Coolier - 新生・東方創想話

十六夜月の下で (後)

2007/02/10 06:23:31
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     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「覚悟しなさいバカ中国! 今日こそケチョンケチョンにしてあげるんだから!」

 次の日、朝の訓練を開始しようとする二人の前にチルノが叫びながら空から現れた。
「またきたの? いい加減もう止めたらどうなの?」
「嫌よ、あの時はちょっと調子が悪くて全力が出せなかったのよ。あんたは運が良かったのさ!」
「なんだか三流の悪役が負けるパターンに良く使う台詞だし、それにそれは前も言ってたわよ?」
「う、五月蝿いわね! とにかくそんな事はどうでもいいし、今日のあたいはさいきょーなんだからね!」
 言い終わると元々低いチルノの周辺の空気が更に温度が下がり遂には空気が凍り始め、やがてチルノの身長程ある氷柱を三本形成した。
「いっけー!」
 チルノが指差し、号令すると氷柱達は一斉に地上にいる美鈴に向けて加速する。
 美鈴は飛んでくる氷柱の軌道を見切り、左手の裏拳、右手の手刀、回し蹴りの順で繰り出し飛んできた三本の氷柱を砕く。
「咲夜、朝の訓練の前にやる事が出来ちゃったわ。危ないから離れてなさい」
「う、うん」
 咲夜は美鈴に従い離れた木の後ろに隠れた。安全な場所まで離れた事を確認した後、美鈴はチルノがいる高さまで浮上する。
「さて、早く終わらせましょ。私にはやらなくちゃいけない事があるのよ」
「あたいだってアンタを倒さなくちゃいけないのよ!」
 チルノの手に一枚のスペルカードが現れ、それを高々と掲げて宣言する。
「『凍符 パーフェクトフリーズ』!」
 札が突如光りだすとチルノの周辺に頭大の大きさの妖弾が大量出現し、辺り一面に無差別に飛び散りながら美鈴に襲い掛かった。
 弾の速度はそこそこ有るものの本人を狙わないで打ち出されている為美鈴に当たらない的外れなものばかりで美鈴は直撃しそうな弾を最低限の動きで回避していく。
 すると飛び交っていた妖弾は突然その表面が凍り付き空中で完全に停止した。止まった妖弾のタイミングを見計らって美鈴も止まった妖弾とほぼ同じタイミングで停止。
 弾も、美鈴も、チルノも動かない。この光景を見た者はまるで本当に世界が完全に凍りついたように錯覚する事だろう。
 そして凍り付いていた妖弾が凍りにひびの入る乾いた音を立てて凍り付く前の方向とはまったく別の方角へと弾道を変え、空中を暴れ始める。美鈴は先程と同じように自分に当たりそうな妖弾を回避する。
 避け終わった同時にチルノのスペルカードの効果が終わり暴れていた妖弾も跡形もなく消え去った。
 本来ならパーフェクトフリーズは高速弾ランダムで飛んできて急停止、更に弾道を変えて急発進する為、初めて見る者は度肝を抜くスペルカードだろう。だが美鈴は既にこのカードは飽きる程見てきた為そのカードの攻略法を全て知り尽くしていたのだ。
「いい加減そのワンパターンのスペルカード止めたらどうなの? それじゃ、これ以上相手してる暇は無いからさっさと終わらせるわよ」
 そう言い放ち、美鈴は自分のスペルカードを出現させながらチルノに接近、宣言しようとする。
 が、そこで美鈴は自分の足首から下が動かない事に気付く。眼を脚に向けるとそこには地面から巨大な石柱のような霜柱が美鈴の両足首をがっちりと飲み込んでいた。美鈴は慌てて霜柱から抜け出そうともがくも凍りは頑強でビクともしない。
「へへーん、引っかかったわね! パーフェクトフリーズが終わった時点で次のスペルを発現しておいたのさ。あたいの新しいスペルカード『霜符 フロストコラムス』よ!」
「抜かったわ……まさかチルノにそんな戦略を立てる頭があっただなんて」
「やっぱり、あたいったらさいきょーね! 勿論足を捕まえただけじゃ終わらないよ」
 すると地面から四本の霜柱が生えてきてチルノの周辺にそびえ立つ。
「積年の恨み……受けてみなさい!」
 四本の霜柱が一斉にひびが入り、砕けて破片が美鈴に向けて飛び散る。霜柱は只砕けた訳ではなく、破片の一つ一つは鋭利な刃物のように鋭く尖っていて、まともに食らえば深手は免れない。
 美鈴は足を固定する霜柱は破壊不能、迫り来る霜の弾幕は回避不能と判断。すぐさま気を体に纏い、腕を頭の前で交差させて防御の構えに入る。
 次の瞬間、霜の嵐が美鈴を襲った。

 霜の嵐が過ぎ去った後そこには、翠の服はボロボロに引き裂かれ、嵐に吹き飛ばされどこかへ消え去ってしまったのだろう、頭の帽子帽子は見当たらず、露出していた肌は切り傷に塗れ、防御の構えのままで動かない美鈴の姿があった。その顔は交差した腕で遮られ窺う事が出来ない。
 スペルの効果が消え、美鈴の足を捕まえていた霜柱が四散する。それと同時に美鈴の姿勢が崩れ、そのまま脱力した状態で地面に落下した。
「めーりん姉さん!」
 咲夜は地面に落下した美鈴を見て慌てて駆け寄り、意識を確かめるように美鈴の体を揺さぶる。
「めーりん姉さん! ねぇ姉さん、しっかりして」
「あ痛痛痛……いやー参ったねぇ、負けちゃったよ」
 咲夜の必死の呼び掛けに美鈴は軽い口調で返す。
 弾幕ごっこにおいてこれ位の傷は日常茶飯事であり、妖怪はこの程度では死なない。更に弾幕ごっこは相手を殺さない事がルールとして定められている。本来はそこまで心配になる必要は無いものだ。
 だが、初めて弾幕ごっこを見た咲夜にとってその光景は殺し合いにしか映らず、妖怪の頑丈さを知らない咲夜にとっては突然チルノに勝負を臨まれて美鈴が敗北、そして今にも死にそうな傷を負ってるとしか見えなかったのだ。

 そこにチルノが頭上から降りてきて勝利の美酒に酔いしれて叫ぶ。
「やった! 遂に中国を見返してやったわ。あたいって強過ぎね! でも勝ったは良いけどこれだけじゃ気が済まないわね……」
 チルノは腕を組み俯いて暫く考え込み、閃いた様に顔を上げる。
「そうだ! 中国を氷漬けにしてここの館の連中の見せしめにすればいいんだわ。そうすればこの湖が誰の物で誰がさいきょーなのか理解するわ! あたいったらさいきょーの上に天才ね! そんな訳だからあんたは氷漬けになってもらうよ」
「だってさ。ごめんね咲夜、ちょっと今日は訓練して上げられそうに無いわ。ほら、危ないから離れてなさい」
「……」
 チルノは気分良さそうに鼻歌を響かせながら近づいてくる。今のチルノの頭の中には氷の塊から頭を出した美鈴が涙を流している光景が浮かんでいるのだろう。
 そんな上機嫌のチルノの前に一つの人影が立ちはだかった。
 腰近くまである長い銀の髪に三つ編されたもみ上げ、間違いなく咲夜であった。
「咲夜……?」
「んん? 何よアンタ。邪魔だから退いてくれない?」
 だが俯いてるだけで咲夜からの反応は無く、その態度がチルノの癇に障る。
「何か言いなさいよアンタ。邪魔しようってんならアンタも中国とまとめて氷漬けにしてやるよ?」
「――ない……」
「え、何? 小さくて聞こえなかったからもう一度言ってくんない?」
 聞こえないといった動作をするチルノに咲夜は俯いていた顔をチルノに向ける。
 その顔は怒りに顔を歪め、チルノを睨みつける二つの眼はいつもの蒼い眼から血のように紅い眼へと変色していた。
「姉さんは殺させない!」
「止めなさい咲夜、怪我するわよ!?」
「はぁ? 何言ってんのアンタ。中国にはちょっと氷漬けになってもらうだけ――」
 チルノが離してる途中に十歩は在った筈の間合いから咲夜はいつの間にかチルノの眼前にまで接近していた。
 そして額を力任せに思いっきり拳を叩き込んみ、骨と骨がぶつかり合う鈍い音が辺りに響く。
 突然の咲夜からの攻撃にチルノは何が起きたのか分からずに只額を押さえてよろめく。
 美鈴も咲夜がどうやってチルノに接近したのか理解する事が出来ずに呆然としている。
「っ痛ったー。何よ、いきなり殴ってくるなんて、ヤろうってぇの!?」
 殴られた衝撃で涙目になりながら館の方に立っている咲夜に眼を向けた向いた、はずだった。
 だがそこには咲夜の姿は見当たらない。
 疑問に思っている間に更に後頭部から衝撃が走る。咲夜チルノに気付かれぬ間に背後の湖側に回り込んでいて後頭部に更に拳をぶつけたのだ。
「あーもう痛いっての! 怒った! アンタも中国と仲良く氷漬けにしてやるわ!」
 そう怒鳴るチルノは右手の掌に氷塊を作り出し背後に振り向く。そして今度こそ咲夜を肉眼で捉え全力で氷塊を投げつける。
(当たる!)
 チルノも美鈴もそう確信した。しかしそこでまた奇妙な事が起きた。
 チルノの眼には「湖」が映っていたのにいつの間にか「館」と迫り来る氷塊が映っていた。
 つまりチルノは何故かさっきまで咲夜が立っていた位置に立たされているのだ。
「へ?」
 状況を判断する間もなくチルノは自分の投げた氷塊が頭に直撃する。
「むぎゃ!?」
 チルノはその場に倒れ、その痛さに悶絶する。
 次の瞬間、目の前には咲夜が立っていてその手には何故か美鈴が使っているクナイが握り締められている。
 そのクナイを痛みが引いてようやく顔を上げたチルノに馬乗りになって喉笛に突きつけた。
「ひっ!? まっ、参った! 降参、降参よ。あたいの負けよ。頭痛くて弾幕ごっこなんてやってられないわ。だからそれを早く退かしてよ」
 チルノは涙目で降参して抵抗しない事をアピールするが咲夜は聞く耳持たずといった様子でクナイを突きつけ続ける。
「……死ね」
「止めなさい! 咲夜!」
「――っ! 姉……さん……?」
 今まさにチルノの喉をクナイで貫こうと手に力を入れたその時背後から美鈴の叫び声にピクリと反応して咲夜は美鈴の方を静かに振り向く。
 そこには傷付きながらも二本の足でしっかり立っている美鈴の姿があった。
 美鈴の姿を見た咲夜の顔から怒りの表情は消え、眼も紅い眼から元の蒼い眼に戻っていき、手の力が抜けてクナイが地面に零れ落ちる。
 それを見たチルノは急いで咲夜から離れるように空に飛び立つ。
「な、なんだか分からないけど、今日はこれ位にしてあげるわ! 覚えてろー!」
 いつもの三流な捨て台詞を吐いてチルノは湖の彼方へ消えていった。

 チルノが去っていった事を確認してから美鈴は動けば駆け巡る全身の痛みを堪えながら足を引きずる様に咲夜に近づき、へたれこむ咲夜の前に立ち、見下ろす。咲夜は美鈴が無事である事に安堵の笑みを浮かべるが、見下ろす美鈴の顔はいつも緩んだ顔とは違い目を吊り上げ真剣な顔つきをしていた。
 いつもと違う顔である事に咲夜は気付き、浮かべていた安堵の笑みも消えて疑問の顔に変わる。
「めーりん姉さん?」
「馬鹿! 何であんな事をしたの! 危ない所だったのよ? 分かってるの? 咲夜!」
 今まで聞いた事無い程の怒鳴り声が空気を震わせ咲夜を威圧する。
 何故怒られているのか分からないという様子で咲夜は疑問と脅えた表情へと顔を歪める。
「っだ、だって、姉さんが傷だらけで、し、死んじゃいそうだったから……守らないとって、あいつから守らないとって……」
 疑問を抱きながらもおずおずとしながら咲夜は答えた。
 そこで美鈴は何故咲夜がチルノに向かっていったのかを理解する。そして怒った表情を崩し、それこそ参ったといった表情で頭を掻いてから咲夜の眼の位置までしゃがみ込む。
「あのね咲夜。あれは弾幕ごっこと言ってね、妖怪や人間がやる、言わば試合みたいなものよ。相手は本気を出さないし殺そうともしないわ」
「でもその体」
「あぁこれね。チルノちゃんはちょっと加減を知らないだけで私を殺そうなんて考えてないわ。それに、この位の傷じゃぁ私達妖怪は死んだりしないわ。今日中には治るわよ」
「じゃぁ、姉さんは死なないんだ――良かった……」
 美鈴が死なない事に今度こそ咲夜は安堵の顔をため息を零す。
 そんな咲夜を見ながら美鈴は微笑み、手を伸ばして咲夜の頭を軽く撫でてあげるのだった。


 結局、美鈴の負傷によって今日の訓練は延期される事になった。医務室で傷の手当てを受けて美鈴は自室で一日安静するように言い渡されたのだ。
 部屋に戻ってベッドで横になっている美鈴の横で咲夜は静かに椅子に座っている。
「そんなに困ったような顔をしないで。咲夜は何にも悪くないんだよ」
「……」
「またそんなしょんぼりしちゃ駄目よ。そうだ、明日はパン焼いてあげる。美味しい物食べれば元気が出るわよぉ」
「……」
「……咲夜?」
「え? あ、う、うん。楽しみにしてる……」
 部屋に戻ってから咲夜の様子がおかしい。声をかけても何か考え込むように俯き、反応しない時が有り、部屋の中でもソワソワして落ち着かない時がある。誰が見ても明らかに挙動不審になっていた。
「ところで咲夜、今朝から気になってた事何だけね。あの時どうやってチルノちゃんに一気に近づいたり動かしたり、私のケースからクナイを持ち出したりしてたの?」
「――っ! 余所見してたから見えなかったんだと思う」
 どうやら咲夜が挙動不審だった理由はそこに関係しているらしい。質問された瞬間、咲夜の手を力の限り握り締めメイド服にしわを作る。
「それはないわ。だって私は一時だって眼を離さなかったもの。もしかして咲夜は何か能力を持ってたりするの?」
「……」
「よかったらどんな能力なのか話してくれないかな。嫌なら話してくれなくても良いけどね」
 換気の為に開いていた窓から風が吹き込み、咲夜の髪を軽く泳がせる。
「……知っても私の事、嫌いにならない?」
「なるわけ無いじゃない。私を信じなさい」
 鳥のさえずりが窓の外から微かに聞こえてくる。
「――止められるの」
「うん?」
「私が止まれと思うと皆を止める事が出来るの。人も鳥も雲も、みんなみんな止まるの」
 咲夜は椅子から立ち上がり手を差し出す。すると次の瞬間、壁に掛けてあった筈の美鈴の帽子が手の上に置いてあった。
 その様子を見て美鈴は考える。
 咲夜の止める事が出来るという発言、ケースから気付かれずにクナイを持ち出した事、そして今目の前で瞬きする間もなく帽子を移動させた事、それらの出来事から一つの結論に達する。
「なるほどねぇ、時を止める事が出来るんだ。咲夜は面白い能力を持ってるのねぇ」
「……驚かないの? 私、こんな変な事が出来るのに……?」
「驚くって言うよりも色々と納得したって所かな。それに、それで私を守ろうとしてくれたんでしょ? それなら逆に感謝したい位よ」
「でも、むぐ!?」
「その『でも』は禁止よ」
 美鈴は咲夜の口元に人差し指を立てて発言を制す。咲夜が口を閉ざした事を確認してから美鈴は口を開く。
「それに、それ位じゃここの皆はビックリしないわ、この紅魔館にはもっと凄い人達がいるんだから。パチュリー様は七つの属性魔法を使うし、お嬢様の妹のフランドール様はあらゆる物破壊するし、お嬢様なんてなんと運命を操っちゃうのよ」
 挙げられる能力の数々に咲夜は唖然とした様子で口を開けている。
「どう、凄いでしょ? それらに比べたら咲夜の能力なんて可愛いものよ。変だって言わせたいなら時間をさかのぼったり時間を越えて未来にいけるとか位出来なきゃ駄目ねぇ」
「私の能力が……可愛い?」
「そうよ、可愛い能力よ。それでその能力もいつか持ってて良かったって思える日が来るわ。だから自分が変だなんて言わないの。咲夜は、普通よ」
「そう、なの? 私、は、ふ、普通な、の? ――ふ、うああぁぁぁぁ……」
 その様に返答をされるとは思っていなかったのだろう、咲夜は驚きと安心と喜び、長く溜め込まれていた様々な感情が爆発してそれは涙となって止め処も無く流しながら美鈴にしがみ付いた。美鈴も声を出して泣きじゃくる咲夜を両手で優しく包み、頭を軽く撫でる。
「辛かったのね、悲しかったのね。でももうそんな事隠さなくて良いの。私が咲夜が独り立ち出来るようになるまで守ってあげるからね」
 優しく語り掛ける様子はまさに親子か姉妹のようだった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「うーん、咲夜も大分上手くなったねぇ。もう私より上なんじゃない?」

 無数のクナイが突き刺さっている的を見ながら美鈴は呟く。
 的の正面には手元でクナイを回して弄んでいる咲夜の姿。つまり咲夜が的をクナイ塗れにしたのだ。
 咲夜の容姿は美鈴の肩ほどまで成長し、顔付きもあどけなさよりも凛々しさが目立つようになってきた。
「これを始めて一体何年目だと思ってるの姉さん? 毎日の様にやってたらこれ位出来るようになるわよ。あの時とは違うんだから」
 咲夜の腕から自然な動きでクナイが放たれる。手に持っていたクナイは一本だったはずが放たれたクナイは四本になっていてそれらは見事に離れた的に命中した。
「それもそうね。咲夜には才能が有るんだろうねぇ、後はスペルカードが使えたら弾幕ごっこでも申し分無いんだけど」
「それは言わないでよ、結構気にしてるんだから」
「スペルカードが使えないって事は能力が扱いきれてない証拠よ。でも大分慣れてきたようだから近い内に使える様になるでしょ。さて、投擲練習はお仕舞い。次の訓練に行くわよ」
「分かったわ」
 次の瞬間、ハリネズミの様になっていた的は片付けられて跡形も無く消えていた。

 二人は体術の特訓に入る。
 今では基本の型などの基礎的訓練を終え、模擬訓練に移行していた。今回は時を止めずに素手で一撃でもいいから美鈴に打撃を与えれば咲夜の勝ちと言うものだ。
 美鈴は構えらしい構えをせず自然体で立ち、咲夜も構えずに腕を組んで立っている
「咲夜は構えなさいよ、しっかりした構えでないと私から一本取ろうなんて無理よ」
「ハンデ付けてる相手に全力出す必要ないもの、これで十分よ」
「強情っぱりねぇ……それじゃぁ、いつでもかかってきていいわよ」
「その余裕もすぐに無くしてあげるわ」
 咲夜は姿勢を低くし一気に地面を蹴って美鈴に肉薄し、右腕から素早いストレートを顔に向けて放つ。
 美鈴は迫る拳を最低限の動きで回避する、右腕の回避を事前に予測して美鈴が回避した瞬間左腕で美鈴の死角からえぐり込む様にボディーブローで攻める。だがそれも右腕で難なく受け流され左足からの足払いで咲夜の足を掬い、転倒させる。
 転倒するも体をバネにしてその反動で立ち上がりながら蹴りを繰り出す、だが美鈴はそれを避ける為頭上を飛び越え背後に着地、繰り出された蹴りは空振るだけに終わる。
 振り返りながら頭を狙った回し蹴りを行う、左脚を軸足とし腰を捻り遠心力も加えた右脚が空を切り肉と肉がぶつかり合う鈍い衝撃が右脚に駆け巡る。
 完全に捉えた、そう思うもその予想は外れていた。
 繰り出された右脚は美鈴の両手によって完全に威力を相殺され静止していた。
 再び美鈴に足払いを受けて転倒、起き上がる動作をする間もなく喉笛に手刀が突きつけられる。
「――参った」
 完全に詰められたと悟った咲夜は自ら降参を宣言する。
「投げる方はぴか一でもこっちの方はまだまだね、咲夜」
「……弾幕ごっこが主体だから姉さんみたいに出来なくてもいいのよ」
 からからと笑う美鈴に咲夜は悪態をつく。
「まぁそうなんだけどね。でも人間でここまでやれるなら大したものよ。これならそこいらの雑魚程度なら軽くあしらえる筈よ」
「未熟と言いたいのやら上出来と言いたいのやら」
「どっちもよ。さぁ、午前の部はこれでお仕舞いよ、休憩にしましょ」
 美鈴は手を差し伸べて起こすのを手伝い、咲夜はメイド服を一払いしてから紅魔館へと戻っていった。


 午後の部に入り、二人はメイドの訓練を始める。

 紅魔館のとある廊下、ここで美鈴は咲夜の掃除ぶりを確かめる。
「終わったわよ」
「どれどれ」
 床の紅い絨毯には埃一つ付いておらず本来の紅さを醸し出している。壁沿いに小さなテーブルが立っているその上に花瓶が置いてある。テーブルは光が反射するくらいに磨きこまれ、花瓶も輝いているようだ。窓も曇り一つ無い程磨かれている。
 美鈴が窓の縁を人差し指で軽くなぞってみるが埃一つ付いていなかった。
「うーん、上出来。合格ラインよ」
「それは良かったは、でも姉さん。最後のはなんだか嫁を苛める意地悪姑がやりそうな動作だったわよ」
「いいのよ。あれが一番手っ取り早く確認できるんだから」

 厨房で五人のメイドが料理を食べていた。一人に付き皿が二つ置いてあり、二つの料理を食べ比べているようだ。
 一つは内勤メイドの中で料理の腕にそれなりの自信があるメイドのものでもう一つは咲夜が作ったものだ。
「皆、どっちの方が美味しかった?」
「こっち」「これかなー」「こっちの方が渡し好み」「これ~」「どっちも美味しいけど強いて言うならこっちかも」
 それぞれ自分が気に入った方の皿を指差す。結果は四対一、咲夜の作った皿に四人の票が集まった。
「ま、負けた……」
「やったじゃなぁい! 遂にあの子に勝ったわよ」
「何で姉さんがそんなに喜ぶのよ」
 勝負に負けたメイドはがっくりと膝を付き、美鈴は勝った咲夜の両手を握りに縦に振って喜びを表し、咲夜はそんな美鈴に呆れた感じなりながらも笑顔を作る。
「その調子でいけばお嬢様も満足する料理が作れるわよ」
「私に出来るかしら?」
「出来るわよ。だって私が教えてるんだからね、美味しくならない訳が無い」
「それってなんだか自信過剰な気がするわよ」

 料理の食べ比べも終わり、手伝いをしてくれたメイド達は持ち場に戻っていき、厨房には咲夜と美鈴だけになる。料理対決が終わった後は紅茶を入れる訓練が有る為に二人は残ったのだ。
「出来たわ」
 カチャリと小さい音を立ててテーブルに紅茶の入ったティーカップが置かれる。美鈴はカップを手に取りまずは香りを鼻で確認し、ゆっくりと音を立てずに飲み、静かにカップを戻した。
「うん、香りも味の濃さも絶妙よ。これなら紅茶に五月蝿いお嬢様もきっと気に入ってくれるわ」
 美鈴の審査の結果に咲夜は安堵のため息をつく。
「咲夜、貴方も飲みましょ。良い淹れ方の紅茶の味を自分の舌で確かめる事も大切よ」
「えぇ分かったわ、準備するからまってて」
 咲夜は棚からもう一つのティーセットを取り出し手際良く二つのカップに紅茶を注ぐ。そして注がれた紅茶を美鈴は再び香りを確認してから紅茶を一口。
「さっき淹れたのと全く同じね。紅茶の淹れ方はマスターしたも同然、これなら免許皆伝よ。咲夜には紅茶の才能もあるのねぇ、羨ましいわ」
「姉さんに教わった淹れ方どおりにやっただけよ。上手いのは姉さんの方」
「私は基本を教えただけ、その後上手くなったのは咲夜の才能よ。それにしても……あの濃くて甘い紅茶を淹れた同一人物とは思えないわねぇ」
 美鈴はカップを持ちながらニヤつきながら咲夜を流し目で見やる。
「……もしかして根に持ってる?」
「いいえー、私はそんな事ぜんっぜん恨んでなんか無いわよぉ」
 ジト眼で返す咲夜に美鈴は笑いながらそっぽを向く。
「その言い方は引っかかるわね」
「フフ、冗談よ。そのからかいたくなるのは変わらないわねぇ」
「酷いわね、でもその立場も今の内よ。いつかは私が姉さんをからかって笑ってあげるんだから」
「そんな日が来るとは思えないけどねぇ。期待せずに待ってるわ」
 二人の笑い声が厨房に響く。紅茶の試飲はいつの間に二人が過ごした昔話を語らい合うお茶会へと変化していた。

 二人だけの小さなお茶会も終わり、二人は部屋に戻るために廊下を歩く。数少ない窓から窺える外は丁度日が暮れる直後で、空は蒼と橙のグラデーションで彩られている。
「あ、厨房にちょっと忘れ物してきたわ。姉さん先に戻ってて」
「分かった、それじゃぁ先に帰ってるわよ」
 忘れ物を取りにいく為咲夜は厨房へと戻っていく。

 美鈴が一人戻ろうと曲がり角を曲がった所で自分の部屋の前に一人の少女の姿がある事に気付く。
 レミリアが美鈴の部屋の前に立っていたのだ。
「お嬢様?」
「ごきげんよう美鈴。今日は咲夜の調子を聞こうと思ってね。どうかしら? あの娘」
 美鈴はレミリアの意図に気付き、真剣な表情になる。
「はい。弾幕はスペルカードこそは使えないですけど十分なレベルにまで達しています。体術も他の雑魚妖怪に負ける事は無いでしょう。メイドとしての技能も他のメイド達の水準より上です」
「そう、ならそろそろね――美鈴、今日中に咲夜に教育係としての最終試験をしなさい」
「――今日中にですか?」
「ええそうよ。聞くからには咲夜は弾幕に関して以外ならもう十分に育ってるわ、貴方の眼から見てもそうでしょ?」
「はい、咲夜は体術と弾幕以外なら既に私の上を行っています――私が教える事はもう殆どありません」
「そう、分かってるのね。それじゃ、宜しく頼むわよ美鈴」
 レミリアは告げる事を告げて去っていった。

「遂にこの日が来たのねぇ……」
 咲夜の教育係になってから数年、その成長ぶりは眼を見張るものがあった。美鈴が教えた知識をどんどん吸収し、教えられた事は体で覚えて忘れる事が無かった。
 それだけ聞くとあたかも咲夜は天才肌の様に聞こえるが、実際はそうでは無い。
 咲夜は一度失敗した事に対して何故失敗したのか徹底的に考え、何度も試行錯誤していずれは克服していくのだ。進んで取り込もうとする積極性と負けず嫌いの性格が相まっていたからこそ短期間でここまで成長する事が出来た。そして今や教えられる事は殆ど無いと数日前から美鈴は薄々感じていて、レミリアの発言でそれは確信へと変わった。
 思いに耽っていると背後に気配を感じて振り向く。
 美鈴の眼に入ってきたのは咲夜の姿だった。その顔は覚悟を決めたような眼をしている。
「咲夜……聞いてたの」
「お嬢様が挨拶してた辺りからね。そろそろだろうとは思ってたけど、今日が遂に最終試験なのね?」
「そうよ。咲夜が私無しでも大丈夫か確かめる為の最終試験を今日やるわ。弾幕、体術、掃除、料理、紅茶……これまで教えた事がちゃんと出来るか見るわ」
「今すぐ? そうでないと今日中には間に合いそうに無いわ」
「いや、それは必要ないね。咲夜の腕はもう今日の内に全部見せてもらったからね。一つ以外は全部合格よ」
「なんだか拍子抜けする最終試験ね。知らぬ間に殆ど終わってるじゃない……それで、その一つが駄目だったから追試をこれからやるって所?」
「そのとおり、追試を受けてもらうわ。私と弾幕ごっこをして打ち負かしなさい、それが追試の内容よ」
「つまり弾幕が不合格だったのね」
「まぁそういう事よ。時間は今日の午前0時、外の庭で待ってるわ」
 指定時刻を聞いて咲夜は疑問の顔をする。
「随分時間をとるのね、0時からなんて言わずに今からやればいいじゃない」
「え、いやぁ……ほらあれよ、今まで使ってたクナイは私が使うから咲夜の分は無いの、だから咲夜が投げる武器の準備の為よ。後、咲夜に気持ちを落ち着かせる時間をあげる為よ」
 咲夜の疑問に美鈴は慌てて取って付けたような理由を話す。
「……ふぅん――それならいいわ、私は倉庫で武器を探してくる。部屋には戻らないで直接庭に向かうからそのつもりでね」
 そう言って咲夜は早々とその場を去っていき、廊下は美鈴一人になり暫く立ち尽くす。近くを誰も歩いていないのだろう、雑音は聞こえず只高鳴る鼓動の音だけが聞こえる。
 弾幕の試験内容はレミリアが美鈴を教育係に任命した時から決まっていた。レミリアの側に仕えるメイド長たる者、主人の次に弾幕が強い者でなくてはならない。そして美鈴の弾幕は主人であるレミリア、フランドール、パチュリーの三人を除けば紅魔館の中で一番強い。パチュリーはレミリアの友人で客人な為戦わせるわけにはいかない、よって事実上紅魔館の従者で現在一番強いのは美鈴という事になる為、試験の相手として抜擢されたのだ。
 美鈴は暫く自分の鼓動を聞いてからふと思い出したかのように長い事目の前で立ち止まっていた扉を開けて自室に戻った。

 部屋に入ってからすぐにベッドへ引き寄せられる様に近づき仰向けでその上に倒れ込み、何をする訳でもなく、ただ呆然と天井を眺めている。
「咲夜の眼、あれは完全に覚悟してたなぁ」
 廊下での咲夜の顔を思い出しながら呟く。
 何気なく体を捻り横を見るとそこには鏡が立て掛けてあり、その鏡には寂しそうな眼をした美鈴そのものが映り込んでいた。
「私……ずっとこんな顔してたんだ」
 情けない顔をしていた事に気付き、その顔を見たくなく体を逆方向に捻る。
「咲夜は覚悟を決めてたのに私はあんな顔して見てたなんてね……情けないお姉さんねぇ」
 更に体を捻ってうつ伏せになって枕に顔をうずめる。
「ダメよ。私がしっかりしないとあの娘がちゃんと独り立ち出来ないじゃないの、ここでしっかりしなさい美鈴……!」
 自分で自分に言い聞かすようには呟く。そして飛び跳ねるように勢い良くベッドから降りた。
「よし! 別に永遠の別れじゃ無いんだもの、そんなにくよくよする事無いのよ。あの娘が安心するように笑顔で見送らなくちゃね!」
 その顔には先程までの悲しそうな顔は無く、引き締まった強気の顔があった。
 覚悟を決めて思考がハッキリした美鈴はそこである事を思い出す。
「そうだ、アレをやっておかないとね」
 クローゼットから「ある物」を取り出して、その「ある物」に何かの作業を始める。
「時間になる前にこれだけは終わらせておかないと」
 黙々と手を動かす美鈴の部屋の窓には十六夜月が覗き込むかの様に浮かんでいた。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「十六夜月か……綺麗ねぇ」

 紅魔館の門を抜けた先で美鈴は一人、月を見上げながら佇む。後三~四分もすれば午前0時になるだろう、空高くにある月がそれを標している。
「あの娘に会ったのもこんな天気だったっけ……覚えてる? 咲夜」
「そうなの、私がここに来たときもこんな天気だったのね。でも私は覚えてないわ、天気なんて気にしてる暇も無かったもの」
 誰かに問いかける様に語る美鈴にその背後にはいつの間に居たのだろう咲夜がそっけなく返事をする。
「それじゃぁここに来てから何年目になるか覚えてる?」
「覚えてないわ。覚える必要が無いもの。私がここにこれた事に年月なんてどうでもいい事だもの」
「そう、それもそうね――準備は出来た?」
 そこで美鈴は咲夜の方に拭き向く。咲夜は腕を組んで仁王立ちになって立っていた。
「その台詞は私が言いたい位よ。あんな顔されてちゃ出せる実力も出せやしないわ」
「あれは相手を惑わして油断させる為の演技よ。咲夜がそう見えたならもう私の策にハマっていた様なものよ」
「分かりやすい嘘ね。姉さんは感情とかすぐ顔に出て嘘もつけないくせに」
「そう思うならそう思っていいわ……この試験には遠慮は無しだからね。私はスペルカードも使うわ、咲夜も私を侵入者だと思って全力で来なさい」
「言われなくても最初ッからそのつもりよ、例えスペルカードが使えなくても私は貴方に勝ってみせるわ」
 組んでいた両腕を解いて両手に三本ずつナイフを構える。その切先は月の光で鈍く輝く。
「では始めましょ」

 先制を取ったのは咲夜だった。右手に構えていた三本のナイフを素早く放つ。放たれたナイフは誘導されてるかのような的確さで美鈴に迫る。
 美鈴はそれを難なく避けて反撃に虹色の気弾を放つ。左右へと弧を描き挟み込むように迫り来る、咲夜は後方へ下がり左右から迫る弾を回避する。
 だがそこで罠にハメられたと咲夜は気付く。左右の弾を避けて立った地点に上空から追撃の気弾が放たれていたのだ。上空の弾は先ほどのものより速く、地上にいる咲夜へと降り注ぐ。
 轟音と共に土煙を上げ着弾する。やがて薄くなる土煙を美鈴は見やるがそこには咲夜の姿は無かった。
「いない?」
 その直後左方から迫る来る気配を感じ、美鈴は咄嗟に体を反らす。体を反らした場所を銀の閃光が駆け抜けていった。飛んできた先を見ると無傷の咲夜がそこに居た。
「なるほどね、回避できないと判断して時間を止めて回避、更に相手の死角に回り込んで反撃までするなんて、良い判断力よ」
「それはどうも。でもこれだけじゃなくてよ」
 次の瞬間、咲夜は美鈴の前から姿が消え背後に回り込みナイフを放つ。だが美鈴は背後から迫るナイフを振り向き様に叩き落す。
 美鈴はそのまま気弾を放とうとする。が、そこで背後から複数の気配を感じる。
 背後から美鈴を覆うように大量のナイフが迫ってきていたのだ。美鈴はすぐさま脚に気を溜めてその脚で回し蹴りを放ちナイフを迎撃するが幾つかのナイフは防ぎ切れず服を掠りって飛んでいった。
「今のは……」
「ミスディレクション。目の前で囮を見せて本命を惑わす手品の基本よ」
「驚いた、いつの間にそんな事出来るようになったの?」
「パチュリー様の所の本でね、姉さんが見てない所でも私は成長してるのよ」
 咲夜は不敵に笑って次のナイフを構える。
「そうみたいね。じゃぁ私もこれを使わなくちゃいけないようね」
 今まで何も無かった手に一枚の札が姿を現し、美鈴はそれを前に突き出す。
「遠慮無しじゃなかったの? 私をワザと勝たせるつもりだったのかしら」
「スペル無しでも勝てると思ったけどそれは私の間違いだったと分かっただけよ。『幻符 華想夢葛』!」
 宣言と同時に札が輝き、周囲に蒼い気弾が発生する。そしてまるで入り組む葛の蔓の様に交差しながら咲夜に襲い掛かる。
 襲い掛かってきた弾の蔓を辛くも回避、だが避けた先で更に第二第三の蔓が予測していたかのように延びてきていた。
 間に合わないと判断した咲夜は時間を止め、美鈴との距離を取る。
「また時間を止めて回避したのね。でも避けてばっかりじゃ私を倒す事は出来ないわよ!」
 再び弾の蔓が獲物を捕らえようと咲夜に目掛けて伸びていく。咲夜はナイフを投げて迎撃を試みるがナイフは弾の威力に負けて弾かれるだけに終わる。ナイフが弾かれるのを見て回避に移ろうとするがその時既に遅く、四方八方を青の蔓が囲み襲い掛かった。
 一斉に襲い掛かる蔓を避けきれないと判断し、再び時間を止めて蔓の間をすり抜けて先程とは逆の方向に逃げ込む。
「……どうしたの? いつもより動きが鈍いわよ」
「何の事だか。きっと気のせいよ」
「いいえ、気のせいじゃないわ。今の咲夜はいつもより気の流れが乱れているもの。それに、さっきの状況になる前にもっと速く動けたはずよ」
 咲夜は僅かに渋い顔をする。
「それとも私の見間違いで本当に気のせいでその程度? なら仕方ないわね……」
 手に持っていた美鈴のスペルカードが光を失う、すると同時に弾の蔓が消え去った。
 何をするつもりかと咲夜が構えようとした瞬間、目の前に美鈴の顔があった。すぐさま攻撃しようとするが動き出す前に体に衝撃が走った。鳩尾に美鈴の拳が打ち込まれたのだ。
「か……はっ」
 短い声を上げて膝を付き、突き打ち込まれた場所を押さえて蹲る咲夜を美鈴は見下ろす。
「咲夜はここで死ぬ事になるね」
 なんとか息が出来るようになり苦しそうにしながらも咲夜は頭を起こし、美鈴の顔を見上げる。
「何、で? 弾、幕ごっこじゃ、なかった……」
「私は言ったはずよ、最終試験だって。ここでの最終試験は屋敷に居るに相応しいかを試すもの、あんたの腕がその程度じゃこの紅魔館に居る資格は無い、ここを追い出されて人里に行くことも出来ず、やがてあんたじゃ敵わない妖怪に出くわして食われるだけよ」
「――っ!」
「でも貴方は私の妹分、訳も分からない妖怪に殺されるのは心が痛むの。だから追い出される前に私が殺してあげるの、これがお姉さんとして出来る最後の孝行なの」
 美鈴は片膝を付き、咲夜の顎を左手で上げ、右手で手刀を作る。
「……本当なの?」
「えぇ、本当。だからさようなら――咲夜」
 手刀はまっすぐ打ち出され咲夜の喉元に迫る。その速度からして人間の咲夜なら軽々と貫かれて鮮血を噴出して絶命するだろう。
 だがその手刀が咲夜を貫く事は無かった。眼の前から咲夜の姿は跡形もなく消えていたのだ。
「何処に――」
 すると突如全身に重圧が圧し掛かる感覚が美鈴を襲う。重圧を感じる方に顔を上げるとそこには咲夜の姿があった。姿は同じだが放つ気配は明らかに違い、蒼い眼も紅い眼に変貌している。
「分かったわ貴方が私を殺すと言うなら、私も貴方を殺すしかないって事なのね? 美鈴」
「……そうよ、それでいいの。全力で来なさい、私もそれに全力で答えてあげる」
 豹変した咲夜に額から汗を垂らしながらも美鈴は立ち上がりながら答えた。そして手に新たなスペルカードが出現し、突き出すように構える。
「分かったわ」
 すると咲夜の右手に一つの札が出現する、その形は間違いなくスペルカードだ。
「これで最後になりそうね」
「どっちが勝っても恨みっこは無しよ」
 お互いのスペルカードが同時に輝く。
「『彩符 極彩颱風』!」
「『幻符 殺人ドール』!」
 美鈴の周囲に虹色の弾が嵐となって相手を巻き込もうと吹き荒れ、咲夜の周囲に銀色のナイフが舞い上がりその切先が獲物目掛けて一斉に飛び掛る。
 お互いの力がお互いを飲み込もうと激しくぶつかり合う。虹の弾が銀のナイフを打ち落とし、銀のナイフが虹の弾を弾く。力は互角、お互いのスペルカードの効果が切れるまでの持久戦になる。美鈴はそう思った。

 だがその考えも美鈴のスペルカードを貫く一本のナイフによって打ち砕かれた。
 弾かれたナイフは死んでおらず、生きたように再び動き出し、弾幕が放たれていない美鈴の背後へと回り込み、弾幕の元であるスペルカードを貫いたのだ。
 打ち抜かれた札は一瞬にして効果を失い、荒れ狂っていた虹色の嵐も瞬く間に消え去った。気付けば美鈴の周りは月明かりで鈍く輝く無数のナイフによって取り囲まれていた。
 スペルカードは消え去り、無数のナイフで包囲され、まさに詰みの状態だ。
 そんな絶望的な状況の中だと言うのに美鈴は嬉しそうに微笑む。
「おめでとう咲夜。スペルカードも使える様になったし私も追い詰めた、最終試験は間違いなく完璧に合格よ」
「……」
「後は私を殺せば試験は終了よ、終わったら一旦私の部屋に戻ってからお嬢様に試験終了の報告をしなさい。私が言い残すのはこれだけ、さぁ、殺しなさい」
 全てを言い終えた美鈴は眼を瞑り、ナイフが全身を貫く時を待つ。

 だがいつまで待ってもナイフに貫かれる痛みが襲ってこない。不思議に思い美鈴はゆっくりと目蓋を開くとそこには先程まで取り囲んでいたナイフは全て無くなっていた。その代わりに咲夜が目の前に腕を組んで立っている。紅かった眼も今はもう蒼い眼に戻っていた。
「なんで殺さないの! 私を殺さないと試験は終わらないし私が咲夜を殺す事になるのよ!?」
 美鈴は大声で叫ぶが咲夜はそれに対して軽くため息をつき、呆れた様にジトリとした眼で見る。
「そんな嘘、私に通用しないわよ」
「嘘じゃないわ!その証拠に苦しくて息できなくなる位のパンチしたじゃない!」
「あれで殺すつもりだったの? 姉さんが本当に殺すつもりだったら私は最初のパンチ一発で死んでたわよ」
「それは……」
 その先を口篭る美鈴を無視して咲夜は続ける。
「私も最初は姉さんが殺すつもりで襲ってきたと思ってた、だから私も殺すつもりで対抗する気になって攻撃したわ。でも最後、殺せば試験終了って言ってた眼は嘘をついてる眼だったわ、だからそこで今までのは演技だって気付いたのよ。最終試験が失格したら紅魔館を出ろって言ったのも、そうなる前に私を殺すって言ったのも、私を本気にさせる為のものだってね。最後の詰めが甘かったわね」
 咲夜の推理を聞き終えて美鈴は諦めた様子で苦笑いをする。
「……咲夜は凄いなぁ、咄嗟にそこまで判断出来たんだ」
「でも私が気付かなかったらどうするつもりだったの? あのまま串刺しにする所だったわよ」
「私だってまだ死にたくないわ、あれは最終手段だったの。でも咲夜は私が相手だからって攻撃を緩めてたでしょ? だから本気にされる為に仕方なく使ったの」
「死にたくないのにそれで殺されたら本末転倒じゃない」
「まぁそうなんだけどねぇ……でもそれで咲夜が私への心残りが無くなって独り立ち出来るなら痛いのも我慢できるしカッコイイ死に方かなぁなんて、あはは……」
 困った様な顔をしながら笑う美鈴に咲夜は今度は深いため息と心底呆れたような顔をする。
「そんな訳ないじゃない、姉さんを殺してたら私は酷く後悔してたと思うわよ。試験がどうとかなんて言ってる暇もなくなってたでしょうね」
「仮にも殺そうとしてきた相手を殺して後悔するなんて言うなんて、咲夜はお人好しだなぁ」
「それは私が独り立ちする様にってだけで自分の命を捨て駒にしようとした姉さんの方よ」
「だとすると二人揃ってお人好しだねぇ」
「そうかもしれないわね」
 その結果が可笑しく感じてしまい二人は含み笑いをしてしまう。
「ところで終わったら一旦部屋に戻るようにって言ってけど、それに何か意味はあったの?」
「あぁその事ね、それは試験に合格した咲夜に渡したい物があったからなの。私も無事生き残ったし直接渡すね、ちょっと待ってて」
 美鈴は急いで紅魔館へ飛んでいった。

 暫くして飛んでいった時と同じように美鈴が急いで戻ってきた。その手には畳まれた布らしき物が大事そうに抱えられていた。そして美鈴はそれを笑顔で咲夜に差し出す。
「はいこれ、私から咲夜への合格祝いよ」
「これって……メイド服?」
 その正体は青と白がベースに緑の蝶ネクタイが付いたメイド服、美鈴が内勤メイドとして働いていた時に使っていたものだ。
「咲夜が合格した時に何か贈りたいなってずっと思ってたの。本当はもっと新しい服とか買ってあげたかったんだけどね、生憎そんなお金も無くてそれぐらいしか無かったの」
「そうだったの」
 受け取ったメイド服を眺めているのだろう、俯いていて咲夜の表情は窺えない。
「咲夜は寂しがり屋だからそれを私だと思うといいわ、それなら寂しくないでしょ。サイズも咲夜のに合う様に作り直しておいたわ」
「姉さんが思ってるほどそこまで寂しがりじゃ無いわよ」
「内勤になって私の眼が無いからって作法を怠っちゃ駄目よ」
「そんな事しないわよ」
「お嬢様の隣に居ても恥じないメイド長になりなさい」
「…うん」
「それじゃぁ合格した事を今から報告しにお嬢様の所に行きなさい。私は疲れたから暫くここで休むから」
「そうなの……ならここで言うわね」
 そこで咲夜は今まで俯いた顔を上げる。向けられた顔には安らかな微笑を浮かべながらその蒼い眼から一筋の涙が伝っていた。

「ありがとう」

 その表情にも美鈴は笑顔を崩さない。
「そんな悲しい顔しないの。別に永遠の別れじゃないんだから、ね? 分かったら涙を拭きなさい、お嬢様の前だとみっともないよ」
 咲夜は何も言わず小さく頭を下げ、次の瞬間にその場から居なくなった。時間を止めて館に戻ったのだろう。
 先程の弾幕による騒がしさは嘘のように辺りは静まり、虫の音色だけが世界で唯一の音のように響いている。
「本当に咲夜は寂しがり屋なんだから」
 笑顔のまま誰に言うわけでもなく語りだす。
「私の教育係としての役目と姉妹ごっこが終わっただけなのにね」
 頬から一筋の水が伝い、地面に零れ落ちる。
 一滴
 二滴
 次から次へと水は頬を伝い、零れ落ち、留まる事を知らない。
 作っていた笑顔もいつの間に崩れ、顔はくしゃしゃに歪んでいる。
「本当に……寂しがり屋、なんだ、から……」
 その夜、紅魔館の庭には虫の音色が支配する世界の中、一つの咽び泣く声が静かに響いていた。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あー負けた……」
「ふふん、今じゃ中国なんて楽勝! やっぱりあたいったらさいきょーね!」

 弾幕ごっこに負けて撃墜した美鈴を見下ろしながらチルノはそう言い放ち上機嫌で去っていった。
 最終試験の日から早数ヶ月、美鈴はすっかり腑抜けてしまった。
 門の前に居ても上の空で居るし、門に居るときよりも花畑に出向き手入れしている時間の方が多くなった。軽くあしらっていたチルノにもスペルカードを使われずに負けるという状態で、今ではたまにやって来ては負けてからかわれている程だ。
 だが美鈴は今もチルノに倒されて仰向けになっていると言うのに頭の中は「空が青い、今日もいい天気だ」等と暢気な考えしか出来ていなかった。
 そこに駆け寄る二つの足音が近づいてきて美鈴の顔を覗き込んできた。門番隊のメイド達だ。倒れたままの美鈴が気になって寄って来たのだろう。
「隊長、生きてますかー?」
「ん、あー何とか生きてるよ、大丈夫」
 力無く返事をして美鈴は起き上がる。その時背後から凛とした声が聞こえた。
「またあの氷精に負けたの? 美鈴」
 美鈴はその言葉にビクリと反応して後ろに振り向く。
 そこには青と白のメイド服に緑の蝶ネクタイをし、肩辺りで切り揃えられた銀色の髪ともみ上げに三つ編をした紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が腕を組んで立っていた。
「あ、いや、咲夜さん、これには深ーい訳がありましてぇ」
「言い訳は聞かないわ。貴方は紅魔館の門番、お嬢様の最初の顔のようなものなのよ? つまりあんな氷精如きに負けてたらお嬢様の顔に泥を塗るのと同じって事、もっとしっかりしなさい」
「すみません咲夜さん、今度はしっかりやりますから……」
「その台詞はこの前も聞いたわ、本当にそう思うなら今度はあの氷精を撃退しなさいよ。もしこのままへまを続ける様なら紅魔館を出て行ってもらうから、そのつもりでね」
「はい……」
 容赦無い言葉に美鈴は肩を落とす。
「今日はこれ位にしてあげるわ、紅魔館から追い出されたくなかったらしっかりする事ね」
 そう言って咲夜は館の中へ戻っていった。
 咲夜の姿が見えなくなった事を確認してから黄色い髪のメイドが肩落とす美鈴の様子に抗議に入る。
「隊長! 何でメイド長に何も言い返さないんですか!」
「いやー、咲夜さんが言ってる事は事実だしねぇ」
 苦笑いで返す美鈴に話しかけたメイドは納得しない顔をする。
 そこに青い髪のメイドが声を出す。
「メイド長はその座に付いてから館の中を広くしたり、一瞬で部屋を綺麗にしたり、お嬢様に淹れた紅茶を絶賛されたり、内勤の方で凄い噂になってるからね。この前なんて素手で暴れるメイドを軽々と制圧したらしいよ。それに比べたらここ最近隊長の調子も悪いし、風当たりが悪いのも当然かもね……」
「それでもメイド長もあそこまで言う事も無いじゃないですか! ちょっと傲慢なんじゃないですか?」
「メイド長はお嬢様にも一目置かれてるし、仕方ないよ」
「でもそのメイド長も隊長に育てられたんじゃないんですか!? なのに育ててくれた隊長にあんな態度を取るなんて、恩知らずにも程がありますよ!」
 メイドの正当な言葉に美鈴は悲しそうな笑顔をする。
「いいのよ、私と咲夜さんは今は門番とメイド長の関係だもの。メイド長が門番程度に下手に出ちゃいけないの」
「でも!」
「さ、この話はお仕舞いね。私はもう大丈夫だから貴方たちも配置に戻りなさい、これは隊長命令よ」
 この話は続ける事は許されない、そう悟った黄色髪のメイドは押し黙ってしまい歯を食い縛りながら持ち場に戻っていった。
「あの子は最近ここに就いたばかりでしかも血気盛んだから良く知らないんですよ、メイド長との事に関しては私から言っておきますから隊長も気を病まないでください」
「そうなの、それじゃぁ宜しくね。話せばちゃんと理解してくれる子だと思うしね」
「はい、では失礼します」
 青い髪のメイドは一礼してから門を後にする。
 門前に一人だけになった美鈴は空を見上げる。空は只々青く、点々としている雲がゆっくりと流れている。
「そう、私は門番で咲夜はメイド長、私のお姉さんとしての役目は終わったのよ……」
 美鈴は自分で自分の言い聞かせるように呟いた。


 今日一日のシフトを終えて美鈴は自室に戻る。
 戻って最初にやるのはベッドに仰向けになって倒れる事、そしてため息。最近の美鈴のパターンである。
『恩知らずにも程がありますよ!』
 天井を見ながら美鈴の頭の中に昼間に黄色髪のメイドが口にした台詞が反響して響き渡る。
「恩知らず、か。もしかしたら私もそう思ってるのかもね」
 咲夜がメイド長に就任してから美鈴への対応は大きく変化した。
 メイド長に就任してから咲夜は美鈴を「姉さん」とは呼ばなくなった。だから美鈴も咲夜に「さん」を付ける様になった。
 お揃いだった長い髪の毛もばっさり切られてショートヘアーになっていた。
 門前で偶然隊のメイドと会話している所を目撃するとサボりと決めて注意してくる時もある。
 シフトが終わり自室に戻る際、館内の廊下で偶然顔をあわせると今日の態度について細かい点まで文句をつけてくる時もある。
 今日の様に侵入者の撃退に失敗したら門番としての自覚は有るのかと攻め立てられる事なんて日常茶飯事だ。
 そしてなにより、メイド長に就任してから咲夜の笑顔を美鈴は一度も見ていない。
 それは美鈴が言ったメイド長として門番に下手に出てはいけないと言う咲夜の強情さから来てると美鈴は自分自身に言い聞かせている。
 でも実は咲夜は今まで自分を煙たがっていて、それがメイド長になった事によりタガが外れ今になってそれが露骨に表れて嫌がらせをしてるのではないか、そんな事を思う時がある。そしてそれは今日の黄色髪のメイドに言われてぶり返してきたのだ。
「こんな風に考えちゃうなんて、私はお姉さん失格だったみたいね……」
 美鈴がそんな後ろ向きな考えで耽っていると扉の方から軽くノックの音が聞こえた。その音に我に返り、布団から起き上がる。
「美鈴、居るかしら?」
「さ、咲夜さん!? は、はい何でしょう?」
 ノックをした主は咲夜のようだ。美鈴は先程まで咲夜の事を考えていた為戸惑った返事をしてしまった。
「貴方に用事があるの、入っていいかしら?」
「わ、分かりました。入ってきてください」
「失礼するわよ」
 扉を開けて咲夜が入ってきた。今度は自分の部屋にまで入ってきてお叱りを受けるのか、美鈴はそんな事を考えてしまい渋い顔をしていると咲夜の左手にある物が持たれている事に気付いた。
 それはトレイに乗せられたティーセットだった。飾り過ぎずシンプルなデザインの物で、カップは二つある。
 自分が考えていた事とは的外れの物が眼に入った為、美鈴は呆然としてしまう。
「えーっと、咲夜さん? それは一体……」
「何って、ティーセットよ。見て分からない?」
 咲夜は当然の様に答えてティーセットを部屋にあったテーブルに置いて紅茶を淹れ始める。
「いや、それは分かるんですけど、なんでそれをここに持ってきたんですか?」
 そのの言葉が余程不快だったのだろう、咲夜は顔をしかめる。
「貴方、覚えてないの? 今日は私がこの紅魔館にやって来た日よ」
「あっ――」
「まったく、私に出会った時の景色とかは覚えてるくせに出会った日にちは覚えてないなんて呆れるわ」
「え、っとそれはですね、ちょっとド忘れしちゃいましてぇ……アハハ……」
「まあ良いわ……それで私がここに来たときから一緒に居た貴方とお茶をしようと思ってここに来たのよ」
 忘れたとは言っていたがそれは嘘で今でも出会った日の事は鮮明に覚えている。だが思いがけない咲夜の訪問等で頭が混乱していた為にそこまで思考が回らなかったのだ。
「とにかくこっちに来なさい、一緒に飲みましょう」
「は、はい」
 美鈴は言われるがままに移動してテーブルの前の椅子に腰をかける、ティーカップには既に紅い半透明な紅茶が満たされていた。
「それじゃ乾杯しましょう」
「か、乾杯」
 先程から浮かない顔をしている美鈴に咲夜は首をかしげた。そして疑問を投げかける
「前からといい今といい、貴方は一体どうしたのよ? そんなオドオドする様な人でもなかったし日常でも上の空、それにチルノにも呆気なくやられる程弱くは無かったはずよ」
「それは……気のせいですよ。それにチルノちゃんも最近どんどん強くなっちゃって私じゃ対処しきれなくなってまして……」
 苦笑いでそう答えるが答える際に揺らぐ目を咲夜は見逃さなかった。
「嘘ね。貴方は私に何か隠し事をしている、それも日常の活動に支障をきたす程のね。多分私に関してでしょ」
 嘘を見抜かれ美鈴は顔をしかめ、眼を背ける。
「図星の様ね。何なのか話してよ、私絡みで仕事に影響してるなんて私も気になるわ」
 暫くの沈黙、そして観念したのだろう美鈴はゆっくりと自分の心の中の不満を吐き出す。
「咲夜……さんは私の事をよく注意したりとか厳しく診断します。気に入ってくれてたお揃いの髪形も短くしてしまいました。だから私の事が嫌いなのかなって、完璧だから私は要らないと思ってるのかなって……」
 そこまで話すと再び黙り込み眼を背けた。それで合点がいったのだろう、咲夜は納得して安心の表情をしてからすぐに眉を顰める。
「そんな事でウジウジしてたの。いい? 厳しく診断するのは最近の貴方が酷く腑抜けているからよ。以前はあんなのじゃなかったでしょうに、だから私は心配で仕方なかったからなの。それに髪を短くしたのは貴方から自立した証として切っただけで貴方を要らないと思ったことは一度も無いわ」
 咲夜も同じように美鈴に不審を抱いていたのだろう、心に溜まっていた事を吐き出していく。
 背けていた美鈴の眼はその言葉に反応して驚いた様に正面を向いた。
「それはつまり、咲夜さんは私の事を嫌ってる訳じゃないんですね……?」
「当たり前じゃない、嫌う理由が見つからないわ」
「――よかった……」
 自分は嫌われていない、その事実に安心した美鈴はホッと胸を撫で下ろす。
 今回は互いが話し合わずにい続けた為により生じたすれ違いだった。咲夜はメイド長として振る舞いそれに美鈴も門番として振舞った、それにより互いに遠慮してしまい話したい事も話せずに今日まで引きずってしまっていたのだ。
「それに私は完璧じゃないわよ」
 心を落ち着かせるようにカップの紅茶を一口して一息つく。
「この前だってお嬢様の前で花瓶割りそうになったし、館の中でも良く分からない場所の事聞かれて戸惑った時もあったわ。言う事聞かないメイドの対処も良く分からなくてとりあえずナイフで従えたりね」
「咲夜さんってそんな事してたんですか」
 きっぱりとした返事に咲夜は頬を赤く染める。
「う、五月蝿いわね。それもこれも貴方がそんなに腑抜けて私の気を乱すからよ!」
「私のせいですかぁ!?」
 誤魔化すように咲夜は大きな声をだして突っ込みを入れた後何事も無かったかの様に顔を元に戻す。
「でも、それも今日までね。だって私の心の不安も解決された訳だし」
「不安は解決されても館にまだ良く分からない場所が有るんじゃなかったんですか?」
「それも問題無いわ。私には相談役が出来たもの」
「相談役? 一体誰ですか?」

「それは貴方よ、美鈴姉さん」

 咲夜の顔には純粋で綺麗な微笑みが浮かんでいた。美鈴が数ヶ月間まったく見ていなかった、だが今まで何度も見た良く知っている笑顔がそこには在った。
 突然の笑顔と「姉さん」と呼ばれた事に美鈴は呆然としてしまう。
「え……姉さんって……私?」
「そうよ、貴方以外に誰がいるっていうのよ」
「でも、私は咲夜さんの事疑ってたんですよ? 姉さんなんて言われる資格なんか……」
 自嘲しながら語るその眼には涙が溜まって今にも溢れそうになっている。
「いいえ、貴方は私にとって姉さんよ。この三つ編が姉妹の証なんだから」
 三つ編に手を掛けながら咲夜は微笑む。
「っ! ――そう、だったね。それが私と咲夜の、姉妹の証なんだよね。私は咲夜のお姉さんでいて良いんだね」
 ボロボロと眼から涙を零しながら美鈴は笑顔で答える。その様子に咲夜は苦笑してしまう。
「当然の事なんだからそんなに泣かないでよ。ほらみっともないから涙拭いて、相談も出来ないじゃない」
 ポケットからハンカチを取り出して手渡す。
 美鈴は暫くハンカチで目元を押さえ、心を静めるとハンカチを目元から放す。少々目が腫れぼったくなっているが涙はすっかり引いて笑顔だけが残っていた。
「そうよね、当然の事なんだから泣かなくていいよね」
 落ち着いた事を見て咲夜は困った様な、それでいてどこか嬉しそうに軽くため息をつく。
「姉さんは寂しがりね」
「寂しがり屋は咲夜でしょ? 試験の時だって笑いながら泣いてたじゃない」
「じゃあこれでお互い様ね」
「お互い様だね」
 そのやり取りが何処か可笑しくて懐かしく、二人はつい笑い声を零してしまう。
「ところで、こんな所で油売ってて良いの? もうお嬢様が起きてくる時間じゃない」
「良いのよ、今日はお嬢様から休暇しろって言われてるから。今夜はフリーよ」
「そうだったの、お嬢様が休暇出すなんて珍しいなぁ」
「お嬢様だって人をこき使うだけの鬼じゃないわよ」
「吸血鬼だけどね」
「言葉のあやよ。それより聞いて欲しいんだけど――」

 咲夜はこんな事がわからないと相談したり館内であったハプニング等を楽しそうに語っていく。美鈴もそれに回答したり相槌を打ったりし返しに館の外で起きた事等をあれこれ語っていった。
 そこで美鈴は気付く。確かに咲夜は自立して自分の下を離れた、それを別れと感じてしまい悲観的になっていたがそれは間違いだったと。
 実際は何も変わっていない、只館の中に守るべき人が一人増えただけ、それだけの話だったのだ。それは少し考えればすぐ分かるような事だったのに散々悩んでいた自分が情けない。そして理解した今いつまでも腑抜けている暇は無い、今度からしっかりと門番をしなければならない、と。
「……ありがとう、咲夜」
「? 何か言ったかしら」
「いや、なんでもないよ。それでね――」
 誰にも邪魔される事の無い二人だけの小さなお茶会は続いていく。

     ○ ○ ○

 同時刻、紅魔館のテラス。ここではレミリアが良く景色を楽しみながら紅茶を飲む為に訪れる。眼下には月明かりが反射して輝く湖が見える。
 そこで椅子に座って紅茶を飲むレミリアとパチュリー、ティーセットを持って側で控える小悪魔の姿があった。
「レミィは咲夜がメイド長になったら片時も側を離さないとか言ってたのに休暇を出すなんて、どういう心変わりかしら」
「仕方ないじゃない。最初は咲夜も完璧に仕事こなしてたのに日が経つにつれてミスが目立ってくるしボンヤリする事も増えてきたのよ、時間を止めて誤魔化そうとしてるようだけど私の眼は誤魔化せないわ」
「その不機嫌さを見るところ、咲夜の調子が悪いのはあの門番が関わってるようね」
「そうよ、咲夜の調子が悪くなるのに比例して美鈴の仕事ぶりも落ち込んでいったらしいのよ。だから調べてみたら案の定二人の間のすれ違いが原因だったのよ」
「それで休暇を出したら咲夜と門番が部屋で仲良くしてる運命が視えたからそんなに不機嫌なのね」
 しかめっ面になって紅茶を飲み干しカップをに突き出して紅茶のおかわりを催促するレミリアに小悪魔は静かに紅茶を注ぐ。
「パチェって相手の考えを読む魔法でも使ってるんじゃない? なんでそう次から次へと当てていくのよ」
「考えを読む魔法なんて使ってないし元よりそんな魔法は無いわ。レミィの顔を見れば誰だって分かるわよ」
「ふん、どうせ私は分かりやすい奴ですよ。良いわよ、これで咲夜と美鈴の調子が戻るならそれくらい眼を瞑ってあげるわ」
 パチュリーは意外そうな顔をして眼を細める。
「レミィはあの門番の事も思ってたなんてね、邪魔者程度にしか見てないと思ってたわ」
「美鈴は外の花畑の第一人者、館の優雅さに貢献してくれたし礼儀知らずな奴を追い払ってくれてるし、そこそこ使えるから置いてるの。今消えても困るのよ」
「――素直じゃないわね」
「何か言った?」
「いえ、なんでも」
 脚を組んでそこに頬杖を付いて頬を膨らましてレミリアはそっぽを向く。
「いいわよいいわよ! これからは私の方が咲夜と一緒に居る時間が多いんだから! いずれ美鈴以上の信頼を築いてあげるんだから!」
 フンと鼻を鳴らして答えるレミリアをパチュリーは楽しそうに見つめる。
 咲夜がやって来てからレミリアの雰囲気も変わった。今まで夜の王者としての顔を前面に押し出した姿勢を見せていたがそこに咲夜と美鈴の関係が加わった途端に子供のような感情が浮き彫りになってきたのだ。嫉妬したり怒ったり笑ったり、良く表情が変わるようになったレミリアの変化はパチュリーにとって非常に興味をそそられる物だった。
 そしてこの先レミリアがどんな変化を見せていくのかを観測するのが最近のパチュリーの楽しみになっていた。
「この調子ならまだレミィに何か変化が起きそうね。運命は何か視せてないの?」
「視せてるわ。私が昼間っから日傘差して和風の古ぼけた家に出向くって運命をね」
「それはまた。レミィ直々に、しかも昼間から出向かせるなんてどんな奴なのかしら。この先の変化が楽しみね」
「パチェは他人の観察ばかりね。たまに自分の変化にも期待してみたら?」
「私は自分の変化は望んでないわ。書斎で静かにゆっくりと本を読める事、それとレミィとお茶が出来ればそれで十分よ」
 そう言ってレミリアの相手を想像しながら来る未来にパチュリーは思いを馳せるのだった。

「因みにパチェには書斎の本を騒々しい白黒なのに持っていかれる運命が視えるわよ」
「……え?」


     ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「どうしたの姉さん、ぼーっとして」

 咲夜の言葉に美鈴は我に返る。
「あ、いや、ちょっと昔を思い出しててね」
「へぇ、どんな事を思い出してたの?」
 興味有り気に乗り出して聞いてくる。
「私と咲夜が出会った時の事よ。大きくなったなぁってね、そう思ってたの」
 その答えに咲夜は落胆した様子で乗り出した体を元に戻す。
「またそれなの? この時間はいつもそればっかり考えてるのね」
 呆れた顔をしている咲夜とは裏腹に嬉しそうな顔で美鈴は微笑んでいる。
「だってこうやって素の咲夜に会えるのはこの時だけだもの、これ位良いじゃない。どうしても止めろって言うなら普段から私の事『姉さん』って呼んでくれるなら考えてあげる」
「それじゃぁ他のメイド達に舐められるから却下。それに許すと毎日それで貴方の頭の中が一杯になりそうだから余計出来ないわ」
「ならこのままでいいわねぇ」
「もうどうにでもしなさい……」
 諦めて疲れたように肩を落とす咲夜を美鈴は緩んだ微笑をしながら見つめている。
 だがいつまでもそうしている訳にもいかないので気持ちを切り替えて咲夜は話を切り出す。
「それよりも姉さん、また最近無茶してるでしょう。パチュリー様から魔理沙の襲撃に関して注意されたからってマスタースパーク二発も受けるなんて体が持たないわよ?」
「いやー、でもパチュリー様も迷惑してるし門番の私が頑張らないと」
「それで体壊したら元も子もないでしょう。館内には私も居るんだから、あまり無茶しないでよ」
「良いの良いの」
 美鈴の手が伸びて咲夜の頭に乗る。
「妹を守るのがお姉さんの役目なんだから」
 そして軽く頭を撫でる。咲夜は頬をほんのり上気させ俯き上目遣いで美鈴を見上げる。
「良くないわよ、私は姉さんより強いんだから姉さんに守られなくてもいいのに……」
「それでも貴方は私の妹には変わりないの。嬉しいと顔赤くして俯くその昔からの癖を見てると尚更そう思っちゃうわ」
「と、兎に角あまり無茶しないでよ。姉さん以外に門番務まるのは居ないんだから」
 撫でる手を咲夜は自分の腕で遮る。
「分かってるわよぉ」
「本当に分かったのやら……」
 相変わらず緩んだ顔で微笑を絶やさない美鈴に咲夜は軽い眩暈を覚えるのだった。

 咲夜は懐から懐中時計を取り出し時間を確認する。
「そろそろ時間ね。そろそろ私は仕事に戻るから」
「そっか、頑張ってね。私はもうちょっと夜風に当たってから帰るね」
「分かったわ。それじゃあね、美鈴姉さん」
 そう言い残すと咲夜は時間を止めてテーブル等一式と共に消え去った。

 頬を撫でるそよ風を浴びながら美鈴は眼を閉じ、再び思い出に耽る。
 レミリアに強引ながら自分を必要としてくれて紅魔館に誘ってくれた時を。
 パチュリーと小悪魔がやって来て一緒に転移して来た書斎の広大さに驚いた時を。
 フランドールと弾幕ごっこをして楽しそうに笑ってくれてた時を。
 門番隊のメイド達と共に苦難を乗り越えた時を。
 そして咲夜と出会い、共に過ごし、忙しくてあっという間に過ぎ去り、されどとても充実していた日々を。
 一通りの思い出を馳せ、満足した美鈴は眼を開ける。
「さて、私もそろそろ帰って寝るとしようかなぁ」
 門番の仕事は決して楽ではない。立っているだけでも夏や冬は厳しいし、最近になっては魔理沙が頻繁に書斎を襲撃するようになりその度に一番に出向き、弾幕ごっこをしなくてはならない。
 だがそれでも美鈴は門番になれて良かったと思っている。
 家族の様に感じているこの紅魔館を先立って守る事が出来るのだから。

「明日も頑張らないとね」

 美鈴はゆっくりと歩いて紅魔館へ帰っていく。

 その姿を空に浮かぶ十六夜月だけが見ていた。

はじめまして、更待酉と申します。
今回、俺流咲美大爆発な作品でお送りいたしましたがいかがでしたでしょうか?
この作品は最初は某所で投稿した物でその時はもっと短いものだったんですが……
手直ししてる内にあれ入れたいこれ入れたいとしていたらやたら大きくなってしまいこんな長文になってしまいましたね。

作中では個人的解釈も含まれています。
レミリアの運命を操るっていうの未来が視えてそこに手を加えて変化させるから運命を操ると言っているのではないかっとか
フロストコラムスなんて弾幕でさえないですね^^;

文章的にも未熟な点がありますが少しでもその場のイメージが伝われば幸いです。
最後にこの長文に付き合ってもらいありがとうございました。


2月14日:一部修正
6月15日:遅い返信
更待酉
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コメント



0.1210簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
和んだ
8.90名前ガの兎削除
これは!
いいよいいよー。
ただあとがきが少し残念、少々卑屈すぎるとオモウヨ。
自分は面白いと思って読んでたので次作も読みたいなぁ。
9.100名前が無い程度の能力削除
美鈴がものすごく魅力的。
最後まで飽きずに読めるいい文章だったと思います。
面白かったです。
11.70deso削除
若干文章にぎこちなさはありますが、十分面白かったです。
12.無評価更待酉削除
下から順に返信をば

>名前が無い程度の能力 さん
ありがとうございます、和んでもらえたなら幸いです。

>名前ガの兎 さん
少し卑屈っぽくなってしまいましたね、そこは反省。
面白いと感想を頂いて安心しました。これからも自分のペースで作品を出していこうと思います。

>名前が無い程度の能力 さん
この作品はどれだけ美鈴の魅力が上手く書き出せるかが課題の一つでした。
それが伝わってもらえたなら少しはそれが表現できたみたいですね。
因みに私の頭の中の美鈴は何処か緩いけどもしもの時は不動でビシッと決めるお姉さんキャラで動いてます。

>deso さん
私も文章が硬いと思ってます。
これから先はもっと自然な文章を書けるようになる事が目標になりそうです。
17.100時空や空間を翔る程度の能力削除
姉思いの妹咲夜さん、
妹を見守る姉美鈴さん。

末永く仲の良い姉妹でありますように・・・・・・
19.無評価更待酉削除
>時空や空間を翔る程度の能力 さん
仲良き事は美しき事かな、二人には仲良くいてほしいものです。
32.100ssk削除
文句の付けようも御座いません