Coolier - 新生・東方創想話

Will give you the sky -part 2-

2008/06/07 22:19:06
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「ゆかりんこういう注意とか面倒なことはパス1」
「しないでください、頼みますから」










 目覚めて最初に九尾の美女の視界に入ったのは木造の平屋の天井であった。ぼぅ、とそれを眺め何かの考えが
浮かぶより早く瞳を閉じる。そのまま眠りの闇が彼女を包んだ。次に、何かの気配で眼を開けると天井のオプションに
自分をボロ雑巾のようにした少女の笑顔があった。眼をつぶった。
「おはよう。おねぼうさん」
 意地でも目を開けないつもりでいたら、強引に指で片目を開けられた。少女がそのままじぃっと見つめるものだから、
諦めて目を開けることにした美女。ちなみに後々解る事だが、真のお寝坊さんこそ目の前の紫なのを今は知る由はない。
「・・・起きたから指を外してくれんか。そのまま眼球でも抉り出されそうでかなわないねぇ」
「あら、そういう起こし方のほうがよかった?」
「アンタならやりかねないな。お断りだ」
 紫が指を引き戻し、九尾の美女はゆるゆると半身を起こした。裸のままだったがそのおかげで全身の傷は塞がり、
白い肌が戻っていることが分ったのでよしとしておく。
「あれからもう一週間よ。本当に、お寝坊さんなんだから」
「・・・はぁ」
 妖獣でなければ一週間程度で完治はしてなかったろう。ひとまず体にはだるさ以外の不調は感じられなかったので
「・・・服を着たいのだけれど、あるのかい? それとも式を素っ裸で仕事させるのがアンタの趣味かね」
と、おそらくはもはや主となった紫に尋ねる。その口調は明らかに主に対してのものではないが、しかし気にしないのか
器が計り知れないほど大きいのか。紫はにこりと微笑んで
「それも良い考えだったしら。けれど、せっかく作ってしまったものを蟲に食わせてしまうのも勿体ないのよね」
見やった先にはきちんと畳まれた服の一式が用意されていた。
「どうぞ、お好きに」
 そのまま紫は笑みを湛えて九尾の美女を見ている。それから特に動く様子も見えなかったので美女は溜息と共に言った。
「お好きに、は構わんがそうまじまじと着替えを見られても困る」
「私は困らない」
「いや・・・だからな」
「注文の多い式だこと。じゃあ着替えが終わったら呼んで下さいな」
 くすくすと笑い声を残して、紫は障子の向こうへと消えた。苦々しい表情でその背を見送る九尾の美女、がくりと頭を
垂れた。しばらくして蛇が鎌首もたげるように上げたその顔には、不敵な表情が張り付いていた。もし側に紫がいないと
知っていれば大声で笑っていたかもしれない。紫を見て眼を閉じた行動も、交わした言葉も、今のこの思考も全て
『九尾大妖狐』のものだ。断じて式として与えられた命令下のものではない。少女は遠まわしながら自分を欲しいと
言った。ただ問答無用に式にするだけならそのような宣言は必要であろうか? 推測ではあるが少女は自分の自我を
残すだろう。そうであれば死中に活を見出したようなものだ。揺ぎない自我と少女に隙さえあれば、何時でもあの白く
細い首筋を食い千切り、式であることを脱し再び自由を得る。そういった賭けに美女は勝ったのだ。出そうになる笑みを
噛み潰し、用意された服に袖を通し始めた。
「ふむ・・・」
 意外と着心地は悪くない。それどころかサイズもぴったりだ。気を利かしたのか、それとも自分の持ち物には見栄を
張る方なのか。どちらでもよかった。あの少女を屠るまでの間、せいぜい式でも何でもやってやろうと心に決めている。
滅ぼすのが国か一人の少女かの違いだ、と九尾の美女は改めて腹を括った。
「まだかしらー?」
「・・・おっと、あぁ。着替えたよ」
 しゅらりと乾いた音を立て障子が開く。そこから出てきた紫の笑顔がぱぁっと灯がともった様に明るみを増した。
「お似合いよっ」
「はぁ」
 青と白を基調にした法衣のようなワンピース状の服。ゆったりとしてかつ機能性も優れていそうだ。少なくとも今まで
寵愛だとかの印しで贈られた薄絹などよりはよほどましな物と思えたが、しかし似合っているかどうかは分らない。それが
訳で気の無い返事をする。そんな様子の九尾の美女をうんうんと頷きながら上から下まで眺める紫。唐突に視線を合わすと、
「動けるならそろそろ式として働いてもらおうかしら」
主として宣言した。
 紫の棲家は意外なほど普通の日本家屋のようであった。ただ、庭の広さも廊下の長さも天井の高さも何もかもが
一定していない。小ぢんまりした中庭が一瞥の後に千里の広さに変貌してもいる。おそらくは紫の力で空間を弄っているの
だろう。その歪みに吐き気を覚えるが、平静を装って仮の主の後を音も無く歩く美女。少女の背中に隙が全く無いのを
見て逆に少し嬉しくもなった。あれだけ甚振られたのだ、易々と殺すのも癪であると思い、その殺意も消えていないことが
また嬉しく思えた。そんな思いと共に歩を進めていると一つの部屋の前、紫ががらりと障子を開ける。部屋の陰に染まって、
そこには何かが山のように鎮座していた。九尾の美女は眉を顰めながらそれを確認しようとして、見上げたそれをしっかと
認識してしまった。おかげで呆然とした姿を曝してしまう。
 それは、着終えた服や下着類であった。おそらくは全てが紫一人だけの。
「じゃあ、これを今日中に洗濯・・・」
「待て、ちょっと待て! ・・・なんでこんなになるまで放っておいたんだっ!」
「だって前の式が居なくなってからずいぶん経ったのですもの」
 美女は紫を睨み付けるが涼やかな笑みで全て跳ね返される。眉間に皺を集めるだけ集めて、
「・・・どうせ断れば死ぬほどの激痛を与えられるのだろう? そんな馬鹿な選択をこの程度の事ですると思われるのも嫌だしね」
盛大な溜息一つとともに袖を捲くると、
「洗濯だけに選択ね」
「はいはい」
しょうもない事を言われたので流す。死ぬほどの激痛を叩き込まれた。



 それからも端女の様な仕事は毎日続いた。飯炊き、掃除、もちろん洗濯もそう。優雅で怠惰な生活に慣れていた体と
心には全てが厳しく圧し掛かる。しかしそれ以上に神経を磨り減らすのは、館の主と共に時間を過ごす事である。消えぬ
殺意を隠し通して同じ部屋で飯を食い、茶を飲む。時に風呂で背中を流すこともあった。流石に眠るときだけは別の
部屋だったが、それ以外全て紫という、少女にして境界を操る大妖怪を相手に、何時訪れるとも知れない殺害の隙を
窺い続けるのは骨が折れた。程度で言うなら全身が複雑骨折といったところだろう。幾十もの日が昇り同じ数の月が
沈んでも狐の美女の思惑は叶わず、無為な時間は流れ過ぎていく。その日々の中、枕を涙で濡らす失意や絶望よりも、
恐ろしく思えてきたのはこの生活を受け入れつつある己の心の磨耗であった。
 ただ、己と紫が未だ真の主従と成り得てない事は明らかだ。美女の口調は以前と変わらずぶっきらぼうで、紫も美女に
呼び名を与えようとすらしていない。主は絶対的な主として、道具はただの道具として。同時に命を狙うものと狙われるもの、
偽りの従順さで殺意の刃を隠していても、対手は笑顔の底に周到さや狡猾さといわれる盾で身を守り続けるそんな
緊張関係。それこそが九尾の美女のレゾンデートルを保っているのだから冗談にしては趣味が悪い。そんな皮肉混じりの
続いたある日、
「そろそろ、貴女に私の仕事を見せてもいい頃ね」
そんな言葉と共に、美女は紫に外へと連れ出された。しばらくはとり立てて何をするでもなく空を飛んでいた二人だが、
不意に紫が何も無いような場所に降り立つ。後に降り立った九尾の美女も一見してそこに何があるのかは分らなかった。
しかし、気を張り巡らせばその場所の異様さに気付く。
「ここは・・・」
 ただそれが何であるかは美女の知識をもってしても言葉にできない。
「貴女にも分るのね。ただ、この強烈な違和感が何か説明できないでいる・・・ってとこかしら」
「知っているならとっとと教えてもらいたいもんだね」
 心の内を見透かされたような言葉に不機嫌さを隠そうともしない九尾の美女。しかし紫の笑顔にいつもの様な余裕が
余り無い事に気付く。普通ではない同居生活でも長く顔をつき合わせていれば言葉を超えてお互いが分る、そんな事まで
気付かされて美女の不機嫌さの嵩が少し増した。そんな美女を振り向きもせず紫は話を続ける。
「この幻想郷に結界が張ってあるのは当然理解しているわよね? そしてここは・・・」
 そこで一旦言葉を切る。
「いえ、貴女なら直接見せた方がいいわね」
 言って、何も無い空間に手をかざした。板ガラスを捻じ割ったような音が響き、空間に突如としてヒビ割れとそれに繋がった
穴が現れた。紫が何らかの術で不可視のそれを見えるようにしたに違いない。穴の向こうには万色を蕩かしたような色合いが
見える。ただ、見続ければ狂気に捕り憑かれそうな気がして美女は目を背けた。このヒビと、それが崩壊してできたような
穴は紫のスキマによく似て全く違うもの。
「これは・・・。推測が間違ってなければ、境界とやらの綻びか裂け目か」
「理解が早くて助かるわ」
 人の腕の長さほどもあるヒビに相対する紫。穴は呼吸するかのように外界からの不快な違和感を吐き出し、幻想郷を
構成する因子を吸い込んでいる。放って置けばこの幻想郷に悪影響を及ぼす事は美女の目にも明らかだ。だがヒビと
紫との相互関係がいまいち掴めない。ゆえに美女の不機嫌さはいっそう増すばかりであった。その答えはやはり紫の口から
出てきた。
「私の仕事、それは幻想郷の管理。この緩やかな楽園を出来うる限り永久に維持すること。だから、こんな綻びは存在しては
いけない。一つ一つ丁寧に補修しなくてはいけない。単純で退屈で儲けも祝福も終わりもない仕事ね・・・」
 それはいつものどこかふわりとした言葉でなく、淡々として静かな言葉。語りかける様子でもなく、まるで独り言のように呟く
その姿に九尾の美女は怪訝な顔をする。できれば顔でも覗き込んでやりたかったが、長い髪の向こう、それは計り知ることが
できない。
「今から始めるから、貴女は見ていればいいわ」
 言って紫はぷつりと一本、金の髪の毛を抜いた。ほんの少し妖力を加えるとそれは一つの針と糸になる。空間を一つの
布として、結界のヒビを布の破れとして丁寧に縫い閉じていく。その理論を美女は芳しく理解はできなかったが、そこまで
上手なら裁縫の仕事を自分に回すななどとどうでもいいことを考え、考えつつはっと気付いてしまう。
 白い肌に珠の汗を浮かべ、空間を修復している少女が隙だらけだということを。一瞬呆けるほどに戸惑った。今なら
丸めた背なから体内に爪を突き入れ、心臓を抉り出して殺すことも易々とできるだろう。冷えたマグマのような獣性が一瞬で
熱を帯び全身を駆け巡ろうとした。ただ、その心だけは不思議と冷えたままだった。頭は必死に今すぐあの女を殺せと全身に
命令を出している。疾風より速く駆ける足は一瞬で間合いを詰めることができる。爪を伸ばせば処刑刀と化してあの女の
胴を薙ぐ事ができる。牙はあの華奢な首を容易く噛み折ることができる。妖力を叩き込めば蜂の巣にすることもできるだろう。
だのに何故か動かぬ心が、狐の大妖をその場に縫い付けていた。
 今、あの少女を殺すことは簡単にできるだろう。しかし少女は言った。自分はこの世界の管理者だと。嘘かもしれない。
ただ目の前の結界のヒビ割れは現実そのものだ。あれを延々放置すればこの世界は外界と繋がり、混ざり合い、結果
お互いの世界に良からぬ事が蔓延するはずだ。今住むこの世の全ては崩壊するであろう。そこまで思い、大妖狐は否定の
言葉を探す。この世界と外の世界がどうなろうと知ったことではない。今までも数多の人間や妖怪の命を己の意志一つで
吹き消していったではないかと。今回のそれもなんら今までと変わるものではないではないかと。
 さぁ、いつものように。さぁ、微笑んで。さぁ、殺せ。



 結局、紫がヒビを塞ぎ終わるまで九尾の美女は動けないでいた。己の臆病さに歯噛みしながら汗を拭う紫を見据えている。
「終わったわ・・・。見ていてくれた?」
「・・・あぁ」
 見届けるしかなかったというのが正しいだろう。今、美女の心中は様々な感情がおぞましく狂ったように渦巻いている。
その混沌が、とあることで一瞬で吹き飛んだ。ふらりとこちらを向いた紫の表情にはいつもの張り付いたような笑みはなく、
親に捨てられ山野をさ迷い歩く幼子を思わせる寂しさや孤独さが存在していた。それを見てしまった瞬間、美女の心の
深い方がじくりと痛む。その痛みを感じる間もなく、紫はいつもの笑みを取り戻した。だがそこにありありと浮かぶ疲労の色は
流石に隠しきれていない。結界の修復とはそれほどまでに妖力を使うのであろうと、美女は得心することにした。
「いずれこの技も教えたいところだけど・・・ふふ」
 疲れの滲むその相貌で、何が可笑しいのか紫は噴き出す。その真意が理解できない九尾の美女は、次の言葉で
打ちのめされた。
「ありがとう。殺さないでいてくれて」
 思考がホワイトアウトする。それから後のことを九尾の美女はおぼろげにしか覚えていない。紫に連れられ住処に戻り、
呆然と食事を作り呆然と風呂に入り呆然と布団を敷いたはずだ。蕎麦殻の詰まった枕に頭を落としたときに、ようやく
思考が回り始める。思い起こされるのは紫の言葉と、殺害を逡巡した己の愚かさ。だが何より眼に焼き付いて離れないのは、
弱々しく孤独に怯えたような紫の表情。紫の瞳。それらはいくら眼をつぶろうと耳をふさごうと消えることはなかった。しばらく
布団の中で煩悶するが急にがばと布団を跳ね除け、寝巻きのまま荒々しく外に飛び出した。大きな満月の浮かぶ空に
向かって飛翔する。目に付く巨大な岩があったので拳で砕いた。大木を2,3本纏めて爪で切り飛ばした。幾度もそんな
無意味な破壊を繰り返すうちに、拳は血に染まり爪はボロボロと刃こぼれした刀のように削れていく。だが、止められなかった。
何故流れるか分らないから涙はそのままにしていた。胎の底からただ意味もなく、喉を潰さんばかりに叫んだ。
 狐の悲痛な狂い鳴きを、紫は寝床でそっと聞いていた。



 狂乱に泣いた夜から三日。うってかわって穏やかに縁側で茶をすする九尾の美女の姿があった。庭に目をやれば
二人分に増えた洗濯物が風に踊っている。居住する場はすでに掃除も終えたし、食事も完璧に作りあげた。おかげで
空き時間に茶を楽しむ時間まで作れるのは、もとが優秀な妖狐であるからか。結局あの後は心的ストレスが発散されるより
速く、空虚な気持ちが強い睡魔と共に襲ってきたので仕方なく寝床に戻り、次の朝には気持ちを切り替えることで平常心を
取り戻した。最も、気持ちの切り替えとは、『次の機会があれば迷いなく殺す』と心に決めた事なのだが。偽りとはいえ
式として完璧に仕事をしていけば、その機会はすぐ訪れるだろうと信じて。
 それにしても風が心地良い。この分だと洗濯物もすぐ乾きそうだ。そう思って思わずにこやかな笑みを自然と浮かべる美女。
本人は否定するだろうが、ここに来てから彼女の家事の腕前はどこの嫁に出しても恥ずかしくない域にまで達している。
そこに彼女の今の主人が現れた。
「あら、えーと・・・」
「掃除は終わったし洗濯は済んだ夕食の仕込みも済んだ。以上」
 何か言おうとした紫の言葉をさえぎってにべもなく言い切る美女。もう一口茶をすすった。所在なさげな紫は困った
笑みを見せると、急に、
「とうっ」
美女の膝めがけて倒れこむように頭を投げ出した。
「な、何を!?」
「ひざまくら」
 確かにそれは膝枕。うららかな縁側にいた美女の膝はぬくぬくとしている。当の美女の意思を反映させさえしなければ、
そこはまさに惰眠を貪るもの達のパラダイス。そして紫は惰眠が三度の食事より好きである。もちろんそうでない膝の所有者は、
今にも拳を膝の上の頭に叩き落しそうな表情をしていたが
「やくもゆかりとしてわがしきにめいずるひざまくらしろー。これはめーれー。めーぇーれぇー」
と主はやたら温い呂律で命令してきた。言葉の最後は伸びをしながらで、どこに出しても恥ずかしい少女の出来上がりである。
膝に頭を乗せたのはつい先程なのだが、紫の眼はすでにもうまどろんでいる。こんな馬鹿な命令でも式ならば受けなければ
ならない。ほとほと呆れ返りながらも美女は無言で枕となった。
 美女が思考を放棄して一個の枕であり続けたのは一時間ばかりだったろうか。す、と冷たい視線を膝の上の少女に
向けた。隙だらけだ。結界の修復をしているときよりも明らかに、こんなに近くで。だが前回のように瞬間的に気持ちを
煮え立たせてはいけない。弱火の炎にかけた鍋の水のようにじわりと温度を上げ、沸点を越した瞬間に少女の首を刎ねる。
それだけの事。もし、途中で起きられても良しとすることにした。今、この時にこれだけの隙を見せたということは今後
幾らでもチャンスはあると思えたからだ。
「ん・・・」
 膝の上の少女が少し身動きし、か細い声が聞こえる。だがそれは眠りの中での事。それでも起きないか心配になって
九尾の美女は紫の顔を覗き込んだ。それがいけなかった。そこにはあの時と同じ、か弱い子どものような寝顔があった。
瞳からは一粒の、水晶より清らかな涙。紡がれた言葉は、
「・・・・・・ひとりは・・・いや・・・・・・」
それに、九尾の美女の心臓は何かに握り潰されたかのように痛んだ。
 
 同じ言葉を何度、呟いただろう。



 八雲 紫は夢を見ていた。長い齢を重ねた中で幾度も見続けてきたただ一つの夢。脳の働きで起きるこの現象で、
多くのものは様々な種の仮想体験を行うという。だが、紫は違った。その夢はいつも同じ。
 紫は森にいる。そこは今どうなっているかも分らない場所だが、確実にそこがなんなのかが分る。そこは妖怪『八雲 紫』が
生まれた場所。彼女には父も母もいない。おそらくは『境界という概念』から自分は生まれたのではないかと思っている。
 このとき分っていたことはただ三つ。自分が八雲 紫という妖怪であること、自分が境界を操る程度の能力を持って
いること、その能力でこの世界を守っていかないといけないことだ。しかしそれだけでは到底生きてはいけない。スキマを
開いて他の存在が居そうな場所に向かう。能力の使い方は息をするのと同じように意識する必要もなかった。
 人里では妖怪であることを隠しつつ、多くの人や時には同類の妖怪たちと交わることで知識と心を養っていく。そして
知ることになるのは、知識はいくら重ねても失われる事はないが、心の繋がりは双方どちらかの命が失われば思い出としては
残るが、結局は喪われてしまうということ。永遠に近い寿命を持った紫にとって、酷く残酷な運命だった。
 人よりももっと自らの心に素直な妖怪だから、友人には掛け値無しに友情を注いだ。だが同じ事で同じ笑みを浮かべた
友の多くは鬼籍に入ってしまった。幾つかの恋もし、時に夫婦として想い人と添い遂げたこともある。ただ、その終わりは
常に相手の死であった。友人達恋人達の顔が次々と過ぎて行く中で紫は思い至る。狂おしいほど欲して何かを手に
入れても、それら全ては紫の手の中で崩れ、塵となり消えてしまうということを。それならばいっそ、何もかも捨てて、己に
与えられた役目だけを死ぬまでただ続けていこうと。

 そんな悟りに辿り着くほど、紫という少女の心は乾いていなかった。

 そして得た知識から一つの妥協策を見出す。それが式を作り出すことだった。力を持つものを自分の式にすれば、
永久に近い寿命を与えることも可能だった。相手には恨まれるだろう。式にすると言うことは絶対的な主従関係を構築し
相手の全てを縛る事に他ならない。主の気まぐれで死を与えることも、死よりもなお辛い苦しみを与えることも可能になる。
その存在の運命を全て握る事となるのだ。しかし、妖怪としての欲求の強さは、人間の持つような倫理などを軽くひと飛ばし
するほど強かった。それと同時に、式に反逆され命を落としても、それが天命なら受け入れようと覚悟を決めた。
 最初の式では失敗を犯した。自我を消しすぎたそれは本当にただの道具で、長い時間を共にしようと思う気は起きなかった。
それから幾つかの式を作るが、そのどれもが紫の満足に足るものではなかった。幾つもの命が無為に消え、その度に紫は
どうしようもない孤独に人知れず涙を流し続けた。
 夢はいつもここで途切れていたのだが、ほんの少しだけ続きが増えていた。幻想郷のどこかの山の上で静かに目を閉じる。
結界に閉じられたこの世界の全てに自らの気を同化させ、とある存在を探した。誰しもが心に孤独を飼っている。その孤独の
大きさを知るために。そして遥か遠くに一つ、自分と同じ真っ黒で大きな孤独を持った、強大な力を持つ存在が居ることを
感知した。嬉しさに頬が緩む。小さな小さなスキマからその存在を見てみた。それは薄絹に身を包み、天蓋付きのベッドに
気だるげに横たわる女性。だが人間でないのは腰から広がった九本の尾で明らかだ。狐狸妖怪の類であろうその美女は
親から引き離され行き場を失った幼子のような寂しい目を、紫のそれと同じ目をしていた。金銀と玉と、あらゆる宝物に
埋もれそうになりながら全く満たされていない表情で沈んだ溜息をつく。その心の奥にはこの全てを打ち壊して無にしたいと
願う凶暴さと、一人で居る苦しさに押し潰されそうな脆弱さが混沌としていた。紫はもう一度改めて微笑む。この娘なら、
同じ時間を分かち合えると。スキマを閉じ、青い空へと飛んだ。一人で居ることが、いやだったから。
 紫の夢は過去のリプレイ。それはおそらくこの世界が、彼女が管理者であり続けることを忘れないために、そしてその身に
背負った責任と罪を忘れないために見させ続けているのだろうか。紫本人にもそれは分らなかった。ただ、いつも
泣いていた事だけは確かだった。



「・・・・・・ひとりは・・・いや・・・・・・」
 その言葉は、草の茂る野原で、無人の庵で、宮殿の寝室で何度呟いた言葉だったろう。妖怪狐は常に孤独と共に
あった。産まれてすぐ、母と兄弟姉妹は人間の手で殺された。乳の代わりに泥水を啜り、血の滴る肉の代わりに蛆虫を
喰らって生き延びていた。年老いた妖孤が哀れに思い、彼女を拾うまではそんな死と隣り合わせの生き様を続けていたのだ。
 人への憎しみを抑えきれない小さな痩せ狐は、多くの術を修めた老狐に頭を下げた。復讐の手段にしかならないと
知りつつ、諌めながらも少しずつ術を教えていく老狐。結局は老孤も、その晩年に彩りを与えた小さな存在に愛を覚えたの
だろう。しかし、彼に残された時間は僅かだった。今際の段になって、尾を二本に増やした少女の狐に全ての技を託そうと
する。その方法とは彼の身を残らず喰らってもらうことだった。小さな狐は怯えながらも、枯れた肉体と反比例した
富んだ知識を、すすり泣きつつ喰らった。そうして狐はまた独りになった。
 尾を四本へと増やし、肉体と共に術も成長した妖孤は、もう一つ得た美しい容貌を武器に人間世界へと侵攻を開始する。
絶世と評されるその美貌には、道を極め霊験あらたかな導師だろうと、幾百の人間を手玉に取る詐欺師だろうと心を許し、
蕩かされ、最後には喰われていった。ますます力を増し十を越える人里を弾幕のひと放ちで消し飛ばせるほどになっても、
妖孤に満ち足りた日が訪れることは無くむしろ心にぽっかりと開いた穴が大きく育っていることに苛立ちを覚えるだけである。
 その穴の名が孤独と知って、知って目を背けた愚かさをそのまま暴虐さとして、悲しみにまみれた狂気は加速する。
もはや町一つどうこうする程度では収まらず、一国の王を騙し、誑かして愛妾の座を得る。万色の宝を掻き集め、民の
蓄えを全て己が富とし、美男子美少女を侍らせ時に好き勝手にその肉を食い散らかした。時に諫言を抜かす愚か者が
いればその首を刎ね目を抉り焼けた鉄を抱かせて、屍を飢えた妖怪どもにくれてやる。楽しかった。楽しいと思いたかった。
どだい無理な話であった。至高の珍味を食らっても七色に光る玉を眺めても王の腕に愛の言葉と共にかき抱かれても、
孤独の穴は九尾の美女の存在すら飲み込むほどに広がる一方であった。いつまでも狐は独りだった。
 だから、壊した。九尾の大妖の力を持ってすれば人間が幾ら武装すれど敵う訳も無く、一刻もしない間に楼閣は紅く
染まり、屍の城と化した。何一つ動くものが無くなった楼閣で、誰も座ることが無くなった玉座に腰掛けた。そこから見える
空を眺めていると、涙が堰を切ったように溢れる。それを拭うこともなく、九尾の美女は呟いた。
「・・・・・・ひとりは・・・いや・・・・・・。いやなのに・・・なんで・・・・・・」
 王の居城を血に染めた時間より長く、狐は一人で泣いていた。涙が枯れ果てるほど泣き疲れ、玉座でしばしまどろんで
いた。足音。そして紫色の少女。一方的すぎる戦い。式。不思議と充実した毎日。迷い子の顔。涙。

「・・・ずるいよ、アンタ」
 す、と九尾の美女は右手を上げた。そのまま爪を刃とし眠る少女の首に落とせば、式であることから開放されるだろう。
しかしてその手が下に落ちた。向かった先は首ではなく、紫の美しい髪。優しく梳きながら、そっと頭を撫でた。
「こんなときに・・・私と一緒だなんて・・・本当に、ずるい・・・」
 今までした事も無いような優しい笑みを浮かべて、それでも瞳から大粒の涙が頬を伝う。万有引力という全てを
引き付ける力に逆らわず、膝元で眠る少女の頬に落ちる。同じ意味を持つ二つの雫は静かに交じり合いながら少女の頬を
落ちていった。
 


 夢から覚めた紫は少しだけ不機嫌だった。あの夢を見たときはいつも不機嫌なのだが、今日に限ってはそれはとても
小さなものである。紫の体には毛布代わりに、柔らかくふかふかした狐の尻尾がかけられていた。寝ぼけた眼を上に向けると、
尻尾の主であり、己が式の美女が、始めてみる穏やかな顔でこっくりこっくりと舟を漕いでいる。不機嫌さよりも、心の奥から
嬉しい気分が湧き出してきた。しばらくぶりのとても良い目覚めを、他愛も無い夢で台無しにすることはない。首を上げると、
夕なに染まりつつある庭が見えた。紫のその小さな動きで、枕となっていた美女も目を覚ます。少しだけ眠たげな視線が
交差した。
「おはよう」
「あぁ」
 紫はゆっくりと体を起こす。その間に九尾の美女は尾を納め、つつ、と手を使い正座したままほんの少しだけ後ろに下がった。
広い袖に手を差し入れ、恭しく掲げると、その手と額を床に着ける最大限の礼をする。少しだけ驚いた紫の顔を下から
見上げた美女の瞳は、主が見惚れるほど美しく透き通っていた。何が彼女をこうまで変えたか紫は気付いていないが、
詮索の無粋さを知っているから何も言わない。紫を真正面から見つめる美女は凛とした声で
「これまでの非礼、ふきゃくゅぉわ・・・」
「噛んだ・・・」
噛んだ。一瞬で美女の顔が夕日に染まったのとは違う赤みを帯びていく。くすす、と袖の向こうで紫は小さく笑い、
「いいのよ。無理して喋り慣れない言葉なんか貰っても嬉しくないわ。私は貴女の言葉が欲しいの」
そう優しく促した。恥ずかしさの溜まった熱気を鼻から吹き出しつつ、気持ちを落ち着けた美女は爽やかな笑みを浮かべて、
あいも変わらないぶっきらぼうな、それでいて柔らかな口調で言い直す。
「・・・これからもよろしく、我が主よ。私で良いなら、永久の半分くらいまではつきあっていいかね? いいと言うならもう少し
あなたを敬う言葉も覚えよう。あなたの技も覚えよう・・・あなたが微笑みを絶やさないよう、道化にだってなってやるさ」
「よろしく、我が式よ。貴女の言葉しかと受け取ったわ。けれど、半分だとか言わずにずっと付いてらっしゃい。これは命令よ」
 夕なずむ縁側で二人の美しい女性が微笑みあう。きっとこれ以上の言葉は必要でないのだろう。
「そろそろ洗濯物を取り込んで夕食の準備をしないとな。今日はマスの塩焼きだ、美味いぞ」
 そういって立ち上がろうとした九尾の美女を
「あ、待って。座りなさい」
呼び止める紫。言われるがままに浮き上がった腰を落とし、向き直る九尾の美女。
「貴女に名前が必要ね。私の式としての名前。これからずっと名乗っていく名前」
 確かに紫は九尾の美女と出会ってから一度も名を与えず、昔の名を聞こうともしていない。その理由が九尾の美女には
今ではなんとなく分るような気がした。名を与えられなかったのは本当の式として認められていなかったから。名を
聞かれなかったのは、今まで与えられた名など美女がどうでもよいと思っていたから。全てを見透かされていたのを知っても、
もはや腹立たしさも起こらない。それどころか気恥ずかしさと嬉しさが湧き上がる。
「そうね・・・」
 紫は下唇に人差し指を当て、目を閉じて考えている。九尾の美女は余程のことがない限り、その名を受け入れようと
決めていた。うーんと小さく声が出ている限り、色々な名前が浮かんでは消えているに違いない。一度気持ちを整理する
ためか、溜息をついて空を見上げた。そして、
「藍」
「らん?」
「・・・そう。そうね、今から貴女は八雲 藍と名乗りなさい。藍は空の色。夕と夜とに挟まれた空の色。私がこの空を見上げれば、
いつでも貴女との出会いを忘れないでいられるから、貴女は藍よ。・・・気に入ってくれたかしら?」
穏やかな微笑みで、その名を告げた。藍、八雲 藍。その言葉を小さく呟いて、いまや八雲 藍となった美女は
零れ落ちそうになる涙を必死で堪えていた。今まで多くの名を人間達から与えられてきた。だがそれは彼女に美貌を
飾るための宝石などと同じ。与えた者が死ねば砂となって消えていく。だが、この名は違う。式に刻み付けられた名は
空がある限り消えない。そして、そんなことは無いだろうが、もし主が藍を遺して去ってもこの名は消えないだろう。
夕の藍に続くのは、夜の空の紫、その色だから。
「じゃあ藍。お腹がすいちゃったわ。早くご飯にしましょう」
「・・・はい!」



 紫と藍。二人の心の黒い孤独は、今は空の色に塗り替えられている。幻想郷に空が在り続ける限り、二人の永久は、
今日も明日も美しい空の色で染まる。
「へぇ、藍さまのお名前って空の名前だったんですね」
「そうだよ。紫さまが付けてくださったんだ」
「じゃあ私はなんで橙なんですか?」
「あぁ、それはね」
「はい」
「あの夕焼けに浮かぶ、お日様の色。それが橙だからさ」
「・・・うわぁ」
「藍ー。橙ー。お腹すいたー。ご飯にするわよー」
「はい、畏まりました!」
「あ、藍さま。私もお手伝いします!」



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 えーと。なんかすみません、白です。生きてていいですか。



 今回の題材はきっとこれまでも多くの人が取り扱ったであろうと思われる八雲さんちの主と式の出会いです。二次設定山盛りっぽくてすみません。
 実のところを言うと東方を深く知る前に最初に見たキャラが実は藍しゃまだったのですが、何が縁でかこんな話を作ってしまいました。そのせいか、それなりに力を注いで書けた気がします。
 ここで、
「勝手にキャラの歴史を作るなボケ」
「八雲の二人はこんな性格じゃねぇんだよカス」
「設定読め」
「虻さんに迷惑かけるな」
などのご批評、ご批判の言葉をいただけるとこの作者の特殊な性癖によって面白い状況になるので注意が必要です。やったぁ!

 読んで戴けるだけでも幸いです。では、また。
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コメント



0.1260簡易評価
3.70名前が無い程度の能力削除
これはいい。これはいいぞ今後の貴方に期待
7.80からなくらな削除
生きてていいです
内容が深く、読み応えがある作品だと思いました
ただ、こういった作品を読みずらいと敬遠する人もいるでしょうから
そういった人にどう読んでもらうかがアレですね
でも、こういった文を書くのは作者さんの個性でありますので、自分の長所を生かしてこれからも頑張って下さいね
そのほうが、いい作品を書けるものです
9.90名乗ることができない程度の能力削除
前編読んだ段階ではちょっと不安でしたが、うまいこと持っていきましたな。紫の出自と生い立ちに関しては違和感が残りましたが……無粋な感想で申し訳ない。
紫が結界を修復するシーンはすごく印象的でした。

生きていていいか?生きろ。これは命令だ(何様
11.80煉獄削除
これは中々面白い設定ですね。
実際に紫様と藍の出会いというもの、紫様が如何なる理由で藍を式にしたのかはわかりませんからね。
色々な解釈があっても良いのでは・・・と思います。
面白かったですよ。
14.90名前が無い程度の能力削除
これはいい出会い話
ゆかりんにはこういうもろさがありそうな気がする
19.80名前が無い程度の能力削除
いろいろな解釈ができることが東方のよさだと。私は思います。


全ての作者がそれぞれ違った幻想郷を書いてるからこそ創想話は面白い。
22.90名前が無い程度の能力削除
書き手によって表情を変えるものですよ。
私はこーいったお話が好きなので楽しめました。
とりあえず、生きてください(笑
次も期待してますね。
26.無評価削除
何とか生きていこうと思いました!!

自分で見返してみて他の作品に比べてまぁなんというか。
地の分の多いというかなんと言うか。なんだこれ。

しかし、この長くて重くてまるでバールのようなものの作品に目を通してくださって感謝感謝です。
31.90名前が無い程度の能力削除
>おそらくは『境界という概念』から自分は生まれたのではないかと思っている
超同意。
>ご批評、ご批判の言葉をいただけるとこの作者の特殊な性癖によって面白い状況になるので注意が必要です。やったぁ!
吹いた。やったぁ!
しかし面白い状況を作る批評の言葉を言えるほどの語彙がない。
32.90名前が無い程度の能力削除
面白い