうだ?」
「別に、何も変わりありません。」
「そうか。お父上は元気でいらっしゃるか?」
「はい。母上が亡くなってからは、忙しいようで余り家には帰ってきませんが。」
あやの父親は、仕事柄幻想郷中のあちこちを旅して周っている。
元々仕事熱心な人間だったが、妻が亡くなって以来さらに仕事に打ち込むようになったという話を聞いていた。
娘とも十分な時間を取っていないのだろう。
「そうか…。寺子屋は楽しいか?」
「…はい。」
「本当か?」
「……先生、もう帰ってもよろしいですか?家のことをしなくてはならないので。」
「あ、あぁ。すまなかったな、時間を取らせて。」
「いえ…。失礼します。」
「気をつけて帰りなさい。」



「ふぅ…。どうしたものか。」
あやの出て行った教室で、私は一人で溜息を吐いていた。正直なところ私は、あやと、どうやって接していいものかわからなくなっていた。
余りしつこく気に掛けると、今日のように嫌がられてしまうだろう。
しかし、そのまま放って置く訳にもいかない。
「ままならないものだ…。」
すでに日が落ち始めた教室で、私の気持ちは落ち込んでいくのだった。



少々、帰りが遅くなってしまった私は、帰りに買い物に寄ることも出来なかった。
備蓄している食糧も無くなりかけており、夕餉は質素なものになりそうだ、などと考えて歩いていると、自宅に明かりがついているのが目に入った。

「勝手に上がらせて貰ってたよ。」
「いつものことじゃないか。」
そこにいたのは、私の友人である藤原妹紅であった。
「まぁまぁ、そう言うなって。今日はちゃんと土産も持ってきたんだから邪険にしないでよ。」
「ほう。珍しいな。何を持って来てくれたんだ?」
「川で良い鮎が釣れたんだ。帰りが遅かったから、もう焼いてたとこだよ。」
「どうりで良い匂いがする訳だ。悪いな、気を遣わせてしまって。」
「慧音には、いつもご馳走になってるからね。気にしないで。」
どうやら、夕餉の心配は杞憂に終わったようだった。
「よし、私も手伝おう。」
「ん。じゃあ、みそ汁作って。ご飯はもう炊いてあるから。」
「分かった。」
妹紅のお陰でほとんど準備は終わっていたから、私はいつも通りの時間に食卓につくことが出来たのだった。

「ガツ!ガツ!」
「妹紅、行儀が悪いぞ。もっと落ち着いて食べたらどうだ?」
「ん~。もぐもぐ。ごくん。ガツ!ガツ!」
「…ちゃんと噛まないと太るぞ。」
「ん~。もぐもぐもぐ。ごくん。ガツ!ガツ!」
「…まったく。」
思わず苦笑してしまうが、妹紅は本当に美味しそうに食べる。
その姿は、見ているこっちまで幸せな気分にさせてくれる。
最近、悩むことが多かったから、この気の置けない友人の来訪はとてもありがたかった。
「ぷはーっ!食った、食った。」
お腹をさすりながら妹紅は満足げだ。
「少しは恥じらいを持ったらどうだ。せっかく美人なのに、そんな姿見たら百年の恋も冷めてしまうぞ?」
「あら、慧音は私に恋してるの?」
「ぶっ!」
思わず茶を噴き出しそうになる。
「あはは!冗談だよ。」
「性質の悪い冗談はよしてくれ妹紅。」
「いやさ、慧音が何だか悩んでるようだったから、つい。」
「……。そんなに顔に出ていたか?」
「まぁね~。帰ってきたとき辛そうな顔してたよ。」
「妹紅には、敵わないな。」
「付き合い長いしね~。で、話してくれないの?」
「…聞いてくれるのか?」
「もちろん!私で良かったら、幾らでも付き合うよ。」
「ありがとう、妹紅。」
時折、妹紅は私の悩みを聞いてくれる。
だが、妹紅から悩みの相談を受けたことは無かった。
やはり、生きてきた年月は私の方が圧倒的に短いから、頼りないのだろうか?
そんなことを考えて少し寂しい気持ちになったが、とりあえず今は、あやについて話すことにした。

「実は、寺子屋の生徒に1人どう付き合って良いのか分からない生徒がいるんだ。」
「へぇ。慧音が生徒との付き合いで悩むなんて珍しい。」
「いや、ちょっと特殊な環境で育った娘でな。元々、あまり人を寄せ付けない娘だったんだが…」
私は、あやの家の事情を妹紅に説明した。
妹紅は、いつになく真剣に私の話に耳を傾けてくれた。
「そんな娘なんだが、半年前に母親を亡くしてな。」
「…そっか。」
「すまない。妹紅まで憂鬱にさせてしまったな…話を変えよう。」
私の憂鬱な気分に妹紅を巻き込んでしまうのは申し訳ないと感じた私が、話題を変えようとした時、妹紅が口を開いた。
「普通の子供と同じように接してあげたら良いと思う。」
「えっ…?」
「どんな環境で育った娘だって、子供は子供だよ。私も貴族なんかの娘として生まれたから、特別扱いされるのが凄く辛いことだっていうのは知ってるつもり。」
「…そうだったな。」
「特に私はこんな姿でしょ?周りからは奇異の目で見られてた。」
「…。」
妹紅はいわゆる白子というやつだった。
昔の貴族たちは、占いや呪いといったものを強く信じていたから、妹紅のような子は、禍の象徴だとして疎まれていたのだろう。
「何か悪いことが起これば、私のせいにされて、迫害されることは目に見えてた。だから、弱みを見せる訳にはいかなかった。強くあることが必要だった。」
妹紅は一息で喋り切ったあと、普段は決して見せないような寂しそうな顔をして言った。

「強くなきゃ生きていけなかった。」
「…。」

「でも、私には父上がいた。父上にだけは、普通の子供として甘えることが出来たから…。でも、その娘には甘えられる人もいない。きっと、あの頃の私よりも辛いと思う。」
「…そうかもしれない。」
「父上があの女に誑かされて、誰にも甘えられなくなった私は、あの女を殺すことだけを望みに生きてきた。そうじゃなきゃ気が狂ってしまいそうだったから。」
妹紅が、こんなにも身の上話をするのは、本当に珍しいことだった。
「けど、今は慧音が私の支えになってくれてる。」
「妹紅…。」
「慧音は、私を普通の人間と同じように接してくれる。それが、凄く嬉しかった。」
妹紅は蓬莱人だ。その身は永遠に滅ぶことはない。
「その娘と私は、すごく似ていると思う。だから多分、欲しているものは同じ。」
妹紅の目には、薄らと涙が溜まっているように見えた。
「慧音、その娘の支えになってあげて。」
それが、妹紅の心からの願いだろうことは、ひしひしと伝わってきた。
「…うん。ありがとう、妹紅。妹紅に相談して良かった…。」
私も、そんな妹紅の顔を見て、涙を堪えるのに必死だった。
「よし!じめじめした話はここまで!風呂に入ろう!」
バンッ!と膝を叩き、目尻をさっと拭った妹紅は、いつもの調子に戻っていた。



その日、妹紅は珍しく泊まっていった。
妹紅の庵は、私の家とそんなに離れていないから、いつもは夕餉を食べた後に帰っていくことがほとんどだ。
多分、妹紅は私に気を遣ってくれたのだろう。
不死という、私の悩みとは比べ物にならない程の悩みを持ちながら、それでも私を気遣ってくれる優しい友人に感謝して、私は眠りに就いた。



妹紅からの助言で、あやとどのように接するか、という悩みは解決したものの、あやと自然に会話を持つ機会は訪れなかった。
私は、少し焦りを感じていたが、こればかりは、どうすることも出来なかった。
こんな悩みを持っている時点で、それは普通に接することなど出来ない事を証明するようなものであることに、当時の私は、気づく余裕など無かった。
結局、一週間経っても、あやと話す機会を持つことは出来なかった。
その日も、あやと話すことが出来ずに、私は足取り重く家路に就いた。
どんな方法であやと会話をするかを考えながら家路を歩いていると、大きなモミの木の下に小さな人影を見つけた。
「あれは…」
それは、全くの偶然だった。
しかし、またと無い機会を与えてくれたことに、私は神に感謝した。
私は、ゆっくりその小さな人影に近づいて声をかける。

「あや、もう日が暮れるぞ。こんな所にいては、危険だ。」
人里の端に位置するこの場所は、夜になれば妖怪が出ることもある。
人間の少女が一人でいるには、いささか危険な場所である。
「……先生ですか。そろそろ帰るつもりでした。」
「そうか…。」
いつも通りのそっけない返事が返ってくる。
送って行こう、と切り出すつもりでいた私だったが、あやの雰囲気は、それを許さなかった。
後姿からは、あやがどんな表情をしているのか、判らない。

「綺麗ですよね。」
「ん?」
何か話そうと思案していると、珍しくあやの方から私に話かけてきた。
「夕焼けです。」
「あぁ。そういえば、久しく眺めていなかったな。」
「私は、ここで夕焼けを眺めるのが好きなんです。」
「…そうだったのか。」
どうやら、私が気付いていなかっただけで、あやは、よくここに来ているらしかった。
夕日を見ているあやの背中は、とても小さくて、儚いものに感じられた。
「……明日もお日さまは、昇ってきますよね?」
ぽつり、とあやが呟く。
「…そうだろうな。」
「夕焼けを見ていると綺麗なのですけど、不安になるんです。あんなにお日さまは燃えているのに、明日も昇って来れるんだろうかって。」
「あやは、難しいことを言う。」
「先生は、不思議に思ったことはありませんか?」
「うーん。そこまで難しく考えたことは無いなぁ。」
「そうですか…。」
あやが振り返り、目が合う。
「…泣いていたのか?」
振り返ったあやの顔には、まだ乾ききっていない涙の筋が残っていた。
「…っ!すみません。お見苦しいところを…。」
そう言うと、あやは慌ててぐしぐしと眼を擦った。
その仕草は、いつもの大人びたあやの仕草とは思えないような幼いものだった。
そんなあやの姿を見た私は、自然とその小さな背中を抱きしめていた。
「…!?どうしたんですか先生?」
「あや、私はお前を見ていると辛いよ。」
「…同情なら、しないで下さい。」
「いや、同情する。お前の母親が死んだことにではなく、お前が自分を偽っていることにだ。」
「…おっしゃっている意味が分かりません。」
「あや、お前は子供だ。お前の周りの大人たちが思っている以上に、そして私が思っていた以上に。」
「…やめて下さい。」
「いや、やめない。子供は子供らしく、甘えれば良いんだ。」
「甘えたいとなんて思っていません…。」
夕焼けは、正に焼けるような色で空を照らしている。

「あや、私が嫌いか?」
「こんなことする先生は、嫌いです…。」
「私は、あやのこと大好きだ。」
「…やめて、下さい。嘘は嫌いです…。」
何故か、チクリと胸が痛むのを感じた。
でも、そんなことを悟られるわけにはいかない。
「いや、これは私の本心だ。だから、あやも本当の『あや』として私と接して欲しい。」
「…。」
あやは、俯いたまま黙ってしまった。
「先生は…そんなに頼りないか?」
「……本当は」
聞き取れない程小さな声で、あやが話し出す。
私は、一言一句聞き逃すまいと耳を傾けた。
「泣きたかったんです。」
「…そうか。」
「母上が死んで、すごく悲しくて。でも私は、泣いちゃいけないから…。」
「……そうか。」
「駄目ですね、私。」
「いや、駄目なんかじゃない。母親が亡くなったんだ。ちっともおかしいことじゃない。」
「でも…、駄目なんです。私は泣いちゃ駄目なんです!」
「大丈夫だ。先生の前では、泣いたって構わないんだ。」
「…うっ、うぁぁぁっ!」
「だから、安心して泣きなさい。」
「うわぁぁぁぁ!せんせい!せんせい!」
あやは、私に抱きつき、いままで無かった程の声で泣いた。

少女は、常に強くあろうとした。
周囲の期待に応えようと、周囲に心配をかけまいと。
そんなあやの強さに私は、あやの本当の心に目を向けていなかったのだ。
あやの周りの大人たちと同じように、あやに接してしまっていた。
しかし、あやが求めていたのはそんな気遣いなどではなかった。
甘えたかったのだ。
誰かに頼りたかったのだ。
こうして抱きしめて欲しかったのだ。
妹紅の言う通りだった。
私は自分の不甲斐無さに唇を噛んだ。



あやは、半時程泣き続けた。
今まで泣けなかった分を取り戻すように。
私は、あやを抱きしめ続けていた。
今まで抱きしめてやれなかった分を取り戻すように。

夕焼けを受けたモミの木の下には、一つの影が伸びていた。

嗚咽が小さくなり始めて、私は、あやに話かける。
「泣きたくなったら、いつでも先生の胸を貸してやるから。我慢しなくてもいい。」
「…うん。」
「辛かったな。」
「…うん。」
「先生もっと早くこうしてあげたら良かったんだ。ごめんな。」
「ううん。」
「許してくれるのか?」
「うん。」
「ありがとう。あや。明日から頑張れるか?」
「…うん。」
「あんまり無理しなくても良いぞ?」
「…うん。」
「じゃあ、明日から頑張ろう。ほら、可愛い顔が涙で台無しだ。」
私は、あやの涙を指で拭ってやる。
「……うん。」
「ははは。うん、ばっかりだな。」
「…うん。…うふふ。」
あやは、目尻に涙を溜めながら、微笑む。
それは、初めて見るあやの笑顔だった。
そして、それは年相応の可愛らしい少女の笑顔だった。
「もう、大丈夫か?」
私が聞くと、あやは少し間をおいてから
「もう少し抱っこして欲しい…」
と呟いた。
「…あぁ。分かった。」
あやは、こんな甘えた口調で喋る娘ではなかったはずだ。
しかし、これが本来のあやの口調なのだろう。
「先生の胸大きいね。母上みたい。」
「なっ。大きいって…でも母上みたいだって言われるのは悪い気はしないな。」
「慧音先生がもう一人の母上だったら良いのに…」
「…それなら、私があやのもう一人の母親になろう。」
「本当…?」
「ああ。今日から私はあやのもう一人の母親だ。」
「じゃあ、母上は母上だから…先生は私のお母さん!」
「わかった。私は、あやのお母さんだ。」
「うん!ありがとう、お母さん!」
「ただ、寺子屋ではお母さんはやめてくれよ?みんないるからな。」
「えぇー。」
「いや…ちょっと恥ずかしいから困る…。」
「うふふっ。わかりました。お母さん。」
私をからかうあやの口調は、いつもの口調に戻っていた。



その日から彼女は、元気を取り戻し、寺子屋の生徒達とも打ち解け始めた。
生徒達も皆あやのことを心配していたから、彼女が元気になって、教室の空気も依然よりも明るくなった。
私とあやは、自宅の位置が同じ方角にあることもあり、一緒に帰るようになっていた。
毎日のように、あのモミの木の下で夕日を眺めながら、他愛もない話をした。
寺子屋が休みの日は、彼女は私の家を訪ねてきて、一緒に畑仕事をしたり、買い物に出かけたりするようになった。
そして、彼女にせがまれ、週に一度は、あやの家に泊まるようにもなった。
あやの家に泊まる時、私とあやは、いつも一緒の布団で眠った。
私に抱きついて眠るあやの寝顔は、余りにも穏やかなもので、私は誰かに必要とされる喜びを知った。

まるで本当の親子のように同じ時を共有する中で、私もあやと共に過ごす時間が何よりも大切になっていった。
今なら胸を張って、あやが大好きだと言えた。
いや、もう既に私は、あやを娘として愛してしまっていた。
そんな私たちを見て、妹紅は
「特別扱いするなって言ったのに。」
などと不満を口にしていたが、妹紅もあやと仲良くなったようで、良く三人で夕餉を食べるようになった。
あやが、私をお母さんと呼ぶので、妹紅に散々からかわれたが、悪い気はしなかった。
妹紅も、あやが大好きになったようだった。
妹紅が余りにもあやを甘やかすので、妹紅もあやを特別扱いしているじゃないかと言うと
「良い意味での特別扱いなら良いんだ!」
と反論された。
なんだか、言っていたことと違うような気がしたが、姉妹の様にじゃれ合うあやと妹紅を見ていると、私たちが本当の家族になったようで嬉しかった。

他人から見れば、私たちは、自分達の傷を舐め合っているだけの様に映ったかもしれない。
しかし、それで良かったのだ。
確かに、私たちは幸せだったのだから。



それから数年の間に、あやは美しい少女に成長した。
年頃になるにつれて、照れからか、私のことをお母さんと呼んでくれなくなり、正直ちょっと寂しかった。
寂しい。お母さんって呼んで、と言うと
「もう!そうやって昔のことを引っ張り出して!恥ずかしいからやめて下さい。」
と、怒られた。
なんで、怒られたのだろう?
これが子離れというやつか、と思い当たり少し泣きそうになった。



その頃だったと記憶している。
あやの父親が亡くなった。
幻想郷を旅している途中で、妖怪に襲われたそうだ。
ほとんど、父と子としての繋がりが無かった二人だったが、あやにとっては唯一残された肉親だった。
あやは、喪主として葬儀を執り行った。
大勢の参列者に対して、堂々とした態度で接するあやは、周囲を驚かせた。
しかし、私だけは知っている。
あやが、布団の中で私に抱きつき泣いていたことを。



あやも二十歳を過ぎ、もう立派な女性になっていた。
私達にとっては、十年の時間など僅かなものだが、人間にとっての十年は一人の少女を大人に変えるのに十分な時間だ。
美しく、聡明なあやに求婚する男は山ほどいたが、あやは、自分の仕事が片付くまで結婚するつもりはない、といって断り続けた。

しかし、二十代も半ばを過ぎて、仕事に一区切りついたあやは、ついに結婚した。
相手は、優しそうな良い男だった。
妹紅は、あやを取られた!といって、ずいぶん悔しがっていた。
あやが幸せなら良いじゃないか、などと言いつつ、私も悔しかった。
しかし、幸せそうに夫の話をするあやの顔を見て、二人とも毒気を抜かれてしまった。



結婚して一年後には、あやは身籠った。
妊娠が判明したのは、山々が秋の装いを呈する頃のことだった。
恥ずかしそうに報告するあやは、本当に幸せそうで、私は思わず涙してしまった。
そんな私をからかいながら、妹紅も目に涙を溜めていた。



私は、折を見ては、あやの家を訪れて、経過を尋ねることにしていた。
私には、心配なことがあったのだ。
それは、あやの体調だった。
「辛そうだな。」
日が進むにつれ、あやの調子は悪くなっているようだった。
その日も、顔色は冴えなかった。
「いえ、これから生まれてくる子のことを思うと、こんなの辛いうちに入りません。」
お腹を擦りながら微笑むあやの額には、初春にも関わらず薄らと汗が滲んでいた。
私は、あやの顔が徐々に母親の顔になってきていることに微笑ましさを感じながらも、その儚い笑顔に、一抹の不安を感じずにはいられなかった。



そんな不安が現実のものとなったのは、五月も半ばを過ぎた頃だった。



朝、あやが倒れたとの知らせを聞いた私は、着のみ着のままあやの家に駆け込んだ。
「大丈夫か!?あや!」
「先生…。大丈夫です。」
あやは、気丈に笑って見せたが、顔色が悪いのは明らかだった。
枕元には、夫が心配そうな顔で控えていた。
「婿殿、ちょっと話したい。」
「…はい。」
私は、あやの夫と共に、別室に移動することにした。
その途中、駆け込んできた妹紅に出くわした。
「あやは!?大丈夫なの!?」
「今から…話を聞くところだ。」
「…分かった。」
妹紅も私と彼の表情から、深刻なものを感じ取ったのか、真剣な顔つきになり、私たちに続いた。



「ご存じだとは思いますが、あやは、元々体が弱くて…」
客間に移動し、腰を落ち着けると、あやの夫は俯きながら話しだす。
「出産に耐えられる体ではなかったらしいのです。医者は最善を尽くすと言ってくれましたが、母子ともに助けるという保証は、できないそうです…。」
「そんな!どうして!」
妹紅は、彼の言葉に声を荒げる。
「落ち着け、妹紅。婿殿に当っても仕方ないだろう。誰よりも、婿殿が一番辛いはずだ。」
「いえ、良いんです…。妹紅さんが、妻のことを本当に心配してくださっているのは、分かっていますから。妹紅さん、ありがとうございます。」
あやの夫は、妹紅に向かって頭を下げる。
「……ごめん。」
妹紅も動転していたのだろう。
いたたまれない空気が部屋に流れる。
「何か、私たちに出来ることはないか?」
私が彼にそう聞くと、彼は少し考えて
「出来るだけで結構ですので、妻の顔を見に来てやって頂けるとありがたいです。お二人の顔を見ると、妻も元気が出ると思いますので。」
「…そうか。了解した。そんなことで良いなら、毎日見舞いに来るよ。」
「私も、慧音と一緒に見舞いに来させて貰うよ。」
「ありがとう、ございます…。」
夫は、堪え切れなくなったのか、涙を流しながら私たちに礼を言った。
その顔は、悔しさと悲しみで歪んでいた。
私たちも、同じような顔をしていたと思う。



その日から、私と妹紅は、毎日あやの見舞に行った。
あやは、私たちが来ると、とても嬉しそうにしていた。
私は、外に出られないあやのために、毎日の出来事をなるべく詳細に語り、外の様子を伝えた。
あやは、私の話に静かに耳を傾けてくれた。
妹紅は、日々の出来事を妹紅の視点から、面白おかしく語った。
あやは、時折くすくすと笑いながらその話を聞いていた。



しかし、私達がいくら見舞いに行っても、あやの容体は一向に良くはならなかった。
むしろ、お腹が大きくなるにつれ、あやは徐々に弱っていった。
それはまるで、あやの生命力が、お腹の中の子供に吸い取られていくかのようだった。



梅雨も明け、真夏が近づく初夏の日。
その日も私たちは、あやの部屋を訪れていた。
私たちが、いつものようにあやと話していると、あやが突然苦しみだした。
もう予定日が近かったため、陣痛であると気づいた私達は、すぐにあやの夫と医者を呼んだ。
医者は、熟練の産婆達と共にあやのお産に取り掛かった。
あやの夫は、医者たちと一緒にお産に立ち会うことにしたらしかった。

そして、私たちは、お産の準備に駆け回った。
産湯の用意や、お産に携わる者達の食事の準備など、やることはいくらでもあった。
私たちは、忙しく動き回ることで不安な気持ちを頭から振り払おうとしていた。
準備が一段落ついても、まだ産声は私たちの元に届いていなかった。
予想通り、お産は難航しているらしかった。
妹紅も私も手持無沙汰となり、いいようのない不安に襲われていた。
「くそっ!永遠亭の薬師さえ来てくれていれば!」
妹紅は、永遠亭の薬師にも協力を依頼したが、断られていた。
「彼女達は竹林から出てこないだろう。それに、自分たちが危険を冒してまで人間に協力してくれるとも思えない。」
「あいつらは、自分達のことばっかりだ!月の使者か何か知らないけど、自分たちのためなら、人がどうなっても良いと思ってる!」
「永琳殿には、何度かあやのために薬を処方して貰っている。彼女達だって好きで竹林に閉じこもっている訳じゃないんだ。それよりも私は、自分の無力が情けない。あやの妊娠した歴史を食べたとしたって、誰よりも傷つくのはあやだ。私は、あやに何もしてやれないんだ。」
「そんなこと言ったら、私だって何もしてやれない。私の力は、輝夜を殺すためだけに手に入れた力だ。人を傷つけることは出来ても、人を救うことはできない。」
私たちは、自分達の無力を呪うしかなかった。
「もう、やめよう。今はあやと、生まれてくる赤ん坊の無事を祈ろう。それしか私たちには出来ないんだから。」
「そうだね。私たちが嘆いていたって、何も変わらない。」



それから私たちは、不安に押しつぶされそうな夜を明かした。
もちろん、一睡も出来はしなかった。
日も昇り、そろそろ昼になるという頃になって、ついに私たちは赤ん坊の泣き声を聞いた。
私たちは顔を見合わせると、急いであやの部屋に駆け込んだ。
「元気な女の子です…。」
赤ん坊を産湯に入れてやっている産婆は、私たちにそう告げた。
「あや!頑張ったな!」
「かわいいな~!頑張ったね、あや!」
本当に、真っ赤な赤ん坊らしい赤ん坊だった。
「あや!これで、お前も母親だ!どうだ?母親になった気分は?」
しかし私が、そうあやに尋ねても、返事は返って来なかった。
「あや?どうした?」
そして、その時初めて私たちは、部屋に暗い空気が流れていることに気付いた。
私が枕元に駆け寄ると、あやは苦しそうに肩で息をしていた。
どうやら意識は無いらしい。
そして、その顔色は、まるで死人のように真っ白だった。
「あや!あや!」
私は、あやの手を取り、必死で呼びかけた。
「奥さんは頑張りました。本当に良く頑張った。赤ん坊は、健康そのものです。」
医者は、あやの脈を採りながらそう言った。そして
「…しかし、残念ですが、奥さんはこのまま目覚めないでしょう。」
「……は?」
一瞬、医者が何を言っているのか分からなかった。
「奥さんは、お産で生きる力を全て使い果たしてしまいました。」
目の前が真っ白になる。視界がぼやけて、何も考えられなくなった。
隣から大きな叫び声がして、飛びかけた意識が戻ってくる。
「お産は成功したんじゃないのかよ!?」
叫び声は、妹紅が医者の襟首を掴みながら叫んだものだった。
「ゴホッ!ゴホ!」
医者は首を締めあげられ、息が出来ないようだ。
慌ててあやの夫が妹紅を取り押さえる。
「はぁ…はぁ…。も、申し訳ありません。最善は尽くしましたが、私にはこれが限界でした…。申し訳ありません。」
医者は、息も絶え絶えそう言った。
「「「……。」」」
私たちは絶句するしかなかった。

妹紅は、感情が高ぶりすぎたのか、目に涙を溜めて、その手は襟首を掴んでいたときの格子のまま震えていた。
あやの夫は、妹紅を抑えたまま、涙を流していた。
私は、その時どんな表情をしていたのだろうか。
まるで一枚絵のように妹紅達の細かい様子を覚えているということは、頭はとても冴えていたのかもしれない。
しかし、覚えているのは、妹紅達の様子ばかりで、その時私が何を考えていたのか、全く思い出すことはできない。
その時からの出来事は、記憶になかった。
徐々に冷たくなっていく、あやの手の感触以外は。



気が付くと私は、屋敷の客間で呆けていた。
家の使用人達が、忙しそうに駆け回っている。
この人たちは、何を急いでいるのだろうか?
私の頭に最初に浮かんだことは、そんな疑問だった。
現実感がまるでなくて、何故私があやの家にいるのかさえ、理解できないでいた。
隣では、妹紅が泣いていた。
妹紅は、何で泣いているのだろう?
そして、私はまるで夢遊病患者のように、ふらふらと外に出てしまった。
後ろで妹紅が何か叫んでいたような気がするが、立ち止まる気にはならなかった。
体が、勝手に動いているような感覚だった。



いつの間にか私は、大きなモミの木の下に座り込んで、空を眺めていた。
空は、夕焼けで真っ赤に染まっていた。
大きな入道雲は、薄紫と赤のグラデーションで染め上げられ、蝉の鳴き声が僅かに聞こえてくる。

ぼんやりとした頭で私は考える。
こんなにも夕焼けは美しかっただろうか?
そうだ、今度はあやと一緒に眺めに来よう。
教室で寂しそうにしているあの娘も、こんなに綺麗な夕焼けがあることを知ったら、きっと驚くに違いない。
母親が亡くなった悲しみを、私が癒してあげなくては。
そう。それが出来るのは、私しかいないんだ。
だって私は、あの娘のお母さんなのだから。

あやのお母さん…?

「あぁ…」
私は、徐々に今の状況を理解し始めた。
「ああぁぁぁ……」
そうだ、私はあやのお産を手伝いに来て
「ああああぁぁぁぁ…」
そして、あやは頑張って、頑張って赤ん坊を産んで
「あああああああああぁぁぁぁぁぁ…」
やっと人並みの幸せを掴んだのに
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
あの娘は、世界で一番かわいい私の娘は
「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
自分の娘を見ることもなく
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
死んでしまった。



夕焼けの空に半獣の叫びが木霊していた。
もう、自分の叫び声しか聞こえなかった。
地面を掻き毟るたびに、鈍い痛みが爪先に走った。
身体は、ガタガタと震え、一切制御が効かなかった。
私は、ただただ叫び続けるしかなかった。
そうしないと、私は壊れてしまっただろうから。



ヒュゥっと生ぬるい風が吹いて、私の後ろに気配を感じた。

「哀れなものね。半獣。」

その気配の持ち主は、背後から私に声をかける。
「だでだぁぁ!ほといてぐでぇっ!」
私の叫びは、もはやまともな言葉にはなっていなかった。
「なぁに?その顔は?汚らしい。正に獣そのものねぇ。」
「うるざぁい!おまえになにがわがるっていうんだぁ!」
「あら、私に分からないことがあるなんて、分かりませんでしたわ。」
涙で視界が奪われていて、その人物が誰であるのかは分からなかったが、その雰囲気から人間でないことは、確かなように感じられた。
その時には、そんなことを考える余裕はなかったが。

「あの娘が、えらく気に入っていて、あまつさえ『お母さん』なんて呼ぶものだから、どんな奴かと思えば、こんな汚い半獣だったとはね。」
余りの言葉に私は、涙を拭き相手を睨んだ。
そこには、流れるような金髪を風に靡かせながら、薄く笑う女がいた。
その女は、日傘のようなものを差しながら、私を冷酷な瞳で見つめていた。
その瞳には、侮蔑の感情が込められているように感じられた。
私は、怒りに任せてその女を引き裂いてやろうかと考えたが、その瞳で睨まれただけで身体が竦んで動けなかった。
「お前が何者かは知らんが、今私は誰とも話したくないんだ!消えろ!」
「あら、怖い。何がそんなに気に食わないのかしら?」
「お前になんぞ分かるものか!」
「そうかしら?大した理由じゃないでしょうに。」
「なん…だと?」
私は、かつてない怒りを覚えて、その女を睨みつけた。
「だって、そうでしょう?たった一人の人間が死んだってだけだもの。あなたは、いつも見てきたはずよ?」
こいつは何か知っているのだろうか。
そこで私は、相手の正体について考えるべきだったのだろう。
しかし、その時の私には、「たった一人の人間が死んだだけ」という部分しか聞こえてはいなかった。
「お前なんかに何がわかるっていうんだ!あやは特別なんだ!あやは…あやは、私の娘なんだ!」
「特別?娘?あなたは、[人間]を愛してきたはずよ。人間の守護者。」
人間の守護者。
その女は、私をそう呼んだ。
「確かに私は人間を愛してきた!でも、あやはその中でも特別だったんだ!」
「うふふ。それが本音なのね。それならば、あなたは『人間』を愛している訳じゃない。あなたが愛しているのは『あや』だけ。」
「そんなことは…「黙りなさい。」
私の言葉は、断ち切られた。

「確かに、あなたは[人間]を愛していたのかもしれない。でも、あなたはあくまでも種族としての[人間]を愛していたに過ぎないわ。[人間]という種族に漠然とした慕情を寄せて、その実、個々の『人間』達には目を向けなかった。」
その女は、この世のものとは思えない程の美しい声で私に語りかける

「あなたは、『人間』の死に慣れてなんかいない。『人間』は一人、一人が生きている。それは、あなたが愛した娘も、これまであなたが看取ってきた[人間]達も同じ。」
いつの間にか、蝉の鳴き声は止み、静寂が辺りを包んでいる。

「あやは、あなたが初めて個として愛した初めての『人間』。もう一人、あなたには愛している『人間』がいるようだけど、あれは特殊ね。死なない人間なんて、もう人間じゃないわ。」
もしかして、それは妹紅のことを言っているのだろうか。
あやの事といい、妹紅の事といい、こいつはどこまで知っているというのだろうか。
私は、その時初めて背筋にゾッとするものを感じた。

「愛する人を初めて失った気分はどうかしら?」
「ふざけるな!お前は、私を笑いにきたのか!愛する人を失って、悲しむ私を見るのがそんなに面白いか!?」
「面白いわ。」
その女は即答した。
「だって、そうでしょう?あなたは、あの娘を子供って言ったみたいだけど、よっぽどあの娘の方が大人だわ。あの娘は、愛する人を何度も失っている。…そう、何度もね。」
女は、胡散臭い笑みを湛えながら言う。
「そんな娘の母親を名乗る者が、こんなところでメソメソ泣いている。あははっ。普通、逆でしょうに。」
「……。」
私は、何も言い返すことが出来なかった。
この女が言うことは、いちいち棘があって腹に据えかねるものがあったが、何故か反論する気が起きなかったのだ。
「ふぅ…。なんだか、笑いすぎて疲れちゃったわ。そろそろ、お暇させて貰おうかしら。私も、メソメソしてる半獣に付き合っている程暇じゃないしね。」
その女は、妖艶な笑みを湛えながら
「では、ごきげんよう。」
と別れの言葉を口にして、私に背を向けて歩きだした。
すると、女の目の前の空間に大きな切れ目が現れた。

「あっ、そうそう。」
女は立ち止まり、首だけをこちらに向けて、最後にこう言った。




「子供は子供らしく、甘えれば良いんだわ。」




いつの間にか空間の切れ目と共に女の姿は消えていた。
訳が分からない。
あの妖怪は何がしたかったのか?
面白いと言っていた。
私が悲しむのが。
「ふふっ。」
乾いた笑いが口から漏れた。
「何をしているんだ、私は。」
しかし、あの妖怪のおかげで、私は多少落ち着きを取り戻したようだった。


冷静になった頭で、あやについて思いを巡らせる。
それは、あやと過ごした時間を振り返る事と同義だった。
たった二十年。
しかし、その二十年は、私がそれまで生きてきた時間よりも、ずっと価値のあるものだった。


私は半獣だ。人間達とは違う時間の流れの中で生きている。
日々は、ただただ繰り返す。
終わりの見えない日々。
そんな日々を繰り返すたび、私は忘れてしまっていたのだ。
その一日一日が、どれだけ貴重なものかを。


あやと生きてきた二十年は、その一日一日が輝いているようだった。
そして、「あやと生きた日々を思い出す私」を、認識した時、漠然と気付かされた。
私は受け入れはじめている。
あやの死を。

そんな自分が悲しくなって、また涙が溢れてくるのを感じた。
涙で滲む夕焼けは、その生命力の全てを使って燃えているように見えた。
こんなに燃えて、明日もまた昇ってこれるのだろうか?

しかし、どんなに認めたくなくても、その答えは、変わらないだろう。
明日も太陽は昇ってくる。



あやが死んでも。



生きる力に溢れる世界は、なんて美しいのだろう。
しかし、愛する娘の死を気にも留めない世界の、なんと残酷なことか。
誰かが言った「あぁ、なんて素晴らしい世界。」
こんなに残酷な世界は、素晴らしいのだろうか?
あやに、人並みの幸せすら許さない世界は、素晴らしいのだろうか?

「こんな世界なんて…」
それは、私が生まれて初めて吐いた、純粋な呪詛の言葉だった。
娘を失い、涙に暮れて、世界を呪う私は、確かにあの女が言うように汚らしい獣だっただろう。
そんな時、サァッと私の頬を風が撫でた。




「どうして泣いているんですか?先生。」
「えっ?」


今でも分からない。

それが、幻だったのか。

それとも現実だったのか。

ただ、これだけは言える。

もし、これが幻だとして

こんなにも優しい幻を見せてくれる人がいるのなら、その人もとても優しい人なのだろう。





そして、そんな優しい人がいる世界は、きっと素晴らしいのだ。





「もう、ここに来る時は、いつも一緒だったのに。この夕焼けを独占するのは、ずるいです。」
「…あや?いや、まさかそんな…。」
「先生、私頑張りました。」
「…あや。」
「元気な赤ちゃん産めました。私もお母さんになれました…褒めてくれますか?」
「うぅっ…」
「ほらほら、泣かないで?お婆ちゃん。」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「うふふっ。まったく、しょうがないなぁ。」
私は、叫ぶように泣いた。
それは、悲しかったから?
それとも、迷子になった私を見つけて貰って嬉しかったから?

私が泣いている間、あやはずっとそばにいてくれた。
私が少し落ち着きを取り戻すと、あやは静かに話し始めた。

「私、すごく幸せだったよ。」
「……。」
「母上は、小さい頃に死んじゃったし、父上とは、ほとんど話したことなかったけど…」
「……。」
「いつでもお母さんが一緒にいてくれた。」
こんな哀れな半獣をこの娘は、まだお母さんと呼んでくれるのだった。
「妹紅さんも、本当のお姉さんみたいに私を可愛がってくれたし、良い旦那とも巡り合えた。娘に“お母さん”って呼んで貰えなかったのは残念だけど…それ以外に悔いはないよ。本当に幸せだった。」
「………。私は…」
「ん?」
「…私は、良い母親だっただろうか?」
「お母さんは、最高のお母さんだったよ!」
「……。」
「ただ、怒った時の頭突きは痛かったけど。」
「……すまなかった。」
「うふふっ。許してあげる。その代り、娘のことよろしくね?」
「…うん。」
随分、そうしていたように思う。

大きなモミの木の下には、一つの影が伸びているだけだった。

夕焼けは、もうすっかり暮れていて、わずかに残る光が、山頂を薄紫に照らしている。
それでも、私は零れる涙を止めることが出来なかった。
「もう、お母さんは泣き虫だね。」
「…うん。」
「私の家系のことは、知っているでしょ?」
「……うん。」
「それなら、私が天寿を全うしたことはわかっているよね?」
「……。」
「それにね、また会えるよ。」
「………うん。」
「だから、そんなに泣かないで?」
「……うん。」
「ほら、お母さんの綺麗な顔が涙で台無しだよ。私は、お母さんの笑ってる顔が、一番好き。だから…笑って。」
あやは、私の涙を拭おうとしてくれる。
しかし、私の顔にあやの指が触れることはなかった。
「…涙も拭いてあげられない。…ごめんね。」
「ううん。」
「許してくれるの?」
「うん。」
「私がいなくても、大丈夫?」
「………うん。」
「じゃあ、明日から頑張ろう?」
「……うん。」
「うふふっ。うん、ばっかりだね。」
「…うん。」
「ちょっと、時間はかかるけど、また戻ってくるから。」
「…うん。」
「その時は、またお母さんになってくれる?」
「うん。」
「約束だよ?」
私は涙を拭って、あやの目をしっかりと見る。
あやは、穏やかな顔で私を見つめていた。
「…あぁ、約束だ。」

その時、一陣の風が吹いた。
これは、きっと別れの合図なのだろう。

「じゃあ、そろそろ行くね?」
「あや…やっぱり、私…寂しいよ。」
「もう、いつまでも居るわけにはいかないの。ばれたら閻魔様に怒られちゃうんだから。」
「……ごめん。」
「私だって別れたくないけど、これは決まりだから…。」
「……うん。」
「じゃあ、そろそろ本当に行くよ?」
「……うん」
「じゃあ、またね。」
「…ああ。またね、だ。」




「ありがとうございました。お母さん。」



ゴウッと強い風が吹いた。
そして、風が止んだ時、あやはもうそこにはいなかった。



「さようなら。“阿弥”」
私から“阿弥”への別れの言葉もまた、風にさらわれて消えっていった。








阿弥の葬儀は盛大なものとなった。
御阿礼の子が亡くなったとなれば、参列者は後を絶たなかった。
生まれたばかりの赤ん坊を抱いた喪主の姿は、参列者の涙を誘った。
妹紅は、終始泣いていた。
私が泣かないことに憤っていたが、私があの日のことを話すと
「慧音だけずるいよ…。」
といって、また泣いた。
私は、妹紅の恨めしそうな視線に耐えられなくなって、会場の中心から離れた。
そして、参列者をぼんやり眺めていると、その中にあの時の妖怪らしき人影を見つけた。

その人影は、私と目が合うと、僅かに微笑んだように見えた。
私は、慌てて駆け寄ったが、そこにあの妖怪の姿は無かった。






あれから、どれだけの時間が経っただろうか。
その間に、私たちを取り巻く環境は大きく変化した。
阿弥が亡くなってすぐ、幻想郷は博霊大結界によって隔離された。
人間達は、私たち妖怪の存在を「迷信」として切り捨てたのだった。
それでも私は、結界内部の人間達を妖怪の手から守ることを決意した。
阿弥が、帰れる場所を無くさないために。
妹紅は、いつも通りの生活に戻っていた。
ただ、以前より輝夜と殺し合いをする頻度は減ったようだ。
阿弥の夫は、阿弥が死んですぐ、後を追うようにこの世を去った。
阿弥の娘は、稗田家の使用人達に大事に育てられた。
私と妹紅も、阿弥の遺言に従って良く会いに行った。
私たちは一緒に外で遊んだり、阿弥について話してやったりした。
阿弥の娘が、私をお婆ちゃんと呼ぶのを聞いて、妹紅に散々からかわれた。
そんな妹紅を阿弥の娘は、おばちゃんと呼んだ。
今でもその時の妹紅の顔が忘れられない。

阿弥の娘は八十を過ぎるまで生き、多くの家族に看取られながら、大往生した。
稗田家の主人、御阿礼の子として、人前で泣くことすら許されなかった阿弥とは違い、泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑って。
最後には本当の家族に看取られて。
阿弥の分の幸せも与えられたかのような、人並み以上に幸せな人生だっただろう。






そして、阿弥の娘が亡くなってからまた、数十年の時が流れて…今日という日がきた。
私は、この日を待ち続けた。
また、会える日を追い求め続けたのだった。






私は半獣だ。
人間達とは違う時間の流れの中で生きている。
日々は、ただただ繰り返す。
終わりの見えない日々。
そんな日々を繰り返しても、私はもう忘れない。
娘を求める母親の一日一日が、どれ程長いものかを。









「久しぶりだな。お母さんだぞ?覚えているか?阿求。」
こんなところまで読んで頂きありがとうございます。
初めての投稿となります、守邑という者です。
ずっと読み手の側でしたが、今回思い切って投稿してみました。
ジャンルを問わず、様々な作品からの影響を受けていますが、素材を活かしきれていないことについては、ご容赦下さい。
拙いだけの作品ですが、少しでも楽しんで頂けたなら、それ以上の喜びはありません。
守邑
tanzbear1192@yahoo.co.jp
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.920簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
話はとてもよかったのですが、紫は出てこなくてもよかったような感じがします
3.90名前が無い程度の能力削除
そう来たか!って感じでした。
6.10名前が無い程度の能力削除
えー?
って感じの作品でした。
7.90名前が無い程度の能力削除
仕事のところに引っかかりを覚えつつ読み進めて、家計のところでああなるほどって感じ。
ただ、こういった個々の記憶は消えてしまうそうですよ。うぐぅ
10.70名前が無い程度の能力削除
あやの引っかけに気づかなかった僕は負け組…
18.70名前が無い程度の能力削除
>あやの引っかけに気づかなかった僕は負け組…

大丈夫、俺もww
21.90名前が無い程度の能力削除
あやのギミックには、やられたな~って感じでしたw
ただ、欲を言えば、もう少し妹紅とあやの関係を詳しく書いて欲しかったかなって気がします。
22.100名前が無い程度の能力削除
俺も負け組かW
いや本当にいい話だったよ。
26.無評価守邑削除
皆さんに読んで頂いて大変嬉しく思います。
コメントに返信したいと思います。

>>1さん
紫は、博霊大結界内の人間側のパワーバランスの要としての慧音を下見に来たという脳内設定でした。
確かに、出さなくても良い気はしたのですが、紫も大結界内に取り込むべき者の人選を行っているだろうということと阿弥の死亡時期が
同じ位の時期であろうということ、紫が稗田家とは何らかの関係があったであろうという理由で登場させました。

>>3、>>10、>>18、>>21、>>22さん
あまり阿弥であることをギミックとするつもりはなかったのですが、言葉遊びの一つとして楽しんで頂けたなら幸いです。

>>6さん
稚拙な文章で申し訳ありません。もっと精進したいと思います。
どのあたりが悪かったか書いて頂けると泣いて喜びます。

その他の読んで頂いた方もありがとうございました。