Coolier - 新生・東方創想話

U.N.オーエンは空想なのか?【存在証明】

2007/10/06 08:11:28
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 最初は天国だと思いました。
 次に地獄だと知りました。
 最後に、たどり着いたのが幻想郷であることに喜びました。
 だって、ここなら××でも受け入れてくれるから。










 女心と秋の空。
 諺には疎い大妖精だが、この程度のレベルなら意味まで知っている。女心は秋の空のように、移り変わりやすいということだ。
 しかし、移ろいやすさで言えばチルノの行動も負けてはいない。妖精研究家がいるとすれば、間違いなくチルノという妖精を調査した段階で研究を諦めるだろう、と言われるぐらい予測不能の妖精だった。
 大妖精とて、妖精は妖精。自由気ままに遊んでみたり、人間に悪戯をしてみたりもするが、チルノに比べれば月とすっぽん。輝夜と永琳ぐらいレベルが違う。
「野球しようぜ!」
 どこで知識を仕入れてきたのか、チルノは唐突にそう言った。
 そのくせ、持っていたのはゴボウと玉ねぎ。野球が何なのか知らないけど、野菜を使ってできるものなのだろうか。字面は似ているものの、何か根本的な勘違いしているような気がする。
 とはいえ、楽しいのなら大妖精とて文句は言わない。享楽的なのは、妖精の大きな特徴でもある。
 二人は空が曇天に覆われたことにすら気づかないぐらい、チルノ流の野球を満喫した。
「ハァハァ……さすがチルノちゃん。あそこでまさかゴボウの皮を剥くとは思わなかったよ」
「大ちゃんこそやるじゃない。その皮と玉ねぎの皮をすり替えておくなんて。……ん?」
 チルノが空を見上げる。同時に、大妖精は鼻の先に違和感を覚えた。
 手を広げて、空へ向ける。冷たい感触が、手のひらに落ちてきた。
「降ってきたみたいだね」
「うん。じゃあ、もう今日は止めようか」
 チルノは少し名残惜しそうにしていたが、空を見上げて、仕方なしに頷く。さすがに、降りしきる雨の中でも遊ぶつもりは無いようだ。
 野菜を回収したチルノの後に続きながら、木陰から木陰へなるべく雨に濡れないように走る。飛べば早いのだが、雨粒が痛い。こういう時は、歩いて帰るに限る。
 最初は黙々と歩いていたチルノだが、次第に楽しそうな声をあげるようになった。どうやら、雨に濡れずに木陰から木陰へ移動するのが楽しくなってきたらしい。何でも楽しめる妖精だ。その事が、少し羨ましい。
「よーし。あそこの木陰まで一番早くて、全然濡れなかった奴の勝ち。スタート!」
「ちょ、ちょっと待って!」
 勢いよく走りだしたチルノは、一本目の木に思い切り体当たりをかまし、枝や葉に付いていた水滴を全身に浴びていた。それでもケラケラと笑っているのだから、将来は大物になるかもしれない。妖精の大物というものが、何なのかは知らないが。
 しばらく、走っていると、段々と辺りの視界が悪くなってきた。雨が強くなってきたのかとも思ったが、よく見れば雨はとうに止んでいる。霧雨というわけでもないらしい。どうやら、本当の霧が立ちこめてきたようだ。
 異変に気づいたチルノが、走るのを止めた。
「こんなとこで霧なんて出たことあったっけ?」
「う~ん、私は見たことも聞いたこともないけど。誰かが間違って作ったんじゃないのかな?」
 そういう事ができる妖怪や妖精とて、いないわけではない。俄に霧が立ちこめたとしても、ここ幻想郷ではそれほど珍しいことではなかった。
 その為、二人も大して気にせず、そのまま歩き続けたわけだが、さて。
「……ねえ、この森ってこんなに広かった?」
「歩いたとしても、出るのに五分と掛からなかったはずだけど……もう三十分は歩いてるよね」
「大ちゃん、道を間違えたんでしょ」
「私? だって、先頭を歩いてたのはチルノちゃんじゃない。道を間違えたんなら、それはチルノちゃんが悪いんだよ」
「だって、あたいは道わかないもん」
「じゃあ、何で先頭を歩いてたの!」
 ちょっとしたトラブルはあったものの、騒いでどうこうなるものでもない。チルノの目尻には、霧のせいではなかろう水滴がにじみ出していた。さすがに、多少の罪悪感はあるらしい。
 大妖精は溜息をつき、チルノの手をとった。いつだって、先に折れるのは大妖精の方だった。
「きっと、チルノちゃんは先頭を歩いて私を守っていてくれたんだよね」
「と、当然じゃない。あたいは最強なんだから、弱いものを守る岐阜があるのよ」
「今度は私が先頭を歩くから。何かあったときは、チルノちゃんお願いね。それと、岐阜じゃなくて義務だから」
 チルノは胸を張って、任せなさい、と言い切る。
 大妖精は笑顔を浮かべながら、ところで岐阜って何だろう、と考えながら首を捻った。
 そうして歩き続けて、計一時間。魔理沙だったら、本棚を丸々一つ空にして、自宅へ持ち帰っていてもおかしくない時間が経った。
 にも関わらず、まだ二人は森を脱出できてしない。
「変だなぁ。いくら迷ったとしても、それほど大きな森じゃないんだから、どこかから外に出られるはずなのに」
 一時間も迷っていまだに森の中とは、さすがに異常事態ではなかろうか。同じ所をグルグルと回っているのでは、という疑念も沸いてくる。妖精の中には、そういった悪戯を得意とする連中もいるというし。
 ただ、妖精が妖精に悪戯を仕掛けるという事は滅多にない。それを始めてしまえば、壮絶な報復合戦が始まるのだ。誰もがその事を肝に銘じており、チルノでさえも妖精相手には悪戯を仕掛けない。嘘はつくが。
 とはいえ、この霧が妖精の仕業でないと言い切ることもできない。ひょっとしたら悪質な妖精の仕業かもしれないし、大妖精達が巻き込まれただけかもしれない。巻き込まれた場合は、巻き込まれた方の責任である。
 だがしかし。
 どうにも、妖精の仕業という風ではない。これが妖精の仕業なら、そろそろ元の道に戻すか、新しいイベントなりを起こしてくるはず。巻き込まれた者の反応を見て楽しむのが、悪戯道の常である。道に迷わせたままなど、そういうのは妖怪に任せておけばいい。
「ねえ、あれ!」
 悪戯道を振り返る大妖精。その裾を引っ張りながら、チルノが前方を指さした。
 何事かと、指さす方を見る。よく目を凝らしてみると、そこには大きな館がいつのまにか存在していた。すわ紅魔館かと思うほどの大きさだ。霧の中とはいえ、これに気づけなかった自分が恥ずかしい。
 館は西洋風の作りをしており、一見しただけで左右対称なのだとわかった。
 玄関の前には色とりどりの花で覆われた庭が広がっている。霧さえなければ、きっと庭中を見渡せたことだろう。
 だが、今はそんなことに落胆している暇はない。チルノは花などには目もくれず、ずんずんと無断で庭に侵入していく。
 いつだってそうだ。チルノは物怖じしない。
 紅魔館にだって勝手に入って、メイドに見つかって追い出されている。その度に門番は何をしていたのだと、メイドが怒っているのを大妖精は知っていた。勿論、その後の門番の凄惨な仕打ちすらも。
「すっごいな……何食べたらこんなに大きくなるんだろ」
 建物に対してとは思えないような評価を下しながら、チルノは歩を進めていく。慌てて、大妖精もその跡を追い掛ける。長年の経験から、こういう時のチルノは止めても無駄だと知っていた。だから何も言わず、その後をついていくのだ。
 やがて二人は門の前までたどり着く。庭は綺麗に手入れされていたというのに、ここまで普通にこれてしまった。
 全く人がいないのだ。それどころか、人の気配すらない。建物や庭自体は、しっかりと手入れされているというのに。
「開いてるかな?」
「どうだろう。というか、そもそも何しにココに入ったの?」
「道に迷ったと思ったら、雨の中のヨウカンが現れる。これはミステリーのお約束だって、アリスが言ってた。きっとこれから殺人事件が起こるから、それをあたいが解決する。名探偵、チルノの登場ね」
 名が迷だろうという紀元前からの使い古されたネタはともかくとして、言われてみればこの状況は確かにそうだ。
 チルノは意外にも本が好きで、稀に慧音やアリスの所に邪魔しては本を読んで貰っているらしい。慧音は和書、アリスは洋書。といっても、子供向けに作られた絵本のようなものばかりである。大妖精も傍らで聞いているが、チルノほど純粋に楽しめたことはない。
 アリスに読んでもらった本の中には、こういった状況で起こるミステリーも確かにあった。
 主人公が道に迷うと、目の前にいきなり洋館が現れる。無理を言ってそこに泊めてもらうと、いきなり殺人事件が起こるのだ。探偵でもあった主人公は密室や鉄壁のアリバイやトリックを推理し、真犯人を言い当てるという内容だったはず。
「私は、あんまり事件とか起こって欲しくないな。危ない目に遭いたくないし」
「大丈夫。大ちゃんが殺される前に、あたいが真犯人を見つけてみせるから」
 その言い方では大妖精は完全に殺人犯に命を狙われている。何か不都合なモノでも見てしまったのだろうか。そういった役割の人間は、間違いなく二番目に殺される。
 ちょっと暗い顔をしながら、大妖精は謝礼の言葉を口にした。
 死の概念が人と異なる妖精の中にあって、大妖精はどちらかというと人に近い思考を持っているのかもしれない。
「さあ、開けるわよ!」
 そう言いながら、チルノは既に扉を開け放っていた。止める暇もない。後は、館の人に追い払われぬよう祈るばかりである。
 しかし。
「……誰も出てこないわね?」
「みんな寝てるのかな」
 時刻は夕暮れ前。寝るにしては、些か早い時間帯である。吸血鬼ぐらいではないか、この時間帯に眠っているのは。
「ひょっとして、もう事件は起こっているとか」
「じゃあ、ここにあるのは死体ばかりだよ。気持ち悪いし、帰ろうよ」
「駄目よ。死人達のレクイエムを解き明かすのはダイニングメッセージの天才である、このあたいしかいない!」
 何が何やら意味不明の決め台詞を言ったかと思うと、チルノは館の中へと突入していく。
「チルノちゃーん! 食堂のメッセージってなに?」
 大妖精も、渋々と中へと入っていった。










 館の中は見た目通り広く、紅魔館には及ばぬものの、霧雨邸なら五個は入りそうな大きさだった。
 玄関のあるホールを中心として、左右に一つずつ棟が繋がっている。館自体は二階建ての構造をしており、ホールの両側には二階へと続く階段が設置されていた。
 床には赤絨毯が敷き詰められ、天井には豪華なシャンデリアが吊されている。それを見て、大妖精は顔をしかめた。どういう趣味をしているのか知らないが、余計な装飾品がついていたのだ。あれでは、シャンデリアの豪華なイメージがぶち壊しである。金持ちの考えることはわからない。
 嘆息しながら、辺りを見渡す。明かりは灯っておらず、霧が深い事も相俟ってか、館の中は全体的に薄暗い。埃一つ落ちていないのに、廃屋のように感じられるのはその為か。
「変ね。ここまで入ってきたら、一人ぐらい人がいてもいいのに」
「もしかして、誰もいないんじゃないの?」
「その割には綺麗だし。少なくとも、絶対に誰かはいるはずよ」
 今回ばかりは、チルノの言葉の方が正しい。無人であるなら、誰が掃除をしているというのだ。
 まあ、幽霊という可能性が無いわけでもない。現に白玉楼の庭は半人半霊が管理しているし、現世に掃除という未練を残した幽霊がいてもおかしくはない。どうして、こんな辺鄙な館を掃除しているのかは謎だが。
 恐れなど微塵もないという風に、チルノは階段を上がって二階へと足を運んだ。
 ホールの二階には人よりも大きなガラスがあり、そこから白亜のベランダが見える。天気さえ良ければ、紳士淑女がティータイムに使用していてもおかしくはない。
 そんなベランダには目もくれず、チルノは左側の渡り廊下へと向かった。左右の渡り廊下は、それぞれの棟に繋がっているらしい。屋根こそあるものの、壁が無いので再び二人は霧の中へと身を投げ出すこととなった。扉が無ければ、きっとこの霧はホールの中へも入っていったことだろう。
 渡り廊下を走り抜け、二人はようやく扉の前までたどり着く。湿気のせいでドアの木材が変色していたものの、金色のドアノブには錆一つついていない。
 突如、そのドアノブが勝手に動き始めた。チルノも、大妖精も、当たり前だが触っていない。
 ガチャガチャと音を立てながら、ゆっくりと扉が開かれる。
 館の住人か。はたまた、妖しげな殺人犯の登場か。緊張する大妖精をよそに、扉の向こうに現れたのは見覚えのある二人だった。
「あれ、こんなところで何してるの?」
 ミスティアとルーミア。珍しい組み合わせだったが、少なくともチェーンソーを持った殺人犯ではない。安堵のせいか、身体から力が抜けていく。
「決まってるじゃない、真犯人を暴きにきたのよ」
「真犯人って……どこに事件あるのさ。ルーミアは知ってる?」
「知らない。でも、起こるとしたらこれからだよ」
「みすちーを食べたのはルーミアだ!」
「食べられること前提!?」
 などという、微笑ましいやり取り。いつものことだが、被害者であるミスティアの顔色は相変わらず悪い。冗談だとしても、軽く受け流せる内容ではないのだ。まあ、ルーミアの場合は冗談ではない可能性の方が高い。涎だって垂らしているし。
 なんて、今はそれどころではなかった。ミスティアにとっては一大事かもしれないが、大妖精にとってはどうでもいいこと。それよりも、現状を正しく認識しなくてはならない。
「あの、二人はなんでココにいるの? もしかして、私達みたいに迷った?」
 ミスティアとルーミアは顔を見合わせ、こくりと頷いた。
 さすがは濃霧。妖精のみならず、妖怪の類も迷わせてしまうらしい。この分では、そのうち隙間妖怪とかがひょっこり現れそうで恐い。
「なんだ、全然ダメダメね。あたいとは大違い。最強な妖精は、どんな場所でも迷わないんだから」
「どの口がそんな事を言うんだか。だったら、ココが何処か言ってみろ!」
 ミスティアの怒鳴り声にも似た質問に、チルノは薄っぺらい胸を張って答える。
「幻想郷」
「……ごめん、私が悪かった」
 あまりにも漠然とした答えに、ミスティアも敗北を認めるしかない。チルノの答えは、いつだって正解と言い切れない違和感がある。そこが、チルノたる所以なのだが。
「急に霧が出てきて、どうしようかなって思ってたら、いつのまにか目の前に屋敷があったんで入った。みすちーも似たようなもんだよね」
「人を惑わす側としては不本意だけど、その通りよ。霧の中で佇んでるのもアレだから、とりあえず館に入ってきたわけ」
 同じ境遇ということか。それにしても、こうも短期間で四人が同じ場所に集るなど、何か作為的な意志を感じる。誰かが仕組んだことなのか、はたまたココにいる四人が馬鹿なだけなのか。
 大妖精としては前者を採用したい。自分の誇りの為にも。
「じゃあ、これからどうする? 霧はまだ晴れてないみたいだし」
 屋敷の周りにはまだ、濃厚な霧が漂っている。
 チルノはこれが普通の霧であることを前提に話しているが、ミスティアや大妖精からしてみれば、自然現象であるかどうかすら疑わしい。
「……晴れるのかな?」
「晴れるよ。よく言うじゃない。明日は明日の風が吹くって」
 三人が勢い良く、チルノに視線を集中させる。急に注目が集ったからか、チルノは何故か得意げだ。
「チ、チルノちゃんがまともに諺を……」
「あんた、本当にチルノ?」
「偽物だったら面白いよねー」
 三者三様の反応に、チルノは少し不機嫌そうに顔を歪める。
「馬鹿にしないで。あたいだって、ちゃんとコトワザぐらい使えるんだから」
 よもや、これが霧が原因なのかとすれ思えてきた。しかし、それでは因果が逆である。
 背筋に、霧ではない冷たいものが這うような感触を大妖精は覚えた。
「ちなみに意味は?」
「明日の降水確率はゼロ%」
 やっぱりチルノはチルノである。三人は胸の中で安堵の溜息を漏らした。










 とりあえず、四人はホールに戻ることにした。ミスティア達曰く、左の棟には特に何もなかったらしい。
「きっと殺人鬼がいるとしたら右の方よ。大ちゃんは下がってて。ここからはプロの仕事だから」
 何のプロだというのだろう。
 それに、殺人鬼などそうそう簡単にいてもらっては困る。いたとしても、そういう方々は、仮面をかぶってカップルでも抹殺していて欲しいものだ。
 不埒な想像を頭に浮かべながら、大妖精は、渡り廊下からホールに続く扉を開いた。
 ばたん。
 開いたはずなのに、ホールに響く扉を閉めた音。四人は顔を見合わせた。
 そして、慌ててホールの中へと入っていく。相変わらず薄暗い室内には、シャンデリアに赤絨毯。先程までと変わらぬ光景が広がるばかり。
「あそこ!」
 ミスティアの指さす方向には、玄関前にうっすらと見える人影らしきものがあった。顔までは見えないが、少なくとも背中に羽は生えていないし、耳も頭から生えていない。シルエットだけなら、非常に人間っぽい。
 とはいえ、妖怪も一筋縄ではいかない奴ばかり。紅魔館の門番など人にしか見えないが、妖怪だったりするわけだ。ルーミアだって同じこと。人の形をしているからといって、中身もそうだとは限らない。
 なんてことを、遠目から大妖精が判断しているうちに、チルノは階段を降りて、その人影の側まで近づいているところだった。怖いもの知らずも考えものである。思考を中断し、駆け足で三人も階段を降りた。
 そうして、ようやくその人影が少女であることがわかる。顔立ちは西洋人のようで、彫りが深く瞳は青い。金色の髪が艶やかに腰まで伸びてはいるが、身なりはボロ切れを合わせたように薄汚かった。
 素材と服装が相反してる。さながら、チルノに眼鏡をかけるようなものだ。少し違うかもしれないが。
「あんたも迷子?」
 迷子という表現はどうかと思ったが、そうそう間違ってはいない。迷っていることに変わりはないのだから。
 チルノの質問に、少女はこくりと首を縦に振った。
「ということは、これで全部で……いち、にい、さん、しい、五人ね!」
 指を折りながら、この場の人数を確認するチルノ。片手で済んだのは幸いか。両手でおっつかないと、彼女は足を動員しはじめる。それでも足りないのなら、数えていた事を忘れるらしい。便利な脳である。
「あー、人間の匂い。ねえねえ、食べていい?」
「駄目。出会い頭に何でも食べようとしないでよ」
「はーい」
 返事は素直だが、ルーミアの双眸は克明に少女を捉えて離さない。普通なら怯えてもおかしくないのだが、少女は平然とその視線を受け止めていた。ミスティアだったら半泣きだ。
「でも、この短期間で五人も迷い込んでくるなんて。やっぱり、ちょっとおかしい気がするんだけど」
「そう? だって人数が少ないと、誰が犯人だかすぐわかるじゃない。多いぐらいがちょうど良いんだって」
「……チルノちゃんの中じゃ、完全に事件は起こることになってるんだね」
 だとしたら、なるべくチルノから離れないようにしよう。そういう話では、探偵の側にいるだけで生存率が上がる。
 間違っても、「こんな殺人犯がいるかもしれない中で一緒にいてたまるか」と言って別室に行ってはいけない。そいつは確実に殺される。
「ところで、あんた名前は?」
 少女はボロ切れの中に手を突っ込み、紙切れの束を取り出した。薄く茶色に変色しており、今にもちぎれそうな紐で括り付けられている。それを捲り、少女はあるページで手を止めた。
「どうしたの?」
 少女の手元を覗きこむように、身を乗り出すチルノ。それに習って、大妖精も紙切れに注目する。そこには、
『私は言葉を喋れないんです』
 と書かれていた。
 道理で、先程から発言しないわけである。てっきり、内心では妖怪に怯えていたのかとも思っていたが、喋れないからだったとは。声を武器にしているからか、ミスティアなどは露骨に気の毒そうな表情をしていた。
 少女はまたページを捲り、『アリア・コンツウェル』という所で手を止める。どうやら、それが少女の名前らしい。
「アリアね。あたいはチルノ。最強の妖精よ。そんで、あれが大妖精。私の友達」
「私はルーミア。腹ぺこの妖怪だよ。そっちのは、みすちー。私の非常食」
 ミスティアはツッコミを入れる間もなく、ルーミアとの距離をとる。
 無理もない。非常事態に非常食とは、食べますよと宣言しているようなものだ。
『よろしくお願いします』
 妖怪と妖精と人間で、何をよろしくお願いするのかは疑問だが、今は緊急事態。人間を驚かせている場合ではないし、視界を奪っている状況でもない。館から出るまでは、敵対する必要もないだろう。
 元々、大妖精はそれほど人間を敵視しているわけでもなかった。ミスティア辺りはそれほど好いてはいないらしいのだが、同情しているせいか、アリアにはそれほど敵意を抱いていないように思える。
 まあ、こんな辺鄙な館でギスギスされても困るし。本当に殺人事件など起こってもらっては、色々と面倒である。チルノは喜ぶかもしれないが。
「それにしても、今度は人間が迷ってくるだなんて。ちょっと外の様子を見にいった方がいいんじゃないの?」
「さんせーい。ねえ、一緒に見に行こうよ」
「絶対に私を食べる気だろ!」
 いまだに揉めている二人はさておき、確かに一度くらい外の様子を見てきた方がいいかもしれない。こういう事になると、俄然はりきるのがチルノだ。
「あたいに任せなさい!」
 と息巻いて、揚々と外へ出て行こうとする。
 しかし。
「あれ? おかしいな、鍵がかかってるみたいだけど」
 左右に開く形式の扉は、チルノがいくら押そうとも引こうとも、微動だにしない。かけられる鍵などどこにも無いというのに。
「でも入ってこられたんだから、出ることだってできるはずだよ」
「そうなんだけど、あかないのよ」
「ちょっとどいて」
 試しに大妖精もやってみたが、確かに扉はうんともすんとも言わない。勿論、どこにも鍵など付けられていなかった。
「あっ、そうだ。渡り廊下から出られるんじゃない。ほら、あそこは外に直接面していたし」
「言われてみればそうかも。さすがは大ちゃん。あたいの弟子」
 友達では無かったのか。今はそんなツッコミを入れている余裕すらない。
 五人は急いで二階へと駆け上がり、渡り廊下へと飛び出した。チルノが勇んで、外へ飛び出そうとするが、着地に失敗した猫のようなうめき声をあげて、渡り廊下の方へ戻ってきた。
 恐る恐る、大妖精はチルノがぶつかった辺りに手を伸ばす。そこには無色透明ながらも、固い壁のようなものが立ちはだかっていた。チルノはこれにぶつかったようだ。鼻を押さえながら、海老に衣をつけるときのようにゴロゴロと床で転がっている。
「ひょっとして……」
 口から漏れだした、震える声。その後に続いたのは、アリアの紙切れに書かれた言葉だった。
『閉じこめられた?』
 人妖問わず迷わせる霧。そして、入ることはできても出ることはできない館。
 もはや自然現象では説明できない。何かの意志が働いているとしか思えなかった。
 大妖精は見えない壁に手をついたまま、濛々と立ちこめる霧を睨みつける。
 チルノはまだ痛がっていた。










 外が次第に暗くなっていくのがわかる。霧のみならず、雲まで光を遮り始めたようだ。
 そういえば、霧が立ちこめてからは雨が降っていない。些細な事なので忘れていたが、思えばその時点で何か異変に気づいてもよかった。まあ、過ぎた事をいつまでも悔やんだところで、どうする事もできないわけだが。
 ホールに戻ってきたはいいが、具体的に何をどうするべきか。誰も具体的な案を思いつけずにいたのだ。
 大妖精は館の中にも負けないほど、暗い溜息をついた。
「さて、これからどうしたものか」
 傍らでは、ミスティアが同じように暗い顔をしている。アリアもその側で、困ったように紙の束を握りしめていた。
 一方のチルノとルーミアはと言えば。
「よーし、あたいの方が早かった」
「えー、今のは絶対に私の方が早かったよ」
 二階から一階へ下りる為の階段。その手すりを使って、どちらがより早く滑り降りるか競争をしていた。
 どうやらいつまで経っても事件がおこらないので、探偵ごっこにも飽きたようだ。とっくに事件は起こっているというのに。
「ねえ、みすちー。今のはどっちが早かった?」
「見てないんだから、わかるわけないでしょ!」
「ぶーぶー、みすちーの怒りんぼ」
「そーだそーだ。悔しかったら私の胃袋にイルスタードダイブ」
 理不尽な事を訴える二人はさておき、大妖精とミスティアは真剣に今後の事について話し合う事にした。といっても、わかっている事など殆ど無いに等しい。
「外に出られないってのが痛いわ。これじゃあ誰か近くに来ても、助けも何も求められやしない。もっとも、並の妖怪や精霊じゃ私達と同じ運命を辿るんだろうけど」
「でも、神社の巫女ならこの異変に気づいているかもしれませんよ。紅魔館の時の事もありますし」
「う~ん、直感なんだけどコレには気づかない気がする。確証はないけど。何だっけ、リグルの知らせ?」
 虫の知らせと言いたいのか。あながち間違っていないので、大妖精は訂正せずに話を続けた。
「だとしたら、結構八方塞がりなんじゃないですか。神社の巫女以外に、こういった事を解決してくれそうな人はいませんよ」
「そうなんだよね。解決できる奴らはいるかもしれないけど、してくれそうな人は皆無だもんね。八雲紫が気まぐれで助けに来ないかな……」
 と言っても、大妖精達と八雲紫には何の接点も無い。強いて言うなら、稀に橙と遊んだりする程度だが、それでは弱い。せめてここに橙がいたのなら、おそらく主が死にもの狂いで捜しに来ただろう。
 しかし、それは仮定の話。IFをいつまで論じていても、結論など出てこない。
「早いとこ解決しないと、命の危機が迫ってるんだよね」
 青白い顔で、ミスティアは羽を弱々しく羽ばたかせる。
「ひょっとして……ルーミアちゃん?」
「あいつさ、今はまだ空腹じゃないけど、お腹がすいたら本気で私を食おうとするわ。多分、食べるなら私かアリアのどちらか何だろうけど」
 急に自分の名前を呼ばれ、アリアがビクリと身体を震わせる。それを見て、ミスティアの瞳に妖しい光が宿ったのを大妖精は見逃さなかった。
「きっと、一番目はあなたでしょうね。ほら、人間の肉は柔らかくて上手いって話だし。気を付けた方がいいわよ、一人になったらきっと食べられるから」
 アリアは身を強ばらせるものの、悲鳴は漏らさなかった。声が出ないのだ。当然と言えば当然の話だ。
「なにも、そんなに怖がらせなくても良いじゃないですか。アリアちゃん、半分泣いてますよ」
「いいのよ、七割は本当の事だから。くれぐれも、お腹をならしているルーミアと一人きりにはならないように。巫女や上白沢慧音から人を食わないようキツク言われているとはいえ、いつ自制心が切れるかわかったもんじゃないんだから」
 口調は厳しいが、これもアリアを思ってのものなのかもしれない。
 アリアはコクリと頷くと、おもむろ鉛筆を走らせ、真っ白だったページに文字を書いた。
『妖怪を食べることは、誰も禁止していないんですよね』
「……だから、命の危機が迫ってるんだっての」
 人を食べるなと言われているし、精霊が食べても美味しくないのは衆知の事実。つまるところ、この場で最もルーミアに食べられる可能性が高いのはミスティアなのだ。鳥だし。大妖精からしてみても、美味しそうに思える。
「大丈夫。みすちーは非常食だから、最後の最後でしか食べないんだ」
 いつから聞いていたのか、いつのまにかミスティアの背後にはルーミアが立っていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいっての。私はそんなに食べても美味しくないし、そもそも鳥って調理が大変なのよ。あなたにそんな技術があるの?」
 突然の事に混乱したのか、ミスティアは支離滅裂な事を口走る。ルーミアが食べるなら生だろうに、調理の技術など関係あるはずがない。
「あ、でも鳥は吊して食べた方が美味しいって慧音さんが言っていたような気が……」
「そーなのか」
「そうよそうよ。だから、食べるにしたって少しぐらい待った方が……ん、結局私は食べられるのか?」
 露骨に汗を流しながら、なんとか弁解をはかるミスティア。アリアはそれを傍で見ながら、面白そうにクスクスと笑っていた。人間の癖に、なかなか良い性格をお持ちのようだ。さぞや話が合うだろうと、大妖精は思った。
 なにしろ、大妖精も同じく笑っていたのだから。










 ルーミアを何とか説得した後、とりあえず五人は出口を捜すことにした。
 今のところ、調べた箇所は玄関と左側の渡り廊下しかない。ひょっとしたら、どこかの部屋の窓から外に出られるかもしれない。アリアの提案だったが、反対するものはどこにもいなかった。
「じゃあ、あたいと大ちゃんが左側を調べるから」
「なら、私とみすちーが右側だね」
「異議あり!」
 などと、別の事に対する反対意見はあったものの、最終的にルーミアとチルノが左側。ミスティアと大妖精が右側を担当することで決着がついた。アリアはホールに留まり、中央部を調べるそうだ。
 大妖精としては、ルーミアとチルノというコンビにそこはかとなく不安を感じるのだが、
ミスティアがチルノと組むのも不安だと言うのだから仕方ない。
「あれの手綱をとれるのは、レティかあんたぐらいでしょ」
 ルーミアなら大丈夫なのかと言えば、そもそも手綱をとろうとしないのだから、問題など起こるはずがない。それもどうかと思うが、もう決まってしまったのだからしょうがないことだ。
 大妖精は若干の不安を残しつつも、ミスティアと一緒に渡り廊下を通って、右側の棟へと侵入する。左右対称であるから、きっと造り自体は左も右も大差ないのだろう。
 長い廊下の先には、恰幅がよく、立派な髭を携えた男の絵が飾られている。いかにも貴族といった風だ。おそらくは、この館の主なのだろう。今は、どこにいるのか知らないが。ただ、姿を現さないのだから、無事でいるはずはない。
 廊下と絵の間には、三枚の扉があった。これだけ長い廊下なのに、部屋の数は三個。よほど広い部屋なのだろうと思っていたが、実際に中へ入ってみて言葉を失った。どうして、これほど広くする必要があったのか。
 窓際に置かれている天蓋付きの大きなベッドが、まるで犬の寝床に思えるほど広い部屋だった。横にいるミスティアも、呆れたように口をあんぐりと開けている。
「人間ってのは、広い部屋に住むのが好きなのかな?」
「さあ、どうでしょう。多分、この館の人達が特別なんだと思いますよ。紅魔館のメイド長は、あんまり広いとうんざりするって言ってましたし」
 とはいえ、それは掃除限定の話。住むのなら、ひょっとしたら話は変わるかもしれない。もっとも、紅魔館で一番広い部屋を望んでいるのは門番なのだろうけど。
 ミスティアは呆れた顔のまま、窓を押したり引いたりして、開かない事を確かめる。廊下の窓も開かなかったのだ。ここだけ開くわけはない。アリアの提案に反対こそしなかったものの、どこかから脱出できるとは思っていなかった。
 霧で迷わせ、館に閉じこめる。単純な仕組みだが、並大抵の妖怪や精霊にはできない所行だ。それだけの事をやってのけた奴が、どこかに抜け道を用意しているとは思えない。故意や過失に関わらず、だ。
 ひとしきり抜け道が無いことを確かめて、二人は部屋を後にした。
「他の部屋にも無いような気がするけど……」
 先頭を行くミスティアも、大妖精と同じ事を考えていたらしい。まあ、それはチルノとルーミアを一緒にした時点でわかっていた事だが。本気で脱出しようとしているのなら、あの二人を一緒にするわけがない。
 今頃はきっと二人で遊んでるんだろうな。
 などと思っていたら、不意にミスティアの背中にぶつかった。少し鼻を打ち付けたらしく、触ると痛い。
「あ……ぅ……」
 声にならない声を上げる夜雀。どうしたことかと、ミスティアを避けるようにして前を向いた。
 薄茶色のローブが、まるで意志を持ったかのように渡り廊下の上に立っていたのだ。身長こそミスティアと変わらないものの、その雰囲気は異様というより異質だ。殺人鬼がいるとすれば、きっとこういう雰囲気を携えているに違いない。
 二人が言葉を失っている間に、正体不明のローブはホールへと消えていった。
「今の……見ました?」
 ミスティアは反動で羽がとれるんじゃないかというほど頷く。どうやら、大妖精の見間違えというわけではないらしい。
「ローブが動いてたように見えたけど、そんなわけはないわよね」
 ローブが一人でに動くわけがない。中に誰かいたことは間違いないのだ。
 だが、誰が?
 二人は疑問を残しつつも、急いでホールへと向かった。そういえば、あそこにはアリアがいたのだ。ひょっとしたら、何か見ていたかもしれない。
 大妖精が扉を開けると、ホールの中から楽しそうな声が聞こえてきた。階段の上から、身を乗り出して下を眺める。
 いつ戻ってきたのだろうか。アリアを交えて、チルノやルーミアが無邪気な笑顔で鬼ごっこに興じていた。そのあまりに長閑な光景に、思わず膝から力が抜けていく。
「この様子だと、何かあっても見てないでしょうね」
「暢気なものだわ。人が驚いてるってのに、鬼ごっこだなんて」
 とはいえ、これで恐怖が薄れたのも事実。その点だけは、チルノ達に感謝しておくべきか。
 大妖精は溜息をついて、天井から吊されたシャンデリアへ眼を向けた。どこにも異常など、ありはしなかった。










 中も外も終始暗いせいか、次第と時間の感覚が曖昧になってくる。時計という便利な代物があればいいのだろうけど、誰も持ち合わせていなかった。
「眠くないから、多分夜」
「お腹が減ったから食事時」
『それほど時間も経ってないから、きっと夕方』
「金星」
 それぞれが主張する時間帯もバラバラ。まあ、中には時間すら言わない妖精もいたが。明けの明星とか、そういう事を言いたかったのだろうか。歩くローブより謎だ。
 大妖精としては、若干の眠気もあるし、ミスティアの意見に概ね賛成だった。チルノ達とて、たまに眠そうに目蓋をこすっている。夜が活動時間帯のミスティアとしては、これからが本番なのだろうが。
「じゃあ、あたいは大ちゃんと左の棟で寝る」
「なら、私はみすちーと右側だね」
「異議あり!」
 覚えのある展開だった。デジャビュか?
 ただ、配置は先程とは少し変わっている。右側にミスティアとチルノとアリア。そして、左側に大妖精とルーミア。
 ルーミアなど露骨に不満そうにしていたが、翌朝起きたらミスティアが消えていたとか、新しく事件を起こされては堪らない。ただでさえ、謎のローブを目撃しているというのに。
これ以上悩み事が増えては困る。
「よーし、アリア。あれ投げやりましょう、あれ投げ」
『アレって何?』
 チルノは考え込むように頭を捻らせ、
「サジ」
 それを投げたいのはこっちの方だと、大妖精とミスティアは同時に思ったらしい。










 深夜、なのか夜の帳が降り始めた頃なのか。大妖精は誰かに揺すられる感触で、ゆっくりと身体を起こした。
 閉じたがる目蓋を擦りながら、それが誰か確認する。
 ミスティアだった。後には、アリアの姿もあった。
「どうしたんですか?」
 真剣な表情で、ミスティアは口を開く。
「なんでも、アリアも見たらしいの。さっきの歩くローブ」
 それで、眠気が一気に吹き飛んだ。
「本当ですか?」
「いや、私はその場にいなかったんだけど。何か凄い音がしたから廊下に出てみたんだけど、アリアが倒れてて。あのローブがいたんだって。それも、私達が見たのと同じ位置に」
 ミスティアの背後で、アリアは小刻みに震える身体を必至になって押さえつけていた。大妖精の時はミスティアと一緒だったが、アリアは一人で得体の知れないローブと向き合っていたのだ。その恐怖は、大妖精にだってわかりはしない。
「やっぱり、この館には何かいるんじゃないの?」
「でも、だからって外に出るわけにもいきませんし。今のところは危害を加えられてもいないし、とりあえず明日になるまで様子を見ることにしませんか?」
 ミスティアは少し不満そうな顔をしていたが、大妖精とて意地悪でそう言っているわけでもない。
「わかったよ。まあ、確かに危害を加えてきてはいないし。蛍みたいなもんだと思えば、ちょっとは気が楽になるかもね」
 それもどうかと思うが。薄汚いローブと蛍を比べては、リグルとて黙ってはいないだろう。
 ミスティアとアリアが部屋から出て行くと、大妖精は再び眠りの世界へと戻った。
 ベッドで寝るのは、久しぶりのことだったのだ。










 甲高い悲鳴が、その日の目覚まし代わりとなった。
 大妖精は重たい目蓋を頑張って上げて、窓の外を見る。まだ霧は晴れておらず、相変わらず昼だが夜だかわからない。
 ただ、昨日と違って霧があるのに雨が降っていた。心なしか、昨日より湿度が高い。背中の羽も湿気をたっぷり吸い込んで、あまり気持ちはよくなかった。憂鬱である。
 などと思っていたら、ノックも無しにミスティアが入り込んできた。ノックという習慣は人間達のものなので、妖怪や妖精が習慣的にそれをするわけはないのだが。などという考えは、ミスティアの言葉を聞いて吹き飛んだ。
「今すぐホールに来て!」
「どうしたんですか? そんなに血相に変えて」
「アリアが……死んでるのよ!」
「え?」
 身体が硬直する。アリアというのは、おそらくあのアリアだろう。昨日の夜に大妖精の部屋に来て、不安そうにしていた言葉の喋れなかった少女。そのアリアが死んでいる?
 慌ててベッドから飛び起きて、二人はホールへと走った。何事かと、チルノやルーミアもホールに姿を現した。そして一様に、変わり果てたアリアの姿を見て言葉を失う。
 チルノは言うに及ばず、普段は無邪気なルーミアでさえ、顔をあげて驚きの表情を浮かべていた。
「どうして……」
 漏れだした大妖精の声に、ミスティアが掠れた声で答える。
「退屈だったから館の中を散歩しようと思ってたら……床に黒いシミのようなものがあって。見上げたら、アリアが……」
 無駄に豪華なシャンデリア。そのシャンデリアから吊されたロープの先に、物言わぬ少女が吊されていた。そして残酷にも、その胸には金色に装飾されたナイフが刺さっている。 吊された少女の下には、昨日のローブによく似た布きれが落ちていた。
「このローブは?」
「最初はアリアが着ていたの。でも何だろうと思って、私が取ったんだけど……」
 その時のミスティアの心境を察することなど、誰にもできるはずがない。人間との友好度が低いとはいえ、死んでいる人を目の前にするのは気分の良いものではない。
「ひょっとして、昨日のローブがやったのかな?」
「どうでしょう。だとしても、どうしてナイフで刺した上に、吊すような真似をしたのか」
 二階を見上げるも、そこから大妖精達を見下ろす存在はいない。当然だ、この館には五人しかいなかったはずなのだから。
「とりあえずはホールから動かない事にしましょう。あまり動くと危険だし、何が起こるかわかりません」
 ミスティアは頷いた。ルーミアは相変わらず、シャンデリアから吊されたアリアを眺めていた。
 そしてチルノはどうしているのかというと、
「ねえ、大ちゃん」
 いつのまにか、玄関へと足を運んでいた。
「どうしたの?」
「扉が開いたんだけど、ここから出てもいいの?」
 大妖精達の視線が、一斉に開かずの扉へと集中する。確かに、チルノの言葉通り、開かなかったはずの扉が、今は貝のように開いている。
「ど、どうやって開けたの!?」
「どうやってって、普通に押したら開いた」
 理解に苦しむ展開だ。アリアが死んだと思ったら、急に扉が開いてしまった。
 だが、何にしろ脱出路が出来た事は幸いだ。
「とにかく、外に出てみよう」
 ミスティアの提案に、誰もが首を縦に振る。チルノを先頭にして、四人は一斉に外へと流れ出た。
 途端、今まで辺りを覆っていた霧が嘘のように晴れていくではないか。強い風に煽られ、煙が消えていくようだった。
 そして振り向けば、そこには草原が広がるばかり。左右対称の館も、綺麗に手入れされた庭も、どこにもありはしなかった。狐に化かされるとは、このことを言うのだろうか。
「これは、事件だ!」
 館が消えた事に気づいたチルノはそう言い出したが、どう考えても事件はもう終わっている。アリアは館と共に消えてしまったし、後は四人とも大人しく家に帰宅するだけだ。解決しようにも、館はもうどこにも無いのだから。
「犯人は、みすちーね!」
「もう、それでいいよ……」
 すっかり精根尽き果ててしまったのか、ミスティアはチルノに指を突きつけられても、力無く答えることしかできていない。無理もない。こうも急激に状況を動かされ、何の説明もないままに終わらされてしまったのでは、誰でも納得いかないし、疲れてしまうのも当然だ。
 大妖精とてそれは同じだが、少なくとも大妖精達を館に閉じこめていたのがアリアだということは分かる。そして、霧で迷わせたのも。人間にそんな事ができるとも思えないが、そう考えるのが一番しっくりくる。
 アリアが死んだ途端、外に出られるようになったのが、その最たる理由だろう。
 もっとも、誰がアリアを殺したのかとか、どうしてアリアは大妖精達を館に閉じこめたのか等はわからないのだが。それならば、それで良い。
 謎は全て、館と一緒に消えてしまったということにしておこう。チルノは、きっと不満なんだろうけど。
「私はもう帰るけど、ルーミアはどうするの?」
「んー、私ももう帰ろっと。結局食べる事はできなかったから、お腹が空いてるんだよねー」
「……お願いだから、帰り道に後から襲わないでよ」
「ん? 大丈夫だよ、だってみすちーは非常食だから」
「もう、勘弁して……」
 ミスティアとルーミアは、連れ添って東の方へと飛んでいった。何だかんだ言って、案外仲が良いのかもしれない。友情と呼ぶには、些か殺伐とした関係に思えるが。
「さあ、行くわよ大ちゃん。これから大推理大会よ! 私の見立てではメイド長が妖しいと思うんだけど。だって、こういう時はメイドが犯人だって決まってるしね」
 嬉々として話すチルノは、返事も聞かずに飛んで行った。大妖精の中では既に決着がついているのに、やはりチルノは放っておいてくれないようだ。仕方ない。こうなっては、最後まで付き合う他ないのだ。
 大妖精は、もう一度、館の方を振り返った。
 そこにはもう、何もない。





 
 ミステリではなくファンタジー。あるいは、恐くないホラー。そんなお話を書いてみました。
 基本的には一話完結なのですが、こんなのじゃ不完全燃焼だろという方は次の【存在少女】へ。
 タイトルに微妙な痛さがありますが、私の技量ではこれが限界です。
 誰か、ネーミングセンスを下さい。
八重結界
http://makiqx.blog53.fc2.com/
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コメント



0.490簡易評価
2.40名前が無い程度の能力削除
不完全燃焼だったので次に期待します。
チルノ達が野菜で何をしてたのだけが気になるw
8.40名前が無い程度の能力削除
うーん誤字が多いなぁ