Coolier - 新生・東方創想話

『鈴蘭の海の中で 前編』

2006/05/23 19:43:48
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 私は唐突に生まれた。

 浅い眠りの中、背中には柔らかな感触。

 草の上にでも横たわっているのだろうか。

 体は思うように動かず、頭ばかりがあれこれと考える。

 目も開けられない。

 代わりにしゃっきりとするような、気丈な香りが嗅覚を刺激していた。

 なんだか眠気が飛んでいくような匂いだった。

 私は匂いに助けられるように、思い切って体を起こしてみることにした。















 一面に広がる鈴蘭の海の中で、少女は体を起こした。

 ぱちりと開いた目が、新しい世界を見据える。

 目の前には小さな、白い鈴蘭の花。

 それは、そよ風が吹けば凛とした鈴の音を奏でそうな形をしていた。

 「私、誰だっけ」

 少女は鈴蘭の海の中で呟いた。

 空には澄み渡った青。

 地には生い茂る緑。

 虚空には鈴蘭の香り。

 「ま、誰でもいいのかしら」

 少女は呟いた。






























 それから私は、何回も何回も眠った。

 何回も何回も夜空に昇る月と共に起きて、何回も何回も日の出と共に眠った。

 私は生まれて、生きることを始めた。

 太陽が嫌いだった。

 あんなに強い光は浴びたくない。

 月が好きだった。

 あの儚げな光に抱かれていたい。

 何もかもが新鮮に目に映り、何もかもが新しい音を奏でていた。















 優しい夜空。

 星は瞬き、月は笑う。

 一面に広がる鈴蘭の海の上で、少女は舞い踊る。

 その綺麗な金色の髪が揺れる。

 かわいらしい赤と黒の服が揺れる。

 くるりくるりと舞う少女は、瞳を閉じていた。

 風に揺れる鈴蘭の花と共に、少女は舞い踊る。






























 生まれてからワタシは、何回も何回も殺した。

 何回も何回も追い掛けて、何回も何回も殺した。

 わからない。

 何故なのか自分でも全くわからない。

 人間が憎い。

 憎くてしょうがない。

 殺せ。

 潰せ。

 頭の片隅で、ワタシがそう叫んでいた。



 愛しい。

 愛しくてしょうがない。

 やめてよ。

 殺さないで。

 頭の片隅で、私がそう叫んでいた。















 鈴蘭の海は静かに揺れる。

 風に揺られ、楽しそうに揺れる。

 少女は沈んでいた。

 一面に敷かれた鈴蘭の海の中に。

 「私、誰だったっけ」

 少女が呟いた。

 鈴蘭の気丈な香りが漂う中。

 「ま、誰でもいいのかしら」

 呟く少女の服には、べっとりと血糊が付いていた。






























『鈴蘭の海の中で』 ~ Convalloside Sea ~










 そして幾度も日が昇り、沈み。

 月が昇り、沈んだ。

 幾度も風が吹き、止み。

 雨が降り、止んだ。

 ワタシは毎日、夜になっては飛び回った。

 人を見つければ必ず殺した。

 見つけられなければ涙を流した。

 何故なのかは自分でもわからなかった。















 鈴蘭の海の中で。

 少女は涙を流していた。

 けれど。

 その表情は苦痛など全く感じていないように、澄ましたものである。

 両の瞳から、ただ機械的に涙が流れ出ていた。

 只々、流れ出ていた。

 少女は不思議そうに呟く。

 「なんでこれ、止まらないのかな」

 その問いかけに返事をする者などはいない。






























 ワタシはまた一人殺した。

 かわいい黒髪の女の子だった。

 女の子が恐れ、転んで、生きたいが為に起きあがり、

 走って逃げて、泣き叫んで、左足が吹き飛んで、手の指が欠けて、泣き喚いて。

 その時はただ気持ちよかった。

 只々、気持ちよかった。

 やがて女の子は動かなくなった。

 ワタシは、動かなくなった女の子の目をちらりと覗き込んでみた。

 真っ黒な焦点の合っていない瞳と目が合った瞬間、ちくりと、胸に針でも刺さったような気がした。

 胸を触って確かめてみても、傷などほんの少しも付いていなかった。















 とてもとても綺麗な朧月夜。

 揺れる鈴蘭の海の中、少女はちょこんと座っている。

 その両目からは涙が流れ出ていた。

 「殺したのに。 なんかいやだ」

 少女は呟いた。

 声音は哀しそうでも、不機嫌そうでも、かと言って嬉しそうでも無く、機械的。

 風が吹く。

 鈴蘭の花がまるで波のように揺れ、潮騒のようにざわめいた。

 少女はごろんと横になった。

 そして瞳を閉じ、眠りにつこうとし、

 「ここ、邪魔するわね」

 聞き慣れない声に妨げられた。

 少女が寝転がったまま目を開けると、その視界には、短い黒髪に眼鏡の女の姿が映っていた。

 「あなた、誰?」

 綺麗で無愛想な顔に向かって、少女は尋ねた。

 女は答えない。

 返事の代わりなのか、どっかりと鈴蘭の海に腰を下ろす。

 そして肩に掛けた大きな鞄から、ぽんぽんと物を放り出し始めた。

 パレット、イーゼル、画筆、キャンバス、鉛筆、パレットナイフ……。

 その他諸々、様々な物が鈴蘭の海に沈み込んでゆく。

 「人間みたいね」

 少女はにっこりと笑って言った。

 女は静かに答える。

 「ええ。 あなたはもしかして、妖怪さんかしら?」

 「ええ」

 少女はすてきな笑顔のまま、こう続ける。

 「ちょうど人の泣き叫ぶ顔が見たかったとこなの」

 少女は猫なで声で、まるで女に甘えるように語りかけた。

 ふわりと、風が二人の間を通りすぎる。

 女は声を無視して鞄から物を放り出し続けていた。

 少女がきょとんとした顔になる。

 「あなた、逃げないの?」

 「ええ」

 女は我関せず、とばかりにイーゼルを鈴蘭の海に浮かべ、その上にキャンバスを載せる。

 そんな女の顔を見て、少女は口元ににんまりとした、歪んだ笑みを浮かべた。

 「今からワタシに殺されるのに?」

 細く開いた瞼の奥。

 獰猛な眼は、月明かりを受けて蒼く光っていた。

 「どうぞ」

 あっさりとした声が響き渡る。





 どうぞ、と言ったきり喋らず、女はキャンバスの傾け具合を調節していた。

 少女はきょとんとした顔。

 沈黙がゆっくりと空気に染み渡る。

 「やらないの?」

 女が沈黙を破り、促すように尋ねた。

 少女は一瞬だけはっと夢から醒めたような顔をして、

 それからまるで期待外れだったとでも言わんばかりの顔をつくる。

 「人は泣き叫んで逃げるからこそ、潰すのが楽しいのよ」

 不満げな声。

 「あなたつまらない」

 そしてぷいっと顔を背けてしまった。

 少女は鈴蘭の海に、ごろんと深く沈み込む。

 女はそんな少女の方を一瞥することもなく、鉛筆を持ち、ナイフで先端を削り、尖らせた。

 やがてナイフの手を止め、尖り具合を確かめる為に鉛筆を顔に近づける。

 いい具合に出来ていたのか、女は鉛筆をイーゼルの上に置いた。

 木炭を鞄から取り出し、厚切りの食パンを取り出す。

 それぞれを右手、口の位置に据え付ける。

 女はキャンバスにごりごりと、木炭を押し付けて下書きを始めた。

 そんな女の様子を、少女は鈴蘭の海に沈みながら物珍しそうに眺めている。

 「何してるの?」

 「描いてる」

 少女の問いかけに、女は口にパンを挟んだまま器用に、無愛想に答える。

 少女はまたつまらなそうな顔に戻ってしまった。

 「ふーん」

 「あまりにここがきれいだったもんでね。 お邪魔させてもらいます」

 女が丁寧にもう一度断りを入れた。

 後半は棒読みではあったが。

 そして、口にくわえていたパンをキャンバスに押し付け、間違ったラインを修正していった。

 「別にいいけどね」

 少女は呟くように応える。

 綺麗な朧月夜の下。

 少女と女は隣り合ったまま黙り込んでいる。

 鈴蘭の海は風に吹かれて波立ち、静かな潮騒の音を奏でていた。






























 朝になって、月が沈むと同時にあの女は帰っていった。

 思えば変な女だった。

 今まで殺した人間と比べてみる。

 まず、普通の人間の場合。

 ワタシの姿を見て、初めは迷子かと勘違いしたりする。

 なんで夜道を子供が一人で歩いているのかと、妖怪なのではないかと思い、徐々に怯えていく。

 彼らへワタシがとびきりの笑顔を手向けると、恐怖に泣き叫ぶ。

 大体こんな風なのが、今まで殺してきた人間達だ。

 そしてあの女の場合。

 ワタシの姿を見て、まるで物でも見るような目。

 なんでこんな鈴蘭畑に子供が一人? とも考えず、関わろうとさえもしない。

 ワタシが笑顔を手向けても、にくったらしく綺麗な顔で微笑み返す。

 そんな風なのがあの女。

 ……本当に人間なのかしら?

 あの女の腕がちぎれて、はらわたが引きずり出されて、痛みに泣き叫ぶ所を想像してみようとした。

 結局、ほんの少しも想像できなかった。














 雲が流れていく。

 月の隠れた夜空の下、鈴蘭の海に少女が沈んでいる。

 その両の瞳からは、涙が流れ出ていた。

 辺りに昨日の女の姿は無い。

 少女は空を飛び回って人間を捜すことも、舞い踊って遊ぶこともしなかった。

 ただつまらなそうな顔で寝転んでいる。

 只々、涙を流していた。






























 3日間、ずっと寝転んだままだった。

 何か考え事をしていたような気もしたが、今思い出そうとしても全く思い出せない。

 私はずっと寝転がっているのにも飽きたので、飛び回ってみた。

 鈴蘭の花畑を越えて、蓮の大池を越えて、夜の桜並木を越えて。

 そして私は人間の里の近くまで来ていた。

 別に何か目的があって来た訳では無いのだが、私は見つけた。

 泣きながら夜道を歩く、小さな男の子を。

 家出でもしてきたのかぐずぐずと涙を流していて、その歩みは遅い。

 ――潰せ。



 頭の片隅で、ワタシが呟いた。



 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。

 跡形もなく潰しなさい。

 哭き喚く声が聞きたいでしょ?

 許しを乞う叫びが聞きたいでしょ?

 殺し――

 やめなさい!



 頭の片隅で、私が叫んだ。



 やめて。

 殺さなくてもいいでしょう?

 あんなに好きだったでしょう?

 暖かさが、温もりが、笑顔が。

 忘れたの? 忘れちゃったの?

 殺さないでお願――

 うるさい!

 引き裂いて食いちぎれ。

 跡形もなく潰――

 やめてよ!

 …………。

 …………。

 …………。

 ――結局。

 私に気づくことも無く、男の子は人里の方へと戻って行って、見えなくなってしまった。

 もう追う気などしない。

 良かったのだろうか?

 良くなど無いよ。

 なんで殺さない?

 いいえ良かった。

 殺さなくて済んだもの。



 ……ああ、わからない。

 どっちだろう?















 とてもとても綺麗な、朧月夜。

 少女は今日も涙を流していた。

 しかし、その表情には陰りなど見当たらず、まるで心の無い機械から燃料油が流れ出ているようにも見える。

 寝転んだ少女は鈴蘭の海に抱かれ、朧月を眺めていた。

 薄いもやの向こう。

 明るく、力強く、妖しい満月。

 魅入ってしまえば、引きずりこまれてしまうような気さえする。

 そんな月を眺めている時、どさっと少女の背後に何かが置かれる音がした。

 「邪魔するわ」

 少女は体を起こして、後ろを振り向いてみた。

 そこに居たのは、イーゼルにキャンバスを立てかける黒髪の女。

 「またあなた?」

 「ええ」

 女はずれた眼鏡を元の位置に調整しながら答える。

 キャンバスに描かれた下書きは完成していた。

 女はしばらく下書きの出来を確かめるように、静かに眺め続けていた。

 少女は涙を流したまま、女の横顔を眺める。

 「今日も泣いてるのね」

 女がキャンバスから視線を逸らさずに尋ねた。

 返事は返ってこない。

 沈黙が鈴蘭の海に満たされる。

 女は無言でパレットを取り、絵の具のチューブを握った。

 絵に色を付け始める。

 風さえも、その重たい空気を吹き飛ばしてはくれない。

 少女は涙を流しながら黙り込んでいた。

 それから小半刻も立った後だろうか。

 「あなた、人間だよね?」

 少女が突然尋ねた。

 ぷっと、ゴムタイヤから空気が吹き出すような音がした。

 女が吹き出し、笑っていた。

 少女は初めて、無機質だった女の表情に、他にも種類があることを知った。

 「ええそうよ。 人間の女のクズ」

 女は陽気に笑う。

 笑いながらパレットの絵の具を混ぜ合わせた。

 少女は全く意味がわからないといった顔で更に尋ねる。

 「人間の女のクズって、何が?」

 返事はすぐには返ってこなかった。

 絵の具を混ぜるパレットナイフを握る手が、止まっていた。

 「……むかーし昔。 小さな村に小さな女の子がいました」

 女はナイフをそこらへんに放った。

 鈴蘭達がそれを受け止める。

 女は語り出しながら、両手を後ろでつっかえ棒にして空を仰ぐ。

 少女は女の綺麗な横顔をしっかりと見据えた。

 月とたくさんの鈴蘭達も、静かに女の話を聞いていた。

 「女の子のそばには、物心ついた時から好きだった男の子がいました。

  その男の子は岩山から飛び降りたり、暑い太陽の下で走り回ったりすることが大好きな、やんちゃな子供でした。

  女の子をいじめたら泣き出してしまい、男の子も大人達に叱られ、わんわんと二人で泣き続けたこともありました。

  二人は小さな村の中で、幾つもの春と夏、秋と冬を過ごしました。

  そしてそうなることがまるで当たり前であったように、いつの間にか二人は夫婦になっていました。

  時が経ち、女の子の体に新しい命が宿ります。 彼らは幸せそうに笑いました。

  ……けれど」

 少女の瞳に、唇の端をきゅっと噛み締める女の姿が映る。

 「けれど、その笑顔はいつまでも続くわけではありませんでした。

  元々体の強くなかった女の子は、新しい命を産み出すことができなかったのでした。

  それだけではなく、次の命を授かることもできなくなってしまいました。

  女の子は呆然としました。 まるで抜け殻のように毎日を過ごしました。

  しかし、そう日が経たない内に決意します。

  女の子は男の子に話をすると、男の子はとても驚いてから、それでも構わない。 ここに居ろと言ってくれました。

  ……結局。 女の子は男の子の家を出て行きました。

  それからは大好きだった絵を描くことにしました。

  とにかく描きました。 これからも描き続けます。

  理由なんてありません。 描くことに決めたから、描くのです」

 そこで、女は語るのをやめた。

 女はぼうっと朧月を眺めていた。

 月に注いでいたその視線をふと少女へ向け、にっこり笑い、

 「つまらないし下手な話だったでしょ?」

 尋ねた。

 どこか寂しそうな笑顔で。

 少女は答える。

 「わかんない」

 「そう」

 「何故絵を描くかも、何故家を飛び出したかも、何故笑うのかもわからない」

 「そう」

 二人は鈴蘭の海の中に沈んでいた。

 朧月が、そんな彼らをやんわりと照らし出す。

 「わからない、気がする」

 「そう。 ……聞いてくれてありがとう」

 女は気恥ずかしそうに笑った。

 少女は、女のこの表情を見るのも初めてである。

 「なんでその女の子が人間やってるのかもわからないわ」

 少女の言葉を聞いて、女は思わず吹き出してしまった。

 腹を抱えて、必死に笑いを堪えている。

 終いには気道に唾でも入れてしまったのか、げほげほげほげほと苦しそうにむせかえった。

 少女はそんな女を見て、怪訝そうな顔をするばかりであった。






























 女の子はなんで生まれたの?



 なんで笑ったの?

 なんで好きだったの?

 なんで夫婦になったの?

 ワタシはわからない。



 なんで笑えなくなっちゃったの?

 なんで決めちゃったの?

 なんで出て行っちゃったの?

 私はわからない。



 なんで絵を描くの?

 わからない。















 鈴蘭が揺れている。

 一面に広がる鈴蘭の海の中で、少女は踊る。

 海の波間を漂う、金色の花のように。

 閉じた瞳から涙は流れていなかった。

 くるくる くるくると。

 さらさら さらさらと。

 少女は踊る。

 鈴蘭の海の中で。

 その足下は定かではなかった。

 踊り疲れたのか。

 少女はとうとう転んでしまった。

 仰向けにごろーんと。

 服は乱れ、髪もぼさぼさ。

 少女は仰向けに倒れたまま、空を眺めた。

 空には居待月が輝いている。

 明るい夜。

 少女はぼうっと月を眺め続けた。

 眺め続けた。

 眺め続けている内に、やがて月に雲がかかる。

 そのあやしげな輝きが覆い尽くされたと思った瞬間、ぱらぱらと何かが顔目掛けて降ってきた。

 小さな雨粒だった。

 少女の手を、頬を、足を、口元を、腰を、瞼を、胸を、髪を、雨が乱れ打つ。

 雨に打たれながら、少女は一つ溜め息をつき、目を閉じた。

 ごろんと右に寝返りを打ち、眠ろうとする。

 しかしその日はいつもと同じようで、何かが違った。

 右手の甲の、小さな違和感。

 硬い、何か無機質な感触。

 怪訝に思った少女はぱちりと瞳を開けた。

 そこにあったのは、一つの薄汚れた人形だった。

 少女と同じ赤と黒の服を纏い、澄ました顔で雨に打たれている。

 「……?」

 月明かりなどはほとんど無く、その人形は目をこらしてようやく形がわかるような有様だった。

 少女は、その人形を両手で持ち上げる。

 「……あなた? 誰?」

 その見開かれた眼は、人形を魅入っていた。

 口元が絶えず虚ろに動き、言葉を紡ぐ。

 「わた……し?」

 私? と、彼女はもう一度呟いた。









かなーり時間が経ってから、作中に題名だけ追加。
鈴蘭の毒は少量なら強心剤になるらしいです。 大量だと文字通り体に毒ですけど(笑)
あおのそら
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