Coolier - 新生・東方創想話

二人はふれあい、しかし交わることなく 前編

2007/05/26 11:16:11
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 真っ暗な闇の中。
 通い慣れた道を私は歩いている。いや、“道”と言っていいのかどうか、本当のところはわからない。
 真っ暗で足下の見えない闇。私の炎を以てしても照らすことの出来ない深い闇。
 その上をただ真っ直ぐに歩いているだけなのだから。

 人はここを中有の道と呼んでいる。人や妖怪は死んだ後、まず三途の川を目指してこの道を歩いていくのだそうだ。
 しかし、不老不死の私に死後の世界は無い。無いから見えない。無いから触ることも出来ない。即ち、ここに於いて私という存在は『無』と同義である。
 いつだったか慧音がそんなことを言っていた。本当かどうか知らないけど。

 その中有の道をしばらく行くと、

 ――や。お前さんと会うのも久しぶりだね。

 大きな鎌を携えた赤い髪の死神、小野塚小町が私を出迎えてくれる。
 慧音の話を正しいとするなら、小町がどうやって私を見、話せるのか、その理由はわからない。
 まあ難しい話はさておき、短い時間ではあるけど、小町と会って話すのは死後(?)の私の楽しみでもある。ついつい顔が緩んでしまう。
「そうかな。私はつい最近会ったような気がするけど?」
「いやいや。お前さんとは長いこと会ってないよ。まあ、それだけ平和な暮らしをしてたってことだね」
「平和ねぇ……」
 思い返してみれば、輝夜と出会った頃は、毎日のように小町と会っていたような気がする。会った、と言っても当時は言葉を交わすことさえほとんど無かったが。
 その頃と比べれば――輝夜と殺し合うこともなく、里の人間とも関わりを持つようになった私は――平和な暮らしをしているのだろう。
「……うん。そうかもしれない」
 そう言った私の顔を見て、小町はにっこり笑った。
 なんだか成長した子供を見るような目つきで……む、何やら恥ずかしい気分だ。
 気まずくなって視線を逸らした私は、ふとした疑問にぶつかる。
(あれ? じゃあ私はどうしてこんなところにいるんだ?)
 思い出そうとしてみたけれど、いまいち記憶がはっきりしない。普通は死ぬ寸前でもある程度のことは覚えているんだけど。
「まあいいか。どうせ生き返ってみればわかるんだし」
 悩むことしばし。私はこんな結論に達した。
「……何がいいのか知らないけど、そういう納得の仕方はどうかと思う」
 違いない。私たちは顔を見合わせて、笑った。



「さて、そろそろお別れかな」
 ひとしきり笑ってから、私は言った。
 もう還る時間だと、修復を終えた器が私を呼ぶ声が聞こえてくる。名残惜しい気もするけど、今回はここでお別れだ。
「じゃ、死んだらまた会いに来るよ」
「そうかい。……いつか、お前さんを私に船に乗せてやれるといいんだけどね」
 小町はどこか寂しそうに言って、背を向けた。ひらひらと振る手が「さっさと行け」と告げている。向こうもきっと私と同じ気持ちなんだろう。
 どうせ見えないだろうけど、私も手を振って、反対側へと歩き出した。





 ◇



 ああ……頭が痛い。しかもただ痛いだけじゃない。重たい塊が頭の中に居座っているような、嫌な痛みだ。
(こりゃ二日酔いか……?)
 何があったのか思いだそうとして、止める。頭を使うと余計に痛みが酷くなったからだ。

 ――妹紅? 起きたの?

 と、上から声が降ってくる。艶のある、聞く人を魅力してやまない類の声。もし私が男だったら、この痛みに耐えてでも声の主の顔を拝もうと目を開けるのだろう。
 がしかし、残念ながら私は女だ。それにこんな聞き慣れた声のために目を開けるなんて面倒くさい。
(ああ、起きたよ。だから少し休ませてくれ。頭が痛いんだ)
 私はそんな意味を込めて、そいつを追い払うように手を振った。
 効果はあったのか、声が聞こえてくることはなかった。
 これで一安心だ。もう一度眠ろうとした私の耳に、くすくすと笑う声が聞こえてきた。

 ――なぁに? そんなに私の膝が気に入ったの?

「……な――」
 思わず目を開けてしまう。すると目の前には何とも嬉しそうな輝夜がいた。
 急いで状況を確認する……までもなく、私は輝夜の膝の上で眠っていたらしい。
 慌てて起き上がろうとするも、頭の痛みも手伝って、私は肩を押さえる輝夜の手を退かすことができなかった。
「あー……くそっ。こら、人の顔を見てにやにや笑うな」
「じゃあ大人しくする?」
 勝ち誇ったような輝夜の顔。相手が――私が逆らうとは微塵も思ってない顔だ。
 そして忌々しいことに……それは当たっているのだろう。嫌だと言えたはずなのに、私はそうしなかったのだから。
「……わかったよ」
「よろしい。人間、素直が一番よ」
 そう言って輝夜は私の髪を梳く。二人きりとはいえ、膝枕の上にこれはさすがに恥ずかしい。
 でも、負けを認めたのは私だから好きにさせてやることにする……別に嫌じゃないし。
「ふふ……大人しい妹紅は可愛いわね」
 そんな私の葛藤を知ってか知らずか、輝夜は私の髪をいじって遊んでいる。それは構わないけど私を可愛いとか言うな。
「……今日のお前、何かおかしいぞ」
「お酒を飲みすぎたせいかしら?」
「違うだろ」
「そう?」
「長いつきあいだからな。それくらいはわかる」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね」
 輝夜の指が髪から私の頬へと伝ってくる。火照った肌に輝夜の冷たい指が心地いい。じゃなくて。
「だから――」
 茶化すな、と言おうとしたが、掠れて声にならなかった。どれだけ酒を飲んだか覚えてないけど、きっと相当な量を飲んだのだろう。
 それなら水でも飲めばよかったのだけど、輝夜は私を解放する気はないようだった。相変わらず肩に手を置いたまま、にこにこ笑って私の顔を見ている。
 どうやら“待って”いるらしい。
 水、と口に出しては言えなかったので、代わりに黙って手を出した。
「はいはい、わかりましたわ旦那さま」
 誰が旦那さまだ。
 軽く体を起こして輝夜を睨みながら、差し出されたグラスを受け取る。それから中の水をひと息に飲み干した。
 冷たい液体が喉を落ちていく。
「……ふぅ、――!?」
 気管に水が入ったのか、何度か咳き込んだ。
 そんな私を見て、やはり輝夜は笑っている……あれはどちらかというと、困っているような笑い方か。
「おい、笑ってないで……」
 その先は言葉にならなかった。床に転がり、咳き込んだ拍子に喉の奥から何かがせり上がってくる。口元を押さえた手に、ねっとりとした液体がかかった。
「ええと……全部飲むなんて思わなかったのよ」
 ごめんなさいね、と輝夜は言う。
 私はもう声を出すどころの話ではなくなっていた。息をするごとに肺が灼けるような痛みが走る。吐き出しているのが空気なのか血なのかさえわからない。
「解毒剤も間に合わないし……次は同じ手に引っかからないようにしないとね?」
 私を見下ろす輝夜の目には、悪意は欠片もなかった。悪戯に失敗してしまった子供のような光が見えただけだ。いや、事実、輝夜にとってこれは悪戯に過ぎなかったのだろう。

 ……ふざけるな……そんな理由で――!

 体の底から怒りがこみ上げてくる。全身の血液が沸騰するような感覚はすぐに現実となった。燃え上がる炎は私の怒りを映し出したように赤く、激しく。床板は瞬時に炭となって崩れ落ちる。宙に逃れた輝夜を追おうとして――そこが私の限界だった。
 操り人形の糸が切れたように、体の一切から力が抜けて、私は地面に倒れ込んだ。


 でも何故だろう。
 事切れる寸前、炎と共に私の中から怒りは消え失せていた。
 それは私の目から流れた血とも涙ともつかないものが原因だったのか。それとも輝夜の目に見た、悲しげな光のせいだったのか。

 まあどちらでもいいか。
 どうせ私の死は一時のもの。すぐに蘇って、この落とし前をきっちりとつけさせてもらうさ。
 そんなことを考えながら、私の意識は闇の中へと落ちていった……。



 ◇





「で、お前さんはどうしてまたここにいるんだい?」
「いや、まぁその……」
 小町は呆れた顔をして、小さくなって膝を抱えている私を見た。
 あれだけの別れ方をしておいて一時間も経たないうちに死んだのだ。さすがに恥ずかしい、というか情けない。で、誰にも見つからないように隠れていたつもりなのに見つかってしまった。こいつめ、普段はサボることで有名なくせに、仕事以外なら実は誰よりも優秀なのではなかろうか?
「まったく。最近はやっとまともになったかと思ったのに……これじゃ前と変わらないじゃないか」
 それはともかく、小町は珍しく説教モードに入っていた。誰の真似をしているのか「生きることがお前さんの積める善行だね」とか言っている。わけがわからない。
 正直な話、余計なお世話だった。第一、今回死んだの私のせいじゃないし。
「……うるさいなぁ。だからこうやって人目につかないよう隠れているんじゃないか」
「――そういう問題ではありません」
 別の声が聞こえた。見れば、小町の後ろにどこか見覚えのある小さな女の子が立っている。確か幻想郷の閻魔、だったか。
 と、小町の顔色が面白いくらいにいろいろ変わり、最後には青くなった。
「藤原妹紅。不老不死である貴方が死者の世界に足を踏み入れる事自体が、死者の世界の理を乱す原因となるのです。そのことについてはまたいずれ――それから小町」
「……はい」
「他人に説教する暇があったら自分の仕事をなさい!」
「――きゃん!?」
 閻魔は手にした笏で小町の頭を叩いた。
 おお、さすが新素材。良いしなり、良い音、そして頑丈だった。
「さっきあれだけ真面目に働くと言ったばかりではありませんか! それなのにこんな所で油を売って……」
「すみませんすみませんもうしません!」
「いいえ、貴方の言うことは信用できません。その性根を叩き直してあげますからそこに座りなさい!」
 閻魔は必死に謝る小町に説教を始めた。説教と笏で叩く音と小町の悲鳴が代わる代わる聞こえてくる。
 幻想郷の閻魔は説教好きという、稗田のお嬢ちゃんの意見は正しかったらしい。
 これ幸いと私は逃げ出すことにした。
 じゃあな小町。アンタの尊い犠牲は無駄にはしないよ。

 ……というか、やっぱり幻想郷の閻魔様は暇なんだなと思った。





 ◇



 さて、どうしようか。
 生き返った私は考えていた。初めは『輝夜にどんな仕返しをしてやろうか』とか、そんなことを考えていた気がする。


 目を覚ますと、私は体を綺麗に洗われて、真っ白な着物を着せられて布団の上に寝かされていた。
 これじゃまるで死に装束だ。死んでも生き返るとわかっているくせに悪趣味な。本当に死んだらどうするんだ。
(……まあそれは置いといて)
 よくわからない方向に転がり始めた思考をうっちゃって、首だけを動かして脇を見る。
 私の腕を掻き抱く、二本の腕。
 その先に誰がいるのか、見るまでもなかった。輝夜だ。しかも時折、甘えるような声を出して私の腕に頬ずりをする。いったいどんな夢を見ているのやら。


 とにかく、そんな光景を見た私は、毒気を抜かれたと言うか、すっかりやる気を無くしてしまったのだ。
(……でもなぁ)
 輝夜も寝てしまったことだし、このまま何もしないでいるなら、家に帰った方がいいだろう。
 なるべく輝夜を刺激しないようにゆっくりと腕を――引き抜けなかった。
 それどころか、より一層の力を込めてしがみついてくる。
(痛い痛い……!!)
 殴って叩き起こしてやりたい気分だったが、寝ている奴を起こすわけにもいかない。事が余計面倒になるだけだ。
 歯を食いしばって痛みに耐えていると、
「ぅ~」
 わけわかんない声を出しながら輝夜は寝返りを打った。
 まあそうなると、腕を抱えられている私の肩は当然《ゴキン》こうなるわけであって。
「う…………!!」
 叫ぼうとした私の口は、横合いから伸びた手に塞がれていた。
「静かにしなさい。肩を外されたくらいで姫を起こさないでもらえるかしら?」
 いつの間にそこにいたのか、耳元で八意永琳が囁く。ひしひしと伝わってくる殺気は私の勘違いだと思いたい。
 とりあえず首を縦に振っておいた。何も答えないでいると本当に殺されかねない感じがしたからだ。さすがに一日に三度もあの世へ行く趣味はない。
「そう。素直なのはいいことよ」
 言って、永琳は私の口から手をどけた。
 でもそれだけだった。私の肩は依然として外れたままであり、痛みが消えたわけではない。早く何とかして欲しい。
 そのことを目で訴えると、露骨に嫌そうな顔をされた。
 現状を打破するには、強気に出る必要があるようだった。
「いいのか? 叫ぶぞ? 輝夜が起きるぞ?」
「あら、私のメスが貴方の喉を切り開く方が早いと思うけど?」
 そう言う永琳の手にはメスが握られていた。ちなみに取り出す瞬間は見えていない。
 どうやら交渉は失敗に終わったらしい。
「……せめて肩をなんとかしてください。お願いします」
 背に腹は代えられなかった。
 もう我慢の限界。痛くて死にそう。
「根性ないわねぇ……」
 永琳に心底呆れたという顔をされた。
 ふざけるなと言ってやりたい気分だった。言わなかったけど。
 口を開こうとした瞬間に、輝夜がもう一度寝返りを打ったのだ。しかも私の腕を抱えたまま。
 何か言おうとしていれば悲鳴しか出てこなかっただろう。そしてめでたくあの世逝きだ。
 よくもまあ耐えきったものだと、自分を誉めてやりたいくらいだった。
 というか輝夜め、本当は起きてるんじゃないだろうな。
「――はい、終わったわよ」
「……え?」
 永琳の声に我に返る。気がつけば、外れた肩ははまっていた。
 さすがは月の頭脳。今までは存在価値さえ疑っていた(輝夜といると、いつもさり気なくちょっかい出してきたからだ)けど、やっぱり優秀な奴だった。
「……でもさ」
「何かしら?」
「どうにかならないのか、これ?」
 これ、とは言うまでもなく、私の腕を抱えている輝夜のことだ。付け加えるなら、今はこちら側に転がって、背を向けたまま私の腕の中に収まる形になっている。
「いいんじゃない? そのまま捕まえておけば肩を外される心配もないでしょう?」
「そういうことを言ってるんじゃなくて。私は……」
 早く家に帰りたいんだ。そう言う前に、永琳は部屋を出て行ってしまった。
 子供のわがままに付き合う気はない、ということだろうか。どう考えても被害者は私の方なんだけどな。
 まあ、別に構わないか。
 確かに早く帰りたい。でも、何が何でも帰らなければいけないわけじゃない……なんだか状況に流されているだけのような気もするけど。
(やれやれ……お前は何のために私を呼んだんだろうな?)





 あれはまだ日が沈む前、だっただろうか。
 大抵は小間使いの兎たちを寄こす永琳が、珍しく私の家を訪れた。とても不機嫌そうな顔をして。
「姫が貴方を連れてこいと仰ってるの」
 そう言うなり、永琳は私の首に注射器を突き立てた。まだ返事もしてなかったのに。
 そこからしばらく記憶がなくて、目を覚ますと私は永遠亭にいた。それから事情を聞く間もなくいきなり輝夜に酒を飲まされた。というより、寝ている間から無理やり酒を飲まされていたのではないかと思う。そうでなければ、目を覚ますと酔っぱらっていた、なんてことにはならないはずだ。
 そのまま二人で飲んでいたのだが……その内の一杯に毒が入っていたらしい。すっかり出来上がっていた私はそれを飲んで死んだと。なんとも間抜けな話だ。
 それから後は……まあ、どうでもいいか。





 結局、どうして輝夜が私を呼んだのか、殺したのか。その理由はわからないままだ。教えてくれと言えば教えてくれるだろうけど、それはそれで何か面白くない。
「……で、そろそろ狸寝入りも限界じゃないのか?」
 一通り考え終わったところで聞いてみたが、輝夜は答えない。小さな寝息が聞こえてくるだけだ。
 まあ当たり前か。これで返事をしたら狸寝入りしている意味がない。

 しかし、それならそれでやりようはある。というかむしろその方が私にはありがたい。二度も殺された恨み、ここで晴らさない手はないだろう。
(さぁてどうしてくれようか……)
 好き放題やってくれた輝夜が、無防備な姿で私の腕の中に収まっている。それだけで顔がにやけてしまう。片腕しか使えないのが残念だが、片腕だけでもいろいろできるのだよ。
 そろそろと手を伸ばす。
 が、その手が輝夜の頬に触れるかどうかという所で、手首を掴まれた。
「……やっぱり起きてたんじゃないか」
「そりゃ起きもするわよ。後ろから荒い鼻息吹きかけられればね」
「嘘つけ。私は冷静だ。それよりさっきからお前の心臓の鼓動がうるさいくらいだったぞ」
「それは貴方も一緒でしょ?」
 む、確かに。落ち着いてみれば、どくどくと普段の倍くらいの速さの鼓動を感じる。それは輝夜も一緒なわけだけど。
(ん? ということは……)
 輝夜の鼓動の速さはつまり、私と同じ気持ちだということではないだろうか?
 と、そこまで思い至ると不意に顔が熱くなった。
 慌てて手を引っ込めようとするが、輝夜の手がそれを許さない。逆に引っ張られて、私は輝夜を抱くような形になっている。
 私はこの時も、どうせ逃げられはしないのだからと、抵抗しようとは思わなかった。
(……それにしても眠いな)
 ふと気を緩めると、眠気が襲ってきた。
 酒を飲んで、死んで、生き返って、死んで、生き返って……。
 普通の人間で言えば人生を二周した計算になる。
 精神的に疲れた上に、極上の抱き枕つきとなれば眠くもなろう。

 そんなことを考えている内に、私の意識は次第に溶け始めていた。





 ……………………





 ………………





 …………





「妹紅。貴方、ここで暮らす気はない?」
 しばらくして、輝夜はぽつりと呟いた。
 ほとんど眠っていた私は、その言葉を聞き逃してしまった。
「…………あー、なんだって?」
「だから、『私と一緒に暮らしましょう』って言ってるのよ」
 輝夜は少しだけ怒ったらしい。言葉の端にちくちく刺さるものを感じる。
 私はというと、間抜けな顔で口を開けたまま固まっていた。
 まさか、あの輝夜の口からこんな言葉を聞くとは思っていなかったからだ。
『私と一緒に暮らしましょう』
 なんて、魅力的な言葉だろう。
 まるで心の底から揺さぶられるような、あらがいがたい誘惑。この腕に力を込めて輝夜を抱きしめて「わかった」と言ってしまいたい衝動に駆られる。
 だってそうだろう?
 ここにいれば、輝夜と共にいれば、きっと私は幸せなのだから。
 永遠に生きる者同士で、ずっと……。


 ――失礼する。妹紅を連れに来た。


 そのとき聞こえた声が私の思考を断ち切った。あるいは、正気に戻したと言えるかもしれない。
 熱に浮かされたようだった頭が冷えて、冷静になっていくのを感じる。
「……悪い」
 腕の中の輝夜がびくりと震えた。
「明日は里の人間に、ここまでの道案内を頼まれてたんだ」
「……そんなの、イナバたちにやらせればいいじゃない」
「私が案内した方が安全だろ?」
「それなら永琳に……」
「それじゃあ里の人間をここまで連れてくる意味が無いじゃないか」
 言っていることが滅茶苦茶だ。らしくない輝夜の様子に、つい苦笑してしまった。

 輝夜の言うとおり、本当は永琳が里まで来てくれるのならそれが一番だとは思う。
 そうすれば里の人間が危険を冒すことなく、幻想郷一の名医に診てもらうことが出来る。
 だが、それも無理な話か。輝夜がここを出ない限り永琳もここを動かないからだ。
 ちなみに輝夜に里に住んでみないかと聞いた結果は「嫌」の一言で終わった。
 だから、と言うわけではないが、私は今までここに住もうと思ったことはない。

「また明日、来てやるからさ」
 しかし、私の手を掴む力が弱まることはなかった。
 まあ、こいつの我が儘は今に始まったことではないし、飽きればそのうちに開放されるだろう。
 私は輝夜の行動を、その程度にしか考えていなかった。
「……やっぱり帰るのね」
「うん」
 私がそう言うと、輝夜は意外にあっさり手を離した。
 けれどそれは突き放すような、どこか拒絶された印象を受ける動きで――。
「……もういい。帰りたければ早く帰りなさい」
 立ち上がって私を見下ろす輝夜の目は、まるで月のように冷たい光をたたえていた。

 わからない。
 何故、私をそんな目で見るのか。
 何故、私がそんな目で見られなければならないのか。
 それとも、これも何かの悪戯なのだろうか?

「……なあ、今日のお前、本当にどうしたんだ?」
 しかし、そう問いかけた私に目を向けることなく、輝夜は部屋を出て行った。



 そうして私は一人、部屋の中に残される。
 まるで世界に私だけしかいなくなったような錯覚に襲われる。
 ……わからない。
 輝夜が何を考え、こんなことを言ったのか、私にはわからなかった。



 私がその意味を知るのは、もう少し後のことである……。 
タイトルをどうするかで悩む今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回もまた、妹紅と輝夜の話を書いてみました。
時間軸は明言は避けますが、永夜抄のかなり後だと思ってください。
とりあえず前後編+外伝(というか裏話?)の三話で完結させる予定ですが、
前編がこの通り短いので後編はやたら長くなるかもしれません。
加えて書き上げるのがかなり遅くなるかもしれません。

気長に待っていただければ幸いです。
aki
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