Coolier - 新生・東方創想話

鈴の音

2006/12/05 07:07:13
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 少女は夢を見ていた。
 多くの同門と共に鍛錬を繰り返し、ただ高みを目指していた頃。
 鈴の澄んだ音色が響き、少女は微笑む。
 少女が人間だった頃の夢。


「はぅあ!」
 覚醒と同時にベッドから高速で身を起こし美鈴は叫ぶ。
 シャッとカーテンを開けると、窓から差し込む日差しはすでに朝日ではなく、太陽は昼に向け高度を上げていた。真夏の太陽はすでにジリジリと地面を焦がし、セミが鬱陶しいほど鳴き叫んでいた。
「寝坊した!」
 転げるようにベッドから降り洗面台に向かい、火が点こうかというほどの速度で顔を洗う。テーブルの上のパンを口にくわえてドアを勢いよく開け放つ。
 ドアを出てすぐ目の前が美鈴の仕事場。紅い悪魔が住む紅い館の大きな門。その門の番をするのが美鈴の仕事だ。
 門の前までダッシュし、いかにも『今までもずっと立っていましたよ。ええ立っていましたとも』的な態度で仁王立ちする。
 すると館の中から殺人的な視線が美鈴に突き刺さる。
 美鈴がビクッと身を震わせ恐る恐る振向くと、館の玄関にメイド長の十六夜咲夜が見る者全てを震えあがらせる表情で仁王立ちしていた。
 まるで『今までずっと立っていました』的な、というか多分立っていたのだろう。門番がいない代わりに玄関番をしていたのだろう。
 館の主人が明け方に就寝するので仕事的には楽になるとはいえ、主人が寝るまでずっとつきっきりの咲夜には、この時間は貴重な休憩時間でもあった。
 そんな貴重な時間を潰されれば、咲夜でなくても怒るのは当然だろう。
 まして咲夜である。美鈴に対してなんの遠慮も無い咲夜はピクリとも表情を動かさぬままつかつかと美鈴に近付く。
「ちゅ!う!ご!くぅぅぅ!」
「ひぃ!」
 シュゴーっと口から何か出しそうな勢いで、美鈴の愛くるしいあだ名を叫びながら胸座を掴む咲夜。
「あんた…ここ最近毎日のように寝坊してるでしょ!」
「え、えーっと……すいません…」
 美鈴は何か言い訳を考えようとしたが、なにも思い浮かばずとりあえず謝る。なにか言い訳しても怒られる事に変わりはないのだが。
「でも、何も来ませんでしたよね?だいたい妖怪は夜に動くものですから…」
 寝坊の言い訳は考えられなかったが、とりあえず大丈夫だ、ということをアピールしてみる。
 しかし咲夜の怒り顔は収まらない。
「そういう問題じゃないでしょ!」
 至極当然の答えを返す。
「すいません……でも、起こしてくれてもいいじゃないですか…」
 再び謝り、今度は上目づかいでいじけてみる。
「仕事でしょ!自分で起きなさい!」
 ぴしゃりと言い放ち、収まらない怒りを咲夜はさらに口にする。
「だいたい、門番が門番をしなくて何の門番なの!?」
「えと、あの、その…」
 すごい勢いで意味不明の言葉を発する咲夜に美鈴は口ごもる。
「いい?しっかりするのよ!」
 早く休みたいのか、いつものお仕置きは無く、咲夜はギンと一睨みして館の中に姿を消す。それを見送りふーと小さく溜め息を吐く美鈴。
「うーん。しかし言われてみればここ最近寝坊ばっかだな。
 何か夢を見ている気がするんだけど、いつも慌ててるから覚えてないんだよなぁ…」
 誰に言うとも無くブツブツと独り言を吐く。
 美鈴とて、『不甲斐ない門番』『紅魔のごく潰し』として幻想郷中に知られてはいるが、本人はいたって真面目にやっているつもりであり、サボり癖があるわけでもない。寝坊だって今まで…まあ数えるのもバカらしいくらいしてはいるが。
 夏の太陽が真上に昇り、西に傾きはじめ、幻想郷を茜色に染め上げるまで、美鈴はひたすら門の前に立っている。見回りをするにしても門から200Mも離れない。
 取り立てて何かあるわけでもなく、今日も1日が平穏に過ぎようとしている。
「ふぁ~ぁ…。今日はあの白黒魔法使いも来なかったし、暇な1日だったわね…」
 空の支配を太陽からバトンタッチされた月が怪しく光り始める。
 この時間で美鈴の仕事も終わる。
 基本的に館の主人が起きている時間は来客自由だ。主人が何か悪い企てをしていない限りは。
 うーんと1つ伸びをして、美鈴はストレッチを始める。
 今から美鈴の自由時間。いつものように武術の鍛錬を始める。
「ふっ!ふっ!ふっ!ふっ!」
 ストレッチを終えると、まずは拳を前に繰り返し突き出す。それを5分ほど続けると、流れるような動作で蹴りを織り交ぜる。見事なバネで、勢いよく自分の頭より高い位置まで足先を伸ばす。ピタッと足を止めた瞬間も体はピクリとも動かず、彫像のように静止する。チャイナ服がめくれるが美鈴は気にしない。
 拳と蹴の型を一通りこなすと、次は単純な筋肉トレーニング。腕立て腹筋背筋はもちろん、走りこみに木の枝を使っての懸垂などをたっぷり1時間かけてこなす。
「さて、仕上げに…」
 そう呟きゆっくりと腕を回し始める。呼吸も深呼吸のようにゆったりとする。次第に踊るようにゆっくりと足が動き始め、流れるようにこれまたゆっくり拳や蹴りを突き出す。1つ1つの動きを確認するように、拳を突き出し、耳にピタリと付くほど足を上げる。
 今まで汗1つかいていなかった美鈴の首がしっとりと濡れてきて、程なくして滴り落ちるほどの汗を全身から吹き出す。
 地面に美鈴の汗による水溜りが出来る頃、気合を入れるように鋭く息を吐く。
 発せられた気は足元の水溜りを波立たせ、周りの木々をざわめかせる。
「ふー…」
 胸の前で合掌し、息を整え終了。
 この一通りが美鈴の日課だ。
 さてお風呂でも入ろう、と美鈴が足を踏み出すと、後ろから拍手と声をかけられた。
「すごいじゃん」
 少し酔っ払い気味の声で、しかし本気で賞賛しているようで拍手が鳴り止まない。
 美鈴が後ろを振り返ると、瓢箪に入った酒を飲みながら器用に拍手をしている伊吹萃香が木の上に寝転んでいた。
「なんだ鬼娘か」
 美鈴はほっとした表情を浮かべる。もし侵入しようとしている奴だったら止めようと思っていたところだ。夜に吸血鬼の館に入るのはやめろと。
 しかしこの鬼なら、月の恩恵を最大限に浴びている吸血鬼もそんなに怖くないだろう。もっとも、勝負したならお嬢様が勝つに決まっているという事を美鈴は信じて疑わない。
「レミリアお嬢様に用か?それともパチュリー様?」
 連日の宴会騒ぎが終わり、幻想郷に鬼がいた事はどこかのエセ記者面した烏天狗によりすぐに幻想郷中に広まっていたので、この鬼が無邪気な存在である事は美鈴も知っていた。今日もきっと誰かと酒を飲みに来たのだろうと美鈴は思ったのだ。
「いや。用は紅美鈴、あんたにだよ」
「?」
 言われて美鈴は疑問の表情を浮かべる。
 この鬼に何かしたかな?それとも私とお酒を飲みたいのかな?
 いろいろと考えを巡らしている美鈴に、しかし萃香はそのどれとも違う用件を口にする。
「私と勝負しよう!」
 急な申し出に美鈴は間抜けな顔をする。
「………わ、私と…?」
 自分を指差し目を見開く。
「うん」
 あっけらかんとうなずく萃香に、次第に落ち着き思考が戻ってくると美鈴は慌てて拒否する。
「いやいやいやいやいやいや!なんで私があなたと勝負しなきゃいけないのよ!
 大体、パチュリー様や咲夜さんや、ましてレミリアお嬢様と対等に戦えるあなたが、なんで今更私なんかと戦いたいんだよ?」
 言われて萃香は少し考え込む仕草を見せるが、すぐに顔を上げ瞳に闘志を燃やして美鈴を見据える。
「だって、あんた強いでしょ?」
「いやイヤイヤいやいあやいいやいやいやいやいやいや!」
 慌てて否定する美鈴。あんまり慌てるから途中噛んだりしている。 
「嘘ついちゃダメだよ。私見てたんだから、さっきの」
 さっきの、とはどうやら美鈴の毎日の鍛錬のことらしい。
 霧になれる萃香は幻想郷中を見ることが出来る。今日はたまたま美鈴の鍛錬に目が行ったのだろう。
「あの動き、一朝一夕で出来るものじゃないでしょ?」
「ま、まぁ…」
 美鈴にしてみれば人間の頃からやっていた事だし、最早100年以上続けている事ではある。
「あんた弾幕戦はそんなに強くないみたいだけど、接近戦、こと格闘においてならかなりの実力者と見たよ。私は鬼だからね。いろんな勝負事をしてきたし、力比べもいっぱいしてきたんだから」
 だからその目は確かと言うのか、萃香は今にでも始めたくてウズウズしているようだ。
「……はぁ~」
 美鈴は大きく溜め息をついて、身構えることなく萃香に答える。
「悪いけど、そういうの興味ないんだ。接近戦は強いとか、どうでもいいから」
 それ以上言うことも無い、と美鈴は振向き自分の小屋へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
 後ろから不意打ち、なんて鬼には出来ない。霧になった萃香は美鈴の前に立ちふさがるように再び姿を現す。
「勝負しないと紅魔館に侵入しちゃうぞ!」
 これでどうだ、とふんぞり返る萃香に、美鈴は疲れた目でどうぞと呟き、もうすでに自由時間に入っている今は門番ではない、と答える。
「え~!しようよ~。勝負しようよ~…」
 涙目になりながら美鈴の腕を掴んでブラブラ振る萃香。
「そんなに勝負したいんなら、レミリアお嬢様とすればいいでしょ?」
 レミリアお嬢様も格闘好きなんだから、と美鈴は萃香の手を優しく振り払い部屋のドアを閉める。
 部屋に入って一息つき、夕飯の準備をしてそれを食べ、すぐにお風呂に入り、明日は寝坊しないよう早く寝ようとすぐに床に就いた。
 その間中萃香の『しょうぶ~』の声が途切れることは無かった。


 今日も少女は夢を見る。
 少女が人間だった頃の、多くの同門とただ高みを目指していた頃の夢。
 つらく厳しい毎日にも、同門の励ましがあったからこそ乗り越えられたあの頃。
 鈴の音が鳴り響く楽しい夢は、突如暗転する。
 1人の門弟が多くの同門をその手にかける。夢の中は黒い血に覆われる。
 同門全てを殺し、最後に自分へ向かってくる門弟。
 その顔は、笑っていた。


「………」
 無言で目を覚ます美鈴。
 頭が重い。全身が汗でびっしょり濡れていて、美鈴は不快感で目を覚ました。
 カーテンを開けると、月が最後の抵抗とばかりに禍々しく輝いていた。
 もうじき夜が明ける。
「………」
 だるい体をベッドから起こし、汗で気持ちの悪くなった服を脱ぎお風呂に入る。
 最近よく見る夢。寝坊の原因の夢。
 夢を思い出しながら美鈴は湯船に顔を沈める。
 ブクブクと気泡と共に夢の中身を追い出したい。そんな気持ちで一杯だった。
「ぶはっ!」
 空気を求めて湯船から顔を出す。
「うん。今日も1日元気にがんばろう!」
 忘れられない夢を無理やり追い出すように、元気に独り言を叫んだ。


「ちょっとお使いに行ってきてちょうだい」
 雲ひとつ無い青空の下、美鈴は咲夜からお使いを頼まれた。
 午前中は何もなく、太陽が真上から少し傾いた頃、白黒魔法使いの霧雨魔理沙がやってきて、今日はお呼ばれしたぜ、となんの根拠も無く言い放ったのでとりあえず排除すべく一弾幕したわけだが、あっさり負けて涙を拭いている時だった。
 どうやら魔理沙は本当にお呼ばれをされていたらしく、魔理沙が玄関をくぐるのを咲夜は黙って見送っていた。
 そういうことは門番にも知らせて欲しい、と咲夜に愚痴ったが、あら言ってなかったかしら、と特に悪びれるでもなく言われた。
「何を買ってくればいいんですか?」
「コーヒー豆」
 咲夜は端的に答えながら上白沢慧音宛てにメモを書いていた。
 いつもは咲夜が里に買出しに行くので特に問題は無いのだが、人型とはいえ妖怪である美鈴が里に行けば、人間は気付かなくとも慧音はすぐに飛んでくるだろう。
 だから余計な手間を省くために咲夜がメモを書いているのだ。
「はい。コレを慧音に見せれば問題ないでしょう」
 なんだか『はじめてのお使い』気分だな、と美鈴は思った。
「あ、あとお酒を分けてもらってちょうだい。レミリアお嬢様がパチュリー様と魔理沙と一緒に飲みたいと言っていたから」
「なるほど。それでお呼ばれだったんですね」
 魔理沙が先程言っていたセリフを思い出す。
「それにしても、レミリアお嬢様が魔理沙を呼ぶなんてめずらしいですね?」
「あんまり乗り気じゃなかったパチュリー様を釣るために、レミリアお嬢様が餌を用意したのよ」
 そう言いながらフフっと小さく笑う。
 餌ですか、と美鈴は苦笑する。
「お酒は萃香からこの樽に入れてもらってきて」
 一抱えの樽を美鈴に渡す。メモはポケットに入れてくれた。
「萃香から、ですか…」
 樽を持った美鈴の表情が急に暗くなる。昨日萃香の申し出を断ったのだ。酒を分ける代わりに勝負しろ、と言われるに決まっている。
 しかし、美鈴のそんな表情を咲夜は一切気にせず、それじゃあさっさと行って来て、と一言声をかけると、何か言おうとしていた美鈴をあっさり無視して、さっさと館の中に姿を消していった。
 後に残されたのは苦い表情で樽を抱えた美鈴だけだ。
 セミの声が澄み切った青空へ無常に鳴り響く。
「はぁ~」
 溜め息をつき、とりあえず行こう、と里に向かって歩き出す。
 樽はひとまず自分の部屋に置いていく。
 抱えたまま歩くのも面倒だし、なにより萃香がどこにいるのか分からなかったので、コーヒーを買ってきてから改めて咲夜に聞こうと思った。
 夏の日差しが、トボトボと歩く美鈴に容赦なく照りつけていた。


「そこの妖怪!里に何しに来た!」
 案の定。里に向かう道の途中、ワーハクタクである上白沢慧音が美鈴の前に立ちはだかった。
「こんにちは慧音さん。これ、咲夜さんからです」
 慧音に見えないように少し面倒そうな顔をしてから、パッと友好的な表情を見せ、咲夜に持たされたメモを慧音に渡す。
「ん?なんだ?」
 慧音はそれを受け取りじっくりと読み終えると、あいわかった、とメモを返してくる。
「コーヒー豆を売ってくれる人の所まで連れて行ってあげよう。ゆっくり歩くからしっかり着いて来るんだぞ?」
 なんだかものすごく優しくなる慧音。まるで里の子どもを面倒見るような対応だ。
 メモになんて書いてあったんだろう、と美鈴は咲夜のメモを開いてみるとそこには、
『何の役にも立たない門番妖怪にコーヒー豆を買いに行かせました。なにぶん初めての買い物です。何も分からないバカな門番が変なことをしないようできれば温かい目で監視をしてください。よろしくお願いします。 十六夜咲夜』
 と書いてあった。まさに初めてのお使い。
 ただでさえ『役立たず門番』として有名なのに、館の者からも『買い物さえまともにできない』と思われている事に、慧音は母性本能がくすぐられたのだろう。
 がっくりと肩を落とし、しぶしぶ慧音の後を着いて行く美鈴。
 時々慧音が心配そうに振り返って美鈴が着いて来ているか確認をする。それを見る美鈴は、自分は子どもではありません、と力一杯叫びたかったが、慧音の目があまりに綺麗なのでそれもはばかられ、結局美鈴は最後まで子ども扱いされながら人間の里を後にした。
 足元に気をつけてゆっくり帰るんだぞ~、という慧音の声を背中に受けながら美鈴は、自分は果たして皆からどう見られているんだろう、と疑問に思いながら帰路についた。
 コーヒー豆を咲夜に渡し、酒はと尋ねられまだだと答えると、お使いも満足に出来ないのかと散々罵られた。
「買い物なんて一緒にやった方が手間が掛からなくていいでしょうに」
 呆れ顔の咲夜に、萃香がどこにいるのかを尋ねる。
「博麗神社に行けば分かるわ。大体あそこにいると思うし」
 さっさと行ってきなさい、と急がしそうに料理を作りながら吐き捨てるように言った。美鈴の嫌そうな顔はまったく気にしない。
 あきらめの溜め息をついて、美鈴は自室に戻ると置いてあった樽を抱え、博麗神社へ足を向けた。
 夏の夕日はまだまだ熱をおびており、トボトボを歩く美鈴をジリジリと焦がしていた。


 博麗神社境内。その奥に霊夢が住んでいる社務所がある。
 セミの声を聞きながら薄暗くなってきた境内を抜け、明かりが灯った部屋の障子を美鈴は挨拶しながら開ける。
「こんばんは」
 障子を開けると小さなちゃぶ台に2人分の食事が並び、霊夢と萃香が向かい合って早めの夕飯を食べていた。
「あら、こんばんは。何か用?」
 むしゃむしゃと、来客にもかかわらず食事をする手を休めず挨拶する霊夢。
 萃香はふてくされた顔で挨拶もない。
「萃香の居場所を聞きたかったんだが、居るんならそれでいい」
 顔も向けない萃香に美鈴は少し憮然としながらも、笑顔を見せて萃香に優しく声をかける。
「こんばんは、萃香」
「……」
 無視だ。
「うーん……。じつは、レミリアお嬢様が萃香の酒を御所望でな、この樽に分けて欲しいんだ」
「…んく。…いいよ」
 口の中身を飲み込み、一言了承すると、勝手に注げといわんばかりに瓢箪を突き出す。
「あ、ありがとう」
 てっきり何か言われると思っていた美鈴は、少し拍子抜けしながらも、瓢箪を受け取りトクトクと樽に注ぐ。
 1回では瓢箪の容量分しか出ないので、蓋をしてゆすり、チャプチャプ鳴り出してまた注ぐ、というのを何回か繰りかえし、やがて持ってきた樽一杯になる。
 その間に霊夢と萃香は食事を終え、ダラダラとしたなんとも幸せそうな時間を過ごしていた。
「ありがとう、萃香」
 瓢箪を返し、酒で一杯になった樽をいとも簡単に持ち上げる美鈴。
「……宴会は紅魔館でやるの?」
 萃香は瓢箪を受け取りながら、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「まぁ、宴会というほど大それたものじゃないと思う。レミリアお嬢様がこの酒を飲みたかっただけみたいだし」
「そ」
 短く返答し、だらけた霊夢の背中をぺしぺし叩く萃香。鬱陶しそうな霊夢。
「それでは」
 早く帰らないと咲夜にどやされると思い、美鈴は短く2人に挨拶をして足早に紅魔館へ戻る。大きな月が夏の空気をぼんやり照らし、虫の声は鈴虫に変わっていた。


 中天に大きな月が浮かぶ中、紅魔館のバルコニーで、紅い悪魔といわれる吸血鬼、レミリア・スカーレットと、動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジが鬼の酒を酌み交わしている。
 ちなみに普通の魔法使いである霧雨魔理沙はすでに酔いつぶれていた。
「魔理沙もだらしないわね」
 酔っ払って倒れている魔理沙を足でグリグリしながら、レミリアは鬼の酒をクピリと飲む。
「魔理沙に酷い事しないで」
 その足を自分の足でどけて魔理沙を助けるパチュリー。
 それを見て微笑む吸血鬼の従者。
「まあ鬼の酒はとてもつよいですから」
 咲夜が魔理沙を抱き起こして客間へと連れて行く。
「……レミィがあんなに飲ませるからよ」
「なぁに?パチェはもっと魔理沙と一緒にいたかった?」
 いやらしい笑みを向けるレミリアに当然でしょ、と表情で答えるパチュリー。
「ははははは」
 レミリアは楽しそうに笑いながらまた酒を一口。
 なんとも楽しそうな夜だ。そう思いながら美鈴はバルコニーの端っこで直立不動を保っていた。
 お嬢様達のパーティーを護りなさい、と咲夜に言われたのだ。
 吸血鬼と魔法使いの宴会に殴りこんでくる命知らずがいるとは思えないが、最上級の警戒を続ける。
 今のところは何もない。あと1時間もすればこの宴会も終わるだろうと美鈴は集中力を高めた。
 すると、微かな妖気を感じた。
 その妖気はどこからというわけではなく、そこかしこから、まるで幻想郷全体から妖気が感じられた。
 美鈴はそこまで考えて、この妖気の正体が分かった。
 レミリアとパチュリーもすでに見当がついているようで、レミリアは笑顔で、パチュリーは無表情で妖気の正体が顔を出すのを待っていた。
「萃香。何しに来た?」
 あと少しでつつがなく終わったのに、と思いながら小さく溜め息をついて、美鈴は霧の正体、密と疎を操る鬼である伊吹萃香に声をかけた。
「あんたと勝負しにだよ」
 薄い霧が集まり、角のはえた女の子が姿を現す。
 勝気な顔でニヤリと笑う萃香を見て、美鈴はまた溜め息をついた。
「昨日断っただろ?それとも酒を渡して後から条件をつけるなんて卑怯なまねを鬼はするのか?」
「酒の交換条件なんかじゃない。今日も昨日と同じだ。正々堂々勝負を申し込みに来たんだよ!」
 卑怯と言われ少しムッとした顔で萃香は答える。
「だったらダメだ」
「なんで!?」
「なんでも」
 ヤイヤイと言い合っている2人をニヤニヤと見ていたレミリアは、唐突に立ち上がると美鈴に近寄り声をかける。
「美鈴」
「へ?は、はい!なんでしょうか!?」
 萃香と言い合っている間を割って声をかけられたものだから少し驚く。
「いいじゃないか。そこの鬼と力比べしなさい」
「え!な、なんでですか!?」
「余興。酒の席に余興は付き物でしょう?」
 言うことはそれだけ、とばかりに美鈴の返事も聞かずに振り返り、さっさと自分のイスに戻ると杯の酒をグイッと飲み干すレミリア。
 はしたないですよ、とたしなめながら杯に酒を注ぐ咲夜。美鈴をチラリと見るその目は期待に満ちていた。
 こうなるともう断れない。もしかして萃香はコレを狙っていたのでは、と美鈴は萃香を見ると、ニヤリと笑みを返された。
「下っ端妖怪はつらいねぇ」
 萃香がニヤニヤしながら美鈴を挑発する。
「そんな下っ端と力比べしたいなんて、お前もどうかしているな」
 苦笑しながら軽く手を握り締め構える美鈴。
「準備体操なんかはいらないのかな?」
「武術家はいつでも全力が出せるのさ」
「そうかい。じゃあ遠慮なく、いくよ!」
 掛け声と共に萃香が美鈴に突撃する。何の考えも無しにただ力いっぱい。
 美鈴はそれをすくい上げるような蹴りで迎える。
 その反応を楽しむように、蹴りを萃香はにこやかに片手で弾くと、逆の手でボディーを狙った拳を繰り出す。
 蹴りを弾かれ体制を崩した美鈴は、力の流れに逆らわず体を回転させて萃香の拳を避け、そのまま回し蹴りを放つ。
 しかしその動きは予測していたようで、萃香は身を沈め美鈴の軸足を払う。
 足を払われた美鈴は横に倒れながら手で体勢を立て直し、そのまま側転して萃香から離れる。
「いい反応するね」
「それはどうもありがとう」
 どちらもまだまだ余裕の表情だ。 
「ねえレミィ、どっちが勝つと思う?」
 少し離れた場所でつまらなそうに攻防を見ていたパチュリーが、楽しそうに観戦しているレミリアになんとなく聞いてみる。
「そうねぇ。運命を見てみれば分かるんだろうけど、それじゃあ興がそがれるから」
 そう言って目を細めて離れた2人を見る。
「まあ、勝ち負けなんていいじゃない。どっちも私を楽しませてくれるなら」
 咲夜に注がれた杯の中に月を映し、それと一緒に酒を飲む。
 レミリアとパチュリーが会話している間に、美鈴と萃香はにらみ合いながらジリジリと間合いを詰めていた。
「……ちょっと場所変えない? ここじゃ狭いわ」
 美鈴が隙をうかがいながら話しかける。もちろん自分も十分警戒しながら。余裕の顔ではあるが、さっきの突撃に反応できたのはかなりギリギリだった。もし自分が隙を見せてもう一回アレをやられたら今度は迎撃できるかどうか。
「私はどこでもいいよ」
「そう。じゃあ中庭で」
 萃香が返事をするのと同時に美鈴はすでにバルコニーから飛び降り、紅魔館の中庭に降り立つ。萃香は霧になってすぐにさっきの距離を保ったまま中庭に現れる。
「ああ、ちなみに勝負中は霧にはならないから。それは鬼の流儀に反するんでね」
 萃香はクイッと瓢箪を傾け中の酒を口に含む。
「それはご親切にどうも」
 和やかに見える会話の裏で互いに隙を狙いつつ更に間合いを詰める。
 カッと美鈴が目を見開き、一足飛びに間合いを詰める。
 ドンと地面が揺れ、美鈴が立っていた地面に足型が刻まれる。
 正拳突きから下段中段と蹴り、上段の蹴りは萃香の身長が低いため、そのまま下に叩きつける。
 萃香はそれらを全て腕で防ぎ、最後の叩きつけられた蹴りを受けた腕で美鈴の体を押す。
 体勢の崩れた美鈴はたたらを踏む。その隙を逃さず萃香は体重を乗せた肘鉄を腹にめり込ませる。
 初めてのクリーンヒットに美鈴は顔をしかめながら、肘鉄の衝撃で倒れないように踏ん張り、構えを替える。
 いままでは半身を前に出した構えから、どっしりと腰を落とし、萃香を正面に見る構えだ。
「そうそう、門の前で見たその構えだよ」
 萃香は心底楽しそうに舌なめずりをしながら追撃する。
 突き出された萃香の拳を腕を回して弾く。そしてそのまま流れるように逆の手で平手打ちをかます。流れる動きは止まらず、次いで右足左足右手左手…と円を描くような美鈴の攻撃は、踊っているようでまったく終わる気配が無い。
 防戦一方になった萃香は、徐々に美鈴の攻撃に対応できなくなり、腕や体に赤い腫れが浮き出てきた。
 押し切れる、と美鈴が思った瞬間、萃香がダメージ覚悟で防御を解き、渾身の力を込めた右拳を美鈴のみぞおちに叩きつける。
 メキメキと骨が折れる音が聞こえ、美鈴は紅魔館の壁に激突する。
「勝負ありね」
 パチュリーはやっぱりつまらなそうにしながらポツリと呟く。
 美鈴の攻撃は確かに止めどなく流れるようだったが、一撃一撃に重みがない分鬼の皮膚を貫く決定的な攻撃にはならなかった。
 萃香も防御をしながらそれを見抜き、鬼の一撃で勝てると踏んで勝負に出たのだ。
「いい攻撃だったけど、やっぱり人間の技術だね。決定的な一撃がなければ鬼には勝てないよ」
 右手から煙を上げながら、萃香が起き上がらない美鈴に話しかける。
「まぁ、楽しかったよ」
 そう言って帰ろうと背中を向けた萃香は、美鈴から高まる妖気を感じた。
「……まずいわね。咲夜、鈴を持ってきなさい」
 妖気の高まりを感じたのは萃香だけではなかった。
 レミリアも、美鈴の急激な妖気の高まりを感じ、とある事態が頭をよぎっていた。
「スズ? ですか?」
 人間である咲夜に美鈴の妖気は感じられない。
 ただ、主人のちょっとした変化から、ただ事ではないというのを読み取っていた。
「美鈴がちょっと前まで持っていたあの鈴よ!」
「かしこまりました」
 咲夜が時間を止めながらその場を去る。
 早く持ってこいよと言いながらも、一方で面白いからもう少し見ててもいいな、と緊張感なくレミリアは思っていた。
 どちらにせよ、彼女には余興でしかなかったからだ。
 一方どんどん高まる妖気に萃香は驚きを隠せなかった。
「なんだ、まだ本気じゃなかったのか?」
 手加減されたという怒りもあったが、何よりこの妖気の強さに自分と同じ幻想的な強さを感じていた。
 この幻想郷の中ですら幻想的な、存在しない強さだ。
 美鈴がゆらりと体を起こす。
 肋骨をいくつか折っているはずだが、そんな感じは微塵も見せない。
 立ちあがった美鈴の雰囲気が変わっているのを萃香は感じていた。さっきまであった謙虚な気持ちがまったく感じられない。
 美鈴がかもし出しているものは、単純な殺気だった。


 少女が夢を見る。
 鬼との勝負に負けて、あーやっぱり敵わなかったなぁ、なんて思っていたら、急に目の前が暗くなった。
 これは、夢…なのか?
 少女は誰とは無しに疑問を口にしてみた。
 今朝見た夢のように、黒い血が視界を埋め尽くしていた。
 遠くからぼんやりとした人影が近付いてくる。
 あれは今朝の夢の奴だ。多くの同門を殺し、笑いながら私に近付いてきた奴だ。逃げなきゃ。
 必死で逃げようとするが、まったく景色が変わらない。それどころか体が動いていないように思える。
 ゆっくりと近付いてくる人影は、徐々に輪郭が分かるようになり、顔が判別できるまでの距離になった。
 少女は驚愕した。
 同門を殺し笑いながら近付いてくる人影は、自分だったからだ。


 萃香は目の前にいる奴が本当にさっきまで戦っていた奴と一緒なのか疑った。
 先程まで洗練された技術で美しい円舞のような攻撃を見せていた美鈴が、今や獣のように荒々しい攻撃を繰り出してきているからだ。
 しかもその一撃一撃は防いだ腕が折れそうなほどで、とてもじゃないが防御を解く気になれなかった。
 しかしその攻撃は隙だらけでもあり、攻撃と攻撃の間に萃香も拳を叩き込み蹴りを食らわすのだが、美鈴は一向に気にしているいる様子もなくすぐに反撃をしてくるのだ。
 いや、ダメージは確実に受けているのだが、それを無視して動いているのだ。
 萃香は悩む。このままでは負ける。
 倒すのは簡単だ。隙だらけの攻撃の間に必殺の一撃をぶち込めば終わりだ。ダメージは無視できても耐久力が上がっているわけではない。肉体が潰れるほどの一撃を与えればいいだけだ。ただ、それをすれば美鈴は確実に死ぬだろう。力比べで死ぬ。それは違うと萃香は考えていた。
 いたるところから血を流しながら、美鈴は動き続ける。
 掛け声やうめき声を一切上げず、ただ腕を振るい足を蹴り上げる。
 萃香はもはや攻撃していない。これ以上攻撃すれば美鈴は本当に死んでしまうと思ったからだ。
「くっ…、おい吸血鬼!こいつ死ぬぞ!」
 萃香はバルコニーから見ているレミリアに怒鳴りつける。
「そう」
 薄く笑いながら紅いワインを飲む。萃香の酒はもう無くなったようだ。
「クソ!薄情な奴だ!」
 悪態をついて萃香は考える。
 殺すか負けるか。
 …そんなのはどっちも嫌だ!
「鬼の覚悟!なめるなよぉ!」
 叫びながら萃香は小さなカードを取り出す。
「酔符『鬼縛りの術』」
 手に持ったカードが空気に溶ける様に消え、スペルが発動する。
 萃香は右手でガードしながら腰に巻いた鎖を左手で掴み、それを器用に引き伸ばすと美鈴の腕と体に絡みつける。
 両者を結びつける鎖が美鈴から萃香に何かを流し込むように光る。
 すると、美鈴が急に力を無くしたように膝から崩れ落ちる。
「ふーん。妖気を吸い取るのか」
 観戦するレミリアが少し驚く。
「質の違う妖気でも大丈夫なのかしら?」
 パチュリーが初めて美鈴と萃香の戦いに興味を持った。
 レミリアはさぁねと小さく呟き、興ざめしたようにイスの背もたれに寄りかかる。
 まだ縛られている美鈴は、もうピクリとも動かない。レミリアは勝敗は決したと判断して萃香に声をかけようとする。
 すると突然美鈴が立ち上がり萃香の鎖を引きちぎった。
「えっ!?」
 呆気にとられた萃香は、美鈴の荒々しくも流れるような回し蹴りを回避することが出来なかった。
 回し蹴りは萃香の顔面をまともにとらえ、弾かれたようにふき飛び壁に激突しそのまま動かなくなる。
 美鈴が気絶した萃香に飛び掛り、馬乗りになって顔面を殴る。
 殴り続ける美鈴の拳は皮が爆ぜたように肉が見え、その隙間から白い骨が見える。自分の肉体の限界を超えても腕を振るうのをやめないその顔は、不気味なほど禍々しい笑みに彩られていた。
「さすがの鬼でもアレでは死んじゃうわね」
 しばらくその行為を眺め、あまり現実味の無い声でパチュリーが言う。
「……ここまでね」
 レミリアは、パチュリーが瞬きをしている間に美鈴の横に移動していた。
「もう終わりよ」
 レミリアが美鈴に声をかけ、殴り続けている腕を掴む。
 瞬間、美鈴はその手を払いのけ、今度はレミリアに攻撃を仕掛ける。
「私とやるの?」
 その攻撃を素早く避け少し驚きながら問いかけるが、何も答えず殺気を放つ美鈴を見て、すぐに唇を歪め全てのモノを見下す笑みを浮かべる。
「おもしろい」
 その笑みを見て怒りの表情をあらわにした美鈴が、目にも止まらない速度でレミリアとの間合いを詰める。
 まるで自分より上の存在を認めないかのような美鈴の変化に、パチュリーはまた興味を示す。レミリアはさっき咲夜に鈴を持ってこいと言っていたのを思い出し、もしかしてレミリアは美鈴のこの状態の事を知っていたのかもしれないとパチュリーは推測した。
 そんな事をパチュリーが考えている間に、レミリアと美鈴は何度目かの交じり合いをしていた。
 レミリアはヒットアンドアウェーを繰り返し、自分は傷一つ負わずに一方的に美鈴にダメージを与える。ひたすらに向かってくる今の美鈴には、最大限の効果を発揮していた。
 闇雲に攻撃を仕掛けてくる美鈴に、狙いを定め機会を逃さず攻撃するレミリアは、しかし致命傷になる急所だけは避けている。
 じりじりとダメージを与え、待っているのは……
「お待たせいたしました。レミリアお嬢様」
 咲夜だった。
「…貸せ!」
 緊迫した場面に全くそぐわない咲夜の落ち着いた声に、レミリアは少しだけ呆れながらも、すぐに持って来た鈴を奪い取り、美鈴の目の前に今までで最高のスピードで到達すると、美鈴が反応する前に鈴を顔の前で鳴らす。
 チリリン…
 金属がぶつかり合っているとは思えない、澄んだ美しい鈴の音が響く。
 鈴の音に聞き入っているような美鈴は、突如意識を失い倒れた。
「……ふー…」
 誰にも聞こえないようにコッソリ溜め息をつくレミリア。
 従者を殺さずに済んだ事を密かに安心した溜め息で、それを盗み見た咲夜はコッソリと微笑んだ。


 暗い景色の中、少女は何かから逃げるように走り続ける。
 後ろを振り返ると、自分が迫っていた。
 遠くから鈴の音が小さく聞こえた気がした。

 ベッドから目を覚ました美鈴は思い出したように身を起こす。
「………あ!…イッタァ!」
 そして全身に走る激痛にすぐにベッドに倒れこむ。
「おはよう、美鈴」
 掛けられた声の方向になんとか首を回すと、咲夜がりんごの皮を細長く途切れないようにむいている姿があった。
「あ、おはようございます…咲夜さん」
 おはようと言いつつカーテンは閉められているので、おそらく夜なのだろう。
 美鈴は落ち着いて記憶の糸をたぐり寄せ、今の自分の状況に納得した。
「私…おかしくなってたんですね…?」
 半疑問形で自分と咲夜に問いかける。
「さあ?私はその場に居なかったから、なんとも言えないけれど…」
 言葉を区切り、射殺すのではないかという視線で美鈴をにらみ言葉を継ぐ。
 実際りんごを剥いていたナイフをいつの間にか美鈴の喉元に突きつけていた。
「レミリアお嬢様に無礼を働いていたところは見たわ」
「……ゴクッ…」
 横になっているので避けることも出来ず、ただ生唾を飲み込む美鈴。
「まぁ、レミリアお嬢様もその事は何も言っていなかったから、今回は不問にするけれども、今度こんな事があったら、私があなたの生命という時間を止めてあげるわ」
 そう言ってナイフを喉から離す。
 美鈴がホッと一息つくと、若干優しさが滲む声で咲夜が問いかける。
「で?どうしてあんな事になったのかしら?
 レミリアお嬢様に狼藉を働いた事は許すけど、この事態の理由を聞かない限り私はあなたを許さないわ」
 皮を剥いたりんごを8等分に切り分け、自分の口に運ぶ。
「………私は、自分から逃げて妖怪になったんです…」
 咲夜がりんごを食べ終わるのを待って、美鈴はベッドから体をゆっくりと起こし、ポツリポツリと喋り始めた。
「まだ人間だった頃、私は小さい流派の門下生として武術を習っていました。
 孤児として引き取られたんですけど、物心ついた時からみんなと一緒に鍛錬に励んでいました。小さくて全然有名な流派ではなかったんですが、門下生みんなが家族のようで、毎日毎日ただひたすらに、みんなで高みを目指していたんです」
 思い出すようにゆっくりと語る美鈴。それを急かさず相づちも入れず咲夜は聞く。
「ある日、他流派との交流手合わせがありました。相手はとても大きな流派で、世界的に有名でした。でも、私たちの流派が勝ったんです。大きい小さいなんて関係ないんです。一生懸命鍛錬に励んだから勝ったんだって、みんな心から喜びました。これを励みに更なる努力をしようとみんなで誓い合ったんです。
 でも、その大きな流派は私たちみたいな小さい流派に負けた事が許せなかったみたいで、次の日から私たちの流派の根も葉もない噂を立て始めたんです。あそこは卑怯な手を使って交流手合わせに勝ったんだって。
 更に闇討ちまでし始めて、師範や師範代が次々と怪我を負わされた後に、再び交流試合を申し込んできたんです。私たちはそれを断りました。そんな卑怯な手を使ってまで強さを誇示したい流派となんて手合わせできないと。
 そしたら今度は臆病者扱いされ、次第に私たちの流派は町の人達からも嫌われて、新しい門弟も入らないようになり、廃れていったんです」
 一気に喋ったので少し喉が渇き、一呼吸入れ唾で喉を湿らそうとすると、咲夜がそっと水を渡した。
 小さく礼を言いそれを一気に飲み干し、また喋りだす。
「私は、私たちの流派が大好きでした。強さなんか関係ない。ただ高みを目指す。高みとは強さではない。師範たちはいつだってそれを私たち門下生に言い聞かせてくれました。
 争うな。力は他人のために使い己を高めるためのモノ。嫌がらせをしてきた流派に対しても、決して力の解決をしようとはしなかったんです。
 でも、私は納得がいきませんでした。なんで私たちの流派がこんな目にあわなければいけないのか。悪いのはあっちで、それをなぜ私たちは話し合いで解決しようとしているのか。
 そんなある日です。私は夜の鍛錬のために森に行きました。すると、森の中にある池のほとりに大きな細長い何かがいたんです。
 私は好奇心でソレに近付くと、ソレが話しかけてきたんです。話すというより、頭の中に直接語りかけられた感じでした。ソレはこう言ったんです
 『強くなりたいか?』
 私はすぐにうなずきました。すると、ソレが急に飛び掛ってきて、私は身構え抵抗しようとしたんですが、実体がないかのようにスルスルと拳や蹴を抜け、私の頭に消えてたんです。
 夢でも見たのかと思い、その日はすぐに帰りました。
 次の日、嫌がらせをしてくる流派の有名な師範が来ました。
 そいつはものすごく嫌味な事を言って、それを諭した私たちの親である老師を殴ったんです。
 私はその瞬間怒りで頭の中が真っ白になったんです。
 そしたら、前日の夜に見た細長い何かが頭の中に現れたと思ったら、体を乗っ取られたんです。意識はあるのに体を動かせないんです。
 そして、私ではない私がその相手流派の師範を殺し、ついてきていた相手流派の門弟も殺しました。
 その動きは、到底その時の私が出来る動きではありませんでした。
 私はその時誰よりも『強かった』んです。
 そして……」
 その時の事を思い出した美鈴は自分の体を抱き締め、怯える様に震えていた。
 なかなか次の言葉を継がない美鈴を、何も言わず見つめる咲夜。
 その目に取り立てた感情は浮かんでいない。
 しばらく沈黙が流れ、ふと咲夜を見た美鈴は、その感情をともさない瞳を咲夜なりの優しさだと受け取った。
 同情なんかしない、事実のみを知りたい、というそのフラットな感情が今の自分にはものすごくありがたかった。
 ありがとうございますと口の中で呟く。
 その目はもう逃げないという決意に満ちていた。
「相手流派を皆殺しにした私は、それを止めに入った同門のみんなも……殺したんです。
 意識では止めようと努力しても、体は一向に聞き入れてくれなかったんです。
 兄弟子を殺し師範代を殺し、そして自分の親代わりである老師も、殺しました」
 話しながら、美鈴は涙を流していた。
 決意に満ちた目は、己の過去から逃げない代わりに、悲しみを流していた。
「全ての門弟を殺し、やっと自分の意思で体が動くようになると、私はその場からすぐに逃げ出しました。
 目の前のそれをした私は私じゃないと思いたかったんです。
 でも、本当は分かっていたんです。それをしたのは私の意志ではないけど、それを望んだのは私なんです。
 嫌がらせをする流派を力でねじ伏せたかった。その快感を咎めた相手が憎くなった。
 だって、相手流派を殺すときも…、同門を殺すときも…、私の顔は笑っていたんだ!強い自分自身に、もっとやれって囁いていたんだ!」
 顔を両手で覆って涙を流す。口からは嗚咽が漏れる。
 美鈴の手に巻かれていた包帯が、涙と血で滲んでいた。
 咲夜は無言で美鈴の背中を優しくさする。
 しばらく美鈴の嗚咽だけが流れる。
 長い沈黙の後、美鈴は疲れきった声でその後を語る。
「……そして、私は妖怪になったんです。
 月は人を妖怪にするそうですけど、私の心はすでに妖怪になっていました。
 そして長い時の間に私は幻想となり、幻想郷に流れ着いたんです。
 私の中にはあの細長い何かがいます。私が強さを求め、強さに逃げたらアレが出てくるんです」
 ふー、と長い溜め息をついて、ベッドに倒れこむ美鈴。
 咲夜はしばらく美鈴の顔を見つめ、何かを思い出し尋ねる。
「あの鈴は?」
「鈴は…レミリアお嬢様が私にくれたものです。私が門番としてここに仕える時に、どうしても精神を保てなくなった時はって…。
 詳しいことは知りませんが、あの音を聞くと気持ちが穏やかになって、私の中にいる細長い何かは消えるんです」
 これで何もかも喋った、と言う様に美鈴は布団を頭から被る。
 咲夜は小さく微笑み、布団の上からポンと軽く叩く。
「話してくれてありがとう。後はゆっくり体を休めなさい」
 布団の中から小さく返事が聞こえ、咲夜はおやすみと口の中で呟き出て行った。


 酒の余興が終わった次の日、萃香は紅魔館の中庭で目を覚ました。
 頭をブンブン振り、月の位置を確認する。
 空に浮かんだ月は記憶にある月より若干欠けていて、萃香は丸1日気絶していた事を悟った。
「鬼のくせに、ずいぶんだったな」
 後ろから声を掛けられるが、萃香は振り返ることなく、とりあえず瓢箪に口をつけて酒を飲む。
「私がお前を助けてやったんだぞ?感謝の一つでもしてもらいたいもんだな」
 クククッと笑うレミリア。
「礼なら酒を分けてやっただろ?それでチャラだ」
「そうか」
 レミリアはまたくぐもった笑みを漏らす。
 どうでもよさそうな返答をするレミリアに振り返り、萃香は憮然とした顔で文句を言う。
「あの門番はどうなってるんだ?あれじゃあ力比べも楽しめない。お前の教育が悪いんじゃないのか?」
「失礼な。門番風情を教育などするものか」
 ニヤケた笑みをこぼしながら萃香の顔を見つめる。
 どうだ、うちの門番は強いだろ、と暗に言っているような顔だ。
 萃香はその顔に拳を打ち込みたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢し怒りを言葉に乗せる。
「お前はあいつがああなるのを知ってて、私と勝負させたんだな?下手したら死んでたんだぞ!?」
 萃香の怒りを平然とした顔で受け流し、レミリアは後ろを振り返る。
「あんな事で死ぬような教育はしていない」
「さっきは教育なんてしないって言ってたのに…」
 ぶつぶつと文句も言いながら瓢箪を傾ける。
「ところで、妖気を吸い取って気付いたんだが、あいつの中にいるのって…」
「龍、だろうな」
 萃香の言葉をさえぎってレミリアが答える。
 やっぱりという表情を浮かべ、更なる疑問を口にする萃香。
「そういえばあいつはどうやって止まったんだ?妖気を吸い取っても動いたんだぞ?」
 妖怪が妖気を吸い取られれば、普通は動けなくなる。人間で言う疲労困憊みたいなものだ。
「アレは、美鈴の気持ちに触発されて出てくる。だから、美鈴の気持ちを落ち着かせればいいだけだ」
 簡単な事だ、とレミリアは言う。
「美鈴が未熟だから、アレは出てくるんだ」
 遠い目をするレミリア。
「克服したかどうか確かめるために、私と戦わせたのか?」
「…余興だよ…」
 視線は萃香に向けず上の空で答える。
 かつて自分に挑んできて、敗れた美鈴に言った言葉を思い出す。
 自らが犯した罪から逃げるな。その罪を受け入れる事で更なる高みを目指せる。高みとは強さではない。強さを求めるな。自分の力は他人のために使い己を高めるためのモノ。
 美鈴の修羅道へと続く最悪の道を断つための言葉だ。
 その言葉が、かつて美鈴の支えとなっていた人たちの言葉であることをレミリアは知らない。運命を見て、美鈴に一番影響を与える言葉を紡いだだけだ。
 美鈴は心の強さを磨くため、全てを受け入れ、過去から逃げるのをやめた。
 その時に、レミリアは美鈴に1つの鈴を与えた。
 レミリアはただ、美鈴の運命を変える物として与えただけだ。
 鈴の音を聞くたび、美鈴は記憶の片隅にある思い出を揺さぶられる。
 幼かった美鈴に、同門として、家族として、そして親としての老師からの贈り物。
 

 少女の眠る部屋。
 夢の中、多くの同門と共に鍛錬を繰り返し、ただ高みを目指している。
 鈴が小さな音を鳴らす。
 少女は1粒の涙を流し、微笑んだ。


 おわり
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コメント



0.2230簡易評価
27.60名前が無い程度の能力削除
こんな中国もまあ好きかな
30.100名前が無い程度の能力削除
格闘美鈴サイコー!