Coolier - 新生・東方創想話

ふぶきのよるに

2006/04/21 04:29:43
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「足りない」


数にして僅か四文字。
でもこの言葉は、今の私の全てを象徴していると言っても過言じゃない。
いわば乾坤一擲の一文節だ。

『ああそうか、胸部のボリュームに関する嘆きの言葉か。私にも良く分かるぜ』
そんな達観した呟きを漏らす黒白魔法使いには、陰陽玉を叩きつけておいた。
妄想だけど。

『当たり前でしょ! 腋の布地が足りてる霊夢なんて霊夢じゃないわ!』
何故か全力で憤る七色人形使いは、存在そのものを夢想封印しておく。
妄想だけど。

『頭が?』
とシンプル極まりない感想を抱く小鬼には、沈黙をもって返すべきね。
うん、とても負けた気がする。
やっぱり妄想だけど。


「足りないのよ……何もかも……」

誰もいないのは分かっていたけど、それでも口にするのを止める事が出来なかった。
今の私の言葉を聞いてくれるのは、胸元に抱いた一片の木屑くらいのもの。
つい数分前までは米櫃って呼んでいた筈の物の成り果てた姿だ。
いや、まあ私が自分で壊したんだけど。

大体、米櫃っていうのは、米を貯蔵するからこそ米櫃なのであって、
その役割を放棄したからには、持ち主たる私が叱責するのは当然の権利だと思う。
何度も何度も確認してあげたんだから、米の一粒くらい生み出してくれても良さそうなものなのに、
この米櫃は、私の期待には答えてくれなかった。
従って、こういう結末を迎えるのは自然……だと思う。多分。

あー、もう過ぎた事を考えても始まらないわ。
今の私には色々と足りないものがあるんだから。
色々というか……食料。
また俗な事を、とか言わないで欲しい。
無重力の巫女だろうと何だろうと、人間は人間。疲れもすれば腹も減る。
しかしながら現在、博麗神社に貯蔵された食料はゼロ。
最後の希望だった米櫃も、今となってはただの木片と化してしまった。
足りない、ってのはむしろ控えめな表現かもしれない。

……ふぅ。何もかもが空しいわ。
無駄に体力を使ったから、余計にお腹が減ってしまった。
この米櫃だったものは、最期まで私を苦しめるつもりらしい。
いっそのこと、体内に取り込んでみようかと考えもしたけど、流石の私と言えども無機物は消化できない。

「お金はあるのに、物は無し。……世とはかくも理不尽なものなのね」

つい、そんな独り言が漏れる。
その瞬間、幻想郷のあちらこちらで原因不明の大爆発が起こったように幻視したけど、気にしないでおく。
ともかく珍しい事にお金ならある。
……自分で珍しいとか言ってしまう辺りに悲しいものがあるけど、それはそれ。
まあ、袋に詰め込んでみたって、凶器として使えるような質量は無いし、
お風呂に入れてみたところで、湯船の底面すら覆い隠せない程度だけど、
それでも飢えを凌げる程度の蓄えは確かに存在しているの。
どうやって稼いだかのかは極秘事項よ。

しかし、現実の私はこうして、飢えの危機に直面している。
それもこれも、全ては偉大なる自然現象様が原因だ。
ひっきりなしに鳴り響く風の音と、ガタガタと五月蝿い雨戸の音が、それを証明している。
というか、四月だってのに何で吹雪いてるのよ。
黒幕だってとっくにお休みだし、桜ももう散ろうとしているのに猛吹雪って何事?
吹雪ジュンも越路吹雪もびっくりね。

「吹雪くなら 桜にしとけよ バカチンが」

魂の一句を詠んでおく。
少し切れが悪いような感があるけど、どうせ誰も聞いていないから気にしない。
ともかく、この季節も地理条件もすべて無視した悪天候のせいで、私は苦しんでいた。
食料を調達しようにも、流石にこんな天狐……もとい、天候では外出どころじゃない。
そんなファンシーな行為をするのは、氷精くらいで十分よ。
嗚呼、明日まとめて調達してこよう。等と暢気に考えていた昔の自分が憎らしくてならない。
まさか、あれから三日間も吹雪で閉じ込められる事になるなんて想像のしようが無かっただろうけど。

しかし、このふざけた気候は一体どういう事なのか。
もしや、あの亡霊がまた春度を奪う暴挙に出た?
……いや、それは無いか。
そんな事をしても何も得るものが無いというのは、幽々子本人が一番良く理解した筈だから。
そも、この気候にはそういった人的な思惑といったものがまったく感じられない。
となると、結局はただの異常気象という事か。
単なる直感だけど、多分正解だと思う。
こういう時の私の勘は、外れた事が無いから。

「って、ダメじゃないの!」

原因があれば排除もできるけど、自然様が相手じゃ逆らいようも無い。
結局、私を取り巻く環境は絶望的であると、再認識しただけだった。

食料を失ったものは餓死しなければなりません。
吹雪の中を外出したものは凍死しなければなりません。

……今だかつて無い、最悪の二択だ。
『生きるべきか死すべきか、それが問題だ』とハムレットは苦悩したかもしれないが、
私から言わせれば、生きる選択肢が存在しただけ幸福だろう。





「……あれ?」

空腹と寒さの余りに目が霞み始めた辺りで、それは唐突に現れた。
言うなれば生肉が、目の前にぷかぷかと浮かんでいるのだ。
願望が見せた幻覚にしては、あまりにも生々しい質感の前に、私の理性は速攻で失われた。
何故、唐突に現れたのかが疑問だが気にしない。
何故、宙に浮いているのかも疑問だが気にしない。
何故、生肉の分際で装飾が施されているのかも疑問だが気にしない。
火を通さないと体に悪そうという点だけは少し気になったが、空腹という現実の前には余りにも無力。
全ての疑問をフロントスープレックスで投げ飛ばし、私は欲望に身を任せる。
がぶり、と。

「お晩ですーって、いだっ! ちょ、な、ま、おまっ」
「むぅ、硬いわね。やはりここは女の肉焼きセットを使うべきかしら」
「ま、待ちなさい! 私は確かに生肉だけど、上手に焼かれるのはお断りよ!」

生意気にも生肉は抵抗する素振りを見せた。
やはり物事そう簡単には進まないという事か。
しかし、私としても命が掛かっている以上、見逃す手など無い。

「ええい、黙れ! 大人しく私の栄養素となりなさい!」

私はなけなしの気力を振り絞り、生肉へと飛び掛った。
にく、うま。









「うう……私が生肉如きに屈するだなんて……」

数分後、私は畳に大の字になっていた。
結果は敗北……それも博麗の歴史に残るであろう大惨敗だ。
夢の中で思い付いた切り札のスペル、八重結界で仕留めるつもりだったのに、
生肉の十二重弾幕結界とか言う反則技の前には無力だった。
もっとも、お互いに結界を重ねすぎで正確な枚数が分からないような代物だけどね。

とはいえ、負けるのはやはり面白くないので、
生意気にも膝枕なんかを慣行している頭上の生肉に、精一杯のジト目を送ってみる。
が、何という事だろう、私の視線は、紫色の布地に包まれた豊か過ぎる一部分に完全に遮られた。
それは、決して私が持ちうる事のないであろう、空前にて絶後の生肉。
要するにおっぱいだ。

それにしても、大きい。
普通この体勢なら、いくらか表情を覗けるのが当然なのに、
私の目に映るのは偉大かつ優美でありながら、とことん憎らしき代物だけ。
いくら何でも、これは余りに理不尽ではないだろうか。
巨乳という最終鬼畜兵器の前に、私はご尊影を拝む事すら許されないのか。
恐らくこの生肉は、持たざる者の悲哀というものをまるで理解していないだろう。
あな悲しや、こんな世界に誰がした!
って、もしかしてこいつ?

「何をぶつぶつと言っているの?」
「脂肪分多めの生肉を持たぬ者の、ちょっとした心の叫びよ」
「もう……いい加減生肉呼ばわりはよして頂戴な」
「あんたが自分で言ったんでしょうが」

生肉……改め、紫はどこか困ったような、それでいて楽しそうな様子だった。
もっとも、さっき言った通り、今の私の視界はおっぱいで埋められているので、
言葉の調子から何となくそんな感じがする。という程度だけど。
というか、これって向こうも私の表情が見えないんじゃないだろうか。

「ま、むしゃぶりつきたくなるくらい良い女だなグヘヘ、と思われたと解釈しておきましょうか」
「……」

気に喰わないので、揉んでおく事にした。
ええい、不愉快な肉幕結界め。

「こら、腋が貴方のアイデンティティなのは知ってるけど、手をワキワキさせるんじゃないの」
「台詞の前半と後半が繋がってない気がするんだけど。
 大体、誰もそんな恥ずかしいものが存在意義だなんて思ってないわよ」
「境界を曖昧にしてみただけよ。
 ともかく、そういう行為は布団の中でしましょうね」
「しないってば。……そういえば、今何時なの?」
「月夜の晩ならぬ、吹雪の晩の丑三つ時ね」

即ち、午前二時ね。
長い間、表を拝んでいないこともあって、時間の感覚が狂っているだろうとは思ってたけど、
まさか深夜だったとはね。
そりゃお腹も空くってもんよ。

「で、そんな深夜に何の用?」
「ただの気紛れに決まってるじゃないの」

やっぱりか。
紫が夜行性なのは知っているし、何の前触れも無しに突然現れる困ったちゃんなのも重々承知している。
が、生憎として私は普通の人間だから、そんな時間に遊びに来られても困る。
……と普段ならば邪険に追い返していた事だろう。
そもそも寝ていたに決まっている。
しかし、今の私にとって紫の存在は、正に地獄へと降りた一本の蜘蛛の糸に他ならなかった。

「その気紛れがどこまでも美しい……へるぷみー!」

もはや恥も外聞も無い。
悩ましい太股の感触に別れを告げ、全力で縋りつく……というか飛びかかる。
上手い具合に虚を突いた形になったのか、紫は私のされるがままに押し倒された。

「あらあら、今日はいつになく積極的ね。でも、そんな霊夢も嫌いじゃないわよ」
「私も紫の事が大好きよ。愛しているわ。だから食料頂戴!」
「って、愛の告白は嬉しいんだけど、最後の台詞と同一に並べて良いもの?」
「馬鹿なこと言わないで! 食料以上に大切なものなんて幻想郷に存在しないわ!」
「……」

何故か、紫はそっと目元を拭った。
そんなに私の台詞が感動的だったのだろうか。

「まあ、ね……そういう所も嫌いじゃない。と言うべきなんでしょうね。
 こう言っておかないと私の立場というものが無いものね、うん。
 だからこれは涙じゃないの。心の汗なのよ。
 って、それって内心では大汗かいてるって事かしら。
 駄目よ駄目。幻想の境界たる私がこの程度で動揺するだなんて許されないの。
 それに汗っかきなんて伝説を流布されるのは決してあってはならない事よ。
 足が臭いと言われるだけで十分にいやんな感じなのに、勘弁してもらいたいものね。
 ともかく、強く。心を強く持つのよ八雲紫。
 ゆかりんファイッ、おー!」

眼下の紫は、饒舌過ぎるくらいに饒舌に独り言を垂れ流していた。
どうしたものかと突っ込みの言葉を捜していると、突然その表情が一変する。
あ、拙い。

「……ま、とりあえず、事情を聞きましょうか」
「あー、うー」

直感した時にはもう遅い。
紫はマウントポジションを取っていた私を、ひょいと抱え上げると、傍らの座布団へと視線を流す。
それが、お説教モード突入の合図である事を、私は理解していた。







「呆れたわね。たかだか三日程度の貯蔵すら無いだなんて。
 せっかくお金があっても、その使い道を誤っているんじゃ話にもならないわ」
「仕方ないじゃない……こんな吹雪になるなんて予想してなかったんだもの」
「それが駄目だって言ってるのよ。
 お気楽なのは霊夢の美徳だけど、日常生活にまで影響を及ぼすのは問題よ。
 こんな辺鄙な神社での一人暮らしなんだから、備えくらいしておくのが当然でしょうに」
「……うー」

いつになく真剣な視線に、目が合わせられない。
とても、あんたにだけは言われたくないと軽口を叩けるような空気じゃなかった。
風評はともかくとして、意外と紫はそういったものに関しては気が効く。
博麗大結界の維持にしても、私が見ていないところで色々と動いてくれているらしい。
日頃、グータラかつ困ったちゃんとと称される行動の数々は、
そうした一面を覆い隠す為の芝居なのではないかと思えるくらいだ。

……が、どうもそう思っているのは私くらいのものらしい。
以前、そのような話を幽々子にしてみたところ、何故か全力で笑われた。
その上、笑うだけでは飽き足りなかったのか、ぺしぺしと頭を叩いて来たので、
むかついてカウンターの一撃をくれてやったけど。

ともかく、一度このモードに入った紫には逆らうべきじゃない。
それが、これまでの経験から導き出された答えだった。

「いい? 確かに霊夢は、比類なき力を持つ博麗の巫女よ。
 でも、その前に、一人の人間であり、そして少女である事を忘れてはいけないわ。
 そんなうら若き乙女が、吹雪に閉じ込められて餓死だなんて笑えない歴史を作っては駄目よ」
「……あい、気を付けます」
「本当に分かってる? 貴方が死んで良いのは、私の胸の中だけなのよ?」
「はい?」

またしても直感がビシビシと冴え渡る。
というか、別に私じゃなくっても、この空気の変動具合は分かるだろう。
これが俗に言うドリフ時空というものだろうか。
いや、違う。ドリフはこんなに怪しげじゃない筈よ!

「そうよ……こんな事になるくらいなら、さっさと頂いておくべきだったのよ」
「あ、あの、紫? それはどっちの意味?」
「馬鹿ねぇ、両方に決まってるじゃないの」
「ゲーック! なんてこと!?」

自分でも良く分からない感嘆符っぽいものが漏れた。
前言撤回。
やはり、こいつは分からない。
真面目に説教していたかと思ったら、どうして突然こんな流れになってしまうのか。
ヴィンテージクラスの妖怪の考える事は、到底理解出来そうにない。

「そうね……今からでも遅くは無いわね。うん、決めた」
「決めるな! って、ちょっと、本気!?」

先程以上の危機感が私の中に生まれつつあった。
紫は、それまでの真剣な表情は何処へやら、怪しいと呼ぶに相応しい笑顔を浮かべつつ、
正座の体勢のままで、じわりじわりとにじり寄ってくる。
それに伴い、私は同じ分だけ、ずるずると後退を余儀なくされる。
もっとも、お世辞にも広いとは言い難い、我が麗しの居住区域。
部屋の隅に追い詰められるに至るまで、せいぜい十秒といった所だろうか。
むしろ、もう追い詰められました。

「ゆ、紫、落ち着いて。さっきまでの真面目なあんたは何処へ行っちゃったのよ!」
「ノン! 今の私は母にも教師にもあらず! ただ本能のままに生きる一人の少女よ!」

それは嘘だ。
少なくとも、普通の少女は二重の意味で私を食べようとはしないだろうし、
そもそも少女と称する事自体が犯罪だ。
戯言は、ぶら下げた二つの凶器を投げ捨ててからほざいて欲しい。
そんな事が出来るのは、せいぜいあの自称完全なメイドくらいだろうけど。

「さあ霊夢。私と一つになりましょう。それはとてもとても気持ちの良い事なのよ?」

もはや紫は、手を伸ばせば届く距離まで詰め寄って来ている。
もしかしなくても、拙い。
紫が相手じゃ逃げようにも手段が見付からないし、そもそもこんな天気じゃ逃げる場所も無い。
かといって抵抗しようと思っても、今の私には結界どころか、弾幕を展開する余力すら失われている。
これが漫画なら偶然にも救いの手が差し伸べられるんだろうけど、生憎として私はそんな奇跡は信じていない。
そも、つい数分前までは、紫が救世主だと思っていたんだし、時の流れとはかくも残酷なのね。

「……はあ」

唐突に私は諦めの境地へと達した。
きっと体内に残された霊力……というか栄養素が脳まで行き渡らなくなったに違いない。
今思えば、この異常気象も、食糧難も、私の胸に肉が付かないのも、全部が紫の企みだったのかもしれないけど、
それはもう、考えても仕方の無い事だ。
すべてを在るがままに受け入れる。
たとえ今際の時であろうとも、自らの信念を貫き通そう。



「あむ」

そんなシリアスじみた思考は、口に押し込められた物体の存在感の前に、あっさりと掻き消えた。

「……あひほえ」
「見ての通りよ」
「……おいいい?」
「そう、お握り。ちなみに私のお手製よ」
「……あええいいお?」
「当たり前でしょ。って、もう食べてるじゃないの」

米の塊を押し込められた状態という事もあって、些か言動が不明瞭になってしまったけど、
不思議と紫には伝わっていたみたい。
もっとも、回答なんてこの際どうでもいい。
実に七十二時間振りとなる食物の誘惑は、最早理性では抑え切れるものじゃなかった。
それこそ貪るように、息継ぎ無しで一気にお握りを平らげる。
具は梅干だったような気がしたけど、種を出した記憶は無いのは何故だろう。







「……ふぃ~……」
「ふふ、見事な食べっぷりね。
 今の霊夢なら、幽々子にも対抗出来るんじゃないかしら」
「それって全然褒めて無いわよね。
 ……というか、どういう風の吹き回し?」
「どうって?」
「あんた。私の事食べるんじゃなかったの?」

人心地付いたこともあってか、少しずつ自分の中に思考力が戻ってくるのが分かる。
どうせ毎度の気紛れだ。と理解していても気になるものは気になるのだ。

「折角の極上の素材だもの。どうせなら美味しく頂きたいと思うのは普通じゃない?」
「……」

そうか、私はガチョウか。
存分に肥え太らせた上で、その肝臓を喰らう腹か。
とんだグルマンくんもいたものね。
後、冷凍保存した弁当を天日で自然解凍したものは、多分喰えたものじゃないと思う。
って、私は何を言ってるんだろう。

「まあ冗談はともかくとして、困窮してる村娘を捕らえて喰らうほど、私は悪趣味じゃないわ。
 ちょっと困らせてみたかっただけよ」
「村娘って……」

困窮のほうは別として、そんな表現をされたのは生まれてこの方初めてだった。
何故か、余り悪い気はしなかったけど。

「食料なら分けてあげるわ」
「本当!?」
「ええ、霊夢の頼みですもの……ただし」

やはり来た。
あの紫が、はいそうですかと素直に頷いてくれるとは、私も最初から思ってはいない。
しかし、一体どんな難題を突きつけてくるのかは気になる所。
また深夜の脱衣麻雀でも強要されるのか。
いや、もっとストレートに体で支払えと言われるのかも。
それとも、新たな式として使役されるという可能性もある。
そんな、いくつかの悲惨な未来予想図が脳裏を過ぎる。
けれども、現実に紫から出た言葉は、到底私の想定しうる範囲のものではなかった。


「もう一度、私の事を愛してるって言って。それが条件よ」
「……へ?」


って、ちょっと待て。
もう一度って何よ。
……あ、そう言えばさっき、そんな世迷い毎を、勢いのままに漏らしたような気もする。

でも、何を考えての望みなんだろう。
別に口にするくらいなら簡単だけど、本当にそんなものを紫は求めているんだろうか。
私は、探りを入れるべく、紫へと視線を合わせる。

「……」

……分からない。
紫の表情は、薄い笑顔のままから、まったく変動していなかった。
からかっているのだとも断言できないし、真面目に問うているという感じでもない。
それこそ、なんとなく口にした、というのが一番適切な表現かもしれない。
ならば、私もなんとなく答えを返すべきなのだろうか。
なんとなく……。


「嫌よ。思ってもいない事なんて言いたくないわ」


さっきみたいに、勢いのままに口に出来れば良かったんだろう。
でも、食料の為とはいえ、意識してしまった以上はこう返さざるを得なかった。
私は、誰であろうとも平等に見なくてはならない存在だから。
……本心に関わらず。




「そう、交渉決裂ね」

僅かな沈黙の後、紫は言い切った。
その瞬間、私の中に、罪悪感のようなものが生まれ出るのが分かる。
せめて、悲しそうにでもしてくれれば、こちらとしても返しようもあったのに、
あろう事か、それまでと変わらぬ笑顔で言ってのけたのだから。

「安心なさい。食料のほうは、倉庫にいくらか入れておくわ」
「え? いいの?」
「仕方ないわ。こんな事で本当に餓死されても困るもの」
「人の情けが身に染みるとはこの事ね……感謝するわ」
「私は人じゃ無いけどね」

多分、嬉しそうにしていると紫には見えてると思う。
けれども、自信なんて無い。
実際問題、もう食料なんてどうでも良かったから。
……いや、お握りを貰う前の私なら、流石にそうは言えなかっただろうけど、それはそれとして。
と、そんな事を考えている内に、紫は後ろ手にスキマを展開し始めた。

「帰るの?」
「野暮な事を聞かないで、恋に破れた女は、自室に篭って泣き濡らすのがお決まりよ」
「……そう」

軽い口調。
本当に、普段通りの気紛れだったのかもしれない。
でも、もう私にとっては、そんな簡単に片付けてよい事象じゃなかった。

「これに懲りたら、少しは危機管理の意識も持ちなさい。
 今度は助けてあげないわよ」

紫はそう言い残すと、スキマへと体を潜らせた。
その間、決してこちらを振り向く事は無い。






……結局は、それが私にとっての引き金となった。

「……ん?」
「……」
「どうしたの霊夢? 服を掴まれたら帰るに帰れないんだけど」
「……だから、帰るなって言ってるのよ」

自分が発したとは思えないか細い声だったけど、それでも紫には十分届いていたらしい。
少し驚いたような表情で、こちらを振り返ったから。

「帰れって言ったり、帰るなって言ったり、多感な年頃の娘って本当に分からないわね」
「自称少女の癖に、そんな老成した事を言うあんたのほうが余程分かんないわよ」
「あら、一本取られたわ」

何時の間にか普段通りの微笑へと戻っている。
でも、今ならば、それが紫の本心からの表情である事が分かる。
それは紫が私に呼び止められる事を望んでいたとの証明でもある。
ならば、乗ってみせるのが、今の私がすべき事だろう。
……いや、それも違うか。
誰の思惑とも関係なく、私自身がそうしたかったというだけだ。

「……本当、あんたって分からないわ。
 意味不明な言動はもはや日常。
 偉そうにお説教を始めたかと思ったら、突然本性剥き出しで襲い掛かってくるわ、
 急に悟った風を装って引き下がるわ、その上胸は大きいわ足は臭いわで、もう勘弁して欲しいわ」
「ま、待ちなさい。最後のは言われ無き誹謗中傷よ。
 ほら、全然臭くなんか無いでしょう?」
「足を向けるなっ!」

って、私は馬鹿か。
自分から雰囲気壊してどうすんのよ。
照れ隠し封印 -瞬- 発動ね。

「そうじゃなくて、私が言いたいのは……」
「他人に興味を持たない筈の霊夢が、それだけの感想を述べられるくらい私を見ていた。という事ね」
「そ、そうよ。でも、それはあんたも同じでしょ?」
「当然よ。幻想郷の何処を探したって、私以上に霊夢の事を見ている存在なんているものですか」
「それは、何故?」
「好きだからに決まってるわ」
「……そう。つまりは、そういう事よ」

駄目だ。
やっぱり私に言えるのは、これが限界だったらしい。
でも、紫ならきっと込められた意味を読み取ってくれるはず。
……と、僅かな希望を抱いていたんだけど。

「うーん……私、禅問答は苦手なのよ。
 仕方ないわね、一晩ゆっくりと考えてくる事にしましょう」
「ああっ、待った待った!」

再びスキマに潜り込もうとする紫を、寸での所で引き止める。
やっぱり無駄だった。
多分、全部分かった上で言ってるんだろうけど、だからこそ性質が悪い。
今日という時間は、私が真意をはっきりと口にするまで、動き出す事は無いのだろう。

「もう、一体何なのよ」
「分かった、分かったわよ。言うわ。言うから、少し待ちなさい」

不思議だ。
どうして私のほうが、こんなに切羽詰った心境に陥らなければならないんだろう。
甚だ疑問ではあるけれど、最早後戻りは出来ない。
とにかく、今は言うしかない。

「……その……ええと……」

が、そう意識した途端。
これまで喧しいくらいに鳴り響いていた吹雪の音が、嘘のように耳に入らなくなった。
すらすらと述べる筈の言葉は詰まり、顔のほうも恐らくは紅潮している気がする。
もしかして、私は緊張しているんだろうか。

……ええい、しっかりしなさい博麗霊夢。
これは、調子ぶっこいてるスキマ妖怪をぎゃふんと言わせる最大のチャンスなのよ。


「……私も、紫の事好きよ」

言えた。
やっと言えた。
どうして、同じ言葉なのに、心構え次第でこうも意味合いが変化するんだろうか。
この一言を言う為だけに、一年分の苦悩をした気がするわ。
ともかく、これで無間地獄ともおさらばだ。
目的と手段が入れ替わってしまった気もするけど、それもまた良し。
自分で認めつつも口に出来たという事実が全てなんだから。

「……」
「……って、黙り込まないで返事しなさいよ」
「うーん……それじゃあ駄目ね」
「な!?」

あショックウェーブでした。
コインいっこ入れても足りませんでした。
事もあろうに、この紫コンチクショウは、人が苦悩に苦悩を重ねた末に、
枷をすべて放り捨ててまでして、ようやく口にした台詞を、いともあっさりと否定してくれたのです。
いくら温厚で通っている私とは言え、これは許しがたい事であります。
思考が丁寧語になっているのが自覚できますが、それも致し方ないことでしょう。
私は、憤りが臨界点を越えると、不思議と冷静になってしまうのです。

という訳で、紫。貴方を殺します。
胸が無いと言われようが、偽善者と呼ばれようが気にしません。
きっと、朝起きれば昨晩の事は夢だと思い、お空は眩しいサンシャインでキノコなのです。
もう自分でも何を考えているのか良く分かりません。
だから、解法を求める為にも、私は一歩詰め寄ります。
と、その時でした。

「よっ、と」
「っ!?」

突然、凄い力で引っ張られたかと思うと、
私の体は紫の腕の中にすっぽりと収められていた。
途端に、それまでの憤りが、儚く霧散していくのが分かる。
私には決して持ちえぬ憎らしき生肉ではあるけれど、同時にその偉大さも実感せざるを得なかった。

「普段の強気は何処へやらって感じねぇ。
 そんな姿は確かに好ましい……けれども、それは私が求めていた答えではないのよ」
「どういう、意味よ」
「好き、と、愛してる、の違いよ」
「あ……あー」

ここでようやく納得が行った。
要するに、私のほうが間違えた答えを出していたんだ。
……でも、分からない事がある。
どうやらそれは、紫のほうも理解していたらしい。

「きっと霊夢は、その二つの感情の差異が分からないんでしょう?」
「……うん」
「そう……無理も無い事でしょうね」

紫が私を抱きしめる力が強くなる。
少し痛いくらいだったけど、余り不快感は無かった。

「博麗の巫女は、何者に対しても平等に見なければならない。だったかしら。
 そんな枷を生まれ持った貴方に好きと言わせただけでも誇らしく思うべきなんでしょうね」
「……」
「でも、残念な事に、私はその程度では満足出来ないの」
「……はあ?」
「と、いう訳で、貴方が愛という感情を理解出来るようになるまで、存分にまとわり付かせて貰うわ」

堂々たるストーカー宣言だった。
どう考えたって、告白から抱擁の流れの次に来るようなものじゃない。
そもそも、それは今までの日常と何が違うのだろう。

「別に違わないわよ」
「……口に出てた?」
「いいえ。でも、何となく分かったわ。
 やっぱり肉体的な距離が近いと、心の声も聞こえるようになるのね」
「でも、私にはあんたの心の声なんて聞こえないわ」
「だから、そうなれるようにしてみせる。って言ってるのよ」

いつに無く精力的な紫の姿勢に、私は苦笑せざるを得なかった。
つい先程までは、達観したかのような態度だった癖に、この変わりようは何だろうか。
ま、それは別に分からないままで構わない。
少なくとも、想われることも想う事も不快ではないと理解出来ただけで、十分な収穫だ。







「さて、と」

時間にすると恐らく数分。
それでも、私にとっては永遠とも思われた長い抱擁は、その一言を持って終わりを告げた。
紫はくるりと踵を返すと、すたすたと歩き始めた。
ただ、スキマを展開させない所を見るに、帰るつもりでは無いらしいので少し安心。
……って、それだとまるで帰って欲しく無いみたいじゃないの。
いや、まあ実際そうなんだけど。

「……どこ行くの?」
「お握り一つくらいじゃお腹も心も満たされないでしょう。何か作ってあげるわ」
「え、あ、あんた料理なんて出来るの!?」
「まぁ酷い。こう見えても私は、鉄鍋のゆかりんとして幻想郷に名を轟かせた特級厨師なのよ?」
「いや、初耳だし、そもそも意味が分からないから」
「……嫌なら別に止めても良いんだけど」
「嫌じゃありません。むしろ好ましいです。愛してます」
「ふふ、やっぱり口にするだけなら簡単なのねぇ。
 ま、いずれ本心から言えるようになる事を願ってるわ」

紫は、ニコリという珍しき笑顔を残し、襖の向こうへと消えて行った。







「愛、か」

改めて口にしてみるが、やはりその意味は良く分からない。
他人に対して、好ましいと思う感情の上に、何か生まれるものがあるんだろうか?

「うーん……これぞ難題ね」

もっとも、今考えても仕方の無いことだ。
紫の宣言通りなら、遠くない何時の日かに知る事になるのだろうから。
立場的には、余計な世話だと跳ね除けるべきなんだろうけど、この際それもうっちゃっておく。
私は博麗の巫女である以前に、うら若き乙女なのだ。
少しくらい感情に素直になった所で何が悪いというのか。
……って、まぁ、これも紫の受け売りだけど。




『ウルトラ上手に焼けましたーーーーーっ!!』




「って、何を作ってるのよあいつ……」

台所の方角から届いた大声に、思わず苦笑が漏れる。
春の季節でありながら、猛吹雪に閉じ込められただけでも稀有な事象なのに、
そんな深夜に、スキマ妖怪が作る怪しげな料理を心待ちにする私は、もっと稀有な存在だろう。
でも、こんな不可思議な出来事も、そう悪いものじゃないと感じている自分が、妙に可笑しかった。

















後日、この晩の話を何処からか聞きつけた魔理沙が、開口一番に言ってのけた。

「なあ霊夢。それって結局、餌付けされたって事になるんじゃないか?」

……なんてこったい。


どうも、YDSです。

今更ですが、私は永夜抄の主人公四組が大好きです。
その内、冥界組や紅魔組に関しては現在進行形で書きまくってますし、
詠唱組に至っては某コンペでも色々と出し尽くしました。全然枯れてませんけど。
が、どうも結界組だけは登場機会が薄かった気がしてならないのです。

という訳で、思い立ったらゆかれいむ。
朝から晩までゆかれいむ。
びっくりするほどゆかれいむ!
紫というよりも生肉と呼称された回数の方が多かったかもしれませんが、気にしてはいけません。

ちなみに、タイトルの元ネタは映画も本も見た事ありませんので、
こんな内容なのかどうかは定かではありません。
絶対に違うでしょうけど。
YDS
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コメント



0.7620簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
いい感じで餌付けられてまスね
2.80名前が無い程度の能力削除
びっくりするほどゆかれいむ!びっくりするほどゆかれいむ!
4.80CODEX削除
なんてこったい!いいですねぇゆかれいむ。
5.80幻想と空想の混ぜ人削除
この量の壊れ成分でこの私をここまで引き付けるとはっ・・・!
8.100no削除
紫さまはきっと、理解しがたい母性本能過多だと主張して止まぬ私です。
最高の作品でした。
・・・今、鬼の長女をリアルタイムでプレイした人はどれだけいるんだろう?
11.90ぐい井戸・御簾田削除
偽善者で御堂な霊夢吹いた
15.80通りすがりですが削除
餌付けされてもゆかれいむ!餌付けされてもゆかれいむ!
19.40犬にまふまふするフランちゃんにまふまふしたい削除
いつものギャグと思いきやラブ☆コメといい話分が混じっててお得な感じ。
22.90名前が無い程度の能力削除
オチが上手いwwwこりゃ一本とられたw
24.80名前が無い程度の能力削除
ゆかりんの心の根底にあるのは乙女心です
いろいろとご馳走様
25.100名前が無い程度の能力削除
ラブ☆米ですか
26.70変身D削除
こういうしっとりとしたカップリングも良いですねえ……と思っていたらオチで(w
糖分控えめの素敵なゆかれいむモノ、堪能いたしました(礼
27.80名前が無い程度の能力削除
(´-`).。oO( (゚∀゚) うひょー うひょー )
45.80名前が無い程度の能力削除
ゆかれいむってなんだか美味しそうな響き。
49.70名前が無い程度の能力削除
心が洗われる…
これが、ゆかれいむっっ
50.70翔菜削除
ああ、オチがステキw
52.80名前が無い程度の能力削除
モンハン吹いた。
霊夢の軽いツンデレ具合がなんともいえません。
そしてどう見てもいい餌付けです 本当に(ry
53.90名前が無い程度の能力削除
ああ、なんか高校生の頃思い出す。
55.90跳ね狐削除
そうか! 餌付けか!

そして紫は一体何を焼いたんだろうか。やっぱり生肉?
57.80名前が無い程度の能力削除
うむ、これぞ正しくゆかれいむ。お説教ゆあきんにお母さん属性を見た。
76.80はむすた削除
>あええいいお?

ゆかりん優しいよ、霊夢可愛いよ、ツンデレだよ。
78.80じょにーず削除
みこさんだっておんなのこ!
79.90名前が無い程度の能力削除
肉焼き中に流れる、あの曲を思い出したw
83.90コイクチ削除
ウルトラ楽しい内容でしたーーーーーっ!!
88.90名前が無い程度の能力削除
ムハァ!!すごくイイ
91.80名前が無い程度の能力削除
東方の組み合わせの中でこの二人でしか出せない雰囲気
そしてらしさのあるオチ、ごちそうさまでした
117.無評価名前が無い程度の能力削除
てんれってんれってんれってんれっ(BGM)
125.100名前が無い程度の能力削除
ゆかれいむーっ
128.80真十郎削除
流石紫様!
クルクル回すのはお手の物だね!
143.100名前が無い程度の能力削除
『ウルトラ上手に焼けましたーーーーーっ!!』


クーラードリンクふいた
147.90名前が無い程度の能力削除
\ゆかれいむ!/
149.80名前が無い程度の能力削除
ゆっかれいむ! ゆっかれいむ!

そしてヴィンテージクラス吹いたw
156.90名前が無い程度の能力削除
ほのぼのとした空間に笑いあふれる。これがッ!Love米ッッ!

とりあえず



( ゚∀゚)o彡゜ゆっかれいむ!ゆっかれいむ!



160.100時空や空間を翔る程度の能力削除
おぉ~、
正しく「ナンテコッタイ」だぜwwwwwwww
170.90名前が無い程度の能力削除
何度読んでもこの「ゆかれいむ三部作」には
( ゚∀゚)o彡°ゆっかれいむ!ゆっかれいむ!
せざるを得ない。
音速で全部読んでくるぜ!

ゆかれいむは俺のロォォォォォォドッ!
173.100名前が無い程度の能力削除
最高
175.100名前が無い程度の能力削除
食い物から始まる、愛があってもいい。
180.100名前が無い程度の能力削除
力尽きました(ニヤニヤしすぎて)
190.100名前が無い程度の能力削除
ゆっかれいむ!ゆっかれいむ!
194.100名前が無い程度の能力削除
ニッコリ