Coolier - 新生・東方創想話

向日葵が映える丘

2006/03/26 18:43:14
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桜が咲き乱れていた。
薄紅色の小さな花弁が、吹雪の中に混じる粉雪のように舞う。
博麗神社の境内まで続く長い階段は、桜の花びらによって埋め尽くされていた。
暖かな日光の中、桜の花がひとひらづつ、ゆっくりと散っていく。
それは目を奪われるほどに鮮やかな桜吹雪だった。
その吹雪の中を、一人の少女が歩いていた。
白い胡蝶蘭を思わせるフリル付きの傘をクルクルと回し、弾むようなステップで階段を上がっていく。

「 ♪~………」

鈴の音のように澄んだ声で、歌を口ずさむ様はまるで踊っているように見えた。
肩まで伸びた緑色のウェーブヘアーが風に流れ、裾の長いチェックのスカートがなびく。
彼女は開いた傘を片手に持つと、その双眸を閉じた。

「 願わくは花の下で春死なむ、か………似合わないわよ、貴方達には」

少女は微笑みながら、手に持っていた傘を天に届けとばかりに突き上げた。
すると、示し合わせたようにして桜の花びらが一斉に舞い上がる。

「 どうせ散ったのなら。華々しく散りなさい」

ブワッ―――

一陣の強い風が吹き上がり、抜けるほど青い空に桜の花びらが散っていく。
階段の所に落ちていた花びらはもちろん、風の中に散っていたモノまで。
桜の花びらが竜巻となって舞い上がり、空に溶けて……幻想郷に再び舞い降りてくる。
見た者の心まで奪うほどに美しい幻想的な光景。
それにとらわれて、今の彼女の力がどれほど強力なモノなのか、気付いた者がいただろうか。
傘を持った少女は、散った桜の花びらだけを舞い上げていた。
そよ風でも散るほど咲き乱れた花弁は一片たりとも散らしていない。
まるで、花びらが意思を持って行動したかのような……そんな不可思議な現象。
それを実行させた少女は、満足そうに頷きながら傘を閉じた。

「 さてと、霊夢はいるかしら」

クスクスと微笑みながら、花に愛された妖怪は上機嫌で博麗神社の鳥居をくぐっていった。





現在、幻想郷の季節は春。
桜の花びらが咲き乱れるのは当然の事。
しかし、その年の春は、季節という時間から大きく外れていた。
夏に咲く向日葵、秋に咲くリンドウ、冬の花である山茶花。
全ての花という花が咲き乱れていた。
妖精は騒ぎ、精霊達は上機嫌に歌い出す……そんな常軌を逸した春だった。
異変に対して異常なほど過敏な者達が、この事件を解決しようと動く中で………
長く幻想郷にいる妖怪達は、六十年ぶりの美しい花の世界を楽しんでいた。
だが、その中には変わった趣向でこの花の世界を楽しむ妖怪もいる。
その一人が、今しがた博麗神社の階段で見事な桜の舞いを見せた少女なのだが………

「 はぁ……」

博麗神社を訪れた少女は、さっきとは打って変わって、つまらなそうな顔をしていた。

「 最悪ね。今日の博麗神社は鬼門だったみたい」
「 人の顔を見るなり鬼門とは失礼ね」
「 貴方に会えば誰でもそういうわよ」

博麗神社の境内には、いつものんびりとした巫女ではなく………
一風変わった衣装に身を包んだ妖怪が座っていた。
腰まである長い髪を後ろでまとめ、金色に輝く瞳を細めて微笑みを浮かべている。
座っているだけで風格と気品が漂い、滲み出る妖気が並みの妖怪ではない事を如実に伝えていた。

「 こんな所で何をしてるのよ、紫」
「 教えてあげない。幽香は何をしにきたの?」
「 教えない」

幽香と呼ばれた少女は不機嫌そうに眉をしかめると、閉じていた白い傘を広げた。
それと同時に、傘からいくつかの花が零れ落ちる。

「 あら、トリカブト……相変わらず綺麗な花を咲かせるのね」

その花言葉を知りつつ、紫と呼ばれた少女はクスクスと笑い声を上げた。
境内で座っていた妖怪……八雲紫。
幻想郷でもっとも古く、あらゆる結界と境界を自在に操る妖怪。
彼女はその飄々とした性格と、いい加減さからは想像もできないほどの力を持っている。
ある者は彼女を畏怖し、またある者は接触を避ける。
プライドが高い妖怪達ですら一目置く、幻想郷でも屈指の魔物。
そんな紫に対して、幽香と呼ばれた少女は堂々と『敵意』を込めた花を見せつけていた。

「 あら、ごめんなさい。つい本音が零れちゃったわ」
「 『零した』の間違いじゃないの」
「 そう思うのなら、そうなんでしょうね」

幽香は大げさに肩をすくめると、地面に落ちたトリカブトを手に取った。
トリカブトは薬にもなるが、専門知識がなければ猛毒でしかない。
種類も豊富にあり、モノによっては皮膚からも毒が入ってくる危険な毒花だった。
しかし、それをまったく気にもかけず、幽香は傘で手元を隠した。

「 神社にトリカブトなんて縁起悪いものね。片付けておいてあげるわ」

まるで花と会話するように、幽香は言葉を紡ぐ。
そして幽香が傘をどけると、手に持っていたトリカブトは跡形もなく消え失せていた。
安っぽい手品でどこかに消したのではなく、その存在を消して見せたのだ。
これが彼女の能力……風見幽香は花を自在に操る力を持っている。
花を開くのも、枯れるのも、全て彼女の意思一つで自由に操作できる。
さっきの桜の舞いも、幽香だからこそできた芸当だった。

「 どうやら霊夢はいないようね」
「 どうしてそう思うのかしら」
「 貴方が一人でここにいるんだもの。霊夢がいたら紫を放っておくはずがない」
「 随分な言いようね。でも、当たっているわ」
「 そ。じゃあ、私もここに用事はないと言う事ね」

そう告げると同時に、幽香は身を翻した。
だが―――

「 ちょっと待ちなさい、幽香」

帰ろうとした幽香の傘が、突然後ろに引っ張られた。
紫は未だに座ったまま、一歩もそこを動いていない。
なのに、幽香の傘は戻ってこいと催促されるように何度も後ろに引っぱられる。

「 ここで数十年ぶりに会ったのも何かの縁。花見酒に付き合いなさいよ」
「 なんで付き合わないといけないのよ」
「 一人で飲んでもつまらないじゃない」
「 貴方と酒を酌み交わすほど酔狂じゃないし、友人になった覚えもないわ」
「 相変わらずつれないわね。でも、お酒は好きでしょう」
「 自分でつれないからお酒でつるの? はぁあっ………」

幽香は鬱陶しそうに大きくため息をつくと、渋々後ろを振り返った。

「 素直ね。幽香のそういう所が好きよ」
「 貴方の誘いを蹴ると面倒な事になりそうだもの」
「 賢明ね。幽香のそういう所が嫌いなんだけど」
「 私は紫の事が嫌いだから、それでちょうどいいんじゃない?」

大げさに肩をすくめると、幽香は紫の隣に腰を下ろした。
嫌いと言っているわりには二人の座る距離は近い。
それが彼女達の関係を、何よりも物語っていた。





博麗神社は、幻想郷でも名高い桜の名所でもある。
参拝に来る客はいなくても、花見に来る者達は少なくなかった。
しかし、ある時期を境にして神社に妖怪達が頻繁に訪れるようになり、花見客もぱったりと途絶えた。
例年通りなら、酒を飲んで春を喜ぶ者達で騒がしかった境内も……
今は風の音と、さざなみのように揺れて葉が擦れあうわずかな音が響くだけだった。
花見をするなら寂しすぎる光景だが、紫と幽香は気にも止めない。
彼女達は春を謳歌する風を聞き、咲き誇る桜花を楽しむ。
純粋に花を楽しむのなら、少し静かなくらいがちょうどいい。
美しい花を見ながら、美味いモノを口にする。
これに勝る花見の楽しみ方などあるはずがない。
それを彼女達はよく分かっていた。

「 花見酒と言えば、やっぱり吟醸酒かしら?」
「 普通の吟醸酒を希望するわ。別に面白みとかは出さなくていいから」
「 付き合いが長いというのは嫌ね。行動が見透かされちゃってるみたい」

つまらなそうに口を曲げながら、紫はスッと目の前の空間を指でなぞった。
すると、指の線にそって黒い裂け目が生じる。
裂け目の向こう側は、幻想郷であってここではないどこかに通じる異空間だった。
紫はこうやって次元の境界をいじり、あらゆる場所での移動や見聞を可能とする。
その裂け目に肘まで入れると、何かを探るように手を動した。

「 幽香は何で飲む? 私は升で飲もうかと思ってるんだけど」
「 普通に盃でいいわ」
「 そう? じゃあ、とっておきの盃を貸してあげる」
「 いらない……普通でいいから。早く渡しなさい」
「 もう……少しくらい信用してよ」

紫は視線をそらして、一旦取り出しかけた手をさり気なく戻した。
その様子を横目で見ながら、幽香は深いため息をつく。

「 貴方と話してると疲れるわ……」
「 あったあった。それじゃあ、始めましょうか」

楽しそうに笑いながら、紫は隙間の中から次々に酒や盃を取り出していく。
種類も多く、辛口から甘口、大吟醸から純米大吟醸まで様々な酒が所狭しと並んでいった。

「 出しすぎ。誰がこんなに飲むのよ」
「 飲みたいやつを選んでちょうだい。残りは片付けるから」
「 自分で誘っておいて、私に選べと言うのね……まったく」

幽香は一度だけチラッと並んだ酒を見ると、無造作に1、2つと選定していく。
その間に、紫は盃を幽香の傍に置き、空の升を手に取った。

「 さっ、早く飲みましょうよ。邪魔が入らないうちに」
「 選ばせておいて、一番先に飲むワケ。本当にいい性格してるのね」
「 私がタダ酒を飲ませると思ったの? 一番目に酌をするのは当然」
「 誘ったのはそっち。私は付き合う方………貴方の言い分は何かが間違ってると思うわ」

そう言いながらも幽香は栓を開けて、紫が手に持っていた升に酒を注いだ。
不機嫌そうな顔をしながらも、幽香の酒を注ぐその手つきは丁寧なものだった。
トクトクッと清涼な音を立てて、清水のように透き通った酒で升が満たされていく。

「 ねえ、幽香。吟醸酒は升で飲むのが一番美味しいと思わない?
  飲む時にほのかに香る木の匂いがたまらないのよね」
「 そうかしら。私は一番美味しいお酒を飲むには、環境が一番大切だと思うけど。
  騒がしくて楽しい場なら、お酒は不味くても飲める。
  でも、いくら美味しいお酒でも侘しい所で飲めば味気なくなるものよ」

幽香は自分の盃にも酒を注ぐと、それを手に取った。
そして、しばらくの間……幽香と紫は無言で桜の散る様を見つめ続ける。

「 じゃあ、このお酒はどんな味がするのかしら……楽しみね」
「 分かりきった事を聞くのね。このお酒が不味いワケがないでしょう」

クッと幽香は盃の中にある吟醸酒を仰いだ。
それを楽しそうに横目で見ながら、紫も升に口をつける。
喉を少し熱い液体が通り抜け、その部分から身体全体に熱が広がっていく。
胃の底から酒の香りが昇り、独特の甘さが舌先に残る。
身体に染み渡る様が分かるほど、その酒は美味かった。

「 今年の桜は綺麗ね……まるで、人間の命が儚く散っていく様を見ているよう」

盃から口を離すと、幽香はほうっと小さく息をついた。
姿形は少女そのものだが、彼女はすでに何百年も生きている。
その言葉には、言い表しようの無い重みが篭っていた。

「 妖怪にとって人間は食べ物。極上のつまみを見ながら、お酒を飲む事のなんて美味い事よ」
「 何それ? 誰の歌なの」
「 即興で私が考えたの。今の貴方の気持ちを代弁したつもり」
「 花より団子なんて、私が考えるワケないでしょう」

幽香は手に持った空の盃を、紫の方に向けた。
幻想郷広しと言えど、八雲紫に酌を求めるのは西行寺幽々子か風見幽香くらいのものだろう。
紫は楽しそうに微笑みを浮かべながら、盃にゆっくりと吟醸酒を注いでいく。

「 どんな花もいずれ枯れるように……どんな命も消える。
  散って咲いて、また散って咲く……
  この桜の木一本にどれだけの魂が宿り、そして消えていくのか分かる?」
「 そうね。計算しろというならしてあげるけど」
「 そんな無粋な数字は欲しくないわ。
  私は、魂が消える瞬間に散り行く様が……とても綺麗だと思うのよ。
  どんな魂であろうと……消える瞬間は、どんなものも無垢な姿になる。
  寄り添い、連なる桜の木から落ちた一片の花びら……
  その一瞬が、とても綺麗だとは思わない?」
「 幽香は難しい事を考えるのね。見てて綺麗。それでいいじゃない」
「 それは単純すぎてつまらないわ。
  だから、霊夢の所に来たのに………紫と鉢合わせするなんて」
「 確かに、あの子なら面白い答えを返してきそうね」

ザッと強い風が桜並木を撫でていく。
暖かな春の日差しを避けるようにして、幽香はフリルのついた傘を広げた。

「 ねえ、紫……」
「 うん? どうしたの、幽香」
「 霊夢は後、どれくらいで私達と対等にやり合えるようになるのかしら」

傘で顔を隠しながら、幽香は紫にそう尋ねた。

「 弾幕ゴッコの話?」
「 ゴッコに興味はないわ。私がやりたいのは………殺し合いだもの」

真意を掴ませない、本気とも冗談とも取れる質問に紫は眉を潜めた。

「 物騒な話ね。それこそ無粋じゃない?」
「 ああいう子って虐めがいがないのよね。どれだけやっても暖簾に腕押しなんだもの」
「 だから、殺すの? あの子を消したら、おそらく幻想郷中の妖怪を敵に回すわよ」
「 それならそれでよし」

クスクスと小さく笑い声を上げて、幽香は顔を傘の下から覗かせた。
その瞬間―――紫の背筋に、悪寒が走りぬける。

「 最後に大輪の花を咲かして散るのは………私の最後に相応しいと思わない?」

燃えさかる炎のように赤い瞳を輝かせ、幽香は微笑んでいた。
優雅さと狂気を秘めていた笑顔に、空気が凍りついて音が消失していく。
並みの、普通の妖怪には出せない……妖気と殺気が入り混じった禍禍しい気配。
八雲紫ですら恐怖を抱くほどの冷たい殺意が、幽香から放たれる。

「 貴方は……変わらないわね、幽香」

幽玄の香りを匂わせる、美しい花に隠された猛毒。
その毒に、紫は一度触れた事があった。
幽香の紅い瞳を見ただけで、その時の戦慄と恐怖が湧きあがってくる。
初めて幽香と出会い、そして死闘を繰り広げた夜。
紫は幽香の瞳を真っ直ぐに受けながら、その時の事を思い出していた。


―-----------------------


煌々と、空には満月が輝いていた。
一点の曇りもなく、白く発光する月の魔力に魅せられたのか。
人間や妖怪ばかりではなく、植物すら高揚したように揺らめいて動く。
そんな夜の月を背にして、紫は隙間に腰かけながら宙に浮かんでいた。
その下には地平線すら霞むほどの平原が広がり……
そこには、白くて小さな花を連ねたスズランが咲き誇っている。
それだけなら別に何と言う事は無い。
だが、その光景を一目見たならば、すぐに異常な事態だという事に気付いただろう。
何故ならば、平原にはスズランしか咲いていなかったからだ。
他には花も草も、木すら生えていなかった。
風が吹けば、平原全体が揺れてスズランの香りが立ち昇る。
スズランが月で、その香りが月光。
それはまるで、空に浮かぶ月をそのまま地上に落としたかのような白い平原。
そこに、風見幽香は一人で立っていた。

「 こんばんは、お花の妖怪さん」
「 誰よ、貴方。ひょっとして次の挑戦者? それとも略奪者かしら」

満月を背にして浮かぶ八雲紫に、幽香は挑発的な笑みを向ける。
数時間前まで、ここは樹木が鬱蒼と茂る森だった。
そこに住む妖怪と幽香は戦い……この辺り一帯を、スズラン畑に変えてしまった。
元々住んでいた妖怪は、おそらく何が起こったのか分からないままこの世を去っただろう。
幻想郷の一部を、たかだか数分で根底から作り変えた幽香の力。
その力に、紫は引き寄せられた。
言葉にするなら……それは運命。
この夜に、出会うべくして紫と幽香は出会った。

「 まずは貴方のお名前を聞かせてもらえるかしら、お花の妖怪さん」
「 幽香よ、風見幽香。そういう貴方はどなたかしら」
「 八雲紫と申します」
「 八雲紫……ね。それで? 私に何か用」
「 貴方の力を、封印させてもらおうかと思いまして」
「 へぇ……今度のお相手は、貴方というワケ?」
「 抵抗すると言うなら、そういう事になるわね」
「 どうして私が力を封印されないとダメなのかしら。妖怪同士の争いなんかよくある事でしょう」
「 そうね。でも、貴方は特別危険なの」

幻想郷には数多くの妖怪が住んでいる。
その種類は多種多様……
人間と共に住む者、人里から離れて暮らす者、森の奥で結界を張って住む者。
それこそ、妖怪の数だけ多くの住み方があった。
その中には、特定の住処を持たず、根無し草のように場所を変えながら移り住む者もいる。
風見幽香もそんな妖怪の一人だった。
しかし……彼女の場合、その性質の悪さでは群を抜いていた。
幽香は気に入った場所があれば奪い取り、そこを自分好みの花畑に変えてしまう。
他に住んでいた動物や植物など一切を無視し、自分だけの領域を作ってしまう。
それは、調和の取れた幻想郷に亀裂を入れる行為でもあった。

「 貴方がこんな所にスズラン畑を作ったら、回りの動物達が人里の方に行ってしまうわ」
「 別にいいんじゃない。それが嫌なら私に文句でも言いにくればいい」
「 貴方の力に敵う奴なんかいないわよ」
「 殺したりはしないわ。ちょっと虐めて、泣き出したら帰してあげる」
「 自分の力を持て余してるのね」
「 ちょっと違うわ。力を使って虐めているだけよ」

そう言って、幽香は朗らかな笑みを浮かべた。
それに合わせて、スズランも一斉に揺れる。
対峙しているのは幽香と紫の二人だけだったが……
紫は敵陣にたった一人でいるような感覚に襲われた。

「 ふふっ、お花の兵隊さんと言った所ね。怖い怖い」
「 八雲紫……貴方は私を満足させてくれるほど強いのかしら」
「 さっきの妖怪よりは強いと思うわよ」
「 そう……それなら、少しは楽しめそうね」

バサッと音を立てて、幽香の手に持っていた傘が勢いよく開いた。
それを合図に、紫も傘を開く。
彼女達にとって傘は魔術媒体……魔術士が持つ杖、魔道書に相当する。
傘を開く、それはおたがいに臨戦体勢を取った事を意味していた。

「 さあ、死合ましょうか! 八雲紫っ!!」
「 適当に遊んであげるわ。かかっていらっしゃい」

幽香は大きくバックステップをして距離を開くと、傘を回転させ始めた。
その白い傘にまとわりつくようにして、色とりどりの花が生成されて行く。

「 まずは、貴方の実力を見せてもらうわよ」

微笑みを絶やさず、幽香は傘を横に大きく振った。
その傘から、数十にも及ぶ花の弾丸が紫に向かって飛んでいく。
どれだけ高速であろうと花は花……避けるまでもないように思える弾幕。
だが、それを見た紫はすぐにその弾に込められた恐怖に気付いた。

「 花の種類が実に豊富ね……」

スイセン、スズランは言うに及ばず……
レンゲツツジ、トリカブト、ジギタリス……パッと見ただけでも数十種類の毒花。
色とりどりの華やかな毒の花の弾幕に、紫は戦慄を覚える前に感動すらしてしまう。

「 でも……その程度の弾幕なら力を使う事もないわね」

紫は傘を肩にかけると、毒花の弾幕の隙間を縫うようにしてかわしていく。
微笑みを浮かべ、空に舞う白い羽のごとく優雅な紫の姿を見て、幽香の顔色が一瞬にして変わった。

「 面白い避け方をするのね、貴方」

紫の避け方は異常なほど上手かった。
花弾には服もかすらせず、常人ならばまず抜けれない弾幕の隙間をいとも簡単に通り抜けていく。
紫は経験や視力だけに頼らず、きっちりと迫り来る弾の速度と自分の動ける範囲を計算して動いている。
避けミスなど起きるはずもない、鮮やかで完璧な体さばきだった。
これではどれだけ弾を増やそうが、その姿を捉える事は難しい。
それを瞬時に理解した幽香は、苛立つようにして眉を潜めた。

「 じゃあ、これならどうっ!?」

幽香は傘を回転させながら、先端部分に意識を集中させる。
すると、その先端から大輪の花が咲き乱れ始めた。
黒い花芯に幾重にも重なった黄色の花びらが、幽香の魔力を受けてゆっくりと回転を始める。

「 今度は向日葵を追加してあげるっ!!」

幽香の声に反応して、向日葵が高速回転しながら紫に狙いをつけて飛んでいく。
向日葵に毒はない。
だが、幽香の魔力を込めた向日葵の花弁は一枚一枚が刃のように研ぎ澄まされ、空気を切り裂いて疾走する。
触れただけで毒を受ける弾、触れただけでズタズタにされる向日葵のカッター。
華やかな花達に隠された死の気配に、今度は紫の表情が歪む。
向日葵は風を受けてゆらゆらと大きく揺れながら動いている。
軌道を計算するのは極めて難しく、それと一緒に花弾も避けるとなると……
かすらせもせずに抜けるのは、かなり難しいという考えに至った。

「 防御一辺倒ではすぐに終わっちゃいそうね。反撃するしかないのかしら」
「 抵抗するなら早くしたら? 余裕見せてると、すぐに終わっちゃうわよ」

挑発的だが、どこか期待するような眼差しで幽香は花弾を撃ち続ける。
周りは洪水のように押し寄せる花弾の波状攻撃。
その真っ只中に立ち、それでも尚、紫は微笑みを絶やさない。

「 弾の威力は中の下。でも攻撃手段が実に多彩……厄介な相手ね」

並みの妖怪ならば、その弾の圧倒的な物量に焦り、恐怖している所だ。
それなのに、紫は幽香の力を目の当たりにしても決して揺るがない。
今まで戦ってきた相手とは格が違う……幽香は久しく忘れていた、戦いの興奮を憶えていた。

「 さあ、早く来なさい。私と一緒に花のワルツでも踊りましょうよ」

紅蓮に燃える瞳を輝かせ、幽香が紫を誘う。
それを受けて、紫は眼前に花弾が迫っている状況にも関わらず………瞳を閉じた。

「 分かったわ。そのお誘い……受けてあげる」

風の音、花が飛来する音……全てを透り抜けて、紫の声が大きく響いた。
ドクンッ! と一度だけ、大きく幽香の心臓が震えた。
心は熱いほどに燃え上がっているのに、全身があまりの寒気に総毛立つ。
そこにいるのはもはや、飄々とした雰囲気をまとった少女などではなかった。

「 八雲紫……参ります」

そう告げると同時に、紫はカッと瞳を見開く。
その黄金の双瞳が狂気と殺意に輝いていた。
紫の身体から溢れ出す妖気に空気が震撼し、気温が一気に下がる。

「 な、何……この感情……手が、震える?」

息苦しいほどの重圧感と妖気に、幽香は恐怖し、一瞬だけ攻撃の手を止めてしまった。
今、目の前にいる少女は妖(あやかし)………
幻想郷に住む妖怪にとって、己の存在に絶対的な自信を持つ者が恐怖してやまない悪夢。
他を超越した絶対的な力を持った妖怪が、その姿を見せた瞬間だった。

「 くっ……花符、幻想郷の開花っ!!」

幽香は懐からスペルカードを取り出すと同時に、傘に魔力を溜め始めた。
だが、それによって攻め一辺倒だった幽香の弾幕が一瞬だけ途切れた。
まばたきする程度のわずかな時間。
その一瞬の隙間を……紫は見逃さなかった。

「 遅すぎるわ、風見幽香!」

傘を肩に寄せ、紫は空いてた手を目の前に突き出した。
スペルカードも魔力の溜めすらない行動に、幽香はいぶかしげに眉を潜めた。
だが、次の瞬間―――

キンッ―――

硬質な金属を叩いたような澄んだ音が響き、幽香の視界が一瞬だけ真っ白に染まった。

「 何よ、今の光は……!?」

目の錯覚かと思えるほど、それは瞬間的な光。
しかし、幽香の瞳は紫から自分に向かってくる何かを捉えていた。

「 なっ!?」

幽香の口から驚愕の声が漏れた。
何かが飛んでくるの感じる、空気を切り裂いて走る音は聞こえる。
なのに、その姿が黙認できない。
妖怪の、幽香の動体視力を持ってしても見えない何か。
避けなければと直感的に悟ったが、それはあまりにも遅すぎた。

―――ドンッ!!

「 ぐっ!!」

幽香の身体を何かが突き抜けていった。
当たった瞬間に身体が硬直する。
その衝撃と音は、当たったと認識した瞬間に襲い掛かってきた。

「 うぁああああっ!!」

幽香の身体が木の葉のように舞い上がり、後方に吹き飛ばされる。
光、衝撃、音……3つの段階を経て飛来する、紫自身すら知らない異次元の魔物。
それに身体を貫かれ、幽香は手に持っていた花符を落としてしまった。

「 あぐっ!! うぅっ……」

不意をつかれ、態勢を立て直す暇もなく、幽香はしたたかに背中を地面に打ちつけた。
身体を何かに貫かれた痛みと、背中から全身に伝わる衝撃に苦悶の声が漏れる。
それでもすぐに起き上がろうとして、幽香が瞳を開いた瞬間………恐怖に身体が凍りついた。
視界にはどこまでも続く漆黒の夜空と満月。
そして、そこに紫の姿があった。
あの光をくらう瞬間まで目の前にいたはずの紫が、何故自分の真上にいるのか。
ただの高速移動では説明がつかない……それなら止まった時に服がはためき、音を立てるはず。
一切音も立てず、寸分の違いもなく吹き飛んだ幽香の真上に移動する方法……

「 まさか、空間移動……!?」
「 罔両、禅寺に住む妖怪」

動揺する幽香を見下ろしながら、紫はスペルカードを切った。
スペルカードは一瞬ふわりと空中に舞い上がり、黒炎を上げて空気に溶けていく。
そして、紫を中心にして卍型の炎の刃が現れた。

「 じゃ、冗談じゃないわっ!」

態勢を立て直そうとする幽香の頭上から、卍の刃が回転しながら落ちてくる。
その様子はまるで罪人を断罪するギロチンのように、無慈悲で絶対的な威力を持った刃。
それが幽香に狙いをつけて、振り下ろされる。

バッ―――!!

卍の刃が大量のスズランを切り刻み、小さな白い花が空中に巻き上げられる。
幽香を切り刻むはずだった刃は目標を見失い、地面を削り取っただけだった。
前方に飛んで間一髪で避けた幽香はそのまま空中で姿勢を整えると、着地した紫に狙いをつける。

「 ふっ!!」

短く、鋭い息を吐き出して幽香は傘を振った。
さっきまでの華やかな弾幕とは違い、今度は白で統一された花弾が放たれる。
紫は今、多量に舞い上がったスズランの花で視界が閉ざされている。
そこに白い花弾を打てば見分けがつかずに直撃する―――はずだった。

「 ふふっ………」

白い小さな花に囲まれた紫の顔に笑みが浮かぶ。
そして、次の瞬間―――紫の身体は空気に溶けるようにして掻き消えた。
後には、空中で揺れる白いスズランの花だけが残る。

「 なるほど……移動したんじゃなくて、逃げているのね」

幽香は唇を忌々しそうに噛み締める。
紫はただ瞬間的に移動したのではなかった。
横の空間を切り裂き、そして隙間に逃げ込んでいた。
その隙間は幻想郷とはまったくの別次元……弾など当たるはずがない。
そして、あらかじめ決めていた空間をこじ開けて出てくる。
移動する音も立てず、一瞬のうちにあらゆる場所に出現できる。
避けと移動をもっとも安全に、そして同時にこなす完璧な移動手段。

「 どうやって倒すのかじゃなくて、どうやって攻撃を当てようかを考えたのは始めてよ……八雲紫っ!!」

スズランの平原に立ち、幽香は声を荒げて吠えた。
幽香は紫の能力に翻弄されている事を自覚していた。
それが彼女のプライドに傷をつけ、その痛みで怒りの炎が燃え上がる。
真紅の瞳が禍々しい光を放ち、怒りを向けるべき相手を探す。

「 貴方……負けた事ないでしょう」
「 っ!? どこ、どこにいるのよ!」
「 頭も良い、カンもいい。そして力もある……でも、それが貴方の成長できる限界でもある」
「 ……勝手に決めないで欲しいわね」
「 貴方に足りないのは敗北よ。その力を少し削ってあげる。そうすれば……きっと見えるモノも多くなる」
「 余計なお世話よ。早く殺してあげるから出てきなさい」
「 もう、せっかちね……私なら……」

スッとわずかな音を立てて、空間に真一文字の黒線が走る。
そして、その間から小馬鹿にしたような笑みを浮かべた紫の顔だけが、ひょこっと出てきた。

「 ここにいるじゃない」
「 蓬莱桜花っ!!」

紫が言い終わらないうちに、幽香の傘から花弾が撃ち放たれる。
さっきのようなばらつきのある弾幕ではなく、狙い定めた一閃。
それを紫は再び隙間に入り込んで、いとも簡単に避けてみせた。

「 無駄よ。私に貴方の弾は当たらない……絶対に」
「 ……卑怯な能力ね」

呆然とする幽香の前に、紫は姿を現して再び対峙した。
形勢は見るまでもなく明らかだった。

「 もう充分でしょう。力の差ははっきりとしたはずよ」
「 くっ……」
「 花を咲かせる能力では私に勝てないわ。どう頑張った所で、カスリもしないでしょうね」
「 …………」
「 諦めたら? 一方的に嬲られて殺されたいなら、止めないけど」

紫は力の差をはっきりと知らしめる為、わざと高圧的な態度を取る。
このまま戦っても時間の無駄だと、相手に理解させる為だった。
彼女は幻想郷という大地を愛し、それ以上に住む者達も愛していた。
傷をつけたくないという思いから出た優しくも、厳しい紫の言葉に……幽香は俯き、肩を震わせる。

「 大丈夫。貴方が反省してくれればすぐにでも元に………」
「 くくっ………」
「 ……ん?」

紫の言葉を遮るようにして、幽香の声が響いた。
嗚咽のようにも聞こえた幽香の声は……徐々に大きくなり、やがて―――

「 あっはははははははっ!!!!」

喉が裂けそうなほどの高笑いに変わった。
一瞬、気が触れたのかと紫は考えたが……すぐにそれが間違いだと気付いた。

「 花を咲かせる? 私の能力が? あははははっ!! ぜっっっんぜん、違うわっ!!」

天に吠える狼のように、幽香は空を仰いで声を紡ぐ。
彼女の雰囲気が一変していた。
さっきまでは、バラのような美しくも棘のある花だった。
だが、今の幽香は狂気に彩られ、その身体からは黒い妖気が滲み出ているようにも見える。
その様子はまさに『ベラドンナ』……
美しい貴婦人という名に込められた、猛毒の花そのものだった。

「 あれだけ見せてあげたのに、貴方はまだ私の能力に気付かなかったみたいね」
「 ………」

紅蓮に燃え上がる瞳を紫に向けて、幽香は落胆のため息をついた。
見せかけの形勢は破綻し、今では逆に紫の方が気圧されている。
一体、何が変わってこのような状況になったのか……紫には理解できなかった。

「 がっかりしたわ。いつ気が付くのかとドキドキしてた私がバカみたいじゃない」
「 気が付く? 一体、何の話を―――」

ドクンッ!!

「 ―――えっ!?」

急激な息苦しさを感じ、紫は胸を抑えた。
肺から痺れるような痛みが這い上がり、身体が徐々に蝕まれていく。

「 これって、まさかスズラン……? そんな、バカな事が……」

スズランは神経毒、特に心臓麻痺を引き起こす猛毒を秘めている。
しかし、人間ならいざ知らず、抵抗力がはるかに高い妖怪にはさほど危険なモノではない。
スズランの毒そのものを、口から直接取り込みでもしない限りは問題がないはずのモノ。
それに、急に症状が現われる類の毒でもない。
不自然すぎる毒のまわり……これが意味する事はただ一つ。

「 貴方が……毒を操ったの?」
「 そうよ。スズランに毒を吐くように命じたの……意味、分かるわよね?」

スズランは毒を持っている。
だが、それのほとんどが根の部分にしかない。
それを吐かせるように、スズランに命じたという事は……

「 酸素の変わりに、毒を吐き出すように操ったワケね……貴方が」
「 それだけでは正解とは言えないわ。さっき私が放った花弾……全部にその命令をしてあったのよ」
「 どうりで……毒のまわりが早いワケね」
「 いくら貴方が出鱈目な能力を持っていようと、身体の隅々まで浸透してしまった毒は消せないでしょう」
「 正解……やっぱり、貴方は頭がいいのね」
「 当然。さあ、さっきの続きをしましょうか」

幽香は悠然と微笑みながら、閉じた傘を紫に向かって突き出した。
騎士が剣を構えるように堂々と、風格さえ漂わせて幽香が構える。
紫はそれを見据えながら、これからどうするかを考えていた。
ここで逃げるのは簡単だが、その結果どういう事になるか……

「 ここは………逃げられないかな」

ただ悪戯に幽香を刺激して、本気を出させてしまった。
紫がここでいなくなれば、当然、怒りの矛先は人里……もしくは別の妖怪に向けられるだろう。
だからと言って、このまま戦えば苦戦は必至。

「 行くわよ、八雲紫っ!! 花符――萌風っ!!」

幽香の傘が花開き、花弾が撃ち出される。
いくら抵抗力があると言っても、毒を無効化できる力など紫にはない。

「 進退窮まるとは……まさにこの事」

紫の口から自嘲する笑みが零れた。
手に持っていた傘を閉じて、ゆっくりと袖口に手を差し入れる。
考えるまでも無く、彼女は一つの行動を選択した。

「 どうやら、本気で殺さないとダメなようね」

閉じた傘を隙間に投げ入れるようにして手放すと、袖口から取り出したスペルカードに魔力を送る。
紫の金色に輝く双瞳が、紅蓮に燃え上がる幽香の瞳を真っ向から見据えた。
毒を取り出せない以上、紫の身体は時間と共に削られていく。
それならば、短期決戦。
単純な力勝負で押し切るしかないという考えに至った。

「 魍魎―――二重黒死蝶」

スペルカードが炎上し、紫を取り囲むようにして赤と青の蝶が現われた。
数にして四、五十匹にも及ぶ二色の蝶が、紫を守るようにして舞い踊る。

「 行きなさいっ!!」

紫が合図を送ると同時に、蝶の大群が二つに割れて一斉に羽ばたいた。
魔力の残滓を、輝く燐粉のように撒き散らして飛ぶ美しい姿とは裏腹に………
蝶は加速を始め、まるで剣のように鋭利な姿に変貌していく。

バッ!!

花が四方に散り、蝶が羽をもぎ取られて落ちていく。
幽香と紫の弾幕は拮抗し合い、両方共に一歩も譲らない。
このスペルでは決着がつかない。
二人は同時にそれを感じ取り、次のスペルカードに手を伸ばす。

「 花符――桃源郷の開花!!」
「 境符――二次元と三次元の境界!!」

白光する満月を背にして、二匹の妖怪がおたがいのスペルをぶつけ合う。
幻想郷ではさして珍しくも無い、妖怪同士の争い。
だが、その戦いは異常という他はなかった。
スペルがぶつかり合う衝撃で空気が引き裂かれ、頭蓋を直接叩かれるような凄まじい炸裂音が鳴り響く。
空中に散った妖力が、それでもなお相手を殺そうとする意思によって禍々しい渦を作り出す。
今度はそれがぶつかり合い、殺意に歪んだ空気を撒き散らしていく。
並みの人間なら吸っただけで気が狂い、妖怪であろうと取り殺されかねないほどの魔力と殺気の衝突。
避けるなどという事は一切しない……おたがいが死ぬまで噛みつき、爪を立てあう猛獣同士の争いだった。
しかし、徐々にその均衡は崩れていった。

「 はぁっ―――はぁっ、はぁっ!!」

先に息を荒げたのは………紫の方だった。
それも当然と言えば当然、紫は身体を毒に侵されている。
そして、息を荒げる事によって空中に四散している毒を否応無しに吸い込んでしまう。
毒によって喉が渇き、肺が焼け爛れたように激しく痛む。
身体中に走っていた痺れは、もう痛みにまで変化していた。

「 どうしたの? 随分と苦しそうじゃない」

紫が手を止めたのを見て、幽香もそこで攻撃を止めた。
幽香は傘を両手に持ち直し、柔らかな物腰でクスクスと小さな笑い声を上げる。
戦っている条件は同じはずなのに、幽香には余裕すら垣間見える。

「 ねえ……貴方には、毒が効かないの?」
「 まさか。そこまで万能じゃないわ」
「 じゃあ、どうして……」
「 私には植物の毒が効かないの。花が咲くモノの毒が、一切通用しないと言うのが正しいかしら」
「 花が咲くモノ………っ!?」

幽香の言葉を聞いて、紫はハッと目を見開いた。
さっきの幽香の言葉……操ったと彼女は口にしていた。
単純に、それは毒の花を操作しただけとも取れる言葉。
しかし、それが花という花。
花を咲かせる植物全ての行動が、彼女一人に操れるとしたらどうか。

「 ようやく分かったみたいね。私は花を操る程度の能力を持っているの。
  花に毒を吐かせる。それは植物が自分を守る為に行う自衛の手段。
  でも、私に対して自衛の手段である毒を使うなんて事はありえない。
  花から吐き出された毒もまた花。花から出る酸素もまた花。
  フラワーマスターである私に、花が逆らう事はありえないのよ」

紫は驚愕の表情で幽香の言葉を聞いていた。
それが本当ならば、彼女は花が咲く植物の全ての行動、それが起こす全ての現象を操作できるという事になる。
この辺り一帯をスズランで埋め尽くしても、彼女がスズランに殺される事は無い。
バラの棘が彼女を傷つける事もない。
トリカブトの毒を飲み込んだ所で……彼女がそれに蝕まれる事もない。

「 誰かの命令をすでに受けている、毒や花の攻撃は無効化できないけど……貴方にそんな能力は無いわよね」
「 あるワケないわ……」
「 ふふっ……要するに、私のフィールドにいる時点で貴方に勝ち目は無いという事」

幽香がクスクスと小さく笑い声を立てる。
それに合わせて、スズランが一斉に揺れて彼女と共に笑い出した。
白い大地が、一人の少女の動きに合わせて動く様子は……もはや怪異の域に達していた。
初めに感じた、まるで大軍に囲まれているような圧迫感。
あれが気のせいなどではなかったのだと、実感させられる。
紫の背筋に悪寒が走り、足が恐怖で小刻みに震え出す。
だが―――それでも、紫の心は折れなかった。

「 少しくらい優位に立ったくらいで……!!」

気圧される自分を奮い立たせるように声を上げると、紫は次のスペルカードを取り出す。
もはや限られた時間しかない事を自覚し、自身が持つ中でも屈指の威力を持つスペルを展開させる。

「 外力っ! 無限の超高速飛行体!!」

防御すら許さず、当たれば全てのモノを貫いて走る光の魔物。
その光の軌跡が幽香に迫る。
だが―――

「 その攻撃は、すでに見たわ」

白い閃光が走りぬけると同時に、幽香は手をかざした。
その緑の髪がフワリと浮かび上がり、広げた掌に魔力の光が灯る。
その光は大気を巻き込みながら、徐々に輝きと大きさを増していく。

「 まさか……貴方、魔法までっ!?」
「 私が花だけの妖怪だと思った? 愚かね」

動揺する紫を嘲笑いながら、幽香は掌をグッと握り締めて、溜まった魔力を限界まで圧縮した。
目の前から全てを貫く光の魔物が走ってくる。
それを標的にして、幽香は圧縮した光を解き放つ。

「 ライトニングスパークッ!!」

ドンッッッ!!!!

紫の視界が真っ白に染まるほどの大きさで、幽香の魔法が放たれる。
凡百の魔法使いなど足元にも及ばないほどの魔力砲を見て、死の予感が走り抜けた。

「 二重―――くっ、四重結界ッ!!」

一瞬だけ躊躇した後に、紫は四重の結界を張り巡らせた。
彼女のカンが二重では足りないと告げていた。
紫電をまといながら迫り来る魔法に、飛行体が激突する。
全てを貫くはずの飛行体……しかし―――

ガシャンッッ―――!!

ガラスの割れるような音が響き、三つの飛行体全てが魔力砲に飲み込まれていった。
そして、今度は後ろにいた紫の結界に衝突する。

ビキビキビキッ!!!!

一瞬にして一枚目と二枚目の結界にヒビが入る。
しかし、それでも止まらず、幽香の魔力が結界を押し返してきた。
衝撃でバタバタとうるさいぐらいに、紫の服がはためく。
花弾とは比べモノにならないほどの、桁違いの威力を目の当たりにして……
紫の頬を冷たい汗が伝う。

「 くっ……持たない……」

紫は苦しそうに呟くと、片手で後ろに隙間を作り出した。
空気が裂け、異次元の隙間が徐々に広がっていく。
しかし、その間も結界には細かなヒビが入り、魔力砲によって徐々に侵食されていく。

「 まさか、あの子が……くぅっ、ここまでやるとは……!」

彼女の頭脳を持ってしても、幽香の力は計測不能だった。
幽香自身が持つ力は言うに及ばず。
この辺り一帯の植物の毒性と種類までも計算しないと、その力量は測れない。
しかも、それが幽香の意思一つで大きく変動する。
容量が計り知れない所か、その器の大きさすら見えない。
もしかしたら、自分はとんでもない化け物を相手にしているのかもしれない。
そう―――紫は思い始めていた。

ドンッ!!

轟音を立てて紫がいた場所を、圧倒的な魔力の塊が瞬時に焼き払った。
それは四重結界を打ち破っても止まらず、遥か後方にあったスズラン畑を覆う結界すら撃ち破った。

パンッ―――!!

スズラン畑の空にまで亀裂が走り、この一帯を覆っていた結界が弾け飛ぶ。
さっきまで壁と化していた結界の魔力は霧散し、キラキラと輝く雪のようにして平原に降ってきた。

「 さて……これで、目障りな結界は吹き飛んだっと……」

まるで星空から、星が零れ落ちてきたかのような幻想的な光景。
しかしその光景には目もくれず、幽香は注意深く周りを見渡した。

「 いつまで隠れてるの。生きてるんでしょう?」

鈴の音のような幽香の声が、平原を撫でていく風に乗って大きく響いた。
だが、それに答える声はない。
見渡す限りの白い平原には、幽香一人しか立っていなかった。

「 まさか……死んだ?」

死んでもおかしくない攻撃を撃っておきながら、幽香は意外そうに小首をかしげた。
普通の妖怪ならそれで納得しただろうが……
あの八雲紫が、これほどあっさりとやられるとは思ってもみなかった。

「 逃げきれなかったのかしら」

つまらなそうにため息をつくと、幽香は後ろを振り返った。
その瞬間―――戦慄が走り抜けた。

「 まだ、決着はついてないわ」

音もなく、気配すら殺して……紫は幽香の真後ろに立っていた。
避けきれなかったのか、結界を維持していた右腕が焼け焦げている。
しかし、その手には黒光りしながら雷光をまとう魔力が溜まっていた。
ダメージを受けた手であえて攻撃する。
皮肉と相手に怪我の具合を知らしめる、実に紫らしい攻撃だった。

「 っ!!」

幽香は瞬時に状況を理解し、なりふり構わず後ろに飛んだ。
だが、その動きをしっかりと金色の瞳が捕らえていた。
瞬時に幽香の動ける範囲を計算した紫は、追いかけるようにして溜めていた魔力を解放する。

「 八雲紫の神隠しっ!!」

紫の身長ほどもある黒球が幽香に向かって疾走した。
それと同時に、黒球から八方に魔力弾が散開して広がる。
それは黒い大輪の花のように規則正しく、幽香の逃げ道を塞いでいた。

「 そんなものっ!!」

幽香は後ろに下がっても避けきれないと察し、その場に立ち止まる。
そして傘の先端に意識を集中させた所で……後ろに何者かの気配を感じ取った。

「 なっ!?」
「 忘れたの? 私の能力」

顔だけ振り向いた幽香の目に、紫の半身だけが見えた。
彼女が本気になれば、常に相手の後ろを取るなんて事は造作も無い。
幽香が植物のあらゆる事を操るのならば、紫は次元と名のつく全ての空間を操れる。

「 チェックメイトよ、風見幽香」

紫の右手には、すでに二発目の黒球が溜まっている。
間違いなく殺す……切れ長の、黄金に輝く瞳がそう告げていた。

「 これで終わっ―――!?」

だが、それを撃とうとした瞬間に再び紫のカンが危険を察知した。
幽香を倒すチャンスは目の前にある。
危険を冒してでも、それに従うべきなのかどうか………

「 くっ―――!!」

悔しさに唇を噛み締めながら、紫は大きく後ろに飛び退いた。
長年、妖怪や魑魅魍魎と戦い続けてきた紫の戦闘カンが間違うはずがない。
その声に従い、紫は勝利と言う名のチャンスを手放した。
その直後―――

ドンッ!!

幽香の後ろから2mとはあろうかという向日葵が何本も地面から突き出てきた。
まるで彼女を守るかのようにして現われた黄色の花々。
向日葵の花びらがスズランを切り裂き、白い血のように小さな花が零れ落ちる。
もし一瞬でも迷っていれば、自分もあのスズランのようになったのか思うと……
再び、紫の背筋に冷たい戦慄が走り抜けた。

「 あら、残念。逃げられちゃったみたい」

向日葵がいびつに歪んで、そこにいた幽香の姿を露わにする。
幽香は花弾ではなく、紫が後ろを取ると言う事を見越して罠を仕掛けていた。
向日葵の槍で紫を攻撃するという、自分の危険をかえりみない大胆な策略。
それが失敗したと言うのに、何故か幽香は微笑んでいた。
本当に、心から楽しそうな笑顔を浮かべる様子は、まるで少女そのもの。
あどけなさと無邪気さ、そして……血が凍るほどの残酷さを秘めていた。

「 ………」

紫は音もなく着地すると、黄金色の瞳で幽香を睨みつけた。
何事にも揺るがない強い意志を秘めた瞳に見据えられ、幽香は妙な感覚を憶えた。

「 な、何よ……」

まるで哀れんでいるかのような、紫の悲しげ瞳……
それに心の中まで見られているような感覚に、幽香は陥った。

「 ようやく見つけたわ、貴方の隙間」
「 えっ!?」

一瞬、幽香は耳を疑った。

「 何を、見つけたって?」
「 貴方の隙間よ。心に空いた……満たされていない部分」

紫の凛とした声が、やけにはっきりと響いた。

「 勝ち飽きたのね、貴方は」

ドクンッ! と、幽香の心臓が跳ね上がった。
いつでも攻撃できるように備えていた幽香の魔力が、徐々に小さくなっていく。
ザッと一陣の風が吹き、乱れていた空気が押し流される。
後に残ったのは音一つ無い静寂と……
煌々と輝く月光に浮かび上がる、二人の向き合う少女だけだった。

「 妖怪にとって力の行使は存在意義の一つ。
  他者を打ち負かし、時として自分を守る力。
  弱肉強食の世界において、それは当然の流れ」
「 ………」
「 貴方もその法則に従い、力を使って他者を喰らってきた。
  でも……飽きたのよね。
  誰も貴方の力を受け止められない。
  誰も貴方には逆らえない……戦えば常勝無敗。
  力の無い者にとってはうらやましいと感じるかもしれないけど……
  負けの無い勝負は、作業でしかないわ。
  物足りなかったんでしょう?
  戦っている時だけが、その溢れんばかりの闘争本能を満たしてくれるのに……
  すぐに終わってしまう。結果が見えてしまう。
  さぞ、つまらなかったでしょうね」
「 ……本当にその通りなら、つまらないでしょうね」
「 だから、貴方は力をセーブして相手をいたぶる事を覚えた。
  他者を蹂躙する事で、自分が優れているのだという自尊心を満たす事ができた。
  でも……本当はそんなモノを望んでなんかいなかったのよね。
  ただ貴方は………全力の自分を受け止めてくれる相手が欲しかった」
「 ………うるさい」
「 花は寄り添い、仲間を増やしながら咲くわ。
  でも、この世に唯一の花である貴方は寄り添える相手も、仲間もいない。
  たった一輪、何かの間違いで咲いてしまった向日葵。
  その下で寄り添う野花が羨ましくて、貴方はその大きな身体で日を隠してしまう。
  ただの意地悪だと分かっていても、やらずにはいられない。
  だってそうしないと……自分の存在意義すら見失ってしまうから」
「 憶測で―――私を語るなっ!!」

悲鳴のような声を上げて、幽香は花弾を撃ち出した。
だが、そこに勢いや狙いなど無い。
ただ無茶苦茶に、子供がヒステリックに叫んで泣くように花を撃ちまくる。
それを紫は微動もせずに受け止める。
花弾が身体に当たっても、苦痛の色さえ見せずに……
紫は言葉を紡いでいく。

「 勝ち飽きて、いじめにも飽きたら……きっと貴方は幻想郷を壊してしまう。
  幻想郷が自分を受け入れてくれたと納得するまで、貴方は傷を付け続ける。
  それで崩壊してしまっても、貴方は後悔しないでしょうね。
  太陽に憧れて、それを見続けて枯れた一輪の向日葵は……
  多分、満足そうにこう言うんじゃないかしら?
  自分にはどうしても届かない事が分かった……それで充分だ。
  それが分かっただけでも、自分には生きる価値があったんだって」
「 何よ、それ……哀れね……惨め過ぎるわ」
「 私もそうよ……」
「 えっ!?」
「 貴方だけが例外じゃない。私だって仲間なんていないわ。
  幻想郷を守ると言う使命がなければ……何をしていいのかも、私には分からない」
「 似た者同士とでも言いたいワケ?」
「 まさか。貴方と私は違うわ……私は幻想郷を守ると言う目的があるもの。
  信念も何も無い、根無し草の貴方と一緒にしないで」
「 偉そうなヤツ……その澄ました顔を見てると、泣かせてやりたくなるわ」
「 私も、貴方の泣き顔が見たくなってきたわ。だから――」


「 決着をつけましょう、風見幽香。負けたくないと思ったのは、これが初めてよ」
「 面白い……泣いて悔やむといいわ、八雲紫。賢者の真似事をする卑怯者」


幽香と紫の視線が交差した。
長い年月……悠久に近い時間を過ごしてきた少女。
その中で満たされない思いを抱いて生きる事が、どれほどの苦痛か。
おそらく誰にも、彼女達以外には理解できるはずがない渇望。

「 ねえ、提案があるんだけど……聞く?」
「 どうぞ。言うだけならタダよ」
「 このまま、チマチマやってても決着つきそうにないわよね」

この出会いが運命だったと言うなら、彼女達に何を望んだのか。

「 そうね。おたがい、手の内も見せちゃったみたいだし」

それは誰にも分からない事……しかし―――

「 だから、一発勝負と行きましょうか。後腐れなくていいでしょう」

この一瞬だけは誰にでも分かるほど、幽香と紫は楽しそうに笑っていた。
運命も使命も、存在意義もない。
彼女達はおたがいのプライドと、絶対的な力を信じてぶつかり合うだけ。

「 それじゃ―――」
「 行きましょうか」

初めて出会った、全力で戦える相手。
彼女達は言葉ではなく、視線で純粋な勝負の約束を交わす。
どちらがより強いのか……
その答えを求めて、少女達は弾を放つ。

「 八雲紫、奥義………」

紫は一枚のスペルカードを取り出し、瞳を閉じて詠唱を始めた。
本来、彼女クラスの妖怪になればスペルを使うのに魔術式など必要としない。
しかし、紫自身の手におえないほどの力となれば別になる。
それほどの一撃を放つ為、彼女は雑念を飛ばし、意識を魔力増幅に傾けていった。
その身体から幽鬼のように妖力が立ち昇り、スペルカードがクルクルと回転を始める。
後ろでまとめていた髪がほどけ、絹糸のような金髪が扇状に広がていった。

「 花鳥風月……」

それを受けて、幽香もスペルカードを取り出して瞳を閉じた。
幽香は祝詞のような、人間には雑音にしか聞こえないほどの超高速の詠唱を口ずさむ。
すると、スズランや彼女の放った花弾の花びらが竜巻に飲み込まれるようにして上昇していった。
うねりを持った風は、幽香の周りを回転しながら次々に花を飲み込んで徐々に大きくなっていく。
向日葵も、スズランも、幻想郷の季節に咲く全ての花が彼女を守るようにして舞い上がる。
そして―――



二人は同時に瞳を見開いて、殺すべき相手に狙いをつけた。



「 弾幕結界っ!!」

紫の凛とした声に呼応して、スペルカードが炎上する。
一瞬の静寂……風も、虫も、木々が揺れる音さえも消失した世界。
そこから、まるで地獄の底から這い上がってくるかのような地鳴りが大きくなっていく。
そして、紫の背中の空間にピキッと大きく亀裂が走った――――

ドドドドドドドドドッッッ!!!!

鼓膜が破れそうなほどの轟音を響かせて、亀裂から数十匹にも及ぶ大蛇が飛び出してきた。
いや――それは大蛇と言う生物などではなかった。
鱗一つ一つが槍状の弾……それが重なり合い、まるで一匹の生物のように意志を持って幽香を取り囲む。
弾幕で作り上げた結界に敵を閉じ込める、それが八雲紫の弾幕結界。
中にいるモノに隙間すら与えず、圧倒的な弾幕を持って敵を殲滅する究極の絶技。
それを見たものは、圧巻と言うべき弾数に恐怖するよりも……
その弾が折り重なった芸術とも言える美しさに、息をする事すら忘れ、魅入ってしまう。



「 幻草―――花葬送りっ!!」

幽香の声を受けて、舞い上がっていた花々が空中で動きを止める。
そして、一斉に花を咲かせ始めた。
咲いた花は種を飛ばし、その種が一瞬にして開花する。
それがまた種を飛ばして花を咲かす。
幽香を中心にして花が咲き乱れ、広がっていく。
その様子はまさに花葬……全てが花でできた巨大な棺。
絢爛豪華な花々に隠された死の気配。
それに飲み込まれたモノは、速やかに息の根を刈り取られて花葬される。
本来、息を飲むほどの煌びやかな花達は、絶対的な死を持って相手を飲み込もうとしていた。

触れたものをことごとく破壊しながらとぐろを巻き、幽香を締め殺そうとする美しい蛇。
可憐で、四季の香りを漂わせて広がりながらも、しかし死神の手のように残酷に命を奪う花の津波。
その二つが今―――ぶつかりあった。

――――ンッ!!!

その瞬間………音ですらない衝撃が走り抜けた。
極限にまで高まった魔力が相殺しあう。
殺されて、形を維持できなくなった魔力は紫電となって手当たり次第に飛び散る。
スズラン畑は一瞬にして焼き払われ、剥き出しになった大地に亀裂が走っていった。

「 はぁあああああぁあああっ!!!」

紫の弾幕結界が幾重にも弾幕を作り上げ、花々を散らしていく。
だが、散らせる量と増殖する速さがまったく同じで均衡が崩れない。
紫はさらに弾幕の蛇を追加しようと、スペルに注ぐ魔力を増やしていく。

「 バカバカしい………」

花々に囲まれながら、幽香は屈辱に表情を歪めていた。
本来なら、この花葬送りは相手にかけるスペルだった。
これは彼女が持つスペルの中でも飛びぬけて強力なモノ。
手加減もできず、発動すれば相手を殺してしまう必殺のスペル。
だからこそ、幽香は実戦でも1、2回しか使った事がなかった。
なのに、それを自分に使わなければならなくなった。
直前で気付いたのだ……あの弾幕結界を撃たれたら死ぬ、と……

「 八雲――紫ぃいいいいいっ!!!」

血のように紅い幽香の瞳が憎悪で燃え上がる。
花はその怒りを糧にしてより大きく、華やかに咲き乱れる。
散っては咲いて、砕けては現われる。
完全に拮抗した二人の力は、四散したはずの魔力をも取り込んで大きく膨らんでいく。
どちらともに一歩も譲らない力の均衡。

ビキ……―――

次第に、その衝突に空間が絶えられなくなってきた。
閉じ込めようとする力と押し出そうとする力が同じになれば……
その中央にかかる圧力は相当なモノになる。

「「 はぁあぁあああああっ!!!」」

二人の裂帛の声と共に放たれる魔力が幻想郷を揺らす。
魔力と魔力がぶつかり合って爆発し、そのエネルギーが行き場を失い、また衝突する。
敵しか見ていない二人は気付かない。
行き場を失った膨大なエネルギーは、すでに暴走をはじめていた事に。
魔力暴走……魔法を扱う者にとって最悪の事態。
制御不可能の荒ぶる力を止めるものなど、この世には存在しない。
それは空に輝く月光のような眩しい光が膨れ上がっていった。

「 っっ!?」
「 しまっ――!!」

ようやく気付いた時には、全てが遅すぎた。
溜まりに溜まった爆発のエネルギーはすでに暴走を始めていた。

ドゴンッッッ!!!!

染み出すようにして、紫の弾幕結界の隙間から光が零れ出す。
幽香の花の棺が光に浸食され、一瞬にして蒸発していく。
花も弾も全てが白く塗りつぶされていく中で……
二人は最後まで、一瞬たりとも相手から目を離す事はなかった。


―-----------------------


ピシッ!

「 いたっ!!」

幽香は痛む額を押さえて、瞳を閉じた。

「 そんな目で私を見ないで」

幽香の額を指で弾いたポーズのまま、紫はジト目で睨みつけた。
おたがいにあの戦いの結果には不満が残っている。
だからこそ、幽香は決着をつけようといつも言っているのだが……
それを紫はいつもはぐらかせていた。
幽香と紫の間には、おたがいの合意がなければ手を出さない約束を結んでいる。
だが……そんな瞳をされたら疼いてしまう。
あの時の感覚が甦り、幽香を殺したくなってしまう。
紫はそれを良しとはしなかった。

「 何よ……手を出す事はないでしょう」
「 言ってるでしょう。私は幽香のその目が嫌いなの」
「 ふんっ……臆病者め」

少し怒ったような口調で非難しながらも、幽香はあっさりと引き下がった。
その様子を横目で見ながら、紫は升の中にあった酒を一気に飲み干した。

「 あっ、こら。そんな飲み方したらお酒に失礼よ」
「 ねえ、幽香……そんなに私と戦いたい?」
「 もちろんよ。あんな結果で納得がいくものですか」
「 その結果……私が死んでも?」
「 ……貴方が死ぬ、か。想像できないけどね……」

ザッと風が吹き、二人の間を駆け抜けていった。
桜の花びらが舞い落ちる中で、幽香と紫は無言で見つめあう。
幽香と紫は親友同士ではない。
しかし、おたがいが意識し合える唯一の存在。
好敵手……と言ってもいいほどに、意識はしていた。
それを失ってしまった時、どうするのか……どうなってしまうのか。
その答えは、二人とも未だに出せていない。

「 多分……昔に戻るだけよ。からかう奴が減るのは残念だけどね」
「 幽香……私は今の貴方が好きよ。昔の貴方に戻らないで欲しい」
「 それは、貴方が死んでも?」
「 そう。私が死んでも貴方は戻らないで」

真剣な表情で紫は幽香を見つめる。
それは、二人が知り合ってから初めての願いだった。
そんな雰囲気に慣れていないのか、それとも戸惑ったのか。
幽香は傘で顔を隠すと、その影で小さく笑い声を上げた。

「 何よ、それ……嫌味で言ってるワケ?」
「 まさか。親友のつもりである、私からのお願い」
「 都合のいいお願いね。それに貴方らしくない……酔ってるの?」
「 どうかしらね。雰囲気に酔ったのか、お酒に酔ったのか……」

紫は片手で幽香の傘を押し退けると、そっと吟醸酒を差し出した。

「 そういえば、お酌のお返しをしてなかったわね。受け取ってもらえる?」
「 しょうがないわね……一回だけよ」
「 次は私の番よ。せっかく空けたんだから注いでくれるわよね」
「 それじゃ、お返しをしてもらった意味ないわよ……まったく」

幽香はため息をつきながらも素直に吟醸酒を受け取り、紫の升に注いでいく。
その升に注いだ酒に……一片の桜の花びらが舞い落ちた。

「 あら、花見酒になったわ。風流ね……それとも幽香がしてくれたのかしら?」
「 さてね。気まぐれな花びらの事なんて……知らないわ」

クスクスと二人の小さな笑い声が響く。
そこに―――

「 ああ~。もう始めてる……ずるいわぁ」

のんびりとした声が響き、階段を一人の少女が上ってきた。
青を色調とした服と帽子、フワフワとした柔らかな桜色の髪。
少し眠たそうな瞳を二人に向けながら、その少女はほがらかな笑みを浮かべた。

「 あら、幽々子。あまり久しぶりじゃないわね」
「 誰かと思えば幽々子じゃない。お久しぶり」
「 お呼ばれしたから来てあげたのに……ご挨拶ね」

苦笑しながら、西行寺幽々子はフヨフヨと空中を移動して幽香の隣に腰掛けた。

「 私、幽々子を呼んでいたかしら?」
「 紫には呼ばれて無いわよ。幽香に呼ばれたの」
「 あらら。明日は雪でも降るのかしら」

ニコニコと上機嫌で、幽々子は紫に手を差し出した。
付き合いの長さで、彼女が何を欲しているのか理解したのか。
紫は隙間からぐい呑みを取り出した。

「 私は呼んでないわ。ただ、ちょっと悪戯してあげただけよ」

そして、その取り出したぐい呑みに幽香がめんどくさそうに酒を注ぐ。
彼女達は、数えるのも面倒になるほどの年月を過ごしてきた妖怪同士。
その心のどこかで、三人は確かに繋がっていた。

「 ありがとう。それじゃあ頂くわね」

ガラス製のぐい呑みに並々と注がれた吟醸酒を、幽々子は少しづつ味わうように飲んでいく。

「 珍しいじゃない、幽香。どういう風の吹き回し?」
「 どこも吹いてないわよ。さっきの桜……あの中で魂が残ってたやつだけ冥界に送ってあげたの」

幽香が博麗神社の前で舞い上げた桜の花びら。
あの中で魂が残っていたモノだけを冥界に送り、無いモノを幻想郷中にばらまいたのだ。

「 妖夢が泣いてたわよ。せっかく掃除したのに台無しになっちゃったから」
「 冥界にだけ花が咲いてないなんて可哀想だったからね。ちょっとだけ風流を運んであげたのよ」
「 私の時と随分態度が違うじゃない。嫉妬しちゃうわ」
「 幽々子とは決着が着いてるしね。それに、これも意地悪だもの」
「 幽々子は喜んでるみたいだけど……別の標的がいたという事かしら」
「 察するに……あの人と妖夢にって所かしら?」
「 大正解。私に刃を向けたヤツは当然として……長く生き過ぎたなんて言うヤツも許さないわ」

彼岸花が咲き乱れる丘で出会った死神と、紫の桜が咲く場所で出会った裁判官の顔が幽香の脳裏に浮かび上がる。
あれから数日経っても、霊が減る様子はまったくない。

「 性急にやれと言ったのに……あのぐうたら死神と説教魔め……」
「 何があったのかは知らないけど。勝手に冥界送りにしちゃっていいワケ?」
「 いいワケないわ。後で妖夢に全部集めさせなきゃね」
「 あの子も大変ね。今ごろ、集めたのはいいけれど、これからどうしていいのか分からなくて途方にくれたりして」
「 まあ、いずれ気付くでしょう」
「 で、貴方は私をダシにして白玉楼を抜け出してきたと言うワケね」
「 だって幽香からのお誘いだもの。受けないと後が怖くて仕方ないわ」
「 で、また妖夢が探して歩くのね」
「 まあ、いずれここに行き着くでしょう」

袖から扇子を取り出し、口元を隠して幽々子は笑い声を上げた。
彼女の下で甲斐甲斐しく働きながらも、一向に報われない半霊の少女の姿を思い浮かべて……
紫は曖昧な表情で苦笑した。

「 それにしても美味しいお酒ね。なんて言う名前のヤツ?」
「 さあ? 適当に取り出したから知らないわ」
「 そんなモノを飲ませないでよ」

幽香は後ろにあった一升瓶を手に取って、銘柄を確かめる。
それを左右から紫と幽々子が覗き込んだ。

「 ねえ、幽々子……私、これに見覚えがあるんだけど」
「 ………これ、私が以前に持ってきた毒入りのヤツじゃない?」
「 もうほとんど飲んじゃったわよ」
「 大丈夫でしょう、きっと」
「 あんたねぇ………」

ジト目で睨む幽香から視線をそらして、紫は升に口をつける。
口の中に酒の甘味が広がり、桜の花びらがほのかに香る。
二人が言う通り、今日のお酒は美味しいと紫も素直にそう感じた。
その時……スッと上空に影が射した。

「 おおっ!? 珍しい顔ぶれだな」
「 いつからここは妖怪集会場になったのかしら」

突然、空から聞こえてきた明るい声とのんきな声に、三人は驚く事もなく上空を見上げた。
抜けるほどに青い空に、見覚えのあるシルエットが二つ浮かんでいる。
逆光になっていてその姿はよく見えなかったが、三人は声だけで誰なのかすでに分かっていた。

「 霊夢と魔理沙じゃない。お帰りなさい」
「 随分と遅かったじゃない。道にでも迷っていたの」
「 そこでこの黒白いに妙なインネンをつけられていたのよ」
「 黒白言うな。それに私はインネンなんかつけてない。勝負を吹っかけただけだ」
「 まあまあ、そんな事はどうでもいいとして……貴方達も一緒にどう?」
「 どうでも良くはないけど、お酒は頂くわ」

空から巫女服姿の少女と、黒と白の服をきた魔法使い風の少女が降りてくる。
一人はこの博麗神社の主であり、巫女でもある博麗霊夢。
もう一人は大きな黒いとんがり帽子と、白いエプロンをつけた魔法使い、霧雨魔理沙。
妖怪退治を生業としているクセに、それでも平然と紫達に話し掛けてくる数少ない人間だった。

「 お、気が利くな。ちょうど喉が渇いてたんだ」
「 油断しない方がいいわよ、魔理沙。この三人が一緒にいる事自体がすでにおかしいんだから」
「 そんな事ないわよ。私達は親友だもの」
「 そうよねぇ」
「 貴方達と親友になった憶えはない……何回言わせるのよ」
「 私は今日初めて聞いたわよ。でっ?」

霊夢は眉間を押さえながら、縁側に並んで座る三人の前に立った。
疲れたような顔をして仁王立ちする霊夢に、紫はキョトンとした表情を浮かべる。

「 霊夢の『で?』とは、何に対しての質問なのかしら」
「 どうして!! ここにあんた達がいるのよ!!」
「 どうしてって……花見酒をしているんだけど」
「 無理やり付き合わされているのよ」
「 お呼ばれしたの」
「 ああ、もう全然分からないわ……どれ一つ取っても答えになってないし」

苛立ちを隠そうともせず、霊夢は盛大にため息をついた。

「 おーいっ! 霊夢! 私のぐい呑みをどこに仕舞ったんだ?」
「 そんなの知らないわよ……と言うか、勝手に入るな」

一方、魔理沙はこの三人が一緒にいる事には興味が無いのか。
勝手に家の中に入ると、遠慮も無しに台所を漁っていた。

「 はははっ、小さい事にこだわるな。うん? あ、これつまみに食べてもいいよな」
「 ちょっ――ま、待ちなさいよ!」
「 つまみが塩だけなんてつまらないだろう。おっ、良い物発見っ!!」
「 こら、待ちなさいと言ってるでしょう!!」

掃いていた靴を乱暴に脱ぎ捨てると、霊夢はドタドタと慌しく台所に走っていった。
その後ろ姿を三人は苦笑しながら見送り、ゆっくりと正面に向き直った。
さっきまでは静かで穏やかな雰囲気だったのに、霊夢達が帰ってきただけで一気に騒がしくなる。
だが、それはまったく不快ではなかった。
春の日差しのように暖かで、眠気が誘われるほどに居心地が良い。
廊下の奥から聞こえる少女達の声に耳を傾けるだけで、自然と笑みが零れてくる。
それが……今の、博麗神社という場所だった。

「 相変わらず元気一杯ね、あの子達は……」
「 さてと……」

コトッと小さく音を鳴らし、幽香は盃を置いた。
そして、ゆったりとした動作で立ち上がる。

「 そろそろ行くわ」

紫と幽々子の方に顔だけを向けて、幽香はそう告げた。
白い傘を開き、日差しを避けるようにして肩に置く。
その傘の下から覗く顔は……少しだけ名残惜しそうにも見えた。

「 もう行っちゃうの?」
「 ええ。充分にお酒も花も堪能したからね」
「 霊夢に何か用事があったんじゃなかったの?」
「 また日を改めるわ。外野の声がうるさくない時を狙ってね」

挨拶もほどほどに、幽香は桜並木に向かって歩き始めた。
フワリッと音を立てて彼女の身体が浮かび上がる。

「 あっと……一つだけ言っておきたい事があったのを思い出したわ」

紫と幽々子に背を向けたまま、幽香はその場でピタリと止まった。

「 あんまり人間と関わり過ぎないようにね……格が落ちるわよ」
「 ん………」

幽香の言葉に、二人ともが曖昧な表情を浮かべた。
普段の彼女達を知る者からすれば、それはとても意外な光景だった。
紫も幽々子も相当のキレ者であり、滅多な事では動揺などしない。
そんな彼女達が答えにつまるほど……幽香の言葉は重いものだった。

「 宴会を霊夢達とやるようになってから……貴方達は明らかに格が落ちた。
  それを分かっているとは思うけどね。
  力そのものが落ちたんじゃなくて、恐怖の対象としての位置付けが落ちた。
  酒は気分を高揚させてくれる美味しくて、楽しい飲み物よ。
  でも……それを誰かと一緒に飲むという行為は、心を許すという行為でもある。
  人と妖怪は、狩りと退治によって絶対的な信頼感が結ばれている。
  酒を酌み交わすという事は、この信頼感を曖昧にさせるのよ。
  昔の貴方達なら、多分霊夢や魔理沙を躊躇いもなく殺せたわ。
  でも、今の貴方達に……それができるのかしら?」

幽香は振り向かない。
そして、紫と幽々子も答えを返さなかった。

「 霊夢も……今の貴方達と同じような顔をするでしょうね。
  もう貴方達の間には別の信頼関係ができてしまった。
  その時がもしきてしまったら……地獄を見るのは、貴方達よ」

人間と妖怪の争いは、幻想郷の有史以前から始まっている。
その悠久の戦いを止める事は……おそらく誰にもできない。
そして、その戦いがある以上……
霊夢や魔理沙を殺さなければならなくなる時が来る可能性がある。

「 別に、責めているワケじゃないわ……ただ、顔見知りとして忠告をしただけ。
  仮にも私が強いと認めてあげている妖怪なんだから、無様な姿は晒さないでよ」

純白の傘の下から、わずかに幽香が笑っている口元が見えた。

「 だから、幽香は距離を取っているのね」
「 さて、どうかしら……そこまで深くは考えてないつもりだけど」
「 もっと楽に生きたらいいじゃない。多分この時だけよ。
  あの子達がいなくなれば、きっと元に戻るわ……私も幽々子も」
「 そんな甘い考えしてるから格が落ちるのよ。
  貴方達はそうやって堕落してなさい。
  私は妖怪としての私を貫くだけ……嫌われ者の妖怪としてね」

幽香は身体ごと紫達の方に向き直ると、スカートの端を軽く持ち上げてお辞儀をした。
一種一種族……他に仲間を持たない幽香や紫にとって、今の博麗神社は優しすぎた。
今の博麗神社に縛りや争いなどない。
誰もが仲間として受け入れられ、好敵手として歓迎される。
紫と幽々子は強力すぎる力ゆえに、今まで従者はいても仲間など持った事はなかった。
そんな彼女達が博麗神社に訪れる事を、誰が責められるだろうか。

「 じゃあね、お二人さん」

顔を上げると、幽香は満面の笑みを浮かべた。
夏の花、向日葵のように力強く、屈託の無い微笑み。
幽香は紫と幽々子に、そのままでいいと遠回しに告げていた。
彼女の性格はお世辞にも良いとは言えなかったが……情の無い妖怪などではなかった。

「 またね、幽香……忠告ありがとう」
「 たまには宴会にも来なさいよ。誰も……貴方を拒んだりしないわ」
「 ………ま、気が向いたらね」

まるで自分の舞台が終わったと言わないばかりの、形式ぶった挨拶。
そして、幕が下りるようにして、桜の花びらが一斉に舞い上がった。

「 また――――」
「 えっ?」

目を開けていられないほどの桜吹雪の中で、紫は幽香の声を聞いた。
懐かしい彼女の言葉に目を開けてみると……




そこに幽香の姿はなく、桜並み木の前には一本の向日葵が咲いていた。
太陽から目をそむけ、桜よりも自分を見ろと主張するように大輪の花を広げている。

「 ふふっ……あれで、お花見の邪魔でもしているつもりかしら」
「 確かに、満開の桜の前で咲く向日葵なんて滑稽よね」
「 でも、刈り取ってしまうにはもったいないほど綺麗に咲いた向日葵……ほんと、意地悪ね」
「 あの子らしいわ」

小さくて上品な笑い声が、博麗神社に響いた。
それに合わせて、向日葵も愉快そうにユラユラと左右に揺れる。

「 お? 花妖怪がいないな……逃げたか?」
「 多分だけどあいつが犯人じゃないわよ……多分だけど」
「 おつまみ係が来たわね。今日は何を用意してくれたのかしら」
「 いつも通りよ。そうそう珍しいものなんて……・・あら?」

縁側に出てきた霊夢の視界に、見慣れない黄色の花が映った。

「 向日葵? なんでそんなものが………」
「 しかも一輪だけな。どうせ、あの花妖怪の仕業なんだろうけど」
「 さて、どうしましょうか……お花見するには邪魔な一輪よ」

紫と幽々子の、そして魔理沙の視線が霊夢に向けられる。
霊夢が幽香の置いていったみやげを、どう処理するのか。
その質問は単純な興味から出たものだった。

「 そうね……」

霊夢はチラッとだけ向日葵を見ると、手に持っていた盆を床に置いて縁側に腰掛けた。

「 ほっとけば。枯れたらお酒のおつまみに出せばいいだけだし」
「 お前はあれを食うのか」
「 だって、あれだけだと油は取れないもの。それに種を蒔いた所で育たないわ」

霊夢は盆に載せた盃を取ると、一緒に乗っていた清酒を手酌で注いだ。

「 不自然なモノが自然に勝る事はありえない。
  例え、今は綺麗に咲いていても、近いうちに枯れるわ。
  春の花である桜の影で、夏である向日葵は育たないのよ。
  逆に、夏に桜が咲いても向日葵より早く散る。それが自然の摂理というものよ」
「 だから、食うのか?」
「 花も枯れて、種は育たない。それだとあの向日葵は何の為に咲いたか分からないじゃない。
  だったら、感謝して食べてあげるのが一番じゃないかしら」

しれっとした顔をしながら、霊夢はクイッと酒を飲み込む。
あまりにも毒の無いその態度に………
幽々子と紫は同時に笑い声を上げた。

「 ふふっ……他の場所に植えてあげようとは考えないのね」
「 季節によって自然に咲くのが花の醍醐味でしょう。育てるなんて傲慢よ」
「 面白いわね、霊夢は。お花見の事なんかまるで考えてないんだもの」
「 綺麗に咲いてるんだから邪魔にはならないでしょう」
「 おお? お前達、何か美味そうなものを飲んでるな。私にも飲ませろ」

霊夢の隣に陣取った魔理沙が、紫達の飲んでいた吟醸酒に手を伸ばす。
だが、その動きを察した紫はすぐに横から奪い取った。

「 これはダメ。貴方達が飲んだら死んじゃうほど美味しいものだから」
「 くそっ、私達には飲ませないつもりか」
「 思わず昇天しちゃいそうになるからダメよ。お子様は別のモノにしなさい」
「 ま、私達は私達のヤツを飲みましょうよ。そこそこ良いお酒だし」
「 けどさ、霊夢……あいつらだけ花見酒とはずるいと思わないか?」
「 え?」

魔理沙に指摘されて、紫は手に持っていた一升瓶に視線を落とした。
すると、残った吟醸酒の上で……一片の桜の花びらが浮かんでいた。
幽香がここを去る際に、桜の花びらを入れていったのか……それとも全くの偶然なのか。
それは分からなかったが……

「 風流よね。お花見の醍醐味と言ってもいいわ」
「 藍と橙も呼ぼうかしら。今日の桜は一段と綺麗だから」

紫と幽々子のテンションを上げるには充分だった。

「 じゃあ、私は妖夢でも連れてこようかしら」
「 じゃあ……私はアリスでも拉致ってくるか」
「 こんな時こそ、萃香を連れてくるべきよね」
「 何の勝負よ、何の」

博麗神社がにわかに騒がしくなっていく。
いつかは終わってしまう、夢のような楽しい生活……
その時を忘れぬよう、心に刻み込むようにして人間も妖怪も騒ぎ立てる。
それを……向日葵は楽しそうに揺れながら、いつまでも見守っていた。


―-----------------------


地面が剥き出しになったスズランの平原で、ボロボロになった紫が大の字になって倒れていた。
魔力暴走に巻き込まれたダメージもさる事ながら……
弾幕結界で魔力が底をつき、毒で身体も痺れていた。
気を抜けば、このまま意識を失い……おそらく死に至る。
毒もそうだが、魔力暴走によってここの空気は荒れ狂っている。
これでは魔力は回復しない……それどころか、毒となって身体を蝕んでくる。
絶対絶命という言葉が、紫の脳裏をよぎった。
しかし――――

「 ふふっ………」

そんな状況でも、紫は落ち着いていた。
この結果に彼女は満足していた。
生まれて初めて全力で挑み、その結果が出た……
例え、それで死ぬ事になろうと紫は受け入れようとしていた。

「 起きてる? それとも死んでる?」

ぼんやりと空を見上げていた紫の視界に、幽香の顔がひょっこりと現われた。
白銀の月光を背にまとい、彼女の柔らかな緑の髪が風になびいている。
さっきまでの狂気が去り、見た目通りのあどけない少女の一面が顔を覗かせていた。

「 死んでるから、このまま放っておいてくれないかしら」
「 生きてるじゃない」

紅い瞳がスッと細くなる。
幽香の姿は、紫以上にボロボロだった。
ところどころ服が破け、白い陶磁のような素肌が顔を覗かせている。
明らかに、魔力暴走以外の攻撃で傷ついたモノだった。

「 まさか、あの場面で弾幕結界を撃ち続けるとは……つっ、予想もしなかったわ」

幽香の肩から紅い血が一筋、流れ落ちてきた。
魔力暴走に気付いた瞬間、幽香はそちらに花の防御壁を向けた。
威力は言うまでもなく、その規模すら分からない大嵐。
防御をするか、逃げるかするのは当然の事。
だが、しかし………
紫は弾幕結界をそのまま維持し続けた。
防御を無視して、幽香を討つ事だけを優先した。

「 魔力暴走がどれほど危険を知らないワケではないでしょう」
「 ええ……」
「 貴方は……死ぬのが怖くなかったの?」

紫の顔を覗き込みながら、幽香は呆れたようなため息をついた。
幽香が防御に集中した以上、花葬送りで殺される心配はなくなった。
それならば、魔力暴走をやり過ごす事を第一に考えた方が助かる公算は高い。
こんな危険な賭けをわざわざしなくても良いはず。
そう、幽香は考えていた。

「 ふふっ……」

不思議そうな幽香の顔を見て、紫は瞳を閉じて微笑んだ。
彼女の中で、今……この戦いの決着がついた。

「 それ以上に、貴方が怖かったのよ。この機会を逃したら殺される……そう思わせるほどにね」

紫は幽香を縛るつもりで戦いを挑んだ。
なのに、紫は逆に縛られてしまった。
恐怖と言う感情に……
その結果、自分は倒れて一歩も動けず……
幽香はかなりの深手は負ったものの、まだ余裕があるように見える。
勝者がどちらなのかは、言うまでもなかった。

「 それでどうするの。私を殺す?」
「 そうね………」

幽香の冷たい指が、紫の首に絡みついた。
この距離であの魔力砲を撃たれれば確実に死ぬ。
もう隙間を作って逃げる魔力さえ、彼女には残っていなかった。

「 あっ……」

全てを受け入れようとしていた紫は、その瞬間に少しだけ後悔した。
幻想郷の大結界を維持できる者がいなくなってしまう。
こんな事になるなら、式の一つでも作って結界の張り方でも教えておけばよかった……と。

ドンッ!!

紫の視界が真っ白に染まった。
身体中を虫が這うような激痛が走る。
悲鳴が口から漏れそうになるのを、紫は最後の意地で耐えていた。




……………

白く輝いていた満月が地平線に消え始めていた。

空が薄っすらと白みを帯びて、長い夜が終わったのだと告げていた。

幽香の足元には、紫が倒れている。
その口端からつっと赤い血が一筋、流れ落ちていった。

「 どうして……助けてくれるの?」

血に染まった唇が動き、紫は言葉を発した。
幽香は最後の力を使って、紫の身体を蝕んでいた毒を消したのだ。
血に混じっていた毒が流れ、身体に走っていた激痛も徐々に治まっていく。

「 私の負けでいいわ」

毒が消えた事を確認した幽香は、ゆっくりと立ち上がった。

「 どういう事?」
「 もう貴方を殺せるほどの力は残ってないの。
  それに、私は紫に攻撃を当てて倒したワケじゃない。
  自滅して勝てたなんて……私をバカにしてるわ。
  だから、負けでいいと言ったの」

骨の折れたボロボロの傘を拾い上げると、幽香はそのまま立ち去ろうとした。
しかし―――

「 待ちなさい……」

その幽香の背中に、紫は声をかけた。
未だに、毒のダメージが抜けていないにも関わらず……
フラフラの身体に鞭を打ち、無理やり起き上がってきた。

「 こんな勝ち方しても嬉しくないわ。貴方の勝ちよ」
「 私だっていらないわ。
  自慢のスペルを台無しにされて……
  挙句の果てに、直撃まで許してしまった。
  内容で言えば確実に負けてるわよ」
「 でも、最後に立っていたのは幽香でしょう」
「 負けを最初に認めたのは私の方よ」

あれだけこだわっていたのがバカバカしく思えるくらい……
二人はどちらとも『負けた』と言い張っていた。

「 分かったわ、幽香。それじゃあ、約束通りに力を封印させてもらってもいいのね」
「 できるものならやってみなさい。立ってるのがやっとのクセに」
「 ……後、10分だけ待ってくれないかしら」
「 それだけあったら、私も紫を殺せるだけの力が回復するわね」
「 ……もう引き分けでいいんじゃない?」
「 どっちつかずは嫌いなの。それに、一度言った事を撤回なんてできない」
「 とんでもない意地っ張りね。
  じゃあ、こうしましょう。再戦して勝った方が勝ち……どう?」
「 面白いわね。いつ再戦しましょうか?」
「 そうね……おたがいがやる気になった時、かな」

いつの間にか、二人の顔には笑みが浮かんでいた。
さっきまでの戦闘の興奮が気持ちを昂ぶらせたのか……
それとも、同等の相手を見つけた事を喜んでいるのか。
それは分からなかったが……幽香と紫は、このやり取りが楽しいと感じていた。

「 それでいいわ。楽しみね……次の貴方はどれくらい強くなっているのかしら」

初めて自分が敗北を認めたと言うのに、幽香は明るかった。
新しい虐め方を思いついたからだった。
一度負けて、次に戦った時は圧勝する。
そっちの方が相手に与える屈辱感は高い。
それに一度戦った時よりも、二度目の方が戦略や弾幕が知られている分、苦戦を強いられる。
その上で勝つという事は、相手を完全に上回ったと言っても過言ではない。
相手は悔しがり、もっと強くなる。
それでも幽香に敵わないと知ったら、どれほど悔しいか……考えただけで心が躍った。
実力が伴わなければ、到底できない戦い方。
しかし、幽香は久しぶりに戦闘意欲が満たされていくのを実感していた。


結局、この戦いは引き分けと言うのが一番妥当だった。
紫は幽香を恐怖し、倒される原因となった。
幽香は紫と戦い、力をセーブして戦う事を思いついた。
結果的に言えば、二人とも目的を果たしていた。
だが、勝った負けたは当人同士の問題……
彼女達が納得しなければ、それは勝ちでも負けでもなかった。


「 じゃあ、また会いましょう」

紫は二度と戦うものかと心に決めながら、隙間を作り出した。
その中に身体半分ほど入れた所で、幽香の言葉が紫の耳に届いた。

「 また花が――」
「 え? よく聞こえなかったわ」

徐々に閉まっていく隙間の間から顔だけをだして、紫は幽香の方に視線を向けた。
地平線から、太陽が薄っすらと顔を出し始める。
それを背に受けた幽香は、息を飲むほどに清々しい笑顔を浮かべていた。
まるで向日葵のように堂々と、まっすぐに立つその姿に……紫は心を奪われてしまう。
そして、幽香は……紫が生涯、忘れられない言葉を口にした。

「 また花が映えたら会いましょう」



初めまして、みなさん。
土壇場で大馬鹿をして、SSコンペには出せなくなったのでこちらに出しておきます。

内容は本文を見ていただくとして、少しだけ補足説明をすると……
中盤にある回想の時代は、霊夢達はもちろん、藍やレミリア達すらいない時代を考慮しています。
説教魔に「長く生き過ぎた」と言われた少女が、あの妖怪と接触しないはずがないという妄想が基盤になってます。

後、私は旧作の彼女を資料や絵でしか知りません。
花映塚のイメージで書いたつもりですが、旧作のファンの人には合わないかもしれません。
分からないのに書くなと思った人には、ここで謝罪いたします。
でも、書きたかったんです……

本文中には、色々と伏線を張っておきました。
私の中ではこの伏線を利用した話も考えているので、いずれまた公開しようと思っています。
こんな私の物語でも楽しみにしてくれる人は、気長にお待ちください。
それでは、また次の機会に。
蒼刻
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コメント



0.2550簡易評価
2.90反魂削除
向こう(こんぺ)で拝読致しました。二人の最強さんの格好良さに惚れ惚れ。
技術面でも、バトル描写から情景描写、会話文の雰囲気まで素晴らしかったと感じました。
是非これからも頑張って下さい。

向こうで付けた得点を単純に10倍にして採点と致します。
4.90名前が無い程度の能力削除
次回作も期待
私も×10で
5.70特効隊員削除
幽香と紫の戦いにしびれました。よかったです。
最後に一言蛇足をば
幽香には夢幻館という住みかがありますよ。
31.無評価蒼刻削除
コンペで書いていただいたにも関わらず、こちらでも書いてくださるとは……
感謝の言葉もございません。
その期待に応えれるように精進します。

特効隊員さんのご指摘ですが……夢幻館の事は知っていました。
ですが、今回の幽香には鞘の無い真剣のような、敵意と鋭さを出したかったのです。
個人的な意見になるのですが、家や屋敷を持っているとどうしても落ち着いているというイメージが強くなるように思います。
どちらでも設定はいけたのですが、決まった館をこの時点で持っていると……
深窓の令嬢が退屈しのぎにやっている、という印象になってしまう気がしたのです。
決まった場所を持たず、触れるもの、目に付くもの全てを壊すくらいの狂気を出したかったので……この時は、決まった住処を持っていないという設定にしました。

夢幻館が幽香が生まれた時にあったという設定があるのなら、私の調べが足りなかった証拠です。
そもそも、そういう設定にしたのなら後書きに書けばよかったですね。
勘違いをさせてしまって申し訳ありませんでした。
42.100名前が無い程度の能力削除
これはいい
45.80計画的通りすがり削除
面白かったよー。
特に戦闘シーンの白熱っぷりはかなりの物。
ただ幽香も紫と方向性は違えど幻想郷を愛してる人だと思うんだよなぁ。
可能性の上とは言え幻想郷の敵になる姿が想像できないというか…
46.70MIM.E削除
幽香お姉さん素敵です!!
若干、紫の戦い方にうさんくささが足りない気もしましたが、
それでも手に汗握る熱いバトルは良かったと思います。
47.無評価蒼刻削除
感想をいただき、ありがとうございます。

>計画的通りすがりさん
私も昔から幽香は幻想郷を、本当の意味では愛していると思っています。
では何故、この話のような幽香になったのかを説明すると……
私の中の幽香像は『誰にでも意地悪をする』という一つの根幹があります。
『いじめ』とは、相手に自分を憎ませるという部分もあり、自分に注目させるという意味もあると思っています。
自分が強いという顕示欲、周りの人達に認めてもらいたいという欲求……
それが話の中に出てくる、昔の幽香は誰からも得られなかったのです。
だから、より大きな相手をいじめて、自分を誰かに見てもらおうとしていたワケです。
その大きな相手が幻想郷であり、そこに住む生物全てに対してのいじめなのです。
要するに、幽香は幻想郷を傷つけたかったのではなく……誰かに本当の自分を見て欲しかっただけだと考えていました。
(このくだりは、紫が見た幽香の心の隙間で書いてあると思います。
 大輪の花を咲かせて散るという、前半に幽香が言った言葉は……
 昔の自分を引き合いに出して、紫の動揺を誘うちょっとした意地悪だった)

当然、幽香はそんな事は意識していないと思いますが……
花は綺麗に咲いて、多くの虫を引き込んでこそ初めて意味があると思っています。
誰からも見られない綺麗な花に自意識と歩く足があったら、きっと愛する大地を傷つけてでも動くと思うのです。その本能のままに……
疑問にちゃんと答えられたかどうかは分かりませんが、私の書いた幽香が幻想郷をただ憎んで壊していたワケではないと感じていただけたのなら、幸いです。

>MIM.Eさん
作品のテーマの一つである、弾幕合戦を楽しんでいただけたのなら嬉しい限りです。
ご指摘の通り、戦闘中の紫は胡散臭さはあまりないですね。
毒を受けてからは仕方ないとしても、前半でもう少し間を取ってでも紫らしさを出せればよかったのですが……力及ばずでした。
次に紫の弾幕合戦があればもう少し彼女らしさを前面に出そうと思います。
よろしければ、また作品を出した時に期待をしていてください。