Coolier - 新生・東方創想話

空と海と大地と挟まれし姫君

2007/08/20 06:17:03
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 季節はめっきりと夏である。

 真っ赤に燃える太陽がじりじりと地面を照らし、
 肌に纏まりつくような湿気と、耳障りなセミの声が幻想郷を包み込む。

 虫や植物、またその種の妖怪は活発に活動を始め、逆に日を嫌う吸血鬼の類は影を潜める。
 人間の里では、年に一度の夏祭りに向けて広場に大きな櫓が組まれ、
 巫女は秋までの食糧確保の為、里の子供達とは明らかに違う目付きで水田に突撃する。
 ……巫女に襲撃された田んぼは、翌日になるとザリガニからアメンボに至るまでの全ての生物が姿を消してしまうので、
 寺子屋の宿題である昆虫採集や観察日記は、巫女がやって来る前に終わらせておくのが里の子供たちの常識だ。
 
 それはともかく夏である。
 暑さに苦しめられる時期とはいえ、幻想郷の夏は他の季節と変わらず色々と忙しい。
 それはこの私、式神である八雲 藍の生活もまた同じ。
 今日も一日、額の汗を拭いながら炊事洗濯掃除に紫様のお守に駆け回る日が始まるのだ。


「今日も暑いわねぇ」

 居間で寝っ転がりながらそう呟くのは我が主、八雲 紫様。

「そうですね。洗濯物がすぐ乾くのは良いのですが、こう日差しが強いと流石にバテそうですよ」

 私はそれに庭で洗濯物を竿にかけながら応える。
 冬眠中の為一日中寝ている冬と違い、夏の紫様は結構昼間でも起きていることが多い。
 流石の紫様と言えども、昼は暑くて寝苦しいのかもしれない。

「藍も式とはいえ、この暑い中よく働くわねぇ」
「いえ、これが仕事ですから……」
「でも、やっぱり本当は辛いんじゃない? ほら、そのフカフカとか夏場はとっても暑そうよ」

 紫様に言われ、振り返って自身の尻尾を見つめる。

「ええ、確かに今の時期は多少辛いものがありますね」

 そうだなあ、これさえ無ければもう少し涼しげになるだろうに。
 歩く度に背中に毛が当たり、鬱陶しいことこの上ない。

 冬の間はいい。毛布代わりになるし、橙も喜んでフカフカしに来てくれる。
 ところが、夏になった途端、橙の私の見る目が一変する。
 暑苦しくて近寄りたくない。でも自分の主だし、失礼なことはしたくない。
 子供ながらにそんな複雑な心情に苦しむ橙の顔は、嫌な上司に無理矢理おべっかを使う日本の悲しきサラリーマンを彷彿とさせた。
 その夜、私は変わってしまった自分の式を想い、少し泣いた。

「ふ。でも、もう慣れましたよ。暑いからって切るわけにもいきませんし」

 そうさ、橙だっていつまでも子供じゃないんだ。
 子供はいつか親の元から離れていくもの。それが自然の摂理ってものさ。

 ……でも、離れていったら私はどこまでも追いかけるよ。
 私の元から逃げるなんて認めない。絶対に許さないよ。三日後100倍だからな!

「あら、じゃあ本数を減らしてあげよっか? 境界を弄れば簡単よ」
「はは、結構です。コレは体のバランス取りににも使われますから、九本に慣れた今、突然減らされたら歩けなくなってしまいますよ」

 紫様の言葉に少し笑みが零れる。
 ふふ、紫様も私の心配をしてくれてるんだなぁ。

「ふーん、尻毛の濃い人は大変ねぇ」
「ゆ、紫様! これは尻尾です尻尾!」
「あら、だんだん本当に尻毛に見えてきたわ。超剛毛の」
「やめてくださいよ! これだけの尻毛を堂々とはみ出させてるなんて、どんな性癖の持ち主ですか!?」
「藍、今度二人で岐阜県尻毛町に行きましょう」
「尻毛町は尻毛の濃い人が集まっている町ではありません!」

 ああクソ。少しでも感動した私が愚かだった。

「暑いわー。尻毛、じゃなくて湿気が凄くてたまんないー」

 尻毛尻毛連呼するんじゃねえ。

 全く、すること無いんだったら巫女の所にでも遊びに行けばいいのに。
 まあそれを勧めた所で、あそこにはエアコンが無いだの、お茶菓子に樹液が出されるだの文句を垂れて、
 結局はいつものように居間でダレながら、気が向いたら私にちょっかいを出す一日になるのは目に見えてるが。

 はぁ、暑くて辛いのは分かるが、紫様ももう少し大妖怪としての威厳は保てないものだろうか。




「夏か、毎年この季節になるとあの娘を思い出すわ……」

 突然、紫様が懐かしむような目で語り始める。

「あの娘は今頃どうしているかしら……」
「紫様、アイス食べ終わったらちゃんとゴミ箱に捨ててくださいね」
「懐かしいわねえ、思えば二人で色々ムチャをやったわ……」
「部屋が冷えすぎじゃないですか? エアコンの設定は何度になってるんです?」
「……ちょっと藍」
「はい?」

 紫様の靴下を、他の洗濯物と別の竿にかけつつ返事をする。
 よし、これで全ての洗濯物を干すことができた。

「私が昔を懐かしんでいる件について、何かリアクションはないのかしら?」
「はあ、リアクションと言われましても……」
「天下の大妖怪、八雲 紫が自らの過去を語ろうっていうのよ! 天狗たちが涎を垂らして失禁しながら全裸で踊り狂うほどのスクープよ! 普通はもっと食いつくハズじゃない!」
「紫様は天狗を何だと思ってるんです」
「違うわ! 食いついて欲しいのはそこじゃないの!」
「紫様の過去ですか? 毎回、適当でいい加減な思いつきの話をするだけじゃないですか」
「ぬぬぬ、なんて面白くない式なのかしら! 藍の不感症! マグロ!」
「キツネです」

 紫様との会話を適当に流し、私は靴を脱ぎ台所に向かう。
 そろそろ昼食の準備をしなければならない時間だ。

 さて、今日の昼食は何にしようか。
 私や橙なら、油揚げとササミを混ぜたソーメンで問題ない。
 だが、紫様ではそうもいかない。
 紫様は毎年繰り返される単調な味の『夏のソーメン』に飽き飽きしているらしく、
 ソーメンを食卓に出そうものなら、まるで苦虫を噛み潰したような顔で私を睨んでくる。
 そして食事中ずっと、姑のような愚痴を延々と呟き続けるのだ。困ったものだ。

「そう、あれはまだ私がピチピチの……いえ、今でもピチピチよ。今よりもっとピチピチだった頃の話ね」

 そんな私の苦悩を知らず、紫様は台所にも届く声で自らの思い出話とやらを話し出す。

「……かつて、私が正体を隠して外界の大学に通っていた頃」
「何億年前の話ですか。……いたっ! わ、分かりましたからスリッパの中にクナイ弾を送り込むのは止めてください!」
「私には同じ大学に通う一人の友達がいたの。名前はそう、蓮子って言ったわね。オカルト好きでちょっと変わっていたけど、可愛い娘だったわ」
「はあ、それで、そのレンコって方と夏が何の関係があるんです?」

 冷蔵庫の中を開ける。
 出来る限り火を使わない料理にしたいな。
 コンビーフマヨご飯出したら怒られるかな。

「蓮子とはね、夏になると色々な所に遊びに言ったの。夜の墓場から杉沢村まで、近所で心霊スポットと呼べるところは網羅したと言っても過言ではないわ」
「そりゃまた随分と活発で、今とは大違いですね」
「それに、蓮子は時間にルーズな事で有名なの。小学校の夏休みの宿題を高校の卒業式に提出したのは、地元ではもはや伝説よ」
「担任、大迷惑ですね」
「蓮子曰く、『来週になったら本気出す、と言い続けてたら、いつの間にか十年が経っていた』、だそうよ」
「……ニートの言い訳と同じじゃないですか」
「ええ、今思えば蓮子にはニートの才能があったわ。彼女に単位や就職の話を振ると決まって、『そんなことより月旅行に行こうぜ!』と、現実から目を逸らそうとしたもの」
「はぁ」

 軽く聞き流す。とてもじゃないがマトモに聞いていられる話ではない。
 しかし、よくもまあこんな適当な話を自身の過去として人に話せるものだ。

「蓮子との思い出は常に夏の太陽が一緒だったわ。そう、彼女との別れの日もね」
「……紫様?」
「蓮子は人間、私は妖怪。やっぱり生きる時間が違うのよね。数十年もすると、蓮子だけがみるみる老けていった……いえ、逆ね。私だけが全く姿が変わらなかった。蓮子は随分前に私が妖怪だって事に気付いていたみたいだけどね」

 紫様の話が急に重たい口調になり、
 私は思わず食事の用意をする手を止める。

 今の喋り方は、明らかにそれまでのとは異なっていた。
 ……もしかして本当の話なのか? 紫様は今、本当の過去を私に話してくれているのか?

「妖怪である私にも、蓮子は最期まで友人として接してくれたわ。そう、最期まで……」
「……」
「ヨボヨボのお婆ちゃんになっちゃた蓮子は、布団に寝たきりの状態で私の手を握るの。そしてにっこり笑って『今度は私も妖怪に生まれ変わるから、その時はまた二人で色々な所に行こうね』って言って、そのまま息を引き取ったの。辺りにはセミの声だけが響いていたわ。とても悲しかった……」
「……」
「私は泣いたわ。一生分の涙を全部流しちゃったぐらいに。ふふ、こんな話、信じられないでしょう」
「紫様、貴女は……」

 私の意識は完全に紫様の話に向いてしまった。
 昔から式として仕えている私ですら初めて聞く、紫様の過去。
 いくら気まぐれな紫様でも、意味も無く自分の過去を他人に漏らすような事をするハズが無い。
 紫様、貴女は自身の過去から私に一体何を伝えようとしているのですか?

「ねえ藍。人間と妖怪、この二つは一体何が違うっていうのかしらね?」
「……」
「蓮子は、ちゃんと幻想郷に来てくれたかしら」
「紫様、今の話は……」
「ええ、全て本当の話よ。本当に悲しい夢だったわ……」

 ……は?

「あそこまで悲しい夢を見たのは初めてだったわ。起きてからも涙が止まらなかったもの。あんまり悲しいものだから、慰めてもらおうと神社に行って霊夢の胸に飛び込んだら、そのまま直下型ブレーンバスターに持っていかれて、一週間首の痛みが治まらなくて現実でも泣いたわ」
「……」
「悲しいわ首痛いわで、本当に体の水分が全部抜けちゃうぐらいに泣いたわ。今思うと貴重な経験させてもらったわね」
「……」
「んもー。らんー、ちゃんと聞いてるのー?」
「……お昼はソーメンでいいですね?」
「嫌、ソーメンは嫌っ! 氷でツユが薄くなって美味しくないの!!」










◆◇◆










「……ご馳走様でした。紫様、自分の食器は台所に持ってきて下さいね」
「うう、藍のバカァ……ソーメンは嫌だって言ったのにぃ……」
「そんな事言われましても、私も色々用意するの大変なんですよ」
「だって食べ飽きたんだもの! 味気ないんだもの! 私がソーメンを嫌がっているのを知ってて出すなんて、藍はいつからそんな血も涙も無い子になったのかしら? 悪魔よ、きっと藍に悪魔が取り付いたのよ!」
「お昼にソーメンを出す悪魔ってなんですか。外道スライム以下の失敗作じゃないですか」
「うっ、うっ……」

 涙を流し鼻をすすりながら、つるつるとソーメン口に入れていく紫様。
 なんだかんだ言いながら、結局食べるのが紫様らしい。しかもカラー麺を優先的に狙って。

「ご馳走様! ふん、もう藍なんて嫌い! 藍のバカ! 藍の意地悪!」
「はいはい」
「藍の複乳!」
「左右に一房ずつです」

 台所まで繋げたスキマの中に、自分の食器を放り込む紫様。
 やれやれ、騒がしかった昼食もやっと終わった。
 食器を洗ったら次は掃除だ。はあ、本当に式神ってのは休む暇が無いな。

 スポンジを片手に食器を洗い始めようとした、その時。


――ガタンッ!


 冷蔵庫の横にある戸棚から、なにやら物音が聞こえた。
 地震か、と思ったが、他は全く揺れていない所をみるとそうではない。
 何だろうか。確かあの戸棚の中には……。

 ……まさか。

 手に持ったスポンジを放り投げ、紫様の寝転ぶ居間に向かって駆け出し、
 そして、エアコンを入れたため閉められた居間の障子を勢いよく開ける。

「紫様っ!」
「むぐっ!?」

 私の声にびくんと跳ね上がった紫様は、驚いた様子で振り返る。
 予想通り、その顔にはリスのように頬が膨れ、
 戸棚にあった筈のスナック菓子の欠片が、口元を中心にべったりと張り付いていた。

「……紫様」
「むぐむぐ……」
「紫様っ!」
「もぐもぐ……ごくん」
「何を食べているんです何を! 今お昼ごはん食べたばっかりじゃないですか!」
「だ、だって、ソーメンだけじゃ味気ないんだもの。私のセクシーボディは、もっと塩分とか油とかのカロリーを求めているのよ」
「私は紫様の事を想って、なるべく体にいい食事を作るよう心がけてるんですよ。なのに、紫様がそれじゃあ意味が無いでしょう!」
「んまっ、私を年寄り扱いしないで頂戴! 成長期の私にはもっと沢山の栄養が必要なのよ!」
「紫様の体で今でも成長してるのはムダ毛ぐらいでしょうが。とにかく、このお菓子は没収します。オヤツの時間になったら色々と用意しますから、それまで我慢してください」 
「ヤダヤダァ! 今すぐ食べたいー!」

 駄々をこねる子供のように、手足をバタバタさせる紫様。
 本当に子供がやるならともかく、今年で【アナザーディメンション】歳の紫様がやると、
 腹立たしい以外の何物でもない。横っ腹を蹴っ飛ばしたくなる。

「はあ、紫様も昔はあんなじゃなかったのに……」

 溜息をつきながら元の戸棚にスナック菓子を戻し、周囲に結界を張る。
 私の結界など、紫様の手にかかれば簡単に突破されてしまうが、
 それでも侵入者に対するセンサー代わりにはなる。
 時でも止めない限り、お菓子を取ろうとしたらすぐに感知できるだろう。
 また、紫様がお菓子を盗んだら、今度こそ本気の説教が必要だな。

「さてと、早いとこ食器を洗わないとな」

 床に落ちたスポンジを手に取り、食器洗いを再開する。
 やれやれ、紫様のせいで無駄な時間を使ってしまった。
 このせいで夕飯が遅れたら、また文句を垂れるからな、急がねば。

「……むぐむぐ」

 スポンジに洗剤をつけ、さあ洗おうと腕をまくったその時。
 紫様のいる居間から、再び物を食べる音が聞こえてきた。

 ……戸棚に張った結界は破られていない。
 どうやらお菓子は無事のようだ。だとしたら、紫様は何を食べているんだ?

 ええい、そんなことはどうでもいい!
 注意してから僅か20行程度しか経ってないのに、なんて我慢の足りない人なんだ!

「紫様っ、いい加減にしてください!」
「むぐっ!?」

 再び居間の障子をあける。
 やはり紫様は何かを口に咥えており、先ほどと同じように驚いた顔で私に方を向く。

「今度は何を食べてるんです!? もう、少しは言う事を聞いてくださいよ!」
「もぐもぐ、ごくん……ふんがっとっと」

 紫さまが口に含んだものを飲み込む。
 見ると紫様の手には、鮮やかなピンク色の物体が握られていた。

「桜餅……?」

 紫様が食べていたのは桜餅。
 手に持っているのが一つ、ちゃぶ台の上が三つ。
 ここで私は首をかしげる。はて、桜餅なんてウチにあっただろうか?

「……紫様、その桜餅はどこから取ってきたんです?」
「幽々子ん家の冷蔵庫に入っていたのよー。あそこって常にオヤツが置いてあるのよ、凄いわねー」
「!! だ、ダメじゃないですか紫様! 勝手に他人の家の物を盗んできちゃあ!」
「だいじょーぶよ、他にも沢山オヤツがあったもの。桜餅程度が無くなったって気付かないわよ」
「そういう問題ではありません!」
「白玉楼の台所は冷蔵庫が壱番から弐拾番まであって、冥界のミッドガルの異名を誇っているのよ。いっつもポケーッっとしてる幽々子が、そんな大量の冷蔵庫の微妙な変化に気付くわけ無いじゃない。妖夢がいなかったら絶対にリフォーム詐欺とかに引っかかるタイプよ幽々子は」
「だから、気付く気付かないの話じゃなくて!」
「うわー、この桜餅すっごい美味しいー! 幽々子っていつもこんな物食べてるのね、羨ましいわー」 

 聞きゃあしねえ。

「紫様っ!」

 両手をちゃぶ台を思い切り叩きつける。

「な、なによ藍。そんなにカリカリしちゃって。もしかして発情期? 不妊治療でもする?」
「もういい加減にしてくださいっ! オヤツの時間まで我慢してくださいって言ったばっかでしょう!」
「……ああ、アレは戸棚のスナック菓子は我慢するって事よ。他のモノなら食べても構わないでしょう?」
「そんなわけありますかっ! 大体、他人の家のモノを勝手に食べるなんて、常識が無さ過ぎます!」
「やあねえ、それなら大丈夫よ。私と幽々子は親友同士。ゆかれいむやゆゆようむには負けるけど、ゆかゆゆこも結構根強いファンが居るのよ? そんな仲良しな二人なら、オヤツも共有するのが当然ってものじゃない? だから、私が幽々子のオヤツを食べても全然問題無いのよー」

 むむむ、ああ言えばこう言う。
 私の必死の訴えも、幻想郷屁理屈チャンピオンの紫様には全く通用しない。

「あーん、美味しい! 餅が餡子を、餡子が餅を引き立てる! 例えるならサイモンとガーファングルのデュエット! ウッチャンに対するナンチャン! 真倉翔の原作に対する岡野剛の『ツリッキーズ ピン太郎』!」

 それ打ち切りじゃねえか。

 ええい、もう堪忍袋の緒が切れた! これだけ言ってもまだ分からないか!
 ならば、今まで紫様の為を思って避けてきた現実というものを見せてやる!

「紫様……失礼いたします」
「んー? ……きゃあ! な、何をするの藍!?」

 だらしなく寝転がる紫様に、自慢の脚力を使い飛び掛る。
 そして逃げられないように体を押さえ込み、
 そのまま一気に紫様の上着を捲り上げる。

「いやあぁぁぁ! 藍が、藍がご藍心よぉぉ!」
「つまらん洒落を言ってないで、ほら、おとなしくしてください!」
「助けてぇ、自分の式に犯されるぅ! 汚されちゃうわぁ!」
「汚れるも何も最初から真っ黒でしょうが。ほら、ちゃんと見てください!」
「……?」

 私の一言にやっと紫様が大人しくなる。
 上着を捲くられお腹丸出しの状態で、私が何を言い出すのかを待っている。

「さあ紫様、見えますか?」
「み、見えるって、何が?」
「……」
「ああん、いやん、お腹ぷにぷにしないでぇ!」
「ふぅ、まだ分かりませんか……」
「……?」

 ここで私は一回深呼吸をする。







「はっきり言います! 紫様は太りました!」







 居間に沈黙が訪れる。
 エアコンの風の音と、窓の外のセミの声だけが空しく響く。

 今まで紫様のことを考えて言わないようにしていたが、もう我慢できない。
 紫様は太った。パッと見分かるほど肉が付いたわけではないが、
 それでも以前と比べれば体中に、特にお腹のあたりが太ましくなった。
 私もなるべく、カロリーの少ない食事を出し、紫様を外に出すように促したりしたのだが、
 そんな私の努力をあざ笑うかのように、紫様はロクに運動もせず、
 さっきみたいに、寝っ転がりながらお菓子を貪る生活を続けたのだ。

 そして、そのツケがこれだ。

「な、ふ、太ったって……?」
「言葉の通りです。紫様はこの夏、明らかに太りました」
「な、何バカなことを言ってるの? この永遠の美貌、幻想郷の由美かおると呼ばれた私が太っただなんて……」
「バカも何も、この腹を見れば一目瞭然でしょう。うりゃ!」

 紫様のヘソの辺りを指で突付くと、
 まるで吸い込まれるように、私の指がズブズブと沈んでいく。
 この感触は間違いない、完全に中年太りのそれだ。

「見て下さいよ、第一関節が完全に沈んだじゃないですか。なんですかこのブヨブヨした腹は!」
「ブ、ブヨブヨって失礼ね、人を軟体生物みたいに! これは太ったって言わないわ、ただのポッチャリ系よ!」
「それはデブの言い訳ですよ。自称ポッチャリ系の女が一人残らず醜い肉塊なのを見れば分かるでしょう」
「うぎぎ……」

 悔しそうな目で自身の膨れた腹を見つめる紫様、
 さあ、今度こそ言い逃れは出来まい。
 目の前のポコンと膨らんだ腹を見て、言い訳ができるのならしてみるがいい。

「こ、こんなもの、ちょちょっと境界を操れば、すぐに元のスリムボディに……」

 まだ無駄な抵抗を続けようというのか。
 紫様。悲しいけれど、過去の栄光は未来に進むためには重荷にしかならないのですよ。

「……確かに能力を使えば、元の体型に戻れるでしょう」
「で、でしょ!? この能力がある限り、この世の全ての事象は障害にすらならないのよ!」
「ですが、それも所詮はインチキ。チートです。勘の鋭い霊夢や幽々子様辺りなら一発で見破ってしまうでしょう。卑怯な手を使って太ったことを隠蔽する、普通に太るよりもはるかに恥ですよ。それで良いんですか?」
「そんな……じゃ、じゃあ一体どうすればいいのよ!」

 紫様は泣きそうな顔で私にすがりつく。
 今の今まで、自分が太った事に気付かなかったのだろうか。
 はあ、なんだか悲しくなってくるわ……。

「……紫様、こうなったらダイエットをするしかありません」
「げっ!」
「嫌そうな顔しないでください。とりあえず今日からお菓子は禁止、朝六時に起きて夜は九時に寝る規則正しい生活、そして毎日ランニング欠かさずをしてください」
「ひ、ひぃぃ~!」

 ますます泣きそうになる紫様。

「ひ、非道いわ! とても耐えられない!」
「私だって、そんな面倒な事したくありませんよ」
「嘘よ! きっと藍は、ダイエットと称して私を苛め抜いて、ストレスの捌け口に利用するつもりなのよ!」
「……ああ」
「ら、藍! その『成る程、その手もあったか』みたいな顔は止めなさい! もう嫌、私こんな所に居られないわ!」
「あ、ちょっと紫様!」

 パチン、と紫様が指を鳴らすと、
 その背後に人一人が通れる位のスキマが現れる。
 しまった、あれは空間移動時に使われるスキマだ。
 ダイエットを嫌がって、どこかに逃げるつもりだな!?

「だ、ダメです! 逃げないでくださいよ!」
「藍……籠の中の鳥はもう嫌なの。この翼を広げ、私は自由を手に入れるのよ!」
「何を抜かす! アンタ以上に自由な妖怪が他にいるか!」
「さようなら藍、また会う日まで……アデュー!」

 腹立たしい笑顔を浮かべながら、スキマに逃げ込もうとする紫様。
 ええい、嫌な事から逃げてばかりだと、後になって苦労すると先生に言われませんでしたか!

 逃がすまいと、紫様目掛けて一直線に駆け出す。
 だが、私の手が紫様に届きそうになったのと同時に、
 紫様は高く跳躍し、自ら開いたスキマの中に飛び込んだ。

 しまった、逃げられた!

「ふふふ、その程度の実力で私を捕まえようだなんて、藍もまだまだ未熟者ね」
「くぅぅ……!」

 紫様はスキマから上半身を出し、畳に拳を叩きつける私を挑発する。
 私がどれだけ、紫様の体を心配しているかも知らないで。
 幻想郷最強の妖怪がメタボリックにでもなったら、それこそ幻想郷全体の恥だというのに!

「それじゃ、私は幽々子ん家に遊びに行ってくるから、留守番よろしく~」
「ふぅ、はいはい、分かりましたよ……」

 はぁ、もう紫様の自主性に任せるしかないのか……。
 あまりの不甲斐なさに、がっくりと肩を落とす。

「……んー」
「さて、食器洗いの続きでもするか……」
「ん? あれ、あれれ?」

 今日のところはもう諦めた。
 最初からすんなり言う事を聞く方では無いとは思っていたが、
 ダイエットの話は、また今度、改めてする事としよう。

「ちょ、ちょっと藍、待ってー」
「……?」

 台所に戻ろうとした私を、紫様が呼び止める。
 どうしたんだろう、白玉楼に行くのなら早くすればいいのに。

「どうしました紫様? 何か忘れ物ですか?」
「え、えーとね、そんなんじゃないんだけど……」

 言い難そうに言葉を濁らす紫様。
 全く、居て欲しいときは逃げて、そうじゃない時は呼び止める。厄介な主人だ。

「えっと、その……」
「用事があるのなら早くしてください、私には仕事があるんですから」
「あの、その、つまりね……」

 何を言い渋っているのだろう。
 紫様の顔は告白前の少女のように、恥ずかしそうに紅潮している。
 うん、キモいな。年齢考えろ。

 と、ここで私は奇妙な点に気付いた。
 紫様は現在、半分だけスキマに入っている、
 私からは丁度、ヘソから上だけが見えている状態なのだが、先ほどからそれが全く動いていない。
 まるで固定されたかのように、下半分だけスキマに入った所で止まっているのだ。

 私の頭に一つの考えが浮かぶ。まさか、紫様は……。

「あのね、藍……」

 それを口に出そうとした瞬間、紫様が私より先に話し始める。
 そして、その言葉は私が頭に思い浮かべていたものと寸分違わぬものであった。













「スキマに……挟まっちゃった。お腹がつかえて抜けないの……」











 
 家の壁に止まっていた一匹のアブラゼミが、
 窓に小便をひっかけ、そのまま夏の空に飛び立っていった。










◆◇◆










「……どうするんですか、紫様」
「……どうしましょう」

 私と紫様は二人、顔を見合わせる。
 紫様の顔は蒼白し、まるで世界が終わるかのような絶望の表情を浮かべていた。

「本当に挟まったんですか? もっと力を入れてみてください」
「やってるわよ! うーん! うぅぅーーん!」

 両手でスキマを掴み、挟まったお腹を引っ張り出そうとする紫様。
 だが、本当にぴっちりと挟まってしまったらしく、
 どれだけ力を入れても、紫様の体は1ミリたりとも動かない。

「はぁっ、はぁっ、ダメだわ、全然出られない……」
「スキマを広げることは出来ないんですか?」
「無理ね、このサイズのスキマはこれが広げられる限界なのよ」
「……最大サイズに挟まるって、マズくないですか?」
「だ、だって、スキマって洗濯するとどんどん縮んでいくのよ!」

 洗濯してんのかよ。

 それは私の仕事だから、勝手に洗濯機を使うなって言っているのに。
 紫様の洗濯物だけ、わざわざ他と分けて洗濯している私の苦労も考えて欲しい。
 ……いや、それは別に変な意図があるわけじゃなく、、主の服を特別に丁寧に洗おうという、私の優しい式神心だ。
 決して私の服と紫様の靴下を一緒に洗うのが嫌とかそういうワケではない。本当だよ!

「それじゃあ、自分の境界を弄ったらどうです? ほら、さっき言ったみたいに腹を引っ込めるとか、香霖堂に行った時の様に幼女化するとか」
「それもさっき考えたんだけど、うーん……」

 私の提案に紫様は複雑な顔を浮かべる。

「無理なんですか?」
「う、うん、そうみたい……」
「やはり太りすぎか……」
「ふ、太ったのは関係ないわよ! これにはちゃんとした理由があるの!」

 唾を飛ばしながら紫さまは熱弁する。

「いい? 藍も知っての通り、境界ってのはとても強い力を持っているの。それこそ自然法則すら捻じ曲げる位の。そして今、私はその境界にぴったりと挟まってしまってる、つまりは私自身が境界と一体化しちゃってるのよ。だから私の体型を境界で変えようとすると……」
「変えようとすると……??」
「境界の境界を操る事になるわ。一つでも十分強力な力が二倍の力に……いえ、力と力が互いに影響し合い、最終的には何十倍何百倍のエネルギーを生む事になるわ」
「ほぉ……」
「普段の私ならともかく、体の自由が利かない今では力を制御できるか分からない。しかも、それを自分に使うっていうんだから尚更危険よ。だから、下手に能力を使うことができないのよ」

 ふーむ、分かったような、分からないような。
 そもそも紫様の能力自体、私も完全に理解していないしなぁ。

「うーむ……」
「あら、藍にはちょっと難しい話だったかしら?」
「いまいちピンときませんが、つまり、太りすぎたせいで能力が使えない。そういうことで良いですか?」
「な、なんでそうなるのよっ!」

 否定されてしまった。

「いや、いくら長ったらしい説明をしたところで、そもそも太りすぎたことが原因ですし」
「ら、藍! いくらなんでも簡潔に纏めすぎよ! 風が吹けば桶屋が儲かる理論じゃないの! 次の求聞史紀に『紫は太ると無力化する』って書かれたらどうするのよ!」
「強い妖怪ほど変な弱点を持つっていいますし」
「嫌ぁ! そんな珍妙な弱点はいやぁ!」
「はいはい、そう書かれないように、太りすぎたせいで起きたこの事態をなんとかしましょうね」
「何度も太った太った言わないでよ! 本当にそれが原因に思えてくるじゃない!」

 と、いうワケで。
 太り気味だった紫様は、それが祟ってスキマに挟まってしまった。
 その上、太っているせいで自分に能力が使えないという最悪の事態。
 さあて、一体どうすれば紫様をこの窮地から救えるのか?

 今後は上記の設定で話を進めていくので、
 先程の紫様の説明は一切スルーして頂きたい。
 私と君との約束だぞ!





「ぬおおぉぉぉぉっ!!」
「い、痛い痛い! 痛いわ藍!」

 紫様の悲鳴を聞き、私は慌てて手を放す。

「はあっ、はあっ……ゆ、紫様、もう少し我慢してくださいよ。これじゃあいつまで経っても抜けないじゃないですか」
「だって痛いんだもの! 藍ももっと優しく引っ張りなさいよ!」
「そんな事言われましても……しかし、本当にビクともしませんね」

 あれから私は、紫様をスキマから引っ張り出そうと努力を続けた。
 しかし、本当にぴっちりと挟まってしまったらしく、いくら引っ張っても、まるで動く気配が無い。
 結局、疲労と紫様の情けない悲鳴しか得られないまま、三十分が経過してしまった。

「はあ、これはもう無理じゃないですか?」
「藍、諦めたらダメ! 貴女の優しいご主人様をこんな簡単に見捨てる気!?」
「余計やる気が無くなる事言わないでください。しかし、私も妖怪の中ではかなり腕力のある方だと思っていますが、その私でも抜けないのなら、こりゃ正攻法じゃ無理じゃないですか?」
「確かに……でも、他にどんな手があるっていうの?」
「うーん……」

 紫様に言われ、頭をひねて考える。
 私の褐色の脳細胞が動き出す。脳内に浮かぶ無限の計算式。
 私自身が式であるため、算術にはめっぽう強い。難解な問題だろうと一瞬で解いてみせる。
 導き出される大量の答えの中から、最良と思われるものを選択する。

「……痩せるまで待ちますか」
「んなっ!?」
「その状態なら、紫様もつまみ食いしようとは思わないでしょう。スキマから出れる上にダイエットもできて一石二鳥、良かったですね」
「随分と考えた割には答えがそれ!? 何? 痩せるまで私にこの姿勢でいろっていうの?」
「ダイエットには苦痛が伴うものですから」
「股間からペットボトルをぶら下げとけというの!?」
 
 何の話ですか。

「こんな恥ずかしい姿で生活を送るなんて嫌!」
「普段ゾウアザラシの如く居間でごろごろしてるのと、恥ずかしさは大差ないですが」
「じゃあ、トイレはどうするのよ! この状態でどうやって処理すればいいの!?」

 紫様に言われ、はっと気が付く。そうか、その問題もあったか。どうしよう。
 私から見えているのは紫様の上半身のみ。残りはスキマに入ってしまっている。
 なるほど、これではシモの世話は出来ないな。残念、ダイエットは失敗だ。

「……西洋の騎士は戦場で甲冑を着たまま垂れ流したそうですが」
「なんで今その話をするのよ!」
「いえ別に」

 ……そういえば、紫様の下半身は今どうなっているのだろう。
 あの不気味な目玉が漂うスキマ空間の中? それとも別の場所に出ている?
 仮に後者だったら、、私一人では困難な紫様の救出も光明が見えてくる。
 紫様の下半身がある場所を調べ、そこにいる者と協力すれば、シモの世話……じゃなくて、二人分の力で押せば、紫様をスキマから救出することも可能かもしれない。

 確か、紫様は幽々子様の所に行く、と言ってスキマに挟まったんだっけ。
 だとしたら、下半身は白玉楼に出現している可能性が高いな。

「紫様、ちょっと席を外します」
「あら、どこ行くの? 早く戻ってきてよー。トイレの話をしたせいか、さっきから膀胱が鈍い感覚に襲われてるのよー」

 不安そうな顔をする紫様を置いて、電話の置いてある廊下に向かう。
 この電話は、紫様が外界から拾ってきて、好意で博霊神社や紅魔館、白玉楼などに繋げたものだが、
 神社では通話料が払えず、紅魔館では主の通話を盗聴し興奮するメイドが約一名発生したため切断、
 現在ではウチと白玉楼の間でのみ繋がっている状態だ。ちなみに永遠亭では既に光回線が引かれていた。

「えっと、白玉楼の番号は……」

 廊下の柱に貼られたメモ用紙を見て、ダイヤルを回す。
 数回コールした後、向こう側の受話器が取られる。

『は、はいっ、西行寺です!』

 聞こえてきたのは幼さが残る少女の声。
 『西行寺』と名乗っているが、相手は幽々子ではなく妖夢だろう。

「……妖夢か? 私だ、八雲 藍だ」
『あ、藍さん』
「今、大丈夫か?」
『あ、いえ、あの、今はちょっと取り込んでいまして……』

 そう言う妖夢の口調からも、ただ事ではない様子は伝わってきた。
 ふむ、向こうは向こうで何か騒動が起きているらしい。
 仕方が無い、急ぐ用でもないし、また時間をおいてかけなおそう。

「そうか、済まなかったな忙しい所を」
『あ、いえ、こちらこそすいません』
「……ところで、そっちでは何が起きているんだ?」
『妖怪です、見知らぬ妖怪が入り込んだんです! 今はそれを追って……』

 妖怪の侵入か。それなら妖夢が慌てるのもよく分かる。
 白玉楼は冥界の管理者である幽々子の居住地。妖夢はそこの庭師兼、警備係だ。
 それが妖怪の侵入を許したとあっては、警備の意味が無い。幽々子に知られたらお仕置きは確実だろう。

 それにしても、いくら入り口の結界が緩んでいるとは言え、
 妖夢他、多数の警備幽霊の目を掻い潜って侵入するとは、相手もなかなかの腕前だと思われる。
 妖夢だけで対処できるだろうか。下手に深追いしたら返り討ちになるかも……。

「妖夢、よかったら私も加勢に行こうか?」
『お気持ちはありがたいですが、それには及びません! さあ、追い詰めたぞ、覚悟しろ!』
「そうか、ならいいんだが……」

 どうやら妖怪とやらを追い詰めた所らしい。私の出る幕じゃなかったって事か。

『幽々子様の威光を恐れぬ尻の化け物め! この楼観剣の錆にしてくれる!』
「ん、尻……?」

 妖夢の口から、何か気になる単語が飛び出す。
 まさか、妖夢が追っている妖怪とは……!

「ま、待て妖夢! そいつに攻撃するな!」
『喰らえ! 未来、永・劫・ざぁぁーーーん!!!』



「ひぎゃああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!」



 居間の方から、今まで聞いた事も無いような悲鳴が聞こえたのは、その直後のことだった。






「うっ、うっ……」
「いい加減泣き止んでくださいよー」
「だって、だってあんまりな扱いじゃない……」
「妖夢だって電話越しでわざわざ待っててくれてるんですよ、全く」

 紫様はZUN帽をハンカチ代わりにメソメソ泣いている。

『すいません紫様……まさかアレが紫様の尻とは気付きませんでした』

 受話器の向こうで妖夢がひたすら平謝りを続ける。

「そんなに気にするな、間違いは誰にだってある」
「無いわよ! 突然、尻を刀でぶった切られる間違いなんて!」

 ぽこぽこと頭を叩かれる。

 白玉楼に現れた妖怪は、予想通り紫様の下半身であった。
 未来永劫斬の直撃を喰らい、部屋中に返り血が飛び散ったりもしたが、
 妖夢が言うには、そこまで深い傷は負っていないらしい。
 つーかラストスペルに耐えうる尻って凄いな。

「うっ、うっ、私の大切なお尻が真っ二つになっちゃった……」
「安心してください紫様。尻は最初から二つに割れてます」
『すいません、未来永劫斬で斬ったから七つくらいに割れたかもしれません』
「うわあぁぁぁぁん、何そのありえない進化! 複乳ならぬ複尻? キモい、キモいわぁぁ!」
「泣かないでくださいよ、尻からしりりりりりりになっただけの話じゃないですか」
「藍っ! 人のお尻に変な名前をつけないで!」

 ますます泣き出す紫様。
 これじゃあ泣き止むまで待ってたら、いつまで経っても話が終わらない。
 私には家事が残っているし、妖夢も今は仕事の最中に違いない。
 紫様の御守は後回しにしだ。まずは妖夢に簡潔に事情を説明し、
 スキマからの救出に協力してもらえるよう話を進めよう。


「……と、いうわけで、紫様は太りすぎてスキマから出られなくなった。更に太りすぎたせいで能力も使えない。そこで、すまないが妖夢には紫様をスキマから救出する手伝いをお願いしたいんだ」

 これまでの経緯を妖夢に伝え、協力を申し込む。
 会話を横で聞いてた紫さまから、殺意のこもった視線を感じる。
 仕方が無いじゃないですか、事実なんだから。

『分かりました、私に出来ることなら何でも協力します』

 二つ返事でOKがきた。聞き分けのいい子だ。
 これで私と妖夢、二人分の力で救出にあたる事が出来る。

『でも藍さん、空間移動とか変化の術とか、色々な妖術を使えますよね。それは役に立たなかったんですか?』
「ああ、紫様が太りすぎたせいで、私の術もまるで効果が無かった」
「ちょっと藍! そんな設定なかったでしょ!」

 そうでしたっけ?


「そういや、妖夢の他に誰かいないのか? 手伝ってくれる人数は多いほうが助かるんだが」

 私の力で持ってしても、紫様を引き出せなかった位だ、
 妖夢一人が加わったとしても、そう簡単には救出できないだろう。
 この際、幽々子でも構わないから他にも協力者が居たほうがいい。

『すいません、他の幽霊はお盆で実家に帰っちゃって、今は私しか居ないんです……』
「幽々子様は?」
『なんでも、現世でイベントがあるとかで朝早くに出かけていきました』

 イベント? プリズムリバー達のライブだろうか。
 いや、白玉楼は彼女らの一番のお得意様だし、
 わざわざ会場まで足を運ばなくても、自宅でライブの一つ位開けるしなぁ。
 人里で祭でもあるのだろうか。それとも夏コミか?

『確か、格闘技の試合を見に行くって言ってましたよ』

 格闘技とな。
 幽々子にそんな趣味があったとは意外だ。
 一体、どんな試合を見に行ったのだろう。

『あ、チラシがありました。えっと、【リグルVSキモけーね 世紀の大激闘!】、だそうです』

 沖縄マングースショーでさえ廃止されるこのご時世になんてものを。

「あー、その試合、私も見に行きたかったのに!」
「紫様、マジで言ってるんですか?」
『冥界の幽霊総動員で、やっとチケット一枚が取れたくらいですからね、相当な人気らしいですよ。最前列にまで飛び散る返り血が妖怪達のアドレナリンを刺激する、今世紀最高の格闘技イベントだとか』
「格闘技……公開虐殺ショーの間違いじゃなくてか?」
『さあ、チラシにそう書いてありますので。スポンサーの因幡製薬が随分資金を投入したそうですよ』

 嗚呼、このカラクリが今の一言で分かった気がする。
 言葉巧みにリグルをイベントに誘う、黒い笑みを浮かべたてゐの姿が目に浮かぶ。
 単純な蟲の頭脳など、詐欺ウサギにとっては格好のカモに他ならない。
 今になって騙された事に気付いても時既に遅し。今頃リグルは見張りつきの控え室に監禁され、数時間後自分に降りかかるであろう惨劇に震えているに違いない。

 まあ、ホタルがどのような最期を遂げようが、私には関係無い。
 詐欺なんて騙されるほうが悪いのだ。


「仕方が無い。二人だけで始めよう。私はこちら側から紫様の体を引っ張るから、妖夢はそちらから押してくれ」
『ええ、任せてください』
「軍手とかゴム手袋とかあるなら、付けておいた方がいいぞ」
「藍っ! 私のお尻をまるで汚い物かのように言わないでっ!」
「切り傷から出た血が手を汚すでしょう。その為ですよ」
「そ、そう、ならいいんだけど……」
「靴下の臭いが耐えられないなら、脱がして捨てても構わないからな」
「ら゛ーん゛ーっ!!」

 うるさいな。人がせっかく助け出してあげようってのに。

「よし、じゃあ合図で同時に力を入れるからな」
『はい、わかりました』
「ゆっくりね、ゆっくりお願いよ」
「いくぞ、せーの!」

 受話器片手に二人でタイミングを計り、私の方から妖夢に合図を送る。
 ぐっ、と紫様の体を掴み、力の限り引き上げる。

「『オーエス、オーエス!』」
「いた、いたたた! 二人とも、もっと優しく……」
「『ワッショイ、ワッショイ!』」
「お腹が、千切れる! イタイイタイ!」
「『ソイヤ、ソイヤ、ソイヤッサ!』」
「ひぃぃぃーーーーっ!!」

 私は紫様の肩を引っ張り、妖夢は尻を体全体で押し上げる。
 だが、それでも尚、紫様の体はスキマに挟まったままビクともしない。
 ある程度予想は出来ていたが、妖夢が加わった位じゃ話にならないようだ。
 
「はあっ、はあっ、よ、妖夢、ちょっと休憩しよう」
『そ、そうですね、しかし、全く動きませんね……』
「痛いって言ってるのにぃ~、二人とも酷いわぁ~」

 うーむ、これじゃあいくら援軍を呼んで来ても、スキマから救出する前に紫様の体が引き千切れてしまう。。力任せではなく、もっと別の方法を考えるべきだろうか。
 いや、一度バラバラに千切って、後で縫い付けるって手もアリかもしれないな。ブラックジャックでそんな話があった気もするし。

「さて、どうしたものかな……」
『もう一度やってみますか?』
「いや、これ以上やっても結果は同じだろう。もっと別のやり方を考えなくては」
『別のやり方、ですか?』
「例えば、痩せるまで待つとか。妖夢、紫様が痩せるまでシモの世話をお願いできるか?」
『えっ……!?』
「それが一番確実な方法だと思うんだ。妖夢の協力さえあれば実現できるんだが」
『え、あの、その……』
「嫌か? それなりに報酬は用意するつもりだが」
『いえ別に嫌とかじゃなくて、紫様は幽々子様の大切な御友人ですし、協力は惜しまないつもりなのですが、私には幽々子様のお世話もありますし、半人前の私じゃ二人も相手をしきれないって言うか……。良いか嫌かって言えば、その、嫌ですけど……』
「……嫌なんだな」
 
 妖夢が嫌なら仕方が無いな。

 しかし、このままで放っておけば、妖夢の意思に関係なく、
 強制的に白玉楼でシモの世話をさせる羽目になる。
 幽々子の気まぐれな命令に翻弄され、その合間に紫様の下着の交換をする妖夢。

 なんて憐れな。グリム童話ですらこれほど悲惨な生活の少女はおるまい。
 そのうちストレスでプッツンして、今度は本気で紫様の尻を斬り潰しそうだ。
 ああ、痩せるまで待つのは無理だ。もっと他の方法は無いものか?

「ほら、紫様も何か考えてくださいよ。誰の為にこんな苦労してると思ってるんです?」

 紫様に話を振る。

「……!!」
「? 紫様?」

 返事は無い。
 紫様の顔を覗き込むと、その顔は引きつり、額には大粒の汗が滲んでいた。

「ど、どうしたんです?」
「……い、い……」
「い?」
「痛い、痛いの!」

 紫様の様子がおかしい。
 顔から血の気が引き、両目は真っ赤に充血し、
 悶えるようにバタバタと両手を動かし、悲鳴に近い声をあげる。

「痛い、イタイ! な、何なのよコレ!!」
「落ち着いてください紫様、一体何があったんです?」
「お、お尻が熱い! 熱いのぉ! 痛い、死んじゃうぅぅ!!」
『な、何かあったんですか? 何か暴れてるような声が聞こえますが……』
「妖夢、なにやったのよ! 貴女に押されてから、お尻が痛くてしょうがないわ! さっきの刀傷が焼け付くように痛いのよ!」 
「……だそうだが、妖夢、なにかやったのか?」
『えっ、そんな。お尻を切り刻んだ以外は何もしてませんよ』

 普通に考えたら、その行動も異常なのだが。

『あ、そういえば』
「何か心当たりが?」
『紫様の尻を追いかける前、幽々子様に頼まれてキムチを漬けていたんです。もしかしたら、それかも……』
「……どう考えてもそれだろ」
「ひぎぃぃぃぃ! カプサイシンがお尻に染み込んでいくぅぅ!! カ、カ、カムサハムニダーッ!!!」

 八雲家に、本日二度目の絶叫が響き渡った。










◆◇◆










 紫様がスキマに挟まってから、早二時間が経過した。
 尻を斬ったり、尻に香辛料を塗りたくったりしてる内に、随分と時間を食ってしまった。
 だが、私達が様々な手を尽くしたにも関わらず、紫様の体は挟まったときと全く変わらず、
 相変わらず、上半身だけをこちらに出した状態で固定されている。

「どうです、痛みは引きましたか?」

 騒ぎの発端、紫様はすっかりグロッキー状態。
 テレビから出てくる某怨霊のように、力なく上半身をはみ出させている。

「まだヒリヒリする……」
「そうですか、でも妖夢がちゃんと洗ってくれたみたいだし、すぐに良くなりますよ」
「ううう……、なんで私のお尻がこんな目にあわなきゃいけないの?」
「さあ? 尻を司る神様の怨みでも買ったんじゃないですか?」
「どうやったらそんな器用なマネができるのよっ!」

 わっ、と泣き崩れる紫様。

「泣かないでくださいよ鬱陶しい。日本刀の傷にキムチを塗りこむ、斬新な日韓外交だと思えば良いじゃないですか」
「二国の交渉テーブルに私のお尻を使わないで頂戴! お尻をキムチで赤く染めただけで国交正常化に繋がるんなら、外務省も苦労しないわよ!」
「あ、それGロボの新エピソードみたいで格好いいですね。『尻が赤く染まる日』」
「うう、こんな姿で生き恥を晒すのは辛いわ。助けて、マスク・ザ・レッド!」

 紫様の顔には、明らかな疲れの色が浮かんでいる。
 早くしないと、例え救出できたとしても、ストレスで寝込んでしまうかもしれない。
 私もまだまだ若い身だ。寝たきり老人の世話をするにはまだ早い。

 しかし、本当にどうしたものか。
 力任せでは救出できない事は、私と妖夢が身を持って証明したし……。

 ちなみに白玉楼との通話は、「これ以上、妖夢に手伝わせると、今度こそ私の命が危ない」という紫様の希望で、一旦切ってある。
 まあ、紫様の主張も分からないでもないが、自分達のテリトリーである白玉楼で、物言わぬ尻と二人きりで過ごす羽目になった妖夢を想うと同情を禁じえない。
 この一件が片付いたら、お礼に芋羊羹でも持っていってやろう。多分、主の胃に入るだろうが。

「せめてスキマがもうちょっと広がったらなぁ……」
「だから、それは無理だって言ったでしょ? このサイズが限界なのよ」

 本当かなぁ。
 あと数cmでも広がれば、どうにかなりそうな気がするのに。

 考えを巡らせながら、スキマを眺める。
 確かに、紫様の体はスキマと密着し、糸の一本すら入り込めそうも無い。
 うーむ、なんとかして広げる方法は無いかなぁ。

「ん? これは……」

 紫様の真横に回ったところで、私はあるものを発見した。

「……リボン?」

 紫様のちょうど横腹辺りに、不自然に張り付いたリボン。
 はて、こんなところにリボンなんて付いていただろうか?

「ああ、それはスキマを結んでいるリボンね」
「スキマの?」
「そ。ほら、私のスキマって両端にリボンが結んであるじゃない?」
「……そういや、確かにそんなものもあった気がします」
「このリボン無いと形が保てないし、中の物がどんどん零れ出てきちゃって大変なのよー」

 そういう服のデザインかと思ったが、スキマに付いてるリボンだったか。
 腹にぴっちりとくっ付いてるせいで、今まで存在に気付かなかった。

 と、ここで私の頭に一つの考えが浮かんだ。

「……紫様、このリボンを解いてみては?」

 先ほどの紫様の言葉からすると、このリボンはスキマの入り口を調整する為に使われているのだろう。
 だとしたら、そのリボンを取っ払ってしまえば、僅かだが余裕が出来るに違いない。

「なるほど。名案だわ、藍!」
「ええ、そうと決まったら早速始めましょう」

 八方塞がりだった救出作戦に、僅かだが光が見えた。
 早速、私は紫様の横腹に手を伸ばし、リボンを解きにかかった。

「……」
「なんで今まで気付かなかったのかしら、これで外に出られるわ!」
「……んっ!」
「ほら、藍、早く解きなさい! もう、拘束状態はこりごりよ!」

 リボンの結び目に指をかけ、力の限り左右に引っ張る。
 だが、ただの布で作られてるハズのリボンは、
 まるで金属のように固く、まるで解ける気配がない。
 なんてこった、これさえ解ければこの下らない騒動から解放されるってのに。

「……ダメですね、固過ぎて全く解けません」
「ええっ、そんなぁ! なんでそんな固く結んでるのよ!」
「知りませんよ、結んだのは紫様でしょう! 大体、なんで固結びなんですか! 解きにくいし見栄えも悪いですよ!」
「だ、だって面倒だったんだもん!」

 ええい、ここまで来てこれか!
 だが、ここで諦める訳にはいかない。

「仕方がありません。リボンを切りましょう」

 要は紫様が救出できればいいのだ。
 リボンなんて新しく付け替えれば問題は無いだろう。

「このリボン、切っても平気ですか? 高価なものじゃ無いですよね?」
「構わないわ。遠慮なく切って頂戴、ここから出られる事を考えたらリボンの一枚くらい惜しくないわ」
「そうですか。まあ、切るなって言われても切りますが」
「……そうだろうと思った」
「では、私は切る物を探してきますので、しばらく待っていてください」

 紫様をその場に待たせ、私は駆け足で物置に向かった。

 ただ布を切るだけなら、台所の包丁やナイフでも構わない。
 が、固く結ばれたリボンを切るには普通の刃物では勝手が悪い。
 それに、リボンは紫様の横腹に密着しているので、うっかり手を滑らせたら大変なことになる。
 私が今持ってこようとしているのはハサミだ。ハサミなら安全、かつ確実にリボンだけを切ることが出来る。

 八雲家の雑貨が適当に放り込まれている物置を開け、
 ダンボールの山に身を乗り出し、ハサミの捜索を始める。
 さて、最後に使ったのはいつだったか……。

「あっれー? 見つからないなー?」

 ところが、すぐに出てくると踏んでいたが、以外にもなかなか出てこない。

 うーん、そうか。八雲家じゃハサミってあんまり使わないしな、
 モノを切るときは私の爪を使ったほうが、早くて便利だし。
 もしかして、最初からこの家にはハサミが無かったのかも。

 だとしたら、リボンを切るのにはもっと別のモノを使わなければならない。
 さて、この物置の中にそのようなものがあったかどうか……。
 更に奥深くのダンボールに手を伸ばす。すると……。

「おっ、これは……!」

 物置の奥に隠れるように置かれていたあるモノ。
 おお、こんなものが八雲家にあったとは。
 いいぞいいぞ、ハサミよりもこっちの方が好みだ。

「らーんー、まーだー?」

 居間から紫様の呼ぶ声が聞こえる。
 よし、これを持って急いで居間に戻ろう。
 そして、紫様を救出するのだ!






「紫様、お待たせ致しました」

 物置で発見したものを尻尾で抱え、紫様を待たせてある居間に戻る。

「もう、遅い! 早くリボンを切って私を自由にして!」

 私が入るや否や、不満を垂れる紫様。

「その件なんですが、残念ながらハサミは見つかりませんでした……」
「ちょっと! じゃあどうするのよ!」
「安心してください、そこの物置でハサミよりも便利なものを見つけてきましたから」
「?」

 尻尾を巧みに動かし、見つけたモノを手に移す。

「見てください、この立派なチェーンソー。これならリボンだろうが何だろうが、難なく真っ二つですよ!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁーー!!!」

 両手に感じる確かな重量、ぎらりと輝く無数の刃。
 神も一撃で真っ二つ、まさに最強の名に相応しいこの一品。
 これで切れぬものなど、私と橙の絆ぐらいなものだ。
 紫様も叫ぶほど喜んでくれた。良かった良かった。

「よし、じゃあエンジンを入れますよ!」
「ら、藍! 嘘でしょ……ひぎゃああぁぁぁぁ!」 

 エンジンをかけると、野獣の咆哮にも似た爆音と共に、刃の回転が始める。
 さあ紫様、今助けてあげますからね。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい藍!」
「動くと危ないですよー」
「話を聞きなさい! アンタ自分でおかしいとは思わないわけ!? コラ、こっちに近づけるんじゃない!」
「……近づけなきゃ切れませんから。おかしいって、何処がですか?」
「さっきナレーションで『ハサミ以外は紫様の体を傷つける』って言ってたじゃない! なのに何で最終的なチョイスがチェーンソーなのよ! 普通の刃物よりも遥かに危険度が高いじゃないの!」
「その辺はまあ、妥協しました」
「なんでそこを妥協するのよ! 一番重要な所でしょ!?」
「慎重に使いますから大丈夫ですよ。ま、仮に失敗しても腹の肉が削ぎ飛ぶ程度、新しいダイエット法だと思えば大したことありませんって」
「そんなスプラッターなダイエットは嫌よ! 内臓の飛び出した血塗れのウェストなんて、一体どの層に需要があるって言うのよ!」
「Y太とか」
「やめて! 古葉美一は嫌っ!」

 なんだよ、せっかく確実に助かるチャンスだってのに。
 エンジンを止め、チェーンソーを床に置く。

「はあっ、はあっ……ら、藍が突然狂っちゃったのかと思ったわ」
「私はいつだって冷静ですよ。冷静じゃない時以外は」
「うっさい! 早くそのチェーンソーを仕舞って来なさい!」
「一番確実に助かる方法だと思ったんですけどねぇ」
「うう、藍が、藍が怖いの……」
 
 はあ、これでまた振り出しに戻ってしまったか。
 紫様の顔には脂汗が浮かび、それが床に垂れ畳に染みを作っている。

「……藍、ちょっといい?」
「はい?」

 チェーンソーを抱え、物置に向かおうとした私に紫様が声をかける。

「……今の生活に、不満とかある?」
「いえ? 別にありませんが?」
「そ、そう……」
 
 なんだそりゃ?
 確かに、紫様の世話は手がかかるし、気まぐれに付き合わされる方はたまったもんじゃないが、特に不満と言われても……。

「じゃ、じゃあ、私の事、好き?」
「……ええ」
「たまに、腹が立ったり、憎く思ったり、こ、殺したいなって思うことはない?」
「……」
「……」
「……チェーンソー戻してきますね」
「な、なんで黙るのよ、答えなさいよぉ! らーんー!!」

 式神はいつだってマスターの指示通りに動くんです。
 だけどもし、従順な筈の式神の行動に疑問を感じたら……。

 それは多分、マスター自身に問題があるんですよ。










◆◇◆










「しかし、本当にどうしましょうか」

 この台詞も、今日だけで何回言ったか分からない。
 今まで、紫様を救出するために様々な手段を講じてきたが、
 全て失敗、もしくは拒否され、自体は全く進展しない。

「力任せもダメ、痩せるのを待つのもダメ、確実な手段であるリボン切りも、紫様が嫌がってダメ。これじゃあ手の打ちようがありませんよ」
「な、何よその言い方! まるで私が悪いみたいじゃない!」
「別にそうは言ってませんよ。ただ、そろそろ50kbなのでシメに入りたいだけです」
「はぁ? 何の話よ!?」
「式神にありがちなバグです。気にしないでください」

 はぁ、と深い溜息をつく。
 参ったなぁ、本当にこれ以上はアイデアが浮かばないぞ。

「もうスキマはこりごりだ~。チャンチャン」
「そこ! 無理矢理シメに持ってこうとしない!」
「そうは言ってもですねぇ……」
「私に考えがあるの。諦めるのはまだ早いわ!」

 紫様の目がキラリと光る。
 考え? まだ脱出する手段が残っているのだろうか。

「藍、今から私の言うものを持ってきなさい」
「……? わかりました」
「よく聞きなさい、まず最初は台所の洗剤、次にサラダ油、ワックス……」
「ワックス、ですか? 一体何に……?」
「いいから、早く持ってきなさい!」

 怒鳴られた。
 意味は分からないが、とりあえず指示に従い、言われたものを持ってくるとしよう。
 私が考えうる手段は全て試した。後は紫様のアイデアに全てを懸けるしかない。

 紫様に言われたとおり、台所から洗剤とサラダ油。
 さっきチェーンソーを片したばかりの物置から、ワックスを持ち出し紫様の下へ戻る。
 何かベタベタするものばっかりだな。なんだろう、このチョイスは。

「紫様、全部持ってきました」
「そう、ありがとう藍」
「しかし、本当に何に使うんですか? 喉が渇いたのなら冷蔵庫に麦茶がありますよ」
「飲むわけないでしょ! これは、私がスキマから出るために使うのよ!」

 紫様の説明によると、このような計画らしい。

 今までの経験から分かるように、紫様はスキマにぴっちりと挟まっている。
 スキマが肉に食い込み、一体化してしまっているのだ。
 力だけでは、どうあっても救出することは出来ない。

 そこで紫様は、スキマと体の間に新たな『モノ』を入れる事を考えた。
 新たな『モノ』が間に入り込むことによって、体とスキマの間に余裕が生まれ、
 上手くいけばスキマから脱出できる。との事だった。

「で、そのモノってのが……」
「そう、今もって来て貰った洗剤やサラダ油よ」
「はぁ……」
「これらで私の体にコーティングを施せば、そのぬるぬる力でスポーン! と華麗にスキマから脱出できる筈よ! さっき藍にチェーンソーを突きつけられた時に、恐怖で体中が汗まみれになっちゃって、そこから閃いたのよ! どう、凄いでしょ?」

 なるほど、分かりやすく言えば潤滑油か。
 錆付いて動かなくなった機械も、油を注せばまた動き出す。
 狭い空間に挟まっても滑りのある液体を使えば、簡単に出入りが可能になる。
 流石は紫様。私もその手は思いつかなかった。
 つまりこの方法、ぶっちゃけて言えば……。

「下ネタですよね」
「下ネタじゃないわよ!」

 たとえ下ネタでも、この事態が解決するなら贅沢は言ってられない。
 早速、紫様の指示の下、実行に移すとしよう。

 まず、私は缶に入ったサラダ油を手に取る。

「これを腹とスキマと間に流し込めば良いんですね?」
「そうよ、まんべんなく、均等に染み渡るようにね」

 缶の蓋を外し、ゆっくりとサラダ油を流し込む。
 どろりとした黄色の液体が、じわじわと紫様の服に染み込んでいく。
 若干、溢れた分が床に垂れてしまったが、見た感じ、ちゃんとスキマの内部まで油が届いているようだ。

「どうですか、紫様」
「……うん、さっきよりも楽になった気がするわ。でも、予想はしていたけどこの感触、気持ち悪いわねぇ~」
「スキマから出れたらすぐにお風呂を沸かしますので、少しの間我慢してください」
「ええ、分かってるわ。この『オペレーション・秋山』が、私達に残された最後の手段だものね」
「怖い団体から抗議が来そうな作戦名付けんで下さい」

 空になったサラダ油の缶を置き、台所用洗剤を手に取る。
 油のヌルヌルが効してか、さっきまでは全く動かなくなった紫様の腰が、
 若干だが左右に振れるようになったようだ。
 うん、このまま続けていけば必ずや紫様を救出できるだろう。

「それじゃあ、次は洗剤いきますよ」
「よろしくお願いね。目に入らないように注意して」
「分かりました、では……」

 容器の口を紫様に向け、洗剤を発射しようとしたその時。


「……藍、何か音が聞こえない?」
「廊下からですね。……あの音は、電話?」

 先ほど、白玉楼との通話に使った電話が鳴り出した。

「やれやれ、一体誰だ? こんな時に」

 電話のベルは鳴り止まない。
 何の用事か知らないが、このまま無視をするわけにもいくまい。

「紫様、すぐに戻ります。それまで油をよく体に馴染ませておいて下さい」
「分かったわ。でも、できるだけ急いでね」

 手に持った洗剤をちゃぶ台の上に置き、私はその場を離れる。
 廊下で鳴り続ける電話から、私はゆっくりと受話器を取る。

「もしもし、八雲だが」
『あっ、藍さんですか?』

 受話器から聞こえてきたのは、聞いた覚えのある少女の声。

「……妖夢か?」
『はい』

 間違いなく、電話の相手は妖夢だった。
 どうしたのだろう。いつまで経っても紫様の尻が消えないから、痺れを切らして電話をかけてきたのか。
 これは大変だ。早くしないと、また妖夢に尻を切り刻まれてしまう。

「すまないな、紫様の救出はもう少しかかる」
『あ、いえ、その事じゃなくて……』
「?」
『えっと、その事といえばそうなんですけど……』

 どうやら痺れを切らしたわけでは無いようだ。

『その、紫様の事なんですけど……』
「紫様? 紫様がどうかしたのか?」
『あの、その……』
 
 妖夢の歯切れが悪い。言い難い事だろうか。
 紫様が何かを仕出かしたのか? 
 いや、スキマに挟まって能力が使えない紫様が、妖夢に何か出来る筈が無い。

「妖夢、もっとはっきり言ってくれないか?」
『え? あの、良いんです、私は全然気にしてませんから!』
「気にしてない? 何の事だ?」
『ゆ、紫様だって妖怪ですもんね。長い間あんな状態でいたら、我慢できなくなって当然ですよね!』

 我慢が出来ない? どうも一向に話が見えない。
 ここは強引に切り上げて、早く救出に戻るべきだろうか。

「よく意味は分からないが、重要な話じゃないなら一旦切るぞ」
『あっ、待ってください!』
「……」
『え、あの……』
「言うのなら、ちゃんと要点だけを話してくれ」
『あ、はい、分かりました……』

 ようやく妖夢が重い口を開き話し始める。
 やれやれ、一体何の話があるって言うんだ?

『そ、その……ゆ、紫様のお尻からですね……た、垂れてるんですよ』
「垂れてる? 尻がか? それはデフォだぞ」
『あ、いえ、そうじゃなくて……もっとこう、液体的なものがですね』
「……」
『いえ、別に嫌ってワケじゃないですよ! あれだけ長い間放置されていたら、私だって耐えられるか分かりませんし!』

 ふむ、だんだん妖夢の言いたい事が分かってきた。
 つまり妖夢は、紫様が我慢できずに『漏らした』と言いたいのだな。
 そりゃ言い難いはずだわ。どもっていたのも納得だ。

『私、こういう現場に居合わせるの初めてでして……その、どうしたら良いのでしょう? そ、その、やっぱり脱がすべきなんでしょうか?』

 それで、妖夢はその対処法を私に聞くために電話したと。ふぅ、やっと話が一本に繋がった。

 ……だがおかしいな。
 チェーンソーやサラダ油を探すとき以外は、私はずっと紫様の側にいたが、
 『そのような』仕草は全く見られなかった。何かの間違いではないのか?

 まあ、もしかしたら紫様は『ポーカーフェイスで排泄ができる程度の能力』の持ち主かも知れないが、
 私の知っている限りでは、紫様にその様な能力は無い。
 というか、仮にそんな能力持ってたら、その場で式神辞めさせてもらうわ。

 だとしたら、考えられるのは妖夢の見間違えだな。
 恐らく妖夢はスキマの中に流したサラダ油が、
 紫様の尻を伝っているのを見て勘違いをしてしまったのだろう。

「妖夢」
『は、はいっ』
「悪いが救出が終わるまで、そのままにしておいて貰えないか?」
『そ、そのままですか……?』

 ここでまた妖夢が早とちりで、油を拭き取ったりしたら、
 順調に進んでいる作戦が最初からやり直しになってしまう。
 油が垂れっぱなしでは白玉楼の畳にシミを作ってしまうことになるが、、
 その辺に関しては修繕をかねて後日、紫様と謝りに行けば済む話だろう。

『……わかりました』

 妖夢も分かってくれた。
 こういう素直なところは好きだな。
 
「もうすぐ終わりそうなんだ、嫌だろうが我慢してくれ」
『いえ、そんな……藍さん、頑張ってください』
「ああ、ありがとう」
『あ、それじゃあ、服が濡れたままじゃ気持ち悪いだろうと思って、紫様の下に置いた火鉢もどかしておいた方がいいですか?』


 ……あ?


「……妖夢、今なんて言った?」
『え? 藍さん、頑張って……』
「もっと後! 最後の部分!」
『……ひ、火鉢をどかしておいた方が……』
「……火鉢?」
『……はい』

 火鉢、火鉢と言いましたか妖夢さん。
 紫様の下には今、火鉢が置かれているんですか。
 そうですね、そういえば妖夢には言ってなかったですね。
 紫様から垂れている液体、あれは実は尿じゃないんです。サラダ油なんです。

 体中油まみれなのに、そんな近くに火鉢なんて置かれたら、一体どうなるか……。









「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!」











 本日三度目。もう遅かったみたいだ。


『な、ゆ、紫様の体がいきなり火が付いた!?』
「妖夢! 急いで火を消せ! 上半身はこっちでなんとかする!」

 受話器を投げ捨て、居間に向かって全速力で駆ける。
 予想通り、居間からは大量の煙が溢れ、
 障子には炎に巻かれて悶え苦しむ紫様の影が映し出されていた。

「紫様っ!」

 服の袖で口を覆い、障子を蹴破り居間に突入する。

「紫様、ご無事ですかっ!?」
「熱い、熱いぃぃぃぃ! 藍っ! 助けてぇぇー!!」

 紫様の体は文字通り火達磨。
 サラダ油を流し込んだ腰辺りを中心に、凄まじい勢いで燃え盛る。

「紫様、今行きますっ!」

 空いた片手で煙を払い、紫様の元へ駆ける。

「ら、藍っーー!!」
「紫様ーーっ!!」

 その時、私は見た。
 紫様の体を飲み込む炎が、スキマを縛るリボンを焼き払うのを。
 そして、リボンの束縛から解放されたスキマが、少しだけ広がるのを。

「ああああぁぁぁぁぁぁぁーーー……!!」

 次の瞬間。紫様は私の目の前から姿を消した。
 紫様を挟んでいたスキマが、リボンが無くなった事で広がり、
 つっかえるモノが無くなった紫様の体は、そのままスキマの中に落ちていってしまったのだ。

 そして、呆然とする私の前でスキマはゆっくりと閉じていき、その姿を消した。



「……終わった、のか?」



 自然と言葉が口に出た。

 紫様はスキマの束縛から解放された。
 多少予定とは違うが、これで目的は達成されたのだ。
 『紫様をスキマから救出する』という目的は。

「……いや、まだだ」

 まだ終わっちゃいない。救出した本人が消えてしまっては意味が無い。
 まずは、紫様の安否を確認しなければ。

 あのスキマは、白玉楼に通じていた。
 ならば、紫様は白玉楼に落ちていった可能性が高い。
 私はすっかり煙の晴れた居間を後にし、そのまま空に飛び立った


 向かうは、白玉楼だ。










◆◇◆










「はあっ、はあっ……し、死ぬかと思ったわ」
「だ、大丈夫ですか、紫様」
 
 肩で息をする私を、妖夢が心配そうに覗き込む。

「大丈夫よ、ありがとう妖夢」

 何故こんな目にあったのか。
 落ち着いた今、考えてみても意味が分からない。

 私はあの時、電話に向かった藍の言いつけを守って、
 服に油を染み込ませるべく、狭いスキマに挟まれながら腰の運動を続けていた。
 あの時から、なんだかお尻が暖かいな、とは思っていたが、
 運動による発熱だとその時は思っていた。

 次の瞬間、私は炎上した。

 発火元は多分お尻だったと思う。
 油の染み付いた私の体は一気に燃え上がりし、
 なにがなんだか分からないうちにスキマから解放され、
 そして白玉楼に落ちた私は、水の入ったバケツを持った妖夢に火を消してもらったのだ。

 一体何故こんなことに? 突然、尻に火が付いた意味が分からない。
 先日、火を司る神様を強引に海水浴に誘ったのが原因か!?

「とにかく、助かって良かったですね」

 妖夢がにっこりと笑いかける。

「……そうね。貴女のお陰で随分、体のある部位にダメージを受けたけど」
「そ、それは……す、すいません」

 しゅん、と頭を下げる妖夢。

「ふふ、別に良いわよ。そんなに悲しそうにしない」
「えっ?」
「妖夢のそうやって素直に非を認める所、私は好きよ。ウチの藍にも見習わせたいぐらい」
「は、はぁ……」

 確かに妖夢には色々と酷い目に合わされた。
 だが、それも喉元過ぎればなんとやら、妖夢だってわざとあんな事した訳じゃあないしね。
 スキマから出る事が出来た今では、そんなこともいい思い出だ。

「それに、今回は私の自業自得な所もあるのよね。藍から聞いたでしょ?」
「えっ、そ、それは……太りすぎとか、そういうヤツですか?」
「ハッキリ言うわねぇ妖夢」
「えっ、す、すいません……」

 本当に素直でいい子だわぁ。藍にもあんな時期があったのにねぇ。

「ま、その通りよ。流石に今回は藍に従ってダイエットでも始めようかしら?」
「ええ、今回みたいな事がまた起きたら大変ですもんね」
「あーあ、白玉楼のオヤツつまみ食いももう出来なくなるのねぇ。あの桜餅美味しかったのにぃ」
「はは、そうですね……って、紫様! 桜餅がたまに減っていたのは貴女の仕業だったんですか!?」

 あら、バレてたの? 白玉楼の食料管理能力は尋常じゃないわね。

「勘弁してくださいよぉ、幽々子様に怒られるのは私なんですからぁ」
「良いじゃないの、桜餅の一つや二つ。また買えば問題ないでしょ?」
「あれは、そんじょそこらの桜餅とは違うんです!!」

 そうなの? 確かにほっぺが落ちるほど美味しかったけど。
 出来ることなら売ってるお店とかを教えてもらいたいわね。

「も~、アレ買うの苦労したんですからぁ~」
「何よ、餅ぐらいでそんなに怒らなくたっていいじゃない! いいわよ、今度私が買ってきてあげる」
「それは無理ね。あの桜餅は一日限定三十個しか作られないの。開店してから僅か十分で完売もザラ。貴女みたいな寝ぼすけに買える代物じゃないわ」

 あら、それは困ったわ。私、早起きは苦手なのに。
 藍にお願いして買ってきてもらおうかしら。
 ついでに私の分も買ってきて欲しいな。
 ダイエット? 食べてから始めても遅くないわよ。

 ……って、アレ?



「久しぶりね紫。随分と面白そうな話をしてるじゃない?」
「!! ゆ、幽々子……帰ってたの?」

 いつの間にか、背後で私を見下ろすように幽々子が立っていた。
 なんてことだ、私ともあろうものが全く気配に気付かなかった。

「おかえりなさい、幽々子様。楽しんでこられましたか?」
「ええ、楽しかったわ。リングの上で情けなく命乞いをするリグルと、それを一切聞き入れずに彼女に襲い掛かり、会場を血の海に変えるキモけーね。こんなに興奮したイベントは始めてよ」

 幽々子が妖夢に優しく微笑む。
 だが、私には分かる。その笑顔の裏で、私に向けてドス黒い感情を向けているのを。

「ところで紫……」
「ひっ!」

 思わず短い悲鳴をあげる。
 それほどまでに恐怖を感じる一言だった。

「私の楽しみにしていた桜餅……食べちゃったんですって?」
「え、そ、それは……」
「妖夢に聞いたでしょ? アレ、凄く美味しいって評判なの。苦労してやっと買えて、帰ってきたら食べようと楽しみにしてたのに……」

 言葉の一つ一つがまるで氷のように冷たい。
 死を操る幽々子が放つ、極めて純粋な殺意。
 幽々子が喋るたびに、私の体が徐々に死んでいく感覚。

「ゆ、幽々子、違うのよ!」
「違う? 何が違うのかしら?」

 言ってはみたものの、何も違わない。
 私が桜餅を食べた事はまぎれも無い事実。
 そして、それは幽々子にも知られてしまった。

 あれ? これってハマり? 逃げ場なし?
 もしかして私、洞窟の入り口に飛空艇を着陸させちゃった?

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。私、今あんまり桜餅って気分じゃないの」
「ひ、ひぃっ……」
「格闘技を見て来たせいかしら? 今はとってもお肉が食べたい気分なの」

 嗚呼、私はなんて愚かなんだ!
 幽々子の食べ物を狙う、という事がどのような結果をもたらすか、
 彼女の食い意地の張った性格から考えれば、すぐに分かる事じゃないか!

「紫……、貴女ってば程よく焼けてて、お尻に切れ目も入って、まるでステーキみたいで……」

 藍っ! 助けて! マスターのピンチよっ!

 お願い、早く助けに来て! 
 規則正しい生活を心がけるから!
 適当に思いついた話を無理に聞かせないから! 
 お昼がソーメンでも文句言わないから!
 間食は控えて、ちゃんと運動もするからっ!

 だから、藍! お願いっ!


 藍っ!















「とっても美味しそう」













◆◇◆ 










 八雲家から出発してから、大体十五分ほどで白玉楼に到着した。
 全力で空を駆けたおかげで、今までかつて無い好タイムだ。
 さあ、早く紫様の安否を確かめねば。

「紫様っ! 今参ります!」

 挨拶抜きに、私は白玉楼の中に駆け込んだ。
 白玉楼は庭も広ければ建物内も異常に広い。
 一部屋ずつ調べて行っては時間がかかり過ぎてしまう。

 私は神経を集中させ、建物内に漂う空気を嗅いだ。
 紫様は炎に包まれながら白玉楼に落ちた。
 ならば、焦げた匂いのする方向に紫様はいるはずだ。

「……こっちか」

 庭からの風に乗って、微量の炭の匂いが漂ってきた。
 私は慎重に匂いを嗅ぎながら、目的の方向に歩みを進めた。


「この部屋に間違いないな、紫様っ!」

 炭の匂いを頼りに廊下を進んでいくと、
 明らかに匂いの発信源である一室にたどり着いた。
 紫様の無事を確かめるべく、勢いよく障子を開ける。

「あら、藍。いらっしゃい」
「あ、藍さん。先ほどは色々とご迷惑をおかけしました」

 部屋の中にいたのは二人。
 白玉楼の主である幽々子と、その庭師の妖夢。
 紫様の姿は無い。

「……幽々子様、紫様をご存知ないですか?」

 私の言葉に、妖夢がピクリと反応する。
 その行動は、明らかに何かを知っている反応だった。
 私が妖夢を問いただそうとすると、幽々子が遮るように口を開く。

「紫はねぇ……旅に出たの」

 優しく微笑み、まるで母のような口調で話す幽々子。

「旅……ですか?」
「そうよ。紫から聞いたわよ、太りすぎたせいでスキマに挟まっちゃったんですって?」

 幽々子は笑顔を崩さぬまま言葉を続ける。

「紫はね、今回のことで藍や妖夢に迷惑をかけた事をとっても反省しているの。だから、紫は旅に出たの。弛んだお腹にサヨナラして、引き締まったウェストを取り戻すダイエットの旅に」

 ダイエットの旅? 馬鹿な、紫様が自主的にそのようなことをするものか。

「幽々子様、しかし……!」
「これ以上は言えないわ。貴女には秘密にしといてくれって頼まれたんだもの」
「……」
「安心しなさい、紫はそれこそ幽霊かと見間違えるほど痩せて帰ってくるわ。まるで余分な脂肪が溶かされたかのようにね」

 ふふっ、と幽々子は小さく笑う。
 その笑みは天然か、それとも演技か。
 私にはそれを見抜くことは出来そうも無かった。

「……妖夢」
「紫様は旅に出られました。それ以上は何も知りません」
「いや……」
「紫様は旅に出られました。それ以上は何も知りません」
「……」

 妖夢は壊れたレコーダーのように、同じ答えだけを繰り返す。

 ……二人を問い詰めてもこれ以上の情報は得られそうも無いな。
 彼女等は確実に紫様の行方を知っている。だが、それを聞き出す手段は無さそうだ。

 仕方が無い、紫様のことは二人に任せるとしよう。
 数ヶ月もすれば、何事も無かったかのように突然帰ってくるだろう。
 その間にどんな目にあっていようが、私の知るところではない。
 だらけた生活を送っていた紫様の自業自得と言うわけだ。
 なに、あの常識外れの紫様のことだ。少なくとも死ぬ事はあるまい。

「……分かりました。紫様の事をよろしくお願いします」
「ええ、何かあったらすぐに連絡するわ」
「紫様は旅に出られました。それ以上は何も知りません」

 私は幽々子に軽く会釈をし、振り返って部屋から出た。
 そして、部屋の障子を閉める前に、私はふと気になり幽々子に話しかけた。

「……幽々子様」
「ん、なあに?」
「幽々子様も、少し太り気味じゃないですか? 気をつけないと、紫様みたいにどこかに挟まってしまいますよ」
「んま、失礼ね! レディーに向かってそんな事をいうなんて!」
「そうでしたね。すいません、軽率でした」

 私はもう一度、幽々子に向かって礼をし、そのまま障子を閉めた。


 部屋を出る直前に見た幽々子のお腹は、
 まるで妊娠しているかの様にぽっこりと膨らんでいた。
 ただでさえ大食漢の幽々子だ。白玉楼でも今回のような事件が起こらなければ良いが。

 紫様はダイエットの旅に出て、私の前から姿を消した。
 本当か嘘かは分からないが、確認する手立てが無い以上幽々子たちの証言を信じるしかない。
 そうだ、紫様はついにやる気になってくれたのだ。嬉しい事じゃないか、私の苦労がやっと報われるのだ。
 そしていつか、かつてのスレンダーなボディを取り戻し、八雲家に帰ってくるのだろう。今はそれを信じようじゃないか。


 不自然に膨らんだ幽々子のお腹から、
 助けを求めるような声が聞こえたのは、きっと気のせいなのだろう。


どうも、ら です。

※ この話には、八雲 紫さんに対して大変失礼な表現が含まれていました。

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コメント



0.4370簡易評価
15.100名前が無い程度の能力削除
盛大に笑わせてもらいました。すっごく面白かったです。
ゆゆ様強え~。食べ物の恨みは怖ろしい。
20.100名前が無い程度の能力削除
読みながら笑いを堪えるのに必死でした。お腹いっぱいです。
22.80名前が無い程度の能力削除
これ なんて すぷらった
23.60名前が無い程度の能力削除
面白かったよ。
でもサラダ油に火はつかんよ。それこそ火にかけて放置でもしない限りwww
あと・・・詐欺はだますほうが悪いんだいっ!!
24.80名前が無い程度の能力削除
複尻フイタwwwwwwwww
26.70名前が無い程度の能力削除
後日・・・巫女の腹が膨らんだ

夢の話にじんときてしまいました どうしてくれる
27.80名前が無い程度の能力削除
これは・・・素晴らしい流れですね。
シリアス→ギャグ→ホラー、そして一人消え去った。
ただ一つ、夢の話で騙されかけた私はどうなるw
あ、この話では詐欺は騙された方が悪いのか・・・・・・
30.100名前が無い程度の能力削除
チェーンソーにふいたwww
33.80名前が無い程度の能力削除
気がついたらホラーにwwww
34.9074削除
紫と藍の関係が素敵です
36.90イスピン削除
洞窟の入り口に飛空挺を止めるのがどういう意味か知りませんが、紫様はいわゆるチェスで言うところのチェック・メイトの状態になっていたのでしょう。
by・後日この話を聞いた完全で瀟洒な従者
40.80名前が無い程度の能力削除
藍様は
複乳じゃ
ないのか
orz
41.90グランドトライン削除
ゆかりんが徹底的に酷い目にあってるのに可哀そうだけど哀れに思えない。むしろ笑ってしまう。

ああ、そうか、普段から困ったちゃんなことばかりしているからか……
みんなも気を付けようね。
42.50名前が無い程度の能力削除
なんだか下品だなと
43.90名前が無い程度の能力削除
現実ネタが特におもしろかった。
ちなみに洞窟に飛空挺着陸はFFネタだね。動けなくなっちゃうの。
44.100名前が無い程度の能力削除
Y太ワロスww
完全に弄られ側に回ってる紫が最高でした
45.90名前が無い程度の能力削除
>「そんなスプラッターな(中略)一体どの層に需要があるって言うのよ!」
>「Y太とか」

麺ツユ吹いた。w
48.90名前が無い程度の能力削除
>尻を司る神様
今誰か新庄君のことを呼んだかね?
54.90名前が無い程度の能力削除
永遠亭光回線なのかwwwテラニートwwwww
55.60おやつ削除
丸呑み!
さぞ食べ出があったことでしょうw
57.無評価名前が無い程度の能力削除
↓↓↓佐山さん何してはるんですかw
58.80カスリま削除
しりりりりりりwwww
59.70名前が無い程度の能力削除
藍様まじクールw
そうめんを嫌うゆかりんの気持ちはよくわかる。
63.100名前が無い程度の能力削除
常時笑ってました、ゆかりんの尻乙www
67.80名前が無い程度の能力削除
なんという尻攻め
あと妖夢は未だに勘違いしてショックを受けてるに違いない
主人があれまみれな尻に食欲を感じるだなんて……
そりゃあレコーダーにもなりますね
73.90名前が無い程度の能力削除
股間にペットボトルっていな中かwww
うp主は引き出しが多過ぎる
76.80やまびこ削除
>「天狗たちが涎を垂らして失禁しながら全裸で踊り狂うほどのスクープよ!」
>「泣かないでくださいよ、尻からしりりりりりりになっただけの話じゃないですか」
あなたのギャグセンスには脱帽せざるをえませんwwwwwww(大爆笑)

過去話のくだりは・・・本当に本当のこと話してたんだよなあ。
その後の夢云々は昔のことを夢に見たのか、それとも湿っぽくなった空気を吹き飛ばしたかったからなのか。
飄々としつつ、実は優しく、寂しがりや、そんな紫が好きです。
78.90名前が無い程度の能力削除
く、まさか、らさんも紫=メリー説を批准するのか!? いや、それはそれでよいものですけどね。
しかし、斬新な日韓外交に全力で笑わせてもらいました。夜中だって言うのに。
79.90名前が無い程度の能力削除
は、腹が……wwwww
特にチェーンソーの場面では笑い転げましたwwwwwwww
83.90名前が無い程度の能力削除
タイトルの『挟まれ』、冒頭の尻毛で某バーガーを想像してしまた!
86.100名前が無い程度の能力削除
藍様最高
90.100名前が無い程度の能力削除
なんという稲中www
98.90名前が無い程度の能力削除
注意書き遅いよ!?
101.無評価グリグルリグル削除
本編もとてもおもしろかったのですが、リグルの命ごいを見てみたいと思うのは私だけでしょうか。
102.100グリグルリグル削除
入れ忘れをお詫びいたします。
109.100名前が無い程度の能力削除
「カプサイシンがおしりに染み込んでいくぅぅー!!カ、カ、カムサムハムニダーッ!!」で腹筋が崩壊しました。

終始、冷静につっこむ藍様も最高でした。
次回作も期待してます。
130.100名前が無い程度の能力削除
ギャグだと思ったら、ホラーだったでごさる