Coolier - 新生・東方創想話

人と共に里に生きる

2006/03/26 11:07:16
最終更新
サイズ
21.46KB
ページ数
1
閲覧数
712
評価数
10/59
POINT
3120
Rate
10.48



 春分という時期にしてはいささか冷たい風が、肩越しに通り過ぎていった。
 私は風を防ぐように、襟もとを整える。ここ数日はかなり暖かくなって春めいて来たというのに、今日はなかなかの冷え込みだ。庵の外へ一歩踏み出したはいいが、肌に触れる空気の冷たさに次の足が出ず、文字通り二の足を踏むかたちとなった。妖怪の身であるとは言え、寒いものは寒いのだ。それに、普段の私は人間がベースであるのだし。
 気まぐれのような寒の戻りに思わず悪態をつきたくなったが、自然の摂理に反旗を翻した所で気が変わってくれる訳でもあるまい。
 気を取り直して、私は再び歩き出した。

 私は、里の見回りを日課にしている。
 目的は言うまでもなく、妖怪たちから里の人々を保護することにある。
 と言っても、ここ最近はそのような危険に見舞われることもなく、里では皆、比較的穏やかな日々を過ごしていた。
 冬場はほとんどの妖怪たちの活動が静まり、中には冬眠に入る者もいると聞く。余計な手を加えることが減るので、私としては大助かりだった。

 里外れの私の庵から集落部へと向かう、川沿いの小道。集落に近付くと、桜の木が所々に植えられていて、並木道のようになっている。満開になると、今日のような晴天の日は毎年里の者たちで賑わいを見せる。
 広い空は抜けるような清々しい青色。木々の梢にはちらりほらりと桜のつぼみ。足元にはあちらこちらにつくしんぼ。春への準備はそこかしこで着々と進められている。

 ただ今日ばかりは、桜のつぼみは寒空の中で震えるように揺れていた。つぼみたちも、せっかくいい陽気になって来たのに、今日のように突然冷え込まれては肩透かしを食った気分だろう。
 まあ、暑さ寒さも彼岸まで、と言うから、この寒さも冬将軍とやらの最後の抵抗となる事だろう。
 そんな風に、のんびりと物思いに耽りながら歩いていると、

「慧音さまー、こんにちはー!」

 背後から複数の声が掛かった。
 振り向くと、数人の男の子たちが小道をこちらの方へと駆けて来ていた。
 私のところで立ち止まるかとも思ったが、皆そのまま私の横を走り抜けていく。どうやら、鬼ごっこか何かの最中のようだ。

「こんにちは、今日もみんな元気だな」
「はーいっ」

 皆、返事もそこそこに、風のように走り去っていった。
 この寒さの中でも、子供たちは皆元気だ。私も寒さに文句などつけていないで、彼らの元気さを見習うべきかも知れない。
 目を向けた方から、何人かの子たちがまだこちらに走って来るのが見える。どうやら、一人だけ離れて一番後ろを走る子が鬼ごっこの鬼のようだ。
 私に挨拶をしつつ、懸命に鬼から逃げる子供たち。
 先に走っていった子たちよりも鬼が迫っている分、表情に必死さが垣間見える。もちろん遊びなのだけれども、それでも真剣にその遊びに熱中する。だから、遊ぶということが楽しいのだろう。微笑ましい限りだ。
 私の方に向かって来る子は残り二人。もちろん、内一人は鬼である。
 その二人を見て、私はおや、と思った。
 よく見てみれば二人は、里でもそのやんちゃっぷりで知られる、双子の兄弟ではないか。逃げているのが兄のケンタで、それを追いかけているのが弟のコウタ。ケンタとコウタで健康コンビだ。
 もっとも、実際は健康どころかその有り余る元気さで、両親も何かと手を焼いているとのことらしい。兄弟げんかも日常茶飯事と聞く。
 個々の家庭の事情に深く踏み込むことはあまりないのだが、この程度の情報であれば、里で生活をしていれば普通に耳にする。何より、彼らの腕白ぶりは私自身が何度となく目にしていることだった。
 まあ、男の子は腕白過ぎるくらいで良いのだろうと思う。親は大変だろうなとは思うが。

「慧音さまっ!」

 兄のケンタが、右手を挙げながら駆けて来る。どうやら、すれ違いざまに私とタッチでも交わしたいらしい。
 そう思ったから、私もケンタに向けて右手を軽く上げた。
 が。


 もいっ


「なっっ!」


 ――こともあろうに、ケンタは私の手ではなく、私の……胸にタッチしたのだ。わざわざ私の手を避けてまで触っていったのだから、偶然ではなく明らかに狙っている。
 走り抜けていくケンタの方を振り返ると、彼は作戦成功と言わんばかりにニカッと悪戯な笑顔を見せて、そのまま全速力で逃げていく。やはりわざとか。

「こらっ、ケンタ! 待つんだ!」

 怒声を上げるも、止まってくれるはずがない。追いかけてお仕置きをせねば。
 ――と思った矢先、


 さわっ


「ひゃっ!」


 思わず上げてしまう悲鳴。突如背筋に寒気のようなものが駆け抜けた。
 どこを触れられたかなんて言葉にもしたくない。その寒気と同時に私のそばを走り抜けていったのは、ケンタの弟、コウタ。こちらも兄とそっくりの表情をこちらに投げかけて、

「よっしゃー慧音さまのおっしり~」

 何がよっしゃーだ馬鹿者!

「こら! 待つんだお前たちっ」
「わ~、慧音さまが怒った~」
「当たり前だろう!」
「慧音さまが鬼だ~!」

 全速力で逃げる二人を追うも、すぐに離される。私の格好がそもそも走るのに向いていない上に、彼らの逃げ足の速さといったらもう、何処ぞの白黒魔法使いが大空を駆けるが如しだ。さりとて、こんなことの為に空を飛んでいくなんてアホらしいことこの上ない。
 というかあの二人、並んで逃げているけれど、鬼ごっこの最中だってことを忘れてないか?
 全く、普段は兄弟げんかが絶えないというのに、こういう時ばかりは合い過ぎという位に息が合っている。
 私は早々と、二人の追跡を諦めることにした。何より、風を切って走ると寒いのだ。

 先程の考えは訂正しよう。
 腕白も、過ぎるのは考えものだ。やはり何事もほどほどが良い。
 私は、まだ走り続けている子供たちを苦笑しながら遠目に見つめるのだった。







 里の中の、人家の集まる村落部。その中央はちょっとした広場になっている。
 暖かくなって来たここ幾日かは、そこここで女たちが井戸端会議と洒落込んでいたのだが、今日はこの寒さのためか、人影はまばらだった。いるのは数人の見回りの男たちと、そのほかに、広場の真ん中にある木の下で何人か集まって遊んでいる女の子たちだけだった。
 彼女たちの方をよく見てみると、普段は見ない珍しい遊びをしているのが遠目でも分かった。珍しいと言うよりはむしろ、懐かしいと言うべきだろうか。

「こんにちは、みんな。随分と懐かしい遊びをしているな」
「あ、こんにちは、慧音さま」
「こんにちは~」

 男の子たちと同様、女の子たちも元気に挨拶をしてくれる。
 そんな彼女たちの手にはそれぞれ、お手玉が握られていた。

「お手玉なんて、見るのは久し振りだ」
「私は、今日初めて触ったんですよ」
「私も~」

 口々にそう言いながら、彼女たちはお手玉で遊ぶ。
 両手に一つずつ持って、まず右手にあるお手玉を投げ上げる。次に、それが宙にある内に左手のお手玉を右手に手渡す。そして、空いた左手で落ちてきたお手玉を受ける。その繰り返しである。
 お手玉が手から手へと回されるたびに、中に詰められた数珠玉が、シャン、シャン、と、小気味良く鳴る。
 単純だけれども、不思議と人々を魅了してやまない楽しさが、このお手玉遊びにはある。
 慣れて来れば、三つ、四つ……と数を増やしてより難易度を上げることも出来るし、三つ以上のお手玉であれば、投げ方や腕の動きを工夫することによって様々な“技”を繰り出すことも可能だ。また、他の誰かと競うという遊び方もあるだろう。
 ほんの小さなお手玉から、多様な遊び方を創造出来る――それこそが、このお手玉遊びの魅力なのだろうと思う。

「慧音さまもやりますか?」
「楽しいですよ~」
「そうだな、久し振りに私もやるとするか」

 彼女たちからお手玉を三つ受け取る。布ごしに触れる数珠玉の手触りと、ジャラジャラと鳴る音が懐かしい。これに触れたのはいつ以来だろうか。
 私は、右手に二個、左手に一個のお手玉を持ち、意識を集中させる。

 ふうっ、と一息。よしっ。

 まず、右手のお手玉二つを一つずつ連続して投げ上げ、
 間髪入れずに、左手のお手玉を空いた右手に送る、
 次の瞬間には、最初に投げたお手玉を左手で受け取り、
 後は、右手は次々投げ上げ、左手で受け取り順次右手への送球を続けるだけである。

「わぁ、上手」
「ほんとだね~」

 女の子たちが私のお手玉に見入っている。何だか気恥ずかしい。
 別にそのせいではないのだが、十回程度回したところで右手のキャッチに失敗。お手玉を取り落とし、技は途切れてしまった。

「慧音さまもお手玉出来たんですね」
「はは、昔はもうちょっと上手かったんだけれどね」

 落としたお手玉を拾いながら答えた。我ながら何だか言い訳っぽい。けれどやはり、こういうものは継続してやっていないと腕が落ちてしまうのだろう。

「ところで、このお手玉は誰が持って来たのかな?」
「全部アキちゃんが持って来てくれたの」
「ほう、アキが」
「アキちゃんお手玉上手なんだよ~」

 皆にそう言われてアキの方を振り向くと、彼女ははにかむように、えへへ、と笑っていた。
 普段の彼女は引っ込み思案な性格で、みんなで遊んでいる時も、どちらかと言えばみんなにくっついて行くような子だという印象がある。
 けれど今日は、そんな彼女が遊びの主役を務めているようだった。

「私にやって見せてくれるかな? アキのお手玉」
「はいっ」

 嬉しそうにアキは頷いた。
 私と同じく、右手に二個、左手に一個のお手玉を持って構える。そして構えから間もなく彼女のお手玉が始まった。

 他の子たちの言うとおり、アキのお手玉は上手だった。
 右手が投げ上げるお手玉は、どれも綺麗に同じ弧を描いて回される。手から手へと渡されるたび、シャン、シャン、シャン、と数珠玉が規則正しく一定の調子で鳴る。それだけ、彼女のお手玉は安定した上手さを誇っていた。思わず見入ってしまうほどに。

「ほんとに上手いなぁ」

 そう言って、私は無意識の内に拍手をしていた。他の子たちも私に続き、アキに拍手を送る。
 みんなに褒められて、困ったように照れ笑いを浮かべるアキ。
 それでも、やっぱり嬉しそうだった。







「アキちゃん、慧音さま、ばいば~い」
「うん、また明日ー」
「気をつけて帰るんだぞー」

 夕方。
 大きく手を振る他の子たちと別れ、私はアキと二人で並んで歩いていた。
 自分の庵の方向とは異なるのだが、今日は何となくアキと話をしていたい気になった。普段控えめな彼女とはあまり言葉を交わしたことがなく、丁度良い機会だと思ったからだ。それに、お手玉のことで色々訊いてみたいとも思った。

「どれくらい練習していたんだ? そんなに上手くなるのに」

 私も昔に、里の子たちと一緒になってお手玉遊びに興じていたことがあった。その頃は日ごろからお手玉で遊んでいた子が何人もいたので、今のアキよりも上手な子もいた。
 けれど、アキがお手玉をしているのを私が見たのは、多分今日が初めてのこと。にもかかわらず、綺麗で上手なお手玉を皆の前で披露してくれた。だから、どのくらい練習していたのかが気になって訊いてみたのだった。

「えーっと、三日くらいです」

 私の方を向いて、アキが答えた。
 ちなみにアキは先ほどから、片手だけで二個のお手玉をシャン、シャン、と操っている。もちろん、歩きながらである。私には真似出来ない芸当だ。
 地面に伸びる影法師も、彼女に合わせて上手にお手玉をしていた。

「三日でこんなに上手になったのか。凄いなぁ」
「あ、本当はもっと小さい頃にも少しやってたんですよ。……おばあちゃんに教えてもらって」
「おばあちゃん?」
「はい」

 アキのおばあちゃん。
 私は自分の記憶を思い起こす。
 アキの祖母の名は……アヤノ。何十年も前、確かに彼女も、子供の頃にお手玉をしていた。あの頃の子供たちの中で一番上手だったのはアヤノだった。
 それを考えれば、一つ屋根の下で暮らす孫のアキに、自分が得意だったお手玉を見せていても不思議ではない。
 そのアヤノは、既に他界している。あれからもう二年にもなるのか、と思った。

「そうか、あのアヤノに教えてもらってたのか、どうりで上手なわけだ」
「はい」
「でも、どうして今になってお手玉をまた始めたんだ?」
「…………」

 シャン……。
 影法師がお手玉を地面に取り落とす。受け取りに失敗したようだ。アキが足を止めてそれを拾い、土を払う。けれど、再び歩き出そうとはしなかった。

「……どうした?」

 私も足を止め、振り返る。アキは、うつむいて手に持つお手玉をじっと見つめたままだ。夕日が逆光となって、表情が分からない。

「これ……」
「うん?」
「このお手玉、みんなおばあちゃんから貰った物なんです」
「そうなんだ……」

 そばに近寄ると、アキはちょっとだけ寂しそうな表情を私に見せた。

「何日か前に、家族で、おばあちゃんのお墓参りに行ったんです。今、お彼岸ですから。
 それで、お墓の前でお祈りしながら久し振りにおばあちゃんのことを思い出してたら、小さい頃に一緒にお手玉してた時のことを思い出したんです。それで、懐かしいな、って思って、家に帰ってお手玉を探し出したんです」
「それで、またお手玉を始めた、という訳か」
「はい……。でも、もともとこのお手玉、私が欲しいっておばあちゃんに言ったのに、最近までしまいっぱなしで、おばあちゃんに悪いことしたかな、って、ちょっと思います」
「…………」

 アキにとって、お手玉遊びはそのままつながるのだろう。今は亡き、アヤノとの思い出に。
 アヤノの葬式の時は、アキも子供ながらに泣いていたのを、おぼろげながら覚えている。
 こういう話が出来るということは、今はもう、悲しみを背負っているという訳ではないのだろう。
 でも、こうしてお手玉に触れていると、おばあちゃんのことを思い出して、少しだけ、寂しくなってしまうのだと思う。
 悲しくはないけれど、ちょっとだけ、寂しい。
 彼女が感傷という言葉を知っているかは分からないけれど、そういう想いが、今のアキの心の中にあるのだろう。
 私は軽く、アキの頭を撫でてやる。

「アキは、お手玉、好きか?」
「はい」
「そうか。きっと、それだけでいいんだと思うよ、私は。
 アキがお手玉で遊んでるのを、おばあちゃんも嬉しがってると思うよ」
「……はい」

 アキが頷いて、顔を上げる。そこでようやく、笑顔を見せてくれた。

「いい子だ」

 私はそっと、アキの肩を抱いてやった。
 表情から寂しさの色が取り去られていた訳ではないけれど、それでいいのだろう。思い出というものは、そこに一抹の寂しさをも包み込んでいるからこそ、思い出たり得るのだろうから。
 少しの間そうしていると、アキが私の胸元でおもむろに顔を上げる。えへへ、と、照れ笑いを浮かべていた。

「うん? どうした?」
「慧音さまって、何だかおばあちゃんみたい」
「ははは、そうか?」
「うん。だって、おばあちゃんみたいに、優しくって、それに……あったかくて」
「はは、なるほど」

 そう言われると、私の方まで何だか照れ臭くなる。けれど、悪い気はしなかった。

「……あっ」
「うん?」

 アキが、何か重大なことに気が付いたような表情をする。

「あ、あの、おばあちゃんみたいって、別に慧音さまがおばあちゃんっていう意味じゃなくて、あの、慧音さまは私のおばあちゃんよりもずっと若いしそれに綺麗だし、えーとあのそのごめんなさいっ!」
「いやいやいやいや落ち着け」

 何だか物凄い勢いで頭を下げるアキ。そんなに勢い込んで訂正しなくてもいいだろうに。お前のばあちゃん、泣いちゃうぞ。アヤノにだって若くて綺麗な頃がちゃんとあったのだ。
 そう言ってアキをなだめると、何とか落ち着いてくれた。

「……そう言えば、アヤノの若い頃と言えば」
「おばあちゃんの若い頃、ですか?」
「うん。アヤノはお手玉がとても上手で、凄い時は五個のお手玉を見事にこなしていたな」
「本当ですか? おばあちゃん凄い」

 アキが瞳を輝かせる。
 さすがに歳を取ってからはそうもいかなくなっていただろうから、アキはそれを見たことはないだろう。おぼろげだけれども、私の記憶の中の映像を見せてやりたいくらいだった。
 五個ものお手玉が手の上で見事に操られる様子は、壮観ですらある。また間近で見てみたい、と思う。

「アキもこれからずっと練習したら、きっとアヤノみたいに上手くなるよ」
「はい!」

 アキの元気な返事。すっかり日の暮れた夕闇の中でも、その笑顔はとても眩しかった。

「すっかり暗くなっちゃったな。さ、家まで送るよ」
「あ、でももうすぐそこですから、大丈夫です」

 アキの家はもう、すぐ見える位置に建っている。けれど、ちゃんと送るのが私の務めだろう。
 とその時、

「アキー、いるかー?」

 その家の方から声がした。
 帰りが遅いのを心配して、家人が探しに出て来たのだろう。心配を掛けさせたのを謝らねばならない。
 間もなく夕闇の中から姿を現したのは。

「あっ、慧音さま」

 同じような声がふたつハモる。ケンタとコウタ。昼間の健康コンビだった。
 ああ、そう言えばアキはこの二人の妹だったか。アキとこの二人とは性格が対称的だから、兄妹だということをついつい失念してしまう――

 ――あっ。

 そうだ、思い出した。
 私はアキがまだまだ本当に小さい頃、彼女の家を何度か訪ねたことがあった。
 ケンタとコウタは幼児期から喧嘩が絶えず、母親が何かと手を焼いていた。それに対して、アキはとても大人しい子だった。だから、母親がケンタとコウタにかかずらっていた時は、アキは、その頃まだ元気だったアヤノの膝に預けられていたのだ。アヤノは孫のアキをとても可愛がっていたし、アキもアヤノによく懐いていた。
 二人の絆を作り出したきっかけは、こんなところにあったのだ。

「遅くなってごめんね、お兄ちゃん」
「いや、すまない。私がアキを引き留めていたんだ」
「あ、そ、そうだったんですか。ほら、アキ、か、帰るぞ」

 健康コンビの挙動がどこかそわそわしている。何故だか私と視線を合わせようとしない。
 そして、すぐその理由に思い当たる。昼間、この二人が私にしたことを思い出せばすぐに分かった。どうやら一応は、後ろめたいと思うところがあるらしい。あれだけ楽しげにあんな行為に及んだにもかかわらず、である。まったく、可愛いものだ。

「どうした、ふたりとも。何だか落ち着きないじゃないか。何かやましいところでもあるのか?」
「え? べ、別に何でもないですよ。なあコウタ」
「そ、そうだよなあ」
「?」

 アキが一人、事情が分からず首を傾げる。
 もしかしたらこの二人は、アキに自分のやったことがバレるのを恐れているのかも知れない。やったことがやったことだから、妹にバレるのはたいそう恥ずかしいことだろう。それにアキにバレたら、それがそのまま両親に伝わってしまうのだろうし。
 まあ、偶然とは言えアキとアヤノの絆はこの二人のおかげで作られたものなのだから、今日のところは勘弁してやろう。

「さ、もう帰りなさい。お父さんもお母さんも心配しているだろうから」
「はい。今日はありがとうございます、慧音さま。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

 アキを中央にして、三人が手を繋いで帰っていく。あの健康コンビは意外と妹思いなのかも知れなかった。
 私は、三人のただいまの声を聞き届けてから、帰途についた。












 庵の戸を開けて一歩表に踏み出すと、包み込むような暖かな空気に出迎えられた。
 すっきりと晴れた空からはほんのり柔らかな陽射しが届けられ、地上をぽかぽかと暖めてくれている。
 深呼吸をすれば、鼻孔をくすぐる、ほのかに春の香りを孕む風。耳を澄ませば、どこからともなく聞こえる、春告げ鳥の求愛の歌。
 万物が、春の訪れを伝え、そして祝福していた。
 桜の木々も見事に満開に花咲き、春の日の主役の座を我が物にしていた。

 私はいつものように、川沿いの小道を集落へ向かって歩く。
 桜の木々が並んだその道では、既に里の者たちが花見に繰り出していた。家族でのんびりと花見に興じる者たちもいれば、真っ昼間から酒を呷っている男衆もいる。
 それぞれがそれぞれのやり方で、春の訪れを喜んでいた。それでいいのだと思う。まあ、酔っ払って川に落ちないようにと男たちに声掛けはしておいたが。
 私もどこかの席で花見に混ぜてもらおうかと思っていると、

「慧音さま~」

 道の向こうから声が掛かった。あの健康コンビだ。並んでこちらに駆けて来る。どうやら、相変わらず元気に走り回っているようだった。
 私も声を上げて彼らに応えると、二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
 ……ほう。
 彼らが何を考えたのかすぐに分かった。思わず漏れる苦笑。こりない子たちだ。
 私は無防備を装って、彼らの接近を待つ。
 すぐそばまで近付いて来ても、二人はやはり速度を緩めない。私は彼らの手の動きに注視する。
 私の横を通り過ぎざま、ケンタの手が私の背後に、コウタの手が私の胸元に伸び――


 ガシッ


「――え?」

 身体に手が触れるか触れないかのギリギリの位置で、私は彼らの手首を掴んで押さえた。まさかの出来事に、凍り付く二人。

「なーにをしようとしていたのかなー、君たちはー」
「え、あ、そのぅ……」

 笑顔のまま言うと、二人は口ごもる。何せ、彼らのやろうとしていたことの明白な物的証拠が、文字通り私の手にあるのだ。誤魔化しようがない。
 それにしても、彼らの行動がここまで想像通りだったというのも、それはそれで脱力してしまう。
 助兵衛根性を持っているのは男の子として健康な証拠なのかも知れないが、そういう意味での「健康コンビ」というのは大いに考えものだ。
 ここはやはり、軽くオキュウをすえてやるべきだろうか。

「さぁて、どうしてやろうかね……」
「あ、あの、慧音さま、怖いんですけど……」

 あくまで笑顔を崩さないまま、怖がらせてみる。もしかしたら彼らの目には、ツノを生やして怒りの表情を向ける私の顔が幻視されているのかも知れない。
 なんてな。
 まあ、こんなのどかな春の日に小言を言うのも何だか無粋な気もするので、この程度にしておこうか。我ながら子供に甘いのかも知れないけれど。
 私は、二人の腕を離してやる。

「悪いことをした時は、何て言うんだ?」

 二人の顔を交互に見つめて言った。

「あ、えっと……ごめんなさい」
「ごめんなさい」

 まず、兄のケンタが謝り、弟のコウタがそれに続いた。

「うむ、素直でよろしい」

 とりあえず私に許してもらえたということで、二人とも安堵の表情を浮かべた。まあ、彼らのことだ。三日後にはまた何か別の助兵衛な悪戯を考えて来ても不思議ではない。
 まあ、その時はその時か。

「あ、そうだ、慧音さまも一緒にお花見しようよ」
「お、いいなそれ。慧音さま、いいよね」
「お母さんのお弁当、美味しいよ」
「何だ、家族で花見に来てたのか」
「うん、そうだよ」

 だと言うのに、なに私に対して助兵衛な行為をしようとしていたのだこの二人は。まったく。
 ……と思うが、ある意味、彼ららしいのかも知れない。
 いつでも腕白で、いつも元気で、楽しくて。
 何だかんだ言って、私はそんな彼らが好きなのだ。

 二人に腕を引かれるようにして彼らについて行くと、辺りでも特に大きな桜の木の下で、何家族かが集まってござを敷いて、花見を楽しんでいた。

「慧音さま、とうちゃーく」
「特等席へごあんなーい」

 背中を押され、皆への挨拶もそこそこに特等席とやらに座らされた。なるほど、座り心地は良いし、辺りの桜もよく見渡せる。
 隣りには、アキが座っていた。何やらにこにことしている。

「慧音さま慧音さま、私、お手玉四つ出来るようになりましたよ」
「ほう、本当か?」
「はいっ」

 嬉々としてお手玉を持ち出すアキ。それぞれの手には、確かに二つずつのお手玉が握られていた。
 周囲の皆が注視する中、アキがひと呼吸。表情が引き締まっていた。

 右手の二個を連続して投げ上げる。左手の一個を右に手渡しそれもすぐに投げ上げる。左手の残りも右へ投げ次の瞬間には最初の玉を空いた左手で受ける。
 アキの俊敏な手の動きによって、確かに四つのお手玉が宙を舞っていた。
 数回回しただけですぐに失敗して終わってしまったが、間違いなく、四つのお手玉を修得していた。

「凄いな……本当に出来てる」
「たくさん練習しましたから」

 そう言ってやっぱり、えへへ、と笑っていた。
 このまま練習を続けていけば、いずれは四つのお手玉も安定してこなせるようになるだろう。そして、

「この調子ならすぐに五個までいけるな」
「えー、それはまだ無理ですよー」

 まあさすがに、すぐには無理だろう。四つを安定してこなせるようになってから、更に練習を積んでいく必要がある。
 でも、いつかそう遠くない内に、きっと修得してくれる。そんな確信があった。

「慧音さまー、私も三つまでは出来るようになりましたよー」
「私もー」

 と言って、そばにいた他の子たちもお手玉を始めた。確かに、この間見た時よりも、皆格段に上手になっていた。
 あの日以来、里の子供たちの間でお手玉がちょっとした流行になっている。
 皆が談笑しながら楽しげにお手玉で遊ぶを光景を目の当たりにしていると、何だか見ているこちらまで嬉しくなってくるのだった。

 アヤノが孫のアキに教えたお手玉遊びは、確かに受け継がれ、今はその友達にも広がっている。
 アヤノのお手玉ももともとは、彼女のおばあちゃんから教わったものだった。そのおばあちゃんもまた、更にそのおばあちゃんから教わっている。その前も、その更に前の代でも……。
 それこそ、お手玉のように手から手へと継承される“生きた歴史”が、お手玉にはあった。
 アヤノも、もちろんアキも、そんな歴史のことなど知る由もない。私だけが胸に秘めて知っている歴史だった。
 そうして、連綿と受け継がれているお手玉遊びの歴史を、私はいつまでもいつまでも見守り続けていたい。心からそう思った。



 俺も慧音先生の色んなトコにタッチしたい。



 ……という一文だけで後書き終わらせようかとか思いましたが、度胸が足りなかったのでやめました。上泉涼です。
 今回は、里での慧音の日常ということで書いてみました。慧音はやっぱり、里の子どもたちに慕われてるのかなぁというイメージで。
 慧音以外の登場キャラは完全にオリジナルにしてしまったので、何かと不安があるところなのですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 核家族化が進む現代社会だと、祖父母から孫へと何かを伝えることってほとんどなくなってしまいますよね。時代の流れだと言えばそれまでですが、何だか寂しい気もします。
上泉 涼
[email protected]
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2240簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
作者様GJ!
2.100名前が無い程度の能力削除
なんだよチクソウ、柔らかい話じゃないかよう
マジどツボだよぅ
5.80むみょー削除
こういう歴史の伝えられ方って、とてもいいですね。
7.70銀の夢削除
お見事です、しっとりと優しいお話、ありがとうございました。
先の代から受け継がれていくものは生きた歴史……重い言葉ですね。
23.無評価名前が無い程度の能力削除
まいっちんぐケイネ先生
27.90コイクチ削除
酒が美味くなるSSでした。
32.70近藤削除
春の到来を思わせる、ほんのりと暖かなお話でした。
何気ない日常を描く事の難しさ、それを書き表す氏の作品にはいつも感心させられるばかりです。
しかし後書きを一文で終わらせるのにはほんとに度胸がいりますねw
33.100レイヴン削除
心の奥があったかくなったよう
43.80名無し毛玉削除
遊びを伝承するのも、歴史を綴っていくことも同じなんですよね。
慧音以上に、子供達に慕われる姿が似合う妖怪はいないと思います。
57.90名前が無い程度の能力削除
お手玉とか最近の子はまずしないんだろうねえ・・・
58.100名前が無い程度の能力削除
お手玉っていいですよね
なんだかやりたくなってきた