Coolier - 新生・東方創想話

妖怪の楽園-中-

2007/12/02 04:45:45
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玉藻の死はすぐに天狗達の間にも広がった。

まさに棚からぼたもち、天狗達は大した被害を出すことなく争いを終結させたのだ。

「なんだ、随分とあっけないじゃないか」

崇徳天狗は無表情でそう言い捨て、酒を呷った。
そんな彼は……やり方はどうあれ、天魔に功績を認められて山への帰還を許された。
しかしそれについても彼は特にありがたいとは思わなかったらしく、終始興味の無い様子だった。
山の一等地に住処を与えられ、恵まれた生活を送ることにはなったのだが。

(腑に落ちん)

崇徳天狗の表情は晴れない。

玉藻は自害でもやらかしたのだろうか。
あの鴉天狗、射命丸文の報告では「本当に戦意は無さそうだった」とのこと。
それ以外は常時玉藻の妖気に目をくらまされ、何もできなかったのだという。

「胡散臭えな」

手酌でさらに酒を呷る。
だが文が……酷く疲れていたようだが帰ってきたのも事実。最悪、殺されるのではないかと思っていただけに驚きだった。
それに玉藻が死んだというのは揺ぎ無い事実らしい、萃香も驚きながら探りを入れたようだが……。

(萃香様がこれで治まるかね)

そこが崇徳天狗の不安要素。精鋭部隊は編成したものの、なんとか戦いを避けることに成功した。
本来なら、ここで怒り狂った玉藻が入山し、萃香と精鋭部隊で迎え撃つ予定だった。
そこで萃香の鬱憤も解消され、再び山に平和が戻るはずだったのに。

かつては鬼に劣らぬ荒くれ者だった崇徳天狗も、今ではすっかり丸くなっているのは事実らしい。
最近は殺伐としていたが、本来妖怪の生活というのは人間以上に穏やかなものである。
そんな日常が彼の私怨を少しずつ癒したのか、或いはかつての京での戦いで、既に私怨は晴れていたのか。



萃香は霧のかかる山頂で岩に座して動かない。
その表情は至って真顔で、もしかすると素面なのではないかと疑いたくなるほどだった。

しかし無理も無い、鬱憤晴らしになると思っていた玉藻はもうこの世にいない。
こうなってはもう自分の気持ちを抑えることも難しい。

酒を飲んでも震えることのない手が、震えていた。

また人間と戦うことへの恐怖か、人間に期待を裏切られることへの恐怖か。
或いは、かつて愛していた人間という種を、怒りのままに破壊してしまうことへの恐怖か。

誰にも、孤独な萃香の意図は測れない。



第三勢力として天狗と玉藻の両方を眺めていた紫も、幾度と無く予想を裏切る出来事に狼狽していた。

(死んじゃったの?)

紫も崇徳天狗と同様、独り暮らしの我が家で手酌酒。
本当なら既に絶世の美女、玉藻前にお酌してもらっていたかもしれないのに。
いつもより早く酒が進み、ちゃぶ台に顎を乗せてだらしなくため息を吐く。

二尾も死んだ、玉藻も死んだ。大陸から渡来した妖狐は皆、死んでしまった。

「天狗の馬鹿……」

ずずずず、と音を立てて、不愉快な様子で酒を啜る。
久々に会ってきた巫女の緊張感も良い具合に高まっていたというのに。
今回の争いはあの巫女の力をさらに高めるための、良い刺激になると思ったのだが。

(これじゃ、あと何百年かかるかわかったものじゃないわ)

それを思ってあくびした自分の息が酒臭くて閉口する。

まだやりようはあるのだが、玉藻を式神にするという夢が潰えた今、紫側の手駒が足りない。
なんと言っても天狗達は無傷らしいではないか。崇徳天狗も、なんたら童子も。

(私が真っ向から相手するのはめんどくさいわよぉ)

ぐり、と首を横にひねり、頭をちゃぶ台に載せたまま寝息を立て始める。

「果報は寝て待て……」

一度、自分のいびきで目が覚めて恥ずかしくなった。
姿勢が悪いからだと思い、酔いで火照る体のまま布団へと潜り込んだ。



しかし「果報は寝て待て」という紫の考えは当たっていた。
目を覚ます頃には、再び、紫の望んでいた争いの火種が生じることとなる。



■藍



「玉藻……九尾だ、九尾が来た……!」

白狼天狗達が皆腰を抜かしていた。
以前の襲撃と違うのは、誰一人怪我を負っていないということ。
なんと、あの夜文が見た姿のままの玉藻が山に姿を現し、死に物狂いで迎撃する白狼天狗達を翻弄して消え去ったというのだ。

「落ち着いて。本当に九尾だったんですか?」
「間違いねえよ。あんな大きな妖気……」

玉藻の本当の姿を見たものは現時点で文と天魔、あとは数人の大天狗のみ。
そのため重要参考人として、身軽な文が事情聴取に当たっていた。
そして確かに身体的特徴やその巨大な妖気、白狼天狗の言葉のどれもが文の記憶にある玉藻に一致する。

(玉藻の本来の姿を知っている者はもうこの国にはいないはず)

二尾は死んだ。それ以外では玉藻は常に変化していた。
九尾の死体は人間に確認されている、玉藻が生きているとは……いや、奴の妖術ならばありえないとは言えない。

――いや、待って?――

九尾の死体のみ見つかった?

二尾の死体はどこへ?

「嘘でしょ……!?」
「どうしたんだよ文?」

確かに死んでいたように見えた。妖獣は、死んでもしばらく体内に残留した妖気で、変化した姿を保つという。
本来の狐の姿があって、その次には半人のような、耳や尻尾のみ残した状態が第二段階として存在する。
そこからさらにいろいろな姿に変化するという、第二段階も一種の変化ではあるが……。

(二尾が、玉藻に化けている?)

外見的変化は不可能ではないだろうが、しかしあの強大な妖気まで真似るというのは無理がある。

(大陸からの、新たな刺客?)

そう考えるのが一番自然だが、それではあまりにも都合が良すぎる。
あの夜、膨らんだ玉藻の妖気。大陸の仲間を呼び寄せる合図だったと考えられなくもないか?

(いや)

二尾の死体が発見されていないことへの説明がつかない。
あの短い間に埋葬することは……玉藻ならば可能だろうが、そうとは考えにくい。
玉藻の性格からすれば、ずっとあの亡骸を抱いて泣いていたと考えた方が自然だ。



滝の上で少女が一人、慌てふためく天狗達を見下ろし、不敵に笑っていた。
その顔はあの二尾。だが体毛は眩い金色に変化し、何よりも大きな変化はその臀部から伸びる、長い九尾。

その表情はあたかも、山への侵入など朝飯前だ、と天狗達を嘲笑っているように見えた。
だがしかし、山への侵入を果たしたとして何を目指すのか……。

目的も何もかもが不明な新たな敵の出現に、崇徳天狗も萃香も、再び臨戦態勢を取った。
やはり戦いはまだ終わっていない、天狗も萃香も、血を流さなければならないのだろうか。

九尾の姿が一瞬霧に包まれ、その霧が晴れる頃にはまた消えていた。
その日はそこで終わりだったのか、その日、山で玉藻が発見されることはもう無かった。



一方、紫は巫女を訪ねていた。
この状況は紫にも把握が難しい……玉藻前は、紫や萃香の想像を上回る大妖怪だった。
実際に立ち会って勝負すればどうかはわからないが、その頭脳は情に脆い性格に反して、極めて冷静で鋭い。

一つは、死んだと見せかけ、生きていたのか。

一つは、大陸から仲間を呼んだのか。

紫の脳内には、その他にも無数の可能性が転がっていた。
その一つ一つを拾い上げては、これではない、と思い直して髪の毛をかきむしる。
長く生き、知恵を蓄えているからこそ、様々な状況を思い浮かべ、混乱していた。

そこで紫が足がかりにしようとしているのは、巫女の勘。

勘だけに関して言えば、あの最弱の二代目が一番優れていた。
彼女は大して強くも無かったのに正義感だけは強く、さらに勘が優れているから幾度も危険に飛び込んでいった。
それゆえに紫が暗躍し、二代目を守ってやらねばならぬことも数度あった。

紫に守られていることに気付くたび、彼女は悔しがって泣いていた。

あれも今では良い思い出……彼女ももうこの世には居ない。

「あっづぅ~……」
「こんばんは」
「うわっ!?」

そんな彼女の娘……期待の星の三代目。

三代目は、真夏の夜の縁側で仰向けに寝転んでいた。
そのまま放っておいたら溶けてしまいそうな表情だった。
一度は紫に驚いて飛び起きたものの、すぐにまた無防備に寝転ぶ。

そこで紫は一つ気付く。

「あら、貴女また背が伸びたんじゃない?」
「んー……よくわかんない」

紫は巫女の側に座ってその頭を撫でた。
巫女は嫌がる素振りも見せず、仰向けのまま黙って天井を見つめている。

紫もなんとなくその視線の先を眺め、小さな声で呟いた。
辺りは静寂に包まれている、大きな声を出す必要などなかった。

「玉藻前、死んでしまったらしいわ」
「……そうなの?」

巫女の勘は何も掴んでいないのだろうか。
いずれ紫もあの騒動に首を突っ込むつもりでいるが、動くにはまだ少々早い。
得られる情報は外側から安全に手に入れたい。

「それにしちゃー、なんだか剣呑な気がするけどねぇ」
「ええ、新たな九尾が現れたらしいの」
「いや、なんか違うのよ、こう……うーん」
「何よ、説明が下手ねえ」
「胸騒ぎが収まらないのは相変わらずよ。まったく、居てほしいときには居ないくせに」

巫女がすねているように見えて、なんとなく可愛らしく思った。
しかし、暑さにうだりながらもその目だけは険しい。闇の中から何か情報を掴もうと必死に模索している様子だ。

そして少時思案した後に、巫女は紫を睨みつけた。

「あんたと、もう一匹、何か」
「……?」
「この異変を大きくする要素よ」

やはり、ごまかしきれるものではないらしい。
緩い態度で巫女をあしらうことで、うやむやにしていたつもりだったが。



しかしこれは予想範囲内。



丁度良い……そろそろ、そのつもりだった。



「なら、退治してみる?」

紫も巫女を睨み、口だけで笑った。

「貴女がもし、私に負けたら……」

巫女はその言葉を受けて無言で立ち上がり、腰からお払い棒を抜く。
冷静にして勇ましい、しかしそんな巫女の様子を見ても紫はひるまずに続ける。

「私は貴女を食うわ」

湿った夜風が二人の頬を撫でた。
巫女は驚いた風もなく、目を細めて紫を見つめる。

「唐突ね……あんたが私を利用してるってのは、なんとなくわかっていたけど」
「食べごろになるの、待っていたのよ」

紫は自分の胸元に隙間を開き、そこに両肘をついて、組んだ手に顎を預ける。

「霊力も、体格も、一番食べごろ……美味しそうだなって、常々思っていたわ。我慢するの大変だったんだから」
「……妖怪……」
「そして私は貴女の力を得て……天狗も、九尾も、鬼をも従える」
「そんなことして何になるのよ、あんたらしくないわね」
「妖怪の楽園を作る」

日の光も無いというのに、紫は不意に日傘を開いてその視線を隠した。
巫女の視点からは、不気味に微笑む紫の口元だけが夜の闇に浮かんでいるように見えた。

「妖怪の楽園?」
「そう。人が力を持たない、かつての世界を再現するの」
「別にそんなの、今のあんたでも可能じゃないの?」
「完全なる支配者、管理者が必要なの。そうね、皆それを『神』と呼んだのかもしれない」
「妖怪が神様気取りたがるって、よくある話よ」

巫女は袖から符を抜き、紫と同様、それを眼前に構えて視線を隠した。

口元は笑っている。

「私が勝ったら、紫」
「あんまり無茶な注文はよしてね?」
「京の妖魔調伏に協力なさい。少し騒ぎが大きすぎるのよ」
「めんどくさいわ。却下」
「敗者に口なし、よ」

少時の静寂の後、再度、夜風が吹き……縁側に吊るされた風鈴が、ちりん、と鳴った。

二人の戦いは、その風鈴の音よりも静かだった。

紫の攻撃が巫女に届く前に、巫女の体は闇に溶け、次の瞬間には紫の背後に居た。
そこから繰り出される攻撃は、紫の隙間に吸い込まれてしまう。

傍から見ると、まるで遊んでいるようにしか見えなかった。とても戦っているとは思い難かった。
おそらく、紫も巫女も本気は出していないだろうから、遊んでいるという表現は的確かもしれない。

人間と妖怪。

巫女は紫を嫌いではなかっただろうし、紫も巫女と気が合うと思っていた。
だが二人には決定的な違いがあった。それが妖怪である紫と、人間、ましてその妖怪を討ち滅ぼす存在である、巫女。

巫女はこのままだらしなく紫と付き合えれば、それで良いと思っていた。

(あんたは違ったのね……)

さほど悲しくはない。
おそらく、祖母や母もそうだったのだろう。



紫は祖母の話をよく聞かせてくれた。

戦った回数はわずかに二度だったという。

最初は祖母の勝利で、二度目は紫の勝利だったそうだ。
子を産んだ後の祖母は、あまりに弱体化していて相手にならなかったらしい。
だが紫はそんな祖母に止めを刺すことも無く、その後も友人関係を保っていたという。

巫女の幼少時に力の使い方を教えてくれたのが祖母だったが、それはほんの基本技能でしかなかった。
あとは妖怪を退治する中で自然に編み出していった。
巫女にとって祖母は母代わりだったし、密接な間柄だった。

紫が巫女の前に現れたのは、運命の日。

祖母の今わの際に姿を現し、その後よく巫女にちょっかいを出しに来るようになった。



母とは、何度戦ったかもわからないほどだったという。
いくら紫が住処を変えても、そこを見つける嗅覚だけは突出していたそうだ。
結果は全て紫の勝利。

巫女が生まれる前後には、紫は姿を消していた。
そして母は巫女を産んでさほどの間も置かずに死んだと言う。

紫が母と戦ったのは、巫女を産んでからの一回が最後だったそうだ。

紫は、母については多くを語らなかった。紫から入ってくる情報はその程度だった。
やたらに「最弱」と言いたがる程度か。

もう一人母を知る存在である祖母は、巫女にこう言った。

「紫に食べられちゃったのかもねえ」

と。



「ねえ、紫」
「なあに?」
「あんたが生まれつき結界を使えるって、嘘でしょう」
「あら、なんで?」
「私のお母さん……二代目を食べて能力を吸収したのね?」
「そうだったかしら?」
「否定しないの?」

白々しくとぼける紫に向けられる巫女の攻撃が激しくなる。
それまでの緩やかな動きから、荒々しいものに。風鈴の音も、もう聞こえない。
霊気をまとった陰陽玉や符が、着弾箇所を歪にえぐる。
紫はそれらを軽やかに回避しながら、巫女を挑発するように、にやけて言った。

「否定してほしいの?」

巫女は少しの間目を見開く。
しかしすぐにその目を細め、うつむき加減に答えた。

「……少しね」

それを聞いた紫の口が、さらに厭らしく歪む。

「じゃあ、しないわ。貴女のお母さんは私が食べました」
「そう」

巫女の表情が変わる。
その目は明らかに怒気を帯び始めた。そしてその身は次々に別の所へ瞬間移動し、もはや目で追うことも不可能になった。
巫女の攻撃が徐々に隙間を突破し始め、ならばと紫は結界を引いてその攻撃を受け止める。

「あんたは、妖怪の楽園を作るなんてくだらない理由で、私達を三代に渡って利用しようとしたのね?」
「それも、否定してほしいんでしょ?」
「……」
「そうよ、利用しようとしたわ」
「紫……」

巫女がうつむき、その表情を確かめることが不可能になった。
そのうち姿もどこかへと消え、巫女による激しい攻撃の止んだ静かな境内に、声だけが響く。
紫はそれをまったく恐れることはない。付け加えれば、戦い始めてから一歩も動かず、元の位置を死守していた。

「ありがとう。あんた、良い友達だったわ」
「ま、照れちゃうわ」
「ごめんね。これをやったらあんた、死んじゃうかもしれない」
「見たいわ、その力」
「最後にもう一度聞くわよ、お母さんを食べた? 嘘だったら、やめる」
「食べたわよ。良いから見せて、その力」
「できれば、これを使うのはあんた以外の妖怪にしたかった」
「前置きはいいから、早く」
「鬱陶しいわね。そんなに見たいなら見せてあげるわ」

不意に巫女がその姿を現す。手にした符は込められた霊力を許容しきれず、それを紫電として吐き出していた。
そして巫女は、それを地面に叩きつけた。



しかしその攻撃は、紫には読まれていた。
いや、紫は巫女がその術を編み出すことをずっと期待していた。



その攻撃は不気味に微笑む紫に避けられ、巫女は肩を掴まれて組み敷かれる。
興奮する紫の表情はあまりにも禍々しく、同時に妖艶でもあった。

巫女は奥義を回避され、打つ手もなく……仰向けに倒され、背景に月を背負う紫を見上げていた。

「ダメか……」
「ダメなんかじゃない。最高よ、貴女……まさか、三代でここまで辿り着くとは予想もしなかった」

巫女の肩を掴む紫の手に力が込められる。
それは確かに人間のものとはかけ離れていて、巫女は苦悶の表情を浮かべた。

「これこそ、私が求めていたもの」
「……そう、良かったわね」

巫女の目から涙がこぼれた。
食われることに対する恐怖よりも、友人だと思っていた紫が、虎視眈々と自分の肉を狙っていたという事実が辛かった。
全ての霊力は先ほどの符に込めてしまったから、もう抵抗すらも叶わない。

ただ紫がその身を貪るのを待つのみだった。

しかし、観念してそっと目を閉じると、紫は巫女の体から離れた。
不思議に思った巫女が眼を開くと、紫は立ち尽くして空に浮かぶ月を見上げていた。

「やったわ、これならば……何故か狐も生きているし……」
「……あれ?」
「素敵。こんな夜久しぶりよ」
「あのさ」
「ん? なに?」
「盛り上がってるところ悪いんだけど……食べないの?」

仰向けに倒れたまま、首だけもたげて紫に問う。

「ああ嘘よ、あれ」
「……」
「勿体無いわ、貴女を食べたら」
「……お母さんは?」
「ああ……あの子は……」

それまで興奮気味だった紫の表情が、不意に優しい微笑みに変わった。
その口から伝えられた話は、巫女にはあまりにも意外なものだった。

「私を付け狙ってる妖怪がいてね、まぁ、大した奴ではなかったのだけれど」

紫の表情は、見ようによってはわずかに悲しさをはらんでいるようにも見えた。

今の巫女を産んだ母と紫の最後の対決。
決着がついたときに、その妖怪が現れて紫を襲った。
紫にすれば何のことも無い、子を産んで弱体化した二代目と戦った疲れなど、高が知れている。

「私を守ろうとして身代わりになったのよ。巫女が妖怪をかばうなんて、まったく馬鹿なんだから」

紫は、救おうと思えば救えた二代目を……あえて見殺しにした。

――おそらくそれが初代同様、最後の戦いになるであろうことを知っていたから。

負け、土にまみれ、泣き続けてきた二代目……本来の『強さ』を、最後だけは尊重してやった。
咄嗟の事で、娘のことを忘れてまで体を張ったことには注意してやらねばならないと思うが。

……きっといつも「友人」だったのだろう。

気の合う祖母も、いがみ合っていた母も、そして、今の巫女も。

「妙に気高くてねぇ……死んだことを初代に言うな、って言うのよ」

へそ曲がりな紫も、母の最後の願いだけは守ったのだろうか。
巫女の目に再び涙が浮かぶ。

「あの子、初代のことも目の仇にしててね……自分よりも強かったから、悔しかったんでしょう」

会ったらばらしてしまいそうだから、ずっと祖母との接触を避けていたのかもしれない。
そして今度は今わの際に、祖母から最後の頼みごと。

――私の血を受け継ぐ者達が困っていたら――

それを守って、一人ぼっちになった巫女の面倒を見に戻ってきたのだろうか。
紫はその約束を遵守しているのだろうか。

「貴女まで、あの子みたいに感情むき出しに死なれても困るのよ」

それとも紫は紫で、別の目的があるから巫女の世話をしていたのかもしれない。
しかしいつも嘘ばかり吐くから、どれが真実なのか、巫女には確かめようもなかった。

「……利用価値があるから? それとも、友達だから?」
「さあね? お好きに解釈して良いわ」

紫は巫女に歩み寄り、その手を取って抱き起こす。

「少し休んでおきなさい……敗者に口なし。食ったりはしないけど、一緒にやってほしいことがあるのよ」
「何よ?」
「京の妖魔調伏」
「……面倒って言ってたじゃん……」
「あれも嘘」
「ああん、もー!」
「利害は一致、これで契約成立よ」
「なんか悔しい……」
「まあ! だからって私をかばって死んじゃだめよ?」

脱力しきり、元気の無かった巫女がしばらく振りに笑う。

「それは無いから大丈夫」

その表情は、爽やかな歓喜に満ち溢れていた。



そしてついに紫も動き出す。

新たに出現した九尾の少女は、京に陣取っているのかどうか不明。
紫の望んだ京での決戦は、玉藻と二尾の死によって一時的に立ち消えた。

しかし、その引き金となる萃香が消えたわけではない。

崇徳天狗の思惑も闇に包まれているが、口で言うのは天狗を守るための戦い。
だが、玉藻のところへ文を向かわせたことを考えると、天狗に対する思いというのはあって無さそうなものだ。

「今の京に、強力な人間は居ないわ」

自宅の蔵で、書物を手に紫が呟く。

酒呑童子が猛威を振るった際に、京の英雄達もそのほとんどを討ち取られた。
大江山で鬼達が一網打尽にされた後、その残党は仲間の仇を討とうと必死だったという。
それが今の伊吹萃香と崇徳天狗だった。

「大酒飲みの伊吹萃香……」

名前と顔ぐらいは知っている。向こうが紫のことを知っているかはわからない、直接の面識があるわけではなかった。

「まさに酒呑童子ってわけね、でも」

気になって文献を漁ってみたら、大江山で死んだのが酒呑童子だったという。
生き残って京を襲ったのは、酒呑童子の親友だった『茨木童子』。鬼女だったという記述もあり、つじつまが合う。
他の鬼の可能性もあるわけで、完全に同一の鬼だと明言できるわけではないのだが……。

紫の心に引っかかるところがあった。

伊吹萃香は別に自分で酒呑童子と名乗るわけではないが、周りの妖怪はそう勘違いしている節が無くもない。
紫もその例に漏れない。当時、京にも鬼にも特に関心が無くて、たまに覗く程度だったからだ。

人間は把握しているようで、死んだのは酒呑童子だった、と文献に明記している。
共に戦っていた崇徳天狗も事実を知っているだろうが、新参者や、戦いに立ち会っていない妖怪の中には勘違いしている者もいた。
酒呑童子の出身地と言われる伊吹山の名をその姓として冠しているのも、誤解される理由になっているのだろう。

何かに似ていないだろうか。

「まさか……」

その表情から薄笑いが消える。

「やっぱり、直接確かめないといけないわ」

第二の鬼、第二の酒呑。
第二の九尾、第二の玉藻。

紫の心に生まれた一つの予測。
信じたくはなかったが、必然的に可能性が絞られていく。

妖狐・玉藻は、紫が思う以上にとてつもない大物だった可能性が浮上した。



紫が準備を着々と進めている間に、山の様子も変わり始めた。
第二の玉藻は毎日のように山を襲撃する、酷いときには、日に数度襲撃をかけることもあった。
初めこそ牽制していただけのようだったが、それは徐々に攻撃性を帯びてくる。
天狗を一人たりとも殺さないのは相変わらずだが、すぐには復帰できないような痛手を負わせるのだ。

天狗の負傷者は恐ろしい勢いで増加していき……とりわけ、最前線に配備された白狼天狗は瞬く間に潰されていった。

「もういい、お前ら木っ端がいくらまとわりつこうと無駄だ」

崇徳天狗の言葉を受け、天狗達は戦線を下げざるを得なくなった。
外周の警備に当たる者はその時点で既に平常時の半分をきり、残った者も、半数以上が生傷を負っていた。

「文」
「……なんですか?」

京の玉藻の元に二尾を連れて行って以来、文は崇徳天狗の使い走りとして側に置かれていた。
無事に京を脱出してきたことを買われているのか。
或いは、一時とはいえ二尾の味方をしたのを嗅ぎつけられ、監視されているのかもしれない。

「おれの隊に入隊しろ。見ておけ、長く生きた天狗達の力を」
「なんで私にそんなことを」

崇徳天狗は文の問いには答えない。
その胸の内は未だに明かされないが、文に向ける視線は険しい。

山の中腹で仁王立ちする崇徳天狗、そしてそれを後ろから見つめる文。
麓の方からは天狗のみならず、その配下として技術を提供していた河童などの妖怪も、荷物を抱えて避難してきていた。

「隊の連中はおれを含めて十名。山を取り囲むように布陣している」
「はぁ。大丈夫なんですか?」
「教えてやろう、半分は鴉天狗だよ」
「そうなんですか」
「どいつもこいつも、お前のような奴だ。普段は言うことをきかない、奔放な連中だ」
「……そうなの」
「残りは、幾度と無く侵入者を食い止めた木っ端、いや白狼と呼ぶべきか……が三名、妖術に長ける鼻高が一名、そしておれだ」

崇徳天狗が、その黒く大きな翼をゆっくりと開く。

「まずは九尾を捕捉する。その後、発見者は遅滞戦闘を行い、救援を待つ」
「貴方。名軍師と恐れられた割には、いい加減な作戦ですね」
「それだけ個々の力が大きい。そして、救援というのは……」

崇徳天狗がゆっくりと浮上する。文もそれを追った。
そして、見晴らしの良いところまで高度を取ると、文の目を見つめて山頂を指差す。

「おれ達だけではない。萃香様もだ」
「ここで決着をつけると?」
「敵陣に堂々と乗り込む方がばかなんだよ。何度も言うが良く見ておけ、おれ達……そして鬼の戦いを」
「はい」

文は崇徳天狗のことが大嫌いだった。
これまで山に居なかったし、上司に対する敬意というものも、こと崇徳天狗に限っては一切向けていなかった。

「いつかお前もこのように、山を守ることになるかもしれんからな」
「私にその才があるとでも?」
「さぁな。だが悪くはないと思う」
「ありがとうございます」

崇徳天狗の思うところは相変わらずわからない。
しかし、文は何故だか彼のことが少し嫌いではなくなっていた。
それはあまりにも戦闘に対して一途な彼の心意気に、胸を打たれたからかもしれない。
そして「見ておけ」と言う彼の目が、あまりにも真っ直ぐだったから、だと思った。

その後しばらく経ち、九尾の出現が山の南西の方角に陣取る仲間から伝えられた。

「やはりな」
「?」
「京に居た玉藻でないのはわかった」
「へ?」
「だって、真っ先におれを狙うはずだろう?」
「……」

二尾を痛めつけるよう指示したのは崇徳天狗だと、玉藻が知っている保障は無い。
だが彼は自信満々にそうのたまう。それはあの巫女のような勘なのかもしれないが、文には納得行かなかった。

「まぁ……理屈はわかりませんが、玉藻でないということには同意ですよ」
「まったく生意気だなお前は」
「早く行きましょうよ。見せてください、おれ達の戦い」
「おちょくっているのか?」

まぁいい、と最後に呟いてから、崇徳天狗は空気を震わせて弾丸のように飛び立った。
途中、何度か後ろの文を確かめると……なんと、ついてきているようだ。
飛行速度では随一の鴉天狗とはいえ、このような下っ端に追いつかれてしまっては格好がつかない。
文を突き放そうと本気の速度で飛ぶと、狙い通り、徐々に距離が開いていった。
崇徳天狗はそれを見て満足し、幾分か速度を緩めて文に合わせてやった。

その所要時間は、およそ十数秒と言ったところだったろう。

戦場は、九尾出現の合図があった位置から随分とはずれていた。
短い黒髪を振り乱しながら、女の鴉天狗が姿の見えない九尾を全速力で追尾している。
両者の間には雨あられと吹きすさぶ弾の嵐。弾幕の名に相応しく、まさに幕。
無数の小さな光の弾が群れを成し、まるで一つの大きな塊のように両者の間を飛び交っていた。

九尾には命中している様子が無いし、鴉天狗は弾にかすって服をぼろぼろにしながらも追撃している。
わずかな隙間を潜ろうにも、身一つ通り抜けるほどの空間すらない。鴉天狗は全身にかすり傷を負っていた。

「崇徳様! 九尾よ!」
「わかっている! お前は下がっておれを援護しろ!」
「はっ!」

パシン、パシンとけたたましい音が鳴ると共に閃光がはしり、その発光箇所は回数を増すにつれ山頂に近づいていく。
常に姿を消すことは不可能らしく、時折、九つの長い尾が、ほんの短い間だけ覗けた。
しかし格闘戦は、閃光に付随して撒き散らされる無差別射撃によってままならない。

「すごい……」

文は離れて、密度の薄くなった弾を避けることしかできなかった。
だが、あまりに変則的な九尾の攻撃に対して崇徳天狗も手を焼いている。

「いいか……頂上の土を踏ませたらおれ達の敗北だと思え!」

もはや、どこに九尾の勝利があるのか誰もわからなかった。
天狗は九尾を倒し、捕まえるなり、殺すなりして勝利となるだろう。
九尾は、目的こそ不明だが遮二無二山頂を目指しているようだった。ならば、天狗はそれを阻止する。

崇徳天狗が団扇を取り出し、後方に大きく振りかぶった。

「細かい弾ばかり撒きおって鬱陶しい! まとめて吹き飛ばしてくれるぞ!」

叩きつけるように団扇をなぎ払うと、妖力を含んだ風が九尾の弾を全て跳ね返した。
始め戦っていた鴉天狗の目が光り、その風に乗じて九尾との距離を一気に詰める。崇徳天狗もそれに続いた。

「私達の山を荒らすことは許さないわ!」

鴉天狗が脚を一直線に伸ばし、姿の見えない九尾の、その妖気がもっとも濃いところへ飛び蹴りを放つ。
高下駄が九尾の身を捉えるはずだった……しかし鴉天狗の脚は空を切り、逆に、その腹に鋭い爪が食い込んだ。

「そんな……」
「急所は外した、死にはしない」

鴉天狗が小さく呻き、腹を押さえて倒れこむ。
素早い身のこなしは天狗の得意とするところだが、それでも格闘戦においては妖獣である九尾に分があった。

「玉藻……!」

ついに姿を現した九尾。
文はその目で確かめた、間違いなく、あの夜の玉藻の姿そのものだった。

「うおおおっ!」

しかしすぐさま、文の視界は突進する崇徳天狗の背で遮られた。
大きな拳を振りかぶる崇徳天狗を睨みつけ、玉藻は身をかがめて迎え撃つ。

食いしばった歯の中で、ひときわ鋭い犬歯がむき出しになった。

両者の衝突で大気が震え、辺りに鮮血がほとばしる。
飛び散ったのは崇徳天狗の血、殴りかかった右腕の肉が食いちぎられ、ぼたぼたと赤い血が滴っていた。

「……ペッ」
「おのれ……!」

四つん這いの玉藻は野獣の目で崇徳天狗を睨みつけたまま、口内に残った彼の血肉を忌々しげに吐き出す。
たとえ隊長である崇徳天狗であろうとも、その身に触れることは許さない。

ここまで玉藻の優勢、しかし……ものの数秒で情勢はひっくり返った。

「崇徳様」
「ご無事ですか」

続々と到着する彼の親衛隊。
木の枝に止まっているようだが即座に発見することが難しい。それは自然と一体化する見事な擬態だった。
先ほどの鴉天狗も、既に腹部の爪痕は再生し……玉藻を睨みつけながらゆっくり立ち上がる。

「この程度かすり傷だ……よし、全員揃ったな。これより玉藻を討つ」

玉藻を取り囲むように、次々と天狗が飛び降りてくる。
崇徳天狗も玉藻と間合いを取り……親衛隊を数名指差した。

「お前らは山頂に行け。萃香様が遅すぎる。おかしいぞ、これは」

――そういえば……――

文も今更ながら、萃香の不在に気付いた。
崇徳天狗と鴉天狗、そして玉藻の激しすぎる戦いに釘付けになっていたが……。
その気になれば萃香は一瞬で山から姿を消すことも可能ではあるまいか。
たとえそこまでで無いにしろ、到着が最後になるとは考えにくい。

この崇徳天狗の判断は的確だった。
彼は決して誤った作戦指示をしていない。



そう、萃香は足止めを食っていた。



一刻ほど前のことだった。
それは、山頂付近に萃香が引いた結界をかいくぐっての侵入者。
九尾の到着を待ちわびて酒の進む萃香の前に、空間を裂いて突然現れた。

「ごきげんよう」

日傘を差して薄ら笑う、紫色の服を着た女。

「誰よ……あんた」
「京を守る英雄の片割れ」

臆面も無く、胸を張って言い切った。
そのふざけた態度を見て萃香の額に血管が浮き立つ。

「お暇な貴女の暇つぶしにと、挑戦状を叩きつけに参りました」
「……名前だけ聞いたことがある。境界を操る、八雲紫」
「あら、ばれちゃった」
「何のつもりよ、妖怪同士手を組むならまだしも、京を守る英雄? そもそも、あそこにもう九尾はいない」
「ええ、居ないわね」
「なんだかよくわからない九尾が新しく出てきたけど」

萃香はおもむろにひょうたんの栓をはずし、首ごと後ろに倒して豪快にそれを呷った。

「別に九尾はもうどうでもいいの。問題は貴女が京に来るかどうか」
「……九尾が居ない今、京に降りる理由も無いじゃない」
「あるでしょう?」
「どんな?」
「酒呑童子の仇討ちとか」
「は、馬鹿馬鹿しい」

またも酒を呷る萃香だが、今度はなかなか飲み止まない。
しばらく喉をぐびぐびと動かしていた。

向かい合って眺める紫は、さりげなくカマをかけたつもりだった。
やはり伊吹萃香は酒呑童子とは違う鬼、自分が酒呑童子だとは言わなかった。
しかし、萃香が酒呑童子かどうかということは、今の紫には瑣末な問題だった。

「なんだかすっかりやさぐれてしまったのね。貴女」
「っぷぅ」

萃香は満足いくまで酒を飲み、小さな手で口元をこする。
その視線は既に紫から離れ、先の見えない霧を眺めていた。

「今の人間はそんなにつまらないかしら」
「つまらない、つまらない。でなきゃこんなところに居座りはしない」

萃香の態度が変わった。目の奥に怒りがこみ上げているのがわかる。
紫はそれを見て、挑発するようにまた薄ら笑う。

「なら是非。貴女に見せたい人間が居るわ」
「……目的は何よ」
「私の目的も彼女の目的も。感情のままに世を乱そうとしている、悪い、悪い、鬼を退治することよ」
「まだ何もしてないじゃん」
「そうね、でもそれが鬼でしょ? 貴女は存在自体が害であるべきなの」
「そうね、でもあんたも相当だと思うけど」
「いやいや、貴女ほどでは」

言いたいことがなかなか見えないが、紫は萃香が京を襲うことを期待しているようだ。

萃香としては別に襲っても襲わなくても構わない。世を乱す悪い鬼とは言われたが、多数の手下を抱える今、
感情だけで動いていいものかどうか、未だその葛藤は胸のうちにわだかまっている。
せめて九尾が閉じこもっていてくれれば、踏ん切りもついたというのに。

「臆病になったのね。鬼って」
「……なに?」
「だってそうでしょう? こんなところに隠れ住んで、人間を攫うこともしなくなった。
 馬鹿の一つ覚えみたいに、馬鹿みたいに高い山でお酒を呷って管を巻くばかり、何の生産性も無い」
「……調子に乗らないでよ?」

ぐつ、ぐつ、と萃香のはらわたが煮えくり返る音が聞こえてきそうだった。

「こんな鬼じゃあ、私達が守るまでもなく京は安泰だわ。ああ、誰に頼もうかしら。悪者役」
「言ってくれるじゃないの……!」

顔を真っ赤にした萃香が地面を殴りつけると、紫の足元が大きく隆起した。
しかし、突き上げられるはずの紫はいつの間にか空間を移動してそれを避け、一言。

「へたくそね」

それを聞いた萃香は、ひょうたんを呷ってから腰の紐にくくりつけ……。

「突然湧いて出て、好き勝手絶頂ほざいてくれるじゃない……お前は殺す!」

山全体が振動するような大声を張り上げ、双角を振りかざして紫へと突進した。
紫は、酒呑童子の話やら人間の話やらよりも、こんな単純な挑発で怒りが頂点に達した萃香を意外に思う。

「はい残念。そんな単純な攻撃じゃ私には通用しないわ」

紫は結界を四重に引き、萃香の突進を迎え撃つ。
そして次の瞬間、両者共に己の目を疑うことになった。

萃香の突進は紫の結界を三枚突き破り、四枚目でその全ての勢いを失った。
対する紫は、本気で引いた結界がいとも簡単に三枚も突き破られたことに驚愕した。

「馬鹿な!?」
「……やるじゃない」

鬼を侮っていたつもりは無かったが、せいぜい二枚ぐらいだろうと思っていた。
術でもなんでもない、ただの力技にここまでの威力があるなんて。

「面白い! 今度は突き破ってやる!」
「ちょっとお待ちなさいな、せっかちねえ」

萃香が掌を上に向けて力を込めると、そこに、どこからともなく鉱物の元素が集まっていく。
それは最初小さな石ころだったが、見る見るうちに巨大化し、高密度の岩と化した。

「ちょっと、それを私にぶつける気なの?」
「もちろん」

萃香は右手の指を岩の中へとめり込ませ、いともたやすくそれを放り投げる。

「堪忍してくださいな」

紫は両手を合わせて前に突き出し、より一層強固な四重結界を引いた。
そこに直撃した萃香の岩は、相当な硬度を誇るにも関わらず、萃香の肩の力と紫の結界の防御力で粉砕してしまった。
今度破った結界は二枚、先ほどの突進には及ばなかった。

「これでもダメか。うーん」
「やだ、貴女の闘争心に火をつけてしまったのね」

萃香は酷く興奮している。
挑発して京での決闘を申し込むだけのつもりが、顔を紅潮させて次の手を練っている。
これ以上興奮される前に、伝えるべきことだけ伝えて帰らなければ……紫がそう思い始めたとき、

「鬼神様! 何事ですか!?」

都合良く天狗達が現れ、萃香に向かって声をかけた。

「そっちこそ何事? 騒々しいね」
「九尾が出現したのです、ようやく崇徳様と他数名が……そいつは何者ですか?」
「あんた達に名乗る必要は無いの。今は二人の世界、邪魔をしないで」

紫は微笑を浮かべながら自分と萃香だけを結界で囲んだ。
天狗は突然の出来事に驚き、ついたじろぐ。

「水を差されてしまったわね」
「……」
「でも丁度良いわ、天狗さん。あんた達も京へいらっしゃい」
「……何?」
「京の人間は一人も死なせはしない。あんた達天狗も一人も殺さない」

紫のその言葉に、辺りが静まり返る。
天狗が侵入すれば京の人間達は大騒ぎになるだろう、誰も死なせないなんて、そんなことが可能なのだろうか。

「鬼は鬱憤を晴らし、私は欲しいものを手に入れる。天狗は平和な生活に戻ることができるでしょう」
「わけのわからないことを」

歯噛みする天狗だが、紫の結界があまりにも強力で、突破するには相当骨が折れるであろうことを悟っていた。
萃香はひょうたんの栓を抜いたりはめ込んだりしながら、神妙な面持ちで紫の言葉に耳を傾けている。

「時は三日後、丑の刻」

紫は閉じていた日傘を開く。

「誰も死なずに大団円。もちろん受けてくれるわよね。私達の挑戦」
「やれるもんならね」

萃香はきゅぽ、と音を鳴らしてひょうたんの栓を外し、不敵に微笑む。

「あんたらが負けたら、私は京を滅茶苦茶にするよ」
「どうぞお好きに。敗者に口なしですわ」
「萃香様!?」
「いいよ。まずい状態になったら、あんたらは私に責任をなすりつければ良い。鬼に命じられた、と人間に説明すれば良い。
 人間にとって、鬼というのはそこまで恐ろしいものよ。無条件でその嘘を信じてくれる」

萃香が寂しそうに微笑み、天狗達に視線を送った。
そしてひょうたんを傾け、ほんの一口だけ酒を口に含む。

「何を狙ってるんだか知らないが、私を差し置いて他の誰かに悪役を演じられたら、鬼の面目丸つぶれよ」
「そうね。古来鬼は人間の敵であり、友だった」
「あんたは私が挑戦を受けなかったら、代役を探すに違いない」
「そうよ。同じぐらい強力な妖怪をどこかで挑発してくるわ」

紫の心の中に『必要悪』という言葉が浮かんだ。
奢る人間を戒める者としても存在していた鬼……だから「友」でもあった。それが今はただの「敵」である。

天狗達は二人の会話に混ざることができず、ただ眺めていた。

「紫って呼んで良い?」
「良いわよ、萃香……待っているわ、三日後の百鬼夜行。天狗を全員連れてきて良いわよ」
「大きく出たね」
「萃香」
「何よ」

紫が日傘を頭上に掲げ、頭の周りをぐるりと一周させた後、前に構えた。
そして日傘の向こうで、冷たく囁く。

「貴女の胸の隙間、この私が埋めてあげる」
「……」
「では、さようなら」

ぼと、と日傘が地に落ちたとき、その背後に居たはずの紫の姿はすでに消えていた。
そしてすぐに日傘も地面に溶けていき、同様に消えて無くなってしまった。

「萃香様、あいつは一体」
「……よくわからない。あいつの前にまずは九尾をやっつけようか」

萃香の指示に天狗達が頷く。

崇徳と文含め、七名の精鋭が玉藻の討伐に当たっている。
もしかするともう決着がついているかもしれない。



萃香と紫がやり合っている間に、玉藻は追い詰められていた。
崇徳天狗は「個々の能力が高い」と言ったが、もちろん天狗の全員が全員、同じ能力や攻撃を持つわけではない。
玉藻が同時に相手できたのは、せいぜい四名と言ったところだったろう。

だがもちろん天狗達も無傷では済まない。

確実に玉藻の体力を削りながらも、離れれば弾の雨、近づけばその反射神経と鋭い爪牙に肉を裂かれる。

「やっぱり玉藻じゃねえな」

あちこち肉を食いちぎられながらも、崇徳天狗は涼しい顔で言う。
目の前には血まみれ、肩で息をし、必死の形相で天狗達を睨み付ける玉藻の姿があった。

「玉藻にしちゃ弱すぎる」
「確かにそうですね」

文も多少のかすり傷を負いながら、崇徳天狗の言葉に同意を示した。
京の玉藻と姿形こそ同じだが、妖気が圧倒的に違う。それでも相当に大きな力を持つのは確かだが。

「お前何者だ? 玉藻じゃねえな。大陸から新しく来た妖狐か?」
「……」
「目的もいまいちわからん」
「……ばれては仕方ない」

玉藻が眩い閃光を放つ。それは次の攻撃の予備動作かもしれないと、その場にいた天狗は文以外全員、腕で目を隠した。
一人だけ閃光の直撃を受けてのけぞった文は、涙を溜めながらも、必死に玉藻の姿をその目に映す。

「貴女は……」
「あのときはありがとう」

天狗達の前に姿を現したのはあの日の二尾。今は尾も九つに増え、全身の体毛も金色に変化している。
二尾改め九尾は構えを解き、その腕の火傷を舐めた。

「悔しかった。私が玉藻様を殺してしまった」
「どういうこと……」
「反魂の秘術。玉藻様はその発動と引き換えに命を失った」

皆その言葉を聞いて青ざめていた……古来より、その実現は神ですら不可能ではないかと言われていた反魂の秘術。
玉藻が妖術に長けているというのは想像に難くないが、まさかそのような術まで修得しているとは思わなかった。

「だが流石の玉藻様でも不完全だったよ。これでは中途半端な同化に等しい」

その者の持つもの全てを、それに限り再生するのが本来の反魂の秘術。
二尾は、玉藻が命を引き換えに発動した術の中で、その力を一部受け継いでしまった。

「今の私には、元の記憶と玉藻様の記憶が入り混じっている」
「だから再び山を襲うの? 玉藻の復讐心を受け継いで」
「違う」

あの頃の二尾とは違った。幼い印象もあるが、その視線は鋭い。

「これは、私と玉藻様の悲願……この山を制圧する」
「説得は不可能と見て力技に出たか。しかしこんな状態でうまくいくかね?」
「為さねばならない」

金色の目から涙がこぼれ落ちる。

「守る者を失ったし、守ってくれる者も失った」

九尾の目つきがさらに鋭くなった。その奥に、野性と悲しみが宿っている。

「通る……これが私達の悲願。この九尾と共に与えられた誇りにかけて、ここを通る」

身にまとう妖気がみるみるうちに大きくなっていく。再び九尾が戦闘態勢に移った。

「二度と、私や玉藻様のような悲劇を生み出さないために」

九尾が大地を蹴り、山の斜面を高速で駆け上る。

「この山を制圧し、大陸で苦しんでいる仲間を呼ぶ!」
「ふざけるな! そんな勝手はさせんぞ!」

たなびく九つの尾を追って天狗達も風を切る。
その速度は九尾には劣らない。とりわけ、鴉天狗はすぐに追いつき、攻撃を再開した。

「お前達のことだって悪いようにはしない……通せ!」

凄まじい速度で九尾の横につけた鴉天狗が、その腹を蹴り飛ばされて斜面を転がり落ちる。

「ここに妖怪の楽園を作るんだ!」

口では立派なことを言うが、九尾自身、それがただの理想であって、地に足のついていない夢だとわかっていた。
その証拠とばかりに、情けない涙声、情けない表情。
玉藻の知恵の一部を得た今、それが如何に難しいことであるかが判断できた。

だが、もう九尾にはこうする他に何も思い浮かばなかった。

不本意とはいえ、愛する主を犠牲にしてまで生き延びている自分が憎かった。
戦っていないとそればかりが頭に浮かび、涙が止まらなかった。

「山の勢力が強まれば、それだけ人間に危険視される! お前のようなやつの入居を認めるものか!」

崇徳天狗が団扇を振り下ろすと、風が真空の刃となって九尾に襲い掛かった。
山を登ることに必死になっていた九尾はそれを避けきれず、右脚を切り刻まれて、草むらへと転がり込む。

「くそ、くそっ! 玉藻様、玉藻様……」

九尾は脚の腱を斬られてしまったらしい、いくら立ち上がろうとしても右脚に力が入らないようだ。
だがそれでも、残った左脚と両腕で山の斜面を這いずって行く。
それはあの日の二尾の姿そのものだった。

「こんなばかが、こんなに力を持ったんじゃ、おれ達も安心できない」

崇徳天狗が九尾に歩み寄っていく。

「やはりこいつはここで殺す」
「崇徳……様。そこまでしなくても……」
「黙れ文!」

崇徳天狗に叱咤されて、文の体が大きく跳ねた。

「誰かが汚れなけりゃ、社会は回らないんだ!」

それまで、どんな状況でもどこか余裕を見せていた崇徳天狗の表情が変わった。



崇徳天狗。
崇徳天皇は、なんと五歳で皇位に就いたという。
その後、殺伐とした政治の中でたらい回しにされ、疎まれ、憎まれ、果ては流刑になったという。

その境遇からか、何もしていないのに、ことあるごとに言いがかりをつけられた。

――お前が呪詛をかけているから、こんな出来事が起こる――
――お前がいるせいで、災難が起こる――

行き場の無い憎しみを全てその身に受けた。
皆、崇徳に憎しみをぶつけることで、心の平静を保っていたのだろう。

――誰かが憎まれれば、複雑な社会は円滑に回る――

そう悟った頃、彼の体は天狗のものへと変化していた。

それは鬼の境遇に似た。

そして残酷な人間は、それを『必要悪』と呼ぶ。



「楽園だと? 反吐が出る!」
「あ、あぁ……」
「お前のような腰抜けは皆死ねばいい!」
「うぁぁ……」

崇徳天狗は九尾の小さな体にのしかかり、その細い首をへし折ろうと、渾身の力で締め付ける。
憎まれ続けてきた身としては、玉藻と九尾の演ずる茶番が、これ以上ないぐらいに忌々しかった。

九尾は崇徳天狗の太い腕を解こうと爪を立てるが、その腕はいくら血を流そうとも緩まない。
白く細い首が、みしみしと嫌な音を立て始めた。

そして九尾の首が今まさにへし折れんというとき……一筋の光線が崇徳天狗の眼前を横切った。

「ぐおおぉおっ!?」
「ぐっ! はぁ、はぁっ!」

締め付ける力が弱った隙に、九尾は左脚で大地を蹴り、崇徳天狗の巨体を跳ね飛ばした。
何が起こったのか確かめると、転げまわる崇徳天狗の両腕が光線に貫かれて大きくえぐれていた。

周囲で崇徳天狗と九尾のやり取りを見守っていた親衛隊達は、その光線が飛んで来た先を眺めて驚愕する。
裂けた空間から伸びる腕、そして、少しずつその本体がせり出してくる。

「良い頃合だったわ。流石私」
「はぁっ! はぁっ!」
「まさか玉藻前が反魂の術を使えたなんて……本当に勿体無いことをしたわ。
 でもまぁ貴女、頭は悪いみたいだけど、それでもそこらの妖獣とは比較にならないわね」

紫はよいしょ、と言いながら全身出てくると、自分を睨み付ける九尾を見下ろした。

「何より、その理念が素晴らしい」
「何のことだ!?」
「そんな話は後でする。天狗にまで教える義理はないし」

紫は、おぞましい顔で自分を睨む崇徳天狗をたじろぐ事もなく見下す。
対して崇徳天狗は一撃で両腕を駄目にされてしまったこともあって、この妖怪の力は並外れていると感じた。

「そんなに殺伐としなくても良いじゃない。暢気に行きましょうよ」

しかし紫の目は笑っていない。下手に動けばただでは済まさないと、その気配で語っている。

「何者だお前はぁっ!」
「貴方達の魔の手から京を守る英雄よ」

紫は再び視線を九尾へと戻し、その方向へ手をかざした。
九尾の周囲の空間が歪み始め、小さな体が指先から消えていく。

「なに!? 何をするの!?」
「及第点」
「やめてっ……!」

紫は九尾の姿が完全に消えたのを確認し、天狗達を一瞥してから、

「さようなら」

自らも、空間を裂いてそこへと消えていった。

崇徳天狗や文も含め、天狗達は何が起こったのか理解できない様子でしばらく立ち尽くしていた。



それが八雲紫という妖怪で、萃香の足止めをしていたのも彼女だとわかったのは、萃香と四名の親衛隊が戻ってきてからだった。

萃香は山の頂上で突きつけられた紫からの挑戦を説明すると共に、
おそらく九尾を懐柔して京の防衛に参戦させるであろう、と予言した。

「何故そんなことを? わざわざお膳立てをして、奴に何の得がある?」

崇徳天狗は、再生しつつもまだ思うように動かせない腕を見つめながらそう言う。
だが誰もそれに明確な回答を出すことができなかった。

ただ、紫には何か狙いがあり、それを達成するために動いている。

萃香や天狗達、巫女も、おそらくその計画の一部として利用されているだろう。

「とにかく京に行く。なに、私なら紫と互角に戦えるよ」

その萃香の言葉に従うしかなかった。
新たな敵、八雲紫。そして九尾も神隠しにあったような不可解な消え方をした。

人間にも天狗にも死者を出さないという紫の言葉は眉唾だったが、
今回ここまで滅茶苦茶にされたことで、そう簡単にその発言を疑うことはできなくなった。
それに、あれだけのことができる妖怪をただ野放しにしてしまうのも危険である。
勝負付けをしなければならない。山への敵意を叩き折らなければならない。

傷ついた精鋭達と萃香は、決戦に備えて体を休める。
紫にしても九尾にしても、放っておいて良い相手ではなかった。



「ふあぁぁ……」

そしてほぼ同時刻、巫女も床につこうとしていた。
決戦の日は近い。



~~~~~~~~~~~



なんだか嫌な夢を見たと思ったら、枕元に紫が立っていた。

「ね、決戦は三日後よ」

いきなり来て滅茶苦茶なことを言うな、と思いつつ、巫女はそれを無視して二度寝した。



■博麗



「まず、もう噛み付いたり引っかいたりするのはやめなさい。野蛮だから」
「……」
「全然言うこときいてないじゃない」
「ええ、本当に馬鹿だわ。この子」

縁側に並んで座る紫と九尾に湯飲みを渡し、巫女は苦笑いをした。
九尾は目を細め、頬を膨らませて、紫の言葉を聞こうとしない。

「ねえ、尻尾触って良い? この季節だと暑苦しそうだけど」
「触るな!」
「なによ……」

九尾は、ふさふさとした九つの尾を触ろうとした巫女を睨みつけて、牙を剥き出しにした。
その直後、可愛らしい耳付き帽子に紫の日傘が振り下ろされる。

「痛い! 何をする!」
「あんたごときがこのお姉さんに逆らったら、木っ端微塵にされるわよ」
「えー、私はそんなことしないわよ」

紫が眉間にしわを寄せ、腕組みをして唸る。

「あーあ、やっぱり玉藻前が良かったわぁ」
「その名を気安く口にするな!」
「妖獣の絆って、私が思う以上に強固だったのねぇ」

膨れっ面の九尾の頭に手を乗せ、がしがしと乱暴に撫でると、その耳が頼りなく寝そべった。
そして目から大粒の涙をこぼす。

『う、う……妲己様』
「大陸の言葉ももう忘れなさいな、わからないから」
『お前に私達の何がわかる!』
「いや、だから……わからないから……」
「……」
「いっそ強制的に式を打ち込んで、道具みたいにしちゃおうかしら」
「……や、やめてよ……」
「もう……」

連れ帰ってきたはいいものの、懐かないし、頭は悪いし、獣丸出しだし……紫はお手上げだった。
格好のつく導師服も与えてやったのだが大きすぎて全然似合わない。可愛らしいとは思うが……。

「あれ、そういえばその服」
「ん?」
「前に私があんたんちで着たやつじゃない。まだとってあったの?」
「別に捨てるほど劣化してなかったしね。この子が着るには少し大きいけれど」

九尾は自分の導師服に鼻を当て、ふんふんと音を立てて臭いを嗅いだ。
紫はそれを見て口を「へ」の字に曲げた。

「そういう臭いの嗅ぎ方もやめなさい。下品ね」
「なんだか微かに獣の臭いがする」
「失礼ね、それは私の服よ」
「最初から尻尾穴も空いてたぞ」
「私なら尻尾ぐらい簡単に生やせるわ」

話がおかしくなってきたところで、巫女は茶請けの菓子を持って紫と二人で九尾を挟むように腰掛けた。

「もう明日じゃないの。こいつ、こんなだけど戦えるの?」
「最悪、道具扱いね」
「や、やめて……」
「頼りないわねー。本当に天狗と戦ってたの? こいつ」
「ええ、それだけは本当」

紫が九尾の手を取り、膝の上に持ってくると、両手でそれを撫で回す。
すると少しだけ九尾の表情が穏やかになった。

「手はずはわかっているわよね」
「何したいんだか知らないけど……まぁ、私は負けたんだし、従うつもりよ」
「ほら、見習いなさい。藍」
「私はその名前で呼んで良いとは言っていない!」
「藍って言うの? こいつ」
「ええ、絶対に藍よ……藍色の藍。蒼よりもずっと濃い蒼」
「藍じゃない!」
「じゃあ、八雲藍、になるのかしら」
「まだ八雲の姓を与えるには早いわ。式も打ってないし、馬鹿だもの」
「ふーん。そういうもんなの」

巫女は話半分で、袖から数枚の符を取り出して眺め始めた。
その符から放たれる冷ややかな霊気に、思わず藍が毛を逆立てて身構える。
一方紫はさほど驚きもせず、不思議そうにそれを眺めていた。

「それは?」
「あの術を使うには生半可な霊力じゃ駄目なのよ。これは毎日少しずつ霊気を閉じ込めておいたお札。
 まぁ……要は普段使わない霊気を貯蓄しておいたようなものね。少しずつ抜けちゃうからあまり長持ちはしないんだけど」
「へえ、やる気じゃないの」
「鬼なんか見たことないもん」

その後巫女は「あ、天狗も見たことないや」と付け加えた。
こんな気の抜けた状態で戦えるのかと思いつつも、巫女は普段からこうだから仕方がない。

横に居る藍も難しい顔をしていた。一応参加する意思はあるようだ。



一方、山の妖怪達は引き締まっている。

「山の防衛もある。八雲紫の空間移動に対しては打つ手がないが、京に全員連れて行くわけにもいかん」

天魔も見守る巨木のうろの前。
日光は巨木の蓄えた無数の枝葉によって遮られ、地面への到達も叶わない。

整然と並べられた天狗達の赤い瞳だけが闇の中に浮き上がっていた。その数、およそ二百。

その先頭で、崇徳天狗は既に完治した両腕を組み、部下達に指示を与えていた。
精鋭部隊はその数を減らし、残った者は崇徳天狗を守るための親衛隊が四名、ついでに文もいた。
残りの五名は指揮官として、それぞれが二十名程の天狗を引き連れて入京する。

「人間は邪魔してこない限り無視して構わん。今回の敵は八雲紫、そしておそらくそれと行動を共にする九尾だ」
「鬼神様は、八雲紫が人間の英雄を連れてくるって言ってませんでした?」
「素性が知れん以上、そいつも一くくりに人間として構わん、敵対勢力なら勝手に邪魔しにくるだろう」
「いい加減ですね」
「今回のおれ達の主な任務は萃香様の援護だ。最前線に出る必要は無い」

萃香が一人で最前線に立つ。
天狗達が萃香に寄せる信頼が相当なものであることが伺えた。

「よくわからんが、罠の可能性もある。最初は数名斥候として鴉天狗を送り込む」

そう言って崇徳天狗は親衛隊の顔を見渡す。
崇徳天狗以外、四名全てが鴉天狗という編成だった、文も含めると五名になる。

「本当に戦いになるようなら、一旦引き返して仲間を呼んできてもらう」

親衛隊達が頷く。確かに紫が居なかったら、ただ京に争いの火種を撒き散らしに行くようなものだ。
そうなることだけは避けたい。

「そして萃香様は、たっての希望で単独行動を行う。無理に連携をとろうとして巻き込まれるなよ」

萃香の戦いが如何なるものなのか、見たことが無いという者も少なくはない。
崇徳天狗はそれを良く知っているから、部下達に釘を刺した。
援護というのはつまり、萃香と紫が一対一の勝負をできるようにすること。
巫女……人間の英雄やら、藍……九尾が邪魔に入らぬよう、押さえ込むことである。
決して萃香と同じ相手と戦うことではない。

崇徳天狗と萃香は事前に話し合い、この戦いの展開について幾通りかの可能性を考えてみた。

一つは、紫が京におらず、ただ人間と天狗が対立してしまう可能性。
これについては先ほど崇徳天狗が話していたように、斥候を使うことで被害を最小に抑えることができる。
動きの速い鴉天狗ならば、常人の目には捉えられないだろう。

もう一つは、紫が京のどこかに隠れている可能性。
おそらくこの線が一番濃厚であろう。紫の能力を持ってすれば、天狗の襲来を確認してからの入京もあり得る。
九尾は紫の能力の恩恵を受ければ良いし、人間の英雄も同様、さらに人間の英雄は人間の中に潜り込むこともできる。

そして最後に、京の側で天狗達を迎撃する可能性。
しかしこれなら京で戦う必要はまったく無い。天狗もできれば京には入りたくないから、意味が無い。
萃香も、今のところ人間から一旦目が逸れ、その前に立ちはだかる紫を目標にしている。

「けど崇徳。納得行かないことがあるよ」

そこで萃香が口にした疑問は、崇徳天狗の疑問と全て一致していた。

まず、何故紫が京を戦場とすることにそこまでこだわるのか。
或いは紫には初め、そのつもりは無かったのかもしれない。
玉藻が陣取ったのが丁度京で、その流れを意味も無く汲んでいるというのかもしれない。

だが、萃香も崇徳天狗もそうは思わなかった。

玉藻はやはり妖獣だけあって、思考の単純なところがあった。どこかで話の筋が通る。
しかし紫の考えはまったく読めない。突如湧いて出て争いに首に突っ込んだことも根拠が不明だ。
まさか本当に妖魔調伏が目的だなどと言うまい。それならもっと早く動くべきだ。

「遊ばれている気がする」

萃香の読みはそれ。

酒呑童子や茨木童子、そして崇徳天狗など、京には縁の深い妖怪だ。
紫はそれでもあえて京を選ぶことで、一種の演出と、挑発の意思を見せているのかもしれない。

「真面目に構えても仕方ねえなあ。かといって、人間と対立するのも厄介だが」

崇徳天狗はそう結論付けた。
明確な根拠は無いが、「誰も死なせない」というのは本当のような気がする。
鬼の萃香に対してそこまでの余裕を見せつける事で、神経を逆撫でしているのだろう。

ともすれば人間と天狗が対立するような状況をあえて作り、それを阻止しつつ、山の強大な勢力を相手に京を守る。
それは想像を絶する困難である。

「天狗の判断がどうであろうと、私は行くよ……きっとこれが最後の百鬼夜行になる」

その一言で天狗達は戦いを避けることができなくなった。

敵は紫から京の人間へと変遷し、萃香はそのまま退治されてしまうのか。
はたまた勝利の末、どこかへと姿を消すのか。
いずれにせよ崇徳天狗は、萃香の顔を見るのはこれが最後になるような気がしてならない。

「萃香様。あんたまで死なないでくれよ」

崇徳天狗は真顔でそう言った。

萃香はそれについて何も応えなかった。



そして決戦の日、丑の刻。



天狗達は一度大江山に集結し。そこから少しずつ、京を包み込むように移動する。
萃香は作戦通り別行動。天狗達よりも幾分早めに移動を開始していた。

「思えば、人は光を手にしてより、妖怪と分離し始めたのかもしれませんね」

高空から、京に灯る夜の光を眺めて文はそう呟いた。
人が初めに手にした光とは炎、人は炎と共に知性を身につけ、野生を捨てた。

その横に並んで浮かぶ崇徳天狗は返答に困った。
元は自分も人、それも形の上では、もっとも光の当たる立場にあった。

「なぁ、お前」
「なんでしょう?」
「こういう仕事は本懐じゃないだろう」
「ええ、まぁ」

崇徳天狗は、目を細めて京を見下ろしながら、彼らしからぬ小さな声で話しかける。
今頃、四名の斥候達が京を偵察して状況を確認しているだろう。
彼らが帰ってきて、戦える状態だと判断されたら萃香が京に降りる手筈だ。

隠岐で大天狗と化した崇徳天皇は、京の人間に呪詛をかけ、戦力を殺いだ上で対決を挑んだ。
しかし早くから崇徳天皇の報復を予測していた人間達は、実に手際よくその攻撃を阻止した。

彼は一人だった。

妖怪の身になりながらも妖怪の社会に入れず、妖怪の身となった以上人間の社会に戻ることもできなかった。
力だけは確かだったが、それも無尽蔵に繁殖を繰り返す人間の絶対数には及ばない。
人間達にとって大災厄だったことには間違いないが、所詮「滅ぼされる悪」の一つに過ぎなかった。

崇徳天狗がそんなことを思い出している間に、見回りを終えた親衛隊の鴉天狗達が帰還した。

偵察任務を完了させた鴉天狗達の表情は冴えなかった。
戦いを嫌がる顔とも違う、まるで狐にでもつままれたような、不思議な表情を浮かべている。

「崇徳様、様子がおかしい」

先日、真っ先に藍を捕捉して先鋒の役を務めた女の鴉天狗が、波がかった髪を指に巻きつけながら京を見下ろす。
崇徳天狗は顎をしゃくりあげて状況の説明を促す。鴉天狗は小さく頷いてから彼の目を見つめ、続けた。

その説明は一言で済んだ。

「人間が一人も居ない」

崇徳天狗に強く睨み付けられ、鴉天狗がそのつり目を見開き、肩をすくめる。
その仕草は、自分を責めないでほしいとでも言いたげだった。

「どういうことだ」
「言葉の通りです、一人も居ない」
「もっと詳しく」
「とりあえず、目に付くところでは一人も居ないんです。建物の中にいるかもしれないけど」
「確かに夜中だから出回ってるやつは少ないだろうが、見回りの兵すら居ないというのか」
「居ません、確実に居ません」

「ねぇ?」とばかりに他の三名を振り向くと、彼らも首を縦に振った。
今度は崇徳天狗が目を丸める番だった……一体、何が起きた。八雲紫は何をしたというのだ。

「くそ! こいつは九尾どころじゃないぞ!」

次から次に天狗達を翻弄する奇策、奇行。
崇徳天狗も、前例の無い、紫の変幻自在な戦法に調子を狂わされていた。
人間と対立させたくないからといって、人間全てを神隠しにでも遭わせたというのか、滅茶苦茶に過ぎる。

「萃香様は……!?」

相談を持ち掛けようにも、萃香も居ない。
先ほどまで、その位置を主張するように妖気を散乱させていたというのに。

女の鴉天狗が目で萃香の妖気を追うが、視点が定まらない。
しかしあることに気がつく。

「鬼神様の妖気が京全体に充満している?」

萃香の妖気、いや、その全身は徐々に京全体を呑み込み始めていた。

斥候の報告を待つまでも無く京の状態を察した萃香。
もしかすると紫が使用したからくりまでも見抜いているのかもしれない。
全身を霧散させ、京を覆いつくして……紫を腹の中に抱え込もうとしている。

それは絶対に逃亡不可能な萃香の策敵、追跡行動。
萃香も紫も、天狗達の知らないところで既に戦いを始めていた。

「いかん……すぐに全軍を呼び集めろ、京に降下するぞ!」

紫一人でこれ……崇徳天狗は頭が痛くなった。これでは、紫が自信満々に宣戦布告をしたのも頷ける。

とりあえず状況を把握しなくては。
紫の相手をするのは萃香であるにしろ、それ以外は天狗達で押さえ込まなければいけないのだ。



丑の刻より以前に入京した巫女は、ずっと飛び回っていた。

その手に握られているのは、あのときの符。
瞬間移動を繰り返し、その身を結界で迷彩する巫女の姿は鴉天狗に捉えられる事は無かった。

「これで最後!」

巫女が投げつけた符が地面に張り付き、紫電を撒き散らす。
その設置が完了したことを見届けて巫女は飛行速度を上げる。向かうは京の中心。

「ったく、紫も悪趣味ね!」

――急いで、鬼が京を包み始めた。見つかったら最悪よ――

「わかってるわよ! とんだ鬼ごっこだわ!」

――うまいこと言わなくて良いの。さぁ、見せてあげなさい貴女の力――

「せめて、出てきて話しなさいよね!」

――嫌よ。あれの巻き添えを食ったら私も無事には済まないもの――

巫女は全速力で目的地へ向かう。
眼前に広がる都は巫女の住む山奥とは違い、垢抜け、洒落ている。
だと言うのにゆっくり眺める暇も無い。

「今度、個人的に京へ旅させなさいよ! あんたの能力で!」

――頑張ってくれたら考えるわ。あ、もちろん私は同行して良いのよね?――

「じゃあいい! 神社に居る!」

憎まれ口を叩きながらも、巫女の心に募るのはただ焦燥感。
それは油のように粘りつき、徐々に闘志を奪われる感覚がある、急げ、急げと心臓が高鳴る。

さらに、焦燥感は物理的にも巫女の体にまとわりつく。

妖気を含んだ霧……巫女の体を包むこの霧自体が、全て伊吹萃香だった。

紫は亜空間の中に身を潜めており、萃香の策敵から逃れている。
しかし巫女は、鴉天狗の目を盗むことには成功したものの、萃香の目をごまかすことはできなかった。

巫女はその事実に気がついていなかったが、嫌な予感だけはずっと胸の内を支配していた。
心臓が外側から冷え、凍り付いていくような感覚。指先から痺れ、腕、脚、全身。
感覚が鈍る、思うとおりに動かない、失速していく。

初めて見る鬼、そして初めて見る力。
それさえわかっていれば防ぎようもあったのかもしれないが、もう手遅れ。
巫女の全身とその周囲は萃香に完全包囲されてしまっていた。

(おかしい……)

巫女の飛行速度が見る見るうちに落ちていく。
体が重い、歩くのと同じように空を飛べたはずが、今では飛ぶことはおろか、歩くことすら不可能に感じる。

「こんなのが英雄? 笑わせるな!」

突如聞こえたその叫びと共に、巫女の体は濃い霧に包まれて、宙に浮いたまま動けなくなった。

(息ができない!)

霧の向こうにうっすらと小さな人影が見える、その頭部にはねじれた巨大な角が生えていた。
巫女は、これが鬼だとすぐに悟った。そして陥ったのは紫の言う最悪の状況。
鬼に見つかり、捕まる……しかし紫は助けに来ない。

(霧自体があんたの体? 集まったり、分散したりする力を持つって言うの?)

直接問いたいが、口が動かない。
しかし絶体絶命の状況にあって、巫女の心は平静を取り戻していた。
相手の姿がわかった、相手の能力がわかった。そして自分を包み込み、超至近距離に居る。

(紫が私を助けなかったのは……)

本当に意地の悪いやつだ。
外で萃香がぶつくさと何か言っているが、聞こえないし聞く必要もなかろう。

――大・正・解――

紫の愉快そうな声が脳内に直接響く。これで確信した。

この状況は好都合。

この位置だと少しはみ出してしまうかもしれないが、鬼に捕まってしまったのだから止むを得ない。

巫女は全身から、三代に渡って脈々と受け継がれてきた対魔の力を解き放った。
霧がジュウジュウと嫌な音を立てている、萃香の表情が曇った……一瞬、一瞬だけ、体が自由になれば良い。

「悪あがきを。まぁ、こんなので死なれても面白くない、解放して……」

萃香がそう言いかけ、宙に縛り付けた巫女の表情を探る。

「いいえ、良いわよ。続けて頂戴」

晴れてきた霧の向こうに、挑発的な微笑を浮かべる巫女の姿があった。
自分を恐れない人間、萃香の胸の奥が熱くなる。勇者の気配を感じる。

「すごいわね、京全体を包むぐらい広がれるなんて」

巫女が袖から符を出した。それは先ほどまで設置していた符とは違うものらしく、紫電を放ってはいない。
攻撃を繰り出すならば打ち砕いてやろう、と待ち受ける萃香の目に、符に記された文字が目に入った。

『封魔大結界』

巫女がそれを読み上げ、自分の足元に投げつけた。
京の随所に設置された符が弾け、その内に溜め込んだ巫女の霊力を吐き出す。
それぞれの符から放射線状に撒き散らされた霊力が京全体を包み、覆い……萃香の体を構成する全ての粒子に降り注いだ。

「うぁっ……!?」

萃香が声を上げる間も無く、その身は粉微塵に打ち砕かれ、霧散していく。
巫女を中心に広がっていく青白い球形の壁……『封魔大結界』は、撒き散らされた霊力と合流し、すさまじい勢いで膨らんでいく。
京を包み込む邪気、萃香の体を余すところ無く傷付けて、その代わりとばかりに京全域を満たしていった。

――とんでもない威力ね……鬼すらも弾き飛ばすなんて――

あの夜、巫女が紫に見せた奥義こそがこれだった。

その時点での名は『封魔結界』。
あの時はここまで大規模な結界ではなかったが、それでも十分な範囲と威力を持っていた。

――後に、彼女の子孫が、冥界・白玉楼にて紫を退治する際に繰り出す技の前身。

紫は咄嗟に隙間に逃げ込むことでこの技を回避したが、萃香がこれまでに取った行動……
つまり霧散して京を包み込むことは、まさに自殺行為だった。
粒子の次元まで細かくなることにより、霊力の直撃する面積が最大になってしまう。
言わば、その体を構成する全ての細胞に対して霊的な攻撃が行われることとなった。

京を包み込んだ巫女の霊力は、結界に押し出されて徐々に外側へと流れて行き……
京全域を覆いつくしたところで停止、集結して密度を上げ、鉄壁の大結界と化した。



「うおぉぉおおぉっ!? 下がれっ! 飲み込まれるぞ!」

京への降下を開始していた天狗達も、眼前からメキメキと迫り来る結界を見て混乱に陥る。

「なんだこれは!?」

入京の遅れた天狗達は、かろうじて結界への衝突を避けたが……京全体を青白く光る球形の結界が守っている。
どこにも、京に入れる隙間は無い。

「八雲紫ィィィ……!」

誰も居ない京に鉄壁の大結界。
誰か殺せるものなら殺してみろ、と、天狗達を嘲笑う紫の表情がその目に浮かんだ。



「ぶっつけ本番だったけどうまく行ったわ。ああ、緊張した」

京に充満していた霊気は全て結界に吸収され、内側は紫が出てこられる状況となった。
ここぞとばかりに亜空間から出てきた紫は、愛おしそうに巫女の頭を撫でる。

「素晴らしい……寸分の狂いも無かったわね」

巫女は結界がずれて京がはみ出してしまうことを危惧していたが、そういうこともなかった。
結界は無事京全体を覆い、天狗と萃香の侵入を阻んでいる。

安心した巫女がへたり込み、地面に尻をついた。
空を見ると、見渡す限りの結界……どこからどこまでが結界なのか、目視ではその境すらわからない。

それほどに巨大な結界だった。
紫が巫女に提案し、実行を指示した一つ目の切り札。

これが後の『博麗大結界』の前身となった。

この巫女の姓は『博麗』と言った。

まだ、今の巫女の力ではこの結界を長期に渡って維持するのは難しいだろう。
しかし紫にしてみればこれは大きな進歩、まずこの術を巫女が成功させたという事実が欲しかった。
保守運用は、紫の側でもできないわけではない。

隙間を開き、中を見やる。
紫と同様にそこに潜んでいた者が居る。

「藍」
「藍って呼ぶな」

開いた隙間から藍がのっそりと這い出してきた。

体も成長しきっていないのに、その臀部には立派な九尾。
紫を睨み付ける目も反抗的で、目的が一致してさえいなければ、いつ噛み付かれるかわかったものではない。
しかし逆らっても逃げ切れないことは承知のようで、今のところ無駄な抵抗はしなかった。

「天狗と決着をつけたいでしょう?」

その問いに、藍は真っ直ぐな目で紫を睨み付けて頷いた。
藍の目の敵は崇徳天狗であろう、彼は真っ向から藍の信念を否定した。
彼に敗北することはそれ即ち、玉藻と藍の意志の敗北。幼い藍は、そう信じているようだった。
妖怪の楽園を作ると言う大義、こんなところで負けるようでは先が思いやられる。
だからこそ、藍は崇徳天狗に勝ちたい。

そしてそんな藍の目を見て紫は思う。

(今はまだ未熟なこの子もいつかは……)

玉藻ならば即戦力だったが仕方あるまい。巫女もまだ未熟なのだし、ついでに少し面倒をみよう、と紫は思った。
きっと外見的には玉藻より愛らしいだろう。とりあえずそれで手打ちにしようと、藍の頭を撫でた。

「休んでばかりはいられないわよ」
「なによぉー。もー疲れたわよー。あんな結界張ったら、そう簡単に入れっこないわよー」
「ところがそうでもないの。鬼はまだ元気だわ……いやむしろ、手負いになって次は本気で来る。
 今まで標的にされていた私はもはや彼女の眼中に無いはずだわ。そう、貴女が狙われる」

巫女は首を傾げながら自らを指差す。紫が目を合わせて大きく頷いた。

「げげ、はめたわね」
「敗者に口なしよ」
「うー」

巫女はしぶしぶ立ち上がり、尻についた砂埃を払った。
鬼というのはそんなにも厄介な種族なのかと、自分の勉強不足を呪うように眉間にしわを寄せる。

「さ、次の舞台へ行きましょう? 鬼を怒らせるだけ怒らせるの」
「勘弁してよ……」
「全て受け止めてあげるの。そうしないと、きっと近いうちに似たような争いが起こる」
「なんでよ」
「彼女ね、きっと退治されたいんだわ。全力を出した上で完膚なきまでに負けたいのよ」

そう言って紫はクスクスと笑い、日傘の先で空間を斬り裂いた。
巫女と藍が顔を見合わせて首を傾げている。しかし、両者ともただ紫に従うしかなかった。
紫には、二人が考えている先の先が既に見えているのだろうと信じるしかなかった。



京から締め出された天狗達は途方に暮れていた。
少し結界に触れてみたが、その霊力の濃度が尋常ではない。
一瞬で爪が黒焦げになってしまった。どうも妖気に反発を起こすらしい。
それはまさしく、神に仕える者だからこそ扱える力だった。

「萃香様は無事か……」

結界をどうするか悩んでいる天狗達をよそに、崇徳天狗一人だけが、妙に萃香の身を案じていた。
あの時萃香の全身は京を包み込んでいた、それに対して京全体の妖怪を焼き払う封魔大結界が発動した。
直撃も直撃、その全ての威力を萃香が受け止めたと言っても過言ではない。

(まさかあれだけで死にはしないだろうが)

そう思わせる萃香もまた、並の戦闘力の持ち主ではない。
かつて共に戦った身として崇徳天狗もその点には信頼を寄せていた。
しかし無事には済むまい、大きな傷を負ったのは間違いないはずだ。

(よし)

結界の前でおろおろとする部下達に向けて、崇徳天狗が声を掛ける。

「結界の突破は一時断念だ! 萃香様の捜索を行う! どこかにはじき出されているはずだ!」

そう叫んだ直後、崇徳天狗の肩に小さな手が置かれた。
その手の主が萃香であることはすぐにわかったが、後ろから聞こえる荒い息遣いがただごとではない。
手の置かれた箇所に、じわりと生暖かい液体が滲んだ。崇徳天狗は振り向くのをためらった。

「やってくれる……!」

崇徳天狗が振り向くより先に、萃香がその前に進み出た。
全身から血が流れている、肩で息をしている。
服も見る影も無い様子で、膝下まであった着物が膝上まで蒸発して消えてしまっていた。

萃香の顔を直視した天狗達は皆凍りついた。
外見的には幼い少女に違いないのだが、釣りあがった目、食いしばった口元から覗く牙。
九尾の、鋭さを帯びたそれとは違い、先は丸まっているのだが何もかもを噛み砕く無骨な牙。

「崇徳」
「……どうした、萃香様」

萃香は結界を前に、崇徳天狗に背を向けたまま呟く。
それまで騒いでいた天狗達も、萃香のあまりの威圧感に一言も発することができなくなっていた。
そして崇徳天狗も萃香の顔を直視する気にはなれなかった。

「私がこの結界に穴を開ける。ついてこい」
「ああ」

崇徳天狗は一切迷わず即答した。

「お前は降りてないから気付いていないでしょうけど」
「なんだ?」
「この京は偽物よ」
「なんと」

萃香は先ほど、巫女を捕捉して手痛い反撃を食らうまでの間に京の様子を見回していた。
そして一つの事に気付く、それは紫の挑発と言うほか無かった。

「これは、酒呑が死んだあの日の京よ。忌々しい」
「……そんなことが可能なのかよ」
「からくりはわかんないよ。けれど、間違いない、あの時のままだ」

その声が徐々に細くなっていくのが手に取るようにわかった。
自分が京を攻めている間に、卑怯な人間達が酒呑童子を罠にかけ、首をはねた。
命からがら逃げ出した仲間は、酒呑童子の断末魔の叫びを聞いたと言う。

「俺達鬼だって、こんな残酷なことはしねえぞ!」

首だけになった酒呑童子はそう叫んで消滅したらしい。
萃香はその報告を聞いたとき、下唇を噛み、その拳を強く強く握り締めた。
自分もまた、京で人間に傷を負わされていた。

「良い? 一度しか穴は空けない、そりゃ、何度かは空けられるけど」

『何度でも』と言わなかった辺りに、萃香の傷の深さが窺えた。
封魔大結界は、ただでさえ人間離れした巫女の霊力数日分を消耗する大技中の大技。
如何に萃香の体が頑強であるとはいえ、それが直撃すれば即座に全身を再生することはできない。

「これだけの規模の結界だ、きっとすぐに穴は塞がってしまうわ」
「ああ……」
「私と崇徳、それとあと三人がせいぜいってところでしょ。無理して通れば、この厚い結界に飲み込まれて死ぬ」

萃香が崇徳天狗を振り返る。
その表情は先ほどの鬼の形相から移り変わり、かつて討たれた仲間の死を想う悲しみに満ちていた。

「あんたは、あの九尾が気に入らないんでしょう?」
「ああ。気に食わねえな」

崇徳天狗は、甘ったるい戯言を垂れ流す藍のことが気に入らなかった。
そのような甘い話の実現があり得ないから、自分のような妖怪が生まれるのだと知らしめてやりたかった。

崇徳天狗は自分の他に連れて行く者を選ぶ。
一人は、最初に藍と激戦を繰り広げた、身のこなしの軽いあの女の鴉天狗。
もう一人は、妖術に長けた鼻高天狗を選んだ。

そして最後に文を見つめる。

「来たいか?」
「……」

まさか自分が呼ばれるとは思わなかった。文はつい視線をそらし、服のすそを掴んだ。
中ではどんな恐ろしい戦いが待っているかわからない、紫にしてもそうだし、藍でさえ今の文には手に余る。
さらには、このような非常識な結界を引いた人間も居る……足が震えた。

既に萃香は結界に穴を空ける準備を開始していた。
右腕に、霧となっていた萃香の体が集まり始める。それは徐々に熱を帯び、赤く染まっていく。
妖気を極限まで練り込んで一撃必殺の鉄拳を作り上げていく。
その熱気は周囲にも発散され始めた。萃香の手の周りの大気が熱で揺れている。

「行きます。見てるだけになると思いますけど……」

事の顛末を見届けたかった。
二尾を玉藻の元に運んだあの日から、文もまたこの宿命の渦に飲み込まれていた。
胸を張り、腕を組むあの鴉天狗を見やる……いつかは自分もあのように、山を守ることになるかもしれない。
そして、

「ハナから期待してねえよ。それでいいんだ」

と崇徳天狗が笑った直後、萃香が結界に突進した。
萃香の鉄拳は見事に結界を穿ち、大穴を空けた。
そしてそれが自然修復される前に、四名の天狗が飛び込んだ。

最小限の戦力で挑み、紫達に勝利するということは、正々堂々とした戦いを好む鬼の特性だろう。
人間に散々騙され、紫にここまで挑発され、それでもなお、萃香はその実直さを捨てなかった。



巫女と藍は、紫にある場所へと導かれ、そこでカカシのように突っ立っていた。
藍は崇徳天狗への敵対心を燃やしていたはずなのだが、この巫女の傍に居ると何故か毒気が抜ける。
巫女は先ほどからあくびをしたり、首をかいたりと、まったく緊張感が無い。

「お前……よくそんなに落ち着いていられるな」
「へ? 何言ってるのよ、かつて無いほど緊張してるわよ」

そう言って巫女は背伸びをする。そのあまりの説得力の無さに、藍は小さく唸った。

――やっぱり来たわ、ここへ真っ直ぐに向かってる。定位置について――

「はいはい」
「自分で吹っかけておいて戦わないのか、良い身分だな」

――後でまた、傘でひっぱたいてあげるからね――

再び亜空間に潜り込んだ紫。言いたい放題だった。
最後の台詞を聞いた藍は、怯えたような表情を浮かべ、その頭に生える耳を寝かせた。

そしてそれぞれが、紫に指示された定位置へと移動する。

紫の台本があるのはこの辺りまで、あとは巫女にも藍にも行動指示はしていない。
この場所で、萃香率いる山の精鋭達と相見えた後、彼女らのアドリブ……真の力が試される。



萃香を先頭に、四名の天狗が続く。
萃香は一点を見つめ、無言で天狗達を導いている。その足取りは迷い無く、一直線に進攻している。
崇徳天狗だけはその目的地がわかっているようだった。文は最後尾から二番目……最後尾は鼻高天狗が受け持っていた。

文は道中、人間達の築き上げた街を見下ろす。
滅多に行く事がないだけに、その変化の著しさに眼を疑ってしまう。
酒呑童子が討たれた日の京とは言うが、その頃の京でさえ、文の記憶の中にある京よりも新しかった。
いつの間に人間はこんなに増えたのだ、と思う。その反面、山へ迷い込む人間が増加したことを考えると納得もできた。
人間は徐々に山を、妖怪達の住処を奪っていく。

もしかしたら萃香はそういう点への危惧もあって、人間を強く意識しているのかもしれない。
しかし、今は後頭部しか見えない萃香から、その真意を探る事は不可能だった。

そして辿り着いたのは上京。

橋の上で紫が日傘を差して立っていた。
そこは、洛中と洛外の境を示す。

「いた……!」

萃香が目を見開き、口の端を歪める。やはり紫は『そこ』で待っていた。

そして萃香の背を預かる天狗達は息を飲んで紫の全身を確認する。
不思議な紫色の衣装に身を包み、長い金髪が夜風に揺れている。
見た目に少女であるのは萃香と変わりないが、その佇まいからは大物特有の禍々しさが滲み出していた。
自分達が鬼神と崇めていた萃香に匹敵する怪物……その表情は日傘で隠れ、窺い知る事ができない。

その紫が立つのは一条戻り橋。

「ね、道に迷ってしまったの。教えてくださらない?」

遠くにいるはずなのに、耳元に紫の声が聞こえる。
不可解な紫の演出、そこに意味を求めてしまうと、疑心暗鬼という無限の落とし穴に陥る。

「奴の声に耳を傾けるな」

崇徳天狗は冷静に天狗達を戒めた。
言われるまでも無いとばかりに、鴉天狗と鼻高天狗はその言葉を聞き流す。
文だけは一人戸惑っていたが、崇徳天狗の声で我を取り戻した。

そして萃香が紫の射程範囲内へ飛び込んだとき。その日傘が紫の表情を露にした。
ほんの少し覗けたその薄笑いを見て、天狗達は心臓を鷲掴みにでもされたような戦慄を覚える。
萃香がこれだけの戦力を揃えて尚、紫は不敵に笑っている。その表情からは恐れなど微塵も感じられない。

「さっきの巫女をどこに隠した! 連れて来い!」

萃香が体をひねり、拳を構えて速度を上げた。
しかし紫は動こうとしない、結界で身を守るつもりか、隙間に身を潜めるつもりか。

「ここは一条戻り橋。かの高名な陰陽師は、この下に式神・十二神将を隠したそうね」

萃香の拳が紫の顔面を捉えんとした瞬間、橋の下で強い発光があった。
そこから金色の影が飛び出し、萃香に襲い掛かる。

紫は発光に紛れて消え去り、空振りした萃香の右腕が吹き飛んだ。

「萃香様!」

そのまま萃香は一条戻り橋に向かって突っ込む。
そのあまりの勢いに、一条戻り橋は砂糖菓子のように粉々に砕けた。
金色の影が橋台の上に降り立ち、その様子を見届ける。それは爪を伸ばした藍、その横に、空間の裂け目を開いて紫が現れた。
さらに、おそるおそると巫女も這い出してくる。

「大陸の鬼はもっと強力だった」

暗闇の中に光る藍の瞳が、斬り飛ばした萃香の腕を探った。
紫は日傘を閉じ、空中で静止する天狗達を威圧的に見上げる。
巫女は辺りをきょろきょろと見回していた。

ついに相見えた双方の面々、紫は無言で目を閉じ、自分達の周囲に四重結界を引いた。

「どうした、随分慎重だな」
「腕、見つかったかしら?」
「いや」
「爪に血は付いてる?」
「いや?」
「わざと、ね」

紫は瓦礫を見つめた、その表情からは既に薄笑いが消えている。
瓦礫の中で萃香の妖気が膨らんでいくのが感じられた。

藍は思い出す、そういえば、萃香の腕を斬り飛ばしたときの手ごたえはあまりにも小さかった。
雲でも斬ったような、奇妙な感覚……。

「萃香は、貴女の爪がかすめる箇所を一瞬で見切り。そこだけ密度を下げた」

瓦礫が上空まで吹き飛び、その中から真っ赤な左腕を振りかぶった萃香が飛び出す。

「貫かれるわ、こんな結界では」

封魔大結界さえ紙の様に突き破った灼熱の拳が四重結界に届き、あたかも何の抵抗も受けなかったようにそれを突破した。
しかし紫は萃香の拳を避けようともせず、腹部へ受けた。

「私はここで一旦退場するわ。あとはよろしくね」
「ちょっと!?」
「鬼退治は人間の仕事よ」

そう言って、腹部を貫いた萃香の左腕を掴んだまま、かすれ、闇と同化して消えていく。

萃香は紫の腕から逃れようと体を揺すっている。
その顔面には興奮のあまりに焦点を失った目と、口元が裂けているかのような笑みが張り付いていた。

「放せ……!」

いくら紫が人間を超える身体能力を持つとはいえ、力自慢の鬼をいつまでも押さえつけておく事はできない。
巫女と藍は、両者の間で行われている駆け引きが目視だけで認識できる次元を逸している事を知り、冷や汗を流した。

紫は腹部を空間ごと切り取り、萃香の腕を素通りさせていた。
亜空間の中に、傷一つ無い紫の腹部が隠されているのだろう。

消えていく紫に腕を掴まれたまま、萃香は巫女を睨みつけてさらに嬉しそうな笑顔を浮かべる。
吹き飛んだ右腕に霧が集まり、再生されていく。

「鬼……」

巫女は袴に差したお払い棒を抜き、袖から数枚の符を引き抜いた。
最終奥義だったはずの封魔大結界さえ耐えきった鬼に、今更何ができるのかわからないが……。

「ま、やってみるか」

緊張感の無い巫女を見て、わずかに萃香の目が元の色を取り戻した。

それは不思議な感覚だった。
萃香は、血祭りに上げてやろうと憤っていたはずなのに、殺意が薄れていくのがわかる。
勝負とは殺し合いだけに限らず、一種の遊びである事を久しく忘れていた気がした。

(いや、人間は私達を裏切った)

巫女から発せられる奇妙な雰囲気に思わず闘志を失うところだったが、拳を握り締めてその感情を否定する。
萃香が鋭い眼光を向けると、巫女は困ったように目をしばたたいた。

しかしこれは山の勢力と、紫の勢力の決闘。
巫女の思惑など、この状況を考えれば汲んでやる必要は無い。

萃香は地を蹴り、砂埃を巻き上げて巫女との間合いを詰めた。

対する巫女は霊力を内包した陰陽玉を撒き散らして迎え撃つ。



巫女と萃香の決闘が無言の内に幕を上げた頃、藍は民家の屋根の上を駆けて天狗達を誘導していた。

あれだけ張り切っていたはずの紫による援護は無い。
藍は訝しがりながらも、かえって天狗との決着を邪魔されずに済むと、奢りにも似た感情を胸に抱いていた。

「やつは逃げるしか能が無いのか」

鼻高天狗が呟く。
先頭に崇徳天狗、その両脇を文ともう一人の鴉天狗が固め、最後尾を鼻高天狗が追っていた。

「崇徳様、私が奴を捉える」
「そうだな」
「山での礼をするわ」

鴉天狗は前回爪を突き刺された自分の腹を撫でる。それはまるで腹の中に居る子を慈しむような手つきだった。
そしてそのまま姿勢を前に大きく傾け、鴉天狗はまさに疾風となって隊列から外れた。

(陸で二次元的に動くのと空中で三次元的に動くのでは、回避力に大きな差が出る)

藍の踏み込みで民家の屋根が粉砕し、屋内へ瓦礫のこぼれる音が聞こえた。
空中での移動速度は鴉天狗に敵うまいが、だからと言って地に留まるのは得策ではない。

金色の疾風と漆黒の疾風が空中で交錯し、両者共に静止した。
鴉天狗の長い脚は藍の腋に挟まれている、方や、藍の腕は鴉天狗の胸に届く寸でのところで掴まれていた。

「同じ轍を踏むと思ったら大間違いよ」
「今回はたったの四人か、しかも一人は戦力外の下っ端。返り討ちにしてやる」

藍が文に視線を送ると、その言われように文は頬を膨らませていた。
傷ついた自分を玉藻の元へ運んだ少女、そのとき文には多少の情をかけられたが、もはや完全なる敵。
ここ、京にて決着をつける。玉藻と自分の意志が儚い夢ではなかったと証明するために。

「よそ見してんじゃないわよ!」

鴉天狗が体をひねり、封じられていない左脚で藍の側頭部を鋭く蹴りつけた。
しかしそれは失策、直後、藍の反撃でその自慢の脚が血に濡れる事となった。

「うぁっ!?」

藍の、刃のような牙が鴉天狗の足首に突き刺さっている。
そのまま頭をねじると、牙は滑るように鴉天狗の肉を切り裂き、夜空に鮮血を舞い上がらせた。

「ペッ」

口内に溜まった錆臭い血液を吐き出し、今度は藍が前蹴りを放って鴉天狗を突き飛ばす。

「顔を攻撃するのは極力控えろ! やつの牙の切れ味は生半可な剣と比較にならんぞ!」

吹っ飛んできた鴉天狗をその胸に受け止め、すぐに崇徳天狗が藍に襲い掛かった。

「もっとも、俺ぐらい体が大きければ気にする事はないがな!」

大天狗である崇徳天狗の腕は丸太のように太く、強靭だった。
前回の山でも幾度と無く藍の爪牙を浴びて、それでも機能を失う事が無かった。

「腕が無理ならば、その指貰い受ける!」

藍も背から妖気を放出し、崇徳天狗に向かって加速した。
さらには全身を前回転させて牙の威力を倍化させる。

崇徳天狗に掴まれたら終わり、その怪力でくびり殺される。
ならば腕全体を使用不能にする必要は無い。藍の首をへし折るその指を奪ってしまえば良い。

微かに空間が歪んだ。
紫が危機感を覚えたのか、もしくはちょっかいを出そうと思ったのか。
しかし歪んだ空間を取り囲むように飛んできた数枚の符がそれを遮る。
空間の変形は無理矢理食い止められ、不気味な振動を繰り返した。

「邪魔はしないでもらおう」

鼻高天狗が崇徳天狗と藍の決闘を腕組みして見守りながら、視線をわずかも動かすことなく呟いた。



その視線の先には、藍の首から肩までを鷲掴みにする崇徳天狗の姿があった。
親指から覗く崇徳天狗の骨、藍の攻撃はそこまでの切れ味を持っていても、彼の攻撃を止める事ができなかった。
東方らしさ、という観点で見た場合、大分レベルの低い作品だろうなと思っています。
紫や巫女、オリジナルの天狗で補っていこうとは思うのですが、殺伐としているのも数名。

ここまでの話には陰鬱さが強く漂っていると思うんですが(幽々子の過去話よりは良いけど
どちらかというと、この時代らへんの妖怪の逸話に東方のキャラを混ぜるような感じになっているので、
世界観はそちら優先になっていることが多いと思います。
幻想郷が結界で区切られてないことになっていますし、巫女もまだ三代目ですし。

その辺の、日本全体と幻想郷の価値観の違いが……話のテーマにもつながるのであまり言えないのですが、
紫がこのような行動を起こすための、モチベーションになっています。

「俺のゆかりんはこんなに行動的じゃねえ」とか思われるかもしれませんが、まぁ、まだ紫が若い頃ってことで……(汗

知人には「はっちゃけゆかりんの話か」と言われました。
確かに私のシリアスの紫ははっちゃけているのかもしれないです。

その辺の視点の違いなんかも「VENIの中の紫はこんななのか」なんてことで、ひとつお許しを……(汗


さて次は、全てに決着がつく後編。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
VENI
http://www.geocities.jp/hurkai732/
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コメント



0.3160簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
評価点は後編を読んでからにしますが、
とりあえずはっちゃけゆかりんには大賛成。
いやいや、カッコよさと胡散臭さのバランスが絶妙ですな。

>幻想郷が結界で区切られてないことになっていますし
時系列としてはこれで正しいと思って普通に読んでたんですけど……
どうなんですかね?

8.100名前が無い程度の能力削除
まか、事が事だし、紫だってこの程度は動くかと。
個人的には大好きですが。(笑)
9.100名前が無い程度の能力削除
神速で続きへ
10.無評価名前が無い程度の能力削除
幻想郷が大結界で区切られたのは明治のはずだから、設定的には問題なしです。
それは置いといても、一気に引き込まれました。二転三転する状況、紫と鬼と天狗と巫女。もう、続きが気になって仕方ないです
12.100三文字削除
これだ!これこそが紫様だ!
どこまでも人を食ってて、どこまでも謎めいていて、何を考えているのか全く分からない、要するに限りなく胡散臭いのが紫様だ!
それと、崇徳天狗が漢なので個人的に気に入ってます。
どいつもこいつもカッコいいなぁ
13.100名前が無い程度の能力削除
まだあわてるような時間じゃない・・・
22.100名前が無い程度の能力削除
オリジナルのキャラが違和感無く世界に溶け込んでいるのがたまりません。

むしろ、紫さんのこの行動は納得。
彼女は彼女で強く想う所はあるでしょう。
幻想郷があるから寝ていられるんだ!

冗談なような冗談じゃないような事はさておき、今回も非常に楽しませていただきました。
続きが楽しみで仕方ありません。
24.100名前が無い程度の能力削除
崇徳とあややの関係がなんか凄く好きです。もうなんかカップリング的なものを妄想しそうです。その他の感想は後編にて。
>合間見えた
>合い見えた
「相見えた」が正しいような気がします。
>両者共に制止した
「静止した」が正しいような気がします。
27.100時空や空間を翔る程度の能力削除
コメントは最後に
最終章へ・・・
32.80鼻毛が気になる削除
>即頭部を鋭く蹴りつけた。
側頭部なのかもしれないです。

楽しく読ませてもらってます。
こうゆうタイプの藍様が式になるとこの話は初めて読んだかもです。
あの刀で武装した藍様の昔ってどんなだろとか思ってたりしたけど、今回は違うのかーとか思ったりw
確かに東方らしくないかも知れないけど、この世界の東方キャラやオリキャラたちに興味津々です~。
先が気になってしょうがないw
てか俺、卒論の息抜きに覗いただけだったんだがなぁ(ぁ
33.無評価VENI削除
たくさんのご意見ご感想、ありがとうございます(礼

以下の誤字を修正いたしました。
報告いただき感謝ー。


>合間見えた
>合い見えた
「相見えた」が正しいような気がします。
>両者共に制止した
「静止した」が正しいような気がします。

>即頭部を鋭く蹴りつけた。
側頭部なのかもしれないです。
36.100名前が無い程度の能力削除
あんたは最高だ
37.100ラナ・ケイン削除
さ、続き続き
39.100名前が無い程度の能力削除
間違いなくこれは傑作。
58.100名前が無い程度の能力削除
これはすごい傑作です!!
76.100名前が無い程度の能力削除
ラスト