Coolier - 新生・東方創想話

シェフの気まぐれ退屈しのぎ

2006/11/30 09:34:37
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 少女の思いは儚く消える。風にあがなう蝋燭の如く。
 その思いの炎が強ければ強いほど、皮肉なことに憎しみの蝋は溶けていく。
 蝋が溶けたあかつきに、少女に残るのは達成感か。
 半獣は思う。
 残るは虚無か、生きた死だ。





 幻想郷でも季節は巡る。
 天蓋を覆う竹に見守れながら、上白沢慧音は永遠亭へと向かって歩いていた。
 手には子兎が丸々一匹ほど包めそうな風呂敷が。その隙間からは独特の香ばしい香りが漏れ、来る前に二本ほど完食した慧音をもってしても、もう一本ぐらい良いかなと思わせる魔力を秘めていた。
 人のみならず妖怪達は、小悪魔的な魅力を持つソレを焼き芋と呼んでいる。
「とはいえ、これ以上数を減らすわけにもいかんだろう。何があるかわからないし」
 食欲の秋という標語を盾に、食べては太れる季節がやってきた。もっとも、中には年中が食欲に満ちている妖怪や、経済的諸事情から絶食の秋を慣行する者もいる。おそらく新年の博霊神社には即神仏が奉られているに違いない。
 そんな風に、幻想郷も色を変え始めるのだが、そこはそれ幻想郷。紅葉という言葉を理解しようとしない植物種共も中にはいるようで、雅を尊ぶ慧音からしてみれば、どうかと思う所存であった。
 本来はそれほど雅やわびさびに興味などなかったのだが、最近とみに通う機会の多くなった永遠亭で、八意永琳に半ば洗脳に近い方法でその良さを教え込まれたのだ。
 なんでも、紅魔館の日陰少女と紅茶と緑茶のどちらをより幻想郷に広められるかという勝負をしているらしい。どちらでも時と場合に応じて飲み分ければ良いじゃないかと進言したが、自尊心が許さないと返された。
「さて、だったらこれは緑茶にぴったり合うはずなのだが」
 とはいえ、芋と紅茶という組み合わせも何やら新境地を開拓できそうな趣がある。機会があれば、次は紅魔館へと持っていくことにしよう。
 笹を踏みしめる小気味よい音を鳴らしながら、慧音は竹藪の奥へと奥へと突き進む。
 数刻ほど歩いたところで、ふと見慣れた兎と出くわした。
「何を……している?」
 首に縄をかけ、胸の前には無駄に存在を主張する板が垂れ下がっている。板には黒々とした文字で『因幡てゐ』と刻まれていた。
「勿論、自主的な見回りです。有能な上司たるもの、率先して現場で働くものだと相場で決まっているんです」
 なかなか口当たりの良い台詞を吐くてゐに、慧音は整った眉をしかめた。以前に来た時は、虎視眈々と革命の機会を窺う思想家のような印象だったのに、今や更正した不良もかくやという誠実な人間になっている。
 人ですらそう容易く心変わりなどしないというのに、自尊心の塊のような妖怪が性格を変えるなど前代未聞だ。
 とすれば、これはてゐなりの策略なのかもしれない。キラキラと小川の水面か夜空の星のように輝く顔の裏側では、「まったく馬鹿なカウガールだ。ミルクと一緒に脳も溶け出てんじゃないのか」とか思っているかもしれない。
 そうだとすればGHQクライシスだ。
「ところで永遠亭に何の用ですか?」
「ん、いや、焼き芋を焼いたのでお裾分けに来ただけだ。八意医師には日頃から懇意にしてもらっているからな」
「そうですか、だったらこの因幡てゐがご案内しましょう。因幡てゐが」
 軽い悪寒が走った。
 無料の奉仕である。慈善である。永遠亭という三文字からはもっとも連想しにくいであろう単語の数々が、現実となって慧音の目の前に現れているのだ。
 百戦錬磨の幽々子をしても、永遠亭を廻るくらいなら七大地獄を巡った方がマシと言わしめるぐらいである。かなり誇張されてはいるが、間違っても笑顔で対応してくるような所ではない。
「なんだそれは、新しい罠か。そうやって戦意を削いで、もう帰るとばかりに背中を見せたところでバッサリやるつもりなのか、そうなんだな」
「そういうのは私を除く三人の専売特許で、因幡てゐこと私自身はそんな悪逆非道な罠なんて思いつきもしませんよ」
 やたらと名前を主張してくる理由も気になるが、曇りなき笑顔の理由の方が気になる。
 永遠亭までの数分間、慧音は表面上では平静を装っていたが、内心は罠にかかった子兎のように怯えていた。永遠亭が見えた来たときには、安堵すら覚えてしまうぐらいだった。
 玄関まで普通に案内してくれたてゐは、「因幡てゐをよろしく」と意味不明の単語を残して再び見回りに戻っていった。ただひたすらに不気味だった。
 今見たモノは幻だと割り切り、慧音は風呂敷を抱え直した。
「さてと、確か入り口はこちらの方だったか」
 永遠亭には来客用の入り口があるものの、そこから入ると永琳の部屋までたどり着くのに色々と面倒があるらしい。妹紅などは気にせず正面から突っ込んで、破壊と炎を撒き散らしているらしい。
 永琳から教えてもらった秘密の近道へと向かうべく、永遠亭の周りを歩き出す。秋風が竹を揺らし、波のような音を奏でる。
 さすがに大勢の兎が働いているだけあって、所々に兎達の姿が見える。忙しなく動き回っているようだが、何をしているのかはわからなかった。
 どこぞの昔話で亀と兎が競う話があったが、この光景を見ていると兎が寝たのも納得できる。兎は働き過ぎなのだ。
 思考に気をとられていた為か、うっかり走り回る兎の一匹とぶつかってしまった。
「す、すいません!」
 それなりに通ってきただけあって、今や慧音は永遠亭に顔パスで入られる。一般の兎達もそれをわかっているらしく、慧音の姿を見ても誰も攻撃してこない。
 平謝りした兎は急いでいるようで、白紙を抱えたままどこかへ走り去っていった。
「そういえば、さっきから白紙を持った兎をよく見かけるが。何かの流行なのか?」
 その問いかけに答える兎はいない。焼き芋を渡すついでに永琳に尋ねてみようと決め、慧音は再び入り口探しに没頭した。大体の場所は教えてもらっているのだが、日によって微妙に場所が動くらしい。
 紅魔館でのその手の防犯設備は整っているらしいのだが、いかんせん役に立ったという話を聞かない。むしろ、日常生活に不便であるという文句ばかりが耳に入ってくる。
 一昨日よりも数十メートルほど離れた位置に、その扉はあった。ともすれば、ただ立てかけてあるだけの扉にしか見えないのだが、これでも立派な入り口である。
 直通で永琳の部屋に繋がっている為、ノックを欠かすことはできない。木製の扉を叩いたものの、反応はない。
 不在なのだろうか。そう思い扉を開けてみる。
 いかにも効能がありそうな植物の匂いが鼻をついた。中には金木犀のような良い香りもあるにはあるのだが、他の列強な面々によって完全に打ち消されていた。
 嗅覚を混沌とさせる部屋において、その主たる永琳は没頭するように机に向かっていた。それこそ、慧音のノックなど聞こえなかったように。
 声をかけるべきか躊躇った。永琳が何かに没頭している姿など、慧音は一度たりとて見たことがなかった。邪魔をしていいものかどうか、判断できない。
「仕方ない、後にするか」
 小声で呟き、慧音は部屋を出て行った。
 とりわけ、次の目的は台所か。調理担当の者がいれば、その兎に渡してしまえばいい。
 共に緑茶を飲めなかったのは残念だが、機会はまたある。なにしろ、相手は不老不死なのだから。





 はてさて。
 時には大河の如く長く、時には激流の如く曲がりくねった廊下を歩く慧音。台所に行くというだけで、この大冒険。警備面での不評の理由もおのずと察せる。
 外の世界でもこういった作りの建物は存在しているらしいが、それは外敵の侵入を防ぐだけでなく、悪霊の侵入も防ぐ為だと聞いたことがある。
 かの祟徳院とて、永遠亭にかかればただの迷子となるはずだ。そう、今の慧音のように。
「考えたくはなかったが、やはり迷ったか」
 口にしたところで、事実は揺るぎない事実である。
 とりあえず近くの兎に道を聞こうにも、永琳の部屋を出てからというもの兎の尻尾すら目にしていない。
 だからといって、無闇やたらにそこらの襖を開こうものなら、どこへ連れて行かれるのかわかったものではない。夏への襖が開くならまだしも、海底二万マイルへ通じていたら目も当てられない。というか死ぬ。
 助けも求められず、さりとて冒険するわけでもなく、ただ慧音は長い廊下を歩き続けるしかない。
「あれ、なにしてるんですか?」
 耳に馴染みのある声に、はっと慧音は振り返る。
 ブレザーを着た救世主がいた。
「ちょっと台所を探していてな。だが丁度良かった」
 心の中で安堵の溜息をつきつつ、表面上では冷静を装ってウドンゲに風呂敷を渡す。慧音とて、自尊心はある。迷子になっていましたなど、恥ずかしくて口が裂けても言えるわけがない。
「これを八意医師に渡しておいてくれ。頂いた芋を焼いてある」
「焼き芋ですか。師匠も喜ぶと思います。あれ、でも師匠部屋にいませんでしたか?」
「居るには居たが、何やら忙しそうにしていたので声をかけづらくて」
 慧音の言葉に、ウドンゲは頬を掻きながら、気まずそうな苦笑いを浮かべた。
「ああ、なるほど。確かに今は忙しいかもしれませんね」
「……一つ、聞いてもいいか」
「はい、なんでしょう」
 忙しそうな永琳、白紙を持って走り回る兎達、そして不気味なてゐの行動。一見すると断片的な要素だが、慧音はどうにもこれらが一つの原因から起こっているように思えた。
 永琳の弟子というなかなか重要な位置にいるウドンゲなら、永遠亭で起こっている事を知っているかもしれない。そんな淡い期待をこめて、問いを投げかける。
「どうにも騒がしいようだが、今日は何かあったのか?」
「えぇ、まぁ、あったといえばありました」
 煮え切らない態度から、それがウドンゲにとって好ましくない出来事であることがわかる。
「良ければ聞かせてもらえないか、何があったのか」
 しばし悩む風に視線を彷徨わせたウドンゲは、やがて何かを諦めたかのように溜息をつき、その出来事について語りだした。





 それは慧音が来るより数刻前の出来事。
 全ては姫のこの一言から始まった。
「ところで、ウチで一番有能な上司って誰なのかしら」
 時刻は朝餉も終わり、そろそろ仕事をしようかという頃合い。まったりとした時間のはずが、この一言で場の空気が氷点下に落ち込んだ。
 居間にいたのは輝夜、永琳、ウドンゲ、てゐの四人。結託するには最高の四人だが、競争するには最悪の四人だ。
 普段は輝夜を立てる永琳も、競争となるとここぞとばかりに自分を押し出す。それでも、ちゃっかり輝夜を二位にしようとする辺りは、従者としての残された本能か。
 そこに更に密かな負けず嫌いのてゐが加わると、大抵は収拾がつかなくなる。そして、大概の被害を被るのはウドンゲだった。
「み、みんな有能な上司ですって。順位なんてつけられませんよ」
 それゆえに、ここでの対応が後に非常に重要なってくる。競争が始まる前に鎮火できるのが最善だが、戦績は零勝三十九敗と燦々たる有様だ。
 例によって例の如く、ウドンゲの言葉などなかったかのように三人は火花を散らしあう。
「聞いた私が言うのもなんだけど、勿論私が一番有能な上司よね」
「確かに姫は高貴ではありますが、有能な上司かと言われれば甚だ疑問です。差し出がましいようですが、有能な上司というのは私のような者を指す言葉です」
「でも、お二人とも結局は自分が自分が、ってところがあるじゃないですか。その点、私なんかは部下を殺すことなく、むしろ伸ばしているんだから有能な上司と言われるのも仕方ないことですよ」
 ちなみに、ウドンゲの印象では三人とも上司としては無能であるとしか言いようがない。別段、自分が有能であると主張するつもりはないが、三人よりかはマシな部類に入るはずと自負していた。
 なにせ、輝夜は食指が動かなければ何もしないし、永琳は師匠としては尊敬に値するが上司としては傍若無人としか言いようがない。てゐに至っては文字通り部下を殺しかねない勢いである。
 とはいえ、こんなことを口に出すわけにはいかない。墓の下まで持っていけなければ、生きながらに埋葬される可能性大だ。
「どうやら、いつものごとく話し合いだけじゃ決着がつきそうにないわね」
 永琳は年代物の箪笥に手をかけ、勢い良く棚を開いた。そこには、こういった当人達だけでは収拾がつかなくなった時用の投票用紙がしまい込まれていた。
 案の定、投票によって決着をつけるらしい。
「投票は夜。それぞれの代表演説はいつものように夕刻に行います。それまでは自己アピールするなり、ポスターを貼るなりどうぞご自由に」
 永琳の説明に二人は真剣な眼差しで頷く。まったく会話に参加できなかったウドンゲだが、どうせ自分も参加させられることはわかっている。その予想を裏付けるように、永琳は名指しで「ウドンゲもいいわね」と訊いてきた。
 今更文句を言うわけにもいかず、目頭が熱くなるのを堪えながらウドンゲは首肯する。
「それじゃあ、ウドンゲは投票用紙と概要を記した紙を選挙管理事務所に提出するように。以上、解散」
 柏手の音と共に、三人はそそくさと居間から出て行った。残ったのは白紙の紙とウドンゲのみ。
 激化する戦いを平等に管理するという名目で作られた選挙管理事務所。所員は一般兎のみによって構成されている。そこに提出をしてしまえば、本当に戦いは始まってしまうのだ。
 破りたい衝動に駆られながらも、もうどうすることもできないんだなぁと半ば諦め、ウドンゲは事務所に提出する資料をまとめることにした。
 平和に事が終わることを祈りつつ。





「それはなんというか……大変だなとしか言いようがないな」
「そうなんですよ! こうなったらもう誰も仕事なんかしやしないし、おかげで予定していた人参畑の拡張作業も大幅に遅れて……ひょっとすると人参嫌いの姫様の陰謀なんじゃないかとさえ思ってしまいます。うう……」
 久々に本気で泣く人を見た。いや、兎を見た。
 同情はするものの、だからといって慧音にはどうすることもできない。所詮は客人ということもあるのだが、この四人に深入りするとロクな目に遭わないような気がするのだ。
 なので、せいぜい慧音に出来ることと言ったら本気で泣いてる兎をなだめるくらいである。
「まぁ、退屈しなくていいじゃないか。人生、刺激は必要だぞ」
「刺激だらけの人生なんて嫌ですよ」
 もっともである。
「とりあえず、言伝は賜りました。師匠ってば浮動票を獲得する方法に頭を悩ませてるみたいで。甘い物を欲しがっているはずだから、きっと喜ぶと思います」
「それは何より。作った甲斐があるというものだ。ただ、今度はもう少し落ち着いた時に来ることにしよう。また自慢の緑茶を飲ませてくれと言っておいてくれ」
「わかりました」
 自然な流れに身を任せ、危うく別れそうになったところで慧音は気が付いた。己の状況に。
 去りゆくウドンゲをひきとめて、恥を忍んで問いかけた。
「ところで、出口はどこだ?」





 玄関を抜けた今でも、ウドンゲの笑いが脳裏に浮かぶ。
 馬鹿にするように笑われたわけではないが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。頬に手を当てると、まだ若干熱が残っているように思える。
 慧音は熱を冷ますついでに、永遠亭の周りを散歩することにした。さすがに辺りには面妖な警備もしかれていないはず。多分、きっと、願わくば。
 耳を澄ませば、笹の音に混じり、兎達の会話が聞こえてくる。今宵の投票を兎達も決めあぐねいているらしい。
 兎達は誰を有能な上司と思っているのか、興味がないと言えば嘘になる。自然と、慧音の身体は兎達の会話を聞きやすいようにと近づいていたようだ。それに気づいた兎が、良かったらと一枚の紙切れを渡してきた。
「私は余所者だが、いいのか?」
「別に投票数が増えて困るわけでもありませんし、構いませんよ」
 綿密な計算中の永琳からしてみれば、ここで一票が増えるのは好ましくないのではないか。そうも考えたが、せっかくの申し出を断るわけにはいかない。
 それに、どうせ無記名投票だ。渡す相手にさえ見られなければ、慧音が誰に投票したのかは分かるはずがない。
 だが、できることなら人目のないところで書きたかった。
 と、頬の熱を冷ましてくれる一陣の風が竹藪に吹き抜けた。掻き分けられた藪の向こうに、慧音は見覚えのない小屋を見つけた。
 近づいてみると、それは小屋ではなく離れの部屋のようだった。永遠亭と造りは似ているものの、永遠亭自体とは繋がっていない。
 しかし、慧音を目をひきつけたのはそこではない。離れの屋根の上には、どうしていままで気づかなかったんだというくらい大きな看板がかけられている。
『茶屋 アポロ13』
 なんとも難易度の高そうな茶屋であった。
「あら、珍しい客が来たものね」
 ともすれば笹の音かと錯覚してしまいそうな儚く、それでいて雑踏の中でも聞き逃しそうにない声。姿を見ずとも、誰かわかった。
「奇妙な看板に釣られてな。それにしても、こんなところに茶屋があっただなんて知らなかった。あなたが店主か?」
 声の主は子供のようにクスクスと笑った。
「それもいいわね。でも、違うわよ。店主は永琳。ただ、ここの店主は店を開けがちだから客が注文を処理ないといけないの」
「せるふさーびす、か」
「いい語呂ね、今度からそう呼ぶことにしましょう。セルフサービス」
 何が気に入ったのか、声の主はセルフサービスを連呼する。
 とりわけ接点もないし、一緒にいるところを妹紅に見られると色々とマズイ。帰ろうかと慧音が踵を返したところで、声の主が中に入ったらと誘ってきた。
「さっきまでのあなたのように、そうそう見つかる場所じゃないわ。猪突猛進しか能のない女には、気づけるはずがないわよ」
 普通なら軽く流せる皮肉だったが、慧音にとって妹紅の二文字は聞き逃せない。つい寄ってしまう眉間の皺を気にもせず、離れに向かって反論した。
「ああ見えても妹紅は気の利く女だ。あまり悪く言うな」
「兎を狩るのに山を焼くような女のどこに、利くような気があるものか。まぁ、いずれにしてもアレにはわからないわよ。ここはそういう風にできているのだから」
 てっきり存在しないと思っていたが、ここにも微妙な警備網はひかれているのだろうか。なにしろ、ここまで言われて帰ることなどできない。
「特にあなたと話すようなことなど無いが、それでも良ければ入らせてもらおう」
「私は訊きたい事が山ほどあるわ。訊かないけど」
 離れへの入り口は腰ぐらいの高さの所にあり、屈まないと部屋には入れないようになっていた。少々不格好な体勢で、慧音は離れの中へと潜る。
「ほぉ……」
 感嘆の溜息。
 竹格子の填められた窓が、左右対象につけられている。そこから聞こえる外の音は、密室だからか独特のもののように思えた。
 腰の高さには土台があり、その上に畳みが敷き詰められている。藺草の香りと茶の香りが混じり、鼻腔の隅まで清めていくようであった。
 そして何より目を惹くのは、奥に据えられた一枚の屏風。月を見上げる兎と、木にとまる鳥が描かれている。芸術のことなど何もわからないが、説明されるまでもなくこれが素晴らしいものだとわかった。
 それだけの迫力を、その屏風は持っていたのだ。
「気に入ってもらえたのかしら?」
 まるでそれら全てを従えるかのように、蓬莱山輝夜がしだれ柳のように畳に寝そべっていた。まるで高貴な姫である。いや、実際に姫なのだが。
「言葉もないとはこのことか。久々に良いものを見せてもらった。感謝する」
「さっきまでとは随分と態度を変えるのね。私もこちらの方が話しやすいとはいえ、何だか少し寂しい気もするわ」
 桜色の裾で口元を隠しながら、輝夜は巫山戯た口調でそう言った。
 初見の者ならばまず目を奪われるこの内装も、亭の主にとっては見飽きた調度品に過ぎないようだ。
 退屈な姫の娯楽になるのは甚だ不愉快だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。あえて相手の思惑にのることにするか。慧音はそう決め、自分から口を開いた。
「それで、私に何の用だ?」
「あら、別に用なんてないわよ。珍しい人を見かけたから、ちょっと声をかけただけよ」
「……なんだ、やはり退屈しのぎか」
「そうね。じゃあ、つまらない質問でもしてみましょうか。妹紅は元気?」
 不老不死の妹紅に向かって、元気も何もないだろう。
「元気すぎるくらいに元気だ。誰かさんに負け続けているせいでな」
「まるで私が諸悪の根元みたいな言い方ね。なんなら確かめてみる? ここには運命を見る存在も、裁く存在もあるのだから」
「原因がわかったところで結果は変わるまい。結果が変わっても原因が変わらないように」
「禅問答かしら?」
「他愛のない後悔だ」
 もしも妹紅が蓬莱の薬を飲む場にいたならば。自分はどうしていただろう。
 何度も考えたありえない世界だ。
 なにしろ実際は、後悔することすらできないほど過去の話なのだから。
「もっとも、未来も過去も捨てたお前達には関係の話だがね」
「過去まで捨てたつもりはないわ。少なくともまだ、覚えている事はある」
「だが、やがて忘れる」
「それはあなたも同じでしょう」
「果てのある私の忘却と、果て無きお前達の忘却では意味が異なる。私は思い出を持ったまま逝けるかもしれないが、お前達に死は存在しない。ゆえに、絶対にどこかで過去を忘れる」
 百年覚えていても、千年目に忘れるかもしれない。千年覚えていたとしても、やがていつかは忘れるだろう。
 すっと、猫のように輝夜の目が細くなった。
「ずっと気になっていたんだけど、それは誰に対しての台詞かしら?」
 はっと、いつのまにか俯いていた顔をあげる。手のひらには汗が滲んでいた。
 これだから、輝夜と会うのは嫌だったのだ。永琳とは違い、輝夜は不老不死であることを嫌が応にも意識させる。それも、妹紅と居る時には考えようとしない、否、考えたくない部分に踏み込んでいってしまうのだ。
 潜在的に持っていた、いつか妹紅は自分を忘れてしまうんじゃないかという恐怖。それを無理矢理に吐き出させられた気がした。
 目的など訊く必要もない。退屈しのぎなのだろう。
「そこまでして、退屈を嫌うか」
「勿論よ。なにせ、私たちにとっての最大の敵は虚無と退屈なんだから」
 突発的な選挙も、妹紅との殺し合いも、輝夜にとってみれば全ては退屈しのぎに過ぎない。
 それは妹紅とて同じだろう。輝夜という宿敵との殺し合いが、妹紅にとっての退屈しのぎなのだ。もっとも、本人はそうは思ってないだろうが。
 ただ、だとすれば気になることがある。
 仮に、何かの間違いで二人の戦いに決着がついたとしたならば。
 輝夜が生き残ったとしても、永琳がいる。永劫に時を過ごせる人物が、輝夜の隣にはいるのだ。
 だが、妹紅の隣には?
 慧音とて、いつかは死が訪れる。その隣にいつまでもいられるわけではない。
 もしも、妹紅が生き残ったとすれば、一体どうなってしまうのだろうか。
 慧音は考える。
 一つだけ言えることは、何かしなければ妹紅を待っているのは虚無か、永遠に続く退屈な日々だけだ。
「邪魔をしたな。ああ、それとウドンゲに焼き芋を渡してある。興味があるなら貰いにいくと良い」
「そうさせて貰うわ。ところで、あなたも投票用紙を貰ったんでしょ」
 輝夜の視線は慧音が握りしめていた紙に注がれている。
「もしも参加するつもりがあるなら、是非とも私の名前を書いて頂戴。退屈しのぎだろうと、負けるのは気分悪いわ」
 考えておく、とだけ言い残し慧音を離れを後にした。
 玄関に行くと、兎達は変わらぬ様子で慌ただしく動いている。
 一匹の兎から筆を受け取り、名前を書いて投票箱に入れておく。フライングだが、夜までいるつもりはない。
 経営論について熱弁を振るうてゐをよそに、慧音は永遠亭から離れていく。
 風は止み、竹藪に刹那の沈黙が訪れた。その沈黙にしばし耳を傾け、慧音はふっと笑うと再び歩みを進め始めた。





 少女の思いは儚く消える。風にあがなう蝋燭の如く。
 その思いの炎が強ければ強いほど、皮肉なことに憎しみの蝋は溶けていく。
 蝋が溶けたあかつきに、少女に残るのは達成感か。
 慧音は思う。
 とりあえず趣味でも持たせよう。

 
【茶屋アポロ13】
 緑茶派の主力武器だが、人気メニューは人参ジュースという駄目っぷり。店主は隙あらば茶に薬を混ぜて反応を試すし、やはり難易度は高め。

 そんなわけで、殆どの方へ初めまして。以前も投稿したことはあるんですが、遙か過去なので無かったことにしました。
 このお話しは、はっきり言って後半の数十行以外は全部蛇足です。言うなれば、自慢げにメインディッシュについて話すシェフの無駄話みたいなもんです。
 ですが、時としてそんな無駄話が面白い時もある。このお話しもそうなればいいなぁと思いながら書きました。
 妹紅メインに書こうとしつつも、妹紅は全く出てこないお話しですが、気に入ってもらえたのなら幸いです。
八重結界
[email protected]
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コメント



0.3210簡易評価
5.70名前が無い程度の能力削除
無駄話、堪能させていただきました。てゐが不気味w
これらは誤字です→「人手すら」「八心医師(二箇所)」「伺える。」
6.無評価名前が無い程度の能力削除
ひとつだけ
八心→八意
9.80名前が無い程度の能力削除
無駄話という割には中々面白かったけどなぁ
15.80名乗れない程度の能力削除
普通に面白かった。
でも、こうなると投票結果と、それがもたらす騒動も見てみたいなと。
24.80名前が無い程度の能力削除
キャラのどうでも良い思考が面白く、漂う空気が心地の良い話でした。安直にパロディや極端な二次設定無しに、適度に笑いを誘うのも好感触。
ストーリー内では輝夜の退屈しのぎの一つでしかないとなってはいたのですが、投票結果や慧音が投票した人物は自分も知りたいところではありました。

>燦々たる有様だ。
『惨々』の誤字?故意のユーモア?
34.90てきさすまっく削除
ああ、なんとういか、普通に面白い、という感想がぴったりの一作でした。
輝夜との問答は、今まで幾度と無く書かれてきた不死人との関わりをあらためて完結に表していて、よかったと思います。
パロや二次創作無しに~という意見に私も同意。よいものを読ませていただきました。

続編に期待。
40.90名前が無い程度の能力削除
これはいい姫様ですね。面白かったです
二次設定が氾濫してる中でこういう作品が読めるのは有難い
42.80削除
いい不死人でした。輝夜が高貴でよい。ですが、どうせなら投票の行方について最後まで、とは言わずとも、もう一人の候補である永琳だけ仲間はずれにしないで出してあげて欲しかったですwそれだけが心残り。
54.80名前が無い程度の能力削除
落ち着いた雰囲気でいいね
67.80名前が無い程度の能力削除
結局誰が上司として一番有能だったのか。
永遠亭の妖怪兎が主な有権者なら、てゐが強い気がしますね。
そして慧音は誰の名前を書いて入れたのかも気になります。
69.100名前が無い程度の能力削除
慧音さんはうどんげに投票したと信じてる。
あと「惨憺たる」かな