Coolier - 新生・東方創想話

映姫と小町-彼岸にて-

2008/06/19 22:55:48
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ペンペンペン

 分厚い書類の束から、ひとつひとつ書類を目の前に持ってくる。持ってくる過程は重要ではない。問題と真正面から向き合う姿勢が大事だ。
 机の上に広げた時点で私は書類を処理し、書類は私に処理される。そうやって処理された書類は処理済のボックスに放り込まれる。それを書類の束がなくなるまでこなす。
 書類整理とは人生のようなものだ、と誰かが言っていたのを思い出した。書類の束がいつまでも無くならないのが人生であり、無くなる時とはその人の人生が終わりを迎えた時である。ただしその言葉には続きがある。もっとも私達の人生のほとんどは書類整理をしているのだ。その他は何をしているのか。眠っているだけである。

ペンペンペンペンペンペン

 畳敷きの純和風な部屋の中には書類が大量に積んである机が一つ。滅多に使わない来客用の食器や、簡単な着替えの入ったタンスが壁際に寄せて一棹。職務を果たす上で参考にする資料が収まった本棚が一台。埃よけの布がかかっている姿見が一枚。
 これ以上物が少ないと殺風景に思われるし、これ以上物が多くても雑多な部屋という印象を与えてしまう。その部屋は主の性格を見事に表していた。

ペンペンペンペンペンペンペンペンペン

 その部屋の中に先ほどからペンペンという判を押す音だけが響いている。それは決して面白い作業ではなかった。
 しかし、と四季映姫は自らを戒めた。このような単調な作業だからこそ手を抜かずやらなければいけないのです。

ペン

 そうは言っても長く続けていれば疲労も溜まる。映姫は判を置くと、足を崩し大きく伸びをした。そして愛用の茶碗で緑茶を飲み喉を潤す。ふぅ、と一息。エメラルド色の短髪。白のブラウスに青のベスト。黒のフレアスカート。童顔気味なために、閻魔としては威厳が足りないのが映姫の悩みの種だ。今は裁判中でないため普段被っている帽子は外して隣においてある。
 そういえば少し前、他の閻魔と久しぶりに会った時のことだ。最近は事務処理を部下に任せて自分はだらだらと余暇を過ごす生活が広まってきていると聞いた。あの時思わず怒鳴りつけてしまった閻魔はどうしているだろう。あれ以来連絡をとっていない。あの閻魔自身はそんな話を聞いただけで、実際はそんな生活をしていた訳ではなかった。
 頭ではあの人は悪くないと分かっていたのだけれど、そんな不誠実な生活をおくっている閻魔がいると聞いただけでもうガマンできなかった。仮にも閻魔という人を裁く職にいる者がそんな行いをするなんて!

「もっと自分の立場を自覚するべきなのです!」

 思い出しただけで頭に血が上りそうになったのを慌てて自制する。お茶を一口流し込み、また一息つく。仕事の合間のこの一時が映姫は大好きだった。書類整理の合間はもちろん、裁判と裁判の途中に飲む一杯もまた至福の時だ。この時ばかりは、映姫も仕事を忘れ心の底からリラックスする。
 愛用の茶碗には菖蒲が描かれている。この茶碗は半年ほど前に部下がくれたものだった。記念日だからとわざわざリボンまでかけて渡しに来た時は何事かと思った。私と小野塚小町が始めてあった日から何年経ったのか。もちろん調べればすぐ分かることだけど、私はあえてそれをしようとは思わなかった。来年は小町にも何かあげましょう。菖蒲を指でなぞりながらそんなことも考える。

ペンペンペンペン

 映姫はもう一度体を伸ばすと判を押す作業に戻った。ペンペンと聞いているだけだとやる気の無い音が再び響き始める。書類を取り、一言一句残さず目を通し、枠内に正確に判を押し、処理済の箱に入れる。映姫の能力を持ってすればその一連の作業に30秒もかからない。
 しかしその処理速度ですら書類の束の前では無力に思えてくる。映姫は心の中でこっそり嘆息した。一時間前から始めた書類整理はまだ氷山の一角を溶かしたに過ぎない。さっきの閻魔の話じゃないけどせめて手伝いくらい欲しいものだ。

 ペンペンペ…
                                 
 ふと映姫は思いついて手を止めた。リズミカルに鳴っていた音が途絶える。何故今までその発想にたどり着かなかったのか。
 映姫はつきかけの判を紙から剥がすと、インクを綺麗に拭いてから朱肉と一緒にタンスにしまった。そして残っていたお茶を飲み、茶碗を使用人に片付けさせると帽子をかぶって姿見の布を取る。ブラウスとスカートの皺を伸ばし、帽子の角度を調整する。最後に軽く微笑む練習。四季様は普段からちょっと怖い顔をしすぎます。この前外に出たときみたいに、もっと楽しそうにした方がいいですよ。そんな事を小町に言われてから映姫は外に出る前に毎回これをやっている。
 ただどうしても仕事をしにいく時には厳粛な気持ちになる。それは仕方の無い事だし、むしろ良いことだと思っている。それにあくまで仕事に向かう時の話であって、小町が言うほど普段から怖い顔をしてる訳では無い。
 心の中で小町への文句を言いながらも、映姫はしっかりと練習を終えた。そして四季映姫・ヤマザナドゥは部屋を後にした。





「そこであたいは言ってやったのさ。『そろそろ潮時じゃないかい?』って。そしたらアイツはなんていったと思う?『引き際を見定める能力は賢者にも愚者にも備わらない。賢者は自ずから引き際を感じとり、愚者は引く事を知らないからである。』なんて、ちょっと戯曲的すぎやしないかい…」

 三途の川の此岸と彼岸の境目のあたりで、気風のよい声とあまり立派とは言えない小船が川を流れていた。三途の川は船頭に渡した金額によって川幅の変わる「審判の川」である。船頭は死神であり魂を現世の岸から裁きの行われる岸へと渡す仕事をしていた。その川は今も一隻の舟と一人の魂を運んでいる。
 先ほどから一人で話しているのが舟の船頭である死神、小野塚小町だ。赤い髪と長身が遠目からでも彼女だと分かる特徴になっている。青い着物をしゃっきりと着こなし、いつも持っている大鎌は船底に置かれ全体の3割を占めている。
 小町はまだまだ話を止めようとしない

「そこでアタイがばっと飛び出して『そこまでだよっ!』って言ってやったのさ。その時のあいつらの顔を見せてやりたかったね。あんな情けない顔を見たのは、生前犬に吼えられて慌てて逃げ出したら側溝にはまって頭を打って死んじまった奴以来だよ…」

 結局彼岸につくまで小町は一度も口を閉ざさなかった。岸に舟を着けると魂はまるで逃げるかのようにさっさと行ってしまった。それが果たして小町の話をもう聞きたくないという意思の表れかどうかまでは分からなかった。そんなに聞きたくなければ魂の方からも話題をふってくればいいのだ。魂が言葉を話せればの話だが。
 小町はさっさと岸から舟を離れさせた。早く次の魂を運ばないとまた映姫様に怒られてしまう。小町は長身を身震いさせた。幸い帰るときには金額の多寡を加味する必要はない。死神なら誰でも持っている川幅を弄れる能力を使ってすぐ目の前に対岸を望む事が出来る。
 小町は棹に手を掛けながら思った。でも川の流れに任せてちょっとボーっとするぐらいだったら映姫様も許してくれるさね。
 その時、いままで波一つ立っていなかった三途の川に波紋が広がった。その波はすぐに大きくなり小町の舟を大きく揺らす。たまらず小町は腰を落とした。転ばないように上手くバランスをとりながら波の発生源である上流を見やる。
 壁があった。動く壁が上流から押し寄せている。いくら死神たちが三途の川の川幅を縮められるとはいえ、実際の川幅が変わるわけではなく、一種の瞬間移動のようなものである。三途の川の本当の川幅がどのくらいあるのかは知らないし想像もつかない。その三途の川を全て遮るかの如き巨大な壁が、こちらに向かってきている。

「あれ、なにさ…?」

 訝る小町に全く関心が無いのか壁はゆっくりと、しかし確実に迫ってくる。波は更に高くなり小町は船から振り落とされないようにするので精一杯だった。なまじ岸から離れてしまったせいで陸に逃げる事も出来ない。しかしこのままでは転覆を待つしかない。小町はとにかく何とか出来ないかと壁を凝視した。
 その時奇妙な事に気がついた。壁の上の部分から何やら白いものが見える。それは煙のように見えた。巨大な動く壁の向こうで焼き芋を焼いている様子を思い浮かべて、すぐに消す。その間も壁はこちらに迫ってきていた。このままのペースで接近してきた場合、衝突まで30秒ほどか。覚悟だけは決めておこう。
 その時小町は更に奇妙な事に気づいた。その壁の上端に見知った顔を見かけた気がしたのだ。緑の髪にあの服装はここら辺で働いているものなら誰もが知っている。波にもみくちゃにされている船上で小町は何とかそれを確かめようとした。衝突までおよそ15秒。
 そして小町ははっきりと見てしまった。その迫る壁、いや四季映姫・ヤマザナドゥ専用船-シャリホツ-の船上でニコニコしながらこちらに向かってきている上司の姿を。

「四季様ー!?」
「小町ー!サボっていませんかー!?」
「この状況じゃサボっててもまともに仕事しててもあんまり変わらな」

 小町が言い終わる前にシャリホツの起こした波がとうとう舟を飲み込んだ。水中で渦に飲まれてぐるぐると回転しながら小町が最後に考えたのは、これが果たして労災として認定されるかどうかだった。





「困ったわね」

 映姫は川から浮いてきた小町をとりあえず岸まで運ぶと、腕を組んで見下ろしながら呻いた。小町の乗っていた舟は転覆し何処かへ行ってしまったようだったが、それは後でどうとでもなる。適当な理由をつけて申請しておきましょう。そんなことより映姫にとってもっと重大な問題があった。

「小町がこのまま目を覚まさなかったら果たして誰に手伝って貰えばいいんでしょうか」
「あたいの心配はしてくれないんですね」

 小町が横になったまま呻く。ぐしょぐしょに濡れた服が重いのか多少緩慢な動作で体を起こした。そんな小町に映姫はあくまですまし顔で声をかけた。

「あら、無事だったのね」
「なんで残念そうなんですか」

 小町は半眼で映姫を見るが、映姫はそれを無視してあさっての方を向きながら肩をすくめるた。深刻な面持ちでかぶりをふる。そして勺を小町に向けると有無を言わせぬ朗々とした声で言った。

「しかし、サボっていたのは許せないわね」
「さっきも言ったんですけどあの状況じゃどっちにしろ変わらない気が…。あと私サボって無いです」

 小町は困ったように頬をぽりぽりと掻きながら言った。立ち上がるとぽたぽたと水が滴れ落ちる。三途の川には生物がいないため匂いなどは気にならないが、体の芯までずぶ濡れというのは気持ちの良いものではなかった。小町は着物の裾を絞っていった。足元に水溜りが生まれる。映姫はそんな小町の様子を気にも留めず突きつけたままの勺を更に突き出しながら断言した。

「いえ、私がサボってると言ったらそれはサボってる事になるのです」
「そんな理不尽な」
「とにかくサボった罰として私の手伝いをしに来なさい」

 映姫はそれだけ言うと上流に向かって歩き出した。映姫の左側を流れる三途の川には先ほどの大暴れの余波がまだ残っている。そういえばあの時は気づかなかったけれど、関係ない舟も何台か巻き込んでしまったかも知れない。後で調べて万が一にも巻き込んでしまっていたら謝っておきましょう。
 それよりも小町を無事に連れて行けて良かった。すまし顔に思わず笑みが混じる。どうせ小町からは見えないのだから厳格な上司を演じる必要は無いのだが、習慣というものはなかなか抜けないらしい。小町の言う通りもっと練習した方がいいのかもしれない。まぁそれはおいおい考えましょう。
 映姫は歩きながらこれからのスケジュールを確認する。小町と一緒に書類整理に2時間。休憩を30分取ってからもう一人の担当者と裁きを交替する。それから…

「ちょ、ちょっと待ってください、四季様!」

 映姫の思考を小町の声が遮った。映姫はそのまま立ち止まる事も振り返る事も無く小町に言った。

「小町、この期に及んで往生際が悪い。そう、あなたは言い訳を付きすぎる」 

 冷淡に聞こえるかもしれないけれど、これも小町を思ってのことだ。このままサボることが多ければ小町にも処分を下す必要が生じる。そうならないためにも少し厳しくしておいた方がいいのです。そんな事を考えていた映姫は小さく嘆息した。でも小町はこんな私の気持ちを分かってはくれないでしょうね。きっと鬼閻魔とか思われているのでしょう。ふと曇る事のない彼岸の空が陰った気がした。雲が差したのか、映姫の心を写したのか。

「四季様!ちょっとだけ話を聞いてください!」

 まだ小町は後ろでなにやら言い訳をしようとしているらしい。映姫はいつもの厳粛な裁判官の表情を作ると、歩みを止めて振り向く。なんだかんだ言いながら小町はちゃんと付いて来ていた様で、振り返るとすぐそこに立っていた。映姫は勺を胸に構えると小町に言った。

「分かりました。私も閻魔の身です。あなたの言い分もしっかり聞いて判決を下しましょう」

 それを聞くと小町はすぐに答弁を始めた。

「そもそも私サボってないです」
「さっきも言った通り、私があなたはサボってると言えば、それはサボってることになるのです」

 ぐっと息を飲む声が聞こえたが、小町はそれ以上言っては来なかった。しばらく考え込むような仕草を見せていたが、新しい切り口を思いついたようだ。

「それにここの渡し舟は私しかいないし、持ち場を離れるわけには」
「その事についてはこちらで対処済みなので小町が気にする事ではありません」

 新ネタも3秒で却下されてまた押し黙ってしまう。ついに頭を抱えて悩みだす小町を、映姫はただ黙って待っていた。先ほどの倍は時間と「うー」や「あー」をかけて考えていた小町は、そのままの格好で呻いた。

「えーっと、あのー。あたいじゃ映姫様の役には立てないと思います」
「まず一つ。職務中は「私」と言いなさい。二つ。私のことは四季様と呼ぶように。そして三つ。先ほども言いましたが決めるのは私です。小町が気にする必要はありません。…さ、気が済みましたか?それならあなたに判決を言い渡しますが」

 一を言って三を返されて更に歩が悪くなったと感じた小町は、なにやら複雑なポーズを取りながら上手い言葉を紡ぎだそうとしているが、ただ意味の無い間投詞を生み出すだけだった。

「えーっとーあのーそのー」

 その小町の様子を見て映姫は判断を下した。これ以上待つのは時間の無駄ね。映姫は持っていた勺を効果音が聞こえてきそうな程に強烈に小町に突きつけると、よく通る声で判決を述べた。

「判決を言い渡します。小野塚小町。あなたは職務中に仕事を疎かにした罪で罰を与えます。さ、早く来なさい」
「四季様!四季様!」

 回れ右をして上流に向かう映姫に小町が食い下がるが、映姫は今度は取り合わなかった。もうこれで誰がなんと言おうと来るのは拒めません。私の判決は絶対なのです。

「異議は認めません。早く来ないと罰を増やしますよ」
「今度は違います!ちょっとだけ聞いてください!」
「なんですか?」

 映姫は振り向かずに応えた。その横を小町が走って追い越す。小町は映姫の前に立ちふさがる形で歩みを止めさせると、手を差し出した。その手のひらには白い錠剤が3粒乗っている。怪訝そうな目を向ける映姫に小町は言った。

「いつも激務で大変な四季様に元気を出して貰おうと思って」

 映姫はそのうち一粒を手に取ると、しげしげと眺めた。人間が飲む風邪薬に似ている。

「これは?」
「飲むと元気になる薬とかいう話です。」
「ふーん…そうですか。ありがとう小町。後で飲ませて貰いますね」

 映姫は空色のハンカチを取り出すと薬を包みポケットにしまった。小町は「よし」を期待する子犬のように目を輝かせて言った。

「だからそれで四季様が元気になればあたいは行かなくていいですよね?」
「それじゃあ行きましょうか。早くしないと休日が終わってしまいますからね。それから職務中は「私」と言いなさい」

 映姫はそれだけ言うと小町を無視してさっさと歩き出した。

「…あたいちゃんと仕事してたのになぁ」

 まだブツブツと文句を漏らしながら付いてくる小町の声を聞きながら、映姫は満足げに歩を進めた。





ペンペンペン

 畳敷きの純和風な部屋の中には書類が大量に積んである机が一つ。滅多に使わない来客用の食器や、簡単な着替えの入ったタンスが壁際に寄せて一棹。職務を果たす上で参考にする資料が収まった本棚が一台。埃よけの布がかかっている姿見が一枚。
 これ以上物が少ないと殺風景に思われるし、これ以上物が多くても雑多な部屋という印象を与えてしまう。その部屋は主の性格を見事に表していた。
 しかし今はその部屋に主以外の姿があった。ペンペンと判を押していく映姫の隣でやる気のない顔をしながら小町が書類を並べている。
 暇だったのでなんとなく書類の内容を目で追ってみる。大抵の書類はぱっと見て分かる内容では無かったが、時々こんなものまで閻魔が処理しているのかと目を疑う物があった。この前無くしたオールの替えの申請とか

ペンペンペン

 判は測ったように同じリズムを繰り返している。やる気は最初から無かったが、いい加減同じ作業の繰り返しに飽きてきた。

「四季様、この仕事面白いですか?」
「仕事に面白い面白くないはありません。必要な事を必要な時に必要なだけ行う。これが仕事です」
「…」

ペンペンペン

「四季様、この仕事に私いりますか?」
「それは私が決める事です」
「…」

ペン

「そろそろ休憩を取りましょうか。小町、あなたも少し休みなさい」
「は~い」
「たまにはサボらずにキチンと休息をとるのもいいものよ?」
「だからサボってないですよ~」

 小町は呻くが、やはりその声は映姫の耳には届かなかった。映姫はさっさと後片付けを済ませると部屋を出て行ってしまった。

「…疲れたー!」

 映姫が出て行って脅威が無くなると、小町は畳に寝転がった。イグサの香りが疲れた脳をリラックスさせる。もし映姫の目の前でこんなだらしない格好をしていたらあの棒で何十回と叩かれるに違いない。木目にシミ一つ無い天井を見上げながら小町は独りごちた。

「こんなんだったら本当にサボっておけばよかったね」






「あ。四季様!」

 突然襖を開けて映姫が入ってきた。先ほどと比べてどこか気だるげな表情をしている。小町は慌てて身を起こし、襟を正す。

「小町、何をしているの?」
「いや、あの、その。少しでも四季様の負担が減ればなぁと思って書類整理してたら手が滑ってしまって。床に書類が散らばってしまったのでそれを拾い集めて元通りにしたんです。それでちょっとだけ休憩しようかなーって」

 我ながら苦しい言い訳だと思った。いや、言い訳にもなってはいない。だが、映姫は特に気に留めなかったようだ。先ほどと表情を変えずこちらに近づいてくる。そういえば帽子はどこにやったんだろうか。さっき部屋を出て行くときは確かに被っていたはずだ。
 映姫はかしこまっている小町の前にやってくると、膝をついて目を伏せた。

「そうだったの。小町、私はあなたのことを誤解していたわ。あなたがそんなに私のことを思ってくれていたなんて。今まで誤解していてすみません」
「え。…どうしたんですか?」

 映姫は柔らかな笑みを浮かべる。

「なんですか?私はいつもと変わらないわよ」
「そうですか?いつもならあなたは普段サボってるのだからそのぐらい気を利かせても当然的な…」

 何故か妙にしおらしい映姫の様子に小町は違和感を感じた。その違和感の正体を小町が掴む間もなく、映姫は身を乗り出して小町に顔を近づけた。
 お互いの息遣いを感じられる距離。あと一歩で触れられる距離。小町はなんとか身を引こうとして正座をしていた事を後悔する。

「偉い小町にはご褒美をあげましょう」

 それだけ言うと映姫は小町の頬に手を添えた。小町は押し倒されないように自分の体を支えるのが精一杯で抗う事が出来なかった。

「四季…さま…?」
「小町、四季様じゃなくて。映姫様でしょ?」

 普段の威厳など微塵も感じられない甘えた声で、小町の目を除く。
 小町は先ほどの認識を改めた。映姫様は気だるげだったんじゃない。あれは恍惚の表情だったのだ。普段は鋭い眼光も、引き締められた唇も、意地の張った肩も今は見つける事が出来なかった。
 今の映姫にあるのは陶酔しきった瞳、緩んだ頬、なよなよしく折られた体。およそ普段の、特に職務中の映姫にはあるまじき雰囲気であった。

「四季様なんか…いや…凄い変ですよね!?」
「どこがですか小町?私は普段と変わりませんよ?」
「どこがっていうか全ぶ」

 そして唐突に映姫は口づけをした。
 その瞬間、小町は全身を溶かされた。比喩ではなく本当に体から力が抜けていく。筋肉は体を支えることを止め、支えられていた骨は力を失い重力に逆らう事を芳としない。脳はヘドロに付けられたようにズブズブと意識を沈められていく。
 崩れ落ちそうになる小町の体を映姫は支えた。そのまま小町を優しく床に仰向けにさせる。小町は虚ろな目を映姫に投げかけている。

「四季さまぁ…」
「え、い、き、さ、ま」
「えーき…さま」
「ふふ、よく言えました」





 もうそろそろいいでしょう。小町も大分大人しくなってくれたようですし、もっともっともっと日頃の疲れを癒して貰いましょう。映姫は微笑みながら小町を見下ろして思った。
 小町は仰向けに寝かされた時から抵抗の意思を示さずに、素直に映姫の慰めを受けていた。今は目を閉じて何かを待っているように動かない。
 映姫は小町の着物の襟を広げるために手を伸ばした。そしてその手が小町の襟を掴んだ。
 その時映姫はスッと体から何かが抜けていくのを感じた。体の下には小町が仰向けで待っている。映姫は慌てて飛びのくと壁際まで後ずさりをした。顔を真っ赤にして自分の体を抱いている。

「こ、小町!!!あなた何させようとしているんですか!!!」
「えーきさま…?」

 小町はまだ上手く力の入らない体を起こすと四つん這いになってゆっくりと映姫に近づいていく。その目には先ほど映姫の瞳に宿っていた恍惚があった。映姫は捕まるまいと部屋の隅へ逃げていく。

「ふふふふふ不謹慎です!!それに不誠実だし不愉快だし不潔です!!!!この世の不が付くものが集まって一念発起したあげく魔王を倒して勇者になるとか言い出しちゃうぐらい!!!!」
「えーきさまー」

 小町は緩慢な動作で映姫を追い詰めていく。映姫は部屋を出る事も忘れ部屋の隅で震えていた。

「ここここここここまちぇ!あなたは少し冷静じゃなさすぎる!」
「えーきさまー」
「だからそんな目で私を見るのは止めなさい!」

 手を伸ばせば届く距離まで追い詰められて映姫は覚悟を決めた。あぁ、私は小町に慰み者にされてしまうのですね。それはまあさっきは私のほうから…あの…だったけど、それは私の意志じゃ無かったですし。今の小町も眼に見えておかしいですけど、さっきは小町だってその…乗り気…でしたし…。
 自分への言い訳を考えているうちに小町の手が映姫の肩にかかった。映姫は小さく悲鳴をあげると眼をきつく閉じた。

「あ、れ?」
「…小町?」
「四季、様?」

 眼を開けるとそこには普段と変わらない部下の姿があった。りりしいとは言い難い表情できょとんとしている。映姫は胸をなでおろした。

「あぁ、良かった。いつもの小町ね」

 小町は何事も無かったかのように映姫から離れた。腑に落ちない表情は変わっていない。

「さっきのは…?」
「私にもよく分からないけど、状況から察するに一番妖しいのはこれ」
 
 映姫はポケットからハンカチを取り出した。包んでおいた錠剤を開いて見せると一粒減っていた。

「本当にこれは活力剤だったの?あの…俗にいうアレではなく?」
「たぶん」
「たぶん?」
「あたいも直接薬屋からもらってきたものじゃないからはっきりとは言えないんですけど」

 映姫は嘆息して表情を厳しくした。

「そんな素性のはっきりしないものを持ってきてあまつさえ上司である私に飲ませようとした訳ですか」
「いやぁ、四季様が随分疲れていらっしゃるようだからつい。それに元気になったらあたいは手伝わなくても…いや、なんでもないです。四季様そんな眼で睨まないで下さい。反省してます。…でもなんであたいまであんなんになっちゃったんですかね?」

 小町が素朴な疑問を発すると、映姫はまたも顔を真っ赤にして俯いた。手を後ろでもにょもにょ動かしながら呟く。

「それは…まぁ…その…。私が小町と…したからじゃないですか?」
「え?なんですか?」

 赤い顔を更に真っ赤にして映姫は小町に指を突きつけた。自然と語気が荒くなっていく。

「世の中には知らなくてもいいことが一杯あるのです!とにかく、これは私直々に薬師のところで見てもらうようにしておきます。今度からはこういうことが無いように自重なさい!」
「あぁぁ、なんかお仕事増やしてすみません」

  映姫の迫力に押された小町は申し訳無さそうに頭を下げた。映姫は大声を出して落ち着いたのか嘆息してかぶりをふった。

「…いえ、私も少し休みを取ろうかしら。無理をするのが良くないことは今回の一件で身にしみました。そもそも小町の手を借りてまで仕事をこなそうとするなんて間違っていました」
「そう、あなたは少し働きすぎる」
「調子に乗っていると休みを減らしますよ?」
「すみません!すみません!」

 小町はぺこぺこと頭を下げる。映姫は腕を組んでその様子を眺めていた。サボったり、調子に乗ったり、時には余計な事をして余計な事を引き起こしてくれる。
 だけど、やっぱり私にはあなたが必要なのです。
 映姫は小町に見えないようにこっそりと微笑んだ。部屋の姿見だけがその慈愛に満ちた笑顔を映し出していた。



 昼間でも薄暗い竹林がある。長きに渡って姫の大殿籠りを守ってきたその林の中に、永遠亭は存在する。寝殿造りをベースに近代の影響をところどころに取り入れたその屋敷は、昔からその林の中に存在していた。しかし幻想郷内で存在が確認されたのは最近である。
 その永遠亭の中の薬剤室に八意永琳はいた。ビンから粉末を取り出しては液体に混ぜ、それを蒸留し、また液体に溶かしている。その様子を傍らで面白そうに因幡てゐが見ていた。
 ふと、永琳が手を休めててゐに語りかける。

「そういえばてゐ。この前の薬どうしたの?」

 てゐは大きく胸を叩いて反り返った。あまつさえ親指をぐっと立ててなどいる。

「人助けのために使ってきた!」
「…そう」
「どーしてそー胡散臭そうな目でみるのかなー」

 半眼で睨む永琳の視線を受けて、てゐは悪びれもせずかぶりをふった。

「まぁいいわ。どうせ失敗作だった訳だし。次はもっと肉体的じゃない方に効果が強く出るようにしましょう。あと副作用もなんとかしないと。私まで理性が効かなくなったら困るものね」
「上手くいったら私にも分けてね」
「言っておくけど、元から大切にされて無い人には効果が出ないわよ?」
「えー、こんなかわいい兎を嫌いな人なんているのぉ?」
「ちなみに私に飲ませても意味は無いわよ。いろんな意味で」
「いろんな意味でが気になるけど…。まぁ鈴仙に飲ませるからいいよぉ」
「あの子があなたの事好きだとは思えないけど?」
「そしたら前のverを飲ませて無理やり」
「…まぁ好きにしなさい」

 
最後まで読んでいただきありがとうございました。ノモンハンです
今回は幻想板の創想話スレからネタをいただいたのですが

正 直 し ん ど い 

ので次回は無いと思います。

ちなみに映姫さまが飲んだ薬は「上司が部下に優しくなる薬」だそうです。
詳細はまた書く予定があればどこかで。
多数お叱りをいただいたので、プチの方は削除致しました。
プチに投稿している作家の皆様、失礼致しました。
次は慧音と妹紅で肩の力を抜いて読めるような作品を書きたいです

あとスレでプリンがもっと伸びると思った、と言って下さったあなた。
ノモンハンが泣いて喜んでいたとお伝えしておきます。
それではまたお会いできるように精進いたします
ノモンハン
[email protected]
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コメント



0.460簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
気づけばディスプレイに顔を近づけてニヤニヤしていたんだから言い訳できない。
これが悲しいサガなのね・・・。

しかし、なぜ、どうして、あそこで薬の効果が切れてしまったのだ・・・悔しい悔しいッ。
8.50名前が無い程度の能力削除
面白いけど……。プチのあのような使用法は流石にどうかと思いますた。
あえて作品(個人的には80点)から点数減らさせてもらいますね。
13.40名前が無い程度の能力削除
投稿時間順に読むとプチのほうが先になるので、向こうもこっちも後書きがおかしくなります。
14.80名前が無い程度の能力削除
>川から浮いてきた小町を
三途の川では浮けないっていう設定が求聞史記にありませんでしたっけ…?
映姫専用船って、ええー!?

点数には影響させませんが、プチのあの使い方は絶対にまずいと思います。
プチのほうだけで独立した話になっているならともかく、あれだけできちんとした話になっているとは言いがたいので。
しかしプリンその他貴方の作品は良いと思うのでこれからもがんばってください。