Coolier - 新生・東方創想話

コードアリス 返却のパチュリー  祭

2007/07/25 05:53:17
最終更新
サイズ
68.3KB
ページ数
1
閲覧数
1263
評価数
29/104
POINT
6260
Rate
11.97
注意!このお話は作品集39「コードアリス 返却のパチュリー 」の続きです。
最初に言っておく!今回は、かーなーり小ネタが多い!
なので、壊れギャグ、パロディものが苦手という方はご注意を。


















































魔女がやって来る 図書館の危機に
魔女がやって来る 返却期限の際(きわ)に
魔女がやって来る 取り戻す為に
魔女がやって来る 己の信念の為に
パチュリー、アリス、二人の魔女がやって来る




******




竹林の奥にそびえる大きな日本家屋。
名を永遠亭と言う。
その数多くある部屋の一つ、「蒼き流星の間」と名づけられた和室で、二人の女性が向かい合って座っていた。

「…それで、本はあったの?」

一人は、西洋風の衣装に身を包んだ、小柄な少女。
紫色の長い髪に、赤と青のリボンがよく映えていた。
幻想郷で最も多くの本がある、紅魔館地下図書館の主――七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジである。

「こちらに用意してあるわ」

もう一人は、どこの国のものともつかない、不思議な衣服を纏った、落ち着いた雰囲気の女性であった。
緩くウェーブがかかった長い銀髪を編みこみ、肩の横に垂らしている。
永遠亭の屋台骨を支える蓬莱の薬屋さん、八意永琳その人であった。

「どうぞ」

永琳は、傍に置いてあった紙袋をパチュリーに差し出す。
何か重い物が入っているのか、袋は倒れることなく床に立っていた。

「……」

パチュリーは即座に紙袋の中身を確かめる。
すぐに何かに気づき、先ほどよりも鋭い目で永琳を睨みつけた。

「足りない」
「あ、やっぱりわかる?」

永琳はパチュリーの鋭い視線を受けてもたじろぐことなく、笑顔さえ見せた。
パチュリーは立ち上がると、バツの悪そうな苦笑いを浮かべる永琳を見下ろして、言った。

「ふざけないで」

腕を組んで仁王立ち、そして威圧するような「下」目遣い。

「あなたに貸した本は、全部で八冊」
「そうだったかしら」
「とぼけたって駄目よ…そしてここにある本は、七冊」

パチュリーは紙袋の中身を永琳に見せる。

「残りの一冊はどうしたのかしら?」
「えーと、それは…」

口ごもる永琳の言葉を遮り、パチュリーは強い口調で告げた。

「昨日あなたは『必ず今日までに全ての本を探し出して、耳をそろえて返す』…そう言ったわね!」
「……(さすがにまずいかしら)」

永琳でなくとも、今のパチュリーを見れば誰もが同じ判断を下しただろう。
彼女は怒っている、それもすごく、と。

「例によって返却期限を大幅に過ぎてるだけじゃなく、あまつさえ本を失くすなんて!」

パチュリーは憤怒の表情で、一枚のスペルカードを取り出す。
彼女の怒りをそのまま弾幕で表現したかのような、燃え盛る炎の呪文。

「火符『アグニレイディアンス』!永琳、あなたはわたしの心の領域を冒した!よって…」

火をつければよく燃えそうな木造建築の中心で。

「罰ゲーム!!」

季節外れの花火大会が始まった。

「ごめんパチュリー、遅くなったわ…って、何をやってんのよあんたはーっ!!」

…かに見えた。
一人の少女が部屋に飛び込んできたかと思うと、パチュリーの腕に飛びついた。
発動寸前だったパチュリーの火符は効力を失い、永遠亭はなんとか全焼の危機を回避した。

「何よ、邪魔しないで!!」
「放さないわよ!ここ永遠亭のド真ん中だってこと忘れてない!?」

叫びながら暴れるパチュリーを、少女は羽交い絞めにする。

「そんなもん知らないわよ!放しなさいアリス!」
「ああもう落ち着いてって…ほら、わ、わたしケーキ焼いてきたの!これでも食べて落ち着いて…」
「おやつは三時よ!!」

何気に正論(?)であった。
しかし腕力ではその少女――アリス・マーガトロイドに分があるらしく、パチュリーはしばらくジタバタした後、静かになった。

「むきゅー…」
「全く…こんな場所で永琳に手出ししたらただじゃすまないって…」

アリスは自分が入ってきた部屋の入り口を振り返る。
襖の陰では、数匹の妖怪兎が目を光らせていた。
永琳は永遠亭の主である蓬莱山輝夜の一の従者であり、永遠亭の中では二番目に「偉い人」である。
屋敷の内部で彼女に喧嘩を売ることは、ある意味自殺行為といえた。

「いらっしゃい、アリス・マーガトロイド。助かったわ」
「永琳…あなたね…」

安堵の表情を浮かべる永琳に、アリスは呆れ顔で言葉を返す。

「昨日、ちゃんと本を返すって言ったじゃない。なんでパチュリーが暴れてたのか、説明してもらうわよ」
「あらあら」

苦笑しつつ頬に手を当てる永琳を見て、アリスは溜め息をついた。

「はあ…今回は何事もなく回収できそうだったのに…」








『コードアリス 返却のパチュリー 』 

STAGE3 竹明し編 








今から数ヶ月前のことである。
一体どのようにして入り込んだのか、八意永琳は突然、紅魔館の図書館に現れた。

『これ、借りてくわね』

数冊の本をパチュリーに見せると、有無を言わせない口調で一方的に告げた。
得体の知れない侵入者に貸す本などない。
パチュリーは文句を言おうとしたが、その口に小さな薬瓶が押し当てられた。

『もちろんただとは言わない。レンタル料代わりに、この薬を置いて行くわ』

薬瓶のラベルには「八意」という印が捺してあった。
なるほど、この女が、以前レミィの言っていた竹林の天才薬師、八意永琳――パチュリーがそう思った時、
既に永琳の姿はそこにはなかった。







ちなみに永琳が置いて行った薬を、家来の小悪魔の食事に少し混ぜてみたところ、

『あぁっ…パ、パチュリー様ぁ…身体が熱くて…ほっ、骨が溶けちゃいそうですぅ!!らめええええええ!!』

などと言いながら身体が縮み、小悪魔は三日間ほど外見年齢十歳くらいの肉体で過ごすことになった。
本棚の高い所に手が届かず四苦八苦する様子が、大変愛らしかったという。

『身体は幼女、頭脳は淫魔!その名は、名探偵ここぁ!!』

パチュリーも思わず胸がドキドキ、氷の上でパラパラを踊りながらギリギリChopな気分だったとか。

本来は人間が楽しい夢を見るためのその薬は、悪魔の肉体には、なぜか、そんな奇妙な変化を起こした。
ある意味では夢のような三日間、パチュリーは小さくなった従者を満足行くまで弄り倒した。
そういった経緯から、最初はパチュリーも永琳には感謝こそすれ、腹を立てることなどなかったのである。







しかし、永琳は白黒魔法使いや天狗と同様に、借りた本をいつまでたっても返しに来なかった。
永琳の来訪から数ヶ月が経ち、貰った薬を使い切る頃には、パチュリーの胸中ではどす黒い怒りが渦巻き始めていた。
すぐにでも永琳に直接攻撃を仕掛けたくなる衝動をこらえ、アリスと共に永遠亭を訪れたのが、昨日。
本を返せというパチュリーの催促に対し、永琳は、

『それは悪い事をしたわね。明日までに借りた本を集めておくから、また来てくれる?』

今すぐ返せなくてごめんなさい、そう言って頭を下げた。
これにはパチュリーもアリスも少々驚いた。
パチュリーに「本を返せ」と言われて素直に「返します」と答えたのは、永琳が初めてだったからである。
パチュリーはどこか納得できないという顔をしながらも、仕方ないわね、と一言つぶやいて頷いた。
アリスはというと、そんな二人の様子を見て、なんとか今回は穏便に本を取り返せそう…と、胸を撫で下ろしていた。

しかし。

「…で、なかったわけね」
「ちゃんと屋敷中探したのよ。兎たちにも手伝わせて…でも一冊だけ、どうしても見つからなかったのよ」

永琳は溜め息をつき、パチュリーに視線を向けた。

「あなたには悪い事をしたと思ってるわ。弁償ぐらいするべきよね」
「魔導書ってのはこの世に一冊しかないの。いくら金を積まれたって同じ物は二度と帰ってこないわ」

対するパチュリーの口調は、非常に冷ややかである。
アリスに羽交い絞めにされた状態のまま、眉間にしわを寄せて永琳をにらみつける。
先ほどよりは幾分か落ち着いているものの、永琳に対する怒りは消えていないようだった。

「パチュリー、そんな怖い顔しないの。永琳は別に悪気があったわけじゃ…」
「知らないわよ。あの本を手に入れるのにどれだけ苦労したか…」

パチュリーは悔しそうに拳を握りしめる。
さすがは知識と日陰の少女、魔導書に対する執着心では幻想郷一だろう。

「な、何の本だったの?」
「『The Secret Afternoon』…あなたも魔法使いなら、一度はその名を耳にしたことがあるはずよ」
「いや、ごめん、初めて聞いた…」
「……」

パチュリーには劣るものの、アリスもかなり多くの魔導書を読んでいる。
しかしその書名は、これまで一度も耳にしたことのないものだった。
というかそれは本当に魔導書なのか。
そのタイトルからは、どこか春度が高いというか、桃色幻想郷というか、そんなイメージを受ける。
具体的には、ページを開いた十四歳くらいの少女が、

『まあっ………』

などと言いながら赤面しそうな、そんなイメージである。

「あら、あれって魔導書だったの?どう見てもエr」
「うぉっほん!あれはれっきとした魔導書よ!ま、全く、これだから素人は困るわ!」

僅かに頬を赤く染めつつ、パチュリーは咳払いをした。

「だ、大体その、ちゃんと探したってのが信用ならないのよ!ホントに隅々まで見たんでしょうね?」
「うーん、そうねえ。見ていないところは、あるにはあるけど…」
「ほら見なさい!適当に探して、なかったら弁償?あー金持ちっていや、ね、ゲホッ、ゴホッ」

パチュリーは苦しそうに咳き込んだ。

「いきなり大声出すから…」

アリスはやれやれといった表情でパチュリーの背中をさする。
そのまま、パチュリーに代わって永琳に尋ねた。

「まだ見てない場所があるって、本当?」
「正確には、そんなにしっかり見れなかった場所ね。ま、色々と理由はあるんだけど…」

永琳はそこで言葉を切ると、ほんの少しの間だけ、考え込むような顔をした。
そして、観念したように肩をすくめて、言った。

「…そうね。そこをもう一度、探してみましょうか」
「…当然よ」

まだ少し苦しそうな表情で、パチュリーが答えた。

「わたしも探すわ。あなた一人じゃあてにならないもの」
「ええ、どうぞ」

永琳はパチュリーの言葉に嫌な顔一つせず答えた。
やはりこの女性はこれまでの相手とは、いい意味で色々と違っている。アリスはそう思った。
そして、

「ほら、パチュリー」

アリスはパチュリーを拘束していた手を放す。

「…何よ」
「いつまでもそんな顔してないで。ひとまず機嫌なおそ?」

そう言いながらアリスは、自分がまるで、妹をなだめる姉のようだと思った。
普段色々とパチュリーに振り回されているアリスとしては、軽い優越感を感じられる貴重な機会である。

「ふ、ふん」

どうやらパチュリーも、その状況を多少は理解しているらしい。
ばつが悪そうな表情でそっぽを向くと、永琳をビシッ!と指差した。

「永琳、あなたに最後のチャンスをあげるわ。これで本がなかったら、相応の報いを受けてもらうわよ」
「覚悟はしてるわ」
「ありがたく思うことね。今日のわたしは優しさの吐血…じゃなくて出血大サービスよ」

まだあなたを許したわけじゃないから、と付け加える。
そして「これでいいの?」というような視線を、横目でアリスに送ってきた。
そんな彼女の様子に、アリスは思わず口元がにやついてしまう。

(かわいいとこあるじゃない)

今はこの「軽い優越感」とパチュリーの「かわいいとこ」に浸っていよう。
ひとまずパチュリーが矛先を収めたことがわかり、アリスはようやく肩の力が抜けるのを感じた。

「そういえばアリス、わたし、ちょっと思ったんだけど…」

パチュリーは不意にアリスの方に向き直り、声をかけた。

「?」

パチュリーは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
アリスはその笑みの意味するところを理解できず、僅かに戸惑う。

「…あなた、結構あるのね」
「へ?な、何が…って!」

アリスは先ほどまでの体勢を思い出す。
背後からパチュリーを羽交い絞めにして拘束するという状態は、つまり、

「俗に言う『あててんのよ!』ってやつ?」

永琳が放ったトドメの一言に、アリスの頬が赤く染まる。

「な…ななな…」
「正直な話、もう少しあのままでもよかったかしら」
「あらあら、仲がよろしいのね」

先ほどまでの殺伐とした空気はどこへやら、パチュリーは普通に永琳と会話していた。
反対に、今にも暴れだしたい衝動にとらわれているのは、アリスの方である。

「なんの話をしてんのよー!?」
「何の話って…」
「ねえ…?」

パチュリーと永琳はニヤニヤが止まらないという顔で目配せをしあう。
先ほどまでの険悪な空気はどこへやら、今では目で会話できるほどに、二人の息はぴったりだ。
そんな二人を見ながら、アリスは心の中で頭を抱えた。

(うう…やっぱりわたしってこういう役どころ…)

イジるイジられるの関係は、そう簡単には変わらないもの。
今回もアリスは、パチュリーによって大いに振り回されるのだろう。
そう。
あの日から始まったアリスの受難(?)の日々は、まだまだ終らないのである。




******




『ここの本って、貸し出ししてるの?よかったら、貸してほしい本があるんだけど…』
『え…?』

そもそもの始まりは、図書館での些細なやりとりであった。
本を借りるために、アリスがパチュリーの許諾を得ようとしたこと。
そのことが、どういうわけかパチュリーをひどく感動させた。

『あなたが初めてよ!そんな奥ゆかしい態度で本を借りようとしたのは!!』

図書館を訪れる他の客は、皆強盗まがいの手段で無理矢理本を借りて行き、しかもいつまで立っても返しに来ない。
物を借りるために必要な最低限の行為をしただけのアリスが、その時のパチュリーには女神に見えたという。

『まあ、魔界の女神たるわたしの娘ですから』

歩いてお帰り。
それ以来、アリスは図書館を訪れるたびにパチュリーの愚痴を聞かされた。
魔理沙が本を棚ごと盗んで行った、小悪魔は役に立たない、ブン屋の借りた本の返却期限は一週間前…えとせとら。
いつしかアリスも自分自身の愚痴や他愛もない話をするようになり…早い話がパチュリーとお喋りをすることが、
図書館へ行く目的の一部になっていった。
今まで宴会や異変の際、たまに顔を合わせるだけだったパチュリーが、気がつけば随分と「話せる」相手になっていた。
そんな二人の関係を「友達」と呼んでも、よかったかもしれない。
少なくとも、アリスはそう思っていた。




『いっそ強行手段に出たら?待ってても誰も返さないわよ』
『力ずくで取り返す?できたら苦労しないわ』

いつものように、パチュリーがマナーの悪い図書館利用者について愚痴っている時。

『強い奴ならあなたの周りにもいるじゃない』
『咲夜と美鈴は仕事があるからダメ。小悪魔は頼りにならない。それと…』

そうじゃなくて。
そうじゃないでしょ、パチュリー。
確かに自分は弾幕の腕も中の上程度で、極端に強い妖怪でもないけれど。
そういう尺度云々の前に、ちょっとは目の前の…その、ゆ、友人を、頼ってみようとは思わないわけ?

『ねえ』

ま、確かにまだ、ここ(紅魔館)の連中の方が、あなたにとっては身近な存在なのかもしれないけど。
でも、少しはわたしのことも、見て欲しい。ほら、今も…、

『わたし達二人が組んだら、どれぐらい強いと思う?』

話してる時くらい、本は閉じなさいよ。
ね、パチュリー。




二人で思い出を共有できる経験をすることで、パチュリーと友達であることの「確証」を得たかった。
図書館に引き篭もって鬱屈としているパチュリーを外に連れ出してあげよう…という意識も、アリスの中にはあった。
そんな思いを何重にもオブラートに包み、持ちかけたのは未返却図書の回収の話。
本当はどうでもいい「利害の一致」を建前に、アリスは初めて、パチュリーと共に図書館から足を踏み出しのだった。


だったのだが。


「よし、とにかく屋敷中の床板引っぺがしてでも本を探し出すわよ!アリス、バールのようなものの準備はいい!?」
「わ、わかったから放して、袖、伸びる…あとバールのようなものは持ってないから…」

事が始まってみれば、パチュリーは恐るべきバイタリティと予想のつかない行動でアリスを散々振り回した。
普段の彼女の、陰気で病弱なイメージからは想像もつかない行動力を発揮したパチュリーは、
さすがに少々度が過ぎているだろうと言いたくなるような恐ろしい作戦を立案・決行し、
幻想郷を(部分的に)恐怖のどん底に落とし入れてきた。
アリスは主にその作戦におけるパチュリーのサポート役及び服の修繕係並びに食事の提供者であり、

「まあいいわ。でも、一緒に探してくれるのよね!?」

同時に、まあその…友達…うん。
アリスが当初抱いていた淡い期待とは少し違った形で、二人は友情を確かめあったのであった。

「う、うん…まあ、乗りかかった船だし…」
「ふふ、そう言ってくれると信じてた…ありがとうアリス、愛してるわ(はぁと)」
「ひゃあっ!?ちょっと、こんな所でいきなり抱きつかないで…ってどこ触ってんのよー!?」
「あらあら、見せ付けてくれるわね」

おまけにパチュリーがぶつけてくる友情は所々春度が高くて困るのだった。
とにかく最近の二人は、ほぼ毎日、未返却図書を求めてあちこち飛び回っている。
そんな流され遊ばれ引きずられ…なここ最近の状況を、何だかんだで楽しく思いつつも、
アリスはあの図書館で過ごした静かな時間が、時たま懐かしくなるのだった。

「うふふ…ねえ、アリス」
「何よもう…」

それでいて、この一週間少女は、

「ケーキ、嬉しかったわ。わざわざ焼いてきてくれたのに、悪かったわね」
「へっ?」

時折、全くの不意打ちでこういうことを言うのである。

「おやつの時間までに終らせるから…それからいただいても、いい?」
「え、あ…も、もちろん!こ、今回のはかなりの自信作なんだから!美味しくてビビるわよ!」
「ふふ。楽しみにしてるわ」

そう言って笑うパチュリーを見ながら、アリスは心の中で溜息をつく。
今回も自分はこの少女の言動に一喜一憂しつつ、何だかんだで面倒ごとに巻き込まれて行くんだろう。
すでに巻き込まれているような気もするが、いや、間違いなくそうだが。

(いいかげんわたしも学習しないとなあ)

少なくとも、ケーキのお礼くらいで(また)赤くなっていては…先が思いやられるのだった。




******




永遠亭の長い廊下を進みながら、パチュリーは永琳に尋ねる。

「で、昨日はどれだけ探したの?」
「兎たちに命令して、姫のお部屋以外の全ての和室を探させたわ」
「輝夜の部屋?じゃあまずはそこから…」

アリスの提案に、永琳は僅かに眉をひそめる。

「うーん、一応うちで一番偉いお方だし、勝手にお部屋に入るのはちょっと…」
「いいじゃない。うちじゃレミィの留守中にメイドが部屋荒らすなんて日常茶飯事よ?」
「それもどうかと思う…」

そんなやり取りをしながら、三人はある部屋の前までやって来た。


【薬品庫】


「まずはここを…と思ったけど、後に回したほうがいいかしら」
「薬品庫…ってことは、あなたの?」
「ええ」

永遠亭で薬品庫などといったものを持っているのは永琳だけだろう。
とすれば、ここには普段から永琳がよく出入りしていると解釈できるのだが、

「昨日は探さなかったの?」
「ちょっと問題が生じててね…昨日は普通の兎が入れなかったのよ。今日ももしかしたら、まだ…」

中に入れなくなるほどの問題とは何だろうか。
その時、側にあった薬品庫の扉が開き、一人の少女が顔を出した。

「ふ~。久々にコンパロしたら疲れちゃったな~」
「あらメディ、作業の方はもう終ったの?」
「永琳!」

その少女は永琳の姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄って行く。

(兎…じゃないわよね。前に来たときにこんな子いたかしら?)

アリスには見覚えのない顔であったが、その姿はどこか既視感を覚えさせた。

「人形ね」
「え?」

傍らのパチュリーのつぶやきで初めて、その既視感の正体に気づいた。
その少女の身体は、人形のそれだったのだ。

(言われてみれば…というか、言われないとわからないというか…)

普段から人形と触れる機会の多いアリスでも、いや、アリスだからこそ、すぐには彼女が人形だと気づかなかった。
それほどまでに、その人形はよくできていたのだ。
まるで本物の人間のように、細かいところまで作り込まれた目鼻立ち。
白磁のように白い肌は、黒と赤を基調にした服によく映えている。
そして無邪気な感情をたたえた青い双眸は、覗き込めば吸い込まれそうなほど深く澄んでいた。
美しい人形だった。

「随分と手間がかかっているのね…」

アリスは無意識のうちに、その人形へと手を伸ばしていた。
緩やかに波打つ金髪を指に絡ませ、滑らかな指どおりに思わず息を呑む。
次にその白い頬を、

「え、永琳、ヘンな人が触ってくるよ」

撫でようとしたところで、アリスは我に帰った。
目の前には、困ったような、怯えたような顔で永琳と自分を交互に見ている少女。

「あ…」

人形師の血が騒ぎ、思わず目の前の少女に触れてしまっていたことに、アリスは気づいた。
それも少女の「人形としての質」があまりに高かったゆえであるが…。
とはいえ、彼女は自分の意思を持って動き、感じる存在だ。
突然髪や顔を触ってきた「謎の人物」を警戒するのは当然のことである。

「!」

自分に触れていた手が離れた瞬間、少女はアリスから飛びのき、永琳の後ろに隠れてしまった。

「永琳、あれが俗に言う『ちかん』ってやつなの!?」
「違うわメディ、女の場合は痴漢じゃなくて痴女っていうのよ」
「ちじょ…」

少女はさらに恐怖と警戒の色を濃くした目でアリスを見る。

「えっ!?ち、違うわよ!ただすごく造形がよかったから…永琳も否定しなさいよ!」
「うーん、さっきのあなたの完全にイッちゃった目を見ると、なんか否定する気にもなれなくてねえ」
「やっぱりアリスは人形しか愛せない子だったのね…わたしのことは遊びだったんだ…ぐすっ…」

パチュリーも面白がって泣きまねをしている。
アリスは頭を抱えながらも、未だに永琳の陰から自分をにらみつけている少女に笑いかけた。

「あ、あの、さっきはごめんなさいね?別に変なことをするつもりはないの」
「……」
「いきなり触っちゃったのは謝るわ。その…あなたが、えーと、か、可愛かったから…」

アリスの口から出た「可愛かった」という単語を聞き、僅かに少女が目を見開く。

「あなた人形よね?わたしも人形は大好きだから…ほ、ほら!この子、わたしが作ったのよ?」

どこからともなく小さな人形が現れ、アリスの肩の高さの空中に静止する。
アリスが軽く目配せをすると、人形は少女に向かってぺこりとお辞儀をした。

「……!」
「『上海』っていうの。あなたは?」

アリスは優しく微笑み、少女に尋ねる。

「あ、ちなみにわたしはアリスよ。アリス・マーガトロイド。魔法使いよ」
「メディスン…メディスン・メランコリー…」

少女はまだ完全には警戒を解いていないものの、つぶやくような声でその名を告げた。

「メディスン。いい名前ね」
「そ、そう?」

メディスンは名前を褒められ、少し嬉しそうな顔をする。

「騙されちゃだめよメディ。この女は優しい笑顔で人形を誘惑し、隙を見せたら大口開けて頭からバリボリ…」
「ひいっ!」
「根も葉もない上に激しく余計なことを言うなー!!」

アリスが痴女ではないということをメディスンが納得するまで、結構な時間がかかった。






「へえー。それじゃ、ち…アリスとパチェリーは本を探してるんだ」
「パチェリーじゃなくてパチュリーよ、お嬢さん」
「(この子、今間違いなく『痴女』って言いかけたよね…あは、はは…地味に傷つく…)」

互いの自己紹介もそこそこに、少女たちは薬品庫内の探索を開始していた。
永琳の話によると、昨日この部屋の中ではちょっとした事故から毒ガスが発生していたらしい。
掃除をしていた兎が数本の薬瓶を落として割ってしまい、俗に言う「混ぜるな危険!」な薬が混ざってしまったのだ。
先ほど永琳が言っていた「普通の兎が入れなかった」ことの理由はそこにある。

「しかし…興味深い能力ね」

パチュリーはつぶやきながら、メディスンに視線を向ける。

「汚染されたものから毒『だけ』を抽出して集める力。メディが来てから、色々と助かってるわ」
「えへへ…それほどでも、あるわよ♪」

永琳に頭を撫でられ、メディスンは照れ臭そうに笑う。
ついさっきまで、メディスンは毒を操る程度の能力を使って、部屋に充満した毒ガスを集めていた。
今では毒ガスは部屋から消え、パチュリー達が中に入っても問題ない状態である。
そして、毒の力で妖怪化した彼女の肉体にとっては、集めた毒はそのままエネルギーになる。
誰にとってもいいことづくめであった。

「よく見つけてきたわね。わたしもこっちにきて長いけど、こんな能力を見るのは初めてよ」
「ま、うちの兎たちと色々あってね…今ではみんな仲良しだけど」
「そう…ところで」

パチュリーの視線は、今度はアリスに向けられた。

「あなたはもっと驚くと思ってたけどね」
「え?」
「自律して動く人形。あなたがずっと追い求めてきたテーマなんじゃないの?」
「あ…」

アリスはここに至って初めて、自分の目の前で自律人形が動き、会話していることに気づいた。
その手に触れられるほど(というか実際に触れたが)近くに、自分の長年の目標が存在しているのである。

「も、もちろん驚いたわよ。うん」
「そう?もっと大袈裟に反応すると思ってたけど。究極生物を目の当たりにしたドイツ軍人みたいな感じで」
「『空気供給管にーッ!!』…って、何言わせるのよ」

アリスは咳払いをすると、静かに告げた。

「自分で動いてる人形を見ること自体は、初めてじゃないのよ」
「そうなの?」
「ええ、以前に何度かね。それがあの子だったか、別の人形だったかは、ちょっと思い出せないけど…」

大小さまざまな薬瓶が並ぶ棚の間を、アリスは歩く。
今のところ、目当ての本は見つかっていない。

「あの子に関しては、それ以上に思うところがあってね」

成り行きで本の捜索に参加しているメディスンに、アリスは目をやる。

「思うところ?」
「ええ。率直に言うと、造形のよさに感心してたのよ。あれだけ作りこまれたものは滅多にないわ」

アリスは言いながら、先ほどの自分の行動を思い出す。
無意識に手を伸ばしてしまうほどに、メディスンの身体の、人形としての完成度は高かった。
人形を作る者ならば、誰もがそうするのではないかと思った。

「つまり、人形師はみんな痴女もしくは痴漢だと」
「なんでそうなるのよ!てゆーか勝手に人の心の中を読まないでちょうだい!」
「わたしが読んだのはあなたの心じゃないわ!地の文よ!」
「なお悪いわ!あんたはナレーション(CV.タラちゃんのお父さんの同僚)にツッコミ入れる借金執事か!」

さすがは読書に魂を捧げた女、パチュリー・ノーレッジである。
SSの地の文を読むことなど、造作もない。

「あー!これじゃない?本!」

アリスがさらにツッコミを入れようとしたところに、メディスンの無邪気な声が響いた。
場の全員の視線が、メディスンの手元に集まった。








『アルヤゴコロ・ナル・エイリン・アスカ詩集~ヴォヤージュ1996・地球は今、狙われているんだ!~』








「だめえええええええええええええええっ!!」

一瞬の沈黙の後、月面を目指すロケットのような勢いで永琳が飛び出す。
これまでパチュリーにどれだけ凄まれても顔色一つ変えなかった永琳が初めて見せる、動揺の表情。

「まあ待ちなさいよ」

しかしパチュリーに足を引っ掛けられ、派手に転んだ。
永琳はそのままの勢いで頭から壁にぶつかり、動かなくなる。

「これはまた、面白いものを見つけてくれたものね」
「このタイトル…ペンネーム…まあどう見ても某宇宙人との混血児を意識してのものなんだろうけど…」

さりげなく、自由にストライクするような雰囲気が漂うのは気のせいか。

「ねー、これが二人が探してた本ー?」

メディスンはパチュリーに駆け寄り、本の表紙を見せる。

「ええ、そうよ」
「うわ、言い切った!」

天使のような笑顔で平然と嘘をつくパチュリーに、アリスは改めて戦慄する。

「ちょ…ちがうでしょ…あなたが探してた本は…『The Secre…」
「うるさいわねえ」

額を押さえながら起き上がろうとする永琳を見て、パチュリーは一枚のスペルカードを取り出す。

「金符『シルバードラゴン』!スゴイぞー!カッコいいぞー!!」
「え、ちょ、ま、きゃああああっ!?」

魔導書管理局の紫の魔王・パチュリーさんは自分の愛する図書館の中でもスペルカード発動を躊躇わない。
いわんや他人の家においてをや、である。
降り注ぐ無数の銀色の玉に、永琳はなす術もなく押しつぶされた。

「これでよし、と」
「ちょっとパチュリー、やりすぎよ!今永琳は何も悪いことしてないでしょ!」
「だってアリス」

パチュリーはまさに魔女ともいうべき禍々しい笑みを浮かべる。
その笑顔が放つ邪悪な雰囲気に、アリスは思わず一歩後ずさってしまう。

「これ…読んでみたくない?」
「え?」

目の前にある本はどう見ても…その…永琳の…自作ポエム集である。
興味がないといえば嘘になる。
いや、実はすごく見たい。主に怖いもの見たさ的な意味で。

「ね?」

気がつけばパチュリーはアリスのすぐそばまで近づいていた。
アリスの口元に耳を寄せ、蠱惑的な声で囁く。

「一緒に読みましょう…アリス…」
「わ、わかったから…み、耳に息吹きかけないで…」

実にやりたい放題である。パチュリーさんの本領発揮だ。

「ねーねー、何の本なのー?」

メディスンも興味津々のようである。
パチュリーはメディスンに優しく微笑みかけ、言った。

「これは幻想郷にその名を轟かせるカリスマ詩人の作品集よ。読んであげるわ」
「わーい」
「わ…わーい…」
「や…やめな…さい…お願い…そ、それだ、け、は…」

銀色の玉の山の中からうめき声が聞こえてくるが、パチュリーは気にせず本を開く。

「『あの女(ひと)の横乳を黙って見つめていれば…』一ページ目から飛ばしてるわね」
「よこちちって何?」
「お、大きくなったらわかるわよ…あはは…」

その後十数分にわたって、パチュリーは当初の目的そっちのけで詩を朗読した。
時折聞こえる永琳の「やめて…もうやめて…」という声をBGMに、

『あなたの黒髪一本抜いて クローン作って待ってます』
『リチャード・ギアとゴリラを足して リチャード・ギアを引いたような顔ね』
『八意ハンバーグ!兎肉こねこね』
『リファイン・ガンダム・ゼータ…略してリ・ガズィ!』

といった電波なフレーズが読み上げられる。
銀玉の山の下から変な液体が染み出してきた頃、パチュリーは本を閉じた。

「コホッ…ちょっと喉に来たわね。大きい声は出すもんじゃないわ」
「こっちは精神に来たわよ…黒歴史ノートって実在するのね…」

アリスはそう言いながら、メディスンの方を見る。

「ど、どうだった?」
「んー、よくわからなかったわ」
「…そう。それでいいのよ」

見たところ、メディスンは妖怪としてはまだ幼い部類に入る。
ここでの経験が、彼女の成長に悪い影響を及ぼさないことを、アリスは祈るばかりであった。




******




「さて、ここにはないってことになるのかしらね」

薬品庫の中を一通り見て回った後で、パチュリーが言った。

「あれ?もう本は見つかったんじゃないの?」
「ええそうよ。あなたのおかげ。(色んな意味で)大手柄よ」

パチュリーは笑顔で、メディスンに感謝の言葉を述べる。
ばれない嘘をつくための最大のコツは、躊躇わないことである。

「ほんと?」
「ええ。協力、感謝するわ」
「わーい!えへへ、どういたしましてー」

お礼を言われたメディスンは、心底嬉しそうだった。
メディスンとパチュリーを見比べながら、アリスは心の中で溜め息をついた。

(ほんとに…根っからの魔女なのね…)

天然モノは違うということだろうか。
ちなみに自力で銀玉の下から這い出した永琳は、部屋の隅で膝を抱えている。

「うっ…ぐすっ…わたしの大事なもの…見られた…もう、お嫁、いけない…すんっ…」

誰か彼女を貰ってあげてください。

「あらあら。これは意外なところに弱点があったものねえ、永琳?」
「ううううるさいわよっ!もうあなたの本なんて知らないんだからっ!ルナチャイルドのドリルに頭ぶつけて死ねっ!」
「そんなこと言うと、阿礼乙女にあなたの詩集を丸ごと一冊暗記させるわよ」
「なにその地味に凶悪な嫌がらせ!?」

右クリック→「対象をファイルに保存」を選択。保存先はあっきゅんの大事なところ。

「さ、次の場所に案内してもらいましょうか」
「うぐぐ…わ、わかったわよ!ついてきなさいっ!!」
「(かわいそうな永琳…)」

四人は薬品庫を後にした。

「あ」

メディスンは何かに気づいたような声を上げる。

「どうしたの、メディ?」
「わたしそろそろ帰らないと…スーさんの様子を見に行かなきゃ」

アリスは先ほど、永琳に聞いた話を思い出していた。
メディスンは無名の丘の鈴蘭畑で、無数の鈴蘭と共に暮らしているという。

「そう。…まあその、とにかく…ありがとう、メディ。助かったわ」
「これぐらいならお安い御用よ!」
「詩集のことは…まあ、メディを責めても仕方ないわね、あは、あはは…」
「あははは!永琳元気ないよ~?どこかに毒でも溜まってる?」

コンパロコンパロ~、と呪文を唱えながら、メディスンは人差指を回してみせる。
その無邪気な笑顔には、一かけらの毒も感じられない。

「わたしからもお礼を言うわ。本を見つけてくれてありがとう」
「うん!」
「くっ…この外道が…」
「何か言った?」
「別に!」

薬品庫で過ごした数十分の間に、パチュリーは完全に永琳を手玉に取っていた。
宇宙人までも丸め込んでしまうその手腕、驚嘆せざるを得ない。

「あー、えっと…」

アリスは最後に、メディスンに何を言うべきか迷っていた。
自業自得とはいえ、あまりよくない第一印象を彼女に与えてしまったことは否めない。
せっかく自律人形と知り合えたのだから、この出会いを無駄にはしたくない。
せめて別れる時くらい、彼女に何かよい印象を…

(そ、そうだ!)

アリスは一歩踏み出すと、メディスンに声をかける。

「ね、ねえ…ちょっといい?」
「えっ?」
「少しだけ…じっとしててね」

アリスはさらに一歩、メディスンに近づく。

「「痴女!!」」
「外野うっさい!!」

こういう時だけ一瞬で仲が良くなる永琳とパチュリーに、アリスは頭を抱える。
つーか永琳、あんたさっきまでガチへこみしてたんじゃないんかい。

「あ、あの…」
「ん…大丈夫。別に変なことしようってんじゃないわ。ちょっと失礼するわね」 

アリスはメディスンの頭のリボンへ、静かに手を伸ばした。
赤いリボンに、アリスの細い指先が触れる。 

「……」

メディスンは緊張した様子で、視線を床に落としている。
時折その瞳が上に動き、アリスの表情をうかがっているようだった。
アリスは結び目を引っ張ったり、リボンそのものの位置を前後させたりしている。
何度か顔を近づけたり遠ざけたりしつつ、細かい部分をその手で調整。
色々な角度からメディスンの頭を眺めるということを繰り返し、ようやく納得したのか、満足げな顔で大きく頷く。

「これでよし、と」
「…お、終った…の?」

アリスが自分の頭から手を放したのに気づき、メディスンの肩からいくらか力が抜ける。

「OK!さっきより断然よくなったわ!」
「え…えーと…も、もう動いていいの…?」

途中からアリスの行動の真意がつかめず、メディスンは戸惑っていた。
それでも、とにかくその行為が「終った」ということは理解できたので、今は安堵の表情を見せていた。
しかしその表情は、

「ほら、可愛くなったと思わない?」
「ふえ?」

アリスが彼女に突きつけた手鏡を見て、驚きのそれに変わる。

「へえ…リボン一つで随分印象が変わるのねえ。さすがは人形師。それともこれも魔法かしら?」

永琳も感心したように、メディスンの頭に視線を注ぐ。

「どう?気に入らなかったら元に戻してもいいけど…」
「え…あ…う、ううん。こっちのほうが、いい…」

メディスンは鏡の前で色々と顔の角度を変えながら、リボンを見ていた。
ほんの一部分だが、アリス流のコーディネイトを気に入ったようだった。

「あー、と、わたしね」
「?」
「こういうの、その、得意っていうか…一応人形作りとか、やってるし…」

アリスは照れ臭そうに、指で頬を掻く。
メディスンはそんなアリスの顔を、呆けたように見つめていた。

「だから、リボン以外にも色々、おしゃれのこととか教えてあげられるし…もしよかったら、だけど」
「……」
「また、会いましょう?め…メディ」

アリスは思い切って、永琳がそうするように、彼女を愛称で呼んでみた。
相手がここまでの自分の行動を嫌がっていなければ、自分の印象も多少は変わっているとは思うのだが…。

「あ…う、うん!わたしもまた、会う!」
「そう?よかった…」
「あ、あのね!これ、リボンありがとう!すごい可愛い!」

メディスンはやっと、アリスに対して完全に警戒を解いた笑顔を見せる。

「わたし、無名の丘か…いないときは、だいたい永遠亭にいるから!」
「そう。わたしの家は魔法の森よ」

アリスは安堵していた。
何とか彼女から「いきなり触ってきた変な人」のイメージを消すことはできたようである。

「じゃあわたし、行くから!またね…アリス!」
「ええ。またね、メディ」

二人は笑顔で手を振り、別れる。
元気良く永遠亭の廊下を走り去って行くメディスンの背中を、アリスは見つめていた。
そんな二人の様子を見ながら、永琳は頬に手を当て、つぶやく。

「微笑ましいわねえ。こうして見るとあの二人、姉妹みたい…って、何やってるの?」
「……へっ!?な、何でもないわよっ!」

自分の髪に結んだリボンの結び目をいじっていたパチュリーは、永琳の視線に気づくのがやや遅れた。
そっぽを向いてふてくされるパチュリーを見て、永琳は何かピンと来るものがあったようだ。

「ふ~ん」

いつもの穏やかな笑みでなく、何か含むところのあるにやついた八意スマイル。

「何が『ふ~ん』なのよ!!」
「別に」
「こ…この!自分の置かれた立場がわかってないようね!」

パチュリーは(珍しくも)顔を赤くしながら、先ほど薬品庫で手に入れた本を取り出す。

「『ピザ・モッツァレラ♪ピザ・モッツァレラ…』何これ!?盗作じゃないの!!」
「わーッ!読むなーッ!ていうか返しなさいよー!!」

賑やかな二人であった。











メディスンと別れた三人は、次の場所へと足を運んでいた。

「…そういえば」

先頭を歩いていた永琳は振り返ると、アリスの手元に視線を落とした。

「あなたのそれ、ケーキだったかしら?」
「え、ええ…そうだけど」

アリスは永遠亭を訪れてからずっと、ケーキを入れた箱を持っていた。

「ずっと持っておくのも不便でしょうし、どこかに置いておく?」
「ん…そうね。できれば、ちょっと涼しい場所で…」
「それなら、いい場所があるわ。というか、今から向かう場所ね」

アリスが作ってきたのは、オーソドックスな苺のショートケーキ。
今日は本を受け取り、あとは永遠亭で軽く世間話でもして帰るだけだろう…そう思っていたアリスは、
皆で食べられるお菓子を用意していたのだった。
アリスが自宅で作っている他の料理同様、本格的なケーキも、人形の手を借りればいとも簡単に作れる。
しかし今アリスの手の中にあるケーキは、ほぼアリス自身の手によるものだった。

『ま、まあ人形に全部やらせちゃっても良かったんだけど?たまたま早く目が覚めちゃって暇だったし…』

今朝早く、一人キッチンに立っていた自分の独り言を思い出す。
そもそもお菓子作りはアリスにとって趣味のようなもの。
趣味に妥協してもつまらないだけである。

『…今日は、久しぶりにのんびりできそうだしね…』

ここ最近は、パチュリーと行動を共にすることは多くても、ゆっくり話したり、一緒にお茶を飲んだりする機会は減っていた。
最後に図書館で読んだ――パチュリーが薦めてくれた――本も、まだ読み終わっていない。
未返却図書はほとんど返ってきているはずだった。
今日永琳に返してもらう分が返ってくれば、残りの時間は久々にゆっくり過ごせるだろう。
誰かを懲らしめる作戦や、本棚にない本のリスト作りとは関係ない部分で、話したいことがたくさんあった。
図書館を訪れる際、たまに作って持っていったお菓子の中で、彼女が一番気に入った(と思う)苺のショートケーキ。
永遠亭の人たちにも、分けてあげよう。そんなことをしたら、彼女は怒る?
いやいや。
だって今回は、誰かと戦う必要なんてないもの。
彼女だって、きちんと本を返してくれる相手を邪険にすることなんてないんだから――

「待ってアリス。…信用できないわ。気がつけばケーキもどこかへ消えてるんじゃないの?」
「ウチの兎たちはそんなに意地汚くないわよ」
「どうかしら」
「ふん」

そう、あの時、永琳が本をきちんと全部返してくれていたなら、全ては狂いださなかったかもしれない。

(ていうかまた二人の間の空気が険悪になってるし…)

色々な意味で予想外な展開の中に自分がいることを再認識しながら、アリスは溜め息をついた。
そんなアリスに、永琳は再び問いかける。

「それで、どうする?」
「え?…あー、そうね。せっかくだし、そこに置かせてもらおうかしら?」

パチュリーはああいったが、さすがにケーキが盗まれるというのは杞憂だろう。
暖かい場所に生ものを置いておきたくないという気持ちもある。アリスは永琳の提案を受け入れた。

「了解。それじゃ、行きましょうか…氷室へ!」
「「ひむろ?」」




【氷室】




少し歩いた後、そう扉に書かれた部屋の前にやってきた。
氷室とは、自然にできた氷や雪を貯蔵しておく、言わば日本古来の冷蔵庫である。
しかし、これは本来、気温の低い山かげに穴を掘ったり、専用の小屋を建てて使用するものである。
家の中に、部屋の一つとして設置されているという例はほとんどない。
…ということをパチュリーが永琳に言ったところ、永琳は笑顔で答えた。

「流石は魔法図書館の主、良く知ってるわね」
「ま、所詮は本で読んだだけだけど」
「ふふ。うちの氷室はただの氷室じゃないわよ」

永琳は扉に手をかける。

「何にしても、そんな寒い場所にうちの本を置いておくなんて、よほど死にたいらしいわね」
「ここにあるとは限らないわよ。ただ、ここの管理人が何か知ってるかもしれないから」
「…管理人って?」

アリスは先ほど永琳が言った単語が頭に引っかかるのを感じた。

「こちらよ」

永琳は屋内設置型・永遠亭特製氷室の扉を開いた。
部屋の中に立ち込めていた白い霧が、冷たい空気と共に流れ出してくる。

「中は結構狭いのね…どうなってるのかしら?」
「大体予想はつくけどね」

パチュリーはどこかつまらなそうな顔で霧の向こうを見つめていた。

「予想?」
「どうせ湖の氷精でもふんじばって転がしてあるのよ。今にも猿ぐつわを通してくぐもった悲鳴が…」
『ちょっと、そんな思いっきり開けないでくれる?暑いじゃないの!』
「ほら、もう助けを求めて…って、え?」

しかし薄い霧の向こうには、予想だにしなかった光景が広がっていた。
まず目に入るのは、天井に届くほど高く積まれた雪の山。
床にも薄く積もっている。
次に、そんな雪景色とはおよそ不釣合いな、ビーチパラソルと長いデッキチェア、そして、

「開けたら閉める!常識よ」

その上でトロピカルジュース片手にくつろぐ、水着姿の女性の姿だった。

「「なぁにこれぇ!?」」

目の前の光景のあまりの不条理さに、二人は思わずハモってしまった。




******




メディスンは上機嫌で、永遠亭の廊下を走っていた。
頭の上で、アリスに直してもらったリボンが揺れる。

「コンパロコンパロ~♪」

角を曲がったところで、何かにぶつかったメディスンは、転んで尻餅をついた。

「ひゃわっ!?」

ぶつかったのは物ではなく…兎だった。
それもメディスンにとっては、顔なじみの妖怪兎である。

「もう…メディ、廊下を走っちゃ駄目って言ったでしょ…」
「あっ…ご、ごめん、鈴仙…」

鈴仙・優曇華院・イナバはメディスンのように転ぶことはなく、そのまま廊下に立っていた。
メディスンは立ち上がり、鈴仙と向かい合う。
鈴仙はその腕の中に、一匹の子兎を抱いていた。
まだ妖怪化どころか、生まれてから一年も経っていないだろう、小さな子どもの兎である。

「…かわいい…!」

メディスンは思わず顔をほころばせる。
子兎は静かに目を閉じ、眠っていた。
鈴仙はメディスンに笑顔を返すと、尋ねた。

「かわいい…かわいい…そう思う?」
「うん!」
「そう…メディはいい子ね…」

そう言って笑う鈴仙の顔は、心なしかやつれて見えた。
視線も確かにメディスンの顔を捉えているのだが、どこか目の焦点があっていない様子だった。

「れ、鈴仙…?どうしたの…顔色悪いよ!?」
「別に…」

鈴仙はそれだけ言うと、ふらふらとメディスンの側を通り過ぎていった。
しかし突然立ち止り、メディスンの方を振り返る。

「…ねえ、メディ」
「な、何?」
「…かわいい…それだけ?」
「えっ?」

メディスンには、鈴仙の質問の意味がわからなかった。
目を白黒させるメディスンを見て、鈴仙は小さく微笑む。

「何でもないわ…メディはいい子、本当に…」

そのまま廊下の向こうに歩いていった。

「…?」

メディスンは最後まで質問の意味がわからないまま、首を傾げていた。




******




「へえ…本をねえ」
「そういうわけなの。レティ、あなたは何か知らない?」

レティと呼ばれた水着の女性に、永琳は手短に用件を伝えた。
身を切るような寒さに身体を震わせつつ、アリスとパチュリーは二人の会話を聞きつつ、考えていた。
この女性は何者だろう?
おそらくは何かの妖怪だろうが(人間が水着姿で氷室にこもるとは考えられない)、
何のためにこんなことをしているのかわからない。

「あら…そちらのお二人が、本を探してる魔法使いさん?」

レティは怪訝な顔をする二人に気づくと、永琳との会話を中断して視線を二人に移した。
そのまま、二人の近くまで歩いてくる。
ただでさえ寒いのに、気温がもう二、三度下がったようにアリスは感じた。

「え、ええ、そうよ」

パチュリーもこの気温の変化に驚いたのか、あるいは彼女の水着が、極端に露出度の高いビキニだったためか、
やや気圧され気味になりながら答えた。

「大変ね…永琳はあれで結構いいかげんなところがあるから」
「あら、言ってくれるじゃない」
「ね…ねえ、あなた」

パチュリーは僅かに眉をひそめながら、レティに語りかける。

「あなた、何なの?」
「は?」

当然のことながら、問いかけられた方のレティが、首を傾げた。
その拍子に、小さな水着から今にもこぼれ落ちそうな、大きな二つの膨らみが揺れる。

(ただ者じゃないってことは確かね…ていうか)

アリスはくしゅんっ、と可愛らしいくしゃみをする。

(寒いって、ここ…)

今は季節で言えば春なのだが、この部屋の雪は少しも解ける気配がない。
氷室なのだから当然なのだが、そもそもなぜこんな場所で会話しているのか、アリスは疑問だった。
この後のレティとの会話によって、その疑問もすぐに氷解することになるのだが。
氷室だけに。









「わたしはレティ・ホワイトロック。今は冬以外限定で、ここの氷室の管理人をやってるわ」
「春から秋まで、この部屋を貸す代わりにね」

永琳が付け加える。
彼女は永遠亭の、期間限定の居候といったところだろうか。

「え、えーと…なんでまた、こんな寒い場所でそんな格好してるの?」

アリスは微妙に目をそらしながら、先ほどからずっと気になっていたことを尋ねる。
レティは不思議そうな顔で首を傾げつつ、その問いに答えた。

「暑いからに決まってるじゃない」
「ええー…」

今はようやく春が訪れ、気温も少しずつ上がり始めたという時期だ。

(朝晩の冷え込みを考えると、まだ冬って言ってもいいレベルよねえ…)

不思議がる、というよりは驚き呆れるという表情をするアリスを見て、永琳が説明を始めた。

「レティは寒気を操る冬の妖怪なのよ。冬以外の季節は、彼女にとってほとんど真夏みたいなものなの」
「それって…」
「なるほど」

パチュリーとアリスは何かに気づいたような顔をする。
二人の様子を見て、レティは軽くウインクした後、こう言った。

「お察しの通り、雪女です。そう呼んだ方がいいでしょう」
「……」
「そういえば以前咲夜が、幻想郷でも冬になるとそういうのが湧くって言ってたわね」

レティの冗談めかした口調には敢えてツッコミを入れず、パチュリーは数年前にあるメイドから聞いた話を思い出していた。

「くっろまーく♪」

ツッコんでほしいようだ。
しかし永琳もパチュリー同様、レティの何かを期待するかのような視線を無視して話を進める。

「冬の終わりに、竹林で倒れてるのを偶然うちの兎が見つけてね。そのままなんとなく永遠亭に居着いちゃって…」

ま、お陰で食料の保存に困らなくなったけど、と付け加えた。

「ここのみんなには感謝してるわ。毎年どこで暑さをしのぐか、悩んでたからね」

渾身のボケ(といいつつわかる人にしかわからない微妙なネタ)を流されても、レティは気にしない。
再びアリス達に視線を移すと、尋ねる。

「それで、あなたたちのお名前は?」
「ふえっ?」

レティの水着姿は近くで見るとさらに目のやり場に困る格好であり、アリスは若干目をそらしていた。
そこを突然レティに顔を覗きこまれ、思わず顔をわずかにのけぞらせてしまう。

「あ、アリス・マーガトロイドよ」
「…パチュリー・ノーレッジ」

反対にパチュリーは、レティの胸元を凝視しながら答えた。
おそらく『この中には雪が詰まっているのかしら?』などと考えているに違いない。アリスは思った。

「アリスにパチュリー…ね。本を探してるの?」

レティはトロピカルジュースのグラスに口をつけながら言った。

「ええ。『The Secret Afternoon』っていう魔導書を探してるのだけど…」

相変わらず魔導書らしからぬ書名を口にしながら、パチュリーは指で空中に四角形を描く。

「これぐらいの。知らない?」
「ちょっと待ってね。ここで借りた本が何冊かあるから…」

体質上仕方のないこととはいえ、やはりずっと狭い部屋に篭もっているのは退屈なのだろう。
レティは部屋の奥に入って行く。
永遠亭の住人が読み飽きた本を、何冊か氷室の中に置いているということだった。
体質上仕方のないこととはいえ、やはりずっと狭い部屋に篭もっているのは退屈なのだろう。

「……」

パチュリーは一瞬躊躇ったが、意を決した表情でその後に続いた。

「パチュリー…大丈夫?」

病弱なパチュリーの身体には、氷室の寒さはかなり応えるだろう。
アリスはそのことを心配しながら、パチュリーに続いて歩を進める。

「ちょっとの間なら平気よ…いざとなったら火を起こすわ」
「「それはやめてほしいのだけれど」」

永琳とレティは声をそろえて言った。
やがて氷室の奥にある小さな本棚(!)の前に立つと、レティは人差し指を口元に当てた。

「『The Secret Afternoon』ねえ…そんな本あったかしら…」
「結構大きめだからすぐにわかるはずよ…って、ちょっと何なのよこれー!?」

パチュリーは驚愕の表情でノリツッコミをかました。

「何って、本棚よ」
「どこの世界に本に霜が降りてる本棚があるのよ!?」

場所が場所だけに当然なのだが、その本棚は(そこに並ぶ本も含め)何から何まで凍り付いていた。

「あらあら、本は霜が降りてるくらいがちょうど読みやすいのよ?」
「どこがよ!?」

本と共に生き、本を愛するパチュリー・ノーレッジ。
他人の本といえど、そのような扱い方を見て黙っていられるはずがない。
しかし雪女には雪女の価値観があるようで、レティも譲らない。

「あなたも読書家ならわからないかしら。パリパリに凍りついて、互いに張り付いたページを少しずつはがしていく楽しさ…」
「あんたは公園でエロ本拾ってくる中学生か!」
「いや、それは凍ってるんじゃなくて、前に持ってた人のs」
「ここは全年齢サイトよ!そこまでにしなさい!!」

怒涛のツッコミラッシュによって、何とかパチュリーは身体を暖めることに成功したようだ。
その間に永琳とアリスは、本棚に並んだ本の書名を確認していく。

「…ないわね」
「ええ。永遠亭で本棚がある場所は、あとはもう姫の部屋くらいしか…」
「…ねえ」

ふと思い出したことを、アリスは何となく尋ねてみた。

「何かしら?」
「今日は、あの兎を見ないわね…ほら、あなたの弟子の」
「鈴仙のこと?…昨日、ちょっとね」

アリスが永遠亭を訪れる際に、よく顔を見ていた兎が、今日はいなかった。

「さっきの薬品庫…薬瓶を割っちゃったのはあの子なの。それで、ちょっときつく叱りすぎちゃったみたいで」
「すねてるの?」
「そうね。普段は多少きつく怒ってもそんなことはしないんだけど…」

永琳は溜め息をついた。
彼女にしてみれば、昨日から今日にかけては全くの厄日だと言わざるを得ないだろう。
薬品庫で毒ガス発生、さらに弟子と仲違いしているところに、取り立て人パチュリー・ノーレッジの襲撃。
アリスは自分が本の取り立て側にいることも忘れ、永琳に同情を覚えた。

「まあまあ落ち着いて。冷凍ミカン食べる?」
「うわ、雪山の中から普通に食べ物が…あら?雪の中にも本が…『曰く付きの人形物語』?」

パチュリーとレティは雪山をごそごそと探っていた。

「ああ、それは読みかけのやつ。途中まで読んだけど、あんまり面白くなかったわね」
「…あら、これ、アリスが書いた本!?」
「あはは…そう…面白くなかった…そっかあ…はは…」

アリスは乾いた笑いを響かせた。
レティは「しまった!」という表情で、必死にフォローしようとする。

「えーと、いや、で、でも色々と助かってるのよ?ほらこれ、カチカチに凍ってるでしょう?釘が打てるのよ」

しかし、どう考えてもフォローになってはいなかった。

「ああ、アリスの本だけに…」
「うまいこと言うわね」

パチュリーと永琳も、アリスを慰める気などさらさらないようだった。
もう笑うしかない。
なのに、どうしてこんなに涙が溢れてくるんだろう。
アリスは、自分の身体と心がすっかり冷えてしまっていたことに気づいた。








「で、結局ここにも本はなかった、と」
「…そういうことになるかしら」

アリスは疲れきった声でパチュリーに言葉を返す。
なんかもう色々とボロボロである。
ひとまずケーキは氷室に置かせてもらえたが、もはやそんなことはどうでもよくなっていた。

「アリス、元気出して…大丈夫よ、きっとあの雪女にしたって、最後まで読んだら評価も変わるって」

パチュリーは珍しく焦り気味の表情で(今更)アリスを慰める。

「…そうかな…」

アリスは色々と思うところはあったが、とりあえずパチュリーの言葉を嬉しく思う。

「そうよ!ほら、世の中にも色々あるでしょう?コミック●ッタとか覇○マガジンとか」
「評価が変わる前に世の中から消えていったものばっかじゃない!」

三人はレティに別れを告げ、永遠亭の廊下を歩いていた。
結局、氷室では本はおろか、その情報も得ることはできなかった。
収穫といえば、「永遠亭の氷室ではアリスの本で釘が打てます」ということがわかったぐらいである。

「他に心当たりのある場所は?」
「姫の部屋ね。たまに本の貸し借りなんかもするし、姫自身が持ってる可能性があるわ」

姫――この永遠亭の主にして、永遠の時を生きる月の姫、蓬莱山輝夜のことに他ならない。

「ふーん…あなた自身は『The Secret Afternoon』を貸した記憶はないの?」
「結構頻繁に本を貸したりするから、あまり覚えてないけど…そうね」

永琳は少し黙った後、告げた。

「今までいった場所の中では、一番希望が持てるかも」
「…だったら最初に、そこに案内しなさいよ」

パチュリーは呆れ顔で口を尖らせる。
アリスもその通りだと思った。
結果として本はなかったわけだから、薬品庫、氷室のどちらの探索も、避けられるイベントだったように思う。

(メディスンとはなんとか仲良くなれたし、レティも兎がケーキに手を出さないようにしてくれるって言ってくれたけど…)

そこで出会った妖怪や、彼女達と繰り広げたドタバタ劇も、退屈しないと言う意味では有意義だった。
それに、知人が増えるのは悪いことではない。これまで知らなかった永遠亭の一面にも触れることができた。
収穫がない時間だとは、思わなかった。

(ただ、なんか疲れるのよね…本一冊探すにしては…)

やれ痴女だの、やれ本がつまらないだの、不必要に精神的な疲労を生む会話が多かった。
主に自分だけが…いや、永琳も結構な災難を被っているか…。
とにかく、次の場所では、さっさとパチュリーの本が見つかるか、あるいは変に話がこじれることなく探索が終わるか、
何でもいいので、これ以上ロクでもない目に遭うのは避けたいアリスであった。




******




永遠亭を出たメディスンは、鈴蘭畑への帰り道を急いでいた。
先ほど、様子のおかしい鈴仙に出会ったときはやや困惑したが、永琳に聞いた話を思い出して納得した。
薬品庫で毒ガスを発生させてしまったのは鈴仙で、そのことで永琳に叱られたという。
鈴仙の様子がおかしかったのは、それで落ち込んでいたせいだろう。

「お弟子さんって大変だね、スーさん」

メディスンは道端にさいた鈴蘭の花に話しかける。
もうこの辺りはメディスンの暮らす無名の丘の近く、鈴蘭もあちこちに咲いている。
吹き抜ける風は暖かく、もう幻想郷中に春が来ていることを感じさせる。
ただ、今吹いた風は少々勢いが強すぎたようだ。

「ひゃっ」

周囲の砂や小石が巻き上がり、メディスンは思わず目をつぶる。
目にごみが入ることは免れたものの、鼻に微小な塵か何かが入り込んだようだ。

「ふぇ…ふぇ…」

鼻腔の奥がムズムズするのを、メディスンは感じていた。

「ふぇっくしゅん!!」

そのまま、大きな動作でくしゃみをしてしまう。
幸い周りに誰もいなかったので、その大きなくしゃみを見られたり、聞かれたりすることは、

「うう~…スーさん、何見てんのよう…」

彼女にとってはないとは言えなかったようだ。
しかし、メディスンはその瞬間、あることに気づいた。
自分の周りに、目に見えない毒の気体が漂っていること。
どうも、永遠亭で吸収してきた毒ガスらしい。
部屋中に広がっていた毒ガスを一気に吸収したので、体内の量が飽和していたようだ。
時間がたてば、毒はエネルギーとしてメディスンの中で消費されるだろう。
今は、多すぎる未消費分がくしゃみと共に外に出てしまったようだ。

「うう、出ちゃった…早く集めなきゃ…コンパロコンパロ~…」

メディスンは鼻の辺りを手でごしごしとこすりながら、体外に出てしまった毒を集めようとする。
その時、近くを飛んでいた一匹の虫が、毒ガスの漂う空間を通り過ぎた。

(あっ…)

おそらく毒ガスを吸い込んだのだろう、虫の動きは目に見えて異常を示すようになった。
メチャクチャな軌道で飛びながら、丘のほうへと去って行った。
吸い込んだだけで死に至るような代物ではないようだが、かなり危険な毒であることがわかる。
神経に作用するものの類なのだろうか。

「うわあ…これは危ない…コンパロコンパロ、毒よ早めに集まれ~」

メディスンはそれ以上被害を広げることなく毒ガスを集めることに成功したが、何かが心に引っかかった。

「今の毒ガス…誰も吸ってないよね…」

自分が薬品庫に入ってからは、誰も毒ガスのある場所には近づいていないはずだ。
では、その前…たとえば、毒ガスの発生直後は?
メディスンの心の中で、急に不安が膨らみ始めた。
もう自分の住処、無名の丘の鈴蘭畑は目の前だったが――メディスンは踵を返す。

「大丈夫だよね…!」

悠長に歩いてはいられない。
メディスンは青空に飛び立つと、一直線に永遠亭を目指した。




******




「待ちなさいてゐーっ!!」
「うわーい、姫様おこったー!!」

他の部屋よりも明らかに広い和室の中で、二人の少女が追いかけっこをしていた。
楽しげに畳の上を跳ね回っているのは、頭上に長い耳を持つ妖怪兎。
その兎を、顔を赤くして追いかけているのは――白い肌と長い黒髪のコントラストが鮮やかな、人間の少女だった。
てゐ、と呼ばれた兎は箪笥の上に乗ったり、四肢を突っ張って天井の隅にへばりついたりしながら、逃げる。
追いかける黒髪の(まあ、兎の方も髪は黒いのだが)少女は、そんな兎のトリッキーな動きに振りまわされ気味だ。
そもそもこの少女の服装からして追いかけっこには適していない。
十二単の和服のような上着に、つま先まで隠れるほどのロングスカート。

「あっ!」

案の定、少女は自分の足でスカートの裾を踏み、転んだ。

「あはは、姫様転んだ~」
「んんっ、もうっ!」

地面に倒れた少女は、苛立たしげに叫ぶ。

「ふふふ、逃げるのは得意中の得意なんだからね!」

てゐは得意げに笑うと、襖の向こうへと、

「…へえ…?」
「え?」

走り抜けようとしたところで、何かにぶつかった。
見上げてみれば、そこには先ほどまで自分の後方にいた少女の姿が。

「お馬鹿ね。須臾を操るわたしから逃げられると思った?」

少女はてゐの後襟をつかむと、そのまま持ち上げる。
ちなみに須臾(しゅゆ)とは、普通の人間には感知できないほどの、ごく短い時間のことを言う。

「姫様、鼻の頭が赤くなって…」
「誰のせいよ!」

いつの間にか、少女のスカートの裾は膝の辺りまでめくれ上がり、端を縛られていた。
上着の両袖も肩までまくられており、先ほどに比べると、ずいぶんと動きやすそうな格好になっている。
少女はてゐを片手で持ち上げたまま、意地悪な笑みを浮かべた。

「さあて…どうお仕置きしてあげようかしら…」
「ま、待って姫様、わたしが悪かったです!だからその物騒な竹槍をしまってくださいまし!」

自分が逃げられないことを悟った兎は、掌を返したように頭を下げる。

「今更遅いわよ!全く、鈴仙がいないとすぐこれなんだから…」

姫様、そう呼ばれた少女は、呆れ顔で溜め息をつく。
どこから取り出したのか、竹槍片手に、着ている服の袖と裾を豪快にたくし上げたワイルドな格好をしていたが、
その振る舞いには、やんごとなき身分の者に特有の気品があった。
しかし。

「へえ…これが日本のお姫様ってやつなの。本で見たのと『だいぶ』違うわね」
「え?」

裾を踏んづけて豪快にズッコける場面から彼女を見ていたパチュリーには、その気品は伝わらなかったようだ。

「あ、あはは…」
「……」

とりあえず笑ってみるアリス、右手の掌で顔を覆う永琳。
少女は右手に兎、左手に竹槍を持ったまま、いつの間にか部屋の入り口に立っていた者達の存在に気づいた。

「…いっ」

そして今の自分の格好を見て、少女の顔はみるみるうちに赤く染まっていった。

「いやあああ~!?」




【永遠亭・主の部屋『失意にのまれ立ち尽くす麗しき月の間』】




数分後。

「なるほど…永琳が借りた本をね」

蓬莱山輝夜は横に控える従者と、正面に座った客人とを見比べながら、言った。

「色々探したんだけど、どうしてもないの。あとはここくらいしか…」
「それより」

パチュリーが口を挟む。

「何かしら、えーと…パチュリー、だったかしら?」
「ええ。…あれは放っておいていいの?」

そう言って指差す先には、手足を縛られ、身体の自由を奪われた妖怪兎が転がっていた。

「いいのよ、今はあの子のお目付け役もいないし…しばらくおとなしくしててもらうわ」
「まったく鈴仙ったら、姫のお手を煩わせるなんて」

永琳も溜め息をつく。
そんな二人の様子を見ながら、アリスは思い出していた。
確か部屋の隅に転がされている兎は因幡てゐ、幸運をもたらすとかいう地上の兎だったか。
よく他愛もない悪戯をしては、月兎…鈴仙に叱られている光景を見た記憶がある。

「ふふ。千年近くも引き篭もり生活をしていたと聞いていたけど、なかなか行動的なのね」

パチュリーは今度は、壁に立てかけられた竹槍に視線を移し、それから輝夜を見る。
少し意地悪そうな笑み。
その目は輝夜を通して、数分前の過去を見ていた。

「…う、うるさいわね、兎を捕まえるのは大変なのよ」

輝夜の服装は、今は元に戻っている。

「能力をお使いになるのでしたら、裾をまくりあげる必要はなかったのでは?」
「の、能力使っててもこけるときはこけるのよ」

永琳も先ほどの輝夜の格好を思い出し、やや呆れたような顔になっている。
輝夜はバツが悪そうな顔で永琳から視線を外すと、パチュリーとアリスのほうに向き直った。

「それで、本だったわね」
「「ええ」」

二人は思わず、ユニゾンで返事をした。
緊張が高まる。
この場所で本が見つからなければ、絶望的だ。
パチュリーにとっては、大切な本が帰ってこないという意味で。
アリスにとっては、怒り狂ったパチュリーが間違いなく何かやらかすだろうという意味で。



「…『The Secret Afternoon』。確かに、それはわたしが永琳から借りたわ」



ああ。
助かった。
ついに本が返ってくるのだ。アリスは安堵した。
同じ家の者とはいえ、永琳が借りた本を又貸ししたことで、パチュリーは文句を言うかもしれない。
ただでさえ返却期限を大幅に過ぎているのだし、憎まれ口の一つもなく終ることはありえない。
でも、本は返ってくるのだ。
そのことでだいぶパチュリーの機嫌は直るだろう。
そもそも今は、輝夜(の失態)のお陰で、場の雰囲気はかなり和やかだ。
恐れていたパチュリーの暴走と、それに付き合わされる憂き目は、おそらく見ずに済むだろう。

(他の未返却図書はほとんど回収済み…これで全て終るのね…)

思い起こせば、楽しくも慌しい日々だった。
時折というかほとんどの場合パチュリーが暴走し、自分は振り回されるばかりだった。
ああそれでも、いつもわたし達は二人で敵に打ち勝ってきたのだ。
頭を捻って、力を合わせて。
本を取り返したときには、まるで自分のもののように、達成感と喜びを感じた。
あ、魔理沙から取り返したものの中には、わたしのもあったんだっけ。

『わたしたち、案外いいコンビかもね』

かも、じゃないわよ。
普段全然動かないくせに、いざ走り出したら止まらないんだから。
適当なところでわたしがツッコミ入れないと、何をしでかすかわかったもんじゃない。

『バッチリよ。あなたもよくやってくれたわ』
『クールに徹するわ…あなたの働きを無駄にしないためにもね!』
『ぐげげげげげげげげげげ!!』
『アリスって、意外と容赦ないのね』

ま、楽しかったわよ。結論。
でも二人の魔女の大冒険は、ひとまずおしまい。
みんなでケーキを食べて大団円。ハッピーエンド。
明日からまた、図書館で紅茶でも飲ませてもらうわよ。
…早速「明日から」なんて、わたしも相当なもんね…いやはや。

「くす…」

アリスは思わずこみ上げてくる笑いを抑えながら、パチュリーの方を向こうとした。















「でもあれ、今ちょうど妹紅に貸してるのよね」














「…え?」

あれ、今なんか、変な幻聴が聞こえた気がする。
モコウ?カシテル?そ、それは、何語ですか?
あ、月の言葉か!
嫌ねえ輝夜ったら、ここは幻想郷よ!?日本語を話しなさいっ!
…って、これはわたしの台詞じゃないわね。
ま、まあ何にせよ、今のは別に気にするようなものではなく…。

「あのエロ本、なかなかよく出来てたわねー。お子様なもこたんには早すぎたかしら」

うわあエロ本って言っちゃったよこの人。
ていうかやっぱりエロ本だったのか…パチュリーもそういうの、興味があるのかな。
…いや、あるか。当然か。
というかそもそもこの間の魔理沙の…ああ、あれは記憶の片隅に鍵をかけてしまっておくべきものよ!

「…って、そうじゃなくて!」

まずい!パチュリーは本が返ってこないことよりも、自分の本が無断で二度も又貸しされたことを怒るタイプ!
今のパチュリーは一発で竹林ごと全焼させるような炎弾を放った後で、

『今のはロイヤルフレアではない。サマーレッドだ』

とか言っちゃってもおかしくない!

「パチュリー待って輝夜に悪気はなかったんだから落ち着いて話せばわかる人類皆魚明日はカマボコ…」

気が動転してメチャクチャなことを口走りつつ、アリスはパチュリーに飛びついた。
いざとなったら、パチュリーを拘束したまま永遠亭から強制的に脱出だ。
そのまま博麗大結界を(なんとかして)超え、魔界まで全速力で飛んでいこう。
実家に帰って、

『お母さん、わたしこの女(ひと)と結婚するの!』

とでも言えば、さすがのパチュリーも頭が冷えるだろう。

(そんなこと聞いたらお母さん泡吹いて倒れるかもしれないけど…幻想郷が消し炭になるよりましよ!)

幻想郷の平和のためなら神すらも生け贄に捧げる。
見えるだろう、見果てぬ先まで続くアリスの闘いのロードが。

「え、永琳、はやく輝夜を連れて、できれば外宇宙ぐらいまで逃げて!銀の鍵の門を越えて!」
「え…あの…」

永琳は何がなんだかわからないという様子で、パチュリーとアリスを見比べていた。
輝夜は相変わらずの笑顔で、妹紅のパンツがどうのという話を続けている。

「パチュリー、今は落ち着いて…ね?…パチュリー?」

アリスは気づいた。
パチュリーは先ほどと同じ姿勢のまま、そこに座っていた。
表情もいつもの仏頂面、特に怒っている様子はない。

(お、怒って…ない…の…?)

又貸しされたとはいえ、本の所在がわかったことで、怒りが抑えられたのだろうか。
パチュリーは大人になったのだろうか。

「…いなぁ」
「え?」

ぼそぼそと、独り言を発するような声で、パチュリーは何かをつぶやいた。
アリスはパチュリーの顔を覗きこむ。

「…かしいなぁ」

アリスは、自分が大きな勘違いをしていたことに気づいた。
パチュリーは確かに怒りを表情に出してはいなかったが、それは怒っていないというわけではない。
というか、いつもの仏頂面だと見えたそれは、ある部分が普段とは決定的に違っていた。
完全に目が据わっている。
パチュリーは立ち上がると、その目でゆっくりと輝夜を見た。

「それで妹紅ったら涙目になっちゃって…ひっ!!」

その視線を正面から受け止めた輝夜は、思わず身を縮める。
千年の時を生きる永遠の姫にも、見ただけで反射的に恐怖を抱くものが、この世にあったのだ。

「おかしいなぁ…どうしちゃったのかな」

パチュリーの声は、まるで地の底から響いているようだった。
怒りのせいか、口調も普段とは違っている。
アリスと永琳は動くことはおろか、パチュリーから目を離すことすらできないでいた。
輝夜にいたっては、目に涙すら浮かべ始めている。



「他の人に見せたいのわかるけど、図書館の本はあなたの私物じゃないんだよ?
貸し出しのときだけ言うこと聞いてるふりで、返却期限破って又貸しするなら、
図書館の意味、ないじゃない。ちゃんと、期限までに返そうよ…。
ねえ、わたしの言ってること、わたしの図書館の規則、そんなに間違ってる…?」



そもそも直接本を借りたのは永琳であって、輝夜ではない。
その永琳も、最初の時点で規則もへったくれもない本の借り方をしていたのだが、
もはや今のパチュリーにはそんなことは関係なかった。

パチュリーと輝夜は徐々に距離を縮めて行く。
その様子を見ている他の三人の胸の中は、以下の通りである。



(アリス)
地上で最もブチ切れてる生物!
パチュリーを暴れさせてはならないわ!
たとえこの命をかけても!
それが彼女の友達としての わたしの宿命!


(永琳)
ドジこいた――ッ
輝夜に本を返させて
一件落着と行くつもりが
こいつはいかーん!
パチュリー・ノーレッジは怒り狂っている!
ドサクサに紛れて「わたしの詩集」を奪還するチャンスは今しかない!
チクショ――!!


(てゐ)
フン!
魔女どもの本なんぞ関係ないね!
さっさとこの縄を解いて
できるだけ永遠亭から遠いところまで逃げる………
それだけよ!


しかし、パチュリーが放つ魔王がごとき威圧感に、三人は指一本動かせないでいた。
輝夜は恐怖のあまり、既に失神しかかっている。
パチュリーは濁った目のまま、静かに右手を顔の高さまで持ち上げた。
人差指を突き出し、その先端に魔力を集中する。

(((殺(や)られる!!)))

もはや全身の毛穴から緑色の汁を吹きはじめている輝夜を除く三人は、死を覚悟した。
パチュリーはその覚悟ごと粉砕するような、巨大な水塊を指先に発生させる。

「少し、頭冷やそうか…」

クロスファイ…ではなく、ノエキアンデリュージュ…の超特大版。
半径三メートルはあろうかという水塊が矢継ぎ早に襲い来る様は、さながら重機関砲。
頭が冷えるというレベルではない。
パチュリーの目が大きく開かれる。

「土水符」
『散符』
「ノエキアン」
『ロケット』
「デリュージュ」
『イン』
「…え?」
『ミスト』

スペルを発動させるパチュリーの声に、何者かのそれが重なった。
今目の前にいる輝夜、アリス、永琳、そのいずれのものでもない。
背後に横たわるてゐのものでも、ない。
今まさに放たれんとする水弾は、パチュリーの指先で止まったまま。
この声は一体――パチュリーの脳裏に、その疑問がよぎった瞬間。
背中に、衝撃を感じた。


「――――」


同時に、パチュリーの華奢な身体は、その衝撃に弾かれるように、宙を待っていた。
意識が途切れる寸前、パチュリーは気づく。
自分が、背後から何らかの攻撃を受けたこと、
そして、その攻撃――今もなお、一直線に自分の身体を狙い撃つ、無数の流線型の弾は、
背にしていた襖の――今は大きな穴が開けられ、見るも無残な姿になっているが――向こう側から放たれたということを。

「……え、あ……」

アリスは、何が起こったのか全くわからないまま、その光景を見ていた。
襖の向こうから飛んできた弾幕に、パチュリーは吹き飛ばされた。
不意打ちだった。
おそらく、パチュリー自身も、全く反応できなかったのだろう。

「……な、何が起こったの……?」

そのままパチュリーの身体は障子を破り、部屋の外へ出て行った。
それを確認したのか、見えざる敵の攻撃が止む。
穴だらけになった襖を蹴破り、その者は部屋へ入ってきた。

「れ…」

その姿を確認し、最初に声をあげたのはてゐだった。
永琳と、なんとか意識を取り戻した輝夜も我に帰り、入ってきた人影に目を向ける。

「「「鈴仙!!」」」

そこに立つのは、地上でただ一匹の月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
鈴仙は、パチュリーが壊した障子の向こうを一瞥した後で、永琳のもとへ歩み寄る。

「た…助かったわ。ホントに死ぬかと…」

永琳は弟子の顔を見て、安堵の表情でがっくりと膝をついた。
てゐと輝夜も、同様に身体の力を抜く。

「……」

鈴仙はそんな師の様子を、何も言わずに見下ろしている。

「そうだ」

永琳は鈴仙を見上げると、少し照れ臭そうな笑顔を浮かべた。

「あなたに謝ろうと思ってたの。昨日はちょっときつく叱りすぎたかなって…」
「…そうですか…いえ、そのことに関しては、わたしも別に…」
「そう?」
「はい…それより、お師匠様…」

鈴仙は抑揚のない声で、永琳に語りかける。
永琳は特にそれを疑問に思うことなく、鈴仙の声に耳を傾けた。

「何かしら?」
「あなたと…あとは一応、姫様も…」

鈴仙はそこで言葉を切り、部屋の入り口に向かって手を上げて見せた。
そこから一瞬遅れて、大勢の妖怪兎が部屋の中になだれ込んで来た。
いずれも、この永遠亭に住む、地上の兎である。

「ちょっと、いきなりどうしたの?」

これにはさすがの永琳も、当惑した表情を見せた。
鈴仙はそんな永琳を、濁った目で見つめる。

「あなた達二人を…拘束します!」
「対象確保ー!救護班はてゐ様の救出を最優先にー!!」
『USAAAAAAAA!!』

部屋に入ってきた兎たちは、あっという間に輝夜と永琳(とついでにアリス)を床に押さえつけた。
あまりにも急な事態に、三人とも目を白黒させるばかり。抵抗するという発想にすら、行き当たらないようだ。
残りの数匹の兎はてゐの拘束を解き、助け出す。

「あ、ありがと…でもあんた達、なんで?」

てゐにも、兎たちが永琳と輝夜を拘束する理由は、わからなかった。

「そうか、てゐはまだ知らなかったのよね」
「あ…鈴仙」

鈴仙は心配そうな表情を浮かべ、てゐに近づいてきた。

「大丈夫だった?怪我は?変な薬とか、打たれてない?」
「え…う、うん。別に縛られただけで、何も…」
「そっか…よかった。うん、よく考えたら、食べる前に変な薬なんか打つわけないか…」

鈴仙の言っていることが、てゐにはわからない。
薬とか食べるとか、一体何のことだろう?

「ショックかもしれないけど…てゐ、よく聞いてね」

鈴仙はてゐの肩を掴むと、正面からその目を見つめ、言った。
その表情は真剣そのもの、あまりの気迫に、てゐは思わず頷いてしまう。

「う、うん…」
「お師匠様は…いいえ、八意永琳は!」
(え?わたし?)

床に押さえつけられた状態のまま、永琳は自分の名が呼ばれたことに、驚きの表情を浮かべる。
そしてその後に鈴仙が続けた言葉は、さらに驚くべきものだった。




「わたしたちを兎肉として、人里に売り飛ばそうとしているのよ!!」




「「「「はあ?」」」」

鈴仙の目の前のてゐ、黙って聞いていたアリス、永琳、輝夜。
いずれも疑問符を浮かべ、首を傾げた。

「あの、鈴仙、何を言って…」
「てゐ、詳しいことは後で説明するわ。誰か、てゐを奥の部屋で休ませてあげて!」
「え、あ、ちょっと!?」

数匹の兎に抱え上げられ、てゐは部屋の外へ運ばれていった。

「鈴仙、何を言っているの?このわたしがそんなことするわけ…」
「黙りなさい」

鈴仙は高圧的な態度で師の言葉を遮ると、あろうことか、その頭を踏みつけた。

「ぐっ…」

鈴仙は周囲の兎たちをぐるりと見回すと、大きな声で叫んだ。

「我々兎角同盟は、これまで永遠亭のため、主のために、心身を削って尽くしてきた!」

『USAAAAAAAAAAA!!』

「しかし今、我々は食材として、人間の夕飯のおかずの材料として、売り飛ばされようとしている!」

『USAAAAAAAAAAA!!』

「このような非道な仕打ちを甘んじて受け入れる理由があるだろうか!?いやない(反語)!!」

『USAAAAAAAAAAA!!』

「我々兎角同盟は、全力を持って、その鬼畜極まりない企みに反逆する!!」

『USAAAAAAAAAAA!!』

「あんた達はそれしか言えないのか!!」

『USAAAAAAAAAAA!!』

「…まあいいわ。とにかく!トップは押さえた!これより永遠亭を…」

鈴仙は大きく息を吸い込む。
そして、先ほどよりさらに大きな声で、その言葉を告げた。





「我ら、兎角同盟の支配下に置く!」





******





メディスンは永遠亭の入り口で、数匹の兎によって通せんぼされていた。

「どいて!今すぐガスの効果を確かめないと…永琳に会わせて!」
「だめです。現在、永遠亭は色々と立て込んでいるため…」
「れ…鈴仙が危ないかもしれないの!」
「鈴仙様?」

その名を聞いた兎が、わずかに眉を吊り上げる。

「それなら心配ないわ。鈴仙様は健在よ。むしろ今は、わたしたちのために戦ってくれているところ」
「た…戦ってる?」
「ええ。それと、八意永琳には、しばらく会えないと思った方がいいですよ」

酷く冷淡な口調で、兎は告げた。




毒人形の瞳は、不安に揺れる。




******





「あらあら。なにやら暑苦しいことになってるのねえ」

氷室の扉を僅かに開き、レティは外の様子を伺っていた。
何匹もの兎が、慌しく廊下を行き来している。

「こういう場合、傍観者を決め込むのが一番無難なんでしょうけど」

レティは机の上に置かれた、アリスのケーキを振り返る。

「ここが戦いの場にでもなるっていうのなら…ま、多少は、ね」

レティはデッキチェアに身を沈めた。
とりあえず今は、自分から動くつもりは、ない。




水着雪女の胸は、大胆に揺れる。




******




パチュリーはゆっくりと身体を起こした。
随分派手に弾き飛ばされたようだ。障子を突き破り、庭先にまで達していた。
少しの間、意識を失っていた。
身体のあちこちが痛む。
服もボロボロだ。

「全く」

パチュリーは服に付いた土ぼこりを払うと、自分が先ほどまでいた部屋の方を見る。

「全く」

そして、ゆっくりと歩き出した。

「全く、この屋敷の連中は」

部屋の中からは喧騒が聞こえる。
何が起こっているのかは、ここからはわからない。
ただ一つわかることは、それは間違いなく、自分にとって気分のいいことではないということだ。

「どこまでわたしを不愉快にさせれば…気が済むのかしら!」





魔女の両目に、どす黒い炎が揺れる。





******





『そうか、もしかしたら、夢の世界とは魂の構成物質の記憶かも知れないわ』
                              ――マエリベリー・ハーン                                 
『魂の抗生物質?』
                              ――宇佐見蓮子




******






『コードアリス 返却のパチュリー 』 

STAGE3 竹明し編 続く















幻想郷のどこかにあるといわれるマヨヒガ。
そのマヨヒガのある場所で、木に登って遠くを見つめる少女が一人。

「…!?」

何かに気づいたのか、身体を一度大きく震わせ、木の上から飛び降りる。

「藍さまー!!前回ラストの伏線が全然意味を成してないよー!!」

そう言うと、少女は二又に分かれた尻尾を揺らしながら、家の中へと駆け込んでいった。
空はどんよりと曇り、これから訪れる「何か」に対する警告を伝えていた。












『コードアリス 返却のパチュリー 』 

STAGE4 猫回し編
STAGE5 鬼恋し編

そのうち書きます(一部地域を除かない)
【次回予告】

鈴仙「お師匠様!あなたはわたしを裏切った!」

疑惑。

輝夜「『この国をブッ潰す』…それがお爺さんの口癖だった」
永琳「ここは貴女とわたしが、始まった場所…そして、あの子達も…」
アリス「どうして!?もう戦う以外の手段はないの!?」
パチュリー「すでにわたしの手の中で、最大最強のスペルカードが鼓動を始めている!」

決意。

レティ「そんなことより、もっと先に考えることがあるでしょう?たとえば地球温暖化とか」
メディスン「何がどうなっちゃってるの~!?」

混乱。

??「最初に言っておく!わたしと輝夜は、かーなーり仲が悪い!」
??「最初に言っておく!角のリボンは飾りだっ!」
??「さん、はち、に、いち…あ、あれ?パチュリー様が言ったとおりにしたのに…」

拡大。



次回

『コードアリス 返却のパチュリー 』 

STAGE5 竹明し編〈完結〉

   r,ヘ──- ,ヘ_
   rγー=ー=ノ)yン´
   `i Lノノハノ」_〉
   |l |i| ゚ - ゚ノi|   あなたは、そこにいますか…? 

    ,..:::─:::.、
   ,:'::::::::::-==ヽ
   i/<:L:iλ::i::」
   i::i::|i ゚ ヮ゚ノ:|   スペルカードバトル、スタンバイ♪

     _,,...,_
   r' 〈╋〉`!
   ,'ゝ,,..-─-イ
   i ノ レイ^iル〉
  λイi ゚ - ゚ノリ    目覚めよ、その魂!

    _,........,_
  , ´,.-== ,ヽ
  i (ノノλノ)リ
  ルイ); ゚ ヮ゚ノ)   まともに終りなさいよ!


注意:この次回予告はうそではありません。次回があるという点に関しては、間違いありません。
でも内容や登場人物には、若干の変更がある可能性がないわけではありません。


まずは、ここまで読んでくれた貴方に感謝を。
楽しんでいただけたなら幸いです。
ぐい井戸・御簾田
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.3620簡易評価
17.100名前が無い程度の能力削除
続編きたよー。ひゃっほい。
前回よりギャグはパワーダウンしてる気がしますが、パチェのテンションは更に上がっている気がします。
なによりもアリスとパチェのコンビが良いです。
続きもわくわくしながら待ってます。

ていうかえーりん何してるん?詩集って…www
23.100名前が無い程度の能力削除
竹取の翁、そんなこと考えてたのか・・・・
24.100名前が無い程度の能力削除
ちょwww白い魔王がwwwww
アリパチェは俺のジャスティス。次回も期待!
25.90名前が無い程度の能力削除
アリスとパチェとメディが可愛すぎる。永琳と輝夜も可愛すぎる。

何が言いたいかというと、次回が楽しみ過ぎて創想話のチェック回数が上がりそうだと言う事だ。
26.90猫翔削除
タイトルの元ネタのごとく良い所で寸止めとは…
アリスとメディとかパチェとえーりんとかが良かったです。
29.80名前が無い程度の能力削除
まさかの続編来ちゃったこれw
30.100SETH削除
最低だ・・・

もちろん最高って意味でね!w
31.100名前が無い程度の能力削除
えーりん師匠を貰いに行きたいのですが、永遠亭はどちらに行けば?
32.100名前が無い程度の能力削除
長いこと待ち焦がれてましたよ。
早く続きをCOME ON!!
33.100名前が無い程度の能力削除
アリスとパチェが可愛すぎてもうどうしたらいいか…
34.無評価名前が無い程度の能力削除
冒頭のナレーション(?)のおかげで台詞以外の文がタラちゃんのお父(ry の声で再生されてしまったw もっとかがやけー
35.90名前が無い程度の能力削除
↓点数付け忘れたorz
36.80名前が無い程度の能力削除
カイバチュリー自重!
39.100名前が無い程度の能力削除
スピードワゴン、バーンetcetc
楽しませていただきました。
40.80名前が無い程度の能力削除
魔王パチュリー吹いたwwww
46.50名前が無い程度の能力削除
輝夜って鈴仙やてゐのことはイナバってよんでなかったっけ?
51.80名前が無い程度の能力削除
パチュアリもレティも可愛すぎる。
54.100名前が無い程度の能力削除
続きを、続きをくれ~orz
非常にいいです。パチュリーが^^早く続きをください^^
55.100名前が無い程度の能力削除
続編ktkr!そしていきなりの襲撃にSPT吹いたww
ほんとここはレベル高い作品ばかりですね
56.80名前が無い程度の能力削除
いちいち小ネタがつぼに入るw
続編に期待してます!wktk
57.100名前が無い程度の能力削除
ネタが面白すぎwww
魔王吹いたww
59.90印度削除
突っ込みきれないほどのネタの嵐を前にして言うのもアレなのですが、
作者様の名の読みがミスタだった事に今更気付きました・・・
62.90名前が無い程度の能力削除
小ネタ豊富すぎw アリス・パチェ・メディ可愛いよ。続きwktk
64.100名前が無い程度の能力削除
耳すませた海神の記憶の間もあることを期待w
66.80悠祈文夢削除
引きこもりと吐き捨てて 友達いないと揶揄される
孤独な生き方否定され 道化は笑いに包まれた
しかし見ろ あれを見ろ
あれがアリスだ パチュリーだ
その魔女 その七色
他にはいない

駄文失礼しました
68.100削除
とりあえず冒頭のレイズナーの間で吹いた。
ニコ動がなかったら8話ネタについていけず、AIBOの城之内デッキに対する感想も思い出せないところだったぜ…
69.無評価A削除
ぐい井戸さんのえーりんかわいいのうwwwかわいいのうwww
次回も期待してます!
72.70名前が無い程度の能力削除
加速していく小ネタの数々に驚愕です。
レイズナーが一番来ました。

○ョ○ョ2部ネタが多かったのに好感触でした。
82.100名前が無い程度の能力削除
うっひょー!!
続きがあったゼ(゚∀゚)
90.100名前が無い程度の能力削除
>誰か彼女を貰ってあげてください。
ならばその役目、私が貰おうっ!
96.90名前が無い程度の能力削除
うむ、小ネタを盛れるだけ盛ってやろうというその根性、実に俺と気が合う。