Coolier - 新生・東方創想話

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2006/12/07 15:14:15
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「ごめん、遅れた!」
「今日は3分27秒遅れね」
 どたばたと相棒が部屋に上がりこんでくる。何か活動の指針になりそうな写真を手に入れたので集合、とのことだったけど。
「蓮子、その遅刻癖直しなさいよ。あと空をみて時間を呟く癖もね」
「遅刻はわかるとして、時間呟くのは誰にも迷惑かけないからいいじゃないの…あ!」
 ドザザザザ…。まだ慌て気味だった蓮子が積もりに積もっていた棚の上の資料に腕を引っ掛けてしまった。
「あちゃー…」
「あらあら。雪崩が」
「メリー、静観してないで少しは整理手伝ってよ…。って、これは…」
 蓮子が手にしていたのは、六枚の夜空の写真と人の顔にも壷にも見えるよくある騙し絵だった。
「まだ持ってたの?」
「勿論よ、私と蓮子の出会いの記念だもの」

 私の名前はマエリベリー・ハーン。オカルトサークルをやってるわ。
 サークルっていっても二人しかいないのだから、少なくとも円は形成できないわね。
 オカルトライン、とでもいったほうがいいのかしら?それに、オカルトサークルでも周りのサークルみたく交霊や降霊なんて出来ないしね。
 じゃあ、なんでオカルトサークルなんてやってるのかって?実は私たち二人ともちょっと変わった眼を持ってるの。
 相棒の宇佐見蓮子は「星を見て時間が、月を見ると場所が分かる」眼を持ってるわ。気持ち悪い眼よね。
 そして私は、世の中の結界…そう境界が見えるの。勝手に見えてしまうのだから不可抗力よね。
 …不可抗力か。こう割り切れるようになったのも蓮子に会ってからだったわね。
 少し前の私は自分の眼の力を疎ましいとしか思っていなかったもの。
 蓮子と初めて出会ったのは…ヴァーチャルの桜が大量に散る春のことだったわ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「講堂は…と。どこかしら。広すぎよ。ここ。」
 家庭の端末で大学クラスまでの授業が受けれる用になって早50年。深刻な対人能力の低下にこのシステムが廃止されてからまだ5年。
 ようやく一昔前の『学生生活』が世の中に浸透し始めた頃、私はここに編入してきたわ。
 ぐるりと大学を囲む外壁には在りもしない桜が咲き乱れ、触れることも出来ない花びらを散らしていた。
 私が液晶ノートに映し出される構内図とにらめっこしていると、春の突風がヴァーチャルの花びらと共に私の帽子を吹き飛ばした。
「きゃ!」
 風が収まるのを待ってぼさぼさにされた髪を掻き揚げて、飛ばされた帽子をキョロキョロと探す。
 近くには見当たらない…となると風下側に飛ばされたはずね。と、回れ右をすると目の前に一人の女性が私の帽子を持って立っていた。
「はい、どうぞ。貴方のよね?」
「あ、そうです。有り難う御座います」
 差し出された帽子を受け取り、深々とお礼をして私は構内図とのにらめっこを再開した。
 …なんだか視線を感じるわ。ゆっくりと顔を上げると、先程帽子を届けてくれた女性が変わらぬ場所でじっとこちらを見ていた。
「…あのー、何か私に御用ですか?」
 途端、彼女はビックリしたように目を見開いてバツが悪そうに笑った。
「ごめんなさい。別に用ってわけじゃないの。ちょっと貴方に見惚れてて。…あ、良かったら構内を案内しましょうか?」
 私の手の構内図が目に付いたのだろう。彼女は案内を買って出てくれた。
 私はちょっと悩んだけれどこれ以上一人で歩き回ってても埒があかない、と好意に甘えることにした。
「ところで何処に行きたいのかしら?私は宇佐見 蓮子。ここの3年生よ。専攻は超統一物理学」
「私はマエリベリー・ハーン。講堂に行きたいんです。専攻は相対性精神学。今日から3年次編入でここに来たんです」
「あら。なんだ、同い年なのね。大人っぽく見えるから年上かと思ったわ。講堂ね、こっちよ。行きましょ…マ、マエリベリィ」
 ガリッ…。舌を噛んでしまい口を押さえ悶える蓮子。この国の言語では私の名前は発音しにくいみたいね…。
 そして口を押さえる蓮子に連れられ、私は校舎に向かって歩き出した。桜吹雪が私の頬を撫でるけれど、地面に着くころには儚く消えた。
 振り向いて花びらも足跡も残らない道を見ると、まるで自分の過去が消えていっている様な…そんな錯覚を覚えた。

 辿り着いた講堂では丁度講義が終わったところだった。出てくる人の波を抜けて、私達は無人の講堂の椅子に腰掛けた。
 私は講堂をぐるりと見回し、天井を見てつい溜息をもらした。
「広いわ…それにとても荘厳。天井に映るのは…ダ・ヴィンチかしら」
 まるで教会のようなデザインの講堂は、とても広く各席ごとに端末が設置されていた。窓から差し込む夕焼けの光がキラキラと美しい。
「今の時間はそうね。もう少しすればルノワールやボッティチェリ。それが過ぎればアルプスとかグレートキャニオンとかかしら。
 夜にはプラネタリウムになったりもするわよ。ここが大講堂。基本的に講義を行うのはここのみよ。
 席のスクリーンに貴方の取った講義が配信されるわ。勿論インタラクティブ(双方向)に質問も出来るわよ」
 蓮子がスクリーンのタッチパネルを叩く。週ごとの講義の時間割がスクリーンに映し出され、私の持つ液晶ノートへダウンロードされた。
 去り際に天井を見上げると、蓮子の言うとおりに天井の絵が少しずつ動き出していた。キリストの使徒がゆっくりと姿を変えていく。
 やがて使徒は完全に姿消し、華やかなフランスの広場が映し出された。

「有り難う御座いました。ここまで案内してもらった上にデータまで出してもらって」
 講堂から出ると外はすっかり薄暗くなっていた。講堂の天井に負けじと、宵闇が空のスクリーンに月と星を映し出し始めていた。
 蓮子が珈琲を飲みながら、手をひらひらと振った。
「全然。大したことしてないわ。それに同い年なのだからもっと普通の話し方で話しましょうよ」
 私は一つ頷いて、
「そうね。分かったわ。宇佐見さん」
 顔を上げると、蓮子が苦笑いを見せていた。
「『宇佐見さん』って『ウサギさん』に聞こえない?私は月で餅や薬なんて搗いてないわ。蓮子でいいわよ。マリエベリー」
 …
 ……
 ………
「……ごめん」
 短い沈黙の後、蓮子が帽子のつばを目元まで引き下げポツリと謝る。
 舌を噛まないように気をつけて話したのに、名前を間違ってしまったのには笑ってしまったわ。
 俯いていた蓮子が、今度は急に帽子をぐいっと上げ、
「あー、もう!もっと呼びやすい名前で呼んでいい?」
 言うと蓮子はぶつぶつとつぶやき出した。まだいいっていってないじゃない…。
「短くて分かり易いのにしなきゃね…。そうね、マエリベリーだから…略してメリーってのはどうかしら?」
 マエリベリーからメアリーを飛ばされて、いきなりメリーまで略されちゃったわ。まあいいけど。私も分かり易いし。
「メリーね。それでいいわよ。蓮子」
 少し照れながら私が頷くと、蓮子は満面の笑みをみせた。と、急に蓮子が空を見上げ、
「あ、結構な時間になっちゃったわね。じゃあ、私はそろそろ行かないと」
 がたがたと蓮子が慌てて立ち上がる。時計を見ると確かに結構な時間だ。けど蓮子、今時計を見たかしら。
「…ああ、そうそう。昼間はごめんね。人をじっと見つめるなんて失礼以外何事でもないのは分かっているのだけれど」
 今までも何度か見つめられたことはあった。私の肌と髪と目はこの国では少し目立ちすぎるのね。
「いいわよ。慣れてるから」
 そう答えた私が、少し寂しそうな顔になったのを蓮子は見逃してくれなかった。テーブルから乗り出して、強い口調で私の言葉を遮った。
「でも!…奇異で見てたわけじゃないのよ。メリーの白い肌と金色の髪が桜に映えて綺麗だったから、ついね」
 …この人はなんて真っ直ぐなのかしら。普通は何か言おうと言葉を探して、結局は…何も言えないのに。
「…有り難う。嬉しいわ。そんな風に言ってくれて」
 こんな面と向かって『綺麗』なんて言われたことなかったもの。私は照れて真っ赤になってしまったわ。
「それに…」
 蓮子が真っ直ぐに私の目を見て、満足気に微笑む。私を見つめる蓮子の目は、全ての光を飲み込む漆黒の色をたたえていた。
「とっても綺麗な『眼』ね」

 日曜の午後のカフェテラス。私は一人、端の席で紅茶を飲んでいた。休日ということで周りに人はほとんどいなかった。
 今日で私が蓮子と初めて会った日から一ヶ月が経った。出会って以来、私はほとんど蓮子と一緒に過ごしていた。
 蓮子と過ごす日々は楽しかった。蓮子は私から孤独と不安を奪ってくれた。でも私は、この一ヶ月ずっと蓮子のあの言葉が気にかかっていた。
『とっても綺麗な眼ね』
 明らかに蓮子は私の眼の事に気づいて言ったのだろう。
 だが今日までのところ蓮子は何を言ってくる訳でもなく、いつも他愛のない愚痴を漏らしていた。
 ズキッ…。頭が痛む。誰かと親しくなると必ずこの声が私の頭に響く。
『…貴方は普通じゃないのよ!』
 幼い頃、母から言われた言葉だった。…そう。私は普通じゃない。だから一緒にはいられない。
 この眼のことを話さない限り、本当の友達にはなれない気がして。
 でも、蓮子はおそらく私の眼のことに気づいている。それならば…。テーブルに突っ伏した私の口から思わず声が漏れる。
「…蓮子」
「なによ?」
 あるはずのない答えに驚いて、私は、がばっ、と顔を上げる。無人だったはずの向かいの席には、いつのまにか蓮子が珈琲片手に座っていた。
「人の名前を呼んでおいて失礼な反応ね。妖怪でも見たような顔よ」
 にやっと微笑む蓮子。ようやく驚きの収まってきた私は呆れ顔で溜息をついた。
「貴方がびっくりさせたんじゃない。何でまた…」
「休日にこんなとこにいるのかって?ちょっと新しい論文のことでね」
 蓮子がバサっと、300枚程度の原稿入り封筒をテーブルに投げた。
 出会ってから知ったのだが蓮子はいわゆる天才で、専門の超統一性物理学では既に世界での第一人者と言ってもよかった。
 そんな蓮子の新しい論文は世界中の科学者が注目している。
 それ故、ハッキング等の可能性を考慮に入れると手書きが一番なのよ、と蓮子はいつも言っていた。
「で、メリーは休日にこんなところで何を考え込んでたのかしら?」
「……」
「なんとなく想像はつくけどね。最近の貴方の態度を見てれば」
 珈琲をすすりながら蓮子が私の答えを待つ。でも私は答えることが出来なかった。頭がひどく痛む。ガンガンと痛む頭にいつもの声が響く。
 話したい、聞きたい。そう思っているのに頭痛に阻まれ声が出ない。なんでいつもこうなの…涙が目に浮かぶ。
 それでも、私は俯いてることしかできなかった。
 そんな私を見かねたのか、蓮子が溜息を一つつきコーヒーカップをテーブルに置く。
 そして先ほどの原稿の封筒から何かを取り出し、私の目の前に置いた。
「メリー、それを見て」
 置かれたものは写真だった。どの写真も夜空の写真で、美しい星と月がそのまま切り取られてきたかのようだった。
 写真の裏を見ると撮影日時と撮影場所が記されていた。
「見たけど…なんなのこれは?」
 私は意味が分からず、写真から蓮子に視線を戻す。しかし、当の蓮子は何やら熱心に新作ケーキのメニューを読んでいた。
「じゃ、それを私には見えないようにシャッフルして好きな順番に並べて頂戴」
 その間私はケーキを選んでくるわ、とルンルン顔で売店へ向かっていった。
「ちょっと蓮子!…全く、説明も無しで」
 訳の分からない私は言われるがまま、6枚の写真を目の前に並べる。
 並べた私にも、もうどれがどれだか区別はつかないほど写真に差異は無かった。
 蓮子を待つ間6つの夜に見つめられながら、私は浮かんだ涙をハンカチで拭った。

 少ししてケーキを両手に蓮子が戻ってきた。左手には蓮子の好きなミルフィーユが、右手には私の好きなショートケーキの新作が乗っていた。
「あら、美味しそうね。今回の新作は」
 蓮子が渡してくれたショートケーキを遠慮なく一口、口に運ぶ。
「でしょ。なんて言ったって今回は天然卵に天然の苺が使われてるのよ」
 苺を口に入れたまま私は思わず固まってしまった。今の世ではほとんどの食べ物は合成で作られるのが普通である。
 故に、大学構内のカフェに天然物の卵と苺がそうそうあるはずがない。例えあったとしても、たかだか一学生が買える金額の筈がなかった。
「天然!?いくらしたのよ。このケーキ」
「それは大丈夫。教授からの差し入れ扱いってことでツケてきたから。論文時期になると贅沢出来るわ」
 自分の能力を有意義に使う。という点では間違っていないのかもしれないけど…。
 まあ、美味しいからいいわ。滅多に食べれるものではないもの。
 やはり合成と天然では、味に大きな差が出る。当然だわ。天然物は命を食べているのと同義なのだから。
 天然苺の持つ深い甘味と程よい酸味は、どうやっても合成では出す事の出来ない味だ。
 逆にそこまでの味を合成技術で出せるのならば、人は無から命を生み出すことが出来ることになってしまう。
 歴史上、人は無から命を生み出すことに成功したことはない。するはずもない。
 脳波と生命の流れをアルゴリズム化したところで出来るのは意思を持つ人形止まりだ。
 意思を持つことと、命を得ることは似ているようで全く違う。
 合成できるのは魂までで、結局、命は命からしか生まれることはないのだ。それこそ失われた魔術でも使わない限りは。

「…少しは元気でたみたいね」
 蓮子がにっこり微笑む。二口目を口に頬張ったまま、蓮子を見返す。
 まさか私を元気付ける為だけに、こんな豪勢なケーキを持ってきてくれたのかしら。
 戸惑いながらケーキをテーブルに置こうとすると、先ほど途中になった写真が並んだままになっていた。
「忘れてたけど、この写真は何の意味があるのかしら?」
「あら。すっかり忘れてたわね。本題を」
 それじゃあ、と蓮子が写真をざっと見回す。こんな夜空の写真なんかが本題とは何をする気なのだろう。
 私はケーキの方がよっぽど本題かと思ったけど。
「じゃ、貴方から見て左の写真から行くわよ。7月12日石垣島21:43:09。12月13日北海道襟裳岬03:26:54。」
 次々と時間と場所を当てていく蓮子。急に蓮子が何を言い出だしたのかのかわからず、私はポカンと蓮子を見ていた。
「……で、最後が3月24日ウチの大学構内0:00:02ね。さ、確認してよ。メリー」
 言われるがまま私は全ての写真を裏返した。当然の如く、蓮子の言った日付・場所と合っている。しかも秒数まで狂いがない。
「…手品?」
 蓮子が頬杖をついたまま、ゆっくりかぶりを振る。
「…じゃ、何か蓮子にしか分からない印があって、時間と場所は覚えてたんでしょ?」
 蓮子は再びかぶりを振って、
「何か印になりそうなものなんてある?」
 写真の表面には印になりそうなものは何もない。唯一は月と星の配置だが、所詮全て国内の写真。識別出来る程の差異はなかった。
「じゃあ、じゃあ…」
 往生際の悪くトリックをこじつける私に蓮子が苦笑してみせる。
「いくら探したってトリックなんてないわよ。まさに、『タネもシカケもない』んだから。
 これが私の眼の力よ。『星を見て時間、月を見て場所』が分かるの」
 もしかしたら、とは思っていた。蓮子が私の眼の力に気づいてると思った時から。
 蓮子にも何か不思議な力があって、それが私の力を見破ったのではないかと。
 蓮子が続ける。
「この力、本来は遥か昔に存在した未来視(さきよみ)の巫女(シャーマン)の力。『星読み』と呼ばれる力らしいわ。
 まあ、私のは大分弱まって時間と場所が分かる程度だけどね」
 私は心底驚いていた。しかし、それ以上に嬉しかった。特異な力を持って生まれたのは私だけではなかったこと。
 そして、蓮子が私の心の闇に気づいて、先に全てを明かしてくれたことが。
「さ、私の本題はこれでおしまい。メリーは何か言うことがあるかしら?」
 真っ赤に照れた顔して蓮子が私に話を振る。
「…有り難う、蓮子。そうね、私も一つ話しておきたい『本題』があるわね」
 蓮子の想いが私のトラウマを和らげてくれた。頭に鳴り響く声も少しだけ遠くなる。
 そうはいっても私の力は何の準備もなく見せれる様な代物ではない。
 慌ててキョロキョロと辺りを見回すと、幸運にもカフェテリアの外れの木陰に小さい『裂け目』が見えた。
「蓮子。ちょっとあの木の下までついて来てくれる?」

 広い大学内を仕切るこの木々は、ヴァーチャルでこそないが操作一つで春夏秋冬の姿を切り替えることが出来る半機械の人工種で
『ユグドラシル』という。『神樹』という大層な名を持つ割には何処にでも生息出来る様調整されているので、
 節操無く全国何処にでも見ることが出来る。
 私は蓮子を引き連れて、その木陰へと入った。調整が上手くいかなかったのか、それともこの『裂け目』の影響なのか。
 この一本だけが紅々と紅葉をおこしている。
「あら、綺麗ね。ピンクに混じって紅々と。まさか、これが『本題』じゃないわよね?」
 蓮子の帽子に花びらと紅葉した葉が同時に落ちる。桜に似た花びらが雪の様に降る中で、血の様な紅い葉がはらはらと舞う。
「違うわよ。こんなこと出来る訳ないじゃない。…それじゃ蓮子。私の右腕をよく見ててね」
 大きく深呼吸をする。和らいだとはいえ頭痛は未だに私を縛る。けれど、ここからは私が自分で踏み込まなくてはならない領域だ。
 そして勢い良く『裂け目』に右腕を突き刺し、私は初めて他人の前で『力』を見せた。

「メリー…貴方、右腕…は?」
 蓮子が驚きで大きく目を見開いたまま、ようやく声を漏らす。
 裂け目…境界の向こう側に手を突っ込んだ時点で、蓮子には私の腕は消失したように見えているはずだ。
 …あまり時間をかけるわけにはいかない。
 境界の先には平和そうな藁ぶき屋根の一軒家と秋の風景が見えてはいたけれど、『向こう側』に何がいるかは分かったものではないのだから。
「貴方には消えてるようにみえるでしょ。ここには世界の境界…結界があるわ。
 腕一本通るか通らないかの大きさだけどね。私の眼にはその『境界が見える』のよ」
 ゆっくりと腕を引き抜き、蓮子の前でそっと掌を開く。掌の上から『向こう側』で摘んできた金木犀の香りがふわりと漂う。
「す…ごいわ。メリー、貴方の眼は失われた魔術の力を受け継いでるのね。空間渡りの移送方陣の力と関連がありそうだけど」
 ブツブツと独り言を呟いていた蓮子が急に顔を上げ、
「ねえ、私も向こう側に手を入れてみたいんだけど?」
「出来ないことは無いけどね。境界自体は私の力で存在するわけじゃないから。
 ただ、貴方の眼では完全に向こう側に入らないと何が起こってるか見えないからオススメはしないわ。急に何か起こったら対処出来ないもの」
「えーーー、いいじゃない。やらせてよ」
 早い話が危険ってことよ。と、わめく蓮子をなだめすかし私たちはカフェテリアのテーブルに戻った。

 未だ興奮の冷めやらない蓮子が置きっ放しになっていた冷めた珈琲を一気に飲み干した。
「あー、やっと落ち着いたわ。それにしてもメリー。貴方の『力』は凄いわ。
 まさか世界の境界を見れるなんてね。ねえ、境界の向こうって何があるの?」
「…そうね。場所によって違うみたいだけど、大体は平和そうな風景が見えるわ。のどかで、自然の多い…数百年前みたいなかんじね」
 頭の痛みがまたひどくなる。何故なのかしら。蓮子はこんなにも私の眼を褒めて、認めてくれているのに。
 蓮子が受け入れてくれさえすれば、私のトラウマも治ると思ったのに。
「私の眼は遭難したときくらいしか役に立たないものね。
 せめて巫女らしくオラクル(神託)でも聞ければ使い道もあるのだけれど。ホント羨ましいわ。メリーの眼が」
 痛みが増す。私の『力』を褒められる度に痛みが増している気がする。
「そうかしら?変わってあげられるなら、喜んで変わってあげるけどね」
 私の棘のある言い方に、蓮子が訝しげにこちらを見る。
「私はこの眼の力を疎んだことしかないわ。両親からは気味悪がられて、一緒にいた記憶すらないわ。
 よく『向こう』の世界に迷い込んじゃうからってほとんど外と接することなく幽閉されてきたわ。
 私はずっと、ずっと思ってた。どうして私だけが文字通りこんな『眼』にあわなきゃいけないの!?…ってね」
 …ああ、やっと分かった。何故、蓮子に受け入れてもらっても頭痛が消えないのかが。
 私自身が認めていないからだ。この眼自体を心が拒絶してしまっているのだ。
 気づいてしまえば、本音を言ったつもりの今の科白はただの八つ当たりでしかなかった。
 我慢していた気持ちが、トラウマが、自己嫌悪が、蓮子への申し訳無さが、涙となって私の目からポロポロと溢れ出した。
 ひとしきり私が泣いている間、蓮子はずっと私の手を握ったまま何も言わずに傍に居てくれた。
「涙を我慢する必要なんてないわ。涙は悲しみを表すだけのものではないのよ。
 だから気の済むまで泣いたほうがいいわ。落ち着くまで私はずっと…側にいるから」
 私の掌に伝わる蓮子の体温がとても暖かかった。

「落ち着いたかしら?」
 蓮子の問いに、鼻をすすりながら子供のように、こくん、と頷く。これだけ泣いたのは何時以来だろう。
 今まで私は涙を流さないことで強くなれると信じていた。
 けれどその結果作り上げられたのは強く見えるだけの虚像の自分と、その殻に隠れたトラウマに怯える弱い私だった。
 まだ頭はぼーっとするけれど、まるで涙が仮面を溶かしてくれたかの様に不思議と気分は良かった。
「良かったわ。それじゃ、ちょっと見て貰いたいものがあるんだけど。私の2つ目の本題よ」
 そういって蓮子が再び原稿の封筒から一枚の紙を取り出した。
 その紙には、よく見る『人の顔にも壺にも見える騙し絵』が白と黒の世界で描かれていた。 
「さ、メリー。これ何に見えるかしら?」
 蓮子がニコニコ笑いながらこちらを見ている。また何か意図がありそうな笑みね。
「これ、騙し絵じゃない。答えを知ってちゃ意味がないと思うけど。まあ、どちらかと言えば私は『向き合った人の顔』に見えるわ」
 そういうと蓮子は大袈裟に驚いてみせ、
「あら、奇遇ね。私は『壷』に見えるわ」
「…合ってないじゃない」
 私が、じとっ、と蓮子を見つめる。すると蓮子は急に大真面目な顔をして、
「それはそうよ。私は貴方じゃないんだもの。ねえ、メリー。人が一つの物を見たとき、皆に同じように見えているのかしら?
 そんなこと無いわ。個人個人の主観が入り込んでくるのだもの。実際今、私たちですら別の物に見えたじゃない。
 違って見えているのだもの、それから感じることも千差万別よね。
 確かに私たちの『眼』は普通の人とは違う能力があるわ。
 でも能力が有ろうと無かろうと、同じ目を持つ人間はいないわ。同じ脳を持つ人間もいないのよ。
 そう考えると、この力は私たちの個性、キャラクターの一つでしかない。とは考えられないかしら?」
 それは可笑しい程簡単で、それでいて私が最も求めていた言葉だった。
『貴方と周りの人と何が違うっていうの?』…私は誰かに、ただそう言って欲しかったのね。
 蓮子の言葉、一語一語が心を晒した今の私には深く響いた。
「…そうね。そうかもしれないわね」
 小さく呟いた私の目から、最後の枷が外れるかのように大粒の涙が零れ落ちた。
「…ありがとう。蓮子」

 月曜の早朝のカフェテラス。論文時期の蓮子は此処で珈琲を飲みながら原稿用紙と格闘するのが日課となっていた。
 何も言わず対面の席に私が腰を下ろす。顔を上げた蓮子が私の顔を見てにっこり微笑んだ。
「おはよう。メリー。いい顔してるじゃない。まるで生まれ変わったみたいよ?」
「そうかしら?自分ではよく分からないわ。でも…気分はとてもいいわ」
 実際、曇りが晴れたように世界がまるで違って見えたわ。顔に当たる日の光と頬を撫でる風の囁きが心地よかった。
 蓮子が原稿用紙を閉じて封筒にしまう。
「その様子なら、もしかしたら私の頼みを聞いて貰えるかもしれないわね」
「『その様子なら』ってどういうことよ。蓮子の頼みならいつでも聞いてあげるわよ」
「いいえ、昨日までの貴方なら確実に断ってたわ。正直、今日だって断られる確率のが高いと思ってるもの」
「?、いったいどんな頼みなのかしら」
 蓮子の持って回った言い回しに私は眉を吊り上げ、首を傾げた。
「メリー、私と二人でサークル組まない?」
 真剣な顔してどんな無理難題言うかと思ったら…。
「それの何処が確実に断わられる頼みなのかしら」
 呆れ顔で紅茶を飲む私に蓮子が苦笑いを見せ、体をテーブルに乗り出した。
「まあまあ。最後まで聞いてよ。サークルの種類は霊能サークル。活動内容は『境界を暴いてその向こう側を見てみる事』よ」
 私の体が一瞬固まる。それは明らかに私の『力』を行使する内容だった。それは蓮子にも当然分かっているはず。それに確か…
「それって世界の均衡を崩す可能性があるから禁止されてるんじゃ…」
「あの無駄に大きいだけの磁場検出装置を使った精度の低い結界探査のこと?あんなの自然破壊以外の何物でもないじゃない。
 メリーの『力』に比べれば月と鼈よ。
 それにメリーには何もしなくても境界が見えちゃうんでしょ?何もしなくても見えるんなら不可抗力じゃない」
「そんな理屈が通るのかしら…」
 勿論、通る訳は無いのだけど。苦笑いしている私に、蓮子が真面目な顔で問いかける。
「昨日までの貴方には『力』は重荷でしかなかったわ。だから断られるのは確実だったの。
 でも、今日はどうかしら?貴方の顔を見る限り、貴方の心を縛る枷は外れたように見えるのだけど」
「…蓮子。貴方はカウンセラーになるべきだったわね」
 蓮子の言いたいことは分かっていた。『力』を疎んで重荷に感じる必要は無い。
 折角の他人には無い『力』なのだから自分の為に使って自由気侭に生きていけばいい、と。
 最も昨日のことが無ければ蓮子の言うとおり私は確実に断っていただろうし、聞く耳すら持たなかっただろう。
 まあ、蓮子が『境界の向こう側』を自分の眼で見てみたい、っていう動機が半分くらいはあるでしょうけどね。
 それに今は私も…
「……そうね、いいわよ。やりましょ」
 今は私も『境界の向こう』がどんな世界なのか興味があった。自分だけが開くことの出来る扉はどんな場所に繋がっているのかが。
「ホント!?ホントにホントね?」
 蓮子が身を乗り出して、しつこいくらいに念を押す。
 この様子だと蓮子自身が『境界の向こう側』を見たかった、ってほうが8割近くだったみたいね…。
「実はサークルの名前ももう決めてるのよ。『秘封倶楽部』にしようと思ってるの」
「ひふう…どういう意味なのかしら?」
 聞きなれない単語だった。封筒の裏に蓮子が漢字で『秘封倶楽部』と書いて私に見せた。
「『秘封』っていうのは、『計り知れない[秘]封印[封]』の意で、強力な結界。
 つまり世界の境界を表す私の造語よ。結界倶楽部、じゃ格好つかないしね」
「なんだ。蓮子が造った単語なのね。道理で聞いたことないと思ったわ」
「他にも『秘境を封じる(秘境は暴かれた時点で秘境では無くなる)』とか
『秘計の封切り(始まり)』とか幾つかの意味を込めた言葉なのだけど…どうかしら?」
 紅茶を啜る私を不安気に蓮子が見つめる。私はカップをテーブルに置くと、蓮子に向けて微笑んだ。
「秘封倶楽部、ね。いいじゃない。気に入ったわ」
「やった!それじゃ早速、活動方針なんだけど…」
 カラーン、カラーン…。
 蓮子の言葉を遮って、予鈴の鐘が鳴り響いた。驚いて時計を見ると既に1限には確実に間に合わない時間だった。
「わ、もうこんな時間!?メ、メリー。続きは放課後。またここでね。絶対よ!」
 言うが早いが蓮子は講堂に向けて駆け出していった。私も慌てて立ち上がる。しかし、思い直してまた椅子に座り込んだ。
「こんな時間…か。たまにはいいかな。自主休講も」
 私はゆっくりと紅茶を飲み干して、カフェテラスを後にした。蓮子とは逆方向に。蓮子と始めて出会った路に向かって。

 春の終わりを告げる風が私の頬を、髪を撫でる。私は乱れた髪を掻き揚げるとゆっくりと空を見上げた。
 一ヶ月前と同じ様に、桜吹雪は今日も変わらず降りしきる。けれど、あれだけ私を縛った声はもう…聞こえなかった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「メリー、何ぼーっとしてるのよ。どうせまた夢の事なんか考えてたんでしょ?」
 蓮子の言葉に我に返る。崩れた資料は蓮子の手によってキチンと『あいうえお』順にレトロな本棚に並べられていた。
「違うわよ。私たちが出会った時のこと思い出してたの。それに『夢なんか』って。夢と現は同じものよ、っていつも言ってるでしょ」
 蓮子と一緒にいるようになってから、私は蓮子にどんどん似てきている。喋り方も、考え方もだ。
 好きな人には感化され易いとはよく言ったものね。今ではあんなに悩んでいた頃がそれこそ『夢』だったようだわ。
 あれから蓮子と私は『秘封倶楽部』としての活動を何度か行ってきた。今のところ、五体満足で帰って来れてるし逮捕もされていない。
 強いて言うなら最近夢見が悪いくらいかしら。
 「可笑しな夢のカウンセリングの話なら今度の満月にしてあげるって決めたじゃない。
 それに所詮今の常識なんて、結局は今の科学と精神論で理由付けの出来る空想でしかないわ。
 また500年もすれば新しい立派な空想。つまり、新しい常識が生まれるのよ。
 貴方の相対性精神学だって今は夢と現は同じものなのかもしれないけど、500年後の専門家たちは
『昔は夢と現が同じものだと思ってたらしいわよ』って、私達を笑うでしょうよ」
「あら。蓮子はこの間、物理学は終焉を迎えてるって言ってたじゃない」
「それは今の常識の枠内での話よ。500年の間に新しい空想を生み出せる程の物理学者が生まれれば分からないわよ」
「蓮子に出来ないのに500年でできるのかしら」
「私はそもそも専門が違うわよ。それに出来ない訳じゃないわ。そうね、私が500年も生きれれば出来るかもしれないわね」
「もう、蓮子に物理の話を振ると日が暮れるわ。結局、今日は何の用で呼んだのかしら?」
 そうそう、と蓮子が一枚の写真を取り出す。私は写真を見て眉を吊り上げた。目の前の蓮子はにっこりと微笑んでいる。
 写真には見たことも無い寺院が写っていた。そして、その中の一つの墓石の周りには幽かに確かに境界が見えた。
「満月前の一行動。メリー。蓮台野にある境界を見に行かない?」
はじめまして、柊 蒼月と申します。お話的には秘封倶楽部の出会いってカンジでしょうか。秘封倶楽部を知らない方には何にも面白くないですね。知ってる方にも面白くない気がしますが。

書いてからテーマが大き過ぎた、と後悔しました。百回くらい。文を書くこと自体が始めてで、書きたいことを纏めるだけでこんなに大変なのかと痛感しました…。ホント。

最後にこんな拙いストーリーにここまでお付き合い頂いた全ての方にお礼を申し上げます。まかり間違って次があるなら、もっと精進します。絶対。

ちなみに蓮子が珈琲ばっか飲んでるのはゴドー検事の影響です。
柊 蒼月
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コメント



0.830簡易評価
11.100名前が無い程度の能力削除
秘封倶楽部はイイデスネ。
こういう哲学的な話、大好きです。
17.無評価名前が無い程度の能力削除
物理屋さんの自分としてはやや不満な描写...