Coolier - 新生・東方創想話

螺旋の絆~後編~

2006/05/15 01:09:17
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 ☆


「それで紫様の式神に?」
「あぁそうだ」
 藍が過去を話し始めてもう二時間ほどが過ぎた。
 しかし藍の話はまだこれで半分程度だったりする。
 草木も眠る丑三つ時。
 しかし妖怪や幽霊はまだ眠らない。
「だが式神になったばかりの頃は、今の妖夢のように、いやそれよりもっと
 紫様のことを信用できていなかったな」
 出会ったときから胡散臭い妖怪だと思っていた。
 それが一緒に住むようになって、さらに強まったのだ。
 助けてくれた恩義もあるし信頼できる面もあるが、それ以上に紫は信用ならないのだ。
「私が今のように信頼できているのは、式神になってからずいぶん後のことだ」
 藍は彼女の尾を枕代わりにして寝ている橙の頭を撫でた。
 そういえば、と藍は思い出す。
 紫を信頼するきっかけを与えてくれたのは、他ならぬ橙だったということを。




 ★


 幻想郷が博麗大結界によって外界から隔離された世界になった頃。
 あの陰陽師が言っていたように、世界は人間達が支配する世界に変わってしまった。
 妖怪は淘汰され、今ではこの幻想郷に住む者しかいないと思われる。
 紫と藍は結界と外界、幻想郷の狭間に居を構え暮らしていた。

 式神は方程式で動くもの。
 そう紫に教わった藍は、とりあえず紫の言うとおりに行動していた。
 ここ数十年はずっと式神として生活している。
 式神になったと言っても変化はしていないし、意識はあるので以前とはさほど変わらない。
 違うと言えば紫の言うとおりに動いていれば、効率よく動けるということだろうか。
 戦いにおいても、最大限の力を発揮することもできるようになった。
 紫が設定した戦い方に乗っ取って戦うので、藍の意思は介入はできないが、
 それでも確実に強くなった確信はしていた。

 ただ、その代わりにやらなければならないことがあった。

 それは八雲家の一切合切の家事労働である。
 藍の体が動けない何週間かは紫が身の回りの面倒を見てくれていた。
 しかし藍が動けるようになり、それからは家事を分担して行っていたのだが、
 次第にその割合が藍ばかりに寄ってきて、ついには彼女にまかせきりになってしまったのだ。
 紫は元々夜型の妖怪だったこともあるが、今では完全に夜以外に行動することはなくなっている。
 しかもかなり寝地汚いときた。
 起こしても起こしても、本人に起きる意思がなければ絶対に起きない。
 酷いときはまるまる24時間寝ていたときもある。
 主人とはいえ、このぐうたらな為体を許しておくわけにはいかない。
「まったく……」
 食器を洗う手を止めため息をついた。
 昨日はいきなり飲むわよー、とか言って家中の酒を飲み干した。
 そしてそのまま酔いつぶれて今に至る。
 信用はしているが信頼をおける相手ではない。
 この妖怪の元からは、いつかは離れていこう。
 藍は心の奥でそう決め込んでいた。



 紫の生活は改善されることなく、藍の家事に明け暮れる生活も続いていた。
 しかしいつか出ていこうにも、今自分がいなくなれば主人はこのまま寝続けて、
 面倒だから、と餓死するのではないかと思ってしまうと、出ていくに出ていけないのだ。


 そんなこんなで悩み続けて、結局今日も庭掃除をしている。
 箒を持つ手もどこか重い。
 掃除にもムラがでている。
 いったい、何のためにこうして生きながらえているのか。
 紫は悔しくないか、と聞いてきた。
 そしてその悔しさを克服するほどの力を身につけることはできた。
 だがこれで何になったというのか。
「とりあえず掃除を終わらせるとしよう。ん?」
 藍は妙な視線を感じて、庭の一角にある茂みを見た。
 その陰からは確かに一対の目がこちらを見ている。
 敵意や殺気はこれっぽちも感じられないことから、どうやら警戒すべき相手ではないようだ。
「おいで」
 藍が声をかけるが、相手はこちらを警戒しているようで出てこない。
 相手にしなくても良いのだが、ちょっとした興味本位というやつだ。
 そのとき、茂みの中からくぅ、と可愛らしいがこちらまで聞こえるほどの音で
 空腹を訴えるのが聞こえた。
「そうだな。もえすぐ昼だし御飯にしよう。おまえも来るかい?」
 御飯、という単語に反応したのか茂みががさがさと音を立てる。
 そして茂みからおそるおそる現れたのは、猫又の少女だった。
 頭に生える黒い三角の猫耳と、二つに分かれた尾が特徴的だ。
 まぁ容姿はこの際どうでも良い。
 今一番気にしなくてはならないのは――。
「御飯の前に風呂と着替えだな」


 まさか何も着ていないとは思っていなかった。


 一緒に風呂に入り少女の汚れた体を洗い終え、衣服を着せた。
 猫として水は嫌いなのか、ずいぶん暴れられたため、あちこちにひっかき傷をもらいながらも、
 なんとか少女の身なりを整えることができた。
 こうして改めて見るとなかなか可愛い。
 ちなみに服は藍の着替えなのでぶかぶかだ。
 素っ裸でいられるよりはマシと考え着せたのだが、これはこれでなかなかに威力がある。
 可愛いという衝動を抑えつつ、藍は少女を食卓に座らせた。
「おまえ、名前は?」
 ばくばくと御飯をかっ込む少女に尋ねる。
 だが少女は食べることに夢中で質問に答えようとしない。
 その喰いっぷりからするに、だいぶ長い間食べていないように見える。
 しかし、それとこれとは話は別だ。
「ご馳走になっていいる側には多少なりとも礼儀は払うものだ」
 少女の手から椀をひょいと奪い取ると、藍はしかるように言った。
 いきなり邪魔をされた少女は恨めしそうな顔をする。
 だがその顔立ちからか、そんな表情をされてもちっとも怖くはない。
 それどころか可愛らしさすら感じてしまう。
「名前だ。それだけ答えてくれれば椀は返してあげる」
 しかし少女は首を傾げるだけで答えない。
 もしかして、と藍は思った。
「おまえ、言葉が話せないのか?」
 妖怪のすべてが人語を操ることができるわけではない。
 知恵を持っただけでは、言葉の獲得に直接つながるわけではないのだ。
 容姿の幼さから、この猫又はここ数年の内に生まれた妖怪だと思われる。
 元々妖怪は人間の社会と関わっていたため、人語を使える妖怪は多かったのだが、
 結界によって隔離された世界で生きるしかない今、人間と関わりを持たない
 妖怪達が続々と生まれつつある。
 そんな妖怪達は人間の言葉を知らず、挙げ句は話すこともままならない妖怪も出ているそうだ。
 この少女もそういった境遇なのだろう。
 言葉も使えないし、餌もまともにとれないこの子を、このまま放っておく訳にもいかない。
 どうせここには自分が世話をしている妖怪がすでにいる。
 ならば一匹も二匹も変わらない。


 藍はその猫又少女を迷い家に住まわせ、言葉を教えることにした。
 少女もまた餌をくれる存在として、藍を慕うようになった。
 妙な成り行きでこの迷い家の家族が増えることになったのである。
「食料を探しに出かけてくるからな。留守番を頼むぞ」
 こくりとうなずく少女。
 言葉の意味を掴むのは、だいぶ早い内からできるようになった。
 だがまだ自分から言葉を発することはできないでいる。
 それでも彼女が心配して見送りに出てきてくれたのは正直嬉しいと感じていた。
 紫がこうして見送ってくれることなど、この家にやってきてから一度もない。
 長い間このような喜びは忘れていた。
「じゃあ、いってくるよ」
 笑みを返して、藍は迷い家を出ていった。


 藍は紫の元に来てからも食料調達は変わらぬ仕事としておこなっていた。
 紫は人間を食べていたそうだが、藍にはそんな習慣はない。
 それに食料調達――それ以外の家事もそうだ――が、藍に委ねられた現在、
 わざわざ危険を冒してまで人肉を手に入れることはしない。
「味にはうるさいが、別に何が食べたいと言わないからなぁ」
 呟くのは紫のこと。
 なんだかんだで気になる存在にはなってしまった。
「そういえばあの子は魚が好きだったな」
 猫だから当然か、と思わず苦笑を漏らしてしまう。
 それはもう一匹増えた気になる存在。
 会って間もないというのに、紫と同じくらい自分の中で大きな存在になっている。
 それはあの子にかつての仲間の姿を投影しているからなのかもしれない。
 だがそれでも自分にとって大切な誰かができたことはそれだけで嬉しかった。
 出ていこうという考えも、あの子がいるなら、と思い始めていた。

 そんな藍の耳に人間の声が聞こえてきた。
 畑仕事をしている男が数人で談笑している。
 知らずの内に人間の里の近くまでやってきていたらしい。
 しかしこの結界の中の人間達は、妖怪の存在を知る数少ない人間達なので、
 姿を見られたところで下手に騒がれたりはしないだろう。
 少し彼らの話に耳を傾けてみる。
 それは本当にちょっとした興味だった。

「最近やってきたあの男、なんといったかね」
「妖怪退治をしていたっちゅう男かい?」
「あぁそうだ。なんでも妖怪が住んでいるここにやってきたんだと」
「妖怪退治か。そこまでせんでも充分だとは思うがね」
「外の世界じゃ妖怪は一匹もおらんようになったそうだ」
「妖怪を駆逐したのか。それじゃあまるで人間の方が妖怪みたいじゃねぇか」
「くわばらくわばら。ほんに怖いのは人間だなぁ」
「その陰陽師はずいぶん長い間歳を取っていないそうだぞ。妖怪なんじゃないのかい?」
「人間でも妖怪でもどちらでもいいさ。とにかく平穏に暮らせればそれでな」


 聞いている内に、藍は体の奥底であの感情がわき上がるのを感じていた。
 それはかつてに置いてきたはずの黒い感情。
 もはや思うまい、思い出すまいと刻んでいた過去の傷。
(いやそんなばすはない……あれは数十年も前のこと……)
 自身に言い聞かせるが、彼らの会話の中に出てきたあることが頭から離れない。

「その陰陽師はずいぶん長い間歳を取っていないそうだぞ」

 陰陽師――

 歳を取らない――

 まさかとは思うが、あの陰陽師ならそれくらい造作のないことかも知れない。
 もしまた出会ったら。
 自分はどうする。
 戦うか。
 そんな必要はない。
 だが自分が力をつけたいと思ったのはあの男のせいだ。
 本当はあの男を倒すために、自分はこれまで生きながらえてきたのではないのか。
 いや今更だ、そんな必要はないだろう。
 もう憎しむ感情など、とうの昔に捨てたはずではないか。

 ……ならばなんなのだ、この胸底で疼くわだかまりは。


 ★


 藍の足は自然と人里の近くまで向いていた。
 やはり気になって仕方がないのだ。
 会ってどうするつもりかは自分でもわからない。
 感情のままにまた戦うかも知れない。
 それがどんなに無意味なことだとわかっていても、あの日に受けた傷が疼くのだ。
 外的なものではない。
 仲間を失ったときに受けた心の傷である。
 その傷から憎しみという膿がどろりと出てきそうなほど、藍は忘れられないでいた。
 いったいどれだけの時を過ごせばこの憎しみは消えてくれるのだろうか。
 紫やあの少女との生活で癒えていた傷は、こうも簡単に開いてしまった。
 今ここであの男と会えば……

「妖怪か」

 ざわりと。

 幻聴ではないはっきりとした言葉が耳に届いた。
 それが誰のものかなど、考えるまでもない。
「おまえ、は……」
「私を知っているのか?……なるほどいつぞやの九尾。いや妖怪としての気配より
 別の力を感じる……そうか式神として生きながらえていたのか」
 男はあの日と変わらぬ姿でそこにいた。
 それは読んで字のごとく、まったく変わっていないのだ。
 雰囲気や面影どころではない。
 数十年前のあの姿がそこにいた。
「歳を取らないとは本当だったんだな」
「おかしいか」
「いや……おまえならそれくらいできてもおかしくはない」
 藍の言葉に男はくつくつと笑いをこぼす。
 本当に可笑しかったから笑った、そんな笑いだ。
「まるで私が妖怪みたいな物言いだな」
「実際その通りだろう……人間は歳をとるものだ」
「確かに。私がこうして歳を取らないでいるのは妖怪の生命力を己の糧として
 喰らってきたからだ。吸収した力をどうにか活用できないかと思い習得した術でな」
「そんなことはどうでも良い」
 藍の目つきが鋭くなる。
 それに加えてまとっていた雰囲気も変わる。
「戦うのか」
「私の憎しみが消えるにはこれしかない」
「少しは成長したと思ったのだが……どうやら私の眼鏡違いらしいな」
 男は袖から何枚かの札を取り出し身構えた。
 もはや戦うしかない。
 藍は紫によって構築された戦闘方法を思い出す。
 そしてそれを発動させる札を手にする。
「成長はしたさ。あの日の私と今の私、同じだと思うなっ」
 四面楚歌チャーミング
 小粒の弾幕が鞭のように放たれ、その間を大玉の弾幕が埋め尽くす。
 大玉という目立つ攻撃に気を取られている瞬間に、小粒の鞭がしとめるという
 エネルギー効率も相手の動きを制限するという有効性においても抜群の攻撃方法だ。
「この威力を制御できるほどにはなったか……だが忘れてはいないか?」
 男は迫り来る弾幕に、なんと真っ向からつっこんできたではないか。
 だがその行動に驚く藍ではない。
 彼の能力は“妖力を無効化する程度の能力”だ。
 この攻撃もその能力によって無効化できる、そう考えての行動だろう。
 そして近づいてきたところで札を貼り、生命力吸収の呪詛を唱えればそれで勝負がつく。
「そうそう簡単には遣らせないっ」
 無効化するためには彼も何かしらの動作を起こしていると藍は考えた。
 力を発動させるにはその媒体となる力が必要なのだ。
 自分にとってのそれが妖力であるように、彼も何かの媒体を要しているはず。
 近づかれる前にそれをどうにかすれば勝機はあるはずだ。
 藍は次の札を取り出し発動させる。
 プリンセス天狐-illusion-
 藍の姿が突然消え、別の場所に現れたかと思うと大中小の弾幕を一斉に掃射する。
 そしてまた消えては現れ弾幕を広げる。
「考えたな……」
 男の顔に少しだけ焦りの色が浮かぶ。
 さすがに消えられて攻撃の手段はないようだ。
 しかしすぐに男は余裕を取り戻す。
「このままボロが出るのを待つつもりか」
 弾幕を避けながら男が言う。
「おまえは何か勘違いをしていると見える。私の能力に限界があると、
 そう思っているのだろう? だとしたら残念だが、それでは私は倒せん」
 男は弾幕を避けていた動きをぴたりと止めた。
 これでは格好の的にしてくれと言わんばかりである。
「私の能力は先天的に備わるもの。術のように後天的に得たものは、確かに霊力を
 消費しなければ扱えないがこれだけは違う。私は自らの意思で無効化しているのではない。
 触れる妖力すべてが無に帰す。それが私の能力だ」
 男は言うと同時に、自ら弾幕に触れる。
 だがそれによって受けるべき傷は生まれず、逆に弾幕の方が消えていく。
「もしこれ以降も同じような攻撃しかしないのであれば……」
 男は何もない虚空へと札を投げる。
 その札が向かう先に、消えていた藍が現た。
 どうやら隙のある方向があると見せかけて、実は現れる場所を誘っていたらしい。
 はめられた、と思ったときには時すでに遅く、姿を消すことも間に合わない。
 あの札が貼られれば勝負がついてしまう。
 万事休す。
 覚悟を決めた刹那、藍と札の間に黒い影が飛び込んできた。
 それは藍の代わりに札を受け、そのまま地に落ちる。
 身代わりとなってくれた正体に気がついた藍は目を見張った。
 倒れているのは、留守番をしていろと言ったはずの少女。
 何故彼女がここに。
 いやそれよりなんでこんなことに。
「別の妖怪か。また助けてもらったようだな」
「あ、あ……あ」
 男が呪詛を唱え、少女から力を吸い取る。

 また自分は助けられないのか。
 藍はぎりっと奥歯を噛みしめる。
 本当に何のためにこれまで生きながらえてきたのか。
 それはこの男との憎しみに決着をつけるためなどではない。
 二度とあのときと同じ思いを抱かぬように。
 そのために強くなろうと、本当はそう思っていたはずなのに。
 長い年月の間に、そんな大切なことを忘れてしまっていたのか。
 そして今、そのせいで再び大切なものを失ってしまう。
 目の前で消えた仲間の姿が少女と重なる。
 このまま以では前の二の舞になってしまう。

「そんな事させるものかっ」

 藍は少女に近寄ると、呪符をはがそうとした。
 だがそれは強力な力で張られているためかどうやってもはがれない。
「無駄だ。一度貼った札は私の力が及ばない所まで行かなければはがれない」
 しかし藍は諦めなかった。
 今度こそ守りきるために。
 そのために強くなったのだから。
 見ている前でどんどん衰弱していく少女。
 彼女を助けるためにはどうすればいい。

 そのとき藍は自分が助けられたときのことを思い出した。
 紫によって命を永らえさせてもらったとき。
 それは自分が式神になったときだ。
 もし今この少女を助ける術が残っているとすれば。

 藍は一枚の札を取り出した。
 そこには紫によって定められた式は書かれていない。
 白紙の札。
 藍はそこに“紫の”ではなく初めて自身が立てた式を書いた。
 それを一瞬躊躇するが、少女の体に貼り付ける。
 すると今にも消えかかっていた少女の姿が再びはっきりとしてきたではないか。
 その光景に男も唖然とする。
「何をした」
「式神として使役する。おまえを倒すためではない。この子を助けるためだ」
「式神……おまえも式神になったのだろう。式神が式神を使役するだと」
 男が驚くのも無理はない。
 普通式神が式神を使役することなど考えられないことだからだ。
 だがそれに関しては藍自身も驚いていた。
「私も初めて知った。式神の使い方は、いつの間にか体が覚え込んでいたらしい」
「そんな、信じられないことが……」
 愕然とする男。
 藍がその隙を見逃すはずがなかった。
「行くぞ橙っ」
 とっさに少女に名を授ける。
 橙とは藍と対の色の名。
 少女はそれが自分の名前だと知っていたように、藍の指示に従う。
 縦横無尽に駆け回り弾幕を広げる少女。
 藍は直接男に向けて弾幕を放つ。
 他方からの攻撃と、直接相手をねらう攻撃の複合。
「またその攻撃か。だが妖力が元である以上私には――」
「通用しない、だろう。そんなことは分かっているさ」
 男は藍の策に気がついていなかった。
 弾幕だけが彼女たちの武器ではない。
 男は弾幕を無効化しながら、藍に近づく。
 あの猫又を式神として使役している彼女を抑えれば、完全に決着がつくからだ。
 しかし、そのもくろみはたった一撃で崩れ去ることとなった。
「なん、だ、と」
 男は背後からうけた衝撃に顔をゆがめる。
 それは男が初めて見せた苦痛の表情だった。
「そうか……この弾幕はすべてが囮というわけ」
 男はそのまま地に伏した。
 その背後には少女が立っていた。
 彼女が直接攻撃を加えたのである。
 何も攻撃は弾幕だけではない。
 男は妖力を無効化する程度の能力を有していた。
 しかしそれは直接的な攻撃にまで作用するとは言っていなかった。
 藍はそれに気がついていた。
 だがその為に近づけば、相手に気がつかれ呪符の餌食にされてしまう。
 最低でも二人がかりで相手をしなければ不可能な方法だったのである。
 藍は地に伏した男にとどめは刺さなかった。
 それよりもまず少女ことが気がかりだったから。
 藍はすぐに迷い家への帰路を急いだ。


 ★


 迷い家についたとき、玄関で藍の帰宅を待っていた者がいた。
 寝間着姿のだらしない格好ではなく、きちんと着替え身なりを整えた姿で、
 彼女を出迎えてくれたのは、彼女の主である紫その人。
「その様子だと勝てたみたいね」
「すべて気がついていたんですね」
「あら、それはどういう意味かしら?」
 紫は笑みを浮かべたまま言葉をはぐらかす。
「それよりもまずは背中のその子を助けてあげないといけないんじゃない?」
 後は、と紫は付け足して言う。
「あなたもずいぶん疲れているようだし、今日はこの紫お姉さんにどんとまかせなさい」
 自分でお姉さんとか言うな、などこれまでの藍ならつっこみたくなるところだが、
 今日はその優しさが身にしみる。
「お願いします。“紫様”」
 藍は初めて紫のことをそう呼んだ。


 使い慣れた布団の上で、藍は改めて紫のことを考えてみた。
 隣では橙と名付けた少女が気持ちよさそうに眠っている。
 その少女を式神である自分が式神として使役したこと。
 そうしなければあの陰陽師には勝てなかったこと。
 男はずっと生きていたこと
 そして藍がずっと彼に憎しみを抱き続けていたこと。
 紫はそのすべてを知っていたのではないか。
 今になって考えるとそう思うのである。
 紫がずっと自分を式神として使役してきたのは、長い間式変化することによって
 式神でも式神の論理が理解できるようにするため。
 あの猫又をこの迷い家に招き入れたのも、実は紫なのではないだろうか。
「だとしたら……なんという方だ」
 まったく笑うしかいないではないか。
 すべてを知っていながら、まったくそんなそぶりを見せない上にすべての行動が
 今につながっている。
 浅はかだった。
 紫の得体の知れなさは、初めて出会ったときから感じていたはずなのに。
「ははっ……私などとうてい足元に及ぶ存在ではなかったわけだ」
 式神を使役してみて理解した。
 式神を扱うには絶対的な力の差があって、初めて成り立つものであることを。
 それすら気づけていなかった自分は、いつか出ていこうなど考えていた。
 まったくもって愚者のたどり着く安直な答えではないか。
 笑いがこみ上げるのと同時に、藍の目には涙が浮かんでいた。
 それは悲しかったからではない。
 紫の式神として、ここにこうしていることがどれだけの幸福かを噛みしめていたからだ。




 ☆


 藍が話し終えると、とたんに部屋が静かになった。
 元々話していたのが藍だけだったというのもあるが、そういう意味ではなく、
 部屋を包む空気そのものが静寂を作り出している、とでも表すべきか。
「紫様は凄いお方だよ」
 その静寂を破ったのは、藍が発した穏やかでそれでいて強さを含んだ言葉。
 その一言だけで、藍がどれほど紫を信頼しているかがかいま見えるほど、
 それほどの強さがそこには含まれているように思えた。
「幽々子様も凄い方ですよ」
 藍が紫のことをさも自慢げに話していたからだろうか。
 妖夢も負けじと自分の主のことを話す。
 それを聞いた藍は、満足そうな笑みを浮かべ妖夢の頭に手を置いた。
「それならもっと凄いはずだ。ああいう人たちは、自分の凄さを表立てたりしない。
 そんなことをするのは大した強さも持っていない奴だからな。時々見せる
 圧倒的な強さ、凄さ。それを見たとき、私達は改めて従者としての誓いを
 立てることになる。幽々子嬢を凄いと思うなら、思い続けなさい。
 それが主を信頼たり得る存在にする一番の方法だから」
「はい……」
 照れ笑いを浮かべる妖夢と、そんな妖夢に穏やかな視線を向ける藍。
 そこへ縁側から二人を呼ぶ声が届いた。
 どうやら酒がなくなったからもってこいとの催促らしい。
 ついでにつまみも持ってきて、と幽々子のリクエストが重なる。
 そんな主二人に、従者二人は困ったような笑いを見せ合った後、
「「ただいま参ります」」
 と、部屋を後にした。


 ☆


 酔いつぶれた幽々子を寝かせ、紫と藍は白玉楼の庭を眺めながら酒を飲んでいた。
 紫はまだまだ飲み足りないらしい。
 いつもは飲まない藍だが、紫に勧められた酒は飲むようにしている。
「どうだった、妖夢は」
「やっぱり気づいていたんですね」
「やっぱり? まるで私が全部知ってる上だったような言いぐさね」
 そんな風に言うのも、紫が紫だからであろう。
 これ以上の無粋な発言は無用だと藍は思う。
「妖夢はこれからでしょう」
「そうね。まだまだ若いものね……羨ましいわぁ」
「羨ましい、ですか?」
「い、いえ、別になんでもないわよ」
 慌ててごまかすその姿に、藍は思わず笑みをこぼしてしまう。
 そんな藍に頬を脹らせる紫。
「そういえばこんなやり取りも長い間していませんでしたね」
「そうだったかしら」
 ぐい飲みを口につけながら返す。
「私が紫様を主人と認める前は結構けなしてましたよ?」
「あぁそういえば……決心がつきさえすれば出ていこうって顔していたものね」
「バレバレでしたか」
「バレバレよ」
 今度は二人同時に笑いをこぼす。
 こんな日もたまにはいいか、藍は久しぶりに主と笑いあうこの瞬間をそう感じた。


「……ようやく来たわね」
 突然紫の声音が変わる。
 ぐい飲みを置き、立ち上がるとすたすたと歩いていく。
 藍は慌ててその後を追った。
 いきなりの変貌ぶりに、狼狽する藍。
 そんな彼女を放って、紫は玄関へとやってきた。
 先に妖夢が来ており、ただならぬ空気が張り詰めている。
 皆の視線は戸口に立つ影に注がれていた。
「あれは……」
 微かだが感じる気配。
 それは決して知らぬものではなかった。
 まさか、と紫の表情を伺い見る藍。
 紫はただその影を見つめるだけで、その感情を読み取ることはできない。
「ここは冥界の主、西行寺幽々子の屋敷。そうと知っての来訪か」
 妖夢が扉越しに話しかける。
 だが返答はない。
「もし仇なすためにやってきたのなら、私が相手になる!」
「まぁ待ちなさい。彼の用は幽々子じゃないわ」
「知ってるのですか?」
 紫は答える代わりに、戸口に手をかけその扉を開いた。
 真夜中の暗がりに、玄関口の明かりに照らされ立っていたのは男性の霊魂。
 かなり老いてはいるが藍はその男に見覚えがあった。
 三度目の邂逅となるその男は、紛れもなくあの男。
「おまえは……」
「ここに来ればお主に会えると聞いてな……地獄へ行く前に寄ってみたのだ」


 白玉楼の客間。
 机を挟んで対面する形で藍と男は向き合っていた。
 二人の前には妖夢の入れた茶が置かれている。
 その立ち上る湯気を見つめながら男は話した。
「これで三度目か」
「そうだな。てっきりまだ生きながらえていると思っていたよ」
「相変わらずだ」
 男は生前と同じようにくつくつと笑った。
「妖怪退治はずっと前に足を洗ったよ。お主に負けたあの日からな」

 男はあの後、山道で倒れているところを近隣の住民に助けられ、その村で住むことになった。
 そこで出会った村人達の妖怪に対する考えを聞き、もはや自分のような存在は
 いらないと思い至り、一人の人間として生きる道を選んだ。
 そして普通に歳を取り、妻子をつくり平穏な日々を送っていた。

「だが私の中にはどうしても消せない思いがあったのだよ」
 それがお主への罪悪だと男は言った。
「私はこれから地獄へ向かう。妖怪を消してきた罪はそうでもしなければ贖えないからな。
 だがその前に地獄に行ってからではできない贖罪があったのだ」
「それが私への謝罪という訳か」
「そうだ。これでお主の私に対する憎しみが消えないかもしれないが、私のけじめとして
 聞いてほしい。……本当にすまないことをした」
 目の前で頭を垂れる男。
 それを見た藍はしばらく何も言わずにただ見つめ続けていた。
 そしてしばらくの沈黙の後、藍は穏やかな言葉でこう返した。
「私が憎しみに苛まれていたように、あなたも罪の意識に苛まれていたんだな」
 顔を上げるように促す藍。
「私はあなたを許そう。これで二度とあなたに会えないなら、私が今できるのは
 あなたを許すことだけ。それで互いに救われるのなら、これほど簡単な事はない」
 藍の言葉を聞いた男はありがとう、と涙を流した。

 最後の別れの際、男は頼みがあると向き直った。
「もし人里へ行くことがあれば、私の孫にあってほしい。妖怪とも仲良くなれるとても良い子だ」
 それに対して藍は快く引き受ける返答を返す。
 彼女の心にはもはや彼を憎む気持ちはこれっぽちも残っていない。
「いいよ。橙の良い遊び友達になれそうだ。その子に何か伝えてほしいことはないか?」
「そうだな。私は無事にあの世に行けた、そうあの子に、市巴に伝えてくれ」
「了承した」
 そして男は地獄へと旅だった。
 その先に待ち受けてるのは罪を償うための苦しみだと知っていても、彼の顔は
 どこかすがすがしくさえ見えた。


 彼を見送った後。
「まったく……紫様には頭が上がらないな」
 藍は誰もいなくなった庭でぽつりと呟いた。
 まさかここまで仕組まれていたとは。
 自分の中にはまだ憎しみの欠片が残っている事を看破していたのだろう。
 そしてそれを解消するには、この方法しかないこともわかっていた。
 どこまで自分はあの人の手の平の上にいるのだろうか。
 だがそれもいいと藍は思う。
 あの人の凄さを知り、その元でいられる幸せは私が一番知っているから。


「どこまでも泳がされましょう。私はあなたにどこまでもついていきますから」


 ~終幕~
後編です。
藍の性格に違和感を感じる方もいらっしゃるかと。
その辺りはご勘弁いただきたく。

ネタといっても、私の作風が続いてますよという自己主張でしかないものでした。
分からない方は作品集29にある『弔いの雫』を読んでもらえればわかるかと。

内容はあまり凹凸がなく、ただ長いだけになってしまった感は否めません。
ですがせっかく書いたものなので、おしかりのお言葉ももらいつつ、
次回に生かせればと思い晒すことにしました。
晒すだけで前編、後編にわけるのもどうかと思いましたが。

何気なく橙の役回りが気に入ってます(笑)
雨虎
[email protected]
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コメント



0.920簡易評価
6.70むみょー削除
ゆかりんの胡散臭さの裏にある優しさが良いですね。
男が改心する理由の部分がやや弱いような気もしますが・・・
「弔いの雫」と合わせて読むと何となく察せられるような気も。

殺伐とした背景が垣間見える東方世界も好きですが、
こういう優しい空気が漂う東方世界も、私は好きです。
19.無評価雨虎削除
ご意見、採点ありがとうございます。

>男が改心する理由の部分がやや弱いような気もしますが・・・
確かにきちんと描写できていませんね。若干蔑ろにしてました。
その辺りも含めて、この流れを汲んだ話でも書ければよいのですが…
少し考えてみたいと思います。