Coolier - 新生・東方創想話

晩餐の夜

2007/07/16 07:20:24
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《0.少女と妖怪》
 ルーミアという少女がいた。
 麦のような金色の髪に、琥珀色の瞳をした少女。
 白い衣装の上に、混濁した黒の衣装を纏う。首にまとわりつくのは、リボンと同じ赤い色のネクタイ。
 病的なまでに白い肌の少女はしかし、もうこの世にはいなかった。
 だが、それも無理からんこと。少女が生きていたのは、遥か昔の話。電球の代わりに、ガス灯が使われていた時代だ。現代まで生き残れているはずがない。
 幻想郷。
 そこに同姓同名の妖怪がいた。
 ルーミア。
 少女と妖怪の関係を知る者は、もはやこの世には誰一人としていない。時の流れに負けて朽ち果てていったのか。はたまた、人の手か某かによって殺されてしまったのか。
 それを言うのなら、少女も同じ事。
 彼女が死んだのは遥か昔の話だが、寿命で死んだとは限らない。
 もっとも、それを確かめる術はなく、確かめる者もいない。
 ルーミアは今日も空を飛びながら、闇に視界を奪われ、そこらの木にぶつかっていた。









《1.煎餅と暗闇の目》
 刃のない斧で木を叩くような音がした。見上げれば、ルーミアと木が正面衝突しているではないか。
 苦笑しながら、魔理沙はお盆に盛られた煎餅を手に取る。
「相変わらず暢気だな」
「どっちが?」
「ルーミアに決まってるだろ。まるで私も暢気みたいな言い方に聞こえるぜ」
「悪いわね、そのつもりで言ったんだけど通じなかったみたい」
 霊夢の皮肉を聞き流しながら、口の中で煎餅を割る。米と醤油の香ばしい匂いが、咥内に広がっていく。
 魔理沙に習うように、霊夢も煎餅に手を伸ばした。残り枚数は三枚。このままでは、最後の一枚で争うことになる。
 とはいえ、元々は霊夢が用意した茶菓子だ。どちらが多く食べるかなんて、考えるまでもないことである。
「私は煎餅を食べるのに大忙しだ。暢気だなんて評価、どっかの門番にあげてくれ」
 そう言って、魔理沙は煎餅を二枚ほど手の中に収めた。
「確かに大忙しじゃない。一度に二枚食べるつもり?」
「小食なんだ。半分ずつに割って食べる」
「そこまでしなくても。私が処理してあげるわよ、ほらよこしなさい」
「遠慮するぜ。こう見えても意外と慎ましい魔法使いだからな」
 帽子をひっつかみ、煎餅を片手に魔理沙は箒にまたがる。止める暇もなく、あっという間に雲まで届かん勢いで神社から飛び立っていった。
 霊夢は残った煎餅を弄びながら、少しぬるくなったお茶をすする。
 ルーミアがまた木にぶつかっていた。
「本当、暢気ね」
 どちらに向けた言葉なのか、今のところはわからない。










 一人の独裁者がいた。
 国王と言い換えてもいい。どちらでも、民衆から見れば同じ事だ。
 自分の欲望の限りに国を食い荒らし、臣下の者達もそれを諫めることなく、むしろおこぼれを頂戴せんとばかりに見て見ぬ振りを続けている。僅かに残った良心のような臣下達は、国王の独断により処刑されていった。
 民衆とて馬鹿ではない。追いつめられれば、武器を取ることだってある。事実、それで何度も歴史が変わったことがあった。
 しかし、国王は愚かではあったが馬鹿ではなかった。ある物を取り上げることにより、革命の心を消し去っていったのだ。
 武器ではない。食料である。
 鍬や鎌が無くとも生きてはいけるが、水とパンが無ければ生きてはいけない。食材は全て国が管理し、国に従う者達だけに食料が与えられていく。無論、反抗的な者もいたが、食料がない人間の力などタカが知れていた。
 そうして、国王は民衆の反乱を抑えつつ、自らの欲望の限りを尽くしていたのだ。愚かである。
 例え、食料を奪ったとしても革命の炎が消えることはないというのに。一時的な流れに満足し、本当の意味での管理を国王は怠った。
 事実、この王の政治は十年と保たなかった。一斉に武装蜂起した民衆と、国王に反旗を翻す一部の臣下達によって城は攻め落とされたのだ。勿論、国王は皆の前で処刑された。 しかし、そんな事を知らない国王派の臣下の者達は、今日も豪華な晩餐会や舞踏会を開いては、貴族との交流を深めていく。それも自分の職務だと、嘘偽りを並べ立てながら。
 ルーミアの父親もまた、そういった輩の一人であった。
 四人娘の末っ子。三人目の母親との間に、ルーミアは産まれた。今度こそ男の子をと意気込んでいた父からしてみれば、これほどがっかりした出産はないであろう。産まれたばかりのルーミアを見て、舌打ちをした父の話は従者達の間ではあまりにも有名な話である。
 もっとも、ルーミアがそれを知ったのは十を数えたあたりの事であったが。
「いいか、お前は本来この世界に生まれてくるべき人間じゃない。私の娘だから生かしておいてやるのであって、普通なら殺すか捨て子にされている。だからお前は、生かされていることを私に感謝するべきなのだ」
 父はルーミアが幼い時から、同じような言葉を繰り返しては聞かせていた。押しつけがましい上に、何とも非道な言葉である。
 実際は父親にそれだけの度胸が無いだけの話である。口では殺しておいた方が良かったなどと言っているが、部下にそれを命じる心臓など持っているはずがない。それよりもむしろ、ルーミアには母親の方が恐ろしかった。
 何かに脅されるかのように、母はルーミアを一人の淑女として育てようとしていた。それこそ、乱暴な口でもきこうものなら殺しかねないくらいに。
「勘違いしてはいけません。私はあなたの為を思ってやっているのです。不作法な者では、社交界の中では生きていけない。あなたの将来の為に、私はやっているのですよ」
 そんな事を言っていた母も、ルーミアが十二の時に病気で亡くなった。代わりに、次女と三女の母親が家に戻ってきたのだ。
 後は言わずもがな。後妻の子供を大切にする妻など、どの世界にもいないということだ。
 今の母はルーミアから明るい部屋と、満足な食事と、綺麗な服の三つを奪った。そして自由も。
 屋敷も地下の物置で今日も、ルーミアは質素な服を纏いながら、乾いたパンを頬張っていた。
 ただでさえ湿気の多い部屋に、更に湿気を増やさんとばかりに、天井から水滴から落ちてくる。ぴちゃん。僅かな音が反射して、水滴がどこに落ちたのかわからなくなった。
 カビだらけの煉瓦が四方を囲み、あるのは緑色に変色した扉だけ。今の部屋に光が差し込むことはない。
 だから、最初はそれを目の錯覚だと思っていた。
「…………………………………」
 部屋の隅、何もないはずの空間に二つの光が浮いていた。まるで、何かの目のようであった。真珠のような瞳は、ただひたすらにルーミアの身体を見つめ続けている。
「誰、なの?」
 思わず問いかける。しかし、反応はない。
 ルーミアは薄気味悪くなり、震える身体を抱きしめながら、なるべくその目から距離を置いた。それでも、目はそれが職務であるかのようにルーミアを見つめ続ける。
 睨むわけでも、物色しているわけでもない。ただ、見る。
 それだけのことが、ルーミアにとっては溜まらない恐怖であった。
 しかし、勝手に部屋から出ることはできない。扉には外から鍵が掛けられていたのだ。さながら囚人のようだが、ルーミアは何も罪を犯していない。閉じこめられるべき理由など、本当はどこにもなかった。
 これはただ、ルーミアがいると邪魔な人たちが下した判断。ルーミアには一片の罪もなく、罰など必要ないというのに。
 恨みもしたし、呪いもした。誰に。勿論、ルーミアをここに閉じこめた連中にだ。
「………………………………」
 目はまだ自分を見つめている。
 ひょっとしたら、あれはルーミアを殺す為に母が放った化け物なのかもしれない。連中に人を殺す度胸はないけれど、化け物の手に掛かるのなら仕方ない。そう思っているのだろうか。
 はたまた、自分の恨みや呪いが具現化した姿なのかもしれない。だとしたら、どうしていつまでも此処にいるのか。早く母や父を喰い殺してくれればいいのに。目は部屋から出ていく素振りすら見せない。
 また水滴が落ちる。今度は、身体が硬直した。
 いつ、あの目が自分に襲いかかってくるとも知れない。その恐怖は少しずつ、ルーミアの精神を削っていたのだ。
 一時間もすれば、肩で息をするほどに衰弱していた。なるほど、これが母親達の狙いなら、この上ないほどの大成功と言えよう。
 ああ、このままでは自分は衰弱して死んでしまう。そう思ったルーミアは意を決し、立ち上がった。そして、強い足取りで目のある方へ向かい、虚空に浮かぶ二つの光の玉を力任せにぶん殴った。
「このっ!」
 光はまるで雪のようにかき消え、跡形もなくなってしまう。
 ルーミアの膝から力が抜け、腰が抜けたように床に座り込んでしまった。怖かったというのもあるが、それ以上に、こんなことに怯えていた自分が情けなかったのだ。相手は子供が腕を振るうだけで、消えてしまうようなものだというのに。
 結局、その日は目がまた現れるようなことはなかった。
 ルーミアは思った。あれは幻だったのかもしれない。部屋に閉じこめられていた自分が、少しでも変化を求めて作り上げた幻想。
 だとしても。
 やっぱり、自分は衰弱しているんじゃないか。乾いたパンを頬張りながら、ルーミアは乾いた笑いをこぼした。









《2.死蝶と赤いリボン》
 風が吹けば飛びそうな、見るからに見窄らしい小屋。屋根には申し訳程度に藁が積まれ、何個かの石は必死になって飛ばすまいと屋根を押さえつけている。しかして、見る者が見れば警備の厳重さに感嘆の声を漏らすだろう。
 目に見える警備ではなかった。どちらかというと、妖怪や異形に対する結界に酷似している。ただ、それにしても妙であった。貼られた札も、注連縄から垂れ下がる四出も、全て小屋の方を向いている。侵入者を防ぐというよりは、中の人間を出さない為の結界であった。
 そして、小屋へと上がる階段に腰掛ける老人が一人。腕を組み、重厚な拵えの刀を抱きしめるように持っている。
「ねえ、妖忌」
 小屋の中から声が響く。
 置物のように微動だにしなかった老人の白眉が、毛虫の最後の痙攣のように動いた。
「聞いてるのかしら、妖忌。それとも、あなたはそこにいないの?」
「いえ、魂魄妖忌。ここにおります、幽々子お嬢様」
 安堵の溜息が聞こえる。老人に聞こえぬように気をつけたつもりなのだろうが、生憎と聴覚すら鍛錬の範疇にあった。比喩ではなく、その気になれば蟻の足音すら聞き取ることができる。
 どうやら、まだ自分はそれほど信用されていないようであった。小屋の中の少女は、一瞬だが老人が逃げたと思ったらしい。少女の能力と境遇を鑑みれば、それも無理からんことだが。
 一抹の寂しさがあるのも拭い切れぬ事実であった。
「例えばの話よ。そう、他愛もない御伽噺」
「は?」
 脈絡のない言葉に、老人の口から素っ頓狂な声が漏れる。それが余程面白かったのか、少女は微かに笑いながら言った。
「いいから、聞きなさい。例えばの話だけど、もしも人から忌み嫌われた能力を持っている少女がいるとするならば」
 少女の声から感情が抜ける。
「そして、その少女の力が無差別に人を襲い、あまつさえ命を奪うような代物だとしたら。堅牢な檻に囚われた少女は、果たして幸せなのかしら?」
 例えの少女が誰のことを指しているのか、老人の推測が正しければ、答えは簡単なように思えた。
「わかりかねます。私には、その少女とやらの気持ちは理解できません故に」
「どうしてかしら、推測する事ぐらいできるでしょう」
「推測はできますが、幸、不幸の判別はできません。そもそも、設問の幸せとは誰にとっての幸せなのか。仮に少女の幸せだったとしても、当人でない限りは把握しかねます」
 老人は眉一つ動かすことなく、お茶を濁した。自分なりの答えならあるにはあるが、それを口に出す必要は全く無い。墓の下まで持っていってもいいくらいだ。
 小屋の中からは、物音一つ聞こえない。聴覚の優れた老人とて、僅かな衣擦れや呼吸の音だけで中の様子のを探ることはできなかった。
 やがて、雨だれから落ちる水滴のように、ポツリと少女が言葉を吐いた。
「じゃあ、もしも少女に何の力もないとしたら?」
 それは希望か、はたまた本当に仮の話か。
「何の力も罪も無いというのに、ただただ囚われる少女は果たして幸せなのかしら。ねえ、妖忌。あなたはどう思う?」
 仮にそんな少女が本当にいるのだとしたら、それを幸せと呼ぶことはできないであろう。一般的にという前提でだが、それを普通は不幸と呼ぶ。
 しかし、老人の答えは最初から一つしかなかった。
「わかりかねます」
「そう、つまらない答えね」
 呆れたように少女は言った。そして、その日は二人の間でこれ以上会話が交わされることはなかったという。










 漏れたのは驚きでも恐怖でもなく、呆れの嘆息だった。
 目が消えてから数日。再び、部屋の片隅に以前よりも目映い目が現れた。
 いや、目の白さは変わっていない。変わったのは、目の回りの空間の色。まるでそこだけ夜が訪れたかのように、黒い。
 ただでさえ薄暗い部屋だというのに、そこだけは更に黒くなっているように思えた。
 だが、恐怖はない。克服したわけでも、馴れたわけでもなく、単に追い払えば消える類のものだと知ってしまったからだ。対処できるのなら、それほど怖くはない。
 ここ最近はパンを与えられる回数も減っており、次第に体力が減っていた。できることなら無駄な力を使いたくないが、部屋の中に誰のものとも知れない目があるよりかは良い。ルーミアは立ち上がり、腕を振るった。
 霧を裂くように黒い闇が割れ、しゃぼん玉が弾けたように目も消える。
「なんなのよ、もう」
 自分でも驚くほど掠れた声で、消えた目に悪態をつく。一ヶ月以上、誰とも喋っていないのだ。声帯が本来の機能を忘れていたとしても、おかしくない期間である。ルーミアは湿った石畳の床に腰を降ろした。
 そして、目が再び元の位置に戻っていることに身体をすくませた。
 あまりのことに、悲鳴は漏れない。代わりに、目を逸らせば襲われるというルールがあるかのように、じっと目から視線を外さない。
 どうしたことだろうか。追い払えば消えるはずなのに、すぐさま復活してくるだなんて。復活すること自体は、もう既に確認しているからいい。だが、こんなに早く戻るのを見たのは初めてだ。
 微妙に身体が震えているのがわかる。少しでも得体が知れていると思った自分がバカだった。結局のところ、ルーミアが目について知っていることなど何もないというのに。
 目は何をするでもなく、ただひたすらにルーミアを見つめ続ける。
 そんなにらみ合いが何時間も続いた頃だった。不意に、聞き覚えのない声が部屋の中に響いた。
「あら、失敗」
 最初、ルーミアは目が発した声だと思った。当然だろう。なにせ、部屋の中にはルーミアを覗いて謎の目以外は誰もいないのだから。
 だが、そんな考えは脆くも崩れ去る。
 天井にできた不思議な裂け目。物理的ではなく、幻想的に開いた裂け目から、やたらとフリルのついた衣装を纏った女性が、ピンク色の傘を片手に舞い降りてきた。
「駄目ね、まだまだ改良の余地あり。でも未熟というよりは、単なる集中力不足かしら。技術は基準以上なのだから、飛べないはずがないし」
 困ったように頬に手をあて、溜息をつく女性。突然のことに、ルーミアは言葉もない。目も心なしか、いきなり現れた女性の方を向いているように思えた。
 と、女性がようやくルーミアの方を見た。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと驚かせてしまったようね。安心して、すぐに出ていくから」
「いえ、あの、どうやってここに入ったんですか?」
 四方は壁に囲まれ、唯一の出入り口には頑丈な鍵があつらえられている。それ以前に、女性は何もない天井から出現したのだ。人間業ではない。
「秘密。というよりも、種も仕掛けもないものだから、教えようがないのよねえ。ウチの式を相手にしているのなら、原理を説明しても理解してくれるんでしょうけど。あなたに説明したところで、どうせ理解できないわよ」
 要するに、難しくてルーミアにはわからないということか。
「それよりも、面白いものと同居してるのね、あなた」
 愉悦に満ちた声。女性の視線が謎の目の方を向いていた。商品を吟味するように、目の向こうにいる誰かを見つめるように、一心に女性は見つめ続ける。
「暗闇以上、妖怪未満。飢餓の闇か、随分とお腹をすかせているのね」
「え?」
「正体がわからずに飼っているのなら、この闇はいずれあなたを喰らうわよ。離れてしまうか、吐くほど食べれば消えてなくなるわ」
 何を言っているのか理解できなかったが、少ししてからようやく、それが目に対する対処法なのだと気づいた。しかし、生憎とどちらも実践することができない。
 部屋から出ることは不可能だし、食事だって別にルーミアが決めているわけではない。ここしばらくは量も減ったし。
 ああ、なるほど。闇が濃くなった理由がわかった。つまりはルーミアの飢餓が増大すればするほど、闇が濃くなっていくらしい。納得した。
「訳ありかしら。だったら……そうね、これなんかリボンにしてみたら?」
 女性の手が、不意に現れた空間の裂け目の中に突っ込まれる。棚の奥を探るような手つきで、女性は裂け目から赤いお札を取り出した。
「どこぞの巫女が作った特性のお札よ。これを付けている間は、そこの闇が強くなっていくのを防げる。といっても、あまりに強くなりすぎれば効き目はないけれど」
 ルーミアは女性からお札を手渡された。
「あの、どうしてこんなに良くしてくれるんですか。私とは面識があるわけでもないのに」
「別にあなたの為じゃないわ。ただ、私としてもそこの闇が妖怪になれると困るのよ。絶対に私よりも強い妖怪になることはないんだろうけど、ちょっと異質すぎるから」
 それだけ言うと、女性は再び裂け目の中に身体を滑りこませていった。白昼夢か、幻を見ているような時間だった。
 しかし、ルーミアの手には赤いお札が。現実であることを証明している。
 ルーミアはお札で金色の髪を結んだ。
 鏡が無いのが残念だ。似合っているかどうかすら、わからない。
 ただ、闇は確実に薄くなっている。それなりに効き目はあるようだ。
 もっとも、それもいつまで保つかわからない。お札の効果にも限度がある。飢餓があまりに大きくなれば、闇が妖怪になるのも時間の問題だろう。
 ルーミアは早く食事が運ばれてくる事を祈った。









《3.不死と限界》
 誰の足音かと、目蓋を開けた。
 竹細工の窓から外を見る。誰の姿もありはしなかった。笹の擦れる音でも勘違いしたのだろう。
 再び眠ろうかとも思ったが、一度開いてしまった目蓋はなかなか閉じようとはしない。仕方なく、蓬莱山輝夜は重い体を起こすことにした。その気配を察し、側に永琳がやってきた。
「どこかに行かれるのですか?」
「どこにも行かないわよ。いえ、正しくは行けないかしら。私達の居場所なんて、もうどこにもないのだから」
 自分のことなのに、嘲笑うように輝夜は言った。傍らの永琳も、自嘲するような笑みを見せる。ここに第三者がいれば、さぞや気味の悪い光景だっただろう。
「それにしても、後味の悪い夢だったわね」
「夢、ですか。ここ最近は見る機会がありませんでしたから、参考までにどんな夢だったのかお聞かせ願えますか?」
「……退屈よ。人の夢なんて、自分ですら理解できないのだから」
 それでも構いません、と永琳は輝夜に話すよう促してくる。だがしかし、構成という言葉から最も遠ざけられた夢というものを、果たしてどう他人に説明してたものか。輝夜は面倒くさくなり、とりあえずの感想だけ述べることにした。
「死ねない人間が苦しみ続けることは、それほど辛い事じゃないわ。永遠に生き続ける苦しさに比べれば、どんな苦しみも霞んでしまうもの」
 永琳は意表を突かれたような顔をしている。
 輝夜は畳から降り、上がりかまちに置かれた草履を履いた。鬱陶しい十二単も、とんと着ていない。着ている時は重くてしょうがなかったが、いざ着なくなると、これはこれで寂しいものがある。
 輝夜は話を続けた。
「だけど、死ねるはずの人間が死ねないままに苦しみ続けることは、きっと私達が想像できないくらいに辛いんでしょうね。今となっては、理解できない辛さだけど」
「あの、それが夢とどう関係しているのですか?」
 永琳の質問ももっともだ。しかし、輝夜はそれには答えず、柄杓を手に取り、瓶に満たされていた水をすくって口へと運んだ。朝汲んできたばかりなので、喉の奥が心地よく冷えた。
 口の端から垂れた水を裾で拭いながら、輝夜は柄杓を瓶の縁に置いた。
「さあ? だから言ったじゃない、夢なんてものは理解できないんだから」
 狸に化かされたような顔で、永琳はなるほどと呟いた。退屈な話だったが、それを見られただけで満足することにしよう。
 その頃には、輝夜は見た夢のことなどとうに忘れていた。










 数える体力すら無い。
 食事が運ばれなくなって、一体どれくらいの日にちが経ったのだろう。空腹は思考さえも奪っていった。
 本来なら、もうとっくに死んでいてもおかしくないはずの飢えを感じている。身体からは肉がこそげ落ち、皮と骨だけしかない標本のようでさえあった。
 天井から落ちる水滴で喉の渇きは潤せるものの、空腹感だけは満たすことができない。
 日数が経つにつれ空腹感は増し、段々と衰弱していくのに、死に近づいている感じは全くしなかった。それは少女から貰ったお札の効果でもあったのだが、この時のルーミアはそのことを知らない。
「……………………うわぅ」
 意味のない呟きが漏れた。
 部屋の隅では、ハイエナのように二つの目が爛々と輝きながらルーミアを見つめ続けている。周りの闇はもはや夜よりも深く、触れば飲み込まれそうなほど先が見えない。
 いつ妖怪になってもおかしくない状態だ。ルーミアの飢餓は、それほどまでに耐え難いものへと変わっていた。
 天井が視界を埋め尽くす。
 いつのまにか倒れていたらしい。湿った石畳が、背中を濡らす。しかし、もはやそんなことはどうでもよかった。
 ルーミアが考えることはただ一つ。
 何か食べたい。
 そして、それが適わないのなら――
「ねえ………………」
 誰もいない闇へと話しかける。目はあるけれど、口はない。当然、答えは返ってこなかった。
 それでもルーミアは話しかける。最後の力を振り絞るように。
「あなたが妖怪で、本当に私を狙っているのなら、一つだけお願いを聞いてくれないかしら」
 闇は沈黙を守る。
「もう、私は限界なの。こうして話していることさえ、実際は奇跡に近い」
 喋るごとに、声帯が剥がれ落ちるように声が掠れていくのがわかる。
 震える手先で、ルーミアは髪に巻かれたリボンに手をかけた。
「何か食べたい。お腹一杯でなくてもいい、せめて、パンの一欠片でもあれば私は満足できる!」
 思い浮かぶのは、かつて母親と過ごした地獄のような日々。しかし、今にして思えばあれが天国であったことがわかる。この数ヶ月に比べれば、どれほど恵まれた生活だったのか。
 ルーミアの目から、絞り出すようにして涙が頬を伝う。
「でも、わかってる。それは適わない夢だって。きっと、叔母さんは私を殺すつもりなの。手をかけることができないから、こうやってじっくりと衰弱させて殺すつもり」
 殺す度胸が無くとも、人は閉じこめて放っておくだけで死んでいく。何かしらの不思議な力があるから自分はまだ生きているだけで、本来ならもう数日前に死んでいてもおかしくはなかった。
「苦しい死に方は嫌。でも、苦しいまま死ねないのも嫌。だから、お願い」
 手に力を込める。脆くなった骨が、僅かに痛んだ。
「血も骨も肉も髪も爪も臓器も脳も目も鼻も耳も皮も、魂さえもあげるから――」
 すうっと、ルーミアは金色の髪に巻かれたリボンをほどく。
 風が巻き上がる音と共に、部屋の隅にあった闇がルーミアの身体に覆い被さった。
 悲鳴はあがらない。代わりに、歓喜に満ちた声があがった。
「だから、私を食べなさい」









《4.運命とルーミア》
 時が止まったように、紅茶へと伸びた手が微動だにしなくなる。周りには誰もいなかったが、いればその不思議な行動に首を傾げただろう。見た目こそ幼いものの、彼女の種族は吸血鬼。見た目と実力が比例しない種族の代名詞でもあった。
 しばらくして、レミリアはようやく紅茶へと手を伸ばした。どれだけの間そうしていたのかは知らないが、紅茶はすっかり冷めてしまっていた。
 舌打ちをして、メイドを呼ぼうとする。すると、メイドの代わりに見覚えのある魔女が扉を開けて入ってくる。
 パチュリー・ノーレッジ。レミリアの親友であった。
「あなたのことだから、既に察知しているんでしょう」
 開口一番、パチュリーはそう訊いてきた。勿論、ここで何をかと問い返すほど、レミリアの能力は劣っていない。
「私よりも、どうしてあなたが察知できたかの方が気になるわ。これ、それほど近い場所の話でもないでしょ」
「私のは単なる偶然。水晶の整理をしていたから、たまたまよ」
「まあ、いいけどね」
 紅茶をすすり、顔をしかめる。冷めていたのを、すっかり忘れていた。
「運命を操る吸血鬼としては、この誕生に何を思うのかしら」
「別に。私だって察知したのは偶然だし、この程度の強さの妖怪、そこら辺にごまんといる」
 後半は事実。この程度の強さならば、パチュリーだって苦戦すらしないはず。レミリアに至っては、欠伸混じりに弄ぶことだってできるはずだ。
 ただ、前半は嘘だった。前々から、気配だけは察知していた。それはレミリアの能力がそうさせたのか、はたまた吸血鬼としての本能がそうさせたのかは知れない。
「強さはね。あなたが注目したのは、この異質さでしょう」
「……まあ、闇の眷属としては無視できないわよね。こんな、化け物」
 闇の眷属の代表たる吸血鬼をもってして、化け物と言わしめる存在。決して強くはないし、戦っても勝つ自信はあるものの、できれば出会いたくない輩である。すれ違わずに生活できるのなら、それに越したことはない。
「いずれにせよ、私には関係ないことだわ。今のところ、コレと私が出会うことはない」
「今のところ、ね」
 運命は容易く変わる。長期ともなれば、それは顕著に現れる。
 含むようなパチュリーの物言いは、それを示唆しているようにも思えた。いや、実際にしているのだろう。この魔女は時折、そういった示し方をするのだ。
 レミリアとしては、もはや祈るばかりである。
 神ではなく、自分の運命に。










 一人の女性が、地下室への階段を下りていた。
 ルーミアの父にとっての二人目の妻であり、ルーミアの食事を抜くよう命じた張本人でもある。
 蝋燭だけが照らす階段を降りて、女性は湿った石造りの廊下を歩む。今は物置に使用されているらしいが、かつては不届きな使用人や奴隷を閉じこめる為の地下牢に使われていたらしい。
 鍵が内側にないのは、その頃の名残なのか。なんにせよ、女性にとってこれほど便利な部屋はなかった。
 いずれ娘に屋敷を継がせたい身としては、ルーミアは障害以外の何者でもなかった。例えどんなに父から疎まれていようと、人は容易に気まぐれを起こす生き物。いつ心変わりして、ルーミアが館の主人になるとも知れない。可能性は排除しておくに限る。
 しかし、直接殺すのは躊躇いがあった。だからこそ女性は、放置という最悪にして最良の選択を選んだのであった。
 人は何も食べないだけで、簡単に死ぬ。
 ルーミアから食事を取り上げて、早数週間。もう、とっくに死んでいてもおかしくない。
「だからって、何も私が見る必要はないでしょうに」
 使用人達には、この事を知らせてはいない。変に教えてしまえば、情で食料を与えてしまう輩が出てしまうからだ。唯一、食事を運んでいた従者も解雇した。
 その為に、女性がこうして自ら生死の確認をしなくてはならなくなった。夫にさせたくはあったのだが、生憎と夫の肝っ玉は女性よりも小さい。確認することさえ、臆病なのだ。
 溜息をつき、そして目的の部屋の前に到着した。カビの生えた、蹴れば壊れそうな脆い扉の前に立つ。
 女性はドレスが汚れないように気をつけながら、扉の下から中の様子を伺った。しかし残念なことに、中は暗くて何も見えない。光さえも当たらない部屋に置いたことが、ここにきて裏目に出てしまった。
 ただ、中からは何か音が聞こえてくる。
 何かを租借するような音と、人が動くような音。
 女性は驚き、そして慌てて懐から鍵の束を取り出した。まさか、ルーミアはまだ生きているのか。だとしたら、何を食べているのか。この何もない地下牢の中で。
 鍵穴に鍵を差し込み、扉を開く。
「ううっ!」
 思わず、女性は鼻を押さえた。
 嗅げば鼻腔を破壊しかねない、魚や肉のミンチが腐ったような臭いが部屋の中から溢れだしてくる。血の生臭ささも、そこに混合されていた。
 そして闇の中で蠢く何か。女性は気味が悪くなり、手近にあった燭台を手に取る。ゆっくりと、それを部屋の中が見渡せるように掲げた。蝋燭の淡い光が、暗かった部屋の中を照らしていく。
「ひあっ!!」
 言葉にならない悲鳴が漏れる。
 地下牢の中には、一人の少女がいた。
 髪は月光を溶かしたような鮮やかな金色。
 瞳は血を固めたような綺麗な赤色。
 衣装は夜を編んだような恐ろしい黒色。
 少女の足下には、少女と瓜二つの死体が転がっている。その違いは、手に持っているのがリボンか、臓物かということぐらいか。
 口元に血を垂らし、はらわたを漁るのに夢中だった少女はしかし、そこで女性の存在に初めて気が付いた。顔をあげ、こちらを振り向く。
 その顔に一切の罪の意識はなく、愉悦も嗜虐心さえも存在していない。まるで、ただ普通に食事をしていると言わんばかりの無邪気な笑顔があった。それが逆に恐ろしい。
 女性の恐怖は臨界を越え、悲鳴が館に木霊した。
 その後、館にいた人間達がどうなったのかを知る者はいない。









《5.無邪気たれ、長閑であれ》
 博麗神社の縁側でお茶をすする霊夢と、額を真っ赤に腫らした魔理沙。逃走の末、霊夢に捕まってしまったらしい。
「食べ物の恨みは恐ろしいというか、たかが煎餅一枚で怒るなよ」
「怒ってないわよ。ケジメはちゃんと付けないといけないだけ」
「何のケジメだ。大体、感謝なら普段から心がけてるぜ。今日だってお賽銭を用意してきた」
「賽銭箱に入れないお金を、賽銭とは呼ばないのよ」
 霊夢は苦笑しながら言った。まあ、魔理沙が自称賽銭を寄付してこないのは、いつものことだ。今更、追求するようなことでもあるまいて。
「あー、世知辛い世の中だ。賽銭をあげなきゃ、煎餅も満足に喰えないのか」
「目の前の魔法使いは、私より一枚多く煎餅を食べたけどね」
 霊夢の皮肉を遮るように、またルーミアが木にぶつかる音が木霊した。魔理沙は帽子のつばをあげ、自分と同じように額を真っ赤にしながら落ちるルーミアの姿を見ていた。
「いっそルーミアになれれば、もっと気楽に生きられるかもな。たまに自分でも前が見えなくなって、木にぶつかるのが難点だが」
「見えないのは前だけとは限らないわよ。案外、あの子にとっての後ろも見えていないのかも」
「大丈夫だろ。後ろ向きに飛ばない限り」
 物理的な話ではないのだが、いまいち魔理沙には伝わらなかったらしい。いや、ひょっとしたら伝わっているかもしれないのだが。いかんせん、魔理沙が質問に真面目に答える割合は低い。
「そうね。誰だって前を向いて飛んでるんだから、通り過ぎた後ろの事なんて、案外覚えてないのかもね」
 そう言って、霊夢はお茶をすすった。
 また飛び始めたルーミアの髪を結ぶリボンが、蝶々のように舞っている。
 長閑な時間だった。後ろを振り向く、暇さえないようなほど。







 笑顔の裏で何か企む人よりも、笑顔のままで企んだことすら気づいてない人の方が怖い昨今。
 誰が今のルーミアにリボンをつけたのか気になるところです。自分ではつけられないはずだし。
 個人的には博麗の巫女がつけたんじゃないかと、勝手に妄想。あのリボンはきっと飢餓を抑えているのですよ。
 いつかリボンの外れたルーミアを書いてみたいものです。
八重結界
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コメント



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そこで終わるのかよ……
24.100絶望を司る程度の能力削除
これがまさに復讐というやつか。