Coolier - 新生・東方創想話

穴掘れチルノ!

2007/05/14 06:13:43
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「むぎーー! もー怒ったわ!!」

 突然だが、チルノは今大変ご立腹状態にあられる。もともと血色の良くない肌をしていた彼女だったが、今はギャーギャーとわめき散らしているおかげで真っ赤な顔をしている。
 一体何が気に食わないと言うのだろうか。片足を地面に激しく叩きつけて、周りに誰も居ないはずなのにまだ罵倒の言葉を続けている。そんなに勢い良く叩きつけてしまったら彼女のか細い足なんて、そのうち折れてしまうんじゃないかとつい心配になってしまう。だが、逆に見ればそれだけ怒り心頭状態であるのが容易に想像することが出来た。

「あんのモノクロ魔法使いめ~。今度あったらただじゃおかないわ。さいきょーのあたいをコケにしてくれた報いを百倍にして返してやるっ!」

 チルノの言い分から察するに、どうやら原因は幻想郷一のトラブルメイカーである魔理沙のようだ。
 彼女は言わずもがな非常に困った性格をしている。珍しい本のためなら紅魔館の正面から突っ込んで門をぶっ壊すわ、壁は突き破るわ、大量の魔道書を盗み出してそのまま逃げ去るわと、彼女に関する噂は散々なことをやっていると言うのが絶えない。
 チルノはそんな問題児の魔理沙にやられたようだ。何をされたかは分からないが、相当酷い仕打ちを受けたのだろう。

「何さ! 最近暖かくなってきたから身体がなまってないかチェックしてあげようと、氷の塊一個ぶん投げただけなのにあんなにやり返してくるなんて、恩を仇で返すのも程があるわよ!」

……前言撤回。原因は満場一致でチルノに決定。この判決に異議を申し出るものは一人としていないだろう。

「くっそ~、このままじゃお腹の虫の居所が頭に悪いわ。早速仕返ししてやる!」

 ちょっかい出したやつが仕返しされてまた手を出してしまったら、もうどうしようもない修羅場になることなんて目に見えていることなのに、それでもチルノは後先のことを考えない。彼女は多く存在する妖精の中でも、実に分かりやすい単純な性格をしている。
 その場その場での感情で行動し、何かを見つければすぐイタズラに走る。通常死ぬことの無い妖精は、みな死を恐れると言うことを知らない。それゆえに大胆不敵で無鉄砲な行動を取る妖精が多く、時に度が過ぎたイタズラをされる人間や妖怪やらにとっては溜まったものではない。
 その度に仕返しを喰らっては懲らしめられるのだが、今回はあくまでも自分が良かれと思ってやったことだけに納まりが効かないご様子だ。

「う~ん、何してやろうかな」

 チルノは小さな頭を捻った。彼女の頭から搾り出されるイタズラの悪知恵は底を知らない。今度は一体どんな悪事に手を染めると言うのだろうか。

「……そうだ! あいつさっきこれから霊夢のとこに行くって言ってたから、今のうちにあいつん家に行って、玄関の前にでっかい落とし穴を掘ってやるわ! そんであいつが帰ってきたらズボッ、グシャーでいっかんの終わりよ!」

 チルノは腕を組んで高らかに笑った。今彼女の頭の中では落とし穴に嵌り、底の地面に顔面から突撃した魔理沙の映像が流れている。
 哀れな姿になった魔理沙を上から覗き込み、やっぱりあっはっはと高らかに笑い出す。そんな自分自身を想像しただけでチルノは心が踊った。まだ何もしていないのにチルノはにやにやと怪しげな笑みを浮かべている。実に怪しい光景と言えよう。

「よーし、そうと決まったらすぐさま行動開始よ。いざ、あいつん家!」

 チルノは声を張り、意気揚々と自らの志気を高めた。
 今のチルノなら暗算で二桁の足し算だって容易くやってのけるに違いない。……実際に出来るかどうかは別として。

 背中に生える透明な氷の羽を羽ばたいて、チルノは空高くへと飛び上がった。湖のある方を背中に向け、風と共に一直線に空を翔け抜ける。
 湖から吹く風は、上手く利用すればどこへでも飛んで行くことが出来る。本当かどうかは分からないが、少なくともチルノはそう思っていた。
 だから魔理沙の家に行くのにもこの風さえあればすぐに着くことが出来るだろうと踏んだのだ。

「あっ!」

 しかしいきなり何を思ったのか、折角風に乗って風と同じ速さで空を翔けていたのに、彼女は急ブレーキをかけて空中で止まり出す。
 一体どうしたと言うのか。何か忘れ物でもしたのだろうか。

 ――そう、チルノは一番大事なことを忘れていた。

「そう言えばあいつん家ってどこ?」

 そう尋ねても風が答えてくれるはずもなかった。









    穴掘れチルノ!









 本日は晴天なり。
 気温も今の季節に合っていて、過ごしやすい気候と言える。とても平和チックで穏やかな昼前時に、一人穏やかでない者がここにいた。

「うだー、やっと見つかったわ! 何であいつん家湖のすぐ隣に無いのよ!!」

 あれからチルノは各所にいた妖精たちに聞き込みを開始した。するとどうやら魔理沙の家は魔法の森のどこかにあるという情報をキャッチしたので、魔法の森をくまなく探し回っていた。その結果、普通なら湖から二十五分程で着くはずの距離を一時間近くもかかってしまったチルノは、事を起こす前からどうしようもないくらいくたくたになっていた。これからさらに重労働なことをしようと目論んでいたと言うのに。

「ゼーゼー、どれもこれも全部あいつのせいよ! ひゃ、百倍なんかじゃ全然足らないわ、千倍にして返してやるっ! ゲフンッゲフンッ!!」

 叫んだことでまた無駄に体力を消耗したチルノは、とりあえず疲れたので一旦地面に降りることにした。ふらふらと霧雨邸の玄関前に降り立とうと、地に片足が触れた次の瞬間、いきなり地面から大量の光りが漏れ出し、辺り一面は眩いばかりの閃光に辺りを包み込まれた。

「えっ!? な、何これ?」

 突然のことにどうしていいか分からないまま、チルノはあまりの眩しさに目を瞑り身をかばった。
 すると、チルノは真下で何かが不気味な音を出しながら動き出したのを感じた。正確には何が動き出したかは分からないが、人や物などの物理的なものではないことだけは確かである。

 それは魔方陣だった。赤い文字で描かれた魔方陣がチルノが立っている地面の下でゆっくり回転しながら発動し始めたのだ。
 しかし依然目を瞑ったまま動けないチルノは非常事態であると気配を感じ取ってはいたものの、何もする事ができない。疲労困憊と身体がすくみ上がってしまったせいで身体が思うように動いてくれないのだ。

 嫌な予感がチルノの頭の中を駆け巡ったその時、チルノを囲む八方から突然大中小様々な弾幕が空中に勢いよく射出された。それらはまるで雨の如く一斉にチルノの頭上へと降り始めた。

「っ!!」

 チルノは何かが勢いよく向かってくるのを察知し、身の危険を強く感じた。その反動でようやく金縛りから解放され、チルノは身体の自由が利くようになるとすぐさま行動に移った。

「う、うわわ! 凍符『パーフェクトフリーズ』!」

 懐から素早く取り出したスペルカード、パーフェクトフリーズはここぞというときに役に立つ。寸前まで迫ってきていた弾幕は、スペルカード発動と同時にチルノの頭上で瞬時に凍り付いていく。
 やがて弾は全て凍りついてしまい、空中に浮いたままその動きを完全に停止させることに成功した。同時に地面にある魔方陣も一緒に凍り付いている。これなら新たに弾を発射することは出来ないであろう。

「あ、危なかったぁ~」

 チルノはそう言うとそのまま地べたにぺたんと座り込んでしまった。
 膝の力が抜けてしまったのだろう。本当に突然のことだっただけに無理もない。後少しでもスペカの発動が遅ければ、チルノはいわゆる蜂の巣状態になっていたのかも知れないのだから。

 しばらく荒い息遣いをしていた彼女だったが、気を取り戻したようにはっとするとまたいつもの調子に戻った。

「ちょ、ちょっと何なのよ今のは! 私を殺す気!?」

 飛び跳ねるようにして立ち上がったチルノは、怒りを露に何故か魔理沙の家に怒鳴り始めた。
 当の霧雨邸はと言えば、先程のスペルカードの影響でチルノの周囲が完全氷結してしまい、地面はおろか霧雨亭の前面は氷でカッチンカッチンに塗り固められている。勿論正面にあった玄関のドアも氷漬けにされているため、これでは家の中に入ることが不可能な状態だ。
 しかしチルノは、そんなこと一切気にせずまだ怒りの言葉を続けている。自分を守るためにしたことだったとは言え、かなり悪質な嫌がらせをやってのけたと言うのに……。

「あんぽんたん! すっとこどっこい! このダラズ! ……ってあれ? あそこに何かある。何あれ?」

 マシンガンのように飛ばしていた罵声をぴたりと止め、チルノはある一点に視界を集中させた。彼女の視線の先には凍りついたドアだけがある。しかしよく見てみると、確かにその氷漬けのドアのところに何か白い物があるように見えるのだ。
 チルノは恐る恐る歩み寄り、氷越しに白い何かを覗き込んだ。

「あ! なんか書いてある」

 それは貼り紙だった。氷のせいで見辛くなっていたが、紙にはこう書かれているようだった。


『パチュリーへ

 番犬代わりに仕掛けておいた魔方陣に気をつけた方がいいぜ。
 留守中を狙って私の大切な蒐集品を取り返すなんて出来ないってこった。
 不用意に近付くと丸コゲになるから無闇に近付かない方が身のためだぜ。
 ま、この紙見るためには近付かないと見えない訳なんだけどな。


 ……あ、そうそう全然関係無い奴も同様にだぜ。そこらへんにトラップ魔法仕掛けまくってあるから適当に気をつけてくれ。んじゃ。
 by 霧雨魔理沙』


 魔理沙はいつもこんな風にして外出しているのだろうか。流石は噂をされることだけのことだけはあるようだ。勝手に本を持って行かれ、窃盗犯の家に押し入ろうとしてもこんな物騒な物をそこらじゅうに仕掛けられてあったりしているところを見ると、図書館の魔女の並々ならぬ苦労が手に取るように伝わってくるようだ。

「な、何が適当に気をつけてくれよ! とばっちりもいいとこよ! もー完全に怒ったわ! 一億倍、十億倍、いや無限大数倍にして返してやる!!」

 今回、本当に何も全然関係のなかったチルノが怒るのも無理もない。こんなことをされればどんなに温厚な者でも平常心を保てないだろう。

 それにしてもこのトラップ、チルノにでさえ止めることが出来たのに、果たしてあの紫魔女に効果があるのだろうかと変な心配が湧いてくる。 恐らくトラップ自体が大きな罠で、全てを破壊するとまた新たな強力トラップが発動したり、家の中にもたんまりトラップが仕掛けてあるのかもしれないが、今は全てが凍りついているせいで家の中にも入れないような状態なので実際どうなのか分からない。
 流石にこんな事態になるなど魔理沙は予測だにしていなかっただろう。神社から帰ってきたときには一体どんな顔をするのやら。

「よーし、この辺にでーっかい大穴を開けてやるわ。見てなさい魔理沙め!」

 そう意気込むチルノだったが、実はまた肝心なことを二つばかり忘れていた。

「あー! スコップ忘れたー! それよか地面も凍っちゃってるじゃないのー!」

 チルノの仕返しはまだまだ長く続きそうだ。






      ◇  ◇  ◇






 お日様もそろそろ西に傾き始めてきた頃、チルノは今だせっせとカチンカチンの地面を掘っていた。手にはスコップ代わりに自分で生成した氷の塊を使って地面を穿り返している。硬い地面は中々に頑固で、氷で以て氷を制そうとしたが思うように掘り進むことが出来ない。ただでさえ体力が無い方だったというのに、疲労はピークをとっくに通り越していた。

「こ、こんなんで十分よね……? もう手痛いしこれ以上は無理。疲れた~」

 この頃になるとチルノはやたらに「疲れた」を使うようになっていた。さっきまでの勢いはすっかり消えうせ、ただただ無気力に「疲れた~疲れた~」を連呼している。

 チルノは掘るのを止め、氷の塊をポイッとどこかへ放り投げると、そのまま尻を地べたに付けて座り込んでしまった。
 すぐ横には直径三十センチ深さ二十センチほどしかない、落とし穴にしてはかなり小さい穴がポッカリと口を空けている。こんなに小さな穴だと、片足首がすっぽり納まるくらいしか入らないだろう。予定としてはもっと全身が埋まるくらいのを掘るつもりだったのだが、今のチルノの体力的にはこれが限界だった。
 だが、逆に考えるとこのくらい小さな穴だから足首を変に捻る可能性が非常に高い。つまり相手に障害を与えると言う意味ではこれはこれでいいのかも知れない。これも偶然且悪質なものなのだが。

「さ、仕上げに蓋をしておかないとね」

 穴の正面に座りなおしたチルノは、穴に蓋を被せるように薄い氷の膜を張った。そうすれば少しでも上からの圧力が掛かれば氷の膜は壊れて、穴に落ちると言う仕掛けだ。しかもこの氷の膜は周りの地面も氷で覆われているおかげで、仕掛けた場所は他の氷と同化して分からなくなると言うこれまたスグレモノだ。

「これで良しと。後はアイツが帰ってくるまで草むらで隠れてよーっと」

 チルノはキャッキャッと嬉しそうにその場を離れていく。草むらに行く途中、後ろを振り返り仕掛けた場所を確認した。
 自分が今さっきいた場所を見渡すも、どこに仕掛けたのか自分でさえ分からない。我ながら天才ねと、チルノは誇らしげになった。偶然なのに。

「だけどこれだと最初に思ってたズボッ、グシャーじゃなくてツルッ、ズボッ、グシャーになるわね」

 正直その効果音に何の意味があるのか分からないが、チルノは何故かやたら音にこだわっていた。
 彼女はまた前を向き、茂みをひょいと飛び越えてその場にしゃがみ込み、茂みの間から玄関前を見通せる絶好のポジションを探した。丁度いい場所を見つけると、チルノはうつ伏せになって寝転がり、顔に両手を付いてしばらくうきうき待つことにした。





 五分経過
 魔理沙:現れず
 チルノ:うきうき気分で引き続き待機





 十分経過
 魔理沙:依然現れず
 チルノ:まだまだるんるん気分





 十七分経過
 魔理沙:今だ姿見せず
 チルノ:腕が痺れてきたのであぐらをかく





 二十二分経過
 魔理沙:一向に来る気配なし
 チルノ:足が痺れてきたのでやっぱり寝っ転がる








 三十六分経過
 魔理沙:こ な い
 チルノ:つ か れ た



 待てども待てども魔理沙は現れない。何かをしているときと何もしていないときの時間の経ち方はまるで違う。チルノは何もしないで待つということがどれだけ暇なことか改めて思い知らされた。

「ふわ……ぁああ、あー眠くなってきたわ」

 チルノはあまりの暇さと疲労から、ついうつらうつらと船を漕ぎ始めた。一瞬気を失って地面に頭を打ち付けてはまた我に返る、これを何度も何度も繰り返していたが次第に時間がたつにつれて意識がなくなる時間が長くなってきていた。

「もーだめー」

 ついにチルノは、自身の両腕を枕にして本格的に寝り込んでしまった。もし寝ている間に、いつの間にか魔理沙が帰ってきてしまわないかという考えが一瞬頭を過ぎったが、今のチルノに襲い来る睡魔には到底勝てっこなかった。
 眠りだしてから数秒後、すぐにテンポよく息が吐き出され始めた。多分相当に眠かったのだろう、チルノはもう眠りの世界へと入り込んでしまっている。
 一切の曇りが無く、何か幸せそうに微笑を浮かべているその寝顔は、人間の子供のようにあどけない。こんな所で寝てしまっていると風邪を引いてしまいそうだが、妖精が風邪を引くことなんてあるのだろうか。
 第一こんな所と言っても自然そのものの正体である妖精に、ちゃんとした寝床があるのかすら曖昧である。彼女にとって自然がありさえすればどこに寝ようが関係ないのかも知れない。





 こうして時間は止め処なく流れ過ぎ去った。こういうときの時間と言うのはあっという間だ。待っていれば長く、何かをしていると短い。時間とは実に意地悪である。

 お天道様の角度はもう低くなり、西の空はだんだんと赤みを帯び始めて風も涼しくなっていた。この分だとすぐに辺りは暗くなってきてしまうことだろう。
 それでもチルノは相変わらず草むらで爆睡していた。

「ぐぅ……すぅ……ぴー」

 その時である、今まで人っ子一人する気配のなかった玄関前に近寄る黒い影が現れたのは。どうやらようやく魔理沙のお出ましのようである。

「ぐがー……ぐごごー」

 しかし、チルノは気づくこともなく豪快にいびきをかいている。起きる気配は全くない。折角これまでイタズラしようと体力をすり減らして努めていたのに、これでは一番肝心なところを見逃してしまうではないか。

 黒い影はもう玄関の目と鼻の先に来ている。そして、ターゲットは上手いこと落とし穴の真上を通過しようとした時……。

 ツルッ、ズボッ!

「みぎゃー!」

 見事落とし穴に引っかかり、盛大なズッコケ音と悲鳴が森に木霊した。
 悲鳴はそう遠くに離れていなかったチルノの耳をも揺さぶった。

「ぐごがっ!! ふえっ!? 何事!? ……っていうかここどこ!?」

 突然の悲鳴に寝ていたチルノはびっくりして思わず飛び上がってしまった。寝ぼけ眼で寝起きの頭を必死で呼び起こそうと、目を白黒させて辺りの状況を確認する。

「え? あっ、やっと掛かったわね魔理沙!」

 はっとしたチルノは魔理沙邸の玄関前に落とし穴を仕掛けていたことを思いだし、とっさに草むらから飛び出した。

「最後に笑うのはいつもこのさいきょーなあたいなのよ! ……ってあれ? 誰もいないじゃん」

 玄関の前を見てみるも、確かに誰も居ない。でも確かに悲鳴はしたはずである。チルノは頭を傾げた。
 チルノは仕掛けた罠の元へと歩み寄った。すると、さっき見たときと状態が違うことに気がついた。 

「なんか黒いのがあるー」

 玄関の真ん前、丁度チルノが落とし穴を掘った辺りに黒くて丸いものが地面に貼り付いているのだ。これはどう見てもおかしい、罠を仕掛けたところにあんなものはなかったはずだ。
 チルノは自身が発する冷気のせいで今だ凍り付いている地面の上を、小走りで駆け寄った。すぐ近くまでやってくるとチルノはしゃがみ込み、その黒いものをじっと見つめた。
 その黒いものはなんだかふわふわもこもことしていて、しかも小刻みに震えている。まるで生き物のようだった。
 彼女は好奇心から恐る恐る人差し指を差し出し、その黒いものを突っついてみた。すると、

「みぎゃー!」
「うわあっ!」

 またも急に悲鳴が上がり、チルノはまたびっくりした。

 黒いものの正体は全身真っ黒な黒猫だった。それも子猫である。黒猫はチルノが仕掛けた落とし穴に丁度すっぽりと嵌ってしまい、どうやら身動きが出来ないらしい。
 冷たいチルノに触られたことにより黒猫の方こそびっくりしたらしく、全身の毛を逆立てて興奮気味な様子だ。

「あーびっくりした! 何よ、魔理沙かと思ったら猫じゃないの! あたいの大いなるイタズラの邪魔しないでよ!」

 チルノは逃がしてやろうとひょいと持ち上げて穴から脱出させてやると、黒猫は身体が自由になったのをいいことにチルノの腕を引っかいた。

「ふぎゃー!」
「あいだだだっ!」

 引っかかれたことに意識がいってしまい、チルノは黒猫を落としてしまった。黒猫は体勢を立て直し上手く地面に着地しようとするものの、どういうわけかバランスを崩し地面に激突して倒れてしまった。
 猫にとってはそのまま着地して一目散に逃げ去りたかったのだろうが、それが何故かそれが出来なかった。黒猫はよろめきながらまた立ち上がり、歩き出そうとするもその姿はどこか不恰好だった。
 チルノは引っかかれた腕をふーふーと冷まし撫でつつ、黒猫の異変に気が付きだした。

「……あんたもしかして怪我してるの?」

 黒猫は右前足を上げて懸命に歩いている。歩く速度は遅く、これでは走るどころか歩くことすらままならないだろう。

「にゃ~おん……」

 黒猫は何だか情けない鳴き声で鳴いた。足が痛むからなのかは分からないが、黒猫はチルノの方を向いて、何かを訴えているような表情をしている。
 それを見たチルノは、溜息を一つついた。肺に余っている空気を吐き出したとても短い溜息だ。
 彼女は無言のまま黒猫に近付き、黒猫にゆっくり手を近付かせてやさしく頭を撫でまわした。そして改めて黒猫を抱え上げると、チルノはスカートの上に乗せた。丁度、お花畑で色とりどりな花を摘んで乗せているような感じの格好だ。きっとこれは素手で直接抱きかかえると自身の冷たさで凍えてしまうと彼女なりに考慮してのことなのだろう。

「今それどころじゃないってのに、全くしょうがないわね……。私じゃ治療の仕方全然分かんないから他の誰かんところへ連れてってあげる」

 少し面倒そうな感じの彼女だったが、少なからず自分が原因で怪我をさせてしまったことに責任を感じているようだ。彼女のこの行動は、そんな気持ちから来ているのだろう。
 スカートの上で寝転がっている黒猫をチルノはじっと見つめ、こう言った。

「なんていうか、悪かったわね。怪我させちゃって」
「みゃ~」

 つい出たチルノの謝罪の言葉。黒猫はそれに合わせるように小さく鳴いた。言葉が猫に伝わったとは思えないが、何だかチルノは許しを貰ったような気がして嬉しくなった。チルノは黒猫に向かってにかっと笑いかけると続けざまに次の言葉を発した。

「さ、それじゃ行くわよ」

 チルノは黒猫を落とさないように上手くバランスを取りながら地面を強く蹴った。身体が軽い。少し眠っていたおかげで、体力もある程度回復したようだ。これならどこか近場へなら行くことは可能だろう。
 チルノは森の上空まで高く舞い上がってくると、猫を抱えたまま魔理沙邸を後にした。






      ◇  ◇  ◇






「……で? 事情は分かったけど何でここで私のところへやって来るのよ」

 アリスは頭をぽりぽりかきながら不満そうな顔で言った。
 ここは同じく魔法の森のどこかに位置する館、アリス・マーガトロイド邸だ。
 いつものように人形を作っていたら突然誰かが訪ねてきて、ドアを開けて見ればいきなり見慣れないやつに猫を治せと凄まれた。今日博麗神社で行われると聞いていた宴会のお誘いで、魔理沙が家にやってきたのかと思っていただけになにやら嘆かわしい感情がアリスの中でこみ上げてきていた。

「だって近くにあった家といえばここしかなかったんだもん。とにかくこの猫を治してあげてよ」
「ここは動物病院じゃないの。猫の治療なら村の人間にでも頼みなさい。それじゃ」

 そう言ってアリスはドアを閉めようとする。当然チルノは納得いかなかった。

「だー! ちょ、ちょっと待ってってば!」
「……何よ?」
「ちゃんとこの借りはきっちり返すわ。家事の手伝いだろうが何でもするから!」
「う~ん」

 アリスは考えた。こんな妖精に自分の家事が出来るとは到底思えない。言い方は悪くなるが、むしろかえって邪魔になりかねない。
 この妖精に出来ること、それはなんなのだろうか。アリスはそんな風に考えていたとき、急に辺りの気温が低くなり肌寒い冷気が漂い出したのを感じた。
 今の季節、こんなに冷え込むのはおかしいと初めは疑問に思ってた彼女だったが、どうやらこの冷気はこの目の前にいる妖精から出てきていることにすぐ気が付いた。

「……あなた妖精は妖精でも氷の妖精?」
「そうよ」
「ふーん」

 なるほどなるほど、どうりで肌寒くなるわけだ。アリスは納得した。
 氷の妖精となると氷を作ることが出来るはず。アリスはあることを思い出し、それをチルノに言うことにした。

「それじゃ分かったわ。私は今度、氷を使った魔法の研究をしようと思っていたの。だから今度私の家に来て氷を作って頂戴。それで手を打ってあげるわ」
「ほ、本当?」
「あ、それと夏になったらまた私の家に来て氷をうんと作って頂戴。夏に氷は貴重だしね」
「お安いご用だけどそれじゃちょっと割に合わないわよ」
「だったらその分は他で補わせてもらうわ。そうねぇ、アップルパイでもご馳走するわ」
「え? アップルパイ!? やるやる、やらせてもらうわっ!」
「決まりね」

 こうして交渉は成立した。
 チルノは黒猫を抱えながらくるくる回って喜びを身体で露にしている。チルノがはしゃいでいるせいで余計に冷気がダダ漏れになり、回りの気温が下がっていく。
 あまりの寒さに腕をさすり始めたアリスだが、見れば黒猫の方も寒そうに凍えていた。
 アリスはこの妖精と一緒にいたら風邪引きそうだなぁと少し心配になったが、夏になれば絶大な効果を発揮してくれる頼もしい存在だと、今は我慢することにした。

「ところであなた名前は?」
「え? あたいの名前? チルノよ」
「そう、私の名前はアリス・マーガトロイド。アリスでいいわ。ほら、そうと決まったら早くこっちにいらっしゃい。猫の治療をするんでしょ」
「あー、そーだったそーだった」
「何しに来たのよ」

 アリスはチルノを家に招き入れると黒猫を居間のテーブルに、チルノは椅子に腰掛けさせ、自分は薬箱を取ってくると奥の部屋へと入っていった。
 人形ばかり並ぶ部屋の中はとても落ち着いた雰囲気だった。チルノは部屋の隅々を眺めまわし、棚に置かれている人形たちをまじまじと見つめた。

「なんか人形ばっかりあるわね」
「それ、全部私が作った人形よ」
「へ~」

 薬箱を手にアリスが奥の部屋から戻ってきた。黒猫がいる横に薬箱を置いて、自分も椅子に腰掛ける。

「だから人形を直すのは得意だけど、猫を治すのは初めてだからちゃんと出来るかどうか分からないわよ?」
「今更それはないじゃないの。引き受けたからにはちゃんとやってよ」
「分かってるわよ」

 アリスは薬箱に手を差し出し、蓋を開けた。






 アリスにとってこんなことをするのは初めてだったため、治療には少し時間がかかった。始めは慣れない手つきで手間取っていたが、流石は人形を作っているだけあって手先は器用だった。
 黒猫の右前足を見てみたが外傷はなく、どうやら捻挫をしているようだった。なので適当に捻挫に効く薬品を染みこませたガーゼを黒猫の前足に当ててあげた。仕上げに包帯を巻いていたとき、そういえば魔法を使えば手っ取り早かったんじゃないかと一瞬そんな考えが頭を過ぎったが、アリスはあえて思い出さなかったことにした。

「はい、これでよしと。終わったわよチルノ」
「ぐおー……ぐおー」

 チルノはまた豪快に眠りこけていた。
 アリスはやれやれと首を振るとチルノを叩いた。

「何のんきに寝てるのよ。ほら、終わったわよ!」
「げごがっ! てっ敵襲!? 総員、カンパンへ向かえーってここはどこ!?」
「ふぎゃー」

 チルノが寝ぼけて急に立ち上がったせいで黒猫の方はびっくりして思わず飛び上がり、床に転げ落ちた。

「ここは私の家。見事に寝ぼけかますんじゃないわよ。……っと、そんなことより治療終わったってば」
「え? あ、そうか。猫は?」

 テーブルの下を覗き込んでチルノは黒猫を探し回った。
 すると。

「あれ? ちゃんと四つんばいで歩いてる」

 テーブルの下から出てきた黒猫は、確かに四本の足でしっかり歩いているではないか。

「おかしいわね、薬が効くには早すぎるような気がするんだけど」
「そんなことはどうだっていいじゃない。ちゃんと歩けてるんだし♪」
「ま、いいけどね」

 多分チルノが運んできたときに上手いこと患部が冷やされたのかもしれない。元々そんなに酷い捻挫ではなかったし、薬も即効性のものを使っている。薬の効果で痛みが和らいでくれているのだろう。アリスはそう思っていた。
 チルノは椅子に座ったまま黒猫を抱きかかえた。黒猫は冷たさのあまりじたばたと暴れだしたが、それでもチルノは離そうとしなかった。黒猫がよくなったことがよっぽど嬉しかったのだろう。

「ちょっと、まだ完全に治ったわけじゃないんだから安静にさせておきなさいって」
「えー? 分かったわよ」

 チルノはしぶしぶ黒猫を床に放した。
 黒猫は寒くて冷たいチルノの傍を一目散に逃げ出して奥の部屋へと消えていってしまった。

「それにしてもあなた、優しいのね」
「な、何よ急に」

 口調を変えて突然意外な言葉を口にし出したアリスに、チルノは困惑した。

「いや、たかが猫一匹でそんなに喜ぶなんてかわいいとこあるなーって思ったから」
「だ、だって私はただ自分のせいであの猫に怪我をさせちゃったからそれで……」
「だから、そういう気持ちが優しいなって言ってるんじゃないの」
「っ……!」

 チルノはアリスにそんな言葉をかけられ、気恥ずかしさで胸が一杯になった。だが、反面嬉しさも胸一杯に広がっていった。
 赤くなってもじもじしだしたチルノのその姿を見て、アリスは本当に子供らしくてかわいいなと感じた。
 アリスは無言のまま椅子から立ち上がると、チルノの背後へと回った。
 そしてチルノの頭にぽんと乗せるとアリスはこう言った。

「あなたとはよくやっていけそうな気がするわ。これからよろしくねチルノ!」
「え、ええ!」

 チルノは振り返ってアリスにとびっきりの笑顔で答えた。

 嬉しさ半分恥ずかしさも半分。今のチルノの心境はまさに、穴があれば入りたい気分であることだろう。
その頃、宴会が終わって帰宅した魔理沙は……。

「なんじゃこりゃー!」

ツルッ、ズボッ、グシャー!




お久しぶりです。おひるでございます。
今回、久々の創想話投稿となりましたが、実はこの話はこんぺ用に作って投稿したもので、投稿後すぐ失格となってしまったものなんです。
一部の方々はご存知かと思いますが、失格の原因についてはここでは省略しておきます。

その後、折角作ったこの話をそのまま闇に葬り去るのもなんなので、創想話の方へ投稿することに致しました。
何だか自分の恥を晒しているような気がしてならないですが、温かい目で見てやってもらえるとありがたいです。
ではでは~。

5/14 誤字脱字修正。
5/18 再び誤字修正 + 別箇所も微調整。
おひる
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コメント



0.1010簡易評価
9.70名前が無い程度の能力削除
アリスとチルノ。これは良い組み合わせですね。ツルッ、ズボッ、グシャー!がツボでした。さり気なく宴会にハブられてるアリスが可哀想です。

>氷で持って氷を
以ての方が良いと思います
>猫を治せを
との方が良いと思います
>漂い出したを感じた
のを入れた方が良いと思います
12.80SETH削除
穴はあけっぱなしなのでしょうかw
15.無評価おひる削除
コメントありがとうございます。

2007-05-14 03:46:39の名無しさま
>アリスとチルノ
アリチルは自分でも書いていてこの二人いいなぁと思ってしまいましたw

>誤字
う~む。ちゃんと確認したのに誤字ってやつはなかなか曲者ですね(汗
指摘された箇所は自分でも変だと感じたので、全て修正かけておきます。ありがとうございました。

SETHさま
>穴
ええまあ、そういうことですw
魔理沙はこの話で一番の被害者かも知れません。
18.30つくし削除
 こんぺ用作品ということで、こんぺ基準で採点させて頂きます。以下、コメントもこんぺ基準で。あと、かなり主観的な採点基準によるコメントだということに注意してお読み下さい。

 地の文は三人称客観視点の特性を上手く利用している感じで、どちらかといえば児童向け小説(青い鳥文庫みたいな)の雰囲気があって良いですが、特に前半が説明過剰な気も。東方のことをよく知らない読者に読ませるならこれくらいがちょうどいいですが、読者がすでに知っていると思われる情報は省略した方が文章がスッキリします。また、叙述のスピードが終始一定なので少し文章を読むのに退屈を覚えました(これくらいの短い小説だと特に気になります)。盛り上げるところなどを考えて緩急をつけるとマル。

 また、「チルノとアリスが出会う物語」として見た場合、ちょっと展開が強引な気も。猫に出会うまでのおはなしは別のものに置換可能ですし、最終段落とそれまでとの間に断裂が存在します。物語に終始一貫した確かな背骨が一本通っていると、読者の得るカタルシスは大きくなるでしょう。

 しかし、この小説の主眼が「チルノを可愛く描くこと」にあるとすればそれは成功していると思われます。個人的には「あなた、優しいのね」以降は、さすがにちょっとあざといなー、と思わなくもなかったですが、その辺は読者それぞれの好みということで。

 まとめとしては、チルノは可愛かったけれど、こんぺ作品としてはあとひとつプラスアルファが欲しかった、という感じです。
 長文失礼しました。
20.無評価おひる削除
つくしさま
>説明過剰
そうですね。私の場合無意識的に「誰が見ても分かるような話」を書こうとしてしまい、分かっている方々にとっては確かに少しくどいですね。
創想話の場合だったら今後そういう説明はある程度省くように意識して見ようと思います。

>叙述のスピードが終始一定
これも確かにつくしさまの仰るとおりです。
私はどうも場面場面での流れの速さを上手くつけることが出来ないので、こんな風にだらだらとした文章へとなりがちになってしまうのです。
以前ここに投稿したSSに関しても同じような指摘を受けたこともあります。今回はその指摘を上手く生かすことが出来ませんでした。
この辺はもっとSSを書いたり、他の作家さんのSSを読んだりして修行したいと思います。

それと、私がこの話の中で一番書きたかったのは「チルノを可愛く書くこと」の方だったので、そっちのほうは成功していたようで良かったですw


凄く勉強になりました。
長文指摘、どうもありがとうございました。
21.80名前が無い程度の能力削除
「魔利沙が悪いと思わせて原因はチルノ」「チルノに悪気は無いから逆恨み」をスムーズに表現できているのは見事だと思った。ここらへんで「やっぱチルノは⑨だなぁ」とほのぼのとなるw 
23.80削除
起承転結の「結」部分がもう一つ弱い気がします。これが前後篇で後篇があるならちょうどいい、という感じです。
しかしながら、「目標以外を悪戯に引っ掛けるのは面白くない」のは非常に子供っぽくていいチルノっぷりですし、アリスがその性格を気に入るのも自然だと思われます。チルノの可愛らしさに関しては私的には充分に得点高かったです。
24.無評価おひる削除
コメントありがとうございます。

2007-05-16 08:55:05の名無しさま
>「やっぱチルノは⑨だなぁ」とほのぼのとなるw
そう言っていただけますとすごく嬉しいですw
チルノかわいいよチルノ(´∀`*


翼さま
>「目標以外を~思われます。
チルノの子供っぽいが優しいところもある性格やそれを気に入るアリスに関して、その辺はあまり深く考えずにすんなり書いていっていたので、後で皆さんのチルノ、アリス像とはズレた物になってしまっていないか少し心配でしたが、そう思ってもらえれば何よりですw

>起承転結の「結」部分がもう一つ弱い
>これが前後篇で後篇があるならちょうどいい、という感じ
むぅ、やはり弱すぎましたか。
でしたら現状ではどうなるか分かりませんが、今後この続きとなるものを書いてみようかと思います。
ですがいつ完成するか分かりませんし、もしかしたら書かないで終わってしまうかも知れません。予定は未定なのであまり期待はしないでおいて下さいw
25.80椒良徳削除
「方足首がすっぽり納まるくらいしか」は「片足首がすっぽり納まるくらいしか」ではないでしょうか? いや、あかんわけではないですが。
それはともかく、ほのぼのとしていて良い作品ですね。チルノのお馬鹿さにくすっとし、またはっとさせられる。そんな作品でした。
26.無評価おひる削除
コメントありがとうございます。

椒良徳さま
>「片足首がすっぽり納まるくらいしか」ではないでしょうか? いや、あかんわけではないですが。
いやいや、これは十分にあかんですよw
誤字が多くてどうもすみません。すぐに修正しておきます。誤字指摘ありがとうございました。

>ほのぼのとしていて~はっとさせられる。
ほのぼの+お馬鹿チルノな話を作ることだけを念頭に入れて書いていただけに、それが椒良徳さんにも上手く伝わってくれたのは素直に嬉しいですw
そういうこともあって、はっとさせられたとは少し意外でした。ここは色々な方の感想や意見が聞けてほんとに勉強になりますw