Coolier - 新生・東方創想話

随神(かんながら)・その8

2008/02/07 08:57:57
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 号外の第一面を飾るのは、おどろおどろしい淡古体の見出しだった。

(早朝の惨劇! 閑静な境内を揺るがす氷精の断末魔!)

 早苗が『奇跡』の限りを尽くしてチルノをいたぶったこと。
 そうして深く傷付いたチルノの体を、神奈子が人目から隠そうとしたこと。
 ついでに……諏訪子が鬼と一緒になって弾幕を撃ちまくったせいで、流れ弾による大規模な環境破壊が引き起こされたことまでも。
 その日に守矢一家がとった行動の全てが、糾弾的な筆致によって誌面に晒されていた。

(……以上より、守矢神社には排他的・破壊的カルトとしての疑いが濃厚となった。
 これまでの親妖怪的スタンスは、見せかけに過ぎなかったのだろうか?
 当新聞では、今後も総力を挙げて事件の真相を探って行く所存である。
                               文責:射命丸文)

 幻想郷は狭い。
 せいぜい数刻も経てば、噂は隅々まで浸透してしまう。
 普段より「インチキ」の代名詞として認識されている文々。新聞が、今回に限って大反響を巻き起こしたのは、ひとえに写真のインパクトによる。
 『真』を『写す』と書いて、『写真』。
 虫も殺さぬような顔をした乙女が、己の力に酔いしれるかのごとく暴虐を尽くす情景を、天狗の記者は鮮明に切り取って見せたのである。

 事態を重く見た山の権力者たちは急遽として宴会中止の号令を発し、自分たち以外の一般妖怪が神社境内に立ち入ることを禁じた。
 特に鴉天狗の一族には、「触らぬ神に祟り無し」とばかりに、取材や盗撮など相手を刺激する可能性のある行為を凍結するよう厳命が下された。
 そうして苦虫を噛み潰す心地で乗り込んできた彼らが、何食わぬ顔で酒と肴の用意をしていた神奈子を見つけるや否や怒りを爆発させたのは、当然と言えば当然のことであった。
 以後、彼らのクレームは長々グチグチ延々と、いつ果てるとも知れず続いている。
 その内容を、とりあえず現時点までで要約すれば、おおよそ以下のようになる。



 我々は幻想郷の中でも特に秀でた力を持っているが、身に危険が迫った場合を別として、それをみだりに振るうことは決してない。
 何故なら、我々は文明の光に浴して生きる者であるからだ。
 自らの牙の鋭きを無闇矢鱈に誇示するのは、畜生の習性に他ならぬ。
 文明と相容れぬ獣性を、我々は最大級の恥と考えるものである。
 さて、我々が守矢神社を山の宗教拠点として受容したのは、貴女たちを我々と同様、叡智と理性に優れる存在だと見込んだからであった。
 ところが社の守り人たる東風谷早苗は、我々の信頼を見事に裏切った。
 『外の世界』からやって来た人間が環境の変化に戸惑い情緒不安定に陥るのは、そう珍しいことではない。
 だが、そういう事情を考慮に入れて尚、彼女の行為はあまりにも凶悪かつ残忍に過ぎる。
 東風谷早苗が哀れなる妖精に対し明確な殺意を抱いていたことは、とある鴉天狗の撮影した写真によって立証済である。
 そしてまた、同天狗の発行した新聞により、今回の事件は不幸にも世間の広く知るところとなってしまった。
 急遽山下に派遣した天狗たちの報告によれば、現在幻想郷の至る場所で……

(山の上の神社さ、不信心者にはこっぴどい罰を与えるんだって。それこそ、死んでもおかしくない強烈な罰を)
(まあ酷い。自分たちに従わないヤツは敵だって考えてるのかしら)
(前々から胡散臭いとは思ってたんだ。『外』の神様なんざロクなもんじゃねぇや)
(まったくよ。そんな奴らと結託するなんて、山の妖怪どもは一体何を考えているのかしら)

 ……などといった言説が流布している模様。
 山という場およびそこに暮らす我々の面子は、丸潰れである。

 『社を訪れる者については、貧富強弱その他いかなる別もなく常時一様に文明的な接待を心がけるべし』

 上述は、八坂神と我々との間で交わした「契約」の一項目であったはずだ。
 しかるに、スペルカードルールによる「決闘」の範疇を越えた一方的加虐行為は、およそ文明人の振る舞いとは言い難い。
 理性的な要素より隔絶した蛮行に酌量の余地を設ける必要性を、我々は一切認めない。
 貴女たちが「契約」を破棄するなら、我々もまた「参拝」を無期限に停止せざるを得ない。
 以後、我々は守矢神社を敵として見做す所存である云々かんぬん……



「ふざけんじゃないわよ!」
 当然、黙って聞いていられる神奈子ではない。
「そもそも! あんたらが新聞なんてものをバラ撒かなければ、騒ぎになることもなかったんじゃないか!」
 天魔が答える。
 論点をすり替えてもらっては困る、騒動の元凶はあくまでも東風谷早苗である……と。
「だからって、そんなにいやらしく責め立てなくてもいいでしょうに!」
 大天狗が言う。
 闇に葬られようとしている真実を暴き、白日のもとに曝け出すことは、文明的な妖怪として当然の行為でしょう……と。
「べ、別に、隠し立てするつもりなんて、なかった、わよ」
 河童の長老も、おずおずと発言する。
 心血を注いで開発した冷蔵庫が犯罪の隠蔽に利用されるなんて、残念でなりません……と。
「それは……ええと……静かな環境下でゆっくり傷を癒してあげたいと思ったからで」
 再び天魔が凄む。
 この期に及んで言い逃れようとは、神にあるまじき根性の悪さ。
 ますますもって信心を捧げる気が失せる……などと。 
「ぬぐ、ううう……」
 酸素不足の水鉢に閉じ込められた金魚のように、神奈子は口をパクパクさせた。
 やることなすこと、言うこと述べること、全てが裏目に出るとは。

 彼女は本来、話術の巧みな神だ。
 冷静に頭を働かせ、さらに抗弁を重ねていけば、この窮地もあるいは乗り切れたかもしれない。
 だが今の彼女は、平常心を完全に失っていた。 
 苦心の末に掴んだ栄光が、急速に手からすり抜けていくことへの焦り。
 諏訪子以外に話し相手がいない孤独な生活に、再び逆戻りするのではないかという恐怖。
 それら負の感情に脳髄を焼かれ、神奈子はとうとう逆上する。
 ……この日最大の墓穴を、掘る羽目になる。

「この子が全部悪いのよ!」
 人差し指を真っ直ぐ立て、早苗に向かって突き出す。
「この子ったら、まぁったく私の気持ちを分かってくれないの! で、挙句の果てにこんな暴走を……いい加減にして欲しいわ!」
 早苗を始め、言葉を失い目を丸くする一同に背を向ける。
「とにかくっ! 私には、なーんの責任もないっ! ぜーんぶ、早苗が勝手にやったことっ! 話は以上だ!」
 それだけ言い残して、神奈子はさっさと拝殿の中に引っ込んでしまう。
 ほどなくして、一段と強くなった妖怪たちの抗議と、何とか事態を収拾しようとあたふた詫びを入れる諏訪子の声とが、閉めた扉の向こうから交互に響いてきた。

 早苗の声だけは、聞こえなかった。
















「入るよ神奈子」
「どうぞ、ご勝手に」
「ほぉ。人が必死に頭を下げている間、あんたは寝っ転がって独り酒か……実にいいご身分ですこと!」
「神のために捧げられている酒を、神が呑む。そこに何の不思議があろうか」
「TPOを考えろっての」
「だって、呑まなきゃやってらんないんだもの。どうだい、あんたも一献?」
「結構。それより、私ゃこんな面倒は二度とご免だからね!」
「……もちろん、私だって嫌よ」
「じゃあ、これからどうするつもりなの? みんな、とりあえず帰ることには帰ってくれたんだけど……完全に納得はしていないよ?」
「やれやれ、私の神徳もガタ落ちだ」
「当たり前よ! 短気は損気って言葉、知らないの?」
「知ってるけど、忘れてた」
「バーカ! あんた、やっぱりアル中だよ!」
「うっさい」
「おかげで宴会は無期限停止。事態が沈静化し、ここが信仰に値する場だと証明されない限り、我々山の民が再訪することはないでしょう……だってさ」
「いやはやまさか、ここまで体面を重んじる奴らだとは思わなかったわ……はぁーあ。ほんっと、早苗は余計なことを仕出かしてくれたもんだね」
「その、早苗のことなんだけどさぁ」
「ショック、受けてた?」
「今にも倒れそうなぐらい。社務所に戻って、ゆっくり休むように言っておいたよ」
「……しくじったわ」
「そう思うなら、今すぐ謝りに行くことだね。ヒステリーに狂ったままなんて、あんたらしくないじゃないか」
「おやおや、私だけが悪者かい? 神らしからぬ暴言を吐くに至ってしまった心境も、察してほしいねぇ」
「はぁ? なぁにを甘ったれてやがるんだ」
「早苗の頑固さに手を焼いていたのは、そっちも同じ……くっくっく、違うかい?」
「ん……まぁ。否定は、できない……ね」
「私はね、これでも色々と気を遣ってあげたつもりなんだよ。あの子がこっちでも楽しく暮らせるように、さ」
「事あるごとに息抜きを勧めたり、酒宴に誘ったりとか?」
「ええ」
「それが逆効果だったんじゃないかな」
「と、言うと?」
「あの子は、私たちにもっと『神様』らしくキリッとしていて欲しいと、強く願っていた」
「ふん、その一途さが迷惑だって言うのよ」
「あら」
「……やっぱり、あの子は『向こう』に置いてくるべきだったんだわ」
「それは……今さら口にしちゃいけないことだよ」
「神をないがしろにする塵世に未練はありません。どうかお傍に置いて下さい。そう言って引き下がらないから渋々連れて来てあげたのに。まさかこんな結果になるなんて……ねぇ?」
「ねぇ?じゃないよ。ちったぁ言葉を慎みなさ……」
「あーあーあーあ! ムカつくったらありゃしない! こうなりゃいっそ、神社から追放……」
「ちょっと! そこまでにしておきなよ! 年端も行かない人の子にとって、『外』を捨てるのがどれだけ覚悟のいることか……分からないわけ?」
「分からないわけないじゃない! あんなに良い子は、歴代の風祝の中でも初めて。だから……だからこそ……今回の事件が悔しいのよっ!」
「ふん……可愛さ余って憎さ百倍、か」
「いいや、億倍だね」
「裏切られた、って思ってるの?」
「何があっても不平不満をこぼさない代わりに、誰も望まぬ歪んだカタチの『信仰』を押し付けてきて。終いには、神としての地位まで脅かして! これが裏切りでなければ、なんだって言うの?」
「因果、でしょ」
「因果ぁ?」
「原因があるから、今の結果がある。貴女は、もっと早いうちに、もっときちんと真正面から腹を割って、早苗と向き合ってあげるべきだった」
「なっ……! あんな重っ苦しい『祈り』、まともに取り合ってたら誰だって潰れちまうだろ! 私にばっかり罪を被せないで欲しいね!」
「もちろん、私も同罪だわ。早苗の心を蝕むものに気づいていながら、ここの暢気な空気に流され……いつか時間が解決してくれるだろうと楽観し……毎日弾幕ごっこに明け暮れていた」
「それのどこがいけないの? 神遊びこそ信仰の原点だろうに」
「私たちは昨日、遊びの誘惑に負けて、大事な約束をすっぽかした」
「……はて」
「休肝日!」
「あ!」
「台所に立つ早苗は、普段の鬱々具合が信じられないほど活き活きして見えたよ」
「……そう」
「あなたは迷惑だなんて言うけど、早苗が私たちに寄せる想いは本物だわ。それなのに……」
「……なるほど。確かに、最近は放ったらかしにし過ぎていたかもねぇ」
「裏切られたと言うなら、あの子も同じことよ」
「ぬう……」
「でも、それはきっかけであって、そもそもの原因ではない」
「え?」
「ね、思い出せないかな? 早苗の信仰が変質し始めたのは、いつ頃だったか」
「んん? あの子が一本気なのは、生まれつきでしょうに」
「今ほど融通が利かなくなったのは、それほど昔のことじゃないよ」
「そう……だっけ?」
「なぁんだ。やっぱり、あんたは何にも分かっちゃいないんだ」
「ちょい待ち。なんでそういうことになるの?」
「『良い子』であり続けるのって、すごく大変なことなんだよ?」
「……何?」
「酒を呑むヒマがあったら、少しは頭を使いなさいな。呆け蛇め」
「くっ……適当なこと抜かして、煙に巻かないでほしいね。腐れ蛙が」
「ふん、せっかくの有り難いヒントも、アル中にゃ教えるだけ無駄だったかね!」
「さっきからゲコゲコうるさいねえ。酒が不味くなるわ」
「ええ、そうよ。不味くなるように説教してやってるのさ」
「……蛙は口ゆえ、何とやら。そんなに痛い目見たいのかい?」
「おやおや、それが『文明的』なカミサマの言うことかねぇ?」
「諏訪子! いい加減にしないと本気で怒るよっ!」
「こっちはとっくの昔に怒ってるんだよバカ神奈子! 略してバカナコ!」
「なんじゃそりゃ一文字しか略してないだろうが!」
「んなこた、どーでもいい! とにかくあんたにゃ失望した! もうちょっと賢い女だと思ってたのに!」
「ああもう莫迦でも阿呆でも結構よ! 今日のあんたはウザすぎる! 頼むからサッサと消えてくれ、しっしっ!」
「へいへい、言われなくても消えますよーだ!」

 長い袖を翻し、諏訪子は荒い足取りで拝殿を駆け出る。
 きっと早苗の様子を見に行くのだろうな、と神奈子は思った。
 後を追うべきかどうか刹那の逡巡があったが、結局は……寝酒を決め込むことにした。
 心身共に疲れ切っていたし、諏訪子の言う通りに「早苗と向き合う」ことが、何となく恐ろしく感じられるのだ。
 率直に言って、今の自分にとって早苗の存在は重荷でしかない。
 そして早苗もまた、『信仰』を保持し続けることにそろそろ限界を感じているはずだ。
 風祝との絆を保持している理由は、すでに「惰性」の他に見当たらなくなっている。
(もし次に会った時。いつもみたいに真面目くさった顔で、「あなたは、私の必要とする『神』ではありません」なんて言われたら……)
 自分は、何と答えてしまうだろう。
 それを考えるだけで、自然と杯を干すペースが早まっていく。















 社務所の中に一歩踏み込んだ途端、うすら寒い空気が肌に体にまとわりついてきた。
 諏訪子は肩を抱いて震える。
「おーい、もう寝ちゃったかい?」
 茶の間の全体を、ささやかな月光が暗青色に照らし出している。
 諏訪子の目が最初に捉えたのは、食べかすがついたままちゃぶ台の上に積まれている食器類だ。
 そこから少し視線をずらすと、部屋の隅で横になっている早苗が見えた。
 頭の下に枕はあるが、布団は敷いていない。
 この頃は痩せ細る一方である体をくるんでいるのは、薄手の毛布が一枚のみ。
 その状態で、早苗は何ごとかを途切れなくつぶやいていた。
「……身に諸々の不浄を触れて、心に諸々の不浄を触れず。意に諸々の不浄を思いて、心に諸々の不浄を思わず……」
 弱々しい声で、何度も何度も繰り返し繰り返し、同じ詞を唱えている。
 この期に及んで、早苗は『神』の意向に添えなかった自分を厳しく責め立てているのだ。
 そんな者は、幻想郷のどこにも居ないと言うのに。
 諏訪子は頬を引きつらせながら、そっと早苗の傍にしゃがみこむ。
 早苗の声は止まない。
 その声を打ち消すように、諏訪子もまた、唱える。
「されば、汝が罪を吹き払おうぞ。朝霧夕霧の、朝風夕風が吹き払われるが如く」
 早苗が赦しを求めている相手は諏訪子ではない。
 ……分かっていることだ。
 それでも、諏訪子は早苗の頬を撫でさすらずにはいられなかった。
「汝を罪より解き放とうぞ。大津の辺に居る大船の、潮風吹きて大海原へ解き放たれるが如く」
 早苗の詠唱は、相変わらず止まない。
 どうやら早苗は、諏訪子の存在に全く気づいていないようだ。
 労わりの言葉をかけられていることも、優しく触れられていることも、すでに知覚の外にある。
 参ったね、と諏訪子は大仰にかぶりを振る。

 風祝の末裔は、遥か遠くから強迫してくる観念に囚われるあまり……すぐ近くの暖かな体温を感じられなくなってしまったのだ。

 胸を締め付ける痛みに耐えながら、諏訪子は早苗の髪を手で梳く。
「何度でも言う。私は、いや、私たちは、何があろうと早苗の味方だよ」
 早苗の耳に、諏訪子の言葉は届いていない。
 それでも口が唱える詠唱の速度は、確実にゆるやかになってきている。
「だいじょうぶ。私たちの縁は、こんなことぐらいで切れやしないさ。だからさ、今さら言うのもおこがましいとは思うけど……どうか、お願いだ。私たちを信じておくれ。絶対に、忘れないでおくれよ……」
 安らかな寝息が聞こえるのを待ってから、諏訪子は威勢よく立ち上がった。
(さて、私も覚悟を決めねばならないかね)
 とある決意を胸に社務所を後にして、燃え残る篝火を頼りに、大鳥居の真下まで足を進める。
 時折、どこからか梟と虫の声が入り混じって聞こえてくる。
 だがそれら以外にも、先ほどから微かな息遣いが背中に触れ続けているのを、諏訪子はずっと感じていた。
 早苗を見守る諏訪子を、さらに何者かが見つめていたのだ。
「どこの誰かは知らないけど……覗きたぁ趣味が悪いね!」
「おっと! これは失礼をば」
 やや意外そうな声と共に、見事な金毛の尾が九本、濃い闇の中からのっそりと浮かび上がる。
 諏訪子はとっさに帽子を脱ぐと、その中から数枚のスペルカードを取り出し、身構えた。
 相手が何者であれ、また諏訪子のもとを訪れた目的が何であれ、天狗の警戒網を突破するほどの実力者であるなら、注意に越したことはない。
「自信を失くしますねぇ。隠形の術は得意なつもりだったのですが」
「甘いね。この四つの目玉は伊達じゃあないのさ」
「流石、天地一切をあまねく見通す神の眼。その真澄なること畏れ多く存じます」
 大陸風の道士服に身を包む狐の怪は、右の袖に左手を、左の袖に右手を突っ込んだまま、慇懃に礼を捧げた。
「御託はいらないよ。ま、名前ぐらいは聞いてあげるけどね」
「八雲藍と申します。以後、お見知りおきを」
「ヤクモ?」
 諏訪子は顎の下に手を置いた。
「ははあ、賢者様の手下かい」
「そんなところです」
「で、何の用だい?」
「おおよそ見当はついているのではありませんかな」
「まぁね。けど……それを正しく私に伝えるのが、あんたの役目なんだろ?」
「恐れ入ります」
 再び、一礼。 
「東風谷早苗の心に開いたスキマは、限界を越えて広がりつつある模様」
 もともと切れ長である狐目が、妖しい笑みによって完全な弧線と化す。
「我が主が申しますには、今こそ『計画』を実行に移す好機とのことでして……」

 そして。
 神と式神は、姿を消した。 















 朝になれば陽が昇る。
 続いて、鳥たちが爽やかにさえずり始める。
 人の世の常識は歴史と共に移ろうものだが、自然の理だけは何年経とうと悠久不変である。
「……う……」
 雀のコーラスに眠りを破られ、早苗は重い瞼を開く。
 昨日の目覚め心地も酷いものだったが、今朝はそれに輪をかけて暗澹たる気分である。
 なかなか、枕から頭を離すことができない。

『この子が全部悪いのよ!』

 神奈子の激昂を思い出すだけで、内臓という内臓が一斉に潰れそうになる。
 早苗の知る神奈子は、常に凛としていて美しい女性だった。
 それが一切の余裕を失くし、恐ろしく顔を歪めながら雷鳴のごとき怒声で早苗を糾弾してきたのである。

『この子ったら、まぁったく私の気持ちを分かってくれないの!』

 いったい、自分が今までやってきたことは何だったのだろう。
 誰よりも『神』の御心に添う存在たらんと積み重ねてきた献身の数々も、今はただ虚しいだけだ。
 たったひとつの過ちにより、百の努力は尽く灰燼と帰してしまった。
「理不尽よ」
 ふと、乾いた台詞が唇より漏れる。
 昨晩は、数え切れないほど「ごめんなさい」と言った。
 妖怪たちが引き下がり、諏訪子から就寝の許可が降りた後も、布団の中で一心に贖罪の詞を念じ続けた。
 そうして悔恨の念を強く訴え続ければ、あるいは神奈子の勘気も解けるかもしれないと期待していた。
 しかし……怒れる『神』は、ついに応答してくれなかった。
(疲れちゃったな)
 社の主たちのために、朝食の用意をしなくてはならないと思う。
 だが、どうしても体に力が入らない。
 際限なく深い虚脱感のみが、早苗の精神を支配していた。
(もう……いいや。サボッちゃえ)
 体をひっくり返し、頭から毛布を被り直す。
 中に蕎麦の実がぎっしり詰まった枕は、硬すぎもせず柔らかすぎもせず、顔を押し当てていると実に気持ちが良い。
 「背徳」の別名が「快楽」であることを、早苗はその時に初めて知った。














 拝殿の床板の上で、神奈子は大の字になっていびきをかいている。
 蓄積していた信仰を急激に失った反動で、今の神奈子は気力も体力も共に衰弱していた。
 だから、今はただひたすら眠り続ける。
 再び、誰かに求められる時を夢見て。













  

 諏訪子は、幻想郷から消えたままだ。














 雀を朝の鳥とするなら、夕暮れ時を代表する禽類は鴉であろう。
 その鳴き方は時に郷愁を、時に不吉な予感を人の心に湧かせる。
 かーかー、かーかー。
 しわがれた声に何かを急かされているような気がして、早苗はむっくりと身を起こす。
 体中が寝汗でぐっしょりと濡れていた。
(やだな、たいして暑い季節でもないのに)
 一昨日も、昨日も、風呂に入っていない。
 清潔好きを通り越して潔癖症の早苗にとって、それは全く好ましくない事態だった。
(お湯、浴びよ)
 茶の間を出て少し廊下を歩けば、すぐシャワールームに突き当たる。
 脱衣籠の中に風祝の装束を丸めて叩き込み、早苗はタイル張りの床に足を置いた。
 台所と同様、河童の技術力はそこにもふんだんに使われており、蛇口をひねって十数秒待てば、肌に心地よい温水がどばどばと降り注ぐ。
 おかげで、身にまとわりつく不快感はさっぱりと洗い流すことができた。
 しかし……胸の中に積もった黒い塊は、最早何をどうしようと溶けることがないような気がする。
「……ふう」
 髪の吸った水気をよく落としてから、体にバスタオルを巻きつける。
 そうして全身から湯気を立たせたまま、茶の間へと戻る。
 押入れの中から、代えの巫女服を出さねばならない。
 ……今さらそんなものを着たって虚しいではあるが、それが風祝の習慣である以上は……
「あっ……?」
 そんなことを考えながら茶の間に入ると、ピンク色の便箋が一枚、ちゃぶ台の上に置いてあることに気づいた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 早苗ちゃん江

 まだ月は満ちていませんが、ちょっと予定を前倒します。
 今日の暮れ六つ半……つまり夜19時頃に、『外』への通路を開くつもりです。
 え?
 どうして計画を早めたかって?
 何故なら……

 私は気まぐれで有名な妖怪だから!
 
 理由はそれだけです!
 参ったか!


 繰り返しになりますが、待ち合わせ場所は『再思の道』です。
 幻想郷縁起にも乗ってる有名(だけど寂れてる)スポットだし、勉強熱心な早苗ちゃんならきっと知ってるよね?
 ボヤボヤしてると置いて行っちゃうから、そこんとこよろしく。
  
                                                 八雲紫 拝
  
 追伸
 風の冷たい季節です。
 どうぞ湯冷めしないように、ご注意!

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 早苗は押入れの戸を開き、衣装箱を引っ張り出す。
 そして中から、丁重に畳まれたまま死蔵されていたパーカーとジーンズ、そしてスニーカーを、久しぶりに取り上げた。
 どれも、『外の世界』に暮らしていた頃はよく身に付けていたものだ。
 
 ふと、壁掛け時計を見る。
 長針は6、短針は1と2の中間を指している。

(八坂様も、洩矢様も。結局、私を起こしてくれなかったな……)








 こうして早苗は、「悪い子」になった。 




(続く)
ケロちゃん可愛い可愛い可愛すぎる!
そしてクライマックスへ!
ケロリズム
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コメント



0.450簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
はははーっ!
こりゃ楽しみだ、続く悪い子の結末!
でも私の気分はどんより曇り空!

それじゃあクライマックスへ行ってきまーす。