Coolier - 新生・東方創想話

彼女は今も其処に居る。

2006/12/10 10:18:06
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 ゆっくりと腐り堕ちていく。



        †



 メディスン・メランコリーは毒の中で生まれた。腐れ堕ちる花の中で、彼女は眼を覚ました。
 ぱちくりと。
 瞼を開けてみれば、周りはすべて毒の花。人も妖怪も関係なく、少しずつ少しずつ、岩に水で穴を開けるように少しずつ、心も身体も浸食していくような、鈴蘭の花畑。
 メランコリックな毒の海。
 基調は緑。土の色を消すかのように生えた緑の葉。そこから鈴生りに、鈴の形の白い花が咲いている。風が吹けば音の鳴りそうな光景。けれども、風が吹いたとしても心に響く音は鳴らない。代わりにわずかな毒が風に乗って広がるだけだ。
 風に流れる毒は、紫。
 限りなく透明に近い、紫の色。眼を凝らしても見えないような毒の風は、空気よりも重く、ゆっくりと土の上に降りかかる。いずれそこから、鈴蘭の花が生えてくるのだろう。
 メディスン・メランコリーが生まれてきたように。


        †  †


 ゆっくりと、ゆっくりと、腐り堕ちていく。


        †  †



「スーさんスーさん、今日は良い天気ね」
 スーさんに向かってメディスンは言う。確かに、良い天気ではあった。雨が降れば毒は飛ばずに地面に染み込んでいく。遠くへは広がらないものの、その一点においていえば、毒の濃度は高くなる。
 というわけで、こんな土砂降りの日は、メディスンにとっては『良い天気』だった。空を見上げれば雨、雨、雨。分厚い雲は灰色を通り越して黒く染まっている。空の蒼など、微塵も見えなかった。遠くに見える空も黒――そもそも、降りしきる雨が強すぎて、遠くなんてほとんど見えなかった。
 音は聞こえない。
 雨が断続的すぎて、それが音と認識できなかった。ざー、ざー、ですらない。音が絶えることなく耳に入ってくるせいで、頭の中でもう聞き流しているのだ。雨音が他の音を全て掻き消しているため……結局、メディスンの脳には、何の音も入ってはこなかった。
 無声の世界。
 無音の世界。
 黒い雲と灰色の雨に景色は塗り潰され、色さえも塗り潰されている。モノクロームのサイレント。現実味なんてありもしなかった。もしメディスンの隣に誰がいるとしても、その誰かは、きっとその光景を夢だと思っただろう。
 けれど、側には誰もいない。
 幻想郷でも寄り付く者のいない鈴蘭の毒畑にいるのは、メディスン・メランコリーだけだった。
 彼女はそれを、寂しいとは思わない。
 寂しいと、考えもしない。
 ひょっとしたら寂しいというのが、どういうことか知らないだけかもしれないけれど――ともあれ、彼女は幸せだった。
 なぜなら。
「スーさん、私お昼ねしたいわ」
 そう言って、メディスンはごろりと鈴蘭の上に転がった。小さな身体に押しつぶされた鈴蘭たちが、逃げ場を探すように毒を吐いた。その毒を布団代わりにして、メディスンは微笑む。金の髪も、赤い服も、次から次へと降り堕ちる雨に濡れていくけれど、気にはしなかった。
 彼女の側には『スーさん』がいる。
 それ以上に、望むべきものはなかった。
 毒と雨と、そしてスーさんに囲まれて、メディスン・メランコリーは幸せそうに笑っている。


        †  †  †



 時計の針よりも、遅々とした動きで――毒は、すべてを腐らせていく。



        †  †  †



 たまには晴れる日もある。
 鈴蘭畑から遠くを眺めながら、メディスンは思うことがある。
 あの空は、どこまで続いているのだろうと。
 雲が流れてくる。風が吹いている。それは分かる。
 けれど、幻想郷には端があるはずで、雲や風はその先から流れてくるのだろうか――そんなことを、メディスンはたまに思う。
 思うだけだ。
 それを突き止めたいとか、理由を知りたいとか、そんなことは思わない。明日の天気は晴れかな、と思うのと同じようなものだ。
 その証拠に、すぐにメディスンは別のことに思考を移した。
「スーさんはどう思う?」
 誰からも答えも期待せずに言って、メディスンは毒の中を歩いた。
 小さな足で、歩いた。
 人形の足で、歩いた。
 鈴蘭畑からは出ようとしない。小さな世界が、彼女の全て。
 毒の世界で、メディスンは、幸せそうに笑う。
 彼女は――毒なのだ。
 メディスン・メランコリーは、毒であり、毒でしかない。人形に宿った毒、毒によって動く人形、それが、メディスンだ。
 たとえそこに絶対的な矛盾が交ざっていても、メディスンは気にしない。考えようともしない。
 幸せそうに笑うだけだ。
 ただ、笑うだけだ。
 毒人形は疑問を持たず、今日も毒の中で笑っている。




        †  †  †  †



 なにひとつの、例外もなく――毒は、彼女を犯していく。



        †  †  †  †




 鈴蘭は枯れない。毒を出す花は、自らの毒で死にはしない。メディスンが、自身の毒にやられたりはしないように。
 白い花は、今日も美しく咲いている。
 人形は、今日も楽しそうに笑っている。
 天気は晴れ。風のない、穏やかな春の日だった。こういう日には『スーさん』たちも元気で、ひとたび風が吹けば遠くにまで飛び立つだろう。けれども風は吹かず、鈴の花の中で穏やかにと眠っていた。
 その中で、メディスンも同じように丸くなっていた。
 猫のように、というよりは――箱につめられた人形のように。手足を抱えて、全身で毒を味わうようにして寝ている。
 眠りに堕ちてはいない。
 薄く眼を開けて、鈴蘭の花を下から見上げている。空の蒼に映える鈴蘭の白は綺麗で、小さな雲のようにも見えた。触れれば鐘の音が鳴りそうな光景。小さな小さな鈴は、さぞかし良い音を奏でるだろうとメディスンは思う。
 思うだけだ。
 それ以上、何をするわけでも、何があるわけでもない。
 彼女は、生きているだけで幸せなのだから。
 生きていることの、全てが楽しいのだから。
 ――ひらり、はらりと。
 空と鈴蘭を見上げるメディスンの視界を、紫色の蝶が横切っていった。羽に紋様のある、珍しい蝶だった。
「珍しいね、スーさん!」
 紫の蝶が珍しいのではない。
 鈴蘭畑に蝶がくるのが珍しい、とメディスンは言っているのだ。
 春の陽気に加えて、風がないせいかもしれない。こんな昼寝日和には、蝶も遠出をしたくなるのだろう。
 やっ、と掛け声勇んでメディスンは立ち上がった。珍しいものを、そのまま見逃す手はなかった。追いかけて遊ぼうと、子供のように思ったのだ。
 立ち上がり、駆け出そうとして、
「――あれ、スーさん?」
 駆け出せずに倒れて、メディスンは不思議そうに呟いた。
 蝶を目掛けて走ったはずなのに――真横に、鈴蘭の花があった。思いっきりこけて頭から鈴蘭畑に突っ込んだのだと、メディスンには分からなかった。
 何が起きたのか分からないまま、立ち上がろうとする。
 立ち上がれなかった。
「スーさん、足がないよ?」
 あっけらかんと、明るい声で、メディスンは言う。
 球体間接で出来た、人形の足。
 その足首から先が、いつのまにかなくなっていた。寝ている間に落ちたのかもしれない。
 痛みはなかった。
 痛みはないから、気づかなかった。
 メディスン・メランコリーは、キズ一つとして追っていない。ただ人形の足がないだけだ。
 そんなことよりも、もっと重要なことが今はあった。メディスンは顔をあげ、紫色の蝶を捜す。
 ――いた。
 視線の先、一メートルも離れていないところに、紫色の蝶はいた。飛ぶのに疲れたのか、鈴蘭の花にとまろうとしているところだった。
 そして、当然のように、蝶は地面に落ちた。
 鈴蘭の花びらを押しのけて、蝶は土の上へと落ちた。当たり前だ、毒の花に近づいて無事でいられるはずがないのだ。ここまで飛んでこられたこと自体が賞賛に値する。
 メディスンは手を伸ばす。足がない以上、手を伸ばすことしかできない。
 けれども、手は届かない。
 メディスンは、蝶を見ることしかできない。
 一度、羽根が蠢いて。
 それきり、二度と動かない。
 紫の蝶は堕ちたまま――飛び上がろうとはしなかった。





        †  †  †  †  †



 ゆっくりと、ゆっくりと、腐り堕ちる。



        †  †  †  †  †



 それから、数日が経った。
 メディスン・メランコリーは困っていた。けれど、つらくはなかった。痛くもなかった。
 なにに困っているかといえば、足がないせいで、その場から動けずに暇だったのだ。それどころか、この数日の間に手までなくなっていた。手も足もなく、移動しようにも移動できず、本当に何もできなかった。
 それでも、辛くはなかった。
 手がなくても、足がなくても、痛みはない。
 人形の身体は食べ物を必要としなければ、毒から生まれたメディスンは、ずっと毒畑の中にいてもへっちゃらだった。
 手足が腐り堕ちても。
 メディスンに、変わりはなかった。土の上に横になり、空と鈴蘭を見上げるだけだ。
「スーさんスーさん、いい天気ね」
 彼女の言う通り、いい天気だった。どんよりと空は曇り、静かに雨が降っている。豪雨ではなく、涙のような、切れ切れの雨。
 その雨を、メディスンは眼をそらすことなく見ている。
 瞼が腐り堕ちて眼を閉じることもできなかった。水晶球の瞳の上に、雨は次から次へと降り注ぐ。眼球に直接雨が当たっても、痛みはない。水が跳ねるたびに世界が破裂するように見えて楽しいくらいだ。
 手がないから、雨水を払うこともできない。
 足がないから、雨宿りの場所へ行くこともできない。
 ただ空を見上げて、雨と、鈴蘭を見上げることしか、メディスンはできない。
 それでも、幸せだった。
 スーさんが、側にいるのだから。
 雨と共に降り積もった毒が、側にいるのだから。
「スーさん、スーさん」
 蓄音機のようにメディスンは言う。いつまで言えるかなど、彼女は知らない。
 周りは全て毒だ。
 毒は、全てを腐り落す。
 人も。
 妖怪も。
 魂も。
 心も。

 そして、人形も。

 メディスン・メランコリーと、スーさん以外の全てを、毒は腐らせていく。
 腐り堕ちる小さな世界の中で、メディスンは、幸せそうに笑っている。
 彼女は、毒から生まれたのだから。





        †  †  †  †  †  † 




 メディスン・メランコリーは、腐り堕ちる。




        †  †  †  †  †  † 





 そして――
 雨上がりの鈴蘭畑には、誰もいない。
 何も、ない。
 人形の姿は、どこにも無い。
 毒があるだけだ。
 毒が腐らせたものは、雨が流してしまった。
 空は晴れ。雲ひとつない、晴天。
 その元で春風が――吹く。
 雨を耐え忍んでいた鈴蘭たちが一斉に揺れた。白い鈴の音が合唱する。誰にも聞こえない、静かな毒の大合唱。
 鈴の中にたまっていた毒が、いっせいに鈴蘭畑に舞い上がる。
 スーさんたちが、春を謳歌するように舞い上がる。
 そして。
 姿なく幸せそうに笑う、メディスン・メランコリー。





 彼女は今も其処にいる。








 その少女からは、腐り落ちる果実の匂いがした。


人比良
http://allenemy.fc2web.com/
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コメント



0.2580簡易評価
10.60眼帯兎削除
そういえば、彼女の本体は毒だったか……。
渇いた雰囲気に、無心で読み進めていきました。
しかしながら、匿名評価では50、コメントではこの数字といったところでしょうか。
最後の最後にメディスンに何かを感じさせることが出来たらと、思ってしまいます。過程も変わらず最後に何も変わらないなら、バナナが腐っていくのを見るのと同じなのだから。ごめん凄く違う。
それでも、ただ腐っていく様を見つめているのも新鮮でした。
その情景を、幻想郷を感じられた良い作品です。バナナと違って。
19.100名前が無い程度の能力削除
綺麗に緩やかに、しかし劇的に朽ちていく
それは穏やかで、それでいて残酷でした
27.100ドク削除
氏のいつまでも切なさが残るようなSSにはいつも驚かされます。
たとえカラダが無くなっても、いつまでも鈴蘭畑で微笑むメディを幻視しました。
30.80CACAO100%削除
成る程、体が消えても心は消えずか
何処ぞの人形師が黙ってなさそうだが
32.70ラクド=シャンス削除
 毒の中から生まれ、毒の中で死に、毒に還るのだとしたら、再び生まれ出でるのかもしれませんね。
 そして、そのことは、彼女にとって、なんらおかしなことでも、悲しいことでもなく、幸せな日常。
 終わりと始まりは同じ物なのかもしれないと、そんなことを思わせてくれるお話でした。
40.90反魂削除
心が軋む。
メディスンの物語ながら、これ実は人間の物語でもあると私は思う。
人間も同じように、いずれ朽ちてゆく器に心を入れて生きてる訳ですから。
私たちとメディスンはどこも違わない。

ではその器が壊れてしまった時、心はどこに往くのだろう……
宗教的な魂だ霊だってのは横に置いとくとしても、誰かを恨んだり、誰かを愛したりしながら、或いは世界の中にずっと留まっているのかもしれない。
死を迎え、露になってしまったあの人でも、或いはこの世という毒の畑のどこか片隅で、今でも世界を愛しながら笑っているのかもしれない。

とそう考えてみると、凄く救われた気持ちになる。
この物語は救いのない物語なんかじゃない。救いしかない物語だと私は思う。
哀しくもないし、辛くもない。
こんなに嬉しいことはありませんよ、生きてる者にとっても、死んだ者にとっても。

人間も人形。
これほどまでに深いお話は久々でした。
44.無評価この削除
腐り姫?
46.70名前が無い程度の能力削除
むしろ人形じゃなくなったことで
より彼女は成長できたような気がします。自分を解放