Coolier - 新生・東方創想話

時が止まる 時の始まり

2004/08/05 20:33:18
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 三日目の昼頃から何か胸が騒いだ。何が起こるのだろうか。

 この静けさ漂う山にいるとあの目まぐるしい日々が嘘のように感じられる。
私の親は私を売った、正確には私の能力を売った。時を止める能力。
何度も逃げ出した、でも逃げれば逃げるほど逃げ出したい状況は濃くなっていった。
そして辿り着いた山奥のホテルに私は居る。

 昼食の後四、五人ほどの客が、給仕の若者の運転するホテルのマイクロバスで山を降りて行った。
私はまだ昼食を終わっていなかった。窓の外をマイクロバスが通り過ぎるのを見送った。
彼らは帰るのだ、平地へ、町へ、生活の中へ―――と考えながら、それらのものがこの二日ほどの間に、
いかに自分の中から遠ざかったか、改めて気づく。本当に遠い。
 それに比べて湖がひどく身近に、ほとんど私自身の胸の中をひたひたと浸しているように感じられる。
今朝も水辺の枯れ木を眺めてきた。昨日は巨大な珊瑚を連想したが、今朝はもっと別のイメージが浮かんだ。
風雨に晒されてぶよぶよの肉質の部分が溶け消え、血管だけが残って硬化したような脳のように見えたのだった。
それは、ここに閉じこもって頭がおかしくなって死んだという老人の脳のようでもあり、
未来の私の脳のようでもあった。自分が自分の脳を眺めている、という想像はおかしかった。
湖の中で私の脳が石化してゆく・・・・・・。

 不意に声がした。

「あなたは帰らないの?」

 投げやりめいた声。あの少女の声だ。

 振り向くと隣のテーブルに、少女が座っていた。昨夜のバーは薄暗くて顔まで良く見えなかったが、
いま明るい光の中で見返すと、言動から想像したほど大人ではなかった。
青みがかった銀髪、背は私よりかなり低い。十五歳辺りだろうか。

「もう二、三日居るつもりよ」

 少女の顔から視線を外しながら、わざと素気なく答えた。もう生き物とは関わりたくない。

「雪になるまで?」

「そのつもりよ」

「天気予報だとあと三、四日あるそうね。私はもっと残るわ」

 挑むような口調でぐいと顔を上げて、少女はそう言った。

 それが私に何の関係があるんだと思った。窓ガラスに大きなハエが一匹さっきから飛び回っている。
幾度も窓ガラスにぶつかっている。窓を開いて逃がしてやった。

「あら、やさしいのね」

 今度は感情をこめた言い方だった。

「別に」

 とだけ答えた。ハエはもう何処に飛び去ったか見えない。それぞれ帰るべき所に帰ればいいのだ。

「あなた、昨日も今朝も長いこと湖を眺めてたでしょう」

 少女は話題を変えた。

「他に何か眺めるものがありますか、ここに?」

「湖でなくてあの白い変な木を眺めてたんでしょう?」

「いえ、湖を見てただけですよ」

「私は知ってるわよ」

 私は立ち上がりかけた。少女も立ち上がった。そしていきなり顔を寄せて囁いた。

「あなた、湖に入るつもりなのね」

 私は振り向きもしないで食堂を出た。背後で少女が声を立てて笑うのが聞こえた。

「これも運命よね」








 図書室に行って画集でも眺めようかと思ったが、気が進まなかった。
ベッドに横になって高い天井を見上げていた。気持ちが乱れている。
落ち着こうと試みたが、上手くゆかない。起き上がって窓から湖を眺めた。
光線が真上近くからのとき湖の水は一番無色になる。
無色ということは色が無いという事ではなく、底の色がそのまま浮き出しているように見えることだ。
つまり最も暗く陰々たる色だ。
 水面がかすかに波立っていた。午前中は全然風など無かったのに。
見ているうちに湖面のざわめきは強くなるようだった。まるで私の不安と同調するように。
いや逆だ。天気が大きく変わりかけている。それで、私の心が乱れているのだ。
 タクシーの運転手が繰り返し言った言葉を思い出す。三日たったら雪になると。
やはり天気予報より彼の方が正しかったわけだ。一瞬山を降りるなら今だ、という思いが心をよぎった。
あの運転手を呼べば一時間後には来てくれるだろう。今降りなければもう二度と降りないだろう。
 自分では静かに、還るべきところに還る気持ちになり切っていたつもりなのに、
急にかすかな割れ目から噴き出したような怯えにたじろいだ。
私の心の動揺につれて、湖面に波頭が走ってゆく。
 玄関前の芝生を走ってゆく人影が見えた。髪をなびかせて。あの少女だった。
あの少女も天候の変化に気付いたのだろう。あの少女もきっかけを、はずみを探しているに違いない。
ひどい孤独感だ。
 部屋を出た。階段を一歩ずつ降りた。ホールを横切ろうとして思わず立ち止まる。
フロントデスクの端に電話機が見える。あれをかければ、執行猶予にする事ができる。

「何でしょうか」

 支配人が落ち着き払った声をかけた。一瞬振り向く。

 だが首を振っただけで、私は玄関に向かった。
外に出ると確かにぞくっとする風が吹き始めていたが、日ざしはかげっていなかった。
糸杉の尖った頂が右に左に光ながら揺れていた。少女の姿は無かった。
 芝生を走った。少女が走っていった方角に芝生の端まで行って見回したが、黒い影は何処にも見えないのだった。
まさかあのまま湖の中まで走りこむはずは無いと思いながら、水際をずっと左右に辿ってみたが、
水面に浮いたものは何も無かった。まるで、湖の底へ吸い込まれていったように。
この湖は別の世界へ通じる門のように思えた、私を私として欲してくれる世界。
波が水際の岩を打っていた。波頭は白く見え始めていた。風が冷たい。
 窓から見たのは幻影だったのか。小柄な糸杉の木の揺れるのが、少女が走る姿に見えたのだろうか。
そう思い返してみると、少女を見たと思ったのは一瞬だけの事で、次第に自信が無くなってくるのだった。
決心のつかない少女が私に誘いをかけたのではなく、私の心の怯えが少女の幻影を誘い出したのかもしれなかった。
それでも水際を何百メートルも歩き、また芝生に戻って糸杉の木陰をのぞいて歩いた。
 少女の姿は何処にも無かった。玄関を入ると支配人がさっきと同じ調子で尋ねた。

「何か変わった事でも?」

 私も首を振っただけで部屋に上がった。






 やはり日が落ちるとともに雪になった。白いものが窓の外をチラつき始めたかと思うと、
たちまち窓の外は一面、白い渦巻きになった。
窓の前に立って、同じように濃くなる夕闇と雪とを、私はじっと眺め続けた。
 そのうちに騒いでいた気分も鎮まってきた。
来るべきものが来たという気持ちが、降り積もる雪のように心の中に沈み込んでくるのがわかる。
 日暮れ前にフロントから電話がかかってきて、雪が予報よりも早く降ったので、
明朝送りのマイクロバスを出す、予約は今夜までで打ち切りにして欲しい、と支配人が事務的な口調で言った。
「もっと滞在したい場合は?」という質問には「来年雪解けまで四か月分の宿泊費を前払いにしていただきます」との答えだった。
 そんな大金は勿論無かった。ということは今夜しかないという事だった。
この三日間、ひそかにこの機会を待っていた気がする。いやそういう機会が準備されている事を信じていたように思う。
誰の手によって、かは知らない。もうこれ以上伸ばせないタイミングと、雪という舞台装置と。
最良の条件としては雪が深々と積もったうえに夜空が晴れ上がって満月が照らしてくれる事だったが、
それは願いすぎというものであろう。
 いまになって整理すべきものは無かった。持ち金を全部、机の上に置いた。
遺書は前から書くつもりは無かった。書きたい相手も無かったし、私の思いを受け止めてくれる人などいなかった。
ここに閉じこもった老人と同じように、頭がおかしくなったのだと考えてくれればいい。
そう思いながら、けさのあの白い奇怪な枯木を、老人の脳のようにも私自身の脳のようにも考えた事を思い出した。
 夕食には降りなかった。下着まで洗濯したものに着替えてから、窓際に肘掛け椅子を持ってきて降りしきる雪を眺めた。
意外に思い出すことは無かった。思念は過ぎ去った事よりもむしろ前方に引き寄せられているようだった。
水中の白い枯木のイメージが次第にはっきりと、眼前に見えるように浮かんでくる。
そして想像の中の枝々に雪が次第に降りかかってゆくのだった。
 十二時になるのを見て、私は部屋を出た。食堂もホールも灯は消えて、階段と玄関の灯がからっぽのホールにさし込んでいる。
だがホールを通り過ぎようとしたとき、フロントに明かりがついて、「いま時分、どちらへ?」と支配人の声がした。

「雪を見に」

とだけ私は答えた。
支配人は正装のままフロントから出てきて、玄関の鍵を開けた。

 玄関の扉を開けると雪が舞い込んだ。

「ではごゆっくり」

 支配人は私の顔を見つめて言った。

「すぐ戻ります」

 私も相手の目を見返して答えた。表情と同じように感情の無い魚のような目だった。
この老人は何もかも知っている、と思った。
知ってはいながら止めないどころか、丁寧に送り出しているみたいだ。
 芝生は一面真っ白になり、糸杉も雪の尖塔になっていた。歩くあとから雪は足跡を吹き消した。
岸に降りると暗い湖面に粉雪があとからあとから舞い降りて消えてゆく。まわりの岩山を見上げたが見えなかった。
 水際から五メートルほど離れて水中に立ったあの木だけは、雪明りの中に白々と浮き出して立っていた。
想像したとおりだった。
朝見たよりはるかに幹は太く枝は張り、肌は燐光を放つように輝いている。
底知れぬ湖の中に、それは湖の暗い底深くから生えでたように陰々と立っているのだ。
 水はすぐに靴からしみこんだが、それほど冷たいとは感じなかった。私は一歩ずつゆっくりと木に向かって歩いた。
近づくにつれて木は湖の奥へと遠ざかりながら私を誘うようだ。水面が膝から下腹へと深まって、快くしびれてくる。
雪が顔中に張り付いて視野が霞んでくるが、白い木の姿だけはますますはっきりと見えてくる。
視野いっぱいに広がってきらめいてくる。まるで自分自身で光るように。







































「ようこそ、幻想郷へ」

 あの銀髪の少女がそこに立っていた。










































 あれから何年経っただろうか、いやもう私には時間なんて関係ない。
目の前の侵入者へ向かって言葉を放つ。

「全ての時間は私のもの・・・・・・もちろん、あなたの時間も!!」



ほら、反面教師は数人居た方がいいでしょ?
修くりーむ
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コメント



0.440簡易評価
7.無評価名前で呼ばないで下さい削除
それなりに良いのではなかろうかと

冗長さをさほど感じなかったので読みやすく感じた。
情景描写とかは分量がそこそこながら、イメージしやすいものだった。
(先入観と老人云々の描写からホテルというよりも山中の療養所のイメージを抱きはしたが)
最後の段落は個人的に帯に短し襷に長しという印象。

しかし、反面教師を名乗るならば些か中途半端かと。
何か自分の創作物と断言できない理由があるのならば兎も角。