Coolier - 新生・東方創想話

紅い月を欠いた夜

2008/03/14 05:09:25
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迷い家

そこは辿り着こうにも辿り着けない。
そのくせ、用も無いときに誘い込まれてしまう。
いい加減で気まぐれな主の性格を見事に形にした超時空日本家屋。

その屋敷に住む妖達。

幻想郷の創造に関与したと言われる主。
大妖 八雲 紫

その式として紫のため働く。
九尾の妖獣 八雲 藍

紫の式である藍の式である。
凶兆の黒猫 橙

上記の迷い家に住む妖達は、畏怖の念を込められ、周囲から八雲一家と呼ばれている。

その迷い家の一室で密談が行われていた
お茶とせんべいを頬張る主と、その傍らに控える式。

「藍、紅魔館は例の件、承諾したのかしら」
「はい、問題ありません紫様。西行寺嬢はどうでしたか」
「幽々子にも釘を刺しておいたから心配ないわよ」。

博麗大結界の維持、修復は八雲一家の重要な責務である。
スキマの大妖怪、八雲紫から、その式、九尾の妖獣の八雲藍は教えられてきた。
藍は一年の半分以上を寝てすごす、グータラ妖怪の主張を、素直に肯定することにいささか抵抗を覚えたが、主である以上、逆らう訳にもいかない。
博麗大結界に影響しうるだろう幻想郷の風の流れ、気の流れ、竜脈、水脈、その他あらゆる要素を藍は観測し、記録し、分析してきた。

その八雲の主従だからこそ気がついた違和感。
なにか大規模な術の準備が進み、決行されようとしている気配。

それは異変の前触れ。

時刻は夕刻。
山際に日が沈み、月が昇る。
昼と夜の境界。
紫色の世界。

「とりあえず、今は邪魔しないでおきなさい」
式の主人は開けられた障子の向こう、屋敷の外の景色を見渡す。
委細承知と頭を下げる藍。

「こういう輩は泳がせておいて、一網打尽にするのがいいのよ」
外を見る紫の表情は伺えない、しかし藍には胡散臭い笑いを浮かべる主の姿が容易に想像できた。





☨☨☨☨☨☨☨





湖を従えそびえたつ、城とも言える石造りの洋館。
紅い悪魔の館と恐れられる紅魔館。
その主、レミリア・スカーレットの寝室は紅い悪魔の二つ名通り、紅色に統一されていた。

「咲夜」
「はい、お嬢様」
レミリア・スカーレットに呼び出され、彼女の寝室にタイムラグなく現われるメイド長。
ちなみに寝室にメイド長が現われた時、扉は開閉した様子はない。
主の声を聞き、時間を止め駆けつけたのだろう。

「スキマのところの式が来たわ」
「そのようですね」
レミリアの寝室に忽然と現われた妖の気。
彼女の身を案じ、駆けつけ寝室の前で待機していたが、争う様子もなく妖獣の気は消失した。
その後すぐお呼びがかかり、レミリアのもとへ参上した咲夜だった。

「スキマ経由で来られると、本気で門番の存在意義を考えてしまうわ」
「スキマを使わない連中に対して役に立たない門番です。お嬢様が気に病む必要はございません」
レミリアは天蓋のついたベッドから降り、紅いビロード貼ったソファーに腰を下ろす。

「ねえ、咲夜」
「紅茶でよろしいでしょうか」
またも時間を止めたのか、いれたての紅茶が満たされたティーカップがテーブルに出現する。

「従者たるもの、主の欲するところを行う。素敵よ、咲夜」
陶磁器のカップに、蒼白い顔色に反してやけに紅い唇をつけ紅茶を飲む。

「スキマが古い契約に基づいて言ってきたわ」
レミリアは静かに瞳を閉じる。

「あいつが言うには“これからある異変が起きるけど、レミリア・スカーレットおよび紅魔館の面々は手をださないでね”だそうよ」
「そうですか」
咲夜はティーカップの中身を気にしながら、レミリアの顔を伺う。

「それで、お嬢様はなんとご返答を」
「どうもこうもないわ。条約を持ち出されたら従うほかないわ」
空になったカップが受け皿に置かれるや否や、すぐ新しい紅茶が満たされる。

「お嬢様、よろしいのですか」
「今回はスキマに譲歩しましょう。咲夜、パチェにもこの件、伝えておきなさい。他のメイドにはしばらく外出禁止だとでも言っておけば良いでしょう。門番にも私の許可なく誰も館の外へ出さないようにと」

「かしこまりました」
主に深々と頭を下げるメイド長。
しかし、いささか違和感をもった。

紫からの頼みと言えば聞こえはいいが、半ば命令を受け入れたレミリア。

あの傍若無人、我侭放題、唯我独尊のお嬢様にしては物分りが良すぎてはいないか。

咲夜がそんな疑念を頭の隅に思い浮かべ、レミリアが2杯目の紅茶が満たされたティーカップを持ち上げたとき、それは彼女の眼に映った。

「お嬢様、それは」
「えっ」
紅いパジャマのお腹の辺りからちらりと見えた白い布端。

「失礼します」
「ちょっと、待ちなさい……って、返しなさいよ」
「これは、なんですか」
布端を隠す間もなく、時を止めた咲夜によって取り上げられた。
メイド長の両手には丁寧に折りたたまれた白い布地が乗せられている。

「ちょっとお腹のあたりが冷えるから入れておいたの。ただの布切れ、早く返しなさい」
今にも飛び掛らんばかりの勢いで抗議するレミリア。
吸血鬼の身体能力をもってしても、レミリアの手が間合い半歩届かない場所で涼しい顔をしている咲夜。
実力行使にでれば、鬼ごっこになるのは必定。
逃げに徹した際の咲夜の能力ほど厄介なものは無い。

「さあ、それをはやく返しなさい、命令よ」
主は己が威をもって、メイド長の手より布地の奪還を試みる。
レミリアの私物にしては質素すぎる、清潔感があり心なしか良い香りがついた布地。

「名前が書かれておりますわ」
布地には墨でその持ち主と思しき者の名が書いてある。

博麗霊夢

レミリアは書けるものにならなんにでも名前を書く、彼の者の性癖を今ほど恨めしく思ったことはなかった。

「OK、咲夜、クールにいきましょう」
ここに至り、レミリアは情報の隠蔽による事態の悪化という愚に気づき、積極的情報開示によって事態を収拾させる方向へと方針を転換した。
ソファーにかけなおし、足を組む。

「それは確かに元を正せば博麗霊夢のものよ、だけど盗んだ訳ではないわ」
誇り高き吸血鬼の王が、窃盗まがいのことをしたなんて言ったら咲夜にどんな目にあわされるか。考えるだけでゾッとする。
それに、レミリアがそれを盗んでいないことも事実だった。

「この前の博愛会の集会のとき、スキマが見せびらかしたのよ、それを」
悔しさを思い出してか、やや怒気を含んだ口調となる。





☨☨☨☨☨☨☨





通称「博愛会」正式名称は「博麗霊夢を愛する会」
霊夢を愛してやまないものが集ってできた超党派の会である。
発起人は八雲紫、幹事長にレミリア・スカーレット、名誉総長として伊吹萃香。
そうそうたるメンバーが名を連ねている。
現在会長職は不在。
会に関わる事案での一切の実力行使の禁止が、紳士協定として結ばれているが、仮にこれを決めるなら、幻想郷の存亡を賭けた戦いが繰り広げられることになろう。
その危機を回避すべく各々が勝手に役職を名乗っている。
おもな活動内容は不定期な集会の開催。そこでは霊夢の最新情報の交換やお宝グッズの自慢、トレードなどが行われる。
もちろん博麗霊夢本人は未公認、存在すら知らない。
幻想郷においてもアンダーグラウンドな組織である。

咲夜が博愛会を知っているのは、紅魔館での集会の度、接待を任されているからに他ならない。

余談ではあるが、よりアングラな組織として「霧雨隊」こと「霧雨魔理沙とイチャつき隊」の名が挙げられる。
動かない大図書館や七色人形遣い、悪魔の妹が所属するとの噂だが、真相は闇の中、小悪魔のみが知るである。





☨☨☨☨☨☨☨





「あのときのスキマのいやらしい顔ったらないわ。自慢げに“ホント苦労したのよ、勘が良い霊夢の隙をなんとか突いて、まあ貼られていた結界のせいで藍がちょっと焦げたけど。でもその価値はあるわよね”だって」
流石に巫女の結界といえども、式まで打たれた最強の妖獣相手では分が悪かった。
咲夜には、むりやり結界に突っ込まされる藍の姿が、容易に想像できた。
主が違うとはいえ同じ従者として、藍に同情せずにはいられない。

「私が霊夢の髪留めと脇写真5枚つけてトレードを申し出たのに、あっさり断りやがってあのバ……スキマ」
言わんとした言葉を飲み込み言い直す。

“壁に耳あり、障子にゆかりん”
幻想郷に住むものなら、物心つく前に覚える諺である。

霊夢の私物、湯のみや茶碗、足袋や髪留めなどを称して「博麗会」メンバーは霊夢グッズ、もしくはお宝グッズと呼んでいる。
霊夢グッズはどれもレアである。貧乏…ゲフンゲフン、しっかりものの巫女は私物の管理も徹底している。

“うっかり神社のものを無断で持ち出そうとしたら、間髪いれず夢想封印がとんできたぜ”

とは蒐集家で名高いK雨M理沙さんのコメントである。
あちらこちらで窃盗犯呼ばわりされている彼女だが、こと神社に関してだけはその噂が立たない。
その事実も彼女の証言に信憑性を持たせている。
もっとも、盗むに値するものが神社にないとの可能性も否定できないが……。

そのレアな霊夢グッズを紫はスキマで、萃香は萃つめる能力で、そしてレミリアは豊富な資金力で調達している。

「そのときの逸品をさっきスキマの式がもって来たのよ」
事実、紫の使いの藍は“幻想郷の平和と発展のため、友好の証として主から貴殿への贈り物です”と言ってそれをレミリアに手渡した。

「だから、それは私のものなの。天地神明に懸けて、決してやましい事なんてないのよ」
力説するレミリアを冷めた目で見るメイド長。

「これはそんなに価値があるものなのですか、お嬢様」
「フッ、愚問ね、咲夜。正直この世で生ある内にこの手に入るとは思わなかったわ。私は今、究極にして至高ものを手に入れたのよ。それに比べたら今までの私のコレクションなんて塵芥に等しいわ」
うっとりと咲夜の手のなかにある布地を見つめる。

「そう、“霊夢の使用済みさらし(未洗濯)”なんて、これを超える至宝はこの世に存在しないわ」
「……そうですか」
「分かったのなら、早くそれを返しなさい」
やれやれというように手を差し出し、さらしを要求するレミリア。
しかし、メイド長は動こうとしない。

「どうしたの、咲夜」
訝しげに咲夜の様子を見るレミリア。

「お嬢様。これをお返しする前に二つほど質問をお許しください」
「いいわよ、今夜はとても気分が良いから」
自身の完璧な理論展開に反論の余地などあろう筈がないと確信したレミリアは、じれったく思いながらも咲夜の質問を許した。

「第一に、この八雲紫からの贈り物と異変に関与しない件とは、なんらかの関係があるのでしょうか」
「バカ言わないで」
レミリアは声をわざと荒げた。
紫からの贈り物に目が眩み、レミリアが吸血鬼としての誇りを、尊厳を売り渡したのかと、暗に咲夜は聞いたのだ。

「そんなことがある筈ないでしょう、たかが“霊夢の使用済みさらし(未洗濯)”一つ贈られたからといって、このレミリア・スカーレットが意に沿わないことをするなんてありえないわ。異変への不干渉の約定は極めて高度で政治的判断によるもの。私個人の思惑を超越した、いわば幻想郷のパワーバランスを熟考した上での判断。“霊夢の使用済みさらし(未洗濯)”とは全く関係ない」
レミリアは憤慨した様子をみせ、一気に捲し立てる。
そう、異変への不干渉の約定と、このさらしとはまったく無関係。
レミリアの判断とこのさらしに何の因果関係もある訳が無い。
本当に関係などない……と思う。

「失礼しました。ですが、言わせて頂きます。このさらしを紫に返し、異変不干渉の約定を解消するのがお嬢様のためと思います」
聞き分けないメイド長の態度にレミリアの怒りは頂点に達した。

「メイド長風情が口を出す問題ではないわ。馬鹿も休み休み言いなさい」
「せめてパチュリー様に相談されてからでも、遅くないと」
なおも食い下がる咲夜。

「紅魔館の主は私よ、もう約定は結ばれたわ。いまさらそれを破棄にはできない。咲夜は私がスキマに、一人では何も決められないと、約束も守れないと子ども扱いされ、笑われても良いの」
「申し訳ございません、お嬢様」
後ろめたい気持ちを隠すかのようなレミリアの苛烈な言葉を受け、頭を下げる咲夜。

「では、第二に……」
「……なによ、まだあるの」
ジト眼でメイド長をにらむレミリア。

「お嬢様は、そのさらし、なににお使いになるのでしょうか」
「なに…にって、エッ」
レミリアは気づいた。
頭を下げたまま、こちらを見る咲夜の眼。
それが紅く染まって殺気だっていることに。

真実は人を突き動かす。

レミリアは今まで敢えて事実をありのまま話すことで、咲夜の理解を得ようとしてきた。
しかし、どうやらその結果は真逆のベクトルへ作用したようだ。

“あんなことや、こんなことに使います”

なんて明け透けな話で咲夜の理解を得られそうに無い。
嘘も方便、ここでレミリアは再度の方針転換を行う。

「もちろん、使うのよ」
「使う、さらしを、お嬢様が」
「そ、そうよ。さらしを使ってなにがいけないの。別に問題ないでしょう」
「……本当に、ただ使うだけですか」
「ああ、もう五月蝿いわね、スカーレット・デビルの名に懸けて本当よ」
「そうですか、それを聞いて安心しました」
頭を上げた咲夜。彼女の今までの殺気が嘘のような満面の笑顔をみて、ほっと安心するレミリア。

「だから、それを返し……」
「お嬢様がこれを必要なくらい成長するまで、私が大切にお預かりしておきますね」
まるで手品のように、“霊夢の使用済みさらし(未洗濯)”が咲夜の手から消えた。

「えっ、なんで」
「お嬢様のお体に、あんなただ締め付けるだけの布なんて必要ございませんわ」
「そ、そんな」
「大丈夫です。大きくなったらきちんとお返しいたします」



猛烈な既視観。

お正月、親戚のドラキュラおじさんからもらったお年玉。
“お母さんが預かっておきます。あとでちゃんと返すから大丈夫よ、レミィ”
結局あのお年玉はどうなったのだろう。

そんな体験した筈もない、謎のデジャブに襲われて一瞬意識が遠のくレミリア。



「ちょっと。大きくなったらってなによ。私はノーライフキングなのよ。永遠に幼き紅い月なのよ」
レミリアはあまりの出来事にパニックに陥り、訳の分からないことを口走る。

「ちゃんとさらしの時を止めておきましたので、劣化することもありませんわ」
流石は完全で瀟洒な従者、やることに抜かりは無い。

「いやあ、いま返してよ、すぐに返して、うっうぅ~」
涙目でメイド長にしがみつきレミリアは必死に訴えかける。

「お嬢様が必要とされたとき、すぐお返ししますわ。約束いたします」
「うっうぅ~。咲夜の鬼、悪魔、人でなし」
遂にはふかふかの紅い絨毯の上に寝転がり、手足と羽をばたばたし始める。

「うぅ~かえしてぇ~、い、ヒィグ、いまずぐがえじでぇ~ ヒィック」
見事な駄々っ子振りである。

「お嬢様、あまり私を困らせないで下さい」
「ふっ、ふ~んだ。べつに咲夜なんて、グスン、こ、困ればいいのよ、グズ、さ、咲夜なんて」
涙を流しながらも反抗するレミリア。

「でしたら、私にも考えがございます」
「なに、なによ、何する気なの」



昔、あまりにもひどいレミリアの我侭放題に咲夜が怒り、下した罰を思い出した。
レミリアが口にする物全てに、ニンニクエキスを混入するという罰。
どんなに注意しても、食べ物、飲み物を口にする直前に時を止め、ニンニクエキスを混入されては防ぎようが無い。
この地味で効果的な罰は、結局レミリアが謝り、態度を改めるまで続いた。



「また、ニンニクでしょ、ニンニク入れる気でしょ、いいわよ、やればいいじゃない。そんなの全然平気なんだから」
レミリアの言葉に咲夜は悲しそうな顔を一瞬みせた。

「……を……が使います」
「え、なに」
咲夜の悲壮な顔に気をとられ、レミリアは彼女の言葉を聞き漏らした。

「あのさらしを、私が使うと言ったのですわ」



一瞬の沈黙。



「イヤャャァァ」
あまりに想定外の咲夜の言葉に、泣き止み顔を蒼くするレミリア。

「それを身につけたまま、一日仕事をさせていただきます」
「やめて、そんな、せっかく霊夢のかほりが、にほひが」
そこでレミリアは咲夜の変化に気づき、言葉を失った。

「止めなさい、咲夜、それに、そんなことをしたらあなただって……」
動揺のあまり性格が180度反転し、素に戻るレミリア。
咲夜の瞳が紅く染まる。
それは、彼女が本気だという何よりの証。
しかし、いつもの殺気とは異なる、哀しみに満ちた気を纏ったメイド長。



“ただ締め付けるだけの布”



咲夜はそういった、それを使うと、身につけるといった。

誰が?

愚にもつかない疑問だった。
咲夜自身に決まっている。
曲がりなりにも主が至宝と言った物。
他の者に着用させるなど、メイド長としての誇りが許す筈がない。

咲夜がさらしを身につける。
背中に氷どころではない。
背骨がドライアイスになったかのような冷たさが一気にレミリアを現実に引き戻した。



今思えば、あの異変を解決してから咲夜の様子がおかしくなったのだ。
死人嬢が春を集めた異変。

春雪異変

そこで、十六夜咲夜は西行寺幽々子と八雲紫に出くわした。
一緒に異変解決のため飛び回った博麗霊夢と霧雨魔理沙。
だが、同じ圧倒的存在を目にしても、彼女達の反応は十六夜咲夜と違った。

なにものにも束縛されない、博麗霊夢。

我が道を行く、霧雨魔理沙。

一方は外からの影響を受けず、一方は己の道を突き進むのみ、
しかし、完全で瀟洒なメイドにとって、紫と幽々子の二人は到底無視できるものではなかった。
永遠に届かぬ理想を眼前に見せ付けられたのだ。



その日以来

咲夜は自室に篭りがちになり、なにかに没頭していた。

“ただ寄せてあげるだけのものに、何の意味がある”

“形がよければ良い?嘘だ!”

“一枚二枚では……、いっそダース単位で”

メイド長の部屋から、夜な夜な、そんな声がしたとかしないとか。
その類の噂が紅魔館はおろか、幻想郷中を駆け巡った。
そして、いつしか咲夜はそれに関して、幻想郷のいかなる賢者の後塵を拝み見ることの無い地位へ上り詰めていた。
その咲夜がただ締め付けるだけの布を、ただ巻きつけ、押さえつけるだけのものを身につけると言ったのだ。

レミリアは知った。咲夜の見開かれた両の眼がたとえ涙で濡れていなくとも、その心が啼いていることを。



自身の半生を否定し、今の自分をも消し去るに等しい行為。
なにが彼女を追い詰めた、何が間違っていた。



レミリアは己が言動を振り返る。
そして頭を振り、大きく深呼吸をする。

「……わかったわ、咲夜に預けるわ。だからもうあれを使うとか言わないで」
「はい、お嬢様」
なんとか気を取り直しソファーに座ったレミリアに、大きく頭を下げるメイド長。

「一命に換えても大切に預からせていただきますわ」
顔を上げたときにはいつもの咲夜に戻っていた。
紅い目も魂の慟哭の気配もない。
こんな最中でもメイド長は完全で瀟洒であった。

「あ、でも今日一日くらいは私の手元にあってもいいかな、なんて……」
「……」
「……」
「……」
「……なんでもない」
「失礼します」
言葉を残し、現われたとき同様に咲夜は忽然と姿を消す。
部屋に独り残された紅い悪魔。

「こんな時ぐらい、あなたの後ろ姿。見送りたかったわ」
レミリアは不満げに呟いた。





☨☨☨☨☨☨





空に欠けた月が浮かぶ夜


明けぬ夜


迷いの竹林に住む蓬莱人によって起こされた異変


不関与の約定により紅い月とその従者を欠いたまま


永夜の異変は


巫女と魔法使いの活躍により解決された





☨☨☨☨☨☨☨





永夜の異変が起き、解決されてから数日後。
レミリアは図書館の魔女。パチュリー・ノーレッジからお茶の誘いを受けていた。
なんでも、霧雨魔理沙が来て異変の顛末を話してくれるというのだ。
この日ばかりは、門番に黒白の通行を許可するように命じた。
レミリアは少しばかり浮かれていた。
彼女が異変への不関与を決めてから、パチュリーとはいささか折り合いが悪かったのだ。
それが、今日になり、お茶会に招待された。
そのうえ、異変の顛末まで聞けるおまけつき。
咲夜に何回もお茶の時間を確認するその姿からも、楽しみにしていることがわかる。

「そうだわ、せっかく黒白も来るのだからフランも誘っていきましょう」
「はい、ではパチュリー様に確認をとってまいります」
「ああ、パチェのお茶会だから、それは必要ね。頼むわよ、咲夜」
本当にうれしそうだった。



そしてゲストを向かえ、図書館で大きな円卓を囲み、お茶会が開かれた。



…………少女飲茶中



霧雨魔理沙が語る永夜の冒険大活劇。
会場は大図書館。
観客は五人。
開催者のパチュリー・ノーレッジ、レミリア・スカーレット、フランドール・スカーレット、そして給仕役の十六夜咲夜と小悪魔である。

「……というわけで、異変を無事解決したんだぜ」

総天然色の場面、場面の情景描写。登場人物の心理描写、おまけに効果音つきで異変の顛末を語り終えた。
あまりにも話に熱が入り、マスタースパークの実演に及ぶところだったが、小悪魔の必死の抗議と咲夜のちらつかせたナイフにより事なきを得た。

「へえ、そんなことがあったのですか」
小悪魔が感嘆の声を漏らす。

「魔理沙はいいな。私も異変解決したい」
フランドールは魔理沙にまとわりつく。

「……そう」
パチュリーは魔理沙の話の最中もいつもと変わらず、ずっと本を読んでいた。
思い思いの感想を述べ合う中、ただ一人、黙して語らぬ人物が居た。

「お嬢様」
咲夜はレミリアを気遣った。

「ええ、ごめんなさい。ちょっと気分が優れないの。ほら、こんなに早起きしたのって久しぶりでしょ」
「大丈夫ですか、レミリア様」
「お姉さま、どこか痛いの」
小悪魔とフランドールへの気遣いに応えるのもそこそこ、力なく立ち上がるレミリア。
付き添おうとする咲夜に、そのままお茶会の給仕とフランドールをみるように命じ、図書館から出て行く。

「なんだ、レミリアの奴」
クッキーを口に放り込みながら首をかしげる魔理沙。

「咲夜」
フランドールはメイド服のスカートを掴み、心配そうに咲夜の顔を見上げる。


「私は魔理沙と遊んでいるから、お姉さまのところに行ってあげて」
「フラン様」
咲夜がフランドールの後ろにいる魔理沙に目をやると、手を頭上で交差し豪快にNOサインを送っている。
もとより、そんな黒白のことなど気にする彼女ではない。
レミリアの命とフランドールの頼み。
二つの相反する言葉に迷い、逡巡する咲夜。

「ひとりにしてあげなさい」
本を閉じて図書館の魔女はいう。

「欠けた月が元に戻るのには時間が必要よ」
パチュリーは咲夜の迷いを打ち消す。

「いくらあなたでも、レミィの心の時計の針までは操れないわ」
図書館の魔女はそう言い残すと、薄暗い書架の間に消えていく。

「……はい、パチュリー様」
咲夜は主の消えた扉から無理やり目を反らした。



ひとり図書館を後にしたレミリア。

レミリアは後悔した。
お茶会なんて行かなければ良かった。
異変の顛末なんて知らないほうが良かった。

だが、仮に今日知らずにいても、いずれは耳に入る話。
ただ、遅いか早いかの違いでしかない。

ならば、今日であったことに感謝すべきか。
とてもそんな気になれない。

先刻までの浮かれた気分が嘘のようだ。
永夜の異変は、霊夢と魔理沙達の手で解決された。
月人が絡んだ今回の異変。
八雲紫が今回の件で、何故異常に神経質になっていたのか、今になって分かる。
かつて紫は多くの妖怪達と共に月面まで攻め込み、彼らに敗れ、一敗地にまみれたのだから。

しかし、八雲紫自らが異変の解決に乗り出していようとは夢にも思わなかった。
それも、博麗霊夢との共闘だったなんて。

寝室に辿り着き、扉を乱暴に閉める。

右手で力の限り拳を握り、おもいっきり腕を振り上げる。

道理で式を使いに出した筈だ。
紫は自身の運命を読まれること嫌ったのだ。

道理であれを惜しげもなく渡した筈だ。
紫はそれ以上に尊い時間を手にしたのだから。

血が滲むまで握られた拳を向ける相手も見つからず、力なく腕を下ろす。
そのまま、紅いベッドへと倒れこむ。

「結局、スキマの思いのまま」
これ程までの無力感に苛まれたのは、何年ぶりだろうか。

「無様ね」
起きる気力も沸かず、かといって寝ることもできず、手足を投げ出し、ベッドにうつ伏せに倒れこんだまま動けない。





☨☨☨☨☨☨☨





どのくらいそうしていたのか、投げ出されたままの指の先に、ベッドのシルクの感触と違うものが当たった。

そこに目をやると白いものが見える。
真っ赤な寝室にひとつだけある白いもの。
それは咲夜に預けたはずのもの。
何故それがここに。
考えるまでもない、答えは一つに決まっている。

レミリアはそれを手にする。
眩い輝きを放っていたそれも、今では色あせた、ただの布切れのように感じられた。

あのとき、主に対し、従者はなんといったか思い出す。

“このさらしを紫に返し、異変不干渉の約定を解消するのがお嬢様のためと思います”

賢しい従者に比べ、その主のなんと愚かなことか。
己が身を省みず、主のためを思い進言したこの言葉に、自分は少しでも感謝したのだろうか。

答えは否である。
逆に従者風情がと怒り、咲夜を罵ったのだ。

レミリアはベッドの上に座り込み、その手の真っ白なさらしを見つめる。

“お嬢様が必要とされたとき、すぐお返ししますわ。約束いたします”

真っ白な布地に染みが浮き出る。

「なによ、大切に預かるなら、こんなに汚しちゃダメじゃない」
白い布地の上に染みはどんどん広がっていく。
その染みの原因は、滴り降りる水滴。
水源はレミリア・スカーレットの瞳。
レミリアは嗚咽を漏らし、泣き続ける。

咲夜は、意気消沈する主を見るに耐えなかったのだろう。
少しでも慰めになればと、時を止め、さらしをレミリアの手元に残し立ち去った。
完全で瀟洒な従者だが、優しさを伝えることだけはどうしようもなく不器用で下手だった。
しかし、その不器用な優しさがレミリアの心に暖かくしみわたり、
凍りついた虚無を溶かし瞳からあふれ出させたのだ。



「咲夜」
「はい、お嬢様」
レミリアは泣き腫らした目もそのまま、従者を呼び出す。

「私の大切な宝物がベッドに放置されていたわ」
「申し訳ございません。お嬢様」
レミリアはさらしを手に咲夜を叱り付ける。

「だめよ、私がちゃんと使う日がくるまで、あなたが責任を果たさないと」
レミリアの言っていることがいまひとつ飲み込めない様子の咲夜。

「だから、私が成長した、そのときに、あなたがこれを私に手渡しなさい。どんなことをしても、必ず」
レミリアがそれを必要となるまで成長するのに何十年、何百年かかるか分からない。
おそらくその時、ただの人間である咲夜は生きてはいないだろう。
しかし、レミリアは咲夜に未来の自分へ必ず手渡すようにと言って、さらしを咲夜に委ねた。
理屈じゃない、咲夜なら必ずと信じたのだ。

「かしこまりました……。お嬢様……」
頭を下げたまま、さらしを受け取った咲夜はなかなか顔を上げようとしない。
咲夜の目からも涙が零れでていた。
完全で瀟洒な従者はそれ主に見せることを善しとしない。
レミリアの涙を吸い込んだ白い布地は、主の信頼を具現化し、咲夜には本来の布地の何倍も重く、そして何よりも嬉しく感じられたのだった。



今夜、レミリアから咲夜に手渡された白い布地。
それに、新たな意味が宿る。
主従の信頼と絆が込められ、二人にとっての真実の宝物となった。





☨☨☨☨☨☨☨





「咲夜、例の準備は」
「はい、できております。お嬢様」
永夜異変後、はじめての博愛会の集会。
異変後、なかなか開かれない集会に痺れを切らした伊吹萃香が、レミリアと紫をせっついて開かせた。
正直、レミリアは紫の胡散臭い顔をまだ見る気になれなかったが、集会開催の談判にきた萃香の話をきいているうちに、気が変わったのだ。

レミリアに直談判するため紅魔館を訪れた、伊吹萃香。
彼女も紫に負けず劣らず神出鬼没だ。
門も壁も扉も一切関係なしに、突然レミリアの居る応接間に現われた。
レミリアはその時の萃香の言葉を思い出す。



「紫はあの異変で霊夢に手の内見せすぎて、術の癖を盗まれたって嘆いていたよ。それに異変後、紫に対して霊夢のガードがますます固くなって。今ではグッズ集めるどころか、神社に近づくのも一苦労しているって」
萃香の言葉で、幾分溜飲を下げるレミリア。

「それに紫は、あんたにあのお宝渡したの、後悔しているみたい。なんとか取り戻せないかと頭を捻っているよ」
それはご愁傷様、完全で瀟洒な従者に預けたもの。
いくらスキマでもそう易々とは取り戻せまい。

「私もあれ、欲しいんだよね。集会にはまた新しいグッズ持っていくから」
そう言い残し、伊吹萃香は霧散して消えた。
胡散くさいスキマ妖怪に比べ、レミリアは萃香には好意を持っている。
同じ鬼の字がついた種族だからか、萃香の裏表の無い性格のせいか。
その萃香と紫が古くからの友人だというのだから、世の中わからない。



集会開始の定刻。
レミリアが用意した紅魔館の一室。

「こんにちは」
ニュウとスキマから紫が現われ。

「ちわーす」
疎から密になって萃香の姿が現われた。

「二人とも、たまには玄関から入ったらどうなの」
レミリアは溜息交じりに愚痴をこぼす。

「いやよ、疲れるから」
「そんなの面倒だよ」
異口同音に反対の声を上げる、紫と萃香。

「分かっていたけど、毎度のこと言っても無駄ね。それでは楽しい時間を過ごしましょう」
この言葉を合図に博愛会の不定例集会が始まった。



紫を前にしてもレミリアに目立った動揺はなかった。
無論、紫も同様である。
咲夜はホッと胸を撫で下ろす。
本音は兎も角、これくらいの腹芸ができなくては、強力な妖がひしめき合うこの狭い幻想郷では生きていけない。
レミリア達、三人の給仕をしつつ、時を止めては紅茶やお茶請けのため補充に厨房へ補充に走る。
例えこんな集会であっても、主のため全力を尽くす。
まさに完全で瀟洒な従者である。

咲夜は厨房から集会が行われている部屋へと続く廊下の角を曲がる。

ふと、眩暈に襲われる目を瞑る。

一瞬後、目を開けるとそこは畳敷きの大広間。
空間を弄ってあるのか、その果ては見えない。
振り返っても、もと来た廊下はどこにも見当たらなかった。

「結界に引っかかるかどうかは賭けだった」
広間の中には、策士の九尾。
八雲藍が待ち構えていた。

「ここは、迷い家のようね」
「ああ、そうだ」
咲夜の問いに藍が応じる。

「なぜこんなことを」
「今更だが、紫様がレミリアに渡したものに未練たらたらでな。仕方なく私が知恵を出した」
「つまり、あなたはあのさらしが目当てと」
「まあ、情けない話だが、そうなる」
すまなそうな藍に対して、いつの間にか取り出したナイフを構え、臨戦態勢を取る咲夜。

「どうだ、あれを咲夜殿が管理していることは分かっている。紫様でも手が出せない厄介な空間に隔離されているそうじゃないか。同じ従者のよしみ。黙って渡してくれないか」
「あなたが私だったら、どうする」
藍は肩をすくめる。

「紫様が大切になさっているもの。私にとってどんなに無意味なものでも、ただ渡すわけにいかない。お前もそうだろう」
十六夜咲夜と八雲藍。
幻想郷で、似たような我侭な主に仕える従者同士。
互いの考えは読めている。

しかし

「それは少し違うわね」
藍の答えを否定する咲夜。

「あれはお嬢様にとって大切なものであり、今は私にとってもかけがいの無いものになった。だから」
周囲の空間を埋め尽くさんばかりのナイフを展開する咲夜。
ナイフは命令を待つ猟犬よろしく、今にも襲いかからんばかりの勢いで九尾の妖獣に狙いを定め、咲夜の命令を待っている。

「それを奪うなら」
胸元からスペルカードを取り出だす。

「死ぬ気で来なさい、八雲藍」
弾幕戦が開始された。



博愛会の不定期集会も終盤。
霊夢の最新情報やお宝グッズも出尽くした頃。

「そういえば、あなたの従者、先ほどから姿が見えないけど」
八雲紫が仕掛けてきた。

「ほんとだ、どうしたのかな」
萃香もあたりをキョロキョロ見回す。
いつも万年酔っ払いの萃香だが、この集会の間だけはしらふである。
以前、あまりにもアルコール度数の高い萃香の呼気が自然発火し、お宝グッズを焦がしてから、本人の反省と周囲の要望により集会中の禁酒が実現した。
霊夢と酒、愛すべき二つのうちどちらを取るか。
本人にとっては苦渋の選択だったに違いない。

「まあ、紅茶もすっかり冷めてしまって。淹れたてのが飲みたかったけど。ほら、あなたの従者の淹れた紅茶、凄くおいしいじゃない」
レミリアへ遠慮気味に淹れたて紅茶を要求する紫。
「咲夜には別の用件を頼んでいるわ、紅茶を飲みたいなら少し待ってもらえるかしら」
ティーカップから冷めた紅茶を口にするレミリア。
冷めた紅茶など飲むのは何時以来か。
お茶の渋みが増し、少しも美味くなかった。

「ホント、じゃあ待たせてもらおうかしら。でも、ね」
「なにかしら」
「いえ、主の世話より優先すべき仕事が、従者にあるのかなと思って」
紫は扇子を広げ、口元を隠す。

「うちの藍なら何をしていても、私が呼び出せばすぐに駆けつけてくれるわ。ホント、なにが一番大事か分かっているのよね」
自慢げにいう紫。正確には藍の都合に関係なくスキマを使って呼びつけるだが、事実はどちらも大して変わりが無いので聞き流すレミリアと萃香。

「あ、もしかしたら、来たくても来られないような状況にいる。とか」
心配そうにレミリアを見る紫。

「事件、事故に巻き込まれた可能性も0じゃないわよね」
紫は心配、心配と何度も繰り返す。

「ねえ、よければ私が探してきましょうか。神隠しにでもあっていたら大変じゃない」
いかにも善意の申し出と言わんばかりの様子でレミリアへ聞いてくる紫。

「それでね、もし、あなたの従者を見つけて来たら。ちょっと私のお願いもきいて欲しいのよ」
レミリアは冷めた紅茶に写る自分の顔を見る。
小一時間ほど前から、咲夜の気配が屋敷から消えているのには気づいていたが、
八雲紫がここまで直接的に脅迫めいた事を起こすとは正直おどろいた。
紫はいかにも心配げな目でレミリアの返答を待っている。
扇子で隠された口元には、嫌らしい笑みが張り付いているに違いない。

レミリアは部屋の柱時計をみた。





☨☨☨☨☨☨☨





迷い家を出て小高い丘の上に立つ咲夜。
鬱蒼と茂る森の向こうに、紅魔館が見える
藍との弾幕戦に辛くも勝利した咲夜だったが、その代償をこっぴどく支払わされた。
あれ程までに胸元に仕込ませておいたスペルカードも、一枚も残すことなく全て使い果たし。時を操る力一秒分も残していない。
メイド服もボロボロ、肌についた傷も数えきれず。
使ったナイフも回収できないまま。
幸運なことに、迷い家を出た先は思いのほか館に近かった。
飛んでいけば館に着くのに5分とかかるまい。
懐中時計で時間を確認する。
もうじき、集会が終わる時間。
ホストである主の従者がいなくては、終わるものも終わるまい。
レミリアの面目丸つぶれである。
咲夜は空に浮き、一刻も早くと主のもとを目指す。



そして、今、咲夜は暗い森の木々の間を、周囲を窺いながら徒歩で進んでいる。



森の上を飛行中に何者かに襲われ、地面に叩きつけられた。
木々の枝がクッションとなり、致命傷にはいたらなかったが、それでも肋骨を痛めたらしい。息をするだけで痛みが襲う。
襲撃者がいると分かった今、スペルカード一枚無い状態で無防備に空を飛ぶのは危険すぎた。
森の中を移動する咲夜。徒歩での移動となると館まで30分はかかる。
万全からは程遠い咲夜のいまのコンディションではそれ以上。

右手の藪が揺れたかと思うや、咲夜のナイフが放たれる。
が、手ごたえはない。
襲撃者は姿を見せることなく、咲夜と同じ速度で移動している。
完全に気配を消すこともできるだろうに、藪を揺らし、枝を踏みつけ、わざと己が存在を示し咲夜の焦りと疲弊を誘っている。

突然、咲夜は歩みを止め、木に背を預け、目を閉じる。
全神経を研ぎ澄まし、周囲の様子を窺う。
立ち止まることで歩き回っていた時と違い、自身の気配に紛れ掴めなかった相手の位置が分かる。咲夜にプレッシャーに与えるため完全に気配を消さなかったことが仇となった。
十間先の茂みの中。
ナイフの数を確認する。
チャンスは三回。

大きく息を吸い込む。

両腕を大きく振りかぶり、茂みに機関銃よろしくナイフを一斉に投げつける。
堪らず藪から飛び出す襲撃者。
が、襲撃者は俊敏な影となり、そのまま両手にナイフを持つ咲夜目がけて疾走する。

一つ
右手のナイフを投げる。
影はそのままの速度で右に避け。

二つ
回避予測点に左手のナイフを投げる。
影は間一髪跳躍でかわし、そのまま咲夜の頭上へ。

三つ
両手に新たなナイフが握られ空中へ放たれる。
影は両手の爪で弾き、そのまま咲夜に躍りかかる。

そして

背中越しに回された右手。
死角からトリッキーな動きで放たれたナイフが、影の眉間に吸い込まれる。
完璧なフェイントにより放たれた必殺の一撃。

ガッ

襲撃者により地面へ押し倒される咲夜。
肩には獣の爪が食い込む。。
咲夜の芸術とも言える最後のナイフは、獣の反射神経により凌駕され防がれた。
受けた衝撃で瞑った目を開けると、鼻の先に襲撃者の顔がある
襲撃者は歯で食い止めた銀のナイフを吐き捨てる。

「藍さまにあんなことして、許さないよ、人間」
倒れた咲夜に馬乗りに覆いかぶさる。
凶兆の黒猫、橙の顔があった。

「藍との弾幕はきちんとルールに従ってやったもの、恨むのは筋が違うわ」
「うるさい」
肩の爪が深く食い込む。
橙は小柄とはいえ妖怪。
ナイフも使い果たした今の咲夜に、その手を振り払う術はなかった。

「たとえ、あなたが弾幕戦を挑んできても、私は受ける気はない」
「だまれ」
橙の目から理性が消え、獰猛な野生の光を宿す。

「橙、これは私闘よ。ルールを破ったことが知れたら、あなた巫女に狩られるわよ」
「うるさいウルサイ五月蝿い」
橙は咲夜を引きずり起こし、怒りに任せ投げと飛ばす。
まるでゴム鞠のように宙を舞い、咲夜は木に背中を強打し地面に崩れ落ちる。
そこで、咲夜の意識は途絶えた。
完全に動かなくなった咲夜をみる橙。

以前、春雪異変の際、橙を歯牙にもかけなかった咲夜。
霊夢や魔理沙と一緒だったとはいえ、藍や紫と互角戦い、それを打ち破った。
あの咲夜が目の前で動かなくなっている。

「ねえ」
木の根元に倒れ伏す咲夜に声をかける。
生きているか死んでいるかも分からない。

「ちょっと、ねえ、ねえ」
橙は歩み寄り、動かぬ咲夜に触れる。

“ルールを破ったことが知れたら、あなた巫女に狩られるわよ”

橙の脳裏に咲夜の言葉が繰り返された。

狩られる

巫女に  

私が

巡回から戻った迷い家で倒れていた藍を見つけ、怒りに任せて跡を追ってきた結末。
橙のなかで怒りが困惑に変わり、そして恐れになろうとしている。

「ねえ、ねえ、ねえ、起きてよ。ねえ」
橙は咲夜を揺すり続ける。



「あ~、あんまり揺すらないでください、咲夜さんホントに死んじゃいますよ」
なんの気配も感じなかった背後からいきなりの声にその場を飛びのく橙。
そこには、紅魔館の門番の、紅美鈴の姿があった。

「門番は酷いですよ、橙さん」
そういいながら、美鈴は手馴れた様子で咲夜を仰向けに寝かせると
彼女の胸に触れるか触れないかの位置に両の手のひらをかざす。

「どうやら、内臓に損傷は無いようです。打ち身や、擦り傷は多いですが。一番ひどいのは肋骨のヒビですね」
美鈴は体の気の流れから咲夜の状態を診る。

「そして、能力とスペルカードの無理な使用による、大量の気の消失。こんなに無理してはそのうち気どころか生命力も枯渇しますよ」
目を閉じ、呼吸を整えると両手から咲夜の体に気を送り込む。
次第に咲夜の呼気がはっきりし、頬に赤みが戻る。

「その人間、大丈夫」
「このくらいで死んでいては、紅魔館のメイド長は務まりませんよ」
美鈴は心配そうに遠巻きに聞いてくる橙に答える。

「さて、橙さん」
美鈴は咲夜の手当てを終え、橙と対峙する。

「橙さん、あなたの手から血の匂いがします」
「ら、藍さまに酷いことした。その人間は」
「つまり、あなたは藍さんの仇討ちのため、咲夜さんをこんな目にあわせたと」
「そうよ、だ、だからなによ」
橙には目の前にいるのが、あの門番とは信じられなかった。

「では、私が咲夜さんの仇であるあなたを討ったとしても、文句はないですね」
半身で足を広げ、左拳を胸まで上げ、右拳を腰に置き構える美鈴。

門の前で老人達と変な踊りを踊っている門番。
昼寝をメイド長に見つかって、ナイフを投げつけられる門番。
黒白の魔砲で吹き飛ぶ門番。

橙の知っている門番と、今、目の前にいるものの姿は結びつかない。

逃げろ

橙の本能は警告を発している。
だが、体が自分のものでないように重く、足に力が入らない。
頭の芯から熱くなるが、それでいて、どこかに冷めたようにこの場を見る自分がいる。



「もう、それくらいにしてくれないか美鈴殿」
木々の間から声がした。
暗がりから橙の主、八雲藍が姿を現す。
声もなくその場にへたり込む橙。

「藍さん、私、結構本気で怒っていますよ」
美鈴は構えを解かず、藍を睨む。
橙は、人と妖怪の間で交わした契約。
幻想郷唯一の法を破り、ただ、力に任せに咲夜を傷つけた。

「ああ、そうだろう。確かに橙が悪い」
藍は橙の頭を優しく撫でる。

「しかし、いたらぬ主を想いやったこと」
藍は橙の前に立つ。

「橙の犯した罪の責、主である私が全て負おう」
藍は先の弾幕戦の傷も癒えぬまま、橙を庇い自らを罰するようにと願い出た。

「……手加減はしませんよ」
「よろしくたのむ」
気を右の拳に込め、足場を踏み固める美鈴。

「ごめんなさい、私が悪いの、私が勝手にやったの、藍さまは悪くないの」
橙は藍の前に両手を広げて立つ。
その固く閉じた目から涙を流れている。

「橙……」
「……」
そんな藍と橙の姿を前に、美鈴は怒りと拳を出すことも収めることもできずいた。



「美鈴、止めなさい、これではあなたが悪役よ」
突然、咲夜の声が待ったをかける

「咲夜さん、大丈夫ですか」
今までの怒りはどこにいったのか、美鈴は咲夜の傍であたふたする。

「おかげさまで、かなり楽になったわ」
咲夜は起き上がると、服の汚れを手で払う。

「美鈴。仕事はどうしたの」
「それが、昼過ぎ、お嬢様が急に……」
美鈴はレミリアに夕方から夜半まで館警備の必要なし、と暇を出された。
たしかにレミリア、フランドールに加え、紫に萃香までそろっている今の紅魔館。
殴り込みをかけるものがいるとは思えない。
というより、ご愁傷様である。
晩飯に、兎や鳥でも捕まえようかと分け入った森の中。
そこで橙に襲われ、倒れた咲夜を見つけたのだ。

「咲夜殿、すまなかった。橙のしたことを許して欲しい」
「ご、ゴメンサイ……」
咲夜に頭を下げる、藍と橙。

「あら、私は許す気なんて、全然ないわよ」
「「「へ……」」」
笑顔で宣言するメイド長に間抜けな声を出す三人。

「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を倒す。橙、あなたがただの妖怪として人間である私を襲ったのなら、それは幻想郷の理のうち。でも、あなたは藍の仇として私を襲った」
咲夜の言葉に下を向く橙。

「藍の名前を出した以上、八雲一家を巻き込むことになるわ」
藍はしがみつく橙の肩に守るように手をやる。

「藍、あなたの言うとおり。下のおこした問題の責任は、上のものが取るものよ」
紅い目のメイド長が浮かべる笑みに、背筋を凍らせる妖怪達。

「美鈴、早く仕事に戻りなさい、もうすぐお嬢様の集会も終わるわ」
「イエス・マム」
直立不動で敬礼する門番。

「あなたたちも帰りなさい。この責任は上のものにキッチリとってもらいましょう」
咲夜は藍と橙に言い残し、時を止め忽然と姿を消した。

「アノ、ワタシ仕事ガアリマスノデ」
ぎこちない動きで立ち去る美鈴。

「橙」
「はい」
「帰るぞ」
「はい、藍さま」
藍はようやく戻った橙の笑顔に安心しながら、新たな問題に頭を悩ます。
その問題はすぐに顕在化するのだが……。
二人は迷い家への帰途についた。





☨☨☨☨☨☨☨





ボーン ボーン ボーン ……

柱時計が時を奏でる。

「紫、あなたの申し出はありがたいけど」
冷め切ったはずの紅茶の入ったレミリアのティーカップから、香気と湯気が立ち上る。

「その必要はないわ」
乱れていたテーブルの上のティーセットは整えられ、各々のティーカップは淹れたての紅茶で満たされている。

「お待たせいたしました、お嬢様」
「遅かったじゃない。紫がしきりにあなたのこと気にしていたわよ」
「そうですか、申し訳ございません」
咲夜は銀のナイフを思わせる鋭い眼光を紫に投げつける。
「紅茶をきらせてしまって。里まで行っていましたので。あと、途中、迷い家の藍さんに偶然会いまして……」
「紫、まさか、あんた」
萃香もマジマジと紫の顔を見る。

「いやね、みんな怖い顔して、ねえ」
紫は嫌な汗を流す。
嘘をつく、約束を破る、この二つは萃香の前ではタブーとなっている。
会の協定を破り、咲夜にした仕打ちが萃香にバレたら友人の紫といえどもタダではすまない。
レミリアと弾幕戦にでもなったら、萃香はそちらに手を貸すだろう。
大妖、八雲紫といえども、この二人を同時に相手するのは分が悪い。

「藍さんには大変お世話になり。是非お礼がしたいと言ったのですが遠慮されまして。
どうしてもというと、主の紫様へと……」
「アラ、ちょっと休養……、じゃ無かった、急用を思い出したみたい。今日は失礼させてもらうわ」
咲夜の話をさえぎり、紫は慌てた様子で自分のお宝グッズをかき集め、スキマに放り込み、そそくさと自身もその中に入り込む。
紅い目をしたメイド長のお礼など誰も受けたくないだろう。

「咲夜、紫があなたの紅茶をとっても飲みたがっていたわ」
「はい、お嬢様」

時は止まり

咲夜は手に取ったティーポットから、熱々の紅茶をスキマに注ぐ。

そして、時は動き出す

「キャァー、アツッ、ヤ~メ~テ~」
紫の悲鳴を残し、スキマが閉じられた。

「紫の奴、変だったけど、なにがあったの」
萃香は首をかしげる。

「あの妖怪が変なのは、いつものことですわ」
「そう、いつものことね」
さりげなく酷いことを言う紅魔館の主従コンビ。

「ふ~ん、ま、それもそうか。じゃあ今日はお開きだね」
バイバイと言い残し、伊吹萃香の姿は疎となり、紅魔館から消えた。

「咲夜」
「はい、お嬢様」
「よくやったわ」
「ありがとうございます」
主に一礼する従者。

咲夜は今日起こった出来事を振り返る。

偶然、藍の張った罠にはまり、迷い家で弾幕を張り。
偶然、外出中で、事情の分からない橙に襲われ。
偶然、暇を出された美鈴が通りがかり、森の中で助けられる。

あまりにも出来すぎた偶然の連続。

「お嬢さま」
「うん、紅茶は淹れたてが一番ね」

運命を操る程度の能力

その能力の保有者は、今、咲夜の目の前で優雅に紅茶を口にしている。

「それにしても、咲夜を見たときのスキマの顔ったらなかったわね」
取り澄ましたようでいて、どこか幼さが残る笑みを浮かべるレミリア。
久しぶりに見るレミリアの心からの笑顔に、問いただそうという気も失せ、咲夜の頬も自然に緩む。

「ねえ、咲夜」
「はい、お嬢様」

我侭で、傲慢で、それでいて愛らしい主の口から出る言葉に、
これからも完全で瀟洒な従者は応えていく。



夜に紅い月を欠くことがないように





























「藍さま、ここは」
「いたた、橙、もうすこし優しく」
「はい、藍さま」
迷い家に戻った藍は、頭から紅茶をかぶった紫に折檻された。
藍はうつぶせになり、橙にカッパ印の傷薬をつけてもらっている。
なお、受けた傷の割合は咲夜4に対し紫6である。

「藍さまかわいそう」
「なーに、こんなの神社の脱衣室に特攻をかけたときほどじゃないさ」
橙に心配かけまいと強がる藍。
しかし、その目尻には涙があった。

「藍さまが本気なら、あんなメイドやっつけられたのに」
憤慨する橙。

「それはどうかと思うぞ、今日のメイドなら紫様でも勝てたかどうか」
「え、そんなに強かったのですか」
藍の言葉に驚く橙。

「そうだ、人間っていうのは、護るべきものがあるときは実力以上の力を発揮する。今日のメイドがまさにそれだ」
「なるほど」
さすがは藍さまと相槌をうち、手桶の水を汲みに井戸へ走る橙。



「紫様は、私にメイドを倒せと命じられた」
藍は折檻が終わるなり不貞寝を決め込んだ主を思う。

「だが、紫様は式を打たなかった。彼女を倒せと」
いかに十六夜咲夜といえども、主の式を打たれた藍相手に弾幕を張れば、相打ちが精一杯。
事は紫の思惑通り進んでいただろうが……。

「まあ、そこがあの方のカワイイとこだけど」
クククッと独り笑う藍。

ガーン

藍は不意に天井から落ちてきた金タライに頭をしこたま打たれる。



「藍さま」
橙が水を汲み終え戻った部屋には、何故かいなり寿司を満載した金タライの横で、幸せそうに気を失っている藍の姿があった。


“壁に耳あり、障子にゆかりん”







二回目の投稿でございます。

永夜抄で自機に選ばれなかった紅魔組を書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。

最後まで読んでいただけたら幸いです。

東方に出会えた幸運と、幻想郷を愛する全ての人に深く感謝。
綾宮綾
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コメント



0.1190簡易評価
1.100☆月柳☆削除
シリアス展開なのに、いきなりのストレートなレミリア様に吹いたw
しかし、布切れ1枚でえらいことになってますね。
実は点数については、100点満点か、80~90点のどっちかでかなり迷いました。
難しいかもしれないけど、完全シリアス作品にしてたらどうなってたのかなぁって。
逆にギャグだけの作品にしてもどうなっていたか。
シリアス展開とギャグ展開の切り替わりと、ギャップが気になったからそう思いました。
だけど自分は素直になる。
この作品ダイスキさ。だから100点だ!!
3.無評価名前が無い程度の能力削除
>感が良い
 勘が良い
>伊吹翠香
 伊吹萃香な……
>翠つめる
 萃めるだよ
4.70名前が無い程度の能力削除
母性全開の咲夜さんが素敵。レミリアお嬢様もシリアスとギャグが半々で良い味出されてます。何だかんだで甘いゆかりん最高。
誤字らしきモノ
「本をただせば」→「元を正せば」
翠つめる→萃める
翠香→萃香
あと萃香の名前が「翠」ってなってる箇所が一つ
5.無評価綾宮綾削除
☆月柳☆さま
過分な評価いただき、ありがとうございます。違和感が残るのは構成力、表現力不足ゆえ。精進いたします。

ご指摘ありがとうございます。
誤字修正いたしました。萃香さまお許しください。

感想、ご指摘ありがとうございます。
誤字修正いたしました。ゆかりんはあれくらい懐が深いと思います。
6.70名前が無い程度の能力削除
最初はギャグなのに途中からシリアスになったww
「博愛会」と「霧雨隊」でふいた
7.70三文字削除
ゆかりん外道ww
というか、やってることは格好良いのに、その原因がさらしか
8.100名前が無い程度の能力削除
博愛会!そういうのもあるのか。
どちらの陣営も主従愛が溢れていて素晴らしい。温かいお話ですなぁ。
しかし…霊夢のさらしに涙を染込ませるんじゃない!感動のシーンのはずが吹いてしまったw
14.100煉獄削除
適度にシリアスとギャグを織り交ぜたお話、見事でした。
次回も期待しています!

誤字を見つけたので報告をば。
>橙の脳裏に咲矢の言葉が繰り返された。
咲夜が正しいですよね。誤字って自分では見つけにくいときがありますよね。
15.100てるる削除
シリアスかと思ってたら・・・・
「なんじゃこりゃあ!!」(いい意味で)



今度はぜひ霧雨隊の方の話を出してください!!