Coolier - 新生・東方創想話

比類なき咲夜 ~The Inimitable Sakuya~

2006/06/04 11:10:18
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 ※タイトルは咲夜ですが、主人公はレミリアです。
 ※このSSは『比類なきジーヴス』という小説をモチーフにしていますが、知らない人でも楽しめるように書きました。
  むしろ知らない方が面白い、かも……。


   ◆  ◆  ◆



「おはよう咲夜」 私が言った。
「おはようございます、お嬢様」 咲夜が答えた。
 彼女は紅茶のカップをベッドの横のテーブルにそっと置き、私は目覚めの一口を啜る。
「相変わらず完璧ね、咲夜」
「恐れ入ります」
 いつも通り、咲夜の紅茶は完璧だった。
 熱すぎず、苦すぎず、薄すぎず、濃すぎもしない。
 ちょっと垂らしてある血の量もちょうど良い。
 また、当然ながら受け皿には一滴のしずくも存在しない。
 実にこの咲夜、驚嘆すべきメイドである。
「今日の天気はどうかしら、咲夜」
「月は立待。雲一つ無い好天です」
「何か注目すべきことはあったかしら」
「竹林でボヤ騒ぎがあったようですが、紅魔館に影響はございません。
それと、パチュリー様からお呼び出しが」
「そう。なんて言っていたの?」
「『起きたらすぐに来て欲しい』と」
 なら、この一杯を飲んで、身だしなみを整えてからで充分だろう。
 本当に重大な用件の時、彼女は自分から私のところへやってくるもの。
「パチェの様子はどうだった?」
「いつも通り、と言ってよろしいかと」
「いつも通り、ねぇ……」
 人を呼び出しといて、いつも通りのわけがある?
 そう思っても、私はそれを口には出さない。
 咲夜は判ってて言っているに決まっているもの。
 私は空になったカップを置いて、着替えるわ、と咲夜に言った。
 次の瞬間、咲夜は私の着替えを持っている。いつも通りってのは、こういうことに言うべきね。

「ところでお嬢様、そのネックレスは初めてお見かけしますが」
 私が戸棚から出したネックレスを見て、咲夜はそう言った。
「これ? 昨日買ったばかりだもの」
「昨日ですか? お嬢様が出かけられていたとは存じませんでした」
「咲夜、外に出ずとも買い物は出来るわ。『ウサネットてるよ』の通販で買ったの。
肩こりに効く磁気ネックレスなんですって」
 咲夜の顔がピクリと動いた気がしたけど、きっと気のせいね。
 完全で瀟洒なメイドがこの程度で動揺するはずが無いもの。
「失礼ですがお嬢様。ウサネットてるよの世間での評判をご存知ですか?」
 “失礼ですが”と前置きする咲夜の言葉には、ロクなものが存在しないと私は知っている。
 いっそ動揺してくれた方が気が楽なのに、これだからこの子は。
「さあ。ご存知ないわね」
「かの通販業者は、医薬品の類には値段相応の信頼性がございます」
「良いことじゃない」
「ですが、それ以外の品となりますと、羊と称して犬の肉を売るばかりです」
「美味しいじゃない、犬」
「それにお嬢様」
 咲夜は続けた。
「僭越ながら、そのネックレスのデザインはいささか華美に過ぎるかと」
 ちょっと、カチンと来た。
 鎖を模したこのネックレス、謳い文句には『全パーツ18金仕様!』とあった。
 このギンギラっぷりは、咲夜にとっては“華美に過ぎる”のでしょうね。
 でも、私は紅魔館の主だ。
 幼い外見を補うためにも、少しくらい派手なアクセサリーを着けたって良いじゃない。
 ……カリスマ不足じゃないのよ? どこぞの姫×2との違いは、この紅魔館に表れているわ。
 ともかく、この複雑な乙女心が、咲夜に理解出来ないとは思えないのだけれど。
「咲夜、私はこれを気に入ってるの」 私が言うと、
「かしこまりました、お嬢様」 咲夜が答えた。
「パチェのところへは私一人で行くわ。あなたは館の仕事をなさい」
「かしこまりました。では、失礼いたします」
 瀟洒な態度をかけらほども崩さずに、咲夜は退室した。


   ◆  ◆  ◆


 図書館の戸を叩くとすぐに小悪魔が出てきて、私を案内してくれた。
「遅いわレミィ。起きたらすぐに来てって言ったじゃない」
 開口一番のたまうパチェ。なんだか機嫌が悪そうね。
「こちらにだって都合は存在するのよ」
 私は彼女の向かいに座りながらそう言った。
「それは初耳。……あら、珍しい物を着けてるのね」
 彼女の視線がネックレスへ向いているのは、目をつぶっていたって判るわ。
 小悪魔も気にしているみたいだったしね。
「似合う?」
「ピッタリよ。ヤクザ屋さんも真っ青ね」
「ヤクザ屋? 聞いたことがない商売ね」
「外の世界の商売だもの。知らなくてもしょうがないわ」
「へえ。どんなの?」
「無言の圧力と威厳でもって、縄張りとする地域を治める仕事よ。あら、やっぱりレミィに似てるじゃない」
 紅魔館周辺に悪質な妖怪が存在しないのは、私の威光によるところが大きい。パチェはそのことを言ったのだろう。
「なるほど、似ているかもしれないわね。
それで、ヤクザ屋さんは判ったけれど、本題は?」
「それなんだけれど、今日は咲夜は来てないのね」
「そうね。でも、私に用があったんでしょ?」
「……順を追って話そうかしら。小悪魔、お茶を淹れてきてちょうだい」
「かしこまりました」
 ああ、お茶が必要な程度に長話なのね。少しばかり覚悟が必要かしら。

「魔理沙が本を返してくれないの」
 あぁまたそれか、と私は了解した。
 パチェが心を悩ませる対象の九割は、魔理沙と本と、それに小悪魔だ。
 だから、「いつものことじゃない」と私は言った。
 パチェは少し怒った様に、
「それだけじゃないの。本を借りにすら来ないのよ」
「言われてみれば、最近美鈴の悲鳴を聞かないわね」
「一ヶ月よ一ヶ月。魔理沙が初めてここに来てから、こんなに間を空けたことはないわ」
「良いことじゃない」
 門は壊れない。門番も壊れない。私は静かに眠れるし、これ以上図書館の本が減ることもない。
 以上を鑑みて、私は素直な感想を言ったのに、
「良いわけないでしょう!?」
 と、怒鳴られてしまった。うーん、何が悪かったのかしら。
「私は紅魔館の主人という立場から感想を述べたのだけれども。
機嫌を悪くさせてしまったことについては謝るわ。ごめんねパチェ」
「…………」
 人が素直に謝ったのに、まだ気が立っているご様子だ。
 パチェはカップを口にして、ふうと一息ついて話を再会した。
「でね、魔理沙をここに連れて来たいわけよ」
 私は「自分から行けば?」とは言わなかった。
 実行した所で、あまり愉快でない事態になるのは自明の理だもの。
「小悪魔を魔理沙の家に行かせて、引っ張ってくれば良いんじゃない?」
「先日行かせたわよ。ねえ小悪魔」
「はい、でも門前払いでした。すまなそうな様子には見えましたけど」
 パチェの後ろに立つ小悪魔が言った。
「小悪魔でダメだったのなら、誰が行っても一緒じゃないの? 他に取り立てて良い手があると思えないのだけれど」
「そうね」 あっさり同意された。

「それで、咲夜の知恵を借りようと思ったのよ」

「咲夜の?」
 今はあまり聞きたくない単語が、急に私の前に飛び出してきた。
「なんで咲夜に用があるのに、私を呼び出すのかしら」
「咲夜の主人はあなたでしょう。
無断で借りるのも気が引けたし、あなたを呼べば咲夜が付いてくると思っていたんだもの」
「ちょっと、咲夜は私の付属物じゃないわよ」
「あら、逆だったかしら」
 睨みつけると、パチェはしゃあしゃあと紅茶を飲みやがった。

 私は否定したけれど、パチェの言葉はあながち間違ってもいない。
 普段、私は屋敷内を歩き回るにしても咲夜を連れていることが多いものね。
 でも今日は例外だ。
 気持ち良く目覚めた後にあんな仕打ちを受けては、寛大な私であっても、彼女に普段と同じ様に接することは出来ない。
 それに加えて気にいらないのは、パチェが端から咲夜の知恵を当てにしていること。
 彼女が有能であるということは、館の内に留まらず外まで広まっている。
 紅魔館内の仕事において彼女に勝る者は存在せず、世俗的な事柄についての知恵は、
目の前の動かない大図書館と対等、いや上回りすらするかもしれない。
 ……というか、この大図書館あまり当てにならないんじゃない?
 パチェは“友人の有能な侍女”を頼る前に、“有能な友人”を頼るべきよ。
 色恋沙汰の相談なんて、なおのこと友人に先にするのが道理だもの。

「レミィ、黙りこくってどうかしたの?」
「ん、悪いわねパチェ。たった今脳内会議が終了したわ」
「は? 何が言いたいの?」

「つまり、あなたの懸案事項に対する知恵を持っているのは、咲夜だけではないということよ」

 数秒の間を置いてのパチェの第一声は、
「小悪魔、お茶がぬるいわ」
「あ、すぐ淹れなおします」
 テーブル上で作業する小悪魔にパチェは、
「ねえ小悪魔」
「はい、なんでしょう?」
「あなた、咲夜以外の誰かが、例の件について適切なアドバイスを出来ると思う?」
「はぁ、……霊夢さんとかですか?」
 おい。
「成程、それは失念していたわ」
 ちょっと待てい。
「でもねレミィ」 パチェはこちらに向き直って言った。
「内々で片をつけたいから咲夜を当てにしたの。だから霊夢には知らせないで――」
「ちょっとパチェ! それに小悪魔!」
 ドン、と一発テーブルを叩く。
「この私が、直々に、問題解決に乗り出そうってのに、その態度は何なの!?」
 もう一発、テーブルをドン!
 こぼれた紅茶を小悪魔が拭き始めた。
「……小悪魔、今日の天気は雪、雹、それとも嵐?」
「確か快晴だったはずです。でも、自信が持てません……」
「ああ、快晴なのはレミィの頭なのね。それなら理解出来るわ」
「待てっつってるでしょうオトボケコンビ」
 会話の雲行きが怪しくなったので、私は口を挟んだ。
「店子の悩みを聞くのは大家の仕事って言うじゃない。
ましてや私とパチェは親友よ? これはきっと、私に問題を解決しろっていう神主の啓示に違いないわ」
「神じゃなくて神主ですか?」 と小悪魔が言うと、
「そこは流しなさい」 とパチェが言った。偉いわパチェ。

「ねえレミィ、いつも寝てるか血ィ飲んでるか咲夜に甘えるか神社に遊びに行くか
妹様と喧嘩するか美鈴にちょっかい出すかくらいしかしないあなたが、どういう風の吹き回し?」
「私はパチェにそう見られているのね」
「小悪魔がそう言ってたのよ」
 違います言ってませんよぉ、と慌てる小悪魔を尻目に、パチェは優雅な仕草で紅茶を飲んだ。
 そんなに飲むとトイレに行きたくなるわよ。
「パチェ、理由ならさっき話したじゃない。親友の頼み一つ聞けない吸血鬼なんて、誇れるものじゃないわ」
 そんなことないと思いますけど、と小悪魔が言ったので、軽く睨んでやった。
「ちょっと、やめてちょうだい。小悪魔が怯えちゃうわ。
……ともかくそうね。やる気は充分みたいだし、あなたにお願いしようかしら。
でもね、レミィ」
 パチェはまた一口紅茶を飲んだ。今度は私も釣られて飲む。
「さっきも言ったけど、この件、内々で片をつけたいの。
咲夜なら良い知恵をくれるか、もしくは彼女が上手くやってくれたと思うのだけれど」
 普段なら鼻が高いのに、今はあまり嬉しくない話だ。
「だけれど、何?」
「……あなたが咲夜を使いたくないと言うなら、他のメイド達も使わないで、独力でやってくれないかしら」
 はて、パチェは何を言っているのだろう?
 咲夜以上に頼りになるメイドは存在しない。他を頼るくらいなら、最初から咲夜を頼るに決まっているわ。
「心配無用よパチェ。明日の昼には門番が悲鳴を上げるだろうから、楽しみに待っていてちょうだい」
「……よろしく頼むわ、レミィ」
 そう言ったパチェの笑顔に、苦い物が混じっているように見えたが、きっと気のせいだ。
 私はカップに残っていた紅茶を一息に飲むと、図書館を後にした。


   ◆  ◆  ◆


 密かに館を脱出して、飛ぶことしばし。
 久しぶりの一人での散歩はなかなか気分が良いけれど、今日の目的は別にある。
 夜の空を楽しみながらも、私は真っ直ぐ魔理沙の家に向かった。

 目的地に到着すると、私はドアのノッカーを鳴らして声を上げた。
「魔理沙、いるんでしょう? 開けなさい!」
 十秒待ってみたけれど、開かない。声も返ってこない。
 もう一度ノッカーをガンガン鳴らすが、同じ結果だった。
「明かり点けといて居留守もないでしょうにね……」
 ドアノブをひねってみたが、やっぱり鍵が掛かっていた。
 仕方がないので力一杯引っ張った。
 開いた。
「まあ、鍵が開いてるわ。無用心ねえ」
 ドライバーと金槌でドアを壊して、『細工は流々』とおっしゃった先人は誰だったかしら?
「邪魔するわよ」 と言って私は中に入った。ああ、なんて礼儀正しいわ・た・しっ。
 少し進んで居間を覗くが、魔理沙の姿は見当たらない。
「変ねぇ、どこにいるのかしら」
 と、奥の方で物音がした。ついでに「何だ、誰かいるのか?」という声も。
 そっちに行ってみると、魔理沙がいた。
 あえて文学的表現をすると、生まれたままの姿で、だった。
「…………」
「……水も滴る良い女ね」
 文字通り濡れていたので、見たままを言ってみた。すると、
「うおおぉぉぉいちょ待っ、待てよぉ!!」
 慌てて逃げる魔理沙。風呂場に引っ込んだみたいね。
「まったく、風呂に入っているのならそうと言いなさいよね」
「無茶言うな!」と声が返ってくる。「大体鍵が掛かってたろ!?」
「開けようとして引っ張ったら開いたわ」
「開けるなぁっ!」
 ドアは開けるためにあるのに、魔理沙は何を言っているのかしら。
「というか壊したろ! 壊したんだろ!?」
「それで、用件なんだけれど」
「無視するな! ……そうだな、帰れとは言わないから、居間で大人しく待っててくれ……」
「オーライ、魔理沙」
 ここは譲歩することにした。まあ、私ったらなんて謙虚。

「それで、何の用だ一体」
 固いソファーに座っていると、いつもと違いパジャマ着用の魔理沙が出てきた。
 肩にタオルをかけ、髪にはまだ水滴が付いている。
 パチェが見たら鼻血モノかしら。カメラを持って来れば良かったわ。
「ってか、お前が一人でウチに来るなんて、一体何があったんだ? 咲夜はどうした」
 また咲夜? 私が一人で行動すると、咲夜についての説明責任が発生するらしい。
「あの子、今日は館の仕事に専念してもらってるわ」
「そうかい。あ、今水しかないぞ」と二人分のコップを置く魔理沙。
「お構いなく。あなたの血なら貰ってもいいのだけれど」
「私の血は値が張るぜ? 紅魔館の財政が傾いちまう。
で、また聞くが何の用だ?」
「あなた、最近ウチに来ないと思ってね。パチェもフランも退屈してるわ」
 パチェの名前を出すだけでは露骨かもしれないし、少しカモフラージュしてみた。
「それを言うためだけに紅魔館の主人殿がお出ましか? 大げさなこった」
「あら、小悪魔は追っ払ったそうじゃない」
 それを言うと、魔理沙はうっと言葉を詰まらせた後で、「何だ、知ってたのか」と絞り出した。
「私を呼び出すために迎えがランクアップするなら、次は咲夜あたりが適切だろ」
「話がそれてるわよ。どうして小悪魔を追っ払ったのかしら?」
「それは……」
 あーとかうーとかうなった後で、魔理沙は言った。
「……ちょっと、立て込んでたんだよ……」
 あら、どうにも魔理沙らしくない態度ね。
「理由になってないわ。何がどう立て込んでたの」
 追求すると、魔理沙はさらに口ごもった。
 ええい、埒が開かないわ。
「ともかく、あなたにどんな事情があろうと、ウチの本を取って行ってることに変わりはないんだからね。
強制捜査と行かせてもらうわ」
 私は立ち上がって、寝室があるであろう二階への階段に向かった。
「あ、こらちょっと待て!」
「さっきからそればっかりね」
 一つ覚えな静止を無視して二階へ上り、適当なドアを開く。
 すると、

「…………何これ?」

 開けたのは寝室のドアだったけれど、中は寝室と呼べるのか怪しかった。
 ベッド以外のいたるところに、紙が散乱していたのだ。
「見るなレミリア! ほら、さっさと出ろぅべッ!!」
 裏拳程度で黙るなんて非力ね。ちゃんと栄養取ってるのかしら。
 顔を押さえて苦しむ魔理沙をほっといて、私は足元の一枚を拾い上げる。
「――これ、原稿用紙?」
 マス目で区切られたその紙には、やや丸っこい字がびっしりと書かれていた。
「何々、『私マリア、十六歳。恋に恋する女の子』……」
「読むな馬鹿ァっ! ――蝙蝠もやめろー!!」
 蝙蝠を三十匹ほどまとわりつかせたら、魔理沙は動かなくなった。やっぱり非力ね。
 散らばった紙を適当に拾い、十枚ほど目を通してみる。
「――意外だわ。あなたにこういう趣味があったなんて」
 蝙蝠を戻し、魔理沙を解放してから言ってやった。
 彼女は息を荒くしながら、「文句あるかよ……」と言う。
「文句じゃないわ、純粋に意外だっただけよ。
にしても随分書いたわね。これ、とても百じゃきかないでしょう」
 クシャクシャに丸まった原稿用紙も含めれば、ざっと三百枚はありそうだ。
 これだけ書くには、なるほど、立て込まなければ無理でしょうね。
「あ、あのなレミリア。誤解してくれるな。
パチュリーに借りた本の中に面白い小説があって、それで気まぐれに書いてみただけなんだ。
決して、いつもこういうことをやってるわけじゃないんだからな。誤解するなよ」
「気まぐれで一ヶ月も引き篭もる?」
「私は凝り性なんだ。知ってるだろ?」
「知ってはいるけど、この状況だと言い訳にしか聞こえないわ。
で、これは資料かしら」
「あっ! や、それは……」
 私が手に取ったのは、ベッドの上に置いてあった一冊の本。
 タイトルは、『女を口説く666の方法』。
 魔理沙は気丈にも、「その通り、参考資料だ」と言い張ってきた。
 ふと、私の頭に良いアイディアが浮かんできた。そして即実行。
「でも魔理沙? この本、物書きの資料にするのに、信憑性はあるのかしら」
「おい、そりゃどういう意味だ?」
「言葉通りよ。中身を実践してみないことには、資料としての価値があるか、怪しいでしょう?」
「お、お前なあ」
 魔理沙は、何でかうつむいて頭を掻いた。
「実践ったってなあ、誰を口説けって言うんだよ」 魔理沙は言った。
 よし、ここだ!

「あなたは意識してないかもしれないけど、あなたを待っている人がいるのよ、ウチに」

「はぁっ!? お前、さっきから何を言ってるんだ!?」
 魔理沙の顔が真っ赤になってる。やっぱり思い当たる節があるのかしら?
「言葉通りだって、さっきから言ってるじゃない」
「ってお前、ちょ、だからなぁ……!」
 この動揺っぷり、もう充分かしらね。
「それじゃ、今日はおいとまするわ。
わざわざ私が来てやったんだから、ちゃんと明日、紅魔館に来なさいね」
「おい、ちょっと待てって!!」
 私は無視して窓を開けて、そのまま外へ飛び出した。
 魔理沙のわめき声をバックに、私は夜空に舞い踊る。


   ◆  ◆  ◆


 仕事を成し遂げた充実感、そして開放感に浸りながら飛んでいたら、いつの間にか大分館に近づいていた。
 もうちょっと散歩しても良かったかしら。いやいや、主がいつまでも留守にするものじゃないわよね。
 それに、もう見つかってるみたいだし。

「お嬢様! いつお出になられたんですか!?」

 下から飛んできた美鈴に、私は手を振った。
「ただいま美鈴」
「はい、お帰りなさいませ……じゃなくて!!」
「あら、主人と交わす挨拶は嫌い?」
「そんなことは! ……だから、そうではなくてですね」
「言いたいことがあるんでしょう? ほら早く早く」
 もうちょっとつついてもいいのだけれど、可哀想だし止めたげましょう。
 美鈴は、ちょっとムッとした後、スーハーと一度深呼吸して、
「勝手に外に出られたりしたら、皆が心配します」
「にしては館が静かみたいだけど?」 言ってやった。
「そ、それは、……お嬢様が気配を消されるのが上手で、きっと気づいてないんですよ!」
「そうねえ。気を操るあなたに気づかれないんだから、私も大したものね」
「うっ!? そ、それは、私の力は普段外部に向けられているからでして……」
「はいはい、そういうことでいいわよ」
 と言っても、気になることは一つある。
 美鈴の言い分を鵜呑みにするとしても、それは咲夜が私の不在に気づかない理由にはならない。
「美鈴、咲夜は何か言ってたかしら?」
「いいえ。定時連絡では何も言ってませんでした。咲夜さんにも気づかれないなんて、やっぱりお嬢様はすごいです」
 ……まあ、そういうことにしとこうかしら。

「館の中に戻るまでご一緒します」 美鈴は言い張った。
 しょうがないので一緒に飛んでいると、美鈴が、
「ところでお嬢様、そのネックレス綺麗ですね」
「美鈴、気づくのが遅いわよ。でもありがとう。
あなたはアクセサリーとか付けてないのね」
 美鈴はちょっと残念そうな顔をして、
「万一の時、邪魔になっちゃいますからね。興味はあるんですけど……」
「これ、磁気ネックレスっていうんだけど、肩こりに効くらしいのよ」
「そうなんですか!? うわあ、いいなあー……」
 あらまあ。ショーケースの玩具を見る子供の目ね。
「門番業は肩こる?」
「体内の気脈等で調整は出来るんですけど、どうしたって疲れは溜まっちゃいますからね。
あの、それ、いくらしたんですか?」
「えっとね、確か(ピー)」
「…………」
「……もし魔理沙を退治出来たらボーナスあげてもいいわよ?」
「が、頑張りますぅ……」
 しょぼくれる美鈴って、やっぱり愛らしいわ。


   ◆  ◆  ◆


 館の入口で美鈴と別れると、私は自分の部屋には戻らず、そのままパチェのところに行くことにした。
 少し気になるのは、屋敷に入ってからこっち、誰にも会わないこと。
 メイド達の半数以上は、私とフランの活動時間に合わせて夜に動いている。
 なのに、ネズミ一匹見掛けやしない。
 本当にネズミがいたら、掃除担当者はお仕置きだけれども。
「やっぱり咲夜の差し金かしら?」
 考えにくいけれど、それしか思いつかない。としても動機が判らない。
「……嫌がらせ?」
 いやいや、咲夜に限って、そんなことがあるはずないわ。
 そんなことを考えているうちに、図書館に到着していた。

「パチュリー様、レミリア様が戻られました」
「あら、早かったのねレミィ」
「そうかしら」
 テーブルの上の置き時計を見ると、先刻のディスカッションから三時間も経っていなかった。
「それで、首尾のほどは?」
「上々よ。魔理沙は明日確実に、ここ紅魔館にやって来るわ」
 あれだけ言っといて来なかったら、魔理沙の神経を疑うわ。
 もし来ないなら、こっちから乗り込んで引っ張りだしてやる。
「あなたが言うなら間違いないんでしょうけど、不安だわ」
「失礼ね。私はヒンデンブルグ級の大船よ?」
「…………」
「……あの、レミリア様」
「ジョークよ」
 パチェの冷たい視線と、小悪魔の申し訳なさそうな声を引き出すために言ったんじゃないわ。
「さ、パチェ、明日に備えてとっとと寝なさい。
せっかく魔理沙が来たのに寝不足で倒れたりしたら笑えないでしょう?」
「言われなくてもそうするわ。ほらほらレミィ、友人の安眠のためにとっとと帰りなさい」
「言われなくてもそうするわ。ほらほら小悪魔、お茶をもう一杯ちょうだい」
「こらこらレミィ、言動が一致してないわ」
「だから、ジョークだってば」
 図書館を辞した私は、部屋に戻って寝くさることにした。
 明日の昼には魔理沙が来るだろうから、パチェと同じ様に寝溜めしておきましょう。


   ◆  ◆  ◆


 吸血鬼であるということは、二、三日徹夜しても健康を保てるということである。
 ……なんだかスケールの小さな話に聞こえるけど、事実は事実だもの。
 まあ三日どころか何年だろうと死にはしないのだけれど。
 なら最初からそう言いましょうよ私。

 閑話休題。
 どごぉんもしくはずがぁんという轟音で目が覚めた。
 十中八九魔理沙だと判りきっているのでゆっくり体を起こすと、脇に咲夜が控えていた。
「おはよう咲夜」
「おはようございます、お嬢様」
「何かあったのかしら」
「霧雨魔理沙が門扉ごと美鈴を吹き飛ばした模様です」
「あら、久しぶりね」
 どうやら昨日の策は成功したようね。
 門扉程度の被害は想定の範囲内だし、美鈴は吹き飛ばされるのも仕事の内だから問題なし。
「それで、彼女は図書館へ行ったのかしら」
「いいえ、違います」
「そう。…………は?」
 違う、とはどういうことかしら。
「咲夜、そこは『イエスマム』でしょう?」
「お言葉ですが、私はお嬢様のことを『マム』とお呼びする許しを得ておりません」
「そうじゃなくてっ」 私は言い直す。
「魔理沙がウチに来る目的は、図書館以外っ、……フランのところに行ったの?」
 もしそうなら、大いなる戦略ミスとしてパチェに詫びなくてはいけない。それは絶対イヤだ。
 だが、咲夜の答えは私を更なる混乱のズンドコに陥れてくれた。
「いいえ、違います」
「じゃあ、一体どこに行ったというの!?」
「こちらです」
「…………咲夜、言葉の意味が判らないわ」
「申し訳ありません。言い方を変えますと、この部屋、レミリア様の寝室を目的地としているようです」
 何よそれ。
「根拠は? 久しぶりの襲撃で道に迷っているだけじゃないの?」
「それは考えにくいと存じます。魔理沙はレミリア様の名前を連呼しつつ移動していますので」
 私は目の前が真っ暗になった。要するに目をつぶった。
「……咲夜、命令よ」
「はい、お嬢様」
「私をパチェのところに連れて行きなさい。
その後、魔理沙を足止めすること。無理に追い返す必要はないわ」
「かしこまりました、お嬢様」
 パチェに何を言うべきか考えないといけないのに、私が思考に費やせる時間はわずか着替えの間だけ。
 時間を操るというのも良し悪しだわ。
 考えながら図書館まで歩く? 魔理沙に逢いそうな気がするから論外。


   ◆  ◆  ◆


「あらレミィ、どうしたの? ここに来るのは魔理沙じゃなかったのかしら」
 開口一番のパチェの台詞は、私のハートを正確に打ち抜いた。
 咲夜を連れてこないで正解だったわ。連れてこられない、が現実だけど。
 気になるのは、小悪魔の顔に「嫌な予感がします」と書いてあること。意外と勘が良いわね……。
「あのねパチェ、落ち着いて聞いてくれるかしら。ほんの少しばかり問題があるみたいなの」
「レミィ、私がアクシデントの一つ二つで動揺すると思っているの? 動かない大図書館の名は伊達ではないわ」
「そう言ってくれると非常に助かるわ。 あのね、魔理沙は私を探してるらしいのよ」
「あらそう。…………はぁ?」
 パチェが私を睨んだ。それも、手元の本をわざわざ脇によけてだ。
 小悪魔があちゃーという顔をしているのは気のせいだ。……気のせいだっ。
 ともあれ、私には状況説明の義務があるみたいね。
「詳しいことは判らないけれど、魔理沙は私の名前を連呼しながら館内を移動してるって。大変だわ」
「大変の原因は、さて誰にあるのかしら?」
 くっ、厳しいわねパチェ。
「レミィ、あなた昨日ヘマやらかしたんじゃないでしょうね?」
「パチェ、友人をただ働かせておいてその言い草……?」
 カチンと来たわ。
 私はテーブルをドンと叩いて、
「ヘマだなんてそんな! 私は私の為すべきことを行ったわ。人事を尽くして天命を待ったの!」
「あなた人間じゃないでしょう!? それに、こうなる運命は確認してなかったの!?」
「ダチの色恋程度に力を使ってたら、三百六十五日全部が能力使用日よ!」
「あ、言ったわねレミィ! 言ったわね!? この――」

「二人とも、待ってください!!」

 バン! と小悪魔がテーブルを叩いて、私達は喋れなくなった。
「レミリア様も、パチュリー様も、落ち着いてください。まずは状況を確認しましょう」
 正直、小悪魔の言葉はありがたかった。
「そうよね。ごめんパチェ、大声出したりして」
「こちらこそ、疑うようなことを言って悪かったわ。
小悪魔の言うとおり、状況の確認が必要ね。レミィ、魔理沙が今どうしているか判る?」
「咲夜に足止めを命じたわ。無理に追い返すなと言っておいたから、まだ館内にいると思う。
もしかすると、久しぶりの弾幕ごっこではしゃいでいるかもしれないわね」
「ん? レミィ、弾幕ごっこが久しぶりってどういう意味かしら」
「ああ、それは――」

 ――昨日の霧雨邸での出来事を話すと、パチェと小悪魔の顔が青汁を飲んだようになった。
「……小悪魔、アレを持ってきて」
「アレですね。すぐに持ってきます」
「アレって何よ」
 パチェは答えず、むっきゅりとした顔で私を見つめた。

 言葉通り、小悪魔は三分もしないうちに戻ってきた
「ねえ、その水晶玉は何?」
 管だかコードだかが付いている水晶玉なんて始めてみたわ。
 小悪魔は水晶玉をテーブルの中央に置くと、
「レミリア様、失礼します」
 と言って私の帽子を取り、四本あった管だかコードだかを私の頭に貼り付けた。
「パチェ、何これ?」
 これはね、とパチェは言う。
「対象の脳内にある記憶を、映像と音声に変換して引き出す道具なの。
眼と耳で捉えたものをそのまま引き出すから、精神のプライバシーは保護されるわ」
「……まあ、昨日は何もやましいことないから構わないけれど、便利な道具があるものね」
「望む物は存在するのよ。私は魔法使いだもの」
 何よそれ。
「都合の良い理屈があったものね」
「魔法使いだもの。――それじゃ、始めましょう」
 パチェが両手を水晶玉にかざし、魔力を送り始めた。
 魔力と言うより電波でも注ぎ込んでいるように見えるわね。言わないけど。

 ―――― 再現映像上映中 ――――

 魔理沙のヌードシーンでパチェが鼻血を吹いたが、それ以外は、
「特に問題があったとは思えないけれど」
「「…………」」
 主従揃ってのジト目をプレゼントされた。いらんわそんなもん。
 睨み返すと、小悪魔の方はすぐにやめて、
「レミリア様、吊り橋効果の仕組みはご存知ですよね」
「緊張による心拍数の上昇を恋愛のそれと勘違いする、でしょ」
「なら、もう判りますよね……」
 はぁ、と小悪魔が溜め息をついた。パチェもそれに合わせた。

 あれ?

 私の絵図が崩されて、そこから新しい絵が浮かんでくる。
「…………ねえ、私の理解が間違っていなければ、すごく恐ろしいことが起きているんじゃないかしら」
「レミィ、その理解はきっと正解よ。ロイヤルフレアをプレゼントしちゃう」
「パチュリー様、今はお止め下さい。本を守るの誰だと思ってるんですか?」
「冗談よ小悪魔。今のところは、だけれども」
 ――なんと、予想外の事態になってしまったわ。
 風呂上りという状況。裸を見られたショック。秘め事を見られたショック。
 それら全てが合わさって、なの?
「ちょっと待って。私はパチェの名前をちゃんと出しているわ」
「妹様も、でしょ」
「それはカモフラージュ。ともかく、なのになんで私が……」
「レミリア様、本気でおっしゃってるんですか?」
 小悪魔が困り顔のまま告げてきた。

「『口説き文句を実践してみろ』なんて、どこの少女小説の口説き文句ですかって感じですよ。
直接言った相手を意識するのが自然です。
しかも、『わざわざ私が』なんて最後に言って。典型的な“ツンデレ”の“ツン”です」

「私、そんな捉え方をされるなんて、思ってもいなかった……」
「自分の台詞の意味を考えようともしなかった、の間違いでしょう」
「パチュリー様!」
「いいの小悪魔。レミィは言われて当然のことをしたんだもの。ねぇ?」
「ッ……」
 パチェの言葉が、私の心を貫いてゆく。
 私は、なんと言えばいいのか、判らない。
「……どうすればいいの、パチェ」
 パチェは陰を落とした表情のまま、私に言った。
「改めてお願いするわ、レミィ。――咲夜の力を貸してちょうだい」
「それは、でも……」
 確かに、咲夜ならこの状況をプリンセスがテンコーする程度の時間もかけずに解決してくれるだろう。
 でも、出来ることなら咲夜の手を借りずにこの場を収めたい。私の選択は、始めからそうだった。
 けれどもパチェは許してくれなかった。
「レミィ、ことはもはや図書館の蔵書問題の範疇を超えてしまったわ」
「違うでしょ、元はパチェの恋あングッ。……小悪魔?」
「失礼しました、レミリア様」
 パチェは小悪魔を一瞥して、話を続けた。
「とにかく、このままでは紅魔館全体に悪影響が出る可能性があるわ。
そもそも今魔理沙の足止めをしているのは誰? 咲夜でしょう?
彼女にとってその手間は、状況を終結させることと対して違わないでしょうに。
いいえ、むしろ余計に苦労しているかもしれないわ。
ねえレミィ、あなた何をためらっているの?」
「…………」

 パチェも、小悪魔も、きっとこの館の誰もが、私と咲夜の確執を知らない。
 低レベルないさかいが原因で、こんな事態になってしまったと知れたら、彼女達はどう思うのだろう?
 想像したら、悲しくなった。
 悔しいけれども、私は私であると同時に、紅魔館の主でもある。
 ならば、役目を果たさなくてはならない。

 私は軽く息を吸って、パンパンと二度手を叩いた。そして言った。
「咲夜、咲夜ー!」
「お呼びですか、お嬢様」
 言い終わった時にはもう、咲夜は私の横にいた。
「魔理沙はどうしてるかしら?」
「武装メイド三十名と共に閉鎖空間に閉じ込めました。
脱出に最低五分はかかるだろうと存じます」
 対処は万全。さすがは完全で瀟洒なメイドだ。
 そんな彼女を相手にして、なんで私はつまらない意地を張ったのだろう?
 ……情けないわね、レミリア・スカーレット。
「咲夜、頼みがあるの」
「頼みでございますか?」
「そう、頼みよ」
 パチェがニヤつき、小悪魔が微笑んだ。
「あなた達、何がおかしいの?」
「何もおかしくないわレミィ。むしろ自然よ」
「言ってくれるわね」
 私は咲夜へと向き直って、今までの経緯を全て伝えた。
 咲夜は話を聞いてる間、わずかな相槌を打つだけだった。
「咲夜」
「はい、お嬢様」

「この状況を終結させて、魔理沙がまた図書館に訪れる程度の状況に戻しなさい」
「かしこまりました、お嬢様」

 咲夜は一礼して、「ではお嬢様、門の外で少々お待ち願います」と言って日傘を渡してきた。
「ねえ咲夜」
「何でしょうか、お嬢様」
「今、時を止めなかったでしょう」
「その通りですが、問題がありましたでしょうか?」
「全然ないわ」
 むしろ、安心させてもらったわ。
 私は日傘を掴み取ると、出口へ向けて歩き出した。咲夜は既にこの場から消えている。
「頑張ってねレミィ」
「レミリア様、ご武運を」
 二人の声に意味はなく、二人もそれを判っているだろう。
 何故なら、彼女は立てる策までも完全で瀟洒で、みぃんなそれを知っているから。

 ああ、彼女は何もかもを理解して、何もかもを一瞬で解決してしまう。それも私の望むままに。
 彼女を疑うことは出来るけど、その後私は、疑ったことを後悔するに決まっているの。
 だから私は、ちょっとの不満を抱えながら、彼女の手のひらで踊るのだ。


   ◆  ◆  ◆


 言われたとおり門に向かったら、何故か美鈴の姿がなかった。
 サボりなら後でお仕置きね。咲夜の指示なんだろうけど。
 日光がさんさんと降り注ぎ、初夏の訪れを声高に主張している。
 日傘があっても暑いものは暑い。
 吸血鬼でも暑いのは不快極まる。
「ったく、この暑い中でどうしろってのかしら、咲夜ったら……」

「おっとレミリア、待たせちまったか?」

 声に振り向くと、館から出てくる人間がいた。
 それは咲夜ではなく、
「魔理沙、もう帰りかしら?」
 咲夜は説得に成功したのかしら。
 帽子を深くかぶった、魔理沙は大分落ち着いて見える。
 もっとも、今日面と向かったのはこれが初めてなのだけれど。
「ああ、お帰りだぜ。用事を一個済ませてからな」
「用事なら咲夜にでも」
 と、そこで魔理沙が帽子のつばを持ち上げた。
 そこにある目は、一直線に私を睨みつける。
 ……って、咲夜は説得に成功したんじゃなかったの?
「なあレミリア。今日は突然押し掛けたりして悪かったよ」
 魔理沙はこちらに歩み寄りつつ、口を動かす。
「今度、改めて来させてもらうぜ。本を返して借りなきゃならんし、フランとも随分ご無沙汰だ」
「勿体ないわね。返すだけなら客人として迎えてあげてもいいのに」
「うんにゃ。どうしたって、もうしばらく客人としては来れないだろうな。前と同じ押し掛けさ」
 そう言うと、魔理沙は立ち止まった。

「館の主人の不興を買っちゃあ、客人にはなれっこないだろ?」

「魔理沙、あなた何を言ってるの?」
 確かに今回の騒動は問題だが、私にも原因がある。
 それなのにこの物言いは、咲夜、あの子一体どんな説得を――。

「レミリア――」

 気がそれたせいで、反応が遅れた。


「――乙女の純情を弄びやがってえぇーーーっっ!!!」


 あ、八卦炉。ってことは――――



   ◆  ◆  ◆



 目が覚めたので、私は言った。
「おはよう咲夜」
「おはようございます、お嬢様」 いつもと同じ声が返ってきた。
 彼女が紅茶のカップをベッドの横のテーブルにそっと置いたので、私は目覚めの一口を啜った。
 美味しいけれども、味について触れる気になれない。
「咲夜、今何時かしら」
「午後の九時です」
「そう」
 魔理沙に撃たれた時、太陽はほぼ真上だったっけ。
「随分寝てしまったみたいね」
「寝る子は育つと申します」
「そのジョークは今一つね」
 咲夜は何も言わなかった。
 私はもう一口紅茶を啜る。
「……咲夜」
「はい」

「魔理沙に何て言ったの?」

「要約でよろしいでしょうか?」
「詳細にお願い」
「かしこまりました」
 咲夜は浅いお辞儀をして、言った。

「まず、『お嬢様は霊夢が本命で、あなたとは遊びなのよ!』と」

「ブッ!!」
 紅茶を少しばかり吹いてしまった。
 手に持ったままだったカップの取っ手が砕けたが、カップ自体は盆の上に瞬間移動していた。
「魔理沙は十秒ほど押し黙り、『じゃあ昨日のアレは何だったんだ!?』と叫びました。
そこで私は、『お嬢様は、あなたに気があるフリをすることで霊夢の気を引こうとしたのよ』と解説しました」
 吹く紅茶も、握り潰すカップももうなかった。
「私は更に、『でも霊夢は歯牙にもかけなかった。だからお嬢様はあなたを捨てたの!』と言いました」
 いや、少しは疑問を持ちなさいよ魔理沙。昨日の今日よ? 昨日の今日よ!?
「恋は盲目と申します」
 だから何じゃい。
「話を戻します。
魔理沙はうなだれ立ち尽くしたので、私はメイド達に解散を命じました。
そして二人になった後、私は『また改めてここにいらっしゃい』と言いました。
『パチュリー様はあなたを友人だと思ってるし、妹様もそう。私だってそう思ってるわ』とも」
 まあ、よくすらすらと言えたものね。開いた口が塞がらないわぁ。
「苦笑を浮かべ、肩を落として帰ろうとする魔理沙に、私は言いました。
『お嬢様は門の外にいるわ』と。そして、

『一発なら私が許すわ』と」

「あなたにそんな権限があったなんて、初耳だわ」
「私は紅魔館メイド長としてではなく、友人として助言を行ったのでございます」
 そんな理屈が通ってたまるかっ。
「そして魔理沙は正門に向かい、お嬢様にマスタースパークをぶっ放されました」
「あなた、お嬢様を砲撃した不届き者を逃がしたの?」
「日傘まで吹き飛びましたので、お嬢様の保護を第一といたしました。
狼藉者の排除よりも、主人の安全確保が重要と判断しましたので」
 それ、一歩間違えれば私死んじゃうわよ? ノーライフキングなのに死んじゃうわよ?
「私を館の外へ誘導したのは、その言い訳のため?」
「館内でのマスタースパークは修理等の問題で避けるべきと判断したためです。他意はございません」
 咲夜はあっさりと言いやがった。この嘘つきめ。

 私は何十秒か、何百秒か、むっきゅりと黙り込んだ。
 咲夜はその間、同じ姿勢で横にいた。
 私は、首にかかったままのネックレス――意外やあの砲撃に耐えていた――を咲夜に渡した。
「咲夜、処分しておいて」
 私は言った。
 このネックレスが、今回の全ての元凶な気がしたからだ。
 そうじゃないかもしれないけれど、私にはそう思えたわ。
 咲夜は言った。
「お嬢様、お願いがございます」
「何かしら、咲夜」
「処分なさるのでしたら、もしよろしければ、私にお譲りいただけないでしょうか?」
「へ?」
 意外な一言。……ああ、でもこれで疑問が解けたわ。
 何だかんだ言って、咲夜もこのネックレスが気になってたのね。だからあんな態度を取ったのでしょう?
 私は気分良く、「いいわよ」 と言った。
「ありがとうございます、お嬢様」 と言って、咲夜はネックレスをエプロンのポケットにしまった。
「あら、ここで着けないの?」
「お嬢様の前で、そんな失礼なことは出来ません」
 別に失礼とは思わないけど、瀟洒な従者のプライドかしら?
 でも私は、それをどうでもいいと思えるくらい気分が良かった。
「着替えるわ、咲夜」 と私は言った。
「かしこまりました、お嬢様」 と咲夜は言った。


   ◆  ◆  ◆


「――――とまあ、そういうわけなのよ」
「レミィ、あなた、やっぱり咲夜には敵わないじゃない」
 そう言ってパチェはくすくすと笑った。
「ねえパチェ、“完全で瀟洒”って、ああいうことを言うの? もっと従順なのを言うんじゃないかしら?」
「従順な子にはすぐ飽きるくせに。小悪魔、お茶のお代わり」
「私にも」
「はい、只今」
 私は咲夜を仕事に向かわせ、図書館でことの顛末を話していた。
「これでまた、魔理沙が本を返しに来るでしょうね」
「判らないわよパチェ。あいつフランのことも口にしたわ」
「咲夜に言って玄関と図書館を直結させようかしら……」
「ちょっと、勝手に館を改造しないでちょうだい」
 私は笑い、パチェも笑った。
 とその時、小悪魔が「誰か来たみたいなので見てきます」と言った。
 戻って来た小悪魔の後ろにいたのは、図書館で会うことなどまずありえない、意外な人物だった。
「あら美鈴、仕事はどうしたの?」
「咲夜さんが時間をくださいました。お嬢様はここにいるだろうから、お礼は早い方が良いって言って」
「お礼?」
 そこで私は、美鈴の首の輝きに気がついた。
「美鈴、そのネックレス……」
「はい、ありがとうございました、お嬢様!」
 美鈴は頭を下げ、「図書館では静かに」というパチェの言葉に、すみませんと返した。
「磁気ネックレス、って言いましたっけ。なんだかもう肩が軽くなった気がします」
「美鈴、それ、咲夜が?」
 美鈴は怪訝そうな顔で、

「勿論そうですよ。咲夜さんが、『お嬢様が、これを着けて頑張りなさいと仰っていたわ』って」

 不思議なことだとは思わないわ。
 だって咲夜は、彼女は紅魔館一のメイドだもの。
 彼女は主人の従者に留まらず、館全体を取り仕切るメイド長。彼女は何でも知っている。
 美鈴も喜んでいるし、そうね、捨てるよりよっぽど良い選択よね。

「似合ってるわよ美鈴。ヤクザ屋さん顔負けね」
「ありがとうございます、パチュリー様。でも、ヤクザ屋さんって何ですか?」
「外の世界の商売で、無言の圧力と威厳でもって、縄張りとする地域を治める仕事よ。
門番として、彼らにあやかると良いかもしれないわ」
「はい、頑張ります! ……あれ、お嬢様、どちらに?」
「咲夜に用事が出来たの。たまにはこっちから行こうと思って」
「あ、じゃあ私も一緒に戻ります」
「いいえ、私からも休憩をあげるわ。あなたはお茶を一杯飲んでから戻りなさい」
「ちょっと、ここの主人は私よ」 とパチェが言ったけれど、私は無視した。


   ◆  ◆  ◆


 十六夜咲夜。
 完全で瀟洒な従者。紅魔館のメイド長。
 私を退屈させてくれない、とても愉快で愛しい彼女。

「ねえ咲夜」
 門の前に立つ彼女に話しかけた。
「御用でしょうか、お嬢様」
 咲夜がこっちに振り向いた。
「少しばかり痛かったわ。体も、お財布も。
でも、魔理沙はまた来るだろうし、パチェやフランは喜ぶわね。
小悪魔もパチェのイライラが減って喜ぶかしら。それとも、本がまた減って悲しむかしら。
そうそう、美鈴、あの子とても嬉しそうだったわ」
 咲夜は、頷きもせずに静かに聞いている。
「ねえ咲夜」
「はい、お嬢様」
「あなたなら、終わり良ければ全て良し、と言うところかしら」
「まさしく然り、かと存じます」
 まったく、堅っ苦しいお返事だこと。
 気がつくと、私はクスクス笑っていた。

「ねえ咲夜」
「はい、お嬢様」
「久しぶりに、二人っきりで遊ばない?」
 咲夜は瀟洒な笑みを浮かべて、深々とお辞儀した。
「かしこまりました、お嬢様」


「パチュリー様、レミリア様ってツンデレなんですか?」
「あれはただのマゾよ。咲夜限定の、ね」


 ―――――― 以下、ちょっとした解説 ――――――

冒頭に書いたとおりこのSSは、『比類なきジーヴス』(P.G.ウッドハウス著)をモチーフとしています。
ジーヴスシリーズは、20世紀初頭のイギリスが舞台です。貴族のはしくれである青年バーティーと、“驚嘆すべき”執事であるジーヴスによる喜劇小説。『これを知っていれば、モンティ・パイソンをもっと面白いと思える』と訳者は語っています。
『比類なき~』には、ほぼ全編通して登場する脇役に、バーティーの友人“春が来るたび恋をする”ビンゴがいます。バーティーとジーヴスは、彼が恋をするたび巻き込まれてしまうのです。
そしてある時思いついたのが、レミリア=バーティー、咲夜=ジーヴス、パチュリー=ビンゴ。
実際書くに当たって、咲夜=ジーヴスは似通った部分が多くなりましたが、他二人は同じなのは役どころだけ。なので「ただのパロディではない、東方らしいSS」が書けたのではと思っています。

最後に一言。 ――I love  Jeeves! I love 東方!!
らくがん屋
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コメント



0.9420簡易評価
2.90翔菜削除
やっべぇ、元ネタわかんないけどこういう話は大好きだ。
5.80名前が無い程度の能力削除
瀟洒な咲夜さんかっこいい!元ネタは知らないが確かにハマリ役だ。
10.90無銘削除
ああ、完全で瀟洒な執事・・・じゃなくてメイド
11.70aki削除
元ネタがあるのに違和感ない辺りが素晴らしい。
良い幻想郷でした~。
18.80変身D削除
元ネタは知りませんが、咲夜さんが瀟洒すぎて素敵です。
あと、ツンデレレミィがみょんに可愛いくてもっと素敵です(w
24.無評価名前が無い程度の能力削除
元ネタわかんないけど噴いた
かわいいなぁw
25.90CODEX削除
このパーフェクトメイドには、天帝様とて敵うまい。
それに引き替え・・・へたれみりゃ・・・
44.100Mr.7削除
すばらしい大団円に感動した。
お洒落なゲート・ガールに乾杯!
46.90なべ削除
咲夜さん…カンペキダ(ジーコ)
むっきゅりむっきゅり。
50.100名前が無い程度の能力削除
イエス!
パーフェクト
62.80K-999削除
ここで注目すべきは魔理沙の可愛さだと愚考する。
73.100名前が無い程度の能力削除
ツボは、むっきゅり、私マリア、ヤクザ屋さんあたりかと。
小生はさっきから私マリアが脳内でリフレインしてますが。
一番ワリを食った上で少女らしさを見せていったのは多分魔理沙。
81.90名前が無い程度の能力削除
面白い!元ネタがあるにせよレベル高いなと思いました
次回作にも期待します。
82.90名前が無い程度の能力削除
お嬢様も従者も良いけれど、
それより何より魔砲使いが可愛すぎるさ・・・
91.100名前が無い程度の能力削除
コンプリート・パーフェクト
97.100名前が無い程度の能力削除
あまりに完璧!

まさに 瀟 洒 !

僕らはこんなメイド長を待っていた!
105.100煌庫削除
正に完璧で瀟洒なメイド長、咲夜さん!
というか永遠亭、通販なんて・・・・・
140.100絵描人削除
咲夜……恐ろしい子…っ!
ともあれ、楽しくて素敵なお話、ご馳走様でした!

元ネタの方も読んでみたくなりますねぇ
152.90名前が無い程度の能力削除
失墜するカリスマと上昇する完全で瀟洒な従者。
元ネタ知らずですが、楽しめました。
154.100名前が無い程度の能力削除
何気にお嬢様がが一番苦労してるように見えるww
可愛いぞレミィ、頑張れレミィ
155.100時空や空間を翔る程度の能力削除
この物語は
「咲夜さん」と「レミリア」
2人が主人公ですよ。
違和感無く読めました。
156.100名前が無い程度の能力削除
100
157.100名前が無い程度の能力削除
元ネタを知らないだけに素直に楽しめたかも。
90点+むっきゅりに10点で100点!
168.無評価名前が無い程度の能力削除
ちょっと図書館行って元ネタの本探してくる!
187.100名前が無い程度の能力削除
瀟洒!
191.80削除
元ネタは知りませんが(知らないからこそ?)、楽しめました。
一番最後がとてもお気に入りです。
196.100名前が無い程度の能力削除
まさに瀟洒!!
204.100名前が無い程度の能力削除
へたれと瀟洒のバランスが素敵。
こういう主従もいいなぁ…
220.90名前が無い程度の能力削除
面白かった