Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷調査部隊(四)

2006/10/13 04:44:34
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 ※一部グロテスクな表現が使われています。


 出発の朝がやってきた。


 出発時刻は朝の七時と早かったため、五時には起床しなければいけなかった。昨日まで強く降っていた雨は王座を譲り渡し、昨日の曇天が信じられないほどのいい天気だった。木々の切れ間からうっすらと太陽が見えている。白い息を吐きながらも手早く準備を整え、兵士から手渡された背嚢を背負って、いつもの説明テントの前で待機する。そういえば、と霧島は思った。ビデオや写真で穴を見たことはあっても、実際に穴を見たことなんて無い。


 一体どんなものだろうか、という想像で暫く時間を潰した。大きいのか? 小さいのか? あれからもう形は変化しているのか? 何らかの方法で誰かが再び入ったりはしているのか? 果たして本当に入れるのか? 全てが壮大なドッキリということはないのか?


 疑問で頭をもやもやとさせているとそのうちに大型のトラックが二台やってきて、乗り込むようにと言われた。一人一人が荷台に乗り込んでいき、人数確認が済んだ後で出発した。スリップ防止にチェーンを巻いたタイヤが雨のせいでぬかるんだ雪道を進んでいき、霧島はその間景色を見て過ごした。気温はおそらく一桁か零度だろうか。木の頂点あたりでちらほらと太陽の光が見えたが、やけにその日に限って光が強く、まるでこの一瞥が見納めになるように思われた。これから異次元に入るのだから、少なくともこの世界にある太陽とは別れなければなるまい。雨の影響で雪が洗い落とされたブナの原生林を眺めながら、トラックは進んでいった。


 やがて二台のトラックは広場――というよりは、そういう形に切り広げられた空き地――に入った。樹木が切り倒され根っこを引き抜かれ、ぐちゃぐちゃになった雪を端に寄せて整備されたそこにはキャンプにあったような大型テントが張ってあった。トラックが到着すると同時にテントからぞろぞろと兵士たちが出てくる。教官もその中に混じっていた。


 そしてテントの前には、穴があった。今まで見てきた物とは全くの別物であり、それは正真正銘本物の穴。どんな漫画にも出てこない異世界への入り口だった。トラックに乗った全員がそれを注視していたが、すぐに降ろされて並ばされる。その間も全員が穴から目を逸らそうとはしなかった。自分たちはここに入ることになるのだ。


 点呼を取った後に兵士達の手で防護服を着させられた。ごわごわしていて手の感覚がまるで無く、宇宙服はこれと似たようなものか、とのんきなことを霧島は考えた。その格好のままで中に入ってから行なうことを軽くおさらいしてから、装備を確認し入るように命じられる。いざ穴を目の前にしてみても、何の感動も怒りも湧かない。心が真っ白なままだった。


 穴の大きさから入れるのは一人ずつだったため、二列を一列に変更する。霧島たちから先に入らされ、リーダーの高田が列の先頭だった。まるで緊張していないような様子で、気楽に傭兵はするりと穴の中に入り込んだ。篠田、熊谷、とどんどん中に入っていき、美村が穴の手前で足を止めた。足が少し震えている。おいどうした、と兵士から叱咤されたが、美村はごわごわした服の左胸に手を当てて、深くゆっくりと呼吸する。そうして、穴に足を踏み入れた。すぐに見えなくなる。


 霧島がそれに続く。美村に倣って穴の手前でゆっくりと呼吸をしてから、慎重に妙な所を触らないようにしてゆっくりと入った。


 穴の境目まで来た途端にぬるりとした感触がして、車酔いに似た感覚が一瞬する。気分の悪さを覚えたために両目を強く閉じてそれに耐えていたが、すぐにその感覚はどこかに消えた。それでもまだすぐに目を開ける決心がつかない。いちにのさんで開けるぞ、と自分に言い聞かせて、心の中で数える。一、二の、三。


 目を開けた。


 目の前には森林が広がっていた。さっき自分がいた場所と何ら変わりのない場所、ブナの木には微かに雪がへばりつき、吐く息は白く、太陽は相変わらず雲の隙間から地面を照らしていた。なんだ、穴のこっちも大して変化が無いじゃないか。


 既に小型のガイガーカウンターを取り出していた高田は手早く計測を開始し、あたりの樹木や地面を調べていた。周りを見渡すと、厳密には穴の向こう――何と呼称していいか分からないので、現実世界と呼ぶことにした――とは違い、草や木がぼうぼうと生えてまるで整備がされていない。もしかすれば、ここの人間(確かいるはずだ)はこの穴の存在に気がついてないのかもしれない。もしくは、気付いているがどうでもいいと思っているか。


 後から来る人間のために場所を空けておき、同じくカウンターを取り出すと計測しつつも霧島はこの状況に注意を払った。生き物の気配は無く、風が吹けば木々がざわめき、どこか遠くで雀の鳴く声がする。現実とまるで変わっていないような世界だった。


 ぞろぞろと穴から男達は出てきて、およそ十分間念入りにこの場所を検査した。結果として、どうやらこの場所に放射能は存在しないようだった。それでもまだ得体の知れない不安が残っていたが、とりあえずこの服を脱ぐことにした。呼吸がしにくいし、何より中は蒸し暑い。冬なのだから暑いぐらいで丁度いいのだろうが、それにしてもこれを着込むと暑すぎることこの上ない。


 何となく目を閉じながら服を脱いで、その途端に目を開ける。ウイルスのせいで顔面が瞬時に膨れ上がることはなかったし、唐突に目玉が飛び出たりもしなかった。きちんと呼吸はできたし、誰かが発狂することもなかった。そこで子供が一人、ここに入って無事に戻ってきている事実を思い出し、ちょっと噴出しそうになった。


「それじゃ、全員荷物の確認。穴を通り抜ける際に紛失したものが無いかチェックしろ」
 既に防護服を完全に脱いでいた高田が言う。霧島や美村も防護服を脱ぎ捨てると、背嚢の中身の確認をはじめた。


 糧食、良し。拳銃、良し。弾薬、良し。双眼鏡、良し。筆記用具とメモ帳、良し。サンプル保存用の瓶、良し。コンパス、ロープ、地図(子供の証言に基づいて作ったため、あまり信用しないようにと念を押されている)、良し。無線機、良し。ハンディカム、良し。特に無くしたようなものは見当たらない。


 ハンディカムを取り出すと、電池を入れて電源を入れる。無音のままで画面が起動し…撮影を開始する。一チームに一つ割り当てられたビデオカメラで、三日間の間それで撮影を行なうように言われている。美村にカメラを向けてみると、顔が半分ひきつったまま、緊張をほぐそうと考えたのかピースサインをした。それを見て思わず霧島は笑ってしまった。


 早く無線機の確認をしろ、と真剣な面持ちの高田に言われ、慌ててカメラを下に置くと無線機を取り出す。決められた周波数に合わせて、小声でもしもしと言う。無線機に耳を近づけていた高田が親指と人差し指で丸を作る。良好。


 篠田や熊谷、それに他のチームもある程度調整を終えて、防護服を穴の脇に押しやると出発することにした。富士の樹海のようにコンパスが狂うようなことは無かったので、北に高田チーム、南に西チームが向かうことにした。リーダー同士の無線がきちんと繋がることを確認し、彼らは調査を開始した。


 穴付近の土や植物をある程度採取し終えると、周りの環境を確認しながらゆっくりとした速度で動き始める。油断無く小銃を構えた高田に次いで篠田、ハンディカムを持った霧島、美村、そして熊谷と続く。霧島を除く全員がいつでも発砲できるように銃を構えていた。


 現実世界とさして変わらない森の中を進んでいく。一歩一歩雨のせいでどろどろになった雪を踏みしめ、たまに思わぬ障害物があって足をとられそうになる。一度美村の頭の上に水滴が落ちて、驚いた美村が拳銃を暴発させそうになった。


 慎重を期して樹木の間を歩いていくと、やがて森の終わりが見えてきた。向こうでは木が途切れており、完全に視界が開けている。そこまで行ければ変わった物とか、少年が立ち寄った村とか、そういった役に立ちそうなものが見えるかもしれない。


 歩みが若干早くなり、いよいよ確認できそうなその時、大きな銃声が聞こえた。マシンガンみたいな連射音と、拳銃の単発音が交互に。反射的に全員が身を伏せて、音がした方角に目を向けた。


 すぐに高田が無線に手を伸ばして状況確認を求める。周波数を合わせ、大声で何が起きたとがなった。その間も銃声は聞こえているが、霧島は距離的に出発地点からそれほど離れていないことに気がついた。そんな近くで、銃撃戦をしなければいけないような何かがいたのか? それともただの間違いか? 判別できなかった。


 ぴたっと銃声が止んだ。その意味が霧島には最初つかめなかったが、やがて二つの事柄が頭に思い浮かんだ。


 目標を殺したか、………もしくは全滅したか。霧島の背筋が凍った。もし後者だとすれば、あまりに早すぎる。何もしていないのと同じなのに殺されるなんて、そんなのあんまりじゃないか。


 最後まで通じなかったらしい無線機をしまうと、高田は「ついてこい」と鋭く言って、来た道を戻り始めた。小銃はいつでも発砲できるように前方へと向けられていた。その意味は明らかだった――こっちの方にも来るかもしれない。


 せめて達成されたのが前者であったら、と胃が歪む思いをしながら霧島も戻り、他の三人も従った。






 斉藤茂にとって、このキャンプは何もかもが糞だった。霧島が抱いていた怒りとは異なり、それは徹底的にやりとげてやろうじゃないかいうポジティブなものではなく、徹底的にネガティブ的なものだった。頭が狂った兵士ども、人形みたいにそれに従う受刑者と傭兵、そして最も意味不明な「穴」。全てが常識からぶっとんでしまい、彼が元々収監されていた刑務所とは何もかも勝手が違った。最初の一日目で、彼はここが糞であると強く断定した。


 誰かの悪夢が現実になったような訓練においては、その気持ちは更に深まっていった。毎日毎日意味もやりがいも無いようなランニング、射撃訓練(まさかこの日本で!!)、サバイバル訓練。まるで彼が所属する世界のネジが一本だけでなく、十本も二十本も外れてしまった挙句、ぼろぼろの世界がどんどん崩れていくかのようだった。最初のうちはここからどうやって逃げ出すかということばかり考えていたが、同室の人間だった一馬の首を目にしたらそんな気持ちはあっさりと吹き飛んだ。勝算がほぼ0の中で、しかも負ければ死ぬよりも酷い目に合うような賭けに乗ることができるだろうか?


 答えはノーだった。彼は耐えることにした。


 穴に入る前日には、テントにいる全員が律儀にも作戦会議を行なっていた――穴に入ってからの行動予定、やってくるかもしれない脅威への対策等。斉藤に言わせれば余分の一言に尽きたような話し合いも、西というこの傭兵は真剣に行っていた。しかも始末に悪いのは、このテントの中にいる人間で斉藤以外がその話し合いに乗り気だということだ。


 キャンプに入ってからの初期、彼はせめてテントの中だけでもリーダーのように振舞おうとしたが、その意に反してリーダーの座についたのは西だった。傭兵という職業が大きな追い風となったのか、他の人間にとって斉藤の評価は、威張りくさったアホ野郎、という程度のものだった。その地位から挽回しようとあらゆる手を講じたが、あまり実りはしなかった。次第に彼は孤立していくようになったが、こんなキャンプの中で皆仲良くチームワーク、とは考えられなかったので別にそれでも良かった。訓練の中ごろでは常に不貞腐れたような気持ちで、こんなもん早く破綻してしまえばいいと思っていた。


 穴に侵入する時は、最も手間がかかったのは斉藤だった。何せ今の今まで穴の存在なんてビデオの中や写真に存在しこそすれ(簡単に言えば、トリックだ)、現実になんて絶対にありえないと思っていた。それが目の前にあった、彼はここにやってきて、何度目かになる大きなショックを受けた。それがおそらく認めなければいけないような現実だと曲解による曲解の末にようやく認め、彼はひどく時間をかけて中へと入った。中は向こうと変わらないごく普通の森だったため、ある意味で安堵していた。これで中がピカソの絵みたいにあらゆる物質が捻じ曲がった抽象的世界だったりしたら、本気で気が狂っていたかもしれない。


 列の最も後方に斉藤は配置され、黙々と調査は始められた――どこから何が出てくるか、もし出るとすればそれがどんな大きさでどんな形をしてどんな特徴を持っているのか、全員が警戒し、斉藤はそれ以上に怯えつつ。


 出発地点から百メートルばかり進んだ所で、斉藤の顔の上に影がかかった。唐突に出現したそれを不思議に思って顔をあげると、太陽を背にした何かがいた。


 逆光で詳しくは見えなかったが、確実に言えるのは、それが空に浮いていることだった。鳥とかそう言った動物の類ではなかった。


 影は人に見えた。


 手の力が抜けて銃を取り落とし、足も止まる。一つ前の男が不審がった視線を斉藤に向けてから、その視線を追う。太陽から生まれたようなそれを見て男は口をぽかんと開けて、ぱくぱくと金魚みたいに開閉した。辛うじて我に返ると、前方斜め下にしか注意を向けていない仲間に叫んだ――
「おい、おい! 上見ろ!! 上ッ!!」


 他の全員も同じような動作で上を見て、また同じように足を止めた。一人がマジかよ、と呟き、リーダーである西は唐突に出現したそれの存在が信じられないのか固まっていた。斉藤も固まっていたが、彼に至っては思考や本能すら凍り付いていた。何もかもを凍結させたまま、ただじっと上を見ていた。


「こんにちは、いい朝ね」
 それは声を発した。少女のように聞こえたが、今になると斉藤は自分の耳さえ信じられなかった。婆や爺の声でさえソプラノにさえ聞こえそうだった。
「珍しい服装してるけど、あなたたちどこから来たの? 向こうの村? ああいや、それよりももっともっと向こうかしら」


 それはすーっと音も立てずに下降し、草の上に降り立った。その時にして斉藤は目にした。それは変な服装(ゴシック的とでも言うのか? あのオタクとかいう細っこい野郎どもが好みそうなアレ)をしていて、巨大で豪華な日傘を軽々と持ち上げている。泥土の上に足跡を残しながら、日傘を動かし日光を最大限浴びないようにして、すたすたと恐れることなく少女は近づいてきた。確かにそれは存在し、斉藤たちの目の前にいた。


 西は小銃を構えるのも忘れ、痴呆症患者のようにぽかんと突っ立っていた。


「早く――」
 少女が西の目の前に立ち、その顔を上げる。誰かが声を発するより早く、それは口を開いた。


 牙が生えていた。犬歯のあたりにとてもとても長い歯が生えており、血に塗れているみたいに真っ赤に見える。それを言うなら少女は全身が真紅色に見えたし、見下ろすと自分の手も真紅色に見えた。畜生、俺は狂い掛けている。


「――言いなさいよ」


 言い終わると同時に少女からとても表現なんてできないもの、斉藤がこれまで生きてきた中でまるで感じたことが無い物体が放出された。無色透明で無味無臭のそれは斉藤の背筋を凍らせ、血の気を引かせ、脳髄の中で大声である言葉を喚かせた。


 こいつには逆らえない。絶対に殺される。


 斉藤の次に少女を発見した男が最初に発狂した。少女を凝視したまま拳銃を上げると、恐ろしいものを発する元凶に向かって奇声を上げながら発砲した。少女の姿が消え、一瞬にして高度何十メートルまでそれは飛翔していた。発砲を切っ掛けにして、何人も男達が射撃を始める。ぱん、ぱん、ぱんぱんぱんぱん。ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ。西もその中に混じっていた。


 だが少女にはその連射がかすりもせずに、無造作に伸びている樹木を回避しつつも物凄い速度で急降下してきた。当たり易い動きをしている時を狙って何発も撃つのに、身体を捻り速度を上げ下げすることで全弾を回避する。そのうち、斉藤の目の前にいる男の頭が消えた――急上昇した少女の手に、その首があった。首から真っ赤で長い糸が伸びて、体の断面と繋がっている。少女が首を投げ捨てた。熱い銃身から放たれる銃声と生きている人間が発する悲鳴が巻き起こす混乱の中で斉藤は腰が抜けて、ぺたんと土の上にへたりこむ。失禁していたが、地面が濡れているせいであまり気にならなかった。


 再び上にあがった少女は、男の返り血を浴びて服を濡らし、顔面を血でべとべとにしている。手で擦って目の周りの血を落とすと、少女は満面の笑みで舌なめずりをして、口元の血を舐め取った。少女の目がますます剣呑で鋭くなり、残虐な悪魔のそれに変わる。


 吸血鬼だ。斉藤の頭にその単語が浮かび、強い強い思いに見舞われた――ここは怪物の巣窟だ、逃げないといけない。逃げないといけない。逃げないといけない。もう斉藤には、それ以外考えられなくなっていた。


 少女の手に何か光に見えるものが集まり始め、急降下すると同時にぶん投げた。本能的に身の危険を感じて顔面を覆った斉藤以外の全ての人間に光がぶちあたると、ぼん、という音と一緒に銃声が止んだ。


 おそるおそる斉藤が顔から手をどけると、あたりは血の海だった。バラバラになった手足、頭、胴体、内臓、多分他にも散らばっているだろう。銃や背嚢や小銃も吹っ飛んでしまっている。どんな漫画にもゲームにも出てこない虐殺現場に立ち会った斉藤は、光がどてっ腹に直撃し、腹の中で光が爆発する様を思い描いた。ひょっとしたらそれが近いのかもしれない。


 もう何も考えることができなかった。周りの状況なんて気にせずに、ただ泣きたい。泣き喚いて目を閉じて、この全ての物事の意味を否定するような惨殺現場のことを考えたくない。わんわんと叫んで全てを無かったことにしたい。そうなれば楽になれる。楽しい気分でいられる。もうたくさんだ。


 もし誰もいなかったら斉藤はそうしただろうが、斉藤のすぐ前に吸血鬼がすとんと、何事も無かったかのように舞い降りてきた。依然として彼女は血まみれだし、日傘も赤黒い血のせいで豪奢さが台無しになってしまっているが、むしろ斉藤にはその方が栄えるように見えた。何せ吸血鬼なのだから、血まみれになってこそ始めて真価を得るのだろう。


「なんだ、いきなり弾幕ごっこを挑むんだから腕に自信があるのかと思ったけど、てんで駄目ね。霊夢や魔理沙の方がずっとマシだわ」
 幼き吸血鬼はそう言うと、ひんやりとする手で斉藤の手をひっつかみ、予告も無しに浮かび上がった。微かに悲鳴を上げたが、吸血鬼はその手を離そうとはしなかった。聞こえなかったかもしれないし、聞こえても離す気はないのかもしれない。そして恐ろしい言葉を彼に告げた。


「いらっしゃい、うちでゆっくり話を聞いてあげるから」


 この吸血鬼の、巣に? 俺が? 行く?


 僅かばかりの正気を取り戻しかけた頭の中で、自分が吸血鬼に首元を噛まれゾンビになる姿が浮かんだ。それと同時に配下のゾンビに食い殺される情景も浮かび、似通ったものが百通りぐらい、合わせ鏡のように横にずらりと並んでいた。


 やがて景色は上へ上へと移動していき、どんどんと高度を上げていく間に、ここが広い森の中であることが分かった。真正面には家々が寄り集まった集落のようなものが見えて、目的の村というのはあれか、となんとなく考えた。そのずっと向こうには湖があるのも視認することができた。本人がどう思おうか構わず、情報は目の中に飛び込んでくる。


 吸血鬼に掴まれて飛翔している間、彼はずっと悲鳴をあげていた。そしてその声を、目的地に着くまで少女は無視し続けた。






「おい、上を見ろ」
 熊谷が声を上げて空を見上げたので、霧島もそれにつられて見上げる。空の中を何かが移動していたが、その何かを理解できた時、彼は一瞬の間意味が分からなくなった。別チームである斉藤が空を飛んでいたからだ。


 よくよく見ると違った。斉藤は何かに抱え上げられて空を飛んでいたのだ。丁度親鳥が子供のためにエサを調達するように、無造作に斉藤は持ち上げられている。斉藤は大きく悲鳴をあげていたが、あの高さではむしろ手を離されないことの方が幸運に違いないと考えた。もし落下すれば重症は確実だと思えるし、下手したら首の骨や頭蓋骨を折って死にかねない。急いでバッグから双眼鏡を取り上げると、スコープを覗く。


「うそだろ、おい」
 篠田が呟いた。


 彼は銃を構える手から力が抜けてしまったのか、呆然と見上げている。高田は空を飛ぶものに照準を合わせようとしたが、やがて断念したのか下ろした。
「今斉藤を捕まえていた奴、まるで人間みたいだったな。それに傘を掲げていた。あれは――、まあいい。とりあえず急ごう」


 高田の言葉に全員が従い、足を速めた。後を追うにしてもそれは速度が速すぎるし、他の人間の安否が気になった。


 いざ現場についた時、自分の予想は大甘だったということを霧島は痛感した。そこでは人の身体がバラバラになり、持ち物が散乱し、全てが飛び散ってしまっていた。誰が誰なのかも区別も付かずに、一方的な殺人にしてもここまでする必要があるのかと思えるぐらいだった。大量の血がぶちまけられ、枝にちぎれた手が引っかかっている。誰かが持っていたビデオカメラが破片そのものとなり、地面の上で物言わぬ骸となっている。そこらじゅうで内臓が立ち上らせる湯気があった。幻覚か妄想を目にしていると考えた方がずっとマシだ、と思った。その光景を見た途端に熊谷がうずくまって吐いた。少しして美村もそれに倣った。


 西のチームは全滅していた。今この世界に生きたまま残っているのは、高田のチームと連れて行かれた斉藤だけだった。


「あれは………一体何なんだよ」
 顔を青ざめさせた篠田が独り言のように呟いて、辺りを見回していた高田がぽつりと呟いた。
「自信は無いが……吸血鬼のようなものじゃないか、って思う。空を飛んでいたし、それに傘を差していた。奴らは日の光が苦手だからな。勿論断定なんてできないが」


「しかし、……吸血鬼って、冗談だろ、おい」
 そう返した篠田の顔は、ある単語だけを指し示している。――冗談じゃないぞ、冗談じゃないぞ、冗談じゃないぞ。


「とりあえず、こいつらの持ち物を回収しとくぞ。拳銃や糧食、こっちだって欲しい物はたくさんある。正直不足気味だったしな」
 言うなり高田は散乱現場に踏み込んで、あちこちに散乱している遺体の中から背嚢を見つけ出し、中の物を取り出し始めた。早くしろ、血のにおいにつられて他にも何かが来るかもしれん、と言うと、立ちすくんでいた霧島たちも慌てて回収を始める。


「やっぱり慣れてるんだな、こういうの……傭兵だからか?」
 ハンディカムを回しながら尋ねると、真顔で高田は言った。
「何回か死に掛けたことだってあるし、こんな場面に出くわすことも結構ザラだったからな。嫌でも慣れなきゃならん。それにたまには常識ハズレの事が簡単に発生するからな、……吸血鬼とまでは行かないが」


 高田が冗談を言ったのは分かったのだが、この時ばかりは笑える気がしなくて、霧島は肩を竦めた。そのうちに大体使えそうな物を回収し終えると、再び出発することにした。遺体の方は埋葬するなりなんなりしてやりたかったが、今は無理だった。


「後で戻ってきて、まだ残っていたら埋めよう」
 高田の言葉がやけに重かった。あまりにも呆気ない死に方をしてしまったチームを後ろ髪が惹かれる思いで見つめたまま、霧島たちはそこを立ち去った。


 大きく出鼻を挫かれてしまったものの、方針は変えずに再度北へ向かおうということになった。穴まで戻って兵士たちに状況を伝えようかと思ったが、叛乱とみなされることを考えると難しかった。結局、さっきよりも強く警戒しながらチームは進むことにした。出発の時にはある程度の余裕があったが、あの虐殺現場を見たことでそれは粉々に粉砕された。今では全員が目を血走らせながら周囲に目を向け、何か動きがあればすぐさま銃口をそっちに向けた。幸いにも発砲すること無しに森を抜けられた。


 いざ森の中から出ると、すぐ先には村が見えた。――少なくとも、村のようには見えた。班員で何分か相談したが、他に行く宛ても無いのだしあそこに入ろう、ということになった。おそらくあそこが少年が立ち寄った村だと思えるが、警戒は怠らなかった。


 さっきみたいな吸血鬼が再び出る可能性もあるため、全員でじりじりと進んでいく。ここにいる村人全員がゾンビになって襲いかかってくる光景を想像してしまい、思わず背筋がぞっとする。一番恐ろしいのは、その可能性が完全に無いとも言い切れなかったことだ。


 一歩一歩、地雷原の中を歩くように警戒しながら進んでいく。端にある家が近くにまで来ると、高田が霧島に銃を抜いとけ、と言った。これからあの家に突入する、最悪拉致してでも話を聞かなきゃならん。ここじゃ何も信用できないからな。


 家の周りには誰もいなかった。裏のほうに回ってみたが、豚や牛がのん気に鳴いているだけだった。高田と篠田が二人いっぺんに突入、霧島たちはその後詰だった。壁に耳を当ててみると、中で話し声が聞こえる。声が小さいせいで何を話題にしているのかは聞き取れなかった。


 高田が合図すると一気に動き、二人一緒に戸を蹴り倒す。すぐさま突入した。


「動くな動くな動くな動くなッ!!!」


 部屋の中にいた人間は何が起こったのか分からずに、いきなり不法侵入してきた男達を交互に見つめながら呆然としていた。農民風の男一人と奇妙というか何と言うか、霧島にとって不思議としか言いようのない格好をしている少女が部屋の中に座っており、碁盤を間に置いて互いに向かい合っている。両手を上に上げろ、と高田が鋭い口調で告げたのに対して従ったのは男だけで、少女は毅然とした態度で立ち上がった。


「声が聞こえないのか? 座れッ!!」
 高田は自動小銃の長い銃口を少女の目の前に突き出したが、すぐに態勢が逆転した。少女が目にも止まらぬ速さで銃身をひっつかむと、台尻で高田の顔面を殴り飛ばす。その際吹っ飛ばされた高田は後ろにいた霧島たちを巻き添えにして倒れてしまう。横では早すぎて何が起きたのかよくわかっていない篠田の腹に強烈な膝蹴りを食らわせ、起き上がろうともがいている霧島に肉薄する。失神しているのか動かない高田を押しのけようと奮戦していると、少女は光のようなものを片手に凝縮しながら霧島に向け、失神している高田と床で悶絶している最中の篠田以外の男達全員に告げた。この間僅か数秒ほどだった。


「降参しろ」
 凛とした響きだった。


 霧島たちはその通りにした。
いよいよ舞台が幻想郷に入りました。この辺りから東方分が急激に増加し始めます。
というか、今まで東方キャラがさっぱり関わってこなかったからな………
物語も大体折り返し地点までやってきましたので、引き続きお付き合い頂けると幸いです。
復路鵜
http://clannadetc.s56.xrea.com/x/top.html
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コメント



0.1240簡易評価
16.80名前が無い程度の能力削除
とても先の展開が面白そうですね。
楽しみに待ってます
18.100名前が無い程度の能力削除
トラウマ話がキツかったですけど
今回から幻想郷っぽさが出てきて面白かったです
22.無評価復路鵜削除
>名前が無い程度の能力(上)さん
ありがとうございます。
というかトラウマのアレはちょっとやりすぎた感がしなくもありません……

>名前が無い程度の能力(下)さん
色々と頭をひねっただけあって、そう言われると嬉しいものがあります。
26.60Admiral削除
>「降参しろ」
>凛とした響きだった。
>霧島たちはその通りにした。

萌えますた。
27.無評価復路鵜削除
ちょwwww
まさか萌えられるとは思いませんでした…