Coolier - 新生・東方創想話

避暑地をたずねて三千秒

2006/09/21 12:28:18
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 チリン。
 風に揺られ鳴らされた風鈴の音が、風に融け込んで消えて行く。
 そんな錯覚を起こしながら、少女の、浅くではあれ夢に沈んでいた意識が浮上する。
 目を開くと、その風鈴が視界に入った。
 風鈴が鳴らす音になれれば、身体を襲うこの蒸し暑さから逃れるかのように私も風と同化出来るだろうか、と考えてから、自嘲。
 どう足掻いても、そんな事を出来るはずなど無いと解っているから。
 僅かな風は、風鈴を揺らそうとも暑さから来る気だるさを吹き飛ばすには足りない。
 出来もしない馬鹿らしい事を考えるのはその気だるさを助長させる行為でしかなかった、そう気付いた時には既に遅く、暑さは増すばかりであった。
 意識を再度夢の世界へと沈める事も不可能ではなかったが、それをする気も起きなかったので仰向けになって天井を凝視。
 呆けと天井を凝視していたせいだろうか、それとも寝起きだからだろうか。
 今日はまだ使っていなかった、使いたくないと思っていた言葉が無意識に口から出かかってしまい、それを飲み込む。
 この言葉を吐いてしまっては負けだと、そんな気がしていた。
 沈黙。
 耐えるあまりに背中がむず痒くなる。
 沈黙。
 ゴロゴロと畳の上を転がる。
 沈黙。
 これを言ってはダメだと、耐えろと、転がる。
 沈黙。

「あぢぃ」

 けれど博麗 霊夢は、耐え切れずにそう呟いた。





―― 避暑地をたずねて三千秒 ――





 夏。
 暑い季節である。
 勿論それは外界と隔離された土地である幻想郷と言えど例外ではなく、暑い。
 太陽は連日、狂ったかのように容赦なく熱を地球へと注いでいるし、地面は拒む事なくそれを受け止めていて、気温を上昇させる一因となる。
 しかしこの日は突き抜けるような蒼い空に向かって「異常気象だー!」と苦情を言うには暑さが足りず、それでも何かに愚痴りたくなるくらいには暑かった。
 独り言ではダメだ、何かに愚痴らなくてはいけない。
 だからと言ってその何かが返事もせぬ『物』ではただ空しいだけなので、愚痴るとすればやはり近くにいる生命体が標的となる。
 これは必然である。

「こらー、チルノー、暑いぞー、馬鹿ー」

 だから霊夢が何故だか近くで寝転んでいるチルノに愚痴るのもまた必然である。
 チルノは冷気を操る妖精であるから、何とか出来るのではと言う期待は勿論込められていた。
 しかし霊夢の声はそんな期待を感じさせず、また今の霊夢にはそれを感じさせる声にするための気力もありはしない。

「あー、うっさいなー、あたいだってー、溶けそうだわさー」

 そしてチルノの返答はと言えばそんな感じである。
 本日は晴天なーり、本日は晴天なーり。
 自らの周りを申し訳程度に冷やすのが精一杯で、他人のためにまで能力を行使する気にはなれないらしい。
 風鈴はだるさのあまり間延びした声を出した2人を嘲笑うかのように、ただ涼しげな音を奏でながら揺れるばかり。
 揺れる様も風鈴自体が風の流れを楽しんでいるかのようで、涼しげだった。
 2人の頭にある可愛らしいリボンもまた、風鈴と同様に涼しげに揺れるが、その表情は清涼感を微塵も感じさせはしなかった。

「っていうかさ」
「うんー?」
「なんであんたここにいるの」

 もっともな疑問だった。
 しかしやってきたチルノを中に入れてから小1時間経ってようやっと聞く霊夢も霊夢でどうかしてはいる。
 場が沈黙し、やはり嘲笑うかのように風鈴がチリンチリンと音を鳴らした。
 その様は同時に空しいようにも思えはするが、2人がこんな感じなので嘲笑うようにしか見えないのが現状である。

「湖のあたりに居たらさー」
「うんー?」
「みんな寄って来るのよねー」
「あー」

 ――そりゃそうだろうなあ、チルノ冷たいもんなあ。
 そう思いながら霊夢がチルノに抱き着こうと寝転んだままもぞもぞ動くが、逃げられた。
 畳もあまりヒンヤリとはしておらず悲しさが増すばかりで、溜め息。

「暑いわねぇ……」
「暑いわさー」

 みーんみんみんみんみーん。しゃしゃしゃしゃジー……。
 夏の正午過ぎ、茹だるような暑さの中でいらつくぐらいに元気に鳴き続ける蝉。
 他のものも混じってはいるが、今はミンミンとクマが優勢と言ったところか。
 霊夢は、リグルにでも苦情を言ったら少しは静まるだろうか、と考えたがそもそも探すのが面倒そうなのですぐに考えるのをやめた。

「でねー」
「あん?」
「みんなして寄って来るからあたいもあたいの周りも暑いわけよ」
「ふむ」
「でもみんなは少しでも涼しけりゃいいわけだから、やっぱり寄って来るわけよ」
「でしょうねー」
「あたい余計暑いに決まってんじゃん」
「だわなー」

 またもぞもぞと動く。
 やっぱり逃げられた。
 みーんみんみんみんみんみーん。しゃしゃしゃしゃしゃジーー……。
 先ほどまでより少し長くなった。
 頑張りすぎだ馬鹿、と霊夢が声には出さず、けれど小さな唇を動かす。
 何でも蝉は雄が雌を呼ぶために鳴くそうだが、あまりにも五月蝿い。
 こう五月蝿くては逆に雌に逃げられるんじゃないかな、なんて事を思うが、そこには蝉さんの事情があるんだろう、と結論する。
 奴らも何だかんだで生きるのに必死なのだ。否定してやる事もあるまい。
 もう少し静謐さが欲しいところではあるが、詮無き事なのだろう、彼らにとっては。

「で、なんでここなの」
「霊夢が……霊夢がいるからあたい……!」

 蹴った。

「……ほら、この神社って高台にあって地味に涼しいじゃない?」
「ああ、まぁ、確かに」

 あくまで他に比べれば、というレベルでしか無いだろうが。
 それでもやはり他より涼しい事には変わり無い。
 他の妖精が来ないのはチルノが上手い事振り切ったからだろうか、と霊夢は思考し、それを遮るかのようにチルノが話しかける。

「大妖精は大妖精であたいを守ろうとしてくれたんだけど、暑さのせいでおかしくなっちゃったみたいでさ」
「うん?」
「『撃つべき時には撃つ! 守るために!』とか言いながら暴れ始めたのよね」
「あー、あいつストレスとかも溜まってそうだしねえ」

 多分何かの拍子に色々爆発しちゃったんだろう、と暢気に考える霊夢であるが、自身がそのストレスの一端を担っているとは思ってもいない。
 暑くなくてもそこに思い至る可能性はゼロに近いというのに、この暑さの中で鈍る思考はその可能性を完全にゼロにしてしまっていた。
 思い至ったところで申し訳なく感じる事もないだろうから、あまり変わらないかも知れないが。
 そんな霊夢の隣で、その時の様子でも思い出したのか、チルノが呆れたように溜め息をひとつ吐いた。
 何かに呆れたように溜め息を吐くチルノなど、そうそう見られるものではないだろう。

「それと、建物の中なら影も安定してるし」
「そうね……でね、私があなたを中に入れたのはね……暑いから抱かせてー」

 今度は畳を蹴って勢い良く近づく。
 伸ばした右手の先が羽に触れたが、逃げられた。
 チルノの癖に、と心の中で舌打ちする。
 そして十数秒に及ぶ沈黙を挟んだ後、霊夢がまた口を開く。

「なぁチルノー」
「なによー」
「素麺食べるか?」
「食べる!」

 がばちょ! と擬音でもつきそうな勢いでチルノが起き上がった。
 「よし、ならば昼飯だ」と言いながら霊夢も起き上がった。
 ふと、先ほどまで風に揺らされていた風鈴がピタリと止まっているのに気付き、しかし次の瞬間にはまた少し揺れて、音を鳴らした。
 間隔が長くなったのは風があまり吹かないだろう。
 鳴り続けたら鳴り続けたで喧しいけど、あまり揺れないのも風が吹いてないのを感じられてむかつくなあ、そんな事を思いながら霊夢は立ち上がろうとし、

「あぢぃー」
「え、え、わきゃあ!」

 途中で膝を崩してチルノに向かって倒れ、背中に抱き着いた。
 油断大敵、これこそが霊夢の狙いである。
 博麗の巫女を相手に回した場合、もし勝てそうになっても最後まで油断してはならない。
 油断すれば天性の勘はその隙を見逃してはくれず、やられてしまうからだ。
 これぞまさに博麗の巫女の真髄。
 この場合は単なる不意打ちと言うせこいだけの手段のようにも思えるがあまり気にしない方がいい。

「チルノー、お前冷たいー」
「あ、ちょ、霊夢、どこさわ、うひっ!」
「このままじゃ何か悪いし、褒めてあげるわね」
「ほ、褒めるって、何を」
「チルノー、お前可愛いなー」

 はむっ、と霊夢がチルノの耳を甘噛みした。
 かき氷を食べている時みたいな冷たさを感じ、至福に浸る。
 当たり前の事ではあるが食感はまるで違い、しかしその事は今の霊夢にとって割とどうでもいい瑣末な事なのであった。

「はむはむ」
「あふっ、あ、ぃ、あんっ」
「んぐんぐ」
「ちょ、いたい!? 噛んでる噛んでる!」
「がじっ!」
「きゃああああ!!!」

 ついに霊夢が噛んだ。
 全力ではないっぽいけど割と強く噛んだ、だからチルノは普通に痛い。

「……おいおい」

 声、と同時に視界が少し暗くなった。
 何事かー、と霊夢が声のした方を見、チルノも涙目でそちらを見る。

「お前らこんな真昼間から、何やってるんだ」

 そこには、いかにも暑苦しそうな格好をしているのに、むかつくぐらいに涼しそうな顔をしながら呆れている白黒魔法使いが居た。


  *


「全く、来てたのなら声くらいかけなさいよね」

 霊夢が多量の素麺が盛られた器を卓上の真ん中に置きながら、僅かに怒気を孕ませた様子でそう言う。
 しかし魔理沙、加えてチルノはと言えば、待ち切れないと言った様子で既に汁の入った容器と箸を構えていた。

「いや……外から呼びかけたら反応ないし、でも霊夢の声は聞こえるし」

 ついでにチルノの声も、と続けた後で魔理沙は霊夢が座るのも待たずに箸に素麺を絡め、汁に浸けてから、ちゅるちゅると啜り始めた。
 汁は出汁もいい感じで、素麺との相性の良さもあってか非常に美味。
 そして、魔理沙は笑顔を浮かべる。
 チルノが氷を作って素麺のあちこちに散りばめているし、何より霊夢が文句も言わず食べ物を振舞うなどと、好条件が重なった時にやってきた自分の運の良さにご満悦と言った感じだ。

「まぁ、魔理沙に文句言っても何も変わらないのはわかってるけどさ」

 そう言いながら座る霊夢に向かって魔理沙は、

「だから少なくとも今回に限ってはお前がー」

 などと返すが霊夢の方は聞く気はないらしい。
 普段の行いが行いだけに仕方の無い事ではあった。
 その事をそれなりに自覚しているのか、霊夢に自身の非を認めさせる事を諦めると、魔理沙は再び素麺の方へと視線を戻す。

「お?」

 ――こいつぁ、いい物を見つけた。
 まさに喜悦。
 しかし魔理沙はそれを声にも表情にも出さず、黙々と素麺を啜る霊夢とチルノを目を動かすだけで確認すると、目立たない程度に箸を持った右手を引いた。
 この状況なら行ける、そんな自信があった。

「っ」

 僅かな息を吐くと共に狙いを定め、箸を卓上真ん中にある素麺の山へと走らせる。
 空気の抵抗を無き物にし、他の追随を許さないスピード。そしてパワー。
 それは言うなれば、まさに恋の魔法もとい恋の箸。
 ――もらった!
 自信は確信へと変わり、魔理沙は笑みを浮かべた。
 その刹那、少し乾いた音が響いて、箸の動きが止まってしまう。
 否、止められてしまう。
 顔を動かして右側を見ると、チルノが冷や汗を流しながらも、笑っていた。

「チルノ……お前!」
「あたいだって……負けない!」
「はっ! 氷精風情が何を……!」
「人間にそんな事……言われたくないわね!」
「この、この、この色付きの素麺は私のだぁー!」
「色付きのはあたいのよー!」

 ガキかこいつらは、と流し目で見ながら霊夢は思う。
 慧音が里の子供たちが楽しめるようにと趣向を凝らして作ったのがこの色付き麺入りの素麺だそうだが、なるほど子供が楽しんでいる。
 でもまぁ気持ちはわからなくない、とも思ったが、それでも執着しないあたり、霊夢は2人より少しだけ大人だった。

「ちぃ!」
「くっ!」

 魔理沙が腕を振り上げてチルノの箸を弾き飛ばそうとしたが、チルノは堪えて攻撃へと転じる。
 膝立ち状態になり、正座で座っている魔理沙の脳天へ向けて箸を振り下ろした。
 しかし魔理沙はそれを箸で見事に受け流すと、咄嗟に僅かに後方へ移動。
 正座であったがため、スカートが畳に擦れて少し皺になるが気にはしない。
 色付きの素麺の価値は、それ以上なのだから。
 2人の白い肌に、冷や汗などではなく、体温の調整をするための汗がじわりと浮かんだ。
 僅かな運動、しかし刹那の油断も許されない神経をすり減らす対決は、2人の体温を否応なく上昇させて行く。
 同時に気持ちが昂る。こいつには、負けたくない……と。

「らあっ!」

 箸を横に払い、チルノの左のこめかみを狙う。

「魔理沙なんかにー! あたいがー!」

 弾幕戦では勝てない、チルノと言えどその事は理解している。
 しかし、だからこそそれ以外で負けたくはないのだ。
 防いだ。対抗するチルノの一撃は魔理沙の姿勢を崩し、軽く尻餅をつかせた。
 再びチルノが魔理沙を目掛けて箸を振り下ろす。
 その攻撃方法は単純、故に強力。
 魔理沙は「きゃっ」と意外に可愛らしい悲鳴を上げ、頭の上で腕を交差させ、

「…………」
「そん……な」

 止めた。
 沈黙した魔理沙に対し、チルノは絶望すら含んだ声を発する。

「霧雨活心流箸術・奥義の攻め……箸渡り!」
「いや待て魔理沙ダメだろそれ色々と」

 霊夢のそんな突っ込みも何処吹く風。
 そもそも箸に伝うほどの長さがあるかどうかはさておき、魔理沙はチルノの箸を完璧に弾き飛ばし勝利した。

「あ、あたいのお箸ー!!」
「ふっ」

 部屋の隅っこまで飛んで行った箸を、目尻に涙を浮かべながら四つん這いで拾いに行くチルノを一瞥すると、魔理沙はようやく色付き素麺と対面、

「あれ?」

 出来なかった。
 チルノと戦っている際も時折横目で確認していて、ついさっき、決着がつく寸前まで色付きの素麺はそこにあったのだ。
 だと言うのに、今は。

「……ない? なんで?」
「さぁ?」
「霊夢、お前」
「うん?」
「食ったな」
「食べてない食べてない」
「食ったな!」
「食べてないってば」
「食ったんだろ!?」
「だから食べてないってば。別に幻想空想穴をお箸の通せるサイズくらいに上手いこと作って内側から取ったとかそういうのもないから」

 否定はしているが、自白したようなものだった。
 否、自白したと言うべきか。
 霊夢は「何か文句でも?」と言わんばかりの笑顔と声を、魔理沙へと向けていたのだから。
 魔理沙はその笑顔を正面からまともに見てしまうどころか目を合わせてしまい、「う……」と唸りながら無意識に防御姿勢をとってしまう。
 チリン、とひとつ鳴った風鈴の音は、何故か霊夢の笑顔と重なって恐怖を助長する。

「それで? もし私が色付きのを食べたのだとして、何?」
「え、あ、それは……」

 相変わらずの笑顔に、魔理沙はたじろいだ。
 いつもの強気さもどこへやら、劣勢どころの話ではなく、出来る事なら数分前に戻って、今日は運が良いなどと思っていた自分に「この後とんでもない事があるんだぞ」と教えてやりたくなる。
 それくらいに穏やかで優しく、大袈裟に言えば何もかもを受け入れてしまいそうで、だからこそ何よりも恐ろしい笑顔だった。

「あ、あの緑色の……色付きのは! 私がチルノと死闘を繰り広げた末に食べる権利を獲得したものなんだぞ!」
「……お箸でチャンバラごっこやって死闘とか言われてもねぇ」

 必死に捻り出した言葉は、受け流された。

「で、でも、だって……!」
「この素麺は私の……と言っても慧音に貰った物だけど、それでも私が貰ったんだから私の物よね。つまり魔理沙は色付きでなくとも食べられるだけで感謝すべきなの……違う?」
「ち、っ! 違わないぜ! そうだよな! でもれいむ……」
「まだ何か、文句があるの?」
「あ、あり……ません」

 そうよね、と返して霊夢は食事を再開する。
 一方、魔理沙は肩を落としながら、それでも美味しいのだからと素麺を口に運んだ。
 いつの間にやら戻ってきていたチルノはと言うと、自分には関係ないとばかりに、色付き素麺を失った事により複雑そうなものではあるが、それでも笑顔を浮かべながら素麺を啜っていた。

「だいたい、魔理沙……チルノも食べてばかりいないで聞きなさい! いい? さっきはもう黙って見てたけどね、そのお箸はうちのお箸なの。それで叩き合うなんて何考えてるの」
「「……ごめんなさい……」」
「そもそも食事中にお箸でチャンバラごっこだなんて行儀が悪いにもほどがあるわ」
「「霊夢さんの仰る通りです……」」
「たかが色付きの素麺1本のために騒がしい……あなたたちも小さい子供じゃあるまいし、そんなのに必死になるのは10歳までと相場が決まってるのよ」

 そんなの決まってない、と言いかけ、しかし魔理沙とチルノは何とかそれを飲み込んだ。
 横から取った霊夢も子供じゃん、とも言いたかった。
 けれども確かに、他人の所有する箸で叩き合ったのはあまりいい事では無い。
 普段傍若無人の魔理沙と細かい事を気にしないチルノではあるが、怒られ、これに関してはやり過ぎたと反省する。 
 ただ、霊夢がお姉さん風を吹かしているのが微妙に癪に障った。

「別にじゃんけんでも何でもいいじゃないの。弾幕よりも公平な決め方だわ。強い弱いも関係ないし、何より平和的よ」
「「はい」」

 不都合があれば問答無用で弾幕使って押さえつけてくるぐうたら巫女が何を。
 誰もがそう突っ込みたくなるだろうが、残念ながらこの場には、そんな命知らずとしか思えないような突っ込みを出来る者は存在しなかった。

 みーんみんみんしゃチー……しゃしゃジー……。

 先ほどからのミンミン、クマ、それに加えてニイニイの鳴き声が混ざって聞こえてくる。
 2人とも、ただひたすらに鳴き続ける蝉の事を、今だけは羨ましいと思う。
 子孫を残すために鳴き続け、巫女に恐怖しない事がどれだけいい事だろうかと。
 だがしかし魔理沙は、木々のざわめきを聞き、揺れる枝葉の影を見て、思う。
 ――でも鳴く方は雄だしな、オシャレ出来ないなら霊夢に怒られても今のままでいいや。
 と。
 魔理沙もやはり、オシャレとかをしてみたい年頃の女の子なのだ。
 蝉だったら雌だったとしてもオシャレなど出来ないのだが、そこは何となく、というくらいで深く気にするものでもないらしい。

 急にくいっ、と首を動かされた。

「どこ見てるの魔理沙! 私は今あなたに色々と注意してるの! 目を合わせろとまでは言わないからせめて話してる人の方をちゃんと見なさい!!」
「……はい」
「返事が小さい!」
「はい!」
「あとね、来るんなら賽銭ぐらい入れて行きなさいってのよ。生きていけない訳じゃないけどある方が贅沢出来るし何より神社らしいわ」
「「…………」」
「ああ、どいつもこいつも賽銭入れない賽銭入れない……何? その顔は。2人とも、もし何か言いたい事があるなら言いなさいよね。溜め込んでると身体に毒よ?」

 またも優しい笑顔でそう言うが、口答えしたらヌッコロス、とでも言いたげな空気が漂っていた。
 蝉が数匹、別の木に移るためだろうか、飛んだ。
 少しだけ蝉の鳴き声が遠くなって、静かになる。
 僅かに気を紛らわしてくれていたそれが遠くなるのを、辛く感じた。
 何か文句言ってやる、そう思いながら魔理沙もチルノも俯いたまま、様子を伺うように上目遣いで霊夢を見て、

「「……何もないです」」
「そう、ならいいわ。さ、2人ともお箸を止めてないで、食べましょう?」

 何も文句は言えなかった。
 最後はあまりにも私的な事に変わってしまっていたが、これにもやはり突っ込む事は出来ない。
 どこぞの閻魔に説教されて鬱憤でも溜まっていたのか、賽銭が来ないから日常的にいけないものを溜めているのか、……ただ単にお姉さん風を吹かしたかっただけなのか。
 ――でも霊夢みたいなお姉ちゃんがいたら良い……ってなにぃ、ちょっと待て!!??
 不意に己の中に芽生えた妙な感情に、魔理沙は激しく突っ込みを入れる。
 それは良いと言うよりは、あまりにも恐ろしいではないか、と。
 そもそもお姉ちゃん欲しいなどと思った事がないのだ。長女万歳なのだ。1人暮らしなので特に意味は無いが。
 魔理沙は目を閉じて眉を寄せ、額に指を当てると、

「何を考えているんだ。落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ霧雨 魔理沙」

 霊夢とチルノには聞こえない、自分にもギリギリ聞こえる程度の声で呟き、精神を落ち着かせようとする。
 これはそう、一時の気の迷いだ。そうに決まっている。というかそれ以外有り得ない。
 ……霊夢に慄き俯いていて、まともに顔を上げられなかったのは魔理沙もチルノも同じ事。
 勝負を分けたのは、目を開けていたか閉じていたかである。

「もらったぁ!」

 それは、呟きが終わるのと同時であった。
 風の吹く音も、木々のざわめきも、優しげな風鈴の音も、少し遠くなっただけで相も変わらず喧しい蝉の鳴き声も全て掻き消し響いた、チルノの声。
 一瞬、何の事かと迷い、全てを理解した時には既に遅かった。
 チルノのその箸には。

 色付きの素麺が。

 ……1本だけではなかったのだ。まだ、あったのだ。
 魔理沙が箸を向けた瞬間にはもう。
 何を練り込んでいるのかはわからなかったが、その色付きの、綺麗な緑色をした細い麺は。
 汁を纏い、チルノの口の中へと放り込まれ、吸い込まれ。
 魔理沙が涙を堪えるために可愛い顔を歪めた瞬間にはもう。
 数回の咀嚼の後、チルノの胃袋へと流れ込んでいた。

「あ……あっ……」

 もしもそこで、チルノが魔理沙の事を気にも留めず食事を続けていたのならどうなっただろうか。
 もしもそこで、チルノが魔理沙に対して可愛らしく、ごめんねとばかりに苦笑いでもしていたらどうなっていただろうか。
 きっと、どうにもならなかっただろう。魔理沙も、唇を噛み締めながらも諦めたに違いない。

「ふふん」
「……」

 しかしチルノは、勝ち誇ったかのような笑みを魔理沙に向けていた。
 箸を持った魔理沙の右手が震える。

「う……ひっ、く……ひっ」
「え? あれ、魔理沙どうし」
「チルノの馬鹿ー!」
「どう、どうしたのさ!?」
「チルノの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ー!!!!」

 大粒の涙を零しながら、魔理沙は駄々をこねる子供のようにチルノをポカポカと叩き始めた。
 まさかの展開に思いっきり取り乱すチルノ。
 加減はしているのか叩かれてもあまり痛くは無かったが、魔理沙がこの程度で泣くなどとチルノには到底考えられない事であったし、何より不覚にも可愛いと思ってしまったのである。
 あまり関係の無いようにも思えるが泣いている姿が可愛いのは割と大きい。

「れ、霊夢ぅ」

 叩くのを止め、肩を掴んだまま泣き続ける魔理沙に困ってしまったのか、チルノがすがる様に霊夢を見、呼んだ。
 魔理沙はチルノの肩から手を離し、袖で涙を拭う。

「えっと……魔理沙? 私も、悪い?」
「うっ、えぐ……そんな事……ない」

 霊夢も俯いた魔理沙の顔を覗きこむようにしてきた。
 未だ大粒の涙を零し、手で顔を覆いながら魔理沙は、



 笑っていた。 



 それも割と凶悪げな笑みである。
 手で顔を覆っているのは無論それを隠すためであり、つまりは全身全霊込めた渾身の嘘泣きだ。
 どこぞの兎詐欺師も真っ青であろうほどのとんでもない嘘泣きだ。
 何せ実際に目から涙を流しているのだから。
 ――魔理沙さんはやられっ放しじゃ終わらないぜ!
 霊夢にはお姉さん風を吹かしながら怒られ、チルノには勝ち誇った笑みを向けられ……これで魔理沙が黙っている方がらしくないだろう。
 とりあえず困らせ、しかしこの先はどうしようかと思案、何も考えてなかったりする。
 ふと、そんな魔理沙の頭に優しい感触。霊夢に、頭を撫でられていた。
 ここに来てもお姉さんぶろうとしているのか、それとも単なる母性本能か何なのか、何にせよ慰めようと頭を撫で続ける霊夢。
 これだ、と魔理沙は思う。霊夢にお姉さん風を吹かす気があったのだとしても、無かったのだとしても、必ず大きな動揺を誘える自信があった。
 霊夢に抱きついてその胸に顔を……埋めるほどなかったが、ともあれ頭を当て。
 魔理沙は泣き顔のまま、言う。

「おねえちゃん……」

 と。
 霊夢は、……魔理沙には見えなかったが、顔を赤くして視線を逸らしてから、何を言われたのかハッキリと理解し。

「「い、いきなり何言い出してるの魔理沙!?」」
「ん?」

 霊夢の声に、この場にはいないはずの人物の声が重なって、魔理沙は疑問の声を出した。
 誰の声だったけなぁ、と気にはなったが、この状況では嘘泣きだとバレてしまいそうで魔理沙は顔を上げる事が出来ない。

「お、アリスだ」
「アリスね……」

 妙に冷静な声を出したチルノに、頷くように霊夢も。
 潤んだ目のまま顔を上げ、魔理沙もそちらを見た。

「あ、アリス……えっと、これは」

 視線だけを逸らしながら、魔理沙がごにょごにょと。
 嘘泣きだとは言えない、だから本当に泣いていた事にして説明しようかとも魔理沙は思うが、それはそれでややこしい事になりそうな気がしているのだった。
 数秒の沈黙。
 それに耐えかねたのか、霊夢が口を開いた。

「あー、アリス。これは魔理沙がね」
「わ、私、何も見て無いし何も知らないから!!」

 しかしアリスはあたふたと手を振り狼狽しながら、経緯を説明しようとした霊夢の言葉を遮った。
 魔法使いは見た、と言うか見てしまった、とでも言わんばかりである。
 あと頬が赤く染まっているのは何故だろう、と霊夢は疑問に思うが、無視する事にした。
 そしてそのために、アリスの妄想電車が発進する事となる。

「別に霊夢と魔理沙が実は腹違いの姉妹で2人ともついさっきそれを知ったばかりでつまりは感動の再会でその上目覚めちゃイケナイ類の姉妹愛に目覚めちゃったとかそういう事実は全然知らないから!!!!」
「いやもう知る知らないの前にそんな事実はないのよ、うん」

 頬を赤く染めていた理由を勝手に自白したアリスに対し、冷めた目で突っ込みを入れる霊夢。
 魔理沙も呆れを隠さぬ目をしていて、チルノは意味がわからないのか、「腹違い腹違い」とひたすら呟いている。

「え、あ、そう……なの?」
「そうなのよ」
「じゃ、じゃあ、何で魔理沙はあんな事を……」
「それは」

 霊夢は未だに抱きついたままの魔理沙の頭を両手で軽く掴むと、

「魔理沙に聞いてみようかしら」

 微笑みながらそう言って、右手でまた頭を撫で始めた。
 繊細な金色の髪が指に絡むのが何故だか心地良よくて、霊夢は魔理沙の頭を撫で続ける。
 霊夢は本気で魔理沙が泣いてしまったと思っているので、何かしようという気は無論現時点では皆無。
 しかし、しかしである。
 アリスの方を見たままの魔理沙からは霊夢の顔は少ししか見えず、むしろ怖気を感じてしまっていた。
 ここで下手な返答をすれば、何をされるかわかったものでもない。

「そ、そのだな……あの」

 一瞬頭を掠めた、昔生き別れた実の姉が云々は即却下。
 誰が聞いたって嘘だとすぐにわかる。

「わ、私な? お、お姉ちゃんが居たら良いなぁ。……とか思う事がたまにあるんだよ、それでつい」
「そうなんだ? 魔理沙がお姉ちゃんをねぇ」

 霊夢の穏やかに笑う声が聞こえ、魔理沙は胸中で安堵する。
 表情に出してしまうとアリスに訝しがられるからと、それは何とか抑えた。
 雰囲気が和む。チルノでさえも、魔理沙の意外性にまたも可愛いなぁ、とか思ってしまったほどだ。
 お姉ちゃんが居たら良いなぁ、というのがそもそも嘘っぱちなのでこの状況が実に滑稽ではある。

「ところで……アリスは何しに来たのさ?」

 そう疑問を投げ掛けたチルノに対し、霊夢が何でお前が言う、とばかりに視線を向ける。
 チルノはその目を見たのだが、全く気にする様子はない。
 というか何でそんな目をされているのかを、微塵もわかっていない。

「そうそう、それよ! 魔理沙! あなた何でこんな所でのんびりほのぼのしてるのよ!?」
「あぁ。丁度昼飯が出るところみたいだったからどうせなら一緒に食べようと」

 魔理沙は霊夢から離れると簡単に事情を説明しながら、少しアリスに近づく。

「……あのねぇ。あなたの方が飛ぶのが速いからって、私は霊夢を呼びに行くのを任せたのよ? これじゃあ意味がないわ」
「ん? 私が霊夢も呼ぼうぜって言ったからじゃなかったのか?」
「呼ぶか呼ばないかの決定と、どちらが呼びに行くかは別の話じゃない」
「まぁ、何にせよ私が呼びに行く事になって、私が遅れたという事実に変わりはないぜ」
「悪気も見せずそんな事を言われても……」

 霊夢とチルノはそっちのけで話し始める魔理沙とアリス。
 霊夢は何となく何をしに来たのかは理解したが、どんな理由で呼びに来たのかまではわからない。
 チルノは頭の上にクエスチョンマークを浮かべんばかりの表情をしており、そもそも会話の内容をイマイチ理解出来ていない様子だ。

「そりゃあ私は悪くない。悪いのは、私に任せてしまったアリスだな」
「責任転嫁をしないで頂戴。……それに、あなたに任せたのは速さだけじゃなくて、私に別の仕事があったからでもあるんだからね」
「おお、そう言えばそうだったな。完成したのか?」
「……一応ね。仕上げは上海たちに任せてあるわ」

 やはり話し続ける。
 半ば喧嘩の様相ではあるが声を荒げていないし、そういう険悪な空気でもない。
 喧嘩というよりは不毛な言い争いと言った方がいいだろうか、と霊夢は思う。
 不毛かどうかは本人らに何を話しているのか聞かねば分からない事ではあったが。

「よーし、それなら今すぐ」
「あー、ストップ魔理沙。アリスもアリスも。あのね、一体何を話しているのか、私にはサッパリわからないんだけど」
「あたいもー」

 霊夢が割り込む形で会話を止めさせ、文句を言い、チルノもそれに同調する。

「ああ、そうだったな。すまんすまん」

 魔理沙は不満を抱いているのが目に見えて明らかな2人に向かって平謝りをして、立ち上がり、縁側まで歩くと振り向いた。
 他の木から移ってきたのか、はたまた先ほど別の木に移った奴が戻ってきたのか、少しばかり蝉の鳴き声が大きくなった。
 耳を突くのは、夏特有の騒がしさ。

「蝉が喧しいのは彼らの季節だから。つまりは夏だから」

 それをバックに、魔理沙は芝居がかった口調で話し始める。
 少し強く吹いた風が、今までよりも風鈴を大きく揺らした。チリン、と風鈴が鳴る。
 大きく揺れたからだろうか、釣鐘に当たって反射している太陽の光も、踊るように揺れていた。

「風鈴の奏でる音色を涼しげに感じるのは、凶悪とも言える夏の暑さの中で、その音があまりにも優しいから」

 巡る季節の中、夏を感じさせるそれら。
 まだ少し残った素麺の山の中腹から、氷が滑り落ちた。
 喋る魔理沙の方を見る3人にそれは見えていない、けれど魔理沙にはそれが見えた。
 思う。暑いのは気だるいけども、夏は感じていたいと。

「けれども、この茹だる暑さの中、それで気を紛らわすのには限度がある。暑いのは嫌だ、でも、夏は味わいたいと、心の隅っこでは贅沢を思う」

 夏。暑い季節。
 涼しいところを追い求めたくなる、訪ねたくなる、そんな季節。
 けれど、夏には夏にしかないものがある。

「そんなわけでお嬢さん方を、私とアリスが見つけた、最高の避暑地にご招待するぜ」

 存分に夏を感じられて、それでいて涼しい、最高の場所。
 手を差し伸べるようにすると、嘘泣きとはいえ先ほどまで実際に流していた涙など全く感じさせず。
 魔理沙は、可愛らしく微笑んだ。


  *


「で、さぁ。何をしに来たかはわかったけど……完成がどうとか、アレは何の話なのよ?」
「それは、目的地に着いてからのお楽しみだぜ」

 一行は、空を飛んでいた。
 今にも落ちてしまいそうな表情で霊夢は問いかけるが、魔理沙はそれを受け流し、ご機嫌そうに先導するだけで答えはしない。
 陽は大分傾き、暑さも多少は和らいでいたが、それでも空を飛んでいると日光が直に当たる事になるので不快なのであった。
 兎に角暑いし、何より汗が止まらない。身体も重く感じる。
 地上よりも風は吹いていたし、団扇で扇いでみたりもしているが、気休めにもなっていなかった。

「にしても……ねぇ、魔理沙。その格好でなんでそんなに涼しそうな顔してるわけ? それも八卦路?」
「いや、八卦炉は『炉の一角から風が吹く』から外では使い勝手が悪いよ」
「じゃあなんで……」
「ふふ。それには私しか知らない秘密があるんだなー」

 そりゃあんたしか知らないだろうから聞いてるんだ、と呆れつつ、霊夢は魔理沙を気の抜けた目で睨み付ける。
 暑いからわざわざ突っ込む気力もなかったし、魔理沙は先導しているから霊夢には背を向けているため、気を入れて睨み付けるのも馬鹿らしかった。

「うー、その『ひしょち』に着くまであとどのくらいかかるのさー」
「もうそろそろよ。ほら、頑張って」

 霊夢は今にも落ちてしまいそうな表情をしているだけでまだ真っ直ぐ飛んでいたが、チルノは本気で落ちそうになっていた。
 ふらふらと蛇行しながら飛んでいたので、先ほどからアリスが支えている状態だ。
 さらに、チルノ溶けるんじゃないかなあ、とか出発直後に霊夢がのたまってチルノが可愛く怒りながら頬を膨らませ、その微笑ましさで魔理沙とアリスを笑わせたのだが、実際に羽が少し溶けているようなのでもう笑えなかった。
 まさか本当に溶けるとは思っていなかったので割かし深刻でさえある。

「なんかもう多分1時間近く飛んでるわよね。これで碌でもない所だったら夢想封印喰らわせたいんだけど、いい?」
「おお、構わないぜ。何せ最高の場所だからな、そんな約束をしてもちっとも怖くない」

 それだけ、自信があると言う事だ。
 魔理沙とアリスの言う避暑地とやらへの期待は否応なく高まる、が、それでもやはり今暑いのは辛く、霊夢はうーと唸りながら団扇で扇ぐ。

「っていうか、アリスも涼しそうな顔してるわねまた……」
「ん? そりゃあ……」

 先は言わず、肩を貸してやっているチルノを見やる。

「ねぇ?」

 霊夢の方に視線を戻すと、アリスはウィンクをしながら笑う。

「こんのちゃっかりものおぉー!!!」
「早い者勝ちよ、早い者勝ち」
「私が、私がチルノを支える。あぁ、何て可哀相なチルノ! この博麗 霊夢があなたを支えて」
「アリスの方がいい……」

 気だるそうに、しかしはっきりとチルノはそう言った。

「な、何で。何で私じゃダメなのよー」
「アリスの方が……」

 はふぅ、とチルノは激しい運動後に疲れた時のような息を吐くと、

「……アリスの方がおっぱい柔らかいから痛くない」
「あらチルノ。照れちゃうじゃない」
「母性が足りない洗濯板と申したかー!!!!」

 霊夢は天を仰ぎ苦笑を浮かべながらも心で泣いた。
 アリスもお世辞にも大きいと言えはしないが、それでも最低限欲しいくらいは備えているのである。
 この辺、チルノからしてみると大きな差だったらしい。

「いいわよ……それならいいわよ」

 ここは素直に諦める霊夢であったが、そもそも当たらないから痛くないと言いたかった。
 だがしかし、言ってしまうと色々と負けなので言わないのであった。

「おい、お前ら。何を騒いでるのかはあえて触れないが、そこまでだ」

 霊夢とアリスの間に沈黙が流れたところで、魔理沙が声をかけた。
 そして背を向けたまま腕を伸ばすと、地上のある一点を指差す。
 そこにあるのはそれなりに広さのありそうな洞窟。

「……ねぇ、ちょっと。あれって確か」
「ふむ、やっぱりチルノは知ってたのか。あそこが、夏の初め頃に私とアリスが協力して見つけた最高の避暑地だ」
「協力って……弾幕りあってたらたまたま見つけただけじゃないの……」

 アリスの呆れの混じった言葉に、魔理沙は協力と似たようなもんだろ、と返してから振り向き、いつの間にか手にしていた懐中時計で時間を確認する。

「所要時間50分と少し、まぁ、だいたい予定通りだな」

 魔理沙はそう言って懐中時計を仕舞うと、出発前と同じ笑顔を浮かべた。
 陽が沈み始め、随分と数を減らして静かになった蝉の鳴き声は、あたかもその笑顔と薄暮の空をより一層美しく演出するためのバックコーラスのように。

「ようこそだぜ、霊夢にチルノ。まぁ、レティ・ホワイトロックの冬の間の塒(ねぐら)だけどな」


  *


 蒸し暑かった。


 簡単にこの場の状況を表す事が出来、かつ魔理沙とアリスに呪いさえかけそうな勢いを込めることが可能な言葉である。
 春夏秋はどこに居るかもわからない冬の妖怪、レティ・ホワイトロックの冬の間の塒である、洞窟内。
 洞窟だからやはりごつごつしている。
 しかしごつごつしていながらも最低限の生活空間や箪笥、布団、調理用具、テーブル、机っぽいものや筆記用具に至るまで用意されており、無駄に生活臭漂う場所だった。
 奥の方に扉もあり、かなり広い事が窺い知れる。

「ねぇ、魔理沙」
「なんだ、霊夢」
「ここがレティが冬の間に居る場所だって事は理解したわ……でもね、夏なのよ。冬なんてとうの昔に過ぎ去ってるのよ」
「そうだな」
「あぢぃ」

 霊夢はそう言いながら、スペルカードを取り出す。
 霊力を籠めているのか薄っすらと光っているあたりが妙に恐ろしい。
 一瞬、魔理沙は外で鳴くヒグラシのケケケケケと言う声が霊夢から発せられていると錯覚してしまう。

「ま、待て霊夢、落ち着くんだ。まだ何も始まっちゃいない」
「……そうね。始まっていない、終わったわ。始まる事無く」

 じりじりとにじり寄る。
 その様子を見て呆れながら、アリスが口を開いた。

「もう、魔理沙ももったいぶらないでさっさとやる事やりなさい。私の方も暑くて嫌になるわ。というかチルノがいい加減危ないから急いで頂戴」
「おお! チルノ! 大丈夫か!?」
「比較的……大丈夫じゃ……ない……」
「『比較的』なんてお前にとって難しい単語を使うんじゃない。頭が暑くなって余計溶けるぞ」
「えーと、話を整理すると……涼しくする方法があるんでしょ? やれ魔理沙やらねば殺す」
「穏やかな声のまま脅すなよ霊夢。やる、やるからスペルカードを丸めて鼻に突っ込もうとするのはやめてくれ。耳の穴も駄目だ。使い方が違うから」

 霊夢が舌打ちする。入れたかったらしい。
 魔理沙はそんな霊夢から距離をとるために二歩後ろに下がると、くるくると指を回し始める。
 そりゃ、と掛け声に合わせて指を大きく振ると、魔理沙の周囲に数ミリ程度の大きさの氷がいくつか現れ、パラパラと落ちていった。
 それと同時、霊夢は少し肌寒さを感じて自らの肩を抱く。
 しかしそれは急に冷えたからであり、実際はさほど寒くはない。
 丁度いい具合……涼しいと言ってよかった。

「えっと……これはどういう事?」

 誰に言うでもなく疑問を漏らした霊夢の視線の先では、あっという間に体調が良くなったらしいチルノが踊っている。
 踊るほど嬉しい事だったのか。

「結構残ってたろ、レティの妖気」
「ええ、それは最初にわかってたけど」
「そいつをな、ちょっと刺激して、言ってみれば寝ている状態だったのを叩き起こした。私の魔力でな」
「……私がスペルカードに霊力籠めた時は何も起こらなかったけど?」
「ただの霊力じゃ駄目なのよ。かと言ってチルノのように氷に特化した能力でも駄目」

 アリスが口を挟んで説明すると、魔理沙が自慢げに胸を張った。

「魔理沙が使ったのは氷属性の魔法。冷気を発する力で寒気を操る妖怪の妖気を刺激すると、反応しちゃうみたい」
「それで、チルノじゃ駄目だって言うのは?」
「あー、それは多分あたいがやると必要以上に刺激しちゃって、とんでもなく寒くなるから……よね?」
「お、チルノにしてはやるじゃないか。大正解だ。まー、これだと刺激が弱いせいで2時間程度しか効果が続かないけどな」
「あぁ、だから最初暑かったのね……っていうか、弾幕ごっこで変な使い方する気?」
「変な使い方って何だよ。……ま、安心しろ。確かについ先日弾幕ごっこに応用出来ないかと習得したんだが、不向きだったみたいでな。
 それで実戦レベルには程遠ったんだが、意外なところで使い道があっただけだ。私ってば機転が利くなぁ。褒めていいぞみんな」

 霊夢はアリスとチルノに目配せをして最後の言葉について無視を決定した後で、なるほど、と頷く。
 同時に他にも気付く事があったので、魔理沙の方を見て話しかけようとする。
 目を合わせた魔理沙が少し寂しそうな顔をしていたが褒める気は無かった。

「今日魔理沙が涼しそうな顔してたのは……その魔法を使っていたからなのね?」
「んにゃ、それは気休め程度だ。八卦炉もさっき言ったように外で涼むには使いにくいし、突き詰めて言えば私がこの格好で暑い所に居るのに慣れただけだな。暑い事は暑い」
「ここに来る途中に言ってた秘密ってのは適当かい。……っていうか慣れるって何気に凄いわね魔理沙」

 感嘆した霊夢に向かって、一応半袖だしな、と返しながら魔理沙は椅子に座り、頭の後ろで手を組む。
 ちょっといじけた様に見えなくもない。

「それに、このくらいの魔法で涼しくなるんだったら、チルノは暑がるなんて事はないだろ?」
「そりゃそうよ。こんなちんけな冷気にあたいの冷気が負けるわけないんだから」
「少々癪に障るが……まぁいい。どうだ霊夢。いい所だろう?」

 魔理沙が自信満々に笑みを浮かべ、言う。

「確かにね。来るのに時間がかからなかったら、もっといいんだけど。ところで、そろそろ教えて欲しい事があるんだけどいいかしら?」
「はいはい、私でしょ?」
「そ、アリス。……『完成』、っていうのは何の事? まだ説明して貰ってないんだけど」
「今日は丁度いい催しがあってね。魔理沙の提案なんだけど……」

 恐らく魔理沙に無理を言われたのだろう。
 苦笑を浮かべながら、奥にある扉の所まで歩き、静かに開く。

「こっちの部屋に、作っていたものがあるわ。お代は魔理沙持ちだから安心して頂戴、霊夢」
「いや待てアリス、初耳だぞそんなのは」
「初めて言ったんだもの。……まさか、タダだとか思ってたんじゃないでしょうね?」
「思ってたに決まってるだろう」
「あのね、材料費だってタダじゃないんだけど?」
「わーかった、わーかった、払うよ払う。私が死んでからな」
「……本を返すっていうのなら兎も角、死んでからどう払うのよ」
「遺言状に私の遺産の一部をアリスに譲るようにと書いておこう」
「あー、はいはい。……もうそれでいいわ」

 なんだかなぁ、と呟きながらアリスは部屋の中へ入って行く。
 その背中が微妙に哀愁を漂わせていたが、何となく楽しんでいるようにも感じられたので霊夢は何も言わない事にした。
 人間、何事に関しても言っても無駄な事は無理矢理プラス思考にして言わないようにするのがいい。

「にしても、他人の家を好き勝手してもいいのかしらねぇ」

 代わりに、霊夢は周囲を見ながらそんな事を言う。

「まぁ、人じゃないし勝手に使ってもいいんじゃないか? 家主がいないのに勝手に何か借りたりはしないし」
「つまり家主が居たら盗って行くって事ね……うちに被害がなければ別にいいけど」
「借りるんだって、失礼だな。あと、奥の部屋にはそもそも何もなかったぜ」
「あ、あっちの部屋は……まぁ、何かあっても、うーん」

 と、チルノが何やら言いたそうに、けれど躊躇うように唸った。

「どうしたチルノ。まさか地下とかでとんでもなく大きな陰謀が蠢いていたりするのか! ロボットを使って『マーッコイマッコイ!』って言いながら幻想郷征服とか!!」
「アホか。あれじゃない? ほら、太ましいしダイエットのために運動をする部屋とか」

 魔理沙が有り得ないであろう事を言い、霊夢の方は冗談のつもりなのだと分かる口調で。
 しかし、それらを聞いたチルノの動きがピタリと止まり、何かを恐れるかのような面持ちになった。
 沈黙が場の支配者となり、少しばかり和やかでもあった雰囲気が追い出されるかのようになくなってしまう。

「ま、まさか本当に幻想郷を」

 沈黙を裂いた魔理沙の言葉に、チルノはフルフルと首を横に振る。

「もしかして……ダイエット?」
「う、ぁ」

 霊夢の言葉には躊躇うかのように呻いてから、チルノはコクコクと頷く。

「レティは……その、よく冗談混じりに怒ったりしてるけど……本当は凄く気にしてるから……だから」
「え、いや、そんな今にも泣き出しそうな顔されても困るんだけど……こ、これからは自重するわ」
「そ、そうだな。私も出来るだけ太ましいとは言わないように……うん」
「お願い。……そうして」

 止められず、僅かに目尻に浮かべてしまった涙を人差し指で拭いながら、チルノは笑う。
 ちょっとだけ痛々しいけどチルノは強いな、と霊夢と魔理沙は感動する。現実逃避でしかなかった。

「…………で、えーと、この状況は何?」

 そして、いつの間にやら、両脇に衣服と思しき物を抱えて戻って来たアリスは困惑していた。
 傍らに居る上海人形と蓬莱人形も、可愛らしく首を傾げている。

「特に変わった状況でもない、気にするなアリス」
「そう、特に変わった状況でもないわ、気にしないでアリス」
「うん、あたいたちはいつも通り。だから気にしないでアリス」
「……そんな口を揃えて気にするなと言われると余計気になるんだけど……まぁ、追求はしない事にするわ」

 そう言うと、両脇に抱えていた物をテーブルの上に一旦置いてから、そのうちのひとつを手に取る。
 蝉の音は耳を澄まさねば聞こえない程に小さくなり、入れ替わりに鈴虫がリーンリーンと鳴き始めていた。
 洞窟の出入り口から見える薄闇の空は、少しずつ完全な夜へと向かう。

「で、これが魔理沙依頼のお品。採寸をしてないから、丈は丁度じゃないけど……大丈夫だと思うわ」

 アリスは思う。そうだ、この衣服は、こんな音と空が似合う。
 鈴虫の、五月蠅くなければ静か過ぎるわけでもない、そんな鳴き声が。
 薄闇から、闇へ近づくたびにひとつひとつと輝く星を増やしていく、そんな空が。

 両の袖を持ち、広げる。
 赤を基調とし、それが自己主張をし過ぎないように白も上手く配置している。
 例えば、真ん中あたりにある、白百合の花。
 用意されている黒の帯は、意外に良く合いそうだ。

 それは、浴衣だった。


  *


 すぐ側の洞窟から冷えた空気が出てくるために、外へ出ても蒸し暑さはあまりなかった。
 空を見上げれば、あるのは強く輝く上弦の月と、その輝きを際立たせるかのように散らばる無数の星。
 星の絨毯と表現するにはその数は余りにも少なかったが、さりとて数えられるようなものでもない。
 半分の月と星は、漆黒の夜空を、そのままでは可哀相だと修飾するかのような優しさを感じさせていた。

 そんな空から吹く風が木々を揺らし、草木に潜む鈴虫はそれに合わせるかのように鳴く。
 魔理沙が枝に吊るした風鈴は、言うなれば賓客のようなもの。
 小さく揺れる枝に合わせるかのように小さく澄んだ音を奏で、その様子はさながら合奏のように。

「こーおり、こおり、あなたはなーぜ、つめたいのー♪」

 そんな合奏に合わせる事なく、また合わせる気もなく魔理沙は適当に歌っていた。
 リズムは適当だが綺麗なソプラノボイスはさほど聞き苦しいと言う訳でもなく、この場に居る全員が、まぁ歌いたければ歌わせておくか、とスルーしている。
 霊夢は視線を夜空から下ろすと、歌いながらも何やらくるくると回している魔理沙に向かって話しかける。

「にしても、その『かき氷機』ってやつ。便利ねぇ」
「だろー? 普通は刃物とか鉋で削る物だしな。霊夢も回すかー?」
「あんたが楽しそうだから任せておくわ」
「そうかー」

 かき氷機……魔理沙が霖之助から強奪、もとい譲って貰ったものである。
 一旦回すのを止め、魔理沙がチルノに声をかけた。
 チルノが蓋を開いて中に氷を入れ、それを閉じた後で魔理沙はまた回し始める。

「あと……チルノの分もちゃんと用意してたのね、浴衣。私だけ呼びに来たみたいに言ってたのに」
「実を言うと、もともと呼ぶ予定だったんだよ。私の魔法じゃいい氷は作れないし、人里で氷を買うと高いし、その点こいつはタダで上質の氷が作れるからな。
 それで、呼ぶのなら用意してやらなきゃダメだー、ってアリスが。ここに来る途中で探すつもりだったんだが、神社に居てくれて手間が省けたぜ」
「うー、浴衣は嬉しいけど、いいように使われてる気もするなぁ」
「そう言うなチルノ。褒めてるんだぜ一応。お前のおかげでお金の節約が出来て質のいい氷が手に入る、ってな」

 そうかそうかー感謝しなさい、などと言いながらチルノが偉そうに胸を張る。
 上手い事扱うなぁ、と霊夢は呆れを孕んだ溜め息を吐いてから、視線を再び夜空へと。
 たまにはこんな夜も良いかもしれない、風に揺れる髪を抑えながら、そんな事を思う。
 しばらくして、

「よーし、これで全員分のかき氷が出来たぜー」
「出来たよー」

 魔理沙とチルノが立ち上がり腕を上げ、離れた所に居るアリスに呼びかけた。
 今、魔理沙が着ているのは、黒を基調とした浴衣。
 帯が白く、さらに箒と八卦炉が描かれているあたりはらしいと言えばいいのだろうか。
 ちなみに帽子は被ってない。
 チルノの浴衣は水色を基調に、ところどころに水泡のような白い円があるもので、帯は魔理沙と同じ白である。
 ついでに魔理沙の方は……立ち上がるとよくわかるのだが、何かやたらと丈が短かった。
 ミニスカ浴衣。そんな単語と某カラス天狗と某月兎の姿が霊夢の脳内に浮かんだが黙っておく。

「ねぇ魔理沙……今更だけどね」

 笑顔を浮かべながら、アリスが近づいてくる。
 アリスが着ているのは、青を基調とし、さほど修飾されていない浴衣。
 薄紅色の帯は普段付けているカチューシャ等を意識しているのだろう。
 上海と蓬莱も浴衣なのは……何と言えばいいやら、である。

「ん、なんだ?」

 魔理沙が疑問を顔に浮かべ、返した。
 アリスは少し赤くなった頬を掻きながら視線を逸らし、笑みを崩すと、

「浴衣、本当にそれで良かったの?」

 割と際どい状況を……そうならない程度の長さではあるのだが、想像してしまうくらいに短いそれを見ながら、そう問うた。
 作る前にも確認した、作っている最中にも確認した、まだギリギリ調整の効く段階でも確認した、そして完成した後にも……確認。
 しかし魔理沙は結構気に入っているらしく、良いって良いって、と言い朗らかに笑うだけ。
 健康的な白い太ももと同じくらい眩しい笑顔だった。

「まぁ、魔理沙がいいならそれでいいけど……」
「そう、それでいいんだ。んじゃ、かき氷食うぞー」
「おー」

 チルノが万歳をして魔理沙に合わせる。
 魔理沙、チルノが再び座り、アリスも。
 そして、それぞれがかき氷の入った椀を持ち、

「……そのまま食べるの?」

 霊夢の問いに、皆動きを止めた。

「忘れてた忘れてた。香霖からシロップも貰って来たんだ。かき氷機と同じく、幻想郷の外でもまだ需要のあるらしい、貴重品だぜ」

 立てかけた箒にぶら下げていた袋の中身を取り出しながら、あっけらかんと魔理沙が言う。
 かき氷機も含め貴重品となるとかなり普通に強奪っぽいが、美味しそうだからいいかと霊夢とアリスはスルーした。
 チルノも何も言わなかったが、貰って来たとの言葉を信じているだけである。

「魔理沙、何があるのさ。早く、早く出して」

 甘いものに期待しているのだろう、チルノがせかすように魔理沙に顔を近づける。
 魔理沙はそんなチルノを右手を突き出して制してから、袋の中身を取り出し始めた。

「ええっとだな……イチゴ、メロン……宇治金時……宇治茶か何かを素にした物か?」
「お茶は好きだけど……それを氷にかけるとなると……」

 難しい顔をした霊夢には目もくれず、魔理沙は袋の中身を取り出し続ける。

「他にはレモンにコーヒーに練乳……なんだこれは、『ぶるーはわい』?」

 先ほどの物は宇治茶だろうと見当がついたが、これはサッパリで、魔理沙は顎に手を当てて首を傾げた。
 他の面々も魔理沙の後ろから覗き込む。
 魔理沙が青い液体の入った瓶を試験管を扱う時のような動かし方で、振った。
 特に何の変哲もなく、危険さも感じさせず青い液体は揺れる。

「なぁ、これ、なんだと思う?」
「何って聞かれても……」

 魔理沙の声に、アリスが返した。
 名は呼んでいないが、魔理沙の目がアリスの方に向けられたからだ。
 今は浴衣だが、普段は見たまんま洋風、金髪、英語とか知ってそう……そんな理由である。
 魔理沙も似たような物だが。

「ブルー……は、青でしょ」
「それはわかってる」

 これくらいの英語なら幻想郷であっても今は誰にでもわかるだろう。
 外でもまだまだ使われているらしいとは言え、洋風の妖怪やらスペルカードに横文字を使う連中は多い。
 特に魔理沙やアリスなどは、古今東西の魔導書を扱う身だ。少しどころか、大半を理解していないと話にならない。

「問題はハワイ……よね」

 言ったのは霊夢だ。
 霊夢にもやはりブルーが青の事だとは理解出来たようであったが……そう、『ハワイ』がわからないのである。
 その上、青い色の液体だ。怪しい事この上ない。

「ねぇ……、どこかの地名とかそういうのは? それなら特に怪しかったりはしないじゃない」
「はぁ? いやいやチルノ、それはないだろう。『青いハワイ』? 青いから何なんだよ」
「そうね、それはなさそうだわ」
「ちょっと魔理沙、霊夢。チルノだって一生懸命考えてくれたんだからそんな言い方は……まぁ、確かに地名とは考えにくそうな……」

 3人してチルノの考えを一蹴。
 青いどこそこなんて、考えにくかったのだ。

「うーん、しかし本当になんだろうなー」
「まぁ、とりあえず別の物をかけて食べればいいんじゃない? いい加減溶けちゃうわよ?」

 考え続ける魔理沙に、霊夢はそう提案する。
 魔理沙が手に持った椀に視線を落とすと、少しばかり氷が柔らかくなっているようだった。

「よーし、じゃああたいはイチゴー」

 そう言って、チルノがイチゴを手に取り。

「んじゃ、私はメロンを」

 魔理沙は、その横にあったメロンを。

「それじゃあ私は……宇治金時、試してみようかしらね」

 半ば不安、半ば好奇心で、霊夢。

「ハワイ……何かに似てる……」

 そんな中、アリスは『ブルーハワイ』を手に取りそんな事を。
 すると、目を見開き、立ち上がり、

「そう……ハワイ、ヒワイ、ひわい、『卑猥』」

 さほど大きな声ではなかったが、何かを感じさせる声だった。
 霊夢も魔理沙もチルノも動きを止め、ポカンと口を開けてアリスを見上げる。

「ひ、ひわい?」
「で、でもシロップにそんな」
「青い卑猥……!!!!」

 霊夢は拍子の抜けた声を出し、魔理沙はそんなはずがないとばかりに慄き、チルノは『青い』と繋げて言った。

「そうよ、『青い卑猥』なら何となくだけど意味が通じるわ……シロップっぽくないけど。いえ、これはそもそもシロップじゃないのかも知れない」

 アリスが拳を握った。
 涼しいと言うのに汗が流れ出る。嫌な汗だ。
 しかし、それでもアリスは決意し、叫ぶ。

「つまりブルーハワイとはかき氷用のシロップではなく、媚薬だったのよ!!!!」

 空へと向かって消えて行くアリスの叫び声を追うかのように、3人の「な、なんだってー!?」という叫びが木霊した。
 身体が熱くなる。外側からではなく内側から、これはそう、怒りだ。

「こ、香霖のやつー! こんなものを混ぜていたなんて!!」
「……明日、ちょっと夢想封印する必要がありそうねっ」
「あたいも、あたいも手伝う! 許せないわさ、あんな男!!」
「私は呪いの人形を送り込んで、しばらく眠れないようにしてやろうかしらっ」

 全会一致で霖之助が悪者だった。
 上海と蓬莱もアリスの真似をするかのように表情を厳しくしている。
 4人と2体は手を重ね、そのうち4人の方は「変態許すまじ!」と声を合わせた。

「それじゃとりあえずこの件はまた後にして、そろそろかき氷食べましょうか。別のシロップで」
「そうだな」

 熱くなりはしたが冷静になるのも早かった。
 魔理沙は霊夢の言葉に同意してから、他のシロップからブルーハワイを隔離する。
 そしてメロンを自らのかき氷にかけ、他の面々も――霊夢が宇治金時、アリスとチルノがイチゴ――シロップをかけるのを確認してから……、

「それじゃ、いただきまーす」
「「「いただきまーす」」」

 4人同時にかき氷を口に運び、口の中で溶けるのを感じながら、至福に浸った。
 二口目は目を閉じてしゃこしゃこと一気に氷を口に放ってから、頭がキーンとするのを楽しむ。
 霊夢は思う。チルノの耳と同じ冷たさだけどこっちの方が食感は良い、と。

 そして一番早く最初の分を食べ終えた霊夢が、魔理沙とチルノに果敢にもお代わりを要求した、その瞬間である。

 霊夢の背後から、パーンと、何かが弾ける音がした。
 直後には弾けた物が散って行くような音と、再びの弾ける音。
 視界の隅を、月のものでも星のものでもない光が照らしている。
 この音が何か、それがわからないわけではない。
 ただ、何故今その音がするのか、霊夢にはそれが疑問だった。

「おお、始まったか」

 霊夢に削った氷を入れた器を手渡しながら、魔理沙が楽しそうに空を見上げた。
 その視線の先、全面に散らばる星だけでなく、月も臨める方角。
 それは、人里のある方角。
 振り向いた霊夢の視界に儚げに散って行く火の粉が映る。
 花火だ。
 ある程度の高度に達し、開く様子はまるで盛大すぎる開花のように。
 散って行く火の粉はまるで盛大に空へと舞い、その後でゆるりと落ちて行く花弁のように。

「きれい……」

 チルノが、その様に魅入られたかのように無表情になった。
 湖の周辺に住んでいる事もあって、ほとんど見た事がないのだろう。
 それだけを呟くと、何も言わずにただただその光景を、輝く花を見ていた。

「ねぇ、魔理沙。これって……」
「アリスが言ってたろ? 『丁度いい催し』があるってな。上、行こうぜ」

 霊夢の問いに答えると、魔理沙は箒を引っ掴んでふわりと空へ昇って行く。
 アリスとチルノも浮き上がり、霊夢もそれを追う。
 その間もけたたましく夏の夜空に響き渡る破裂音。喧しくもあるというのに、その音と同時に迸る光がそれを忘れさせる。
 風鈴の小さな音とそれを揺らす風の音が、破裂音が途切れた際の間奏のごとく耳に届く。
 ならば、リーンリーンと鳴く鈴虫と枝葉の擦れる音は歌声であろう。

 空が近づく。星が近づく。月が近づく。
 光が、大きくなる。

「……夏祭り、か」

 言うまでもなく理解した事を、確認するかのように霊夢は声に出してから、しゃく、とかき氷を口に運ぶ。
 シロップのかかっていない、味のないかき氷。
 底に残った宇治金時の味も、今はまだしない。

「とおい、ゆめのなか」

 そして何となくそう呟く。遠い喧騒はまるで夢のようで、だから霊夢はそう呟く。
 眼下には幾多の提灯の光が整然と並んでいる。
 声も聞こえない、人の歩く姿も小さくしっかりとは見えない、だと言うのにその場の喧騒ははっきりと伝わってくる。
 ここは静かだ。花火の音はしようとも、普段騒がしい面々が集まろうとも、ここは静かだ。
 しかし喧騒は伝わってくる。夢のように感じてしまっても。
 それこそ、踊り出してしまいたい程に楽しい喧騒が心に届く。

「賑やかなのもいいが、たまにはこうやって遠くから眺めるのも悪くないだろ?」
「私は騒いだりするよりもこんな風に静かな方が良いわね」

 魔理沙は霊夢に言ったのだろうが、返したのはアリスだった。
 静かな方が良いとは言いつつも楽しそうではある。

「……レティと大妖精にも花火、見せたかったなぁ」

 楽しそうに、嬉しそうに。
 そして少し残念そうに、チルノが言った。
 この場にいない大妖精。そして何より、冬にしか居られないレティ。
 冬には、この景色は見れないだろう。冬には、この喧騒は見られないだろう。
 雪に覆われた世界にも喧騒はあるが、その喧騒は今眼下にある喧騒とは違う物でしかない。
 それは恐らく、花火が似合わないとされる喧騒。

「見せてやろうぜ」
「え?」
「……あのハクタクに頼み込めば、里の花火職人に話をして、あげてくれるかも知れないわよ?」
「アリスの言うとおりね。慧音ならやってくれるかもしれない。私も冬の打ち揚げ花火、見てみたいわ」

 そう、似合わない。けれどそのバランスの悪さの中には、夏とはまた違った趣があるだろう、きっと。

「そう言う事だ。でもな、チルノ。言っちゃあ悪いが、居ない奴の事を考えてもしょうがないだろ?
 だから、今は目に見える光景を楽しもうぜ。それを考えるのは、後でいいじゃないか」
「……うん。うん! そうだわね!!」
「よっしゃあ、んじゃ行くぞチルノ。花火だ、何て言えばいいか、わかるな!」
「あったりまえ!!」

 魔理沙とチルノが、大きく息を吸い込み、そして、

「「たぁーまやぁー!!!!」」

 叫んだ。声は届かなくとも、あの喧騒がこちらで感じられるのだ。
 恐らくこの声は届いていなくとも、楽しむ気持ちは届いているに違いない、と霊夢は思う。
 その霊夢の横では、そんな2人を見て楽しむかのようにアリスが笑っている。
 魔理沙もアリスもチルノも、霊夢と同じだ。
 ここは静かなのに、目に見える騒がしさを楽しんでいる。

 けれど、ああ。

「なんか、物足りないわね」
「うん? そうか? 十分に楽しいと思うけどな。それにほら、霊夢だって」
「楽しそうだって言いたいんでしょ? 楽しいわよ、本当に、凄くね」

 でも、もっと。そう思う。

「アリス、来年までに。浴衣、たくさん作れるかしら?」
「服を作るのは別に本職じゃないけど、まあたくさん作れる自信はあるわよ」

 いつの間にかアリスの帯のあたりにおさまっていた上海と蓬莱も、頑張ると言わんばかりに腕を上げる。

「魔理沙、アリス、チルノ。……来年は、あそこに行きましょうよ。他のみんなも誘って」

 遠くを指差しながら、霊夢が笑う。
 宴会のように知り合いだけで節度なく好きなだけ騒ぐのも良い。
 けれど、大勢の人が集まるところで、節度を守って、その中で精一杯騒ぐのも良いだろう。
 ただ酒を飲んで思い思いに騒ぐ宴会とはまた違う楽しさと騒がしさは、きっと良いものだろう。

「いいのか? チルノみたいな妖精は兎も角、レミリアやフランみたいな吸血鬼を連れて行ってみろ。大騒ぎだぞ?」
「引っ叩いてでも言う事聞かせて大人しくさせておけば、羽の生えた可愛らしい女の子に見られるわよ……小さな子供には」
「大人や大きな子供の事は考えないの?」
「そこらへんは、おいおい考えればいいわ。連れて行く事だけは決定してるから、アリスは浴衣をよろしく」

 屋台巡りをして楽しむもアリ、何か勝負事をしてもヨシ。
 夏の醍醐味だ。今年は見逃してしまった夏の醍醐味だ。
 そう、今年は見逃してしまったのなら、来年楽しめばそれで構わない。
 季節は巡る、だから夏はまた来る。

「でも、霊夢」

 魔理沙が問いかける。
 吹く風とレティの住む洞窟から出てくる冷気で涼しさを感じながら。

「あっちは、ここみたいに涼しくはないぜ?」

 風は屋台に遮られるだろうし、人ごみの中はきっと夜であっても蒸し暑い。

「それもそうね……うん、でも、私は構わないわ。あなたたちは?」
「私は賑やかなのが好きだからな。暑くても別に」
「あたいも! 楽しそうだし、そっちの方がいい!」
「アリスは?」
「……まぁ、私は……たまには騒がしいのもいいけど」
「それなら、他の奴にも文句は言わせない! ここに居ないのが悪い!」

 横暴だ。しかし霊夢らしくはあった。
 そして恐らく、誰も異論を唱える事はしないだろう。
 そういう連中だ。

 今までで一番多くの花火が打ち揚げられた。
 もう、夏祭りが終わりに近いのか……少なくとも花火は終わりなのだろう。
 夏はまだ続く。しかし、夏の醍醐味のひとつはもう終わるのだ。

「それにちょっと暑いくらい、代償として我慢しなきゃね」

 霊夢が3人の正面に移動し、その光をバックに笑いかけた。
 そして、今居る位置よりも高い空に向かって、大きな声を響かせる。

「だって、ここで大勢で騒ぐよりもお祭りの中で大勢で騒いだ方が、よっぽど楽しいに決まってるんだから!!!!!」



「隠し撮り、ちゃんと出来ましたよ。……レティさん」
「そう、よくやったわ大妖精。鴉天狗に頼むわけにはいかないから……うふふ、よく撮れてるじゃない。浴衣浴衣チルノのゆかたチルユカタ」
「レティさん、ポケットティッシュです。拭いて下さい鼻血」
「あら失礼。にしても、あの魔法使いたちは面白いぐらい思惑通りに動いてくれたみたいね」
「…………」
「うふふ、チルノゆかた可愛いウフフフ」
「レティさん、包丁です。もうザックリとやって出血多量で逝っちゃって下さい」
「まだ逝かないわよ。それで、大妖精。――次の夏は、水着の写真をお願い」

 それは、或る冬の日のお話――。

*

まさに黒幕。なんて事もあるかも知れません。
そんな感じでお久しぶりです、翔菜です。
「夏を描きました」と言うよりは「夏を集めてみました」。そんなお話が書きたかったのです。
思ったより長くなって秋が来ていました。

風鈴も近年あまり見なくなったような気がしますし、今はもう妹と色付きの素麺を取り合って喧嘩なんて事もまずありません。
夏祭りで浴衣を着る女の子は……花火大会とかも含め、最近行っていないのでわかりませんが。
蝉だけは毎年変わらず鳴いていてくれて、こんな僕は感謝すべきかも知れません。


最後までお読み下さった方々、ありがとうございました。それではまたいつか。
翔菜
bekky_182@hotmail.com
http://www.little-wing.org/
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コメント



0.4430簡易評価
17.80ルドルフとトラ猫削除
夏という季節に行われるイベントはどれも印象が強く、それでいて後味の残らないさわやかさがあるように思え、ゆえにひと夏の思い出……というのは、なんとも感慨深いものがあるようにおもえます。
ああ、おれも花火みたかった……
19.100ぐい井戸・御簾田削除
チルノの食感がどうでもいいわけないだろ…ハァハア
24.100削除
ハワイ→ヒワイ→卑猥→媚薬の発想力がステキすぎる
26.100名前が無い程度の能力削除
これは涼しげなお話で

31.100名前が無い程度の能力削除
最近自分の中でチルノが可愛いから困る。

とりあえず全てを予想していた黒幕GJ
32.70名前が無い程度の名前削除
これはいいくろまく~ですね
47.80名前が無い程度の能力削除
耳攻めといい浴衣といい何て素敵な氷精なんだ…!

勿論、性的な意味で。
49.100名前が無い程度の能力削除
これはよい少女達の夏ですね。あとチルノかわいいよチルノ!
54.70変身D削除
チルノも可愛いですが、魔理沙のお姉ちゃん発言に萌えたのも事実です(w
あと、私にブルー卑猥一杯下さi(殺
60.100名前が無い程度の能力削除
レ、レティー!?
61.90SSを読む程度の能力削除
幻想郷の自由でどうでもいい日常がイイ感じ。

コーリンはこの後どうなったんだろう…((<(´Д`)>))ガクガク
97.100名前が無い程度の能力削除
アリスさんさすがすぎた
101.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁ。こういうのって、うん。
霊夢さん、チルノの耳かじるってww
続きも読んでみたいなぁ。