Coolier - 新生・東方創想話

東方妖々夢えくすとら ~旅の恥は斬り捨て~

2007/02/17 09:30:41
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 老剣士がその噂を聞いたのは、とある屋台でのことである。
 ふらりと立ち寄ったそこで、酒を飲みながら店主と世間話をしていた時のこと。

 ――これは馴染みのお客さんから聞いた話なんですけどね。

 いかにも『よくあること』といった感じで話し始めたので、彼はその噂を耳にした時に、思わず手にした杯を落としてしまった。
「大丈夫ですか、お客さん?」
 特に気にした風もなく尋ねてくる店主に、彼は「どうやら酔いが回ってきたらしい」と適当に答えながら、非礼を詫び、代金を支払って店を後にした。
 もちろん彼は酔ってなどいない。動揺して杯を落としたことは確かだが、適当な理由をつけて席を立っただけだ。

 彼は初め、本当に酔っているように多少ふらつきながらゆっくりと歩いていた。
 それが店から見えなくなると徐々に早足になり、早足から駆け足になり――しまいには風そのものとなって木々の間を駆け抜けて行く。
 目指す先はただ一つ。
 もう戻ることもないと心に決めたあの場所――冥界 ・ 白玉楼。

 ――今年の冬が長かったのは西行寺の姫が春を集めていたからだ、って話ですよ……。

 頭の中で店主の言葉が繰り返される。
 嫌な想像を振り払うように、彼は駆ける。
 彼の名前は魂魄妖忌。
 かつて西行寺家の御庭番を務めた男である――。





 ◇





「紫ー、いるー?」
 マヨヒガに建つ屋敷の中を、幽々子は当てもなく歩いていた。と言っても彼女は幽霊なので壁も障子も襖も抜けることができる。故にプライバシーも何もなく好き勝手に歩き回った結果、紫の式とその式と、炊きたてのご飯が入ったお釜を手に入れた。
 ご飯はとても美味しそうだった。実際美味しかった。
 幽々子はしばらくの間喋ることを止めて、黙々としゃもじを動かし続けた。もちろん足は止めないまま。
 紫の式は初め何か言っていたようだが、襖や障子を五、六枚通り抜けた(式は実体なのでぶち抜いた)ところで何も言わなくなった。
 ぐったりしていたからお腹でも空いているのかと思ってお釜を差し出してみたが、黙って首を横に振るばかりだった。「私のことは気にせず、どうぞ召し上がってください」彼女は目でそう語っていた。
 何て躾の行き届いた良い式だろう。やはり従者とはこうでなければならない。
 式の好意に感激しながら、幽々子は感謝の気持ちを込めてご飯を平らげた。

 気づけば、式の式の姿は消えていた。



 ……閑話休題。

 話を戻すが、この屋敷の主にして幽々子の友人、八雲紫は、いつもはどこだかわからない空間に住んでいる。
 だから、あちらから出向いてこない限り彼女と会うことは非常に難しい。よって動き回ることに意味はないのだが、幽々子にも事情がある。
 今回は急ぎの用なのだ。至急、紫に顕界と冥界の結界を引き直してもらわなければならない。
 そうしなければまた、博麗の巫女がやって来る。魔女もやって来る。悪魔の狗も。
 後の二人はともかく、余程の物好きでない限りあれと敵対しようとは思うまい。
 少なくとも、私は嫌だ。
「紫ー、出て来てよー。出て来ないなら反魂蝶ばら撒くわよー」
「……うるさいわねぇ……新聞なら間に合ってるわよ……あら幽々子、久しぶり」
 幽々子がついに物騒なことを口走ったその時、空間に切れ目が入り、中からずるりと紫が姿――と言っても上半身だけだが――を現した。
 珍しく驚いたような顔をしているところを見ると、どうやらさっきまで眠っていたらしい。
「久しぶりじゃないでしょ、つい最近会ったばかりじゃない」
 言いながら幽々子は寝ぼけ眼の紫の頭を掴んでスキマから引きずり出す。
「そんなんどっちでもいいじゃないのー。まだ昼よー。眠いのよ私はー」
 やはりと言うか何と言うか、紫もただでは起きない。
 幽々子の手を払いのけ、床にスキマを開いて再び引きこもろうとする。
 が、この時ばかりは幽々子の執念が勝っていた。
 果敢にも、今まさに閉じようとしているスキマの中に手を突っ込んだのだ。
 スキマの入り口は狭く、中を覗くことはできない。ゆえに彼女は勘に任せて手を伸ばし、掴む!
「寝るなら私の話を聞いてからにしーなーさーいー!」
 そして、掴んだそれを決して離すまいと、手を握り締めて力任せに引き上げる。
「え――いやちょっと幽々子!? 何を掴んで引っ張ってるのよ!」
 なぜか紫の焦った声が聞こえてくるが、幽々子の耳には届かない。さらに力を込めて“それ”を引っ張った。
「ま、待って幽々子! そんなに引っ張ったら伸びる――って言うより千切れ――るより先に脱げちゃう!」
「きーこーえーなーいーわー」
「嘘っ! 絶対に聞こえ……ぃ……」









 ――いやあああああああああああぁぁぁぁ……!!









「……という訳で、早いとこ顕界と冥界の境界を引き直して欲しいのよ」
 食後のお茶を啜りながら、さも当然のように幽々子は言った。
 正面に座る紫はもじもじして頻りに何かを気にしているようだった。少し顔が赤い。
「聞いてるの、紫?」
「聞いてるわよ……だから」
「『だから』?」
「……返して」
「だ~め。返しません」
「何でよ!」
 立ち上がろうとした紫に対して、幽々子はなぜか床に伏せる。と言っても別に土下座した訳ではない。両手は床についてしっかりと体を支え、首は捻って下から上を見上げるように。
 そして顔には勝利の笑みを浮かべていた。
「……見えるわよ?」
「くっ――!」
 事実、幽々子の言葉一つで紫は動きを封じられていた。
「分かったら早く行ってきてちょうだい。それまでこれは返さないわ。私の家、意外と財政難だから……早くしないと売り払っちゃうかも」
 幽々子は体を起こして座り直し、“これ”が入っているであろう胸元をぽんぽんと叩く。
 対する紫は、拳を血が出るほどきつく握り締めて幽々子を睨みつけ、しかし何をするでもなく立ち上がると、黙って回れ右をして部屋から出て行った。





 ◇





 妖忌が白玉楼へと続く長い石段にたどり着いたのは、屋台を後にしてから半日が過ぎた頃のことだった。
 春の日差しを背にして妖忌は立ち止まる。感情に流されていたせいか、思ったよりも息が上がっていた。
 最悪の事態を想定するなら、この先にはかつてないほどの熾烈な戦いが待ち受けているだろう。何より、彼の支えであった楼観も白楼も今は妖夢の手にある。己の不利は否めない。
 だが、それがどうした。
 妖忌は深呼吸をして息を整え、再び走り出す。
 彼の忠義は主の下を離れているとはいえ今も健在である。そのためならば命を投げ出すことも厭わない。
 それは彼の望みであり、喜びでもある。
 果ての見えないこの石段も、かつて、幅二百由旬と謳われた西行寺家の庭師を務めた妖忌にとって障害には成りえない――使命に燃える今の彼ならばなおさらである。



 だが、本当の意味での障害とは、いつも予想だにしないところからやって来るものだ。
 ちょうどこんな風に。



 妖忌の目の前で、空間が裂ける。
 どこか懐かしい気配と共に、彼女はゆっくりとその姿を現した。
「……紫、様?」
 思わず彼女の名を呟いていた。
 久しぶりに見る、かの大妖怪、八雲紫は……妖忌に気づくこともなく、こちらに背を向けた状態で、スカートを押さえながら石段の上に降り立った。
 その目は油断なく周囲を見回しているのに、すぐ傍にいる自分に気がつかないのはなぜだろう?
 不思議に思った妖忌は、今度はもう少し大きな声で呼びかけてみることにした。
「紫様」
「――ひゃっ!?」
 自分ではそれほど大きな声を出したつもりはなかったのだが、紫は殊のほか驚いたらしく、まるで少女のような悲鳴を上げた。が、恐る恐る振り返った瞳に安堵の色が浮かぶ。
「……貴方、妖忌?」
「はい。ご無沙汰しております、紫様」
「紫“様”って……もう西行寺の使用人でもないでしょうに、相変わらず堅苦しいのね。まあいいわ。ところで妖忌、貴方はどうしてここに?」
「それが――」
 妖忌は少し考えた末に、ここまでの経緯を紫に話した。
 『風の噂で今回の異変を知り、主が心配で戻ってきた』と、ただそれだけのこと。
 無理に隠し立てする必要もなければ、紫相手に隠し事などできるはずもない。
 また、事によっては紫の助力も必要となるかもしれないこの状況で、無駄に時間を使うこともないだろう。
 紫は話を聞きながら、何か考え込むような仕草をしていた。
「なるほど、ね。……そのことなんだけど」
「何か?」
 ちょいちょいと手招きをされて顔を近づけた妖忌は、紫の手が怪しく光るのを見た。
 瞬間、全身が弛緩し、意識が遠のいていく……。

 紫は焦点の定まらない目で前を見ている妖忌に声を掛けた。
「妖忌、聞こえるかしら?」
「……はい」
 おおよそ感情というものが感じられない声で、妖忌は答えた。
 紫は満足そうに微笑んでその耳に二言三言、囁いた。妖忌は一つ頷くと、再び石段を駆け上って行く。
(異変、か。ここまで来たなら分かりそうなものだけど……ほんと、真面目よねぇ……)
 紫が妖忌に気づかなかったように、妖忌もまた、辺りに西行妖の気配がないことに気づいていなかった。
 普通なら気づきそうなものだが、これもひとえに主の身を案じるが故、である。責めるのは酷だろう。
(まあそのおかげでこうして手駒が手に入ったわけだけど……見てなさいよ幽々子! 油断すると足元をすくわれるということ、じっくりたっぷり嫌というほど教えてあげるわ!)
 妖忌が門を潜るまで見送って、紫はスキマの中に姿を消した。





 ◇





 門を駆け抜けた妖忌は、辺りの気配を窺い、危険がないことを察すると刀の柄から手を離して警戒を解いた。
 最悪の事態は避けられたようだ。やはり春を集めた程度では、西行妖の封印は解けなかったらしい。
「しかし、どうしたものか……」
 妖忌は己の不安が杞憂に終わったことを内心喜びながら、今度は自分の身の振り方で悩むことになった。
 自分は跡を妖夢に任せて幽居した身。今更どの面下げて主の元に戻れと言うのか。
 せめて幽々子様のお姿を一目見て行きたいものだが、勘の良い彼女のこと、きっと気づかれてしまうに違いない。
 残念ではあるが、ここは何事も起こらなかったこと、また己の内に変わらぬ忠義の在ることを歓び、帰るとしよう。
 決意し、踵を返したその時、妖忌は自分の懐に一通の手紙が差し込まれていることに気づいた。
 いったいいつの間に?
 首を傾げながら手紙を取り出して表を見る。
 『妖忌へ』宛名にはそう書かれている。
 中を開いて見てみると、丁寧に折り畳まれた紙に、『留守の間、家のことは任せます 幽々子』とだけ書かれていた。
 束の間、思考が止まる。
「これは……?」
 これはいったいどうしたことか。
 なぜ幽々子様の手紙が自分の懐に入っていたのか。
 なぜ幽々子様は自分がここにやって来ることを知っていたのか。





 ――いや、それなら自分はどうしてここに――?





「そうか……」
 しばらく考えた後、妖忌は納得したように手を打った。
 逆なのだ。
 戻ってきた自分の懐に手紙が入っていたのではない。手紙を受け取ったからこそ、自分はここに戻ってきたのだ。
 そうでなければ理由もなく自分がここに戻ってくるはずがない。
「……いやはや、年は取りたくないものだ」
 まさか記憶違いとはな。妖忌は一人、苦笑した。
「承知いたしました、幽々子様。この魂魄妖忌。見事お役目を果たしてご覧に入れましょう」
 妖忌は屋敷へ向かう。
 壮大な勘違いを、それとは気づかないまま。



 自分がここを離れてどれくらいの時間が流れたのだろう。
 それすらも定かではない妖忌にとって、白玉楼にある全てが懐かしく感じられる。
 しかし、それでも体はこの場所をしっかりと記憶していた。妖忌は迷うことなく西行寺の屋敷にたどり着く。
「妖夢、妖夢は居るか?……まだ寝ておるのか」
 主のいないこの屋敷を護る者が昼になっても眠っているとは。
 これでは幽々子様がわざわざ自分を呼び寄せる理由もわかろうというもの。仕方のないやつだ。
 実は、妖夢は冥界を抜けて顕界へ降りてしまった霊を連れ戻しに行っているのだが、この時点では妖忌はそのことを知らない。
「いや、しかし……まぁ、説教は後でもよいか」
 あれが幼い頃は、理由も聞かずに叱りつけたこともあった。幼子が目に涙を浮かべる様は、今思い出しても胸が痛む。
 久々に会うのだ。短気を起こして同じ過ちを繰り返すこともあるまい。
 妖忌はそう思い直して歩き出した。
 妖夢の部屋とは別の方向――かつて自分が使っていた部屋へと。



「……む?」
 その部屋に足を踏み入れた妖忌は訝しげな視線を部屋の中央へと向けた。
 別に何がいたわけでもない。ただ、何もない部屋に、帽子と着物が置いてあっただけ。
 しかし、この白玉楼において着物を着る人物は妖忌の知る限り一人しかいない。加えて帽子とくればもう決定的だ。
 すなわち、西行寺幽々子その人である。
(このようなところになぜ、幽々子様の着物が……?)
 妖忌が足を止めた理由とはつまりそういうことである。
 幽々子は妖忌が帰ってくることを知っている――そう仕向けた張本人のはず。
 それなのに、どうしてここに自分の着物をこの部屋に置いておくのだろうか?
 分からぬ。何か理由があるのだろうが、分からぬ。
 妖忌はその場から一歩も動かず、腕組みをしてうなった。うなって、うなって、うなり続けて考え続けた。
(――まさかっ!?)
 そして、驚いたように目を見開き……なぜか顔を赤らめた。
「そういう……ことなのですな、幽々子様?」
 ごくりと唾を飲み込み、前へ。
 膝をつき、着物を手に取る。
「これを……」
 妖忌はそこで口を閉ざす。
 生半可な覚悟で口にすれば罪の重さに自らの命を絶つかもしれぬ、それほどの重大事。
 百戦錬磨の妖忌にも覚悟を決める時間が必要だった。
 やがて意を決し、彼は叫ぶ!







「――これを身に着けよと……!」







 本人が聞いていれば全力で否定するであろうその一言。
 しかし悲しいかな、たとえどれほど大きな声で叫んだところでこの屋敷には妖忌一人。彼の暴走を阻む者は誰一人として存在しないのである。
 妖忌は刀を置き、それからするりと自らの着物を脱いで正座。それをきれいに折りたたんだ後、脇へとどけた。
 そして幽々子の着物を前に手をつき、深々と頭を垂れる。魂魄妖忌、いかなる時も礼節を重んじる男であった。
「では、失礼いたしますぞ、幽々子様」
 今、己が纏うは褌一つ。
 妖忌は緊張で震える指で着物を広げその美しさを見、存分に愛でた後、まずは片袖だけ通す。
 特別に設えた、極上の絹の肌触り。それは柔らかく滑らかで、日頃自分が着ている物とは次元が違う。
 そして何より、この着物に幽々子は幾度となく袖を通したことであろう。
(……おぉ)
 従者でしかなかった自分が主の衣服に身を包むという背徳感が、得も言われぬ快感を伴って妖忌の全身を駆け巡る。
 直後、妖忌は口元を手で押さえて膝をついた。その手元――正確には鼻と手の間――から赤い液体が流れ落ちる。
「むぅ……この老体にはちと刺激が強すぎたようだの」
 危ない危ない。もう少し浸っていたらお迎えが来るところだった。
 畳に広がっていく血の染みを見ながら妖忌は思った。
 やはり自制心を強く持たねばならない。軽々しく流れに身を任せれば今度こそ死が待っていよう。
 幽々子様の着物に包まれて逝くのも良いが、この好条件、それだけで終わらせるにはあまりに惜しい。
 少しだけ自制心を取り戻した妖忌は、手早く着替えを済ませることにした。





          ――ぬぅ……。





                              ――くはぁ……!





                  ――おぉ……。





                                      ――これほどとは……!





 身悶えしながらも着替えは順調に進み、最後に帽子を頭に乗せてできあがり。
 一人で着付けをすることは不可能に思えたものの、今まで出番の無かった半霊を用いることで見事にクリア。
 いつか来たる日のために練習していた甲斐があったと、妖忌はほくそ笑むのだった。
 そして、ついに幽々子の着物を身に纏った妖忌は姿見の前に立つ。
「ふふ……儂もなかなかのものではないか」
 否、断じて否。なかなかどころかただの変態だった。
 しかし、それを指摘する者は一人としていない。いたとしても斬り潰されるがオチか。

 さて、これからどうしようか。
 考えた末に、妖忌はまず妖夢を探すことにした。
 気配から察するに、妖夢はこの近くにはいないらしい。庭の手入れをしているのか、それとも冥界から出ているのか。
 どちらにせよ構わない。戻ったなら久しぶりに剣の稽古でもつけてやるとしよう。
 説教云々の話はどこへ行ったのか。幽々子の着物を着た妖忌は意気揚々と屋敷を後にした。





 ◇





(うふふ……『疑いを持つな』。単純な暗示なら効果は抜群ね。でも、妖忌ったらそんな格好で妖夢に会いに行くつもりなのかしら?)
 誰に似たのか堅物に育っている妖夢のことだ。こんな姿をした妖忌を見れば卒倒しかねない。
 妖夢には悪い気もするが、まあ面白いからそれもありだろう。
 幽々子の着物を着たまま大股で歩く妖忌を見ながら紫はそう思った。
 妖忌の行く先々で、幽霊たちが怯えたように道を空けている。気持ちは分かる。今の妖忌になら私だって道を譲る。
「あんまり長く見ていたいモノでもないわね……ん? こんなところに人間?」
 別の隙間を開いた紫は、白玉楼の石段を飛んで登っていく三人の人間を見つけた。


(はぁ……何で私まで付き合わされてるわけ? 早く帰りたいわ……)
(そこ、ごちゃごちゃうるさいぜ。お嬢様の言いつけなんだから素直に従えよ)
(だから付き合ってあげてるでしょう? でもそれとこれとは別問題。愚痴の一つや二つ言わないとやってらんないわ)
(……あのさ、魔理沙)
(なんだよ。まさか、お前も帰りたいとか言うんじゃないだろうな?)
(いやあ……そのまさかなんだけどね。なんかとっても嫌な予感がするのよ。こう、ビリビリと)
(却下却下そんなの知るか。ここまで来たんだからもう後には引けないぜー!!)


 先頭切って飛んでいく黒白をあとの二人が追いかける。
 あらあらあら。この先に待ち受けているものを知っている紫はくすくす笑う。
 博麗の巫女とメイドと……もう一人は魔理沙と呼ばれていたか。彼女らが異変を解決したという人間たちだろう。
 ちょうど良い。ここは一つ、あの人間たちにも付き合ってもらうとしましょうか。





 ◇





 ――で、数分後。

「ま、まままま魔理沙! もっと速く飛びなさいよ!」
「無茶言うな! こっちはただでさえ一人抱えて大変なんだぞ!」
「うるさいわね! だいたいアンタが『よし、それじゃあみんなで冥界に行こうじゃないか!』なんて言い出さなきゃこんなことになってないのよ!」
「お前だって『そうね。良い機会だわ。ちっとも幽霊が減らないから困ってたのよ』とか言って乗り気だったじゃないか! 私だけのせいにするな!」
「あーあーあーあー! 聞きたくない聞きたくない! とにかく私は悪くない――そうよ! 私は帰ろうって言ったのに、魔理沙! アンタが勝手に突っ走ったんでしょ!」
「いや、だって、門を潜ったらあんなのが待ってるなんて誰が想像できるんだよ!」


 ……待たぬか貴様らあぁぁぁぁ!!


「うわああああああもう復活したー!!」
「だから私は嫌だって言ったのよー!!」





 ~数分前~



 霊夢はいつも通りマイペース、咲夜はやる気なさげに、魔理沙はこれまたいつも通りに全力で飛ばしていく。
 順当に見て、西行寺一番乗りは魔理沙かと思われた。
 しかし魔理沙が門を潜る寸前、進路を塞ぐように咲夜が現れる。
 空間転移。タッチの差程度だが、咲夜の方がわずかに早く西行寺の門を潜り抜けた。
 魔理沙の表情が一変、不満顔になる。
「あー! 何だよお前「私は興味ありません」みたいな顔してたくせに一番乗り狙ってたのかよ!」
「別に。私は来たくて来てるわけじゃないの。こんな事ぐらいしか楽しみもないわ」
「ちぇ……嫌な性格だな」
「あらそう」
 なおも食い下がろうとする魔理沙を手で追い払い、咲夜は屋敷へ続く道へと目を向ける。
「それより早く出てきてもらえないかしら? 私はさっさと用事を済ませてお嬢様のところに帰りたいのよ」


 ――ほう。儂の気配に気づいておったか。


「え?」
 咲夜の視線をたどった先には逞しい肉体の幽々――
「……うっぷ」
 魔理沙は口に手を当て目を逸らし、すんでのところで堪えることに成功した。
 危ない所だった。あと一秒見ていたらやっていた。苦いものを一生懸命飲み下しながら魔理沙は思った。
 それにしても咲夜は凄い。あんな微かな気配を感じ取るなんて私には出来ない。
 涙目になりながらも、尊敬の念を込めて魔理沙は隣に立つ咲夜を見た。
 咲夜は今も、いつものように毅然とした態度で、両腕を組んだまま前を見据えている。
(さすがは紅魔館のメイド長だぜ。こんな程度じゃ動じないってか)
 それなら私も負けてられないな。魔理沙はミニ八卦路を取り出そうとして――肘が咲夜の腰に当たった。
「おっと悪い……?」
 おかしいと魔理沙は思った。
 いつもの咲夜ならこの程度、肘が当たる前に避けているはずだ。さっきまでのやりとりを顧みるに体調が悪いわけでもあるまい。

 ……ドサ。

「ドサって何だ?」
 音につられて横を見ると、咲夜が倒れていた。
 腕は組んだまま、足は肩幅に開いて、先ほどと変わらない姿勢で仰向けに倒れていた。
 気絶したのかとも思ったが、どうもそうではないらしい。
 スカートが、エプロンが、風になびく形そのままに固まっていたのだ。
「お前、まさか……」
 咲夜の衣服にふれた魔理沙は確信する。

 ――彼女の時は止まっていた。

 想像して欲しい。彼女の主であるレミリアが、あるいはその妹のフランドールが、可愛らしい服はそのままに筋骨隆々、逞しい肉体を持った姿を。
 その瞬間、彼女も精神は崩壊するに違いない。
 故に咲夜は自分の時を止めることで、心を守ったのだ。

 それはそれとして、困ったのは魔理沙だった。
 心強い味方であったはずの咲夜は倒れ、霊夢は未だに追いついて来ない。
 つまり、一人であれの相手をしなければならないのだ。
 冗談じゃないと言いたいところだが、あの亡霊姫相手に逃げられるかと問われれば、かなり難しいと答えざるを得ない。
 進むも地獄、退くも地獄。それならばと振り返ると、
「ぬぅ……白の『がぁたぁべると』とは……」
 幽々子――違った――の格好をした爺が、自ら作り上げた血溜まりの中に沈んでいた。





 ◇



(……まぁ妖忌だからね)
 スキマの中で紫は苦笑する。
 自分の外見を考えれば、たかだかスカートの中身ぐらいどうということもないはずなのだが……いやはや、つくづく暗示とは恐ろしい。
(にしても、あんなでどうやって子供を作ったんだか)
 冥界は謎に満ちている。
 紫は改めてそう思った。

 ――さて、そろそろ幽々子を帰すとしましょうか。



 ◇



 倒れた爺は動く気配を見せなかった。
 “ふり”でも何でもなく、純粋に血を出しすぎたらしい。
 三十六計逃げるにしかず。一刻と言わず一秒でも早くこの場を離れたかった魔理沙は、倒れた咲夜を箒に引っ掛けて全速力で逃げ出した。
 そして、一人帰ろうとしていた霊夢に追い付き、今に至る。





「待てと言っておろうがぁぁぁ――!」
 二人の後ろから、全身を鼻血で赤く染めた妖忌が走って追ってくる。
 髪を振り乱し、目を血走らせ、その姿はまさしく悪鬼羅刹の如く。捕まったら何されるかわからない恐怖も手伝って凄まじいプレッシャーである。
「ま、魔理沙ぁ……ひぐっ……な、なんとかしなさいよぉ……」
 霊夢はマジ泣き一歩手前だった。
「ば、馬鹿、泣くな霊夢! 泣いたら終わりだぞ!」
「……ひっく……だ、だってぇ……怖いんだから仕方ないじゃなぃ」
「だ、だから……ぅっく……わ、私だって怖いんだよぉ……」
 泣きそうな霊夢を見て幾分か冷静さを取り戻したはずの魔理沙も、徐々に引きずられ始める。泣き出すのも時間の問題だった。



(追いついたぞ賊め……む?)
 霊夢と魔理沙の姿を視界の中に捉えた妖忌は足を緩めた。
 一人増え、代わりに一人足りない。あの『めいど』なる格好をした少女の姿が見えないのだ。
(……あやつには気をつけねばな)
 俗世より離れて早幾年、今の彼に純白の聖域は眩しすぎた。
 つ、と垂れた鼻血を拭い、彼はもう一度注意深く二人を観察する。

 ――いた。

 魔理沙の箒に、水平に括りつけられていたのだ。
 これはまずい。妖忌は歯噛みした。
 相変わらず咲夜の足はこちらに向いており、後方に対しての守りは完璧である。
 うかつに飛び込めばまたさっきの二の舞になりかねない。
 しかし、このまま手をこまねいていれば逃げられてしまうは明白。
 正面からでは同じ失敗を繰り返すことになり、左右からでは立ち並ぶ樹木が行く手を阻む。
(ならば残るは……上か)
 妖忌の決断は早かった。元祖二百由旬の庭で鍛えた脚力で石段を蹴り、空へと身を躍らせる――



 咲夜の身に変化が起こったのはその時だった。
 彫像のように固まっていた彼女の体から力が抜ける。
 どうやら能力を解除したらしい。
 が、そうなると当然速さと重力の関係で負荷が掛かり、咲夜は「ぐぇ」瀟洒とはかけ離れた声を出した。
 それから改めて状況を確認、自分が箒に括りつけられている……のではなく襟首を引っ掛かけられているだけ、ということに気づく。
「ちょっと魔理沙! 貴方、人を何だと思ってるのよ!」
「だ、だって……ひっく、時間が、なかったんだもん……」
(……もん?)
 魔理沙は半べそかいてる上に言葉遣いまでおかしい。何かあったのかと横を飛ぶ霊夢を見ると、こちらはもうほとんど泣いていた。
 吸血鬼と相対して平静を保っていた二人がこうなるとはよほど怖い目にあったらしい。それもおそらく、未だに継続中か。
「――ってそれより早く下ろしなさいよ! 首が締まって苦しいのよ!」
 冷静に推理などしている場合ではなかった。咲夜は今、襟を両手で押さえやっとのことで呼吸をしている。
 よく考えればこの状況は首つりと大差ない。むしろ死ななかったことの方が不思議なくらいだ。

 加えて咲夜の懸念はもう一つある。
 それは、如何に冬用とはいえ布切れ一枚で人間の体重は支えられないということ。スピードが出ているとなればなおさらだ。それを可能にしているのは咲夜の努力の賜物なのだが、それも何時まで持つか。
「やだやだやだ! ここで止まったらあれに追いつかれちゃう!」
「駄々っ子かお前は!」
 しかし今の魔理沙には何を言っても無駄だった。逃げるという最優先命令を実行するのみである。
 説得が通じないなら咲夜の取る行動は一つ。魔理沙をこの箒から叩き落とし命の安全を確保すること。
 しっかりと首を引き、片手で箒を掴み体を丸めて空気の抵抗をぎりぎりまで抑えた後、振り子の要領で体を持ち上げて――魔理沙を蹴り落とすはずだった。
 そう、上空から迫る妖忌を見つけさえしなかったら。

「何……あれ」
 咲夜は呆然と呟く。太陽を背に、赤い、人の形をしたものが高速で迫ってくる。
 奇妙な既視感――私はあれを見たことがある――頭の片隅に生まれた小さな疑問が咲夜の動きを鈍らせる。時間にしてコンマ一秒あったかどうか。

 しかし、この状況ではそれで十分だった。
 初めに風に煽られて咲夜のスカートが捲れ上がる。それは当然のように魔理沙の箒に引っ掛かった。反射的に咲夜はスカートを押さえようと箒から手を離してしまう。
 結果。
「え?」
 すぽんと。
「あ?」
 面白いくらい綺麗に。
「む?」
 スカートが脱げた。
「――い、いやあああああぁぁぁぁ……!!」
 飛んでいく。私のスカートが飛んでいく。
 叫びながら咲夜は手を伸ばした。届かないと分かっていても手を伸ばした。
 だが無情にも箒はスカートを引っ提げたまま飛び去っていく。
(そんな……この完全で瀟洒なメイドの私がどうしてこんな目に……ああ、これは夢なんですね神様。本当の私はきっとまだ眠っていて……)

 ――否。悪魔の狗が都合の良いときだけ私を頼るんじゃありません。

 咲夜の精一杯の現実逃避に、神様は笑って親指を下に向けてくださいました。
(だから神なんて信じたくないのよ……)
 直後、石段で頭を打って、咲夜は気を失った。
 まあ、考えようによっては、咲夜は幸運だったと言えるかもしれない。結果的に一度たりとも妖忌の姿を拝むことがなかったのだから。



 咲夜が気を失うとほぼ同時に、血の雨を降らせながら妖忌が降ってくる。
「おおおおおおぉぉぉ――!?」
 どーん、ごろごろごろごろごろごろ……。
 妖忌は咲夜のすぐ横に着弾、石段を勢いよく転げ落ちていく。吹き出す鼻血は止まることを知らず、その様はまさに地獄車(?)。もう手足の生えただるまにしか見えなかった。
 風邪は治りかけが怖い。怪我も同じこと。鼻血だってそうだ。止まったと思ってもなかなか止まらない。
 春画とチョコレートは控えていただくよう幽々子様に進言せねば。薄れていく意識の中で妖忌はそんな事を思った。





 一方の霊夢と魔理沙は、転げ落ちていく妖忌にびびった挙げ句二人そろって木にぶつかっていた。ゲームで言えば残機マイナス1である。
「痛たた……ぐすっ、霊夢……大丈夫?」
 箒に乗っていたためか、魔理沙の方が受けた被害は少なかったらしい。すぐさま立ち上がり、霊夢に手を貸そうとする。
 が、霊夢は黙って首を横に振った。
「駄目……腰抜けちゃって動けない」
「……え?」

 きっかり十秒ほど、魔理沙は固まっていた。

「腰抜けたって……霊夢さぁ」
「だ、だって、怖かったんだもん……」
 だからってお前博麗の巫女だろ? 妖怪退治屋だろ? 普通腰抜かして立てなくなるか? よくそんなんで今まで生きて来られたな?
 微妙な哀れみを含んだ、魔理沙の生温かい視線が突き刺さる。
「婆さんじゃあるまいし」
「――っ!!」
 トドメとばかりに魔理沙の心ない一言が胸をえぐった。
 霊夢は大きく目を見開く。手をきつく握りしめ、うつむき体を震わせて、その目からは涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「……ってごめんごめんちょっと言い過ぎたわ。だから泣かないで。ね?」
「泣いてないわよ」
「そうね。ギリギリギリギリ歯を食い縛って泣くっていうよりどっちかっていえば…………もしかして怒ってる?」
「わかってるなら聞くなー!!」
 霊夢は恐ろしい速さで魔理沙に飛びかかり、馬乗りになって押し倒す。
 お前腰が抜けたんじゃなかったのか。そんな魔理沙の突っ込みにビンタの嵐で答える姿は鬼か悪魔か。

 べちんべちんべちんべちんべちんべちんべちんべちんべちんべちんぺちん……。

「痛い痛い! ごめん私が悪かったからもうぶたないでー!」
「痛い痛いってこっちの手も痛いのよ! あーむかつく! 『夢想封印』!」

 ばっちーん!!

 魔理沙のガードの隙間を縫って強烈なビンタがヒットする。
「ぎゃー!!」
「『夢想封印 ・ 集』!『集』!『集』!『集』!『集』!『集』!」

 ばちーんばちーんばちーんばちーんばちーんばちーんばちーん…………。



 いつからか、魔理沙の抵抗がやんだ。
 いつからか、霊夢は手の感覚がなくなった。
 いつからか、霊夢は引っぱたいているのが誰か分からなくなった。
 それでも霊夢は叩くことを止めようとしなかった。


 ――いい加減にせんか、馬鹿者。


 結局、妖忌に殴られて気絶するまで、霊夢の手が止まることはなかったとか。





 ◇





 霊夢と魔理沙と咲夜の三人を抱えた妖忌は西行寺の屋敷へと戻ってきた。
 着替えるために、である。別に疚しい目的があったわけではない。

 体についた血は洗って落とすことが出来たものの、着物についた血はもうどうすることも出来なかった。残しておいても仕方がないので、妖忌は泣く泣く、着物を燃やして処分した。
 それから二本の刀を引っ提げて、庭へと出る。
「覗き見とはあまり感心しませんな」
「……あ、やっぱり気づいてたのね」
 声に答えるように空にスキマが開く。
 紫は悪びれた風もなく、むしろ堂々と妖忌の前に降り立った。妖忌の額に青筋が一本浮かんで消える。
「(痩せても枯れても紫様は幽々子様の御友人。ここは堪えねば)……理由を聞かせて頂きたい」
 胃に痛みを覚えながら、妖忌は言った。
「あら? 怒ってないの?」
「無論、怒っています……が、貴方は昔からそうでしたからな。一々逆上していたらきりがない」
 よくよく思い出してみれば昔からそうだった。
 夜な夜なスキマを開いては幽々子様を屋敷から連れ出し、いかがわしい遊びや知識を教えた挙げ句、それらで生じた厄介事の後始末を全て自分に押しつけて逃げる、本当にろくでもない方だった。
 幽々子様の友人でなかったなら刀の錆にしてやるものをと何度思ったことか。
「……何か馬鹿にされてるように聞こえるのは気のせいかしら?」
「気のせいでしょう。それよりも――」
「はいはい分かったわよ。それじゃかいつまんで話すわね……」

 そう言って紫は事の発端を話し始めた。
 幽々子が西行妖の封印を解こうとしたことから始まった異変の折、博麗の巫女が顕界と冥界を隔てる結界を破ってしまったこと。
 その結界の修復を幽々子が自分のところに頼みに来たこと。
 人の家に上がり込み、障子と襖を何枚も破ったこと。
 そして。
 履いていたパンツを奪われたこと。
 替えのパンツも全部取られていたこと。

「……」
 途中から興奮気味にまくし立てる紫を、妖忌はどこか遠い目で見ていた。
「しかも幽々子はこう言ったのよ! 「早くしないと売り払っちゃうかも」って! 分かる!? 人のスカートに手ぇ突っ込んでパンツ毟り取った上に「売り払っちゃうかも」よ! 信じられる? そんなにお金に困ってるなら自分のパンツでも売って――」
「とりあえず落ち着いていただきたい」
 そこまで、と手で制しながら妖忌は言った。それからどこに手を突っ込んだとか、恥ずかし気もなく大声で話さないで欲しいと思った。加えて幽々子の奇行に頭を抱えたい思いだったが、それを上回るものが妖忌の中に渦巻いていた。
「貴方は何か勘違いをしているようだ」
「?」
 紫は訳が分からんという顔をした。まあ、冬眠から覚めたばかりの頭では仕方のないことかもしれない。
 対して妖忌は刀の柄に手を乗せたまま紫をじっと見た。背の高さの関係で、妖忌が紫を見下ろす形になる。見ようによっては説教が始まる前の父親と娘とも取れる光景だった。
「儂が聞きたかったのは、何故、儂と――そこに寝ている三人の人間が巻き込まれなければならなかったのか、ということです」
 じり、と妖忌はわずかに進み出る。紫は同じだけ後ろに下がっていた。
「この際だからはっきり言っておきますが、貴方と幽々子様の間で何があったのかなど聞くつもりはない」
「……あ、あの~妖忌、目が怖いわよ?」
「さらに言わせてもらうなら、貴方の身に起こったことなど全ては貴方自身の怠慢から来たこと。顕界と冥界の結界を引き直すなど、貴方にかかれば大した手間でもないでしょう」
 どういうわけか、紫には妖忌がいつもより大きく見えた。一回りとか二回りとかそういうレベルではなく、まるで山がそこにあるかのような威圧感。
「そして何より――!!」
 その山が噴火したかのような一喝。空気がびりびりと震え、賑やかだった冥界が一気に静まりかえった。
「何より許せぬのはこの儂に暗示を掛けあのような格好をさせたこと! 八雲紫、今日という今日こそは許さぬ! その曲がりきった性根を叩き直してやるから覚悟せい!」
 妖忌は刀を抜き放つ。殺気こそ抑えているものの、並の妖怪なら卒倒するほどの気迫である。
 現に紫はスキマに逃げ込もうとして、
「痛っ!?」
 すべって落ちた。
「時に八雲紫」
「な、なななななにかしら?」
「幽々子様に頼まれた用事は終わらせておろうな?」
「もも、もちろんよ」
「結構」
 言って、妖忌は刀を振り上げた。

 ――ならば……。

 声は慌てて立ち上がった紫のすぐ後ろから聞こえてきた。
 紫の目の前で、妖忌の姿が崩れて人魂に戻っていく。
「そのままマヨヒガまで飛んで行けい!!」
 剛剣一閃(ただし峰打ち)。
 悲鳴を上げる間もなく紫は星になって消えた。

「……ふぅ。儂の腕も鈍ってはおらんようだな」
 紫を1,000メートル級ホームランで家に送り返した妖忌は満足そうに頷いた。久しぶりのことで上手くいくかどうか不安もあったがどうやら杞憂に終わったようだ。
 これなら数分もしないうちに紫はマヨヒガの屋敷に落ち……到着するはず。
 あとは藍が気づいて受け止めてくれることを祈るとしよう。
「さて、後はこの者達をどうするか……」
 妖忌は縁側に寝かせておいた三人に目を移した。
 面識がないとはいえ、彼女たちも自分同様、紫の悪戯に巻き込まれた――いわば被害者だ。このまま捨て置くのも後味が悪い。
「仕方がない……」
 妖忌は手にした刀をゆっくりと持ち上げて――。







 ◇







 で、この後どうなったかというと。



 霊夢は風邪を引いた。

 春にあんなスカスカの格好で腹出して寝ていれば当然だと、レミリアに笑われた。
 その態度があまりにムカついたので至近距離からくしゃみをしてやったら、レミリアは顔を唾と鼻水まみれにして泣きながら帰っていった。

 次の日、レミリアは神社に来なかった。
 代わりにやって来た咲夜曰わく「また風邪を伝染されてはたまらな、な……ぶぇっくし!」だそうだ。
 身振り手振りに声真似までつけて、まさに迫真の演技だった。
 ムカついたのでお下げを掴んでレミリアと同じ目に遭わせてやった。
 派手に倒れて痙攣する咲夜の姿は大いに愉快だったが、その日を境に、神社には誰も来なくなった。

 ――『吸血鬼を倒した謎の病原菌、博麗ウィルスの恐怖!』

 こんな見出しで新聞を撒き散らした馬鹿天狗のせいである。
 いつもなら誰も信じないこの新聞。しかし、今回は紙面に『紅魔館全面協力』とあり、熱にうなされるレミリアと咲夜、彼女らを甲斐甲斐しく看病するフランドールやパチュリー、美鈴らの写真入り。
 抜群の信頼性を誇る新聞の売り上げは、鰻登りどころか龍が天に昇るくらいの勢いだったとか。

 そして、こんな噂(真実)が広まった今、ただでさえ参拝客の少ない博麗神社に訪れる物好きは居なかった。
 苦労して人里へ降りてみれば『博麗注意報』なるものが存在していて、入り口に近づいただけで人気が失せ、民家のドアは閉まり、店には『本日休業』の札が掛けられる。
 結局、風邪が治るその日まで、霊夢は一人部屋の片隅で膝を抱えるのだった。





 魔理沙は回復までに一日はかかりそうだった。

 寝ているだけの生活というのは退屈なもので、それを紛らわすために魔理沙はアリスを呼ぶことにした。
 『暇。早く来い』。
 即席の使い魔に手紙を持たせて窓から飛び立たせる。
 アリスと言えば先日の異変で人形ごと吹き飛ばした気もするが、なに、彼女は妖怪だ。きっと五体満足で駆けつけてくれることだろう。
 何の根拠もなしに決めつけて待つこと数十分。ドアが壊れそうな勢いで開かれる音が聞こえた。
 意外と早かったな。足音荒く入ってきたアリスに手を挙げて挨拶をしてやる。
 ところがアリスは挨拶を返すでもなくいきなりこけた。昔作った陰陽玉レプリカでも踏んづけたのかもしれない。
 ごろごろと床の上を転がるアリス。見ていて心配になってきたのでベッドから降りて手を貸してやると、人の顔を見た途端盛大に噴いた。腹が立ったのでとりあえず殴った。
 何かおかしいところでもあるのか?
 鏡を覗き込んでみると他人に自分の顔を分け与えるという奇特なヒーローが映っていた。いや私か。
 アリスはまだ苦しんでいた。どうやら笑っているらしい。
 ははは、こいつめ。あれだけやられたのにまだ力の差が分かってないと見える。
 魔理沙は無言でアリスをしばき倒すと、ロープでぐるぐる巻きにした上で箒に吊して飛び立った。
 行く先はアリス・マーガトロイド邸。
 着いて早々マスタースパークで半壊させ、泣き叫ぶアリスの目の前で人形を一つ一つ火の中に放り込んでやった。

 それからしばらく魔理沙は人前から姿を消した。
 その間、香霖堂に『本日休業』の札が掛かり続けていたが、両者の関係は定かではない。





 咲夜は紅魔館の外で目を覚ました。

 それも何故か美鈴に押し倒された格好で、スカートを履いておらず、そのスカートは美鈴の手に握られている。加えてこれまた何故か、美鈴の上着がはだけていた。
 ――まずい、と咲夜は思った。これでは私と美鈴がその……色々している最中だったみたいじゃないか。
 急いで起き上がり、服装を整えてから美鈴を起こす。
 経緯を尋ねると美鈴は何があったのか覚えていないと言った。もちろん自分も覚えていない。咲夜はほっと胸をなで下ろす。それなら問題は特にないように思われた。

 しかし世の中そう甘くはない。二人の姿はばっちりとメイドたちによって目撃されていたのだった。
 この娯楽のない紅魔館において、噂などあっという間に広まる。
 咲夜と美鈴の二人があんな格好で折り重なって何をやっていたのか。推測憶測妄想入り乱れた様々な噂が飛び交った。
 それらはやがてレミリアやパチュリーの耳にも入ることになり、「二人はそういう関係だったのだろう」、という結論が出された。迷惑そうな咲夜に対してまんざらでも無さそうな美鈴が決め手となったらしい。
 咲夜の元には「ずっと前から好きでした」「門番がいなくなれば私だけを見てくれますか?」と妄言を吐くメイドたちが押し寄せ、美鈴には「ずっと前から好きでした」「メイド長がいなくなれば私だけを見てくれますか?」と同じような妄言を吐く門番隊メイドが押し寄せた。
 所詮メイドはメイド。どこに配属されようが同じである。

 だがその翌日、霊夢から謎の病原菌――通称『博麗ウィルス』を伝染された咲夜が半死半生で帰還。熱にうなされ、苦しむ彼女を甲斐甲斐しく看病する美鈴を見て、二人の仲に口を出すメイドはいなくなった。
 こうして皆に認められた二人は、いずれ結ばれる……予定。







 ◇







「あらあら日も高い内から大胆ねぇ……うふふ、うふふふふ」
「はいはい。分かりましたから、暇だからって他人の情事を覗いてニヤニヤするのは止めて下さい。どうせ羨ましいだけでしょう? それから動かないで下さい。薬が塗りにくい」
「だって私より幸せな奴なんて存在しちゃいけないわ――痛い! ちょっと藍、そこはデリケートな所なんだからもっと優しくしなさいよ!」
「だから動かないでと言っているでしょう。それからデリケートって何ですか。妖忌殿の抜き打ちを受けて腫れただけなんてもう生き物の体じゃありませんよ…………はい、終わりました」
「ん、ありがと」
 あれから二日経って。妖忌の願い空しく自分の屋敷に墜落した紫は、藍に全治一週間と診断された。その程度で済むあたり、デリケートという言葉とは無縁だと分かる。
 紫の場合、動けなくても別に困ることはないので、寝ている以外は自分の部屋に引き籠もって藍に薬を塗ってもらったり人の家を覗いたりして、結構楽しんでいるようであった。

 「ああ、そういえば」と部屋を出ていこうとした藍が振り返る。
「紫様、一つ気になっていたのですが」
「何?」
「例の……三人の人間ですが。彼女たちはどうして何もしないのでしょうか?」
 三人の人間とはもちろん、霊夢、魔理沙、咲夜のことである。
 見たところ、全員がやられたら倍にして返しそうな雰囲気を持っている。そのくせ誰も報復に行かないのが藍には不思議でならなかった。
「どうせ斬ったんでしょ」
 が、紫は事も無げに答える。
「斬った?」
「そ。妖忌くらいになれば、形のないものも斬れるようになるわ。時間まで斬るくらいだから、記憶を斬れても不思議じゃないわね。ほら、今回は色々とあったから、忘れて貰いたいことが沢山あるんじゃないの?」
「なるほど」
 くすくす笑う紫と納得したように頷く藍。
「それで妖忌殿が訪ねてきた訳ですか」
「……は?」

 ――失礼する。





 半刻ほどして、妖忌はマヨヒガを去った。
 紫を含め、藍も橙も、ここ数日の事を何も覚えていなかったという……。

 初めは真面目な話を書いていたつもりのakiです。
 おかしいなぁ…どこで道を間違えたんだか。

 こんな話ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。
 それにしてもキャラを壊して書くのは楽しいけど難しい…。


 人生の勝利者 ・ 西行寺幽々子
 負け犬     ・ 魂魄妖忌

 妖忌は一人だけ忘れることが出来なかったので。
 でも幽々子の勝利も紙一重。
 もう少し早ければ、あの姿をした妖忌と出会っていたはず…その時冥界は地獄と化したことでしょう。
aki
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コメント



0.2390簡易評価
14.100名前が無い程度の能力削除
これは良い妖忌ですね
30.90名前が無い程度の能力削除
m9(^Д^)
39.80名も無き猫削除
> ――これを身に着けよと……!
何てものを書いてくれるのですか貴方はw
48.100名前が無い程度の能力削除
>いつか来たる日のために練習していた甲斐があったと
ちょwwwwwwwwww