Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷、育児パニック症候群 前

2006/06/18 06:48:42
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 山奥に神社がある。幻想郷と外の世界の境界に位置するこの神社は、実は重要な意味を持っているがそんな事を気にする幻想郷の住人ではない。誰が好き好んでこのようなへんぴな場所に参拝に来るはずも無く、またそもそもこの神社の存在自体を知らない者も少なくない。ご利益など有ろうはずも無かった。
 しかし、この神社に住む博麗 霊夢にとってはそれぐらいでよかった。賽銭箱が潤わないのは死活問題としても、毎日を気ままに過ごす事が出来るからだ。気が向いた時に起き、気が向いた時に掃除をし、気が向いた時に寝る。参拝客が来ればまず出来そうにない生活を思う存分送っていた。参拝客が来ないからだらけきってしまったのか、だらけていたから参拝客が来なくなったのかは定かではないが。
 そんな事で博麗神社は毎日変わらずに静かであった。たまに訪れる客が訪れたり暴れたり、宴会会場が開かれたりはするが、ほとんど概ね変わらぬ毎日が繰り返されてきた。それに合わせて霊夢もまた、ほとんど変わらぬ気ままな毎日を送っていた。
 しかし、今の博麗神社は平穏で静寂が保たれているとは言いがたかった。その元凶はどうしたものかと困りつつ、必死にあやかそうとしている霊夢の腕の中にいた。

「もう、どうして泣き止んでくれないの。ひょっとして、お腹がすいたのかな。それともオシメとか。やっぱり母親が恋しいのかな?」

 朝、霊夢が起きていつも通りに境内の掃除をしようとしたら、何処からとも無く赤子の鳴き声が聞こえてきた。何事かと思って声のする方へと向かってみると、入り口近くにある鳥居の影に赤子が布に包まれて捨てられていた。『宜しくお願いします』の書き添えと一緒に。

「それにしても、この子の親は何処行ったのよ。自分の子供を捨てていくなんて親がする事じゃないわ。とっ捕まえて色々と言ってやらなくちゃ気がすまないわね。ああでも、説教するならもっと適任なのがいるか。」

 とりあえず泣き叫ぶ赤子を抱いて親を探してみたものの、神社の周囲には人らしき影は見当たらなかった。仕方が無いので霊夢は神社に戻り、いつまでも泣き止まない赤子をあやそうとしているが、赤子の世話などした事が無い霊夢に上手く出来るはずが無かった。

「だいたい、なんで家なのよ。こんな辺境に来るくらいなら、その努力の方向を変えたらどうなのよ。私だって慈善事業じゃないのよ、貰うもん貰わなくちゃこんな事割に合わないわ。ああもう、いい加減泣くの止めなさい!!」

 巫女らしからぬ発言をしていた霊夢がついにキレた。しかしそんな事で泣き止んだら色誰も苦労するはずも無く、火に油を注ぐ結果にしかならなかった。流石に今のは良くなかったと思って霊夢は慌ててご機嫌を取ろうと試みたが、世の中そんなに甘くは無かった。



「なんだなんだ、ついに神社経営じゃ食っていけなくなって託児所でも始めたのか?」

 何か面白いものでも見つけたような表情で箒を持った黒白の少女、霧雨 魔理沙が霊夢の方へとよって来た。魔理沙は博麗神社を訪れる数少ない人物であるが、無論賽銭箱を潤すような行為をする事は無い。もちろん、掃除を手伝うような事も無い。

「そんな訳無いでしょう。何で私がそんな面倒臭い事しなくちゃいけないのよ。私は日がな一日をしっぽり送りたいの。間違っても赤子の世話なんて頼まれてもしないわ。」

 まだ昼過ぎだというのに疲れ切った表情で霊夢は答えた。あれからどうにか赤子を泣き止ませ、なけなしの食料で御飯を食べさせ、なけなしの布でオシメを交換して、あの手この手を使って何とか赤子を寝かしつかせた。お陰で霊夢は肉体的にも、また色んな意味で精神的にも疲れていた。

「じゃあ、なんでお前が赤ちゃんの世話なんてしてるんだよ。よっぽどの事が無い限り、万年だらけているお前が赤ちゃんの世話なんてな。うん、まてよ、ひょっとして、お前、まさか……」

 よっぽどの事が神社の経営不振で食に困る事なのかどうなのかは置いといて、何を思ったのか魔理沙は信じられないという表情で霊夢を見た。対する霊夢はおおよその予想がついているのか、冷めた表情であった。

「お前、いつ子供なんて産んだんだ!ちょっと前に会った時は変化なんて見られなかったのに。いやいやいや、そんな事よりも、一体相手は誰なんだ!」
「はあ、予想通りのお決まりな展開ね。余りにベタすぎてつっこむ気も失せたわ。まあどうでもいいけど、私は一度たりとも子供なんて産んだ事は無いわよ。第一、この子とは今日始めて会ったんだし、この子は捨てられていたのよ。」
「これは幻想郷きっての一大事だぜ。文の奴に知らせたらきっとすっ飛んでいくだろうな。さあいい加減に白状しろ、霊夢!相手は一体誰なんだ!お前の交友関係からするに……ま、まさか、香霖か!?ち、ちっきしょう、香霖の奴め、私という者があるというの」
「人の話を聞かんかい!!」

 業を煮やした霊夢が叫ぶと同時に、魔理沙の頭に針が何本も刺さった。今の霊夢の叫びにビックリしたのか今まで寝ていた赤ん坊が目を覚まして泣き始め、頭を抱えてもんどり打つ魔理沙を横目に霊夢は赤ん坊を急いであやし始めた。

「ほら見なさい、魔理沙が騒ぐからこの子が起きちゃったじゃない。やっとの思いで寝かせられたと思ったのに、どう責任を取ってくれるつもり?」
「……いや、多分直接的には起こしたのは私のせいじゃないと思うぜ……」
 霊夢は赤子を両手で抱き、ゆっくりと体を揺らし続けた。早すぎず、遅すぎず、ちょうど揺り籠のような動きだった。午前中の死闘が霊夢の子守スキルを確実に向上させている証拠である。
「それにしてもさ、お前いつまでそんな事続けるつもりなんだ。お前がいくら子守がうまくなろうが、お前はそいつの母親じゃない。やっぱりそいつには自分を産んでくれた親が必要だぜ。いくら駄目親だろうがな。」
「分かってるわよ、そんな事。でもこの子を放っておく訳にはいかないし、この子を連れて親探すのは流石にしんどそうだし、面倒臭そうだし。本当にどうしようかって困っていたんだけど、ちょうど私の目の前に凄く暇そうなのがいるから助かったわ。」

 再び寝付いた赤子を布団の上にそっと置き、霊夢はようやく立ち直った魔理沙の肩に手を置いた。抗議の声を上げようとした魔理沙は霊夢の笑顔の裏に隠された有無を言わさぬ迫力に気圧されて、しぶしぶ首を縦に振った。



 日が沈み、日付が変わる頃には夜行性の生物以外は皆床につく。それは博麗神社とて例外ではなく、霊夢が寝静まると殆どの音がしなくなる。まったくと言って良いほどの静寂に包まれるのだ。
 しかし、今夜の博麗神社はどうであろう。赤子の泣き声が定期的に上がり、そのたびに霊夢が叩き起こされた。泣く原因はまちまちで、お腹がすいたりオシメの交換だったり、ただ起きた拍子に泣いただけだったりと霊夢は右往左往していた。

「ああもう、またなの。今度はなあに、さっき暖めたミルクをあげたばっかりでしょう。ああ、はいはい、今行って……」

 もう何度目かの赤ん坊からの呼び出しに、流石に疲れ切った表情をしながら霊夢は赤ん坊を抱き上げる。どうやらオシメの交換が必要だったので、前に起きた時に用意しておいたオシメと交換する。
 オシメを交換してもらって安心したのか赤子が泣き止み、うとうととしてきた。その赤子を霊夢は優しく抱き、揺り籠のように体を揺らした。

「はあ、今度こそ朝まで寝ていてよね。いくら何でも、もう限界よ。こんな事なら、この子を魔理沙に任させ私が親探しをするんだった……」

 再び眠りについた赤ん坊をそっと布団に寝かし、霊夢もまた布団の中へと潜り込んだ。極度の疲労からすぐに泥のように意識が遠のき、眠りに付く前に今度こそ朝まで眠れる事を今まで信じたことが無かった神様に念じた。
 しかし、今までの日頃の行いが祟ったのか、それとも巫女なのに神様の事などこれっぽっちも信じちゃいなかった事への罰なのか、すぐに赤子の泣き声によって霊夢は飛び起きる事になった。

「あああ、誰か、私の平穏な日々を返して……」
 こうして、霊夢にとって地獄のような夜が更けていった。



 数日後、途中報告の為に霊夢の様子を見に来た魔理沙は、部屋の中で変わり果てた姿の霊夢を発見した。霊夢の頬はコケ、全体的にやつれている。目の下にできているクマは色濃く、コケた顔がより凄惨な表情になっていた。

「そうか、ついに逝ったか。思えばお前との付き合いは短いようで長かったな。何度お前に撃ち落されて、飯を奢らせられた事か。だが安心しろ、私はそんな事これっぽっちも恨んじゃいないぜ。」

 魔理沙は被っていた帽子を胸に当て、数秒間目を閉じた。部屋の中には相変らずピクリとも動かない霊夢と、すぐ近くに布団の上で赤子が眠っている。着せるものが無かったのか、赤子は霊夢のお古と思わしき小さな巫女服を着せられていた。それでもサイズが合うわけがなく、かなりダブダブである。

「今となっちゃ、全てがいい思い出だ。間違ってマスタースパークで吹っ飛ばした屋根、お前に黙って食べた煎餅やお供えの饅頭、私の絵心を知らしめるためにこっそり落書きした鳥居や狛犬。どれも忘れる事が出来ない思い出だぜ。」

 ピクリと霊夢の体が反応したのに気がついた様子も無く、横たわっている霊夢の横を素通りして魔理沙は置いてあった煎餅に手を伸ばした。どんなに極限状態に追い込まれようとも、煎餅とお茶を忘れない霊夢はすごいとも言える。

「ゆっくり休むといい。やっぱりお前には子育てなんて無理だったんだ。だけど安心しろ、後は私が何とかしてやる。だからお前はゆっくりと休むんだ。ああそれと、ついでだからこの神社は私がサックリ貰っておいてや……」

 最後まで言い終わる前に魔理沙の頭に針が刺さった。例のごとく頭を抱えて悶絶する魔理沙に追い討ちをかけるべく、地獄の底から蘇った表情で霊夢が起き上がった。それから赤子が起きて泣き出すまで、修羅の宴は続いた。

「まったく、人が寝ていたらいい気になって言いたい放題やりたい放題なんだから。きっちし落とし前をつけさせてもらうからね。」

 手馴れた手つきで赤子のオシメを変えている霊夢が、まだ悶絶して動けない魔理沙に怒りの声を浴びせかける。地獄から蘇った(ただ眠りが醒めただけ)にも関わらず、霊夢の容姿は痛々しいほどに痩せている。ダイエットで苦労している方々に殺意の眼差しを向けられるほどに。

「ま、まだやるって言うのか、あれほどの事を私にしておいて。お前の恐ろしさ、といよりは本性を垣間見た気がするぞ……」

 ノロノロっとようやく起き上がった魔理沙の表情に、神社に着いたばかりの生気が見られなかった。いつも元気のいい魔理沙がこれほどまでになっているとは、どれほどの凶事が降りかかったのか見当がつきそうにもない。

「自業自得よ。それよりも、この子の親探しはどうなったの。何か進展があった?」
「いんや、それがぜんぜん。って待て、私がサボっていたと言う意味じゃなくて、そいつの親らしき人物がどれだけ捜しても見つからなかったという意味だ!だから、頼むから、針を持たないで……」

 まだ子育てから開放されないと分かって、霊夢はヘロヘロっと力なく座敷に座り込んだ。霊夢としてはこの赤子は嫌いではないが、子育てをするにはもう限界がきているのだろう。日頃やんわりと過ごしてきたツケがきたのである。
 しかし、そんなことで挫ける霊夢ではなかった。瞬時の間に思考を巡らし、普段使っていない頭をフル回転させ、本能と野生の勘までも動員して自体の打開を計った。自分の平穏な日々を取り戻す為に、そして明日というかけがえのない日を掴む為に、今霊夢は鬼と化す!

「はい、魔理沙。後はよろしくね。」
「ち、ちょっと待て、霊夢。何で私がこいつの面倒を見なきゃならないんだ!?」
「屋根と饅頭と鳥居と狛犬。でも、まだ、もっと色々とあるんでしょう?」

 霊夢はいたって笑顔だった。しかし、魔理沙にとっては鬼に睨まれているのも同然であった。逆らうな、目前にいるのは人間の皮を被った化け物だ。そう魔理沙の本能は告げていた。

「ああそれと、もしこの子の身に万が一の事があったら容赦しないから、そのつもりでね。それじゃあ、一寝入りしたらこの子の親を私が探しに行くから、この子の面倒は魔理沙に全部任せるからね。」

 それだけを言い終えると、ゼンマイが切れたかのように霊夢が座敷の上に崩れ落ちた。もはや力は残っていなかったのだろう、先ほどと同じ様に泥のように眠っている。霊夢にとって赤子との生活はどれだけ過酷を極めたかがうかがい知れる。

「くそ、人に面倒を押付けて暢気に寝てやがる。ああ、こんな事なら饅頭を半分残しておけば良かったかな。それとも油性ペンじゃなくて水性ペンにしておけばよかったかな……」

 これからの予想される困難に打つ萎れる魔理沙だが、元はと言えば自業自得。霊夢もかなり強引だったが、魔理沙がどうこう言える立場ではなかった。



 それからの魔理沙の生活は悲惨なものだった。赤子に対して衛生状況が悪い家で育てるのは流石に不味いという事で、一人で霧雨邸の一斉大掃除をする事になった。赤子の面倒を見ながら所狭しと積み上げられていた数々のアイテムを急遽家の隣に建てた倉庫(ほったて小屋以下)に放り込み、いかんせん急ごしらえの倉庫なのであまり大きくなく、使い道は分からないがチョッピリ甘く切ない思い出のアイテムなどあまり重要ではないアイテムなどは不本意ながら処分する事になってしまった。
 また、赤子の世話で実験もする事ができなくなった。四六時中手間がかかかり、なおかつ寝たと安心する強烈なクロスカウンターが待っている事もある。そもそも魔理沙が子育てなどした経験した事がないので、何をしようともアタフタして上手に事が運ばなかった。
 そして、魔理沙にとって一番辛いことは、箒で空を自由に飛べなくなった事である。買出しに行くにしても赤子を置いて行く訳にはいかない。それ故に赤子を背負って買出しに出るが、赤子が一緒なのに高速度やアクロバット的な飛行はできず、ノロノロと徐行するしかなかった。自由に空を飛ぶ事が好きな魔理沙にとってこれ程苦痛なことはない。ちなみに、霊夢の場合は博麗神社が人里から遠く離れていて不便だし、霊夢にとって毎日神社と人里を往復するのが面倒なので(主にこちらが理由)、食料などは一度に大量に購入するようにしていた。だから面倒臭がっていた赤子を背負っての人里との往復はしなくてすすんだが、本当のところは人里に買出しに行くだけの資金がなかったのかもしれない。

「あああ、太陽が眩しすぎるぜ。眩しすぎて溶けちまいそうだ……」

 駄目な人な発言をしながら、今日も赤子を背負って魔理沙は空を飛んでいた。流石に元気娘な魔理沙でも子育ての負担が大きいのか、明らかに辛そうである。目元には大きなクマができ、顔には生気が無い。

「霊夢の気持ちが今だったら分かるぜ。くそ、少しは大人しくしてろってんだ。体を洗うと嫌がって暴れるし、子守唄を歌えば逆に泣き出すし、人の髪はすぐ引っ張るし。こんな時に限って暢気に寝てるけど、お前の事だからな。」

 眠りについている赤子に、大人気なく悪態をつく。しかし、すぐに沈黙へと変わった。魔理沙もまた赤子のように眠りたい心境なのだ。

「お疲れですね、魔理沙さん。居眠りしながら空を飛ぶのは止めておいた方がいいですよ。」

 どこからともなく声が聞こえて、魔理沙ははっとして辺りを見回した。眼下が魔法の森では無い事に驚き、いつの間にか射命丸 文がすぐ近くにいる事にさらに驚いた。

「ここは何処だ、って言うか何故お前がここにいる!?」
「嫌ですね、魔理沙さん。私は魔理沙さんが子守を始めたって聞いたもんですから、ちょっとお話を伺いに来ただけですよ。まあもっとも、居眠りしながら空を飛んでいるところを見ると、そうとう苦労話が聞けそうですね。」

 明るく爽やかに喋りかけてくる文とは対称に、魔理沙の表情は明らかにいやそうであった。魔理沙としてはこんな時に面倒な相手に捕まったとしか思っていないのだ。

「お前に話すことなんか何も無い。だからあっち行って、お得意の盗撮でもしてろ。ただでさえ疲れているんだ、お前の相手なんかできるか。」

 魔理沙は文に邪魔そうに手を振って、方向を変えた。しかし、こんな事で引き下がる文だったら、誰も苦労はしない。

「まあまあ、そう言わずに。子育て経験とかを聞かせてもらえると助かるんですけどね。ついでに言えば、その子は魔理沙さんと誰との間の子なのかを聞かせてもらえると一番嬉しいんですけど。それだけでもいいですし。」
「ああもう、あっち行け。マスタースパークで焼き鳥にするぞ!!」

 魔理沙は服の胸元から必殺の小道具を取り出す。寝不足の頭には、文の他人にお構いなしな声が響いたのだろう。

「ほほう、これは話が早いですね。弾幕やって勝った方が負けた方に要求を飲ませるなら、その喧嘩買いましたよ。後でじっくりお話を聞かせてもらいますから、覚悟してくださいね。」

 寝不足の魔理沙相手に負ける要因が見つからないと思ったのか、文は悠然と身構えて何を取材するかを考えていた。しかし、この時魔理沙の思考に変化が見られていた。文の買い文句に閃いたものがあった。

「そうか、その言葉忘れるなよ。」
「ええ、忘れませんよ。魔理沙さんこそ後でとぼけるのは無しですよ。」

 文には分かっていなかった。今の魔理沙は知っている魔理沙では無い事に。今の魔理沙は一言で言えば鬼だった。目的の為には修羅のごとく戦い、勝利の為には誰であろうとも全力で撃ち滅ぼしにかかる鬼神。それが今の魔理沙であった。



 魔理沙から赤子の世話を押付けられてから、文の仕事はまるではかどらなかった。
 満月の夜、今日こそ謎の真相を突き止めるべく決定的なシャッターチャンスを文は待っていた。赤子を背負いながら茂みに身を隠し、相手が行動を起こす瞬間を今か今かと待っていた。

「さあ、今日こそ慧音さんの変身する瞬間を押さえて見せます。やれ満月を見た瞬間に体が光って姿が変わるとか、やれ角が何処からともなく飛んできて慧音さんの頭に合体するとか様々な憶測が飛び交っていますが、私が全てを証明して見せましょう。あれ、背中が変に生暖かい……って背中がバイオハザート!?」

 文は大急ぎで赤子を下ろして汚染拡大を防ごうとしたが、気づいた時点で既に後の祭りであった。大急ぎで着ていた服を脱ぎ、持ってきた予備のオシメを赤子に付けた。

「ううう、これで何度目でしょうか。いくら冬じゃないといっても上半身下着だけってのも辛いです。って、ああ、私のシャッターチャンスが……」

 振り返れば白沢状態になっている慧音がいるのを見て、文はがくりと頭を垂れた。
また、噂の真相を探るべく張り込み調査をしている時だった。文はご多分に漏れず茂みの中に身を隠して、相手がやって来るのを息を潜めて待っていた。

「そろそろですね、謎の人物が現れるという時間は。噂によると毎日やって来ては周囲を慎重に伺い、謎の踊りを踊りちぎるというなんとも不可解な行動を繰り返す人物。警戒心が強いらしいですが、これはなんともスクープになりそうな予感です。おっと、噂をすればなんとやら。」

 向こうの方からやって来た人影に、文は臨戦態勢に入った。カメラを構えて固唾を飲む。しかし、やって来た人物はよく見知った狐の式に似ていた。それも瓜二つというくらいに。

「ああ、なんだ藍さんか。となるとここで怪しく踊り狂ってたのは彼女でしたか。これは完全無欠な無駄骨でしたね。」

 文は八雲 藍のあまりよろしくない趣味を知っていた。子供の教育上ご近所の保護者が怒鳴り込んでくるくらいよろしくない趣味で有名だからだ。さしもの大妖怪八雲 紫ですら自分の式に首をかしげているとの噂もある。
 予想に違わず怪しい踊りを始めた藍を尻目に、文は早急に立ち去る事にした。ここにいたところで何の意味もないし、帰って不貞寝を決め込みたい気分だからだ。しかし、日頃の行いが悪いせいか、幸運の女神はまたしても文を裏切った。今まで穏やかな顔で寝ていた赤子が急にぐずりだしたのだ。

「わわわ、おーよしよし。御免ね、変なものを見せられて怒っちゃったんですね。ほーら、高い高い。いい子ですね、いい子ですから今見たものを全部忘れましょうねー。」

 一通りあやし、ついでに赤子の将来を考えたアドバイスをした文は、はっとして振り返った。そう、文は一瞬ではあるが赤子をあやす為にここが人外魔境の真っ只中である事を忘れていた。
 そして、振り返った先で藍と目が合ってしまった……
 そんなこんなで文の新聞記者としての仕事は、この一ヶ月間まるではかどっていなかった。それに加えて新聞記者としての仕事と赤子の世話を同時にこなしているのだ。いくら文が鴉天狗だからといっても、限界が近い事は誰の目にも明らかであった。
 文は選択せざるをえない状況に立たされた。このままどっちつかずの事をして潰れていくのか、それとも霊夢や魔理沙のように他人に赤子を任せるか。
 文としては経緯はともあれ、一度引き受けた育児を無責任に放り出すのは気が引けた。しかし、自分の為、そして赤子の為にも現状維持は好ましくない。
 そういうことで、文は仕方が無いが赤子を誰か暇な人物に任せる事に決めた。今の文には、赤子を渡された際に見た魔理沙の何とも言えない複雑な表情が理解できた。しかし、謎が、事件が、珍事が文を呼んでいるのだ!

「と言う訳で、私が思いつく範囲で一番暇そうな美鈴さんに頼む事に決めました。赤ちゃんのお世話、引き受けてもらえますよね。どうせ暇なんですし。」

 色々と回りくどい事を言うのもなんなので、文はストレートに聞いてみた。勝負は直球勝負、こういう頼み事は下手に変化球を投げない方が失礼にならないと思ったからだ。

「い、いきなり失礼な人ですね。私はこれでもお仕事が忙しい身です。それに、何故私が人間の赤ちゃんなんて育てなければいけないんですか。」

 どうやら説得は失敗に終わったようだ。どうやらこの紅魔館の門番、紅 美鈴は偏屈らしい。まともな正攻法では引き受けてはもらえないと文は直感した。しかしもう少し粘り強く説得する事にした。

「いいじゃないですか、別に減るもんじゃないですし。美鈴さんのお仕事なんて適当に庭をいじって門のところでブラブラするだけでしょう。そんなの仕事の内に入りませんよ。ですからこの赤ちゃんの面倒を見てくださいよ。」
「だから、何で私が赤ちゃんの面倒を見なければいけないんですか。そんな事していたら、咲夜さんに何をされる事か。それに、何だかさっきから酷い事を言ってません!?」

 なかなかどうしてこの門番は一筋縄に行かないようだ。どうやら大きいのは胸だけで、心も度胸も大きくないようだ。何度文が説得を試みても、頑なに首を縦に振ろうとしない。
このままでは一向に埒があかないので、文は説得方法を変えてみた。

「はあ、仕方が無いですね。では、この決定的な瞬間を取った写真を見てもらえませんか?」
「な、な、な、そ、それは……」

 先ほどまで頑なに心を閉ざしていた美鈴の態度に、明らかな変化が見られた。どうやら文の話を聞く気になったようだ。

「ど、ど、ど、ど、どうしてそれを、それよりもいつの間にその写真を撮ったんですか!?」
「まあまあ、細かいことは良いじゃないですか。どうせ明日には咲夜さんに知られる事ですし。」

 美鈴は表情を一気に青く染め、そして口をパクパクさせるだけだった。しばらくそうした後、がくりと頭を落とし、項垂れるように首を縦に振った。まさに心を開いた瞬間である。

「……分かりました、その子の面倒を見ます。ですから、その写真は咲夜さんには見せないでください……」



 誠に不本意ながら、美鈴は赤子の面倒を見なくてはいけなくなった。しかし、赤子を背負いながら仕事をするのを咲夜が見逃す訳もなく、あっさりと美鈴は呼び出しを受けた。

「そ、そういう訳で何となく断りきれなかったんです。ほら、親に捨てられた赤ちゃんですよ、可哀想だと思いません?思いますよね。ね?」
「そう、よく分かったわ。美鈴にはお仕置きが必要だって事が。」

 その後の美鈴の身に何が起きたのかは誰も黙して語らないが、赤子の件については咲夜も鬼ではなく、紅魔館で引き取る事になった。しかし、紅魔館の一部の関係者以外は皆忙しい身である。だから手が空いたメイドが赤子の面倒を見るという全員体勢で世話に臨む事になった。ちなみに、ここの主が赤子の世話をするなどとは論外である。
 赤子が紅魔館に引き取られてからしばらく経ったが、思いのほか順調に事が運んでいた。メイド達全員で赤子の世話をしているので負荷がそれほど多くなく、またメイド達の間で赤子は人気者であった。

「あはは、赤ちゃんが笑った!」「ああ、可愛いわ。お持ち帰りしたい・・・」「早くかわりなさいよ、今日は私が世話をするって決めたんだから!」「ずるいわ、貴方ばっかり。独占は良くないわ!」「皆私を差し置いて赤ちゃんと一緒だなんて、許せない」「ふん、あの娘達のせいで今日は私が面倒を見てあげれなかったわ。覚えてなさい。」「う、後ろからなんて卑怯な・・・。御免ね赤ちゃん、貴方が成長していくのを見て上げれな・・・ガクリ」

 しかし、全てが順調だった訳ではなかった。赤子の世話でトラブルが無かったという訳ではない。だが、そのどれもが取るに足りぬ問題であった。最小にして最大の問題に比べれば。

「どうして、どうして泣き止まないの!?」
「ああ咲夜さん、落ち着いてください。そんなふうに赤ちゃんを抱いては駄目ですよ。赤ちゃんは気分やですから、気長に落ち着いて。って、なんで私にナイフを投げるんですか!?」

 そう、メイド達の長である咲夜に赤子が懐かなかったのだ。他のメイド達でもあやすのに苦労はしているが、咲夜の場合はまるで泣き止む様子が無かった。本能的に怖い人間を察知しているのか、それとも技術的な問題として咲夜が子供の世話が下手なのかは分からない。しかし、完全で瀟洒である咲夜にとって、一人だけ赤子をあやす事ができないのは酷く屈辱的だった。

「認めない、認めないわ。私は完全で瀟洒なお嬢様の従者。赤ちゃんを満足に笑わせられないなんて何かの間違いよ。そうだ、これは悪い夢ね。そうに違いないわ・・・ふふふ・・・」

 何度やっても上手にあやすことができない咲夜は、いつしか現実から目を逸らすようになっていた。プライドが高かっただけに、完全で瀟洒である事に完全なまでに泥を塗られた事は相当ショックだったのだ。ひょっとすると、赤ちゃんが大好きだったが自分を見て泣き止まない事にもショックを受けたのかもしれない。
 咲夜がこのような状態になって困ったのは、紅魔館の住人全員である。なにせ紅魔館は咲夜が全てを取り仕切っていたのだ。仕事が遅れていく一方で、問題も次々に山積みになっていった。
 ある日、メイド達が全員集ってこの事態の収拾を議論した。そして非常に不本意な結論を出し、そもそもの原因である美鈴に皆の目が向けられた。
お久しぶりです。後編に続いていますので、後編の方も宜しくお願いします。

*誤字を直しました
ニケ
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コメント



0.3220簡易評価
12.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字発見。「不可がそれほど多くなく」不可→負荷では?
29.-10真十郎削除
説明文が多いですね。
36.20名前が無い程度の能力削除
ネタは悪くないが、描写が下手。
44.50nanashi削除
どこの描写が何と比較してどうとか存じませんが、話のつくりは可もなく不可もない、と感じます。これから後編も拝見します。