Coolier - 新生・東方創想話

紅魔館の常日頃

2007/09/13 08:25:14
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紅魔館の地下階段。
普段人気の無いその通路に、一人の妖怪が歩いてゆく。
彼女の名は紅美鈴。
紅魔館外周の森と中庭の家庭菜園を、一手に引き受けるのがこの娘である。
長身の彼女が歩くたび、腰まで届く長い紅髪が揺れている。
その反面、身体の重心は全くぶれず、足音一つさせていない。

「……」

そんな美鈴の顔に浮かぶのは、どこか諦めた苦笑のみ。
これから起こるやっかい事を、消極的に受容したものの笑みだった。

「予防注射待ちの子供の心境?」

口に出してみた例えに、美鈴の笑みは一瞬蔭る。
この年になって注射はなかろう。
傷つける魔の杖の殺傷力は、そんな針の比ではない。
憮然とした態で階段を下る美鈴。
彼女が本日此処にあるのは、主人の妹に呼び出されたためである。
紅魔館のジョーカー。
フランドール・スカーレットに。
用件を聞いてはいないが、碌でもないことが起こることは間違いなかった。
過去数百度、彼女の我侭で死に掛けた美鈴である。
美鈴は幾度目かのため息に乗せ、沈みかける心を軽くしようと試みた。

「無理ですよねぇ」

立ち止まり、頭に載せた帽子を脱いで、顔をパタパタと仰ぐ。
屋敷の内部は魔女の魔力で冷房が効いているものの、地下室にはそれが無い。
ことさら嫌がらせをしているのではなく、この隔離空間に魔力を通すことが出来ないからである。
太陽が照りつける夏の、しかも地熱が強い地下のこと。
熱気を逃がすことも出来ないこの場所は、人であれば四半刻と過ごすことは出来ないだろう。
再び小さく息を吐き、美鈴は歩みを再会した。
この先には地下から出ることが出来ない、お姫様がいるのである。
その容姿に感慨を覚える程初心ではないが、フランドールが十分鑑賞に堪えるオブジェなのは認めている美鈴だった。
自然と、その足取りが軽くなる。
フランドールに会える。もしくは遭える。
甘い逢瀬か癇癪の的か、それはその場のお楽しみ。
どちらに転んでも、美鈴の退屈な日常のスパイスにはなるだろう。

「あー……おめかしして来るんだったかな?」

美鈴の私室には余剰な家具は存在せず、着飾るような服は無い。
このとき美鈴は極当たり前の様に、メイド長たる咲夜の服を借りる気でいた。
頼めば貸してくれるだろう。
サイズが合うかどうかは、また別の問題だったが。
どうしようかと一瞬悩み、美鈴は降りてきた階段を振り返る。
特に長く降りたわけでもないのだが、その先は遠く見えない。
此処は空間的に隔離されている通路である。
美鈴が入ったときには紅魔館と繋がっていたが、最早入り口を閉じられてしまったらしい。
コレで、面会時間が終わるまでは出られない。

「まぁいいか」

美鈴が三度歩みを開始したとき、重厚な扉が見えてきた。
その扉には幾重にも重ねられた魔方陣が掘り込まれ、中の存在を決して出すまいと威圧している。
もっとも、中に入ること自体は簡単である。
美鈴は扉などまるで存在しないように歩を進め、ぶ厚い扉を幻のようにすり抜けた。
地下室は中にいるものに圧迫感を与えぬよう、故意に無駄な装飾が施されている。
広い間取りに、高い天井。
製作者の気遣いが感じられる作りではあったが、照らす光も無いその空間では、ほの暗い闇に埋没していた。

「フランドール様?」

返答は無い。
美鈴は再び自身を招いた吸血鬼の名を呼びながら、部屋の中へと踏み出した。
とたん、足元に感じる違和感。
もともとあった真紅のカーペットが取り払われ、床はむき出しの石材に覆われていた。

「フランドール様?」
「……美鈴?」

三度目の呼びかけには、鈴のような少女の声音が返ってきた。
極自然に浮かんだ微笑を意識して押しとどめ、美鈴は周囲を見渡す。
暗さに慣れた瞳を右手に流したとき、鮮やかな紅が視界に咲いた。
其処に居たのは、和装の貴人。
常はサイドにむすんでいる金髪をアップに結い上げ、その身に纏う紅の着物。
石畳に敷かれた二枚の畳に凛と正座し、背筋を伸ばす彼女はフランドール・スカーレットその人である。

「……」

眠っているかのように瞳を閉じ、微動だにしないフランドール。
常の彼女より随分と大人びた印象だが、着物の中に描かれたディフォルメの蝙蝠がややアンバランスであり、見る者の苦笑を誘っていた。

「これはまた……」

茶道具一式の前に整然と座すフランドール。
風炉の上の釜からは静かに湯気が昇っていた。
フランドールは、その釜で煮られる湯の音を聞いている。
徐々に激しくなる湯音。
時間がない。
そう感じた美鈴は早足でフランドールの元に寄り、一礼して畳に上がる。
靴を整え、備えてあった座布団に正座したとき、美鈴は炊かれた香に気がついた。
フランドールはそんな彼女を一瞥すると、やおら虚空に手を伸ばす。
次の瞬間、彼女の手には一つの茶器が握られていた。

「いらっしゃい」

それは再び瞳を閉じた、独り言のような悪魔の声。
返答がないことを特に気にした様子も無く、彼女は茶入れから茶を掬う。
その時丁度湯が煮立ち、耳障りな音を立てだした。
フランドールは瞳を開いて柄杓を掴むと、水差しから水を汲み、煮だったお湯に一つ挿す。
熱湯から泡が消えたとき、今度は釜からお湯をくみ出し、美鈴の茶器に注ぎ込んだ。
手早く道具を持ち替えて、茶筅でお茶を点てて行く。
良い芳香が上ったところで、美鈴の手前に差し出される茶器。

「……」

無言で受け取り一口啜り、感嘆のため息を吐き出す美鈴。

「美味しいです」
「……ん」

茶道の心得など無い美鈴には、気の利いた台詞は返せない。
飾り気の無い美鈴の賛辞に、思うことも無く頷くフランドール。
それきり二人は何も話さず、立ち上る湯気に時を見ていた。



*  *  *



美鈴が空の茶器を置いたとき、フランドールは畳上の茶道具を消滅させた。
魔法で戻したのではなく、能力で破壊したのである。
いつもの事である故に美鈴も何も言わないが、安くない出費であることは違いない。
眉を潜めた美鈴に目もくれず、フランドールは正座を崩して胡坐をかいた。

「それでは、態々わたくしを任地から呼び出した理由をお聞かせ願えますか?」
「一緒にお茶したかったから……じゃ駄目?」
「それでしたら……」

美鈴は此処で言葉を切り、胸元を手繰って一枚の紙を取り出した。

「これなぁに?」
「請求書と申します」

無垢を地で行く吸血鬼に、目だけで読めと促す美鈴。

「時間外勤務手当て、危険手当、特殊業務手当て……?」
「安息日を中断したことへの精神的苦痛に対する慰謝料も負荷されます」
「世知辛い世の中になったのねぇ」

馴染みの部下を休日に誘ったくらいで料金が発生するとは。
どこか感心したようにフランドールは首を傾げる。
このままでは本気にしそうな悪魔の妹。
美鈴が冗談だという前に、フランドールが口を開く。

「こういうのは経理担当の仕事だから、私から咲夜に回しておくね」
「は!?」
「……嫌とは、言わないよね?」

自分で言ったことなのにと、フランドールに笑みが宿る。
悪戯に成功した子供の笑み。
小悪魔的と表現するには、あまりにも完璧な悪魔の微笑。
このような冗談は、二人のプライベートだからこそ出来ること。
表ざたになった場合、そのツケは全て美鈴への折檻として回ってくる。
苦笑した美鈴は両手を上げると、全面降伏を申し出た。

「参りましたフランドール様。もうしませんから苛めないでやってください」
「じゃあ、コレは預かっておくからね」

フランドールは請求書を着物の懐にしまいこむ。
内心で舌打ちする美鈴。
ジョークに気合を入れる為、紅魔館の正式な予算請求書を用いたのが仇になった。
フランドールは何時でもそれを咲夜に回すことが出来、この件でしばらく美鈴を拘束出来るだろう。
余計な知恵をつけて来た。
今回は美鈴の自爆が原因だが。

「それじゃ、本題に入ろう。ねぇ美鈴」
「はい」
「私ね、このままじゃ駄目だと思うの」

フランドールの言い分は唐突だが、美鈴には検討がつく内容でもあった。
このままでは駄目だというのは若者に多い焦燥感であり、フランドールもそういうお年頃である。
美鈴は内面に読めない微笑を浮かべ、あえて続きを促した。

「駄目と、おっしゃいますと?」
「お姉さまの事。フランドール・スカーレットとレミリア・スカーレットの事。紅い悪魔と悪魔の妹の物語」
「はぁ」

何がでは無く、どうしたいのかと聞きたかった美鈴である。
その返答如何によって、美鈴がこうむる被害が決定するのだから。
過去、フランドールが突発的にレミリアに突っかかった事が二回ある。
発端は常に姉妹の関係改善に燃えたフランドールが、暴走することで起こっていた。
ちなみに、その全ては美鈴が仲介役を務めている。

「……前もそんなことを言っておりませんでしたか?」
「そんな昔のことは忘れたわ」

過去をばっさり切り捨てる、紅い悪魔の妹君。
フランドールは名案を思いついたとばかりに、機嫌の良い笑みを浮かべている。
前二回のときと同じように、姉を信じて笑っている。

「それでね美鈴。私はあいつと話がしたい」
「お話をするだけですか」
「うん?」

当たり前だと言う様に、フランドールは頷いた。
この問答も、以前繰り返したことである。
結果、二人の対談はソードラインを踏み越えて、つかみ合いの喧嘩に発展した。
そして姉妹喧嘩は館の有力者を巻き込み、レミリア派とフランドール派に別れた大乱闘になったのだ。
三度目の正直となるか、二度あることは三度あるか。
限りなく後者で在ると予測しつつ、美鈴は悪魔に笑みかける。

「承知しました。フランドール様の心情、しかとレミリア様にお伝えします」
「本当!?」
「もちろんです。きっと楽しくなりますから」

含みをもった美鈴の言に、フランドールは首を傾げる。
しかしすぐに思い直したのか、よろしくねとのたもうた。
結局のところ何処まで行っても、フランドールに甘い美鈴である。
美鈴はフランドールが好きだった。
将来の夢はと聞いた時、姉を跪かせて足蹴にすることだと、当人の前で言い放ったこの娘が……

「それにしてもさ」
「何でしょう?」

甘い過去を振り返る美鈴にフランドールの声が滑り込む。
歪な羽をはためかせ、甲高い子供の声で。

「美鈴って、不思議よね」
「おっしゃることの意味が分かりませんが?」

フランドールは美鈴を見据え、しかし確認できたのは曖昧な笑み。

「美鈴は私に良くしてくれる。あいつじゃなくて私に。なんで?」
「私はフランドール様が大好きですから」
「私が? 私が、あいつより、何処が好き?」
「フランドール様はレミリア様より、わたくし好みの顔をしておいでです」
「顔かぁ」

納得したように頷くフランドール。
ふと気になった事に眉を潜め、再び美鈴に視線を向ける。

「美鈴は私に手を出したことないよね?」
「疑問系にされると困りますが、ありませんね一度も」
「美鈴はどうして、私が好き?」

それは難解な質問だった。
今度は美鈴が考え込み、自身でも正解とは思えぬ回答をつむぎだす。

「わたくしは、お綺麗なフランドール様を眺めているのが好きなのですよ。きっと」
「見てれば満足? 欲しくないの?」
「今のところ満足ですね。欲しくなったら、貰いに来ます」
「うん。きっと、嘘みたい」

きゃらきゃらと、中身のない笑い声。
美鈴は背筋が寒くなるのを感じ、正座を崩さず重心を上げる。
何時でも後ろに下がれるように。
もしくは殴り倒せるように。

「私が美鈴に堕ちたなら、きっと冷たく捨てるのよ」
「そんなことありませんよ」
「ふーん。へぇ」
「……私は小心者の兎さんなんです。苛めないでくださいな」
「兎が紅いのはお目々だけ、髪じゃないわ」

フランドールは手を伸ばし、美鈴の長い髪に触れる。
引っ張り、弄り、飽きるまで好きにさせたところで、今度は美鈴から切り出した。

「それにしても、今回はまた唐突ですね。何かお気に召さないことでもありましたか?」
「あ! そうなの美鈴、これ見てよ!」

それまでの雰囲気を意に介さず、不機嫌に言うフランドール。
彼女が右手を一振りすると、本が一冊現れた。
黒地に銀のハードカバー。
殴打用の鈍器としても用途に耐える、分厚い鍵付きダイアリー。

「日記を始められたのですねぇ」
「コレ見て!」
「……ほぅ。これはこれは……」

手渡された日記帳。
その題名を見ただけで、美鈴は頬を引き攣らせた。

「これお借りしてもよろしいですか?」
「別にいいけど、返してね?」
「もちろん」

二人は自然に指を切り、笑みを交わして解散した。



*   *   *



深夜の事。
レミリア・スカーレットは自室のバルコニーで美鈴の訪問を受けていた。
今宵は新月。
静かな夜の空気に身を浸し、一人極上のワイングラスを傾けていたのである。

「と、言うわけでございまして」
「……ふん」

特注の椅子に身を沈め、傅く美鈴を見下ろすレミリア。
美鈴の報告を聞いた主は、不機嫌を絵に描いたように嘆息する。

「妹君がお嬢様との対話を望んでいらっしゃいます」
「無用無益なマネをするな、と前に言わなかったかしら?」
「わたくしは主命を受諾するのみです」

その声に、レミリアは忌々しげにワインを煽る。
美鈴がフランドールを懇意にしていることは、当然レミリアも知っていた。
過去に妹と対峙したとき、美鈴は常にフランドールに組してレミリアに挑んだ経緯がある。
そんな美鈴がレミリアに放逐もされずに囲われているのは、周囲のものにはちょっとした疑問であった。

「あの娘は私に何を望んでいるというの? 今、この段階で」
「三時のおやつが不満だそうです」
「……私があの娘のおやつを選んで、嫌がらせしてるとでも思っているか?」
「フランドール様の深慮遠謀、わたくし如きが量れるものではございません」
「もういいから普通に喋れ」

レミリアは椅子で足を組み替え、美鈴に注いでいた視線を空のグラスに移す。
美鈴は立ち上がって一礼し、レミリアの元まで歩み寄った。
レミリアが頷くのを待ってから、美鈴は静かに酌をする。

「咲夜さんは如何しました?」
「部屋で寝てる」
「職場放棄じゃないですか」
「別にさぼらせたわけじゃないわ」

苦笑したレミリアが、ワイングラスを傾ける。

「この静かな晩に、人間を見るのも無粋でしょう?」
「襲いたくなる?」
「いや、襲わせたくなる」

半分に減ったグラスワインを、器の中で転がすレミリア。
酒気に混じった狂気が、理性の繋ぎ目から覗いている。
美鈴は気づかない振りをして、再びレミリアに傅いた。

「それにしても、意外だわ。あの娘、おやつなんて一々覚えていたのねぇ」
「それしか、覚えておりませんよ」
「存外ねちっこいガキだこと」

レミリアの反応に、美鈴は深く頭を垂れる。
感じ入ったためではなく、その顔を隠すため。
美鈴としては見られるわけには行かないのだ。
似た者姉妹と嘲る、今の自分の表情を。

「……今、不愉快な思考を持ったわね?」
「可愛らしいなと、思っただけです」
「このスカーレットデビルが、可愛いか」
「はい。相変わらず、可愛らしい」

面と向かい、レミリアに可愛いとほざく他人が何処にいよう。
これだから、紅の悪魔は紅の妖怪を手放せない。
自分のものにならない事も含め、彼女は貴重な人材だった。

「言いたい事を言う女だわ」
「代わりにやりたいことは自省しております。その分、内に篭るのですよ」

微笑を浮かべるレミリア。
主の機嫌を直したところで、美鈴は黒い本を取り出した。

「こちらをご覧いただけますか?」
「……それは?」
「妹様の日記です。お嬢様にその意を知っていただくために、無理を言ってお借りしました」

受け取るレミリア。
しばしその本を眺めていたが、やがてタイトルを見て凍りついた。

「……復讐日記?」
「フランドール様は、レミリア様を想っていらっしゃいます」

満面の笑みで告げる美鈴。
レミリアは引き攣る頬を宥めて日記の鍵を開ける。

「もう、見事にお嬢様のことばかり。不覚にもわたくし、嫉視を覚えずには居られませんでしたもの」

読み進めるうちに、レミリアはひきつけを起こしたように震えている。
美鈴は今のレミリアの表情を観察したいと思うが、二人の視線の間には数百枚の紙があり、その対面を阻んでいた。
それはどちらにとって幸福な事か、容易には判断がつかない。

「……」

一方、レミリアは日記に書かれた内容を理解するのに必死だった。
日記は丁度三ヶ月前から始まっており、毎日付けられているわけではなかった。
三日や四日、場合によっては一週間をあけられていたが、その結びは全て同じ内容で括られている。

     
     
     ・
     ・
     ・
     
○月×日
今日おやつにレーズンが入っていた。あいつが悪いに違いない

○月□日
今日のおやつはブルーベリーパイ。あいつの好物なのがむかついた

×月♪日
今日のエッグタルトは美味しかった。だけどあいつが悪いんだ

     ・
     ・
     ・
     
     
「な、なによこれ!」
「日記です」
「そういうことは聞いてない!」

レミリアは激昂しながら日記を閉じ、厳重に鍵をかけて美鈴に突き返す。

「あいつの人生は逆恨みのみか!?」
「無実を主張なさるのですか?」

自首なさいと、言外に美鈴が説いている。

「私は殆ど関係ないわ」
「関係ないと言い切れますか?」
「いや! だってさ!」

レミリアは椅子を蹴って立ち上がり、美鈴の抱える日記帳を指差した。

「貴様はその日記を読んだのか?」
「僭越ながら」
「だったら事実は一つでしょうが!」
「はい。事実は一つでいいのですが……」

美鈴は日記を懐にしまい、さらにレミリアから鍵を受け取る。

「妹様には、彼女だけの真実があるのです」
「だからなに? 言葉遊びをする気分じゃないわよ」

自身の覚えの無いところで、妹の怒りを買っていたレミリアは、動揺する自分を隠せない。
レミリアにすれば、フランドールは憎からず思う妹である。
例えその内心で自分を蹴落とし、足蹴にすることを企んでいたとしても。

「その日記はお嬢様のためだけに書かれた日記です。それだけお嬢様を気にかけていらっしゃるのですよ」
「こんな方向で気にかけて欲しくないわ」
「それでも関心は関心ですよ」

レミリアは舌打ちを飲み込み、再び椅子に身を預ける。
なにやらぶつぶつ呟いた後、グラスに残ったワインを一気に煽った。

「妹様は壊れています。気の触れたあの方を、私達の常識では括れませんよ」
「……んぅ」
「ですからぁ、此処はお姉さまらしく土下座の一つもかましてですね?」
「土下座って姉っぽい行為なのか?」
「いえ、私が見たいだけですが」
「……」

レミリアの右手に、反射的に魔力が集まる。
しかし此処は最後まで喋らすべきだと、全力を挙げて自省するレミリア。
我慢が大きければ大きいほど、本懐を遂げたときの快楽もいや増すというものだ。

「仲直りしてみましょう? フランドール様からアクションを起こしてくれたんですから」
「別に喧嘩などしていない」
「レミリア様は、していないかもしれませんが、フランドール様はどうなのでしょうか?」

レミリアは口を開きかけ、しかし言葉は発せずに、空になったワイングラスに視線を落とす。
その思考は内心の声を通り越し、これから訪れる運命の囁きに支配される。
存在全てが辿る定め。
レミリア・スカーレットと、フランドール・スカーレット。
強大な力を持った二人の吸血鬼が、これから歩む可能性の羅列。
しばし黙考したレミリアは、やがて顔を上げて美鈴を睨む。

「ねぇ美鈴」
「はい」
「貴様、此度の対談の帰結をどう読むか?」
「……お屋敷の上層部が半壊……この辺りで、他に類が及ぶのを防ぎたい所かと」

その意見は、レミリアの考えと一致した。
ついでに言えば、レミリアの見た運命の帰結にも近かった。
此度の会合は抜かれた剣。
なれば、血塗られずして鞘に収まることはないのである。

「よろしい! 明晩二十一時に、フランドールを私の私室に招きなさい」
「……よろしいのですか?」
「遺憾だが他に場所がない。執務室だと屋敷の中央になるし、其処で喧嘩は出来まいな」
「御意」

決断の後、レミリアに迷いはありえない。
思いのままに事を進め、勝つべくして勝つだけである。
フランドールに対し、美しいものを見るのが好きだといった美鈴。
そんな彼女にとっては、今この時のレミリアも、貴重な鑑賞物であった。

「貴様はフランに付き従い、この対談に立ち会うように。私は咲夜を従える。咲夜にその旨の伝達を済ませておきなさい。外勤と内勤のメイドたちの、避難指示も併せてね」
「了解いたしました」

レミリアは一つ言を切り、他に言い含める事柄を探す。
不意に、苦笑の発作に駆られたレミリア。
咲夜と美鈴に話が行けば、自身の望む結果を出す。
そのことを、今更ながらに思い出した。

「用件はそれだけかしら?」
「……」
「では下がれ。私は、もう少し酔いたいわ」

レミリアが手酌でワインを注いだとき、美鈴は目礼して立ち上がる。
そして踵を返したとき、その背中に主の躊躇いがちの声が掛かった。

「あ、待って」
「はい?」

これは珍しい部類に入る。
退出を命じて呼び止めた。
これはあのレミリアが、柄にもなく迷っているということである。

「フランは、着物を着ていたのね?」
「はぁ……まぁ、何処で手に入れたものやら」
「そう……」

それきりレミリアは黙り込み、グラスの中でワインを回す。
美鈴が不審を現さぬように注意していると、やや頬を赤らめたレミリアが真っ直ぐに美鈴の瞳を射抜く。

「私はあの娘の姉として、その成長を記録する義務があるわ」
「なるほど……道理ですわお嬢様」

レミリアの真意を察した美鈴。
そんな部下の笑みを見て、レミリアは深く頷いた。

「しかし、何分急のこと……完璧を期すためには少々のお時間と何より、潤沢な軍資金が必要かと」
「金に糸目はつけん。ただしベストショット以外は認めないわ」
「……お任せあれ」

レミリアは無言で右手を払い、再び退出を促した。
深々と最敬礼し、今度こそ踵を返した美鈴。
魔と妖と。
それぞれの笑みを浮かべたまま、此度の面会は終了した。



*   *   *



明くる晩の夜のこと。
フランドールは迎えに来た美鈴に手を引かれ、レミリアの私室を訪れた。
荘厳な作りの扉を睨み、苦笑を浮かべたフランドール。

「お姉さまは、ここにいるのね」
「はい。フランドール様をお待ちしていることでしょう」
「素敵、楽しい、ドキドキする。私の敵が此処にいるの。魔王が私を待ってるの」
「ラスボス直前。記録陣などはありませんが、準備のほどはよろしいですか?」
「大丈夫。仕込みはちゃんと、やったから」

そうですかと微笑む美鈴。
最早フランドールには、交渉など頭から消えている。
決して意外なことではないが。
この時の為、部下を図書館に避難させておいた美鈴である。

「お姉さまお姉さま……大好きなおねぇさま」

フランドールは美鈴の手を離し、扉の前に歩み寄る。
従う美鈴。
不自然にならぬよう距離を取り、扉の脇に陣取った。
ノッカーを鳴らすフランドール。
硬質の音が響き渡り、廊下の静けさを際立たせた。
中からの返答はない。

「お姉さま?」

軽く扉を押してみると、重い音と共に少し開く。
鍵は掛かっていなかった。
徐々に大きくなる、左と右の扉の隙間。
その空間から挿す、紅の光。
フランドールが首を傾げた時、赤光が弾けて瞬いた。

「……!?」

声にならない声を上げ、悪魔の妹が吹き飛んだ。
消し飛んだ扉の向こうでは、投擲動作を終えたレミリアが微笑んでいる。

「五分、遅刻よ? フランドール」

レミリアの右手は帯電したように紅の魔力が弾けている。
それを水気を切るように吹き払い、悠然と腕を組む。
レミリアの方としても、初めから対談などするつもりは無いらしい。

「……少し、痛かった。お姉さま?」
「少しなの? もしかして分かっていた?」

そう言って、レミリアは傍らに控える咲夜を睨む。
その様子を見たフランドールは、この奇襲の考案者を悟る。

「美鈴がとっとと避けたからね」
「良く見ていらっしゃいましたね」
「もちろんだよ。良い娘?」
「はい。フランドール様は聡いですね」

瓦礫の中から身を起こし、悪魔の妹が立ち上がる。
服はぼろぼろになっていたものの、身体は殆ど傷がついていない。
そんな妹の姿を見、レミリアは組んだ腕を解く。
右の掌に魔力を込めて、槍の姿に顕現しつつ。

「お姉さまお姉さま……大好きなおねぇさま」
「いらっしゃいフランドール。私の可愛い妹よ」

レミリアとフランドールの間には、何物も存在しない。
それはレミリアの先制攻撃で、全て吹き飛んでしまっていた。
自ら空けた花道を、レミリアは数歩踏み出した。
それは、フランドールも同様である。
扉の残骸を踏み越えて、姉の部屋に踏み入る悪魔。
部屋に入ったフランドールは、何処か懐かしげに周囲を見渡す。

「へぇ……」
「奇襲をかけた相手から、目を離していいのかしら?」
「美鈴の言った通りだった。この部屋、私のお部屋と同じ」
「ああ」

フランドールの声を聞き、苦笑を浮かべたレミリアである。
本人すらも忘れていたが、レミリアの私室は妹のそれと同じ間取り。
同じところにベッドがあり、同じところにデスクがあり、同じところにクローゼットがある。
好みの関係上、家具の種類は違うものの、フランドールにとっては見慣れた部屋に近かった。
フランドールの視線が流れ、右の端から一つずつ部屋の様子を眺めている。

「昨日は危なかったんだ」
「フランに危ないことは無いわ。私が、守ってあげるから」
「酷いの。お姉さまも美鈴も。起きたら誰もいないんだから」
「添い寝が欲しいの? その場合貞操の保証は無いけれど?」

どこかかみ合わない姉妹の会話。
フランドールはまだ部屋を眺めており、レミリアはそんなフランドールを見据えている。
フランドールの視線は、両者の私室の唯一の相違へ注がれる
視認することさえ困難な、細い月を写した窓へ。

「窓があるのね、この部屋」
「忌々しいのだけれどね。一応外から見たときに、部屋の数が分からないといけないの」

妙な噂が立つからねと、クスクス嗤う吸血鬼。
フランドールは小首を傾げ、しばし考え込んだ後に、レミリアに向けて呟いた。

「決めた。あそこが面白い」
「決まったの? なら思い残すことは無かろうな」

その言葉を待っていたかのように、レミリアの右手から放たれる魔槍。
美鈴は槍がフランドールの胸へと刺さり、背中に抜ける一部始終を見届けた。
酷くあっけない結末。
その様子に咲夜も、声を立てずに息を呑んだ。
あまりにもそっけない妹殺し。

「こひゅ?」

肺の繊維が混ざった血。
崩れ落ちるフランドールと、無言で見つめるレミリア。

「……」

美鈴は無言で首を巡らし、立ち尽くす咲夜の背後にあった置時計を見つめる。
二十一時三分と、一五秒……

「お嬢様!?」

咲夜の悲鳴。
それとそのまま重なって、ガラスの砕ける音が響く。
フランドールを処刑したレミリア。
そのレミリアに向い降り注ぐ、七色七条の光の矢。
窓ガラスを破壊して殺到した閃光は、非常識な爆発を部屋の内部に撒き散らす。
時を止めて避難した咲夜と、空気を繰って爆発の伝播防ぐ美鈴。

「これは貴女の入れ知恵かしら?」
「……半分くらい?」

背後から聞こえた咲夜の声に、振り向くことなく応える美鈴。
盾にされている事実は、この際どうでもいいらしい。
光矢の着弾地点は、未だ舞い上がる炎の中。
中心にいたレミリアは、その気配すら悟れない。

「スターボウブレイク。絶好調」

それは半壊した窓に佇んだ、フランドールの本体だった。
幻体を引き合わせ隙を作り、戦場外からの遠距離射撃による奇襲。
これがフランドールの策
瓦礫の集積地と化した姉の部屋に、悠然と降り立つ悪魔の妹。
頭にはいつもの帽子を被り、金のセミロングをサイドで結んだお馴染みの髪型。
飾り気は少ないものの、着やすいシルクで作られた、上下そろいの紅い服。

「こんばんわ、私がフランドールです。お姉さま、美鈴、咲夜……ねぇ?」

フランドールの放った光。
星を砕く悪魔の矢は、尚余波をふるってレミリアの私室を荒らしている。
その猛威の中に降り立ったフランドールは、平然をスカートを抓んで一礼した。

「生きてる人……いますか?」
「此処にいるぞ」

口元に薄い微笑を滲ませて、言葉を紡いだフランドール。
応えるのは、常よりも幾分トーンを抑えた悪魔の声。
フランドールが笑みを消したとき、部屋に吹き荒ぶ大魔力。
火災と爆発の中心から凪いだ強い風に、ようやく一同に視界が戻った。

「駄目でしょう、フランドール……」

レミリアの声で囁いたのは、黒い何かの塊だった。
フランドールは眉を潜め、姉の声で話す異形を見つめる。
やがて一つの可能性に思い当たり、機嫌よく手を打った。

「羽?」
「正解」

レミリアは硬質化した翼を巨大化し、自身を覆う鎧とした。
その姿は黒い蕾。
やがて花の咲くように翼が解け、中から現れた吸血鬼。
傷一つ負わず、埃の一つすらつかないその身を晒すレミリアだった。

「ねぇフラン。貴女が私を呼んだから、私はそれに応えたの」
「そうでしたわねお姉さま」

だからどうしたと言わん妹の態度に、ため息を吐くレミリア。
三度、その右手には槍が生まれる。
レミリアは槍を掲げ、右手の壁を指し示す。

「五分、遅刻よ? フランドール」
「何を……あ?」

レミリアが指した壁には、奇跡的に動いていた掛け時計。
短針は九を指しており、長身は一を指している。
そしてフランドールの目の前で、その秒針が十二を駆け抜けてゆく。

「……失礼致しましたお姉さま」
「分かればいいのよ、我が愚妹」

能面のような無表情で応える妹を、レミリアは容赦なく嘲った。
二人の悪魔を見つめる従者は、背筋に冷たい汗を自覚する。

「全ては運命の掌の中……か」
「そうよフラン。そして、それは私の掌の中」

轟然と言い放つレミリアに、諦めたように息を吐くフランドール。
頭に乗せた帽子を脱ぎ、手の中でくしゃくしゃに丸めてみる。
その帽子に、姉の顔を投影していたことは誰の目にも明らかだった。
やがてそれにも飽きたのか、フランドール無造作に帽子を放る。
そして床に落ちた帽子を踏みしだき、そのまま破壊して消し去った。

「お姉さまには、この帰結まで見えてるの?」
「そうよ。私を誰だと思っている?」
「貴女はレミリア。お姉さま。運命を繰る吸血鬼」
「良く覚えているわね。偉いわフラン」

寄って頭を撫でる代わりに、極上の笑みを送るレミリア。
フランドールはつられて笑い、真っ直ぐ姉を指差した。

「じゃあ五分遅れたお詫びに、終わりは五分早めてあげる」
「あら、さっさとやられてくれるのかしら?」
「皮をはいで靴に縫いつけて、何時もそれを踏んで歩くの」
「悪趣味ね。それなら私は翼を貰おうかしら。花瓶に挿したら、綺麗だわ」

姉の言葉が終わる前に、フランドールが駆け出した。
短期決戦を目論む彼女は、その両手の中に杖を生む。
ねじくれ曲がった、歪な杖。
悪魔の尻尾を思わせる、先端の尖った害成す魔杖。
レミリアも手にした槍を構え、余裕を持って迎え撃つ。
遂に激突した紅の姉妹。
その様子を見た美鈴は、背後の上司に声をかけた。

「よろしかったのですかメイド長?」
「何が?」
「このお二人が会われることを、あまり望まれてはいないでしょう?」
「私の意志など関係ないわ。お嬢様が会われると決めたら、私達はそれに従うの」
「なるほど」

美鈴は職務に徹する咲夜も好きである。
自分と他人を冷徹に見据え、損得に敏感な模範的な仕事人。
聡い娘だが不器用であり、他人ごと自分まで切り捨ててしまう危うさを持った人間である。

「これは、何回目?」
「対談にかこつけてなら、三回目でしょうかね」
「何で止めないのよ貴女は」
「割と楽しい見物ですから」

内面を読ませぬ美鈴の笑み。
その視線は咲夜と同じく、槍と杖が互いにぶつかり、魔力の残滓を撒き散らす光景を見つめていた。

「破損した屋敷の修復は、私達の仕事を増やすのよ?」
「外勤の私には、あまり関係の無いことですから」
「非常事態よ。貴女自身とは言わないけれど、人員はこっちにも回しなさいよ」
「もちろんです。力仕事の得意な奴を、何人かそっちに回します」
「ええ。其処は後で煮詰めていきましょう」

従者二人の会話を他所に、一旦距離を取る悪魔の姉妹。
両者が放つのは奇数弾。
全弾全速のレミリアに対し、フランドールは故意に遅く撃った弾を、速射砲で追い抜く仕様。
遊びなしの遠距離射撃は、両者の中間で激突する。
閃光と轟音、そして破壊。
力と力のぶつかり合いにレミリアの私室が崩れてゆく。

「丈夫なお部屋ね。私の部屋には劣るけど」
「上品な私には、この程度の補強で十分なのよ」

舌打ちを残して下がるレミリア。
自分の弾は妹の放つ大玉に止められ、相手のところに届いていない。
その間隙を縫って、フランドールの放った小さな魔力の塊が襲い掛かる。
悪魔の翼をはためかせ、機動力で捌くレミリア。
不利を自覚したレミリアは、右手の槍を解き放つ。

「あ! ずるっこだ」
「姉妹喧嘩に弾幕ルールは適応外よ」

グングニルは投擲用の武器であり、その伝承は必中。
槍は中空にてその進路を変え、フランドールに襲い掛かる。

「うわ! うっわ! ちょっと!?」

迫る槍が肉薄するたび、フランドールはステップでグングニルを避けてゆく。
槍は決して早くは無く、フランドールにとって避けるのは難しくない。
もっとも、振り切れるほどには遅くないし、第一……

「槍ばかりでは連れなかろう!? 私も構えフランドール!」

手の空いたレミリアがこの機を逃すはずが無い。
フランドールの回避スペースを潰すように、レミリアの弾幕が放たれる。
上下左右を覆う面を持って、その全てを押しつぶすように。

「……あ!?」

後退するフランドールの背中を、部屋の壁が塞いでいる。
舌打ちしたフランドールは、その身を無数の蝙蝠に変えた。
槍は相手を見失い、主の袂に帰ってゆく。

「隠れん坊がしたいのかしら?」

幼い容姿ながら、艶然と微笑む吸血鬼。
槍を構えて瞳を閉じ、音を頼りに妹を探す。

『昨日は危なかったんだ』

周囲全てからエコーする、フランドールの声。
一緒に聞こえる、蝙蝠の羽音。
部屋を飛び交う全ての蝙蝠が、フランドールの声で語っている。

『名前だって忘れていたの。美鈴が来てくれるまで、あの日記を見るまでは』
「そう。今はどう? 私のフラン」
『レミリア・スカーレット。お姉さま。痛いことしてくれる姉(ひと)』
「貴女が絶対勝てない姉(おんな)よ。訂正なさいな」
「うん。きっと、嘘みたい」

最後の声はレミリアの背後から、はっきりと告げられた妹の声。
脊椎反射で振り向いて、レミリアの魔槍が閃いた。
重い手応え。
槍は正確に、フランドールの胸を射抜く。

「っと、見せ掛けて!」

背後は囮と読んだレミリア。
槍を引き抜く暇も惜しみ、再び正面に向き直る。
其処には悪魔の杖を掲げたフランドールが、渾身の力を込めて両の腕を振り下ろしていた。
無手のレミリアと、杖持ちのフランドール。
だが元々の適正が違う二人。
レミリアは戦士であり、フランドールは魔法使いである。
レミリアの目にフランドールの打ち降ろしは遅く、全く脅威になりえない。

「あれ?」

気の抜けたようなフランドールの声。
杖はレミリアの右手に払われ、あらぬ方向に流された。

「さぁフラン……其の翼を、お姉さまに寄越しなさい」
「……いや」

レミリアが手を伸ばしたとき、目の前のフランドールが崩れ去る。
同時に、背後からレミリアの首に回される白い細腕。
レミリアの身体が、ほんの一瞬強張った。

「フランドール?」
「お……ねぇさ……ま」

血を吐きながら、姉に持たれかかる様に抱きつくフランドール。
囮は正面にあり、槍を受けた方が本体。
よくある手だと苦笑するレミリア。
自分が当事者になってみると、嵌ってしまうのが憎らしい。

「私は、五分……返せたの?」
「返せていないわフランドール。これは私が見たとおり」

背後から回された妹の手に、レミリアは自分の手を重ねる。
此処にレミリアの見た運命が成就した。
妹が自分に縋り、抱きしめてくれるヴィジョン。
この瞬間が、レミリアの求めた運命の刻。

「そっか。厳しいわお姉さまは」
「そうよ。お姉さまは厳しいの」

互いの顔を見ないまま、悪魔の姉妹は抱き合った。
グングニルに射抜かれたフランドールに、レミリアを斃す余力は無い。
だから、これが限界だった。
レミリアとフランドール。
強大な力を持つ二人の悪魔の、今現在の力の差。
レミリアの口元が微かに動き、真紅の光が天を突く。

―――不夜城・レッド

紅魔館の空を、十字の紅が染め抜いた。
レミリアは尚自らの首に絡みつく、妹の両腕を振り払う。
腕から先は、何も無かった。

「私の勝ちよ、フランドール」

レミリアは妹の千切れた腕から滴る血を舐め取った。
恍惚の笑みなど浮かべつつ……



*   *   *



紅の館の地下室で、悪魔の妹が笑っている。
なぜか自分を気に掛ける、馴染みの部下に笑っている。

「どう美鈴? 綺麗に見える?」

フランドールは美鈴に頼み、着物の着付けをさせていた。
姉妹喧嘩から一夜が明けた、翌日正午のことである。

「少し……動かないでくださいね……」

レミリアに消し飛ばされたフランドールは、腕の一本から再生した。
血縁たるレミリアの血と、知識の魔女の魔力によって。
そして再生が終わり、公約通りに妹の片翼をもぎ取ろうとしたレミリアに、美鈴が嘆願したのである。

『あのフランドール様を、お嬢様に引き合わせてご覧に入れましょう』

フランドールを無傷で許せば、その段取りを請け負うと言った美鈴。
それはレミリアとフランドールの双方に配慮した提案だったが、レミリアの返答は右のグー。
その後に、頬を朱に染めて頷いた。

「こういうとき、吸血鬼って不便よね」
「鏡に映りませんからねぇ」

袖を通し、裾を合わせて帯を結っていく美鈴。
その時、落ちかかる髪を払おうと、フランドールが手を上げる。

「あ、ちょっと……」
「ごめんね美鈴」

謝りながら手は止めず、降ろした髪を後ろに流す。
苦笑して一旦離れる美鈴。

「前はどうやって着たんです?」
「んー……忘れちゃった」

邪魔になる髪をアップに結い上げ、フランドールが振り向いた。
着物は帯を結んでおらず、きわどい所が露出している。

「さぁさ、とっとと結んでしまいましょう?」
「んー……分かった」

再び背を向けるフランドール。
固定する前に動いたせいで、紅の着物は少々形が崩れている。

「ちょっと待って」

手早く着なおし、裾を整えるフランドール。
その拍子に紛れ込み、一枚の紙がはらりと落ちる。

「ん……?」

それは紅魔館で使っている、正式な費用請求書。
フランドールは拾い上げ、書いてあるものを読み通す。

「時間外勤務手当て、危険手当、特殊業務手当て……?」
「フランドール様」
「担当……美鈴? これ……」
「フランドール様」
「これ、なぁに?」

……今更思うことなど無い。
フランドールが壊れていることなど、美鈴は当の昔に知っている。
だがそれでも、美鈴は即答しなかった。
出来なかった。
不審に感じたフランドール。
ゆっくりと振り向いたとき、其処には美鈴の笑みがあった。
いつもと同じ彼女の笑み。
内面を読ませぬ笑顔の仮面。

「夏の冷房に氷精狩りを行いまして、その際外勤のメイドに出た被害補償のことですね」
「あ、そうなんだ?」
「私が書いた物なんですが、失くして困っておりました」

差し出された請求書を、笑顔で受け取る美鈴。
手渡したフランドールが、再び美鈴に背を向けた。
無言の催促に応じ、再び着物の帯を結う。

「フランドール様が、拾ってくださっていたんですね」
「うーん。きっとそうかもね」
「ありがとうございました」
「どう致しまして」

帯を結わえたフランドールは、数歩離れて振り返る。

「どうかな美鈴。綺麗になってる?」
「はい、大変お綺麗でいらっしゃいます」

その声に機嫌を良くし、その場でターンなど決めるフランドール。

「あいつも喜んでくれるかな?」
「それはもう。今頃フランドール様を待ちきれずに居るでしょう」

これでレミリアが満足すれば、臨時収入も手に入らない。
損をしたなと思う反面、あまり腹も立っていない美鈴だった。
きっとレミリアもフランドールも、良い顔で笑うのだろうから。
それはきっと、綺麗な絵になるはずだから。

「行こう、美鈴」
「あ、お待ちください」

美鈴は早足で本棚により、一冊の本を取り出した。
黒地に銀のハードカバー。
フランドールの復讐日記。

「お忘れですよ」
「日記? もう飽きちゃった」
「まぁ、そうおっしゃらず」

そう言って、美鈴は日記を差し出した。
反射的に受け取って、フランドールは一番新しいページを捲る。
見開きの右には一昨日のこと。
それは美鈴と過ごした記録。
見開きの左には昨日の事。
姉とたくさん喧嘩したこと。
……請求書の件は、書いていなかった。

「日記は自分の死後に公表されることを狙って、悪口を書いておくものだそうですよ」
「ああ! じゃあ、あいつのことを、いっぱい書いてあげないとね」
「是非、そうしてあげてください」
「美鈴のことも、書いておいて上げるからね」
「光栄です、フランドール様」

分厚い日記を抱きしめて、フランドールは駆け出した。
この後レミリアの執務室兼私室において、姉妹揃っての会食がある。
美鈴も、フランドールをエスコートしなければならない。
そして午後には咲夜に捕まり、屋敷の補修に駆り出されるだろう。
通常勤務に逃げ込めなかった弊害に、美鈴は苦笑して息を吐く。

「……らしくなかったな」

美鈴は自らを傍観者と位置づけている。
今回は深く関わりすぎた。
フランドールは無論のこと、レミリアや咲夜に関しても。

「美鈴、早く!」

美鈴が意識を離した隙に、フランドールは出口前で待機していた。
息を吐き、歩き出した美鈴。
それを見たフランドールは、駆け足で階段を上ってゆく。

「……あんまりはしゃぐと転びますよ」

その声は小さく、誰の耳にも届かないまま地下室の壁に消えていった。
美鈴は手の中の請求書を見、陰鬱なため息を吐き出した。
フランドールのために用いたジョーク。
二人の仲だからこそ、珍しく起こしたサービス意識。
あの時のフランドールの姿を、美鈴は記憶から揺り起こす。

「それでも、私は貴女が大好きですから」

小悪魔の顔で笑ったフランドール。
美鈴にやり返したフランドール。
髪を触ってきたフランドール。

「私は、フランドール様が大好きですから」

あの時の笑顔が無意味だったと認めることは、美鈴にとってさえ不愉快だった。
それでもフランドールは……
もう、あの時二人で分け合った時間を覚えてはいない。

「……」

頭を振った美鈴は、余計な思考を排除した。
胸の隅から悲鳴が上がるが、それは意識して黙殺する。
紅美鈴は傍観者。
今回は関わりすぎただけであり、次からはもっと上手くやれるはず。
自身の安っぽい嘘に疲れながら、地下室の階段を上る美鈴。
その途中で請求書は丁寧に折りたたまれ、熱気によって灰になった……


《END》


お久しぶりです。初めての方、はじめまして。
SS書き心得見習い、おやつと申します。

今回のお話は、チャットで友人と妹様の狂気について話した事が元です。
原作と文化帳の妹様、気が触れてるっていうのはどの辺の事なんだろうかね?
よし、ならば一丁書いてみよう!
と、一念発起し……出来た作品がこちら。
うん。狂気書けてないっすねすいません力不足でございましたorz

最後になってしまいましたが、此処まで読んでくださった皆様に感謝し、後書きに変えさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。

PS.
前作『最初の一歩』を読んでくださった皆様。その節は多忙につき、ご挨拶も出来ずに申し訳ございませんでした。今更になってしまいますが、読んでくださって真にありがとうございました!




10月4日誤字脱字修正
ご指摘ありがとうございました。

しばしリアル砂漠を放浪しておりました、駄文ワーカーのおやつです。
このたびは中途半端とのご指摘を多数賜り、ご満足いただけなかったことをお詫び申し上げます。
うんまぁ、実力だしねorz
今すぐどうにかできる事でもないわけでして、長い目で見てやってくださると嬉しかったします。
今後も精進してゆく所存でございますれば。
とりあえず、人並みの筆力が欲しい……

それでは最後になってしまいましたが、此処まで読んでくださった皆様に、熱い御礼と感謝を述べさせていただきたいと思います。真にありがとうございました。
おやつ
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コメント



0.2990簡易評価
2.80道端から覗く程度の能力削除
なんかこう・・・ゾッとするようなかっこよさの美鈴ですね。
5.90名前がない程度の能力削除
なんて策士な美鈴
これは惚れる
8.100名前が無い程度の能力削除
なんか不思議なテンポの作品
これはいい美鈴ですね
9.90名前が無い程度の能力削除
なんと仲の良い姉妹、文花帖のやりとりが過激化した感じがなんとも。
どうも弄られイメージの強い美鈴ですが、こんな所があってもおもしろいですね。
15.80名前が無い程度の能力削除
やっぱりおやつさんの美鈴は食わせ者ですねぇw
藍様といい鈴仙といい、なんだってこう魅力的に書かれるんでしょうね。

あとフランドール嬢。自分は書くとき本当に苦労します。
何をやらせても違和感がついて回っちゃうんですよね。
その中ではお手本にしたいようないい妹様でした。

次回作も待ってますよ!
16.100名前が無い程度の能力削除
これは素敵な美鈴ですね。会話がとてもいい。
哀しくなったなぁ。
23.80名前が無い程度の能力削除
嘘だと分かっている嘘で自分を騙している、傍観者でいられなくなった傍観者。
まるで道化師。
24.40名前が無い程度の能力削除
読んでいてちぐはぐな感じが。
例えば序文、美鈴が過去フランに殺されかけた経験から会いに行くのにためらい、心を軽くしようとして自ら「無理ですよねぇ」とまで呟いているのに、その数行下では会うのが楽しみになっている。
全体的にそういった矛盾点・説明不足な点が散見され、物語に集中できなかった。
25.70名前が無い程度の能力削除
悲劇の様な、喜劇の様な
27.90名前が無い程度の能力削除
これはこれでいいな と思う紅魔館。全体的に台詞の応酬がすごく良い。
34.30削除
跪かせてて足蹴に~  てが多い?
あとどこか一つ、句点が抜けてました。どこだったろうか……。

短文で話を構成するのは毎度の事ですが、
どうにも長文的な構成の文章を無理矢理短文にしている感が否めなく、
文章、特に短文の連続はリズムが命な自分にとっては、どうにもこうにも。

和洋折衷な東方世界。
それ故に文章でも和と洋、どちらでも表す事が出来るものですが、
どうにも和に多少偏っている所為か、洋が浮いてしまいがち。
難しいところですね。難しいです。

欲を言えば、もうちょっと山場を山にしてほしかったかなぁと。
今のままだと丘くらいです。
ついでに、狂気はどこまでいけば狂気なのかというのが難しいラインではありますが、
このフランドールはどうなんでしょうね? 個人的には首を捻ってしまう。
まだまだ常識に囚われすぎている気がします。
これだから妖怪連中は困る。

とりあえず、これは良い作品ですね、という事で。
35.100名前が無い程度の能力削除
浜辺で城を作り続ける子どもを思わせる美鈴が物悲しいです。そして妹様が何も判ってない所がまた悲しい。
39.70kt-21削除
全くこの姉妹は仲が良いのか悪いのか。
 
そうか、フランちゃんはちょっと気の触れたアムネジアか。
41.80名前が無い程度の能力削除
よかったです。
42.40名前が無い程度の能力削除
フランの狂気、美鈴のあり方、姉妹関係、戦闘描写等
どうにも焦点がはっきりせず中途半端であるように思われました
次回に期待
43.100名前が無い程度の能力削除
漠然とした捕らえようの無いフランの狂気と、それに飲み込まれているようにも受け止めているようにも取れる剣呑とした美鈴が素敵ですね。
フランのみならず美鈴も常人とは違うんだなという実感が、寂しくもあり美しくもあり。
44.50名前が無い程度の能力削除
なんか中途半端な気がするなぁ、色々と。
しっかりとした文章の地力がありそうなのに。
次に期待ということで。
45.100名前が削除
あいかわらずおやつさんの文章は蛇行しながらも不思議な収束をする。
そこがたまらんのです。
46.70名前が無い程度の能力削除
どことなく「オーフェン」チックな文章ですな。
さておき、おもしろかったです。
中国かっけえ
54.70名前が無い程度の能力削除
このテンポの描写は結構好きです。
台詞が飛び交う中でも、人物像には一貫したものを感じました。
展開的には行間を読ませる箇所が多くなり、模索する頻度が高い作品だと思います。
そういうのが楽しめる性質なので、なかなかもって興味深く拝読させていただきました。
66.100名前が無い程度の能力削除
ふむ…中途半端ねえ…
この中途半端さが好きだけどな。完結してたら面白くない話かと思う
76.100名前が無い程度の能力削除
なかなかみないフラン

良いと思います
79.90名前が無い程度の能力削除
フランの狂気以上に美鈴の在り方になんかゾクゾクした。
88.100名前が無い程度の能力削除
さすが妖怪わけわからん

たがそれがよい