Coolier - 新生・東方創想話

十六夜月の下で (前)

2007/02/10 06:19:14
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 その日の夜は雲も少なく風は時折そよ風が吹く程度の晴天。
 空には満月より少し欠けた月、十六夜月が輝いて辺りを照らし、妖怪の山の麓に在る霧の湖は月明かりを反射して輝く水面の青さが大部分を占めていた。

 湖の畔には辺りの色合いとは明らかに不釣合いな紅い色で己の存在を主張するかのように悪魔の住む館、紅魔館が存在する。
 その庭には広大な花畑が在り、隅々まで手入れが行き届いている。訪れた者達はあまりの美しさに見惚れてしまうと妖怪や人里の間で小さな話題になっていた。
 そんな花畑の中に月明かりに照らされる一つの女性が立っている。
 大陸衣装を思わせるような翠の服を纏い、紅い髪が腰位まであり両方のもみ上げを三つ網にして胸辺りまで垂れ、「龍」の文字が刻まれた星型のバッジが付いた服と同じ翠の帽子を被っている。
 紅魔館の外勤メイド部隊、通称「門番隊」の隊長、「紅美鈴」である。美鈴はただ空を見上げ浮かんでいる十六夜月を眺めながら何かを懐かしむように微笑んでいた。
「そんな所でニヤニヤしてたら不審者と見間違われるわよ? 美鈴」
 背後からの声に美鈴は意識を戻され、振り向いた。
 そこには青と白をベースとし、首下は緑の蝶ネクタイが結ばれたメイド服を纏い、銀の髪のショートヘアーに美鈴と同じようにもみ上げに三つ編を施し、フリルの付いたヘッドドレスを頭に掛けている。
 紅魔館で唯一の人間にしてメイド長、「十六夜咲夜」が呆れた顔をして腕を組みながら立っていた。
「咲夜さん、何時の間に居たんですか?」
「貴方が月を見上げ始めた時から。普通に歩いてきたのに気付かないなんて、スキだらけよ」
「だってあの頃を思い出すとつい、ね」
 今も緩んだ顔をしながら言い訳をする美鈴に対し咲夜は軽くため息をつく。
「ま、それほどあの頃を覚えてくれてるって事は嬉しいんだけどね……」
 そう言った瞬間に二人の目の前に二つの椅子と小さなテーブルが出現した。テーブルの上にはティーセットと二つのティーカップが乗っている。咲夜が時を止めて運んできたのだ。
「……相変わらず準備が良いわねぇ」
「当然でしょ? 私はお嬢様のメイド長、全てが完璧で瀟洒でないといけないのよ」
 咲夜はさも当然のように発しながら紅茶を淹れてカップに絶妙な分量で注いでいく。
 その様子を見ながら美鈴は再び懐かしむように微笑みながら椅子に座る。
「まさかここまでのメイドに成長するなんて思わなかったわねぇ、やっぱり私の教えが良かったのね」
「どっちかと言うと反面教師のようにも感じたけどね。のんびりした所とか似つかなかったでしょ?」
 紅茶を注ぎ終え、咲夜も美鈴と反対の位置の椅子に座る。
「あー、酷いわねぇ。それじゃぁ掃除、洗濯、その他もろもろ、あの時私が教え込んでた事は頭に入ってなかったって事なのぉ?」
 美鈴の不満そうな反応に咲夜は含んだ笑いを零してしまう。
「ふふ、冗談よ。貴方に教え込まれた事は全部覚えているわ。そういう反応が面白いからついからかいたくなるのよ」
「むー、昔はもっと子犬みたいに可愛気があって素直だったのになぁ。人は変わっていくものなのねぇ」
 美鈴は頬杖を付いて脹れた顔になる。
「いいえ変わってないわ。私は今でも子犬のように可愛げがあるし、素直でしてよ」
 そんなやり取りをしている内に今度は咲夜が懐かしむような眼をする。
「それに、貴方との関係も変わらないわ。そうでしょ? 美鈴姉さん」
 咲夜の一言に美鈴は驚いたような顔する。だがその顔もすぐに崩れ優しく微笑んだ。
「……そうね。それだけはどんなに時間が過ぎても変わらないわよね。咲夜」

 数ヶ月に一回、十六夜の夜にこの花畑で二人だけのお茶会が開かれる。この場所は二人にとって大きな関係を持っている。
 美鈴はこうして花畑で十六夜月が浮かぶ夜に咲夜と二人でいると今でも鮮明に思い出す事が出来る。
 輝く銀の髪を持つ少女との出会いを。
 そして共に過ごした日々を。


     ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「美鈴、貴方には今日から外勤部隊、門番隊に移ってもらうわ」

 夜、紅魔館の当主「レミリア・スカーレット」が美鈴に会ってからの第一声はそれだった。
「また唐突な!?」
 突然のレミリアからの発言に思いっきり素で返してしまった美鈴をレミリアは気にせずに続きを口にする。
「ここ最近メイド達も増えてきたし内勤と外勤に分けようと思うのよ。それで貴方は体力もあるし花畑の発案者で手入れも良くしてるでしょ? だからそっちの方が向いてると思ったのよ」
「なるほど……確かにそうです」
「そういう訳だから、これ。外勤メイドとしての嗜みとか注意事項とかが書いてあるからしっかり読んでおくこと」
「わ、分かりました」
 美鈴に数枚の紙を渡してレミリアは去っていった。
「まったく、お嬢様は本当に突然現れて勝手に自分の要求を押し付けてくるんだから」
 美鈴は元は一人気侭に生きる妖怪だった。だが突如として現れたレミリアの我侭と力任せで暴力的な弾幕による説得により無理矢理紅魔館のメイドとして招待されたのだ。
 最初は美鈴も勝負に負けたので仕方なくと言った調子でレミリアの従者を始めたのだが、すぐに環境に合わせることの出来る美鈴は次第に馴染んでいき、紅魔館の中でも実績を上げていった。
 マメに隅々まで掃除をしたり、殺風景だった庭に花畑を造る提案を出し、先導で妖精達を指揮して見事な花畑を造り上げる等その働きぶりは目を見張るものがあった。
 メイドを始めて数年、よく体を動かす美鈴は外務を任せた方が効率的だと判断したレミリアは美鈴を門番隊に就かせる事にしたのだ。


「門番隊かぁ。そう言えば最近は館の掃除やらで室内ばかりに居たし、最近運動不足だったから丁度いいかも」
 自室に帰ってベッドに仰向けになった美鈴はそう呟いてしばらくベッドに沈んで物思いにふける。
「あ……そうだ!」
 ふと思い出してベッドから飛び起きるとクローゼットからある物を取り出す。
 それは翠の大陸風の衣装と星型のバッジが輝く帽子。美鈴がメイドになる前まで使っていた一張羅だ。
「外で動くのが中心になるならこっちの方が動きやすくて良いよね」
 美鈴は早速とばかりにメイド服を脱ぎ捨てて取り出した服に身を包む。
「う~ん。この着心地、懐かしいなぁ。よし、久しぶりにアレやってみようかな」
 そう言って昔の感覚を思い出すために美鈴は軽く套路を始めた。
 流れるような動作から攻、守、歩……様々な型を決めていく。
 一連の動作を終わらせ後一度深呼吸をし、息を整える。
「少し鈍ったわね。暫くまた練習しないと……ま、何年もやってなかったから仕方ないけどね」
 と呟いた。
 美鈴の套路は素人目で見ても他の武術家よりも遥かに絢爛な動作である程の見事なものだったがそれでも本人は納得しない様子だった。そこからして武術にはかなりの自信を持っている事が伺える。
「この服を着ることにして、このメイド服はどうしよう」
 脱ぎ捨てられベッドに無造作に放り出されたメイド服を見遣る。
 紅魔館に勤めるようになってからずっと使い続けてたメイド服、長年着込んでいれば愛着も沸き捨てるのは勿体無いと感じてしまうもの。
 美鈴は暫く黙考し、一つの結論を出す。
「――またどこかで使うかもしれないから持っておこうかな。そうと決めたらまず明日になったら洗濯しなくちゃね」
 放り出されたメイド服を掴み丁重に畳んでからベッドの横に置き、クローゼットから今度は寝間着を取り出し翠の衣装を脱いで着替えた。
「それじゃ、今日はもう寝るとしますか」
 再びベッドに横になり部屋を照らしていた蝋燭を吹き消して消灯する。
 門番隊の朝は早く、その為夜は早めの就寝が要請されるのだ。
(明日から新しい暮らし方が始まる、一体どんな風になるのかなぁ)
 そう思いを馳せながら美鈴の意識はまどろみの中に消えていった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ムッキー! バカ中国めー! 覚えてろー!」

 三流の敵役のような捨て台詞を吐いて氷精「チルノ」は半ベソになりながら飛び去っていった。
「いい加減ちょっかい出すの止めなさいよー。あとそろそろ私の名前覚えなさーい」
 美鈴は飛び去っていく氷精に背後からそう叫んだ。
 門番隊に入ってから数年、美鈴が最もよくやったのがチルノの迎撃だった。チルノは紅魔館の建つ湖の近くに住んでいるらしく、ここは自分の陣地だと主張しては襲い掛かってくる。しかし殆どは侵入する前に美鈴が立ちはだかり迎撃され、まさに門前払いを受けている。
 美鈴が門番隊に配属されるまではチルノの撃退は達成されておらず、メイドが数人がかりでなんとか粘って引き返させるのが精一杯だった為に、チルノを撃退できる美鈴は周囲から高い評価を得て、気付けば門番隊の隊長の座に付いていた。
 本人は隊長なんてだいそれた地位に着くほどじゃないと遠慮したのだが、周囲の期待に押し切られる形で隊長になったのだ。
「まったく……懲りないと言うか学習能力が無いと言うか、毎回同じ事しかしてこないんだから」
 ふぅっ、とため息をこぼす美鈴。
 チルノは同じ時間に同じ台詞を吐いて襲い掛かってきて同じ弾幕を放ち同じ負け方をして同じ捨て台詞を吐いて去っていく。今ではこれが日常の一つと化していた。しかもいつの間にかチルノの標的は紅魔館から美鈴個人に切り替わっている節がある。
 襲い掛かってくる事には美鈴も少し迷惑しているが一日門前で立ってるだけよりは飽きが無いのでそれはそれで良いと思っていた。


 日も殆ど沈んだ宵闇の刻、そろそろ勤務時間も終わりを迎えようとしていた。
「今日も何事も無かったわねぇ……」
 そんな事を言って「ん~っ」と背伸びしていた時、背後から突然声をかけられる。
「お疲れね、美鈴」
「うひゃぁ!?」
 そんな素っ頓狂な声を出しながらバッと後ろを振り返るとそこには呆れた様な顔をしたレミリアが立っていた。
「何をそんなに驚いてるのよ、私が労いの言葉を言ってあげたのに」
「いえ、いや、突然後ろから声をかけられたものですからつい……あははは……」
 美鈴は誤魔化そうと乾いた笑いを出す。
「言い訳はいいの。勤務終了が近いからって気を抜きすぎよ。最後まできっちりしなさい」
「はい……」
 その誤魔化しも通用せず注意されガックリと肩を落とす美鈴であった。だがすぐに気を取り戻し美鈴は話しかけた。
「それにしてもお嬢様からこちらにお出向きになるなんて珍しいですね。何かありましたか?」
「えぇ、今日は貴方にやってもらいたい事があるのよ」
「やってもらいたい事……ですか? 一体なんでしょうか」
「貴方が受け持ってる花畑、今日の手入れは夜にやりなさい」
「え、夜に……ですか?」
「そうよ」
「それだけですか?」
「それだけよ」
「でも手入れだったら昼間にやってしまったのですけど」
「いいから夜にもやりなさい。これは命令よ」
「わ、わかりました」
 今まで偶然館内で出会って我侭を言って振り回された事はあるがレミリアが、直接ここまで来て指名で命令を出す事は今まで無かった為、美鈴は少し戸惑ってしまった。
「それでいいわ。それじゃ、よろしくね」
 そう言ってレミリアは館に戻っていった。
「夜にお花畑の手入れかぁ、長引きそうだなぁ……はあっ……」
 そうため息を漏らしてから美鈴は勤務時間の終わりの確認をしてから自分の部屋へ戻っていった。


 その日の夜は雲も少なく風は時折そよ風が吹く程度の晴天。静寂が支配する花畑に手入れ道具を持って美鈴がやってきた。
「あーもう、お嬢様も何を考えてるかよく分からないわよねぇ。一回やったのにわざわざもう一回手入れをやらせるなんて。これ結構肉体労働で時間が掛かるのにぃ」
 等と愚痴を漏らしながら歩きながら何気なく空を見上げてみる。そこには満月より少し欠けた月、十六夜月が輝いていた。美鈴は立ち止まり輝き続ける月を見つめる。
「十六夜月か、満月ほど明るくないけどこれ位の光の方が丁度良くて綺麗かもね」
 そんな独り言を言いながらふっと視線を横にやった。そこには花畑が広がっている。そしてその一部の花が不自然に歪んで空間が出来ている事に気づいた。
「……妖獣の類か?」
 紅魔館は夜中に妖獣の襲撃を何度か受けた事がある。その為美鈴はまた妖獣が潜んでいるのではと思い足に隠し持っているケースからクナイを取り出し構え、警戒を始めた。
 警戒を始めて5秒
 10秒
 20秒
 何時まで経っても歪みが動く気配は無い。おかしいと思い美鈴は警戒しつつも歪みにゆっくりと近づいていく。
 そして歪みの中央を覗いた時、美鈴の思考が一時停止した。

 そこには人間の少女が倒れていたのだ。
 その子供は森の中をがむしゃらに走ってきたのか、服はボロボロ、靴は履いてなく裸足で泥だらけ、肌は擦り傷や掠り傷で一杯で傷の無い所が無いのではと思うほど傷ついていた。
 意識は無いようで美鈴が近づいてもピクリとも反応しない。

 何故夜に、しかもこんな所に人間の子供がいるのか。
 何故こんなにボロボロなのか。
 何より、どうやって湖の上にあるこの紅魔館の庭に辿り着いたのか?
 本来の美鈴なら色々な思考は入り乱れていただろう。だが今の美鈴にはそれらの事を考えない、考える事が出来なかった。
 月の輝きに照らされ、それそのものが発光してるのではないかと思えるほど輝く白銀の長髪。
 そして頬に掠り傷をつけながらもそこからはっきりと伺える幼いながらも凛々しい顔つき。
 それらに美鈴は只
「――綺麗……」
 と見惚れてしまっていたから。
「うう……」
 少女が呻き声を出して小さく身動ぎにハッと美鈴の意識が戻される。
「なんだか訳ありのようね。とにかく運んで手当てしないと」
 美鈴は少女が骨折などしてない事を確認し、痛めないように担ぎ上げて自室へと駆け出した。


 部屋に戻り応急処置を施す。幸いな事に大きな怪我は無かった為に傷の消毒をして包帯を巻く程度で済んだ。
 その後少女をベッドに横にし、安静にさせる。
 今もまだ疑問が尽きないがまずは少女が目を覚まさないには始まらない。
「手入れじゃなくて手当てになっちゃったわね。それに寝てる間にこの娘が起きて逃げ出されても困るから今夜は徹夜で看病しなくちゃいけないなぁ」
 美鈴はそんな事をぼやきながら椅子をベッドの横に持ってきて少々乱暴に腰を下ろした。
「さて、出来れば早めに起きてよ。銀髪の迷い子さん」

 そう言って看護に入って2時間後、美鈴の意識は完全に夢の中であった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「っっっっ!! 止めて下さいお嬢様! 不夜城レッドは止めてくださいぃぃ!」

 寝言を叫びながら椅子から飛び跳ねて美鈴は目を覚ました。
「あれ? なんだ、夢か……って寝むちゃった! あの娘は!?」
 夢であった事に気付き胸を撫で下ろす間もなくベッドを確認する。
 そこには今も静かな寝息をたてて眠る少女がいた。
「良かった、まだ起きてない」
 少女が何処にも行ってない事を確認して美鈴は今度こそ胸を撫で下ろした。
 窓を開けて空を仰ぎ見ると太陽は空高く上って日差しを照り付けている。美鈴は眩しさに眼を細め手で遮る。
「今は正午って所か……これは完全に遅刻だなぁ。どう言い訳しよう」
 今日の美鈴のシフトは朝から入っていた事を思い出し気が沈む。
 すると何処からか布が擦れる音が聞こえ、美鈴は音の擦るほうに振り向く。
「ん……」
 そこには呻きながら目が覚めて上半身をベッドから起き上がらせる少女の姿があった。少女は事態を飲み込めないようで開いた蒼い眼で部屋の辺りを見回していた。
「あら、目が覚めた? 痛い所は無い? 気分は悪くない?」
 美鈴は何気なく少女に手を差し伸べる。
「ひっ!」
 しかし手を伸ばしてくる美鈴を見た少女は短い悲鳴を漏らして急に脅えだした。その拍子にベッドから転げ落ちしまうがそれでも四つん這いで後退りしながら部屋の隅に逃げてしまった。
「大丈夫、なにも捕って食べようとかって訳じゃないから、ね?」
「や……!」
 美鈴は少女を落ち着かせるよう優しい口調で近寄るも少女は益々脅える一方だった。
「ん~、参ったね。これじゃ話しさえできないよ……」
 これでは埒が明かないと美鈴は頭を掻きながら悩む。近づけば恐がらせて暴れだすかもしれないし放置しても何も始まらない。
 どうしようか考えていると

 キュゥゥゥゥ……

 間抜けた音が部屋に響く。
 何の音かと美鈴が音のする場所探して見回していると再びあの間の抜けた音が響く。二回目で美鈴はその音のする場所を特定した。
 音は少女のお腹の方から鳴り響いている。つまり音の正体は少女の腹の虫だったのだ。
 少女は慌てて鳴らないようにとお腹を両手で押さえつけるがその抵抗も空しく少女のお腹は空腹を訴え続ける。 
 場の空気とは似つかない間抜けた音に美鈴は思わず笑みが零れる。そして少女を落ち着かせる良い案を思いついた。
「あー、ご飯食べてなかったのね。パンと牛乳があるわよ」
 美鈴は三つのパンとコップに注いだ牛乳をトレイに乗せて少女との間の中心にそのトレイを置いて再び椅子へと戻り腰掛けた。
「直接渡そうとしても脅えて暴れるでしょ。食べるかどうかは貴方自身に任せるわ。一応言っておくけど、それには毒とか入って無いよ」
 少女は警戒してパンを取ろうとせずチラチラと美鈴を伺ってくる。美鈴は少女と目が合うとニッコリ笑顔で返してあげる。
 そんなやり取りが続く硬直時間が始まって30分、遂に空腹に耐えられなくなった少女は美鈴を警戒しつつトレイのパンを掴み上げ恐る恐る一口食べる。
 すると少女の目に警戒の色は消え、よほど空腹だったのだろう夢中でパンにかぶりつき始めた。
「美味しい? 私の手作りだったんだけど」
 美鈴の台詞に答えもせずに少女は黙々とパンを食べ続ける。どうやらそれが答えでよさそうだ。
 だが急いで食べたせいで少女は途中で喉を詰まらせしまった。
「――! ん、んんー!!」
「あぁ、急いで食べすぎよ。ほら牛乳」
 喉を詰まらせたのを見た美鈴は慌てて立ち上がり牛乳の入ったコップを手渡と少女はそれを受け取り一気に飲み干してから再びパンを食べ始める。
 その様子を見て美鈴はなんだか微笑ましく感じてしまい終始笑顔でいるのだった。

 パンを食べ終わり少女も落ち着いたようで美鈴が側にいても今度は逃げずにいる。
「どう、少しは落ち着いた?」
 少女は無言で僅かながら首を縦に振る。それを見て美鈴は早速疑問をぶつける事にした。
「まずは貴方の名前を聞かせて」
「……言いたくない」
 美鈴の質問に少女は消えそうな小さい声で答える
「何処から来たの?」
「……遠くから」
「お父さんやお母さんは? 帰る所はあるの?」
「――っ!」
 その質問に少女は一瞬表情を強張らせる。
「――帰る場所なんて……どこにもない。お父さんとお母さんも……いない」
「はぁ――まいったねぇ、これは」
 美鈴は妖怪だが妖怪の中でも珍しい人情ある、つまり人間臭い妖怪だった。
 これでは何処にも行く当てが無く、すぐにそこらの妖怪や妖獣の餌にされるだけだろうと考える。そんな事を考えたら美鈴は無性に少女を庇いたくなってきた。
 そして決意する。
「仕方ないね。暫くこの私の部屋で過ごしなさい」
「え?」
「里親が見つかるまで私が貴方の世話を見てあげる」
「でも……」
「でももへったくれも無いの。そもそも帰る場所が無いのに何処行こうって言うのよ?」
「それは……」
「無いんでしょ?」
「……うん」
「なら決まりね。貴方は暫くここで暮らしなさい」
「でも……わたし――」
「はいそうと決まればまずは体洗わないとね。何時までも汚い体じゃ女の子としてダメよ」
 少女が何かを言い切る前に強引に話を切って美鈴は少女の手を引っ張りある場所へ連れて行くことにした。


 湯気で視界は白くなり、湯気の向こうから桶を床に置く音が高々と響く。美鈴が少女を連れてきた場所、そこは紅魔館が誇る大浴場だった。少女は突然の出来事に何がなんだか分からないと言う様子で呆然としている。
「ほら、来なさい」
 そんな少女を軽く引いて美鈴は浴場の中を進んでいく。
 すると先に浴場で寛いでいたメイドが入ってきた美鈴に気付いて呼びかけてきた。
「あれ、美鈴じゃない。今日は午後もシフト入ってるんじゃなかったっけ?」
「いや、ちょっと事情があってサボっちゃった。あははは」
「それはマズイでしょー、後でお嬢様にばれてお仕置きされても知らないわよぉ」
 メイドはそう言って美鈴をからかっていると横にいる少女の存在に気付く。
「ところでその子は誰? 見かけない顔だけど……新入り?」
「えーっと、まぁそんな所ね」
「そう、じゃぁ後で紹介してねー」
「うん。今度ね」
 軽く挨拶を済ませてメイドは浴場を後にした。
「それじゃぁこっち来て」
「ゎゎ……」
 再び引っ張られ転びそうになりながら二人が着いた場所、そこはもうもうとした白い湯気がたつ湯船だった。
「これで貴方の体を綺麗に洗うのよ。傷ももう塞がってるから大丈夫よ」
 桶でお湯を掬いながら美鈴は楽しそうに話している。だが少女の顔は湯船を見た瞬間から緊張の顔で一杯になっていた。
「ね、ねぇ……」
「なに?」
「そのお湯で洗うの?」
 恐る恐るさっきの部屋での脅え方とはまた違う脅え方で少女は聞いてきた。
「そうに決まってるじゃない、あつーいお湯は凄く気持ちいいんだから」
 それを聞いた瞬間少女は背を向けて逃げ出そうとするが美鈴がすぐさま捕獲。
「いや! だめ! 熱いのはいやなのぉ!」
 少女はさっきまでの小さい声を出していたとは思えないほど大声で抵抗を始めた。
「ダメよ、文句言わないの。ほら掛けるから大人しくしなさい」
「いゃーーーー!!!!」
 壮大にお湯が被さる音と少女の悲鳴が浴場に響き渡った。


 浴場で少女の体を綺麗に洗った後、美鈴は少女を連れて自室に戻る。
 戻る際の服は風呂に入れている間にあのボロボロの服を他のメイドに洗濯を頼んで洗ってもらっておいた。明日には代えの服を渡すとしてとりあえず今日はそれで我慢してもらう事にしたのだ。

 自室の中では美鈴と少女が対立していた。美鈴は気まずそうな、少女はなんとも不機嫌そうな顔をしている。
「いやー、泣き出すほど嫌がるとは思わなかったわ、ごめんね。今度からはぬるま湯でやってあげるから、ね」
 あの後無理矢理に少女の体を洗い、石鹸を洗い流す為に何度もお湯を掛けたら遂に少女が泣き声を堪えながら泣いてしまったのだ。
 その事に悪戯心が過ぎたと思い、美鈴は宥めようと話しけるも少女は不機嫌な顔でそっぽ向いたままである。その様子に美鈴は困ったような顔をして軽いため息を一つ、しかしその時の様子を思い出してしまいクスリと笑う。
「でも少し安心した。ちゃんと子供らしい感情があるんだ」
「……どういうこと?」
 顔を向けずに少女は美鈴に語りかけた。
「貴方が可愛らしかったってことよ」
「え……?」
 その言葉に少女は目を丸くして頬を赤くしながら美鈴に顔を向けた。しかし少女はハッとしてすぐに不機嫌そうな顔を作って俯いた。だが頬はいまだ赤いままである事を美鈴は見逃さなかった。そんな少女の強情さに美鈴はおもわず苦笑いする。
「じゃぁこうしよう。今度またあのパン焼いてあげる事を約束するから、それで機嫌直して」
「――いらない」
 少女は言葉で否定こそしているが眼には期待の色で輝いているのが見て取れた。
(なんだか世話の焼ける妹を持つお姉さんになった気分ねぇ。……でも素直じゃないところが可愛いわ)
 そう思ってしまい美鈴は笑顔を漏らしてしまう、だがすぐに真剣な顔に戻す。
「さて……これは絶対に話しておかないとね」
 今は夜。夜はレミリアの活動時間である。吸血鬼であるレミリアが少女のような若々しい人間の血を見逃すわけが無い。美鈴はそう思い少女に注意を呼びかける事にしたのだ。
「いい、今から言う事を確り覚えなさい」
 少女が頷くのを確認して美鈴は続きを話す。
「夜になったら私の部屋から出ちゃダメよ。夜はこの館の主でレミリアお嬢様が起きる時間なの。お嬢様が貴方を見つけたら貴方の血を吸っちゃうかもしれない危ない人だかね、ここで大人しくしてる事。いいわね」
「……うん」
「よし、いい娘ね。それと――」
「ふぅん。美鈴は私の事を人間を見つけたら誰だろうと問答無用で襲い掛かって血を吸う節操無しだと思ってたんだ」
「うひゃぁ!?」
 話の途中に背後から突然声を掛けられ、美鈴は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 そして壊れたブリキのおもちゃのようにガチガチとした動きで後ろを振り向く。
 そこには青白いと言っていいほど白い肌、淡く蒼が入った白髪、赤いリボンをあしらった特徴的な帽子、ピンクがかった服、そして己が種族を象徴する本人の身長を超える蝙蝠の様な翼、間違いなくレミリア・スカーレットがそこに居た。
「お、ぉぉぉ、お嬢様!? なんでここに!?」
「私は今日初めっから貴方の部屋に行くつもりだったのよ。……そう、その娘に会いにくるためにね」
 レミリアはそう言った後美鈴を押し退けて少女の前に立つ。
「初めまして、お譲ちゃん。私はレミリア・スカーレット、夜の王にしてこの紅魔館の現当主よ。安心して、いきなり襲うなんて野蛮な事はしないわ。美鈴が言ったのは嘘だから気にしなくていいわよ」
「私に会った来た時はいきなり襲い掛かってきたくせに……」
「あら、何か言ったかしら? 美 鈴 ?」
 レミリアが美鈴に振り返った。その顔は笑顔で語ってるものの、レミリアの額にはハッキリとした青筋が立っているの分かる。
 美鈴はさっき言った事をレミリアは怒っていると即座に判断した。
「い、いえ! なんでもございません! サー!」
 何故か軍人のような喋り方になって美鈴は即答する。
「分かればいいのよ」
 レミリアは再び少女に顔を向けて続きを喋り始める。
「早速だけど……紅魔館当主として貴方を次期メイド長として招待するわ。今日から貴方はこの紅魔館の一員よ」

 レミリアの言葉に世界が凍ったのではないかと思う程の静寂が部屋を覆う。
 突然言い渡された発言に美鈴は何を言っているのか一瞬理解できなかった。
 少女も何を言われたのか分からないという様子で目を白黒させている。
 暫くして凍った世界を動かし始めたのは美鈴だった。
「え? お嬢様、今なんと……」
「聞こえなかったの? この娘を次期メイド長としてここに引き取るって言ったのよ」
「えええええ!? そんな事突然決めちゃっていいんですかぁ!?」
「これは突然じゃないわ。これは運命なの。起こるべくして起きた事なのよ」
「そんな事言われても……」
「それじゃぁ何? 貴方がさっき言ってたようにこの娘は私に血を吸われた方が良かったのかしら?」
 レミリアはニヤリと笑ってその小さな口から吸血鬼特有の牙を僅かに覗かせる。
「いえそんな事は……!」
「それに、この娘が人里で人間と一緒に仲良く暮らしていけると思うの?
 ――この紅魔館に一人で来るような人間に忌み嫌われる子供がね」
「っ!」
 その言葉に少女は突然肩を抱いて頭を下げて震えだしてしまう。
「どうしたの? 大丈夫?」
「いや……もういや……止めて……!」
 美鈴は少女を歩み寄った。
 しかし美鈴の問い掛けに反応せず、ただ何かに脅えるようにうわ言を言っている。
 その様子を見たレミリアは呆れた様にため息をつく。
「その様子じゃ到底無理よね。そう、貴方は他の人間たちと一緒に暮らせないとは思う事が出来ないから」
 レミリアはそこで一息おく。
「でも安心なさい。貴方がどんな能力があろうと私たちは貴方を見捨てないわ。いや、離さないわ。だから安心しなさい」
 普段からは考えられない程レミリアは優しい口調で少女に説いた。
 その言葉を反応したのだろう。少女の震えは次第に治まり、恐る恐る目に涙を溜めた顔を上げる。
「私……ここにいてもいいの?」
「当然よ。私は貴方を歓迎するわ、ここが貴方の居場所よ」
「でも……」
 少女はまだ信じられないと言う様子で口篭る。
「美鈴だってこの娘を見捨てる気は無いんでしょ?」
「そ、それは……当然ですよ!私はこの娘を見捨てる気なんてありません!」
「だそうよ? これでも不満?」
「……」
「もしかして言い方が気に食わなかったかしら? そうね、なら言い方を替えましょう」
 レミリアは顎に指を当てて暫く考え込み、やがて口を開いた。
「――例えるなら家族ね。そう、今日から貴方は私達の家族よ」
「――っ!!」
 その言葉は少女によほど大きな衝撃を与えたらしい。
 少女は更に顔を歪め、目に更に涙を溜める。
「う、うぅっ、ぅぁ、ぁ……」
 そして遂にそれは決壊し、少女はぼろぼろと泣き声を出す事を堪えながら泣き出してしまった。
「どう、ここで住まない? 無理にとは言わないわ。貴方が拒否するなら私達が貴方を里親を探してあげるけど、必要かしら?」
「ひっく、ぅぅぅ……」
 少女は泣きながらも何度も首を横に振る。
「なら、決まりね」
 それを見てレミリアは満足そうな笑みを浮かべるのだった。


 少女は泣き疲れてベッドの上で眠っている。
 やっと落ち着いた安堵のため息をつく美鈴にレミリアは呼びかける。
「美鈴、貴方に話があるの。付いてきて、あの娘が起きないように別のところで話をしましょう」
「え、わ……わかりました」
 突然話を振られて戸惑いながらも言われたとおりレミリアの後に付いて移動する。

 暫く歩き、レミリア達がやってきたのは巨大なホールだった。
 紅魔館のホールは館の中でも最も広い。本当は食事会や舞踏会などに使われるものなのだが、来客が来る事さえ稀な紅魔館ではこのホールがそれらに使われる事は少ない。もっぱら稀に来る侵入者を撃退する際に一番暴れても被害が少なく済む場所として侵入者が誘導される場所である。
 ホールは隅から隅まで床は赤い絨毯が敷き詰められ天井の中央には紅を基準にした色合いの巨大なステンドグラスが月の光を浴びて淡く光を帯びている。
 レミリアはホールの中央まで美鈴を誘導すると立ち止まり美鈴の方へ振り向いき、微笑みながら語りかける。
「貴方は最初はあの娘を変な迷い子程度にしか見ていなかった。そして何処かで人間の里親を見つけて引き渡そうとしていた。違う?」
 壁に掛けられホールに淡く照らす蝋燭の火が風も無いのに揺れる。
 語りかけられる美鈴の顔はホールに入ってからここに来る前の緩んだ顔から引き締めた真面目な顔になっていた。
「そのとおりです」
「でも、その考えもあの娘と触れ合っている内に愛着心が沸いてきて考えが変わってきていた。あの娘を自分が育んであげられないだろうか――っとね」
「……」
「そして今、あの娘はここで暮らす事を決めた。それを聞いて貴方は決心する。貴方があの娘の面倒を見ると。それを今この時も私に切り出そうと見計らっている。そうでしょ?」
「……お嬢様の言うとおりでございます。そこまでお見通しでしたとは流石はお嬢様、感服いたします」
「当然よ。私は運命を操る事が出来る。運命を操るって事は未来が視えてるようなものだからね。だからこんな事も知っているのよ」

 ピリっ

 美鈴はそんな音が耳元で鳴ったかと思うとホールの空気が微妙に張り詰めるのを肌で感じた。
「私に内緒であの娘を育てようと企てていた事もね」
 レミリアの目は先程までの少女の様な可愛らしさを持った目ではなくなっていた。瞳孔は縦に長く裂け、元から赤かった瞳は薄暗いホールの中でも目立つ赤い絨毯よりも尚目に付くほどに紅くなり、その存在を主張している。
「あの娘は将来誰よりも完璧な私の従者になる、そう運命が私に視せていた。でもさっきからその運命にノイズが入るのよ。何か異端が途中で関わって私の理想の運命から反れようとしているのよ。その異端がなんだかわかる?」
 レミリアが語っている間に空気は更に張り詰めていく。気付けばレミリアの周囲には紅い妖気が溢れ、空気を禍々しく歪めている。
「異端はお前だ、紅美鈴」
 そう告げたレミリアの顔には既に笑顔は存在していなかった。
「私が手繰ろうとした運命では貴方は今日、真っ先に私の前にあの娘を連れてやってくる。そして私が貴方からあの娘を引き取り、私の監修の下で従者として育てられる……はずだった。でも貴方は気持ちが変わってしまいあの娘を匿おうとした。だから私が視る運命から変わろうとしているのよ」
 美鈴はその間も終始無言でレミリアの台詞に耳を傾けている。
「でも今ならまだ間に合うわ。明日からでもあの娘を私に引き渡せば私の理想の運命は完全なものになる。美鈴、これは当主命令よ。あの娘を引き渡しなさい。さもないと……」
 レミリアは右腕を頭上に高々と上げる。
「貴方を今ここで殺す事になるわ」
 言い終えると同時に漂っていた紅い妖気がレミリアの右手に急速に集中し、渦巻き始める。渦を巻く妖気はやがて収縮して形を成し、レミリアの身長の倍は在ろうかという程の深紅の槍を創り上げた。
 神槍「スピア・ザ・グングニル」
 レミリアの持つスペルカードの中でも最も破壊力の高いものの一つ。まともに食らえば美鈴は確実に一撃で死ぬ事になるだろう紅い槍をレミリアは構え、美鈴に狙いを定める。
「さぁ選びなさい。あの娘を渡して生きるか、私に反論して殺されるか」
 主人から突然殺すと宣告。だがそれにも関わらず美鈴は冷静だった。
 美鈴はこのホールに誘導させた時点でレミリアが美鈴に対して何か大きな騒動が起こすと予測していたのだ。
「お嬢様、お二つ程御質問させても宜しいでしょうか?」
 レミリアは質問に質問を返され事を不快に感じ眉毛を一回痙攣させたがすぐに冷静に対処した。
「いいわよ、言ってみなさい」
「お嬢様監修と言う事はこれからはあの娘はお嬢様の近くから離れないという事、館の中で働くって事ですね? そして私はあの娘にお嬢様の理想の運命の邪魔になるからもう関わるな、そう言いたいのですね?」
「その通りよ。貴方をこれ以上あの娘と関わらせるわけにはいかないの」
「そうですか――大変申し訳御座いませんお嬢様、いかに当主命令と言えど私はそれには従う事は出来ません」
 美鈴はレミリアの答えは最初から分かっていたように覚悟を決めた表情で答えた。レミリアもまた美鈴の答えが分かっていたのだろうか、意外では無いとでも言うように表情を変えない。
「ふぅん、断れば死ぬと分かっているのにそれでも私の命令に背くのつもり」
「その通りで御座います」
「そう――なら殺す前に聞いておくわ。貴方が私の命令に背く程の意思と理由、それは一体なんなの?」
 美鈴はゆっくりとその口を開く。





「それは――あの娘に私が焼いたパンをまた食べさせると約束したからです」





「は?」
 今度は美鈴が世界を凍らせた。
 美鈴もレミリアも渦巻いていた殺気さえも止まったかの様に錯覚する程に。
 美鈴の一言にレミリアは目を丸くして唖然とし、張り詰めていた空気も一瞬にして消え去ってしまった。
 壁に掛けられた蝋燭の火がが何処からとも無く吹いたそよ風に揺れ、さらに数秒の静寂がホールを覆う。

「ぷ……あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは」
 凍った世界を破ったのはレミリアの笑い声だった。
 構えていたグングニルはあっという間に妖気が四散して消え失せ、空いた両手で腹を抱えて大笑いし始めた。
「はははは、はぁあはは、貴方何? そんな事の為だけに私の命令に背いたって言うの?」
「はい」
「あーはっははっはははは、ははは、ひーひー、面白い、面白過ぎよ! それ本気なのね美鈴! ふふ、私をこのまま笑い殺すつもりなの!? それが狙いだったら大当たりよ、あっはっはっはっはっは!」
 レミリアが馬鹿にする様に美鈴の回答に大笑いして蹲るが美鈴は表情を変えない。美鈴も何とも下らない理由だと自覚している。だがこれ以上の理由も見出す事が出来なかったのだ。

 散々笑い続けたレミリアはようやく息を整えて美鈴の面を向いた。その顔に笑顔は無く不貞腐れた様な顔付きをしている。目も既に吸血鬼の目ではなく姿形に相応しい少女の目に戻っていた。
「あーまったく、まさかそんな理由で断られるとは思ってなかったわ。呆れて殺す気も失せちゃったわよ、まったく……いいわよ、今回は特別に許してあげる。あの娘にパンなりなんなり与えなさいよ」
 レミリアの言葉に今まで引き締まっていた美鈴の顔を緩め笑みを零す。
「そっ、それじゃぁ!」
「当主命令で紅 美鈴、貴方をあの娘の教育係として任命するわ。メイドとして使えるようになるまでしっかり面倒を見なさい」
「はい!」
「但し、あの娘の名前は私に命名させる事が条件よ! いいわね?」
「はい! って、名前……ですか?」
「そうよ、あの娘本名言おうとしないでしょうに。だから私が名前を与えるのよ」
「なるほど――あ、そういえば私のフルネームもまだ教えてなかったですねぇ」
 思い出したように手を打つ美鈴に「大丈夫なのかこいつ」といった様子でレミリアは頭を抱える。自分の本名も教えてない上に名無しのまま育てるつもりだったと言うのだから無理もない事だが。
「とにかく、あの娘の名前は私が直接伝えるわ。だから今夜は貴方の部屋に泊まるからね」
「えぇ!? お嬢様が私の部屋に泊まるんですか!?」
「当然でしょ、そうしないと何時私があの娘に名前を伝える事が出来るって言うのよ」
「それはそうですけど――」
「そうと決まればさっさと貴方の部屋に戻るわよ。グズグズしないでよ、美鈴」
「あー! 待って下さいよお嬢様ー!」
 ゴネてる間にホールを出ようとするレミリアを慌てて美鈴は追いかける。
 誰かがこの様子だけを見ていたら、これがさっきまで殺す側と殺される側で対峙していた二人とは想像する事さえ出来ない事だろう。それ位今の空気と先程の空気に違いがあった。
「それよりお嬢様、いつの間にあの娘の名前考えてあったんですか?」
「あの娘の名前は既に運命で決まっているのさ、考えるまでもないよ」
 何故か不機嫌そうにレミリアは美鈴の問いに答えるのだった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「十六夜……咲夜……」

 美鈴の部屋で一晩を過ごしたレミリアが起きた少女に新しい名前を伝えた。
「そう、それが今日から貴方の新しい名前よ。十六夜月の夜に咲き乱れる花の中で出会ったから『十六夜咲夜』。中々良い名前でしょ?」
 少女は新しい名前を噛み締めるように小さな声で何度もその名前を呟く。そしてその名前を気に入ってくれたらしく頬をほんのり赤く染めてコクコクと頷いた。
「気に入ってくれたなら何よりよ。それじゃあこれから貴方は私の次期メイド長になる為にここで暮らす訳だけど、貴方はまだメイドとしての心得や技能、身体能力が備わってないわ。だからこの美鈴を貴方の当分の教育係として一緒に暮らしてもらうわよ」
「なんだかドタバタしちゃったけどこれからも宜しくね、咲夜」
 こういう空気に慣れていないのだろうか少女はおずおずと頷いた。
「それじゃ、用件は済んだし私はもう寝るとするわ。もう朝だから眠くて仕方ないわ」
「お疲れ様ですお嬢様、ゆっくり御休み下さい」
「後は任せたわよ、美鈴」
 そう言ってレミリアは部屋を出て行った。
 因みに美鈴は部屋に戻った後、爆睡して朝にはしっかりと起きていた。まったくもって健康体である。
「そうだ。私のフルネームをまだ言ってなかったわね。私の名前は紅美鈴、漢字で紅の美しい鈴よ。今日から貴方のお姉さんって所ね」
「ほん……めーりん……」
「そ、改めて宜しくね」
 美鈴は咲夜に向かって笑顔で手を差し伸べる。伸ばしてきた手に咲夜は少し脅えるも今回は逃げる事はなかった。
「よ、宜しく……めーりん――姉さん」
 咲夜ははにかむ様に僅かながら笑顔を見せる。
 その笑顔を見た時、美鈴の中に何かの衝撃が駆け巡る。衝撃は体中を駆け巡り体を震え上がらせ、最後に衝撃は頭へと行き渡り、それは口から言葉として放たれた。

「っかーわいー!!」

 そして次の瞬間には美鈴は我を忘れて咲夜を両手で抱きしめていた。
「うぷっ、めーりん、姉、さん!? くるし――」
「あーもう可愛い! 可愛いよ咲夜ちゃん! これからお姉ちゃんがしっかり守ってあげるからね!」
 咲夜は美鈴の拘束から抜け出そうともがくも力の無い咲夜にとって美鈴の腕から逃れる事は出来なかった。
 美鈴は今まで溜めていた思いが咲夜の「姉さん」の一言によって感情が爆発してしまったようだ。今の美鈴は例えレミリアが相手だろうと止めることは出来ないだろう。
 それにしても今の美鈴は親馬鹿ならぬ姉馬鹿全開である。

 思う存分に咲夜を抱きしめた後、美鈴はやっと我に返って咲夜を放す。
「ごめん咲夜、嬉しかったからつい」
 咲夜は少し涙目になりながら美鈴から少し離れる。
「……今度またいきなりやったら怒る……」
 子供として訴えられる最大の努力で美鈴に警告した。
(涙目で拗ねながら怒ってる顔も可愛い!)
 再び美鈴の感情が爆発して抱きしめたくなる衝動に駆られるが、やったら本当に嫌われそうだったので理性でなんとか踏み止まる。
「私が悪かったわ、許して。ね?」
 代わりに美鈴は腕を咲夜の頭に伸ばして軽く撫でてあげる。頭を撫でられて咲夜は恥ずかしそうに頬を染めて俯くのだった。
 その様子を見て微笑む美鈴はふと思い出す。
(そういえば、なんでお嬢様は私が付ようとした名前を知ってたんだろう? 偶然?)

     ○ ○ ○

 レミリアは美鈴の部屋を後にしてから真っ直ぐに自分の寝室に向かっていた。
 歩いている廊下は床に紅い絨毯が敷かれ、窓が存在せず、唯一の光源は壁に掛けられた蝋燭だけ、外は朝だというのにここだけ夜が取り残されたような錯覚を受ける。日が出てる間にスカーレット姉妹が移動する為に設計された専用通路をレミリアは歩いていく。
「ふぁ……」
 不慣れな夜更かしならぬ朝更かしの為に欠伸が出てしまう。欠伸をする様は姿相応の可愛らしさが見える。
「お疲れのようね、レミィ」
 廊下の正面から小さな声が聞こえた。蝋燭の弱い光だけでは先が見えないがレミリアは声の主をよく知っている為驚かずに返事をする。
「色々あったのよ、パチェ」
 レミリアの返事に反応するかのように闇の中から地面から少し浮きあがりながら音も無く少女が姿を現す。
 赤や緑のリボンをあしらった桃色が混じった白いネグリジュのような服を纏い、先端を服と同じようなリボンで纏め紫色の長髪、三日月のバッジと赤と青のリボンを付けた帽子。
 レミリアの友人、紅魔館に存在する書斎の主「パチュリー・ノーレッジ」が眠いような不機嫌そうな目でレミリアを見つめる。
「貴方は何時も無茶苦茶だけど、今回は一層無茶苦茶ね」
「あら、見てたの? どこら辺から?」
「遠見の魔法で、レミィが門番の部屋に入っていった辺りからよ」
「殆ど最初っからね。それにしても遠見の魔法なんて便利なのがあるのね」
「館内が眺められる程度の範囲しか映し出せない玩具よ。まぁそれは置いといて。レミィ、いいの?」
「何がよ」
 言いたい事が分かっててワザと分かってないふりでもしてるように返すレミリアにパチュリーはジトリとした目を更に細める。
「あの咲夜って娘よ。すぐに引き渡さないと貴方の理想の未来から反れるんじゃなかったの?」
「あぁ、あの事ね。あれは嘘よ。咲夜をすぐに私に引き渡そうが美鈴が育てようが私の完璧な従者になるのは変わらない運命だったのよ。ついでに言うと咲夜に関わるなと言うのも嘘。どっちになろうが私は美鈴をあの娘の教育係にさせるつもりだったのよ。」
「ならホールに連れ出して引き渡さないと殺すなんて脅迫する必要はなかったんじゃない」
「それは美鈴の覚悟を確かめる為よ、私の命令に逆らってまで咲夜を構うかどうかってね。でもまさかあんな下らない理由を返されるとは思わなかったけどね」
「ふぅーん」
 いつも無表情なパチュリーが珍しく口の端を笑いで歪めた。そのパチュリーの変化にレミリアは何がおかしいのか分からず疑問符を浮かべる。
「何よ? そんなニヤニヤして」
「いいえ、レミィが大人気無いと思っただけよ」
「どういう事よ」
「殺すと言う脅迫は嘘。でもすぐにレミィに引き渡せと言うのは本気。どっちでも同じ運命になると言うならそんな脅迫必要無いものね」
「そ、それは、私の側に置いたほうが咲夜も安全だと思ったからよ。ほら、美鈴ってどこか抜けた所があるじゃない?」
 レミリアは平静を装って弁解するがその顔には焦りの表情が見える。
「それも嘘ね。レミィはあの門番と咲夜が一緒にいる事を不快に感じるんでしょ? 先の運命が同じでもこのまま一緒に居させたら咲夜は門番にレミィ以上の好感度を持つようになる、それがレミィに引き渡すか門番が育てるかの経路の違い」
「べ、別にそんなんじゃ――」
「つまりレミィあの門番に嫉妬してるんでしょ。そして眠気に耐えながらもレミィ本人が名前を伝えたのも門番が名前を伝えるはずだったけど、そこを先に名前を伝えて咲夜の好感を少しでもレミィに向けたかったから実行したささやかな抵抗、て所かしら」
「う……」
 言いかけた反論も無視して語ったパチュリーの推理にレミリアは遂に言葉が詰まった。この反応からして図星だという事が分かる。
「あーもうそうよその通りよ! 美鈴と咲夜が私以上に仲良くなる運命が視えて私はそれが気に食わなかったの、何か文句ある!?」
「別に無いわ。それは私には別にどうでもいい事だもの。レミィのその拗ねた顔が見れればそれで十分よ」
 逆切れする様に大きめの声で答えるレミリアにパチュリーは笑いで歪めた顔のまま返した。
「むー、パチェは悪質ね」
「自分の我侭で殺すなんて脅迫するレミィ程じゃないわ」
 皮肉もさらりと返すパチュリーにレミリアは頬を膨らます。
「とにかく! 今日私が出来る事は終わったの、だからもう寝るわ」
「そう。それじゃおやすみ、レミィ」
「おやすみ、パチェ」
 レミリアはパチュリーの横を通り過ぎていく。
 そこでパチュリーは思い出したかのように振り返りレミリアを呼び止める。
「最後に聞くけど、十六夜咲夜って門番が考えた名前みたいじゃない。なんでレミィが考えた名前じゃなくて門番が考えた名前を与えたの?」
 パチュリーの質問にレミリアは振り向く、その顔は今までに一番の不機嫌そうな顔を貼り付けていた。
「そうそれよ! 本当は私が考えた名前を与えるつもりだったのに、私が考えた名前を与えると運命が変わるって視せてくるのよ! 私が一週間掛けて考えた名前より美鈴が考えた名前の方が良いって言うんだから世の中どうかしてるわ!」
「……因みなんて名前を考えてたの」
「とても素敵な名前よ、『パーフェクト・スカーレット』って言うの! 私に仕える完璧な従者でその上に栄誉有る私達の苗の『スカーレット』まで付けてあげたって言うのに、あの娘は美鈴の方が気に入るなんて……キー!」
「……」
 そこで我慢の限界だったのだろう、レミリアは周りを気にせず地団駄を踏み始める。
 パチュリーはそれに呆れて言葉にする事も出来ず、眺めている事しか出来なかった。
(私も十六夜咲夜に一票ね……)
 表情を変えずにパチュリーは人知れず思うのだった。

     ○ ○ ○

 レミリアによって事前に用意されていたぴったりのサイズの赤いメイド服に咲夜を着替えさせた後、美鈴と咲夜は軽く朝食を取り朝の訓練を始める為に中庭へ移動する。

 訓練は午前の部と午後の部に分けて行う事を美鈴は企画していた。
 午前の部は人間で妖怪に対抗する力の無いの無い咲夜を自己防衛出来るようにする為の様々な武術の特訓だ。
 二人は軽く柔軟体操をこなして体を解してから本格的な特訓に入る。
「それじゃぁまずは相手を牽制する飛び道具の練習からね。はい、最初っから刃物は危ないから玩具のクナイね。それであそこにある的に当てる様にするのよ」
 美鈴が指差した先には木で出来たダーツのような的が立っていた。
「分かった」
 咲夜は美鈴から受け取った玩具のクナイを受け取り的の正面に立つ。緊張しているのだろう、深呼吸を一つして乱れている呼吸を整える。
「ふっ!」
 振り被った腕を思いっきり振り下ろしてクナイを投げた。美鈴は的のほうを見やる。だがそこにはクナイが当たったような気配は無い。どこに行ったのかと見回していると目の前に軽い音を立ててクナイが落ちてきた。咲夜が投げたクナイは弧を描いてすっぽ抜けただけで的の半分の距離も飛んでいない。
 咲夜は慌てて次のクナイを受け取り再度振り被って投げるも今度は力みすぎて地面に叩きつけるような形になってしまった。
「う~」
 上手く飛ばない事に唸り声を上げて悔しがる咲夜に美鈴は苦笑いをしながら説明する。
「そう悔しがらないの、最初はそんなものよ。ちょっと力み過ぎだから力を抜いて。それと投げ方もちょっと違うわね、基本的な投げ方を見せてあげるから良く見てて」
 美鈴は的の正面に立ち、足のケースからクナイを取り出し右手に構える。左足を少し前に出し軽く曲げ右手を耳の横まで上げて左手は的に向けて真っ直ぐ的を指差す。標的を定め、一歩踏み出しつつ右腕を振り下ろしながら手を緩めてクナイを飛ばす。
 クナイは微かな風を切る音を立てて的の中心に突き刺さった。
 それを見た咲夜は驚きの表情を見せてから輝くような目で美鈴を見やる。
「見直した? 投げナイフの投げ方なんだけどね、上達すると色んな応用の投げ方が出来るようになるのよ」
 得意気に喋る美鈴は更に腕を横に振る様にしてクナイを投げ、またも的の中心にクナイが刺さり、咲夜は益々美鈴を憧れの人を見るように輝くような目で見つめる。
 気分を良くする美鈴は再びクナイを投げる。
 だがクナイは的をかすって彼方へと飛んでいってしまう。
「「あ」」
 暫く沈黙、気分を良くしていただけにこの沈黙は美鈴の心に痛く染み込み気まずそうな顔になる。咲夜もがっかりした様な顔付きになっていた。
「ま、まぁ今のはしっかりしないと上手い人でもこうなるってお手本よ。さぁ、咲夜、続きを始めましょ」
 誤魔化すように美鈴は咲夜を前に出して練習の続きを始めた。

 クナイの投擲の練習を終え、次の訓練に入る。
「次は手元に武器が無い時の為の武術の体術よ。まずは基本の型からじっくり慣らしていきましょ。私の動きの後についてきて」
 美鈴は攻撃の型、守備の型等基本的な型を判り易いそうゆっくりとした動きで披露する。咲夜はそれを見ながらぎこちなくではあるがしっかりと付いていく。
「初めてにしては中々良いわよ。咲夜は結構素質あるんじゃない」
 褒められた事が嬉しかったのだろう咲夜は頬を赤く染める。その消極的な表現に美鈴は苦笑してしまう。
「そんな無表情じゃなくてもいいのよぉ。嬉しいときは笑いましょ。ほら、こんな感じに」
 笑顔を作りながら話しかける美鈴を見ながら咲夜はぎこちなくも笑顔を作った。
 美鈴は笑顔を作った事を見て、咲夜の頭を軽く撫でる。
「そうよ、嬉しかったり楽しかったりする時は素直に笑う。それが一番で幸せよ」

 午前の部の最後はジョギングによるスタミナを付ける訓練。自己を守る力を維持し続けるにはスタミナは大事なのだ。
 紅魔館の門をスタート地点として館の周りを五周する事から始めた。
 結論から言うと咲夜は五周する事も出来ずに途中でバテてしまった。小さい子供には館を五周する事も大変なのだ。
「んー、まだ五周は早かったかな?」
 両手を膝に置いて肩で息をする咲夜を見ながら美鈴は唸る。
「その様子じゃまだ無理そうね。明日からもっとスケジュールを緩めていきましょ」
「……いらない、このままで……いい……」
 咲夜は息を上げながらも美鈴の提案を拒否する。
「そんな事言われてもねぇ」
「明日は……もっと頑張るから……このままで……いい……」
「頑張り屋なのやら強情なのやら。――分かった、明日もこの通りにいくわよ。でも無茶しないでね、無理そうだったら私が止めるからね。さて、今日の午前の訓練はお仕舞いよ。次は館の中で午後の訓練に入るからお風呂で汗を洗い流しに行きましょ」
 息も整った咲夜は館に戻る美鈴に声を掛ける。
「姉さん」
「ん、何?」
「――お湯は温くして」
「分かってるわよ」
 昨日の事を警戒しているのだろう、少し恐がりながら話す咲夜に笑顔を作りながら答え、二人は中庭を後にした。


 午後の部は紅魔館のメイドとしての訓練をする。
 いずれはメイド長としてレミリアの側に就くからにはメイドとしての作法などを全て覚えないといけない。美鈴は咲夜に館内部の構成、他のメイド達の事、パチュリーの事、レミリアの生活サイクルなどを説明していく。
 そんな美鈴に背後から近づく影があった。
 黒いスカートと白いYシャツに黒いウェストコートを纏い、肩辺りで整えられたセミロングの赤い髪、背中には蝙蝠の様な黒い羽根を持ち、頭にも背中の羽根をそのまま小さくした様な羽根を生やしている。
 パチュリーによって召喚され、その下で司書として働いている小悪魔だ。
「めーいりんさん! そんな所でどうしたんですか?」
「あ、小悪魔さん、おはよう。ちょっとこの娘にメイドの指導をしてたのよ」
「あー、レミリアさんが次期メイド長として招待した期待の星の咲夜さんですね」
「貴方、昨日の事なのに随分知ってるわねぇ」
「リアルタイムでパチュリー様とその様子を見てましたから」
 小悪魔は咲夜と目線が同じ位置になる様にしゃがみ込み微笑みかけるが咲夜は恐がって美鈴の陰に隠れてしまった。
「咲夜、別に恐がらなくても大丈夫よ。彼女は小悪魔さん、パチュリー様の所で働いてるの。ほら挨拶して、自己紹介も立派なメイドになる為の一つよ」
 美鈴は軽く咲夜の背中を押して小悪魔の前に出す。
「初めまして咲夜さん、私は小悪魔と言います。パチュリー様の書斎で働いてますからこの先何度も会うことになるでしょう。宜しくお願いしますね」
「ぁ、あの、その……ほ、ほんじ、本日づ、付け……」
「そんなに慌てなくてもいいですよ。落ち着いてゆっくり話して下さい」
 緊張して小さい声で何度も噛む咲夜を静め様と小悪魔は優しく語り掛ける。
 咲夜は気持ちを落ち着かせるように深呼吸を一回する。
「……本日付で紅魔館に仕える事になりました十六夜 咲夜です……どうぞ宜しくお願いいたします……」
 小さく御辞儀をしながら子悪魔の様子を上目でチラチラと伺う咲夜に再び小悪魔は微笑みかける。
「はい、宜しくお願いしますね」
 その笑顔を見た咲夜は体から緊張が抜けていくのを感じた。そして頬を赤く染める。
「では私はパチュリー様の本の整理がありますからこれで失礼しますね」
「そうなの、大変ねぇ。お互い頑張りましょう、小悪魔さん」
 小悪魔は立ち上がり軽く礼をしてから去っていった。
「良く出来たわよ咲夜、そんな感じでやればいいのよ」
「あれで良かったの……?」
「そうよ。後はもう少し言葉遣いを代える事と緊張しないようにすれば完璧ね。流石咲夜よ」
 咲夜は再び頬を赤く染めて俯く。
「それとさっきも言ったけど嬉しかったりしたら素直に笑いなさい、ね」


 その後も美鈴は咲夜にメイドのいろはを教えていった。
「次は掃除ね。掃除はメイドの基本! 部屋の隅から隅まで舐め回すみたいに徹底的に掃除するのよ」
 背伸びしてはたきで叩こうとして花瓶にぶつかってテーブルから落ちそうになるも美鈴がギリギリの所でスライディングキャッチ、花瓶崩壊の難を逃れた。
 だがキャッチした際、中に入っていた水がブチ撒けられ美鈴はびしょ濡れになった。

「料理! 美味しい料理を作り、主人の御腹を満たしてもらう」
 油を入れすぎて鍋の中が炎上、厨房が火事に成りかける。出来た料理は真っ黒焦げになり、何を作ったのかさえ判断できない。
 食べ物を粗末にしてはいけないと説いて美鈴は黒焦げ料理を無理矢理食べつくした。

「紅茶! お嬢様は大の紅茶通。最高の紅茶を淹れてあげられる事がメイド長としての嗜み」
 蒸らす時間が長すぎてやたら渋くて濃い紅茶が出来上がり、それを誤魔化そうと砂糖を溶けなくなる程に混ぜた結果とてつもなく濃くて激甘の紅茶が完成した。
 その内上手く出来る様になる、と美鈴は泣きそうになる咲夜を宥めその紅茶を一気に飲み干した。


 今日一日のスケジュールを終えて自室に戻ってきた咲夜は早速ベッドに飛び込み、布団に潜り込んでしまう。失敗だらけに一日に相当ショックを受けてしまったようだ。
「まぁー、全部初めてやった事なんだから失敗は当然よ、だからそこまで落ち込まないで」
「だって……今日、姉さんを沢山困らせた……」
「そんな事気にする事は無いわよ、妹の世話を見るのがお姉さんの役目なんだからね」
 咲夜が顔だけ布団から出す。
「妹?」
「そう、妹よ。それで私が姉。つまり私と咲夜は姉妹よ。姉妹はお互い遠慮する事なんて無いのよ、義姉妹だけどね」
「でも……」
「またお得意の『でも』なの? 咲夜は私が姉妹じゃ不満? 私は、迷惑だった?」
「――っ迷惑だなんてそんなこと無い、めーりん姉さんは私を――」
 咲夜は布団引き剥がし、強めに声で全てを言い切る前に頭に何かが乗る。
「分かってるわ、貴方が私を好いてくれている事はね」
 頭に乗ったのは美鈴の手だった。美鈴が軽く頭を撫でると興奮気味だった咲夜は瞬く間に冷静になっていく。
「只、咲夜の反応が面白いからついからかいたくなっちゃうの」
「……酷いよ」
「ごめんね、ちょっと意地悪だったわね。そうだ、これで機嫌直して」
 美鈴は咲夜の長いもみ上げに手を掛け、何かをし始めた。
「え、な、何?」
「大人しくしててねぇ、形が崩れちゃうから」
 そう言って美鈴は黙々と咲夜の髪を弄り続ける。咲夜も悪い事をしているのではないと思い、言われたとおり静かに待つ事にした。

「最後にこれを結んで――はい完成!」
 作業が完了して美鈴は満足げに頷くと早速と咲夜を壁に立て掛けてある美鈴の全身が映る位の大きさの鏡の前に持ってくる。
 そこには美鈴と同じように両のもみ上げに三つ編が施され、先端には緑色のリボンで調えられた咲夜の姿が映し出されていた。
 咲夜は呆然として三つ編に触れている。
「これって……」
「どう、これで御揃いね。丁度髪も長いし、見た感じは姉妹みたいよ」
 美鈴は目を咲夜の高さになる様に膝を付き、肩に手を置く。
「これは私達が姉妹の証よ。だからそんなに遠慮したりしないで、ね?」
「……ありがとう、めーりん姉さん」
「なんだ、ちゃんと笑えるじゃない」
 その時の咲夜の顔は今までで一番自然で穏やかな笑顔で溢れていた。

コメントは後編で


2月14日:指摘された誤字修正
更待酉
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7.無評価名前が無い程度の能力削除
「頭首」→「当主」
「鳴き声」→「泣き声」
「始めて」(3つ目)→「初めて」
かと。間違ってたらごめんなさい。
9.無評価更待酉削除
>名前が無い程度の能力 さん

ご指摘ありがとう御座います、指摘された箇所を修正しました。
15.100時空や空間を翔る程度の能力削除
私も「十六夜咲夜」に一票。

咲夜可愛いよ~。

20.100名前が無い程度の能力削除
パーフェクト・スカーレット
( ゚д゚)


( ゚д゚ )
25.無評価SSK削除
パーフェクト?

( д)゚゚