Coolier - 新生・東方創想話

切り札は左手に

2004/06/14 14:53:15
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※前作「吸血、調達、口直し」を読んでおくと、2割8分5厘ほど面白さが増すかもしれません。






 目覚めが重い。
 確かに朝に強いほうではないけれど、ここまで起きれないのは珍しい。
(低血圧……なんてね)
 馬鹿げている。
 泥の中から這い出るように身を起こした。
「……咲夜」
「おはようございます、お嬢様」
 声を出すのも億劫に呟いた。しかし、従者はいつも通りに現れた。
 少しだけ、ほっ、とした。
「おはよう……」
「具合が悪いのですか?」
 心配そうに従者は訊いてきた。少し迷ってから返答する。
「……そうね。今日は食事はいらないわ」
「……わかりました」
 大丈夫なのか、と従者の目が言っていた。
「心配しなくても大丈夫よ。……これは持病みたいなものだから」
 言って、内心苦笑する。

 ――何が持病だ、悪魔め。

 自嘲しつつ、なおも心配する従者をいなして服を着させた。
 倦怠感は抜けない。しばらく自室にいることに決めた。
 従者に伝え、下がらせる。っと、その前に。
「今日は、誰とも会わない。咲夜も今日は、私の世話はいいわ」
「え……? あ、はい。わかりました」
 流石にこの命令には従者も困惑したようだ。
 まあ、そうしておかないと。
「…………」
 しばらく自室でぼんやりと時を過ごした。
 本当は、今日は神社に行くつもりだった。
 そうでなければ、朝に目覚めようと昼に目覚めようと、関係なかったのだ。吸血鬼は生粋の夜型なのだから。
 だから“夜寝”をしていたというのに……折が悪い。
(逆かもしれない)
 吸血鬼である私が日と共に起きるということが過ちで、その揺り返しが来たとも考えられる。
「まあ……どうでもいいんだけど……」
 部屋を出て、自邸、紅魔館を歩く。
 日の光が入らない館も、採光した間接照明や灯りでぼんやりと明るい。
 歩いていくごとに、気分が暗くなっていく。周りも暗くなっていく。
 歩くたびに暗くなっていくのは錯覚ではない。その明りが、進むたびに減っていく。
 奥のほうへ、闇の深いほうへと、進んでいる。
「ここに来るのはいつ振りかしらね……」
 大きな、地下へと繋がる大きな扉の前に立ち、私は呟いた。







「咲夜ー!」
「なんでしょう? 妹様」
 主人の妹がこちらを見つけるや否や呼びかけられ、それに答えてから、ふと思った。
 妹様という呼称はどうなのだろう?
 主人に対してはお嬢様、と言っているが、その妹に対してもお嬢様と呼んでいては紛らわしい。
 もっともなように思えるが、妹様という呼び方は敬語なのかというとやはり疑問が残る。
 同じ紅魔館に住み、お嬢様の友人に対してはパチュリー様と様付けをしている。
 この場合、やはり妹様よりもフランドールお嬢様、と呼んだほうが良いのだろうか。
 少し言いにくいような気がする。ならば、フランお嬢様、かしら。
 いや、パチュリー様とお嬢様が互いをレミィ、パチェと呼ぶようなものだから、やはりこれは相応しくない気がする。
 少し短くするならば、フランドール様、か。違和感は慣れればよさそうでもあるし……。
(でも、別にこの呼び方で怒られたことないし、いいか)
 疑問、思考、結論、棄却。その間、僅か一秒。
「お姉様は?」
 メイド長の秒間の思索に気づくことなく、悪魔の妹君は単刀直入に訊いてきた。
「お嬢様は、体調が優れないらしく、出かける予定を取り消しましたが」
「ああ、そうなんだ。外に行くなら一緒に行こうと思ってたんだけど。一人で行くことにするわ」
 妹様もお出かけの予定だったらしい。行き先はどこぞの古風な魔女の家か。道中行った先で暴走しないことを祈るばかりだ。
「はい。お気をつけて。日傘をお忘れにならないよう」
 一応念のため。この妹君は時折とんでもないことをしでかすから。
「わかってるわよ。咲夜も――気をつけてね」
 なにか、意味ありげな。
「はい?」
「じゃあね」
 問い直す間もなく、妹様は文字通り飛んでいってしまった。
「…………?」
 疑問、思考、結論、
(妹様のことだから、考えるだけ無駄だろう)
 棄却。






 午前は何事も無く過ぎていった。
 メイドたちは問題なく仕事をこなし、統率する方もされる方もルーチンワークで事足りた。
「そろそろお昼ね」
 懐中時計を取り出して時刻を確認する。
 昼食にしよう。
 厨房に向かう。向かいながら思った。
「……お嬢様はランチも要らないのかしら」
 小食とはいえ、二食も抜いたら体に障る、ような気がする。
 普段なら呼び出されて、紅茶の一杯や二杯、淹れるのだが今日はそれも無い。
 起きられないような容態なのだろうか。
 仕事に集中していれば考える暇はなかったが、一息つくと心配になってきた。
 しばらく姿を見なければ不安にもなる。
「パチュリー様に相談してみるか……」
 昼食を出すついでもあるし、私より付き合いの長い魔女ならば何か知っているかもしれない。






「パチュリー様、昼食をお持ちしました」
 閲覧室と司書室とを隔てるカウンターの定位置で、いつものごとく読書をしていた魔女に昼食を出す。
 もちろん、料理し終えて盛り付けのあと蓋をした状態で時間を止めたため、できたてのほやほやだ。
「……ああ、ありがとう」
 机の脇まで来て、初めて気づいたように礼を言う。
 本に栞を挟み机の脇に置き、掛けていた眼鏡を取った。
「あれ? パチュリー様、眼鏡を?」
「どこかのお節介が持ってきたのよ。読書のときだけ使ってるの。度はほとんど入ってないけど」
「本に顔を近づけすぎると、眼に悪いですしね。……お茶をお入れします」
「ありがと」
 無表情気味な魔女にお茶を出した後、自分の分も淹れ、対面の席に座った。
「…………咲夜、レミィはどうしてる?」
 ふと食事の手を止めると、訊いてきた。
「今日は体調が優れないようで……。食事も取られていません。多分自室に居られるかと」
「レミィが? ……ふぅん」
 珍しいこともあるものね、と呟いて細々と食事を続ける。
「パチュリー様、何か心当たりはありませんか? 言いにくいのですが、なにか、こう、違和感があるんです」
「うーん……。レミィは自分のことを病弱って言うけど、実際弱点が多いし、体調を崩すことはあるわ。それは人間に比べると頑丈だけど」
「今日は誰にも会わない、食事も要らない、と」
「……へぇ?」
 片眉が僅かに上がる、驚きのジェスチャー。
「血を飲まないで病気になる吸血鬼とか、川を渡ろうとして失神した吸血鬼の話なら知ってるけど……えぇっと、吸血鬼に関する本はどこだったかしら……」
 こめかみに人差し指をとんとん、と当てて思い出そうとする仕草。
「……ああ、あそこだ」
 カウンターの隅のほうから紙とインクとペンを魔法で引き寄せると、魔女は一行二行メモし、軽く放った。
 放られた紙は、滑るように空を飛んでいき、広大な図書室の何処かへ消えた。
 紙の行方を気にする様子もなく、食事を再開する魔女。
 そうして食べ終えフォークを置くと同時に、小悪魔が飛来した。
「ん」
 小悪魔は数冊の本を魔女に手渡すと、一礼してまた図書室の何処かへと飛び去っていった。
「ごちそうさま」
「お下げしますね」
 食事が終われば次の瞬間には本を開いている。いつものこととはいえ、本の虫だと常々感じさせる魔女だ。
 食器をワゴンに載せる。
 このまま先に厨房まで下げるか、それともこのまま話を聞こうか、少し悩む。
「そういえば……今日は満月だったわね……」
 良いタイミングでパチュリーは話し始めた。咲夜は話を聞こうと席についた。
「…………んー」
 目を閉じ、時間にして三十秒ほど考えると、
「まあ、そのままにしておくのがいいでしょ、少なくとも今日一日は」
 魔女は言った。
「え……」
「多分、その他に最善策は無いわ」
「えーっと……、大丈夫なんですか? お嬢様は」
「こればっかりは、他人の手でどうにかなるもんじゃないから」
 やれやれ、処置無し、といった風にため息まで吐いた。
「そういうものなの」
 念押しの一言。
「…………」
 こうも、あっさりはっきりくっきりと言われては、知識においては敵うところが皆無の咲夜は何も言えない。
「明日も続くようなら、何か対処を考えとくわ。もしかしたら別の原因かもしれないし。咲夜も、今日一日ぐらいレミィのことを忘れてみたら?」
 レミィのことを悪く言ってるわけじゃないけど、と付け足された。
「……はあ……」
 咲夜としては、曖昧に答えるしかなかった。

 ――りーん。りーん。

「あら……」
「ん? 誰か来たのかしら」
 鈴の音が二回。来訪者、というよりも来客を告げる。
 広い館での連絡手段として、魔女は鈴を用意した。
 館のどこかで鈴を鳴らすと、対応するところで鈴が鳴る仕組みだ。鈴の種類(音色、音程が違う)と回数で以って簡単な伝達をすることができる。
 ……といっても、まともに使われることは稀であった。使われだしたのは最近になってからだ。
 ちなみに鈴の音がしなかった場合、来訪者は基本的に排除対象となる。鈴が鳴っても警報であれば同様である。
「魔理沙かしら?」
「だとしたら、妹様は何処に行ったんでしょうか?」
「あら、妹様は出かけてたの。だとしたら十中八九魔理沙の家よね。誰かしら、紅白?」
「その可能性も無くは無いですね」
 などと二人で詮索していると、
「――残念だが、私だぜ」
「あら」と、咲夜。
「まあ」と、パチュリー。
 件の妹君を背負って、件の黒いのが箒に乗って現れた。
「いやー、疲れた疲れた。こいつ背負いながら、空飛ぶのは神経使うな。日傘差しながらの飛行はもう勘弁願いたいぜ」
 と軽い口調で言って、汗を拭う動作をする魔理沙。ほとんど振りだけで、汗はあまりかいてない。
「妹様はどうしたのよ。また暴走した? ……って、感じじゃないわね。身嗜みが綺麗だし」
 なんか今日は心配してばっかりだ、と思いつつ咲夜が問う。
「寝てるだけだよ。どこか寝かせられるとこあるか?」
 大丈夫だよ、と魔理沙。
「私の部屋のベッドを使っていいわよ」
「サンキュー、パチュリー」
 勝手知ったる他人の部屋、と司書室を抜けてパチュリーの私室へ入って行く魔理沙。
「ふぅ……」
「咲夜は心配性ね」
 ふふ、とパチュリーは可愛らしく笑った。
「どこぞの紅白の能天気さが、少し羨ましく思えてきた……」
「末期的ね」
 何処かで誰かがくしゃみをしたような気がした。
「メイド長ー、悪いが私にもお茶淹れてくれないか?」
 パチュリーの私室から戻ってくるや否や、お茶の注文をする魔理沙。
「悪いと思うのなら頼まないで」
 といいつつも、既に準備を始める咲夜。
「そういうなよ」
 自然な動作でパチュリーの隣に座る魔理沙。パチュリーは少しだけ居住まいを正す。
「紅茶しかないわよ」
「構わないぜ」
 淹れられた紅茶を一口飲み、一息。
「美味いな。惜しむらくは微妙に血の味が混じってることか」
「入れてないわよ」
「ポットにちょっと残ってるんだろうぜ? 注ぎ口とかは洗いにくいしな」
「む……今後、気をつけるわ」
「おう。……パチュリーは気づかなかったのか?」
「私? 私は、血が混じってても関係ないもの」
「そりゃそうだ」
 面と向かってアクの抜き方を調べられたことがあったな、と魔理沙。
「うちには味に五月蝿い人が居ないのかしら……」
 何故よそ者から味であれこれ言われるのか。人間が居ないのだからしょうがないとも言えるが。
「血なんか入れれば、紅茶の味なんてどうでもよくなるぜ?」
「……暗に、私が批難されてる気がするのはなぜかしら」
 血入りでない紅茶を飲む側であるパチュリーがジト目で言った。
「気のせいだぜ」
「気のせいよ」
「…………。まあ、変な味じゃなければ紅茶の味なんてどうでもいいんだけど」
「どうでもいいって……」
 それはちょっと傷つくメイド長。
「それで妹様はどうしたのよ。遊びつかれて寝ちゃったの?」
「あー、いや……」
 パチュリーが話題を替えると、罰が悪そう魔理沙は答えた。
「実は、昨日から今朝まで徹夜で実験やっててさ。朝にフランが来た時も寝てなかったんだよ。それでも付き合って一緒にお茶飲んだり話したりしてたんだ。そしたら先にフランのほうが眠たそうになってだな。フランをベッドで寝せて、私は横で本読んでたらいつのまにか私も寝てた」
「……妹様も徹夜してたのね」
「そうなのか?」
「眠くない時には眠らないから、妹様。昼起きることはあっても、夜に寝ることなんて滅多に無いわ」
「495年も寝貯めしてれば、充分だろ」
 私は週休二日で万年睡眠不足だ、と冗談を飛ばした。あながち冗談でもなさそうだが。
「お嬢様は朝から出かける予定のときは、あらかじめ夜に寝てるけど、妹様はそういうことしないものね」
「んで、二人して寝ててさ。今からちょっと前に目が覚めたんだ。それでなんか首が痛いな、と思ったらフランの奴がお腹空いた、って寝ぼけて噛み付いてた」
 襟を開いて噛まれた後を見せられた。確かに、二つの小さな穴、吸血痕がある。
「実際に吸われたの?」
 僅かに眉を寄せてパチュリーが訊く。心配している表情である。
「少しな」
 まあ血色は悪くないし、大事無いだろう。
「魔理沙の血、美味しかったよー……ふぁ……」
 あくび混じりな声。眠たそうに目を擦りながら、フランドールがやってきた。
「おや、起きたのかフランドール」
「うん……魔理沙がおんぶして飛んでる時も少し起きてたんだけど夢うつつで……ぅんー……」
 眠気を振り払おうと背伸び。あまり効果はなさそうだ。
「美味しかった、って、ほんとに少しは飲んだのね」
 何故か羨ましそうにパチュリーはぼやいた。
「ほんのちょっとよ。……うん、でも美味しかったな。魔理沙、もうちょっと飲ませて?」
 結構本気の眼だ。
「やだ。私が美味しいのは当然だとしてもだ」
「そういえばこの間、本当に簡単に素材のアクを取り除く調理法を見つけたのよね。試してみる?」
「それだったらまだフランに血を吸われた方がマシだぜ」
「だったら吸わせてー。死なない程度に抑えるから」
 魔理沙に抱きつき、首筋に顔を寄せる妹君。何気に牙が伸びている。
「お前、加減下手だろうが。おい、メイド長、この妹君に何か作ってやってくれ」
 フランドールの肩を掴み、引っぺがす魔理沙。
「魔理沙が作ってくれた増血剤、余ってるわよ。作ってもらったのは良いけど、折り悪く必要なくなったのよね」
「私としても、食糧が増えるのは喜ばしいわね」
「あー? お前ら全員、試験中の魔砲の餌食になるか? まだ調整不足で暴発の可能性が7割あるけどな。図書館の屋根は吹っ飛ぶと思うが」
「冗談よ」
「冗談ね」
「冗談、だけど……お腹すいたのは本当……咲夜ー、ご飯ー」
「はい、わかりました」
 席を立ち、配膳用の台車を押して厨房に向かおうとする咲夜。ふと気づいて振り返る。
「ああ、あなたは昼食はどうするの?」
 起きてすぐにこちらに向かったのなら、昼食はまだだろう、と見当をつけたのだ。
「ん? 私か。そうだな、適当に軽く頼む」
「了解」
 今度こそ図書館を後にする。扉を閉めると、背後から喧騒が聞こえてきた。
「やっぱり魔理沙の血が欲しいー!」
「勘弁してくれっ!」
「私の書斎で暴れないでー」
 これは早くしたほうがよさそうだ。それこそ時間を止めてでも。





 大急ぎで妹様用の昼食を用意して図書室に戻ってみると、案の定、今にもスペルを発動せんとする三人の姿が。
 もう遊びモードで目が爛々と輝いている(ただし紅色)フランドール、何故か服がはだけていて半泣きの魔理沙、はたまた顔が赤かったり青かったりで忙しそうなパチュリー。
 持ち前の思考パターンで、これ以上、深く考えるのをやめ、落ち着き払って呼びかけた。
「妹様、昼食をお持ちしました」
「あ……、はーい」
 ちぇっ、と残念そうな表情の妹君。反対に魔理沙とパチュリーは揃って安堵のため息を吐いた。
「助かったぜ……」
「うう……酸欠……」
 死にそうになってる二人はとりあえず放置して、食事の準備。
「はい、どうぞ召し上がられてください」
「いただきますー」
 早速食事にがっつく、とまではいかないが、食欲旺盛に食べ始める妹様。
 何気にテーブルマナーは心得ていたりする。魔理沙が初めて見たときは大層不思議がっていたものだ。
 そしてその魔理沙はというと、乱れた服を正しながらようやく復活しようとしていた。
「パチュリー大丈夫か?」
「あぅ……貧血……」
「増血剤、飲むか?」
「……それは要らない」
「そりゃ残念。……で、メイド長」
「はいはい、あんたの分もちゃんとあるわよ。サンドイッチセットぐらいしかなかったけどいいわよね」
「私は和食派だが……贅沢は言わんさ」
 パチュリーを引きずって椅子に座る魔理沙。「ひきずらないでー」という声がした気がする。
「ところで、フランドール」
「なぁに?」
「やっぱり血の味にも良し悪しがあるのか?」
「当然でしょ。鮮度とか栄養価とか、いろいろあるわ」
「ほうほう。やっぱり健康体とか若いのが美味いわけか」
「うん。力がある人のは美味しいみたいね」
「なるほど。だから私の血は美味い、と」
「魔理沙よりも紅白のほうが美味しそうなんだけどね」
「それはショックだぜ」
 全然ショックそうでない。
「――でも、私は魔理沙の血のほうが良いなぁ」
「ほう?」
「だって私、魔理沙のこと好きだもん」
「――――ぶっ!」
 魔理沙の隣で息を整えようと紅茶を飲んでいたパチュリーが盛大に吹いた。
「それはそれはお褒めに与り光栄ですな、フランドール様」
 と、おどけて魔理沙。
「げほげほ……」
「ちょっと大丈夫? パチュリー」
「ごほごほ……。……大丈夫よ、フラン……」
 大丈夫、といいながらも赤い顔して、涙混じりのジト眼を向けるパチュリー。その眼は、
(爆弾発言しておいて、なぜ第三者の私が一番リアクションが大きいのよ)
 と言っているように見えた。
「素材の良し悪しは重要だけど、もっと重要なのはそれ自体に対する好み――」



 ――ほら、他の人の体液ってなんか、特別じゃない?



 普段は見た目相応の幼い振る舞いの癖に。
 時折、年齢相応の含みのある言葉を吐くのだ、この妹君。
 まったくもってあなどれない。
 流石の魔理沙も笑いが引きつり気味だ。
 パチュリーに至ってはまた撃沈していた。
 ただ一人、傍から話を聞いていた咲夜は、平然としていた。







 そんなこんだで、お昼の休憩を使い切ってしまったので仕事に戻った。
 三人はそのまま図書室でお喋り(普通の話題の、最近の紅白の話とか)を続けるようだった。
 二人分の食器を下げに、配膳ワゴンを厨房まで押していく。
「…………」
 厨房のテーブルには、蓋をされたまま、時間も止められたままの食事が一人分あった。
「…………」
 つい用意してしまったお嬢様の分。
「……まずは午後の仕事よ……」
 止めた時間はそのままに、咲夜は台所を出た。
 深呼吸を一つ。
「……よし」
 私は完全で瀟洒なメイド長。
 有象無象の区別無く、埃の一つ、塵の一つも見逃さない。









 闇の中、気が付けば眠っていた。
 というよりも、いつの間にか寝ていた。
 言葉遊びのようだが、眠ることには普通気づかないのだから。
「…………」
 そんなどうでもいいことを考える。
 どうでもいいことを考えていなければ、余計なことを考える。
 余計なことを考えれば、辛いことを考える。
 辛いことを考えれば、……抑えきれなくなる。
「…………く、はっ……」
 熱い。
 身体の中に、気泡があるイメージ。
 どろどろの身体を少しずつ浮かび上がってきて、破裂する、そんなヴィジョン。
 きつく眼を閉じ、全身に緊張がみなぎる。
「――――っ!」
 ゴムが弾けるように、右腕が振るわれた。
 でたらめに具現化された魔力が迸り、闇を照らしながら強固な石造りの床に罅を入れた。
 罅を入れた程度で済んだのは、放たれた魔力が弱かったからではない。むしろ、罅を入れることすら難しい。
 元からこの地下空間、妹のため“ではなく”、生半可なことでは壊れないように作られている。多少の損傷なら勝手に修復する自己復元機能まで持っていた。
「……っ、ふぅ……」
 熱が、通り過ぎた。つかの間の静寂。
「こんなことなら……余計に血なんて飲むんじゃなかったわ」
 血が、騒いでしまう。熱を持って、熱い。
 ぐつぐつ、とありもしない音が聴こえる。
 暑い熱い。闇は凍えるほど寒いのに。
 熱い暑い。月はこんなにも紅いのに。
「――――…………月?」
 ああ、そうか。
 今夜は、満月、だ。
「こんなに月が紅いから……」
 こんなに闇が寒いから――
「…………――――」
 偽りの紅い月に向かって呟いた。




 ――――寂しい。









 午前と同じように午後の仕事も、何事も無く過ぎていった。
「お疲れ様」
 見回りがてら、門のほうまで出てきて、番人に声をかけた。
 この時間、天気がよければ綺麗な夕焼けが見られる。咲夜の密かな楽しみの一つだ。
 少しずつ宵闇が空を支配していく様子は、時の流れがわかりやすく感じられる。それが好きだった。
 湖の水平線の彼方、何故か季節外れの流氷などあるところに妙に夜っぽいところがあるが、それは気にしない。どこぞの妖怪たちが遊んでいるのだろう。
「お疲れ様です。異常ありません」
 番人が振り返って、笑顔で応えた。
 夕焼け観賞に来ると踏んで、予想していたのだろう。
 ……ふと、悪戯心が降って湧いた。
「そう。居眠りとかしてないでしょうね?」
「し、してませんよっ!?」
 お、意外と大きなリアクション。さらにカマをかけてみる。
「……よだれのあと」
「え、嘘!?」
 慌てて口元を拭う門番。
「嘘」
「あ」
 墓穴を掘った、という顔。
「…………」
「いや、でもほら、フランドール様たちが帰ってきたときはちゃんと起きてましたし!」
「普通、番人っていうと、二十四時間不眠不休っていうのが定石よね」
「うっ……」
「……ぷっ、冗談よ冗談。はい、差し入れのお茶」
「あぅー……。どうも~」
 素直で真面目で、からかうと楽しい娘である。
「あ、今日は満月ですね」
 言われて、日の沈む西から東へと目をやると、月出したばかりで赤みを帯びた満月が見えた。
「…………」

 ―――紅い月。

(お嬢様……)
 理屈はわかっている。朝陽や夕陽と同じことだ。
 ただ、虫の知らせのような、何か。
 直感が、咲夜を動かした。
「それじゃ、がんばってね」
「はい、咲夜さんも」
 挨拶もそこそこに、夕陽を浴びて鮮やかな紅だったのが宵闇を帯びて紫がかった紅魔館へと、戻った。







 配膳用の台車に昼間の料理を載せ、主人の室へ向かった。
 こんこん、とノックする。返事はない。
「……失礼します」
 扉を開けても、案の定、主の姿はない。
 ため息一つ。扉を閉めた。どこにおられるのか。
「――レミィを、探してるのね」
「パチュリー様」
 声のした方を向くと、壁面の蝋燭台を四つ挟んだ向こうに魔女の姿があった。
「探さないほうが身のためよ」
「昼には理由を聞きそびれていましたね。なぜですか?」
「言葉通りよ」
「それは……」
「レミィも咲夜に会いたくないと思ってるはずよ。レミィだって咲夜を殺したくはないでしょ」
「お嬢様が、私を殺す?」
「言ってしまえば、フランの癇癪と同じ。破壊衝動の噴出」
「ちょっと待ってください。妹様の癇癪はわかります。でもどうしてお嬢様が」
「吸血鬼だけじゃない、一部の妖怪が持つ性質、と思ったほうがいいわ。フランの例のほうがどちらかといえば特殊なのよ。持って生まれた能力が性質に拍車をかけている。レミィは言ってなかったかしら? 持病って」
「もしかして、今までも?」
「ええ。フランとは比べ物にならないほど稀だけど」
「お嬢様は今?」
「衝動を抑えているわ。抑えきれないから隠れている。誰の目にも触れられないように。予兆や前兆はほとんど無く、そして知らないうちに蓄積されているから、レミィのソレはフランよりもタチが悪い」
 彼女は自尊心が高いから、と目を伏せて魔女は言った。
「…………地下ですね。この紅魔館で隠れられる場所といえば地下しかない」
「しまった。貴女は察しが良すぎる。……そうね、この館のほとんどは咲夜が手を加えてるものね」
「私を止めますか?」
「私じゃ時間稼ぎにすらならないわ。でもあなたの主人の友人として忠告。あなたが行っても、レミィは喜ばない。むしろあなたを傷つけて殺してしまうかもしれない。そうなればレミィは悲しむわ」
「…………」
「いつもの“発作”なら、一晩で治まるわ。満月の夜は特に血が騒ぐから。今夜だけよ」
「ご忠告、感謝します、パチュリー様」
 一礼。
「でも――主人の側に居るのが、従者です。それでは」
「咲夜、待――」
 引きとめようとするパチュリーの声を遮って、
「――お姉様なら、逆方向よ」
 廊下の角から、フランドールが現れて言った。
「妹様」
「フラン……」
「地下といっても、お姉様のと私のとは別よ」
「……そう、ですね。良く考えれば当たり前でした」
 フランドールが地下に居たときにも、レミリアの“発作”は起きていたのだから、同じ場所ということはありえない。
「……館の、反対側」
「うん」
 空間をいじられているが本来はシンメトリーの紅魔館、フランドールが居た地下室と対称する場所は……。
「ありがとうございます、フランドール様」
 一礼して、向きを変える。数歩進んだその背後からフランドールは言った。
「……あそこは凄く寒くて凄く寂しい場所。お姉様はそこで独りぼっちなの。だから咲夜」
 私に言えた柄じゃないけれど、と、いつもの妹君からは信じられないような心細い声。
「お姉様を助けてあげて」
「心得ております」
 背中で応えて、完全で瀟洒な従者は、主人の側に向かった。










 熱い暑い寒い熱い暑い寒い熱い暑い寒い熱い暑い寒い熱い暑い寒い熱い暑い寒いあついあついさむいあついあついさむいあついあついさむいあついあついさむいアツいアツいサムいアツいアツいサムいアツいアツいサムいアツイアツイサムイアツイアツイサムイ………………ッ!!!!


「がぁぁぁぁぁっっ!!!!」
 魔力を帯びた爪が、空間を引き裂き、頑強なはずの床を深く抉る。
「うわああああああ!!!!」
 魔力そのものが、空間に溢れ、爆ぜた。
 暴風が吹き荒れ、轟音が耳を打つ。
「―――――っ!!」
 暴走する力のリバウンドで、一瞬気を失う。
「くっ…………はぁぁぁぁぁああ!!」
 気絶から回復した瞬間、理性の糸が一瞬だけ繋がった。
 その一瞬を使って、魔力に意味を持たせて発動させた。
 自らの分身、少なくとも見た目だけは同じモノを作り出し、
「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 間髪置かず、襲う。
 ずたずたに切り裂き、叩き潰し、投げつけ、燃やした。
 破壊されるために生まれた哀れな人形は飛散し、魔力の残滓を残して消えた。
「――……あはっ、あははははは、ははははははっ!!」
 衝動がいつもより強く、激しい。
 血を飲みすぎたせいだ、と僅かに残っている知性が述べている。
 苦しい、苦しい、苦しい。
 熱い、暑い、寒い。
 苦しい、辛い、――寂しい。
「うわぁぁぁぁ――――っっ!!」
 可聴域を越える高音。叫びすぎて声が掠れる。
 泣き声のような叫び声。
 しかし地下室の闇は、全てを飲み込み、僅かな反響を残すだけ。
 そして、静寂。
「ぃ、やああああぁぁぁっ!!!」
 血走った眼で、紅い悪魔は叫ぶ。
 自己修復が間にあわない床が壁が、悪魔の力を示すように破壊の傷跡を深々と見せつける。
 傷だらけなのは、床や壁だけではない。
 暴走暴発の代償、リバウンドが吸血鬼自身を傷つけ、また自ら自傷行為に及んですらいた。
「……はあ……はあ……」
 どれぐらいの時間が経ったのだろう。少しずつ、落ち着いてきた。
(ピークが……過ぎたかしら……)
 まだ鼓動は激しいし、燃えるように熱く血潮は滾っている。
 単に波が通り過ぎただけかもしれない。本の気休めかもしれない。
 現に、いつの間にか具現化された偽りの紅い月は変わらず存在している。
 紅い、赤い、朱い、あかい、満月。
「…………」
 目を閉じる。疲れた。
 まだ夜は長い……。
「…………」
 弱火で煮立てられる気分。
「ぐつぐつ……ぐらぐら……」
 呟いてみて、一人で笑った。
「お腹すいたなぁ……」
 なんだ、まだ余裕じゃないか私。
 明日になったら、咲夜に何か作ってもらおう。咲夜に――
「――――っ! くっ、はっ……」
 ああ、もう、鬱陶しい。
「…………ふ、ぅ……」
 無心、無心、無心。何も考えない。落ち着け。よし。
(……気を失えそうだ。今のうちに、少し、ねむ、ろう……)
 悪夢しか見れそうに無いな、と考えて、無理矢理意識を手放した。









 ふと、私とお嬢様が初めて出会った時のことを思い出した。懐かしい話だ。
 その時はまだ、私の髪にも黒い所があったと思う。
 決定的に、私の髪が一本残らず白くなったのは、あの夜が過ぎてからだ。
 紅を背景に、死闘を繰り広げた一晩。
「…………」
 紅い夜、紅い満月の下、紅い血が咲いた夜。
「……よく生きてたな、私?」
 実はあまり覚えていなかった。
 鮮烈なイメージだけが残っていた。
「さて、忘れ物は無いかしら。……よし」
 鬼が出るか、蛇が出るか。
「鬼が出るんだろうなぁ」
 大きな、地下へと繋がる大きな扉の前に立ち、私は扉に手をかけた。

 ―――咲夜―――

 お嬢様が呼ぶ声。
 幻聴だろうか、いや――
「…………」
 ただいま参ります、お嬢様。










「………………ぅ……ん?」
 夢を見たような気がする。
 500年の時を考えればそれほど昔でもないけれど、懐かしい夢。
「……どんな、夢だったかしら……」
 思い出そうとして、身体のいたるところが痛みを発して邪魔された。
 寝相が悪いことだ。眠っていた間ですら力が暴走したのか。
 もしかしたら寝ていなかったのかもしれない。単純に記憶が跳んだだけとか。
「そういえば……」
 咲夜が出てきたような気がする。今よりももうちょっと若く、幼い。
 ああ、そうだ。初めて会ったときの彼女だ。
「ふふ、あの頃はあんなに小さかったのにね」
 咲夜は言いつけを守ってちゃんと仕事をしてるのだろうか。ふと心配になった。
 彼女はおしなべて完璧だが、時々抜けている節がある。まあ普段の仕事での惚けなら大事無いが。
(まさか、こんなところに来るはずが無いわね。――……ぐっ)
 ……また、熱がぶり返してきた。
 ドクン、ドクンと鼓動の音が響く。
 目を瞑り、耳を塞いだ。
「……うるさいなぁ」
 地下への入り口からここに至るまで、ありとあらゆる障害が備えられている。
 どちらかといえば、出ようとするほうが大変になるようになっているが、入ってこようとするほうも、実用的なレヴェルで難しくしてある。誰であろうとここまで至るには相当の時間を使うし、生半可な実力では突破できない。
 唯一の例外は、私が入る時、だけ。
 私のための檻、なのだから。
「…………」

 耐えなければ。

        ――ドウシテ?

 檻の中に入っているのだから。

        ――コンナモノコワシテシマエ。

 早く終わって欲しい。

        ――ナラ、ソトニデレバイイ。

 こんな姿、誰にも見せられない。

        ――ドウセコロスノニ。

 …………。

        ――ソトニデヨウヨ?

「うるさいっ!!」
 もう幻聴も聞き飽きた!
 何度も何度も出鱈目に、反動で傷つくことなど厭わず、魔力を振るう。
 ベクトルを持たない破壊は気晴らしにもならない。
(誰かいればいいのに――)
 相手がいれば、こんな退屈な苦しみからは……
「―――咲夜―――」


 ――――ドクン!


 鼓動が、一際大きく、鳴った。


「ぅっ! ぁ……っ、く、ぅ、ぅ、う……――っ!!」


 闇が、紅く染まっていく。



 ――――ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! …………



 紅い、紅い、紅い、紅い、何もかもが紅く、闇すらも紅く。
 紅い月、紅い闇、紅い世界。




 ――――紅境「月狂世界(ルナティックフィールド)」――――



                  世界の

  法則が

              崩れる



「ぅぅぅぁぁぁああああああっっっ!!!!!!!」
 叫び声に呼応して、いくつもの紅色の光柱が、神殿のように床に突き建っていく。
(……こっ、これさえ、乗り越えれば……っ!)
 これはスペルではない。現象だ。
 魔力の残滓が積み重なって異界が創られるオートスペル。
 任意で発動できるスペルではなく、なかば自動的に起こる現象。
 ここまで至ることは稀だ。今まででも片手で数えられるほどしか起きたことはない。
(大丈夫だ……っ! 標的が居なければ、ただ耐えるだけでいい…………っ、ぐぁっ!)
 ベクトルの定まらないスペルは、自身に返る。
 魔力の放出が止まらない。搾り出されるように、魔力が溢れていく。
「――――あああああぁぁぁぁっっ!!!!」
 飛び上がり、空中をのた打ち回る。
 全身の血液が沸騰し、骨が燃えているような感覚が、思考を焼く。
(…………熱い――――!)
 なぜこの身に火がつかないのか不思議なほどに、身の内に宿る炎は熱く、激しかった。
 その癖に、この紅色の闇は未だに冷たく寒いのだ。
 いや、この空間の空気自体は暑い。紅色の光柱はじりじりと空気を焼いていた。
「く、はぁ…………っ!」
 一息吹(ワンブレス)。
 たったそれだけの弾みで、何千、何万もの針が具現し無差別に撒き散らされ、いくつもの光柱から巨大な魔弾が雪崩のように零れ出し、紅色の世界に破壊の嵐が吹き荒れた。
 そして強制的に吐き出された破壊の反動が容赦無く身体を襲う。
「……っ……!! ――ぁぁっ……!」
 千本の針が両腕両足の神経を突き刺しているような激痛に、ただ丸くなって耐えた。
 攻撃の対象が居なければ揺り返しが来る。これはもうそういうものなのだと諦めていた。
(……ふっ、……ふふ……)
 誰にも見せられない、と思う反面、誰かに見せてやりたいとも思う。
 500年生き、多くの妖怪に畏怖される吸血鬼が、こんなにも苦しんでいる情けない姿を。
(……もっとも……)
 見ることができる範囲に来てしまっては、死を免れえないだろうが。


 その時、涼風を感じた。


「――お呼びでしょうか、お嬢様」
 涼しげな声が、耳を打った。
 幻聴かと思ったが、声のした方を向くとそこには最も見慣れた従者の姿。
 いつものように汚れ一つ無いメイド服を着て、十六夜 咲夜はこの狂った月の紅い世界へと現れた。
「な……」
 あまりのことに、とっさに声が出ない。

 なんできたのか―――

                ―――きてくれた

「今日は、私の世話はいいといったでしょ」
 二種の歓喜を胸に圧し留め、何とか言葉を吐き出した。

 こういうことにならないように、と――

                ―――寂しかった

「早く、ここから去りなさい」
 自分自身を、これ以上なく押さえつけて、言い捨てた。

 そうしなければ、貴女を殺してしまう―――

                ―――独りにしないで

「…………」
 従者は答えない。何かを考えるように顔を俯かせた。
「去りなさいっ、早く! 咲夜、これは命令よ!!」
 たとえ咲夜といえど、ここまで来ることは容易ではなかったに違いない。
 良く見れば、メイド服は汚れ一つ無いのに、咲夜の腕や脚には小さな裂傷が見えた。
 ここに至るまでに手傷を負ったのだろう。しかしそれとわからないよう着替えたのだ。
 どうせ服の着替えは何着も準備してるに決まっている。
 きっと、彼女はここにくるということの意味をわかって、来たのだ。

 ―――私の呼び声に応えて。

「…………くっ」
 たった一度だ。たった一度の気の緩みで発した従者の名前。
 解っている……。
 解っている。
 彼女と私の間には特殊な縁が結ばれていることは。
 主人と従者という関係を結んだ時、彼女に名前を与えた私の特権。
「命令よ、咲夜。早く、ここから、去りなさい」
 お願いだから、とまで言わないが、嘆願混じりの命令。
 主人の命令は絶対、ではない。そんなつまらない契約など結んではいない。
 しかし、従者として咲夜が命令に背いたことなどなかった。
 なかったのだ。
「――残念ながら、その命令は聞けません」
 絶句、した。
「……なぜなら、今の私は十六夜 咲夜ではないからです。お嬢様に会う前まで、私の時間を戻しました。だから、ここにいるのは従者ではなく、ただの小娘です」
 今度は呆然とした。
 何を言うのだこの従者は。
 服装もメイド服、口調も従者。
 さらに言うなら私のことをお嬢様と呼んでいる。
 私に会う前まで時を戻した? ――なんてブラフ。
 だいたいただの小娘ならわざわざ側にいる必要も無い。
 呆れて、情けなくて、嬉しくて、涙が出てきそうだ。出ないけれど。
「いい? 咲夜でも、ただの小娘でも……、死にたくなければとっとと、去れ」
 そろそろ抑えていられるのも限界だった。
 最後通牒にも、メイド姿の少女は動かない。
「……そう……」
 説得は失敗した。
(もう……限界……)
 さっきから、この世界そのものが侵入してきた咲夜を殺そうと躍起になっている。
 ベクトルを与えられず、不完全に燻っていた破壊衝動が、やっと現れた標的に歓喜していた。
 闇の深さが、紅色の鮮やかさが一段と増し、頭痛が―――
「―――こんなに月が紅いから」
 一気に思考が冴え、今までの苦痛が嘘のように消えた。
 余計なことは、もう考えない。
「本気で殺すわよ」
 紅い世界が、牙を剥いた。








 着替えの残りは二着。ここに辿り着くまでに一着使ってしまった。
 使ったナイフは回収済みだし、弾幕用だけじゃなく、コレクションにしていたナイフまで引っ張り出したのだから、量に不安は無い。多分。
(果たして、これは、回収する時間があるのか)
 とても期待できそうに無い。
 悪寒が走るほどの妖気。背をつたう冷や汗が気持ち悪い。表には決して出さないが。
 ちりちりと、殺気が肌を焼く。
 この殺気だけで、並の妖怪十匹分は殺されそうだ。
 妖気、魔力も含めたら、三桁も楽に越えられるな。
「…………」
 その全てが、私に向けられていく。
(殺される)
 ごく自然にそう思った。
 緊張はある。恐怖もある。ただ余計にはない。
「お嬢様、時間をいただきますよ」
 弾幕ごっこなどではない、死闘。
 それが今、始まる。









 ―――『弾けた』



 そう表現するしかない。紅い世界の至る所で、ともかく、弾けた。
 空間が弾け、魔弾と衝撃波が迸る。
 世界の中心で、悪魔が腕を振った。それだけで世界が呼応し、破壊を生み出したのだ。
 そしてそれは、たった一人の人間を狙った破壊。
 まるで指揮者のように腕を振るい、吸血鬼は告げる。
「死ね」
 それは呪詛。明確な殺意の言語化。紛う事なき死の宣告。
「時符『パーフェクト……」
 回避不能。躱せない、弾幕ではない、“ただの攻撃”。
 咲夜はスペルを発動させ、世界を作り変えようとして――強烈な違和感を感じた。
「――『プライベートスクウェア』!!」
 咄嗟に、範囲を狭めて、世界に対する影響力を強化した。
 無限大に引き伸ばされた時間の流れが空間を歪め、破壊の進攻を圧し留めた。
(……パーフェクトスクウェアは使えないな)
 広範囲に影響を与えるパーフェクトスクエアでは、力の密度が足りない。
 ここは既に異界。新たに世界を創り出そうとすれば、力同士のぶつかり合いになる。
(幸い、プライベートスクウェアは使える)
 これすら使えなければ、咲夜の命は一秒と持たなかった。
 スペルの効果範囲をさらに狭めて維持しつづけながら、咲夜はレミリアを窺った。
「…………」
 レミリアは冷たく咲夜を見据えていた。咲夜は探るように見つめる。
「…………」
 破壊の波動が連鎖し、その余波が咲夜の時空結界を通り過ぎて、遠くへと離れていった。
(……駄目だ。プライベートスクウェアは解けない)
 初撃とその余波を防ぎ、術者の安全を確保しているが、紅の悪魔の世界は咲夜の世界を侵そうとし続けている。
 侵食しようとする力は強いが、結界が維持できなくなるほどではない。
 この世界に飲み込まれるということは、生殺与奪の権利をレミリアに渡すということだ。それは願い下げだ。
「…………飛び散れ」
 呟きと共に、吸血鬼の腕が上げられ、下ろされた。
 下ろされた腕から、凄まじい速度の、幾重にも重なった、魔弾が放たれた。
「――――!」
 咲夜は、プライベートスクウェアを維持したまま、空を駆けた。
 一瞬前に咲夜が居た場所を、魔弾が通り過ぎていく。
 第二弾、第三弾と咲夜を追って、レミリアは魔弾を放つ。
 同じように躱されるが、少しずつ標的に近づいていき、八弾目がついに咲夜に追いついた。
 命中する直前、咲夜は慌てることなく言った。
「――奇術『ミスディレクション』」
 レミリアの目から、咲夜の姿が唐突に消えた。
 はっ、として追った方向と逆を向くと、何十何重の苦無が迫っていた。
 僅かに動いて、苦無の隙間を抜けながら発射点を予測し、探す――いない!
 苦無の後は――
「――――!」
 後ろからの、本命のナイフ。
 反射的に身をずらし、力任せに背後から迫るナイフを撃ち落した。
 ちっ、と吸血鬼は舌打ちをして、奇術師を探す。
「また……っ!」
 幾重にもばら撒かれる苦無。そして、別方向から放たれるナイフ。
 苛立つように、レミリアは苦無を魔力で弾き飛ばし、ナイフを避けた。
「…………ふん」
 三度目の苦無の弾幕が放たれるや否や、レミリアはその弾幕を魔力に任せて強引に消し飛ばした。
 そして、ナイフを具現化し、放った。
 ――ぎぃん!
 先頭のナイフを筆頭に、金属音が連続して鳴り、耳障りな大合奏を奏でた。
 咲夜が放ったナイフと、レミリアが放ったナイフが正面からことごとくぶつかり合い、その全てが地に落ちていく。
「私に投げナイフの手解きをしたのは、貴女だったわね。咲夜」
 口元に笑みを浮かべながら、ただし眼は冷ややかなまま、レミリアは言った。
 お上手になりましたね、と咲夜はナイフを投げた位置のまま、応えた。
「それじゃあ……お返し」
 レミリアは再び大量のナイフを具現化し、投げた。
 放たれた千を下らない量のナイフは、傍目には見当外れの方向に向かっているように見えた。
 身構えた咲夜だったが、明らかに自分に向かっていないナイフの軌道を見て奇妙に思いつつも、より一層警戒する。
「…………?」
 布石か? とナイフの行方を視界の端で捉えつづけると、それらは全て、紅色の光柱の中に消えていっていた。
 すると今度は、光柱からナイフがばらばらの方向に向かって出てきた。
「なっ!?」
 流石に咲夜も驚きを隠せない。
 遠くから、近くから、右から、左から、無作為にナイフは飛んでくる。
 一旦、通り過ぎたナイフはまた光柱に入り、別の光柱から出て行く。
 それらは到底避けきれるものではなく、じわじわと咲夜の時空結界を傷つけた。
(長く続けられればともかく、この程度で破られるほど、私のプライベートスクウェアは弱くはない……だが)
 これは、回避を封じるもの。本命は必ず別に来る。
「砕けなさい」
 ナイフを避けることに半ば以上神経を集中していた咲夜の耳に、レミリアの声が響いた。
 そして、命中すれば結界ごと消し飛ばす威力を持った高速高密度の魔弾群が、咲夜へと迫った。
(逃げ場は無い――――時よ……!)
「止めさせないわ」
 闇が紅く染まる。
「――――!」
 パーフェクトスクウェアを使おうとした時と同じ感覚を咲夜は感じた。
(なら――――!)
 眼前に迫る紅色が時空結界に触れる直前、咲夜は自分でプライベートスクウェアを解除した。
「時よ進め――!」
 間髪置かず自分だけ時間の流れを加速させ――その結果、相対的に周囲の時間が止まる。
 そして咲夜は、自らナイフの弾幕の中に身を滑り込ませた。
「っ、ぐぅっ……!」
 静止した(ように咲夜には見える)ナイフを掠めながら、急降下。その動きに余裕は無い。
 極力弾幕の薄いところを滑空しようとするが、速度を殺さず、重力加速度も最大利用した急降下だ。
 避けられない刃によって、服はずたずたになり、身体にいくつも裂傷が生まれた。
 地面に激突するように着陸する瞬間、時間の加速を止める。
「くはっ――」
 滑空した勢いで地面を滑りながら息をついた。時を止めるよりも、急加速のほうが負担が、特に肉体的な負担が大きい。
 咲夜にとって数秒の出来事が、周囲から見れば1秒にも足らない時間で行われた。
 普段、普通に時を止めるとき、止まった世界は咲夜にとって都合が良くできているが、今のように咲夜だけ加速してしまえば、世界は咲夜の影響下に無いため危険がつきまとう。
 下手に何かに触れば反作用で大怪我を負うこともあるし、そうでなくとも高速で移動すれば空気抵抗が激しく、摩擦熱が身体を焦がす。
 それでも、弾幕の嵐の中に曝されるよりマシだった。
(もうこの服は使えないな……)
 ちらっ、と周囲を見る。紅く染まった闇が元の暗闇に戻っていた。
 流石にレミリアも驚いたのだろう。時を止めることを阻止したと思ったのに、手ごたえ無く咲夜の姿が消えたのだから。
(この隙に――)
 咲夜は時を止めた。今度は上手くいく。
 ずたずたになった服を破るように脱ぐ。裂いた生地を大きめの怪我のところに包帯代わりに巻いた。
 そして、脱いだ服のポケットから空間を弄って着替えを取り出し、身に着ける。
 時が動き出したとき、服装だけなら先ほどまでとほとんど変わらない、メイドの姿になっていた。
「――――」
 ぞくり、と悪寒が走った。直感で解かる。見つかったのだ。
(まあ、一瞬でも身を隠せたのは僥倖……)
 じくじく、と内側からメイド服を血で少しずつ染めながら、咲夜はレミリアが居る辺りを仰ぎ見た。
(さて、どうしたものかな……)
 全く使えないということではないが、十八番の時間操作も制限されてしまう。
(時間の超加速はリスクが大きすぎるし……)
 決め手に欠けていた。
(しかし……たとえお嬢様相手と言えども、やられっぱなしというわけにはいかない)
 決め手は無いが、作戦が無いわけではない。
 まだ、この世界の“勝手”がわかっていない。
 ただの時間稼ぎではない、時間稼ぎが必要だった。






 レミリアは純粋に驚いていた。
 あの状況から時を止めずに抜け出すことが出来ると思っていなかった。
「ふふ、面白い」
 そして、屈託の無い笑みを浮かべて喜んだ。
 最初は期待していなかった。
 あっさりと殺してしまうか、もしくは咲夜はひたすら逃げるだけかと思っていたからだ。
 しかし、咲夜はきっちりとレミリアに仕掛けてきた。
(まあ、まだ弾幕ごっこの域を出ないけど)
 咲夜がやる気なのは嬉しいことだ。張り合いが無くてはつまらない。
 弱い相手ややる気の無い相手を苛めて遊ぶのは趣味じゃない。
 ふふふ、と浮かんだ笑みを消すと、下に向かって声をかけた。
「もう終わりかしら、手品師さん?」
 未だに柱から柱へと飛び回っていたナイフを、もう柱から出てこないようにし、そうして宙を飛び交うナイフが段々減っていくようにする。
「……まだ、幕は上がったばかりですよ」
 平静を装った声が返る。明らかに装っていることがわかる。
 疲労か、苦痛か、いずれか両方かが滲んでいた。
「……プライベートスクウェア」
 スペルを発動させる声。レミリアの世界に、再び別の世界が創られた。まだ、咲夜の意志は挫けていない。
「…………」
 全てのナイフが光柱の中に納まり、咲夜の姿を直視する。
(流石に無傷とはいかなかったようね。どんな手品を使ってあの危機的状況を脱したのか知らないけど……いくつ着替えを持ってるのかしら?)
 怪我を着替えて隠しても、血の匂いが嗅覚を刺激する。
(いい香りね)
 とても――そそられる。
(……うん)
 もし、運良く血が吸える程度に身体が残ったら、飲んでもいい。




「いきますよ、お嬢様――」
 今度はナイフではなく魔力弾がばら撒かれた。
 続いて、虚空からナイフの群が出現する。
 魔力弾を目眩ましに、弧を描きながらナイフがレミリアを狙う。
 レミリアは弾幕を一瞥すると、僅かに移動してナイフの群をやり過ごした。
 再び咲夜は魔力弾をばら撒き、虚空から大量のナイフを放つ。
(同じ技を二度も繰り返させるのはつまらない)
 咲夜が宙に作り出したナイフの発射させる空間の歪み、レミリアはそれを取り消し(キャンセル)しようとして、気づいた。
 一弾目の魔力弾の弾幕が、綺麗な放射状を描いていることに。
(これは、違う!)
 ナイフの全部が全部、レミリアを狙っていないのは一度目と同じ。
 しかし、明らかにレミリアを狙っているナイフの狙いが雑だ。
「……ブレイク」
 咲夜が小さく呟き、二重になっていた薄いギミックナイフが分かれ、飛び散った。
(やるじゃない――!)
 弾幕ごっこで無ければ、スペルの宣言など無用だ。
 お互いの手を知っているならば、宣言無しに似たスペル二つを混ぜることは良いフェイントになる。
 レミリアは内心喝采しながら、小刻みな回避運動を取り、そして、
「そして、弾幕ごっこでなければ……」
 大きく身を翻した。
「弾幕だけに頼る必要は無い」
 瞬、と、一瞬前までレミリアの左胸が在った位置に、咲夜は右手に持ったナイフを突き出していた。
 弾幕を目眩ましに、咲夜は背後から迫っていた。
「…………」
 躱されたことに何の感情も抱いていない眼で、咲夜は一拍だけレミリアを直視した。
「――ハッ!」
 裂帛の気合とともに咲夜は後方に跳躍し、右腕を振るった。
 持っていたナイフが放たれると共に大量のナイフが何故か付属して飛んでいく。
 さらに咲夜は左腕も振るい、同じようにナイフの群が放たれた。
(これもギミックナイフ)
 分裂(ブレイク)。
 レミリアの視界のほとんどがナイフで埋まり、咲夜の姿を捉えることができない。
 回避運動を余儀なくされ、レミリアは弾幕を魔力に任せて消し去るか思案した。
 レミリアが思案している間に、咲夜は弾幕を重ねた。
 一度目を越える弾幕密度。視界がナイフで埋まる。
(躱せるか……!?)
 いや、躱さなくとも、魔法で消し去ればいいだけ――
 ――ざく。
 瞬間の逡巡が仇となった。
(しまった――)
 レミリアの背中に刃が刺さる。一本だけ、ベクトルの違うナイフが背後から迫っていた。
「っ、――舐めるなぁ!」
 たかが銀のナイフ一本、吸血鬼を殺すには全然足りない。
 魔力を開放して、背中に刺さったナイフごと、弾幕を吹き飛ばす――!
「くっ――」
 魔力は渦を巻き、紅い奔流はナイフとともに咲夜を巻き込んだ。
「――ぐぅ、ぁ、ぁ、あ、ああっ、……っ!!」
 堪えきれないように咲夜の悲鳴が上がる。
 暴風に舞う刃は、本来の持ち主を切り裂く凶器となった。
「…………っ」
 痛みで咲夜は数瞬気が遠くなり、飛行状態が解けた。
 そして渦の勢いで吹き飛ばされ、落ちる――墜ちる!
「――――!」
 レミリアは簡易術式で発動した魔法を解き、墜落しつつある咲夜目掛けて、特大の魔弾を放った。
(手応え、あり――)
 ばりん、と巨大な硝子が割れるような音がレミリアには聞こえた。
 おそらく咲夜の時空結界が破れたのだ。
「…………」
 放たれた紅弾が、遠い地面に着弾する音が届く。
 地面を抉るような轟音。生身の人間が耐えられる威力ではないはずだ。
「……なあんだ……」
 つまらなさそうにレミリアは呟いた。
(もう終わっちゃった)
 酷く冷めた気分になった。
 レミリアは、手をさっきナイフが刺さった所にあて、魔力を注ぎ怪我を治した。
(することが無くなっちゃった。でもまあ、人間にしては良くやった方かしら)
 楽になったし。少しは時間も潰せた。
 ……うん、感謝してもいいかな。多分死んでるけど。
「ありがと、咲夜。バイバイ」
「――まだですよ、お嬢様」
「――――え?」
 声に振り返れば、相変わらず綺麗なままのメイド服の咲夜が、いた。
 ……違う。メイド服はあっという間に内側から染み出る血で染まっていっている。
 大体本人は傷だらけ。あちこち血を拭い、止血帯をしているけれど、全然間にあっていない。
「……脱出マジック、です……」
 疲労困憊、出血多量、満身創痍。
 もう顔色も悪いのが明らかで、視線も虚ろで定まっておらず揺れている。
「…………ふぅっ」
 咲夜は小さく、素早く息を吐いた。
 そして、瞳が真っ直ぐレミリアの姿を捉えた。
 まだ、やる気、なのだ。しかし、
「…………く……っ」
 また、少し眼が揺れた。やはり辛いのか。
 目を閉じ、意識を集中する咲夜。
「……行きます!」
 発した気合はレミリアに向けたのか、自分自身に向けたのか。
「奇術――『エターナルミーク』!!」
 叫ぶようなスペル宣言。
 ありったけの魔力が、弾幕となって空間に飛び散る。
 レミリアは被弾する軌道の弾だけを落ち着いて避けた。
(……これは布石でしょう? 咲夜)
 咲夜は時間を操る程度の能力を持つが、決して魔法に於いて秀でているわけではない。
 時間を操るという、強力な能力を持つが、それゆえにそれ以外に頼ることが無い。素質はあっても素養がないのだ。
 例えば、人間の魔法使いの霧雨 魔理沙。彼女には特別な何かが無い。
 しかし、魔法を扱う術を知ることで、それをカヴァーしている。素質は無くとも素養がある。
 咲夜も強い力を持つため素質はあると思われるが、積極的にそれを活用しようとはしていない。せいぜい、仕事上あると便利な魔法をパチュリーから教わるぐらいだ。
(だから、これは盛大な目眩まし。ミスディレクション。本命は何?)
 スペル宣言から六秒、弾幕の中に火炎弾が混じり始めた。
 ファイヤーマジック。時限式の仕掛けなのか、時折アクセントに爆発が起きる。
 本来なら咲夜は陳腐な手品に頼る必要無く、自力で炎を生み出せる。さっきの弾幕でも小道具を用いることもない。封じられた時を止める能力を補うために使っている。
 さらに六秒、レミリアは窺いつつ避けつづけた。
 そして十三秒目。弾幕が晴れる―――
「――――!?」
 一本の細身の剣、レイピアが、柄をレミリアに向けてゆるやかに飛んできた。
 思わず、ガードの付いた柄を握り、レイピアを手にした。
 さらに咲夜はレミリアを驚かせた。否、驚く暇を与えなかった。
 投げて渡したレイピアを追いかけるように、咲夜もまたレイピアを手にし、レミリアに斬りかかった。
「――――っ!」
 咲夜は右手に持った剣で、真っ直ぐと突いてくる。
 間一髪、躱す。
「ふっ、ふふふ……っ」
 面白い。どういうつもりなのかしらないが、これが本命なのか。
 最後まで踊って見せよう。
「貴族の決闘は、レイピアと決まっているものね!」

 ひゅん――――ぎぃん!

 反撃に突き返す。咲夜は剣の腹で受け流した。
「…………」
 咲夜は口を開く余力が無いのか、無言で集中し、剣を振るう
 レミリアは楽しさから笑みを浮かべ、剣を振るった。
 ひゅん、ひゅん、と空を切る音と、時折受け流される剣同士が擦れる金属音だけが、空間に響いていた。
 空中で繰り広げられる剣戟。互いに服の切れ目と掠り傷だけが増えていく。
「…………」
 しかし、咲夜はこれまでの負傷とその失血で、疲弊していた。
 気力で体力を補っていた。気力だけで立っているとも言える。
 それでも、彼女の眼は死なない。
 ぜえぜえ、と息を荒くしながらも剣を握り締め、充血し赤くなった瞳でレミリアを見据えている。
(何が狙い……?)
 何か勝算があって、挑んでいるのは間違いない。しかし、どう考えてもこの状況は、咲夜にとって分が悪すぎる。
 動けば動くほど、傷は開き、出血も増える。青を基調にしたメイド服も紫に染まってしまっていた。
「動きが、鈍っているわよ」
 出鼻を挫き、咲夜の剣を弾く。すると、やはり握力も落ちていたのか、レイピアは咲夜の手を離れ、落ちていった。
 レミリアはその隙を逃がさず、容赦無く咲夜を狙い――
 からん、と遠くで剣が落ちた音と、
 ――ぎんっ、と剣が擦れた音が重なった。
「…………」
「…………」
 右手に持っていた剣を落とした咲夜は、いつの間にか持っていた左手のナイフで、レミリアの剣を防いだ。
(…………?)
 レミリアは何か違和感を感じた。それが何なのか僅かに逡巡している間に、いつの間にか咲夜の左手のナイフは消え、右手にはレイピアが握られていた。
「用意周到なことっ!」
「――――くっ」
 再び剣戟となる。
(しかし、わざわざ剣に拘るのは何故?)
 咲夜のストックがどれほどなのか知らないが、そのストックはもはや意味をなさない。
 咲夜自身の体力は限界に近い。操るだけの力が残っているのか。
 違和感の原因も気になる。
 レミリアは疑問に思っていた。
 そして、レミリアは気づいていなかった。
 いつのまにか、余計なことを考え出している自分に。





 舞踏も終章へと突入する。
「ぜえっ……ぜぇ……はぁ……ふぅ……」
 咲夜は、もう完全に息が切れていた。
 剣を握った右腕も頼りなく下がり、今にも剣が滑り落ちそうになっている。
 ぼろぼろになった血染めのメイド服は、青から紫、さらに赤紫と染まり、乾いた血の部分が黒くなっていた。
「……くぅ……」
 血が足りないのか、ふらふらする頭に左手を当てる。頭痛に耐えているようでもある。
「…………」
 一方のレミリアも決して無傷というわけではなかった。
 ぼろぼろながらも咲夜の剣筋は、鈍っていっても死ななかったのだ。
 しかし結局の所それは、レミリアにとって悪あがきにすぎなかった。
「……もう、いいわ。終わりにしましょう」
 レミリアは告げる。本当に終わらせるつもりだ。
「…………そうですね。終わらせましょう」
 咲夜も応えた。
 まだ何か出来るのかと、その言に僅かに驚きつつも、レミリアは剣を構える。
 咲夜も、最後の力を振り絞って、剣を握った。
「…………」
「…………」
 静止。きりきりと引き絞られていく緊張。
 限界まで張り詰められた糸を切ったのは――咲夜だった。
「――――!」
 渾身の、掛値無しの最後の力を搾り出した、一閃。
 レミリアの額を狙った、咲夜の剣。しかしあっけなくその刺突は、レミリアの剣で防がれ、受け流された。
 だが咲夜は止まらず、左手を突き出した。その左手には今まで無かったナイフが握られており、レミリアはそれを見て、
(ふん……)
 笑い、左手を振った。
「――ぐ、ぁ……」
 咲夜が新たに加えられた激痛にうめいた。
 左肩に、レミリアが魔力で具現化したナイフが突き刺さっている。
 咲夜が突き出した左手のナイフは、レミリアの眼前で止まっていた。
「それは一度見せているわ。同じ技を二度も使うのは愚の骨頂よ」
 魔力を用い、同じことをして見せたレミリアは勝ち誇ったように言った。
「く、ぅ……」
 痛みに耐えかねたように咲夜の膝が折れ、右手からレイピアを落とした。
 からん、と遠くから、剣の落ちた音がする。
「…………――――?」
 また、違和感。
「…………ふふ」
 咲夜の小さな笑い声。その顔は窺えない。膝を折っているため、レミリアより顔が下に来ていた。
「え――?」
 とすっ。
 レミリアの、胸に深々とナイフが突き立っていた。
「――――あ」
 咲夜はいつのまにか右手にナイフを持っていた。
 左手で出来ることが、右手で出来ないわけがない。
 ストックは充分あるのだろうし。
「…………え?」
 レミリアはさらに疑問の声を上げる。
 どうしてだろう。
 どうして心臓にナイフが刺さっているのに。
 どうして“全然死ぬ気がしない”のだろう。
「…………まさか」
 吸血鬼といえども、痛覚はある。
 怪我をすれば痛みを感じる。激痛だって感じる。
 ただ、それが致命傷にならないだけだ。
 それでも、心臓に銀のナイフが刺されば、危険な怪我になる。
 魔を滅する銀のナイフならば。
「ただの“鉄”のナイフだというの咲夜!?」
 咲夜はしてやったりと笑った。血の気の失せた血塗れの顔で笑った。
 そして、少し目線を上にずらした。
 レミリアもつられて上を見た。



 ――紅い月が、欠けていた。



 満月(十五夜)から、十六夜へ。
「あ――」
 時間切れ(タイムリミット)。
 レミリアがそれを見た途端、月から紅色が引いていった。
「ああああ――」
 世界が、紅い世界が元の世界へと戻ろうとしていた。
 紅色の光柱は次々と消え去り、紅色も消え、月も消えていった。
「――――」
 急にレミリアは猛烈な疲労感に襲われた。
「あ、……あ、……ぁ……」
 眠い。疲れた。身体が重たい。
 糸が切れたマリオネットのように全身から力が抜ける。
「……どういうことなの咲――――」
 レミリアが視線を上から、下へと移すと――

 ――目の前には小さな花があった。

「――――」
 道化師は告げる。
「これが、本当の切り札です」

 ナイフは右手に、
 切り札は左手に。

「…………」
 もう、何がなんだか……
 ――それに、眠くて眠くてたまらない。
 ぐらり、と身体が崩れる。
「…………あ」
 咲夜にしな垂れるように、落ちる。
 咲夜は支えようとして、支えるだけの力が残っていなかった。
 二人もつれて、墜ちる。
(まずいなぁ……)
 レミリアはぼんやりと思った。
 このまま墜落したら、レミリアはともかく、咲夜は大怪我にさらに大怪我を重ねてしまう。しかも、咲夜は下になってレミリアをかばっているし。
 二秒足らずの落下時間。
 不時着の瞬間、レミリアは、ぱりん、と音がしたと思った。
 咲夜の時空結界が、落下速度を相殺して砕けた音だった。ほとんど衝撃もなく、着地する。
(――プライベートスクウェア?)
 ふいに、レミリアの疑問が氷解した。
「咲夜、あなた――痛っ」
 問いただそうと身を起こすと、胸に痛みを感じた。当たり前だった。ナイフが刺さったままだ。
「っ……」
 そっと抜き、魔力を注いで簡単に止血だけした。それだけでもういい。鉄でできたナイフの傷などその怪我以上、何の意味も無い。
 むしろ容態は咲夜のほうが断然悪い。全身至る所に裂傷、擦過傷、刺傷があり、出血量もかなり酷い。
「咲夜、ねえ――」
「……もう……平気、ですか……? ……お嬢様」
 息も絶え絶えに咲夜は訊いた。
「――――っ」
 ああ、もう、これだから人間は使えない。
 そんなことを訊く場合でもないでしょうに。
「……ええ、ありがとう咲夜」
 胸にこみ上げる何かを、全て飲み込んでレミリアは言った。
 夢を見ているような眼で、満足げに咲夜は言う。
「――十六夜の姓に、恥じぬよう……」
 瞳の紅が徐々に蒼へと戻りつつある。
 能力を酷使し続けたことで、頭への血液供給が過剰状態になっていたのだ。
 酷い頭痛に襲われていたに違いない。
 無理にずっと力を行使していたのだから。



 簡単に言ってしまえば、咲夜お得意の時間操作。
 時を操って、夜を終わらせたのだ。
 魔女は、満月の夜は特に血が騒ぐ、と言っていた。
 多くの妖怪がそうであるように、吸血鬼のレミリアもまた月の影響を受け、影響力の大きさは月の満ち欠けで変化する。
 月の満ち欠けは、時間の経過で変化していく。

 ――ならば、とっととこの夜を終わらせればいい。

 咲夜はレミリアの時間を進めたのだ。
 しかし、それは結果的な言い方である。
 まず第一に、時を操るということは、一時的にとはいえ世界を変革することだ。それに必要とされる力はそう生半可なものではない。丸々一夜を飛ばすことは、人間の咲夜がおいそれとできる所業ではない。
 次に、時を止めるという咲夜の能力の行使を、発狂状態のレミリアは阻止できた。
 紅境「月狂世界(ルナティックフィールド)」もまた、魔力で以って世界を変革する魔法の一つと言える。そのため、咲夜の時間を操る程度の能力は阻害され、これを、範囲を狭めることや、時を止めるのではなく加速させることで補った。また、普段はあまり使わない小道具を弾幕に用いた。
 さらにレミリアには元々時間操作、空間操作が通じにくい。レミリアの持つ、運命を操る程度の能力は、時と空間を超越して効果を及ぼす。紅境「月狂世界」が異界を創るスペルであることもあり、咲夜も能力だけに頼るわけにはいかなかった。下手をすれば、レミリアが時を止める術を身につける可能性も、レミリア本来の能力から言ってありえたのだ。
 咲夜にとって幸いだったのは、発狂状態の力そのものが強すぎたため、レミリア本来の能力はあまり発揮されていなかった、ということだ。
 咲夜がタスクをこなすには、以上のような障害をクリアする必要があった。
 つまり、時間操作の負担を少なく、接近し、レミリアに気づかれないようにしなければならなかったのだ。
 時間操作は、最初から制限されていたため、問題となったのは接近し、レミリアに気づかれないということだった。
 そのため咲夜はまず時間を稼いだ。死闘と遊戯の境界が曖昧になっていた弾幕ごっこ。
 ギリギリの戦いをしながらも、咲夜は紅い世界がどんな感触なのかを知っていった。
 かなり危なかった。完全に本気のレミリアの攻撃は凄烈だった。
 特に咲夜が放ったナイフをも巻き込んだ魔力の嵐と、その追撃の魔力弾は、紙一重で死ぬところだった。その時咲夜は咄嗟にプライベートスクウェアの結界から離脱し、時空結界をクッションにし、直撃を回避した。直撃、だけは、避けられた。
 超至近距離での結界の破砕と紅弾の通過は、直撃を避けたとしても咲夜に大きなダメージを与えた。脱出マジックとうそぶいてみても、もはや重傷であることは明らかだった。
 ただ、咲夜自身もやられたと思ったこの危機は、好機にもなった。
 レミリアも咲夜を殺したと思ったため、闘いのテンションが切れたのだ。
 この段階で、レミリアに仕掛けが気づかれるという可能性はかなり小さくなった。
 奇術「エターナルミーク」を目眩ましに、徐々にプライベートスクウェアの範囲を広げ、レミリアをその中に取り込み、あとは接近した状態を保つために、剣同士での闘いへと持ち込んだ。
 この時点で、咲夜の目論見はほとんど成功していた。
 あとは、咲夜の体力、精神力が持つかどうか。それだけが問題だった。


 レミリアを咲夜の世界に取り込んでから、咲夜は時間の流れを遅くしていった。
 最初は徐々に、段々と早く。
 月の満ち欠けは絶対時間、外の世界の時間に左右される。
 レミリアに流れる時間が遅くなっても関係無い。
 夜を終わらせればいい。


 剣を落としたとき、咲夜は少し焦った。
 時流を遅くした世界の範囲は狭く、その外に出てしまえば元の時間の流れに乗ってしまう。
 そのため落下し着地するまで、一秒と半分程後にするはずの音が、落下とほとんど同時に聞こえてしまった。
 それが咲夜にとって気がかりだったが、レミリアに違和感の原因を突き止められる前に決着をつけることができた。
 レミリアが終わらせると言った時には、もう紅い月に影が差し掛かっていた。
 だから咲夜もそれに応じた。
 右手のレイピアが防がれ、左手でのナイフが読まれるのは咲夜も解かっていた。
 もう気取られる心配が無いため、右手の剣をわざと落とした。
 その時レミリアはもう勝った気になっていた。だから主人には悪いと思いながらも咲夜は可笑しくて笑った。
 なんだかんだと言って、レミリアも気が散りすぎていたのだ。
 本来のレミリアならこんな油断はしなかっただろう。少なくともレミリアが運命操作を駆使すれば、こんな闘いにはならなかった。
 そして、咲夜はレミリアの胸にナイフと突き立てた。
 銀のナイフではなく、普段は弾幕ごっこに用いない鉄のナイフを。
 これなら吸血鬼の脅威になりえない。
 ……実のところ、別に刺す必要は無かった。
 そんなことをしなくても、レミリアの時間は尽きていたし、また銀のナイフを使ってもレミリアを殺すことはできなかっただろう。
 でも、咲夜は、鉄のナイフを用いて、レミリアの心臓を刺した。
 左手にずっと持っていたギミックナイフを使うための布石でもあったが、それはきっと、咲夜のささやかな自己満足。
 やられっぱなしではいられない。
 これは、咲夜がただの小娘であったときから持っていた気概。
 今の咲夜なら、時と場合によるけれども、主人を立てようとするだろう。
 この点においては、確かに咲夜は時間を巻き戻したのかもしれない。







「…………」
「…………」
 二人とも、重なったまま動かない。動けなかった。
 燃料切れ、オーバーヒート。
 そんな単語が、薄らぼんやりと頭に浮かぶ。
 咲夜はもちろんのこと、レミリアも発狂状態が過ぎれば疲労困憊になる。
 無理矢理魔力を搾り出されたようなものだ。
 咲夜なら、完走した直後のマラソンランナーのようだ、と例えるだろう。
「…………」
「…………」
 レミリアは思った。
「おなかすいた……」
「…………」
 一日食事を抜いたこともあるが、消耗していることから、レミリアは空腹を訴えた。
「……昨日作っておいた食事があります。ここを出ればすぐに食べられますよ」
 時は止めてあるはずだし、大丈夫のはずだ。
 問題は、今は、動くのがとても億劫だ、ということ。
「……動きたくない」
「私もです」
 それ以上に、眠たかった。
「……おなかすいたなぁ……」
 レミリアは眠気よりも食気が強いらしい。
 理由が無いわけではない。
 咲夜から発せられる強烈な血の匂い。それがレミリアの食欲を刺激していた。
「……しかたありませんね……」
 咲夜は襟のボタンを外そうとして、手が上手く動かないのと、血が固まっているのとで外せなかった。
 二、三度挑戦するも失敗し、面倒くさくなってナイフを取り出して襟元を切り裂いた。
「……召し上がりになってください」
「いただきます……」
 頭に靄がかかっている感じの二人は、互いの体温を感じながら、主従へと戻っていた。














「…………血が足りない」
「当たり前よ」
 咲夜は自室のベッドで目覚め、呟いた。ベッドサイドには本を携えた魔女の姿があり、呆れて応えた。
「全身怪我してて、出血多量の状態でさらにレミィに食事をさせるなんて。自殺する気としか思えないわ」
 その後、レミリアは咲夜の血を少量飲むと満足し眠りについた。咲夜もほとんど気を失うようにまどろみに身を委ねた。
 二人して眠っているところを、朝になっても出てくる様子の無いことを心配したフランドールとその付き添いで同行した魔理沙が発見し、大急ぎで運び出したのだ。
 レミリアのほうはともかく、咲夜のほうは重体だったため、もしものためにスタンバイしていたパチュリーに急患だと運び込み、看せられた。
 要所要所自分で止血帯をしていたのも効して、失血死は免れた咲夜はまる一日眠りつづけた。
「はい、これ」
「……なんですか、それ」
 トレイには、お粥とコップに入った水と共に、謎の錠剤が添えられていた。
 咲夜の問いにパチュリーは無表情に答える。
「魔理沙特製の増血剤」
「…………」
 微妙な表情を浮かべる咲夜。
「ちなみにお粥も魔理沙が作ったわ」
「……………………」
 物凄く微妙な表情な咲夜。
「早く動けるようになりたければ我慢して飲むことね」
 それじゃあ他の皆に意識が戻ったことを伝えてくるわ、と魔女は部屋を出て行こうとした。
「あ、パチュリー様」
「何?」
 出て行かれる前に、咲夜は訊いておきたいことがあった。
「――お嬢様は?」
「…………」
 やれやれ、という風な素振りを見せる魔女。そして答える。
「レミィも、あなた同様に休息中よ。……心配しなくていいわ。毎回一日ぐらいはクールダウンに時間がかかるのよ」
「そうですか……」
 ふぅ、と目を閉じる咲夜。
「むしろ、今回は軽い方ね。目が覚めるまで半日で済んだもの」
 それじゃあね、と魔女は去った。
「…………」
 しばらくして、咲夜は身を起こし、お粥に手をつけた。
 まあ、おじやならともかく、病人食のただのお粥に味付けがあるわけもなく、普通に食べられた。梅干が乗っているあたりは確かに彼女らしいが。
 食べ終わると、コップの水を口に含み、
「…………」
 意を決して、錠剤を飲み込み、コップをあおった。








「咲夜の様子はどうだった? パチェ」
「ん。血が足りないって言っていたけど、まあ大事は無いわ。明後日には起きられるでしょ」
「そう……」
 咲夜が気が付いたことを伝えに、パチュリーはレミリアの部屋に訪れた。
「咲夜は無茶をやるわね……。まあ止められなかった私が言うのもなんなんだけど」
「……まあねぇ……」
 二人で苦笑する。
「……感謝してるわ、彼女には」

 あの孤独な闇の中に来てくれたこと。
 狂った紅い世界を終わらせたこと。
 そして何より――生きて帰ったこと。

「そうね」
 パチュリーは頷いた。
「人間の所業じゃないなぁ……」
 他人事のようにレミリアは言う。
「そうでなきゃ悪魔の犬なんて務まらないでしょ」
 茶化すようにパチュリー。
「犬かぁ。……そうね。確かに犬だわ」
 犬、犬、と納得するレミリア。
「本人が聞いたら怒るかしら」
「怒るんじゃないの? 流石に」
「怒るかなぁ」
 その時、どたどた、と騒がしい足音が近づいてきた。
 そして、ばたん、とノックも無しにドアが開き、
「お、パチュリー。咲夜の奴は起きたのか?」
 大声と共に魔理沙が現れた。
「ええ。ついさっき」
「よぅし、早速、増血剤の効果の程を確かめてくるぜ」
 また、騒がしく魔理沙は走り去った。
「……私の部屋には何しに来たのかしら……?」
「…………さあ?」
 ドアが開けっ放しになっていた。
 そして、遠くの方から、わずかに喧騒が聞こえてきた。
 …………。
 お、その様子だと増血剤、飲んだみたいだな。
 …………。
 な、何だよメイド長。その目は。
 …………。
 まてまて、なんで無言でナイフを構えるんだ。
 …………。
 身体に障るぜ? ……いやいや、ナイフが二桁になってるし。
 …………貴様も一錠飲んでみろぉ!
 ――おぉぉおぉ!? 本気かメイド長!!
「…………」
「…………」
 あ、何やってるの魔理沙たち。弾幕ごっこ? 私も混ぜてー!
「……………………」
「……………………」
 喧騒は続く。
「咲夜、身体に障らなければいいけど……」
「……そんなに不味かったのかしら、あの増血剤」
 効果はてき面のようだが。
「…………やれやれ」
「やれやれね……。……それじゃあ、私は図書館に戻るわ」
「ええ。ありがと」
「どういたしまして。……あら? その花」
 造花が一輪。ベッドサイドに飾られていた。
「んー……記念品、かしら」
 首を傾げながら、レミリアは言った。
「ふぅん……」
 そう応えて、パチュリーはドアを閉め、部屋を出て行った。
「造花なら、日も水も要らないし。まあ、いいわよね」
 レミリアは誰ともなしに呟いた。
 ふぅ、と目を閉じる。
 そういえば、咲夜が作っていたという食事は美味しかった。蓋を開けるまで時が止まっている仕掛けだったので、できたてのようだった。
「…………」
 さて、もう一眠り。
 なんだかいい気分で眠れそうだ。
 そんな希望を抱く。
「…………」
 なんとなく咲夜のことが思い浮かんだ。
 十六夜の別名は既望。
 既望、きぼう、希望。
「言葉遊びだなぁ……」
 そんなどうでもいいことを考えながら、レミリアは“昼寝”をした。
 えらく長くなりました。
 四作目です。ごきげんよう。
(この後書きは6月18日に一部書き足し・書き直されています)

 オリジナルのスペル(?)を創作してしまいました。
 妙な設定創作もありますが、ご容赦ください(^^;
 「月狂世界」と書いて「ルナティックフィールド」と読みます。
 紅境なのは、レミリアだから。
 Exルーミアならば、闇境「月狂世界」だなぁと、戯言を言ってみる。
 最後の最後で題名に悩んで、結局書き始めるに当たって、最初に思いついたフレーズを。
 これは、立ち絵からの連想です。
 紅魔郷でのレミリアは両手のひらを自身に向けていて、永夜抄では右手だけ。
 永夜抄での左手は、背中の方に回してます。
 咲夜は左手に懐中時計を握っていますが、妖々夢の立ち絵では左手を背中に。
 この「手の内を隠す」及び「左手を背中に回す」ということから、想像を膨らませました。

 最後になりましたが、ここまでお読みくださり、ありがとうございます。 

 コメントへの返信。(6/18)
>ICさん
 いや、物語の流れを敢えて切るつもりではありました。
 ここまでずっと張っていた糸をぷちんと切りたかったので。
 しかし流石に長すぎましたかね……。
 言われてから、エピローグパートに語らせるという手段を思いつきました(苦笑)
 今の所、唯一のコメントなので、非常に感謝しています。
 ありがとうございます(深々と礼)

 得点を入れてくださる方々にも感謝していますが、コメントが少なくて少し……いや、かなり寂しいです。
 前三作のコメントに次回に期待しているというのがありましたが、期待に沿えなかったでしょうか(苦笑)

 コメントへの返信。(6/20)
>いち読者さん
 あわわ。読了お疲れ様&ありがとうございました。
 月出、という単語は一応存在するようなので、そのままでいいでしょうか。あまり一般的ではないとは思うのですが。
 もうひとつのほうは完全に誤字ですね、指摘、ありがとうございます。
 ううむ、図々しいとかそういうことはないんですけどね(^^;
 誰でも一言二言でもコメントは欲しいものなので。

 蛇足。HPに東方特設ページを作成。
 (無駄に長い言い訳兼)後書きがあります。
峰下翔吾(仮)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kiwami/th/
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コメント



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12.無評価IC削除
戦闘の描写や仕込みは圧巻の一言。それ以外の部分でも、よく練られている台詞回しといい、効果的な情景描写といい、全編にわたってすばらしいです。
ただそれだけに、戦闘の解説が少し長いかなと、それだけが引っかかりました。
なるほどと思わせられた反面、そこだけ物語のリズムというか勢いというかが途切れてしまったかなぁと。これは完全に私の好みの問題なのかもしれません。

ともあれ、すばらしいお話をありがとうございました。
22.無評価いち読者削除
こりゃ凄い。というのが、素直な感想です。
長い作品、特に闘いの描写が続く話は、ややもすると退屈になりがちなものですが、この作品はそれもなく、ただひたすらに読まされました。心理描写が適度に挿入されていたり、いきなりレイピアで接近戦を始めたりと、工夫がなされていたのがその理由なのかと、勝手に考えたりしてます。『もし、運良く血が吸える程度に身体が残ったら、飲んでもいい。』なんてダークな一文も、そうそう考えられるものではないです。
情景描写も過不足なく書かれていて、ただひたすらに、上手いと思いました。
とにかく、外が既に明るいにもかかわらず最後まで読んで感想をキッチリ書くことも躊躇わないくらいの作品です(謎)。

それと、
>コメントが少なくて少し……いや、かなり寂しいです。
この作品、私的にも実は感想を書きづらいものがあります。文章は非の打ち所がないし、話も面白く、しっかりとまとめられていて、却って書くことがないのです。きっと、感想を書くのさえ遠慮してしまいたくなるくらいに。
それでも感想を書くのは、真面目な人(ICさんが該当しそう)か、よほど図々しい人くらいでは。もちろん後者は私(笑)。読んでる皆さんももっと図々しくなっていいと思うんですけどねぇ。そうすれば私が(相対的に)図々しくなくなるので(アホ)。

最後に、誤字っぽいものの指摘を。
「月出したばかりで赤みを帯びた満月が見えた。」「もはや重傷であることは明らかにだった。」の2点。

……何か変な感想ですいません。これも図々しさが成せる業。では、もう寝ます(死)。
23.80いち読者削除
すいません。最近フリーレスが癖になってて採点忘れてました(滝汗)。
今度こそ寝ます。
29.無評価STR削除
じっさいかなりよく出来てると思います。感服させられました。
いささか冗長な感もありますが、文章のリズムが補っていると思えますし……。
この調子で、『上手』『巧み』ではおさまらぬレベルを目指して頑張ってください。って偉そうですねすみません。
80.100名前が無い程度の能力削除
レベル高し! 最後までぐいぐいと読ませるその力量は感服の一言!
109.100名前が無い程度の能力削除
実は初めて読んだ東方SS。いつも巧いなぁと思います。
114.100名前が無い程度の能力削除
立ち絵からこんなにすばらしいお話まで広がるとは!