Coolier - 新生・東方創想話

早苗さん、陸の河童に会いに行く

2008/02/23 09:32:53
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 山の頂から天狗の領分を滝の流れに沿って下り、更に下流へと向かうと、やがて河童の領分がその姿を表し始める。
 彼らの大半は川辺に住み、木と草で編まれた風通しの良い庵を構え、川の清冽な流れに身を浸しながら日々を暮らしている。実際、遠目からでも僅かだが彼らの集落とその涼しげな暮らし――真冬だというのにごく薄手の布だけ纏い、平然と川を泳いでいる様子はほとんど寒々しいくらいだ――を垣間見ることができた。だが今日、東風谷早苗が訪れるのは河童といっても彼らではない。
 実はあまり知られていないことであるが、河童の中には時折、人や天狗のように、乾いた場所に庵を構えるものが存在する。早苗がこれから訪れようとしているのは、正にそのような稀河童の庵であった。
「話に聞いたところだと、この辺りのはずですが……」
 場所は川も中流に差し掛かった辺り、奇矯な形の庵に住んでいて、だから遠目でもすぐに分かるだろう――その河童のことを教えてくれた白狼天狗の老人はそんなことを言っていたが、本当だろうか。彼の言葉を信じて高所から俯瞰しているのだが、今のところそのようなものは見つからない。もしかしたら、奇矯であるというのは天狗からしてみればの話であって、人間である自分にはごく真っ当な代物に思えるのかもしれない。
 ここ幻想郷では兎角、あらゆる物怪が飛び交い、しかも互いにその価値観を違わせてやまない。十分にありえることだ。もう少し高度を落とし、辺りを精査する必要があるのではないだろうか。そう不安に感じ始めたときだった。
 わたしは一瞬、それが何だか分からなかった。しかしじっと目を凝らすと、早苗がこれまで写真や映画でしか見たことのない、海上別荘のような形の庵が見えてきた。その傍らには巨大な水車が、蝸牛の殻のようにくっついている。そしてそれがとみに風変わりなのは、水も何もない草原の上にぽつりと建っていることであった。早苗は辛うじて、歴史の授業で習った高床式倉庫のことを思い出したけれど、あれよりは近代的で造りもしっかりとしている。この建物がもし水上にあったならば独特の風情を醸し出しただろうが、実際のところは周りの茶煤けた草の絨毯やぽつぽつと立っている裸の木などの侘しさと、悲しいまでの不協和音を奏でていた。
「確かにこれは奇矯と言わずして況や、といったところですね」
 どうやら人間であれ河童であれ、発明家というのは独特であるらしい。一抹の不安を覚えながらも、早苗は庵の玄関と思しき場所に着陸する。幸いにして入口は真っ当な木扉で、その上に立て付けてある看板には――。
 
『河城にとりの絡繰工房』
 
 そんな文句が庵の奇矯さと相反する、大胆にも整った字体で書かれていた。
 一体、このような所に住み、このような文字を書く河童とはどのようなものなのだろうか。そんなことを考えながらドアをノックしようとすると、その脇に何やらボタンのようなものがついていた。御用のある方はここを押してくださいと書いてある。どうやら呼び鈴らしかった。
 早苗にとってはごく当たり前の存在であるが、各家庭に電気の普及していない幻想郷では当然のことながら、このような仕掛けは見かけない。俄かな興味も手伝い、早苗は左程思慮することなく、ボタンを押してみる。
 すると早苗の良く知ったドアチャイムではなく、戦後間もない時代のドラマなどでよくある、やや不躾なじいっじいっという音が辺りに響く。しかし古風であれ、この機構はきちんと生きているし、また働いてもいるのだ。久方ぶりに味わう文明の薫りに、早苗の心はほんの僅か、残してきた故郷に想いが移る。みんな、わたしと同じよう、元気でやっているだろうか。
 そんな郷愁も、不意に聞こえてきた重たい物音にかき消されてしまう。遥か遠方で響く雷のような、あるいは重い球体のようなものでも転がっているような……それは少しずつ奥のほうへ遠ざかっていき、やがてごとんと一際大きな音を立て、どこかに落ちた。それと同時、大量の水を一気に注いだ際に立つ破裂のように大きな音が、次いで可愛らしい悲鳴が家全体に響いた。
 只事ではないとドアノブを捻るも、かっきりと錠がかかっていてびくともしない。少し手荒な方法で押し入ろうか――そう思い、具体的な算段まで粗方整ったところで、バタバタした足音が庵の中から聞こえ始めた。どうやら致命的な事態ではないようだったが、とまれ状況を推し量るに、こちらから急かすような行動は得策でないと思い、早苗は気長に待つこととした。
 数分後、ドアがばねのように開かれ、青のワンピースに緑のフェルト帽を被った少女が飛び出してきた。彼女は手で帽子を抑え、小さく会釈をしながらこちらを窺ってきた。
「いらっしゃいませ、こちら河城にとりの……っと、いけない」
 少女は目を細め、それから大きな瞳をぱちぱちと何度か瞬かせる。すると妖力がうっすらと瞳に集い、僅かに湿り気を帯びていく。改めて早苗の顔を見やる少女の顔は、今度は一転、驚きに彩られる。
「貴女は確か、諏訪大社の巫女様じゃないですか?」
 直接の面識はないにも関わらず、目の前の少女はすぐに早苗の正体を察したようだった。それにしても、様付けされるのはかつて一介の女子高生であった早苗にはやはり面映い。慣れなければいけないのだろうけれど。そう心の中で独りごちると、早苗はせめてもの威厳を込め、重々しく頷く。
「それにしても、巫女様が一体どのような用件でこちらへ? そもそも、わざわざ訊ねて来られなくても、呼びつければわたしの方から参上したのですけどね」
「いえ、いくらなんでもそんな面倒、かけさせられませんよ。それに今回はごくちょっとした私用ですしね」
「そうですか……いえ、別に託けて神様の湖の泳ぎ心地を確かめたかったなあ、残念だなあとか、そんなことは考えてませんよ?」
 少女の瞳は明らかな期待の色を帯びていたが、早苗は迷った末に受け流し、話の続きを促した。
「まあ冗談はさておきまして、どのような用向きでしょうか。僭越ながらこの河城にとり、この辺りの河童の中でも、絡繰にかけては一家言ありと自負するものでして。多少の無理を要する依頼であっても、胡瓜の数によっては如何様にもごろうじろうといったところですよ」
 大仰でいてどこか致命的に誤りのある口上が、この上なく頼りないのだが、しかし彼女――河城にとりは、天狗の老人が教えた名前でもある。こんな若い少女がと早苗は最初思ったが、しかしここ幻想郷において容姿と実力に何ら関係のないことは既にこの身で散々体験済みだった。
 ささと勧める河童少女の軽快な案内も推して、早苗は地上の水車が鎮座する庵へと足を踏み入れたのだった。
 
 発明家の庵ということで相当の乱雑さを想定していたのだが、通された応接間は調度品が趣き良く配置された普通の部屋だった。歩くと結構な弾力のある木張りの床は少し心許ないけれど、机も椅子もよく手入れされていたので、強度上の疑いはすぐに立ち消えた。
 少しすると、にとりがまるで綱渡りでもするかのような慎重さで、白気の立つ湯飲みを乗せた盆を持ってきた。やはり河童だから、熱湯は苦手なのかしらん。そんなことを考えながら、早苗は礼を言って湯飲みを受け取り、一口含んで喉を潤す。いかな風の巫女と言えど、寒風吹きすさぶ真冬に長い間空を駆けていれば、身も少しは冷たくなっている。有難さが身に染み、もう何口か啜っていると、にとりの怖れを含んだ視線がやけに痛いことに気付いた。
「あの、出しておいて何ですが、そんなに熱い茶を飲んで、口や喉は大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。河童はこういうの、駄目なんですか?」
 早苗のいた世界にも、河童に関する伝承は割と多く残っている。胡瓜が好物であるとか、川で泳いでいると引きずり込まれて尻子玉を抜かれるとか、相撲が強いとか。だが当然ながらそれは物語のことであり、その一挙手一投足にまでは焦点を当てられていない。予想できることはあるのだけれど、分からないことのほうが多いのは当然であった。
「もちろんです。湯はもちろんのこと、温かい料理だって余程のことがない限りは。一時的に火を通すというのは分かりますけど、それだって調理や灰汁抜きのためであって、最後はちゃんと冷やして頂きます」
「成程、徹底してるんですね。じゃあ、お風呂などはどうするんですか? やはり、沸かさないんですか?」
 それとなく訊ねたことはしかし、にとりの堪忍袋の緒にさらりと触れたようであった。まるで政治演説をぶつ代議士のように、早苗のほうに身を乗り出してきた。
「それはもう、言語道断というものですよっ。どうして冷たく透徹な水に身を浸す心地良さを捨て、中途半端に暖めた、ねばねばなぬるま湯になんて浸かろうとするのか。わたしには全く理解できません!」
 早苗にしてみれば、こんな真冬に冷水浴などまるで考えられないのだけれど、ここで関係ない議論に、過度に脱線することもないだろう。そう思い、早苗はさもありなんとばかりに頷く。
「と、すいません。先程から話を脱線してばかりですね。今日は用事があってここまで来たというのに」
「いえ、特に急ぎの用事はありませんし、話が弾むというのは嫌いではありませんから」
 そう言って早苗は昨日に訪れた、紅の吸血鬼館での出来事を思い出す。あそこの女主人と来たら、布教に来たと知った途端、神の押し売りをする奴は皆気に入らないといって、物騒なナイフ使いのハウスメイドを容赦なくけしかけて来たのだった。
 そこまで酷くはないにしても、話すらまともに通じることが少なく、しかも新参者であるためか、あちらこちらから弾幕ごっこを挑まれたりもする。平穏な暮らしを怠惰に享受してきた身としては、例え種としての相がずれていても、会話が交わせるだけでありがたかった。
 それに、異種族との交流というのは早苗の密かな憧れでもあった。人ならぬ力を持つゆえ、昔から東西を問わずファンタジーに、ひいては科学と別の力が遍く異界や、それらを行使する異種族にこそ、強く共感を覚えていたからだ。
 とはいえ、現代ファンタジーのあれこれを、準備なくこの世界の人間に語っても戸惑わせるだけだし、どことなく気を遣わせているようでもある。これはこちらから早めに用件を話すべきだろうと思い、懐に持っていたものを取り出し、机の上に置いた。
「これは、眼鏡入れですね。ふむふむ……」
 にとりはケースを空け、中から眼鏡を取り出すとすぐ、どこか慌てた様子で早苗につきつけてきた。
「こ、これは……縁がついてないじゃないですか。それなのに脆くもなし、しかもこのレンズの薄さときたら!」
 眼鏡を頭上に掲げ、片目を瞑ったり開いたりして、レンズの出来栄えを調べるにとりの顔には、発明家らしい熱がこもっていた。
「それでいてこの屈折率、なんという代物。これはさぞ名だたる匠の技と見受けましたが?」
 眼鏡量販店で投売りされていたのを、あまり考えず買いました――などとはとても言えそうのない雰囲気で、早苗は自分のせいではないというのに申し訳なさが胸にたって仕方がない。
「まさかあちらの世界に残った河童の中に、それほどの業師がいたとは不明の至りです」
「あ、いえ……一応、人間が作ったものなんですけど」
 もっともその大半は機械加工なのだろうけれど、機械を人の業というのであれば、誤ってはいないだろう。そんなことをつらつらと考えながら何気に言ったことがしかし、河童の少女を更なる驚愕に陥れたらしい。しかし何度か瞳をぱちくりされるとそのような相は吹き飛び、ついで乾いた笑い声を立てた。
「あはは、嫌ですねえ。諏訪の巫女様って真面目な方かと思っていたのですが、案外と冗談が上手いんですねえ。ほんのちょっぴり、本気にしかけちゃいましたよ」
 いや、本当なんですけど……早苗は一瞬そう言いかけたが、さすると彼女はショックのあまり、自分の殻なり研究室に閉じこもってしまいそうだった。
「それとももしかして、蓬莱人とか、崑崙人とか、その類ですか? 彼らは神仙と左程変わりがないから、だとしたら納得できるんですけど」
 十二国記だと前者は日本人、後者は中国人を指すのだが……彼女の言いたいのは封神演技に出てくるような宝具と仙力を持つ超越者たちのことなのだろう。生憎早苗はあちらの世界で、そのような存在と知り合いになることはなかった。それどころか神奈子やいくつかの神的存在を除けば、早苗は人以上の力を持つ知的種族と出会うこと、甚だ叶わなかった。
 だからこそ早苗は故郷を振り切ってまで、こちらまでやって来たのだ。もっともそれだけが理由ではないのだけれど。
「しかし誠に遺憾ですが、どちらにしろこの眼鏡のレンズを調節して度を直すのは、わたしには無理ですね。えっと、巫女様は……」
「ああ、別に畏まらなくても良いですよ。普通に、早苗と呼んで下さい」
「ふむり……ま、不敬に問われないならわたしは気にしませんけどね。それに実を言うと、誰かを様と読ぶのにはどうも慣れていなかったりするんですよ」
「そうですね。わたしも巫女として働くことを決意するまでは、普通の人間と同じ暮らしをしていましたから。様と呼ばれるのには慣れていません」
「では、遠慮なく……えっと、早苗さんの眼鏡、度が合わなくなったんですか?」
「ええ、もっとも日常生活には支障ありませんし、戦いの時など霊力を体に通しっ放しで五感が増幅されていますから、これも問題ないんです。ただ、読書など細かい字を追うのに少し、裸眼だと疲れることがありまして、そういう時に着用してるんです。それで最近……一ヶ月ほど前からなんですが、眼鏡をかけてもピントが合わずぼやけるようになってしまったんです」
「早苗さんは、読書はするほうなんですか?」
「ここに来てからは減りましたけどね。先の出来事で知り合った人たちに、少しばかり貸してもらって読むことはあります。実を言うとわたし、恥ずかしながら活字が身近にないとどうも落ち着かないみたいで……」
 あちらの世界では本屋でも図書館でも、気が向けば浴びるように本を読むことができた。しかし原始的な印刷機すらも稀少、写本頼みの小部数流通のためか、幻想郷ではことの他、本が貴重で高価だ。殊に魔法使いの間では、どれだけ珍しい蔵書を数多く所持しているかが、一種のステータスになるくらいで、大した覚悟もない読書家が安楽に本を嗜むのは難しい。これもまた、悩みの種の一つなのだ。
 そんな考えが、表情にでも浮かんでいたのだろうか。にとりは訳知り顔で何度か頷き、それから言った。
「それでしたらわたし、蔵書に富んだ方を何人か知っていますし、実を言うと物語の類を収集している魔法使いに一人、心当たりがあるんです。宜しければ紹介しましょうか?」
 存外の申し出に、早苗は思わず期待の視線を彼女に寄せる。
「良いんですか?」
「ええ、その方は昔からうちのレンズで作った眼鏡を高く評価してくれていますし、わたしが話をすれば少しくらいの便宜なら図って貰えると思います。ちなみにその人、とても大きな図書館持ちですよ」
 図書館、しなやかな紙の手触りに、ほんのりと甘い古書の香り……想像するだけで早苗は気持ちが逸りそうになる。
「で、その人はやはり魔法使いさんなんですか?」
「ええ、紅魔館の地下に住まわれている方で、名前をパ……」
「それはちょっと勘弁してください」
 先日、その館主に問答無用で襲われたことなどを、早苗はかいつまんで説明する。
「ぬ、そういう経緯があるのでしたら難しいですねえ。まあ、吸血鬼と言えばかつてその故郷で、神の眷属たちに散々追い回され、迫害された経験がありますからねえ。同じ神の眷属である早苗さんに嫌悪感を示すのは理解できます」
「それは、確かに……」
 早苗の読んだ本の中でも、吸血鬼はしばしば、恐怖の対象であると同時に迫害される対象でもある。小野不由美の代表作である屍鬼では、過疎村に蔓延る吸血鬼もさることながら、その正体を知った人間が流行り病のように狩り立てて行く後半部分がとても怖ろしいものであったのをよく覚えている。
「でも、一神教の神と多神教の神は全く別物ですよ。神奈子様は八百万の中でも相当に高い神格を有していますが、しかし万物全てを統べて足るなどと、そのように傲慢ではありません」
「まあ、その辺は地道に誤解を解いていくしかないんでしょうね。もし上手く行ったら、その時は改めてわたしのほうから打診してみるということで」
 そんなにとりの結論に、早苗は分かっていてもうんざりとする。兎角、ファンタジーのように上手くはいかないものなのだ。あるいは、相手の種族を知り、対話と理解によって関係性を構築していくという点において、サイエンスフィクションのサードコンタクトものにこそ、今の状況は近いのかもしれない。生憎、早苗はそちらのほうは不得手だった。だからこそ、自分は上手く行かないのかもしれない。
 そんな自省に浸っていると、にとりが今度は申し訳なさそうに項垂れる。
「すいません、力になれそうもなくて」
「いえ、我侭な期待をしたのはわたしのほうですし、気にしないで下さい」
 しかし言に反して気まずい沈黙が降り、その静けさの中で再び、話が大幅に脱線していると気付く。早苗は気分を切り替えるため、少し覚めたお茶で喉を潤し、改めて訊ねた。
「それで、新しい眼鏡のほうなんですが、どうなんでしょう?」
「あ、そうですね。えっと、今日こちらで軽く視力測定をして、もし丁度合うレンズがあればあとは二日、三日の仕事です。もしなければ、現在の視力に合わせて度の違う数対のレンズを鍛造します。この過程を踏むと十日から二週間はかかりますね。まあ、どのみち早苗さんの住んでいる社までお届けしますよ」
 うずうずとした期待感を表しているところからするに、託けて諏訪の湖で思う存分、泳いでみたいということなのだろう。別にそれが悪いわけでもなし、神奈子様はそのように些細な戯れなど意も介さぬだろう。何しろ戦後数十年、排水や外来魚で汚染されるままにされながら、人間ってこういうものだからしょうがないの一言でさらりと流したのだから。
 もっともこちらへ渡る最中、神奈子様は託けて物質界の汚れを振り払ったらしく、今では透徹とした面持ちを復活させている。だから目の前にいる河童の少女が失望することはないだろう。
「では、お願いしますね」
 そう言うと、にとりは天真爛漫な少女のように笑顔を綻ばせる。今日は何だか久々に平和だなあと、早苗はしみじみ思った。
 
 お茶を飲み終えたところで、早苗は奥の部屋に通された。そこは応接室と違い、重厚な作業机を中心に、のこぎりややすり、ペンチといった作業道具が所狭しと並ぶ、正に工房というに相応しい雰囲気を備えていた。
「ここでレンズの切り出しや研磨、フレームの成型などを行っています。まあ、わたしの仕事はこれだけじゃないんですけど、やはり眼鏡を中心としたレンズ関係の依頼が一番多いですから、そのための道具が多くなってしまいますね」
 早苗は、もしこちらに来なかったら通うことになっていたであろう大学の研究室などが、こんな感じであったのだろうかと、そんなことを思う。
「にとりさんは、レンズ関係が得意なんですか?」
「得意というか、そりゃ河童ですからね……と、早苗さんはまだこちらに来て日が浅いから、河童についてもあまり詳しくないのでしたよね」
 こくりと頷くと、にとりは自分の顔を意味ありげに指差した。
「ちょっと、わたしの瞳を見てください」
 言われ、早苗はそうっと河童の少女に顔を近づける。念のため、お腹とお尻にはきゅっと力を入れて。もしかしたら尻子玉を取られるかもしれないと思ったからだ。しかしそのような悪戯はなく、警戒心が俄かにほどけてくると、その中心が水面のように潤んでいるのが見て取れた。集中すると、僅かではあるが妖力が働いていると分かる。
「河童は水も陸も自在に移動できるのですが、こと目に関しては水の中にいるときよく見えるような仕組みになっているんですね。だから地上での河童は目がとても悪いわけでして」
 にとりの説明を聞いて、早苗は陸に上がった海豚の視力がコンマ一以下であると本で読んだことを思い出した。のみならず水陸両用の生物は、陸中では目が悪いのだとも。
「で、陸の上でも水中のような見え方ができればと、考え出されたのが、瞳に妖力のこもった水の膜を張るというものです。これを水眼と言うのですが、この能力がゆえ、河童の中には光の屈折に敏感なものが多いわけです。幸い、わたしは河童一倍にその感覚が強く、だからこうして単独で工房も構えられるのだということです。まあ、それよりも眼鏡をかける習慣のある数少ない種族である、天狗の傍らに居を構えているからというのも大きいんでしょうけどね」
「なるほど……そう言えば、鼻に引っかける型の眼鏡を天狗眼鏡と言いますものね」
 そしてこの工房を紹介してくれた天狗も、同様の眼鏡をかけていた。
「まあ、とまれ河童印のレンズと言えば、広く名声を得ているのです。最近だと眼鏡のみならず天狗印の最新式写真機の一部にも、わたしの鍛造したレンズが使われているのです」
「そう、ですか……」早苗はここに来て間もない頃、その天狗印の最新式写真機で、酒に酔ったあられもない姿を撮られたことがあり、その天狗の瓦版によって遍くばら撒かれてしまったのだ。肩と脚がはだけていて、胸元も乱れてて……思い出すにも涙が出るような出来事だったのだが。「そう言えばにとりさんって、一度も会ったことがないのに、わたしの顔、はっきりと分かっていたようでしたよね。それってもしかしたら……」
「ああ、はい。良く撮れているなあと、レンズを作った自分を自分で褒めてやりたい気になりましたね。それにしても、巫女というのは華奢そうでいて、肩も脚も引き締まっているのですねえ。道理で以前、博麗の巫女と競り合ったとき、やられてしまったわけです」
「あ、ありがとうございます」
 苦い表情と、いまここで思う存分風の力を放出して暴れ出したいという気持ちを必死で抑え、早苗は硬い微笑とともに小さく頭を下げる。
「おっと、また話が逸れてしまいました。では、早苗さんの現在の視力を計りましょう。奥の壁に検査板があるでしょう? それを定位置に立ち、上の大きな文字から下の小さな文字まで順に読んでもらい、どこまで見えるかで度合いを調べるんです」
 検査のやり方については、どうやら双方の世界でそこまでの差はないらしい。見るとその検査板は測定に普通の平仮名を使っているようだった。どこか一方だけに穴の空いたお馴染みの形ではないらしいが、左程ぶれはないのだろう。早苗はそう結論付け、それからにとりが立つように言った所まで移動する。
「では、これから文字を棒で示しますから、目に力を入れたり細めたりせず読んでください。ここで見栄を張っても、後で困るだけですからね」
 まるで目が悪くなったことを恥ずかしがっている子供に言い聞かせるような口調だった。
「そんなことはしませんから、大丈夫ですよ。もしかして以前、そういうことをする子供がいたんですか?」
「ええ。まあ子供というか……あれですね、年を取った天狗というのは驚くくらいに皆、自分の体が衰えているとはみなさないものなんですよ」これまで明朗だったにとりの顔が、苦い思い出を呼び起こされたのか、しかめっ面になる。「すいません、早苗さんのこと、偏屈な天狗たちと同じように考えてしまったようです」
「いえ、別にそれは構いませんよ。現にあちらの世界で視力を測ることになったとき、同じ注意を受けましたから」
「そうですか、なら良いんですが……本当に全く、自分は頭もしっかりしている、目だって十分見えるがほんの僅かだけ霞むのが気になるので、軽い度の入った眼鏡を作って欲しいなんて言っておきながら、大概は老眼で近いものに焦点が合わせられなってるんですよ。けどそれを指摘すると気分を害してしまって、まあ何というか」
 年寄りに思われたくない老人心というのは早苗にも理解できないではない。しかし話を聞く限りは、偏屈という言葉がぴったりな態度のようで同じような性格の祖父を持っていた早苗としては、その気苦労が容易に窺い知れた。そう言えば、ここを教えてくれた天狗の老人もかなり渋々で、しかも自分が紹介したことを言いふらさないで欲しいとも言っていた。そもそもここのことだって、老人の愚痴を少なからず聞いたからこそ、話して貰えたようなものだと、早苗は今更ながらに思い返していた。
 最近、一人娘がこともあろうか鴉天狗の庵に入り浸っている始末だとか。いくら注意しても反抗期なのかはてさて、とまれさっぱり聞き入れてくれないこと。至るは昔々、姉の結婚を御破算にして他の女のところにいった別の鴉天狗の話を持ち出し、散々なことを一方的に頭に刷り込まれたのだ。しかも短いスパンで同じ話を何回も繰り返すから性質が悪いのだった。
「ま、まあ居た堪れない思い出はさておき。では、検査を開始します」にとりは棚から先端が胡瓜の形をした指示棒を取り出す。「片目を隠して、まずは右目からです。ちなみに、一番上の文字は読めますよね」
「はい、大丈夫です。『に』ですよね」
「その通りです。では指していく通りに、リズミカルに読んでください」
 おそらく溜めを作ると目を窄めたりされるからなのだろうと早苗は一人納得し、指示棒の文字を追う。
「次の字は『と』ですね、それから『り』『ち』『や』『ん』『は』『か』『わ』『い』『い』『で』『す』って、えっと……」
「次は左目です。ちゃきちゃき行きますよ」
「えっと、はい……」凄く突っ込み甲斐のある読まされ方をしたような気がするのだけれど、気のせいだろうか。「こちらも一番上は大丈夫です」
 よく考えれば元はコンマ七程度の、ぎりぎり自動車に乗ることができる程度の視力だったので、一番上が見えなければ流石に気付いた気もする。
「では二番目から、こちらも同じように読んでいって下さい」
「はい。『う』『え』『か』『ら』『く』『る』『ぞ』『き』『を』『つ』『け』『ろ』――え?」
 咄嗟に上を見上げたものの、木目の鮮やかな天井が見えただけで、とくに何もない。
「はい、ご苦労様でした」
「えっと、上……」
「なるほど、そういうことですか」
 さらっと流され、憮然とした様子の早苗を他所に、にとりは一人納得した様子だった。
「結論から言うと、早苗さんに眼鏡の新調は必要ないですね」
 いきなりそう言われ、早苗は先程のことも含めて俄かに眉を潜めた。
「でも、この眼鏡をかけると、見え辛いのは確かなんですよ」
「当然です。だって、この眼鏡は早苗さんにはきつ過ぎますからね。というより、視力を矯正するいかなるものも身につける必要はないと思いますよ。だって検査板の文字、一番下まで読めたじゃないですか」
 早苗は目をぱちくりさせ、それから断りを入れ、にとりが所有している本を一冊、本棚から取り出した。科学書の類か非常に細かい字で綴られているが、数ページを目で追っても目の疲れや肩の痛みといったものは感じられない。言われたとおり、裸眼でも十分に物が見えるようだった。
「問題ないですね」
「多分、本を読むときには眼鏡をかけなければいけないという先入観のためでしょうね。眼鏡をかけている人って概ね、自分が目を悪くすることをしてるって自覚があるから、早苗さんも目が良くなったと考えられなかったんでしょう。ここに来てから読書量が減ったと言ってましたし、毎日色々な所へ飛び回っているのですから、遠くを見る機会が増えたんじゃないでしょうか。だからピントの機能が正常に戻ったんですね」
 全然、気付かなかったと、早苗は赤面しそうになるのを辛うじて堪え、それから独りごちる。
「まあ、先入観で物の見方や捕らえ方が違ってしまうなんて、よくあることですよ」
 にとりは何気なく言ったのかもしれないけれど、それがことの外、早苗にはぐっさりと来た。人間ばかりの場所で過ごしてきたゆえの先入観が、自分がこの世界に来て溶け込めなかったり、気苦労を溜め込んだりする原因ではないかと思っており、それを改めて指摘されたかのように思えたからだ。
 
 うっかりのせいで落ち込んでいると思われたのか、もっと深い事情を咄嗟に察せられたのかはよく分からない。とまれ、にとりは眼鏡の新調が不要と分かると、先の応接室に戻るよう促し、新たなお茶と羊羹を振舞ってくれた。早苗は何度も固辞したのだが、話し相手が欲しいといって引き留められたのだから、ささと帰ってしまうのが逆に不躾であると思ったのだ。
「天狗たちの噂によると、早苗さんがいた世界では人間が機械を発達させ、発明家が王のように敬われているというではありませんか。同じ絡繰扱いの河童としては何とも聞き捨てならず、実を言えば事情をとっくり存じている早苗さんに一度、話を窺ってみたかったんですよ」
 早苗の茶をすする姿を見ながら、にとりが無邪気に言う。王のようとは多少大袈裟ではあるけれど、しかし世界の至るところで使われる発明の特許を持っているものが、得てして巨万の富を得ているのは事実で、感嘆すべき成功者という意味では、そう例えられても良いのかもしれない。
 それから勧められて食べた、冷えた羊羹に舌鼓を打つ。甘さ控えめで、あちらの世界で売っていたものと比べれば随分さっぱりとしているけれど、逆に早苗の好みの按配でもあった。
「これは、良いですね。上品で、それにとても冷えていて、美味しいです」
「そうでしょう、よく冷えてますよね? これ、わたしが以前に発明した、冷気のとても逃げ難い素材で作った箱に氷を入れて、冷やしておいたいんです。形も崩れてないし、美味しいでしょう?」
 口調が熱っぽくなるにとりの様子を見て、自分がここに引き留められた理由を何となく察する。要は発明やら奇想やらを誰かに知らしめたくてしょうがないのだ。
「普通の氷室よりもずっと氷が長持ちしますし、冷気も均一に伝わるようになっていましてですね。これは売り出したら、ヒットすると思うんですよ。特に冬の妖怪とかその類などには、冬に沢山氷を作って、夏は小出しにして涼めるようにする、なんて宣伝も打てるんじゃないかと。早苗さんはどう思います? それともこんな画期的なもの、向こうの世界ではまだ登場してませんでした?」
 確か、かなり古い形式の冷蔵庫がそういう仕組みであったはずだが、熱心に説明をする河童少女に、早苗は口を挟めなかった。ましてや、電気仕掛けで動く全自動冷却を行うタイプがごく当たり前になっている、などと言ったらどうなるだろうか。仰天して、引っ繰り返るのではないかと早苗は心配になり、眼鏡のことと同様、本当のことなど話せなかった。
「まあ、あちらの世界でも実用化されるむきはあったみたいですよ?」
 穏当に仄めかしてみると、それだけでにとりは残念そうな顔をした。
「ふむり……でも、わたしの作ったものはですね、もう驚くくらい小型で軽量なんですよ」にとりは指で少しだけのジェスチャをしてから、ちらと早苗に視線を寄せる。「本当に、見たら驚くと思うんですよ」
 つまりは自分に見せたいらしいのだと、察しのあまりよくない早苗だったが、すぐに気付いた。
「そうですか、それは一度見てみたいものですね……えっと、手数でなければ」
「まあ、でも諏訪の巫女様の頼みとあれば特別にお見せしないわけでもありませんよ」
 手に取るように愛想がよくなったにとりを見て、早苗は掌を返して立ち去りたい願望に襲われたが、辛うじて堪え、手を合わせた。するとにとりは、むんと自慢げに胸を張った。
「分かりました。では、これから早苗さんを驚異の部屋にお連れします」
 ヴァンダーカンマーとはこれ如何にと色々な意味で合いの手を入れたくて堪らなかったのだが、何とか我慢できた……と思う。さておき、にとりは早苗の手を引き、視力の検査をした工房とはまた違う部屋に案内した。
 そして、その混沌ぶりに絶句する。
 レンズ用のそれもかなり散らかっていた気がするけれど、まだ雑然とした中にも整理された統一感のようなものはあった。しかしこちらは床に棚に机にと、凡そ用途の分からない代物ばかりが、好き勝手に置かれている。その中でもにとりの話していた冷蔵庫は自慢の品なのか、部屋中央にでんと鎮座していた。そして予想して足るべきだったが、それは早苗の知る冷蔵庫からすればまるで相撲取りのように寸胴なのだった。
 中を見ると、その容量は悲しいくらいに少なかった。氷を入れておく空間を除けば、カレーの材料を辛うじて全部、納めるくらいのものでしかない。
「成程、これは確かに凄いですねえ」棒読みにならないよう苦慮しながら、早苗は賛嘆の声をあげる。そして巧みに話を逸らした。「それにしても、他にも珍しいものが色々ありますけど、どれもにとりさんが作ったのですか?」
「ええ、と言ってもこの冷却器に比べれば物の数なのですが。例えばこれは、」にとりは六本の腕状のものがついた、妙な仕掛けを取り出してみせる。「これは胡瓜の収穫用に作ったもので、六本の腕が自在に伸びて熟れた胡瓜をさくさくと掴むことができます。それからこれは光学迷彩服でして、周りの風景に同化して姿を隠すことができます。それから……」
「ちょ、ちょっと待ってください」精巧なギミックアームに光学迷彩、どちらも早苗のいた世界では実現まで程遠い代物だ。どう考えても、冷蔵庫よりも明らかにこれらの発明のほうが凄かった。「それはとても画期的なことではないですか?」
 にとりはしかし、何故と言わんばかりに首を傾げる。
「確かにこれらが、わたしのお気に入りであることに違いありません。でもこれらは、わたしの妖力を通せば良いのですからことは簡単です。比べてこの冷却器は、例え妖力を持たない人間でも易々と……までは行きませんが、使うことができます。そちらのほうが余程、凄いと思うのですけれど、早苗さんの世界の価値観では違うんですか?」
 にとりの何気ない言い方に、しかし早苗は心にしたたかな衝撃を受けた。
 そもそも物理法則以外の系がないと考えられているあちらの世界で、力の在り方の違い、その扱い方の峻別などと、早苗は一度も考えたことがなかった。自分の力はその埒外にある、不思議なものであると割り切って使っていた。しかし目の前の彼女は二つの力を峻別し、そして特別なことより誰もが普通に使える力のほうが凄いと言ってのけたのだ。
 風神としての力のほうだけが特別で、通常の物理則など省みる必要もないと思っていた早苗にとって、それは割と目から鱗が落ちるような言葉だった。
「まあ、確かに……いや、でも確かにそうですね。にとりさんの話を聞いた限りでは、冷却器のほうが凄い発明だとわたしには感じました」
 そして早苗は俄かに自らの不明を恥じる。兎角、明るい性格の少女ではあるが、彼女は発明や機械工作といったものを安直な考え方で捉えているわけではないのだ。
「そうでしょう、そうでしょう。まあ、といってもこれはわたしではなく、この小屋を残してくれた師匠の言い分なんですけどね」
「師匠って、この小屋はにとりさんが建てたものではないんですか?」
「いえ、こんな乾いた所に水車つきの小屋を構えようなんて、わたしにはそこまで変わった発想はありませんよ。あの水車はですね、わたしの師匠が戒めのために付けたものなんです。水車は水の力で動く、そういった先入観こそが得てしてわたしたちのようなものの目を曇らせるのだとね。それに水車があるところにいつも水があるとは限らない、だから幾通りもの方法で水車を回す方法を常に考えなくてはいけないのだと嘯いてですね」
 水があるから水車を作るのではないかという気がしないでもないのだが、そこを指摘するのは野暮というものなのだろう。それに、その発想の転換は早苗にとって興味深いものだった。
「成程……で、その方はいま、ここに住まわれているのですか?」
 早苗が訊ねると、にとりは少し寂しそうな表情で首を振った。
「いえ。師匠は……人間の画一化された知識形態、存在に興味があるといって、早苗さんがいた世界に残り、こちらに移住しなかったのです。だから音沙汰もありませんし、今何をやっているのかも知れません」
 にとりの言葉に、早苗は胸の奥がつん、となる。わたしは最早、残してきた存在に思いを馳せることもできないし、彼らもまた同様であると言われたような気がしたからだ。しかし早苗の感傷とは逆に、にとりはうっすらとだが、明るさを取り戻したようだった。
「でもですね、まあ師匠ならば大丈夫だとは思うのですよ。何しろ図太いですし、矢鱈偉そうですし、人間好きが昂じて殆ど人間のようなものですし。あっちの世界で、わたしなど思いもよらぬことを生み出したり、考えたりしているのでしょう。あ、もしかしたら向こうの世界で有名になっているかもしれませんし、名前も残っているかもしれません」
「あ、それはあるかもしれませんね」それは疑わしいと早苗は考えたのでだけれど、自分のこともあって、にとりには希望を持って欲しいと思ったのだ。「で、名前は何というのですか?」
「えっと……あ、いや、こちらで名乗っていた名前を言っても無駄でしょうね。幻想と袂を分かつと決めたからには、名も体も捨てねばならぬと言っていましたから。でも、師匠の口癖なら残っているかもしれませんね。師匠はよくこう言っていました――天才とは九九パーセントの努力を無駄にする、一パーセントの閃きである、と」
 思わず早苗は、ぶっと噴き出してしまった。
「あ、もしかして心当たりがあるんですか?」
「心当たりも何も、それは……」米国の発明王、トーマス・アルバ・エジソンの科白だ。もっともかなり屈曲した印象を抱くのだけれど。「ええ、存じていますよ。えっと、もしその科白を言った人と、にとりさんの知り合いがイコールであるならの話なんですけど」
「まあ、別人の可能性はありますね。でも少なくとも、師匠の本分が一部こそなり、残っているということでもあります。それは素敵なことですよ」
 早苗にはにとりが言うような素敵を感じ取ることはできなかったものの、満面の笑みを浮かべているにとりを見ると、混ぜっ返すことはやはり野暮だと思ったのだった。
 
 早苗の伝えたことがにとりの創作意欲に火をつけたのか、すいませんがちょっとやりたいことができたのでと言われ、半ば追い立てられるようにして、庵を辞去することになった。もっとも、また近いうちに訊ねてくださいとの言葉を添えられはしたのだけれど。
「では、今日は色々とお世話になりました」
 玄関の前で深々と頭を下げ、それから早苗はふと、玄関の呼び鈴がどうなっているのか気になり、最後に訊ねてみた。
「すいません。ここに入るとき押した呼び鈴なんですけど、これってどういう仕組みなんですか?」
「ああ、これですね。えっと……これ、呼び鈴にばねが仕込んでありまして。押すと寝室のベルが鳴り、その反動で錘つきの球がレールを伝って転がっていきます」
「ふむふむ」
「それは、最終的にわたしの寝室まで到達し、もしそこまで来てもわたしが目覚めなかった場合、ねばねばのぬるま湯が頭に降り注ぐという寸法です」
 早苗はようやく、最初にここを訊ねたときのばたばたの謎が解けたと分かった。つまりは来客用の、少しばかり危険な目覚まし時計であったということだ。
「実はですね、以前算法の知恵をお借りした方がいてですね。その方が、うちの主人は最近、わたしがどう起こしても起きなくなった。ついてはどんなねぼすけでも一発で目を覚ます代物を開発して欲しいと、そう言われたんです。ただ、今の仕様はちょっとばかり、危険すぎるようですね。実を言うと体にまだ少し、ねばねばが残っているような気がして成りません」
 服をぱたぱたさせ、とても嫌そうな顔をするにとりを見て、早苗は笑ってはいけないと思いつつ、くすくすを抑えることができなかった。そんな様子を恨みがましい表情で見られ、ふと早苗は面白いことを思いついた。
「そうだ、もしその装置が完成したら、わたしにも一つ作ってもらえないでしょうか。実を言うとわたしの住んでいる諏訪の社には二人ほど、寝起きの悪い神様がいるのです」
 早苗が言うと、にとりは目をぱちくりとさせた。
「えっと、神様も寝坊などするんですか?」
「ええ、しょっちゅうですよ」
 肯定する早苗の顔が思いのほか真剣だったのか、にとりは偉い人ってどこも大して変わりがないんだなあ、的な苦笑いを浮かべ、次いで快く請け負ってくれた。
「分かりました。その際、機械の搬入にはこちらから伺わせてもらいますよ」
 どうやら河童の少女は諏訪の湖で泳ぐという野望を捨て切れていないらしい。
「ええ。その時にはまた、色々とお話しましょう」
 早苗がそう言うと、にとりは小指をそっと差し出してきた。どうやらこの約束の仕方は、人間でも河童でも変わらないらしい。
 細くて可愛らしい小指を自分のそれとそっと絡め、早苗はきっかけこそ早合点だとしても、今日ここに来たことで何か得難いものを得たのだろうなと、そんなことをこっそりと思ったのだった。
初めまして、物書き時空を一人気侭にさまよう、リュカというものです。
以後、お見知りおきのほどを。

一番最初ということで、題名も内容もごくストレートなものを書いてみました。
女の子同士の無軌道的な会話が上手く再現できていれば、幸いです。


以下、ちょっとした補足。

最後のほうに出てくる『天才とは――』の一文は、エジソンの科白ではありません。早苗は勘違いをしています。荒木飛呂彦の某作品を読んだことのある人なら、ピンと来た人もいるかもしれませんが、アラレちゃんと同じことができると豪語した彼の人物です。参考のまでに。
リュカ
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コメント



0.910簡易評価
3.60名前が無い程度の能力削除
十二国記や封神演技などの版権物の著作物を作品内に出すときは、
「十○国記」や「封神○技」とした方が良いですよ

あとは段落ごとにスペースを空けるなどした方が読みやすいと思います
4.100名前が無い程度の能力削除
最近ここでは見ない感じの雰囲気の文で面白いですね。
早苗、にとり、ともに人のよさが出てますね。

SS的にはもうちょっと改行やスペースを活用した方が見やすくなるとは思いますが、
私としては青空文庫でも読んでる感覚になり(SSもそういう雰囲気だと思うんです)、好感が持てました。
この行の詰まり具合が意図的なものなら、それもありだと私は思います。

ところで
> これは奇矯と言わずして況や、といったところ
ですが、「況や」って「ましてや」って意味ですよね?
この言葉遣いは合ってるんでしょうか?
6.80名前が無い程度の能力削除
文字の密度が高くて最初ちと気圧されましたが、ほのぼのしててよかったです。
田舎の発明家が住まう家みたいなのが幻視できました。
7.80名前が無い程度の能力削除
まぁ確かに、我々にとっては冷蔵庫よりも光学迷彩のほうが凄いですがw
普段何気なく使っているものだって、先人の苦労があったからからこその物であって、そのおかげで今現在、快適な暮らしが出来るワケなんですよね。
何となくですが、自販機の「あったかい」を開発したときのお話を思いだしました。
10.70名前が無い程度の能力削除
これは良いにとり
11.80三文字削除
早苗さんの眼鏡設定にちょっとときめいてしまった・・・
それはそうと、ほのぼのとした良い文章でした。
16.90bobu削除
なんというか生活感というか、ここで暮らしているんだぞっていう感じのところを掘り下げてるような感じがして良かったです。
あと、にとりがすごく可愛かった。
ありがとうございました。
18.無評価リュカ削除
感想のほど、ありがとうございます。
少し遅れましたが、レスのほどを。

■2008-02-23 05:30:11さん
>十二国記や封神演技などの版権物の著作物を作品内に出すときは、
>「十○国記」や「封神○技」とした方が良いですよ
む、そうなのですか?
この手の引用は歌詞や、引用元のない文章の引用など、著作権に抵触する可能性が高いものを避ければ良いと思っていたのですけれど、以前に何かまずい事例があったのでしょうか? そうでしたら、次からはもう少し気を配ることとします。とまれご指摘、ありがとうございます。

■2008-02-23 07:16:44さん
>早苗、にとり、ともに人のよさが出てますね。
人がよいと幻想郷では色々と苦労しそうですけどね。色々とたかられそうで(^^
ちなみに早苗は気遣い屋の苦労人、にとりは明るくてマイペース、みたいな性格を想定しています。

>SS的にはもうちょっと改行やスペースを活用した方が――
私は逆にスペースの空いてるほうが落ちつかないので、かなりかっきりと詰めてしまいました。上でも下でも同じ意見が出ていることからして、Webだと紙媒体の詰まり方では、圧迫される感じを受けるのかもしれませんね。改めてみると自分でも少しきつく感じますし、この辺はもう少し調節して緩くしてみるよう次からは心がけてみます。

ただ、この辺は文章のテンポである程度、補えるのではないかとも考えています。上手く良いバランスが見つかれば良いのですけれど。

>これは奇矯と言わずして況や
辞典で調べてみると、確かにこれは誤用でした。割と気をつけたつもりなのですが、足りてませんでした。直しておきたい……ところですが、戒めの意味も込めて、これはそのままにしておきます。ご指摘、ありがとうございました。

■2008-02-23 14:26:47さん
>文字の密度が高くて最初ちと気圧されましたが、ほのぼのしててよかったです。
緊張がないときの東方らしい、そういった感じが出ているのかは少し心配だったので、良かったと言って頂けると嬉しいです。ありがとうございました。
そして文字の密度については……すいません。先にも述べたよう、私の好みが出てしまったようです。

>田舎の発明家が住まう家みたいなのが幻視できました。
家の描写については、江戸時代の発明家――例えば平賀源内辺りはどうだったのだろうなあと、漠然と思いながら書いていました。近代化以前の発明家について調べてみるとまた、面白いのかもしれません。

■2008-02-23 22:42:35さん
感想、ありがとうございます。
確かに人間からしてみたら、光学迷彩のほうが余程凄いですよね。攻殻の迷彩服とか、殆ど反則的性能ですし。

>何となくですが、自販機の「あったかい」を開発したときのお話を思いだしました。
誰にでも気軽に使える、というのは良い発明に共通して含まれている要素だと思うのです。

■2008-02-24 12:33:13さん
>これは良いにとり
ありがとうございます。
彼女は活発なキャラなので、うんうん悩まなくても勝手に動いてくれるのが良いですね。

■三文字さん
>早苗さんの眼鏡設定にちょっとときめいてしまった・・・
>それはそうと、ほのぼのとした良い文章でした。
早苗さんは真面目だけど要領の悪い印象があるので、勉強や読書で頑張って目を悪くしてるんじゃないかと勝手に想像したのでした。決して私が、眼鏡が好きだからというわけではない……と思います。
とまれ、お誉めの言葉、ありがとうございました。

■bobuさん
>なんというか生活感というか、ここで暮らしているんだぞっていう感じのところを掘り下げてるような感じがして良かったです。
衣食住について考えるのは人外、ことに生態の異なる知性について考えを巡らす中で、最も楽しい部分の一つだと思うのです。そんなわけで話の流れを削がない程度に、できるだけ具体的に書いてみたつもりです。

>あと、にとりがすごく可愛かった。
何気に河童というキャラクタには嫌な目に会わされて来たことが多いのですね。
だから、本作のにとりはぴょこぴょこと可愛い河童を目指しました。ですからそう言って頂けるととても嬉しいです。

>ありがとうございました。
こちらこそ感想、ありがとうございました。
21.90名前が削除
おや、思いのほかいい作品を発見。
価値観の違いっていうテーマは新鮮かも。
特に早苗さんは現代人だし。
23.90名前が無い程度の能力削除
字が詰まってる割には、すらすらと読みやすく面白かったです。
30.100名前が無い程度の能力削除
>河童一倍にその感覚が強く、

ここで吹いたw
ラブラブではなくほのぼの。お互いの種族の違いや立場を尊重した、いいにとさなですね。