Coolier - 新生・東方創想話

幻想チルドレン

2007/12/19 06:24:29
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 携帯電話を機種換えしてまだ3か月くらい。ライムグリーンのスマートなデザインが可愛くて、友達と寄ったショップでついつい手が伸びてしまったのだけれど、今となってはよせばよかったのかなあと思う。幻想郷に来てから五日くらいでバッテリが切れたのだ。てのひらになじんだライムグリーンの丸っこいボディを開くと、モニタは黒く沈黙している……ってそんなことはわかりきってる。携帯電話が使えないことよりも、未だこれをポケットに入れて、ことあるごとについいじってしまう自分が少し悲しくなる。ゲンダイ人、ってやつ。このてのひらに収まる感触が恋しい。こういうのもライナスの毛布っていうのか知らん、なんて。
 大きく白い息を吐く。めっきり寒くなった。白いもやを追って視線を上げると、守矢の石鳥居ごしに空が広がっている。向こうの山の稜線まで、空。眼下には人間の里、湖、幻想郷の大地。引っ越してばかりの頃から、幻想郷の空が外よりも広いと感じていたのだけれど、そして、それはただの錯覚だと思っていたのだけれど、つい最近その認識の理由に思い至った。幻想郷には電信柱と送電線がない。私の携帯電話のモニタが明かりを取り戻すのは、外で電気エネルギーが幻想になってからみたいだ。人類科学の発展を祈っておく。
 から、ころ、と石畳を高下駄の歯が噛む音に顔を上げると、文さんがいる。
「やあ、良いお日柄で」
 文さんは気楽そうに手を振る。から、ころ。「どうしたんですか、ぼうっとして。まるで麓の巫女みたいですよ」
「不名誉な」
「名誉なんてありましたっけ?」
「八坂様のご利益で得られます、信仰さえあれば」
 携帯電話をしまって、縁側から立ち上がる。安いセールスのキャッチコピーみたい、と文さんが言うのを無視して、ほうきをつかむ。木枯らしが枝を震わせ、境内には茶色い落ち葉が散り積もる。塵は参拝客を散らせる、信仰されるには見た目にも気を配らなくてはいけない、とは八坂様から言付かったことだ。
 ちゃりん、と金属音がして、ぱんぱんと柏手が二回。文さんが賽銭箱の前で手を合わせている。まったく、幻想郷の妖怪は人間臭い。もっと魑魅魍魎跋扈、みたいな世界を想像していたのに、どうも拍子抜けしたものだ。参拝を終えた文さんはからころと私のそばに来る。
「はい、今日の朝刊です」
「もうお昼過ぎてますけどね」
 新聞を受け取る。今日の一面の大見出しには、『幻想郷にサッカーブーム再燃の兆し!?』とある。これまた引っ越したばかりの頃、とにかく幻想郷の情報が欲しかった私は、文さんの新聞購読勧誘にすぐさま乗った。それを聞きつけた他の天狗記者たちが獲物に群がるハイエナよろしく神社に押し寄せてウチの新聞も、ウチの新聞も是非! 洗剤つけるよ! などと毎日のように神社がお祭り騒ぎになってしまった、というのは別のお話。
「それとこれは別口の配達物」
 と言って差し出されたのは薄紅の和紙でできた封筒で、受け取るとほのかに梅の香りがして差出人の趣味の良さがうかがえる。ありがとうございます、と腰を折ると、ときに、と言って文さんは視線を左右させる。
「神奈子様はどちらにおわします?」
「ああ」私は祭壇を一瞥して、ため息をひとつ吐く。「八坂様なら河童たちと信仰を深めてくる、と言って先ほど出て行かれましたよ」
 ふむん、と文さんは何か嬉しそうにニヤニヤ笑う。
「それは好都合。私もちょうど神奈子様と信仰を深めようと伺ったところなので」
 言うか早いか、文さんは挨拶もそこそこに石畳からいきなり飛び上がって、幻想郷の広い青空に消えた。――「信仰を深める」という隠語が公然と妖怪の山に伝わるようになったのはいつからだろうか。今頃渓流のあたりで河童と天狗の入り混じった宴会が催され、八坂様も大喜びに違いない。
 さて、それよりも。私は落ち葉の片付けを大まかに済ませてしまって、社務所に帰る。Jリーグなんて目じゃない奇天烈な試合が見れそうなサッカーの記事も面白そうだけれど、今私の気持ちはやらせているのは薄紅色の封筒のほう。表にはほそく繊細な字で「東風谷 早苗 様」と宛名書きがしてある。端をはさみで切って、中身を取り出す。待ちに待った手紙の返信を、私は少しどきどきしながら開く。



     前略

 丁寧なお手紙を頂戴致しまして、痛み入ります。ご用命の件に関しましては、当方には何も問題なく、喜んでお迎え申し上げることをお約束いたします。積もる話などございましょうが、それはお目にかかった際に存分にすることにさせて頂きたく存じます。取り急ぎ、用件のみの詰まらない内容で申し訳ございません。私どもはあなたの好奇心を心から歓迎するものであります。いつでもご都合のよろしいときにおいで下さい。

                          かしこ

                          稗田当主  阿求



   ◆◇◆



「いや、驚きました」
 邸を訪問するとすぐ、客間に通された。お手伝いさんを雇うほどの大きな邸に入るのは初めてで思わず足がすくんだのだけれど、私が三和土で立ち往生している間にもお手伝いさんは学校の廊下くらいありそうな広さの縁側を平気な顔でずんずん進んでいくので、私はそれにカルガモのヒナよろしくついて行くしかなかった。こうして座っている今もどことなく所在無い感じ。書院造の和室。座布団は縮緬ってやつなのだろうか、触り心地がよくてふかふかで、たたみはなんだかいい香りがする。床の間にかかっている掛け軸は繊細な筆遣いで山水を描いた水墨画で、どう見ても高そう。その下にはなんだかでっかい蓄音機が鎮座ましましていて、この無骨なフォルムの舶来品が、和室に違和感をもたらすかと思いきや明治あたりの知識人の家みたいなハイカラ風味をにじみ出している。さすがは幻想郷有数の名家、という感じ。
「驚いた?」
 私がおうむ返しに訪ねると、その名家の当主は優雅にカップを傾けて、そのままソーサーに音もなく載せて一呼吸。そうしてこちらに微笑をくれる。
「わざわざアポイントを取ってから訪ねてくる丁寧なお客様は始めてでしたので」
 そう言って、ねえ、と私の隣にいる魔法使いを見やる。魔理沙は片手を畳についた気楽な様子で、砂糖をスプーンたっぷり五杯入れた紅茶を飲み干した。
「あー? 稗田は好奇心を常に歓迎するんじゃなかったっけ?」
「ええ、もちろん。そして礼儀正しい人は大歓迎です」
 稗田家当主は女の子のように笑う、っていうか、女の子だ。私や魔理沙とそう歳も違わないだろう、花飾りの似合う可愛い少女が、この名家の当主なのだそうだ。客間に通されてから、稗田の当主はどんな人なのだろうと想像をたくましくして緊張していたのだけれど、障子を開けて入ってきたのが可愛い女の子で、最初はこの子もお手伝いさんなのかしらと思ったくらいだった。それが三つ指突いて丁寧なお辞儀で、「はじめまして、阿求と申します」と言うものだからびっくりした。そしてその後ろから急にホウキで飛んできて、縁側に着地するなり「よ、遊びに来たぜ」と堂々とのたまった魔理沙には開いた口がふさがらなかった。阿求さんは動じた風でもなく「あら、いらっしゃい」と言って、魔理沙が起こした突風にスカートのすそを押さえていたお手伝いさんを捕まえて「紅茶を持って来てもらえますか。葉はアッサム、カップは三つで」と言ってのけた。外見によらず大物だと思った。
「お客は主人からキッチリもてなしを受けるのが礼儀だぜ」
 そう言って阿求さんの方にカップを差し出す魔理沙もある意味大物かもしれない。「礼儀正しいことで」と阿求さんはそのカップに紅茶を注ぐ。私は砂糖を二杯入れてちびりを口をつける。缶やペットボトルの紅茶と全然違う。クセがあるのだけれどほのかに甘く香る、みたいな、うまく言えないけれど、とにかく、美味しい、のだと思う。阿求さんはポットを置くと私に微笑みかけた。
「改めまして、稗田にようこそ、東風谷早苗さん……いえ、幻想郷にようこそ、でしょうか」
「あ、その、どうも」
 改めて言われるとなんだかくすぐったい。
「で、巫女二号はどうしてここにいるんだ?」
「それはむしろ魔理沙に聞きたい」
「さっき言ったじゃないか。私は普通に遊びに来ただけだぜ」
「要するに暇だったんですね」
「馬鹿言うな、私はいつだって忙しい。今だって遊ぶのに大忙しだ」
「……屁理屈のこね方がニートっぽい」
「ニートってなんだ」「ニートって何ですか」
「えーと……幻想郷じゃありえない人種。たぶん」
 なんて益体のない会話をしていると、障子の外から、失礼します、という声がする。そうして障子が開いて、お手伝いさんがいくらかの冊子と紙束を机の上に置いて、会釈して去っていった。
「早苗さんはこれをご覧になりにいらしたのですよ」
 阿求さんが私の代わりに魔理沙に言ってくれる。魔理沙は、へえ、と言って私が手に取った冊子を眺める。
 幻想郷縁起。
 幻想郷に住むにあたって、そして幻想郷で信仰を得るにあたって、私は何も知らなさすぎたと、私は以前の霊夢や魔理沙との騒ぎから学習した。そうして、妖怪たちと親交を深めるのはもちろん、こうして情報集めに精を出している。『文々。新聞』を取ったのももちろんその一環だ。そうしているうちに稗田家のこと、幻想郷縁起のことが耳に入ってきて、私はそれを読ませてもらおうと阿求さんに手紙を出した。その甲斐あって、その本は今私の手の中にある。和とじの冊子をとりあえずぱらぱらとめくると、きれいに印刷された文字とイラストが目に入る。もっと古文書みたいな難解な草書だと思っていたけれど、一安心。……どうも私は幻想郷のイメージを旧い未開の地、みたいな感じに設定しすぎているのかもしれない。
「阿弥の時代以前のものは私でも読むのに苦労するくらいなんですけどね。今回のは多くの人に見てもらおうと思っていたので、工夫を凝らしましたよ」
「それはいいんだが」と私の肩越しに縁起を覗き見ていた魔理沙がニヤニヤ笑う。「この縁起、そろそろ情報が古くなってきてるぜ。河童が個体未確認のままだし」
「ああ、河城にとりさんですね。載せられるだけの情報がそろえば追記しますよもちろん」
「なんならこの霧雨魔法店店主が取材に協力してもいいぜ」
「護衛としては心強いんですけど、妖怪の山の登山口で門前払いとかされませんか」
「押し通る」
「つつしんでお断りします」
 魔理沙と阿求さんの会話を聞き流しながら、私は縁起のページをめくる。妖精や妖怪なんかの情報が分かりやすく整理されていて、読み物としても面白い。そして、あるページがなんとなく目に付く。見出しには、『境界の妖怪 八雲紫』とある。
「やくもむらさき?」
「醤油みたいな名前だな」
「早苗さん、その方の名前は『ゆかり』と読みます」
 ……ちょっと恥ずかしい。咳をひとつして、再び八雲紫の項に目を通す。素性不明、棲家不明、幻想郷を破壊することすら可能な反則的な能力、幻想郷においてすら荒唐無稽と思わされるような逸話。なんだこれ。こんなのが、幻想郷の一妖怪だというのか。これじゃあまるで……
「そういえばこの本、私のことも載ってるんだ」
 横から魔理沙の手が割って入って、思考が中断する。魔理沙はなにやら嬉しそうにページを進めて、『英雄伝』の霧雨魔理沙の項を開いて、ほれほれと指さす。
「……泥棒稼業?」
「おい稗田の。余計な記事が増えてるぜ」
「面白おかしく追記しましたよ。以前言われた通りに」
「私は面白くない」
 魔理沙と阿求さんがもめ始めるのをよそに、私は少しページを戻す。魔理沙の項が開かれる直前に目に入った文字が、私の記憶に強く焼きついていた。魔理沙のページから戻ることわずか七ページ。
『外来人』
 ああ、となんだかよくわからない息を吐き出していた。私以外にも外から来る人間はいるらしい、ということを知って、なんだろう、安堵? 共感? とかく、私はその記事にひかれて全部読む。「すぐに携帯電話という道具に耳を当て、その後途方に暮れる。」という記事に思わず「ふへっ」と変な笑いが漏れた。テーブルをはさんで言い争っていた二人が同時にこちらを向いた。
「どうした。……ああ、自分のことが書かれてて嬉しかったのか」
「いや私じゃないし……いや、私なのか……」
「あら、早苗さんの記事も近々追加の予定ですよ」
 阿求さんが何気なく爆弾発言して私はびっくりする。「え、でも、私について書くことなんて」
「十分記事になりますよ、早苗さんは。外の世界から神社ごとやってくる人間なんて、幻想郷始まって以来の存在なんですから……幻想郷縁起は、そして御阿礼子は、それを幻想郷の歴史に書き留める義務があります」
 阿求さんは相変わらずにこやかで、でも語る声音にはひどく真剣味があった。私は幻想郷における自分の立ち位置について、もう少し注意をするべきなのかもしれない、と思う。八坂様とはもちろん真剣に相談した上での幻想郷への引越しだったけれど、それは私たちの都合の話で、それを受け入れる幻想郷側にとっては、私たちは思いがけない変化をもたらした余所者といっても過言ではないのだ。
「ああ、そんなに心配しなくても大丈夫です。記事が完成したら、縁起に載せる前に早苗さん本人に検閲して頂きますから」
 私の表情を見てちょっと誤解したらしく、阿求さんがそんなフォローを入れてくれる。私は本を閉じる。
「これ、お借りできませんか。全部読みたいんですけど、長くお邪魔するのも何ですし」
「別に気にしなくても大丈夫だぜ? のんびりで」
 魔理沙には訊いていない。阿求さんは紅茶を一口含んで、カップをソーサーに置くと、「よろしければそれは差し上げますよ」と言った。
「え、でもそんな、悪いです」「へえ、大盤振る舞いじゃないか」
「良いんです。今回の縁起は、最新の印刷技術のおかげで大量生産できてますから」
 その印刷技術とは天狗のものなのだ、と語って、稗田阿求さんはいたずらっぽく笑った。「妖怪の力を借りて、妖怪対策の本が人間に流通してるんですよ、今の幻想郷は。面白いと思いませんか」
「幻想郷は元々面白いところだぜ」
「……ええ、面白いです」
 わからないことだらけだし、価値観が揺さぶられっぱなしだ。私は丁重にお礼を言って、おいとましようと立ち上がりかけて、ふと思い出す。
「よろしければ、これ、どうぞ」
 私は阿求さんに守矢神社のお札を差し出す。「八坂様のご利益が受けられます。ご利益の種類は、五穀豊穣、武運に加えて、学業成就、家内安全、安産祈願、交通安全、縁結び……」
「おいおいこんなところでも宗教勧誘かよ……しかも前に聞いたのよりご利益増えてないか」
 呆れる魔理沙に対して、阿求さんはにこやかな表情を崩さない。私の手からお札を受け取ると、ありがとうございます、とかわいらしく腰を折る。
「うちの神棚に飾っておきますね」
 私は胸中で小さくガッツポーズする。人間の里になかなか八坂様の存在を知らしめられていなかったのだけれど、里の名家が八坂様の信仰を約束してくれたのだから、いい足がかりになるかもしれない、と思う。
「今日はありがとうございました」
 おいとまする旨を告げると、阿求さんは立ち上がって、玄関までお見送りします、と言った。つられるように魔理沙も立ち上がって、阿求さんの先導で廊下を三人並んで歩く形になった。そこで、私はふと思い出す。
「あの、八雲紫なんですけど」
「紫様?」「あー? スキマ妖怪がどうした?」
「一度お会いしてみたいんですけど、……やっぱり、難しいですか」
「こちらから会おうと思って会うのは不可能に近いですね」と阿求さん。
「でもそのうち会えるんじゃないか? 神出鬼没だし」と魔理沙。
「そういうものですか」
 すると二人は同じような苦笑を作って顔を見合わせた後、声をそろえた。
「紫様ですから」
「紫だからなぁ」



   ◆◇◆



 稗田邸を出ると幻想郷の冬空が再び私たちを迎える。室内の温度に慣れた肌に清涼な空気がツンと刺さって、私はちょっと身震いする。魔理沙は隣でううーんと伸びをした。昼下がりの人里。往来を人が絶えず行き来して、八百屋さんの威勢のいい売り文句がここまで届き、肉屋の親父さんがそれに負けまいと続き、井戸端では奥様方が世間話に花を咲かせている。
「で、早苗はこれからどうするんだ」
「ん、もう神社に帰ってお掃除かなあ」
「なんだつまらん。それじゃ霊夢と変わらないぜ」
「不名誉な」
「名誉なんてあったのか? ……そういえば、お前と一緒なら妖怪の山にも大手を振って入れるな」
「ついて来るな」
「ケチ臭いなぁ」
 魔理沙は詰まらなさそうにぶーたれながらも、私について歩いてくる。私は、野菜が切れかかっていたのを思い出して、八百屋さんの軒先に向かおうとして、風景にひとつの違和感を発見する。幻想郷の一般的な服は、和服を発展させて和風と大陸風を混ぜたような、幻想郷風としか言えない服装で、それでも全体的に地味な色合いをしていることが多い。八百屋の軒先に並ぶそれらの中にあって、一人、明らかな西洋風の装いの人物がいる。シルクみたいなつややかな生地、豪奢にならない程度にフリルのあしらわれたエプロンドレス、レースのついたカチューシャ……って、メイドさんだ。どう見てもメイドさんだった。
「おお、咲夜じゃないか」
 横で魔理沙が親しげな声を上げるので私はびっくりする。それに反応したのは、あろうことかさっきのメイドさんで、彼女は銀髪をなびかせて瀟洒に振り向いた。
「あら魔理沙、今日も暇そうね。それと……」
 メイドさんのむやみにきれいな二つの目が私を見て、私は訳もなく緊張する。
「……代替わり? 霊夢は巫女引退?」
「これだから紅魔館は音速が遅いぜ。巫女は巫女でも流行ってる方の神社の巫女だ」
「その、はじめまして、守矢神社風祝、東風谷早苗と申します」
 これまたよくわからないけど畏まってお辞儀などしてみる。顔を上げると、メイドさんは涼しげな瞳で見定めるように視線を投げかけてくる。そうして、ふうん、と形のいい口元をほころばせる。
「十六夜咲夜よ。よろしく、新人さん」
 私はドキッとする。「な、なぜ新人だと」
「魔理沙の知り合いにこんな礼儀正しいのなんていなかったもの」
「どういう意味だそりゃ」
「別に屈折した意味などありませんわ」
 八百屋の奥から親父さんが袋を差し出してきて、咲夜さんはそれを受け取る。袋のからでっかいカボチャがはみ出して見える。魔理沙はそれを見てなぜか嬉しそうに笑う。
「おっ、今日はパンプキンポタージュか」
「……その目は、食べに来る気? 私は別にいいけど……あんた、パチュリー様が最近怒ってるの、わかってる?」
「お客としての礼儀にならって、主人のもてなしを受けるだけだぜ」
「あのねえ。……昨日も言われたのよ、猫なら猫らしく鼠にお灸を据えることくらいは出来ないのか、って。私が無能みたいに思われるのは我慢できないの」
「あー、そういえば最近肩こりが酷くてなあ。咲夜は無能じゃないだろう? 料理もマッサージも上手い」
「じゃあ、気持ちいいのをひとつ差し上げましょうか?」
「私が勝ったらポタージュも頂くぜ」
 魔理沙がほうきにまたがる。途中から会話の流れについていけなくなってぽかんとしていると、咲夜さんがこっちに向かって買い物袋を放り投げてきて、「ちょっと預かっておいて頂戴」と言う。放物線を描くそれを私は間一髪で受け止めて、ついバランスを崩してしりもちをつく。見上げると、上空で魔理沙と咲夜さんが対峙していて、魔理沙が「三枚な!」と言う。咲夜さんは面白そうにうなずいて、次の瞬間には、咲夜さんの手にどこから取り出されたのか三枚のカードが握られている。スペルカード。おいおい、と私は思う。こんなところで弾幕戦など始めるつもりか。案の定、周囲の人々がそれを見てざわつき始める。周りの人を逃がすべきか、自分が止めに入るべきか、と迷う暇もなく、宣言は高らかになされた。
「行くぜっ! 魔符『スターダストレヴァリエ』!」
「奇術『ミスディレクション』」
 幻想郷の冬枯れの空に、色鮮やかな弾幕が展開される。星状の弾やらクナイやらナイフやらが流れ弾として地上にも降り注ぎ、戦闘力を持たない里の一般人はクモの子を散らすように逃げ惑い、
「なんだなんだ」「弾幕決闘だ! 森の魔法使いと……」「紅魔館のメイドさんじゃないか」「面白そうだな」「魔法使いの弾幕、前より速度上がってね?」「メイドさんの弾幕はいつ見ても味があるな」「そこだっ! いけっ!」「ああっ惜しい!」「魔法使い頑張れー! 悪魔の犬に負けるなー!」「メイドさんいけー! 野良魔法使いに目に物見せろー!」「みてー、おかーさん、きれいー」「十六夜咲夜さん結婚して下さい!」「バッカてめぇ咲夜さんは俺が嫁にもらう」
 逃げ惑い……はしなかった。むしろ人が集まってきて、上空に向かって声援や好き勝手なヤジを飛ばし始める。弾幕の評論を披露して通っぽいことをまわりに見せようとする人がいて、さらにはなんか良くわからない場外乱闘まではじまってしまう始末。
 なにこれ。
 まるで野球チームの応援団のような騒ぎ。咲夜さんの流れクナイ弾を脳天に受けて幸せそうに昏倒する男の人を見送って私は再び空に目をやる。咲夜さんの二枚目のスペル「殺人ドール」に対して魔理沙は同じく二枚目の「アステロイドベルト」で対抗している。魔理沙の圧倒的な物量を誇る弾幕と咲夜さんのトリッキーな弾幕が相殺し合い火花を散らす。物量に押された咲夜さんが被弾し、魔理沙は口元を吊り上げる。そして、死角から飛んできたナイフにあっさりと被弾、今度は咲夜さんがしてやったりという風に笑む。原色で空を覆っていた弾幕が一瞬消滅して、いきなり訪れた静けさの中でお互いが最後のスペルを宣言しようとした時に、怒声が響いた。
「お前ら! なにやってるんだ!」
 皆の視線がそこに集まる。上空の一点。青いワンピースに、戦国武将のような飾り羽のついた帽子をかぶった女性が飛行して来た。
「人里で暴れるな与太郎ども! あと皆も見物するな!」
 その声が言葉を終えるかどうか、というタイミングで手をつかまれる。さっきまで上空にいたはずの魔理沙が地上に帰って来ていた。
「めんどくさいのが来た。ずらかるぜ」
「え、ちょ」
 魔理沙は信じられない速度で飛行し、その場を離れる。肩が外れそうになる。次第に遠ざかってゆく人里の風景を眺めて、私は思う。
 確かにこれは泥棒稼業の速度だ、と。



   ◆◇◆



「で、なんでウチに逃げてくるわけ」
「神社は関税自主権だからな」
「……治外法権?」
「そうそれ」
 それも微妙に誤用じゃないかなあ、と思いつつ、私は魔理沙に恨めしい視線を投げかけてやる。
「っていうか、何で関係ない私まで逃げないといけないの」
「つれない事言うなよさっちゃん」
「勝手にあだ名をつけるなっ」
「ちょっと魔理沙。それだとそこのメイドと区別がつかないわ」
「……ツッコミどころはそこなのかしら」
 麓の神社こと博麗神社の鳥居のあたりにもつれるように不時着した私たちを、霊夢と咲夜さんが見下ろしている。ほこりを払って立ち上がるときに魔理沙のお腹を踏んでしまったらしく、「ぐえ」と蛙の潰れるような声がした。
「そういえば、咲夜さんはどうして?」
 魔理沙との決着をつけにきたのだろうか、と思った。咲夜さんはため息をついて、私の手元を指差した。カボチャの入った買い物袋があった。
「ごめんなさい」
「まあ、いいんだけど」咲夜さんは買い物袋を受け取る。「ああ、余計な労力を使って喉が渇いたわ。霊夢、お茶を頂けるかしら」
「待て、霊夢にお茶をねだるのは私の役目だ」
 さっきまで潰れていた魔理沙が憤慨しながら立ち上がる。どんな役目だそれ。霊夢はと言うと、ため息をついて、「どいつもこいつも神社を何だと思ってるのかしら」と誰に聞かせる風でもなく呟いて、なぜか私を見る。
「あんた、ちょうど良かったわ。あれをどうにかしてよ」
 霊夢は玉串で境内の方を指した。玉串をそんな罰当たりな使い方するなと咎めようと思ったけれど、境内の方を見てそれも吹っ飛んだ。宴会が行われている。幻想郷に来てから何度ともなく見た光景だ。そしてそこにいるのは、河童、天狗、有象無象の妖怪たち、そして、神様。
「八坂様! 何してるんですか!」
 つい叫ぶと、あー? と呻きながら八坂様が振り向く。目がトロンとしていて、濡れた口の端を腕でぬぐう動作が実におっさんっぽい。
「何ってー、ねえ皆?」「そうれす神奈子様ー! 我々天狗はー! 信仰をよりいっそう深めるためりー!」「あははははは」「酒が切れたー樽三つくらいもってこーい」「おーい河童! 水芸は見飽きた! 別のことやれー!」「じゃあ尻子玉抜きまーす」「やれやれー」「尻って、ちょ、なんでこっちを見るの」「よしみんな文を取り押さえろ」「ちょ、皆まで、待って、に、にとりさん、本気じゃないですよね?」「おりゃー!(ズボッ)」「み゛ゃああ゛ぁぁああぁぁあああ! らめえええぇぇええええぇぇぇええ!(ビクンビクンッ)」
 頭痛がしてきた。
「……渓谷でやってたんじゃなかったですか。どうして麓の神社にいるんですか」
「どうしてって、ほらぁ、博麗神社にも私の分社が出来たでしょお。分社さえあればどこにでもいけるのよぉ」
「いや、手段じゃなくて」
「あははは冗談冗談。あっちで盛り上がってるときに博麗の巫女の話題が出てねえ」「そうれあります八坂様ー! 我々は博麗とも信仰を深めようという崇高なー!」「麓の巫女は何かと面白いからー」「博麗のー、お前も神奈子の恩恵を受ける身なのだからー」「尻子玉らめぇぇえええええぇえええ!」
 私が二の句を次げないでいると、霊夢が私の隣に歩み寄る。
「……分社、叩き壊していい?」
 私は空を仰ぎ見る。博麗神社のところどころ丹の禿げた鳥居の向こうに、幻想郷の空。めっきり日が短くなってきて、もうお山の向こうは赤く染まり始めている。視線を地上に戻す。宴会はますます盛り上がっている。なんか魔理沙がいつの間にか混ざっている。凄い順応力だ。
「まあまあ霊夢。そういうことを言うものではないわ……ささ神奈子さん、もう一杯」
 八坂様の隣にいた女性が杯にお酌する。八坂様は一気にあおる。女性は霊夢にお猪口を差し出して、「あなたも信仰を深めればいいでしょう」と言う。霊夢はため息をつく。
「後片付けが面倒なんだから、よそでやればいいのに」
 それでもちゃっかりお猪口は受け取っている。「せめて頭数が減ればいいのに、なんであんたはいつも来て欲しくない時に来るんだか」
「じゃあ次は霊夢が寂しくて寂しくて仕方ないときに来ればいいのね」
「そんなときはない」
 女性は宴会の輪に加わった霊夢を見て笑う。そうして、こっちを見る。
「そこのお二人もどうかしら」
「私はお嬢様の朝食を作らないといけないので」
 咲夜さんが言うと、女性は、あら、それなら、と言ってお猪口を咲夜さんに差し出す。
「あの悪魔にも招待状を送っておいたから、もうすぐ来るわ」
 咲夜さんはなんとも言いがたい、という表情になってから、脱力するようにため息を吐いた。お猪口を無視するようにきびすを返すと、
「霊夢、お勝手借りるわね。パンプキンポタージュを作らないと」
「酒に合うように煮付けも頼むぜー」
 ちゃっかりリクエストする魔理沙に、はいはい、と返事をして咲夜さんは社務所の方へ消える。
「あなたは?」と一人残った私に向かって女性が言うと、八坂様が立ち上がる。
「早苗、そんなとこに立ってないで、あなたも信仰を深めるのよ!」
 私はやれやれ、と思いつつ、八坂様の言うことには逆らわない。幻想郷への引越しのときも、今も。私は宴会の輪の中に入る。そうして、八坂様の隣ではなく、女性の隣に腰掛ける。そう簡単には出会える人物ではないという女性、いや、妖怪。私は今日の稗田邸で考えていたことを思い出す。そうして、挨拶も抜きにいきなり問いかける。
「あなたは、幻想郷の神なのではないですか。守矢を幻想郷に招いたのは、あなたですか」
 彼女は、幻想郷縁起で見たイラストのままの笑みを浮かべた。わあっ、と向こうの方で歓声が上がった。彼女は何も答えずに夕暮れと夜空のあわいの色をした二つの目で私を見つめる。私も見返す。
 懐で、バイブレータが震えて、私の心臓は喉から飛び出しそうになる。
 バッテリが切れているはずの携帯電話。久々に聞く着メロ。懐で暴れるバイブレーションをつかまえて手の中で開くと、液晶に浮かぶ文字。
『着信:番号非通知』
 私は彼女を見る。彼女はただ笑っている。周りの宴会の風景がひどく遠く感じる。私は恐る恐る通話ボタンを押す。耳を当てる。
「もしもし」
『ようこそ』
 目の前の彼女を見て、私はビックリする。彼女の手にはいつの間にか紫色の携帯電話があって、彼女の唇が「ようこそ」と動くのと同時、私の携帯電話の通話口からその声が聞こえる。
 彼女は――八雲紫は、裂けるように笑う。

『幻想郷は全てを受け入れる。それはそれは――』



   ◆◇◆



 その日の宴会は吸血鬼たちも途中から参加して、夜明け近くまで続いた。
 八坂様は宴会が終わるとさっさと社に引っ込んだ。
 私は身内の神様が迷惑をかけたせめてものお詫びとして、霊夢の後片付けを手伝った。
 咲夜さんとその主人は夜明け前に帰った。
 魔理沙は天狗や河童たちに混じって寝ていた。
 八雲紫はいつの間にかいなくなっていた。

 明け方の幻想郷の空は、いつもより広く見えた。

 早苗さんはどちらかというといじめたいタイプ。

 あ、プチ以外ではおおよそはじめまして。
つくし
http://www.tcn.zaq.ne.jp/tsukushi/
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コメント



0.2800簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
お、これ何か好きです。
好い雰囲気で凄く幻想郷っぽい。
2.60翔菜削除
早苗さんかあいいよ早苗さん
3.90名前が無い程度の能力削除
早苗、最高。
4.80名前が無い程度の能力削除
「咲夜さん結婚して下さい!」「バッカてめぇ咲夜さんは俺が嫁にもらう」
もはやお約束となりつつありますが、こーゆーノリ大好きです^^
5.60幻想入りまで一万歩削除
里の人逞しいな~、江戸っ子気質なのだろうか?
尻子玉を抜れそうな文ちゃんがwww
6.100名前が無い程度の能力削除
ゆかりんはやっぱりゆかりんだなあ。

というか和やかな雰囲気だがあやや死ぬぞww
10.90名前が無い程度の能力削除
実にゆかりんな挨拶だ
11.70名前が無い程度の能力削除
あやちゃん死んじゃらめえええええええええええ
12.100名前が無い程度の能力削除
なんか和みました。ありがとう
18.100名前が無い程度の能力削除
ゆかりんのうさんくささが最高
23.90名前が無い程度の能力削除
ゆかりんに途方もないカリスマを感じた
24.90名前が無い程度の能力削除
なかなかの幻想郷とゆかりん。ごちそうさまでした^^
25.90名前が有ったらいいな削除
序盤の携帯電話の件→紫の携帯電話での会話が実に上手い・・・
里の人たちの雰囲気も今の幻想郷ではこんな感じなんでしょうねぇ。
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たったあれだけの出番でぐいぐいと凄みを感じさせるゆかりんイイわぁ。
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いいなぁ、こういった日常描写の和む話。
31.80削除
この後、紫と早苗がメル友になってるところを幻視した。
尻子玉抜かれた文はどうなるんだろう?腑抜けた…やる気無いブンヤ?w
32.90三文字削除
おお、幻想郷だ。
自分の中にある幻想郷がまさにこんな感じです。
いつでも陽気で、どんな時でも楽しむのを忘れない人たち・・・・・・
そして紫様がすごい
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携帯ダイナモを回せ!回せ!回せぇぇえええええ!!
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>序盤の携帯電話の件→紫の携帯電話での会話が実に上手い・・・
激しく禿同
49.90名前が無い程度の能力削除
ほのぼのまったり、いい話でした。
57.100名前が無い程度の能力削除
どっからどうみても幻想郷です、本当にありがとうございました。
59.100名前が無い程度の能力削除
文自重w
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あ~いい幻想郷だ
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良い幻想郷でした。
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ゆかりんのカリスマ半端ねえ!
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文ちゃんのアナr……もとい尻小玉穴にフィストするにとりとか、らめぇぇぇ。ん゛み゛ゃあああwww
しかし、この一瞬の登場だけで圧倒的な存在感を知らしめるか。正直最後は鳥肌。ゆかりんマジファンタズム。