Coolier - 新生・東方創想話

小野塚小町の大罪

2007/08/13 10:16:24
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 今宵は月の見える日か、今宵は雨の落ちる日か。確かめようにも空がない。
 罪人が裁きを待つ部屋には、窓もなければ扉もなかった。特殊な開け方をするからくり箱のよう。無味無臭、無音の暗い立方体の中で、被告人は己の罪を見つめ直すという。
 その日の極悪人には、不思議な落ち着きがあった。闇の中で胡坐をかき、瞳を開き、ただただ前を眺めていた。

 やがて空間に明りが生じた。錆びた燭台に短い蝋燭を載せて、裁判官が現れた。
 木札をくくりつけた特徴的な帽子と、その下の厳格な顔。四季映姫・ヤマザナドゥは、賄賂も媚も受け付けぬ透明な視線を彼女に向けた。
「説明は要らないわね。貴方なら、閻魔の裁きをよく解っているでしょう」
 中指で二度三度、天を掻く。空の切れ間から、使い古された八角形の手鏡が降りた。
 鏡の銀面には、蝋燭の像が映っている。鏡像は揺らめき、燃え盛る炎へと姿を変えた。
「この火の罪は、限界を超えて生き延びようとすること」
 貴方はどうかしら。映姫は鏡の向きを四十度変える。罪人の紅い髪が、気の強そうな表情が枠の中に生じた。見慣れた様だ、もう驚かない。悪人は手を挙げると、弁明をしてもよいかと訊ねた。
「死人に口はありません。ですがあたいには、この通り」
 拒否しても続けるつもりだろう。閻魔は正座すると、頷いて先を促した。かつての部下への情けだと思った。



 浄玻璃の鏡の中で、長身紅髪の死神――小野塚小町は舟を漕いでいた。
 渡るは死者のための河、三途の河。
 乗客はひとりの少女。尾の長い、炎の鳥を連れていた。



 梅雨時の宵のうち。お客様の居なくなった暇な時間に、あたいは此の世の縁で彼女を見つけました。
 彼女は三途の河に裸足を浸して、水遊びをしていました。死神生活の長いあたいでも、三途の河に触れて平気な奴を見たのは初めてで。驚いて声をかけたのが、付き合いの始まりでした。
 名前は、藤原妹紅。大胆にも、彼女は船に乗せるよう命令してきて。駄目なら実力行使だ、貴様を船ごと傷物にしてやると言ってきたのです。図体のでかい燃える鳥を、まるで小石のように放ってきて。
 フェリージャックなんて怖いし、その、ちょっと面白そうだったので乗せてしまいました。



 河の長さを決めるのは、財力、人望、渡し賃。鏡の中の河を、小舟はいつまでも進み続けた。
 客人は無賃乗船。どこまで漕いでも、向こう岸が見えることはない。匙で掬えそうな濃い霧と、寒色の水が果てしなく続いた。
「あちらへ行くには、どうすればいい」
「死ねばいい。そうすれば、お前さんが愛されてさえいれば、渡し賃を得られるだろう。今なら上質な化学繊維の財布とセットで。でも自殺は止めろよ」
 少女は退屈そうに、指先を河に浸けた。一本の線が水面に描かれる。
「なんだ、死なないと駄目なのか」
 音楽会の切符を無くした、里の子供のような口振りだった。
「安っぽく言うなよ」
「安いもん」



 彼の世に行けないと知ると、彼女は諦めました。あたいは丁重に、お客様を此の世へお返ししました。
 後になって、奴の、妹紅の正体を妖怪の噂で聞きました。罪深い薬、不死の薬を飲んだ者だと。信じませんでしたよ、本人に確認を取るまでは。血みどろな証拠を見せられるまでは。
 渡れないと解っていて、妹紅は何度も岸辺にやってきました。あたいのサボター……貴重な休憩の時間を見計らっては、舟を出すよう命じて。あたいは仕方なく、彼岸への永遠のクルーズを繰り返しました。
 彼女は故事に詳しくて、死んだ馬を買う政治の話や、古典茶道の嗜みについて話してくれて。あたいの話に、相槌を打ってくれて。
 終わらない船旅が、楽しくなっていました。

 彼女の気持ちも知らないで。



 三途の河に霧雨が煙る。
 その日も二人は此の世と彼の世の境に居た。雨を掻き掻き、河を掻き掻き、年代物の小舟は進んだ。
 私は死のない身だが、此の河の上に居ると黄泉に片足突っ込んでるみたいで面白い。そう言うと妹紅は舟に仰向けに横たわり、全身で水煙を受けた。
「本当は両足突っ込んでしまいたいけど」
「止めておくんだな。生きられるうちは生きて楽しめ」
 小鳥のさえずりのような舌打ち。あーあ、私はずっと「生きられるうち」なんだけど。不機嫌そうに彼女は寝返りを打つ。薄い板の舟は揺れ、小町は足場に座り込んだ。
「つまらないのか、妹紅は」
「だから此処に居る。何度も試せば、いつかは向こうへ行けるかもしれないだろう」
 指差す先には黒い淵が広がる。深い濃霧に阻まれ、岸辺はおろか僅か先の岩場さえ見えない。
「無い。お前が向こう岸へ至ることは絶対にない。冥府の姫君が、決して満開の桜を見ることがないように」
 唇を噛んだ不死人は、今にも河に身投げしそうだった。
 小町は反対側の足場へ立つと、櫂を河へ沈めた。
「帰ろう。そろそろ客の来る頃だ。また乗せるから」



 舟が半分ほど進んだとき、思い出したように妹紅は言いました。

 でも、あなたもいつかは終わるのでしょう? 役目を終え、老いて、朽ち果てて、蛆が湧くのでしょう。それであちら側へ行って、暮らして、私を忘れる。いかに長寿の妖怪と言えど、いずれは果てる。私はそれを見ることしか叶わない。

 望まずして永久に変じた私の心が、貴様如き下賤の輩に解るものか。



 此の世に着くと、妹紅はすぐに舟を降りた。普段なら、二、三話してからなのだが。
 死神には、己の言葉を反省する暇がなかった。霊魂の列が出来ていたから。先頭の小さな白い魂を乗せると、素早く出航した。
 先刻まで見えなかった向こう岸が、船出して間もなく見えてきた。生前、この魂は優しい人々に囲まれ、愛されていたに違いない。
 妹紅は、どうだったのだろうか。父母がいて、可愛がられていたとして、愛情はいつまで有効なのだろうか。もしも彼女が死んだなら、懐に船賃は現れるのだろうか。時効はありか、なしか。どちらにしても死ねないのなら意味のない勘定か。下賤の輩には、理解できぬ感情か。
 得意の話術は振るわず、舟はいつしか岸に着いていた。純白の魂魄はお辞儀のように一度上下すると、青紫の紫陽花咲く彼岸へと消えた。
「お元気で、きっといい所へ行ける」
 手を振ると、袂から渡し賃の銀銭が落ちた。慌てて拾い上げる。川幅を左右すると同時に、地獄の財布をあたたかにする大事な物なのだから。

「そして、永遠に奴の得られないものでもある」
 鏡中の小町は硬貨を掌に載せ、ぼろ布で包み、船底に隠した。
 浄玻璃の魔鏡は小町の報酬隠蔽の様を、拡大して幾度も再生した。



 いけないことだとわかっていて、やりました。すみません。
 誤魔化せるかもしれないと思ったのです。彼女は人でも妖怪でも幽霊でもない、不死の民。正規の人間の生気を持っていない。ならば、死んだ妖怪に仕立て上げ、偽の船賃さえ持たせれば。おそらく、彼女は死ねる。
 それにこの行いは、罪の重い自殺ではない。あたいの意思で行う殺人だと、自分で納得しました。殺しは、殺した側も、殺された側も罪を問われる。自殺が重罪とされるのは、被害者加害者双方の罪を一人で負うから。殺人なら、あたいも罪を分け合える。

 生きていることはそれだけで罪と、映姫様は言いましたよね。
 終わらぬ生を与える蓬莱の薬は、永遠に罪を積み上げ続ける咎の薬。しかし不死の彼女は、裁かれることはない。
 けれども、彼女に、妹紅にとっては、此の世こそが地獄だった。無限の時間、記憶、忘却、孤独。死後に受けるべき罰を、此の世で受けていた。不条理でしょう。

 救いたかったんです。



 鏡は悪事をゆるりと映す。
 小野塚小町は舟を漕ぐ。禁じられた渡し賃を握って。
 死者のための河を、生者のために進む。
 藤原妹紅は、今日ばかりは河に手を浸さない。
 彩度の低い色彩の広がる三途、その向こうに、赤や黄色、薄桃の点々が煌いてきた。彼岸に咲き乱れる花々。
「見えた、今見えたぞ」
 妹紅は舟の先に寄り、声を弾ませる。かつてこの河を渡った多くの霊魂と同じ反応だ。向こう岸の楽園に、一時裁きの恐怖を忘れる。
「彼岸名物の花畑で御座い。お客様は運がいい、今日は一際輝いている」
 平時の口上を披露し、小町は笑顔を咲かせた。確実に川幅は縮まっている、景色が近い。このままなら行けると確信した。
「ありがとう、小町。これで、願いが果たされる」
「なあに、妖怪のお客様。礼はあちらに着いてから。よりよい裁きを受けられますよう」

 裁きは無慈悲に訪れる。
 鏡の中で、舟が引っくり返った。盥に浮かべた玩具の小舟のように、見えない何かの手によって。
 死神は河に呑まれ、沈んでいく。しがみつこうにも舟がどこだかわからない。手は空を引っかき、霧を掴み、やがて水しか取れなくなった。
 川面に渡し賃が浮かぶ。
 橙色の炎が揺らめくのが見える。妹紅だ。不死人の彼女なら、三途の河に触れても大丈夫。沈むことはない。
 もう二掻きもすれば、彼の世の岸に手が届くだろう。行けばいい。
 不死人を殺してやった。
 小町は悪事の成功に、水中で親指を立てていた。



 映姫様、妹紅は死ねたのですよね。裁きを受けるのですよね。
 お願いです。奴を、もう楽にしてやってください。
 あいつは性質の悪い死神の陰謀で、死に追いやられたんです。そういうことにして、彼の世に迎え入れてください。



 おもむろに筆を取り出すと、映姫は手持ちの棒に罪状を記した。
「何をするための棒か、わかっているでしょう。彼女についてはわかったけれど、貴方もまた裁かれる対象。職務を放棄し地獄を欺いた罪は三途の河よりも永い」
 狭い面を向けて、振りかざす。
「心を改めるまで叩きます。髪が弱り頭蓋が割れ脳が千切れても」
 小町は頷いて俯いた。前に叩かれた時は、耳に傷跡が残った。今度は、耳の生えていた痕となるか。
 風を切って唸る。固く目を閉じる。
 一撃は重く、額にめり込むかのようだった。

「じゃ、その子送ってきなさい。もう生もの拾ってこないで」

 悔悟の棒には、『三途遊泳』『青臭友情』とあった。
「人手が足りないの。早く行ってらっしゃい」
 その子、藤原妹紅は、彼の世の岸を掴まず、小野塚小町を掬い上げたのだった。



 浄玻璃の鏡の外で、死神は舟を漕いでいた。
 渡るは生者のための河、三途の河。
 乗客はひとりの少女。尾の長い、炎の鳥を連れていた。

「行けば良かったのに。掴めばめでたく死人になれた」
「自殺したいかのような口振り。重罪人になって良かったの?」
 たんこぶひとつじゃ済まなかったろうに。小町の赤く腫れた額を見上げ、妹紅は初めてこの河の上で心から笑った。

 此の世の岸が、霧の向こうに広がる。
 花は無いが、この景色も悪くはない。

 彼の世は今は昔。
 岸辺に舟を着けると、蓬莱人は躊躇無く此の世に足を載せた。
 帰り際、「今度は湖で一緒に漕ぎたい」と言ってきた。
 航路は確実に変わりつつあった。
 お読みくださり、ありがとうございました。

 三途の水面に浮かぶ妹紅と小町。水と赤色をイメージして、ゆらゆらと捏ねました。
 
深山咲
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コメント



0.2660簡易評価
8.90道端から覗く程度の能力削除
普通なら全く縁のない二人が出会ったことによる事件。小町の優しさが染み入るようでした。
13.80名前が無い程度の能力削除
閻魔様の見事な御裁き。
17.90名前が無い程度の能力削除
なんと美しい文章。思わず貪り読んでしまいました。とても雰囲気が出ています。内容も文句無しですね。
21.90名前が無い程度の能力削除
上手く感想が出ないけど、唸らされました。
32.100名前が無い程度の能力削除
うぅむ
33.90名前が無い程度の能力削除
面白い発想、そして三人の優しさに感動しました。
37.100名前が無い程度の能力削除
終わり方が良いな
それにしても青臭友情が罪なのか、ちょっとやきもちも入ってる?
39.100名前が無い程度の能力削除
あー,感動した.
59.80楽郷 陸削除
いい組み合わせでした。
60.100名前が無い程度の能力削除
好きです