Coolier - 新生・東方創想話

『母の日』の八雲一家

2007/05/14 04:00:18
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  ※注意1 『藍物語』の第二話になります。
  ※注意2 作品集39の『昔話~カタチ無き物に終わりなし~』の設定を引き継いでいますが、
       ここから読んでも分かるように書いています。
   




  全ては『母の日』の前日に始まった。

「あの、紫様」

  今で茶を飲んでいた紫に藍の式、つまり紫にとっては式の式に当たる橙が話しかけてきた。

「何?」
「『母の日』…って普段世話になっている子供が、
 母親に対して感謝の気持ちをこめて何かお礼をするって日なんですよね?」
「そうよ、よく知ってるわね」
「えへへ……」

  照れながら頭を掻く橙。一体何を聞いてくるのかと疑問に思った紫は彼女に聞く。

「何でそんなことを聞くの?」
「式の私にとって、主であるお母さんは藍様なのかなぁ…って思って。だったら何かお礼したほうがいいのかなぁって」
「どうしてそう思うの?」

  猫は気まぐれだ。それを心のそこから思っているならまだしも、ただの思いつきでやられては
  藍は決して喜ばないだろう。

「私は…いつも藍様に迷惑をかけてるから…御礼がしたいんです。
 藍様は私が何か問題を起こしても笑って注意するだけで……たぶん、私は物凄く迷惑をかけてると思うんです。
 だから…少しでも、お詫びというか、お礼がしたいんです……」

  紫はジッと……橙の目を見る。その目は…決して軽んじているわけではなく、
  固い決意を秘めた目だった。

(ふふふ……どうやら、この子も主人思いの良い子に育ってきたわね……)
 
  紫は内心で嬉しく思う。ただ…一つ疑問ができた。

「それで…どうして私にそんなことを聞いたの? もしかして、私に何かしてほしいの?」
「あ…はい! 私は…家事とかすごく苦手ですから…せめて明日の晩御飯を精一杯作ってみたいんです。
 でも、藍様は基本的にマヨヒガから出ませんから……」
「なるほどね。藍の主である私が晩御飯まであの子が帰ってこないように仕組めば良いのね?」
「差し出がましいお願いかもしれませんが……お願いします」
「……良いわよ」

  瞬間、パァッと橙の表情は明るくなる。何とまぁ……純情な子だろうか。
  確かに藍が世話をかけるのも分かる。但し……かけすぎなのは否めないが。

「でも、一つだけ条件があるわ」
「…なんでしょう」
「私にも手伝わせなさい」
「え!? 紫様、料理作れたんですか!?」
「失礼ね…昔は良く作ってたわよ。それに、家事もできるわ。第一それを言うならあなたこそ作れるの?」
「あう……」
「いくら料理の本があるとはいえ、いきなり難しい料理を作るのは難があるわ。助言くらいならしてあげるわよ」
「良いんですか?」
「別に減るものじゃないし…それに、たまには主である私が藍をねぎらわないとね……」

  ふふふ、と紫は微笑んだ。

「じゃ、じゃあ! お願いします!」
「はいはい。じゃあ私は下準備してくるから、橙、あなたは下手に漏らさないように黙ってなさい。
 あなたはどこか抜けてるんだから」
「はい! お口にチャックして、黙ってます!」

  手でその仕草をするものだから、紫は苦笑してしまう。あまりにも可愛くて、思わず抱きしめたい衝動に駆られた。
  だが、それをして良いのは藍だけだ。それに…やって良いとしても、我慢すべきだろう。
  紫はスキマを開けるとその中に身を投じた。
  橙は嬉々した表情で、藍に気づかれないようにその日は早めの就寝に入った。



  ◆  ◆



  次の日『母の日』当日。颯爽と家事に身を投じようとしていた藍はいきなり出鼻をくじかれることになった。
  とりあえず、朝一番に終わらせるべき仕事…風呂掃除へ……と割烹着を着、腕まくりをしていた藍に紫は告げる。

「藍、あなたには今日一日休暇を与えるわ」
「はい?」

  普段は夕方まで起きてくる事が無い紫がなんと早朝から起きていたことに藍は驚いたが、
  本人曰く、『気分の問題よ』と言われてしまった。
  それに藍にとっても紫の生活習慣は悩み事だったため、こうして早起きしてくれたのは好都合。
  健康的なのは変わりないため何も言及していない。

「えっと……どういうことでしょうか?」
「あなたはいつも働いてばっかりなんだから、今日くらいは休みなさい」
「わ、私は大丈夫です」

  が、突然の暇を取れとの命令に今度は流石に慌てる藍。それに紫はさらに続ける。

「普段手伝わなかった私が言うのもなんだけど、たまには気分転換をして来なさい。
 なに、大丈夫。ここのことは任せなさいな」
「……凄く説得力ないですよ」

  まぁ…普段のグータラ振りを見ていたら、そう思わないのも無理は無い。
  が、珍しくやる気になっている紫を刺激するには十分だったようだ。

「いいから、遊びに行ってらっしゃい。ああ…そうそう、もしそんなに働きたいのなら、
 香霖堂に行ってらっしゃいな。霖之助が手伝いをほしがってたから」
「だ、だから…私は」

  どうやらこのままではこの討論だけで夜になってしまう。業を煮やした紫は
  突然スキマを開くと藍の割烹着を剥ぎ取ってムンズと掴みあげるとその中に投げ入れる。

「ちょ! 紫様ぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「じゃあね~~~」

  ドップラー効果とともに、藍の声は遠ざかっていった。向こう側にたどり着いたのを確認した紫は
  スキマを閉じると、ため息をつく。

「まったく……仕事熱心なのは良いけど、そんなんじゃいつか壊れるわよ」

  明らかに過労であろう人間の少女を思いながら紫は愚痴る。

「ま…あなたが何をしようが、夜までマヨヒガに帰す気はないわ。
 それに…霖之助のところに行ったら、それこそいいように使われるでしょうね」

  次にはふふふ、と意地悪っぽく微笑む。そう…これは紫が仕掛けた罠なのだ。
  つまるところ霖之助はグル。実際彼が頼んでいたことは事実だ。
  但しそれに紫が『なら、少なくとも夕方までこき使ってちょうだいな』と付け足した。
  あの店からここまで結構距離がある。だから少なくとも夜まで藍は帰って来れなくなる。
  藍の張り切りを裏切る形になったのは些か心が痛むが、これも彼女をねぎらうため。
  
「さ、橙。まずは買い物に行くわよ」
「はい! 紫様」

  そして、もう一人の娘とも言える橙の願いをかなえるためである。



  人間の里、しかもその村は最も栄えている場所だ。ここには慧音や阿求がすんでいる。
  藍も買い物というと良くここに来ていた。

「さて、問題よ橙。藍の好きなものは何かしら?」
「はい! 油揚げです!」
「では、その油揚げをふんだんに使える料理といったら?」
「えっと……あ! わかりました! お稲荷さんですね!?」
「正解。ということで、今晩は和食で行くわ。メインはお稲荷さん。それにお魚も加えましょう」
「はい!」

  魚と聞いて橙はさらに喜ぶ。どうやら紫は藍だけでなく、橙が喜ぶ料理も作ろうとしているらしい。
  まずはメインとなる稲荷寿司の材料からだ。紫はテクテクと豆腐屋に向かうと

「店主、油揚げをちょうだいな」

  スラリと注文した。…その流れるような行動の仕方は何だ?
  普段がグータラな人なので、はっきり言って違和感ありまくりである。
  それに、そんな滅茶苦茶な生活をしているのだから、紫は殆ど人間の里になど訪れないのだが……。
  第一驚くべきことはほかにあった。それは、村人の反応である。
  紫は神隠しの主犯であるため、人間からは忌み嫌われている存在だというのだが……。
  正体を隠しているためなのかどうなのかは知らない。とにかく、村人からはただの妖怪程度にしか思われていない。
  この反応が橙を不思議に思わせる要因の一つになっていた。
  
「あいよ」
「やっぱり、油揚げはこの店じゃないとね」

  そんなこんなしているうちに、店主が袋に入れて出した油揚げを受け取ると、彼女は言った。

「そう言ってくれると嬉しいねぇ。しかしあんた…まるで常連みたいな言い方だね」
「あら、かなり昔から来てるわよ?」
「ふうん……それにしては若く見える」
「妖怪だもの、当たり前よ」

  しかし、この店主…紫は妖怪だというのにまったく怖がる気配を見せない。
  …まぁ、普段藍をはじめとする妖怪が買い物に来るから耐性が付いてしまったのだろうか……。

「……後ろのお嬢ちゃんは普段来る九本の尾を持った妖怪さんに引っ付いてよく来るが」
「この子は橙。あなたが言ってるのは藍ね。2人とも私の連れなのよ」
「ふうん…なら、お安くしておこう。常連さんの主ということでね」
「あら、悪いわね」

  代金を払い買い物籠に油揚げを入れた紫は店を出て、外で待っていた橙の元に戻ってきた。

「さ、次よ……ってどうしたの?」

  みれば橙はポカーンとした表情を浮かべている。そんなに今のやり取りが可笑しかったのだろうか。

「あの…紫様。紫様はよくここに来てたんですか?」
「ええ…そうね、昔は……、今は藍に任せきりだから来てないわね」
「それにしては、店の配置とかすごく熟知してますね」
「まあね…昔はよく私が買い物に来てたし、どういうわけか長い年月がたっても
 店の配置は変わってないんだもの。いやでも覚えるわよ」
「はあ……」

  それはつまりこういうことだろうか? 藍は既に1000年近く(それ以上?)生きているわけで、
  はじめから今のように紫の世話をしていたのではなく、逆に紫が藍の世話をしていた?
  いや…ありえない。あのグータラスキマ妖怪の八雲紫が家事など想像もつかない。
  だが、彼女は昨日、料理ができるといった……それが本当なら
  文の新聞に載せれば幻想郷中に激震が走るだろう。

  …とまあ、橙は式としてとてつもなく失礼なことを思っていた。

「次に行くわよ。お野菜を買わないとね」

  当の本人はまったく気づいていないのか、八百屋に歩を向ける。
  昔から来ているというのは本当らしい、確かにその方向には八百屋があった。

「今朝冷蔵庫見たら大分お野菜なくなってたから、ちょうど良いわね。まとめ買いしちゃいましょう」

  本人は久しぶりの買い物でどうやら相当テンションがあがったのか腕まくりをする。
  その後ろで呆けている橙を確認するや否や、

「橙。あなたは魚屋に行って来てちょうだい。魚は…新鮮で旬なものが良いわねえ」
「は、はい!」

  激励しお金を渡した。橙は紫に全てを任せては申し訳ないと思い、あわてて走り出す。

「……そういえば…橙って、お使い行った事あったかしら。藍からは聞いたこと無いけど」

  不安を覚える。なんというか…すごく心配だ。だが今の橙なら下手な買い物はしないだろう。
  猫またとはいえ、藍に恩を返すという目的があるのだから魚を盗むという真似もしないだろう。
  と、にわかに八百屋からさわがしい声が聞こえてくる。

「あ…いけない。市の時間ね」

  あの八百屋では朝決まった時間に新鮮な野菜を安く売る決まりごとがあるのだ。
  いわゆる、バーゲンと同じようなもの。昔はこんなことは無かったのだが、
  藍から概要だけは聞いていた。何でも、とてつもなく凄いらしく、
  ある意味自分の精神面はあれで鍛えられた分もあるとか…生き残った戦士のような表情で言っていたのを思い出す。

「ふふふ…面白いわぁ。けど御免あそばせ、この八雲紫に敗北など無いのよ」

  指をゴキゴキならしながら、目の前でしきりに野菜をひったくっている若いおば様方に対し宣言すると
  紫はその集団に突進していった。



  ◆  ◆



  さて、紫が市に挑んでいる頃、橙はというと……。

「うわぁ……」

  魚屋に来ていた。藍とよく買い物に来ることはあったが、実を言うと魚屋に入ったのはこれが初めてだった。
  おそらく藍が元が猫である橙が魚を盗むかもしれない、と不安に思ったため中に入れず
  外で待たせていたのだろう。そのため、橙は魚屋の中を見たことが無かった。

「すごぉい…お魚さんがいっぱい」

  既に欲で体はあっちへふらふら、こっちへふらふら…。
  まぁ、無理も無い。何せ猫の彼女にとってここはまさに天国とも言っていいのだから。
  
「いらっしゃい」
「ウ、ウニャア!!」

  魚に見惚れていた隙に後ろから声をかけられ、尻尾の先までビクゥッと驚き、震えた。

「ははは、何をそんなに驚いているんだいお嬢ちゃん」
「あ…な、なんでもない、なんでもない」

  声をかけてきたのはこの店の店主、がっしりとした体つきの初老の男だった。
  猫としての習性か、それともこの世の摂理なのかどうやら彼女も魚屋の店主というのは苦手らしい。
  そのためか先ほどまでの欲は完全に吹き飛んでいた。冷静になったためか、ふと一つの疑問がよぎる。

「ところで…常々疑問に思ってたんだけどね?」
「ん?」
「何で魚がここにいるの? ここ、山の中だよ?」

  確かに奇妙だ。山の中を魚が闊歩するはずが無い。
  さらにこの店の魚は皆新鮮だ。言っておくが、山の中に海など無い、そんな天変地異は存在しない。

「ああ…それはな……」

  ゴクリ、とつばを飲む。

「おじさんにもわからん」

  ガクリ、と思いっきりずっこけた。

「は…はぁ?」
「なぜか分からんのだが……ほれ、この村の裏側に川が流れてるのは知っているね?」
「うん、大きな川だよね」
「あそこの川でね……取れるんだよ、魚が…全部」
「へ?」
 
  いやいや、そんなはずあるまい。あの川は…淡水のはずだ。
  海水魚が生きているはずが無い。

「信じられないのも分かるけど、本当のことなんだよ。色々な人たちが調べているが、いまだに分からずじまいさ」
(知らなかった……)

  むぅ、幻想郷に新たな謎が追加された。まぁ…突然花が咲き誇ったり…
  とりあえず色々な異変が起きるので、里の人間たちもあまり深く考えず利用することにしているのだろう。

「で、お嬢ちゃん、何をご所望で?」
「え……っと」

  紫に言われたこと…新鮮で、旬な魚を所望する…と伝えると店主は腕まくりをして
  店の奥に入っていった。この魚屋、とてつもなくでかい割に魚を売っている場所は3分の一の面積しかない。
  一軒屋のつくりを見る限り、この家に住んでいるのではなく、別途に住宅を持っているようだ。
  そして、残りの3分の2は生簀になっているらしく、そこに全ての魚が放流されている。
  さすがにそこまでは見えなかったが、水の音がしている限り旬の魚もそこにあるのだろう…と橙にも分かった。

「ほらよ、新鮮なカツオだ!」

  数分後戻ってきた店主が持ってきたのは立派なカツオだった。生きているためピチピチ跳ねている。
  確かに……カツオの旬は今頃だ。ここ幻想郷でもそうなのかは考え物だが、
  間違ってはいないのかもしれない。魚好きな橙にとってもこれを買っていけば紫は喜ぶだろうが…問題があった。

「で…でも……こんなに大きな魚、払えるお金が無いよ」

  流石に丸まる一匹かえるほどのお金は貰っていなかった。

「はっはっは、安心しなお嬢ちゃん…見たところ初めてのお使いだろ?」
「え……? そ、そうだけど、何で分かったの?」
「何時も一緒に来る九つの尾を持ったお嬢さんが今日はいないからなぁ」

  なるほど、どうやらこの店主は自分の顔を知っていたらしい。

「はじめてのお使いということで、特別に安くしよう。金額は、これくらいだ」

  そう言ってそろばんを弾き見せた金額は……驚くほど安い。

「あ……ありがとう!」
「おうよ! で、どうする? 捌こうか?」

  どうしようか……橙は魚を捌いたことは無い。紫は? ……未知数だ。
  ここは素直に頼もう、別に別途料金を取られるわけではないのだから。
  橙が頷くと、店主は颯爽と彼女の目の前でカツオの解体ショーを見せてくれた。



  魚屋から捌いたかつお(なお皮はまだついている)を買った橙が村の中を歩いているとふと華やかな色の花に目が行った。
  思わずその店…花屋の前で足を止めてしまった。

「あら、いらっしゃい」

  そんな彼女に若い女性が声をかける。年は十代後半に見える。どうやらこの店の店員らしい。
  非常にフランクな物言いをする女性だ。…店員としての態度は少し問題があるが、
  親しみやすいという面ではいいのかもしれない。

「これなんて花?」
「これ? カーネーションっていうの。ほら、今日『母の日』だから」
「そういえば…『母の日』には子供が母親に花を渡すって本に書いてあった」
「うん、それがこのカーネーション」

  母親に渡す花……そこで橙は考える。藍は自分にとって母親のような存在だ。
  なら渡してもいいのだろうか……。

「ねえ、もし渡したい人と血が繋がっていなくても、親子のような関係だったら渡してもいいのかな?」
「そうねぇ……大丈夫だと思うけど。必要なのは血筋じゃなくて関係、お互いがどう思ってるかだから」

  そうか……なら買おうかな。幸いまだ買える金額だ。

「じゃあ…1つ……」

  そこで言葉をとめる。店員は、ん? という表情で見ている。 
  橙が一度言葉をとめたのにはわけがあった。藍に買うのは決定だ。だがその時不意に紫の顔が脳裏によぎった。
  ……紫はどうなのだろうか。自分との関係は主とその式の式。言ってしまえば祖母といえる。
  まぁ、そんなことを言えばどんな仕打ちを受けるか分からないから、あえていうなればもう一人の母だろうか。
  なら…その紫にカーネーションを送っても大丈夫だろうか。
  考えてみると今日の藍を喜ばせるための作戦を考え手伝ってくれているのは紫だ。
  自分を可愛がる藍と同じように今日は何かと世話を焼いてくれている。
  ならば……。

「やっぱり2つ頂戴。包装は別々で。できればこの金額で買える位の数でお願いできるかな?」
「OK、この金額で2つだから……よし、今フェアやってるから十分な量が買えるわね。ちょっと待っててね」

  その後、花屋から2つのカーネーションの花束を買った橙が出てきた。
  おつりはうまい具合にほぼゼロ。うん、頼まれた買い物もしてきたし、問題は無いだろう。
  紫に合流すべく彼女は八百屋へと向かった。

 

  さて、その頃の紫はというと……

「こ…この八雲紫とあろうものが……ここまでやられるなんて」

  体中ボロボロになり、ヨロヨロと道を歩いていた。言っておくが戦闘をしたわけではない。
  ……いや、ある意味戦闘なのだろうか…あれは。

「ま…まさか、最近の市があそこまでハードだったなんて…不覚」

  市とは名ばかりの見た目はまさにバーゲンのそれは、戦場だ。
  幾多のバーゲンを潜り抜けた藍ならともかくとして、こういったことには無縁の紫は無力だ。

「でも…とってきたわよ~お野菜。いやぁ…こういうときに私の能力は便利よね」

  そういう彼女の手には野菜でいっぱいの買い物籠が。満足感の笑顔を浮かべる。

「紫様~」

  良いタイミングで橙も戻ってきた。両手で捌かれたカツオが入っている袋を持ちながら走ってきた。

「わぁ、凄い量のお野菜ですね」
「ええ、つい買いすぎたわ。それよりも…大きな魚ね」
「あ、はい! 実は…」

  魚屋での顛末を話す。

「なるほど…良い店主だったのね。うん、それにこの切り方……大将わかってるじゃない」
「え?」
「ふふふ、かつお料理が決まったわ。いきましょう」
「はい!」

  歩きながら、まぁそれだけではないだろうと紫は思った。おそらく半額にしてもらった理由の一つには藍がある。
  藍の付き添いだから、初めてのお使いだからというだけで半額にしてくれるほど人間は甘くない。
  おそらく藍の人付き合いの良さが今結果を結んでいるのだろう。
  自分の式はどうも人付き合いがうまい……主人として喜ぶことだった。

「あ、それと…カーネーションを買ってきました」

  そう言って紫にカーネーションを見せる。ここで注目すべきなのは見せたのは花束が1つだけ。
  もう一方はどこか紫に見えない場所に隠しているようだ。紫を驚かせるためなのだろう。

「藍様喜びますかね?」
「そうね…喜ぶと思うわ。それも文句なしに。あなたも色々と考えるようになったじゃない。偉い偉い」
「えへへ……」

  頭をなでると橙は赤くなりながら気持ちよさそうにする。

「じゃ、さっさと家に帰りましょう。まずは掃除をして、お料理よ」
「はい!!」

  こうして今日必要な材料を手に入れた2人は急いでマヨヒガに帰ることにした。



  ◆  ◆



  ……藍は奇妙な感覚を受けていた。なんというか、体が妙に軽い。
  ただ軽く散歩しているだけなのに何故か心が和む。原因はただ一つ。仕事が無いから、暇なのだ。
  考えてみれば……年中家事やら紫の手伝いやら橙の世話をしっぱなしだった。休みの日など無いに等しい。

「私は別に妖夢や咲夜みたく仕事中毒者ではないのだがな……」

  森の中を歩きながら一人苦笑する。だが、言葉とは裏腹に
  頭の中では家事のことばかりを考えている。…ああ、どうやら自分もある意味仕事に毒されているようだ。

「さて…そろそろのはずなんだが」

  下手に休もうとしても、このままでは肉体のみ休めて精神は逆に疲弊すると考えた。
  ならば、いっそのこと普段と違う環境で働いてみよう、と考えた。
  紫が言っていた話が本当だとすると、香霖堂の店主が手伝いを要しているらしい。
  そこまで考えると…どうやら自分の心のことなど紫にはお見通しだと分かってしまった。
  少し癪に触るし、恥ずかしい気もする。

「見えた見えた」

  目の前には香霖堂が…しかしよく見ると、店の周りにたくさんの花が山になってつまれている。
  何時からこの店の主人は花を集めるようになったのだろうか…と思ったが、すぐに異変に気づく。

「これは…カーネーションか?」

  そう、その花は全てカーネーションだった。しかし一体なぜ……そう思いながらもとりあえず店に入る。

「いらっしゃい」

  店の中は普段どおり骨董品がおかれている。ただし、その隙間にもカーネーションが置かれていた。
  奥のカウンターを挟んで向こう側に霖之助がおり彼はカーネーションを花束にし籠に丁寧にしまう作業をしていた。

「ああ…いや、今日は客としてきたんじゃないんだ」
「なんだ、そうなのかい」

  藍は霖之助にとって数少ない常識人だ。常識人とはツケでは無くきちんと払う存在のことを言う。
  そのため彼はひどく落胆していた。

「すまない。ところで…これは何だ?」
「ん? カーネーションだよ。知らないのかい?」
「さすがにそれは知っている。何でこの店にこの花がこんなにもあるんだ?
 店のイメージチェンジでも狙ってるのか?」
「いやいや、違うよ」

  ふむ、ならいいのだが…と藍は言う。もしこれがイメージチェンジだったとしたらはっきり言って合っていない。
  もう少しで霖之助の感性を疑うところだった。と、ここで扉が開き、次の客が入ってきた。

「ふぅ……霖之助、これくらいでいいかしら? 殆ど運び終えたわよ」
「ああ…うん、そうだね。助かったよ」

  ……それは驚くべき客だった。傘を持った緑色の髪の女性……幽香だった。

「ん? 誰かと思えばスキマ妖怪の式じゃない。どうしたの? こんなところに」
「それはこっちの台詞だ。何であなたがここにいるんだ?」

  そう、おかしい。幽香といえば年中花畑を移動し、遭遇率は低い。本人が意図して接触していないという噂もある。
  そんな彼女が香霖堂にくるなどはっきり言って驚きだ。

「失礼ね、仕事よ」

  そういう幽香の手にはカーネーションが入った籠が握られていた。

「このカーネーションはあなたが持ってきてたのか」
「そうよ」

  その籠を邪魔にならない場所に置き、霖之助の前まで歩いていく。そして何かを求めるように手を出した。

「じゃ、報酬貰おうか」
「ああ…そうだったね。はい」

  脇においていたのだろう。一ダースの一升瓶と様々な道具が入った木箱をカウンターにドンと乗せる。
  幽香はそれらとメモ(おそらく頼んでいたもの)を見比べ、全部確認すると頷いた。

「ふむふむ……全部あるわね。助かったわ」
「いやいや。きちんとこちらにも報酬が入るなら別にかまわないさ」
「じゃ、私は行くから」
「ああ、お疲れ様」

  重そうな木箱を抱えると藍に一瞥し、幽香は店から出て行った。



「なぁ店主。あなたは先ほど報酬が入るといったが、このカーネーションの山が報酬なのか?」

  幽香の姿が森に消えたところで藍は聞く。

「もちろん違うさ。藍君。君は今日が何の日か知っているかな?」
「5月13日だろう?」
「それはそうだが、少し違うな。今日はね『母の日』というんだよ」
「『母の日』……ああ、そういえばそうだったな。そういうことか」

  ここで藍も気づいたのだろう、しきりに頷く。『母の日』にカーネーションは母に送られる。
  たぶんこのカーネーションの山はそのための販売道具なのだろう。
  そしてその収益が霖之助の懐に入る。聞いた話によればこういった行事の際の利益は馬鹿にできない程のものらしく
  たとえばバレンタインデーなどだと恐ろしいことになるのだという。
  ちなみに、こういった利益のおかげで未だに霊夢や魔理沙の行動に目をつぶることができているのだ。

「しかし…ここで売るつもりか? はっきり言ってここには誰も来るまいに」
 
  そう、ここは魔法の森だ。妖気や魔力が高く、ただの人間はまず近寄ることができない。

「もちろん分かってるさ。ここで売るのは本当にごく一部だよ。大半は様々な人間の里やほかの集落に出荷する」
「ふむ…しかし、この量をあなたが?」

  幻想郷は広い。霖之助が今日一日で運びきるには明らかに不可能とも言える量だ。

「本当なら昨日までに終わらせたかったんだけどね。色々とゴタゴタがあって今日になってしまったんだよ。
 でも大丈夫、手伝いがいるからね」
「手伝い?」
「そろそろ戻ってくる頃だね」

  するとバァン! と勢いよく扉が開き、入ってきたのは

「おう香霖。とりあえず3つの村に運んできたぞ!」

  霖之助の幼馴染である魔理沙だった。手にはからになった大きな籠を抱えている。

「ああ、お疲れ。じゃあ次だ」
「げ…まだあるのかよ」
「文句は言わないで頂きたいね。引き受けるといったのは君のほうなんだよ?」
「ぐ……それはそうだが」

  と、そこでようやく藍の姿に気づいたのか

「よう」

  などといってきた。社交辞令として軽く頭を下げる。

「なんでお前がここにいるんだ?」

  霖之助と藍を見比べる。客には見えないのだろう、まぁ、事実そうなのだが。

「いや、暇でな。どうも仕事をしないと駄目な体質になったようだ。紫様からここの店主が
 助けを要していると聞いて、とりあえずどういう状況か見にきたんだ」
「なるほどな」
「で……いいかい? 魔理沙には次の仕事。藍君は暇だというから頼みたい仕事があるんだ」
「別にかまわないぞ。…悪いな店主」
「いやいや…こちらとしても人の手がいるんだ。正直僕だけじゃあ厳しい」
「なら霊夢やアリスを連れて来ればよかっただろう?」
「生憎あの2人も色々と仕事があるんだ。一番暇なのは魔理沙…君だろう?」
「う……まぁそうだが」

  霖之助の指摘にうろたえる魔理沙。大方マジックアイテムか何かで釣ったのだろう。
  
「とりあえず、そこに新たな籠用意しておいたから、運んでおいてくれ。これが運び先だよ」
「わかったよ。後で茶でもおごってくれ」
「ああ」

  魔理沙は渡された籠の紐を箒に通し宙に浮くと飛んでいった。

「………それで、店主。私は何をすればいい?」
「なに、難しいことはしないさ。外にたくさんのカーネーションがあるだろう?」
「ああ、無造作に置かれてた」
「あれを悪いが束にして包み、籠に入れる作業をしてほしいんだ。正直僕だけじゃ手に負えない。
 それに、僕には店の運営という仕事もあるしね」
「別にそれはかまわないが……はっきり言ってこの店に客などまず来ないだろう」
「それは言わないでほしいな」
「……まぁいいさ、なら早く終わらせよう。魔理沙が帰ってくるまでに」
「ああ、よろしく頼むよ」

  近くにあったいすに座り、包むための材料を受け取ると藍はすぐさま作業に取り掛かった。



  ◆  ◆



  普段は藍が掃除をしているため、殆どきれいといっていい。だから紫と橙が掃除をする量は少なくてすんだ。
  とはいえやはりきちんとしたほうがいいだろう。橙は雑巾で廊下を始めとする家の各所を拭き、
  紫は風呂掃除や洗濯物を干すなどの水仕事をこなした。

  あらかた終わったところで2人は一度今に集まる。いい汗をかいた、うん、これなら今日も問題なく寝れるだろう。
  
「ふう……あら、もうお昼なのね」

  見れば既に時計はてっぺんを指していた。どうやらかなりの時間掃除をしていたらしい。
  無論、それに見合うだけの成果は出ており結果的に家は相当きれいになった。

  ぐぅ~~~

  まぁ…普段やらないことをやったからだろうか。橙のお腹がかわいらしい音を鳴らす。
  思わず橙は赤くなる。

「あ……」
「ふふふ、まぁ橙もがんばったものね。じゃあ、そろそろお昼にしましょう」

  微笑みながらそういうと紫は冷蔵庫を開け、冷や飯(昨日の晩御飯の残り)とお茶の葉、
  そして帰って直にタレにつけておいたカツオを取り出す。

「とりあえず、どの程度の味なのか、試してみましょう」

  夕食に使う分は十分とってある。試食という形だ。お湯を沸かし急須に淹れる。
  そして漬けて置いたカツオを温めなおしたご飯の上に乗せ、十分味が出たお茶を上からかける。

  そう…今日の昼食は新鮮なカツオで作ったヅケ茶漬け。

  そこまでの作業を紫は綺麗にやってのけ、

「はい、熱いから、気をつけて食べなさい」

  お盆に乗せた2人分のどんぶりをちゃぶ台に乗せる。無論、ほうれん草などの野菜もきちんとある。
  良い匂いがする。魚が好きな橙ならなおさらだ。思わず唾液が口から出そうになる。

「い、頂きます!」

  箸を手に取りほおばる。熱かったため猫舌の彼女は最初火傷した。
  次はゆっくりと食べる。緑茶とタレが良く染みたご飯は非常においしかった。
  すきっ腹には何でもおいしく感じるというが、これはそんなことを言わずとも十分おいしい。

「あわてないの。ゆっくり食べなさいな」
「ふ…ふぁい」

  一度どんぶりと箸をおき、湯飲みに入った茶を飲む。

「ま…そこまで喜んで食べてもらえると私としても嬉しいけど。どう? 味は大丈夫?」
「は、はい! 凄くおいしいです」

  ……そして、どこかで食べた味に似ている。

「あ……藍様の味付けに……」

  そうだ! これは藍の味付けに似ている。無論微妙に違う部分もあるが、根本は同じだ。

「そりゃあそうよ。だってあの子に私が料理を教えたのだから」

  どうやらいよいよもって紫が料理が得意なことを認めねばならないようだ。

  紫は静かに語りだす。藍がまだ自分の式になりたての頃、彼女は家事等とは程遠い存在にいた。
  何しろ藍は式として契約をしたとき、契約前の記憶を全て失っている。
  紫が境界を弄くる形での契約。そのため文字通りゼロからのスタートとなっていた。
  ただし『頭では忘れても体では覚えている』という言葉があるとおり、無意識のうちに正しい体の動かし方をしていた。
  だから彼女の扱う体術には契約前の型が残っているのである。
  が、料理だけはそうも行かない。手順は体で覚えているかもしれないが、味付けは感覚の問題だ。
  そのため一から出直す必要があった。そこで教えたのが紫だった。
  
  紫は生まれてこの方殆どの時間を一人で過ごしてきた妖怪だ。
  料理を含む家事も、その過程で覚えたもの。理由は簡単『面白そうだった』からだ。
  まぁ…特に家事は基本生きている間はずっとしなければならず、放り投げることもできないため、
  結果紫の料理の腕は上がり、今では一流ともいえる実力を身につけている。
  そんな彼女に藍が教えてほしいといった。理由は簡単、主人に料理をさせるなどあってはならないからだ。
  だから彼女は藍に料理を教え、家事を教え…普段の生活における全ての能力を授けた。

  そして暫くして、藍が一流の腕前になったところで紫は家事をやめ、全てを彼女に任せた。
  主人という名目、役割がある自分はどうやら仕事をしてはいけないらしい。
  基本そういった雑事は式がやるのだ。それを主人にさせるとは何事か! と藍に諭されてしまったのだ。
  確かに正論だ、ただ、それを式に言われるのはどうかと思うが。
  結果、今のような状態ができている。藍も紫のグータラ振りにはあきれているが家事を投げ出す行為はしていない。
  その理由がこれだったのだ。



「さて……ご馳走様」

  数分後、ご飯を食べ終えた2人。とりあえずこのまま休憩という流れになった。その際、橙は突然謝った。

「ごめんなさい紫様」

  紫にしてみれば謝れる覚えが無い、少なくとも…今日この日に限って言えば。橙は続ける。

「私……まだどこかで誤解してました。何時も藍様ばかりが家事をしていて紫様はグータラ……。
 でも、やっぱり違うんですね。紫様は紫様なりに考えがあって……」
「良いのよ別に。あなたが言いたいことも分かるわ。でも…今更家事を再開するのも不自然だったの。
 だからこのまま藍に任せようと思ってるの」
「そうですか…凄く……おいしいのにもったいないです」
「あら、腕は落ちたわよ」

  これで腕が落ちたというのか。……むう、昔は一体どれほどの力を持っていたのだろうか。

「あの、紫様。紫様にとって私や藍様はどういった存在なのですか?」
「あら、どうしたの突然」

  そう…これは前から聞いておきたかった。紫はそこが知れない妖怪として有名だ。
  式である自分たちにとっても彼女の真意は計り知れない。
  
「そうね……」

  紫は少し考えるような仕草をすると、

「家族…かしら」

  そう…言った。

「生きていた中で初めてできた家族。もちろん最初はね、ただの式として見ていたわ。
 でも…あなたたちはそんな状況の中でたくましく成長していた…そして私はそれを見ていて気づいたの。
 ああ…なるほど、これが『愛情』と呼べるものなんだ…ってね。
 今でも主人と式という関係は変らないけど、そんなの私にとっては関係ないわ。
 私にとってあなたたちは大事な存在…家族よ」

  それは、橙たちが一人ではないという証拠。橙たちが紫に家族として認められている証拠。
  もっと言ってしまえば、かつて孤独な生き方をしてきた紫が始めて手に入れた身近な関係。
  藍も橙も紫には大分迷惑をかけていた。怒られることもたくさんあった。
  だから怖かった。拒絶されることが怖かった。橙のそんな心境を悟ったのか、紫は苦笑する。

「あ…」
「まぁ…怒る時は怒るし、褒める時は褒める。無論式であるあなたたちが私に意見することもかまわないわ。
 式だからといって怖気づくことはないの。だってあなたたちは私と一緒に住んでいる家族なんだもの」

  その言葉は嬉しくて、暖かくて……不意に涙がこぼれそうになった。
  そうなのだ。先ほどの花屋の店員も言っていたではないか。
  家族とは血筋は関係ない。相手がどのように思っているのか、自分がどのように思っているのかで決まるのだと。
  
  橙は渡すなら今しかない! と思ったのかいきなり立ち上がると一度部屋から飛び出した。
  ドタドタドタ……とあわてて走る音がする。紫は紫で一体どうしたのか…と驚いていた。

「し、失礼します!」

  戻ってきた橙は両手を背中に回し、何かを持ってきた。そしてそれを見せないようにモジモジしながら歩いてきた。

「あの……これ」

  そう言ってバッと差し出したのはカーネーションの花束。

「カーネーションは『母の日』に子供から母親に渡すものだって聞きました。
 私にとっては藍様も、紫様も母親のような存在なんです。…ですから、これ…受け取ってください!」

  紫は言われるがままにその花束を受け取る。橙は恥ずかしいのかモジモジしている。
  その姿がなんとも愛おしくて、自身が母親だと思われ信頼されているのが嬉しくて……自然に微笑が出た。

「ありがとう」

  花束を片手に紫は橙の頭をなでる。

「ありがとう……そしてごめんなさいね、こんなグータラな主人で」

  目頭が痛くなったが…そんなこと気にしない。ああ…なるほど、これが母親に対する感謝というものなのだろうか。
  ハハハ…自分がこれだと藍なぞ号泣してしまうだろう。

「紫様……」

  橙が驚いた声で言うが……紫はその後も暫く彼女を撫で続けるのであった。



  ◆  ◆



  さて、その頃の藍はというと……。

「いらっしゃい」
「……なんであなたがここにいるのよ」

  客の応対をしていた。ちなみに客はアリスである。

「アルバイト…みたいなものさ。それよりもどうした?」
「霖之助さんは……いないみたいね」
「ああ。先ほど別件だとかで出かけてる」
「そう……まぁいいわ。ねぇ、カーネーションはあるかしら?」
「あるぞ」

  そう言って店の奥においてあったカーネーションの花束をカウンターに乗せる。

「見事なものね……」
「らしいな、店主も言ってたよ。今年の花は特に綺麗だそうだ」
「ふぅん……あ、そうだ…はい、お代」

  代金を受け取った藍は丁度だと見るや否や、

「まいど」

  銭入れにそれを入れた。

「しかし…カーネーションなんぞ誰に上げるんだ?」

  そう…アリスに母親なぞいたっけか? まぁ…そもそも藍は彼女のことをよく知らないのだが。

「……神綺さまによ」

  神綺……? 聞いたこと無い名前だ。…それがアリスの母親なのだろうか。

「ふうん……」
「何しろ余りあってないから。あの方も喜んでくれるかしら?」

  なるほど…普段会っていない人に渡そうというのか。

「ふむ…必要なのは心だと思うが? 実際渡すものは関係ないんだ。
 大切なのはその気持ちだよ。その神綺とやらを、お前は好きなんだろう?」
「ええ……そうね、凄くやさしい人よ。…まぁ問題も多いけどたくさん世話になったわ」
「なら、大丈夫だ。お前がそう思っているのなら、その人もその気持ちを無碍にはしないはずだ。
 自信を持って送ってみたらどうだ?」
「……そうね、そうかもね」

  カーネーションの花束を大事そうに抱えるアリス。
  扉まで歩き、開けたところで何かを思い出したかのように言う。

「ところで、あなたは送るの? 八雲紫に」
「……は?」
「いや…あなたの母親的存在じゃない。どうするの?」
「……そうだな…」
「言っておくけど、式だから送らないという理由は無しよ。さっきあなたが言った通り、必要なのは気持ちだもの」
「うむ…」
「まぁ、そこはあなたに任せるわ」

  そういうとアリスは帰っていった。一人残った藍は考える。
  正直なところ、送ろうかとも考えていた。一体どのようなことを感謝すればいいのか見当が付かない。
  その理由は……感謝すべきことがたくさんあったからだ。ありすぎて、伝えきれないほどに。
  たくさん理由があるから、藍はどうやって伝えようか迷った。

  藍は数え切れないほどの礼がある。自分を式にしてくれたこともそう、育ててくれたのもそう。
  橙を式にするといったとき許可を出してくれたのもそう……たくさんあるのだ。
  だが、それをどうやって表現すればいいのか分からない。
  よくあることだ。感謝すべきことが多すぎて、それに見合うだけの方法が無い。
  だから今までは家事や世話をし、紫の手伝いをすることで恩返しをしようと思っていた。
  が、それはあくまでも式として当然の役目だ。感謝としての活動は……あまりしていない。
  
「……紫様は喜んでくれるだろうか?」

  近くにあった花束を一つ手にとり、思いにふける。拒絶されたときのことが怖いのだろう。
  藍はまだ気づいていないのだ。紫が自分を実の子供のように可愛がっていたことに。

「そうだな……これもまた一つの感謝の表れになるかもしれない」

  うむ、『母の日』というのだから何かしら礼はしておこう。何しろ今日は家事をやっていないのだから。
  後で霖之助に代金を払っておくことにしよう。そう思い、花束を一つ手に入れた。

「……それにしても暇だなぁ」

  何しろ既に梱包作業は終わっているのだ。霖之助一人だと時間はかかったろうが、
  毎日家事などをして手先が器用な藍が加わったことにより予定よりも大分早く仕事は終わった。
  後は魔理沙がそれらを運び、相手の花屋からの代金を受け取れば仕事は全部終了。  
  が、それはあくまでも霖之助の役目だ。本来ならば藍の仕事は既に終了している。
  しかし今この場に彼はいない。藍は実質店番の役割を担っていたため離れることができないのだ。

「本当に客が来ないな……店主も良くこのような状況で店が開けるものだ」

  どうも藍は仕事というのは忙しいものだと思っている。どこぞのメイド長と気が合いそうだ。
  勝手知ったる人の家、お湯を沸かし茶を淹れた藍はカウンターで一人のほほんと茶を飲んでいた。
  どうせこんな骨董品や、盗っ人が来るはず無いのだから…と思いながら。

「それにしてもいっぱいあるな」

  暇だったため、店内を物色してみることにした。普段この店に来るときは必要なものを受け取るだけだったので
  あまり深く店内を眺めたことは無い。ためしにどんなものがあるのか探してみた。

  ………見れば見るほどこの店の意図が分からない。
  カー○ルサンダ○ス人形やペ○ちゃん人形もさることながら、獅子舞なぞ誰が買うのだろう。
  土器やお皿など、学者やマニアなら買うものは多いかもしれないが……むぅ。
  果ては何だ、あの眼は? えっと…何々……道頓堀のかにの目玉? わけが分からない。
  というか、こいつら全部幻想入りしたっけか?

「ん? あれは……」

  と、その時ふととある物に眼が行った。壊さないようにゆっくり丁寧に取り出す。

「……懐かしいな」

  風車だった。丁寧なつくりだが、古いため痛んでいるしほこりもかぶっている。
  等価交換でこれを手に入れたのか、それともどこかで拾ってきたのかは知らない。  
  藍が懐かしいといったのにはわけがあった。

  風車とは、風が当たることで回るおもちゃのようなものだ。
  藍は特にその風車が回る様をよく輪廻にたとえていた。輪廻とは生者は必ず死者になり、死者は生者になる、
  そんな関係が永遠に回転する様の事だ。転生とも言う。
  この世界に存在している限り、すべての生物はその輪廻の輪から外れることは無いらしい。
  藍もそうだし、紫も、橙もいずれ死ぬ。
  藍は紫の式になる際、それ以前の記憶を失っている。つまり、式になったのを折に一度死んでいるわけだ。
  彼女が紫に以前その話をしたら、こういわれた。1度の生で2度の死を味わう面白い存在だと。
  何でも式になる前の藍は既に一度かなり高いレベルで死んだ状態だったらしく、式という器を用意してそこに
  魂をはめ込み、存在を確立したのだという。まぁ、その時の藍には難しい話だったため理解できなかったが。
  とにかく、藍はかなり珍しい存在だということだ。一度の輪廻で二度の生を体感できるのだから。
  記憶が無くともこの魂が記憶する。私自身一つの魂で二度の生を体験できることは自分のことながら非常に興味深い。

  輪廻の話をしようと思っているわけではなく、ただこの風車を見て藍がそう思っただけの話。
  とにかく、風車である。藍にとって風車はすごく…記憶に残っている品だ。
  これはある日…紫に初めて、物としてのプレゼントを貰ったのだ…それが風車だった。
  当時、風車を出店で見つけた藍は何故かその風車に非常に目が行った。
  正直な話、藍はそのことを思い出すたびに幼い自分を恥じていた。
  嬉しかった気持ちも大きいが、今は恥ずかしかったのだ。どうして風車なのだろう…と思ったほどだ。
  何しろ周りではお手玉など、それなりの遊び道具があったのだから。
  でも、藍は風車を選んだ。無意識といってもいいかもしれない。
  そんな彼女に紫様は微笑んでそれを買ってくれたのだ。式としては、恥ずべきことだろう。
  それでも……少なくとも、幼い式であった藍はその風車を買ってもらった事に物凄く喜んだ。
  そして、彼女は寛大な心を持っていた紫のあの笑顔を絶対に忘れない。
  無論目の前にある風車はそのときのものではない。あれは……もう壊れてしまったのだ。

  普段はあんなグータラな人だけど、やはり…藍にとっては優しい存在だったのだ。
  その頃の事をネタにされからかわれる事も多かったが……藍は紫にそのことも感謝していた。

  そのころのことを考えると……ああ、なるほど。
  どうして今まで自分が仕事を投げ出さなかったのか分かるような気がする。
  主と式という関係上、契約は主から一方的に切る事が可能だ。その場合式は消えてしまう。
  式はその恐怖感もあってか主に反抗することなく従うしかない。
  だが、藍は一度も紫に対して恐怖心を覚えたことは無い。
  主の命令には従うが、間違っていることはきちんといえるし、反抗もする。
  まるで一人の自己の存在として主張しているかのようだ。
  そしてそれに対して紫は、怒るときもあったが決して契約を楯にして脅すようなことはしてこなかった。

  そもそも紫は当初藍を自身の好奇心から式にした。藍本人は知らないが、
  次第に育てていくうちに、自身と同じように、ほかの生物と同じように成長していく藍に愛情を覚えていた。
  そして藍は紫に対し深い感謝の気持ちを覚え、恩返しをするために働いていた。
  何時しかそれが自身のステータスになっているのだが…最初は気づかなかった。
  そう考えるとこの2人には一種の『信頼関係』ができているといっていい。
  
  しかしそれでは反抗したりする理由にはならない。そこを考えたとき、藍は一つの結論にたどり着く。

「主と式という関係とはいえ……私は紫様を母と思っていたんだな」

  パズルが解けたような錯覚にとらわれ、胸がすっきりする。うん、確かに自分は紫を母親としてみていたのだと。

「やれやれ……」

  不器用だなぁ、と思う。これではお堅い考えの持ち主といわれるのも分かる気がする。
  そうだ、先ほどアリスにも言い、逆に言われたではないか。大切なのは気持ちだと。
  気持ちがこもっていれば、紫は絶対にそれに応えてくれるのだ。

「むぅ……言った本人がそのことについてきちんと分かってないとは、情けない」

  一人苦笑し、その風車を片手に店番を再開することにした。



「ただいまぁ」

  結局霖之助が帰ってきたのはそれから暫くたった、夕方になった頃。

「遅かったな、店主」
「いやいや…すまない。色々と手間取ってね」

  深く詮索はしない。失礼に値するからだ。

「では、そろそろ私は帰るよ」
「ああ、お疲れ」

  今日一日の売り上げ金額をまとめた紙(霖之助がいない間にも魔理沙が来ていたのだ)を渡し身なりを整える。

「ああ、そうだ。店主、悪いがこのカーネーションと風車。もらえないか?」
「そうだね。まぁ今日は手伝ってもらったわけだし、特別にタダにするよ」
「悪いな」

  また、それだけでは礼は足りない…と言う事で、藍は霖之助から老酒を主とする酒を貰った。
  ……どうやら紅魔館に行っていたようだ。大方美鈴から貰ったのだろう。
  藍はそれを手土産として受け取ると、店を去った。
  この距離なら、帰る頃は丁度日が落ちたころあいだ。うん、夕食には間に合うだろう。



  ◆  ◆



  その少し前。八雲邸では橙が奮闘していた。

「イタッ!」

  指を押さえる橙。指には一筋に切れ目が入り、鮮血がプクッと流れ出ていた。

「ほらほら、気をつけなさい」

  その隣にいた紫はすぐさま水でその部分を洗い流し、そばにおいてあった救急道具から
  消毒薬を取り出し傷口に塗ると、最後に絆創膏を巻く。

「あせっちゃ駄目よ。多少変な形でもいいから、ゆっくりやりなさい」
「は、はい」

  一体何をやっているのか? 答えは簡単、料理だ。
  夕食は橙が主体となって作る、こういう計画になっていた。紫はその手伝いをするだけ。
  だが橙は生まれてこの方一度も料理などしたことは無い。だから包丁の扱い方も危なっかしく、
  既に両手の指にはたくさんの絆創膏が巻かれていた。が、彼女は泣き言を言わない。
  紫のアドバイスを聞いて、自分ひとりで出来る様に必死にがんばっていた。
  ちなみに今きっている具は味噌汁と、お稲荷さんに使われるものだ。
  橙ががんばっている横で紫が手本として何個か切ってみせる。これは味噌汁に入れるのだろう。
  花の形(五本の花びらが咲いている)をしているニンジンを見せる。
  橙は最初は普通に切っていき、今度は試しにその花びらを作ってみる…といった作業を行っていた。

  とりあえず、メインディッシュとなるお稲荷さんと、お味噌汁は橙が作ることになった。
  カツオのほうは…久々に料理欲が出てきた紫が担当することになった。

  まずはお稲荷さんから作って行く。畳に敷物を敷き、そこにお釜を置く。
  既に飯は炊いておき、少し冷ましている為、開けるとホクホクと湯気が上がった。
  既に具はつめてある。殆どすべて橙が用意した具だ。

「さて、次は炊けたご飯を油揚げにつめるわよ」
「はい!」
「まず私が手本を見せるからそれに習いなさい」

  紫は慣れた手つきで油揚げを開き、その中に飯を入れると器用に閉じる。

「まだ熱いから、一個作るごとにそこにある冷水で手を冷やすといいわ」
「はい」

  まずボールに入った水で手をぬらし、油揚げを破らないように危なっかしい手つきであける。

「ご飯をつめるときは破らないように、力を入れすぎないこと。あと、ご飯を入れすぎないことよ。
 じゃないと、包めなくなるから」

  試しにしゃもじでご飯を掬い、油揚げの中に入れてみる。

「少し多いわね」

  しゃもじは油揚げの中に入らないため、手で多い分量をとる。すでに水で冷やしているとはいえ、熱かった。
  紫がやったのを見よう見まねでやってみるが……上手くいかない。
  とりあえず不器用ながらに形を整え、皿の上に乗せた。

「最初は誰でも下手なのよ。練習すれば上手くなるわ」
「はい」

  その後も橙はめげず一生懸命お稲荷さんを作っていく。
  その隣で紫は時折アドバイスをするために自身も作って見せた。
  結果、皿の上には綺麗なお稲荷さんと、形が崩れたお稲荷さんが置かれることになった。

  次に取り掛かったのは味噌汁だ。作ることになったのはなめこ汁。
  なぜになめこ汁なのか。それは……これが紫の大好物だったりする。
  当初紫は藍の好物であるナスの味噌汁を作ろうとした。が、橙がそれに待ったをかけた。
  『母の日』ということは、もう一人の母親である紫にも感謝の気持ちを表したい。
  そういったのだ。結果、紫は素直に従った。その言葉と行動と、気持ちが嬉しかったからだ。
  味噌は赤味噌を使い、橙は何度も味見をしながら、無事味噌汁を作った。
  紫が味見をしようと思ったが、橙にとめられた。晩御飯のときにしてもらいたいらしい。
  まぁ、橙が味見をした結果、美味いと漏らしていたのを聞くと、成功したのだろう。

  そして最後の品……カツオを使った料理だ。昼食で余った部分をまず塩を振りかけた後串で差し、 
  藁を燃やした火であぶる。そして次に冷水で一気に冷やす。その後水分をよくとった後、包丁で厚めに切っていく。
  既にきゅうりなどの野菜を乗せ用意した大き目の皿に盛り付ける。
  そして薬味とタレをつくり、かつおを軽く包丁の背で叩いた後、上にかけ、冷蔵庫に入れた。

「さて…後は藍を待つだけね」
「はい! 藍様……喜んでくれるでしょうか」
「大丈夫。この料理はあなたの心がこもってるんだから」
「で…でも、凄く、格好悪いですよ。特にお稲荷さんなんか」

  すると紫は橙の額を軽く小突いた。

「いったでしょう? 必要なのは気持ちよ。形が悪くても、それは下手でもがんばって作ったって言う証。
 気持ちがこもったものは、必ず伝わるものよ」
「……はい」

  既に外は夕暮れだ。とりあえず調理道具を片付けた2人は夕飯の用意をし、藍が帰ってくるのを待った。




  藍が帰ったとき、既に日は落ち、あたりは闇に包まれていた。その中、八雲邸だけが明るい。

「しまったな…遅くなってしまった」

  今から晩御飯を作っていては、遅くなる。むぅ、もっと早く帰るべきだった。

「どう言おうか……」

  今頃家では橙と紫が腹を空かせてまっているだろう。
  軽く罪悪感が沸く。玄関の前に立ち、とりあえず謝ろうと決意した後、ガララッと扉を開けた。

「あら、お帰りなさい」
「…………」

  出迎えたのは割烹着を着た八雲紫。藍はその姿に完全にフリーズしていた。

「何かたまってるのよ。早く入りなさい。ご飯にするわよ」

  と言って無理やり藍を引きずって家の中に入れるとパシャンと扉を閉めた。

「あの…紫様、その格好は」

  玄関口でようやく再起動した藍は恐る恐る聞く。

「あら、これ? 久しぶりに着てみたんだけど、似合うかしら?」
「えっと…あの……」

  この割烹着は藍のものだが、藍は今の紫の姿をかつて自分を育ててくれた彼女に重ねていた。
  
「やっぱり似合わないかしら」
「あ! いえ…ただ、凄く…懐かしいもので」
「そうね…最後にこれ来たのももうずっと前の話だもの」

  通路を進む中藍が紫に聞いた話をまとめると、どうやら家事は既に済ませてくれているらしい。
  割烹着を着ているあたり紫がやったのだろう。当の本人はまだどこか隠しているのか妖しそうに笑っている。
  それが気になるが……多少不安を抱えるが気にしていても仕方ない。そう思い、居間に入った。

  居間には既に橙がいた。夕飯が置いてあるちゃぶ台のそばで正座している。

「お稲荷さんに、なめこ汁……それにかつおのたたきですか」
「そうよ。ほら、座りなさいな」

  言われるままに座布団に座る。ニコニコと笑っている橙と紫が気になる。

「……ん? 紫様、このお稲荷さんは」

  見れば、綺麗な形のものと形が崩れたものと、2つに分かれていた。
  紫が作ったとしても、ここまで両極端にはなるまい。その時橙が『ウッ』とうめいたのを藍は聞き逃さない。
  橙を見ると、彼女は額に脂汗を掻いて、モジモジと人差し指を胸の前で合わせている。
  ……これは…何かあるな。と、その時藍は橙の異変に気づいた。

「ち、橙! どうしたんだその指!」

  そう、彼女の両手の指には絆創膏がたくさん付いていた。
  慌てて立ち上がると橙の手を掴んで見る。幸い、適切な処置が済んでいた。

「えっと…それは……その」
「だ、大丈夫なのか?」
「は、はい! ぜんぜん問題ありません」
「そ、そうか……」

  とりあえず心を落ち着け、座布団に座る。と、そこで気づいた。
  今の手の傷は明らかに包丁を使ったときに出来るタイプのものだ。そして、このお稲荷さんの形……。

「橙…もしかして、お前も作ったのか?」

  ビクッと橙は震えた後…ゆっくりと頷いた。藍は驚きのあまり固まっている。
  なんと…あの橙が料理を作ったとは……。

「お稲荷さんとなめこ汁は橙が作ったの。かつおのたたきは私よ」
「で…でも、大分手伝ってもらいましたけど…」

  橙が自身なさそうに言う。

「一応…味見はしたけど、口に合うかどうか……」
「ほら、藍。あなたが最初に食べなさいな。あなたのために作ったんだから」
「え……」
「忘れた? 今日は『母の日』よ。橙にとってあなたは母親なの。なら、食べてあげなさい」
「は…はい!」

  まだ混乱している頭を何とか奮い立たせ、箸を取り橙が作ったお稲荷さんを一つとると
  ゆっくりと口に運び……パクリ。

「ど…どうですか?」

  橙が不安そうな表情を浮かべて聞く。藍は…ゆっくりと全部の具の味を感じるかのようにゆっくり噛んだ後言った。

「おいしいよ……橙」

  とたん、橙の顔はパーッ! と明るくなった。

「ほ、本当ですか!?」
「ああ、味もきちんとしている。凄く、おいしい」
「で、でも…形が」
「ははは、初めてなら当たり前だよ」

  一気に色々とまくし立てる橙に藍は落ち着かせるように言う。

「ほら…言った通りでしょう? 心がこもっていれば、きっと伝わるのよ。感謝の気持ちというのはね」
「はい!!」
「さ、2人とも食べましょう。お味噌汁も冷えちゃうわ」

  と、ここでようやく全員で夕食タイムが始まった。

「あら…このお味噌汁、いい味してるわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。うん、美味しい」

  それを聞いてまた橙は喜ぶ。そんな彼女に紫は優しく微笑み、頭をなでた。
 
  さて、藍はというと……その光景に見入っていた。普段ならここで橙に抱きつくのだろうが、今日は違った。
  今彼女は昔を思い出していた。かつて、初めて自分が紫に料理を作ったときのことを。
  あの時も…そう、藍は必死に料理を作り、紫が食べるさまをジッと見ていた。
  そして、紫が美味しいといってくれたとき、物凄く嬉しくなった。
  はしゃぐ自分を紫は優しくなでてくれた……あの頃と同じだ。

「藍様? 食べないんですか?」
「あ、ああ……いや、頂くよ」

  現実に引き戻された藍は慌てて味噌汁を口にする。…確かにいい味をしている。
  まだところどころ荒いが、美味しいものだった。


  
  夕食をとり終わった後、お茶を飲み余韻をかみ締めている藍の元に橙が立つ。
  紫は風呂に入っている為ここにはいない。

「あの…藍様」

  どこか恥ずかしそうに俯く橙。両の手は背中に回され、どうやら何かを持っているようだ。

「どうした?」

  すると橙はガバッと手に持っているものを差し出した。

「これ!」

  それはカーネーションの花束。藍はきょとんとした表情を浮かべる。

「今日は『母の日』…私、藍様の式ですから、藍様って私のお母さんのような存在だと思うんです。
 だから何時も藍様に迷惑ばかりをかけてて、何とか感謝しようと思っていたんです。
 料理を作って、家事もやってみました。そこで改めて思い知ったんです、
 藍様が普段これだけ大変な仕事をしているんだって」

  藍は静かにそれを聞く。

「それに私の世話もしてくれて…今まで迷惑をかけて、本当にごめんなさい!」

  頭をさげ、震えた声で謝る橙。藍は暫く黙ったままだったがおもむろに花束を受け取ると
  思い切り抱きしめた。

「ありがとう…橙」
「藍…様?」
「そこまで考えてくれたなんて思わなかった。でも、大丈夫。私はこれを楽しんでやってるんだ。
 だから橙が傷つく必要は無いんだよ」
「で、でも……」
「何ならこれから一緒に料理をしようか。ははは…なに、最初は下手でも直に上手くなるよ」
「あ……あ……」

  橙を胸に抱えているため、胸の部分が湿り熱く感じる。どうやら……泣いているようだ。

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

  橙は鳴き続け、藍は彼女の髪を撫でながらなだめ続けた。
  この光景は紫が戻ってくるまで続いた。





  その後、もう夜中になった頃、紫と藍は2人、ベランダに出て酒を飲んでいた。
  酒は昼間藍が手に入れてきたものだ。橙は藍の尻尾に包まってスヤスヤと寝てしまっている。

「大分熟睡しているようね」
「そうですね……それほど疲れたんでしょう」

  お互いに酒を飲みながら言う。

「あなたも幸せものね、藍」
「え?」
「だって、これほどまでに式である橙に好かれてるんですもの」

  嫉妬…までとは言わないが、少し妬けてしまった。

「紫様」

  そんな紫に対し、藍はまじめな表情をして言う。

「何?」
「これを」

  と、どこかにしまっていたのだろう、カーネーションの花束を紫に渡す。

「今日は『母の日』です。ですから、どうぞ」
「……ありがとう。ごめんなさいね、駄目な主で」
「い、いえ! 違うんです」

  そこで藍は一度言葉を切ると、昔を思い出しながら言い出した。

「私は……紫様に凄く、感謝しています。死に掛けだった私を助けてくれたのもそうですが、
 今までこうして式として使役してくれたことに」
「…………」
「紫様、これ…覚えてますか?」

  そう言って次に取り出したのは一本の風車。これも昼間手に入れたものだ。

「ええ…覚えてるわ。私が初めてあなたに買ってあげた風車。もちろん、当時の物ではないけれど」
「はい。私は今でも覚えてます。……凄く、嬉しかったんですよ、この風車」
「ふふふ、あなたは変わってたものね。少なくともそれよりも面白い遊び道具ばかりを売っていたのに
 あなたは何故かそれをほしがった。理由も分からないときたもの」
「あ、あはは……自分でもそう思ってます」
「で…その風車がどうかしたの?」
「私はこれを輪廻にたとえました。私は本来、一度死んだはずの存在です。
 それを紫様に助けてもらって、今の私がいます」
「そうね、一つの魂で二回生きてるんだもの」

  こくり、と藍は頷く。

「でもそのことは前に話したはずよ? 私はあなたを求み、あなたはそれを受理した。 
 だからそのことについて礼を言われても…」
「分かってます。契約の事は聞いてます。今私が言いたいのは、その後のことです。
 はっきり言って式として最初の私は失格でした。何をするにしても失敗ばかり、
 そのたびに紫様はこういってくれたんです……『大丈夫、次でがんばりなさい』と。
 その言葉が私にとって、凄く身に染みているんです」
「そうね……」
「私は純粋に紫様に感謝してるんです。今の今までこんな私を式にしてくれたことを」
「ちょっと待ちなさい」

  と、そこで紫が厳しい声で言う。

「自分を蔑む様な言い方はやめなさいとあれほど言ったでしょう? いい、あなたは無能なんかじゃない。
 ただ記憶が無いだけなの。自分を悪く言うのはやめなさい」
「はい……とにかく、私は正直なところ数え切れないほどの恩があるんです」
「それで?」
「あの…紫様、私は……紫様の娘と思っていいんでしょうか? 私はあなたのことを母親と思っていいんでしょうか?」
「…………」

  紫は暫く黙ると、不意に藍の額にデコピンを食らわす。あぅ、と藍はのけぞる。

「……あなたも橙も同じ事を言うんだから」
「え?」
「当たり前でしょう。あなたは私の娘、橙も娘よ。私にとってあなたたちはもう家族なの。
 主と式という関係を抜きにしてね。だから受け取ってあげるわ、あなたの感謝の気持ちも、花束も」
「あ……」
「今度からそんな馬鹿な考えはおよしなさい。いいわね」
「は…はい」

  両者無言になり、月を見ながら酒を飲む。

「でも…そう気づかせてくれたのはあなたたち。私からも謝らなければならないことがあるわ」
「え?」
「私があなたたちに内緒にして、裏切った時の事件…覚えてる?」
「はい…覚えてます」

  以前紫はとある一件で、藍や橙を裏切った経緯がある。
  事件は直に収束した。裏切られた2人は当然怒った。特に橙が。
  式の式であるというのに、主である紫を殴ったのだ。その時紫は痛感した。
  自分が2人に愛されていて、失うものが無いはずの自分が、実はかけがえの無い家族を手に入れていたことを。

「あれを見なさい」

  そう言って指差した先には、花瓶に挿されたカーネーションの花束。

「橙が私にくれたものよ。感謝の意をこめて、『もう一人の母親』である私にね」
「…………」
「私はあなたたちに信頼されていた。でも、裏切った…きちんとあなたたちのことを考えないでね。
 これは許されることではないわ。……ごめんなさいね」

  そう言って紫は頭を下げる。藍はまったく動じず、ゆっくりと口を開いた。

「私はもう、なんとも思っていません。紫様は紫様なりの考えがあるのですから。
 正直私もあの時橙があの行動に出たときは驚きました。でも……橙ももう許していますよ。
 この子は今までの生活が破綻してしまうのを怖がっていたのですから」
「…………」
「私も…そして橙も、まだまだ未熟です。紫様がいないと駄目でしょう。
 ですからあのときの謝罪のことも込みで、これを受け取ってください。それでチャラにしましょう」
「……いいの?」
「良いも悪いも、あの時はそうするしかなかったのです。後々考えれば紫様の行動は正しいと皆は思うはずですよ」
「…………」

  藍はスヤスヤと眠っている橙の頭を撫でて言う。

「まぁ…それでも正直もうあんなことは御免ですから。次に何かするときは、少なくとも相談くらいはしてください。
 私たちは…家族なんですから」
「……ええ、分かったわ」

  遠くでふくろうが鳴く声が聞こえてきた。

「さて…私は寝ますね」

  橙を抱え、立ち上がる藍。

「藍、それに橙も」

  歩き出した藍に紫が声をかける。藍は立ち止まり、振り向く。と、そこには

「今日はゆっくり眠りなさい。そして…これからも頼むわよ、私の娘たち」

  と、満面の笑みを浮かべた紫がいた。続けて藍も満面の笑みを浮かべて返す。

「はい。私からもよろしくお願いします……お母さん」

  



  家族の形は様々だ。今回話した家族の話もそんな例のうちの一つ。
  家族は何度も衝突し、そして成長していく。そして互いに愛情を芽生えさせる。
  そこには主も式も関係ない。あるのは純粋に大切な人を想う気持ち。
  紫は長い年月で生きてきた中で初めて、絶対に捨ててなるものか、と思える家族が出来た。
  藍と橙も母と呼べる存在がいる。それでいいのだ。
  互いに大事に思える家族がいれば、他者がそれに口出しする権利はない。
  世の中には家族がいない者もいる。紫だってもともとはたった一人だったのだ。
  血は繋がっていなくても、家族は出来るのだ。それを忘れてはいけない。
  
  今日は『母の日』。そしてこのお話は、そんな一つの家族の『母の日』の様子の物語。

  次の日の八雲一家の棚の上には花瓶に挿された2つのカーネーションの花束と風車がたてかけられていた。
  輪廻のごとく人が死に、生まれ変わっても、その時その時に抱いた想いは消えることがない。
  風車は外から入ってくる風を受けて、回り続ける。…そう、永遠に続く人の想いを乗せて。


  カラカラ カラカラ




                              終わり
何とか間に合った。どうも、長靴はいた黒猫です。
今回は『藍物語』の第2話です、とはいえ、藍の出番少ないですが。

テーマは家族、そして母親です。
血は繋がっていなくとも、そこには確かな愛情が存在している。
そんな感じの話を書いてみました。

さて、一応冒頭でも書いてあるとおりこれは作品集39の『昔話~カタチ無き物に終わりなし』
の藍の設定を受け継いでいます。一応その作品も美鈴物語に数えられていますが、
藍物語はそこから始まっています。
ですからそれ以前、およびそれ以降のシリーズを読まずとも分かるように書いたつもりです。
『藍物語』と『美鈴物語』は同一世界上として書いています。
それゆえ互いの物語に接点がある表現が多々出てきますが、無論それらを読まずとも分かるように
書いていきたいと思います。
つまり、『藍物語』は『藍物語』として、『美鈴物語』は『美鈴物語』として分けるカタチで読んでください。
分かりにくい書き方で申し訳ありません。
なお、どちらの区分に入るかは、今後から冒頭部分で書くことにします。

次は『美鈴物語』の続きに戻りたいと思います。
書きたいことはまとまったのでがんばって書いていこうと思います。

では、次回をお楽しみに。

P.S.07年5月14日修正
長靴はいた黒猫
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コメント



0.2130簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
心温まる話でした。
皆が、かけがえの無い物を手に入れましたね。


そして自分の親不孝っぷりを恥じるorz
2.100削除
涙が出た
4.100名前が無い程度の能力削除
これは、いいものだ。
5.80渡り啄木鳥削除
胸の温かくなる良いお話でございました。
特に橙→紫を上手く描かれているな、と


それにしても自分も一度、郷里のママンに電話でもしてみますか
9.100削除
素晴らしいお話でした。

見つけた誤字を置いておきます
その家庭で覚えたもの。理由は簡単『面白うそうだった』
自信も作って見せた
10.100名前が無い程度の能力削除
心が暖まって涙が出た。
たとえ血がつながってなくても
そこに「ぬくもり」があれば
家族っていえるんだなぁ。
12.100時空や空間を翔る程度の能力削除
ズルイです、
母の日に狙いを定めるとは、
感涙して目に涙が・・・・・・・

温かい家族愛に包まれている八雲家
何時までも・・・・・・何時までも・・・・
21.100名前が無い程度の能力削除
他の方も仰ってますが、橙の紫への気持ちがよく考えられていると感じました。こんな良い子が育つから、子は宝だなんて言うんでしょうねきっと。

300年程度は来てない→30年?(「店主が子供の時に一度会っていた」とあるので)
金額で買えるを→のを?
対象わかってる→大将
状況か身にきた→見に
その家庭で覚えた→過程
変える頃は→帰る
24.100一君削除
ほのぼのと温かく良い話でした。
なにげなく幽香がいい仕事してますね。
26.100名前って美味しいの?削除
ほろりと涙腺が緩みました。
28.80クスノキ削除
毎度いい話をありがとです。
29.80沙門削除
お母さんしているゆかりんが新鮮でした。素晴らしいお話にご馳走様です。
31.90削除
あー、恥ずかしい!身体がかゆい!
そして目から涙が止まらない!何て温かいんだこんちくしょう!

ところで、食べ物関係の描写、自分で作っているような感じがありました。筆者さんは自分で料理をする人なんでしょうか?
33.無評価長靴はいた黒猫削除
たくさんの感想ありがとうございます。長靴はいた黒猫です。
来週末まで時間が取れそうにないので、まとめて返させていただきます。
すみません。

翼さんからよせられた質問に答えたいと想います。
自分は…一応人並みに、最低限ですが作れます。
とはいえ、やはり母親が料理を作ってくれたりします。
何故に料理描写をここまで書いたのか…というと、
今回のテーマが『家族』と『母親』でして、
普段はなかなか母親や家族のありがたさに気づかないものです。
ではどうやってこの2つのテーマを深く結びつけるか…と考えたとき、
真っ先に出てきたのが料理でした。子は親から料理を教わる。
などという勝手な考えから生まれたアイデア。
そこから発展していき、今回の話に繋がった…とまぁこういうわけです。

正直な話他の皆さんの感想を見たとき驚きました。
今回の『ほのぼの』は非常に難しかったんですよね。
何しろ、今の今まで『シリアス』一直線でしたから『ほのぼの』に対しての
経験は明らかに少ないわけで。楽しんでいただけたようで、光栄です。

では、感想ありがとうございました。
34.無評価長靴はいた黒猫削除
すみません、一部訂正。↓にある
『正直な話他の皆さんの感想を見たとき驚きました』
の文の『他の』という単語ですが前の文の消し忘れですので
気にしないでください。
というか…こんな短い文で誤字作るなよ自分…orz
35.100空欄削除
これは心暖まる話だ…
美鈴物語も楽しみにしてます~
39.90Zug-Guy削除
そしてこちらはほのぼの八雲家、と。しかも時限式のネタで、ますます素晴らしいの一言に尽きます。

八雲一家に関しては、原作を突き詰めた話をすると「幻想郷の影の支配者とその僕たち」みたいな印象が強い上、紫様のあの性格ですからねぇ。平和的要素皆無ですな。

でも彼女は誰より幻想郷を愛している、というスタンスのキャラでもあります。
そういう意味で、霊夢とは正に対極の存在といえるでしょうね。
霊夢は誰に対しても平等で、紫様は自分に対してすら不平等ですから。
(敢えて悪役を買って出るなんて、他の妖怪には真似できません<萃夢想)

黒幕といえば、幽香さん。
花映塚では単なる「くろまく~」的な立場で終わってしまいましたが、
実際は色々な所で暗躍してるのでしょう。紫様とは違い、己が欲を満たすためだけに。
この物語ではちょっと裏のある部分しか見えませんが、さて今後が楽しみですね。

次回は永遠亭ですね。うむ、今自分が書きかけのと同じ舞台だ。まだ終わりそうにないですが(泣)
妹紅の出番に再び期待しつつ、母と氏に感謝の祈りを捧げる事にします。
――ありがとう。
41.100蝦蟇口咬平削除
うおお、これを見逃していた自分がハズイ!!
いい話でした
42.100流離いのhigasi削除
心温まる話をありがとう!
44.100名無し削除
こういう話大好きです!!
45.100名前が無い程度の能力削除
この八雲一家はいいなぁ
すごく心が温まる物語でした
47.90れーね削除
とても心温まるお話でした。
48.80ラキア削除
心温まるお話でした。
自分も母に贈り物をしようかと思いました。


誤字と思わしき文がありましたので報告しときます。
2人は一度今に集まる。⇒2人は一度居間に集まる。
橙は鳴き続け⇒橙は泣き続け です。

後はこちらの方が正しいのでは?というものですが
私はあなたを求み⇒私はあなたを求め かと思います・・・

粗捜しせてるみたいですが気になったので・・・
長文失礼しました
58.100煉獄削除
読み返していて感想を書くことにしました。

とても素敵な八雲一家ですね。
お話自体とても素敵で三人それぞれの思いが溢れていて
少し込み上げてくるものがありました。
三人にはこれからも素敵な家族であって欲しいと切に願います。
感動的なお話でした。

本当はここで終わっていればいいのですけれど誤字の報告です。
>2人は一度今に集まる。
この部分ですが「今」になってしまっています。
正しくは「居間」なのでしょうね。
確認に来られるかどうか解りませんが報告を終わります。(礼)
62.100名前が無い程度の能力削除
たぶん・・・魔理沙もこっそり母親に渡してるんだろうな。
あと神綺さまは暴走して夢子姉さんに叩かれるんだろうなぁww

推奨BGM:一青窈『かざぐるま』