Coolier - 新生・東方創想話

女神の左手は一番星の夢を見るか?

2006/03/21 14:37:18
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    1:


 カリカリと机に向かってペンの走る音がする。
 何十、何百という本の山の中に埋もれた小さな木製の机には小さなランプが灯っている。
 金色の小さなランプは机の上に散らかされた何枚もの紙を映し出している。
 それらには複雑な記号や数字、様々な言語で書かれた文書が書かれていたが、全て上から大きなバツ印が書き込まれていた。
 新たに大きなバツ印が書き込まれた時点で机の上にペンが転がされた。
「う~む、どうやってもアレが必要か……」
 そういって頭をガシガシとかいてぼやく一人の少女。
 柔らかな金髪の髪は光を浴びなくても輝いているかのようで、手入れが行き届いている証拠だろう。
 髪と同じ色の端整な眉を歪め、うめき声をあげる。
「アレはどうやって掘り出したっけな、確か面倒くさい方法だと思ったんだが……」
 ぶつぶつと呟いて振り向こうとした瞬間、足が近くの本に引っかかった。
 ドサドサと音を立てて本の山の一角が崩れて少女に向かって降りかかってきた。
「え? あっ! ちょ、待てって!」
 とっさの事に反応する間もなく本の雪崩に飲み込まれていく少女。
 さらに倒れた拍子に背中側の本の山へと手を付いてしまう。当然、たかが本如きに人間一人分の体重――少女とはいえ――が支えきれるはずもない。
 背中側の本の山も崩れ落ち、さらにそれが別の本の山を巻き添えにして倒れた少女の上へと降りかかる。
 もはや叫ぶ暇も無く本の雪崩に飲み込まれていく。
 少女の上に本が降り積もる事しばし、ようやく紙の雪崩が収まった後に少女は脱出に成功する。
「この! くっそ、ついてないぜ……」
 頭の上の本を後ろに投げ捨て、一息ついた後に後ろを振り返る。大量の書物は山から海へとその姿を変えていた。少女はその様相を見て溜息をつきなおす。
「あー、片付けは面倒だし、いずれにしても資料は足りない、な。だとすれば……」
 片付ける手間を想像して、今日はヤメだと手を打つ。
 こんな時は出かけて気分転換でもしよう。ついでにあの図書館から足りない資料を借りてこよう。タダで、それも一生だが。
「まずはアイツの所に行って、それから図書館だな、近いし。ついでに紅茶だな、やっぱり乙女らしくティータイムしないと」
 そう言って少女は帽子架けから愛用の黒い帽子を取るとそれを目深にかぶる。
 その帽子はツバが長く、黒い三角錐をしていてまるで中世の魔女のソレにしか見えない。加えて少女自身の服装も、黒いロングスカートに白のエプロンドレスといういかにもな出で立ちである。
 まるでどこにでも居そうな、ごく普通の魔女。
 空を飛ぶ為の箒を手に取り、家から外に出る。
 そろそろ冬も終わりを告げようとしているが、まだまだ肌寒い。
 外はまだ昼を少し過ぎたばかりで青々とした空が広がっている。先ほどは書物の事を考えて部屋の中に明りを取り入れなかっただけだ。
 またがった箒に魔力を込めると、ふわりと箒が浮かび始めた。
 黒装束に身を包み、箒にまたがり空を飛ぶ。そんなどこにでも居そうな普通の魔女、しかしその口元は大胆不敵にもニヤリと歪められていた。
「それじゃあ、行くぜ!」
 少女がそう気合を入れた瞬間――
 爆発的な加速で箒ごとはるか上空までかっ飛んでいく。
 漏れ出した魔力が大量の星々となり、紡錘状の煙とともに後方へと押し流される。
 さながら流星の如く飛び出した少女の名は霧雨魔理沙、自称普通の魔法使いである。


    2:


 博麗神社とはまた違う幻想郷の端にある道具屋、香霖堂。
 カランカラン、と軽い鐘の音が鳴って初めて店主である森近霖之助は読書から現実の世界に引き戻される。
 読んでいた本を背中で開いたまま傍らに置くと椅子から立ち上がる。
「いらっしゃいませー。あぁ紅魔館の……」
 入り口に立っていたのは深い青色のワンピースにたくさんのフリルのついた純白のエプロンドレス、頭にはこちらも同じく純白の可愛らしいヘッドドレスをちょこんとつけている。
 悪魔の住む館、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜であった。
「こんにちわ、香霖堂さん」
 花の咲いたような笑顔で軽く会釈をする咲夜に、霖之助の顔もつられて自然と緩む。
「それで、今日はどういったご用件で?」
 自然と霖之助の声が商売用に半音ほど高くなる。無理もあるまい、こんな辺鄙な場所に店を建てておいて来客なぞ望めようもない上に、彼女は数少ない上客なのだから。
 因みに上客であって決して常連ではない、常連は勝手に商品を持っていったり、不要な新聞紙を押し付けるような奴らだからだ。
「そうですわね、さしたる用事も無いのですが、何か珍しい物は無いかと思いまして」
 咲夜がこうして目的も無く来店するのは実は珍しくない。
 なにせ彼女は竹の花や青いダイヤモンドなど、珍品を集めたがるのだ。珍品とはその字の如く珍しい品でありめったな事では手に入らない。そこで足しげく、とまではいかないものの、定期的に珍しい物の入りそうな場所、すなわち香霖堂を覗きに来るのだ。
「珍しい物ねぇ……」
 霖之助はふむ、と右手を顎につけて考え込む。端整といっても差し支えない顔つきをしていたが、その顔に乗る四角い眼鏡とざんばらな髪型のおかげで、胡散臭い雰囲気を醸し出していた。
「取り立ててそう珍しい物はないですねぇ、期待に応えられなくて申し訳ありません」
「いえいえ、滅多に手に入らないからこそ、珍しいのですわ」
 霖之助の答えにも咲夜の表情は曇る事は無い。
「それでは私はお暇させて――」
「香霖、居るかー?」
 ガランガラン! と大きな音を立ててドアが勢い良く開かれる。
 黒い帽子と黒いドレスに白のエプロンドレス、右手には愛用の箒を持った魔理沙が入ってくる。
「相変わらず荒っぽいね、もう少しおしとやかにできないのかい?」
 霖之助が眉をひそめて苦言を漏らす。
「あー? 私はいつもおしとやかだぜ。大体今までそんな事言わなかったじゃないか、それこそ何を今更だぜ」
 店に入った瞬間に店主から叱責を受けた魔理沙は眉をひそめて不満をぶつける。
「あらこんにちわ、魔理沙」
「お、咲夜じゃないか。さてはまたあのお嬢様のワガママか?」
「そんな憎まれ口叩く暇があったらとっとと本を返して頂戴」
 不満をぶつけたかと思えばすぐにカラッとした笑顔で咲夜に話しかける。そんな所が魔理沙の長所であるのだろう。
しばらく二人はポンポンと皮肉だか何だかわからない会話をしていたので、霖之助は黙って読書に戻ろうかとかと身を翻した。
「あ、そうだ香霖、用事があって来たのを忘れるところだったぜ」
 読書の機先を制された霖之助は振り返りもせずに手をヒラヒラと振る。
「商品ならダメだ、まだツケがあるだろう?」
「そう言うなよ。でさぁ、マンドラゴラって無いか?」
 マンドラゴラ、人間の雛型にもなったと言われる植物である。
 葉は赤紫がかった緑であるが、特筆すべきはその根だろう、人間の雛型になったと言われるだけあってか、その根は人間の形を模しているかのようであり、さらには男女の区別すらある。それぞれで形が違う。諸説の中には断頭台の下に生え、刎ねられた者達の血と涙をすすって成長するという記述も見受けられる。故に死者の怨念が凝固し、魔力となって固まるため、古くは麻酔や万能薬等として、また魔女の薬や毒薬としても使われる事もあった。
「マンドラゴラ? 何に使うんだい?」
 意外な名前を聞いたとばかりに振り返って霖之助は問う。
「魔女といえばマンドラゴラ、基本だぜ?」
 確かに古来より魔女の薬といえばマンドラゴラに間違いはない、魔女が空を飛ぶための薬などと言われてきたが、その実は幻覚効果によるバッドトリップで飛ぶ事だといわれて来たのもまた事実。そんな物を何に使うのか霖之助には想像できなかった。
「ふむ、あるよ。ただし女性の方、つまりメス側だけど」
 手早く在庫の確認を脳内で済ませた内容を告げる。
「メスかよ、私が欲しいのはオスの方なんだが、オスは無いのか?」
 マンドラゴラはオス型とメス型でその用途が変わってくる。
 簡単に説明をするのならば、オス型はその根に宿る魔力が多く、そこから魔力を抽出し、別の物に分け与えたりする事が可能である。
 また、メス型はやや特殊で魔力の含有量こそ少ないものの、物質に込められた魔力を安定させる程度の効力がある。ただしその対象となる物質に何らかの形で含有させなければならない。
 薬として、人体に服用した場合の効果はオス型とメス型における違いは見られない。
「3日程前かな、アリスさんが来て残ってた在庫を全部引き取って行ったよ」
「ちっ」
「ないない尽くしですわね」
 くすくすと笑う声が会話に挟まれる。
 それまで黙っていた咲夜が口を開き、その事実を告げる声に思わず霖之助は苦笑してしまう。
「これはまた手厳しい」
「ところで魔理沙、マンドラゴラってアレかしら? ほら、引き抜くと叫んでやたらうるさいアレ」
「あぁ、ソレだぜ、って咲夜は叫び声を聞いた事あるのか!?」
 マンドラゴラは引き抜くと大きな叫び声を上げ、それを聞いた人間は狂死してしまうという伝承を持つ。その為に昔からその採取方法は困難を極めていた。
「あんまりうるさかったから、すぐにみじん切りにして捨ててしまったけど?」
 あっさりと聞いた事がある、という事を認める咲夜。
「お前なぁ、あの叫びを聞いた人間はみんな狂って死んじまうらしいのに……」
「すぐ、と言ったはずですわ」
「成る程な」
 咲夜の言葉に納得する魔理沙。
 咲夜は時間を操る程度の能力を持つ。どうせ叫び出した直後には時間を止めて得意のナイフでバラバラにされたのだろう。
「ところで、それって何処にあった? まだ残ってるのか?」
「ウチの庭よ、まだ生えてるわ。厄介だからそのまま捨て置いてるけど?」
「お、ホントか? 貰ってもいいか?」
 魔理沙が勢い込んで咲夜に迫る。
 身長では咲夜の方が高いため、魔理沙が下から覗き込むような形になる。
「まぁいいけど、それじゃ代わりに持ち出してる本を返す事ね、それも全部」
 咲夜の辛辣な一言にやり込まれ、うむむと唸ることしか出来ない。
「それが出来ないようなら商談はお流れね、それじゃ私は帰るわよ」
 踵を返し、扉へと歩き出す咲夜の背中を魔理沙の声が制止する。
「待った! それはオスかメスか判るか?」
 その声を聞いた咲夜はゆっくりと振り返り、満面の笑顔で答える。
「さぁ? 言っておくけど勝手に持って行かないでよ、不法侵入にはそれなりの罰が待ってるわ」
 その答えを聞いた魔理沙は俯き、何かをしばらく考え込んでいたが、手を叩くと顔を上げた。
「わかった! じゃあ私の秘蔵のコレクションを一つやるから、それで手を打たないか?」
 その言葉に思わず眉をしかめる二人。
「今日は晴れてるから、まさしく晴天の霹靂ね」
「魔理沙、熱でもあるんじゃないのかい?」
 あまりといえばあまりの反応に魔理沙はガクっと肩を落とす。
 確かに無理もあるまい、蒐集家とは物は溜め込んでもそれを流通させる事は無い。
 本人でも何の役に立つかさっぱりわからない物でも、それが自分の趣味に合えばなんでも蒐集してしまうのが蒐集家なのだ。
「おいおい、折角私が秘蔵のコレクションを手放すと言ってるんだ、もっとありがたがれよ」
「だって魔理沙だし」
「魔理沙だからなぁ」
 またしても二人の怪訝な言葉と表情に魔理沙は唇を尖らせる。
「なんだよ、あの門番張り倒して館に風穴開けて持ち帰ってもいいんだぜ?」
 とんでもない事を言うが、その仕草は歳相応の少女らしく、咲夜と霖之助は思わず苦笑いしてしまう。
「で、そのコレクションは何かしら?」
 笑いをかみ殺したまま咲夜が聞く。
 魔理沙は待ってましたとばかりにニヤリと笑うと両手を大きく広げて見せる。
「あぁ、ココにあるものから好きな物持って行っていいぜ」
「ちょっと待て魔理沙、いつからこの店の商品は君のコレクションになったんだい?」
 迷惑そうに眉をしかめる霖之助、彼にとっては迷惑もいい所だろう。
「大体だな、君はこの店を自分の倉庫か何かと勘違いしてないか?」
「違ったのか? まぁとにかく私の集めた物で、ココにある物一つ、でどうだ?」
 さっきのおかえしだと言わんばかりに意地の悪い笑顔で霖之助を一瞥する魔理沙。
「ふぅん、まぁ悪くはなさそうね。何があるか見せてもらってからでもいいかしら?」
 細い顎を右手で抑え咲夜が答える。この従者は何をやっても様になってしまう。
「構わないぜ、ココに置いてあるものは大抵調べ終わったり、魔法の研究にはあんまり役に立たない物ばかりだからな」
 そう言って勝手知ったるなんとやら、とばかりに魔理沙は店の奥に駆け込むと小さな鍵を持ち出してきた。
 チャリ、と鍵につけられた鈴がなる。
「倉庫か、何度か整理しようと思ったんだが……」
 霖之助が苦い顔で言い淀む。
 その様子に咲夜は倉庫の中がどのような有様なのか想像し……ようとして首を振る。
「想像したくありませんわ」
「倉庫は裏手だ、運ぶのもアレだから直接見てくれよ」
 どんな状況であろうとも、魔理沙の私物なのだ、自分が関わる事はあるまい。
 そう決めながら咲夜は魔理沙の後を追った。
 さて、問題の倉庫だが、その入り口が店舗の裏にあり、一旦店を出てから建物を半周したところにある。
 咲夜がそこに到着すると、既に扉が開いていた。
 開いた扉の脇には魔理沙愛用の箒が立てかけられている。
「おーい、こっちだ」
 中から魔理沙が声をかけてくる。
 店舗と同じく木造で作られたそれは倉庫としての役割を果たせているのかは少々疑問を持たざるを得ない。
 大体、木造では強度が足りない。木の板を一枚剥がすだけで中に入れるではないか。
 そして同じく木で作られた扉には、やや大きめの南京錠が錆を浮かせながらかろうじてぶら下がっているだけだ。コレでは盗人から商品を守る為の倉庫でなく、ただ単にガラクタを詰め込んでおくだけの小屋、と言った方が適切である。
「無用心ね」
 呟きながら咲夜は中に入っていく。
 中には余り人が立ち入らない場所特有の埃と黴の匂いが立ち込めていた。
 建物に窓はなく、入り口から忍び込む明りと、ところどころの木の隙間から漏れてくる明りだけだった。
 しかし内部は狭く、明りとしては充分だった。五畳程の何もない部屋……だったのだろう。中は何が入っているかよく解らない箱が天井付近まで、積み上げられている。
 天井までは3メートル半程あり、うず高く積み上げられた木の箱やら何かの入った麻袋などは、軽く見上げられる程度の高さを持っていた。
「この紐は何かしら?」
 天井から視線を落とした時に、床に置かれた細長い縄の紐が目に入る。
 紐は咲夜の足元、つまり入り口から奥の壁に向かって一直線に伸びていた。
「あぁ、境界線だ、その紐からコッチ側は私の、そして向こう側からアイツの物だ」
 その紐の左側から魔理沙の声が聞こえる。
 そう言えば右側、霖之助の領域はある程度整理されてるが、魔理沙のいる左側には整理された形跡が見られない。つまり何でもかんでも放り込んだままなのだ。
「さぁ、この中から一つ選んでくれ」
「どうやってこの中から選べっていうのよ……」
 掃除が本職である咲夜が、掃除しろと言われれば首を横に振りたくなるような有様である。
 適当に見渡していると、無造作に転がされた一つの物で目が止まり、拾い上げる。
 それは、一つの彫刻。
 肘から先しかない、硬く拳を握った左手の彫刻。
 大理石で作られたそれは本来は鈍色だったのだろうが、今ではすっかり埃を被ってその輝きは失われてしまっていた。
「お、それか。なんだったかな、どっかの彫像の左手だったらしいんだが、結局わからず終いだったヤツだ」
 魔理沙の説明を聞きながら、咲夜の脳裏に過去の記憶が蘇る。
 それはいつだったか忘れてしまうぐらい昔の記憶。
 幼い頃に手を引かれて見た彫刻。
 それは翼の生えた一体の彫像。しかし破損が酷く、頭部と両腕から先が見つからなかったという話だったはず。
 しかしそれだけの破損をしてもなお発散させるその圧倒的な存在感。
 大きく広げられた翼は風を孕み、今すぐにでも飛び立てるかのようであり、しかしながらその大地を踏みしめる足はどんな暴風にも決して揺るがない強固さを感じさせた。
 薄布をまとったその体は優美なラインを描いており、力強さと柔らかさを出していた。
『たまにはゲージツって奴もいいモンでしょ』
 タバコと香水と化粧の匂い、そう言ったのは……
 思い出そうとして咲夜は頭を振る。
 蓋をした記憶が零れたのは一瞬。
 しかし微妙に変化した表情を魔理沙は見逃さなかった。
「魔理沙……私はこの腕がいいわ」
 そう言って咲夜は自然な微笑みを見せる。先ほど霖之助にしたような笑顔とはどこか違う、ふんわりとした柔らかい微笑みだった。
「そうか? 材質も普通の大理石だし、確かに造詣は上手いと思うが、しょせん破片だぜ? 価値があるとも思えんが……」
 不思議そうに咲夜の手元を見つめる魔理沙。
「コレは珍しい物だわ、そして私は価値の高い物よりも稀少性のある物の方がいいのよ」
 記憶の片隅に蓋をしたまま咲夜が答える。
 魔理沙とすれば咲夜が一瞬だけ見せた表情が気になったが、触れてはいけないような気がして大人しく引き下がる。
「まぁ、咲夜がそれでいいって言うならそれでいいか」
「正直、ここまでの物があるとは思わなかったわ」
「そいつはありがたい、で、私の方はどうする? 毎度の如くあの門番を張り倒して入って行ってもいいんだぜ?」
「まぁ今日は来客って事にしておいてあげるわ、ただし、本は盗んじゃだめよ?」
「そいつは……」
 約束できねぇな、と言おうとしたところで、咲夜の握ったナイフを見て口を閉じる。
「おいおい物騒だな、それよりさっさと行こうぜ! 目当ての物も手に入ったんだし!」
 そう言って一足先に倉庫を出た魔理沙の足が止まる。
「待つんだ魔理沙」
 魔理沙の目の前には険しい表情をした霖之助が立っていた。いつものどこか厭世的で、のんびりとした視線ではなく、鋭い何かの混ざったような視線だった。
「よ、よぉ、香霖……、どうしたんだ?」
 まれに見る厳しい表情をした霖之助に魔理沙は本能的な恐怖を味わい、じり、と一歩下がってしまう。
 腕を組み、冷徹とも言える視線で魔理沙を見下ろす霖之助。その雰囲気には有無を言わせぬ迫力があった。
「魔理沙、言いたい事がある」
 霖之助の声は冷たい。
 倉庫から顔を覗かせた咲夜は何事かと思ったがとりあえず黙って成り行きを見る事にする。
 すぅ、と霖之助が大きく息を吸い込んだ。
「いつから倉庫の僕の領域が半分になってるんだっ!! 4分の1だって約束だったろう!!」
 霖之助の大声に魔理沙は首をすくめ、咲夜は思わず倉庫の中心に置かれた縄を見た。
 成る程、4分の1から半分では大違いだろう。
「ま、まぁ、その、アレだ、空いてるスペースの有効活用ってヤツだ、気にすんなよ」
 霖之助の声に押されるようにさらに魔理沙が一歩下がる。
 後ろ手にされた右手は何かを探すかのように空を掻くが、霖之助からは見えていない。
「大体だなぁ、いつもいつもキミは片付けないし商品は勝手に持って行くし、ここらで一回言わなきゃダメだと思ってたんだ、今日こそ言わさせて貰うぞ」
「ストップだ香霖、お前の話は長すぎるんだよ。これから行かなくちゃ行けない所もあるし、また今度にしてくれないか?」
 立て板に水の如く喋りだす霖之助を静止しながら魔理沙の右手は咲夜に向かって何かのサインを送っているようだった。
 それを理解した咲夜は時間を止め、入り口脇に立てかけられた魔理沙の箒を右手に持たせる。
 時間が動き出した時、魔理沙は己の右手の感触に笑顔を浮かべる。
「いいや、今日こそその機会だ。いいかい魔理沙、大体この倉庫の貸し出しだってだな、キミが片付けられない事が原因だろう、いい加減少しは片付けって言うのをだね……」
「そこまでだ香霖!」
 ここぞとばかりに説教を始める霖之助を魔理沙は大声で制止する。
「言っただろ? 今日は忙しいんだ、また今度な!」
 ニヤリと笑い、右手の箒に魔力を込め、素晴らしい勢いで真上に向かって飛翔する!
「あ、待て! 下りてくるんだ魔理沙! まだ話は終わってない!」
「あー? よく聞こえないぜー?」
 霖之助は上空の魔理沙に向かって叫ぶが、魔理沙は聞こえない風を装う。
「それでは、失礼させて頂きますわ」
 その霖之助の横を涼しい笑顔で通り抜ける咲夜。
「え、ちょっと」
 霖之助がうろたえた次の瞬間には既に咲夜は魔理沙の横に並んでいた。
 ヒラヒラと手を振ってから両手を合わせ、霖之助に「ごめんね」と仕草だけで伝えると、二人の少女は彼方へと向かって飛んで行ってしまった。
「まったく……」
 霖之助のぼやく声は二人に届くことなく、空気の中に溶けていった。


    3:


 湖のほとりにあって異彩を放つ赤い館、紅魔館。
 その中には、魔道書を専門に扱う図書館が存在する。
 それが、ヴワル魔法図書館。
 その見た目以上に広大な図書館は2匹の妖怪によって管理されている。
 七曜の魔法使いパチュリー・ノーレッジと、図書館に住み着く悪戯好きな小悪魔である。
 紅霧事件以降、魔理沙が頻繁に訪れるようになった場所である。
 しかし図書館の館長であるパチュリーは魔理沙に対して決して一言で済ませられる感情を持ってはいなかった。
 なにせ魔理沙が来るたびに本を持って行かれるのだ、紅魔館より外への貸し出しなんてついぞ許可した記憶も無いのに、である。
 『なに、借りるだけだ。いつか返すから気にすんな』
 いつだったか魔理沙に返却を要求したところ、こう返された。
 その抜けぬけとした言い草に呆れてしまったのは言うまでもないが、同時にチクリとした痛みも感じた。
 人間と妖怪ではそもそも寿命が違う。妖怪と人間とでは比べ物にならないほど人間は短命である。
 だからこそ、魔理沙はその笑顔に輝きがあるのだろうか。
 本と共に在る者が自分である。そうパチュリーは己を定義してる。
 魔理沙の底抜けの明るさは自分には無縁であったが、ある種の憧れに似たような物を己の中に自覚していた。
 本と共に在る以上、他者との付き合いなぞ、二の次三の次である。
 それをどうだろう、あのごく普通の魔法使いは他者を受け入れる一方で、その魔力は瞬間的な放出量ではパチュリー自身でさえ及ばない。それほどまでの魔力量を含有している。
 ま、その本人自体は今、隣で魔道書相手にウンウン唸っているのだが。
「どうやって採ったっけなぁ、なるべく形を残して採りたいんだけど……」
 自身がそんな考察の対象にいる事なんてカケラも思いもしないのだろう。
 魔理沙はマンドラゴラの採取法について調べていた。
 しかし、パチュリーからすればまったくの見当ハズレの部分なのだが。
 大体マンドラゴラ自体、魔製の植物である。まっとうな薬学大全なんかには、その採取法までは詳しく書かれているわけが無い。
「小悪魔、G棟68番書架の75列、上から23段目から25段目まで持ってきてあげて。マンドラゴラの、というか魔製の植物はあの辺のハズだわ」
「はーい、わかりましたぁ」
 パチュリーの声に応じて赤い髪に白いシャツ、黒のベストとスカートを着た少女が飛び上がる。小悪魔の背中には大きな悪魔の羽がついており、大きく打ち払われる。頭部についた一対の小さな羽を器用に動かして体の向きを整えると、本棚へと向かい始める。
「あ、くれぐれも27段目辺りは持ってこないでね、変なモノ住み着いてるから。今日は悪戯はナシよ」
 パチュリーは小悪魔に釘を刺す。こうでも言わないとワザと間違えて持ってくるなんて日常茶飯事である。
「はーい」
 案の定、何かするつもりだったのだろう、ややむくれた声を出して、奥へと消えていった。
「すまないな、手伝わせちまって」
 魔理沙はいつもとの不敵な笑顔ではなく、バツの悪そうな顔でパチュリーに礼を述べる。
「構わないわ、その懐の本さえゆっくりと机に戻してくれるなら」
「バレてたか」
 パチュリーがそう指摘すると、魔理沙はいつ仕舞ったか、懐から先ほどまで読んでいた本をゆっくりと机の上に戻す。
「さすがパチュリーだな、よく見てるぜ」
 そう言って笑う魔理沙の表情は、パチュリーにはまるで向日葵のように輝いて見えた。
「……どうでもいいけど、アナタは今日はお客様なのよ、来客待遇を受けておいて本を盗んで帰るような無粋な真似だけはよして頂戴」
 そう言ってパチュリーは手元の本に視線を落とす。気持ち深めに。
「あぁ、そうだな、折角あの門番を素通りできたんだ、今日ぐらいは大人しくしておくぜ」
「わかってればいいけど……」
 コンコン。
 パチュリーがぼやいた瞬間、控えめながらもよく響く音がドアから聞こえてくる。
「咲夜です、お紅茶をお持ち致しました」
 ドアの向こうからは咲夜の声が聞こえる。
「入りなさい」
 パチュリーの凛とした声が入室を促す。
「失礼致します」
 そう言ってから、図書館の入り口である大きな両開きのの扉が開かれる。
 蝶番の軋む音をさせ、ゆっくりとドアが開いて咲夜が顔を覗かせる。
「まだ、やっていらしたんですね。あんまり考えすぎるのもどうかと思いますわ」
 ティーセットの乗った台車を押しながら咲夜が魔理沙とパチュリーのテーブルまで歩いてくる。
「咲夜、その口調やめてくれよ、違和感しか感じないぜ」
「あら、折角の来客待遇がお気に召しませんか?」
 そう言ってにっこりと笑う咲夜、あくまでも来客用の笑顔である。
「そいつは皮肉なのか? いつも通りで構わないぜ」
 うんざりとした表情で魔理沙が言う。
「あらそう、よくわかったわね」
 来客用の笑顔を一瞬で引っ込めた咲夜が手際よく紅茶を淹れてテーブルに並べていく。
「お待たせしました~」
 そこへ大量の本を抱えた小悪魔が帰ってくる、よほど重いのだろう、空中を飛ぶ姿勢が左右にフラついている。
 それを見た咲夜はやれやれと溜息を吐くとチラリとパチュリーを見る。まったく人使いの荒い館長だ。
「手伝うわよ」
 そう言って小悪魔の抱えてる本の半分を受け取り、テーブルの近くまで運んでやる。
「あっ、ありがとうございます」
「紅茶はアナタの分もあるわ、ゆっくりしなさい」
 そう言って小悪魔を席につかせると紅茶を淹れていく。
「今日のお茶請けはハーブ入りのクッキーですわ」
 コトリ、とクッキーの入った皿をテーブルに置くと、咲夜は退室しようと踵をかえす。
「あぁ咲夜、今時間いいか?」
 魔理沙が咲夜の背中に向かって声をかけた。
「何かしら? こう見えても忙しいのだけど?」
「もしかしたらさ、お前にヤツを引っこ抜く手伝いを頼むかもしれないから、できれば作戦会議とでもシャレ込もうかと思ったんだが……。忙しいなら仕方ないか……」
 引き止めては見たものの、忙しいという咲夜の言葉に魔理沙の言葉は失速していった。
 それを見た咲夜は腕を組み、ふむ、と右手の人指し指を顎につけて考え込む。
「いいわよ」
 あっけない咲夜の返事に魔理沙が目を丸くする。
「いいのか!? 忙しいんじゃなかったのか!?」
「忙しくなくなったわ、まぁ、貰った報酬分ぐらいは恩義を返しますわ」
 そう言って目を伏せる咲夜。
「……まったく、咲夜はいつもどこか抜けてるわねぇ」
 誰にも聞こえないようにパチュリーが呟く。パチュリーの目は咲夜の手が真っ赤なのを見逃さなかった。
 冬も終わりを告げようかという季節、咲夜の仕事内容、すなわち掃除、を考えれば水仕事でもしてきたのだろう。それも時間を止めて。
 そこで素直に「掃除をしてくるから待ってて」などと言わない辺り、彼女のメイドとしての気遣いである事は考えるまでもない。
「ホントか! 助かるぜ!」
「……鈍感」
 満面の笑顔を浮かべて咲夜を歓迎する魔理沙に向かってポツリと呟く声を止められない。
「何か言ったか?」
「アナタは気楽でいいわね、って言ったのよ」
 パチュリーはそう言って手元の本に視線を落とした。
 その本もまた魔製の植物に関する本であった。
「咲夜も紅茶の用意をした方がいいわよ、暖まりなさい」
「ではそうさせて頂きますわ」
 言外にバレましたか、と言って咲夜は余っていたティーカップを用意する。
 一流のメイドとは常に予備を用意しておくものですわ、という咲夜の持論が役に立ったようだ。
 

    4:


「なぁなぁ咲夜、咲夜が紐つけて引っ張ってみないか?」
「なんでよ」
「ここにな、犬に紐をつけて引っこ抜くのが一般的な採取法だと書いてあるんだ」
「で、その犬はどうなるの?」
「死ぬ」
「いい度胸ね」
「だろ? 主想いじゃないか」
「実にいい度胸ですわ」
「悪かったから紅茶のお代わりを頼む」
 図書館の中に他愛の無い喋り声が響き渡る。
 このヴワル魔法図書館では比較的珍しい事と言える。
 紫の長い髪の毛を真っ直ぐに垂らし、ダブついたローブを着た少女、パチュリーは眠そうな目付きで目の前の二人を見る。
 決して眠いワケではない、元々本ばかり読んでるせいで自然と目付きがこうなってしまったのだ。
 パチュリーはかねてからの疑問をぶつけてみる事にした。
「それにしても魔理沙、マンドラゴラなんて何に使うの?」
「あ、あー、そうだな……」
「今さら秘密なんて言わせないわよ」
 パチュリーのジト目に睨まれ、魔理沙は気まずそうに頭をガシガシとかく。
「あー、私のな、魔砲の瞬間強化だ」
「ふぅん?」
 咲夜が興味を持ったように聞き返す。
 その時点でパチュリーには理解できたが、あえて黙っていた。理由さえわかればそれからどうすればいいのか、という方策がパチュリーの脳内を占めていったから。
「マンドラゴラのオス型にはな、類稀な魔力が篭っているんだ。それを利用した魔法薬をこしらえて、ここぞと言う時にそれを服用する、そうすると一時的ながらも魔力が上昇して、魔砲の威力が上がるって寸法さ」
「みじん切りじゃダメなの? 切れば黙るのはわかってるんだから、切ってしまった方が早いじゃない」
 咲夜の疑問ももっともである。
「いや、切っちまうとその切断面から魔力が漏れちまう。より多くの魔力を搾り出す為に、なるべくそのままの形で欲しいんだよ」
「成る程ね」
 マンドラゴラを形を残したまま採取する、しかも犠牲無しで。
 この難題の前に3人は唸りながらも書物を漁るしかなくなってしまった。
 小悪魔といえば飽きてしまったのか途中でどこかに飛んで行ってしまった。元々図書館に住み着いているだけなので、特にああしろこうしろ、と言われなければ気ままにしてるのが彼女なのだ。
「むー、なになに、『裸の女性二人が走って行ってマンドラゴラの前で裸で抱き合って一晩過ごす』? 馬鹿な事言うなっての」
「『女性の経血か小水を回りに撒く』、眉唾ねぇ」
「『マンドラゴラのまわりに剣で三重の魔法の輪を描き、樹皮に3つの十字架の印を彫りつける』ですって、描く魔法陣の説明もない上に、誰が樹皮に3つの十字架を書くのかしら」
 樹皮に書く、という事は既に抜かれている事である。ならばその十字を書く者はどうやってマンドラゴラの叫びに耐えてるのだ。
 魔理沙、咲夜、パチュリーの3人では手詰まりの様相を見せ始めていた。
 どの書物に書いてある事も眉唾物か、犬につけて引かせる、という犠牲を用意しなければならない、という記述しか見受けられなくなってきたのだ。
 咲夜の持ってきた紅茶とクッキーが終わろうかという頃、部屋をノックする音が3人の耳に入る。
「美鈴です、この前の本の続きを借りに来ました」
 ドア越しでも鈴の鳴るような声が聞こえる。
「入りなさい」
 パチュリーが入室を促し、見る者の目を引く紅くて長い髪に緑色の大陸風衣装に見を包んだ女性が入ってくる。
 彼女の名は紅美鈴、ここ紅魔館の門番である。
「美鈴じゃないか、なんだ、お前本なんて読むのか?」
「ああ魔理沙さん、まだいらしたんですね」
 失礼な魔理沙の言う事にも美鈴は柔らかい笑顔で答える。
「それにしてもお前までその態度かよ、勘弁してくれ、コレじゃいつも通りのほうがマシだ」
「押し入るのはこっちの体が持たないから、いい加減やめて欲しいけどねー」
 こう見えても美鈴は結構な読書家である。読む物といえば歴史書や物語などが多いが、ジャンルにはあまり拘らない。そもそも書かれた字を追うのが楽しいのだ、と彼女は言っていた。
「あら、咲夜さんまで居るんですか、何をなさってるんです?」
「美鈴こそ仕事の方は……ってもうそんな時間なのね」
 スカートのポケットから愛用の懐中時計を取り出し、時間を確認する。いつの間にやら日没間近になっていた。
「はい、今から夜半までは代わりの者が見てますよ」
「小悪魔、って居ないわね――すまないけど自分で取ってきて頂戴、確か西洋の歴史書だったわね、C棟の27番書架の92列辺りのハズだわ」
「わかりました」
 それまでパラパラとつまらなさそうにページをめくっていた咲夜が何かに気がついたのか、はっと顔を上げて美鈴を呼び止める。
「そうだ、美鈴、あなた、あの草抜いてたわね、どうやって抜いたのかしら」
 すでに本棚の奥に行こうとしてた美鈴が振り返る。
「草……? なんの事です?」
 何の事やら、と首を傾げる美鈴。その表情は困惑が浮かんでおり、何かを思い出そうとしている。
「あの草よ、ほら、叫んでうるさいやつ」
 咲夜に助け舟を出されて、ようやく合点がいったようにパッと顔を輝かせる。
「あぁ、マンドラゴラですね! アレはうるさかったなぁ。で、それが何なんです?」
「だから、私が切り刻む以外に抜いてたわよね? その時、叫び声はどうしたのよ?」
「叫び出すまで1秒ぐらいあったので湖の中に向かって投げ込んで黙らせた後に燃やして捨てましたけど?」
 その返答に思わず顔を見合わせる3人。
「その手があったか」
「……確かに水中の音は空気中では聞こえ難いわね」
「なるほどねぇ」
 口々に感心する3人を見て、事態の飲み込めない美鈴は困惑の表情を浮かべる。
「え、それがどうかしたんですか?」
「咲夜、マンドラゴラの生えてる具体的な場所はわかるか?」
「中庭の隅ね、あんまり日の当たらない場所よ」
「問題はそこからどうやって湖まで運ぶか、ね」
「それは私の出番ですね、ただし地面から抜く役と、湖に投げ込む役が必要ですわ」
「ならばそれは魔理沙と美鈴でちょうどいいでしょう」
「で、投げ込んだ後はどう回収する?」
「水に浮かぶから、適当で充分よ」
「私か美鈴が担当しますわ」
「え? え?」
 説明もなしに相談を始めてしまった3人を前に、美鈴の困惑は深まるばかりであった。
「タイミングは結構ギリギリだな」
「そうね、特に魔理沙と咲夜はかなりシビアなタイミングを要求されるわ」
「一応、耳栓のような物を用意致しますわ」
「頼むぜ」
「あんまり当てにしないで頂戴、マンドラゴラの叫びは脳を揺さぶるわ、空気の振動さえ伝われば効果を発揮してしまう、直接声を聞かなければいい、という物でもないわ」
「あ、あのー? って誰も聞いてないのね……」
 すっかり忘れ去られた美鈴は目当ての本でも探しに行こう、と肩を落として本棚に向かい直した瞬間にガシッと肩を掴まれる。
「決まりだぜ」
 振り返った美鈴が見たのは満面の笑顔の魔理沙だった。この瞬間、美鈴は自分が厄介ごとに巻き込まれたのを理解したが、すでに逃げ場なんてどこにも無い事も同時に理解してしまった。


    5:


「本当にこれで上手く行くのかなぁ……」
 紅魔館の付近、湖のほとりで美鈴は呟く。
 先ほどされた作戦説明を頭の中で反芻してみる。
 まず中庭に魔理沙、咲夜、パチュリーが待機、紅魔館の外、湖のほとりに美鈴が待機する。
 パチュリーの魔法を合図に魔理沙がマンドラゴラを引き抜く。
 叫び出すまでのタイムラグは約1秒という美鈴の話を信用し、1秒以内に魔理沙がマンドラゴラを手放す。
 魔理沙が手放した瞬間に咲夜が時間を停止させ、マンドラゴラを回収。
 そのまま咲夜は美鈴の待つ場所まで飛んで行き、美鈴を視認した瞬間にマンドラゴラをなるべく遠くから投擲。
 この時点で時間停止を解除、美鈴は即座にマンドラゴラを掴み、湖の中へとマンドラゴラを投げ込む。
 これを魔理沙が必要とする本数に達するまで繰り返す。
 一見咲夜が直接湖に投げ込めばいいのかと思うが、万が一失敗した場合を考え、人間より妖怪の方がマンドラゴラの叫びに対して抵抗力が優れる為、また、咲夜の筋力では湖に沈めたとしても深度が浅すぎて声が聞こえてしまうのではないか、という二点から、美鈴がより深い深度へと投げ込む事になった。
「最低4本、できれば中庭に生えている5本全て、か」
 美鈴の呟きを聞く者は居ない。万が一他の者が発狂しても困るからだ。
 成功したならば白い弾を、異常が起きたのなら赤い弾を上空に打ち上げる手はずとなっている。
 なるべく赤の弾を放つような事態にならなければいいのだが……。
 太陽は既に半分ほど山間に沈みかけている。そろそろ一本目が始まるだろうか。
 ひそかに上手くいくようにとそっと胸元のポケットに入れている鈴に触れる。
 紅魔館の方から細長い白い光が吹き上がる。
 パチュリーの合図である。これから魔理沙がマンドラゴラを引き抜くのだろう、光が最終確認の白から作戦開始の青に変わる瞬間を見逃すまいと意識を集中する。

 ――一方その頃中庭。

「聞こえてるかどうかわからないけれど、もう一度言うわ」
 右手を上空に掲げ、白い光を上空に向かって放ちながらパチュリーが言う。
「全てはタイミングよ、一歩間違えばアナタ達の正気と命は保証しないわ」
 魔理沙と咲夜の視線はパチュリーの右手に注がれている。
 魔理沙、パチュリー、咲夜全員が耳に湿らせた綿を詰め込んでいる。急造の耳栓とはいえ少しでも防音効果があれば儲けモノといった所だろう。
「いいわね、それじゃカウントダウン行くわよ」
 魔理沙の足元には赤紫がかった緑の葉をつけた雑草とも思える草が生えている。その下には叫び声を聞いた人間を狂死させる魔製の根が生えている。
 パチュリーが左手を広げて突き出し、カウントする。
「5」 
 湖の岸辺で美鈴は瞬きもせずに光の柱を睨みつける。
「4」
 パチュリーはいつもの無表情のまま親指を折り、カウントする。
「3」
 咲夜の表情は穏やかな笑みを形作っている。成功を確信しているのか、それとも彼女なりの集中の仕方だろうか。
「2」
 魔理沙は笑顔だ、しかしそれは悪戯を思いついた子どものように無邪気で、ニヤリとしか言葉で表せない。
「1」
 全員の緊張感が高まる。
「ゼロ」
 パチュリーの右手から青い閃光が噴き出し、一瞬にして夕暮れの空に向かって伸びた。
「咲夜ぁぁぁぁぁ!」
 魔理沙は渾身の力で持ってマンドラゴラを引き抜き、その勢いで上空に放り投げる!
「ッッッ!」
 認識から停止までのタイムラグは存在しない。
 色を失った世界でマンドラゴラはまだ魔理沙の指から離れていなかったが、開かれた手から本体を引き抜く事は容易であった。
 停止した時間の中でパチュリーは今だに無表情であった。その手から放たれていた青い光はここには居ない美鈴にも届いたであろう。
 凍りついた世界の灰色の空を咲夜が飛ぶ。
 その咲夜の口元には笑みがまだ残り、どんな時でも瀟洒である彼女を表していた。
 門を飛び越え、湖畔に向かって突き進む。僅か数秒でこちらを睨みつけたまま立ち尽くす紅毛の影が見えた。
 美鈴の姿を捉えると右手に掴んだマンドラゴラを振りかぶり、
「後は」
 音無き世界に咲夜の声だけが響き、渾身の力で右手を振り下ろす!
「頼んだわよ!」
 マンドラゴラは狙い違わず美鈴に向かって突き進む。ナイフではない為、己の魔力でコントロールできないのを口惜しく思いながらも時間停止を解除する。
「!」
 美鈴は青い光を確認した瞬間に目の前に高速で飛来する物体を突きつけられる。
 驚いてる暇は無い。体を急速反転、咲夜の投擲したスピードを殺すことなくマンドラゴラに手を添え、柔らかいタッチで掴む。
 リィン!
 その瞬間、鈴の音とともに美鈴の腕は視認すら許されないスピードで振るわれた!
「ギ」
「っあああああああああ!!!!」
 マンドラゴラの最初の叫び声が漏れたと同時に、美鈴の裂帛の気合が木霊し、次の瞬間には湖面が爆ぜ、マンドラゴラは水中に叩き込まれた。
 ドパァ! と轟音とともに湖面が大きく弾け、それが静まるまでにゆうに1分は必要だった。
 湖面には静寂が訪れていた。
 湖面には赤紫がかった葉と、沈黙する白い不恰好な男性の形をした人形。それは間違いなくマンドラゴラの、それもオス型であった。
 それを見て、美鈴は満面の笑みを浮かべる。
「やった……成功ですよ! 咲夜さーん!」
 彼方の空中から見ていた咲夜に大きく手を振り、成功の喜びを告げる。
「あと4本あるのよ、気を抜いちゃいけないわ」
 一瞬にして隣に現れた咲夜の言葉は美鈴の気を引き締めさせる。
「そうですね……まだ始めの一本でした……」
「ほら、成功の合図をしなさい」
 そう言って微笑む咲夜の顔はまんざらでもなさそうだったのを見て、美鈴は華も綻ぶ笑顔で頷いた。
 夕暮れの空に向かって白い光の弾が登って行く。まるで小さな太陽のように。
 それを見た魔理沙は、
「おい! 成功だぜパチュリー! 見たかアレ!」
 笑顔とともにパチュリーの手を取って飛び跳ねる。
「ちょ、解ってるから、私の腕を振り回さない」
 魔理沙に文句を言いつつも、その口元はかすかに上がっていた。
 もちろん、その後も順調に進み、5本とも全て成功に終わったのは言うべくもない。

 たった1秒の作戦は大成功で終わった。


    6:


「じゃあな。私は帰るぜ」
 5本まとめたマンドラゴラを箒の先に紐でくくり、魔理沙が紅魔館の上空に佇む。
 完全に日没を迎え、太陽は山間に姿を隠し、夜幕はその広がりをほぼ完全なものとしていた。
 風は冷たいが心地よい程度であり、春の訪れを予感させる。
「また来なさい。今度はいつものように泥棒としてじゃなく、来客として」
 咲夜は魔理沙を静かに見つめる。
「ははっ、それだと本を借りて帰れないじゃないか」
「だからよ」
 二人は顔を見合わせ、笑いあう。
 咲夜は瀟洒に、魔理沙は快活に。
「そういえば」
 箒に乗った何かを思い出したように振り返る。
「結局、お前の持ってった腕、何の彫刻の腕だったんだ? わざわざ選ぶぐらいだ、心当たりはあるんだろ?」
 肘から先しかない、左手の彫刻。
 魔理沙の蒐集品の中で咲夜が選んだ今日の分の報酬。
 結局あの時ははぐらかされてしまったが、今なら咲夜が答えてくれそうだと思った。
「……あれは女神像の左手よ、昔、子どもの頃……美術館の封切りの時に見に行ったわ」
 ポツリポツリと咲夜が語りだす。
「左右の腕と頭部が見つからなかった女神像、勝利祈願だったらしいけど、子ども心に見惚れたのよ。まさか左手がここに流れ着いてるとは思わなかったわ」
 記憶の蓋がまた少し揺り動く。
 タバコと香水と化粧品の匂い。
『ほう、それが気に入ったかい。実はアタシもなんだ。さすがアタシの……だ』
 ――まただ。
 咲夜は頭を降り、記憶の蓋を閉めなおす。
 魔理沙はそんな咲夜の表情から何かに気がついたが、あえて黙っていた。
「ふーん、まぁいいや、今度の宴会も当然来るんだろ?」
「お嬢様次第ね」
「なら、確定だな」
「そうね、確定ね」
「一人でも友達は多い方がいいからな」
 魔理沙の一言に咲夜は心臓が跳ね上がる。
 咲夜は幻想郷の生まれではない、そして色々あって人間と仲良くする事なんてとっくに諦めていた。
「あら、私は貴方の友達なのかしら?」
 今、魔理沙にハッキリと友達、と言われて咲夜は思わず聞き返してしまう。
「何を今更、だぜ」
 ニッと笑う魔理沙の笑顔は、とても眩しく感じられた。
「………………それもそうね」
「じゃあな! また来るぜ!」
 そう言って魔理沙は殆ど夜空となった空に、一番星の如く星を撒き散らかして飛んで行く。
「友達………………か、分不相応とは言え」
 一人残された咲夜は誰に言うでもなく呟く。
「悪くないわね」
 眩しく輝く星の明り、それは咲夜を照らす月とともに、夜空には欠かせない輝きである。










「咲夜さーん!!」
「あら、どうしたの小悪魔、そんなに息を切らせて」
「魔理沙さんが本を盗んで帰ってますぅ」
「あんの黒ネズミ、今度という今度は絶対に私のトリウム崩壊系列に加えてやるわ……」





    ――――了――――
どうも、河瀬 圭です。

作中のマンドラゴラですが、かなりの自己設定を盛り込んでます。
信じて引き抜こうとか思わないようにお願いします。当方は責任を持ちません。
なお、作中に出てくる左手の彫刻の女神ですが、あえて明言を避けてみました。
特にコレといった理由は無いのですが、出さない方がいいかな、と。
ヒント:ルーブル

あんまり長々と話すのもアレだと思うので、それでは。

06.03.21、誤字を修正。
河瀬 圭
[email protected]
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コメント



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3.70名前が無い程度の能力削除
途中までミロの……かと思ってました。咲魔理いいよ咲魔理
5.80素薔薇しい!削除
胸がエロいというのが印象的でしたね、あの像はw
あとやっぱり咲魔理はいいです。
19.80じゃん削除
珍しい魔理沙が美鈴を名前で呼んでる
25.80no削除
むむむ、さくまり普及委員会が勢力を伸ばしている!
31.無評価河瀬 圭削除
拙作にコメントいただき誠にありがとうございます。
コメント全てが次回への活力となっていますw

>名前が無い程度の能力さん
ミロのヴィーナスも名物ですよねw
>素薔薇しい!さん
今回色々な角度から写真を見て(現地には行けないのでw)描写の方に力を入れてみました。やっぱり胸はエロかったです……w
>じゃんさん
キチンと名前で呼ばないとぶっ飛ばされる気がしたのでw
>noさん
さくまり普及委員会さんとは全くの偶然です。書き上げ、投稿した後に久しぶりに絵版を覗いた所、まったくの偶然に驚きました。
実は書いてる最中は咲魔理なんて考えてすらいなかったり orz
カップリングはともかく、咲夜と魔理沙の友情みたいな物が書きたかっただけでしたw
……これって咲魔理やん。

さて、解らなかった方に正解を。
正解:サモトラケのニケ
でした。
ルーブル美術館に展示されている像です。
ちなみに右手は1950年に発掘されているそうです。

前々回(あなたを象徴するもの)のコメント返しにおいて、コイクチさんへのコメントに「さん」が抜けており、呼び捨てになってしまってる、という大変な失礼をしてしまいました。この場をお借りして深く謝罪させて頂きます。
また、気がつくのが遅れてしまい、謝罪が遅れた事にも合わせて謝罪させて頂きます。
誠に申し訳ありませんでした。 orz