Coolier - 新生・東方創想話

Demonic Scarlet / Lunatic Servant -3-

2004/05/10 01:40:25
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※このお話は続き物です。「Demonic Scarlet / Lunatic Servant -2-」を未読の方は先にそちらをお読みください。


■3-1■

「『クランベリー――」
 甘酸っぱい色彩の球体が室内を埋めていく。
「――トラップ』!」
 獲物を捕らえようと、駆け巡る。
 フランドール・スカーレットの禁忌によって、地下室は明るい殺意に満ちた弾幕空間へと昇格する。
 魔王を名乗るレミリアは、追いかけてくる弾を引きつけ、まとめて避ける。軌道は不自然に逸れていった。まるで寸前で曲がることが運命づけられていたかのように。
 最初の威勢は何処に行ったのか――フランドールがそう挑発しようとしたときだ。
 鬼も貫く針の一団が背後から忍び寄っていることに気づく。
 彼女が気づいた直後、針たちは急激に加速して一斉にフランドールへと突撃する。
 悪魔の妹は、右手に持った黒く曲折した杖で、手始めに最初の三本をリズミカルに弾いた。そしてコツを掴んだと確信すると、無邪気な笑みを浮かべながら魔王レミリアの方を向く。
 針の圧迫感を背中に受けながら、フランドールは杖を振り回した。針弾は自ら吸い込まれるように杖に弾かれ、その矛先は術者である魔王レミリアへと向きを変える。
 自らの弾が反旗を翻したのに気づくと、魔王レミリアは目を細め、左腕を大きく振りかぶった。
 細身の腕は極太の紅い光線をまとい、敵味方すべての弾幕を一度に薙ぎ払う。
「やっぱり……私の思ったとおり」
 フランドールは嬉しそうに口元を綻ばせる。唯一、目だけは笑っていなかった。
 彼女は大いなる喜びと僅かな怒りを同時に抱いていた。一つには極上の遊び相手に出会えたことであり、もう一つにはたった一人の姉を傷つけられたことであった。二つの事柄は、精神はまだまだ幼い囚われの姫に複雑な心境をもたらしていた。
 魔王レミリアもまた笑っていた。彼女もまた強敵に出会えたことに喜んでいるのか、それとも何か別のことが彼女の中に起きているのか。
「……そういえば、お互い自己紹介がまだだったわね」
 ふと、魔王レミリアは動きを止めるとそんな言葉を述べた。
「そうね。でも、あなたのことは地下からすべて聞こえていたわ、もう一人のレミリア・スカーレットさん」
「私の方の手間は省けたようね。なら、あなたのことを教えてくれないかしら。私はまだ、あなたのことを何もまだ知らないわ。……私にとってとても大きな障害であることしか」
 右手に炎を灯らせて、魔王レミリアは真剣な目つきで相手を見つめる。
「私? 私は、フランドール・スカーレット。あなたが倒してくれたレミリア・スカーレットの妹よ。……だから、あなたは、私が倒す」
 フランドールは、杖を一度大きく振り上げると身構えた。
 逆に、魔王レミリアは狐につままれたような表情を浮かべた。右手の炎が消沈する。
「妹? あなたが? 私の……じゃなくてもう一人の?」
「そうよ。何かおかしいことでもあるの?」
「ええ、私は生まれてこの方一人っ子よ。スカーレット・デビルはただ一人」
 魔王レミリアは、大きな目をぱちくりさせてフランドールに見入った。
「へえ……単なる障害物かと思ったけど……ほんと、ここの世界は面白いことばかりだわ」
 彼女は紅色の弾幕を背負う。すべての紅が彼女にひれ伏す。
 魔王レミリアは笑う。それは心からの笑顔であるように、フランドールの目には映った。
 その表情を保ったまま、魔王レミリアは声を振り立てる。
「ならば全力でお相手するわ、フランドール・スカーレット!」
 対するフランドールは、灼熱の炎を振り上げる。薄汚れた天井を業火が焦がす。
「ええ、全力でぶっ倒してあげるわ、レミリア・スカーレット!」
 二人の紅色の悪魔が激突した。

 地べたに座り込み、二人の戦いを観戦していた者がいた。リトルである。
 できることなら彼女も加勢したいところだったが、例の呪いが彼女の肉体と精神を蝕んでいた。地下室に案内するまでは何でもなかったのに、妹様が魔王レミリアに襲いかかった途端、激痛が走り抜けたのだ。
 それに、仮に彼女の健康状態が良好だったとしても、二人の戦いで手伝えることなどほとんどないだろう。あまりにもレベルが違いすぎる。それは神業の遊戯であった。
 リトルは、自分の力の無さを改めて思い知らされていた。
(……私の判断は、正しかったのかな)
 大暴れするフランドールを見て、リトルは再度己に問う。妹様を解き放ってよかったのかと。
 首尾良く勝ったとしても、館を更なる混乱に陥れるだけではないのか。負ければ負けたで、それは主人の妹を無闇に危険に晒したことと同義ではないのか。
 だがしかし、あの時点で彼女の取れた最善の選択肢はこれ以外に思いつかなかった。レミリアとも咲夜とも連絡が取れなかった状態では。
 リトルは、繰り広げられるもう一人の戦いに目を移す――咲夜の戦いを。

■3-2■

 咲夜の瞳に死体が映る。紅い血溜まりの中に累々と折り重なる元人間であった者。元妖怪であった者。
 死体が踊る。血塗られた刃と共に。
 時間軸上の一点に集中して重ねられたナイフが、今、動き出す。
「幻在『クロックコープス』!」
 幻に見た死体の山を再現するべく、ナイフが踊り狂う。
 目標は、本の妖怪。人型でもないし血肉もないが、この際そんなことは気にしない。
 対するクリムゾンは、飛んだ。跳ねた。翻った。避けて避けて避けまくった。
 それでもナイフは追いつめる。
 本が輝いた。魔法陣がその背に光る。結界が築かれ、刃が弾かれた。

 咲夜とクリムゾンの戦いは、奇妙な流れを見せていた。
 あまりにも一方的な展開だった。咲夜は、一本一本のナイフを慎重に投げつつ、行動を攻撃重視から敵の観察へと移行する。
 ――まったく攻撃してこない。かの妖怪クリムゾンは、魔王レミリアに命じられて咲夜に相対していたが、一向に攻撃する素振りを見せなかった。こちらが仕掛ければ、防御と回避行動しか採ってこない。
 攻撃に専念できる分、楽と言えば楽なのかもしれないが、防御を固められたおかげで一向に有効な打撃を与えるには至っていない。
 むしろ彼女は、プレッシャーを少しずつ感じ始めていた。このまま、永遠の時間を味わい続けねばならないのではないかという懸念。何か企んでいるのではないかという危惧。
「逃げ回るしか能のない奴が、あんなじゃじゃ馬の従者を務められるはずがないわよね?」
 こちらが話しかけても、相手は無反応。常につかず離れずの距離を保ち続けてくるばかりである。

 ほんの数分前。
 咲夜は必殺の一撃とばかりにナイフを放っていた。
 それはフランドールの問答無用の一撃と重なり、魔王レミリアを挟撃する。
 どちらにしても、不意の一撃。
 それを、彼女はかわして見せた。弾幕の嵐の中で、彼女はかすり傷一つ負うことなく身を躍らせた。
 何か小細工をしたわけではない。ただ、避けてみせるという気合いが火力を上回った。そのように咲夜には思えた。
 それでも、この機を逃すわけにはいかない。追撃するべく咲夜が動こうとしたときだった。
 フランドールの怒鳴り声が飛んできた。曰く、「せっかくの好敵手出現の予感なんだから邪魔するな」と。
 咲夜の不退転の決意は、我侭な妹君によって呆気なく砕け散った。

(あーもうめんどくさい、そっちがその気ならさっさと片づけさせてもらうわよ!)
 咲夜はそう決めた。彼女が構うべき相手はこんな軟弱妖怪ではないのだ。
 放ったナイフを、時を止めてすべて回収する。
 改めてもう一度時を止める。今度は時間軸上の複数の点に全ナイフを配置する。
 時は再び流れ出す。ただし、不規則に。定速のはずのナイフに緩急がつき、ベクトルが回転する。懐中時計の針がでたらめに回り出す。
 元の時間の流れに現れたのは、複雑怪奇な死のダンスを踊るナイフの一群だった。
「幻象『ルナクロック』!」
 術者自身にも予測のつきにくい軌道で、すべての攻撃はクリムゾンめがけて攻め寄せる。
 これなら回避も防御も完全には行えまい――咲夜はそう踏んでいた。
 実際、その通りだった。だからクリムゾンはこれまでにない動きを見せた。
 突如、表紙を開いた。それから手慣れた読者がそこにいるかのように、高速で頁をめくり出す。そしてある一点で止まると、そこに描かれたものを咲夜に見せつけた。
 ――時は、三度止まる。咲夜は、反射的に全ナイフの時間を停止した。
 そこには、パチュリーが、消息の知れなかったパチュリー・ノーレッジの姿が、そこにあった。
 それは絵ではない。写真でもない。息をし鼓動を打つ本物だった。
 彼女も咲夜に気づいたのか、こちらを振り向く。そして何事か喋った。
 あいにく声は届かない。読唇術の心得も咲夜は持ち合わせていなかった。
「……なるほど、そういうわけか」
 咲夜は唇を噛む。
「人質を盾にするようなタマじゃ、あんたらの底もたかが知れるわね」
「まあ、悪口でも挑発でも、好きに述べるといい。勝利こそがお嬢様のただ一つの取り決めなのだから」
 戦いが開始されてから初めて、クリムゾンは言葉を発した。
「それに十六夜咲夜、きみが何を述べようと、パチュリー・ノーレッジが私の中にいる事実は変わらない。違うか?」
「私のナイフを甘く見てもらったら困るわ。人質を避けての攻撃なんてわけないわよ?」
 咲夜は、ナイフの時間停止を順番に解除していく。改めて狙いをつけられた刃が、息もつかせぬ勢いでクリムゾンへと躍りかかった。

 ――しかし、ただでさえ防御と回避に重点を置かれている状態に、こちらの攻撃方法まで限定されては、いつまで経っても勝負はつきそうになかった。
(いったい何を企んでいる。……時間稼ぎ?)
 それしか咲夜には思いつかなかった。
 だが、それにいったい何の意味があるのだろうか。フランドールと魔王レミリアの勝負がつくのを待っているとでもいうのか?


■3-3■

 フランドールは杖を大きく振りかぶった。彼女の魔力が頂点へと向かう。
 力は炎となり、杖は紅の輝きをまとって神をも殺す巨大な刃となる。
「禁忌『レーヴァテイン』!」
 魔王レミリアめがけて、フランドールは剣を振り下ろそうとする。
 途中、魔王レミリアと目が合う。
 刃を前に、彼女は落ち着いていた。炎の剣を見て、唇の端を綻ばせて笑った。
 やがて笑みは歓喜となり――虚空より、魔王の手にも炎の剣が生まれ出る。
「神剣『ラグナロク』!」
 魔王レミリアは、新たな剣をすくい上げるように振り上げた。
 二つの炎がせめぎ合う。鍔迫り合いは火花と呼べない大きさの火玉をまき散らし、大気そのものを焼く。
 絶大な力同士がせめぎ合った末、弾き飛ばされたのはレーヴァテインの方だった。
「――うそっ!?」
 予想外の展開に、フランドールの動きが一瞬止まる。
 その機会を逃さず、魔王レミリアは次なる炎の一振りを浴びせにかかる。
 間一髪、世界ごと滅ぼしかねない一撃からフランドールは逃れた。
「レーヴァテインが……」
 『避けた』ならまだしも『弾き返された』とは彼女にとって初めての経験だった。破壊力だけでいうならフランドールにとって間違いなく最強のスペルなのだから。
「ふう、即興で真似てみたけど案外うまくいくものね」
 炎の刃を存在しない鞘に収めながら、魔王レミリアは優雅に微笑んだ。スカートの裾を摘むと一礼する。
 即興で……? 真似た……?
「……うそ」
 そんな馬鹿げた話、認めるわけにはいかなかった。
 猿まねのまがい物に、本物が負けたなど。
「これならどう、禁忌『フォーオブアカインド』!」
 威力で駄目なら数である。
 スペルを唱え終わると、フランドールは四人となって魔王レミリアを囲んだ。
 一斉に弾幕の放射を開始する。
 魔王レミリアは踊るように四つの弾幕をかわしながら、面白可笑しげに笑っていた。
「ようやくわかってきたわ。なぜ、私の世界に姉妹がいなかったのか。スカーレット・デビルはただ一人だけだったのか」
 彼女は、弾幕と共にしか表せない舞を踊りながら、四人姉妹となった妹たちをじっと見つめた。そして得心がいったようにうんと頷く。
「そうね、あなたが四人なら――カードはルールで五枚だけ、同じ番号も四枚だけなのだから――法破『トゥウェルブオブアカインド』!」
 威力でなく数であった。
 彼女の三倍、十二人の姉妹に分かれた。息をもつかせず一斉に攻撃を開始した。
 フランドールは面食らった。フォーオブアカインド中に囲まれて攻撃を受けることなど、あってはならなかった。
 容赦のない弾幕を抜けて何とか反撃を試みようとするが、彼女の分身は一人、また一人と失われていく。
 すべての分身が消えて一人に戻ったとき、魔王は十二人全員が健在であった。
「これでもうお仕舞いかしら?」
 十二人の魔王レミリアは同時に喋ると、同時にくくっと笑った。彼女は、心底この戦いを楽しんでいるようだった。
 一方、初めの威勢は何処へやら、フランドールの心には苛立ちと焦りが広がりつつあった。
 ――いったい何者なの、このお姉様によく似た悪魔は。
 心の戸惑いを押し潰すように、フランドールは次のスペルを唱えようとする。
「禁忌『カゴメカ――」
 魔王レミリアは急に真顔になり、
「遅い」
 炎剣で後ろと正面から同時にフランドールを切り裂いた。十二の火傷が彼女の至る所に刻まれる。
「きゃああっ!」
 フランドールの悲鳴は、普段の不敵な笑みに似合わない可愛らしいものであった。
 魔王レミリアは、一人に戻り剣を収めた。
 フランドールは、傷口を手で押さえながら、今一度魔王レミリアに相対する。
「いろいろ面白い技を知っているようだけれど……つまらないものも多いのね」
「――戯れ言を!」
「あら、今のは正直な感想だったのに」
 そういうと、魔王レミリアはまた笑った。
 本当によく、彼女は笑った。戦いの中での笑みはフランドールの専売特許だったのに。
 自分の存在意義が少しずつ失われていくのを、フランドールは感じ取った。
 それは、魔王レミリアが着実にこの世界を支配しつつあることの証なのか。
「もう逃がさない」
 フランドールは第五のスペルカードを取り出す。本来の詠唱方法とは異なる桁の魔力を注ぎ込む。
 下手な小細工では切り裂くこともできない、永劫の迷い道を。二度とこの悪魔が出てこられない密室を。
「禁忌『恋の迷路』!」
 スペルは完全に標的を捕らえた。
 魔王レミリアを包囲し、空間を埋め尽くしていく弾幕の迷路。
「そう、そういう技もあるというのなら――終無『紅色の無限回廊』!」
 もう一つの迷宮が生まれ出る。
 フランドールを取り囲み、空間を支配していく弾幕の迷宮。
 二つは互いを完全に捕らえるべく、際限なく広がっていく。あっという間に地下室に収まりきらなくなり、爆発的な勢いで紅魔館中に広がっていく。
 二人は同時に地下室を飛び出した。相手に先んじて、現在進行形で形作られていく互いの迷路を抜けるために。


■3-4■

「ふむ……完全に、読めた」
 不意にクリムゾンは呟いた。
「何が?」
 強気な態度を崩さず、咲夜が尋ねる。
「こういうことさ」
 クリムゾンはある頁を開く。内よりナイフが生まれ出て、彼の背後に整列する。
 いったい何の真似かしら? ――その言葉を、咲夜は途中で飲み込んだ。
 彼女の第六感が、時空間の異常を感知した。
 残る五感は、不規則な速度と軌道で迫り来るナイフの群れを感知する。
 それは、まさしく彼女の。
「幻象『ルナクロック』!」
(時間が操られた!?)
 それでも、驚きを顔に出すことは隠せた。予想外の事態に対する感覚が麻痺しつつあるのかもしれない。
 咲夜は冷静沈着にすべてのナイフに対処した。弾いて、翻って、紙一重で避ける。
 それでも、何本かのナイフは咲夜の服と肌をかすめ取った。血が薄く滲み、浅い切り傷が身体のあちこちに刻まれる。
「落ち着くのはまだ早い」
 続いて新たな頁をクリムゾンは開く。そこは、パチュリーの閉じこめられた頁だった。
「木符『シルフィホルン上級』!」
 ナイフに続き、幻想の森に住まう精霊たちが召喚された。風の音は具現化し、精神を蝕む刃となって咲夜に襲いかかる。
 咲夜は、まず耳を塞ぎ精霊たちの歌声より逃れた。
 次に身体を流れに任せる。風と共に咲夜は舞った。ステップを踏んで上下左右より迫り来る刃から身をかわす。
 そうしながら、高速で思考を巡らせた。でてきた結論は至極単純なものであった。
「私の次はパチュリー様のそれ。どうやらあんた、人の物まねが得意のようね」
 ようやく合点がいった。なぜこれまでクリムゾンが何も攻撃してこなかったのか。
(読めた、か)
 しかし、まさか時間を操る能力まで真似してくるとは思わなかった。
 それでも負けるわけにはいかない。咲夜は弾幕の合間と敵の隙を見て、十数本のナイフを投げかけた。
 どうやら絶妙のタイミングだったらしく、初めてナイフはクリムゾンを捕らえようとした。パチュリーのいる頁に突き刺さりそうになる。
 しまった――そう咲夜が思ったとき、クリムゾンが攻撃に反応して頁を閉じた。表紙にナイフが次々と突き刺さる。
 仕留めたかと咲夜は様子を見る。しかしナイフの刺さりが甘かったようだ。あっという間に彼の体内から押し返され、後には再生して無傷の表紙が残った。
(伊達に妖怪やっているわけじゃないということね)
 いよいよもってこの戦いは長引きそうだ。あまり長期戦は好きじゃないというのに。
 ――そのとき、魔王レミリアとフランドールが弾幕を伴って移動を開始したことに気づく。
 本来のターゲットを自分の目の届く範囲から外すわけにはいかなかった。
(逃がすか!)
 咲夜は二人の後を追う。クリムゾンがそれに続いた。


■3-5■

 リトルも四人の後を追った。
 呪いによる痛みもようやく治まりを見せ始めていた。身体を動かすとまだ痛むが、耐えられないほどではない。
 紅魔館の通路は、二人のスカーレット・デビルが生みだした弾幕の迷宮に埋め尽くされていた。リトルもまた既にその内部に囚われている。
 少しでも触れれば誘爆を引き起こし、一気に致命傷へと繋がりかねないだろう。リトルは慎重に翼を動かした。
(それにしても)
 リトルは咲夜とクリムゾンの戦いを見守る。狭い迷路の中の移動はそれだけでも重労働であるはずなのに、二人は現在進行形で攻撃を交えていた。時間が流れ、止まり、加速しては遅くなり、時折精霊たちがはやし立てる。
 その戦いの中に、リトルは奇妙な違和感を覚え始めていた。何が変というわけでもないが――そう、クリムゾンの動きに違和感を感じていた。彼は最早守りを固めることはなく、普通に弾幕の戦いを繰り広げている。それでもまだ、何か引っかかるものがリトルの目には映っていた。
 五人はやがて魔法図書館へとたどり着いた。
 図書館の中も既に弾幕で埋め尽くされている。
 それは焦がれる心を表し、出口の見えない迷いも表していた。二つの複雑な心理が絡み合って混沌の迷路を奏でている。
 それに気を取られてしまったのだろうか――リトルのスカートの裾が、ほんの少しだけ、弾幕に触れてしまう。
 壁が蠢きだしたことで、リトルは自分のしでかしたことにようやく気がついた。だが、気づいたところでどうすればいいのだろう。そこは迷路。既に包囲網の完成した場所。出口はない。
 餌に群がる肉食獣のように、弾幕の壁はリトルを飲み込もうとした。
 リトルは反射的に目を閉じる。来るべき高熱と激痛に備えて身を固くする。
 ――何も衝撃は来なかった。代わりに右の手のひらに暖かい感触がある。誰かに手を引かれていた。
 目を見開くと、そこには咲夜がいた。彼女の後ろに獲物を失って右往左往している弾幕の触手が見える。
 彼女に助けられたと気づくまで、五秒ほど時間がかかった。
「あ……ありがとうございます」
 リトルは、申し訳なくて思わず身を縮める。
「気をつけてね、今度から」
 一方の咲夜はさばさばした態度で、全然気にしている様子がなかった。
 彼女の様子を見てリトルは安心すると同時に、更に申し訳なく思った。
 ――このとき、リトルはようやく気がついた。
 クリムゾンの方を振り向く。彼は何もせず、じっとこちらの様子を窺っていた。
 おかしい。今のは決定的な隙だったはずだ。だのに、彼は何も攻撃してこなかった。
 そう思ったときには、リトルは一歩前に踏み出していた。咲夜とクリムゾンの間に割って入る。
「もう、やめませんか?」
 リトルはクリムゾンに声をかけた。
「やめる、とは何を?」
「戦いです。あなたと、咲夜さんの」
 リトルの言を聞いて、咲夜は目をしばたたかせる。クリムゾンの表情は本なのでまったく読めなかったが、おそらく咲夜と同様だろう。
「下がりなさい、リトル。そいつは私が――」
「いいえ、咲夜さん」
 真剣な面もちでリトルは咲夜の方を見た。
「私に、時間をいただけませんか。戦いを終わらせるための時間を。……咲夜さんが戦うべき本当の相手は、彼じゃないんでしょう?」
 そう言われると咲夜は黙った。
 じっとリトルとクリムゾンのことを見つめると、一歩下がる。事の成り行きを見守ることに決めたようだ。
「戦いをやめないかと言ったな、小悪魔の娘よ。何故だ? 私はお嬢様の第一の従者だ。お嬢様が戦い続ける限り、矛を収める義理はない」
「それなんですけど……私、あなたが悪人に思えないんです」
 クリムゾンの動きが止まった。
「いろいろと理由はあるんですけど……まず、私はあなたが他人に思えないんです。これは本当に直感だから理由としては弱いんですけど……でも、他にも、最初に出会ったときにはやられそうになる直前で私のことを捕らえたり、私が殺されそうになったときにも止めに入ったり、それに、あなたはパチュリー様のことを人質だと言っていたけど、本当にそうなんでしょうか? 私、あなたの動きをじっと見てたんですけど……最初に咲夜さんに見せつけたときを除いて、なんかこう、人質に攻撃が当たらないようわざわざかばっているように見えたんです。今だって絶好のチャンスに咲夜さんと私のことを攻撃してこなかったし、あなた、本当は――」
「そこまでだ」
 静かに、だが力強くクリムゾンは言った。
「きみがどんな考えを抱いたかに意味はない。重要なのは、私はお嬢様の唯一無二の従者であることだ。私はレミリア・スカーレット様により名を与えられ、盟約を交わした身だ。何があろうとそれを無に帰すことはできない」
 クリムゾンは、スペルの詠唱を開始する。弾幕と弾幕の狭間に、木と金の精霊たちが集い始める。
「最後の忠告だ、そこを退きたまえ」
「どきません」
 力強く、リトルは返した。
 鈍痛がリトルの腹部を襲い始める。
 クリムゾンの妨害もまた呪いの範疇に入るのか。だが、そんなことで身を退く気は彼女にはさらさらなかった。
 スペルは止まらない。
 痛みも止まらない。
 リトルは動かない。
 脂汗だけが流れ落ちる。
「もしも、私の考えが正しいなら」
 精霊たちの召集が完了し、スペルが完成する。
「木&金符『エメラルドメガリス』!」
 金の精霊は緑の柱に姿を変え、リトルを取り囲む。木の精霊たちは風を起こす。風は実体を伴い、柱と共鳴して増幅し、破壊の渦となって牙を剥く。
「リトル!」
 咲夜の叫びに、リトルは振り返る。
 苦痛に耐えると無理矢理笑みを作ってみせた。

 もしも、私の考えが正しいなら。

 ――リトルは、力尽きて倒れた。


■3-6■

「……頃合いかしら」
 もう一つの戦いの推移を横目に見て、魔王レミリアは呟いた。
「よそ見なんてしてる暇あるのかしら?」
 弾幕の壁の向こうで、フランドールは不敵に笑っている。
 魔王レミリアも笑い返した。実に充実した時間だった。生まれて初めて、心から楽しいと思えた遊戯だった。
 だから。
「暇はあるわ。そろそろお仕舞いの時間だから」
 密かに組み上げていたパズルを、魔王レミリアは解放した。紅色の弾幕が加速すると、一瞬でフランドールの退路を塞ぐ。
 驚愕の表情を浮かべるフランドール。
 魔王レミリアは近接すると彼女の顔を覗き込んだ。別れのために。
「さよなら、もう一人の私の妹」
 その両手には、巨大な炎の剣。
 魔王レミリアはラグナロクをフランドールの脳天に振り下ろした。彼女の肉体が業火に包まれる。
 フランドールは、頭から弾幕の迷路に落ちていった。勢いは治まらずに弾幕の壁を突き破る。
 亀裂は全体へと伝搬する。二つが重なり合ってできていた迷宮は、一つは維持する力を失い、もう一つは維持より解放される。崩壊の衝撃に紅魔館全体が振動した。
 フランドールは脳天から床に落ちた。爆音が轟く。勢いは止まらず、床を押し潰して巨大なクレーターを作り上げる。
 その中心で、フランドールは炎に焼かれたまま気を失った。
 魔王レミリアは、フランドールが動かなくなったのを確認すると、続けて紅色の光線を放った。
 他の誰でもなく、クリムゾンを、撃ち抜いた。
「主の命令を実行できない従者は、私には必要ないわ」
 本の妖怪は、空飛ぶ力を失って、力無く地べたに落ちた。途中で人質に捕らえていたはずの魔女が飛び出てくる。
 クリムゾンは、ようやく半頁だけ身を起こすと、緩慢な動作で魔王レミリアの方を振り向いた。
 それから何か言おうとして――魔王レミリアの耳に言葉は届かなかった。クリムゾンは何も言うことができぬまま沈黙し、頁を閉じる。
「さて、と」
 残るは三人。十六夜咲夜、パチュリー・ノーレッジ、リトル。
 三人を見渡すと、彼女は右手を振りかざした。弾幕ごっこに興じる気はもうなかった。冥土のみやげという約束も果たさねばなるまい。
 彼女らのうち、咲夜が飛び出してくる。
 この期に及んでまだ抵抗するか。魔王レミリアは薄く笑った。
 彼女の感覚は既に、背後から迫り来るナイフの気配を察知していた。
 軌道の運命をほんの少しだけ書き換える。ナイフは自動的に逸れていった。
「その程度の小細工で私に――」
 魔王レミリアは言葉を止めた。
 最初、何が起きたか分からなかった。
 痛みではない。殺気でもない。全身を包む暖かい感触。
 魔王レミリアは、十六夜咲夜に力強く抱き締められていた。
 彼女の鼓動が、自分の鼓動に共鳴する。大人びた女性の香りが、鼻孔をくすぐる。肌の温もりが、今までにない感情を魔王レミリアに引き起こさせる。
 いったい何を――魔王レミリアがそう言おうとしたとき。
 彼女たちは跳躍した。


■3-7■

 彼女は、時空間上の現在地点を確認する。
 前を向いたまま、扉に施した細工を確認する。
 すべてがうまくいったことを確認してから、咲夜は魔王レミリアを解放した。
 それからスペルを解き放つ。
 時符『プライベートスクウェア』。それは狩る者と狩られる者、二人だけの密室。
 魔王レミリアは、戸惑った表情で咲夜のことを見つめていた。やがて、口元に微笑を浮かべて話しかけてくる。それは作った表情のように咲夜には思えた。
「……あなた、いったい何をしたの?」
「二人だけの逢瀬を楽しみたいと思ってね。ちょっとばかり舞台を整えさせてもらったわ」
 魔王レミリアは、確認するように周りを見渡す。
 そこは二人の良く知った場所。紅魔館にできた扉の向こう、あらゆる異世界へと通ずる無限の図書館。
 だが既に扉はなく、更に有限の結界が二人を閉じこめていた。無限の本棚の羅列に囲まれた、無色の有限空間。
「あなた、一度私に負けたというのに、まだ刃向かうの? 二度繰り返しても同じ事よ」
「コインはまだあったからね。それに、未来は決して過去と同じではないわ。今の私は過去を知っている」
「……先の戦いだけで、私の手を見切ったとでもいうの? それともフランドール・スカーレットとの戦いをギャラリーして? どちらにしても、安く見られたものだわ。私が負けるという運命は決して訪れない。あなたの主人と同じ、いやそれ以上の能力を有しているのだから」
「負けないというのはこちらも同じ事よ。どんなにあなたが強かろうと、負けられない戦いならば私は勝つ。十六夜は、満月を削るのが仕事だから」
 魔王レミリアは、しばらく無言で咲夜を見つめた。
「……その心意気は、嫌いじゃないわ。そうね、私の従者になる気はない? あなたの能力は、今後別の世界に移動するときにも役立ちそうだし」
「断る」
 咲夜は即座に言い切った。
「お嬢様が持つ居心地の良さがあなたにはないわ。まあ、あなたにも放っておけないところはあるけど、部下を、それも自分で名を与えた従者を簡単に切り捨てる主人に仕える気はない」
 魔王レミリアの表情から笑みが消える。
「もう一人の私は、部下を切り捨てないと?」
「ええ。失敗して怒らせるとあなた以上に怖いけど、決して自分から裏切ったりはしないわ」
 魔王レミリアはしばしの間押し黙る。唇を噛んでいるように咲夜には見えた。それから、どこにも見えない天井を仰ぎ見て、言った。
「……交渉は決裂のようね。だったら、別の手段を採るまでよ」
 二人が動く。
「真環『セブン・スパイラル』!」
「幻葬『夜霧の幻影殺人鬼』!」
 二人の弾幕が闇色の領域に火花を散らす。
「殺人鬼では役者不足よ」
「殺人人形が殺吸血鬼人形を兼ねてはならないといういわれは聞いたことがないわ」
 魔王レミリアは、平行して存在する破滅の運命を咲夜に叩きつける。
 咲夜は、自動人形のような正確さで魔王レミリアに襲いかかる。
「絶対手に入れてみせるわ、時空の忌み子!」
「とっととおうちに帰りな、半端な吸血女!」


-続く-
最終話に続きまーす。(例によって、あとがきの時点で一字も書いてません。遅くとも今週中には書き上げたいところ)
オリジナルスペルの一つは、深い氏のネタをそのまま参考にさせてもらいました(ヴがブになってたり、術者が違ったりしますけど)。
イースタンセラフ
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11.60裏鍵削除
咲夜アヒャ
でも何であっさりとプライベートスクウェアにかかったんですか?攻撃力がないからですか?w
12.無評価イースタンセラフ削除
裏鍵さんへ>
不意を突かれたことと、逃れる理由がないことがかかった理由ですね。
プライベートスクウェアは攻撃技でなく結界技と捉えてます(この作品上では)。