Coolier - 新生・東方創想話

稗田阿求の割と普通の一日

2007/01/23 06:47:58
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 稗田家の 返り吹く風 ねはんに
 
 彼女は人か 彼岸の人か
 
 
 
 
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「ふぁぁ~」
 
 僅かに開いた出窓から射してくる光に机に突っ伏して寝ていた少女が大あくびをしながら目を覚ます。
 試しに肩を回してみればぼきぼきと小気味良いようで悪い音が盛大に返ってくる。
 少女、稗田阿求の朝は早い時もあれば遅い時もある。今日はまだ早く起きた方と言えるだろう。
 …まぁ、まだ眠いことは眠いのだが。

「…結局あのまま寝ちゃったか」
 
 机の上には書きかけの書物が乱雑に並べられている。
 顔に墨がついてないだろうかと傍においてある手鏡で確認する。よし、問題なし。
 毎日布団で寝ようとは思うのだが、書いてると結局今のように机が寝所ということになりやすい。
 書けるときに書いておかないで後回しにするとろくなことにならないというのは経験上彼女は良く知っていた。
 
 稗田の家は人間の里で最も幻想郷についての知識があるとされる由緒ある家系である。
 そして、彼女は稗田がそう呼ばれる所以である九代目阿礼乙女。
 1000年以上続く家系の何の九代目かと言えば彼女は実は一度見たことを全て覚える事が出来たという初代稗田阿礼の九回目の生まれ変わりなのである。
 故に阿礼の転生体は歴代の生まれ変わりの記憶を持っているとされている。
 ちなみに今回は女だったから阿礼乙女だが、男ならば阿礼男となる。
 
 そして、転生故の肉体の負担のためか彼女は三十まで生きることは出来ない。
 今までずっとそうだったから、きっと今回もそうだろう。
 これだけを聞けば同情の念を送られてきそうだが、実のところそう辛い話でもない。
 確かにこの体の寿命は普通の人間に比べれば長くはないが、普通の人間のように輪廻の輪に乗るわけではないのだから実質的な終わりではないのだ。
 簡単に言えば百数十年周期で肉体を転々としている幽霊のようなもの。
 住めば都とも言うし、慣れてしまえばこれはこれで結構楽しいものだ。
 勿論、不満が無いわけではないが。
 
「んー、今日もいい天気」
 
 窓を目一杯開けばどこか心地よい朝日を浴びることが出来る。
 きっと、いくら時が経とうとも何の変化もない幻想郷の朝。
 
 こうして、今日も彼女の普通の一日が始まる。
 
 
 
 

 
 
 
 
 朝、稗田の家の中は静かに騒がしくなる。
 
 何をしているかといえば、ここで働いている者達がばたばたと慌しく開店の準備である。
 稗田の家は代々本屋として知識を広める役目も買っているのだ。
 そちらの方は阿求の役目ではなく別の者が責任者ではあるが、看板娘ということで手伝いに出るのも少なくはない。
 書き続けていれば良いというものではないので気分転換には良いか、と彼女は彼女で納得している。
 
「すいません。まだ店は開けてないんですが」
「ああ、九代目の知り合いの者なんだが」
 
 店先の人物に店員の一人が話しかけている。
 誰かと思ってちらりと見てみれば見知った顔がある。
 
「おや、誰かと思えば慧音さんじゃないですか」
 
 そこにいたのは上白沢慧音。
 彼女は半獣という立派かどうかは微妙な妖獣だが、それでも人間を守っているという変わった人物だ。
 変わってることが代名詞の妖怪なのだから、むしろ妖怪らしいというべきなのかもしれない。
 
「九代目、早速で済まないが…」
「はいはい、例の物ですね。ちゃんと出来てますよ」
 
 「ちょっと待っててください」と言い残して、奥に向かう阿求。
 そして暫くしてからよたよたと危ない足取りで何冊も積み上げられた本束を持ってくる。
 
「えっと、これで数は合ってると思いますけど、一応確認してくださいね」
「…ひー、ふー、みー―――うん、間違いない。いつもすまないな」
「いえ、これもこっちの商売ですから」
 
 これらの本は全て慧音が人間の子供達を対象に勉強を教えてる寺子屋で使う教科書。
 昔の人が使っていたものを阿求が纏めたものだ。
 無論一つでは足りないから注文された数だけ複製してある。
 新しく出版される物だけではなく、既存の本を複製するのもこの店で行っている商売の一つだ。
 外の世界には印刷機という同じ髪を何枚も作ることが出来るらしいが、人の里にはそんなものがないわけでいちいち一冊一冊手書きでやらねばならない。
 天狗の里には物をそっくりそのまま写しとる道具があると聞くが、羨ましい限りである。
 尤も、その手間も含めて阿求は本のことが好きなのではあるが。
 
「…それで、御代なんだが」
「あー、はいはい、分かってますよ。いつも通りツケですね?」
 
 心底申し訳なさそうにしている慧音に阿求は笑いかける。
 彼女の寺子屋はほとんど無料奉仕のようなものなので、当然収入もろくにない。
 収入がなければ当然支払いもできるわけもなく、こうしてツケがよく使われるわけだ。
 
「すまないっ。いつか必ず支払うから」
「いえいえ、浅い付き合いじゃないんですから、この程度の融通は利きますよ」
 
 ぺこりと頭を下げる慧音に相変わらず真面目な性格だ、と内心苦笑する。
 
 慧音と阿求の関係は決して浅くはない。
 何代にも渡って彼女と会合を果たしているというのが阿礼の記憶として微かにだが残っている。
 
 実のところ一般には歴代の生まれ変わりの記憶を持っているとされているが、実のところ記憶などほとんど残っていない。
 代々受け継がれているのは一度見たことを全て覚え事が出来るという能力程度のものだ。
 とはいえ、慧音との付き合いは幼少の頃よりずっとあるので、阿求にとっても馴染み深い人物であるということには変わりない。
 
「しかしこれは皆九代目が書き写した物だろう?」
 
 確かにこの教科書の複製は全て阿求が行ったものだ。
 だからこそ金銭面等に多少融通が利くとも言える。
 
「本当に気にしなくていいんですけど…」
「そういうわけにはいかないだろう。無理を言ってるのはこちらなんだから」
 
 むー、と阿求は唸る。
 本当は御代を貰わなくでも構わないのだが、この頭の固いワーハクタクはそでは満足しないだろう。
 それどころか、このままでは自分の周りの物を売ってでも払いに来そうな勢いだ。
 
「……そうだ、どうしてもって言うなら今度うちに夕飯でも食べにきて私の話に付き合ってくれて、愚痴にでも付き合ってくれれば良いです」
「…そんなことで良いのか?」
「こっちとしては結構重要ですよ。慧音さん、最近は用事以外でうちに来ないですから」
「正式に九代目に就任したから忙しいだろう思って遠慮してたんだが、返って裏目に出てしまったか…」
「そんなこと気にしてたんですか?」
 
 本当に変なところに気を使う人だ。
 御阿礼神事といってもそこらの祭りと大差はない。
 騒ぎたい奴等が騒ぐ名目を得るためにやっているようなものなのだから、何がどうこう変わるものでもない。
 
「そういうことですから、今度は山菜でも手土産に尋ねてきてください。貸しはそれで帳消しということで」
「…そうだな。今度時間が空いたときにでも飛びきりの物を持ってくるとするよ」
「ええ、そうしてください」
 
 阿求はやっと笑顔の戻った慧音を見送った後で店内を見回す。
 準備は完了している。時間もちょうど頃合。
 
「――さて」
 
 阿求は両頬を叩いて気合を入れ直す。
 そして、こちらの方に注目している従業員の方を向いて声高にこう言った。
 
「皆さん、本日も頑張りましょう!!」
 
 「はい!!」という返事とともに今日も騒がしい店の一日が始まるのだった。
 
 
 
 

 
 
 
 
 昼、この稗田の家が最も騒がしくなる時間帯である。
 本を探しに来た客、本の複製の注文に来た客、本を買いに来た客、様々である。
 種族すらも様々である。人間、妖怪ともに同じぐらいの割合でいる。
 昔なら此処に妖怪の姿があるというのは有り得ない光景だったんだろうなぁ、とぼんやりとその光景を眺めながら阿求は思う。
 今ではそう珍しくもないが、「弾幕ごっこ」というルールが出来上がるまではこの里にも妖怪の姿が見られることはなかったのだ。
 それが今では一部ではあるが、妖怪が人間と共存しているのだ。時代とは変わるものだ。
 
 周りは忙しそうにしているが、実のところ阿求自身はそう忙しいわけでもない。
 看板娘は看板娘らしく愛想を振舞っていれば良いのだ。
 本気で忙しい時以外は専ら「お勤め」を果たしたりしている。
 もちろん客が来たら笑顔と挨拶は忘れない。
 
「いらっしゃいませ」
 
 今も店内に足を踏み入れた人物に鍛えぬいた営業スマイルを見せ付ける。
 例え相手が獣畜生だろうがなんだろうが店に入ればお客様である。
 まぁ、実際に獣畜生だったら丁重にお帰りいただくが。
 
「やぁ、阿求さん。繁盛しているようで何よりだ」
 
 おや、と営業モードから通常モードに移行する。
 その客が見知った顔だったからである。
 
「霖之助さん、こっちまで来てるなんて珍しいですね」
「ちょっと霧雨の大旦那様に用があってね」
 
 彼の名は森近霖之助。最近では大して珍しくもなくなってきている人間と妖怪のハーフだ。
 魔法の森の入り口近くで営業している香霖堂の主である。
 香霖堂には外の世界の物も売られていることがあるので一部の者の間では有名な店だ。
 
「ついでに頼まれてた物を持ってきたよ」
 
 言いながら霖之助は手荷物の中から数冊の本を取り出す。
 それ等は稗田家が霖之助に鑑定を依頼していた本だ。
 
「…早かったですね。べつに急ぎじゃなかったんですけど」
「いや、商売柄未鑑定品を目にするとつい身体がね」
「安全の保証はないんですから慎重にやってくれないと…」
「大丈夫さ。見ただけで駄目そうな物には手は出してないから」
 
 こと鑑定に関して言えば霖之助以上の者はそういない。
 使い方が分からないのが欠点ではあるが、一目見ただけでその物の用途と名前が分かるのだ。
 だからこそこれの鑑定を依頼したとも言える。
 
 この本は俗に言えば曰く付きの物。例えば、持ち主が非業の死を遂げていたりする物だ。
 そういった物は大体噂に尾ひれがついたものだが、稀にこうして本当に何かが憑いていたりするものがある。
 憑いていること自体は分かるのは難しくないのだが、憑いている者が本の中に居たりすると話がややこしくなる。
 開けると相当拙いのも中にはいるので迂闊に開くことも出来ない。
 触らぬ神に祟りなしである。
 いかに転生体と言えども肉体がただの人間である以上、その手のものに対する耐性ははあまりないのだ。
 紅魔館にも本に関しての観察眼は高そうなのがいるが、このような雑用を引き受けてくれるとは思えない。
 そこで霖之助に白羽の矢が立ったわけだ。
 
「それでどうでした?」
「うち何人かは本の居心地が良くて住み着いてるのだったから、話して出て行ってもらった。残りは…まぁ、下手に刺激しないことをお勧めするよ。尤も、里を吹き飛ばしたいというなら話は別だけど」
「…そうですか」
 
 そう珍しいことではないので大して動揺はしない。
 たまたま来ていた巫女がこの本を見た時あからさまに嫌そうな顔をしていたのでそんな気はしていたのだ。
 まぁ、数冊の封が解けるだけでも結果としては上々だろう。
 残りは厳重に封印して地下に保管することになる。
 こういった危険な書物の管理も稗田の家の役目でもある。
 
「御代ですけど、こんなに早いとは思ってなかったので準備が済んでないんですが…」
「ああ、後で良いさ。ちゃんと貰えるなら文句は何もないよ。中には商品のお金を払ってくれない人もいるんだから、ちゃんと払ってくれるなら文句は無いさ」
 
 苦笑しながら言う霖之助。
 代金を払わないのはきっと博礼の巫女だったり、魔法の森の魔法使いだったりするのだろう。
 一応同じ商売人としては同情を禁じえない。
 
「…ところで、その本なんだけど」
「駄目ですよ。これはうちで保管しておきますから。いくら払われようと譲る気はないですからさらっと諦めてください」
 
 霖之助の言葉の先手を制して答える。
 蒐集家としても知られている霖之助のことだ、必ずそう言ってくると思っていた。
 何時の時代にもいるのだ。危険と承知の上でその物を持ちたがる連中が。
 そのくせいざ問題が発生したら自分では何も出来ないのである。
 まぁ、そういう意味では稗田家も本の蒐集家と言えなくもないが、ちゃんとそこらの対策は練られているから問題ないということにしておく。
 
「駄目かい?」
「駄目です」
「どうしても?」
「どうしてもです。無理を通したいなら憑いてる者を退治できる程度の実力を手に入れてからにしてくださいな」
 
 霖之助の懇願も容赦なく叩き斬る。
 真剣にこちらを見つめてくる霖之助に、にこにこと微笑んでいる阿求。
 暫く見つめあった後で折れたのは霖之助のほうだった。
 
「…無理に持って行くのは僕の主義にも反するから止めておくさ。あなたを敵に回すと良いこともなさそうだし」
 
 失礼な。
 
「では、今日のところはお暇させてもらうよ」
「はい。また何かあったら頼みますので、よろしくお願いします」
「ああ、期待してるよ」
 
 出て行く霖之助を店先で阿求はお辞儀をしながら見送る。
 が、当の霖之助は店を出てすぐのところで立ち止まってしまう。
 どうやら知り合いとでも会ったらしく、
 
「霖之助が人里にいるなんて珍しいわね」
「君に言われたくはないな」
「霖之助さんほど引き篭もってないわよ。これでもちょくちょく人里には来てるんだから」
 
 そんな声が聞こえてくる。
 
「…ん?」
 
 立ち聞きも失礼なので仕事の方に戻ろうとして阿求はふと立ち止まる。
 その声に聞き覚えがあったからだ。
 この慇懃無礼というか、誰でも対応が変わりそうにない口調は確かに覚えがある。
 そして、思い出すまでもなく霖之助との会話を済ませたらしいその人物は店に入ってくる。
 
「あら、そこにいたのね。呼び出す手間が省けたわ」
「――あ、霊夢さん。もう来てくれたんですか?」
 
 そこにいたのは今代の博麗の巫女である博麗霊夢だった。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 夜、一族の者と泊り掛けで働いてる者の何人かが残るだけでそれまでの喧騒が嘘のように静まり返る。
 そんな中、虫の鳴き声だけ響いている縁側でがで霊夢は一人で座っていた。
 
「お待たせしましたー」
 
 そこに一本の酒瓶を持ってきた阿求がやってきて、隣に座る。
 
「ささ、まずは一献」
「承った」
 
 霊夢の持つ杯に酒を注ぐ阿求。そして、そのままぐいっと一気に飲み干す。
 彼女の表情が感嘆のそれに変わる。
 
「――なかなかの味ね。良いお酒だわ」
「ふふ、そのお酒手に入れるのに苦労したんですよ。なんたって30年ものの焼酎ですから」
 
 30年もの、その言葉だけで旨みがありそうな感じがする。
 実際どうなのかは知らないが、その言葉だけで美味しく感じられるのだから言葉とは便利なものだ。
 
「へぇ。で、何て名前のお酒なの?」
「『胡蝶の夢』ですよ」
 
 ぶ、と噴出しそうになるのを霊夢は何とか堪える。
 その名前から某冥界のお嬢様を連想したのは仕方ないことだろう。
 
「冥界産ですけどね」
「本当に冥界かいっ!!」
 
 いつから酒造なんかはじめてたのか。
 ああ、30年ものとか言ってたんだから少なくとも30年以上前からか。
 奥が深いなぁ、冥界。
 
「まぁまぁ、そんなことよりさっさと私にも注いでくださいよ。私も楽しみにしてたんですから」
「あ、ごめんごめん」
 
 霊夢に注がれた杯を阿求は一気に飲み干す。
 
「くぅぅ、やっぱり一作業の後の酒はたまりませんねぇ」
 
 くはぁ、と心底美味そうに言う阿求に霊夢は苦笑する。
 なんというか親父臭いぞ阿礼乙女。
 
「いやぁ、霊夢さん。今日はわざわざありがとうございました。おかげで作業も大分進みそうですよ」
「…出来ればもう勘弁して。何度も読み直してたら頭が痛くなってくるわ」
「あははー。でも、まだまだありますよ。何せまだ半分も完成してないんですから。チェックしてもらえる程度になったらまた頼みますから」
 
 笑顔で現実を宣告してくれる阿礼乙女にがくりと肩を落とす霊夢。
 またあの文字地獄が待っているというのか。
 考えるだけで頭が痛くなってくる。
 
「……別に文字を変える位で良いんじゃないの?内容変える必要も感じないんだけど」
「駄目です。以前の知識が今も使えるとは限らないんですから。今の中身は百年以上昔の知識なんてあってないようなものです」
 
 霊夢がさきほどまで読んでいたのは、まだ途中ではあるが歴代の転生者達がその代その代で作り上げた幻想郷縁起をさらに阿求が編集したものだ。
 幻想郷縁起とは阿一の代から始められた後世の人間へと妖怪に関する知識を伝えるために書き始められたものである。
 阿求には妖怪と戦う力ないので、編集する際には妖怪退治を仕事としている人たちに話を聞いてそれを元にしている。
 
 そこで一応は妖怪退治の専門家である霊夢にこうして確認を取ってもらったというわけだ。
 
「それにしても、随分読み易い風に変えたのね」
「あ、わかりました?」
 
 阿求は嬉しそうに微笑む。
 いかに読み易くするか、それが彼女が今回の編集で掲げているテーマだったからである。

「そりゃ分かるわよ。以前のをちらっと見た時は堅苦しい言葉ばっかりだったのに、これは妖怪達の私生活まで分かりやすく書いてるじゃない。おまけに、これは……」
 
 中には見覚えのある鬼が満面の笑顔でポーズを取っている写真があった。
 鴉天狗にでも撮ってもらったのだろうか。
 
「あれ、本人達から写真を提供してくれたんですよ」
 
 思い出し笑いか笑いながら言う阿求に、霊夢は呆れた表情になる。
 一応この本は妖怪の危険性や退治の方法を載せるものなのだが、それにわざわざ自分からアピールにくるなんて能天気というか考えなしというか。
 
「けど、良いの?」
「まぁ、良くはないでしょうねぇ」
 
 阿求は苦笑する。
 まだ一族の者には誰にも見せてないが、これを見せたら爺婆あたりは卒倒するかもなぁ、と他人事のように考える。
 
「霊夢さんは今の幻想郷に妖怪退治の専門書なんていると思いますか?」
「……まぁ、あまり必要ではないわね」
 
 嘘を言ってもどうにならないので思ったままを口にする
 必要ないかと言われれば必要であろうが、以前ほど重要視されているかと言われればそういうわけでもない。
 
「私もそう思います」
 
 それは分かっていたのだろう、阿求の返答もしっかりしたものだった。
 幻想郷はここ百年余りで大きく変化してしまっている。
 今では人間が妖怪に喰われること自体が滅多になくなっているのだ。
 だから、今までと同じ形のものでいいのかという疑問にぶち当たった。
 何日もかけてずっと悩んである結論に辿り着いた。
 
「私は今回の幻想郷縁起は人間と妖怪の新しい関係を記したものにしたいと思ってるんです」
 
 妖怪の私生活にまで掘り下げて載せているのは人間に妖怪というものがどういうものかより知ってほしいからだ。
 人間が見れば妖怪がどういう生活しているかを知り、妖怪が見れば人間がどういう考えをしているかなんとなくは分かる。
 新しい人間と妖怪の関係の指針になればいい、それが阿求が出した結論だった。
 
「というわけで、さしあたって読みやすいように注釈を加えてみたり今風に横文字なんかも取り入れてみたわけですよ」
「…なるほどねぇ」
 
 対する霊夢は複雑そうな表情で答える。
 
「博麗の巫女としては反対ですか?」
「…別にそういうのじゃないわよ」
 
 少し不機嫌そうに霊夢は答える。
 博麗の巫女でありながら、彼女はそう呼ばれるのをあまり好こうとしない。
 本人曰く、そんなものただの重り以外の何者でもないそうだ。
 
「――まぁ、別に私個人は良いと思うわよ」
 
 付け加えるように言う霊夢の言葉に阿求は嬉しそうに微笑む。
 彼女ならきっとそう言うだろうと思っていた。
 人間と妖怪の共存という形を誰より実践しているのは彼女自身なのだから。
 そして、これは秘密だけど、阿求が理想としているのは霊夢と神社に集まる妖怪のような関係なのである。
 
「でも、あなたは本当にそれで良いの?」
「反対する人は多そうですねぇ。うちには頭固い人が多いから」
「そっちじゃないわよ。あなたがその程度のことを問題にするわけないでしょ」
 
 おやおや、と思う。随分買い被られたものだ。
 根強い体制というものはそう簡単に崩せるものではないのに。
 それが何百年と続いたものなら余計にだ。
 まぁ、どうにかしようという気がなければ最初からしようともしないのは確かだけれど。
 
「私が言いたいのはあなた自身のこと。幻想郷縁起は人間のための書。それを決めたのは最初のあなたよ。そしてをそれを転生してまで書き続けようと決めたのも最初のあなた。それを変えて一番困る者もあなた。違う?」
「……」
 
 霊夢は言っているのは事実だ。
 歴代の阿礼の転生者たちも、稗田阿求も、ただこの幻想郷縁起を書き綴るためだけに存在している。
 誰に強制されるわけでもなくそう決めたのは自分自身だ。
 そして、その幻想郷縁起を否定するということは自分自身を否定するに等しい。
 
「心配してくれてるんですか?嬉しいなぁ」
「別にそういうのじゃないわよ。自己犠牲とかそういうのが嫌いなだけ」
 
 素っ気無い霊夢に阿求は釣れないなぁ、と苦笑する。
 しかしその方が彼女らしいといえばらしいのかもしれない。
 
「大丈夫ですよ。こう見えても忍耐力には自信がありますから」
 
 慣れれば言うほど辛くはないといっても、百数十年という時は人間にとっては長過ぎる。
 阿礼という人物が転生するということは分かっていても、阿礼という人間のことを知っている者は誰も居ない。
 その孤独感を何度も繰り返してこの幻想郷縁起を書き続けてきた。
 もう記憶にないけれど、それは守りたいものがあったから。
 
 そして、今その幻想郷縁起が必要なのかどうか問い直す時期が来ている。
 もしそれが重荷になっているというのなら、失くしてしまえば良い。
 いらないというのならそれが一番良いのだ。
 
「まぁ、それにこのペースだと完成までにはまだまだかかりそうですから。後のことはゆっくり考えますよ。来年の話をすると鬼が笑うって言いますし」
「…そうね。うちに居ついてる鬼なら大笑いしそう」
 
 阿求の言葉に霊夢もくすりと笑う。
 やはり人と話す時は辛気臭いよりも笑顔の方がずっと良い。
 
「……おや、いつの間にか空だ」
 
 酒を注ごうとして、酒瓶の中身が身体ということに気づく。
 確かに気づいてみれば、少し程よい程度の酔いが回っている。
 良い酒はいつの間にか飲み切ってしまってしまうものだ。
 
「もう一本適当に見繕ってきますよ。あんまり良いのはないだろうけど」
「……んー、私は良いわ」
 
 言いながら立ち上がる霊夢。
 阿求の方とは違い、酔いを感じさせないかろやかな仕草だ。
 
「あれ? もう帰るんですか?」
 
 今日は泊まっていくとばかり思っていた阿求は驚きの声を上げる。
 
「まぁ、これでも一応巫女だからそんなに長く神社を空けるわけにはいかないのよ」
 
 本音を言えば一日でも神社を空けようものなら、百鬼夜行さながらに荒らし回りかねないのが大量にいるからだ。
 家主の了解なしに宴会をしかねない連中なのだ。下手をしたら今日も集まっているかもしれない。
 
「はぁ、大変ですねぇ巫女さんも」
 
 噂程度には聞いていても実際の光景を知らない阿求にはそうとしか言えない。
 
「まぁ、面倒な役目ばっかり背負わされてるのはお互い様よ」
 
 霊夢の言葉にくすりと笑う阿求。
 こちらは望んで背負っているけれど、面倒なことには違いない。
 
「それじゃ、ね」
「はい、呼んでもらえる程度の出来になったらまた呼びますから」
「……」
 
 出来れば勘弁して欲しいなー、とは思ったがそれは口に出さない。
 認めたくはないが、霊夢は面倒ごとがそう嫌いではないのだ。
 
 月明りを背に飛び去っていく霊夢を見送ってから阿求もその場から立ち上がる。
 そのまま、屋敷内に入ろうとして戸を閉める前に振り返って外の景色を見つめる。
 1000年経とうが少しも変わってないだろう風景がそこにはある。
 静かな幻想郷、騒がしい幻想郷。
 阿求が――阿礼が愛してやまなかった風景が広がっている。
 もしかすると、昔の自分は幻想郷縁起がどうとかは関係なくこの風景を見ていたかったから転生という道を選んだのかもしれない、そう思ってしまうほどに彼女はそま光景が好きだ。
 
「さーて、今日も徹夜かなぁ」
 
 伸びをしながら気合を入れる。
 その風景を守るために何が出来るかはわからないけど、とりあえずは今できることをやろうと思う。
 
 もしかしたら何かが変わるわけではないかもしれないけれど、何かをしようとすることが大切なのだと彼女は思っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―――こうして、今日も何でもないごく普通の幻想郷の一日は終わりを告げた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 ~きっと本編とは無関係な番外編~
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
「九代目っ!」
「…なにごとですか?」
 
 泊りがけで働いている従業員Aがふすま越しに声をかけてくる。
 その声色からただごどてないと伝わってくる。
 
「こちら向かってくる魔力反応を検知しました。この反応は『M』のものです」
 
 がたん、と阿求は音を立てて立ち上がる。
 ついにこの日が来たのだ!

「やはり、この本のことが彼女の耳にも入りましたか…」
「ええ、今では幻想郷縁起は近所のお子さんすら知ってる物です」
 
 恐るべきは噂の伝達能力。すっごいぞ、井戸端会議。
 もしかするとこれだけなら、人間が最強かもしれないぜ。
 どうせ60年もすれば覚えてるのなんてほとんどいないだろうに。
 
「総員、迎撃準備!!彼女に返す気ないなら借りれないということを思い知らせて上げなさい!」
「了解、Mに礼儀を叩き込んでやりますよ。その後で酒でも一緒に飲みましょう」
 
 見事に死亡フラグを立てた従業員Aが敬礼して走り去るのを見送ってから阿求は深くため息をついた。
 今日の夜は長くなりそうだ。そんな予感があった。
 
 
 
 その日、稗田家から悲鳴とか爆発音だとか「死ぬなAぇぇぇぇ!!」とか色々聞こえたとかいう噂が流れたが、真実は今も闇の中である。
 
 
 
 
 

ゆな
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コメント



0.2310簡易評価
6.60雨虎削除
>書けるときに書いておかないで後回しにするとろくなことに
布団に入って寝ようとしている時こそネタが浮かんで仕方がありません。
結局また起きてメモだけ書き残してまた布団に戻ってを繰り返すことに……
21.70名前が無い程度の能力削除
ちょうど求聞史紀を買ったところなのでおいしく読めました
書けるときに~は僕も当てはまるんで思わず苦笑
22.70蝦蟇口咬平削除
霊夢が本当に巫女の地位を重りと感じてるかは疑問ですが・・・もっとも修行は面倒とか考えてそうですが
魔理沙よ、紅魔館ののりでやっちゃいけないよ
23.100名前が無い程度の能力削除
読みごたえのある九代目の本編とにぎやかな稗田家の番外編、両方とも大満足でした。

わずかな出番なのになぜかAが印象ばっちりでしたw
31.100Eternal削除
稗田の筆記者。博麗の巫女。
伝統のある立場の二人だからこその会話だったのでしょうか。
素敵な作品にお礼を申し上げます。
47.70名前が無い程度の能力削除
すごく心地よい雰囲気を楽しめました。
>妖怪と戦う力ない
これって脱字ではないでしょうか?