Coolier - 新生・東方創想話

コウマガドキ

2006/09/15 03:52:42
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 胸の痛みで目が覚めた気がした。

「はぁ、はぁ。・・・?」

 ベッドから身を起こした咲夜は、胸の辺りを押さえながら周りを見渡した。簡素な調度品が並べられた、この館では珍しい窓のある部屋。間違いなく彼女の私室だった。
 荒い呼吸を整え、寝汗のせいで張り付いたパジャマに顔をしかめながらベッドから降りる。そしてパジャマと下着を脱ぐと、メイド長の特権で増設したシャワー室へと向った。

ぽた、ぽた

 身体から、髪から垂れる雫をタオルで拭いながらシャワー室から出てくる咲夜。彼女は全身の水気を拭い終わってからクローゼットを開けると、ずらりと並んでいるいつものメイド服に手を伸ばした。しかしその手は服に触れる事無く止まる。

「・・・はぁ」

 溜息1つ。
 寝起きにも関わらず疲れきった表情の咲夜は、同じクローゼットの中にある引き出しを開け、その中から1組の下着を取り出す。取り出した下着を身に着けると、再度メイド服へと手を伸ばし、それもまた身に着ける。全身鏡の前に立ち、メイド服に皺がないか入念にチェックしてから鏡台の椅子に座り、髪に櫛を通す。髪を編んでヘッドドレスを着ければいつも通りのメイド長が完成する。

「さぁ、仕事仕事」

 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、疲れを表情に出さないように細心の注意を払いながら部屋を出た。



 最近、夜型の生活を改めた主人――レミリアを起こす為、咲夜は彼女の私室へと向っていた。咲夜は扉の前で立ち止まる、再度髪と服装の乱れがないかを確認してから、コンコン、と扉をノックする。

「お嬢様、失礼します」

 咲夜はいつも通り、挨拶と共に扉を開ける。普段は返答があるまで扉を開けたりはしないのだが、起こす時は例外だ。扉越しで起きてくれる程、彼女に主人は甘くない。
 窓が無いその部屋には、華美な調度品が幾つも並べられている。その1つである天蓋付きのベッドの上に彼女は眠っていた。

「お嬢様」
「・・・ん」

 うつ伏せに眠っていたレミリアが寝返りを打とうと体を動かすが、半分ほど転がったところで羽に邪魔されてしまい、結局うつ伏せに落ち着く。そんな姿にくすりと微笑みながら、咲夜はその肩を揺らした。

「お嬢様、朝ですよ」
「ん~・・・夜まで寝かせて」
「では、朝食は必要ありませんね?」

 がばっ、と起き上がるレミリア。青、と言うには色素が薄すぎる髪が寝癖であちらこちらにはねている。その姿にいつもの威圧感はなく、寝顔同様見た目相応に可愛らしい。

「咲夜」
「はい。お任せください」

 名前を呼ばれた咲夜は、豪奢なクローゼットを開いてその中から今日の主人にぴったりの1枚を探し出す。更に隣の引き出しからドロワーズも取り出してから、咲夜はまだぼーっとしているレミリアの元へと戻った。ちなみに、上の下着は必要ない。
 レミリアをベッドから降ろすと、咲夜は慣れた手つきで素早く着替えを終わらせる。服に皺がないか隅から隅まで確認を終えた頃、コツコツと部屋の扉が叩かれた。咲夜がここに来る途中に頼んでおいた朝食が届いたのだ。

「あら、今日は貴方が作ったんじゃないの?」
「はい。ぜひ作りたいという者がおりましたので、任せました」
「ふぅん」

 基本的にレミリアの身の回りの世話は咲夜の仕事であるので、こう言う事はとても珍しい。咲夜も最初は断ろうとしたのだが、終わらない冬の事件の時に作っていましたし、と一生懸命に説得する彼女の言葉と自分の体調不良を慮って、最終的には彼女に任せる事に決めた。もちろん、彼女の腕前を知っているからこその判断でもある。

「たまには違う趣向もいいかもしれないわね」
「お待たせしました」

 配膳を終えたメイドが一礼して部屋を出る。レミリアが椅子に腰掛けると、咲夜はいつも通りその後ろへと移動し、食事が終わるまで静かにその光景を眺めていた。

「ごちそうさま」

 その声と共に、咲夜は能力を展開させた。彼女は基本的に、主人の前でこういう雑務の類をしない様にしているのだ。

「・・・ん?」

 若干、能力の展開に違和感を感じ、咲夜は眉をひそめる。想像以上に体調が悪いらしいと感じた咲夜は、これが終わったら少し休もうと考えながら作業を開始した。



 食器を片付け、朝食を摂った咲夜は見回りを兼ねて少し遠回りしながら門番の詰め所へと向っていた。ただ休憩するだけと言うのも味気ないと思い、美鈴を誘ってお茶にしようと考えたのだ。

「あ、メイド長。いいところに」
「ん?」

 途中、声をかけてきたのは咲夜のよく知る、そして彼女を慕っているメイドだった。慕ってくれるのは嬉しいのだけれど、憧れと尊敬が過ぎる彼女は咲夜に聞けば全てが解決すると本気で思っている節があり、そのせいで咲夜は少しだけ苦手意識を持っていた。咲夜の記憶が正しければ、前回会った時は洗濯用のたらいが行方不明になったと相談されたはずだ。

「実は、洗濯用のたらいが全て行方不明になってしまいまして」
「・・・また?」
「また、何ですか?」

 本気で不思議そうにする彼女に、もしかして別のメイドだったかしら、と考えた咲夜は再度その記憶を辿る。そして記憶は、確かに彼女だったと答えを返す。

「この前も同じ事言ってたじゃない」
「そうでしたっけ? そんな事ありましたっけ?」

 その言葉に咲夜は大きな溜息を吐いた。何時の事だったかまでは詳しく思い出せないが、あれから3日と経っていないのは確実。その間に忘れてしまうなんて、それでよく紅魔館のメイドが務ま――

 危ない!

 直感に従い、咲夜はその場から飛び退いた。それと同時に目の前――先程まで咲夜がいた位置――へと大量のたらいが落下して来る。

「あう、痛い・・・」

 避け切れなかったメイドがたらいの直撃を受けている。しかし咲夜はそれに目もくれず、ある一点を睨みつけていた。

「こんな事をするのは・・・小悪魔!」

 ナイフを2つ、小悪魔のいるであろう地点へと投げ込む。するとそこから指にナイフを挟んだ小悪魔が現れた。

「良い勘してますね、咲夜さん」
「それは避けた事に関してかしら? それともナイフの事?」
「両方ですよ」

 くすくすと笑う小悪魔。最近紅魔館方面にまで進出し始めた小悪魔の悪戯、自称こぁとらっぷは、魔理沙の侵入と並んでメイド達を困らせる事TOP3入りを果し、ある種名物的なモノになりつつあった。ちなみに1位はダントツでお嬢様の我侭である。

「片付けておきなさいよ?」
「は~い」

 小悪魔はたらいの直撃を受けたメイドに手を貸し、立ち上がらせてから素直にたらいを拾い始める。こういう所が憎めず、対策が遅れている一因になっている。

「私は今から門番の詰め所に行くから。何かあったらそっちにお願いね」
「へ? あ、はい。判りました!」

 小悪魔と共にたらい拾いを始めているメイドの元気な返事に見送られ、咲夜は再び門番の詰め所へと向った。

「あ、咲夜さん。おはようございます」
「おはよう。忙しくなければお茶に付き合ってくれない?」
「喜んで」

 満面の笑みを浮かべながら二つ返事で承諾する美鈴。その笑顔を見ただけで、咲夜は少し元気が沸いてくるような気がした。やっぱりここに来てよかったわ、と思った咲夜だが、それを口に出す事はしなかった。

「相変らず咲夜さんのお茶は美味しいですね」
「当たり前でしょ」
「咲夜さんって、ハーブティーとかも淹れられます?」
「もちろんよ。それがどうしたの?」
「今度、ハーブを栽培してみようかなぁと思いまして」
「お菓子とかにも使えそうね。出来たら少し分けて頂戴」
「勿論ですよ」

 お互いに微笑みあいながら、咲夜と美鈴は一口お茶を啜った。

「ハーブで作るお菓子って、例えば何があるんですか?」
「ハーブクッキーとかがあるわね。私はシフォンケーキなんかも好きだけど」
「わぁ、いいですね」
「ハーブのお礼はお菓子がいいかしら?」
「はい、是非!」

 目をキラキラさせる美鈴を見て咲夜は、がんばって美味しく作ろう、と思った。美味しそうに食べて貰う事は、作り手にとって一番嬉しい事なのだ。

「ケーキと言えば、この前大変な目に合いましたよ」
「?」
「こぁとらっぷですっけ? この前見回りの途中にお茶に誘われて、それにひっかかってしまいました」
「相変らず美鈴は食い意地が張ってるわねぇ」
「そ、そんなじゃありませんよ! 知り合いに誘われたら、普通一緒に飲むでしょ? そりゃ、ケーキに心惹かれたのは否定しませんけど・・・」
「仕事中じゃなければ何も言わないわよ?」
「は、ははははは」

 美鈴の誤魔化し笑いに苦笑しつつも、咲夜はそれ以上追求しなかった。仕事中にお茶を飲んでいると言う意味では、現在彼女達は共犯者なのである。

「咲夜さんはどう思います?」
「何が?」
「あの子の事です」

 美鈴の少し唐突な話題転換に、咲夜はあえて乗る事にした。サボり疑惑が自分にまで飛び火しては大変だ。

「あぁ、小悪魔ね」
「はい」
「悪戯には困らされる事も多いけど、可愛いモノよ」
「私もそう思います。思いますけど、そのうち業務に支障が出そうな気がするんですよ」

 それを聞いた咲夜は、先程の事を思い出していた。悪戯のせいであのメイドは洗濯が出来ずに困っていたのだから、それは確かに業務を妨害していた事になる。

「そうね。対策を考えてみるわ」
「お願いします。あ、でもあんまり酷い事はしないでくださいね?」
「わかってるわ」
「彼女、悪戯するばっかりじゃなくて門番隊の皆に差し入れ持ってきてくれたりもするんですよ。たまに変な味がしたり妙な薬が入ってたりしますけど」

 いや、それは悪戯の布石じゃないの? 等と考えながら、咲夜は呆れ顔をしていた。美鈴のフォローだか追い討ちだかよく解らない説得に感化された訳ではないが、咲夜は笑顔でこう答えた。

「別に私も鬼じゃないわよ?」
「そ、そうですね。そうですよね」

 美鈴の焦った口調に色々疑問を感じた咲夜だが、お昼が近い事もあってしぶしぶながらお茶会はここでお開きとなった。



 昼食の準備を終えた咲夜は、時間を止めてそれを運んでいた。レミリアの私室前でそれを解除すると、朝と同じ様にコンコンと扉をノックする。

「お嬢様、入ってもよろしいでしょうか?」
「えぇ」

 ガチャリと扉を開け、再び時を止める。そして全ての配膳を終えてからレミリアの後ろに控え、時を進める。

「相変らずの手際ね」
「ありがとうございます」

 咲夜を一瞥もする事なく褒めたレミリアは「いただきます」と言って食事を開始する。朝同様、静かな食事はさほど時間も掛からず終了する。

「ごちそうさま。咲夜」
「はい」
「お茶をお願い」
「畏まりました」

 返事と共に時を止めた咲夜は、食器を片付け、お茶を淹れる為にキッチンへと向う。キッチンから戻ると、カップの位置からテーブルクロスの皺まで完璧な状態をレミリアの前に作り出してから、再び時を進める。

「ふぅ。おいしいわ」
「ありがとうございます」
「ところで咲夜」
「はい、なんでしょう」

 食事の時間はほとんどしゃべる事がないレミリアだが、お茶の時間には常に饒舌であった。食事は静かに、お茶は語りながら頂くのが嗜みだ、とは彼女の言。

「ここで昼食を摂るのは、どのくらいぶりかしら?」
「3日ぶりであったと記憶しております」
「そう」

 咲夜から視線を逸らし、コクコクとお茶を飲み干すレミリア。咲夜はカップに新しいお茶を注ぎながら、ここ3日の出来事を思い出していた。

「神社に通い始めてからお嬢様の食事を作る機会が減り、残念で仕方ありません」
「嘘おっしゃい。楽できて喜んでいるんでしょ?」
「とんでもございません」

 にっこりと微笑む咲夜に、レミリアは少しだけ楽しそうに溜息を吐いた。

「そう。じゃあ、今度食事会でも開こうかしら?」
「・・・霊夢達でも招待するのですか?」
「そうね。それも面白そうね」

 ニヤリと笑うレミリア。咲夜の中では霊夢をはじめとする知り合い全てを招待した盛大なパーティーの準備の為にひたすら働く自分が思い浮かんでいた。その想像は、彼女の表情をげんなりとしたモノに変えてしまう。それがまたレミリアを楽しませる。

「でも、今回は止めておくわ」
「と、言う事はそのうちやるつもりでいらっしゃるのですね?」
「さすが咲夜。よく判っているじゃない」

 くすくすと笑いながら、レミリアはカップを傾け、その中身を半分程飲み干す。咲夜はその時間を利用して心を建て直し、背筋を伸ばした。

「パチュリーを招待しようかと思ってね」
「パチュリー様を、ですか?」

 友人を食事会に招待する。言葉にすれば普通の事なのだが、如何せん相手はあのパチュリー・ノーレッジだ。本を読む事に全てを費やし、お茶を飲む間も本を手放さない、読書狂。そんな彼女が食事会に参加する風景は、少し想像し辛かった。最近は宴会にも顔を出していたりもするのだが、その時も本を片手に参加していたと咲夜は記憶している。

「最近、あまり話をしていない気がするしね」
「は、はぁ」
「まぁ、食事会と言っても別に仰々しい事をする気はないわ。どう、安心した?」
「いえ、どんな事であろうと、主の命に従うのが従者ですから」

 咲夜はそう答えながら、今までに何度か目にしたパチュリーとレミリアの会話を思い出していた。お茶会を共にした時は、本から顔を上げる事なく会話をしていた。レミリアが図書館に出向き、お願いをしていた時もやはり本から顔を上げる事なく話をしていた。よくよく考えれば、咲夜はパチュリーの食事風景を見た事がない。宴会でおつまみを摘んでいるのを除けば、であるが。

「そうね。今夜の食事は食堂に準備して頂戴」
「畏まりました。パチュリー様にもそうお伝えすればよろしいでしょうか?」
「いいえ、その必要はないわ。突然誘って驚かしてやるから」

 いつの間にか空になっていたカップに、咲夜は更にお茶を注いだ。既にティーポットは軽く、次のお代わりは新たに淹れ直さなければならないだろうと考えながら、咲夜はティーポットをテーブルへと戻す。

「それと、最近のフランはどうかしら?」

 話題転換。それは最近になってたびたび行われている質問だった。特に魔理沙が来る様になってからは、最低でも週に1度の割合で聞かれていると咲夜は記憶していた。

「フランドールお嬢様はいつも通り、お元気でいらっしゃいます」
「そう」
「この前、魔理沙がやって来た時にはそれは楽しそうに弾幕ごっこをしていらっしゃいました」
「魔理沙、ね。感謝すべきなんでしょうけど」

 複雑な表情をしたレミリアはまだ何か言いたげではあったが、まるでそれを飲み込むかのよのうに一気に紅茶を呷った。

「お代わりはいいわ」
「はい。畏まりました」

 咲夜はあえて時を止めずにティーカップを片付けると、優雅に一礼してから部屋を辞した。



 自分の昼食を食べ終えた咲夜は、いつも通りに見回りと自分の担当地区の掃除を終え、特にやる事がなくなって暇を持て余していた。本来ならば見回りに終わりはないのだが、やりすぎると逆効果になる事を彼女はよく知っていた。そんな訳で、今はレミリアの声が届く位置で休憩を取っている。

「さ~く~や~さ~ん」
「ん?」

 そこに現れる小悪魔。午前中に悪戯を仕掛けられていた咲夜は、つい身構えてしまう。

「あ、今回は違いますよ」
「・・・本当に?」
「はい。実はパチュリー様の使いで来ました」

 なおも身構えている咲夜に苦笑しながら、小悪魔は一粒の宝石を彼女へと差し出した。

「・・・これは?」
「宝石です。パチュリー様が結晶化した」

 咲夜が、そう言う事を聞いているんじゃない、と視線で訴えると、小悪魔は微笑を浮かべながら言葉を継ぎ足した。

「これで、ある道具を買ってきて欲しいんだそうです。リストはこちらです」
「・・・貴方じゃなく、私が?」
「はい。私はパチュリー様のお手伝いをしなければなりませんので。あ、もちろんレミリア様の許可は取ってありますよ?」

 彼女がそう言うのならば確かだろう。そう考えた咲夜は、宝石とリストの書かれた紙を受取った。小悪魔は確かに悪戯好きではあるが、それが容認されているのは最低限の分別を持っているからだ。故に、レミリアやパチュリーの”命令”を利用する様な事はほぼありえない、と咲夜は考えたのだ。

「わかったわ」
「では、お願いしますね」
「あ、ちょっと」

 咲夜は一礼して去ろうとする小悪魔に声をかけ、その隣へと並んだ。

「貴方には少し言っておきたい事があるの。図書館前まで一緒に行きましょう」
「はは。お手柔らかにお願いしますね」
「考えておくわ。とりあえず、行きましょう」

 咲夜と小悪魔が並んで歩き出す。飛べばすぐに着く距離なのだが、彼女達は話をする為にあえて時間のかかる徒歩を選択した。

「そう言えば、よく気がつきましたね、あれ」
「ん? あぁ、あれね」
「発動の魔力も、私の気配も完全に消したつもりだったんですけどね」

 咲夜はその時の事を思い出し、確かに何も感じなかった事を思い出す。では、何故自分は避けられたのだろう?

「まだまだ精進が足りませんね」

 勘、と言ってしまえばそこまでだが、勘でナイフを投げる程自分は危険人物でないと咲夜は思っている。彼女はあそこに小悪魔がいると確信していたからこそ、ナイフを投げたのだ。

「精進しなくていいわ。それを言う為にこうしているのだし」
「あ、やっぱりですか?」
「最近、図書館の外でも悪戯してるでしょ?」
「はい」

 悪びれもなく答える小悪魔。それどころかむしろ自慢げですらあった。そんな表情を少し微笑ましいと感じた咲夜は、意識して少し真面目な表情を作り、顔に貼り付けた。

「即刻止めなさい」
「えぇ!?」
「とまでは言わないけど、せめて業務に差し障る内容は控えなさい」
「むむ」

 口を尖らせる小悪魔。咲夜は不覚にもそれを見て可愛らしいと感じてしまい、これが小悪魔的な魅力と言うヤツかしら、などと訳のわからない事を考えていた。

「悪戯は私のアイデンティティであり、チャームポイントなんですけどねぇ」
「・・・あまり業務に差し障る様なら、処罰も辞さないわよ?」
「うえ!?」

 咲夜の脅しに、小悪魔は謎の奇声を上げた。咲夜だって処罰したい訳ではないが、彼女にはメイド長としての立場もある。多少の事は目をつぶっても構わないのだが、あまりに業務に支障が出過ぎると正式に罰則を与えなければならなくなってしまう。所謂、部下に示しが付かない、と言うヤツである。

「今後、業務に支障が出るような悪戯はしないと誓うなら、これまでの事は水に流してあげる」
「え、もしかして既にお仕置き対象だったりします?」
「今日の洗濯当番、いつもより妙に時間がかかってたのよねぇ」

 咲夜は、つい、っと視線だけを小悪魔へ向けた。横目で様子を伺っていた小悪魔は、その視線に射抜かれ、びくりと尻尾を跳ね上げる。

「不肖、小悪魔。この件に関しましては善処するよう心がける所存であります!」
「そう? じゃあ、よろしくね」

 いつの間にか到着していた図書館前。そこに真剣な、でもどこかニヤケ顔で敬礼する小悪魔を残し、咲夜は地を蹴って外に向って飛び出した。



 古道具屋、香霖堂。そこではいつも通り暇そうな店主が珍しく働いていた。

「ふむ。これでいいかな?」
「はい。確かに」

 咲夜は先程から店主が商品を詰める姿をリストを見ながら確認していた。過去に何度かお使いを頼まれた事があったせいか、商品は全て見覚えのある品物だった。そのおかげで確認はスムーズに終了し、咲夜は再確認の必要性はないと判断してリストを袋に放り込んだ。

「そうか。何か問題があったら遠慮なく言ってくれて構わないから」
「はい。ありがとうございます」

 商品を受取った咲夜は、店を出る事なく商品を眺めていた。そのまま帰っても暇だと言う理由もあるが、彼女はこうやって商品を眺めてあれこれと考えるのが好きだった。メイド長もやはり女の子、と言ったところだろうか?

「これ、綺麗ですね」
「そうだろう? 安くしておくよ」

 咲夜が手に取ったのは赤い宝石。基本的に着飾る事をしない彼女だが、宝石等を集めるのは好きだった。もちろん集めるだけでなく、たまに懐中時計やその鎖につけたりしているが多分誰も気づいていないだろう。

「それは魔力で結晶化させた宝石なんだ。ほら、君が持ってきたモノと似たようなモノさ」
「なるほど」

 咲夜は一瞬だけ、買おうかな、と思ったのだが、既に似たような宝石を持っていた様な気がした為、止めておく事にした。手持ちがなくはないが、給金のない彼女にとって現金はとても貴重であり、次はいつ手に入るか判らないモノでもあるのだ。

「欲しいなら持って行くかい? 手持ちがないなら後払いでも構わないし、勿論物々交換も受け付ける」
「いえ、遠慮しておきますわ」
「そうかい」

 断ったせいで気まずい、と言う訳ではなかったが、咲夜は店を出る事にした。宝石を見ていた時、何故かもう帰るべきだ、急いで帰らなければ大変な事になると、根拠のない不安を感じたのだ。嫌な予感と言うのはあながちバカに出来ないと言う事を、彼女は経験から知っている。

「では、私はこれで失礼しますね」
「あぁ」

 余所行き口調のまま挨拶をした咲夜は、その予感に従って出来うる限り急いで家路へと着いた。



 門番への挨拶もそこそこに館まで戻ってきた咲夜は、荷物を抱えたままレミリアの私室へと向っていた。部屋が見える距離まで来ると、その扉が開いているのが見えた。嫌な予感が、加速する。

「お嬢様!」

 咲夜が慌てて部屋に飛び込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。

 荒らされた部屋。
 全身を真っ黒なローブで包んだ2人組。
 壁に磔にされているレミリア。

「ちっ」

 2人組の片方が舌打をする。そいつはもう片方に視線を送ってから、咲夜の前に立ちはだかった。

「お前達、何をしている!」

 咲夜の問いに答える事なく、2人組は動き出した。片方はレミリアに向けて飛び掛り、片方は咲夜に向けて弾幕を展開する。

「ちっ」

 咲夜は弾幕を回避しつつ、レミリアの方へと視線を向けた。よく見れば彼女を磔にする為に四肢と首に刺さっているのは、咲夜の私室に保管してあるはずのナイフだった。もちろん、銀製の。
 更にレミリアへと突進して行った者へと視線を移すと、その手には白木の杭が握られている。まさか、と考えると同時に咲夜は能力を開放していた。

「えっ!?」

 白木の杭がレミリアの胸に深々と突き刺さる。突進と同時に展開された弾幕により壁が破られ、赤々とした夕陽が現れた。そこでようやく、時が止まった。

「・・・何で?」

 そんな思考を一瞬で中断し、咲夜は即座に日傘を手に取り、レミリアの元へと急いだ。太陽とレミリアの間にきちんと日傘が設置された事を確認した咲夜が相手の状況を確かめようと振り返った瞬間、それは起こった。
 咲夜の意志を無視し、時が動き出す。

「何で!?」

 一瞬の戸惑い。そのたった一瞬で咲夜は吹き飛ばされていた。部屋の床に叩きつけられた咲夜は、すぐさま立ち上ろうとするが、背中を踏みつけられてしまう。足蹴にしている相手を睨みつけようとするが、レミリアの事を思い出して焦りながら外へと視線を向けた。そこにあったのは、気化し始めているレミリアの姿。

「お嬢様!」

 時を止めようとして咲夜は全能力を搾り出すような勢いでそれを展開する。しかし、その発動を目の前にして、彼女の左胸に大きな穴が空けられた。
 目の前で消え行くレミリア。それと同様に咲夜の命もまた、消えつつあった。止まり始めた時の、その中で。










 咲夜が目を覚ましたのは、いつも通りの私室だった。

「・・・ん」

 重い体を無理やり起こした咲夜は、胸に手をあてる。既に痛みがないのを確認してから、寝汗で貼り付いているパジャマを脱いでみるが、自分の胸はいつも通りにそこに存在していた。念のため鏡でも確認してみるが、白い肌に目立った傷は見当たらない。

「・・・夢?」

 咲夜は上手く回らない頭を必死で動かして考える。夢にしてはやけにはっきりと覚えているが、あれが現実であれば自分は生きていられるはずがない。だが、もし夢だとすれれば、体が重いのは夢見が悪かったせいだと考えられるし、特に矛盾点もない。まぁ、全て現実で、傷はパチュリー様あたりが綺麗に治してくれたと言う可能性も否定出来ないのだけれど・・・。

「聞いた方が早いわね」

 この状態で考えても碌な答えがでないだろう。そう結論した咲夜は、一先ず汗を流す為にシャワー室へと向った。

ぽた、ぽた

 身体から、髪から垂れる雫をタオルで拭いながらシャワー室から出てくる咲夜。彼女は全身の水気を拭い終わってからクローゼットを開けると、ずらりと並んでいるいつものメイド服に手を伸ばそうと思ったのだが、しかしその前に下着を着けなければと思いなおし、同じクローゼットの中にある引き出しへと手を伸ばした。

「・・・やっぱりもう少し寝ようかしら」

 シャワーを浴びて多少は頭がすっきりしたのだが、なんだかまだ眠い。しかし折角準備を始めたのだからと、咲夜は二度寝を断念する。
 1つだけ溜息を着いた後、自分の格好を思い出した咲夜はいそいそと身支度を開始した。



 完璧に身支度を整えた咲夜は、レミリアの朝食を準備する為に厨房へと向っていた。

「あ、メイド長。おはようございます」
「おはよう」

 咲夜は厨房の入り口でばったり会ったメイドと挨拶を交わした。彼女の逡巡する様子に、あれは夢ではなく、現実であったと言う可能性が思い浮かんだ。胸を串刺しにされたはずの人間が何事も無かったかのよう起きていれば、驚きもするだろうな、と。

「えっと、お願いがあるんですけど」
「お願い?」

 予想外の反応に、咲夜は面食らった。それと同時に、『夢』での出来事が思い出される。

「今日のお嬢様の朝食、私に作らせて頂けませんか?」
「・・・いいわよ」

 記憶とまったく同じ台詞。それに戸惑いながらも、まだ眠かった咲夜は半ば反射的にそう答えていた。

「ありがとうございます! 絶対にメイド長に恥はかかせませんから! 冬の終わりにメイド長が不在だった時にも作っていたので、絶対に大丈夫です。安心してください!」
「そ、そう。よろしくね」

 聞きもしない事まで話し始めるメイド。逆に言えば、『夢』で聞いた内容を全て話していた。そんな彼女に適当な返答を返しながら、咲夜はレミリアの部屋へと向った。
  咲夜はレミリアの私室前に着くと、扉の前で立ち止まって、再度髪と服装の乱れがないかを確認してから、コンコン、と扉をノックした。何時もと同じ行動にも関わらず、違和感を感じながら。

「お嬢様、失礼します」

 いつも通りの部屋に荒らされた形跡はなく、咲夜にはやはりあれは『夢』だったのだと思えた。『夢』にしては生々しく、そして克明に記憶していたが、そういう夢もあるだろうと自分に言い聞かせ、無理やりに納得させる。

「お嬢様」
「・・・ん」

 うつ伏せに眠っていたレミリアが寝返りを打とうと体を動かすが、半分ほど転がったところで羽に邪魔されてしまい結局うつ伏せに落ち着く。そんな姿に眉をひそめながら、咲夜はその肩を揺らした。

「お嬢様、朝ですよ」
「ん~・・・夜まで寝かせて」
「では、朝食は必要ありませんね?」

 がばっ、と起き上がるレミリア。青、と言うには色素が薄すぎる髪が寝癖であちらこちらにはねている。その姿にいつもの威圧感はなく、寝顔同様見た目相応に可愛らしい。
 それを見て咲夜が微笑んでいない事以外、それは完璧に普段と同じ、日常の風景だった。

「咲夜」
「・・・はい」

 歯切れの悪い返事。しかし寝起きのレミリアはそれに気づく事はない。
 咲夜は豪奢なクローゼットを開いてその中から記憶にある物とは違う物を取り出すと、更に隣の引き出しからドロワーズも別の物を取り出してから、咲夜はまだぼーっとしているレミリアの元へと戻った。
 レミリアをベッドから降ろすと、咲夜はいつも通り、慣れた手つきで素早く着替えを終わらせる。服に皺がないか隅から隅まで確認を終えた頃、咲夜の予想通りコツコツと部屋の扉が叩かれた。咲夜がここに来る途中に頼んでおいた朝食が届いたのだ。

「あら、今日は貴方が作ったんじゃないの?」
「はい。ぜひ作りたいという者がおりましたので、任せました」
「ふぅん」

 まるで予め決められた台詞を読み上げているようだ。そんな事を考えながら、咲夜は静かにそこに立ち尽くしていた。

「体調でも悪いの?」
「え?」

 予想していなかった言葉を向けられ、咲夜は激しく狼狽した。配膳をしているメイドもこちらを伺っており、部屋中の視線が咲夜に向けられている。

「えっと、そんな事は・・・」
「そう」

 素っ気無い返答を返すレミリア。同時に視線も逸らしたのだが、意識は咲夜の方に向いている事から、気にはかけているようだ。咲夜もそれを感じており、申し訳ない気持ちになってしまう。

「たまには違う趣向もいいかもしれないわね」
「お待たせしました」

  配膳を終えたメイドが一礼して部屋を出る。レミリアが椅子に腰掛けると、咲夜はいつも通りその後ろへと控える。そして彼女の食事風景を眺めながら、『夢』の事を考えていた。あれはもしかして正夢、もしくは予知夢と言うモノではないだろうか、と。

「ごちそうさま」

 咲夜はその声と共に能力を展開させようとして、失敗する。

「・・・では、片付けさせて頂きます」

 なるべく動揺を表に出さないようにしながら、1つずつ食器を片付けていく。時間を操る能力が使用できないと判れば、更に心配をかけてしまう。それは咲夜にとって心苦しい事であると同時に、主人に捨てられてしまうのではないかと言う恐怖でもあった。

「時間を止めて作業しないなんて、珍しいわね」
「たまには違う趣向もいいかもしれない、んですよね?」

 咲夜はにっこりと微笑んで部屋を後にした。誤魔化せた自信はあまりなかったが、今はここにはいたくなかった。



 不自然な事をして能力が使えない事がばれたら大変な事になる。そう考えた咲夜は、いつも通りに見回りをこなしてから、門番隊の詰め所へと向っていた。信用出来て、かつ、これが相談出来そうな相手は彼女以外に思い浮かばなかったのだ。

「あ、メイド長。いいところに」
「・・・たらいでも無くなった?」
「なんで知ってるんですか?」

 不思議そうに首を捻るメイド。彼女は自分を慕ってくれている。そう判っていても、能力が使えない事がばれれば襲われるのではないかと言う恐怖は拭いきれなかった。襲われても勝つ自信はあったが、そういう問題ではない。

「どこにあるんですか?」
「えっと、って、その前に少し下がってくれる?」
「はい?」

 不思議そうにしながらも素直に2歩下がるメイド。咲夜の行動は距離を取りたかったからという理由もあるが、それよりも――

カーン、ガラガラガラ

「あう、痛い・・・」

 咲夜の行動は意味を成さず、たらいの餌食になるメイド。しかも下がれなどと言ったせいで、メイドは少し恨めしそうな視線を向けている。当然だが、咲夜はきっちりとたらいを回避していた。

「私じゃないわよ。ねぇ、小悪魔?」
「良い勘してますね、咲夜さん」

 小悪魔は咲夜が声をかけた方向から姿を現した。そんな彼女の台詞は、やはり『夢』と同じであった。

「私は行くところがあるから」
「そうですか。じゃあ、私はここを片付けておきますね」

 自分でやった癖に、とつっこむ者はいない。呆然しているメイドに手を貸す小悪魔を横目に、咲夜は自分に降りかかった二つの問題を如何に解決するかを考えながら、再び門番の詰め所を目指す。

「あ、咲夜さん。おはようございます」
「おはよう。忙しくなければお茶に付き合ってくれない?」
「喜んで」

 満面の笑みを浮かべながら二つ返事で承諾する美鈴。その笑顔を見つめながら、咲夜は片方の問題に関するある仮説を立てていた。それを頭で反芻しながら、お茶の準備を始める。
 仮説その1。あの『夢』の通りに行動すれば、結果も同じになる。
 仮説その2。あの『夢』と違う行動を取れば、相手の行動も変わる。しかし、基本的に同じ様な状況に向っていく。
 その仮説が正しいのかどうか。咲夜はそれを実証してみようと思っていた。

「相変らず咲夜さんのお茶は美味しいですね」
「当たり前でしょ」
「咲夜さんって、ハーブティーとかも淹れられます?」
「もちろんよ。ハーブクッキーとかも作れるわよ」
「凄いですね。実は今度ハーブを栽培栽培してみようかなぁと思いまして」
「そう」

 咲夜がお茶を啜ると、同時に美鈴もまたお茶を一口啜った。

「上手く栽培出来たら、ハーブティー淹れてくれませんか?」
「いいわよ」
「それとクッキーも」
「えぇ」
「じゃあ、上手く栽培できたら多めに持っていきますね」
「楽しみにしてるわ」

 先手をとって言葉を告げてみたり、会話の切欠になった部分を消してみたり。あえて『夢』とは違う行動を取っている咲夜は、次は更に変化をつけてみようと、口を開く。

「ねぇ、美鈴」
「なんですか?」
「私が能力を使えなくなったら、貴方、どうする?」
「能力って、時間操作ですか?」
「えぇ」

 変化をつけるという目的と、相談をするという目的。どちらもこなせる話題として咲夜はこれを選んだ。少し怖くはあったが、元々相談に来たのだし、何より『夢』の仮説を実証する事を理由にそこから逃げるのは嫌だった。

「そうですね。とりあえずお嬢様にお願いにいきます」
「・・・お嬢様に?」

 その言葉に、咲夜はドキリとする。首を進言するのか、メイド長の座から降格させるべきと進言するのか。どう考えても、いい想像は出来なかった。

「門番を少しお休みさせてもらわないといけませんから」
「・・・どうして?」
「咲夜さんが危ないじゃないですか。能力が使えない間」

 その言葉を聞いた咲夜は、不覚にも泣きそうになっていた。普段から仲は良い方だが、まさかそこまで思ってくれているとは夢にも思っていなかった。

「・・・でも、門はどうするのよ?」
「門番隊の皆に任せますよ」
「それで平気なの?」
「えぇ。それに咲夜さんが戦えないなら、誰かが館内の警備を代行しなきゃいけませんし」
「そういえばそうね」

 そう言われて見ると、美鈴の言葉は理にかなっているような気がしてきた。確かに美鈴がいなければ門は手薄になるだろうが、咲夜がいなければ門を通過せずに内部へと侵入して来る相手に対処する者がいなくなる。だから咲夜には美鈴が館内にいる事は実に合理的であるように思えた。

「咲夜さん、調子悪いんですか?」
「・・・えぇ、ちょっとね」

 逡巡しつつも、咲夜はそれを認めた。かなり迷っていたのだが、自分の都合で主人を危険に晒す訳にはいかないと言う事と、美鈴ならば信用出来ると確信した事がその言葉を吐かせていた。

「今日の仕事、誰かに代わって貰いましょうか?」
「出来ればそうして貰える? もしくは館内の警備をする班を作ってくれてもいいんだけど」
「いえ、今日は一日咲夜さんと一緒にいますよ。ちょっと待っててくださいね」

 詰め所から出て行く美鈴を見つめながら、咲夜はある決意を固めていた。心配をかけたくないとか自分にいい訳をしてごまかしたりせず、お嬢様にもきちんと伝えよう。それによってどのような処遇を受けようとも、自分の忠義心は変わらないはずなのだから、と。

「お待たせしました」
「悪いわね」
「いえ」
「じゃ、行きましょうか」
「どこへですか?」

 咲夜は立ち上がると、トレーの上に茶器を乗せ、持ち上げる。

「貴方の大好きな食事を作るところよ」

 どういう意味ですか、と言う美鈴の声を無視して、咲夜は厨房へと向かう為に地を蹴った。そろそろレミリアの食事を作らなければならない時間なのだ。

「そういえば」
「ん?」

 突然話しかけられ、咲夜は少しだけ飛ぶスピードを緩めた。美鈴もそれに追いつくと、同様にスピードを落とし、並んで飛び始める。

「こぁとらっぷですっけ? この前見回りの途中にお茶に誘われて、それにひっかかってしまいました」

 ケーキと言う話題から派生したはずの会話は、その切欠を失っても発生した。その事実が、どうやら推測どおり『夢』は予知夢の類であるのだと咲夜に確信させる。

「あ、別にさぼりじゃありませんよ? 知り合いに誘われたら、普通一緒に飲むでしょ? それにケーキが美味しそうだったんですよ」
「仕事中じゃなければね。それにしても、相変らず食い意地が張ってるわね」
「あ、あはははは」

 美鈴のごまかし笑いを聞きながら、咲夜は別の事を考えていた。その内容は如何にしてレミリアの消滅を阻止するか、である。もちろんレミリアが消滅するなんてありえない事だと信じているが、今まで『夢』で起きた事は全て起こっている。その事実が咲夜に一抹の不安を与えていた。

「咲夜さんはどう思います?」
「業務に支障が出ないよう、今度注意しておくわ」
「え? あ、はい。そうですね。お願いします」

 不思議そうにする美鈴。そんな彼女の様子に咲夜が、少し会話を飛ばしすぎたかしら、などと考えていると、いつの間にか厨房の前に到着していた。

「あ、でもあんまり酷い事はしないでくださいね?」
「わかってるわ」
「彼女、たまに門番隊の皆に差し入れ持ってきてくれたり、いいところもあるんですよ。たまに変な味がしたり妙な薬が入ってたりしますけど」

 咲夜はそれに答える事なく、厨房の扉を開けた。そして美鈴につまみ食いされながらの楽しい昼食作りが始まるのだった。



 昼食の準備を終えた咲夜は、美鈴を引き連れてレミリアの私室へと向っていた。そしてその扉を叩くと、中に向って声をかける。

「お嬢様、入ってもよろしいでしょうか?」
「えぇ」

 ガチャリと扉を開ける。咲夜は美鈴に目配せしてから、その扉をくぐった。

「失礼します」
「失礼します」
「あら、美鈴。珍しいわね。何か用?」

 順番に部屋へと入ると、咲夜は昼食の配膳を始め、美鈴は扉を閉めてその前に立った。

「その話は食事の後で、私からしてもかまいませんか?」
「・・・いいわ。お腹も空いてるし」

 レミリアの言葉に礼を言うと、咲夜はその後ろへとついた。ちらりと扉の方へと目をやると、直立不動の姿勢をとっている美鈴と視線がぶつかる。その瞬間、美鈴の表情が緩み、咲夜もそれに答えて小さく首肯を返す。

「貴方達、主人の前でそういう事はやめなさい」
「「す、すいません!」」
「・・・もういいわ」

 呆れながら食事を進めて行くレミリア。程なくして、その手が止まる。

「ごちそうさま。で?」
「実は・・・」

 咲夜はまず謝罪をした。そして朝食の片付けの時にそれに気づいた事を話し、その時点で報告しなかった事を再度謝罪した。

「まぁ、それはいいわ。で、大丈夫なの?」
「はい。普通にメイドの仕事をこなす分には支障はありません」
「そう」
「館の空間操作に関しても、ほぼ私の手を離れているので、そちらも問題ありません」

 レミリアは、ふぅん、と興味がなさそうに相槌を打った。そして視線を咲夜から美鈴へと移す。

「で、美鈴はボディーガードって訳?」
「はい。それと館内の警備も必要かと思いまして」
「咲夜の代理、って訳ね」
「はい」

 直立不動の姿勢の美鈴が、更に硬くなっている。咲夜は彼女の様子をちらりと見ながら、心の中で謝罪しておく。

「まぁ、細かい事は貴方達に任せるわ。で、咲夜」
「はい」

 話題が移り、美鈴の緊張が僅かに緩む。それでも直立不動の姿勢を保っているのは門番故か、はたまたレミリアへの畏怖か。

「貴方は今からどうするつもり?」
「少し図書館で調べてみようと思います」
「そうね。パチュリーにも相談してみなさい」
「畏まりました。それと、その。1つだけ不躾な質問をお許しください」
「ん? 言ってみなさい」

 咲夜の珍しい行動に、レミリアは少しだけ楽しそうな声色でそう答えた。それに応えて咲夜は緊張した面持ちで、すぅ、と息を吸い込んだ。

「お嬢様、本日の運命はご覧になりましたか?」
「また、唐突ね」
「すいません」
「まぁいいわ。私は極力運命を見ないようにしている。それが答えよ」
「そうですか」

 予想通りの答えに、咲夜は次にどのような言葉を発するべきか悩んでいた。『夢』の話をすれば、所詮『夢』と笑い飛ばされるのが関の山だろう。しかもその中でレミリアが消滅するとなれば、彼女は尚更信じない可能性が高い。ならばその部分はあえて話さず、警告のみに止めた方がいいのではないのだろうか? 咲夜はそう結論を出し、再び口を開いた。

「それがどうしたの?」
「その・・・夕方頃にお嬢様を襲撃する輩がいる、はずなんです」
「はず?」
「はい。確信はありませんが、その確率が高いのです」

 確信がない、と言うのは嘘だった。ただ、それはあくまで咲夜の主観であり、実際には所詮『夢』であって欲しいと言う希望的観測だった。

「ですから、少しだけ警戒して頂けませんか?」
「ふぅん。まぁ、能力が使えなくて不安なのはわかるけど」

 咲夜は、そうじゃないんです、と叫びそうになるのを必死に堪えた。取り乱せば取り乱す程、説得力がなくなってしまう。そう考え、ただ口を閉ざし続ける。

「美鈴」
「はい」
「夕方以降、咲夜と共に私の身辺警護を命じるわ。これでいいかしら?」
「は、はい! ありがとうございます」

 地面に頭が着くのではないかという程に頭を下げる咲夜。それを見たレミリアと美鈴は苦笑していた。

「では、また夕方頃に参ります!」

 咲夜はそう言うと手早く食器を片付け、美鈴と共に部屋を出た。



 昼食を終えた咲夜と美鈴は、予定通り図書館に来ていた。

「パチュリー様、お時間よろしいでしょうか?」
「ん、何?」

 本から顔を上げる事なく応えるパチュリー。一緒に来た美鈴は、小悪魔に捉まって話し相手をさせられているようだった。

「実は、私の能力が使用不能になりまして」
「・・・へぇ」

 それを聞いたパチュリーは、珍しく本を閉じて咲夜の方へと視線を向けた。それは咲夜もに予想外の事で、心底驚いた表情でパチュリーを見返してしまう。

「で、具体的な症状は?」
「あ、はい。多少の体調不良と、時間操作能力の使用不能です」
「それだけ?」
「はい。ナイフを飛ばしたり、自分が飛んだりする分には支障はありません。今の所」

 咲夜の説明が終わると、パチュリーはもごもごと口を動かし始めた。どうやら何かを詠唱しているらしい。そしてそれが終わると、咲夜の頭上に青い光の輪が出現した。

「ちょっとスキャンさせて貰うわよ」
「はい」

 青い光の輪が咲夜の頭から足元まで通過する。咲夜は少しだけむず痒さ感じていたが、大人しくそれに身を委ねた。

「ふむ。原因が判ったわ」
「へ?」

 あまりの急展開に、咲夜は呆然としてしまう。そして次の瞬間、1人で悩んでいた自分がバカみたいだと、苦笑していた。

「対処法を調べておくから、後で聞きに来なさい」
「はい」
「その時に頼みたい事があるの。交換条件って事で構わないわよね?」
「もちろんです」

 きっとそれはお使いの事だろう。そんな事を考えていると、珍しくパチュリーの方から声がかけられた。もちろん、本から顔を上げたままの姿勢で。

「最近、レミィはどう?」
「神社に行く以外はいつもと同じ様子です」
「そう」

 そこで会話は終わったらしく、パチュリーは小悪魔へと声をかけた。どうやら今から調べてくれるらしい。そう判断した咲夜は、小悪魔から開放された美鈴へと歩み寄り、声をかけた。

「美鈴、行くわよ」
「あ、はい」
「では、パチュリー様。後ほどお伺い致します」

 返事はなかったが、咲夜は何時もの事だと気にせず、地を蹴った。とりあえず外出許可を取らなければと考えた咲夜は、後ろで同じ様に地を蹴っている美鈴に視線を向けながら出口へと向う。

「どうしたんですか?」
「ちょっとね。とりあえず嬢様のお部屋に行くわよ」
「はい」

 小悪魔に見送られながら図書館を後にすると、そのままレミリアの私室へと向う。咲夜は扉の前で「ここで待ってて」と美鈴に伝え、扉を叩いた。

「はい」
「失礼します」

 中に入ると、そこにはベッドに寝転がっているレミリアの姿があった。どうやら暇らしい。

「お嬢様、少し外出してきてもかまいませんか?」
「・・・そんな状態で?」
「すぐに戻りますので」
「そうね。美鈴を連れて行きなさい。それが条件よ」
「いえ、それには及びません。館の警備をこれ以上手薄にする訳にはいきませんから」

 咲夜と美鈴。紅魔館を守る二大戦力が不在と言うのは問題がある。故に咲夜は1人で行こうと考えていたのだが、レミリアがそれを許さなかった。

「これは命令よ」
「しかし、館の警備が・・・」
「貴方はたかが侵入者風情に私が負けるとでも?」
「いえ、そんな事は」
「それが嫌なら部屋で大人しくしていなさい」
「・・・畏まりました」

 レミリアの言葉と現在の状況。全てを吟味した結果、咲夜は今のうちに用事を済ませる事に決めた。襲撃は夕方なのだから、それに間に合わせる事が彼女にとっての最優先事項なのだ。それに、『夢』どおりならそれ以外の襲撃者はいないはず。

「では、すぐに戻りますので」
「えぇ。いってらっしゃい」

 一礼して部屋を出た咲夜は、美鈴に声をかけ、香霖堂へと向って急いで館を出たのだった。



 香霖堂についた咲夜は、記憶していた全ての品物を紙に書き出していた。一部記憶が曖昧な部分もあったのだが、店主に聞くと商品を見せて確認してくれたおかげでなんとかリストは完成していた。

「色々なものがあるんですねー」
「美鈴は初めて?」
「はい」

 さまざまな人形が置かれている棚でこの人形が誰に似ている、とか、この人形は可愛いなどと会話を弾ませ、更に衣服の飾ってある棚でこれは誰に似合う、これは可愛いけどサイズが、などと会話を弾ませる2人は、とても楽しそうだった。

「あ、宝石ですよ。綺麗ですね」
「えぇ。そうね」
「あの赤い宝石とか、咲夜さんに似合いそうですよねー」
「そうかしら? 確かに綺麗だけど」

 美鈴が指差したのは咲夜が『夢』で手に取った物とそっくりな宝石だった。何処か惹かれるような雰囲気があり、前に同じ様な物を買った様な気がする不思議な宝石。気に入って買った宝石に似た宝石を見つけただけのはずなのだが、咲夜にはそれ以上の何かを感じずにはいられなかった。

「終わったよ。確認してもらえるかな?」
「あ、はい」

 宝石に見入っていた咲夜は、店主の声で我に返った。そして店主の準備してくれた物が、確かに『夢』で買った物とまったく同じ物である事を確認する。

「あの、すいません。これください」

 確認をしている咲夜の隣に美鈴が現れた。その手には、先程見ていた宝石が1つ。

「それ、買うの?」
「はい」

 にっこりと笑う美鈴は、店主に代金を渡すと体ごと咲夜へと向き直った。そして咲夜に向って宝石を差し出す。

「はい。プレゼントです」
「・・・は?」
「お守り代わりです」
「えっと、でも。貰う理由がないし・・・」
「私があげたいんですよ。駄目ですか?」
「いや、駄目って事はないけど・・・ほら、値段とかも」
「お給金のない咲夜さんよりはお金持ちだと思いますよ?」

 意地悪く笑う美鈴。それを見た咲夜は何か言い返してやろうと思ったのだが、結局1つの言葉以外を言う事が出来なかった。

「・・・ありがとう」
「どういたしまして」

 受取った宝石を懐中時計の鎖へと飾りながら、咲夜は、後で加工してきちんとはめ込んだ方がいいかしら、と考えていた。そしてその後、美鈴に声をかける事なく店を出た。後ろに彼女が着いて来ているを確認しながら。



 館に戻ると、小悪魔とばったり出くわした。

「二人でお出かけだったんですか?」
「えぇ、そうよ」
「デートですか?」
「違うわよ!」

 くすくすと笑う小悪魔。咲夜の隣に居る美鈴は、何故か少しだけ複雑な表情をしていた。

「あらら。美鈴さんが拗ねてますよ?」
「何を、って美鈴。なんで不満そうなのよ?」
「いや、その。そんなに力いっぱい否定されると複雑と言いますか」

 後頭部をぽりぽりとかく美鈴の頬に、何故か少しだけ朱が差していた。

「でも、違うもの」
「それはそーなんですけどね」
「ふふ。咲夜さんは鈍いですね」
「何よそれ」
「美鈴さんの愛に気づかないなんて、鈍チンもいいとこです」
「・・・あのね」

 美鈴も何か言ってやりなさい、と言おうとして振り返ると、顔を真っ赤にした美鈴の姿が視界に飛び込んできた。まさか、と思いながら咲夜は小悪魔へと向き直った。そこには先程と同じ様にくすくすと笑っている小悪魔の姿。

「咲夜さん、愛されちゃってますね~」
「ちょ、愛ってなによ!」
「そ、そうですよ! 確かに咲夜さんの事は好きですけど、そういう意味では――」

 やっと我に返ったのか、美鈴が必死に弁解を始める。顔を真っ赤にしているせいで説得力は皆無ではあったが。もちろんそんな状況に小悪魔が便乗しないはずはない。

「そうですか? じゃあ、咲夜さんとそう言う関係になるのは絶対嫌なんですか」
「いや、それはその・・・」
「ふふ。美鈴さん、可愛い」

 小悪魔的に微笑む小悪魔。小悪魔なのだから当然なのだが、今の咲夜にはそれがとても憎らしかった

「ちょっと小悪魔。いい加減に――」
「そうそう。パチュリー様からの伝言があるんですよ」

 小悪魔から発せられた予想外の言葉に、咲夜は一瞬呆気に取られてしまう。言い返したいのは山々だったのだが、それ以上にあの話題から逃げたかった咲夜は、その強引な話題転換に乗る事にした。

「買出し?」
「はい。よく判りましたね」
「えぇ。これでいいかしら?」

 紙袋が咲夜から小悪魔へと手渡される。その中身を確認していた小悪魔は、少し驚いた表情で咲夜へ視線を戻した。

「すごいですね。大体あってますよ」
「そうでしょ、って、大体?」
「えぇ。後、ベンゾインとミルラ、それに予備の香料がいくつか欲しいんですよ」
「・・・」

 予想外の答えに、咲夜は言うべき言葉が思い浮かばなかった。しばらくして自分がパチュリーを訪問した事で依頼内容が変わったという可能性を思いつき、それと同時に、やはりあれは『夢』であり、変える事が出来るのだと言う思いを強くしていた。

「急ぎらしいので、出来れば今すぐ行って貰えますか?」

 今から行けば、戻ってこれるのは日の入りギリギリになる。それは判っていたが、咲夜はそれでも急げば間に合うと判断した。きっとパチュリーと約束したと言う負い目もあったのだろう。

「・・・わかったわ」
「お願いしますね。私はパチュリー様のお手伝いがあるので」

 『夢』と現実に違いが出た。それに幾つか手は打ってあるし、お嬢様だって少しくらいは警戒してくれているだろう。だから大丈夫。咲夜はそんな風に自分を納得させながら、振り返った。

「あ、咲夜さん。代金代金!」
「美鈴、受取って!」
「あ、はい」

 まだ赤い顔をしている美鈴は、咲夜の声でようやく我に返った。そして代金である宝石を受取ると、急いで咲夜の後を追う。

「美鈴、全速力で行くわよ!」
「はい!」

 咲夜と美鈴が慌しく館を飛び出す姿を見送る小悪魔の手には、咲夜に渡すはずだった買い物リストが残されていた。



 急いで買い物を済ませた咲夜と美鈴は、やはり急いで館へと向っていた。

「美鈴!」
「はい?」
「これ、お願い」
「っとと」

 速度を緩める事なく、咲夜は買ってきた品が入っている袋を美鈴へと投げ渡す。危うくもそれを受取った美鈴は、少しだけ後ろに流れていた。

「私はお嬢様の所へ直行するから、貴方はそれを届けて」
「あ、はい。判りました」
「その後すぐ、お嬢様の私室に来て。可能ならパチュリー様を連れて」
「判りました」

 一瞬、美鈴を行かせるべきか悩んだ咲夜は、ナイフは問題なく仕えるのだから時間稼ぎくらいは出来るはずだ、と思いなおし、それを打ち消した。

「じゃあ、後で」
「はい。すぐにいきますから」

 そう応える美鈴の声は、咲夜とは違いあまり必死さが感じられず、どこか気楽な声色だった。それは仕方の無い事であるし、むしろ文句を言わずに付き合ってくれている事に感謝すべきなのだが、咲夜はそれに少しだけイラつきを感じてしまう。

「・・・ちっ」

 前回よりも早い時間であるにも関わらず、レミリアの私室の扉は開いていた。それに戸惑いながらも、まだ間に合うと言う確信が咲夜にはあった。門番隊が見ていない、かつ、自分のナイフを使用している事から、犯人は内部の者である可能性が高い。館内で銀製の武器を所持しているのは咲夜のみ。よって、外部犯であれば銀製品は自前の物を持ってくるほうが確実なのだ。それを知らずに潜入した可能性もあるが、その場合偶然咲夜の部屋に隠されているナイフを見付けたというのは不自然すぎる。

「お嬢様っ」

 飛び込んだ瞬間、そこには『夢』と同じ様な光景が広がっていた。壁際に倒れるレミリアと、それを囲んでいる2人組の姿。『夢』と違うのはレミリアの四肢にはナイフが刺さっていない事。咲夜が身に着けているもの以外はすべて別の場所に隠したのだから、当然だ。

「・・・」

 片方が視線を送ると、もう片方が咲夜へと突進してくる。レミリアはぐったりとしており、よく見ると、その付近には何か怪しい紋様が描かれていた。

「お嬢様! ちっ、どけっ」

 能力が使えない苛立ちをぶつけるように、ナイフを投げつける。普段ならば時を止め、弾幕を張るように出来うる限りの数をぶつけるところなのだが、今回投げられたのは3つだけ。それは時が止められないので一度に投げられるナイフの数が少ない事と、補充が効かないので節約した事が相まった結果だった。

「なっ!?」

 ナイフはあっさりと回避され、2人組の片割れが咲夜の目の前まで詰め寄ってくる。その瞬間、能力を展開させようとして、使えない事を思い出す。無意識の判断によって作られた隙は、回避動作を遅らせる結果となった。
 咲夜の視界が暗転する。頭から床に叩きつけられたらしいと気づいた時には、誰かの手に体中をまさぐられていた。

「?!」

 その手はそのままスカートに伸ばされ、それを一気に捲りあげる。更に迷わず太ももに手伸ばすと、先程までスカートで隠されていたナイフに手をかけた。

「ぁ・・・」

 ナイフを抜き取られると思った瞬間、咲夜は体を捻ろうとしたが、体はその命令を実行する事が出来なかった。まるで燃えているかの様に熱い腹部と、その周りに感じる生暖かい感触。どうやら腹部から出血しているらしいと判断した咲夜は、体を動かす事を諦めて視線だけをレミリアの方へと動かした。彼女の目に映ったのは、先程と同じ様に怪しい紋様の上でぐったりとしているレミリアの姿。

「ぅ・・・ぉ、ょ」

 咲夜はもう動けないと判断したのか、コツコツという足音がして相手が離れていく。そしてレミリアの傍まで移動すると、咲夜から奪ったナイフでレミリアの体を壁に磔にしていく。その光景に自分の判断ミスを恥じながら、咲夜は時間を稼ぐ方法を考えていた。時間さえ稼げば、美鈴とパチュリーがやってくる。そう信じて。

「・・・ぅ・・・ぁ」

 こちらに意識を向けさせようにも、咲夜は既に声を出す事すら出来なかった。そして目の前では、『夢』と同じ光景が再現されていく。
 白木の杭を胸に突き刺され、夕陽の中へと投げ出されるレミリア。
 夕陽の中で少しずつ消えていく主人を見ながら、咲夜は必死に自分に出来る事を考えていた。多分、自分はもう助からないだろう。でも、死ねない。このままでは、死ねないのだ。美鈴はまだなの!?

 ――――――

 死に際に沸いた妄想か、もしくは走馬灯の類か。咲夜は自分がやるべき事が判ったような気がした。そして彼女は、迷わずそれを実行した。
 能力発生の媒介である懐中時計。そこに全ての力を注ぎ込む。燃え尽きる寸前の命、全てを。時が止まっていた。咲夜の意識はそこで途切れていた。










 跳ね起きた咲夜は汗だくだった。彼女は深呼吸を2つしてから、パジャマを捲った。細かい傷跡はあれど、腹には大きな傷跡は存在しない。
 体中がだるい。そう感じた咲夜は、試しにと能力を展開するが、時が止まる様子はなかった。更に枕元のナイフを浮かせてみたが、すぐに落下してしまう。どうやら能力はほとんど使用不能らしい。

 咲夜は能力が使えない可能性を幾つか思い浮かべる。過去に体験した事があるのは、酷使による能力の枯渇。疲労による一時的な使用不能。精神的重圧によって集中が利かなかった事もあった。そこまで考えて、パチュリーがあっさりと原因を探り当てた事を思い出し、思考を中断する。ここで考えているより、聞きに言った方が早いと判断したのだ。
 次に咲夜が考え始めたのは『夢』について。夢の中で夢を見ていた、などと考えられるほど、咲夜は楽観的な思考の持ち主ではない。では、あれは何なのか? 咲夜はその可能性の1つとして、既にある仮定を立てていた。それは、時間の逆行。
 それはあくまで仮説であり、時間の逆行は現在の咲夜には行う事は出来ない。いや、過去に己の意思で出来た事がない、と言うべきかもしれない。時間とは流れる川の様なモノであり、咲夜に出来るのは水の流れる速さを調整する事だけなのだ。時間を止めているのも、水をせき止めて流れを出来うる限り遅くしているだけであり、逆流を起こすなんて事は不可能。いや、正確にはやり方が判らないと言うべきかもしれない。何かの切欠――例えば生命の危機など――でその能力に目覚める可能性は0ではないのだから。

「・・・とりあえず、シャワーでも浴びよう」

 パジャマを脱ぎながらも咲夜は思考を続けていた。
 仮に逆行していたと仮定した場合、咲夜の体に傷が残っていない理由が説明出来ない。咲夜の時間操作は使用した本人に影響を与えないのだ。けれどもそれは無意識に影響を与えない様に使用しているいるだけで、やり方によっては自分をも巻き込んだ使い方が出来るのだとすれば。

ザァァッァ

 シャワーで汗を流した分だけ、思考がクリアになっていく気がした。
 そうやって少しだけクリアになった思考で、咲夜は今からすべき事を羅列し始める。朝食を頼んだ後、お嬢様を起こして事情を説明する。その時に美鈴も呼んでおけば手間が省けるかもしれない。その後は図書館へ行き、パチュリー様に能力が使えない理由と、その対策を調べて貰う。そんなところだろうか?

ぽた、ぽた

 身体から、髪から垂れる雫をタオルで拭いながら咲夜はシャワー室から出た。そしてクローゼットを開けると下着を取り出し、それを身に着けてからいつものメイド服に袖を通した。全身鏡の前に立ってメイド服に皺がないか入念にチェックしてから鏡台の椅子に座り、髪に櫛を通す。まだ少し濡れている髪を乾かしてから編んで、ヘッドドレスを着けると急いで部屋を出た。

「あ、メイド長。おはようございます」
「おはよう。お嬢様の朝食をお願い」
「・・・へ?」

 戸惑っているメイドを無視し、そのままレミリアの私室へと向う。扉の前に着地すると、大きく深呼吸をしながら、まだ飛ぶ事は出来ると言う事に今更ながら気づき、少しだけ安心する。

「お嬢様、失礼します」

 ノックもそこそこに部屋に入ると、咲夜はその勢いでレミリアの肩を揺らした。

「お嬢様、起きて下さい」
「ん~・・・夜まで寝かせて」
「そう言わずにお願いします。朝食もすぐに届きますので」

  咲夜はそう言って半ば無理やりレミリアの体を起こした。そしてレミリアが倒れていかない事を確認してからクローゼットに向かい、服とドロワーズを取り出す。そして手早くレミリアを着替えさせる。

「・・・すー」
「あの、お嬢様。起きて下さいませんか?」

 そう言いながらも、咲夜はきっと起きないだろうなと感じていた。『夢』――実際には夢ではないと思っているが、面倒なのでこう呼ぶ事する――での出来事はそうそう変える事が出来ないのだから、起床時間も同じになる様になっているはずなのだ。

「・・・あれ、咲夜?」
「はい。咲夜です」
「私、何時の間に着替えたの?」

 ようやく覚醒したレミリアは、不思議そうに咲夜を見つめている。そんな姿に苦笑していると、扉からコツコツという音が聞こえてくる。

「食事が届いた様です」
「あら、今日は貴方が作ったんじゃないの?」
「はい。勝手な行動、お許しください」
「ふぅん。まぁ、いいけどね」

 しばらく、カチャカチャという配膳の音だけが部屋に響いていた。見つめられているせいか、配膳をしているメイドの手が少しだけ震えている。そこでようやく、咲夜は自分が急いだ事に意味が無かった事に気がついた。

「たまには違う趣向もいいかもしれないわね」
「お待たせしました」

  配膳を終えたメイドが一礼して部屋を出る。レミリアが椅子に腰掛ける姿を見ながら、咲夜は思考を切り替えた。全てを話すつもりだが、どうやって話し始めるべきか、と。

「お嬢様、そのままお聞きください」
「ん?」
「まず、食事を騒がせてしまう事をお許しください」
「構わないわ」

 そう言ってレミリアは、紅茶へと手を伸ばした。それを一口だけ飲み、テーブルへと戻してから食事を開始する。

「現在、私はほとんど能力が使えない状態にあります」
「・・・大丈夫なの?」
「はい。飛行は可能ですし、体調もそれ程悪い訳ではありませんので」

 レミリアは一瞬だけ手を止たが、それ以上は何も言わずに再び手を動かし始める。

「私はその原因が能力の酷使し過ぎだと判断しました」
「で、休みでも欲しいの?」
「いえ、違います。その理由もきちんと説明させて頂きます」

 レミリアが紅茶を口に含む。話を聞いているせいか、『夢』の時よりも食事のペースが遅いように感じられる。

「私は『夢』を見ました。失礼ながら、お嬢様が消滅する『夢』です」
「へぇ。興味深いわね」
「その『夢』では私も死にました。でも、私はそれは本当の夢ではないと思っています」
「どうして?」

 完全に食事の手を止めたレミリアは、咲夜の方をじっと見つめていた。怒られる事も、処罰を受ける事も覚悟していた咲夜だが、実際に睨まれると、その決心が鈍ってしまいそうだった。

「私は最後に能力を展開しました。ただ、がむしゃらに。その結果、時間が逆行したのではないか。それが私の考えです」
「そう」

 素っ気なく返事を返し、レミリアは食事を再開する。信じて貰えないとは判っていたが、それでも辛かった。

「私はこの後、門番の詰め所へ行きます」
「その『夢』の話かしら?」
「はい。そして途中で小悪魔の悪戯に合うんです。洗濯用のたらいがたくさん落ちてくる悪戯です」
「証明しようって訳?」
「はい」

 その答えを聞いて、レミリアは呆れ顔をしていた。見捨てられる。そんな思いが、咲夜を支配し始める。

「別に貴方が嘘を吐いてるなんて思ってないわ」
「お嬢様!?」
「でも、気に入らないの。咲夜、貴方は私を信じていないのね」
「そんな事は!」
「じゃあ、信じなさい。私が消滅するなんてありえない。判った?」
「・・・はい」

 このままでは何の解決にもなっていない。お嬢様に信じてもらえたのは嬉しいが、せめて説明だけはしておかなければ。そんな思いがレミリアの命令を無視させ、咲夜の口を開かせる。

「あの、お嬢様」
「何? まだ何かあるの?」
「もう1つだけ進言をお許しください」
「咲夜は心配性ね。まぁ、聞くだけ聞いてあげるわ」
「ありがうございます!」

 懇願する咲夜に、レミリアは溜息を吐きながら小さく「本当に判ってるのかしら」と呟き、呆れながらいつも通りのペースで食事を再開する。

「夕方、2人組です。奇怪な紋様で陣を書き、お嬢様の能力を封じていたようでした」
「はいはい」
「そして壁を破壊し、夕陽でお嬢様を焼き尽くすのです」

 咲夜は気づいていなかった。「聞くだけ」と言う言葉どおり、レミリアがその言葉を聞き流していた事に。



 体調不良が祟ったのか、考え事をしていたせいか。見事小悪魔の悪戯にひっかかった咲夜は、その場で悪戯に釘をさしてから門番の詰め所に来ていた。

「あ、咲夜さん」
「お、おはよう美鈴」

 美鈴の声に『夢』での出来事が思い出される。そのせいか咲夜は少しぎくしゃくした態度になっていた。

「どうかしたんですか?」
「なんでもないわ。あ、いや、なんでもあるんだけど、ちょっと話を聞いてもらえる?」
「? いいですけど」
「じゃあ、お茶を準備するから」

 やはりぎくしゃくしながら、けれども手際よく咲夜はお茶を淹れていく。あの事は美鈴は覚えていない、と言うか知るはずがないのだから気にしちゃ駄目、と自分に言い聞かせながら。

「はぁ、なるほど」

 美鈴とお茶を飲みながら、『夢』の二回目と同様に事情を説明する。それが終わると、咲夜は美鈴を引き連れて図書館へと向った。既にレミリアの許可は取ってあるので、『夢』の二回目とは少しだけ順序が違う、けれど概ね同じ行動だった。

「パチュリー様、お時間よろしいでしょうか?」
「ん、何?」

 本から顔を上げる事なく応えるパチュリー。一緒に来た美鈴は、小悪魔に捉まって話し相手をさせられており、そこは完全に『夢』と同じであった。

「実は、私の能力がほぼ使用不能になりまして」
「へぇ」
「飛行能力以外、ほぼ使用不能なんです。ナイフは浮かせてもすぐ落ちてしまいますし」

 咲夜の説明が終わると、パチュリーはもごもごと口を動かし始め、それが終わると咲夜の頭上に青い光の輪が出現していた。

「ちょっとスキャンさせて貰うわよ」
「はい」

 青い光の輪が咲夜の頭から足元まで通過する。一度体験していた事なのだが、自分の体を調べられていると思うとやはりむず痒さを感じずにはいられなかった。

「ふむ。原因が判ったわ」

 予想通りの答えに、けれど知っていますと応える訳にもいかず、咲夜は口を噤んだ。笑顔を向けているつもりではあったが、それが成功している自信はなかった。

「対処法を調べておくから、後で聞きに来なさい」
「はい」
「その時に頼みたい事があるの。交換条件って事で構わないわよね?」
「えっと、それは明日以降でも構いませんか?」
「・・・出来れば今日、お願いしたいんだけど」

 確かに小悪魔は急いでと言っていた。自分も手伝わなければいけないとも。とは言え、それを受け入れる訳にはいかない事情が咲夜にもある。

「では、早い時間でも構いませんか?」
「そうね・・・どのくらいの時間なら平気?」
「夕方から用事がありまして。その前には戻りたいのですが」
「私も夕方頃に頼み事をしたいんだけど・・・」
「何の用事ですか?」
「ん~。実は足りない材料があってね。お使いを頼みたいの」

 知っている癖に白々しい。自分の言葉にそんな事を感じながら、咲夜は解決策を思案していた。買い物内容は判っているのだから、先に買っておけば問題ないだろう。他のメイドに買出しにいかせると言う手もあるのだが、買い物リストの中には危険な物や扱いが難しい物も存在する。『夢』では焦っていてぽいと投げ渡してしまったが、1つ間違えば大惨事になっていたかもしれない。と言うか、中身の幾つかは駄目になっていた可能性も否定できない。

「リストが完成したらすぐに小悪魔を遣いにやるから、なんとかお願い出来ないかしら?」
「・・・判りました」

 予定通り先に買出しをしておいて、最悪、足りない分があったら誰かに頼もう。事情を話せばパチュリー様だって納得してくださるだろうし、駄目なら代わりの交換条件を提示して貰ってもいい。そう結論した咲夜は、小悪魔に指示を出しているパチュリーに挨拶をしてから、図書館を後にした。



 昼食を終えた咲夜は、『夢』と同じ様に香霖堂へと来ていた。もちろんリストは既に作ってあるし、その中にはベンゾインとミルラ、更に幾つかの香料の名も書かれている。

「それと、これ下さい」

 咲夜は小物の棚を見ている美鈴に気づかれないようにそれを店主に手渡した。誰かに買って貰った物が手元に無いと言うのは何か居心地が悪かったと言う事と、そうしなければまた買ってもらう事にになるような気がした事からそれを購入する事は予め決めていた。
 咲夜はその時、ふと店主の能力を思い出した。それは未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力。

「あの、それの名前と用途って何ですか?」
「ん、これかい? ちょっと待ってくれるかい」

 そう言って店主は宝石を握り、目を閉じた。そしてすぐに手を開き、咲夜へと宝石を差し出す。

「この石の名は魔結石。用途は魔道実験だそうだ」
「魔道、実験?」
「多分、どこかの魔法使いが実験の為に結晶化した物だと思うよ。その内容までは判らないけどね」

 苦笑する店主の言葉を受け、咲夜は考えていた仮説を再考していた。もしかするとこれが切欠ではないのだろうか? と。
 一回目の『夢』で感じたデジャヴ。あれは実はここで購入した記憶であり、一回目の『夢』とは、正確には二回目。即ち、やり直し一回目の『夢』だったのではないだろうか?
 それを踏まえて、咲夜は自分が能力を使えなくなっていった状況を照らし合わせて考えて行く。最初に石の力で時間を逆行し、その時に慣れない方法で能力を酷使した影響でやり直し一回目では能力が不安定になった。そしてやり直し一回目では不安定なまま、しかも媒介もなしに無理やり逆行を行い、その結果やり直し二回目で能力が使えなくなった。この時に石なしで逆行が起こせたのは、きっとやり方を無意識が記憶していたのだろう。そしてやり直し二回目の逆行。能力が使えない程消耗していた咲夜が逆行を行えたのは、この石のおかげ。それはあの状態の咲夜が逆行を行えたのは命を賭けたから、と考えるよりもそれは納得がいく理由であるような気がした。

「咲夜さん?」
「・・・あ」

 美鈴の声に、咲夜は思考の世界から浮上する。目の前にいたはずの店主は、既に椅子に座って本を読み始めている。

「美鈴、帰るわよ」
「あ、はい」

 想像が正しければ、現在の咲夜は自分の意思で時間を逆行させる事が出来るかもしれない。たとえそうだとしても、レミリアが消滅してしまえば意味はない。無限に逆行できれば別かもしれないが、きっとこの1日がこの石限界なのだろう。咲夜はなんとなくそう感じていた。

「美鈴、ちょっと待ちなさい」
「あれ?」

 既にかなり前を飛んでいる美鈴。咲夜は全力で飛んでいるのだが、どうやら能力の消耗は予想以上に激しいらしく、それは普段よりもかなり遅い。体のだるさも酷かった。しかしそれに反して頭だけは妙にクリアだった。

「引っ張りましょうか?」
「・・・お願い」

 情けないなぁ、と思いながらも咲夜は美鈴の手を取った。咲夜は手を引かれながら、『夢』での事を思い出していた。彼女の言っていた「好き」はどう言う意味なんだろう、と考えている内に何だか気恥ずかしくなってしまい、頬が熱くなるのを感じる。そのまましばらく飛んでいると、いつの間にか紅魔館へと到着していた。

「二人でお出かけだったんですか?」

 館へ入ると、そこには小悪魔の姿があった。時間的には『夢』よりも早く戻ってきたのだが、同じになっている。もしかすると彼女は私達を探していたのかもしれないと思うと、少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。

「えぇ、そうよ。デートじゃないけどね」

 咲夜はからかわれないよう、先手を取って釘を刺したつもりだった。あの状況がまた起こるのはなんとしても避けたかったのだ。しかし彼女の頬にはまだ少し朱がしている。

「説得力、ありませんよ?」

 くすくすと笑う小悪魔。その視線を辿ると、咲夜と美鈴の手があった。しかも仲良く手を繋いだ。

「あ、いや。これは」
「ふふ。仲が良くていいですね」

 手を繋いで頬を染めている。それは確かにそう言われても仕方のない状況だった。

「いや、これは違っ。って、美鈴も何かいいなさい」
「あへ? あ、いや。誤解デスヨ?」
「ふふふふふ」

 いい訳を聞き流しながらひとしきり笑った後、小悪魔は少しからかい気味の口調のまま、口を開いた。

「そんな仲良しコンビにパチュリー様からの伝言ですよ」
「だから違うって!」
「ぁぅぁぅ」
「ふふ。はい、これです」

 小悪魔が差し出したのは、一枚のメモ。それは見覚えのある買い物リストだった。

「はい、これ」
「・・・?」
「これで大丈夫なはずよ」
「・・・え?」

 咲夜はそう言いながら念のためリストに目を通してみる。その結果、ベンゾインとミルラ、幾つかの香料を退けば、買ってきた物は全てリスト通りだった。

「え~っと。何で判ったんですか?」
「秘密よ」

 その返答に渋い顔をする小悪魔。咲夜はささやかな仕返しが出来たと喜んでおり、その隣の美鈴はまだ赤い顔をしている。

「あの、もう1つお願いしてもいいですか?」
「え?」

 今すぐにでもレミリアの所に行こうと考えていた咲夜は、その言葉に目を見開いて驚いた。どうあってもお嬢様の所へはいけない運命なのか、と。

「魔法の森に生えているキノコを採取して来て欲しいんですよ」
「・・・今すぐじゃなきゃ駄目?」
「出来れば。実は私が取りに行く予定だったんですけど、お二人が取ってきてくれれば私もすぐに準備にかかれますし、その分早く終わると思うんです」

 小悪魔は小さく「長引くとパチュリー様の体調が心配ですし」と呟きながら、少しだけ俯いた。悪いとは思っているが、パチュリーの事を最優先したい。その気持ちは咲夜にもよく理解出来た。

「ねぇ、それって何時ごろ終わる予定?」
「え~っと」

 答えを悩む小悪魔を見つめながら、咲夜はこう考えていた。終了が夕方に間に合えば、パチュリー様の参戦も望めるのではないだろうか。そうであれば、ほとんど力の使えない自分よりも何倍も助けになるはずだ、と。

「やる事自体はすぐに終わる予定です。準備にとても時間がかかるだけで」
「と、言うと?」
「そうですね。キノコが手に入ればすぐにでも終わると思います。私が今からとりかかれば1時間と掛からずに準備は終わると思いますし」
「そう」

 正確な襲撃時刻は不明だが、もしかすれば間に合うかもしれない。そう考えた咲夜は、頭の中で最も効率のよい行動を導き出そうと思案し始める。

「美鈴」
「はい?」
「お嬢様の警備をお願い」
「え、でも」
「小悪魔、キノコを取ってくるから特徴と必要な数を教えて」

 お嬢様の護衛に美鈴を残し、現状戦闘能力が皆無に等しい自分がパチュリー様の参戦の可能性を作る。それが咲夜の結論だった。

「そんな状態で外へ出たら危険です!」
「そ、そうですよ。美鈴さんに護衛してもらった方が」
「いいの。1人でいくわ。ほら、小悪魔。教えなさい」
「・・・判りました」

 小悪魔からキノコの特徴と数を聞くと、咲夜は美鈴が止めるのも聞かずに、すぐさま館を飛び出した。



 指定されたキノコを必要な数だけ採取した咲夜は、全速力で館への帰路についていた。全力でありながら、されど普段よりも遅い速度に苛立ちながらも、今ならまだ夕陽が沈み始める前に館に着けるはずだと考えられるほどには冷静だった。

「パチュリー様!」

 図書館に飛び込み、周りを見渡す。しかしそこにはパチュリーの姿も、小悪魔の姿もなかった。既に始まっているのかと考え、実験用の個室や魔道具の保管庫も覗いてみるが、その姿を見つける事は出来なかった。

「時間がないって言うのにっ」

 咲夜は苛立ちを抑えながら彼女達の居場所を探し続ける。ふと、前にスペースの問題で紅魔館の大部屋を使って実験を行っていた事を思い出し、図書館を飛び出した。大部屋の密集している場所を通過しながら気配を探るが、一向にそれらしい気配は感じられなかった。

「あぁ、もう!」

 既に時刻は夕刻に差し掛かっていた。今から図書館に戻っては間に合わないと判断した咲夜は、そこから一直線にレミリアの私室へと向う事に決める。もちろん、その間にある部屋の気配を探りながら。

「お嬢様!」

 既に扉が開け放たれている部屋。その部屋の前には誰かが倒れていた。美鈴だ、と気づいた咲夜は、移動しながら大声で彼女の名を呼ぶが、ぴくりとも動く気配はなかった。

「くっ」

 現在の自分はナイフを投げるのが上手いだけの人間でしかない。それを嫌という程理解していた咲夜は、美鈴の前に着地し、部屋の中へと視線を向けた。
 そこには、既に磔にされたレミリアの姿があった。四肢を縫いとめているのは、咲夜のナイフではなかったが、それは『夢』と同じ光景だった。

「ちっ」

 『夢』同様、片方がこちらに弾幕を展開し、片方が白木の杭を握ってレミリアに突進する。咲夜はそれに対して投げられるだけのナイフを投げ、すぐに反転した。

「美鈴、起きなさい!」
「ん・・・咲夜、さん?」
「お嬢様がピンチよ! さっさと働きなさいっ」

 その声に答え、美鈴が勢いよく立ち上がる。そして敵の放った第二陣を確認し、すぐさま迎撃の為の弾幕を発生させた。

「咲夜さん、下がってください!」
「嫌よ!」

 既にレミリアの胸には白木の杭が突き刺さっているし、壁も破壊される寸前だった。今、どうするべきか。咲夜はそれを一瞬で思考し、実行した。

「私がひきつけるから、美鈴はお嬢様をっ」
「で、でも」
「早く!」

 咲夜がナイフを投げる。迷っていた美鈴も意を決してその弾幕と共に突進していく。弾幕を抜けた美鈴が既に気化しつつあるレミリアを陽から守る為に体を滑り込ませようとするが、相手が黙ってそれを許すはずがなかった。

「どけっ」
「どきません!」

 そいつが初めて発した声は、どこか聞き覚えのある声だった。美鈴は声と同時に蹴りを放つが、その足を捉まれ、床へと叩きつけられてしまう。同時に、咲夜を足止めしていた相手が下がり、2人組は隣り合って浮いていた。

「お嬢様ぁぁぁ」

 気化し、消滅していくレミリア。既に肌は欠片も見えておらず、残されているのは服と帽子のみ。次の瞬間、浮力を失ったそれも地面へと吸い込まれていく。それは、レミリア・スカーレットが完全に消滅した証。

「う、嘘・・・」

 3度の繰り返しを経ても、レミリアを守りきれなかった。その事実に、咲夜はただただ呆然と立ち尽くしていた。

「そうだ、石!」

 もう使えないと半ば確信していた逆行能力。それを使えばもう一度チャンスがあるはずだと、咲夜はありったけの能力を石に込め始める。しかし石はまったく反応を返さず、ただ能力が零れ落ちるだけだった。

「何で? 何でなの!?」

 能力が足りないと言う以前にまったく反応すらしない石は、半端な希望に縋った咲夜を更なる絶望へと追いやった。何故使えないの? 力が足りないと言うのなら私の命ごとあげるから、なんとかいいなさいよ! そんな咲夜の思いは届く事なく、石はただそこに在るだけだった。まるで人の意思で過去を変える事など出来はしないのだと、嘲笑うかのように。

「うわぁぁぁ」
「駄目です、咲夜さん!」

 2人組に向って飛び出そうとする咲夜を、美鈴が体ごと押さえ込む。レミリアを消滅させる事が目的だったのか、2人組が追撃してくる気配は無い。

「あぁぁぁ」
「あぁ、もう。ごめんなさい」

 かくん、と咲夜の全身から力が抜け、美鈴に抱きつくように崩れ落ちる。当身を食らったらしいと気づいたのは、既に意識を手放した後だった。



 目が覚めると、そこは私室ではなかった。目の前に美鈴の顔があり、その後ろには例の2人組の姿が見える。

「あ、咲夜さん。気がつきましたか?」
「えと・・・」
「まだそんなに経ってませんよ」

 どうやら気絶したと言うよりは、一瞬だけ意識が飛んだだけらしい。荒っぽいやり方に一言文句を言ってやりたかったのだが、おかげで頭が冷えたのも事実。今回のところは許しておいてあげるわ、と勝手な事を思いながら、咲夜は立ち上がった。

「・・・取り乱して悪かったわね」
「いえ、取り乱して当然です」

 少しだけ冷静さを取り戻した咲夜は、自分の行動の愚かさに嫌気が差していた。死ぬような状況になればまた逆行現象が起こせるのではないか。咲夜はそう考えていたのだ。

「とりあえず、問題はあちらですね」
「えぇ」

 美鈴と共に2人組を睨みつけながら、咲夜はナイフへと手をかけた。死ぬならばあいつらも道連れだ。そうでなければお嬢様に合わす顔がない。そう考え、咲夜は美鈴へと視線を送る。しかし美鈴は、それに対して首を振った。

「何でこんな事をしたんですか?」
「・・・」
「ちょっと、美――」
「せめて説明して頂けませんか? パチュリー様」
「なっ」

 咲夜同様、2人組はびくりと驚いた後、同時に纏っていた黒のローブで隠していた素顔を晒した。フードだけを外した方からはパチュリーの顔が、ローブを全て脱ぎ去った方からは小悪魔の姿が現れる。

「よく、判ったわね」
「気を操る能力は伊達じゃありませんから」
「そう。警戒すべきは咲夜ではなく、貴方だったって訳ね」

 淡々と語るパチュリー。傍らの小悪魔は硬く口を閉ざし、彼女の傍らに佇んでいる。

「パチュリー様! どう言う事ですか!?」
「・・・別に」
「別に、って。何を!」
「咲夜さん、少しだけ黙っててください」

 予想していなかった襲撃者の正体に、咲夜はただ叫ぶ事しか出来ない程混乱していた。しかしそれも美鈴に窘められ、大人しく口を閉ざすしかなかった。

「お嬢様のご友人であるパチュリー様が、何故このような事を?」
「友人だから、よ」

 パチュリーはその場に滞空しながら、言葉を続ける。

「最近、人間なんてモノに現を抜かしているレミィを見ていられなくなってね。少しお灸を据えて上げようと思ったんだけど・・・やりすぎちゃったみたいね」

 淡々と語る言葉には、所々棘と言うか、苛立ちが混ざっているように感じられる。

「パチュリー様も、魔理沙と交流を持っていらっしゃるじゃないですか?」
「勝手に来るだけよ。読書の邪魔だし、辟易してるのよ。と言うか、貴方がちゃんと働いていれば来るはずのない相手なのよ?」
「そうですね。すいません」

 いつも通りの口調で謝罪する美鈴。そんな姿に咲夜は更に苛立ってしまうのだが、現在の自分の立場と状況から、ただ傍観する事しか出来ない。そんな自分もまた、咲夜を苛立たせる。

「レミィは私の友人。そうよね?」
「はい。そう伺っております」
「それなのになんで神社になんか行く訳? なんで私の所じゃなく、あんな人間なんかの所に行くの!?」

 語尾を荒げるパチュリー。その言葉に、咲夜は初めて苛立ち以外の感情――共感を感じていた。霊夢にばかり構うレミリア。頻繁に神社に出かける為、昼食やお茶会の機会も減ってしまった。それは、自分は従者であるのだからと言い聞かせて隠していた感情。

「アイツを殺せばレミィは私の元に戻ってくるの!?」

 今のパチュリーは、イエスと答えれば即座に神社へと向かい、彼女を殺すだろう。少なくとも咲夜はそう確信していた。自分ならば確実にそうするからだ。

「いえ、そうじゃない。私はレミィにとってもう要らない存在なの!!」

 一歩間違えば彼女は自分ではなかったのだろうか? 咲夜はそんな思考をしながら、ただパチュリーと、その傍らの小悪魔を見つめていた。その背後には、丸い月が姿を現している。

「私にはレミィしかいないの! なのに、彼女はもう私を必要としていないのよっ」
「違います!」

 その場の全ての視線が咲夜へと向った。

「メイド風情が判った口を聞くなっ!」
「お嬢様は今もパチュリー様を友人だと思っています!」
「出鱈目を言わないで!」
「お嬢様は確かにそうおっしゃいました!」
「黙れ。殺されたいのっ」

 パチュリーが手を払うと、そこから幾筋もの弾幕が発生する。咲夜はそれをナイフで迎撃しつつ、言葉を続ける。

「真実です」
「お前の、人間風情の言葉なんて信じられる訳がないでしょうが!」

 相殺仕切れなかった弾幕が、美鈴の弾幕によって撃墜される。1人ではないと言う事が嬉しくて、交戦中にも関わらず咲夜は相好を崩してしまう。

「では、どうすれば信じて頂けますか?」
「お前の言葉なんて信じられないって言ってるでしょ!」


――じゃあ、私の言葉なら信じてくれるからしら?


 中空から声が聞こえる。その場にいる全員が聞き覚えのある声が。

「誰!?」

 パチュリーの叫び声。それに呼応するように、夜の闇と同化していた一匹の蝙蝠が、月明かりの中へと躍り出る。


――友人の声を忘れるなんて、白状ね。


 月を切り取る蝙蝠のシルエット。それは何時しか、人型に形を変えていた。

「ふぅ。さすがに全身再生は骨が折れるわね」

 夜の象徴たる月を背に、地上に舞い降りた夜の王。
 降魔が時。その象徴たる紅い月は少しも欠ける事なく、それはまるで彼女の完璧さを表しているようだった。

「ど、どうして・・・?」
「私は紅魔館にある限り消滅する事などありえない。それは比喩でもなんでもなく、厳然たる事実なのよ」

 一糸纏わぬ姿のレミリア。彼女の言葉を否定出来る者など存在する訳がなく、その場に居る全ての人妖は、ただその光景を見つめ続ける事しか出来なかった。

「パチェには色々と言いたい事があるけど・・・とりあえず、咲夜」
「はい!」

 突然名前を呼ばれた咲夜は、びくりとしながら返事を返す。レミリアはそんな咲夜を見つめながら、小さく溜息を吐いた。

「服」
「あ、はい。畏まりました」

 咲夜は慌ててクローゼットへと駆け寄ると、瞬時にレミリアが一番気に入っているであろう服を選び、手に取った。そして少しずつ下降しているレミリアへと駆け寄り、少し震える手で服を着せていく。一欠けらの無礼すら許されない。そんな強迫観念にも似た感情が、咲夜を支配していた。

「ふむ。さすが咲夜ね」
「ありがとうございます」
「さて、パチェ」

 びくりと反応するパチュリーを、レミリア目を細めては見上げた。咲夜はパチュリーの後ろにいる小悪魔と同様、黙ってレミリアの後ろに控えている。

「貴方、咲夜を殺すとかなんとか言ってたわよね?」
「・・・えぇ」
「それは困ったわね」

 微塵も困った様子のないレミリア。何時の間にかパチュリーも降下し始めており、既に彼女達の距離はかなり近くなっている。

「咲夜は大事な従者。この子がいなくなった私が困るのよ」
「・・・そう」
「それに霊夢も殺すって言ってたわね」

 パチュリーは返事を返さなかった。レミリアはその無言を肯定と捉え、言葉を続けていく。

「それも困るのよ。私のメンツの為に、本気のあの子を倒しておかないといけないから」

 中々本気を出してくれないんだけどね、と付け足しながら、レミリアは苦笑する。それを聞いているパチュリーの拳は硬く握られている。微かに歯軋りの音がする事から、歯も食いしばっているのだろう。

「でもね、パチェ」
「・・・何よ」

 レミリアが一歩、パチュリーへと近づいた。更に一歩踏み出しても、パチュリーは何の反応も返さず、ただそこに突っ立っている。

すっ

 レミリアの手が、パチュリーの首へと回される。その瞬間、パチュリーは硬く目をつぶった。

「貴方は私の一番大事な友人なの」

 首に回された手は、パチュリーの頭を引き寄せ、レミリアの肩へと押し付ける。

「ぁ・・・」
「私は友人を恨むなんてしたくない。だから、困ってしまうの」

 パチュリーを抱き寄せながらも、レミリアの口調は普段と変わらなかった。ただ、その声色はとても優く響いている。

「最近会いにいかなかった事は謝るわ。友人と言う言葉に甘えすぎていたわね、私」

 レミリアは、ぽんぽん、パチュリーの背中を叩き、まるで子供に諭すように謝罪する。五百年も生きた吸血鬼と、百年しか生きていない魔女。もしかするとそれは、本当に大人と子供の様なモノであるのかもしれない。

「レミィ、は・・・私を許して、ぐれる、の゛?」

 泣きじゃくるパチュリーに、レミリアは更に腕へと力を込めながらくすりと笑った。

「友人なんだから、当たり前でしょ」

 咲夜が記憶しているのは、そこまでだった。



 咲夜が目を覚ましたのは私室だった。まさかまた逆行が起こったのかと焦った咲夜が立ち上がろうとした瞬間、扉をノックする音が聞こえて来た。

「はい」
「あ、起きたんですね」

 扉が開き、手には鍋を持った美鈴が入ってくる。

「え~っと?」
「咲夜さん、いきなり倒れたんですよ」

 咲夜が記憶を手繰ってみると、確かにそうだったような気がした。レミリアの無事が判明し、事件の真相がほぼ完全に明らかになった時点で緊張の糸が切れてしまい、倒れたのだ。

「えっと、私、どのくらい寝てた?」
「ほぼ丸一日ですよ」

 その言葉に、咲夜は色々な意味で驚いてしまう。一番困った事は、一日仕事をサボってしまった、と言う事なのがなんとも咲夜らしい。

「寝不足と過労らしいですから、ゆっくり休んでくださいね」
「もう十分休んだわよ、って、寝不足?」

 昨夜はたっぷり8時間は眠ったはずの咲夜は、その言葉の意味がすぐには理解出来なかった。しかし頭がきちんと働きだすと、ある推測が頭に浮かび上がる。

「繰り返し3回って事は、4回で・・・1回12時間でも2日分?」
「ん? 何かいいました?」
「いいえ、何でもないわ」

 咲夜の独り言は、鍋の中身――どうやらおかゆのようだ――をよそっている美鈴にも聞こえていたらしい。聞かれて困る内容ではなかったが、追求されれば面倒だと判断した咲夜は声を出さないように注意しながら思考を続行した。
 『夢』を含めて2日分起き通しで働き続ければ、睡眠不足で倒れても仕方が無いだろう。

「はい、どうぞ」
「・・・ありがと」
「食べさせなくてもいいですか?」
「なっ」

 咲夜は頬に朱が差しているのが自覚できた。更に『夢』での出来事を思い出し、咲夜はどうしていいか判らなくなってしまい、完全にパニック状態だった。

「あの、その。えっと」
「冗談ですって。お代わりはいっぱいありますから、どんどん食べてくださいね」
「・・・うん」

 咲夜はごまかすようにおかゆを口にするが、にっこり笑う美鈴の視線が気になってしかたがなかった。そんな落ち着かない様子の咲夜を気にする事なく、美鈴はにこにことしている。

「・・・結局、あの後どうなったの?」
「咲夜さんの倒れた後ですか?」

 咲夜が首肯すると、美鈴は何もない場所に視線を向け、何かを考えるような仕草をした。視線が逸れた事で少し落ち着いた咲夜は、ようやく口にしたおかゆが美味しい事に気づいた。

「大まかに言うと、仲直りをしたお二人が食事会の約束を交わして、その後はメイド達を呼んで部屋を片付けさせてました」
「そっか」

 百年続いた友情は、多少こじれたところで壊れる事はなかったのだろう。咲夜はそれを羨ましく思いながら、自分が同じ様な事をしたらお嬢様はどうすのだろう、と考えていた。

「食事会は咲夜さんが復帰したら行うそうです」
「・・・え?」
「命令違反の罰に、1人で準備するように、とのお達しです」

 咲夜はその言葉の意味をすぐには理解出来なかった。しばらくにこにこと笑う美鈴を見つめていると、ふと、その原因に思い当たった。

「もしかして、キノコの件?」
「はい。無断外出の上、更に命令違反を犯すのは許されない事なんだそうです」

 今日一日、美鈴と行動を共にする事。レミリアは能力が使えない咲夜を心配し、そう命じていたのだ。繰り返し二度目の『夢』と同じ様に。

「従者にとって命令違反は大罪なのよ、とも仰ってました」
「・・・そうね。これ食べたらお嬢様の所へ行く事にするわ」
「それがいいと思います。でも、無理はしないでくださいね?」

 それに答えず、咲夜は先程よりも急いでおかゆを食べ始める。美味しいおかゆを一口食べる毎に、今回の事件の事が1つずつ思い出される。
 咲夜は今回の件で、自分が思うほど自分はお嬢様を信じていなかったと言う事を痛感した。忠誠心では誰にも負けないと言う自負は今でもあったが、信じて待つという行為は今でも出来そうにない。あの時お嬢様を信じていれば、無謀な特攻で命を落とし、時間の逆行などに頼る事もなかったはずだ。けれども、再び同じ状況に立たされれば、咲夜は同じ様にレミリアを助けようとするのだろう。

「ねぇ、美鈴」
「はい?」

 そして自分の心が如何に脆く、弱いかと言う事を知った。それに比べて、目の前の彼女は強かった。本気で尊敬してしまう程に。
 それだけではない、と咲夜は美鈴を見つめながら思った。彼女がいなければ、自分もパチュリー様と同じ事をしていたかもしれないのだ。苛立ちが募るたびにお茶に付き合い、嫌な顔をする事なく愚痴を聞いてくれた美鈴。時には八つ当たりをしてしまう事もあったのに、それでも彼女は自分を好いていてくれた。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 咲夜は思った。美鈴は何に対してのお礼だと思ったのだろうか。きっとおかゆに対するお礼だと思ったんだろうな、と。

「大好きよ」
「えぇぇ!?」

 うろたえる美鈴の表情が、とても可愛かった。それは今回の事件で判った、一番大きな事だったかもしれない。





























 エピローグ

 紅魔館地下、フランドールの部屋。
 扉が開くと、そこにははお茶を持った小悪魔の姿があった。

「どうも、フラン様」
「あ、小悪魔~」

 魔理沙の付き添いで来て以来、フランドールは小悪魔の事が気に入っていた。そして咲夜発、レミリア経由でたまにお茶の相手をしてくれるよう頼んだ結果、小悪魔には”玩具係”と言う謎の役職が与えられていた。もちろんその際、小悪魔に拒否権などなかったのだが、それはフランドールの知るところではない。

「今日のお茶菓子はカステラですよ」
「わ~、ひさしぶり」

 とは言え、小悪魔も嫌々この役目をやっている訳ではない。最初の頃はさておき、彼女達は現在、ほとんどお茶飲み友達と言える状態であり、どちらもお茶会を楽しみにしている。その証拠に、最近の小悪魔はフランドールの許可などとらず、勝手にと椅子に腰掛けるようになっていた。

「上は騒がしかったみたいだね~」
「そうですね」

 この館で起こる事、そのほぼ全てを見る事が可能なフランドール。それ故に、普段の彼女は小悪魔が読んだ本の内容や館の外での出来事を聞きたがるのだが、今日は少し違うようだ。

「小悪魔はさ、パチュリーの事が大好きなんだね」
「・・・何故、そう思ったのですか?」

 唐突な言葉に、小悪魔は驚きを隠し切る事が出来なかったようだ。それは照れや恥じらいなどではなく、悪戯がばれた幼子の様な反応だった。

「お姉さまがいなくなればパチュリーは小悪魔のモノだもんね」
「何のことでしょうか?」

 さすが悪魔、というべきだろうか。完全にいつも通りに戻った小悪魔は、そ知らぬ顔で紅茶を啜った。

「さっきの話だよ」
「さっき、とはなんでしょう?」

 すっとぼける小悪魔を、フランドールは、むぅ、と唸りながら睨みつける。それに耐えかねたのか、小悪魔は少しだけ真面目な表情を作った。

「そうですね。仮にそうだとして、どうするんですか?」
「どうもしないよ」
「へ?」

 その言葉があまりに予想外だったのか、小悪魔は大口を開けて呆けていた。フランドールの思考は読みづらく、たまに突拍子もない事を言うのが楽しい。そう言っていた小悪魔も、今はそれを楽しむ余裕はなさそうだ。

「あの、レミリア様が消滅しかけたんですよ?」
「そうだね」
「あの、それだけですか?」

 フランドールの眉が、少しだけ不機嫌そうにつり上がる。やばい、と感じたのか、小悪魔が部屋の鍵に手をかけ、いつでも逃亡できる体勢に入ったのがフランドールにも判った。彼女に暴れるつもりはなかったが、その苛立ちを抑える事は出来そうにない。

「あいつが消滅する訳ないし」
「は、はぁ。そうですか」

 不機嫌そうなフランドールに反論する程、小悪魔は命知らずでも無謀でもなかった。大人しく次の言葉を待つ小悪魔は、なんだか可愛くて、その姿を見たフランドールは少しだけ落ち着きを取り戻していた。

「まぁ、それはどうでもいいんだけど」
「どうでもいいんでですか?」
「うん。でね、小悪魔に1つ聞きたい事があるの」
「何でしょう?」

 小悪魔は鍵から手を放し、紅茶を一口啜った。もう危険はない、と判断したらしい。

「パチュリーの心を操ってまで、パチュリーが欲しかったの?」
「欲しかったの、と聞かれましても・・・そんな事をした記憶はありませんし」
「じゃあ、仮にでいいや。そこまでしてでもパチュリーを手に入れたい?」

 小悪魔は時間を稼ぐように少し長い時間カップを傾け続けていた。もしかすると、答えればそれを認めているようで嫌なのかもしれない。そんな風に考えながら、フランドールは逃げ道として答えて欲しい理由を正直に話す事にした。

「お姉さまがね、大事な人ほど眷属にする時はよく考えなさいっていったの」
「・・・それと、どう言う関係が?」
「眷属化してしまえば主には逆らえないから、好きな人を無理やり縛る事になるんだって。それはとってもよくない事だって言ってた」

 こう言えば疑問に答えると言う形で話してくれるかな? そんなフランドールの思惑はある意味成功し、小悪魔が口を開く。

「私が何故、フラン様とこうしてお茶を飲めるか、わかりますか?」
「え~っと。お姉さまがお願いしたから?」

 まったく関係のない質問に、フランドールはただ実直に答えを返した。小悪魔の言葉にに誤魔化すような響きがないと判断したのだ。小悪魔はたびたびこう言う回りくどい話し方をする事を、フランドールは良く知っていた。

「それもありますが、実は私、元々フラン様くらい力の強い大悪魔だったんですよ」
「えぇ~」
「ですから、普通と違ってその辺りの感覚がズレてるみたいなんです」
「ホント~?」

 フランドールの言葉に、小悪魔は曖昧に笑いながら続きを口にする。

「私って、パチュリー様が使役しているにしては、弱い存在だと思いませんか?」
「あ~うん。そうだね」
「パチュリー様はフラン様を封じる事が出来る程の力の持ち主です。でも、喘息持ちでもありますから、体調の悪い時はその能力を発揮できません」
「その時を狙われたら危ないね」
「その通りです。ですからもっと強い悪魔と契約して、護衛を立てるべきなんです」
「確かにそうだよね」
「でも、私が強いからその必要を感じなかった。そう言う事なんです」
「ふ~ん」
「あ、信じてませんね? 私がレミリア様を圧倒するシーン、見てなかったんですか?」
「見てたけど、パチュリーの魔法のおかげでしょ?」
「それはそうですけどね。でも、あれくらいで完全に抑えられる訳ないじゃないですか」
「そうなの?」
「えぇ。フラン様が思っている以上に、レミリア様はお強いんですよ?」

 フランドールの視線にはまだ少し疑いが含まれていた。しかし小悪魔はそれ以上の説明をする事なく、話を続ける。

「私は昔も本が大好きで、世界中の本を自分の物にしようと集めていました。そして集めた本を独り占めして、誰にも見せてあげませんでした」
「わ、意地悪!」
「そうですね。でも、当時の私にはそれが普通だったんです。と言うか、悪魔は基本的に独善的なものなんです」
「そうなの?」
「そうなんですよ」

 そういえばお姉さまも紅い悪魔と呼ばれているし、独善的なのかな? そんな事を考えながら、フランドールは続きを急かす様に、紅茶を啜っている小悪魔を見つめた。

「そこは何時しか、ヴワル魔法図書館と呼ばれるようになりました」
「あ、そこにパチュリーが来るんだね!」
「その通りです」

 小悪魔はわざとらしい、大げさな動作でフランドールの言葉を肯定する。

「もちろん、私はパチュリー様を排除すべく全力で戦いました。まぁ、結局負けてしまったんですけどね」
「うんうん」
「そして封印されてしまったのです」
「封印されちゃったんだ」
「はい。でも、そこはパチュリー様。それは普通の封印じゃありませんでした」

 一拍間が空き、小悪魔がまた紅茶に口をつけた。身を乗り出して話を聞いているフランドールのカップには、先程からまったく口がつけられていない。

「私に転生の魔法をかけ、ヴワル魔法図書館内限定で自由に動けるように封印したのです」
「転生って?」
「転生とは、生まれ変わりの事です。大悪魔の私を一度分解し、小悪魔として再構成したのです」
「むむむ。何となく判ったような、わからないような」

 難しい顔で悩むフランドール。考える時間与えたのか、小悪魔は少しの間その顔を眺めていた。

「ヴワルに封印された私は普段は司書として働き、有事の際には大悪魔時代の力を解放して敵を殲滅すると言う制約を科せられました。後にその成果により、ある程度の自由を手に入れました。今みたいに」

 まだ悩んでいるフランドールに、追い討ちのように長い言葉をぶつける小悪魔。フランドールはわからない部分を1つ1つ声に出して復唱しながら、なんとか概要を理解する事に成功する。

「えっと、だったら何で魔理沙を追い返さないの?」
「残念ながらたかが人間程度の相手に開放出来る様にはなっていないんです」
「でも、負けてるよね?」
「そうですね。人間相手なら開放しなくても勝てると思ったんでしょうね、当時のパチュリー様は」
「ん~。なんでそんな面倒な事にしたんだろ?」
「制約なしに解放できたなら、きっと私はパチュリー様を殺していますよ?」
「なんで?」
「自分を封印した相手を殺そうと思うのは自然でしょう?」
「でも、力が使えないんでしょ?」
「そうですね。でも、制約がなければ本棚の本を手に取った瞬間、盗もうとしてるから殺す、と思えば力を開放出来ちゃいますから」
「あ、そっか」

 フランドールの質問に淀みなく答える小悪魔は、やっと来た息継ぎの時間にカップを傾け、残っていた紅茶を一気に飲み干した。そしてティーポットからカップへと紅茶を注いだ頃、フランドールからの質問攻めが再開する。

「その話から考えると、小悪魔はパチュリーの事を憎んでるんだよね?」
「そうなりますね」
「なのに、なんで大好きなの?」
「ふむ」

 質問攻めが始まってから初めて小悪魔が返答に詰まった。上で起こった事とこの話を繋ぐ点はここなのだと直感し、フランドールは今まで以上に真剣に耳を傾ける。

「パチュリー様はヴワル魔法図書館の館長です」
「うん。そうだね」
「そして私は館長に従う様に制約を受けています」
「従うのと好きは違うよね?」
「えぇ。でも、長く一緒に居れば愛着が沸くモノなのですよ」
「ふぅん」

 フランドールにとって、それは理解出来ない感情だった。触れたモノ全てを壊してしまうフランドールにとって、姉以外に長く付き合ったモノなど存在しないのだ。

「でも、憎しみが消えた訳ではないですけどね」
「複雑だね」
「えぇ、複雑です」

 小悪魔が新しい紅茶に口をつけると、フランドールも思い出した様に自分のカップに口をつけた。それは既に冷め切っており、フランドールは眉をしかめてしまう。

「憎いから、苦しめたい。でも、好きだから手に入れたい」

 フランドールの言葉に答える事なく、小悪魔は彼女のカップを手元に引き寄せた。

「では、フラン様。また来ますね」
「えぇ~、まだ話は終わってないよ」
「私の話は終わりましたから」
「むむ。ズルい!」

 不満そうなフランドールに、小悪魔は意地悪く微笑みながら茶器を片付ける。そして部屋を出る寸前に振り返り、不満そうなフランドールにこう言い放った。

「人間はそれを、愛憎って言うらしいですよ」

 小さな悪魔が去った後、部屋に残された悪魔の妹は思った。今回は何処が本当で、何処が作り話なのかな、と。
こちらでは初めましてですね。まずは私の作品を読んでくださった皆様に感謝です。
プチの方に投稿する予定で書き始めたのですが・・・気がつけばこの長さになっていました。

裏話と言う名の無駄話を少々。
元々のネタはエピローグ部分で、本を持っていく魔理沙を小悪魔が脅すと言う内容でした。
それがどういう経緯を辿ればこうなるのかは未だに謎です。是非何方か解明してください。
何が言いたいのかと言うと、本編はオマケみたいなモノだって話です。ダメスギ。

こう言う部分で楽しませる事が出来る性質ではないと思うので、この辺にしておきますね。
この作品を少しでも楽しんで頂ければ幸いです。では、また会いましょう。
あさ
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コメント



0.2430簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
なかなかのホラーサスペンス。存分に楽しめました。
こぁ作り話にしてはリアルすぎるYO!
6.90名前が無い程度の能力削除
楽しく読ませていただきました
11.100名前が無い程度の能力削除
パチュリーらしくないなと思ったらそういうことだったんですねw
愛憎一重、こぁがなかなかいい味出してますね!
22.90名前が無い程度の能力削除
できあがりが意図したものと違っていたにしろ、読みごたえ抜群で面白かったです。さくめー!

>美素鈴
誰てめぇ?
>残念でありません
なりません?
23.100名前が無い程度の能力削除
まさに小「悪魔」ですね。
悪魔は決して怒った顔は見せない。笑みのみを見せて、全てを手に入れようとするとか。
この話でのパチュリーとこぁの関係は「愛憎」だけじゃなくて「尊敬」の念もどこかにあるんじゃないかと思います。

まあ、私的には美鈴×咲夜だけでも大満足なのですがw
39.100名前が無い程度の能力削除
レミリア様カッコヨス
41.無評価あさ削除
感想&誤字指摘ありがとうございます。辞書登録をしていないのがバレバレですね。
以下、ざっとですが感想への返答をさせて頂きます。

>こぁ作り話にしてはリアルすぎるYO!
作り話なのか、はたまた真実なのか。
両方なのだと思いますよ? きっと。

>楽しく読ませていただきました
そう言って頂けるのはとても嬉しいです。

>愛憎一重
小悪魔の口から出た『愛憎』と言う言葉。果たしてその意図は?
それすら嘘なのかもしれませんね。嘘か真か、それは彼女にしか判らないのですから。

>さくめー!
それこそ意図して書いた訳ではなかったのですけどね(苦笑
意図しない部分で楽しんで貰えた。それもまた嬉しい物ですね。

>悪魔は決して~
悪魔は誘い、陥れる者。笑顔は誘惑の基本ですから。
って、ちょっと意味が違いますね。あはは。

>レミリア様カッコヨス
お嬢様はカリスマですから。
私にもっと技量があればもっと格好良く書くんですけどね。無念。
46.90ZORK削除
咲夜さんの必死さや心意気みたいなものが伝わってきて良かったです
取り乱す場面もあったけど、やっぱりメイド長はカッコイイですね
56.100名前が無い程度の能力削除
そうきたか
小悪魔の悪戯いろんな意味で最高

悪戯には、もてあそんではならない物をいじったりおもちゃにしたりすること、という意味もあります。
小悪魔、けっこう真剣に仕掛けたような気もしますが、苦しめ、手に入れることの片一方だけの成功でも、結構満足して楽しんでそうです(パチュリーだけでなく、咲夜さんの苦しみも喜んでそう。
62.100如月翔削除
楽しめました、こういった読み手に考えさせるような内容の話は大好きです。
4年前……か。