Coolier - 新生・東方創想話

神の月を裂いた夜 -十六夜-

2007/07/02 05:06:09
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 紅い月夜の晩は、決まって同じ夢を見る。
 私が負けた夜のこと。
 吸血鬼ハンターだったころの神月裂夜が、吸血鬼の僕である十六夜咲夜に変わった日のことを。
 鮮明に、刻銘に、夢を見る。
 そう、あの日の月も紅かった。











 深紅の絨毯を踏みしめる。
 至るところに部屋があり、不必要なまでに窓の多い廊下を歩く。まるで迷路だ。気を抜けば、いまどこを歩いているのかさえ忘れてしまう気がする。
 窓からは赤い月光が差し込み、紅魔館の色を更に強めていた。異世界に迷い込んだような気がして、思わず私の頬を汗が伝う。恐怖は無いが、違和感はそこらかしこにある。好奇心でどこかの扉に入ろうものなら、もう二度と戻れないような気さえした。
 突き当たりを右に曲がったところで、またしてもメイドに出くわした。放っておいてもいいのだが、ここに来るまでに何人かのメイドに襲われたことを思い出す。
 先手必勝。驚きの声を上げさせる暇もなく、メイドの額と喉にナイフを投擲した。僅か数秒でメイドは絶命する。
「やれやれ、いったい何人メイドがいることやら」
 ナイフを回収する際に返り血を浴びてしまう。白かったスカートが今では赤色に変色していた。糸では出せない狂気を感じさせる赤色だった。まあ、これはこれでいいのかもしれない。これぐらいの方が落ち着く。
 ナイフを回収し終えた私は、再び足を前へと進めた。
 目的が無いわけではない。赤い悪魔を倒すこと。それが私の目的だった。
 目的地がわからないわけではない。挑発しているのか、赤い悪魔らしき存在はその威圧感を隠すことなく館の最奥に鎮座している。どれだけ離れているかは知らないが、館に入った時点で吸血鬼の位置は何となくだが把握した。
 自らを最強の種だと信じて疑わない吸血鬼だけのことはある。誘導しているつもりか。だが、それが命取りになるとは思うまいて。
 静かな廊下に、私の足音だけが響き渡る。
 ふと、世界にいるのが自分だけのような錯覚を覚えた。だが、珍しいことではない。時折思い出したようにわき上がってくるのだ、この手の感情は。あまりに多くのメイドを殺しすぎたせいか、紅魔館の中はひっそりと静まりかえってしまった。そのせいで、つい思ってしまったのだろう。
 大丈夫。力は使っていないのだから、世界にいるのは私一人じゃない。
 能力の反動なのか、この力に目覚めてすぐの頃はひっきりなしに孤独と寂寥感に襲われていた。夜に突然目が覚めて、泣き出すこともしばしばだ。
 できればあまり思い出したくない記憶だが、そういえば泣き出した私をあやしてくれたのは誰なのだろう。顔も名前も覚えていないが、誰かの膝で優しく頭を撫でられた記憶だけはある。母親というわけでもあるまい。母は私を産んでから死んだ。
「っ……!」
 くだらない事を考えていたせいか、胸の奥が締め付けられるように痛む。寂寥感は払拭することができたが、この痛みだけは未だに続いている。例え表層意識で孤独を払拭したとしても、深層心理までは変えることができない。この痛みは深層心理の悲鳴なのだと、誰かが言っていた。誰なのかは、やはり思い出せない。
 胸をかきむしるように押さえながら、私はその場にうずくまった。そして、虚空から古びた懐中時計を取り出す。
 無感情に時を刻む秒針の音を聞いて、私の痛みはようやく薄らいだ。どういう理屈なのかは知らないが、この音を聞くと痛みが治まる。時間が経っていることを確認できるから、安心感を覚えるのだろうか。まあ、理屈など関係ない。痛みが治まるのなら何でもいい。
「せっかく門番のところで早めに戦いを終わらせたというのに、これでは意味がないわね」
 自嘲するように呟いた。
 急ぐわけではないが、せっかくの満月だ。月が出ているうちに吸血鬼と戦いたいと思うのは、吸血鬼ハンターの性なのだろう。他の吸血鬼ハンターに会ったことがないので、本当に性なのかまでは知らないが。
 両手にナイフを構え、再び私は歩みを進める。
 と、いきなり壁から人が現れた。咄嗟に私は後ろへ跳び、距離をとる。
 よく見れば、壁の一部に地下へと続く階段があった。どうやらここから出てきたらしい。
「あなたが侵入者なのね。その様子だと、門番は死んだみたい」
 フリルだらけの格好をした少女は、私のスカートを見てそう呟いた。
「これはメイドの血よ。門番は表でピンピンしてるわ。彼女、頑丈ね」
「門番なのだから、当然よ」
 そう言って、少女は咳をする。顔は赤い月光に照らされてなお青白く、手足は病的なまでに細い。立って歩いていることすら、奇跡的に思えてしまう。
 顔色だけは吸血鬼だが、その他はただの病人にしか見えない。しかし、まさか本当の病人がこんな所にいるはずはない。
「ところで、あなたは吸血鬼の何なのかしら? 囚われのお姫様なら、事が済んだ後で助けてあげてもいいのだけど」
「残念ね、生憎と私はお姫様を殺す方の立場にいるのよ」
「悪い魔女ね」
「魔女に良いも悪いもないわ」
 そして、再び少女は咳をする。魔女というものを見たことはないが、皆こんな風に病弱なのだろうか。暗い家に閉じこもっている印象があるし、確かに健康面にはあまり気を使わなさそうな種族ではある。
「私はレミリアスカーレットの友人よ。ここまで来られた人間がいると聞いて、ちょっと顔を見にきただけ」
 疲れたのか、少女はそう言いながら壁に背を預けた。
「そんなに病弱なのに、わざわざ私の顔を見る為だけにここに来た? 俄には信じがたいわね」
 しかし、少女は無言で私の顔を見るばかり。私は肩をすくめた。単刀直入に言わないと駄目らしい。
「そこをどいて貰えるかしら」
「どいてどうするつもりなの? 後ろは壁よ」
「あら、私には扉に見えますわ」
「……目がいいのね」
 そう言って、少女は壁から離れた。同時に、壁の一部が扉へと姿を変える。
 幻術の類か、はたまた魔法か。魔女がいるのだから、それぐらいはできるだろう。
「参考までに、どうして見破れたのか教えてもらえない?」
 扉を開けようとしたところで、少女が問いかけてくる。
「空間と時間を弄ったところで、私には通用しない。ただそれだけのことよ」
 真相には一割も満たない答えだったが、少女はそれ以上何も訊いてこなかった。理解したのか、はたまた誤解してくれたのか。まあ、どちらにせよ私には関係のないことだ。
 それよりも、これからの戦いに目を向けよう。
 夜はまだ長い。
 そして、戦いは始まってもいないのだから。





 格子状の窓枠に囲われ、あしらわれた装飾のあちこちから微かな月光が漏れ出ていた。天井には巨大なレンズような窓がはめ込まれており、床に巨大な月を描く。
 ダンスホールのように、広い部屋。
 夜はいいとしても、昼はこの部屋を使えないだろう。少なくとも、日光が天敵の吸血鬼には。
「名前を、教えてもらえるかしら」
 ホールの中央にして、床に描かれた赤い月の中央。そこに立つ幼い吸血鬼は、笑いながらコウモリの羽を広げた。
 館に入ってから、終始感じ続けた威圧感の主である。彼女こそ、吸血鬼に違いない。
 名前を教えるべきか悩んだが、もう門番に言ってしまった後だ。ここで言ったとて、問題はあるまいて。化け物に云々の口上も、いい加減言い飽きてきたことだし。
「神月裂夜。神の月を裂く夜と書くの」
「かみづき? ……ふうん、因果な名前ね」
 どういう意味だろうか。変わった名前かもしれないが、特別な意味が込められているようには思えない。神の月というところに引っかかったのか。なにせ、吸血鬼にとって月は人間以上に神聖な存在。人間ごときが神の月などと、そう言ったことなのか?
「私は当館の主、レミリアスカーレット。あなたはこの館に初めて訪れた人間なの。希望するなら丁重にお出迎えするけど?」
「ご遠慮願うわ。私の願いはただ一つ、あなたの命」
「おお、怖い。人間ってのはこんなに物騒な生き物だったのかしら」
 馬鹿にするようにクスクスと笑い、背筋が凍るような視線をぶつけてきた。ただ見られただけなのに、妙な圧迫感がある。
「でもダンスを希望するのなら、お受けしないわけにもいかないわね。勇気を振り絞ってのお誘い。断るのは淑女としてあるまじき行為だわ」
「ダンスじゃない、殺し合いよ」
「私から見れば、どちらも同じ事よ」
 これ以上の話し合いは無駄だ。そもそも、何かの説得に来たわけでも、お喋りに来たわけでもない。
 瞬時に五本のナイフを取り出し、指と指の間に挟む。そうすると五本全てを挟むことはできないのだが、ちょっとしたコツがあるのだ。ここでは省くが。
 未だに何の対策もとらない吸血鬼に向かって、そのナイフを投げ放つ。同時に、左手も同じようにしてナイフを握った。右が外れれば、次は左だ。
「なんだ、キャッチボールがしたいのね。ダンスは嫌いなのかしら」
 そう言うと、吸血鬼は私の放ったナイフを片手で受け止めた。髑髏より白い手には、傷一つ付いていない。そして、返す刀でナイフを投げ返してくる。
 弾かれることも、避けられることも予想していたが、返されることだけは予想していなかった。当然だ。銀のナイフに触るなど、吸血鬼にとっては日光を浴びるに等しい。だというのに、どうしてあの吸血鬼は平気な顔をして触れるのか。
 飛んできたナイフを避ける。左手はいまだにナイフを握ったままだ。迂闊に投げれば、また返される。
「あなた、どうして銀の武器に触れられるのかしら。私の記憶が確かだったら、吸血鬼の弱点だったはずなんだけど」
「並の奴なら触れただけで致命傷でしょうね。でも、私ぐらいになると刺されない限りは大丈夫なのよ」
 その言葉を聞いて、私は胸を撫で下ろした。
「ああ、良かった。つまり、刺せば効くのね。だったら問題ない」
「一つだけ問題があるわ。あなたは私に触れることすら出来ない」
 吸血鬼が何か言っているようだが、もはや関係ない。倒せる手段があるのなら、どんなものだって倒してみせる。それだけの力が、私には備わっているのだから。
 先手必勝にして、一撃必殺。それが吸血鬼退治の極意である。ちょっとでも力を出し惜しめば、連中は容赦なく攻撃してくる。いくら身体を鍛えようと、吸血鬼の攻撃に耐えられるほど人は強くない。手加減をして貰えない限りは、向こうの攻撃も一撃必殺であった。
「だったら、試してみましょうか」
 私は意識を切り替えて、この辺りの空間の時を止めた。
 音が消え、世界が止まり、吸血鬼は愉悦に満ちた顔のまま動かなくなる。私はナイフをしまい込み、吸血鬼に歩み寄った。そして、幼い子供のような頬に触れる。
「ほら、触れた」
 誰も聞くことのない、正真正銘の独り言。例え触ったところで、吸血鬼には実感がないのだから意味はない。
 苦笑しながら、ありったけのナイフをばらまいた。固定されたように空中で止まったナイフは、やがて回転し、その全てが吸血鬼に刃先を向ける。
 私はそこから距離を置き、後は眺めるだけで全てが終わるのだ。
 意識を切り替え、時の流れを正常に戻す。
「なっ!?」
「殺人ドール。骨の髄まで味わうといいわ」
 驚愕の声をあげコウモリの羽をピンと伸ばす吸血鬼の身に、幾十ものナイフが突き立った。
 回避不能の全方位攻撃。防御すら追いつかないそれは、あっさりと吸血鬼の身体を針の山のように変えた。串刺し公爵だって、ここまでしないだろう。まさしく、殺人という名前に相応しい。
 吸血鬼は床に倒れ伏して、地上の月を握りしめた。門番はこれに耐えきれたかもしれないが、吸血鬼がこれに耐えきれるはずはない。なにせ、その身体に突き立ったナイフの全てが銀なのだ。致死量の毒を塗った槍で串刺しにされたのに等しい。
「あ……ぅ……」
 だというのに、目の前の吸血鬼は意識を失ってはいなかった。これにはさすがの私も驚く。これでもなお意識を保っていられるなどとは。紅魔館の連中は軒並み、丈夫に作られているらしい。
 幼い子供が苦しそうに喘いでいるのを見ると、罪悪感と共に嗜虐心もわき上がってくる。私は息も絶え絶えな吸血鬼に近づいた。
「大口を叩いた割には、赤い悪魔とやらも大したことなかったわね。まだ意識があることは素直に賞賛できるけど」
 人間にこれだけ馬鹿にされ、てっきり悔しそうな顔をするものと思っていた。
「……クッ………ッハハハハハハハ!!」
 その身をナイフで貫かれているにも関わらず、幼い吸血鬼これぞ至上とばかりに哄笑する。
 何がおかしいのか。理解不能の恐怖から、思わず後ずさってしまう。
「素晴らしいわ! あなた、時を操れるのね!」
 顔が強ばる。見抜かれたことも何度かあったが、たった一度で理解されたことは今までにない。
「いえ、それだけじゃない。空間も操れるのだから、ああつまりは時間ね。素敵だわ、そんな人間、見たことがない!」
 何という洞察力か。いや、最早洞察力で片づけられる範疇ではない。
 一瞬にして、私の能力の全てを理解されてしまった。時を止めるところまで辿りついた奴は多いけれど、空間まで辿りついた奴はいないというのに。僅か一回の攻撃で、全てを。吸血鬼にしても異常である。
「驚くことはないわ。あなたが時間を操れるように、私は運命を自在に操ることができる。あなたの力を見抜いたのだって、別に洞察力や観察力からではない。単なる運命よ」
「本当かしら。そんな力があるとすれば、どうして私と戦った。自分が死ぬ運命は見えなかったとでも言うの?」
「見えたわよ。ナイフで串刺しにされる私。どうやってそんな風になるのか興味があったけど、なるほど、時間を操れるのなら納得できる。合格よ、あなた」
「何に合格したのか知らないけど、とりあえずありがとうと言っておきましょうか」
 考えてみれば、例え能力を知られたとて支障はないのだ。既に攻撃は当たっているし、当の吸血鬼は死にかけ。ここから何かをされることなど無い。例え、運命を操れたとしてもだ。
「人が決して越えられぬ森を抜け、館を守る門番を倒し、この部屋の入り口も見抜いた。あげくに、この私をこれだけ傷つけたのだから少しぐらいは力を出さないと失礼に値する。いいわ、そろそろ前座は終わりにしましょう」
 それだけの満身創痍で何を言うか。その言葉が口から出るより早く、吸血鬼の身体が霧のように消えた。いや、実際に吸血鬼は身体を霧に変えることができるのだが、そういった類のことではないようだ。
 身体の消えたところには、一匹のコウモリが羽をばたつかせながら飛んでいる。傷だらけのコウモリはよたよたと空を飛びながら、窓の方へと近づいていった。
「嘘……いつからそこにいたの!」
 窓が開かれ、そこから幼い少女が舞い降りてくる。少女の右手は欠けていた。そこへコウモリがくっつくと、まるで手品のように右腕が現れる。
 人の形をしたそれは、まさしく、今まで私が戦っていたレミリアスカーレットに他ならない。
「最初から。あなたがどれだけの者かと試してみたの。想像以上ね、素敵だわ」
 どうして気がつかなかったのか。今まで戦っていたのは、吸血鬼の単なる右腕。小手試しをされていたに過ぎなかったのだ。
「随分と小ずるい事をするのね。騙し討ちでもするつもりだったのかしら?」
「運命を書き換えてもよかったのだけど、ここまで私を傷つけられる人間というのに興味が湧いたの。時間を操れる人間だなんて、さすがに予想していなかったわ。まあ、見えた運命は過ぎ去ってしまったようだし、今戦えば私が勝つのは間違いないけど」
「どうかしら。いくらあなたが強かろうと、私の能力のことを知っていようと、時を止めれば関係ない」
「ああ、そうね。確かに時を止められたら自由に攻撃できる」
「例えばほら、こんな風に――」
 そう言って時を止めようとした。だが意識を切り替える寸前で、腹部に強い衝撃を受けた。吸血鬼の右腕が、私の身体を吹き飛ばす。
 腹部の次は、背中に強烈な痛みを感じる。壁に叩きつけられたらしい。それでも、まだ息はあった。手加減されたようだ。
「あなたが時を止めようとする気配なら察知できる。なら、後は止めさせないようにするだけ。思うだけで時を止められるようだけど、それだけの時間があるなら吸血鬼は暇で欠伸が出る」
 無意識で時を止めることはできない。簡単そうに見えるが、これはこれで以外と難しいのだ。だが、今ではそれをコンマ単位の秒数で行うことができる。人間のみならず、いかなる妖怪とてどうすることもできない。
 だというのに、この吸血鬼はそのコンマ数秒で私の意識を乱れさせてくるのだ。さすがに殴られながら時を止められるほど、私もまだ器用ではない。
「時を止められないのなら、あなたはただの人間と同じ。私を殺せるだなんて傲慢、改めた方がいいわよ」
 喉の奥からせりあがってきた胃液を吐き出し、一瞬だけ止まっていた呼吸を取り戻す。それでもナイフを握りしめながら、私は鋭い視線を吸血鬼に向けた。
 時を止めようとするが、それより早く吸血鬼が私の懐に潜り込む。触れば折れそうなほど細い足が、私の脇腹にめりこんだ。骨が嫌な音を立てて、痛みを訴えかけてきた。また意識が乱れる。
「もっとも、時を止めたところで私は殺せないけどね。動けないかもしれないけど、銀のナイフごときじゃ殺すどころか傷すらつかない。弱点ではあるけど」
 謎かけのような言葉だが、私はその答えを探る暇などなかった。脇腹の痛みと苦しみを抑えながら、まだ掴んでいたナイフをとうとう投げ放つ。何気ない素振りで、吸血鬼はそれを避けた。
 だが、その一瞬が私の待ち望んだ時間。それだけあれば、時を止めてもお釣りがくる。
 意識を切り替え、時の流れを止めた。
 音が消え、全ての生物が動かなくなる。
「……ッ、これで……終わりよ……」
 先ほどまで吸血鬼の右腕がいたところにあったナイフを回収し、その全てを空中へと投げた。加えて、何本かの虎の子ナイフもその群に加える。
 聖者が直接清めたものもあれば、日の光を鍛えて作ったという眉唾ものまである。ただそのいずれもに共通する点は、吸血鬼に多大なる効果があるという点だ。銀のナイフなどとは比べものにならない。
 これを受ければ、さしものレミリアスカーレットとて、一瞬で絶命する。
「随分と手こずらせてくれたようだけど、結局はこうなる運命だったの。書き換えることができなかったようね、レミリア」
 意識を切り替え、時の流れを正常に戻す。
 と同時に、ナイフの群がレミリアに殺到した。
 しかしレミリアは焦ることなく、ただ両手を肩の高さまで掲げ、月光を受け止めるように広げた。後はただ、呟くだけ。
「不夜城レッド」
 レミリアを中心として、赤い十字架がホールに出現する。質量を持った物体ではない。赤く激しい力の奔流が、十字架を象っているのだ。
 磔にされた聖者を思わせる格好。
 数多のナイフはその勢いの前に屈し、あらぬ方向へと飛んでいった。全てがだ。
 力の奔流はそれだけでは飽きたらず、レンズをぶち破り、遥か天空まで伸びていった。その姿はまるで、赤い月まで手を伸ばそうとしているようにさえ見えた。
 十字架の聖者と、吸血鬼。
 ふいに、その二つの単語が頭に浮かんだ。
「これは……何?」
 急に胸が痛み出す。いつもの発作かと思ったが、その痛みは今までの比ではない。
 何かを私は忘れていた。
 確か、それら二つには、何か特別な意味が込められていたような気がするのだ。だが、それは何か。
 ああ。
 あれは確か私がまだ――










 …
 ………
 ……………
 …………………
 少女は気がつくとひとりぼっちでした。
 世界には、少女の他に誰もいません。どこまで歩いていっても、どこの家を探しても、誰も何もいませんでした。
 そこには音さえありません。風も吹かないし、波だって固まったままです。
 少女は泣きました。泣いていれば、きっと誰かが気にして構ってくれるだろうと思ったからです。ですが、三日三晩泣き続けても、声を掛けてくれる人はいませんでした。当然です。世界にいるのは少女一人だけなのですから。
 少女は世界が嫌いになりました。こんな世界になんて、もういたくない。
 適当な家に入り、テーブルの上に置いてあったナイフを持ち出します。そして少女は、街から離れたところになる小高い丘の上で、自分の喉にナイフを突き刺しました。大きなお城の見える、誰もいない寂しい丘です。
 怖くはありませんでした。それよりも、こんな世界で生き続けなければならない方が怖かったのです。
 これで私は楽になれる。
 ですが、少女は目を覚ましてしまいました。自分を刺すというのは、思いの外難しいものなのです。無意識のうちに、手加減してしまったのでしょう。首には包帯が巻かれていました。
 不思議なことです。世界には誰もいないはずなのに、まるで誰かが少女を治療してくれたようなのです。
 少女の身体はふわふわのベッドの上に寝かされてしました。誰かが丘から運んできてくれたのでしょうか。包帯を触りながら首を傾げる少女の元へ、一人の青年が現れました。
「ああ、気がついたんだね、良かった」
 人の良さそうな青年でした。そして、同時に青年は少女が待ち望んでいた存在でもありました。この世界にも人がいたのです。
 少女は青年に抱きつき、また泣きました。ただし、今度はうれし涙です。青年は困ったように頬をかき、優しく少女を頭を撫でてくれました。優しい人でした。
「それじゃあ、なんであんな事をしたのか教えてくれるかな?」
 少女は悩みました。自分で言うのもなんですが、あんな出来事を信じてもらえるものだろうか。考えてみれば、全ては夢だったという可能性もあります。ですが、笑顔の青年に圧し負けて、とうとう全てを喋ってしまいました。
 最初こそ青年は困り顔でした。無理もありません。少女の話すことは、まるで御伽噺のようであったのですから。本当のことを教えてくれないか、とも言われました。
 あの世界を見せてあげられれば、青年も信じてくれるかもしれません。ですが、行き方などわからないし、二度と行きたくはありませんでした。ただ、このままだと少女は青年に嘘つきだと思われしまいます。
 少女も困りました。すると、再びあの世界に迷い込んでしまったのです。
 少女は慌てました。しかし、前と違ってその世界には青年がいました。一人っきりではなかったのです。少女は喜んで、青年に話しかけました。
 青年は何も言いません。驚いているのかとも思いましたが、よく見れば息すらしていませんでした。慌てた少女は、台所に行ってコップへ水を注ぎ込みます。これをかければ、青年はきっと目を覚ましてくれるはず。そう思っていたのです。
 そして青年のところへ戻ると、水をかけてもいないのに、いきなり青年は動き出しました。あまりに急に動いたので、拍子に少女は転んでしまい、コップの水は結局青年にかかってしまいます。
 青年は呆気にとられたような顔をしていました。少女は半べそをかきながら、青年に必死に事情を説明します。すると、今度は少女の話を信じてくれました。
「だって、実際に君は僕の目の前から消えて、いつのまにか水の入ったコップを持っていたんだ。信じるしかないだろう」
 苦笑しながら青年はそう言いました。そして、少女に尋ねます。
「その力を調べさせてはくれないだろうか。もしも、その力について何かわかれば、力を消すことだってできるかもしれない」
 あれば便利な能力かもしれません。ですが、誰も動かない世界など怖いばかりです。少女は青年の言葉に頷きました。
「ありがとう、ええっと……君、名前は?」
 少女は名前を教えてあげました。大切な人がくれた名前でした。
「××か、良い響きだね」
 名前を褒められ、少女は顔を綻ばせました。
 それからです。少女と青年の生活が始まったのは。
 暮らしはじめてわかったのですが、青年は独自に特殊な能力を調べている研究員だったのです。本来は、丘の上のお城に住んでいる吸血鬼を調べに来たそうです。日課で城を眺めている最中に、少女を発見したのだと教えてくれました。
 最初こそ少女はあの世界の寂しさを思い出し、ひっきりなしに泣くこともありました。その時は、青年が一緒の布団で寝てくれたり、膝枕をしてはあやしてくれていました。時刻はちゃんと動いているのだということを教えてくれる為に、懐中時計を買ってくれたこともあります。少女は生まれて二度目のうれし涙を流しました。
 一ヶ月経ちました。青年の研究は少しずつ進み始めたようです。少女が行ってしまった不思議な世界とは時刻の止まった世界のことで、そこでは少女だけが自由に動くことができると青年は語っていました。少女が上手く力を使いこなすことで、多くの人もそっちの世界にいることができるのだとも教えてくれました。何のことかはわかりませんでしたが。
 研究といって、青年は少女の身体を調べることがあります。変な機械で身体を触られるのは嫌でしたが、終わったら青年は頭を撫でてくれます。それに、どうしても嫌な時は研究するのも止めてくれました。優しい青年です。少女は青年に対する好意を日増しに募らせていくのでした。
 半年経ちました。少女の能力の殆どは、青年によって解明されつつありました。青年の話によると少女の能力は時刻を操るだけでなく、空間も操ることができるそうです。
 それを説明する課程で、青年は不思議な術を見せてくれました。手品というその術を少女は好み、必死になって覚えました。初めて手の中のボールを消せたときは、青年も一緒になって喜んでくれました。
 そうして、一年の月日が経ったのです。少女は少しだけ大人になり、青年は少しだけ歳をとりました。肝心の研究は、あまり進んでいません。能力自体の解明は終わったものの、原理が全くわからなかったのです。
 青年は次第に笑わなくなりました。それどころか、時折少女に手をあげるようになりました。研究が終わっても、頭を撫でてくれなくなりました。
 それでも、少女は青年の側にいました。いつかきっと、また元の青年に戻ってくれるはず。そう願いながら。
 しかし、それからまた一年経っても青年は元の優しい青年には戻ってくれませんでした。それどころか、むしろどんどん乱暴になっていったのです。研究が進まないと言っては殴り、お前が非協力的だからだと言っては殴り、あげくには顔が気に入らないからと言って殴られました。
 その頃には、少女も笑わなくなりました。
 そして二人が笑わなくなってから数ヶ月ほど経った時のこと。
「ねえ、××」
 少女は驚きました。近頃は名前すら呼んで貰えなかったというのに、青年は確かに少女の名前を口にしたのです。それどころか、その顔には昔のような笑顔が浮かんでいました。
 泣きながら、少女は青年に抱きつきました。あの優しかった頃の戻ってくれたのだと、信じて疑いませんでした。
「ごめんよ、君の力を無くしてあげるといいながら、何もしてあげられなくて」
 最早、そんなことは関係ありません。少女にとってみれば、優しい青年が戻ってきてくれるのなら、他には何もいりませんでした。
「今日は××に素敵な贈り物があるんだ」
 そう言って、青年は少女を小高い丘の上にある小屋に連れていきました。小屋の中には何もなく、どこに贈り物があるのかと少女はワクワクしながら頬を赤らめていたのです。贈り物など、懐中時計以来のことだったのですから。
「ちょっと待ってて、贈り物を持ってくるから」
 青年はそう言い残し、小屋から出ていきました。
 少女は側に落ちていたワラの束に腰を降ろし、上機嫌で青年の帰りを待っていました。しかし、それから一時間経っても青年は戻ってきません。道に迷ったのだろうか。少女がそう考え始めた時のことでした。
「ほお、これはなかなかのモノではないか」
 小屋に黒いマントを羽織った老人が入ってきました。見覚えのない人です。少女は警戒しました。
「小娘、そう警戒するでない。儂はただの吸血鬼。ちょっと血を吸わせてくれるのなら、大人しくここから出ていく。まあ、お前さんぐらいの小さい子供なら吸っただけで絶命するだろうがな。ハッハッハッ」
 思い出しました。小高い丘の上のお城には、吸血鬼が住んでいるということを。
 少女は吸血鬼を睨みながらも、青年の帰りを待っていました。すると、吸血鬼が愉快そうに言いました。
「なんだあの男め、説明していなかったのか。無理もない。自分が生け贄にされると分かってくるほど、子供も馬鹿ではあるまいて」
 …………………………………………。
「なんだ、その顔は。理解できぬというほど、お前も幼くはないだろう。なんなら、儂が説明してやろうか。なに、単純な話。お前はあの男に売られたのだ。吸血鬼の情報と引き替えに」
 …………………………………………。
「納得できぬという顔だな。まあ、いい。儂は幼い子供の血さえ吸えればそれでいいのだ。さあ、大人しくしておれ。すぐにす――」



 気がつくと、小屋の中には血まみれの藁と、息絶えた吸血鬼の死体がありました。



 手には青年の家のナイフ。かつて、自分の喉を刺したものです。そのナイフには、べっとりと吸血鬼の血がついていました。
 誰が吸血鬼を殺したのか。考えるまでもなく、自分です。
 少女は急に恐ろしくなりました。そして、慌てて青年の家へと帰ったのです。
 吸血鬼は青年が少女を売ったのだと言いました。しかし、そんなはずはありません。青年はそんなことをする人ではないのですから。
 少女は青年の家に帰りました。
「ひぃっ!!」
 青年は少女の姿を見て、不様に腰を抜かしました。
「もう勘弁してくれ! お前みたいな化け物とこれ以上つきあってられないんだ!」
 そう吐き捨て、青年は家から飛び出していきました。少女は青年を追うことができません。いつのまにか、自分は嫌われていたようです。その事がショックで、気が付くとあの小高い丘にいました。
 また死のうか。そう思いましたが、青年の気が変わって自分を捜しているかもしれない。そう考えると死ねません。
 少女は青年は探すことにしました。すると、あっさりと青年の姿を見つけることができました。
 街の中心の広場。そこに青年はいたのです。
 十字架に磔にされながら。
「この者は丘の上を吸血鬼を異形の力でもって殺した化け物である! 吸血鬼の死体の側から、この男の家のナイフが見つかったのだ!」
 いかめしい格好の男が、そう言いながら青年に羊皮紙を突きつけます。
「答えろ! お前は魔法を使って吸血鬼を殺したのだな!」
「違う! 俺は殺していない!」
「嘘をつけ! ……槍を構えよ!」
 青年の両脇にいた甲冑が、青年に向かって槍を構えます。その時、少女は青年と目があいました。
「あいつだ! 本当はあいつが吸血鬼を殺したんだ!」
 広場にいた全員の視線が少女に向けられます。それが怖くて、少女は何も言うことができませんでした。
「黙れ! 他の人間に罪をなすりつけようというのか!」
「本当だ! あいつには不思議な力があるんだ! 調べてくれ! そうしたら俺の無実がわかる!」
 男は無言で腕を振り下ろし、それを合図に甲冑は青年に槍を突き刺しました。
 ぶしゅっぅ、という音がして、青年の身体から血が溢れてきます。
「君、悪いが我々と一緒に来てもらえるか」
 青年は泣きながら、少女の名前を連呼していました。そしてまた、甲冑が青年に槍を突き立てます。
「おい、ちょっと聞いているのか!」
 青年はとうとう何も言わなくなりました。吸血鬼と同じように。
 ああ、と少女は気がつきました。
 全ては吸血鬼の仕業なのです。青年はきっと、吸血鬼の力で操られていたに違いないのです。だから少女を殴ったり、少女を吸血鬼に差し出したりしたのでしょう。
 青年は悪くなかったのです、全ては吸血鬼が悪かったのです。
「これ以上黙っているのなら、お前も同罪とみなして今すぐココで処刑するぞ!」
 男の人が怒鳴り立てていました。きっと、彼も吸血鬼に操られているのでしょう。あの吸血鬼は死んだから、きっと別の吸血鬼に。
「貴様!」
 少女は乱暴に肩を掴まれました。


 そして、その日。再び少女は一人になりました。


 街中のどこを探しても、誰もいません。虫の鳴き声や、鳥のさえずりは聞こえているというのに。
 人々はいるにはいましたが、誰も何も喋ってくれないし、動くこともありません。時が止まっているわけでもないのに。
 それから少女は青年の家で書物を漁り、徹底的に自分の能力について調べました。そして、吸血鬼のことについても。
 各地を巡っては吸血鬼を殺し、殺し終えたらまた別の吸血鬼を殺しに行く。そんなことを繰り返していくうちに、いつしか少女は吸血鬼を憎むようになった理由を忘れてしまいました。
 とうとう少女は、自分の名前さえあやふやになってしまいました。うろ覚えの記憶の辿り、少女は神月裂夜と名乗ることにしました。本当の名前かどうかは知りません。ただ、名前がないと生きていくには不便だっただけのことです。
 そうして、裂夜はそれが生きる目的だとばかりに吸血鬼を殺していきました。
 そんな彼女を、人は吸血鬼ハンターと呼ぶようになります。
 裂夜は今日も吸血鬼を殺し、青年のことを忘れていったのでありました。
 …………………
 ……………
 ………
 …










 懐かしい記憶だった。
 涙を流しながら、私は天頂に輝く赤い月を眺める。
 思い出した。全てを思い出した。
「運命と時間を操れる者同士がぶつかりあったせいか、ふん、あまり気分の良くないものを見たわ」
 私の記憶をレミリアも見たらしい。
「でも、あなたが吸血鬼ハンターになった理由はよくわかったわ。つまりは、ただの勘違い。いえ、全てを押しつけようという身勝手なのね」
 唇を噛みしめる。憎しみと殺意をレミリアにぶつけるものの、何故か両手は動いてくれない。
 時を止めようと思っても、心のどこかでそれを止める声が聞こえてきた。
「ほら、あなただってわかっているんでしょう。少女じゃなくて、神月裂夜になったのだから。冷静に過去を見なさい」
 言われなくても、もうわかっている。
 いや、あの吸血鬼に教えて貰った時点でわからなくてはいけなかった。だが、少女は理解しようとしなかった。自分の力がどれほど青年を追いつめていたのか。本当に青年のことを思うのなら、とっとと出ていけば良かったのだ。
 ナイフが床に零れる。膝から力が抜け、がっくりと床に項垂れた。
「ぅぐっ……えぁ……く……」
 喉の奥から漏れる嗚咽を必死に堪える。それでも涙は堪えきれず、床に落ちて黒い点となった。
「何を泣いているのかしら。街の人を殺してしまったこと? 吸血鬼を殺してしまったこと? その人間を追いつめてしまったこと?」
 床に落ちる涙の量が増える。
「それとも、死ねなかったことにかしら?」
 レミリアの言葉が切っ掛けとなり、私は思いきり泣き叫んだ。





「ねえ、あなた。ここのメイドになるつもりはない?」
 ようやく泣きやんだ私に、レミリアが掛けてきた第一声がそれだった。
 目尻に残った若干の涙を拭う。レミリアは至極愉快そうな顔で繰り返した。
「むしろ、成りなさい。誰かさんが虐殺してくれたおかげで、急に人材不足になったのよ。せっかく引っ越そうかと思っていたのに、このままじゃ現地調達するしかないの」
 メイドを殺した側からすれば、責められているように聞こえる。いや、実際に責められているのか。
「でも私は……」
「少なくとも門番よりかは強いわけだし、炊事洗濯だって覚えれば問題ないわ」
 どうしたものか。吸血鬼を恨む理由など、もはやどこにもない。
 だからといって、いきなりココで働きはじめるなど想像もつかなかった。
「ってちょっと待ってくださいお嬢様! ひょっとして私ってばクビですか!」
 いきなり、話題にあがった門番が部屋へと乱入してきた。その顔には怯えと、涙が携わっている。
「別にクビにはしないわよ。この子は私専属のメイドになるの。門番なんてやらせるわけがないじゃない。というかあなた、覗いてたのね」
「いや私だけじゃなくてパチュリー様も……あれ? パチュリー様?」
「もういいわ。せっかく敬語を使ってるのに、全て台無しよ。下がりなさい」
 そう命令されて、泣く泣く門番は下がっていった。
 それにしても、メイドでも困っているのに専属とな。
 顔をあげる私。レミリアと目があった。彼女はニヤリと笑って、私の手をとる。
「良いわよね、十六夜咲夜」
「……は?」
 聞き慣れない単語だ。眉間にしわが寄る。
「人の運命を最も手っ取り早く変える方法よ。姓名判断。神月裂夜だなんて、吸血鬼の僕となるには愛称が悪すぎる名前だわ」
 専属メイドから、いつのまにか僕にランクアップしていた。いや、ランクダウンか?
「神月は新月と書き換えられて縁起が悪いし、夜を裂くだなんて闇の眷属の天敵よ。だからといって満月にすれば洗脳に近い。半月なら最適だけど、少し吸血鬼寄りに十六夜。そして夜を裂くのではなく、咲かせるから咲夜」
 不思議なものだ。そう言われると、自分にはとても相応しい名前だと思えてくる。
 無言で居続ける私に、レミリアは不満そうに頬を膨らませた。
「嫌なの? どうしても言うのなら、元の名前に戻してあげないこともないけど」
 そう言いながらも、本当に戻してくれと頼んだら、殺しかねない顔をしている。
 私は首を横に振った。
 神月という名は少女のものだ。吸血鬼の僕となる私には、相応しいものではない。
 レミリアスカーレットという吸血鬼への興味もあるし、ここの人材不足は私の責任。吸血鬼の僕となるのも、今ではそう悪いこととは思えない。
 こう思うも、名前も変えたからだろうか。
 まあ、今となってはどうでもいいことだ。
 厳かな雰囲気の中、レミリアが滔々と言葉を紡ぐ。
「汝、十六夜咲夜。全てを捨てて我が僕となるか?」
 答えは決まっていた。
 膝を地面につけ、恭しく頭を垂れる。
「勿論でございます、お嬢様」
 紅い夜の思い出だった。




 咲夜さんの過去と、レミリアとの出会いといえば東方SS界の中でも屈指のテーマです。同時に、手垢のついた題材でもあります。
 ただ、求聞史紀版の話はあまり目にすることがありません。なので自分で書いてみました。
 咲夜さんの過去は完全にオリジナル解釈ですが、レミリアとの出会いは大雑把ながら求聞史紀に合わせてあります。
 咲夜さんが傲慢なのが残念ですが、まあ話の流れ上仕方のないことです。機会あれば、格好良い咲夜さんを書いてみたいものです。

 はりつけにされたのは聖者ではないけれど、愚者でもなかった。
 ただ、あまりにも人間すぎただけのこと。
 これは、そんなお話しです。
八重結界
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